「貴女のところの式って、いつもクールでまさにできる女って感じよね」
「買い被りすぎよ。あの子だっていつも冷静なわけじゃないわ。自分の式がやられた時なんてわたしの命令を無視して……」
「もぐもぐ本当にうらやましい限りだわもぐもぐ」
「お団子頬張りながら話すなんてはしたないわよ。というかわたしの話を聞きなさい。あの子は別にクールなんかじゃ……」
「うちの妖夢もあれくらいの落ち着きがあればね。ま、今のままでも可愛いからいいけど」
「はあ、もういいわ……」
遊びに行った白玉楼でそんな会話をした日の晩、自宅の居間でくつろぎながら八雲紫は思う。
自分の式、八雲藍は周囲からの評判がえらくよろしい、と。
八雲紫の式として常日頃から与えられた命令には全力で取り組み、そして幻想郷の結界の管理維持に勤しむ。まさにできる女の代名詞。
人里での人当たりも非常によく、しかもかっこいい美人であるためか男女両方からの人気が高い。噂によればファンクラブがあるとかないとか。
一方そのできる女の主人である八雲紫は胡散臭さの代名詞という扱い。何か不思議なことが起きたら「とりあえず八雲紫のせいにしとけばいいんじゃね?」的な節もある。
後者に関してはまあいい。他人からどう思われようと紫は気にしない。
問題は前者。自分の式がまるでパーフェクトのように扱われていることがいささか納得いかない。
そしてそれは別に紫個人の単なる嫉妬というわけでもないのだ。
「……こんな姿見せられちゃあねえ」
「ゆかりさま~。さっきからなに一人でぶつぶつ言ってるんですか?」
そこにいる九尾の狐は、人前で見せるようなキリッとした表情など微塵もしていない。
目じりは垂れ、口元は緩み、酒が入っているためか少し赤らめた顔で紫の膝元にすりよる。
体は普段の人獣の姿なのであるが、中身はまるで子犬と変わらない。
「何でもないわ。それよりお酒が無くなっちゃったんだけど」
「じゃあすぐにとってきますね」
藍は部屋を出て、すたすたと台所まで酒を取りに行った。
そしてすぐさま戻ってきて紫のお猪口にお酌をすると、もの欲しそうに頭を下げた。
「あ~はいはい」
「~~~~っ」
紫が若干めんどくさそうに藍の頭を撫でてやると、そんな内心知ってか知らずか藍は言葉にならない声を発し、だらしない笑顔をさらにだらしない笑顔へと変貌させる。
そしてまた紫の膝元に頬をすりよせながら横になった。
一日の全ての仕事が終わり、もう寝るかという時になって紫と藍が晩酌を交わすといつもこうなのだ。
普段の威厳ある態度はどこへやら、藍はひたすら主人に甘え続ける小動物と化す。なお、紫が頭なり尻尾なりを撫でると小動物化はさらに進行する。
しかしこれは、晩酌による酔いが原因なのではない。
「あ、ちぇん……」
「紫様と晩酌をご一緒させていただけるとはこの八雲藍、光栄の極みです。どうだい橙、お前もこっちに来て一緒に飲まないか?」
これである。
第三者の目がある場合、藍はどれだけ酒を飲んでもいつもの姿勢を崩さない。
したがって例えば博麗神社で宴会を開いたとしても、藍が紫に甘えることは無い。だから藍のこの姿を知る者は紫だけなのである。
どうやら藍が紫に甘える条件は「二人っきり」であることと、「仕事が終わっている」ことであるらしい。仕事があるうちはそちらを優先させ、藍は全く甘えてこない。
今だって紫に膝枕してもらっていたはずの藍は「ちぇん」と聞いた瞬間きちんと正座し居住いを正している。
まあ、実際はここに橙はいないのだが。
「彼はオリオールズで元気にやってるかしら?」
「チェンってそっちのチェンですか? やだなぁゆかりさま、そのチェンなら二桁勝利してプレーオフではヤンキース相手に勝ち投手ですよ~」
橙がいないと知るや否や、藍は再び表情を緩ませ、背後から紫に抱きついた。
そのまま自分の頬を紫の頬にすりすりする。少しくすぐったい。
「一か月くらいぶっ続けで宴会でも開こうかしら。でも……」
宴会を開けば大抵そのまま眠ってしまうため、藍が紫に甘える時間は無い。
以前、何かと理由をつけて霊夢や幽々子たちと二週間連続宴会を敢行し、藍の「甘え禁止」作戦を実行に移したことがある。
しかし
「なにかおっしゃいましたか?」
「いえ、藍は可愛いな~って」
「も、もうゆかりさま! 照れちゃいますよ~」
「ははは……はあ」
問題は二週間連続宴会が終った翌日の晩だった。
二週間ずっとお預けをくらい、「甘え禁止」を忍び続けた反動のせいか、その日はいつもに増して甘えてきたのである。
しばらく甘えられなかったことへの苦しみか、はたまたようやく甘えられることへの喜びか、いずれにせよやたら目を潤ませていた。
そして一時も体を離すこと無く抱きつき、人様の頬を舐めまわし、接吻をかましてきたのだ。
それが今度、一か月ともなればどうなることか。
「迂闊な甘え禁止は避けるべきね……」
「うにゃ~」
「…………っ!?」
顔を赤くしながら当時のことを思い返し、自身の肩に乗せられた顎を猫にするように撫でると、藍は本当に猫のような鳴き声をあげた。
湧き上がってくるちょっとイケナイ感情を押さえ込みながら紫は考える。
藍はいつからこんなに甘えるようになってきたのだろうか。少なくとも最初からでは無かったような気がする。
「はむっ」
「ひゃあうっ!?」
考えごとをしていてまるっきり油断していたところへ藍の一撃。
この式、こともあろうに主人の耳を甘噛みしおったのである。
「い、いきなり何!?」
慌てて紫が問いただすと、藍は耳を垂れさせ、目線を落とし、そして悲しげな声を出す。
「ゆかりさま、さっきから上の空で……さみしいです……」
「さみしい……?」
その一言、そして藍の様子に、紫は強いデジャヴを覚えた。
随分前に、同じシチュエーションがあったような。
そして顔を紫の髪にうずめながら放たれた藍の言葉に、紫は全て思い出した。
「あぁ……ゆかりさまの匂い……」
「……あ」
あれは九尾の狐が紫に使役されるようになってまだ日が浅かった(といっても数年は経っていたが)頃、夜の寝間での出来事。
「は? さみしい?」
「はい……」
枕を抱えた藍が、じっと紫の目を見つめながらそう言ったのだ。
「貴女ね、仮にも九尾の狐でしょうが」
「だからなのです」
呆れる紫に、それでも藍は引きさがらない。
「九尾の狐として以前のわたしは妖狐の、いえ、妖怪の高みに君臨していました。それ故誰にも甘えられず、時にさみしかったのです。ですが今はこうして紫様にお仕えし、それで、その、ちょっぴり甘えてみたいなと……」
「もう、分かったわよ」
甘えてくる藍があまりにもいじらしかったので、紫も折れて布団の中に招く。
すると藍は喜び勇んでもぐりこんだ。
「こらそんなに暴れないの」
「紫様……いい匂い……」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない」
人の胸に顔をうずめながらそんなことを言ってくれたので、紫は少しテンションが上がった。
そっと藍の腰に手を回し、その立派な尻尾をモフモフする。
「ひゃあっ、く、くすぐったいです紫様!」
「甘えるのもいいけど、仕事はちゃんとこなすのよ?」
「は、はいぃ! 分かりました、分かりましたからこれ以上は……あぁ!?」
「…………っ!」
上擦った藍の声に、紫の中で何かが動いた。歌にするとこんな感じである。
やる気スイッチ紫のはどこにあるんだろ~?
見つけ~て~あげるよ~。紫だけの~やる気スイッチ~!
紫の「ヤる気スイッチ」を押してしまったのは藍でした。
「次は耳……!」
「ひゃうぅ……ゆかりさま~ご慈悲を~」
「貴女にだって九尾としてのメンツがあるんだから、わたしに甘える姿を他人に見られるなんて御法度よ?」
「ひゃ、ひゃい……」
いつしか忘れていた。
藍が紫に甘えてくるようになったのはそれ以来だった。
それも仕事に差し支えの無いよう一日の終わりに、そして誰にも見られない時に限って甘えてくるのだ。何とも真面目な式である。
ちなみにその日、あまりにもモフモフが心地よかったためそれは深夜まで続いた。
翌日二人揃って目の下に隈ができ、その状態で幽々子に会いに行ったら「ゆうべはおたのしみでしたね」と言われた。
悔しいが楽しかった。今思い出しても楽しかったと紫は思う。
モフモフ天国。至高のモフモフ。ああモフモフ、どうして貴女はモフモフなの?
「ゆ、ゆかりさま! くすぐったいです!」
「……ハッ!?」
当時のことを振り返っていたら、無意識のうちにモフモフを求めてしまっていたらしい。
その手は藍の耳をモフッていた。
「ご、ごめんなさい。悪気があったわけじゃ……」
「いえ、いいんです」
謝る紫に、藍は首を横に振った。
そして抱きついていた両腕をほどき、今度は紫の正面にまわって、その胸元に顔を埋めた。
「あの日を……初めてゆかりさまに甘えられた日を思い出して……嬉しかったです」
「藍、貴女……」
本当に可愛いなコンチクショウ。そう言おうとして紫はギリギリのところで言葉を飲みこんだ。声に出してしまったら主人の威厳とか色々と問題がある。
しかしながら普段はすました顔をして淡々と仕事をこなす癖に、紫だけの前ではこんな姿を晒す。
「これがギャップ効果……」
こうかはばつぐんだ。
だがそれだけに納得がいかない。こんな甘えんぼうが、何も知らない周囲からはできる女だクールレディだと言われている。
これは不条理なのではないか。
「いっそのこと天狗にでも隠し撮りさせて白日の下に晒してやろうかしら」
小声でボソッと呟きながら、紫は想像する。
もしそんなことをしたら、周囲の人間はどのような反応を示すだろうか。
あるいは驚くだろう。あるいは微笑むだろう。
そして藍は照れるだろう。それはそれで可愛い姿。
「いや、ちょっと待って……」
思案を巡らせる。
もしかしたら本当にいるかもしれないファンクラブとやらの会員はどんな反応をするのか。
静かに思い描いてみた。
「か、可愛い。なんて可愛いんだ……」
「美しい上にこんな愛くるしい一面をもつだなんて、わたしの旦那様になっていただきたいわ!」
「ああ藍様……わたしを貴女の式にして……」
紫は背筋を凍らせた。ファンクラブの狂気を感じた。
そして思う。この藍の姿を人々に知らしめるのにどれほどの価値があろうか。
式である橙だって知らない、紫だけに見せる愛らしい甘えた姿は、言わば紫の独占物。他人に見せる必要など無い。
「そうよ……そうだわ……」
「ゆかりさま、さっきから独り言を……ひょおう!?」
「ふふふ、さっきのお返しよ」
「ひょおおぉぉ……」
不思議そうな目をして面を上げた藍の耳を甘く噛んだ。
すごくモフモフしていた。
「ほ、本当に一か月ぶっ通しで宴会でも開いてみようかしら……」
今思えば、二週間連続「甘え禁止」の反動もまんざらでも無かった。
主人にちょっと邪悪な心がよぎる中、当の式はというと
「ゆかりさま、暖かい……」
誰も知らない主人との二人だけの秘密の時間を心行くまで堪能している。
まさに至福の時間であった。
「買い被りすぎよ。あの子だっていつも冷静なわけじゃないわ。自分の式がやられた時なんてわたしの命令を無視して……」
「もぐもぐ本当にうらやましい限りだわもぐもぐ」
「お団子頬張りながら話すなんてはしたないわよ。というかわたしの話を聞きなさい。あの子は別にクールなんかじゃ……」
「うちの妖夢もあれくらいの落ち着きがあればね。ま、今のままでも可愛いからいいけど」
「はあ、もういいわ……」
遊びに行った白玉楼でそんな会話をした日の晩、自宅の居間でくつろぎながら八雲紫は思う。
自分の式、八雲藍は周囲からの評判がえらくよろしい、と。
八雲紫の式として常日頃から与えられた命令には全力で取り組み、そして幻想郷の結界の管理維持に勤しむ。まさにできる女の代名詞。
人里での人当たりも非常によく、しかもかっこいい美人であるためか男女両方からの人気が高い。噂によればファンクラブがあるとかないとか。
一方そのできる女の主人である八雲紫は胡散臭さの代名詞という扱い。何か不思議なことが起きたら「とりあえず八雲紫のせいにしとけばいいんじゃね?」的な節もある。
後者に関してはまあいい。他人からどう思われようと紫は気にしない。
問題は前者。自分の式がまるでパーフェクトのように扱われていることがいささか納得いかない。
そしてそれは別に紫個人の単なる嫉妬というわけでもないのだ。
「……こんな姿見せられちゃあねえ」
「ゆかりさま~。さっきからなに一人でぶつぶつ言ってるんですか?」
そこにいる九尾の狐は、人前で見せるようなキリッとした表情など微塵もしていない。
目じりは垂れ、口元は緩み、酒が入っているためか少し赤らめた顔で紫の膝元にすりよる。
体は普段の人獣の姿なのであるが、中身はまるで子犬と変わらない。
「何でもないわ。それよりお酒が無くなっちゃったんだけど」
「じゃあすぐにとってきますね」
藍は部屋を出て、すたすたと台所まで酒を取りに行った。
そしてすぐさま戻ってきて紫のお猪口にお酌をすると、もの欲しそうに頭を下げた。
「あ~はいはい」
「~~~~っ」
紫が若干めんどくさそうに藍の頭を撫でてやると、そんな内心知ってか知らずか藍は言葉にならない声を発し、だらしない笑顔をさらにだらしない笑顔へと変貌させる。
そしてまた紫の膝元に頬をすりよせながら横になった。
一日の全ての仕事が終わり、もう寝るかという時になって紫と藍が晩酌を交わすといつもこうなのだ。
普段の威厳ある態度はどこへやら、藍はひたすら主人に甘え続ける小動物と化す。なお、紫が頭なり尻尾なりを撫でると小動物化はさらに進行する。
しかしこれは、晩酌による酔いが原因なのではない。
「あ、ちぇん……」
「紫様と晩酌をご一緒させていただけるとはこの八雲藍、光栄の極みです。どうだい橙、お前もこっちに来て一緒に飲まないか?」
これである。
第三者の目がある場合、藍はどれだけ酒を飲んでもいつもの姿勢を崩さない。
したがって例えば博麗神社で宴会を開いたとしても、藍が紫に甘えることは無い。だから藍のこの姿を知る者は紫だけなのである。
どうやら藍が紫に甘える条件は「二人っきり」であることと、「仕事が終わっている」ことであるらしい。仕事があるうちはそちらを優先させ、藍は全く甘えてこない。
今だって紫に膝枕してもらっていたはずの藍は「ちぇん」と聞いた瞬間きちんと正座し居住いを正している。
まあ、実際はここに橙はいないのだが。
「彼はオリオールズで元気にやってるかしら?」
「チェンってそっちのチェンですか? やだなぁゆかりさま、そのチェンなら二桁勝利してプレーオフではヤンキース相手に勝ち投手ですよ~」
橙がいないと知るや否や、藍は再び表情を緩ませ、背後から紫に抱きついた。
そのまま自分の頬を紫の頬にすりすりする。少しくすぐったい。
「一か月くらいぶっ続けで宴会でも開こうかしら。でも……」
宴会を開けば大抵そのまま眠ってしまうため、藍が紫に甘える時間は無い。
以前、何かと理由をつけて霊夢や幽々子たちと二週間連続宴会を敢行し、藍の「甘え禁止」作戦を実行に移したことがある。
しかし
「なにかおっしゃいましたか?」
「いえ、藍は可愛いな~って」
「も、もうゆかりさま! 照れちゃいますよ~」
「ははは……はあ」
問題は二週間連続宴会が終った翌日の晩だった。
二週間ずっとお預けをくらい、「甘え禁止」を忍び続けた反動のせいか、その日はいつもに増して甘えてきたのである。
しばらく甘えられなかったことへの苦しみか、はたまたようやく甘えられることへの喜びか、いずれにせよやたら目を潤ませていた。
そして一時も体を離すこと無く抱きつき、人様の頬を舐めまわし、接吻をかましてきたのだ。
それが今度、一か月ともなればどうなることか。
「迂闊な甘え禁止は避けるべきね……」
「うにゃ~」
「…………っ!?」
顔を赤くしながら当時のことを思い返し、自身の肩に乗せられた顎を猫にするように撫でると、藍は本当に猫のような鳴き声をあげた。
湧き上がってくるちょっとイケナイ感情を押さえ込みながら紫は考える。
藍はいつからこんなに甘えるようになってきたのだろうか。少なくとも最初からでは無かったような気がする。
「はむっ」
「ひゃあうっ!?」
考えごとをしていてまるっきり油断していたところへ藍の一撃。
この式、こともあろうに主人の耳を甘噛みしおったのである。
「い、いきなり何!?」
慌てて紫が問いただすと、藍は耳を垂れさせ、目線を落とし、そして悲しげな声を出す。
「ゆかりさま、さっきから上の空で……さみしいです……」
「さみしい……?」
その一言、そして藍の様子に、紫は強いデジャヴを覚えた。
随分前に、同じシチュエーションがあったような。
そして顔を紫の髪にうずめながら放たれた藍の言葉に、紫は全て思い出した。
「あぁ……ゆかりさまの匂い……」
「……あ」
あれは九尾の狐が紫に使役されるようになってまだ日が浅かった(といっても数年は経っていたが)頃、夜の寝間での出来事。
「は? さみしい?」
「はい……」
枕を抱えた藍が、じっと紫の目を見つめながらそう言ったのだ。
「貴女ね、仮にも九尾の狐でしょうが」
「だからなのです」
呆れる紫に、それでも藍は引きさがらない。
「九尾の狐として以前のわたしは妖狐の、いえ、妖怪の高みに君臨していました。それ故誰にも甘えられず、時にさみしかったのです。ですが今はこうして紫様にお仕えし、それで、その、ちょっぴり甘えてみたいなと……」
「もう、分かったわよ」
甘えてくる藍があまりにもいじらしかったので、紫も折れて布団の中に招く。
すると藍は喜び勇んでもぐりこんだ。
「こらそんなに暴れないの」
「紫様……いい匂い……」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない」
人の胸に顔をうずめながらそんなことを言ってくれたので、紫は少しテンションが上がった。
そっと藍の腰に手を回し、その立派な尻尾をモフモフする。
「ひゃあっ、く、くすぐったいです紫様!」
「甘えるのもいいけど、仕事はちゃんとこなすのよ?」
「は、はいぃ! 分かりました、分かりましたからこれ以上は……あぁ!?」
「…………っ!」
上擦った藍の声に、紫の中で何かが動いた。歌にするとこんな感じである。
やる気スイッチ紫のはどこにあるんだろ~?
見つけ~て~あげるよ~。紫だけの~やる気スイッチ~!
紫の「ヤる気スイッチ」を押してしまったのは藍でした。
「次は耳……!」
「ひゃうぅ……ゆかりさま~ご慈悲を~」
「貴女にだって九尾としてのメンツがあるんだから、わたしに甘える姿を他人に見られるなんて御法度よ?」
「ひゃ、ひゃい……」
いつしか忘れていた。
藍が紫に甘えてくるようになったのはそれ以来だった。
それも仕事に差し支えの無いよう一日の終わりに、そして誰にも見られない時に限って甘えてくるのだ。何とも真面目な式である。
ちなみにその日、あまりにもモフモフが心地よかったためそれは深夜まで続いた。
翌日二人揃って目の下に隈ができ、その状態で幽々子に会いに行ったら「ゆうべはおたのしみでしたね」と言われた。
悔しいが楽しかった。今思い出しても楽しかったと紫は思う。
モフモフ天国。至高のモフモフ。ああモフモフ、どうして貴女はモフモフなの?
「ゆ、ゆかりさま! くすぐったいです!」
「……ハッ!?」
当時のことを振り返っていたら、無意識のうちにモフモフを求めてしまっていたらしい。
その手は藍の耳をモフッていた。
「ご、ごめんなさい。悪気があったわけじゃ……」
「いえ、いいんです」
謝る紫に、藍は首を横に振った。
そして抱きついていた両腕をほどき、今度は紫の正面にまわって、その胸元に顔を埋めた。
「あの日を……初めてゆかりさまに甘えられた日を思い出して……嬉しかったです」
「藍、貴女……」
本当に可愛いなコンチクショウ。そう言おうとして紫はギリギリのところで言葉を飲みこんだ。声に出してしまったら主人の威厳とか色々と問題がある。
しかしながら普段はすました顔をして淡々と仕事をこなす癖に、紫だけの前ではこんな姿を晒す。
「これがギャップ効果……」
こうかはばつぐんだ。
だがそれだけに納得がいかない。こんな甘えんぼうが、何も知らない周囲からはできる女だクールレディだと言われている。
これは不条理なのではないか。
「いっそのこと天狗にでも隠し撮りさせて白日の下に晒してやろうかしら」
小声でボソッと呟きながら、紫は想像する。
もしそんなことをしたら、周囲の人間はどのような反応を示すだろうか。
あるいは驚くだろう。あるいは微笑むだろう。
そして藍は照れるだろう。それはそれで可愛い姿。
「いや、ちょっと待って……」
思案を巡らせる。
もしかしたら本当にいるかもしれないファンクラブとやらの会員はどんな反応をするのか。
静かに思い描いてみた。
「か、可愛い。なんて可愛いんだ……」
「美しい上にこんな愛くるしい一面をもつだなんて、わたしの旦那様になっていただきたいわ!」
「ああ藍様……わたしを貴女の式にして……」
紫は背筋を凍らせた。ファンクラブの狂気を感じた。
そして思う。この藍の姿を人々に知らしめるのにどれほどの価値があろうか。
式である橙だって知らない、紫だけに見せる愛らしい甘えた姿は、言わば紫の独占物。他人に見せる必要など無い。
「そうよ……そうだわ……」
「ゆかりさま、さっきから独り言を……ひょおう!?」
「ふふふ、さっきのお返しよ」
「ひょおおぉぉ……」
不思議そうな目をして面を上げた藍の耳を甘く噛んだ。
すごくモフモフしていた。
「ほ、本当に一か月ぶっ通しで宴会でも開いてみようかしら……」
今思えば、二週間連続「甘え禁止」の反動もまんざらでも無かった。
主人にちょっと邪悪な心がよぎる中、当の式はというと
「ゆかりさま、暖かい……」
誰も知らない主人との二人だけの秘密の時間を心行くまで堪能している。
まさに至福の時間であった。
藍様可愛すぎるぅ!!
なんかおとしどころがほしかったような気もするけどそんなことも気にならないモフモフをありがとうございましたモフモフ!