Coolier - 新生・東方創想話

空の人形 -star sky,and subterranean friend

2012/11/29 22:44:09
最終更新
サイズ
72.62KB
ページ数
1
閲覧数
2068
評価数
4/10
POINT
630
Rate
11.91

分類タグ

「わぁー、さとり様見て下さい。人形が動き出しましたー」

 唐突にお空の上げた歓喜の声に、私は読書の眼を休めます。
 うれしそうにお空の差す方向には一体の人形。深緑色のドレスで着飾ったそれは、確かに宙に浮き楽しげに踊っている、そのように見えることでしょう。
 誕生日のプレゼントにお燐から贈られたその人形に、近頃のお空は酷くご執心な様子で、片時も手放すこと無くいつも大事そうに抱きかかえているのです。
 聞くところによると地上の人形師にお燐が頼み込んで、特別に作ってもらった物なのだとか。それを貰ったときのお空の喜びようは、思い出すだけでも微笑ましいものであります。
 人形師の人形はまるで生きているかのように動き、踊り、時には戦うらしいのですが、お空の人形は勿論動くことの無いただの人形です。どうやらお空はそのことを残念に思っていたようですね。
 驚きで満たされていたお空の心が、喜びと興奮に染まっていくのが伝わってきます。
 毎晩寝る前に、人形が動きますようにと神様にお願いしていたから願いが叶った、ですか。いじらしい心持ちです。地上の神様に直接頼むことは考えなかったのですね。
 お空は眼を輝かせて宙に舞う人形を見つめています。できることなら幸せな気持ちのままでいさせてあげたいところですが、糠喜びをさせてしまうのも返って気の毒でしょう。

「悪戯が過ぎますよ、こいし」
「ちぇーっ、バラさないでよお姉ちゃん」

 人形に執心しているお空には、こいしの姿なんてまるで見えていなかったのでしょう。
 本当は人形が一人で動き出したのではなく、こいしが人形を抱き上げてふらふらと揺すっていた、ただそれだけの事なのですけど。

「えぇー、人形が動いたんじゃなかったのー?」
「ごめんねお空」

 こいしは人形をお空に手渡すと素早く背中に廻り、今度はお空の黒い羽をバサバサと広げて悪戯するのです。

「ひゃあ、止めて下さいこいし様」
「いいじゃんいいじゃん、減るもんでもないしー」

 お空は嫌がって逃げるのですがすぐに捕まって、こいしにされたい放題に弄ばれています。
 こいしが羽を広げるたび部屋に黒い羽根が舞い散らかっていきます。
 まったく、一体誰が掃除すると思っているのでしょうか。



~~~~~



 鬼という者は無類の酒好きと見られることが多い。
 年がら年中、場所も相手も問わずに酒盛りをして盛り上がっているのだから、その印象もあながち間違いというわけでもないのだろう。
 私もご多分に洩れず、素面でいることのほうが珍しいほどの酒浸りだ。鬼は酒と共にあり酒は鬼と共にあり。
 酒を嗜まない鬼も居ない訳じゃあないが、少なくとも私は酒の無い生き方なんて考えられない。
 そして酒好きというやつは甘い物を嫌うと見られることが多い。
 残念ながらこれは偏見でしかない。
 少なくとも私こと星熊勇儀は、酒を愛すると同時に甘味も愛でる。これらは何ら不自然無く両立できることだ。
 豪腕で豪快、怪力乱神と恐れられる鬼の星熊勇儀が可愛らしいショートケーキなんぞを上機嫌で頬張る姿は、他人の目からは些か滑稽に映るらしい。
 さとりにそのことを真顔で指摘され、私にもケーキを愛でるくらいの感性なら備わっていると言い返したが、あいつは理解するかわりに腹を抱えて笑いやがった。
 まぁいい。他人にどう見られようとも関係無い。私は酒とケーキを愛する。文句のある奴はかかってこい!

「おう親父、限定チョコモンブランは、まだ残ってるかい」
「これはこれは勇儀様。限定のモンブランですか。ええ、ご用意できますよ」

 作務衣姿の店主は「しばしお待ちを」と言い残し厨房にとって返す。私は空いてるテーブルに付き、女中の持って来たほうじ茶を啜る。
 旧地獄街道に店を構える甘味処。ここの店主の作るチョコモンブランは厳選された栗だけを贅沢に使った逸品で、最近の私のお気に入りだった。
 尤も素材に拘りすぎたがため生産量が限られてしまい、それに有りつけるかどうかは運しだいというのが玉に瑕なのだが。
  今日はどうやら運良く有りつけたようだ。上機嫌でケーキを待ちわびる私に、調子っ外れな声がかかる。

「あー、勇儀だ。こんにちはー」
「ん、誰かと思ったらお空か。こんにちは」

 さとりのペットのお空はにこにこと屈託の無い笑顔で挨拶をする。テーブルの上には限定チョコモンブランが置かれていた。

「お空もチョコモンブランが目当てか」
「うん。これ美味しいよね」
「ああ、絶品だな」

 折角なので相席をとテーブルを移った私は、お空の隣の席に鎮座している人形に気付く。

「人形?」
「うん。お燐がプレゼントしてくれたの」
「へぇー」

 椅子にちょこんと腰掛けた西洋人形は一抱えはありそうな大型な物で、お空のスカートと揃いの深緑色のドレスを身にまとっている。
 あどけなく愛らしいその顔は、地底では見覚えの無い物だった。

「あっ、勝手に触らないで!」

 思わず手を伸ばしかけたところで制止の声がかかり、お空は慌てて人形を抱きしめる。

「ああ、ごめん」
「私の宝物なの……」
「そっか宝物か。でも珍しい人形だね。ちょっとだけ見せてくれるかい?」
「うーん、いいけど絶対に壊さないでね……勇儀は乱暴なんだから」

 お空は渋々といった様子で私に人形を手渡す。最後の一言は余計だとも思うが。
 手にとって子細に調べると、その人形は芸術品ともいえるほどの物であることが即座にわかった。
 木製の球体関節は恐らく部品の切り出しから摺り合わせ、仕上げまで一貫して手仕事で行われており、呆れるほどの手間がかかっている。寸分のガタも無く勿論引っ掛かりも無く、あくまでもスムーズに動くその精度は驚異的ですらあった。
 また一品物のドレスの縫製も素晴らしく、一体の人形のための服としては明らかな過剰品質で作られていた。
 これほどの作品、さぞ名のある職人の仕事に違いない。私はさらに注意深く人形を調べ、首の後ろに小さく打たれた銘を見つける。

「アリス・マーガトロイド?」
「うん、アリス。地上の人間の里で人形劇やってるの。アリスの人形は生きてるみたいに飛んだり動いたりして、とっても可愛いのよ」
「えっ、これ動くの!?」
「この子はまだ動けないの。どうすれば動くんだろ? アリスに聞いてみないと」

 私にはなんとなく察しが付いた。地上で人形劇を見て、生きているかのように動く人形達を見たお空は、自分の人形も生きているかのように動きだすのではないかと錯覚してしまっているのだろう。
 しかし人形は飽くまでも人形でしかなく、人形遣いがあたかも意思があるかのように操っているだけだ。人形遣いの技を持たぬお空には人形を動かすことはできない。
 そしてその現実を教えることは、純真なお空の夢を壊すこととなってしまう。どうせいつかは知ることになるとしても、そんなの今じゃなくてもいい。

「ありがと。可愛い子だね、大切にするんだよ」
「うん、大切にするよ。宝物だもん!」

 お日様のように眩しい笑顔を浮かべるお空に、私は人形を返す。
 私の興味は人形そのものよりも、それを制作した職人のほうに移っていた。
 隅々まで一切の妥協無く作り込まれたそれは、採算性を欠片も考えていない、まさに愛を込めた作品だと言える。
 しかもそれは人形遣いによって動かすことを前提としているとは、驚くべきことだった。

「アリス・マーガトロイド、か」

 いつか会って膝を交えた話をしてみたいものだ。
 私こと星熊勇儀は、酒と甘味を愛すると同時に人形も愛でる。
 豪腕で豪快、怪力乱神と恐れられる鬼の星熊勇儀が可愛らしい人形なんぞを抱いて相好を崩す姿は、他人の目からは些か滑稽に映るらしい。
 でも他人にどう見られようとも、好きなものは好きなのだから仕方ない。笑うなら笑え。






 お空と別れて甘味処を出たのは夕方に差し掛かる頃合いだった。
 夕方といっても元からお天道様と縁の無い地底のこと、日が暮れるわけでもないのだから景色にも変化は無い。
 特に予定も無かった私は、家に帰って呑み直そうか、それとも久しぶりにパルスィでもからかいに行こうかと考えながら、旧街道を歩く。
 通りの向こうからコトコトと手押し車を鳴らして、見知った顔がやってきた。
 さとりのペット二号、お燐だ。
 お燐は私を認めるとビクリと体を震わせるがそれも一瞬のことで、すぐさま愛想笑いを顔に貼り付ける。

「これはこれは勇儀さん、ご機嫌麗しゅう」
「また死体集めか」
「いや、まぁ、あははは」

 お燐は目を逸らして白々しく笑い出す。手押し車には荷物が載せられており、人目を遮るように茣蓙を被せられている。
 荷物の中身は人間の死体だろう。

「きょ、今日は暑くも無く寒くも無く丁度いい塩梅の天気ですこと」
「そうか? 霧が煙って幾らか肌寒いんじゃないか」
「そうですね、あはは」

 はっきりとした天候の変化があるわけでもないこんな地の底で、天気の話をしても仕方ないだろう。こいつもお空とは別の意味で素直で、わかりやすい。

「ふむ、その荷物、ちょっと検めさせてもらおうか」
「いえこれは勇儀さんにお見せするような大層な物では、あぁっ!」

 茣蓙の下に横たわっていたのは少女の死体だった。
 年の頃は十になるかならないかといったところか。
 獣に食い荒された跡はおろか僅かな外傷すらも見当たらず、どころか真っ新な死に装束に包まれて、うっすらと死に化粧で装われてさえいる。

「おまえ、盗んできたな」
「いえいえいえ、そうじゃありません」
「咎めるわけじゃあないが大概にしておけよ。いざとなったら怒られるのはお前の飼い主のさとりなのだから、そこをよく考えるんだな」

 さとりの名前を出した途端、お燐は口をへの字にしてぷぃっと横を向き拗ねる。

「お言葉ですけどねぇ、そんなに大事だったら盗まれないように片時も離れず見張っときゃあいいんです。隙を見せるからいけないんですよ」
「聞いて呆れるな。盗人猛々しいとはこのことだ」
「それより、ちょっと興味深くないですか」
「何が?」
「死体ですよ、この死体」

 お燐は死んだ少女の傍らに立つと、そっと額を撫でる。

「まだ年端もいかぬ子供で、おまけに傷が無いのだから事故で死んだ訳じゃ無い。きっと病で長いこと苦しみぬいた末に死んだんでしょう。こいつの霊が一体どんな話を聞かせてくれるのか今から楽しみで」

 そう言うとお燐は芝居がかった含み笑いを漏らす。
 盗んだ死体の霊の話を聞くのが楽しみ。悪趣味だが、彼女に悪気があるわけじゃ無い。
 そういう妖怪に生まれたのだから、そうしているだけだ。

「死んでる奴に興味は無いな」
「へぇ、そうですか」

 まるで寝ているかのように安らかな少女の死に顔に、淡い光が射し始めた。
 見上げると立ち籠めていた霧はいつのまにやら晴れており、ヒカリゴケの冷たい光が降り注いでいる。
 見渡す向こうに空は無く、彼方に荒涼とした岩肌がどこまでも広がっていた。

「あ、そうそう。地上にですね、勇儀さんと会いたいという方がいるんですよ」
「ん、私に?」

 地上に居たころは山の四天王として名を轟かせた頃もあったが、それも昔のこと。
 地底に移り住んでずいぶん長いこと経つ。
 私の名を知っている者なんて、そうそう居るもんじゃないし、ましてや会いたいだなんて、そんな酔狂な奴どうせ碌なもんじゃない。

「ほら、新聞屋をやってる烏天狗の射命丸さんですよ。勇儀さんが天人と手合わせした時の話をぜひ聞かせてほしいって」

 やっぱり碌でもない奴だった。
 新聞屋の射命丸。へらへらと調子のいいことばかり言ってるくせに、妙に抜け目の無い奴だったな。久しく会ってないが、まだ新聞やってたのか。
 しかも私と天人との手合わせを取材したいと。成る程、萃香が口を滑らせたな。
 面白い奴がいるから来いと萃香から便りがあり、久しぶりにと地上に出たらその足で天界まで連れ回された。
 天界で待っていた天人はまだ半人前の小娘に見えたが、なかなかどうして手応えのある相手で、私としても久しぶりに楽しませてもらった。
 最も、小娘自身の力というよりも振り回してるナントカヤラの剣の力が強かっただけで、小娘の実力の程は怪しいものだが。
 とにかく久しぶりに思い切り暴れて、酒を呑んで、桃も食ったかな? たまには天界も悪くは無い。

「用件はわかった。気が向いたら山に出向くって天狗には伝えておいてくれ」
「はいはい、わかりました」

 薄っぺらい返事を残して、お燐は死体とともに逃げるよう立ち去っていった。



~~~~~



「わぁー、さとり様見て下さい。人形が動き出しましたー」

 唐突にお空の上げた歓喜の声に、私は読書の眼を休めます。
 きっとまた、こいしが悪戯してお空をからかっているのでしょう。
 部屋に飛び込んできたお空の抱きかかえる人形は、もそもそと身をよじらせています。
 あら!? 本当に動いていますね。これは驚きました。どうやら今度はこいしの悪戯では無いようですね。
 人形は可愛らしい目でぱちぱちと瞬きをして、興味深そうに私の部屋を眺めています。その心が酷く困惑していることが伝わってきました。
 心が読めてしまうということは、この人形は誰かが操って動かしているのではなく、それ自身に意思のある一個の生き物だということになりますか。信じがたいことですが。
 大喜びのお空の心が煩いくらいに伝わってきます。というか煩いので少し落ち着きなさい。
 私はお空の人形に微笑みかけます。

「はじめまして、古明地さとりといいます。よろしくね」

 人形は戸惑いながらも小さく頷きます。とても小さな心の声で「は、はじめまして」と聞こえてきました。どうやらこの人形は直接喋ることはできないようですね。
 しかし何とも可愛らしいものです。思わず頬が緩んでしまいそうなほど。

「ここはお空の家なのですから、あなたも自分の家のつもりで遠慮なさらず寛いでくださいね」

 人形の心は緊張混じりに「……はい」と囁くような返事をしてくれました。






 動くようになった人形はお空と二人絨毯に座り込んで、積み木で遊んでいます。
 小さな指を器用に動かして積み木を組み上げる様は、なかなか不思議な光景ですね。
 でもどうやらこの人形、積み木はあまり得意ではない様子です。常にお空が手伝っているので、お空一人で積み上げているのと変わりありません。

「その赤いのはそっちじゃなくて、こっちだよ」

 しがみつくようにして積み木を運んでいた人形は、お空の指示を聞いて素直に頷きます。
 そしてふらふらと飛んでいき、お空に手伝われながら積み木を置くと、二人は喜びの感情を溢れさせます。
 効率は悪いのでしょうがお空も人形も楽しいのなら、それでいいのでしょう。
 人形が動き出す前は、私の飼っているダックスフンドを父親役に見立てておままごとをして遊んでいるのが常でしたが、動く人形にお空は夢中になってしまいましたのでダックスフンドは手持ち無沙汰な様子。
 絨毯に寝そべって、積み木遊びをする二人を羨ましそうに眺めていますね。

「あーぁ」

 私の横ではお燐がテーブルに突っ伏して溜息を漏らしています。一体なにがあったのでしょう?

「聞いて下さいよさとり様。あたいが折角苦労して地上から運んできた死体なんですが、話を聞こうとしたら中に霊がいなくて空っぽだったんですよぉ」

 この子はわざわざ口に出さなくてもいいのに、あえて喋ります。私としてはどちらでもいいのですけど。
 しかし死体に霊が入っていなかったのですか。餡ドーナッツの中に餡が入っていなかったようなものでしょうか。

「もうガッカリですよ本当に」
「そういう事もありますよ」

 私に伝わってくる心に、一瞬だけノイズのような歪みが感じられましたが……はて?
 ダックスフンドが私の足下にすり寄ってきます。お空が構ってくれないので寂しがっているようですね。
 私はダックスフンドを抱き上げてブラシで体を梳いてやります。ダックスフンドは気持ちよさそうに目を瞑って身を委ねています。

「えっ、お外に出たいの?」

 お空が驚いた声をあげました。見れば人形に手を引っ張られて、外に出ようとしきりにせがまれています。
 お空は困った顔を私に向けます。その心は言葉にならない不安感を抱いていました。
 外にですか、別にいいんじゃないですかね。ここは鬼と妖怪だらけの地底なのですから、今更人形が動いていたとしても誰も驚きはしませんよ。
 それに、私もたまには気晴らしに外に出てみようかと思いますし。

「じゃあ折角ですし、みんなで外に遊びに行きましょうか」
「いいんですかさとり様」
「なにも悪いことなんて無いじゃありませんか。人形が動いていたら駄目だなんて聞いたこともありませんよ」

 お空の言葉にならない不安はどうやらその事だったようですね。私の許しが出たことに安心したのか、お空は晴れやかな笑顔を浮かべ、人形は急かすよう頻りにお空の手を引いているのでした。






 お空と人形に引き摺られるように旧地獄街道に差し掛かると、どこからか祭り囃子が聞こえてきました。すっかり忘れていましたが、そういえば秋祭りをやっているのでしたね。
 地上と違い収穫を祝う訳ではないので、どんな由来の祭りなのかは残念ながら私にもわかりません。でも祭りが楽しいことに変わりは無いのですから、特に不都合はありませんね。
 不貞寝するからと家に残ったお燐に、なにかお土産でも持ち帰ってあげましょう。綿菓子なんて喜ぶんじゃないでしょうか。

「あっ、そっち行っちゃ駄目だよ」

 あっちへフラフラこっちへフラフラと、はしゃいで飛び回っていた人形をお空が慌てて引き留めます。

「そっちは地上に繋がってる道だから危ないし、行っても面白くないから駄目」

 お空の言葉にきょとんと首を傾げていた人形ですが、やがて小さく頷くとお空の元へ帰ってきます。
 しかし伝わってくる人形の心は、そんな仕草とは少しだけそぐわない物でした。まるで何かを確かめるかのような……何とも不可思議なものです。
 しばし考え込んでいると、驚きと喜びの感情、そして同時に嬌声が聞こえてきました。何事かと見上げた視界を、はらはらと舞う沢山の花片が通り過ぎていきます。

「うわぁー」

 妖精達の群れが色鮮やかな花片を撒きながら地獄街道の空を横切っていきます。それは花吹雪と呼ばれる、地底のお祭りの風物詩でした。

「日の光の届かない地底では、鮮やかな花が咲くことはありません。それを寂しく思っているのでしょうか、秋の祭りの季節になるとああやって妖精たちが地上で集めた花片を撒いて地底の空を飛んで廻るのです」

 降り注ぐ花吹雪に言葉もなく見とれていた人形とお空でしたが、私の言葉を聞くと感激を表すかのように、無心で拍手をしています。
 人形の手が奏でる、かしゃかしゃという間の抜けた拍手を聞き、私は思わず笑い出していました。






 お空の人形が動き出したことで、私たちの日常はちょっとだけ騒がしく、ちょっとだけ微笑ましいものへと変化するのでした。
 人形は片時も離れることなくお空と共に行動し、その愛らしい仕草で私たちの気持ちを和ませてくれます。
 お空が食事をするときなんて人形だから物が食べられないのに、お空の隣でフォークを持って食事をする真似をするのですよ。実に可愛らしいじゃありませんか。
 そういえばあの人形、何故だかお空のマントが酷くお気に入りの様子でしたね。
 お空が自慢げに広げたマントの、星空を模した模様を真剣な面持ちで見つめていたり、時にはマントにくるまっているうちに寝てしまったり。
 人形も私たちと同じで、夜になったら眠るんだというのは意外な発見でした。そもそも顔の表情の無い人形なわけですから、寝ていたとしても、じっと動いていないだけなのかそれとも眠っているのか外見からは区別がつきません。
 でも眠っている時は心の声が伝わってきませんので、きっと安らかな夢でも見ているのでしょう。
 私たちの賑やかだけど穏やかな日常は、ゆっくりと過ぎていきます。






「にゃ――ん!」

 盛大な鳴き声をあげて、黒猫が部屋に飛び込んできました。
 見ると、ばたばたと暴れるお燐の胴体にお空の人形がしがみついています。伝わってくるお燐の心は、なるほど昼寝をしていたら耳を引っ張られたのですか。それで驚いて暴れているのですね。

「ああっもう、駄目だよ」

 遅れてやってきたお空が猫状態のお燐を捕まえて、人形を引き剥がします。
 不思議そうにきょとんとしている人形をお空は見つめます。

「乱暴したら駄目なんだよ!」

 お空の真剣な表情に、人形からは戸惑いの感情が伝わってきます。

「急に耳を引っ張られたら驚くでしょ」

 お空の問いかけに戸惑いながらも、人形は小さく頷きます。

「自分がされて嫌なことは他の人にもしちゃ駄目なんだよ。もししちゃったら、ごめんなさいって謝らないと」

 今度は人形も理解したようです。お空の足下に隠れるよう座っていたお燐のところにゆっくり飛んでいくと、お燐に向けて頭を下げます。
 お燐は人形に歩み寄ると、小さい舌で人形の顔を嘗めます。人形はくすぐったそうに身をよじっています。

 人形の恥ずかしそうな、でも嬉しそうな感情が私に伝わってきます。

「じゃあ仲直り。三人でお外に遊びに行こうよ」

 お空の提案に人形は手を挙げて喜び、お燐は「にゃぁ」と小さく鳴いて、同意を示します。
 騒がしい三人が駆け出していき、静かになった書斎で私は読書を再開するのでした。



~~~~~



「おう、さとりは居るかい」
「あっ勇儀だ、こんにちは」

 年中引き籠もりのさとりが居ない筈なんて無いのだが、毎度つい聞いてしまう。
 祭りの日に私の所に顔を出さなかった出不精のために、私からわざわざ出向いてやることにした。
 昼間っから酒を呑むなんてと無粋なことを言うかもしれないが、鬼にとっては酒を呑むのに昼も夜も関係無い。
 地霊殿の庭には相変わらずな風景。地べたにしゃがみ込んで落書きするお空と、それを暢気に眺める黒い猫と緑色の服の人形。いつもと変わらぬ光景。
 ……落書きを眺める人形?
 ……お空に抱かれるでもなく、宙に浮く人形?

「おいお空、その人形」
「凄いでしょう。動くようになったんだよ!」

 にっこりと笑うお空の横で、人形はあろうことか私にお辞儀を返した。
 お空に人形を操るなんて出来ない筈だ。何年も修行したのならともかく、人形を自然に操るなんて一朝一夕で習得できる技術じゃあない。
 だったら近くにこいつを操ってる人形遣いがいるのだろうか?

「なぁ、それ誰が操ってるんだ?」
「誰も操ってなんかいないよ、この子は自分で動いてるんだから。そうだよねー」

 お空の言葉に人形はこくりと頷く。
 周囲を注意深く見回してみても、ここにはお空とお燐、そしてこの人形しかいない。人形を操っているはずの人物の気配が、まるで感じられない。
 信じがたいがこの人形は自分で動いている、そうとしか説明がつかない。

「驚いたなぁ、操られずに自分で動く人形だなんて……」

 自分の意思で動く人形なんて見たことはもちろん、聞いたことも無い。
 思わず伸ばした私の手を、人形は怯えたように飛んで避けた。

「怖がらせちゃ駄目だよ勇儀、乱暴な鬼は嫌なんだって」
「乱暴って、まだ何もしてないだろ」

 人形はお空の背中に隠れて、おっかなびっくり私の様子を伺っている。
 まるで小さい子供のようなその仕草は人形の姿にぴったりで、とても愛らしい。
 私はにやけそうになるのを苦笑いで誤魔化した。

「わかった乱暴はしない。優しくするからそんなに怖がらないでくれ」

 人形はお空の背中から小さく頷くと、おそるおそる私の所に飛んできて、小さな手で私の角を撫でては驚いたような仕草を見せた。
 それは間違いなく人形の筈なのに、表情豊かに動く様は生きているかのようにしか見えない。操られていないのだとしたら一体どういうカラクリなのだろうか?

「それでね、これがちっちゃい神様。いつも変な帽子被ってるの。こっちは大きい神様、とっても偉いの。これが早苗。よくわからないことで騒いでばかりの変な子だけど、料理は美味いんだよ」

 地面に描いた落書きの解説をするお空に、人形は興味深そうに相槌を打つ。
 可愛らしく描かれたお空の落書きは子供っぽい絵柄ではあったが、山の神様たちの特徴をよく掴んでいた。
 人形も真似をして、木の枝を抱え地面に落書きを始める。小さい体で一生懸命描いた絵が完成すると、人形はそれをびしっと指差し、続いてお空を指差す。

「えっ、私を描いてくれたの?」

 人形は得意気にうんうんと頷く。

「わぁ、ありがとう。嬉しいな」

 お空は落書きに感激したのか、人形を抱きしめて頬をすり寄せる。
 ……しかしこの落書き、四角い胴体に沢山の足、二本のハサミ。どう解釈しても蟹にしか見えないんだが、これでいいんだろうか?

「なぁーん」

 人形とお空のやりとりを大人しく眺めていたお燐が、私に向けて一声鳴く。
 その鳴き声はとても上機嫌そうだった。



~~~~~



 動く人形と沢山遊んではしゃぎ疲れてしまったのか、お空はソファで静かな寝息をたてていた。
 人形はそっと起き上がり、どこからか探し出してきた毛布をお空にそっと掛けてやる。
 満ち足りた笑顔を浮かべるお空を見つめていると心に暖かい感情が込み上げてきて、それがむしろ堪らなく辛くなってくる。
 お空と会えて、大事にされて、一緒に遊んで、本当に楽しかった。
 このまま立ち去ることには、まだ未練がある。何もかも忘れて、お空と一緒に居られたら……。
 でも、もう余り猶予が残されていないことに、人形は気付いていた。
 残された時間、お空と幸せに過ごしながら静かに消えていくことよりも、そっと立ち去って一人で消えていくことを人形は選んだ。
 ひとつだけ残されたささやかな願いを独りで叶えて、人知れず消えていく。
 その願いが叶うかどうかは人形自身にもわからないけど。
 これが最後のお別れになるのかもしれない。もうお空とは会えないかもしれない。
 そう思うと、胸が締め付けられるように悲しく、切なかった。
 人形はお空の笑顔にそっと寄り添い、柔らかい頬を優しく撫でる。

「うーん、うにゅ?」

 そして涙の出ない目元を乱暴に拭うと、迷いを断ちきるかのように全力で飛び去っていった。
 残されたお空はなにも知らず、くすぐったそうに笑いを浮かべていた。



~~~~~



「人形が、人形がぁぁ! あぁぁぁぁぁぁぁん!!」

 エントランスホールからお空のけたたましい泣き声が聞こえてきます。
 何事かと様子を見に行ってみると、しゃがみ込んで泣き叫ぶお空を前に、お燐が途方に暮れているのでした。

「どうしたのですか?」
「あ、さとり様」

 お燐は処置無しとでも言いたげに首を振ります。なるほど、人形が突然居なくなってしまったのですか。
 お空の悲痛な感情がエントラントを埋め尽くさんほどに溢れていて、とても痛ましい有様です。心を読めない人には理解できないのでしょうが。

「あぁぁぁぁん! 何で何で、なんでぇぇぇぇぇ」
「泣いてても仕方ないよ。とにかくそんなに遠くまで行ってないはずだから、手分けして探そうよ、ねっ」
「どこ行っちゃったのぉぉぉ、うぇぇぇぇぇぇぇん!」

 必死にお空を宥めようとするお燐でしたが、悲しみに暮れるお空の耳にはどうやらその言葉も入らないようで。
 さて、状況がここまで変化してしまったのなら、やはりこれはお空に告げなければなりませんね。必要がなければ知らないままでも良かったのですが。

「……お空、人形のことで話があります」
「わぁぁぁぁぁん、やだよやだよぉ、私の人形だもんっ!」
「聞きなさいっ、霊烏路空ッ!!」

 声を張り上げると、お空はぴたりと泣くのを止めました。
 疲れるのであまり大きい声は出したくないのですが。

「いいですかお空。あなたはあの人形が意思を持って動き出したと信じています。でもそれはあなたの間違い。人形が勝手に動き出すだなんてこと有り得ないのですよ」
「……で、でもぉ」
「あの人形は中身が空洞だった、そうではありませんか、お燐?」

 お燐はそれを聞き、はっとしたように驚いて、人形のことに考えを巡らせます。
 アリスの人形は戦闘の時のために火薬が中に詰められているけど、あの人形は戦闘のために作られていないから火薬が詰められていない。火薬が無いなら中身は空っぽかも……ふむ、やはり思った通りですね。

「空っぽだった人形の中身にどういう訳か幽霊が入り込んだ。恐らくこの前お燐が持って来た死体の霊なのでしょう」
「えっ、幽霊!?」
「そう。つまり人形が動いていたのでは無く、動いていたのは幽霊だったという訳です」

 人形の正体を私が告げると、お空は驚きの表情を浮かべました。



~~~~~



「おう親父、限定チョコモンブランは、まだ残ってるかい」
「これはこれは勇儀様。限定のモンブランですか。ええ、ご用意できますよ」

 作務衣姿の店主は「しばしお待ちを」と言い残し厨房にとって返す。私は空いてるテーブルに付き、向かいの席にお空の人形を座らせる。
 人形が旧地獄街道をふらふら飛んでいるのを見かけた時は、お空と一緒に散歩でもしてるのかと思った。
 しかし周りを警戒して人目に付かないようにこそこそと動く様子は、いかにも不審であった。なによりも近くにお空の姿もお燐やさとりの姿も見当たらない。
 ひょっとしたら持ち主のお空とはぐれて困っているのかもしれないが、もしそうでないのなら、いかにもこっそりと飛ぶその様子は何か聞かれて都合の悪い事情があるということだろうか。
 どちらにしても近くに持ち主のお空が居ないのは不可解である。
 声をかけると私の顔を覚えていたのか、軽く狼狽した後にあたふたと逃げ出した。
 やはり何か企んでいるようだ。ちょっと乱暴にでも捕まえて事情を問い質す必要があるな。
 かなり手加減した三歩必殺で周りを包囲してやると、人形は身を竦めて固まってしまった。
 既にどこかで追いかけっこをしてきた後なのか髪も服も汚れて傷んでいたが、修復が必要なほどの大きな傷が無いのは不幸中の幸いだった。
 抵抗すること無く向かいに座る人形は、どことなく落ち込んでいるようにも見える。
 とりあえずは人形に話を聞くことにしようか。

「あーっと、ケーキ食べるか?」

 女中の持って来たモンブランを一口切り分けて人形に差し出す。
 だが人形は小さく首を振って答える。
 流石に動けるからといっても人形なのには変わりない。きっと飲み食いはできないのだろう。

「お空が見当たらないけど、一人なのか」

 人形は微かに頷く。

「お前が一人で出歩いてることをお空は知ってるのか」

 一瞬戸惑ったようにも見えたが、人形は首を横に振った。
 なるほど、つまりは家出なわけだ。

「お空に知らせず一人で出歩いてたら心配かけるだろ。なにか内緒で出歩きたい理由でもあるの?」

 人形は私の問いかけに顔を上げて、身振り手振りで忙しなく説明をする。
 ……残念ながら何を伝えたいのかさっぱりわからない。
 とりあえずこの人形は意思を持って動くことはできても、喋ることはできないらしい。今のところそれだけがわかった。

「ひょっとして、お空と一緒にいるのが嫌で出てきたとか……」

 何気ない呟きに、人形は両手で力の限りテーブルを叩き、ゆっくりと大きく首を振った。
 表情の浮かばないはずの人形の顔は、どことなく怒っているようにも見えた。

「お空のこと嫌じゃないなら、だったら何で……」

 持ち主のことが嫌いで逃げ出してきたのなら説明は付く。勝手に飛び出した理由としては十分理解できる。
 しかしこの人形はお空を嫌っているのかという問いかけをはっきりと否定した。それはお空と一緒に居たいという意思の表れ。
 にも拘わらずお空に内緒で飛び出したということは、なにかの理由があっての行動なのだろう。
 理由、一体どんな?

「もう一度確認するけど、お前は地霊殿から家出してきたんだよな」

 人形は小さく頷く。

「地霊殿が嫌になったか?」

 弱々しく首を振る。

「お空が嫌になったんでもないんだよな」

 はっきりと頷く。

「じゃあお空とは一緒にいたいんだな」

 人形は何度も頷いた。

「でも、お前には一人で出て行かなけりゃならない理由があった」

 私のその言葉を聞き、人形は動きを止めた。

「どんな理由かは知らないけど、なんで勝手に飛び出す前にお空に相談しなかったんだ? あいつはお前のことを心から大事に思っている。お前が相談すれば喜んで協力してくれるはずだ!」

 人形はまるで駄々をこねる子供のようにテーブルを叩き、首を振り続けた。

「喋れないから伝わらないか。なんで勝手に伝わらないと決めつける? なんでそうやって一人で背負おうとする? なんでお空のことを信じてやれない?」

 その言葉が耳に届いたのか人形は暴れるのを止め、力なく項垂れてしまう。
 私にはそれは泣いているかのように見えた。

「お前の住んでる家には他人の心を読める奴がいる。お前が言葉を喋ることができなくても、そいつの力を借りればお前の言いたいことを伝えることができる」

 私は項垂れる人形の頭を優しく撫でてやる。

「お前には力を貸してくれる仲間がちゃんと居るんだ。なにも言わずに飛び出して、そいつらを心配させちゃ駄目だろ?」

 人形は戸惑いながら、小さく頷いた。



~~~~~


 
「そう、幽霊です。幽霊が、人形の中に入っていた。それ以上でも、それ以下でもありません」

 全く理解していないお空にもう一度告げました。
 彼女の羽は力なく畳まれています。涙は止まっているのですが、ようやく落ち着いてきたお空の心にまたさざ波が立ちました。
 どうして話を難しくするのだろう。何が言いたいのか、さっぱりわからない。
 お空は心で不平を漏らします。
 どうすれば分かってもらえるか、と考えあぐねる私を助けようと、お燐が口を開きました

「ねぇお空。お空には、神様からもらった力が入ってるよね?」
「えーっと。うん。ちっちゃい神様と、大きい神様の」
「あの人形には、幽霊が入っているのさ。だから、動いていたの。わかる?」
「……じゃあ、あの子はあの子でしょ。力もらっても、私は私だもん」
「うーん、違うんだよねぇ。霊が憑依した、で分かって貰えるはずもなく……そういうことですよね、さとり様」
「ええ」

 私はお燐に返事を返します。
 お燐は理解してくれた。でも、その先が話がつながらない。
 お空の心がうねります。心の中で、外まで探しに行く、と叫びます。
 私が止めていなければ、とっくのとうに飛び出しているのです。
 さぁ、どうしたものでしょう。
 私が考えていると、唐突にお空の羽がばさりと開きました。

「きゃあっ!」

 お空が甲高いをあげます。
 これは何なの? いったい何がおきているの? と、お空の心がうねりをあげました。
 さぁて、と。
 実際、お空の背後には誰もいない――ように思えるのですが。
 見る限り、お空本人の意思ではありません。
 つまりは誰かが動かしているということ。
 私達に気付かれずにお空の背後に回り、無理やりその羽を動かす……もしくは、初めからいたのかもしれませんが。
 こんなことができるのは、彼女しかいませんね。
 ほら、見えました。
 意識するまでが大変なのです。
 意識してしまえば、姿を隠すベールは剥がされるのです
 初めはぼんやりと、次第にはっきりと。
 お空の背後から、黒い帽子のつばがはみ出ています。
 無表情で羽を鷲掴みにして前後に大きく揺らしている少女。
 それは、私の妹。閉じた恋の瞳、古明地こいし。

「な、なにこれっ!」
「どうしたのお空?」

 こいしに気付けていないお空とお燐は、心底慌てています。
 私と視線が合うと、こいしはにっこりと笑いました。
 心は読めません。
 ですが。
 今は、何を考えているのか理解できます。
 私が微笑むと、こいしは羽から手を離してこちらに振り、そして完全に姿を消しました。

「な、なんだったんだろう今の……」
「こいし様かな?」
「あ、なるほど」

 いなくなってから、お燐達もようやくこいしの存在に思い至りました。
 ですが、視認はもう不可能。
 こいしが意識して無意識になれば、見ることはかないません。例え、私であっても。
 例えるなら、底なし沼です。
 こいしが浮かんでくれば見えるのですが、沈んでしまえば、もはやそこにいる証明も出来ないのです。
 さてさて、今はどこに沈んでいったのでしょう……と。そんなことを考える前にやらないといけないことがありましたね。
 こいしのおかげで説明ができます。ありがとう、こいし。
 咳払いを一つし、覚悟を決めて。
 口の端を小さくゆがめながら、私はお空に問いかけました。

「さて。お空。今、貴方は貴方の意思で羽を動かしましたか?」
「違いますよ! 勝手に、勝手に!」
「他の何かから勝手に動かされた。そうですね?」
「はい! えーっと、多分こいし様――」
「あの人形も同じなのですよ。あの子を動かしたのは、霊だった。分かってくれますか?」
「――ええと? うん、うん? ……大体分かった気がします」

 お空の心の中で描かれる風景は、以前も見た、人形を動かすこいしの姿でした。
 大体あってますよと頷く。お空は満足げに頷いて、そして首を捻ります。

「それが、私を止めたことと何の関係があるんですか? 早く、探さないと……もしかしたら、外に行っちゃったのかも!」
「では一つ、聞かせてください。何故貴方は人形を探すのですか?」
「え? そんなの、そんなの、私の宝物だからに決まっているじゃないですか!」

 なぜこんな簡単なことを聞くのか、とお空は不快感をあらわにしながら叫びました。
 私は口をにやりとゆがめて、言葉を続ける。

「なるほど。じゃあ、見つけ出して幽霊を殺すしかありませんね」
「……それは、いったいどういうことですか?」
「お空、貴方は人形を大切に扱っていました。はたから見ても分かりますよ。そんな貴方が人形を失くすわけ、ないじゃないですか?」
「う、うん」
「つまり、貴方の宝物は盗まれたんですよ。その、不届き者に。ですから、宝物を貴方に宝物を取り戻すためには人形を操っている幽霊を殺さなければいけない。わかりますか?」

 言いきってから、一つ息をついた。
 お空が理解するまでには時間がかかるはずですね。何度も言葉を反芻して、考えてます。
 だから、その間にもう一人のペットを対処しなければ。
 ――ねぇ、お燐。
 貴方の可愛い顔が台無しですよ。
 怒らないでくださいよ。
 一体、何に怒っているというんですか?
 なんて、取りとめもなく考えながら気味悪く笑いかけると、お燐は声を荒立てて私に詰め寄りました。

「さとり様! あんまりでしょう!」
「あら、何がです? 間違ったことは言っていませんよ?」
「ふざけないでください! 幽霊を殺したら――そんなことしたら、二度と輪廻の輪に戻れません!」
「何か、問題でも? 私達からすれば重罪人ですよ。成仏なんて生ぬるい。私の可愛い可愛いペットの宝物に取り付いて、あまつさえ盗み出した。ほら、ちょうどいい罰でしょう」
「駄目ですよ! お空は、お空は! お空が大切にしているのは――」
「貴方からもらった宝物。本人も言ったじゃないですか」
「違う!」

 そう叫んで、お燐は踵を返してお空のところへ。
 お空はまだ全然理解できていませんでした。こういうことをする相手には向いてないんですよね、お空は。
 そのお空のもとに、お燐は何かを囁きかけています。
 小さく、ひそひそと。そう、私に聞こえないように。
 何をしているのかわからない、といった風に私は小さく口笛を吹きました。
 まぁ。勿論、全部筒抜けなんですけどね。

――さとり様は、人形を動かなくさせようとしてるんだ。
 ……なんで?
――お空が大切にしているのが、人形だけだと思ってるからさ。
 ……わからない。どういうこと?
――あの子が動かなくなったら、悲しいよね。
 ……うん。
――あの子と、また遊びたいよね。
 ……うん。
――あの子は、お空にとっての何?
 ……あの子は、私の――

「何を、しているんです?」

 囁きが終わりそうなタイミングを見計らい、私はうすら笑いを浮かべながら声をかけます。
 二人の思考が、私に向けられました。
 水と油の様に混ざり合うことがないまま渦巻く、親愛と敵意のアンビバレンス。ああ、それでいい。私たちは、それでいいんですよ。

「さて、お空」

 呼びかけると、疑心を込めた瞳でこちらを眺めてきました。
 ……ああ、そうでした。
 今の私はきっと気味の悪い笑みをしているはずですから、それを止めないといけませんね。
 表情を真剣なものにしてから、言葉をつなげます。

「もう一度聞きますよ。何故、貴方は人形を探しているんですか?」
「……友達だからです。あの子が、私の友達だからです!」

 少しの涙を瞳に湛え、お空は力強く言いました。
 ああ、やっと気付きましたか。
 渦巻く私への想いの上に満ちる、晴れわたった青空の様な心。
 だから、私も安心して微笑むことができます。
 どうせなら、その渦も消してしまいましょう。

「では、探しに行きましょう」
「え?」
「宝物が盗人に盗まれてしまったならば罰します。ですが、友達がいなくなってしまったなら探さないといけませんよね? 幸い、貴方の宝物はその友達と一緒に――」
「たのもう!」

 突然、エントランスに朗々とした声が響きました。
 私の台詞を止めるなんて、いったいどこの馬の骨の仕業か、と声のする方を向いてみますと。
 なんということでしょう。入口で、鬼の骨が手を振っていました。

「やァ、さとり」

 陽気な声をあげて、こちらに大股で歩み寄ってきます。
 彼女は星熊勇儀。赤い一本角が目立つ、大柄な鬼。
 そう。この鬼は、私なんかとは比べるのもおこがましいほど大きいのです。何とは言いませんよ。何もかもが大きいんですよ。

「なんですか、突然」
「こいつを届けに来たんだ! そら、受け取れ」

 やけに大きな声で言うと同時に、何かをこちらに投げ飛ばしてきました。
 私の胸に向けて、何かが素早く飛んできます。一体全体、なんでしょう?
 咄嗟にその高速飛翔物体を受けとめようと身構えます。でも、要らぬ心配でした。
 だんだんとその速度を落としていく飛翔物体。それが何かに気付くのは、私よりもお空の方が先でした。

「あ!」

 お空の歓声のすぐ後に、私も気付きました。次いで、お燐も気付きます。
 そう、それはお空の人形。
 悲しみと不安から、喜びと安心へ。お空は人形に飛びついて抱きしめました。
 見つけた。やっと見つけた。よかった。
 お空の心は跳ねました。
 そして、人形をしげしげと見、再び悲しみが鎌首をもたげます。
 金髪は少し黒ずみ、服は擦り切れて色あせているのです。
 幸い体の方には目立った外傷はないのですが。
 お空の心に強風が吹き荒れます。まごうことなき怒りの感情でした。
 わなわなと肩を震わせて、勇儀を睨みます。
 なるほど、なるほど。
 余りにも短絡的ですが、お空は人形を傷つけたのは目の前の鬼だと思い込んでいるのです。

「勇儀――」
「ありがとうございます、勇儀さん」

 お空の叫びをさえぎって、私が礼を言いました。
 するとお空は、私に対しても怒りを抱きます。
 ああ、ただの勘違いだというのに。
 勇儀の心を読めば、何が起こったのかなど分かるというのに。
 ですが、それは私にしかできない芸当。
 故に、口に出して教えてあげなければいけません。

「逃げ出した人形を届けてくださって、ありがとうございます」
「……逃げ出した?」

 お空が疑問を浮かべます。対象は、人形の心。
 身動きを許さないほど人形を強く抱いたまま、じっとその瞳を見つめます。
 ほのかに光る作り物の瞳は、そのうちに秘めた思いを告げることはありません。
 だというのに、ひたすら見つめ合う一匹と一つ。
 その様を横目に見ていると、咳払いを一つして、勇儀が小さく私を呼びました。

「なァ、さとり」
「ふむ。用がある、と?」
「そうだやっこさんの心を、読んでくれ」
「……"霊"の、ですか? なぜ?」
「"例"の? まぁ、そこの人形のことだけど」

 勇儀の心を見て、人形に霊が入っていると伝えていない事に気付き。
 霊が入っているとだけ、手短に話を伝えました。
 他意はありませんが、先程と違ってすぐに話が通るのが楽でいいですね。

「ふぅむ……霊、か。まァ、それはいい。問題は別にあるんだ」
「何がです?」
「聞けば、持ち主の事を好いている。だのに、地霊殿に戻りたくない。理解が及ばんよ」

 それが、私の用件だ。
 勇儀の心と声が同時に伝えてきます。

「つまり、心を読めと」
「やっこさんは首を振ることはできても口がきけない。頼むよ」
「言われなくても、思われなくても。やりますよ、私だって、知りたいのですから。さて、お空――」

 そう言ってから、私はお空に呼び掛けました。
 人形を見つめたまま、ああでもないこうでもないと繰り返すお空。
 その一方で人形は、何かを伝えようと身動きをしています。

「なんですか、さとり様! 今忙しいんですよ!」
「貴方がやるより、私が見た方が早い。違いますか?」
「……そ、そうでしたね」

 お空の手元から人形が解放されました
 ふわりと浮かびあがった人形は、入口の方を一瞥。しかし、観念したのか逃げ出すことはありません。
 軽く手を叩いて呼びかけ、人形、そして全員の視線をこちらへ向けさせました。
 人形だけでなく、お空も、お燐も、勇儀も。一言も聞き洩らさぬよう、静かにこちらを眺めていました。

「さてさて。今から、貴方の心を読ませていただきます。了承してくださいね」

 こくり、と人形は頷きました。彼女の覚悟はすでに、出来ています。
 指先を人形に向け、そっと赤い光を放ちました。
 光に注意を向けさせ、不規則にゆらゆらと揺らせば、相手の心を引き出すことができるのです。
 こうでもしないと、人形の読みにくい心は読みとれませんから、ね。

――想起「恐怖催眠術」

 







――おほしさまが見たい。

 はて。唐突ですね。
 ええと、とりあえず。生前は人間……で間違いないですか?

――うん。

 ええ、ええ。あ、頷く必要はありません。
 心の中で、少しばかり。そう、少しばかり思っていただければ。

――こう?

 そう、その通りです。
 さて。では、リラックスしてください。
 ゆったりと構えていただいて、大丈夫ですよ。
 まずは、そうですね。貴方はどこから来ましたか?

――里。

 里、といえば人間の里ですかね。
 と言うことは、貴方は地上にいた、と。

――うん。ここは、地下?

 はい、ここは地下ですよ。

――残念。おほしさま、見たかった。

 ……ふむ。おほしさま……? 
 ちょっと待ってください。地上なら、星なんて簡単に見えたんじゃないんですか?

――私、体弱かったの。

 ええと。一体、何の関係が?
 うーん、昔見た綺麗なおほしさまをもう一度見たいとか。そういう話でしょうか?

――目も、見えなかったの。

 ……目が、見えなかった? 
 盲目……視覚障害ですか。

――ずっと、ずっと。生まれたときから。

 生まれつき、と。これは本当に申し訳ありません。
 となると、ええと。
 星……おほしさまのことは、どこから?

――お母さんと、お父さん。

 なるほど、親御さんから話を。
 子供思いのいい両親だったんですね。

――友達なんて、いなかったから。

 ふむ。

――いろんな話、沢山してくれたの。

 ふむふむ。

――その中でも、おほしさまの話が一番好きだったの。綺麗なんだって。見たかった。

 へぇ、なるほど。憧れ、ですかね。
 では。貴方は、おほしさまはどのような物だと聞いていたのです?

――綺麗なものだって。それだけ。

 ふむ。
 確かに、例えようがありませんよね。
 どんな言葉を使おうと、実感を持たせることができませんもの。
 すると……ふむ。今、目は見えているのですか?

――見えてる。

 ふむふむ。どうですか、感想は。

――――

 言葉にできない、と。なるほど。ですよね、そう思います。
 ……ところで。少々聞きにくいのですが、死因は分かります?

――病気。

 病気、ですか。なるほど、その願いが未練となったんですね。
 知ってます?
 幽霊って、未練が無いと成仏しちゃうんですよ。

――気が付いたら、車の上だった。

 車。お燐の猫車、でしょうね。
 貴方の死体、もしかしたらあるかもしれませ……お燐?
 ええと。燃やしてしまったみたいですね。
 それにしても、お燐、貴方が運んでいなければ丸く収まったかもしれないんですよ?
 ……お燐、しょげないでください。冗談ですよ、冗談

 さて、話を続けます。
 目が見える喜びはあっても、何が起きたのかは分からなかったのでしょうか?

――うん。全然、分からなかった。

 でしょうね。事情を把握できるころには地霊殿にいた、と。
 なるほど、なるほど。

――ここで、おほしさま見つけた。

 ……おほしさまを、見つけた?
 ここで?
 どこに、です?

――お空。

 お空?
 お空が、おほしさまなんです?

――マント。

 ああ、マントですか。
 御明察。マントの裏地は、確かにおほしさまです。
 紛い物ですけどね。
 で、ええと。人形の中には、どうやって?

――吸いこまれたの。気付いたら、入ってた。

 なるほど。
 でしょうね。貴方の未練がおほしさまならば、魅せられてもおかしくはないです。
 その上で、近くに依代があれば。吸いこまれても、不思議ではない。
 ふむ、では。貴方は人形から出ることはできるんですか?

――出たら……。

 ふむ?

――消えちゃう。

 消える……!?
 剣呑ですね。
 姿も保てないほど、力がなくなっていたんですか?

――うん。おほしさま、見つけたからかな。

 ……なるほど。理解しました。
 本物でなくてもいいや、と心の中で納得してしまったんですかね。

――納得は、してない。

 ふむ?
 まだ納得はしてない、と?

――本物が見たいの。

 未練は薄れているはずなんですが。どうしても見たいんですね。

――地上、行きたい。消える前に、おほしさまが見たい。

 そうですね、消えるのはいけません。
 なんとなく察したのだと思いますが、消滅したら輪廻の輪からも外れてしまいますか。

――初めは、もう少し大丈夫だと思ってたんだけど。

 ふむ、楽観視。まぁ、こんなにも早く消滅が来たり、中々外に出ない、なんて予想できませんよ。
 引きこもりですいませんね。出不精で……まぁ。問題も、いくらかあるんですよ。

――ごめんなさい。

 ふむ?
 謝らなくてもいいんですよ?
 というよりも、一体何に謝っているんです?

――お空の宝物、とろうとしちゃった。

 うん?
 それは、飛びだしたことに対してですか?
 仕方ないことだとは思うんですが。なにせ、貴方の未練がかかってますし。

――それもあるけど。

 ふむ?

――私、じゃましてるから。

 ……それはどういう?

――勝手に入り込んで、じゃましてるでしょ。

 ふむ。何の話でしょうか?

――お空は、人形と一緒にいないといけないの。

 なるほどなるほど。貴方は、お空が接しているのは人形だと言いたいのですね?

――うん。

 ……ふむ。
 ええ、確かにそうかもしれません。
 ところで。話は変わりますが、楽しかったですか?

――……。

 楽しかったでしょう?
 否定できるはずもありませんよね。貴方は一人だった。初めての友達だった。でしょう?

――うん。

 ……物は友達にはなかなかなりえないものです。友達は宝かもしれません。
 でも、宝物ではない。
 そして、友達とはお互いがいなければ成立しないもの。
 貴方は、お空にどういう感情を抱いていましたか?

――初めは、人形になりきってた……けど。

 そのうちに、自分も楽しんでいた。ですよね?

――うん。

 お空にとって人形は宝物でした。今も宝物ですよ。人形は、ね。
 貴方が中に入ってきてから人形は友達になりました。
 そして今、貴方ノットイコール人形――体と魂の不一致に気付いてからは、人形ではない貴方を友達として見ています。

――そー、なんだ。

 ……あ、そうそう。忘れないでくださいね。
 友達の友達は、友達です。友達の飼い主もしかり、ですよ。

――……うん!

 さて、と。

――?

 そろそろ現実に向き合わなければいけませんよね。

――……うん。

 もう時間はない。
 もう、猶予はない。
 この先どうするかは、貴方達次第ですよ。
 ねぇ、お空?



~~~~~~~



「つまり……この子は、死んじゃうの?」

 そのお空の呟きには悲壮感がたっぷり詰まっていた。
 お空が人形の顔を覗き込むと、人形は所在なく視線をそらす。

「そういうことになりますね、既に死んでますけど……もう、時間はありませんよ」

 返すさとりの声は単調で他人事の様相を呈していた。
 奴は感情を滅多に表に出さないんだ。
 でも、覚り妖怪じゃァなくたって分かる。
 さとりは誰よりもお節介な奴だ。さっきだって、最後の言葉。私はしっかり聞いたぞ。

「さとり様……どうすればいいの?」
「私からは、なんとも」

 だが、さとりは不器用な奴だ。いや、悪趣味と言った方がいいのか。多分両方だろうなァ。
 お空は人形を見つめ、顔を歪ます。頬には涙痕がある、ってことは私が来る前にゃ泣いてたってわけだ。
 でも今は、お空は泣かないように頑張っている。
 さーて、どうしたものか。
 出来りゃ、お空自身で答えを出してほしいんだが。そいつがなにより、一番の解決法だから。

「さとり様」
「なんです、お燐?」
「あたいなら……いや、あたいとさとり様なら。消滅を回避することが、できる。ですよね?」

 ……火焔猫、いまなんと言った?
 お空の瞳が、火焔猫の奴に釘付けになる。人形が少し身を動かすが、お空に掴まれてまるで身動きが取れない。
 臭い。きな臭いぞ。良からぬことの匂いがする。

「お燐、一体何をするってんだ?」
「簡単な事ですよ、勇儀さん」

 そう言って、猫は不敵に笑う。
 私はこういう顔をする人間を沢山見てきた。
 ああ、とことん気にくわん顔だ。
 注意を引くように手を鳴らして、その上で火焔猫はお空に囁きかけた。

「お空、いいかい?」
「……何」
「怨霊も幽霊も、概して言えば霊だろう? しかも今回の場合、本質なんてあんま変わらないんだ」
「それが、どうしたの――」
「あたいはそいつを操れる」
「――どういうことなの?」
「そして、さとり様。さとり様は精神、強いて言うなら魂の専門家さ。あたいらの力を組み合わせれば、消滅は回避できる。そうですよね、さとり様?」

 そう言って、火焔猫の奴がさとりに話を振る。
 お空が。人形が。それぞれ違った救いを求めるようにさとりの方をじっと見る。
 私は私で困った顔をするさとりに、どうするんだと心の中で問いかけた。
 ぶつぶつと言葉を濁しながら、そしてさとりは歯切れ悪く言った。

「不可能ではないですよ。不可能では、ええ。霊魂を人形に縛りつければいい。馴染んでますし……手段を選ばなければ、はい」

 ……選択はお空に任せる、ということか?
 なぁ、さとり。見てみろ、あの人形の姿を。
 力なく、四肢をだらりと垂らす人形の姿を。
 お前には心が読めるんだ。助けられるのはお前しかいないんじゃないのか?
 なーんていうことを思っていてもね。
 こちらにも、人形にも注意も向けず、火焔猫の奴は力説を続けやがる。

「お空。早まる必要はないんだよ! 手はあるんだよ!」
「お燐……」

 お空の目は、すがるように火焔猫を見つめている。
 多分、お空にはどうするのかよく分かってない。
 だけど、私にゃ大体予想がつく。
 何の未練があるのか分からない霊は、その未練を思い出すまでは未練が解決されようと成仏できないんだ。
 やっこさんの未練はおほしさま、だったかな。そいつをなかったことにするつもりだろう。
 あいつらは、記憶を吹き飛ばす気なんだ。
 人形が――いや、霊がかわいそうだ。もう消滅してしまったんじゃないか。ただのガラクタのように、お空に抱かれる存在になり果てている。
 お空。お前が好きなのはガラクタなのか? 違うだろうよ。
 さとりは分かっているんだろうな。だが、言葉の濁しじゃ足りない。あいつは動けない。そういう奴だ。
 まったく……早くしないと手遅れになるっていうのに。
 火焔猫の甘言なんかに時間を浪費してるわけにはいかないんだよ。
 ああ、まったく。仕方がない奴らだ。
 あと残っているのは、私だけか。
 なら、私が一肌脱ぐしかない。やるしかないなァ!
 お空、お空といつも通りの大きな声で呼びかける。何度か呼びかけて、ようやくお空がその顔を上げた。戸惑いと苦悩がありありと浮かびあがっている、沈痛な顔だった。

「……何?」
「私には、お前さん達が何をしようとしているか、皆目わからん。さて、お空。どうするつもりだ?」
「どうすればいいの……? もう……わからない」

 今にも泣きそうな顔のまま呟き、お空は小さく身を震わす。
 さとりの方を向いてみれば、あいつもまたじぃとこちらを見ていた。
 至極申し訳ない、と言った顔つきだ。
 ……まぁ、大丈夫さ。
 アンタの立ち場は分かってる。汚れ役は、得意な方だ。問題ない。
 鬼って言うのは、己の勇と己の義に生きる。
 私だってそうだ。「勇」と、「人」への「義」。それで、勇儀だからな。
 そんなことを思ってやると、さとりは小さく頭を下げる。
 ……さァて、と。今することは、一つしかない。
 床を踏みつけ、大きな音を立て、そしてお空に語りかけるんだ。

――なぁ、お空。ぐちぐち考えている暇があるのかい? 大切な友達が困っているってぇのに、動かないのかい?

 私が、啖呵を切った。

――勇儀さん、何が言いたいんで?

 私の言葉に反応して、火焔猫の奴が訝しげにこちらを眺めて言う。

――もう、なんもわからないや……どうすればいいの?

 お空がそう呟いて、俯いた。

――地上へ連れていって、おほしさまを見せるんだ。それしかないだろう? 違うのか?

 私は、きっぱりと言う。
 人形が再びその体を動かし始めた。

――勇儀さん! そうしたら、この子は!

 火焔猫の奴が、声を上げた。

――成仏しますね。

 さとりが、呟いた。

――それが、どうした!

 私が、声を張り上げた。

――どうもこうもするよ! あたい達なら、魂を人形に入れたままにできるんだ!

 対抗するように、火焔猫の奴が喚きたてた。
 お空の綺麗な瞳が揺れる。人形の瞳は、相も変わらず無機質なまま。

――記憶を奪うつもりだろう? それでいいのか? 輪廻からも外れてしまうぞ? 自分達のエゴを満たすだけでいいのか?
――う、ぐ……いや、輪廻からは外れない! 記憶の一つや二つ、なんだっていうんだい! 鬼の流儀で物事を考えてくれるな!

 鬼の流儀。否定はできない。だけどな。
 やはり記憶を奪うのか。そんなことを、していいはずがない。 

――自分達を救うことにはなるけどな、それがあいつを、あいつらを救うことになるとでも思っているのか? 霊が、理を捻じ曲げてまで現世に残ろうとするほどの理由を消すんだろう?
――救いだよ! 救われる、救われるにきまっている!
――正気か? そんな事をしていいと思っているのか? ここで動かずに何が友達だ? 友達一人の願いを無視するのか? ダチの魂救うより大切なことがあるってなら、言ってみろ!

 いつしか私達は、獣のように猛り叫んでいた。
 言い終わって、場を重くるしい沈黙が満たす。 
 拳を握りしめて私を睨みつける火焔猫。私は、仁王立ちを持ってその視線に答える。
 そして、一番重要な奴。地獄烏は歯を食いしばって猫と鬼を交互に見据える。
 さぁ、お空。どちらを選ぶ?
 その答えはすぐに出た。

「ああ、あ……」

 ……お空が、何かぼそぼそと呟きながらと私の方へ掌を向けた。
 失望。
 それが、あの子を想っていた貴様の結論か!
 火焔猫から地獄烏へと視線を移して、殴りつけるようにその目を見つめる。
 淀んだ地獄烏の瞳には、鬼の姿がどう映っているのか。
 憤り。
 だけれども、理解してくれないなら仕方がない。
 奴の掌に白い光が集まる。
 あれは、鬼すら焼きつくす神の炎だ。
 制御棒なしでも、私を吹き飛ばすには十分。いや、むしろ制御できない分危険だ。消し飛ばされる。
 物質的なものじゃなくて、純粋な熱の塊なんだ。弾くことなど叶わない。
 流石の私にも、冷や汗が流れる。
 しかし、それがどうした。

「打つなら打ちな」

 地獄烏……いや、八咫烏。よく見ておけ。これが、鬼という物だ。

「私を吹き飛ばして、お前らの薄っぺらい利己心を満足させるっていうなら、もう――」
「そう、だよね」
「止めやせんよ……うん?」

 お空が私の言葉をさえぎった。
 ふっと表情が和らぐ。淀んだ瞳から一筋の涙が流れ、元の綺麗な色を見せる。
 集めた光は四散して消えていった。
 こちらに向けていた掌を人形の頭まで持って行き、髪を幾度か撫でる。
 紆余曲折、いろいろとあったがどうやら成功したらしい。さとりの表情を見れば、申し訳なさの中に、満足さがにじみ出ていた。

「地上に行って、おほしさまが見たかったんだよね」

 人形が小さく頷くのが見える。
 その瞳は、しっかりとお空を捉えていた。

「友達になってくれてありがとう、とのことです」
「……私も、ありがとう」

 さとりが人形の言葉を伝えると、お空は人形に笑いかける。
 そしてそのまま出入り口を見やった。

「ねぇお空……なんで? いいの? それでいいの? 成仏しちゃうんだよ?」

 考え直せといわんばかりに、火焔猫がお空に問い直す。
 よもや、と悪い考えが頭をよぎるが。視界の端で、さとりは小さく首を振る。
 心変りはない、ということか?
 さとりが頷く。
 安堵の息がこぼれ出る。
 哀れ、お燐。お前の気持ちもわかるけどね。それ以上の問題なんだ。

「だって、友達、だから。友達の、お願い事は、かなえて、あげなくちゃ」
「お空……ッ!」
「良く言った! さァ、行け!」

 私の大きな声がエントランスに響き渡る。
 同時に、お空は出入り口まで歩き出した。

 まだ少し後ろ髪を引かれるのか、お空はゆっくりと歩いていく。
 だんだんと小さくなっていくその背中を悲しげに見つめながら、お燐は悪態をついた。

「くそっ……くそっ! こんな別れ、駄目に決まってる……ッ!」

 悔しそうに地団駄を踏むお燐。
 そーいや、お燐が人形をプレゼントしたんだったな。
 そして、死体を運んで来たのもお燐と。
 元をたどれば、お燐が要因か。
 すべて背負ってたんだな。責任、感じているんだろうなァ。
 それに、あいつらは親友同士。
 奴自身の最善の策を捻りだしたら、どこからともなく現れた鬼に罵倒され、そして、お空は鬼が出した案を飲んだ。
 同情。
 ちょっと言葉が荒かったかもしれない、と少し反省。今度、酒でも付き合ってやろう。

「……とりあえず、追いかけましょう。お空一人じゃ、何をしでかすかわかったもんじゃない」
「二人きりの方がいいんじゃないですか?」
「ああ、私もそう思う。お燐、今は放っておいて――」
「だめだめ。だーめ。ちょっと地上の様子見てきたけど……追っかけた方がいいんじゃないかな」

 唐突に、幼い声が話に割り込む。私らの前に現れたのは、さとりの妹。
 ぴちゃぴちゃと音がする。
 一体全体、何の音か? こいしが服の裾を絞れば、びしゃびしゃと音が鳴る――こいしの姿をよくよく見れば何やら様子がおかしい。
 服に水が染み込んでいて、肌にへばりついている。
 こいしは、全身ずぶ濡れになっているのだ。
 何故こいつは濡れている?
 こいつはいったいどこにいたんだ?
 地上の様子を見てきた、と言っていたな。
 なぜ濡れている? まさか――

「こいし、一体どうしたんです?」
「外は雨だよ。どしゃぶり。全部全部、灰色だった」

 ――こいしの呟きを聞いて、私達は一斉に駆け出した。
 


~~~~~~



 地上へつながる洞窟の先。外が見える前から、微かな水音が聞こえていました。
 ようやくたどり着いて出口の外を見れば、お空の姿が。
 お空は雨も気にせず、棒立ちのまま空を眺めていました。
 ああ。今、お空は絶望的な状況にいるのです。

「あ、あぁ……ああっ」

 お空のうめき声。同時に流れ込んでくる、感情の奔流。
――畜生、畜生。晴れてよ、晴れてよぉ!
 叫びが、私に届きました。
 この叫び声は果たして言葉に出したのでしょうか。それとも、心の中にしまっておいたのでしょうか。
 しかし、お空なんて意に介さず、雨はざぁざぁと降り続けています。
 哀れな私達を嘲笑うように、水滴が地面を叩きつけます。

「こいつは都合が悪いねぇ。さしもの私らでも、これには手の施しようがない」

 乾いた笑いを伴ってそう呟く勇儀の心中には、無力感に加えて多少の罪悪感が渦巻いていた。
 お燐は何もしゃべらない。ただひたすらに苛立ちを募らせているだけ。
 自分なら救えたのに、と。勇儀が余計な事をしなければ、と。
 まだ間に合うかもしれない、とお燐は走りだそうとする。
 止めなくては。お燐の尻尾を強く掴んで、全力で引っ張った。

「ひゅわぁ!」
「お燐」
「……なんですか、さとり様」
「いけません。行ってはいけません」
「なんでですか!?」
「……これが、お空の選んだ道だからです」

 納得できない、とお燐の心は騒ぎ立てます。だが、その動きを止めることには成功した。
 荒療治で、ごめんなさいね。でも離しません。
 心の中で離して下さいと言っても無駄です。離したら、行ってしまうでしょう?
 
 雨足が弱まる気配はありません。むしろ、段々と強くなっているようにも感じます。
 だというのに、お空は雨をその身で受けながら、迷いなく、ずっとずっと空を見上げていました。
 また、その一方で人形に雨がかからないように気を配っていまして。
 私達はじっと洞窟の縁でお空を見続けていました。
 悪態が見えます。しかし、聞こえることはありません。
 弱音が見えます。しかし、聞こえることはありません。
 口に出さないことで、信じ続けることで、その弱さをねじ伏せているのです。
 まるで、一人で雨空を背負い、そして雨空と戦っているよう。
 ただ、ひたすら待ち続けている。人形もまたじっと待ち続けている。
 でも、人形ははもう諦めてしまっているようにも見えます。
 それもそうでしょう。
 彼女には友人がいなかったのですから。
 お空が初めての友人で。普通に、いや、それ以上に接してくれて。これほどまでの想いを受け止めるのは初めて。
 その喜びが、成仏を加速させます。
 おほしさまが本当の未練なのでしょうか?
 もしかしたら、誰かと友達になることが。強いて言うなら、友達と空を見ることが、未練なのかもしれません。
 自分自身で分かっていないことまでは、読めませんけどね。

 身動き一つせずお空を眺めて、しばらく。時間にすれば、お燐の我慢の限界が来るほどでしょうか。
 お燐の気は結構長くて、時間にすれば半刻は過ぎてしまったかもしれません。
 その間、こちらでも言葉は交わしませんでした。こいしの呟き、次いでお燐の悪態。そのくらいでしょう。
 お空は消耗していました。鳥というものは、半数以上は水が得意ではないはずです。
 お燐が私の方を向いて、心の中で問いかけました。
 行かせてください。さもなくば、無理やり行きますよ。
 それに何と答えようか、少し考えていると。ざらり、ざらりと引きずるような音が聞こえてきました。
 お空の足音です。
 足取り重く、とぼとぼと私達のところにお空は歩み寄ってきます。
 私達の存在には気付いていたのでしょう。特に驚くそぶりも見せません。
 髪もマントも羽も大量の水を含み、物質的だけでなく、精神的にもずっしりとお空にのしかかっていました。
 常人なら打ちひしがれてしまう重みでしょう。
 しかし、お空の心の中に諦めはありません。彼女の心で燃え続ける炎は潰えなかったのです。
 少し私の気が緩んでしまいました。お燐の尻尾が私の拘束を離れます。
 そのままお空の隣まで走り寄って、その体の水滴を払いました。
 そして、濡れるのもかまわずに話しかけたのですが。

「お空、考え直し――」
「助けてください」

 お燐の言葉をさえぎって、お空が言いました。
 歩いてくるその勇姿には、強い義理の念が籠っています。
 まさに、不屈の魂を持った鬼のようでした。
 雨に打たれ、絶望を味わい。それでいて立ち向かっていく。
 馬鹿。お燐が心の中で叫びます。
 そう、人はお空を馬鹿と呼ぶかもしれません。
 私たちだって、もう少し物分かりがよければな、と思うことはあります。
 ですが、ただひたすら、これほどまで正直に、素直に一つの物を――否、者を想えるのです。
 馬鹿正直で愚直かもしれません。だけど、それは決して悪いことではないはずです。違いますでしょうか? 絶対に、違いません。

「お燐、ありがと。皆、お願い……お願いします。協力してください……っ!」

 お燐に礼を言いながら、私たちのところまで歩いてきたお空は、思いきり頭を下げました。
 直角でした。羽が重いでしょうに。

「馬鹿で鳥頭な私は、こんなときに何も考えが浮かびません……っ! さとり様、勇儀さん、こいし様。お燐。お願いします。頭を、知恵を……少しだけでも、貸してください……っ!」

 芯の通った声でした。
 あたぼうよ、と勇儀が声をあげます。
 任せて、とこいしも続きます。
 少しの間悩んでいたお燐も覚悟を決めたのか、頷きました。
 勿論、と私も頷きます。
 そうして、もう一度見てみれば。人形の成仏は近いのでしょう、人形から霊が出そうにになっていました。
 想われれば想われるほど成仏が加速する、とは酷い話ですよね。
 親より早く死んだ子供は罪深く、賽の河原で石を積まなければいけないといいます。
 だけど、これなら。彼女もあの川を渡れるでしょう。
 確か、必要な駄賃は6文でした。思われた分だけ金額が増えるなら、この子の両親を含めて私達は7人もいますから足りるでしょう。
 ここで彼女を看取ってもいいのではないのでしょうか? もう、未練はほとんどないのです。
 魂を縛りつけることもできますが、成仏させることだってできますから……なんて。絶対言えませんよね。

「さとり、何か妙な事を考えちゃいないだろうね?」
「……はて、なんのことでしょう」

 勇儀とお空はともかく、こいしと、そしてお燐すら諦めていません。
 無論、私だって諦めていませんよ。
 皆、必死に案を考えているのです。
 ですから、私もまたちっぽけな頭を捻って考えましょう――まずは、これなんてどうでしょう。

「そうだ。私に、いい考えがあるのですが」
「何ですか、さとり様」
「誰かが星空、おほしさまを想うのです。それを、想起して映しだす。そうすれば、おほしさまが見えますよ」
「なるほど! いい考え――」
「いいかもしれないが、偽物だよなぁ。それに、想起したものを映しだす場所もない。洞窟じゃなァ」
「それにさ、お姉ちゃんじゃ。その人自身に見せるだけならいいけど、映しだすんだったら精度落ちちゃうよね」

 私の意見は、勇儀とこいしの反論で潰れました。
 確かにそうですね。ですが、まだ手段はあるはずです。
 ほら、皆一つか二つは意見を持っているじゃないですか。

「じゃあ、私から。いいかな?」

 勇儀が口を開きます。

「お空の力で雲を吹き飛ばせばいい。核の力なら、できるんじゃないか?」
「制御棒ないけど……ちょっと、やってくる」

 人形を片手に抱えたまま、お空は外に出て、掌を上に向けました。
 そして、一発。大きな熱の弾を放ちます。
 ですが、水蒸気を上げて段々と小さくなっていく玉は雲に届きませんでした。

「もっと、大きなのを……」
「お空、やめましょう」
「な、なんでですか?」
「強すぎる力を揮えば結界に異常が出るかもしれませんし、博麗の巫女が飛び出してきますよ。それに、水蒸気が発生するということは、逆効果ですからね?」

 私がそう言うと、お空はとぼとぼと歩いて戻ってきました。
 そのお空に、お燐が声をかけます。

「空まで飛べばいいんじゃない?」
「近くで打っても逆効果ですよ」
「いやいや。そのまま飛び越えてしまうのさ。雲の上なら空が見える、でしょ?」

 ふむ、と私は頷きます。確かに不可能ではないかもしれません。
 やってみようかな、とお空の心が揺らぎます。
 ですが、その瞬間。
 ゴロゴロ、と音を立て、黒い雲が小さく光りました。

「雷雲を乗り越えて行くのは危険だと思う」

 そう警告したのは、意外にも勇儀でした。
 いつもなら気合いで乗り越えろ、とでも言うんじゃないですか。そう問いかけてみれば、勇儀は小さく笑って答えました。

「最近ある天人と手合わせしたんだがな。そのとき、雷を操る奴を見たんだ。私が本気で殴っても傷一つつかなかった天人に皮膚を、そいつは雷で傷つけていてね」
「私は大丈夫だから!」
「でもお空。電気って確か、流れるんだよ?」

 こいしが飛びだそうとしたお空を引きとめます。
 うーん、と首を捻るお空に、勇儀が言いました。

「そうだ。お空も心配だが、人形が一番心配だ」
「他称専門家に言わせてもらえば、精神に電気は禁物ですよ」

 重ねて、私も止めます。
 何よりも危ない。電気を防ぐには、避雷針か受け流すかしか方法がありませんからね。
 残念ながら、お空にはその術がありません。
 一応保留としますが、実質却下と同じ扱い。という結論が出ました。
 これも駄目か、と私たちはため息をつきます。
 ですが、諦めません。お燐の中に、魂を縛りつける意見はまだ残っていましたが。
 そのお燐だって、頭を捻ってもっといい案を探っていました。

「そうだ、守矢神社に行こうよ。あそこの人達なら多分何とでもできるよ。神だし」

 こいしの意見です。
 乾坤をつかさどる二柱。確かにいい案かもしれません。

「でも、遠いですよね。それに、地底の妖怪を通してくれるでしょうか?」

 私がそう呟くと、勇儀が首を縦に振った。

「なによりも天狗が面倒だが……あいつら妙に抜け目がない、だけど私が行けばへこへこしながら通してくれるよ」
「私だって通れるし?」
「そう。私だって通れるが……皆で行くか?」
「そうだね、そうしようよ!」

 こいしと勇儀が手と手を取り合う。
 確かに穴はないし、フランクな神様だから頼めば何とでもなりますかね。
 これで解決、というムードに包まれる私達。そこに、申し訳なさそうにお燐が口をはさんだ?

「あのー……」
「ん、どうした?」
「今何時だか、知ってます?」

 お燐に聞かれて、誰も答えられませんでした。
 おそらく、もう夜遅いのでしょう。というよりもむしろ、朝の方が近いはずです。
 ……ああ、そういうことですか。

「この時間にたたき起しに行ったら、私なら断りますね」
「んー……そうだね。でも、今やらないと後悔するんじゃない?」

 こいしが食いさがります。
 だけど、時間はあまりないんですよね。
 不確定なことに、時間はさけない。ならば、尋ねるしかありません。

「……この中で、あの二柱が天候を変えているところを見た人はいますか?」

 可能性にかけてみました。
 しかし、答えはNOです。
 誰か見ていれば、よかったのですけど。と言うわけで、これも保留。ほぼ却下です。
 


 他にもいくらか意見は出たのですが、どれもこれも確実性がありませんでした。
 ああでもない、こうでもない。時間だけが過ぎて行きました。
 段々と発想がおかしくなっていって、これ以上いい案はでなさそうな雰囲気です。
 雨は依然として降り続けていますし、空は黒く淀んでいました。
 人形の様子を見て、ここらが頃合いかと私達は話を止めます。
 もう朝も近いはずです。皆の疲れと眠気も、強くなってきたいました。
 今までに出た有用そうな案を比べて、どれがいいのかをお空が考えている間。
 座って休んでいる私の隣に、勇儀が座りこみました。

「どっこいせ、っと。さとり、お疲れ様だ」
「まだ何も終わっていませんよ……はぁ」
「あーあ。どうしようもないのかねぇ。こう、天候を変える能力とか有れば良かったのに」
「心しか読めませんからね、私は」
「私だって、力で征服することしか……ああ、そうだ。ここに、あの天人がいたら良かったのにな」

 ふと、勇儀が呟きました。少し離れたところで、お空達が考え込んでいます。
 何の気なしに、私は尋ねました。

「あの天人?」
「んや、私がしばらく前に手合わせした奴が天気を変えているのを思い出しただけだよ」

 へぇ、と私は聞き流します。
 ……一つ、引っ掛かりを覚えました。
 でも、どこだかはわかりません。
 これは、解決の糸口になるのでしょうか?

「勇儀、もう一度言ってくれませんか?」
「ああ? いや、つまらない話だけどな。天気を変える天人と手合わせをして、ね」

 何かを掴みかける。しかし、その何かが分からないのです。
 ああ、古明地さとり。思い出せ、思い出せ。既にそこまで来ているはずでしょう?

「さとり様、決まりました。その……おほしさまを、想起してください」
「あたい達のも全部合わせて同時に想起、なんてできませんか?」
「……そうですね、そうしま――」

 駆け寄ってくるお空達の言葉を聞いて、私の頭の中で一本の線がつながりました。
 見えました。光明が、ようやく見えました。

「勇儀、もう一度お願いします」
「もう一度? こんなつまらない話をか?」
「いいから話せと言っているんですよ怪力乱神!」
「あ、ああ。だから、天人と手合わせをしたっていう……」

 深く勇儀の心を読めば、、赤を基調とした弾幕が輝いていました。
 それは希望の光。
 ああもう。
 ああ、もう。
 ああ! もう!
 何故もっと早く気付かなかったのでしょう?

「さとり様?」
「お空。見つけましたよ、方法を」
「……さとり様?」
「ど、どうしたさとり。時間が無いんじゃ――」
「勇儀は、なるべくその内容を鮮明に思い出してください! 天気を変えた、というその天人の事を!」

 困惑顔の二人に強い語気で言い放ち、私はただ勇儀の記憶を読みました。
 青髪の少女が、剣を振るう。
 斬撃はまっすぐ勇儀の腹に叩き込まれ、そして勇儀から紅い煙。立ち上った紅い煙が空へと向かい、そして、空に雲が満ちる……はぁ? 雲?

「雲っているじゃないですか」
「あ、ああ。いや、人によって天気が変わるらしい。気質、だったかな。が……なんだ? 天人のところに今から行くのか? あいつ我儘だぞ?」
「気質。ふむ……試す価値はありますね」
「今から? 正気か? それなら、守矢の方が近い」
「違いますよ」
「じゃあ、なんだと――!?」

 勇儀の言葉を切るように、私は腕を一振り。

「私の戦い方を、お忘れですか?」

 もう一度勇儀の心を読んで、引き出します。
 思い出してくれるのなら、催眠術を使うまでもない。
 さぁ、現れてください。名もなきレプリカ。

「そうか、想起か!」

 私の手の中に、煌々と輝く一振りの紅い剣が握られました。
 名前は……ええと。緋想の剣? いや、このレプリカに名前は必要ありませんか。
 さて。記憶を読む限りでは、これで誰かを切らなければいけないようですね。

「……さとり。誰を切るんだ?」

 勇儀に聞かれます。事情の知らないお空達は疑問符を頭に浮かべていました。
 ……誰を切るか、ですか? 聞かれる前から、決まっているじゃないですか。
 誰よりも人形を想い、誰よりも明るく。
 そして、誰よりも素直でまっすぐなお空。
 そんなお空の気質で、空が曇るはずがない。雲なんていう邪魔者が存在するはずがない!

「お空。そこに、立っていてください!」

 そう言って、私は剣を思いきりふりかぶった。

――想起「緋想の剣」



~~~~~~



 雨音が消えるまで長い時間はかからなかった。
 初めにお空と人形が。どうせだからと、私達も外に出る。
 そこには、本当に雲ひとつない満天のおほしさま。
 陳腐なたとえをするなら、スイーツ菓子の様な空。
 人形の気持ちは……笑顔のお空、人形、そしてさとりを見ればわかる。
 にしても、さとりの奴。思いきり冒険しているじゃないか。成功する保証もない、と言うのに。

「確信は、あったんですよ」
「なんとも信用できないけどな」

 まぁいいか。うまくいったならこれ以上とやかく言う必要はない。
 私らの役目はこれで終わりだ。
 はしゃぐ人形とお空。心中で何と思っているかは私には分からないけど、邪魔はできない。
 さとり達とアイコンタクト。私達はお空に距離を置いた。

 お空は腕を緩める。
 ふらふらと浮かび上がって、空を眺める人形。表情は見えないけれど、きっと笑顔だ。
 さっきまではあんなに楽しそうだったのに、今ではその笑顔がぎこちない。

「どう?」 

 お空が人形に話しかけた。
 人形は頷く。お空も同じく頷いて、掠れ声で言う。

「じゃあ、さよなら、かな?」

 そう言って、泣きそうな笑顔で手を振る。
 しかし、人形は小さく首を横に振った。

「……どうしたの?」

 お空の問いかけに、人形は空を指差した。
 見上げれば、既にいくらか白んでいる。人形は首を横に振った。
 そして、お空のマントを指差して、大きくうなずいた。

「どういう、こと……? ……わからないよ」

 人形はお空のマントを見つめている。
 ああ、きっと。人形は今も笑顔を見せているのだろう。
 だけど、その意図はお空には分からない。
 私にもわからない。
 人形の心がわかるとすれば、それは一人しかいない。

「空よりも空が好き。本物の星空よりも、暖かいお空の方が好き」

 さとりが呟く声は、夜明け前の世界に響いた。
 一瞬驚いたような顔でさとりを見つめ、一つ頷く。
 そして、お空はすぐに視線を戻した。

「こっちの方が好き……そうなの?」

 お空がマントをはためかせた。
 人形は大きく頷いて、お空に抱きついた。

「貴方が、私のおほしさまだから」

 お空が受け止めるのと、さとりが呟くのと、人形から白い何かがが浮かび上がるのは同時だった。
 幽霊だ。人形を片手に、慌ててお空が手を伸ばす。
 しかしその手は空を切るのみ。
 俯いて、自らの掌を眺め。
 顔を上げて、人形に微笑みかけた。
 
「今度こそ、さようなら」

 ぼんやりと白く光って、そして霊は消えた。
 何度か見て、消えたことを確認して、そしてその場にお空は崩れ落ちる。
 人形を抱きしめたまま、嗚咽を漏らす。

「ありがとう、さようなら……ですって」

 さとりは小さく呼びかけて、空を眺めた。
 つられて私も空を眺める。
 段々と白みゆく空。夜明けは、近い。

「少し、一人にさせてあげましょう」
「ああ、そうだな」 

 私達は、ゆっくりとその場を去る。
 洞窟に入ろうとしたとき、背後から声が聞こえた。

「ちょっと、まって」

 振り向けば、ぐしゃぐしゃな顔のままこちらを眺めるお空の姿が。
 かしこまって一礼、ありがとう、と言って微笑む。
 虚勢。だけれども、素直な感謝の気持ち。
 笑顔で手を振ってやるのが、礼儀っていうもんかな。




~~~~~~




「うぉー、さとり、見て見ろ。人形が動いているぞ」

 唐突にあげた歓喜の声は、勇儀の物でした。
 作業を休めてそちらを見てみれば、勇儀が数体の人形を抱きしめています。
 可哀想に。人形たちはもがもがと身動きをするのですが、鬼の力からは抜けられません。
 操っている人形遣いも、どこかでため息をついていることでしょう。

「働いてくださいよー」
「いいだろう、少しくらい! 結局私が一番働いているしなァ!」

 さんさんと降り注ぐ日光。支給された麦わら帽子をかぶって、花壇の草をむしる私達。
 何故草をむしっているか、ですか?
 お燐が人形の代償として働くはずだったんですよ。しかし、忘れてた、と。
 昼ごろに戻ってきたお空が、すぐに人形遣いのところに行きたい、なんて主張するものですから来たのですが。
 顛末を話しに来た私達――なぜかついてきた勇儀も合わせて、成り行きで働くことに。
 お燐が凄く泣きそうな顔をしたので、不憫そうで仕方なくですが。
 今では怒りすら覚えています。許されませんよ、お燐。この貧弱覚り妖怪に肉体労働をさせた罪は重い。そうですね、おやつを抜きましょう。
 そのお燐はこいしと一緒に、向こうで雑草を刈っています。
 否、お燐はこいしの面倒を見ながら雑草を刈っていますね。
 そんな中、お空は人形遣いの家の中でゆっくりと。
 何故私達だけ働かなくちゃいけないのでしょうか。
 私の方が客観的に状況を説明できますよ、ええ。ですから、私に休息を下さい。

「おいおいさとり、へばっているのか?」
「私は貴方ほど脳筋じゃないんですよ」

 元気そうな勇儀を見て、ため息一つ。
 どうしてこんなに暑いのか。太陽がじりじりと照りつけるさまは、まさしく烈日。
 額に浮かぶ汗をぬぐって、草むしりを続ける。
 白塗りの人形遣いの家の中じゃ、きっとお空が人形の話をしているに違いありません。
 ……お空も働けばいい、そうは思いませんか?
 なんて、愚痴る相手はいないのですが。



~~~~~~


 結局一日中草むしりだった。
 人形遣い、アリス・マーガトロイドめ。土いじりをサボるのは良くない、なんて私が指摘したら。人形が汚れるのが嫌、なんて言いやがって。
 でも、私にも小さな人形をくれたから許した。
 鬼は小さなことには固執しないんだ。

 向かう先は同じだから、というわけで私達は全員そろって地底へ向かう。
 お空は勿論の事あの人形を抱きしめていた。
 アリスによれば、人形に霊が入ってしまったのは中に空洞があったからとか何とか。
 隙間があれば霊ははいりこむんだってね。まぁ、詳しいことはよくわからんけど。
 で、そこを埋めるように提案されたが、ここでひと悶着。ちょっとばかしお空が駄々をこねた。
 なんでも、人形の中に空を残しておきたいんだとさ。
 空――くう、そら、もしくはうつほ。
 だけど、さとりの奴からしたら面倒事は御免蒙るわけで。奴は奴で何かしらの対処法を求めた。
 どちらも引かないから、結局……ええと、なんだ。魔力という奴をああしてこうして、霊ははいりこまなくなったんだと。魔法使いは器用なんだなァ。
 アリスは面倒な作業だとぼやいていた。しっかし、奴もどこか楽しそうで。
 で、今の人形は……霊の形見、ってやつかな。
 お空に抱かれた人形の目は無機質な物だが、何故か何故だかすごく幸せな物に見えるんだ。
 ……おいおい、さとり。変人を見る目で見るな。心の読めるお前には、非生物の喜びなんてわからないんだろう。
 勝手な解釈? 何とでも言え。私は思うだけだ。人形は、どこまでも幸せだ、と。

――そうだ、お空。

 思いついたことがあって、私は呟く。

――なぁに?
――この後、あの甘味処へ行かないか? おごるよ。
――やったぁ!
――あ、お空だけずーるーいー!
――私を忘れたら呪いますよ。非力な私は糖分を欲しているのです。
――あ、あたいも連れて行って!

 お空が歓声をあげ、こいしが私にしがみつき、さとりがぼそりと呟いて、お燐が慌てて私に駆け寄る。
 ごちゃごちゃと、うるさい奴らだ。
 まァ、いい。金はある……はずだ。
 パーっと行こう。最悪踏み倒せ!
 何がなんでも、沈んだ気持ちの後には、騒ぐのが重要だァ!

――よぉし、じゃあ行くぞ!
――私達、6人でね!

 6人。
 お空が言った瞬間、人形がほほ笑んだ。
 ああ、さとり。お前なら気のせいだと言うんだろうな。
 だけど、それは気のせいじゃない。人形を愛でるっていうのはこういうことだ。
 見えないから、読めないからこそ可能性がある。
 お前にゃ人形の気持ちも、人形を愛でる奴の気持ちがわからんだろうよ。
 ……なんて。いや、全部読まれちまうか。はは。  
 プロットは双方話し合いで作成し、前半の執筆は生煮え、後半の執筆は沢田が担当しました。

 心の読めるさとりの一人称は、書いててなかなか楽しかったです。      生煮え
 
 読んでいただきありがとうございました。
 後半と遅刻担当の沢田です。やっぱり人形は可愛いですね。あと、地霊殿は書いてて楽しい。
 これを読んで、人形好きな方が増えたらいいなぁ、という願いを込めて――      沢田
生煮え沢田
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.250簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです!!
4.90奇声を発する程度の能力削除
良いお話で素敵でした
6.100名前が無い程度の能力削除
いつの間にか物語に引き込まれていく。難しいことが理解できないお空の描写や、一歩引いて理性的に考えるさとりと、荒々しく語る勇儀の語り口のバランスも対比的で良かったです。
話の展開も実に上手に料理されたと思います。お見事でした。
8.90名前が無い程度の能力削除
面白い作品でした。
特にテーマと真相と結末が興味深かったです。
もう少し序盤と展開に工夫があれば……という気はしましたが、しかし合作の難しさを考えると、これだけまとまっているというのはすごい。