私たちの世界には空が無い。
頭の上を見上げても、見えるのは無機質な岩肌だけ。
地上にあるような表情豊かな空は無い。
――だけど、私は知っている。
他のみんなには見えなくても、
この地底にだって空があることを。
ゴツゴツした岩肌に、こうやって耳を当ててみると、
空の声が聴こえるのがわかる。
春の空は賑やかだ。
雪解けの水が流れ出し、地下にしっとり雨を滲ませる。
それらはやがて川となって、いつか地上に現れるまで廻り続ける。
冬の寒さを耐えた木々や、新しく芽吹く草花は、
ようやく出番が来たと自分を飾りはじめる。
彼らの何本もの足は、調子に乗って空から突き抜けることがあって、
私がそんな足を突っつくと、彼らは温い肌で応えてくれる。
眠っていた動物たちや昆虫たちも働き出す。
目覚めたばかりの彼らの足取りは、腹ペコと眠気で覚束なくて、
ひょろひょろ、ぴょこぴょこと、頼りない足音となって聴こえてくる。
私は、そんな暖かな賑わいを感じながら、春の空を知る。
梅雨の空は元気一杯だ。
たくさんの雨が大地にノックする。
とんとん、とんとん。
とんとん、とんとん、と。
彼らは私にこう訊いてくる。
『もしもし。お前はまだ生きていますか。この音が聞こえますか』
すると私はこう答える。
『はい聞こえます。どうやら私はまだ生きている様です』
私はここで雨と会話することが出来るのだ。
だけども、降る雨はとても気紛れで、
何かを生かすこともあれば、何かを奪うこともある。
その沙汰は誰も与り知れぬところにあって、
気まぐれな雨を知り尽くすことは、私にも出来ない。
私は、そんな気ままな雨と語らいながら、梅雨の空を知る。
夏の空は別れと出会い。
お爺さんになった蝉たちや、大人になりたい虫たちが、
本当の空に羽ばたいてしまう。
飛んでいった彼らがどうなったのか、私には分からないけれど、
彼らは自分の子供たちをここに連れて来てくれる。
そして、それらの中のいくつかは、
空に飛んでいった彼らのように、また空を目指すのだ。
活発になった動物たちは、すばしこい獲物をぱくりと食べる。
可愛がっていた小鳥の声が、蛇に食べられてしまった時は悲しいけれど、
彼らもまた新しい命を繋ぐために、
他の何かを犠牲にしていることを、私は何となく気付いている。
私は、そんな別れの寂しさと出会いの予感を感じながら、夏の空を知る。
秋の空は大忙し。
夏の暑さで太った空が、少し締まって広くなる。
冬に備える生き物たちは、その空の上で穴を掘る。
がりがり、ごりごり、
ごりごり、がりがり、と。
冬に備えていっぱい食べて、寝床の準備をしているのだ。
だから、彼らいつも忙しそうに動きまわっている。
秋の植物たちは、誰かに食べて貰うために美味しい果実を作る。
でも食べるのは本当の空を知る者で、私じゃないのがちょっと悔しい。
だけど私は知っている。
食べた後に出る臭いアレの中に、
新しい植物の種が、芽吹く時をじっと待っていることを。
私は、追い立てられるように忙しい彼らの営みから、秋の空を知る。
冬の空は死んでしまったよう。
動物たちは冬眠をはじめて、近くにいるのにお話しできない。
でも、固まった空でも植物たちは生きている。
冷たく静かな岩肌に手を当てると、
小さく可愛らしい草花の根が、震えながら耐えているのがわかる。
逆に、大きな根を持つ木々たちは、どんなもんだと踏ん張っている。
そんな空でものんびり屋のモグラたちだけは元気で、
たまに私の処へ遊びに来てくれる。
あるモグラのお爺さんは言う。
『こんにちわ。お嬢さん。いいミミズが入ったんだ。いっしょに食べるかい?』
私はやんわりと断りながら、死体の肉が余ってないか訊いてみる。
私は、死んだような寒空の音に触れながら、冬の空を知る。
ほかにも私は、いろんな空を知っている。
もっともっと、いろんな空を聴いている。
いろんな季節を。
いろんな天気を。
いろんな色彩を。
いろんな息吹を。
誰も知らない地底の空を、私だけは知っている。
だから――、
たとえ誰も見なくても、
たとえ誰も聴かなくても、
私が空を忘れなければ、
地底の空は私たちの上に在り続けてくれると、
そう思うのだ。
地底の天井に触れる一羽のカラスがいた。その下には彼女を見る者がある。彼女たちは呆れと微笑ましさを覚えながら、カラスの行動を静かに見守っていた。
カラスは彼女たちの視線に気付くことなく、楽しそうに天井を撫でている。
「まったく、お空ったらまたあんな処に」
彼女たちの一人が漏らした。少し呆れつつも仕方がないなといった風の響きだった。
もう一人の彼女にもそれは伝わっているらしく、彼女は目を細めながら頷いた。
「いいんじゃないですか。お空は、地底の“太陽”なんですから」
彼女たちは、天井にある空に向かって、大きく手を振った。それを見つけた空は弾けるように笑う。そうして空もまた、彼女たちに向かって大きく手を振った。
地霊殿の天井は無機質な岩肌で占められている。
そこには地上にあるような、目に見える空はない。
だが彼女たちは、見上げる向こうに空があることを、とうの昔に知っていた。
空は太陽で、太陽は空に昇る、というとなんだか言葉遊びめいてますねw
コメント、有難うございます。
そして素敵な空。