蓮子は考えた。メリーが境界のパワーを最大限まで使えるようになれば、空間跳躍ができるのではないだろうか。
空間跳躍とは、空間を飛びこえること。ある点Aから、ある点Bまで、通常かかる行程を省略して移動することである。
つまりは、どこでもドアである。蓮子は考えた。メリーの境界パワーで空間跳躍をして、自分の部屋の玄関のドアを開けた瞬間に大学に着くようにできるのではないかと。
「歩いて行きなさい……」
メリーは呆れてしまった。そもそも、蓮子の家は大学から歩いて20分ほどのところにある。大学指定の寮であるといっても通じるような近い位置で、そのぶん狭いが学校へのアクセス的には文句なし。毎日隣の市から電車で通っているメリーからしてみれば、なめたこと言うとケツ穴にわさび塗るぞ、みたいな感じである。
しかし、蓮子には蓮子なりの抜き差しならぬ事情があった。
「最近便秘気味で……」
「野菜を食べなさい」
「朝一番のヘビーショットがなかなか出ないから、ぎりぎりになっちゃうのよ。たとえば明日の一限目だけど、これが出席点をとる」
「ああ、そうね。私もとってる講義だわ。……蓮子が受けてるの、見たことないけど」
「た、たまにはあります。最初のころは、ちゃんと受けてたし……でも、ここ二三回、さっき言った理由ですっぽかしちゃった」
「うんこね」
「うんこよ。それで、明日はぜひ受けたい。レポートの提出もあるしね……これでレポートを出せなかったら、単位を落としちゃうのは間違いないわ。ねえ、メリー、お願い。私を助けて。こんなしょうもない理由で、単位を落としたくないのよ」
「うんこに時間がかかって家を出るのが遅れるので、講義に遅刻してしまう、と」
「そうよ」
「早起きすれば?」
「ハハハ、コイツゥー」
蓮子がとてもよい笑顔で、メリーの額を片手でこつんと叩いたので、メリーはその腕をとってアームロックをかけたい衝動にかられたが、それ以上いけないので我慢した。
完全に人生をなめている発言であるので、とりあわずに帰ってしまってもよかった。でも、メリーは生来のんびりしたタイプなので、馬鹿かこいつはという思いを押し殺し、いちおう少しそのアイデアを検討してみると、またちがった考えが浮かんできた。
境界の力を使って、自宅と大学をつなぐワープゲートを作る。何だか、面白そうではあった。朝の身支度に時間がかかるのは、メリーだって同じだ。はじめに言われたときはとにかく呆れてしまったが、それができるようになれば、自分の生活はものすごく便利になる。
まあ、ほんとにそんなことができれば、の話だが。
お、やる気になりましたか、と蓮子がうれしそうに言うのに、メリーは嫌そうな顔を隠さず、「うるさい、蓮子のうんこ娘!」とだけ返した。
◆
うんこ娘こと蓮子の部屋は狭くて、実験には向かない。ふたりは電車に乗ってメリーの家に移動した(例によって学校帰りに蓮子の部屋でだべっていたのである)。
電車にがたごと揺られながら、メリーは考えをめぐらせていた。蓮子はいわゆる世間一般とは多少ズレたところのある子で、頭が良くて美人なくせに男にモテない。勉強嫌いというわけではないし、男ウケをまったく考えないわけでもないけれど、それよりも、自分の趣味に正直で、そちらのほうに時間を多くかけている。
秘封倶楽部という、今どき流行らないオカルト・サークルを立ち上げ、出会ったばかりのメリーを引っ張りこんだ――というより、メリーとふたりでする活動について対外的に、便宜的に名前をつけたのが「秘封倶楽部」だ。サークルを名乗ってはいるが、メンバーは蓮子とメリーしかおらず、増える予定もない。
だから秘封倶楽部で活動するときは、自然にふたりきりのデートみたいになる。あまり社交的でないメリーにはそれがありがたくもあったし、ちょっとくすぐったくもあった。
蓮子は今、電車の席にメリーと隣り合って座り、手元の本に視線を落としている。ふたりが通う大学の先生である、岡崎夢美教授が書いた本だった。
岡崎教授は若干18歳にして数々の論文を発表しては、アカデミーにセンセーションを巻き起こしてきた天才少女で、すでにその名は伝説となっている。蓮子がこの大学を選んだのも、岡崎教授の講義を受けられるから、というところが第一の理由だったそうだ。
あまりに熱心に本を読んでいるので、メリーはちょっと、話しかけるのをためらった。教授の姿を、メリーは学内で何度か見たことがある。逸話に似合わず、普通の可愛い少女のような外見だった。真っ赤な服を着ていて、派手だけど、それが似合うほどまだ幼い。セーラー服姿の、教授よりもさらに幼い少女と一緒に歩いていて、噂では教授はその少女を手ごめにしているモノホンのガチレズだという……電車が止まった。
まだ、二つ前の駅だった。蓮子は本から顔を上げると、周りをきょろきょろ見回し、窓の向こうのホームの駅名を見て安心し、また本に戻ろうとした。
その隙をついて、メリーは蓮子に話しかけた。
「ねえ、蓮子」
「ん、何? マイスイートメリー」
「いやん。いや、あのね、さっきは勢いで、やってみましょう、なんて言ったけど、自信ないなあ。ごめんね」
と言って、メリーはわざとらしく笑った。
境界の力――メリーの瞳は、この世のほつれである「結界の境目」を発見することができる。そのせいか、何度かこの世ではない「あちら側の世界」に迷い込んでしまい、夢の中で化け物に追いかけられたことがある。
蓮子からすれば気持ち悪いと同時に、身悶えするほどすばらしくうらやましい力で、当事者のメリーからすると、面白くないとは言わないが、危なっかしくて困ってしまう能力だった。
だいたい、自分で自由に使える能力ではない。いつも偶然、勝手に事件が起きてしまう。
だから、境界を使ってワープするなんてことは、少なくとも現時点では、冗談ごとでしかなかった。
蓮子も笑った。
「なんだ、そのことか……いいのよ。でも、もしできたら、最高だけどね」
「最高?」
「そうよ。最高よ。それに、まあ、できなくったってさ」
「たって?」
「メリーの家に、お泊りするんだから楽しいじゃない。……どう」
「何よ、どう、って」
「こういうことを、言わせたかったんでしょ。満足ですか」
「ん。よろしい」
電車が動き出した。まだ夕方の時間で、夕日がふたりの向こう側の窓から角度をつけて差し込んでいた。メリーはそれを見て、美しいな、と心のなかで言葉にしてみた。そこに意識を向けて、感動してみようと思ったけど、なんだかわざとらしい気がしてやめた。蓮子はまた、本を読みだした。本を読む蓮子と、夕日を見る自分がくっついて座っていて、電車は音を立てて進み、その音と速度から、間違いなく時間がすぎていくのがわかる。その時間が進んでいくことの確かさが、なんだかとても心地良かった。
◆
メリーの家は蓮子の部屋よりも広い。そのぶん家賃も高いのだが、それより立地の影響が大きかった。蓮子の家があるのは学生街で、若者のひとり暮らし向けに街全体がつくられているようである。メリーの家は少し離れた住宅街にあって、これはファミリー向けの一般住宅やマンションが多い。そういうわけで、蓮子はメリーの家に来ると、まず床に大の字になって寝っ転がることにしていた。
「あああああ」
「何があああああか」
「母さんビール」
「ないわよ。まったくもう……緑茶でいい?」
「あい。ごちそうさんです。でもメリー」
「何よ」
「金髪なんだから、紅茶か、ブランデーがよくない?」
「お酒はあとよ。紅茶より緑茶が好き」
台所でメリーがお茶っ葉をがさごそしている間に、蓮子は素早く室内に目付けをし、ある程度場所を特定しておいた。やはり、学習机周りが濃厚だ。というか、まずそこで間違いなかった。
やがてお盆にふたつの湯飲み茶碗ときゅうすを載せて帰ってきたメリーにへこへこと挨拶をし、お茶を飲み、ああだこうだと話をした。スポーツの話をしたし、最近見た映画の話や、読んだ本の話、大学の友だちの話や、授業の話、流行のファッションや食事の話、夜に見える星が、蓮子の生まれたこの国と、メリーの生まれ故郷ではどうちがうのか、という話もした。やがて、メリーがつと席を立った。
蓮子の目が輝いた。
「メリー、どこ行くの」
「え? トイレ」
「うんこ?」
「おしっこよ」
「だめよ。うんこしなさい」
「えぇーどんな筋合いで言われてるのそれ……」
うんこはまだそれほどしたくないから、ひとまず今回はおしっこだけさせてほしい、とメリーは頼んだが、蓮子は「うんこしろ」の一点張りで聞く耳をもたなかった。しかたなく、メリーはいつものようにスマートフォンを持ってトイレに入った。
便座に腰掛けて、ふだんの習慣通りにTwitterクライアントを立ち上げ、「うんこなう」と打ち込んでいると……そのとき、違和感に気づいた。天啓のように、脳裏に閃くものがあった。
(蓮子があんなにも執拗に、うんこをすすめるのはおかしい……何か裏があるのでは?)
その気づきをとっかかりに、メリーは推理をすすめることにした。まず、本日の行動の起点となった、蓮子の家で交わした会話を思い出した。
(うんこが固くて家をなかなか出られず、一限目の講義に遅れてしまう……なにかここに、矛盾があるのでは?)
(そうだ。うんこが固いならうんこをしなければいい……いくら蓮子がうんこ好きの女子大生でも、絶対に毎朝うんこをしなければならないという法はないはず……仮にそんな法律があったとしても、うんこをしないで家を出たことが、そうそうたやすく他人にわかるとは思えないわ。ここまではいいかしら? 落ち着きなさい、私)
(それにうんこは、大学にきてからしてもいいはず。学校のトイレは高い学費で建てられていることもあって、蓮子の家のトイレよりはるかに立派だわ。ウォッシュレットもついているし、音を消す装置もついている。ちゃんと掃除されているからにおわないし、朝一番であれば、トイレットペーパーが切れていることもないわ。なんて完璧なうんこ空間だろう……そうよ、自分の家のトイレでうんこすることを前提として組み立てられている蓮子の議論には、大きな落とし穴がある)
(そう……うんこは口実にすぎない。なにかもっと、別の動機が、目的があるはず……目的? 私の家に来ること?)
(いや、おそらく、それだけではない。あの執拗なうんこ推しから考えるに……何かもっと別の……いや、ストレートに考えましょう。蓮子は私に、うんこをさせたかった)
(私がうんこをすることで、蓮子が得るもの……蓮子は私の習慣をよく知っている。私がうんこするときは、必ずこうして、うんこの実況ツイートをすることを知っている。今まさに、私は、「あ、第一陣出た。でも、途中でちぎれちゃった感じだから、追加部隊を待ちます」とツイートしたところだ。おそらく、蓮子はこのツイートを見ている)
(すなわち、私のうんこ状況を逐一知ることができる……私がトイレから出てきそうなのか、うんうんタイム続行中なのか、手に取るようにわかるということ)
(……家探しには、もってこいの機会よねえ! 蓮子!!!)
「蓮子!」
叫びながら、メリーはトイレを出た。腰をかがめた蓮子の姿が目に入る。蓮子はメリーの学習机の引き出しを開け、何枚かの紙が綴じられた束を、自分のバッグにしまおうとしているところだった。目を大きくして、驚いている。蓮子は思わず自分の携帯の画面を見た。
「ばかな……まだ、お尻拭いてるなうのつぶやきを見ていないわよ」
「フッ、罠を仕掛けさせてもらったわ。とくにツイートしなくてもお尻は拭ける」
「そこに気づくとはやはり天才か……」
メリーはびしっと、片手で蓮子を指さした。そのまま一歩踏み出すと、足首のあたりにかかっていたパンツとスカートが引っかかって、転んで顔面を打ってしまった。
「あたたたたた」
「だ、大丈夫?」
「う、うん」
「メリー、パンツ履きなさい。待っててあげるから」
「うん」
メリーはパンツを履いた。
「さあ蓮子、観念なさい!」
「メリー、スカート履きなさい」
「後回しよ。その手に持ってるのは、私のレポートね」
蓮子は悔しそうな顔をした。自分の企みのすべてを言い当てられて、敗北感に打ちのめされているのだ。
「明日の一限目の授業……寝坊して遅刻して、出席点が心もとない蓮子……レポートの提出期限……すべては、蓮子、あなたの家で交わした会話にヒントがあったわ。そんなにやばいのね。どんだけ眠かったのよ……」
「お願い、メリー、見逃して」
「そうはいかないわ。大学生にとってレポートとは、死神にとっての斬魄刀のようなもの。おいそれと人に貸せるものではありません」
「そこをなんとか。私たちの仲じゃない」
「くどい。ええい、このうんこ娘。おとなしくその手を離しなさい」
下半身を露出したまま、メリーは蓮子に飛びかかった。自分のレポートをとりかえそうと、しゃにむにつかみあって、もつれ合って……転んだ拍子に、メリーが蓮子を押し倒すようなかたちになった。上半身がくっついて、床にある蓮子の顔と、上からかぶさるメリーの顔が重なって……唇が触れ合った。
これがふたりの、ファースト・キッスでした。
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r‐ァ'ヽ、:;:::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
___rノ___>、:;_:::``"'':::ー---─‐'"i
_,,. ‐'' "´  ̄ ̄ ̄ `"'' 、ヽ、:_:::::::ヽ-`''ー- 、::;;________;_;;::イヽ、
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,' ヽr‐'_7__,ハ--─'‐- 、.,/'ー'、ノ:::::ハ::_!_;ヘ:::::::::Yヽ::! ̄::::「´::::::::i
ゝ r‐ァ'´ , i `ヾ!`iヽ:レ'i´r;'ヽ';::::::i:::::::i::::::::::!::::::::::::|
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くY´ i .i ,ァ';-';、 i /,ァ;';ヽ! i r'" "" |::i:::!::::::::::::::::::::::::| お し ま い
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| ノへ,ハ `' `'´ , "",! ,ハ/ ヽ.' ,'::::/!:::::::/:::::ハ:::::::!
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i i ハ ヽ,ヘ ヽ-<´i ', !ノ rア'  ̄ ヽ、ァ' V ''`ヽ. ヽ
ノ ノ (,.ヘ. ヽ! `ヽ! ヽ、___,.>ヽ. / i ',. |
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空間跳躍とは、空間を飛びこえること。ある点Aから、ある点Bまで、通常かかる行程を省略して移動することである。
つまりは、どこでもドアである。蓮子は考えた。メリーの境界パワーで空間跳躍をして、自分の部屋の玄関のドアを開けた瞬間に大学に着くようにできるのではないかと。
「歩いて行きなさい……」
メリーは呆れてしまった。そもそも、蓮子の家は大学から歩いて20分ほどのところにある。大学指定の寮であるといっても通じるような近い位置で、そのぶん狭いが学校へのアクセス的には文句なし。毎日隣の市から電車で通っているメリーからしてみれば、なめたこと言うとケツ穴にわさび塗るぞ、みたいな感じである。
しかし、蓮子には蓮子なりの抜き差しならぬ事情があった。
「最近便秘気味で……」
「野菜を食べなさい」
「朝一番のヘビーショットがなかなか出ないから、ぎりぎりになっちゃうのよ。たとえば明日の一限目だけど、これが出席点をとる」
「ああ、そうね。私もとってる講義だわ。……蓮子が受けてるの、見たことないけど」
「た、たまにはあります。最初のころは、ちゃんと受けてたし……でも、ここ二三回、さっき言った理由ですっぽかしちゃった」
「うんこね」
「うんこよ。それで、明日はぜひ受けたい。レポートの提出もあるしね……これでレポートを出せなかったら、単位を落としちゃうのは間違いないわ。ねえ、メリー、お願い。私を助けて。こんなしょうもない理由で、単位を落としたくないのよ」
「うんこに時間がかかって家を出るのが遅れるので、講義に遅刻してしまう、と」
「そうよ」
「早起きすれば?」
「ハハハ、コイツゥー」
蓮子がとてもよい笑顔で、メリーの額を片手でこつんと叩いたので、メリーはその腕をとってアームロックをかけたい衝動にかられたが、それ以上いけないので我慢した。
完全に人生をなめている発言であるので、とりあわずに帰ってしまってもよかった。でも、メリーは生来のんびりしたタイプなので、馬鹿かこいつはという思いを押し殺し、いちおう少しそのアイデアを検討してみると、またちがった考えが浮かんできた。
境界の力を使って、自宅と大学をつなぐワープゲートを作る。何だか、面白そうではあった。朝の身支度に時間がかかるのは、メリーだって同じだ。はじめに言われたときはとにかく呆れてしまったが、それができるようになれば、自分の生活はものすごく便利になる。
まあ、ほんとにそんなことができれば、の話だが。
お、やる気になりましたか、と蓮子がうれしそうに言うのに、メリーは嫌そうな顔を隠さず、「うるさい、蓮子のうんこ娘!」とだけ返した。
◆
うんこ娘こと蓮子の部屋は狭くて、実験には向かない。ふたりは電車に乗ってメリーの家に移動した(例によって学校帰りに蓮子の部屋でだべっていたのである)。
電車にがたごと揺られながら、メリーは考えをめぐらせていた。蓮子はいわゆる世間一般とは多少ズレたところのある子で、頭が良くて美人なくせに男にモテない。勉強嫌いというわけではないし、男ウケをまったく考えないわけでもないけれど、それよりも、自分の趣味に正直で、そちらのほうに時間を多くかけている。
秘封倶楽部という、今どき流行らないオカルト・サークルを立ち上げ、出会ったばかりのメリーを引っ張りこんだ――というより、メリーとふたりでする活動について対外的に、便宜的に名前をつけたのが「秘封倶楽部」だ。サークルを名乗ってはいるが、メンバーは蓮子とメリーしかおらず、増える予定もない。
だから秘封倶楽部で活動するときは、自然にふたりきりのデートみたいになる。あまり社交的でないメリーにはそれがありがたくもあったし、ちょっとくすぐったくもあった。
蓮子は今、電車の席にメリーと隣り合って座り、手元の本に視線を落としている。ふたりが通う大学の先生である、岡崎夢美教授が書いた本だった。
岡崎教授は若干18歳にして数々の論文を発表しては、アカデミーにセンセーションを巻き起こしてきた天才少女で、すでにその名は伝説となっている。蓮子がこの大学を選んだのも、岡崎教授の講義を受けられるから、というところが第一の理由だったそうだ。
あまりに熱心に本を読んでいるので、メリーはちょっと、話しかけるのをためらった。教授の姿を、メリーは学内で何度か見たことがある。逸話に似合わず、普通の可愛い少女のような外見だった。真っ赤な服を着ていて、派手だけど、それが似合うほどまだ幼い。セーラー服姿の、教授よりもさらに幼い少女と一緒に歩いていて、噂では教授はその少女を手ごめにしているモノホンのガチレズだという……電車が止まった。
まだ、二つ前の駅だった。蓮子は本から顔を上げると、周りをきょろきょろ見回し、窓の向こうのホームの駅名を見て安心し、また本に戻ろうとした。
その隙をついて、メリーは蓮子に話しかけた。
「ねえ、蓮子」
「ん、何? マイスイートメリー」
「いやん。いや、あのね、さっきは勢いで、やってみましょう、なんて言ったけど、自信ないなあ。ごめんね」
と言って、メリーはわざとらしく笑った。
境界の力――メリーの瞳は、この世のほつれである「結界の境目」を発見することができる。そのせいか、何度かこの世ではない「あちら側の世界」に迷い込んでしまい、夢の中で化け物に追いかけられたことがある。
蓮子からすれば気持ち悪いと同時に、身悶えするほどすばらしくうらやましい力で、当事者のメリーからすると、面白くないとは言わないが、危なっかしくて困ってしまう能力だった。
だいたい、自分で自由に使える能力ではない。いつも偶然、勝手に事件が起きてしまう。
だから、境界を使ってワープするなんてことは、少なくとも現時点では、冗談ごとでしかなかった。
蓮子も笑った。
「なんだ、そのことか……いいのよ。でも、もしできたら、最高だけどね」
「最高?」
「そうよ。最高よ。それに、まあ、できなくったってさ」
「たって?」
「メリーの家に、お泊りするんだから楽しいじゃない。……どう」
「何よ、どう、って」
「こういうことを、言わせたかったんでしょ。満足ですか」
「ん。よろしい」
電車が動き出した。まだ夕方の時間で、夕日がふたりの向こう側の窓から角度をつけて差し込んでいた。メリーはそれを見て、美しいな、と心のなかで言葉にしてみた。そこに意識を向けて、感動してみようと思ったけど、なんだかわざとらしい気がしてやめた。蓮子はまた、本を読みだした。本を読む蓮子と、夕日を見る自分がくっついて座っていて、電車は音を立てて進み、その音と速度から、間違いなく時間がすぎていくのがわかる。その時間が進んでいくことの確かさが、なんだかとても心地良かった。
◆
メリーの家は蓮子の部屋よりも広い。そのぶん家賃も高いのだが、それより立地の影響が大きかった。蓮子の家があるのは学生街で、若者のひとり暮らし向けに街全体がつくられているようである。メリーの家は少し離れた住宅街にあって、これはファミリー向けの一般住宅やマンションが多い。そういうわけで、蓮子はメリーの家に来ると、まず床に大の字になって寝っ転がることにしていた。
「あああああ」
「何があああああか」
「母さんビール」
「ないわよ。まったくもう……緑茶でいい?」
「あい。ごちそうさんです。でもメリー」
「何よ」
「金髪なんだから、紅茶か、ブランデーがよくない?」
「お酒はあとよ。紅茶より緑茶が好き」
台所でメリーがお茶っ葉をがさごそしている間に、蓮子は素早く室内に目付けをし、ある程度場所を特定しておいた。やはり、学習机周りが濃厚だ。というか、まずそこで間違いなかった。
やがてお盆にふたつの湯飲み茶碗ときゅうすを載せて帰ってきたメリーにへこへこと挨拶をし、お茶を飲み、ああだこうだと話をした。スポーツの話をしたし、最近見た映画の話や、読んだ本の話、大学の友だちの話や、授業の話、流行のファッションや食事の話、夜に見える星が、蓮子の生まれたこの国と、メリーの生まれ故郷ではどうちがうのか、という話もした。やがて、メリーがつと席を立った。
蓮子の目が輝いた。
「メリー、どこ行くの」
「え? トイレ」
「うんこ?」
「おしっこよ」
「だめよ。うんこしなさい」
「えぇーどんな筋合いで言われてるのそれ……」
うんこはまだそれほどしたくないから、ひとまず今回はおしっこだけさせてほしい、とメリーは頼んだが、蓮子は「うんこしろ」の一点張りで聞く耳をもたなかった。しかたなく、メリーはいつものようにスマートフォンを持ってトイレに入った。
便座に腰掛けて、ふだんの習慣通りにTwitterクライアントを立ち上げ、「うんこなう」と打ち込んでいると……そのとき、違和感に気づいた。天啓のように、脳裏に閃くものがあった。
(蓮子があんなにも執拗に、うんこをすすめるのはおかしい……何か裏があるのでは?)
その気づきをとっかかりに、メリーは推理をすすめることにした。まず、本日の行動の起点となった、蓮子の家で交わした会話を思い出した。
(うんこが固くて家をなかなか出られず、一限目の講義に遅れてしまう……なにかここに、矛盾があるのでは?)
(そうだ。うんこが固いならうんこをしなければいい……いくら蓮子がうんこ好きの女子大生でも、絶対に毎朝うんこをしなければならないという法はないはず……仮にそんな法律があったとしても、うんこをしないで家を出たことが、そうそうたやすく他人にわかるとは思えないわ。ここまではいいかしら? 落ち着きなさい、私)
(それにうんこは、大学にきてからしてもいいはず。学校のトイレは高い学費で建てられていることもあって、蓮子の家のトイレよりはるかに立派だわ。ウォッシュレットもついているし、音を消す装置もついている。ちゃんと掃除されているからにおわないし、朝一番であれば、トイレットペーパーが切れていることもないわ。なんて完璧なうんこ空間だろう……そうよ、自分の家のトイレでうんこすることを前提として組み立てられている蓮子の議論には、大きな落とし穴がある)
(そう……うんこは口実にすぎない。なにかもっと、別の動機が、目的があるはず……目的? 私の家に来ること?)
(いや、おそらく、それだけではない。あの執拗なうんこ推しから考えるに……何かもっと別の……いや、ストレートに考えましょう。蓮子は私に、うんこをさせたかった)
(私がうんこをすることで、蓮子が得るもの……蓮子は私の習慣をよく知っている。私がうんこするときは、必ずこうして、うんこの実況ツイートをすることを知っている。今まさに、私は、「あ、第一陣出た。でも、途中でちぎれちゃった感じだから、追加部隊を待ちます」とツイートしたところだ。おそらく、蓮子はこのツイートを見ている)
(すなわち、私のうんこ状況を逐一知ることができる……私がトイレから出てきそうなのか、うんうんタイム続行中なのか、手に取るようにわかるということ)
(……家探しには、もってこいの機会よねえ! 蓮子!!!)
「蓮子!」
叫びながら、メリーはトイレを出た。腰をかがめた蓮子の姿が目に入る。蓮子はメリーの学習机の引き出しを開け、何枚かの紙が綴じられた束を、自分のバッグにしまおうとしているところだった。目を大きくして、驚いている。蓮子は思わず自分の携帯の画面を見た。
「ばかな……まだ、お尻拭いてるなうのつぶやきを見ていないわよ」
「フッ、罠を仕掛けさせてもらったわ。とくにツイートしなくてもお尻は拭ける」
「そこに気づくとはやはり天才か……」
メリーはびしっと、片手で蓮子を指さした。そのまま一歩踏み出すと、足首のあたりにかかっていたパンツとスカートが引っかかって、転んで顔面を打ってしまった。
「あたたたたた」
「だ、大丈夫?」
「う、うん」
「メリー、パンツ履きなさい。待っててあげるから」
「うん」
メリーはパンツを履いた。
「さあ蓮子、観念なさい!」
「メリー、スカート履きなさい」
「後回しよ。その手に持ってるのは、私のレポートね」
蓮子は悔しそうな顔をした。自分の企みのすべてを言い当てられて、敗北感に打ちのめされているのだ。
「明日の一限目の授業……寝坊して遅刻して、出席点が心もとない蓮子……レポートの提出期限……すべては、蓮子、あなたの家で交わした会話にヒントがあったわ。そんなにやばいのね。どんだけ眠かったのよ……」
「お願い、メリー、見逃して」
「そうはいかないわ。大学生にとってレポートとは、死神にとっての斬魄刀のようなもの。おいそれと人に貸せるものではありません」
「そこをなんとか。私たちの仲じゃない」
「くどい。ええい、このうんこ娘。おとなしくその手を離しなさい」
下半身を露出したまま、メリーは蓮子に飛びかかった。自分のレポートをとりかえそうと、しゃにむにつかみあって、もつれ合って……転んだ拍子に、メリーが蓮子を押し倒すようなかたちになった。上半身がくっついて、床にある蓮子の顔と、上からかぶさるメリーの顔が重なって……唇が触れ合った。
これがふたりの、ファースト・キッスでした。
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トイレに転移させられるんじゃないだろうか、だからトイレいかなくてもすむんじゃない?
みたいなことは誰でも一度は考えますよね!
でも油断すると隙間から雑菌とか体内に流入するからその防御結界をはらなきゃいけないとか、
あるいは空気が体内に流入しないようよほどジャストなタイミングで亜空間口を開閉しなきゃいけないとかでで
やってみると以外に大変そうですよね。
きっすすきすきっす
のに笑ってしまうwwww
/ ::::::::::::::::\ つ
. | ,,-‐‐ ‐‐-、 .:::| わ
| 、_(o)_,: _(o)_, :::|ぁぁ
. | ::< .::|あぁ
\ /( [三] )ヽ ::/ああ
/`ー‐--‐‐―´\ぁあ
(つд⊂)ゴシゴシ
(;゚ Д゚)
可愛い蓮メリちゅっちゅだと思ったらうんこだった
いや、でもこれは確かに蓮メリちゅっちゅに違いない
なんだこれは
……うんこ娘(wwww
女子大生が不特定多数に向けて発信する言葉じゃねぇwwww
設備が立派でも他者の存在という可能性によってうんこ空間という完全なる自己認識の世界を脅かされかねないという点を考慮しているのだろうか?
その場にいるもの同士同じ世界を認識し、意識を共有する連れションとは異なり、性的な目的以外で連れうんによって互いの認識や世界を共有する機会は一般的に存在しない点から鑑みるに、うんこタイムは他者との意識の共有に適さない、あるいは他者を拒絶するという要素が強いと考えることができるのではないだろうか。
そういった点から考えれば必ずしも学校のトイレが完璧なうんこ空間だとは言いがたいのではないだろうか?
作者とのうんこ空間に対する認識には疑問を持たずにはいられず、評価としては大幅な減点とせざるを得ない。