「好きな人が出来ました」
そんなフランドールの言葉を聞いた瞬間、レミリア・スカーレットは桂文枝(六代目)の如く椅子からずり落ちた。そして、凄い体勢になりながらも、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で、こう呟く。
「マ、マジで?」
「うん。まじまじ」
それは全くもって、青天の霹靂だった。
三日に一度は部屋から出るようになったし、一週間に一度は外出をするようになったとは言え、フランドール・スカーレットという吸血鬼は、引き篭もり系女子である。そんな一切の出会いを拒絶しているフランが、相手も居ないのに、どうやって恋など出来るというのだろうか。
「どうやって、どのようにして恋したの!」
「え? 普通に出会って、それで……」
「出会ってって、何処で!」
「ウチだよ」
その言葉に、レミリアは全力で衝撃を受けた。
まさか我が家たる紅魔館で、そのような破廉恥な行為が行われていたなんて。
古くから住んでいる慣れ親しんだ我が家にて、フランは『ボンジュール』とか『スパシーボ』みたいな愛の言葉を交わしたりしたのか。
「なんという……なんて事だ」
レミリアは椅子を這い上がりながらも、頭を抱える。
地下に監禁してまで大切に育てていた純真無垢な箱入り妹が、慮外者の毒牙にかかってしまったのである。その衝撃たるや、相当なものが有るだろう。
「本当に、素敵なんだよ」
夢見る乙女という調子で、フランが語る。
それは、まさに恋に恋をする乙女であり、そうして浮かれる妹の姿を見たレミリアは、バナナをとられたサルみたいな顔をした。
だが、そんな姉の心を知らずにフランは続ける。
「まずね。とっても濃厚なの」
「の、濃厚!」
いきなり何を言い出すのだろうか。
レミリアは、息を呑む。
濃厚って、それは限りなく十八禁に近い領域ではないか。しかも、主語がないから、何が濃厚なのかが特定できず、どの辺りが濃厚なのかと更なる想像を呼び起こしてしまう。
「それで麺は細麺で」
「ホ、ホソメン!?」
それはイケメンとか、ブサメンの派生系か。
「それで、とってもいい匂いがして」
「に、匂いって!」
そこまで接近しちゃったりするのか。
ちょっとそれは、千歳未満の未成年吸血鬼には刺激が強すぎる行為じゃないか。こんな幼いフランが、そんな事までしてしまったら、幻想郷児童健全育成条例に違反してしまうではないか。
「でね。とっても素敵なんだよ。とんこつラーメンって」
それがフランドールの恋の相手なのか。
そんな物が、この紅魔館に侵入し、大切な妹を汚していたのか。
レミリアの心にとんこつラーメンという八文字が、悔恨や憎悪と共に刻まれた。
償わせなければならない。
妹を傷物にした報いを受けさせなければいけない。
かくして、レミリア・スカーレットはとんこつラーメンへの復讐を決意したのであった。
登場人物紹介
レミリア・スカーレット…………紅魔館の女主人。誰からも慕われるカリスマ溢れる大人物であるが、妹がとんこつラーメンの餌食になったことによって、とんこつラーメンへの憎悪に狂う復讐鬼となる。
フランドール・スカーレット……レミリアの可憐な妹。とんこつラーメンに心を奪われてしまう悲劇の乙女。
十六夜咲夜…………………………レミリアの信頼厚い紅魔館のメイド長。とんこつラーメンに利用されてしまう。
パチュリー・ノーレッジ…………紅魔館に住むレミリアの友人。知恵者であり、あまりコッテリしたのは好きではなかった事から、とんこつラーメンの魔の手を逃れた。
紅美鈴………………………………紅魔館の門番。とんこつラーメンの最初の犠牲者。
小悪魔………………………………大図書館の司書。フランドールと共にとんこつラーメンの虜となる。
妖精メイド…………………………紅魔館のメイド達。たまに箒を持ってみたり、窓を拭く真似をしたりする。一部がとんこつラーメンを熱烈に支持。
桂文枝(六代目)……………………落語家。元桂三枝であり、上方落語の重鎮。関東では『新婚さんいらっしゃい!』でよく知られる。
ムサシ・ミヤモト…………………東の国のソードマスター。戦国時代末期にて、生涯不敗の伝説を残した武芸者。なお、ミヤモト・マサシとの関連は不明。
オスカー・ワイルド…………………アイルランド出身の作家。本名はオスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド。ホモと言われているが、実際には両刀使い。
ラーメン……………………………空飛ぶスパゲッティモンスター教の祈りの言葉。あるいは、中華麺を使った日本料理。
ラーメンマン………………………中国出身の残虐超人。キャメルクラッチや九龍城落地(ガウロンセンドロップ)をフィニッシュホールドとした。その人気は圧倒的で、スピンオフの『闘将!!拉麺男』においては主人公を務める。
ウォーズマン………………………今は無きソ連出身のロボ超人。ベアクローによる残虐ファイトによって、ラーメンマンを初めとする数々の超人たちを血の海に沈めたが、キン肉マンとのファイトで友情に目覚める。
鶏白湯ラーメン……………………鶏がらをベースとしたラーメン。とんこつラーメンと同じ白湯系ラーメンで、とんこつの影に隠れながらも、着実に勢力を伸ばしつつある。
とんこつラーメン…………………博多ラーメンがもっとも有名。とんこつスープと細麺が魅力の美味しいラーメンで、ご当地ラーメンブームにて一時代を築く。
のぼせ上がったフランドールと別れ、レミリア・スカーレットは紅魔館地下大図書館へと向かった。妹の思い人であると言う『とんこつラーメン』についての情報を集める為である。
「パチュリー、とんこつラーメンとは何者だ!」
「博多出身のラーメンよ。そもそもとんこつラーメンは一種の異名で、実際は博多ラーメンと呼ばれる事が多いわ」
打てば響くように、パチュリーはすらすらと答えた。
流石は紅魔館の知恵袋である。レミリアの質問に先んじて、これほどの情報を集めておくとは、まさに神算鬼謀としか言いようが無い。
だが、そんなパチュリーの答えにも、ひとつ画竜点睛を欠いている部分がある。
「……ハカタってどこ?」
博多という土地についての説明が無いのだ。
レミリアは、とんこつラーメンの出身地であるハカタとかいう土地を知らない。この欧州生まれの吸血鬼は日本の都市名など殆ど知らなくて、キョウトやトウキョウ、それにオーサカくらいしか覚えていない。
すると、流石はパチュリー・ノーレッジ。即座に博多についての解説を始める。
「古くは九州は筑前国の事よ。西海道に位置し、日宋貿易を初めとして、当時の中国や琉球王朝、それに東南アジアとも貿易を行っていた、日本有数の貿易都市ね」
「へぇ、貿易都市ねぇ。つまり、ドゥブロヴニクとかハンブルグみたいな土地という認識でいいのかな?」
「似たようなモノね。貿易によって経済を回し、商人が強い力を持つ。そんな向こうの自由都市と同じよ」
「成程」
それでようやく、レミリアはとんこつラーメンの背景や氏素性を理解する。
つまり、とんこつラーメンというのは異名や二つ名の類であり、本名は出身地にあわせて博多ラーメンというらしい。
これは、日本における伝説のソードマスター、ムサシ・ミヤモトの出身地がミヤモトヴィレッジであると事と全く同じだ。この国の人間は、遊牧民族や狩猟採取民族と違って、地縁を極めて重視する。だから、こうして土地の名を名乗る事が一般的なのである。
そして、貿易都市出身という事は、かなり社交的な性格だろう。つまり、手足よりも口で勝負するタイプで、オスカー・ワイルドみたいな軽薄でいけ好かない奴に違いない。
「だったら、パチェ。そのハカタのとんこつとやらが、どうして紅魔館の敷居を跨いだんだ!」
「そりゃ、あれだ。確か、美鈴が食べたいとか言ったのよ」
「た、食べたいって………………そ、そんな事を美鈴は言ったの!?」
なんというダイレクトな破廉恥発言だろう。
流石は、本能に根ざすことであれば、他の文化では及びも付かぬ領域へと足を踏み入れるという中華の妖怪である。
淑女となるべく育てられたレミリアには想像も付かないほどの肉食系な発言に、幼いデーモンロードは、しどろもどろになってしまう。
「そ、そ、そんな事、しちゃったんだ」
「ま、私は食べなかったけどさ。ああいうコッテリしたの苦手だし」
「そ、そうなんだ」
「ただ、その時、フランや小悪魔が美味しそうとか言って」
「お、美味しそう!?」
「美鈴に分けてもらって、一緒に食べてたわね」
「一緒に…………」
食べたのか。
仲良く分け合って、食べちゃったのか。
いつの間に、この紅魔館はそんな進んだ事になっていたのだろうか。
我が妹ながら、とんでもない肉食系だと、レミリア・スカーレットは絶句する。
レミリアが知らぬ間に、紅魔館がこれほどとんこつラーメンの侵食を受けていたなんて……フランだけではなく、美鈴や小悪魔もとんこつラーメンの餌食になっていたとは、流石のレミリア・スカーレットも完全に予想外だった。
しかも、それは本来、紅魔館を悪漢から守るはずの美鈴によって、引き起こされたことらしい。泥棒に入るときは番犬を手懐けろという盗人の知恵があるらしいが、この事態はまさにそれだ。
「美鈴は何処だ!」
外患を招き入れた番犬に詳しい話を聞くべく、レミリアは門番の場所を問いただした。
「門でしょ。門番だし」
「それもそうか! 分かった! 行ってくる!」
「はい。いってらっしゃい」
そして扉を開けるのももどかしいとばかりにドアをぶち破って、レミリアは紅魔館正門へと直行した。
「美鈴! とんこつラーメンは何処だ!」
鬼のような形相でレミリアが叫ぶと、対する美鈴はなんとも嬉しそうな顔をする。
「あ、お嬢様知っているんですか。いやぁ、お耳が早いですね」
「うん? 何をわけの分からない事を言っている! それよりも、早くとんこつラーメンが何処にいるのかを言え!」
「そんなに慌てなくとも大丈夫ですよ。ちゃんと夕食時になれば、咲夜さんがお出しする事になっていますから」
「……さ、咲夜が、だとッ!?」
「はい、咲夜さんが」
その言葉を聞いて、レミリアは耳を疑った。
まさか、腹心中の腹心であるメイド長の十六夜咲夜までが、この一連のとんこつラーメン騒動に関わっていたとは。
「ままままま、まさか、咲夜も……」
「そうですねー。咲夜さんもとんこつラーメンが好きみたいです。こういう濃厚なのは苦手じゃないかって思っていたんですが、意外ですよね。食卓に出す前、ちょっとつまみ食いをしたら、とても美味しかったと言ってましたし」
「……つ、つまみ食い」
レミリア・スカーレットは我が耳を疑った。
だが、五感が鋭敏である吸血鬼が、聞き違いなどするはずも無い。
咲夜は、意外と濃厚なのが好きであるらしい。
しかも、美鈴に出す前に、つまみ食いをしてしまったのだという。
何という事だ。
なんという昼ドラ展開。
レミリアは、咲夜がつまみ食いをしてしまっている場面を思い描いて、顔を真っ赤にさせてしまう。
咲夜とレミリアの付き合いは、時間にするとそこまで長いモノではない。何百年と生きる吸血鬼と、百年で死んでしまう人間だ。どうしたって、ずっと一緒に居られない。
けれど。
だけれども。
その信頼関係は、過ごした時間とは関係なく、とても強靭なモノであると確信していた。
それなのに、咲夜はレミリアの知らないところで、とんこつラーメンの毒牙にかかっていたという。否、自分からつまみ食いにいっていたらしい。しかも、美味しかったとか言っていたのだ。
――目眩がした。
まるで、自身の足元が崩れ去ったような錯覚にレミリアは陥る。
それは、まるで、レミリアの築き上げてきた全てが壊れて――
「まだだ!」
レミリア・スカーレットは自身を叱咤するような叫び声を上げる。
まだ、紅魔館は壊れきってない。
まだ、間に合う筈なのだ。
たかが、とんこつラーメンに壊されてしまうほど、紅魔館はやわではない。
「それで、咲夜ととんこつラーメンは何処だ! 何処にいる!」
「あ、待ちきれないんですか?」
そんな必死なレミリアに対して、美鈴は何とも腑抜けた表情で対応する。
誇りある紅魔館の門番をここまで骨抜きにするとは、とんこつラーメンとはそれほどのモノなのだろうか。
美鈴も、咲夜も、フランだって、身内の贔屓目を除いても、強い心を持ったひとかどの人物である。それをここまで惚けさせるのだから、とんこつラーメンの人たらしぶりは、尋常なモノではない。
実際、それは相当な物なのだろう。
レミリアの心の内に、とんこつラーメンへの恐れが芽生え始めていた。
肉体の闘いであれば、そうそう負けるつもりは無い。大抵のモノに打ち勝つだけの資質をレミリア・スカーレットという吸血鬼は兼ね備えている。
しかし、精神の領域においては――
どれほど肉を鍛えようとも、能力を研ぎ澄まそうとも、心を鍛えるのは尋常な事ではない。形のないものを鍛えるのは、とても難しい事なのだ。
そして、とんこつラーメンは、その心を攻める敵らしい。
もしかしたら、それはレミリア・スカーレットが幻想郷に来て以来、最悪の敵であるのかもしれない。
レミリア・スカーレットは僅かに怯む。
しかし――
「ああ、待ちきれないな。夜を待たず決着を付ける!」
ここで退く事など、できなかった。
それは今まで築いてきた全てを諦めるという事だ。そんな事、到底容認できるものではない。
「そうですかー。出来れば、私たちの分も残しておいて欲しいんですが……」
「それは無理な相談だよ。これは紅魔館の主としての急務だからな」
「はぁ、まあ、それなら仕方ないのかもしれませんね」
「で、咲夜ととんこつラーメンは、何処にいる!」
「さっき、お買い物から帰ってきてたので、きっと厨房に居ると思いますが」
「良し、分かった!」
即座に、レミリアは厨房に飛んだ。
厨房へ向かう道すがら、お喋りをしている妖精メイド達の声が聞こえてくる。
「今日はとんこつラーメンなんだって」
「やったっ。私、アレ好きー」
「えー、私は濃厚すぎてちょっとなー」
「何言っているのよ。あのドロっとしているのが良いんじゃない」
どうやらメイド達の間にまで、とんこつラーメンは浸透してしまっているらしい。
やはり、とんこつラーメンは恐ろしい相手だ。
湧き上がる恐怖をねじ伏せながら、レミリア・スカーレットは厨房に飛び込んだ。
「咲夜! とんこつラーメンは何処だ!」
「はい。もう少しで出来ますわ」
大きな鍋でスープをコトコト煮込みながら、十六夜咲夜は返答する。その手に持っている菜箸の指す方向には、大きな鍋とそこから突き出た豚骨が垣間見える。
「今日は、里の肉屋で豚骨をいっぱい頂きましたから、沢山のとんこつラーメンが作れますよ」
しばし、レミリアは沈思黙考。
「とんこつラーメンってラーメンか!」
「はい、ラーメンです」
ようやく得心が行ったレミリアに対し、咲夜はなんだか楽しそうに頷くのだった。
○
かくして、その日の晩餐は、とんこつラーメンとなった。
「ああ、いとしいひと! 早く、早く、早く私のお腹におさまってくれないかな!」
厨房から漂ってくる素晴らしい匂いを嗅ぎながら、フランドールは歓声を上げる。
つい先日、生まれて初めてとんこつラーメンを食べて以来、彼女はとんこつラーメンの虜となって、今日という日を心待ちにしていた。豚骨の濃厚なスープは、血を常食とする吸血鬼の舌にはぴったりで、それこそ恋に落ちたとも形容できるほど、吸血鬼の少女は濃厚な豚骨スープを愛してしまったのである。
「妹様は、本当にとんこつラーメンがお好きなんですね」
そんなフランドールがほほえましいのか、なんともほっこりした顔で紅美鈴が言う。
そんな美鈴もなかなかどうして、待ち遠しそうな様子である。麺の本場である中国で、様々な麺類を食べてきた紅美鈴だが、日本式ラーメンも大好きで、その中でもとんこつラーメンはお気に入りなのだ。
そうしてフランと美鈴が二人で、とんこつラーメンが来るのを心待ちにしていると、パタパタという誰かが駆ける音が聞こえて来て、食堂のドアが開く。
「と、とんこつラーメンはまだ来てませんよね!」
それはフランと一緒にとんこつラーメンを食べて、同じようにハマった小悪魔だった。
魔界出身で味の濃いこってりした料理が好きな彼女は、とんこつラーメンを高く評価している。だから熱々のとんこつラーメンを食べる為に司書仕事を急いで終わらせ、この食堂に直行してきたのである。
「まだかなー」
「たのしみだよねー」
「ねー」
その上、とんこつラーメン好きのメイド達まで集まってきて、食堂は過密状態になってきた。誰も彼もが楽しげに、今から来るであろうとんこつラーメンを待ち望んでいた。
たった一人の例外を除いて。
「私は、さっぱりした塩ラーメンとか、ワンタンメンとか、そういうのが良いんだけどね」
その例外は、パチュリー・ノーレッジだった。
濃厚なのはちょっと苦手な彼女は、とりあえず食堂には来たものの、とんこつラーメン自体に興味は無く、その無関心さを示すように食堂の隅に座っている。
そうしてとんこつを待ち望む人々プラス無関心な魔法使いが食堂にてたむろしていると、厨房より十六夜咲夜の声がした。
「お待たせしました妹様。とんこつラーメンの登場です!」
そして、十六夜咲夜に連れられて現れたのは、ダブルのスーツを華麗に着こなしたシンプルな柄の無い白のどんぶりであった。
そのどんぶりから漂ってくるのは、濃厚なとんこつの匂い。どんぶりから覗くスープの色は、当然のように白濁したスープ。つまり、間違いなくとんこつベースという、どこから見てもとんこつラーメンという御仁である。
それは小粋にステッキをくるりと振り回すと、華麗に自己紹介をした。
「どうも、とんこつラーメンです」
これは、もう間違いない。
本人が言っている以上、これは間違いなくとんこつラーメンだ。
「待ってたよ! とんこつラーメン!」
「ははは、まさかこんなに歓迎されるとは、一杯のラーメンとして、嬉しく思います」
待ってましたと抱きつくフランドールを、とんこつラーメンは一滴のスープも零さずにしっかりと受け止めた。ゼラチンがたっぷりと入った濃厚スープは、これぐらいではびくともしないのだ。
「ずっと待ってたんだよ。ホラ、早く食べさせて!」
「ははは、そんなに急がなくても大丈夫ですよ。私のスープは濃厚コッテリ、ゼラチンたっぷりですから、そう簡単には冷めません。最後まで、アッツアツです」
そうして、少し入れ込みすぎになっているフランをとんこつラーメンは嗜めた。
そして、嘗め回すように食堂に集まった女性陣を見る。
最初にとんこつラーメンを紅魔館へと導き入れた美鈴、フランと一緒にとんこつラーメンにハマッた小悪魔、それにコッテリしたのも嫌いではない咲夜など、紅魔館の女性のほぼ全てが、とんこつラーメンに熱い視線を注いでいる。
「本当にとんこつラーメンは美味しそうですよねぇ」
「でしょう。頑張って作ったのよ」
「ああ、涎が出てきますよ」
「美味しそうだねぇ」
「ねー」
誰も彼もがとんこつラーメンに夢中で、食堂は異様な熱気に包まれている。
だが、とんこつラーメンが人々の耳目を集める中、無関心を貫くものがいた。
さっぱり好きな魔法使い、パチュリー・ノーレッジだ。
彼女は、入ってきたとんこつラーメンを一顧だにせず、黙々と本を読みながら、付け合わせとして用意された塩キャベツをつまんでいる。
「パチュリーさんは、私にご関心がないようですね」
そんな魔法使いに、とんこつラーメンは一歩近付いた。
「コッテリしたのは嫌いなの」
対するパチュリーのすげない答え。
だが、とんこつラーメンは執拗に食い下がった。
「ですが、今日の夕餉は私だけですぞ。このままでは、貴方は夕食抜きになってしまう」
「塩キャベツを食べてるから平気」
「けれど、それではお腹一杯にはならないでしょう」
「小食なのよ。それに、貴方みたいな濃厚なのを食べたら、体調を崩しかねないし、美容にも悪いわ」
そう言って、コッテリ嫌いの魔法使いはとんこつラーメンを完全に拒絶しようとする。
だが、とんこつラーメンはニタリと笑った。
「……それは心外ですね。私はコラーゲンたっぷりで美容に良いのですよ」
「そ、そうなの?」
「はい。沢山のコラーゲンで、お肌なんかツルツルになります」
「……そう、なんだ」
「ええ、だから、一口ぐらい食べてみたらどうですか」
「……んー、まあ、確かに一口ぐらいだったら良いかもね」
パチュリー・ノーレッジも、美容に良いという一言には弱かったのか、ついに頷いてしまった。
そうして、魔法使いが一口食べる事を了承した瞬間、とんこつラーメンは『しめた』という顔をする。
なぜなら、パチュリー・ノーレッジを陥落せしめれば、とんこつラーメンは紅魔館のほぼ全てを手中に収めたも同然であるからだ。
当主のレミリア・スカーレットは未だにとんこつラーメンの魅力を知らず、今回の晩餐にも姿を現していない。だが、彼女の妹御であるフランドールは既にとんこつラーメンの虜となっている。当主レミリアと同じ環境で育ち、同じ味で育ってきたフランが、こうも呆気なくとんこつラーメンに転んだ以上、スカーレット一族ととんこつの相性は抜群である事は明白である。なれば、レミリア・スカーレットを堕とす事など赤子の手を捻るよりも容易いという公式も成り立つ事だろう。
紅魔館の紅い悪魔も、このとんこつスープの濃厚な匂いでも嗅がせてやれば、呆気なく陥落してしまうに違いないのだ。
「ぐふふ」
とんこつラーメンは、汚い笑みを浮かべた。
紅魔館征服を目前にし、つい笑いが込みあげててきしまったのだろう。
かつて、外の世界で巻き起こったご当地ラーメンブームにおいて、他のラーメンを駆逐して、全てをとんこつ色に染め上げたのが、このとんこつラーメンである。東京も、横浜も、京都も、尾道も、札幌ラーメンですら、とんこつラーメン、つまりは博多ラーメンほどの勢力圏を獲得する事は出来なかった。
それほどまでに、博多ラーメンは強い勢力を保っていた。このラーメンは、ご当地ラーメン界の覇者なのである。
「けれど、まだまだ足りませんね」
そして、そんな覇道を歩んできたとんこつラーメンだからこそ、紅魔館一つでは満足出来なかった。
このラーメンは貪欲にも、紅魔館を足がかりとして、幻想郷全土にとんこつラーメン旋風を吹かせようという、気宇壮大な計画を企んでいたのである。
それが、幻想郷の料理を全てとんこつラーメンにしてしまおうという『幻想郷博多化計画』である。かつて頂点を取ったラーメンであるからこそ、とんこつラーメンの胸中には、熱いスープが如き激烈な野心が燃え盛っていたのだ。
そんな野望の橋頭堡を築くべく、とんこつラーメンはパチュリーに、その濃厚なスープを差し出した。
「ほうら、美味しいですよ」
「う、うん」
白く濁ったとんこつスープは本当に美味しそうで、コッテリ嫌いのパチュリーでも、つい口を開けてしまう。
その刹那――
「そこまでだ!」
真紅の弾幕が、とんこつスープの入ったレンゲを吹き飛ばした。
「な、何ですか! 何事です!」
とんこつラーメンが慌てて声を上げて、弾幕の飛んできた方を見る。
「お、お姉様!」
すると其処には、可憐にしてカリスマ溢れる吸血鬼の姿があった。
月光が如き冴え冴えとした銀髪、夜の闇のような漆黒の翼、そして紅い悪魔の異名に相応しき真紅の瞳。それは、間違いなく紅魔館当主であるレミリア・スカーレットその人だ。
「貴様の浅薄な企みは、このレミリア・スカーレットが全てまるっとお見通しだ!」
レミリア・スカーレットはそう言い放つと、とんこつラーメンを睨みつける。
この紅魔館を食い物にしようと言うとんこつラーメンの悪事を、レミリアは完全に見通していたのである。
「お、おのれ!」
だが、対するとんこつラーメンも、ラーメン界の覇王を自認するラーメンだ。まるで麺を湯切りするかのような素早い動きで、とんこつラーメンは呆然としていたフランドールを羽交い絞めにすると、レミリアを睨みつけて叫ぶ。
「動くな! もしも、少しでも動いてみなさい! 動いた瞬間に、この小さな口に熱々の細麺を捻じ込みますぞ!」
「お、お姉様!」
なんという卑劣な所業だろうか。
追い詰められたとんこつラーメンは、火傷しそうなほど熱々の細麺をフランの小さな口に突きつけて、脅迫してきたのだ。
「なんという事を!」
「い、妹様! とんこつラーメンさん、妹様を離して下さい!」
それまで呆気にとられていた咲夜や美鈴も、ようやく事態を把握して非難の声を上げた。
しかし、とんこつラーメンはフランを解放する様子は無く、それどころか、紳士然とした態度をかなぐり捨てて、汚い笑みを浮かべながら、傲然と見下す。
「ぐふふふ、放せといわれて放す馬鹿がどこに居りますか。そもそも、お前らは、既に私のとんこつスープで骨抜きになっていて、何をする事も出来ない! その上、そこの吸血鬼と魔法使いに我が白濁したスープを飲ませれば、紅魔館を制圧できるというのに、ここで放すわけがないでしょう!」
極めて卑劣な所業であるが、とんこつラーメンの言は正しい。
とんこつラーメンによる制圧力は圧倒的で、彼女らは骨抜きにされて、完全に無力化されてしまっている。咲夜や美鈴、それに人質になっているフランも、とんこつの魔力にやられてしまい、能力を使うことも出来ないのだ。
その上、とんこつラーメンは人質を取っている。
現状は、とんこつラーメンが優位だ。
「さあ、レミリア・スカーレット! 妹が大切だというのなら、私のとんこつスープを! 白く濁った私の濃厚スープを飲め! 飲むのだ!」
まるで王手を宣告するかのように、とんこつラーメンがレミリア・スカーレットに降伏を迫る。
だが、対する紅魔館当主は何の反応も見せない。
その顔には、一切の動揺すらなく、ただ、豚を見る目つきでとんこつラーメンを冷たく見下すだけだ。
「な、なんだ。私は本気だぞ! この口に麺を捻じ込むぞ! それなのに、どうして私のとんこつスープに平伏さない!」
とんこつの軍門に下る様子を見せないレミリアに、とんこつラーメンは焦りを見せる。
優位であるはずなのだ。
とんこつスープで、紅魔館の面々のほぼ全て骨抜きにしている。
あとは、たった二人にスープを飲ませてやれば良い。
それなのに、レミリア・スカーレットが下る気配は、全く無い。
フランの口元に熱い麺を突きつけているという絶対的優位に有りながら、とんこつラーメンは追い詰められていた。
まるで永遠のような沈黙。
その重い沈黙を破り、レミリアが口を開いた。
「もう勝負は付いている」
「な、なにっ!」
「厨房でお前が出来上がっていくのを目撃し、私はそこでようやくお前がラーメンである事を認識した。我が紅魔館を侵略する者が、ラーメンであると初めて知った。だから、用意をしていたのだよ」
「なんだと、まさか……」
「この時の為に、ラーメンの天敵を、ラーメンを狩る運命を背負った超人を、幻想郷に呼び寄せておいたのさ!」
その声と共に、一人のロボ超人が紅魔館の食堂に現れる。
「コーホー」
その超人は、黒かった。
顔も、胴体も、タイツさえ、全ては黒で統一され、死神と呼ぶに相応しい姿をしていた。
彼は、無機質な呼吸音を繰り返しながら、両手の甲より鋭い爪を出し、死刑宣告をするように、その切っ先をとんこつラーメンに突きつける。
「ひ、ひぃぃっ」
それだけで、趨勢は決してしまった。
黒い超人に爪の切っ先を突きつけられた瞬間、とんこつラーメンは真っ青になって、フランドールを放り出して、逃げ出してしまったからだ。
「大丈夫か。フランドール」
放り出されたフランをレミリアが抱き起こす。
だが、姉に助けられながらも、フランの視線は唐突に現れたロボ超人に注がれていた。
「お、お姉様。あの人は……」
「うん? 彼か。彼は、あのウォーズマンだよ」
それが、黒いロボ超人の名であった。
第二十一回超人オリンピックに彗星の如く現れ、アイドル超人軍団の一員として活躍したファイティング・コンピューターの異名を持つ超人。そのウォーズマンこそが、対とんこつラーメン用の切り札だった。
「た、助けてくれ!」
その効果はてき面で、とんこつラーメンはただひたすらに遁走する。
それは、ラーメン達にとってウォーズマンは、まさに天敵と呼ぶに相応しい存在であるからだ。かのラーメンマンでさえ、金網デスマッチにおいてウォーズマンのベアクローで頭部を抉られて植物状態になってしまい、復帰後も金網恐怖症に悩まされた。ラーメン達にとってウォーズマンは、まさに死神と同義なのである。
だから、とんこつラーメンは、それまで一滴も零さなかったスープを撒き散らしながら、必死に逃げた。
「く、来るな! 私に近付くなああああああっ!」
けれど、ファイティングコンピューターの異名をとるウォーズマンが、みすみすラーメンを逃がすはずも無い。
「百万パワー+百万パワーで二百万パワー!!いつもの二倍のジャンプが加わって二百万×二の四百万パワーっ!!そしていつもの三倍の回転をくわえれば四百万×三の……とんこつラーメン、おまえを上回る千二百万パワーだーっ!!」
「グエ――ッ!!」
光の矢となったウォーズマンが、とんこつラーメンを貫いた。
こうして、一人のとんこつラーメンが企んだ『幻想郷博多化計画』は潰えたのである。
○
それから、しばらくして。
ようやく紅魔館は正常に戻ろうとしていた。
とんこつラーメンの虜になった者たちはしばらく静養する事で、体からとんこつスープの成分を抜くことに成功し、禁断症状に悩まされることも無くなった。特に禁断症状の酷かったフランドールも、今ではすっかり元気になって、毎日引き篭もりが出来るまでに回復している。
そうして、事件が風化されようとしている最中、事後調査をしていたパチュリーが、夜食を食べていたレミリアの前に現れた。
「あのとんこつラーメンの正体が分かったわ」
「……正体って、そんなご大層なものがあったの?」
「まあ、それなりにはね。それに、せっかく色々と調べたんだから、聞いてくれてもバチは当たらないでしょう」
そう前置きをすると、魔法使いは先に出現したとんこつラーメンについて話し出した。
「あのラーメンは、あくまで『とんこつラーメン』であって、博多ラーメンじゃなかったのよ」
「どういうこと?」
「そもそも、外の世界では博多ラーメンは未だに現役なの。つまり、博多ラーメンが幻想郷に居るわけはない」
「なら、アレは偽者か?」
「偽者というのとは、少し違うわね」
そもそもとんこつラーメンと博多ラーメンはイコールではない。
豚骨ベースのラーメンの中で、博多ラーメンが最も名が知れているだけで、長浜ラーメン、和歌山ラーメン、広島ラーメン、徳島ラーメンなど、豚骨をメインにしたラーメンは沢山ある。
博多ラーメンも、数あるとんこつラーメンの一つに過ぎなかったのだ。
「そんな博多ラーメンだけど、ご当地ラーメンブームでは、他のとんこつベースなラーメンに比べて一歩抜き出た。そのお陰で、博多ラーメンは日本各地に進出できたのよ。こうして、日本中に博多ラーメンの店が立つ事になった訳だけど、そうしていろんな地域に進出した博多ラーメンが、永遠に博多から出てきたときの純粋性を保っていられると思う?」
「ああ、種の適応の問題か」
それは生物が様々な環境に適応するようなものだった。
日本各地に拡散していった博多ラーメンは、その根幹たる『豚骨スープ』という属性を残したまま、各地のラーメン文化と混ざり合い、適応していったのだ。
その結果、様々な美味しいラーメンが生まれた事は間違いない。
だが、そうして地方に適応した博多ラーメンはもはや博多ラーメンとは言えず、とんこつラーメンとしか呼べない食べ物へと変わっていたのだ。
「外の世界では、博多ラーメンもとんこつラーメンも現役だわ。けど、そうして日本中に拡散していったとんこつラーメンだからこそ、その土地に適応しながらも生き残る事が出来ず、消えていったものもある。アレはそうして消えてしまった、幻想となったとんこつラーメンだったのよ」
今日も、日本のラーメン界は激流の中にある。
様々なカリスマラーメン店が現れては消えて行き、多種多様なラーメンが生まれては幻想となっていく。ご当地ラーメンブーム、八王子ラーメン戦争、空前のつけ麺ブーム、そしてラーメン二郎と二郎系等と、様々なムーブメントがラーメン界を賑わしているのだ。
今回、幻想郷に現れたとんこつラーメンは、そんな時代のあだ花だったのかもしれない。
「そういう意味では、あのとんこつラーメンも被害者だったんだねぇ」
いとかなし、とでも言いたげな調子で、レミリアは夜食のラーメンを啜る。
「外の世界で忘れ去られてしまうものが、この幻想郷に流れ着いてくる。そうなれば、せめてこっちでは天下を取ろうって輩が現れるのは仕方がないことなのかも知れないわね」
「うむ」
そうして二人が散っていたラーメンたちへ黙祷するように、夜食のラーメンを食べていると、厨房の方からドスドスという音が聞こえて来た。
「ぐはははっ、俺は鶏白湯ラーメン! この幻想郷を支配するという大儀の為、まずは、この館を乗っ取らせてもらう!」
「コーホー」
そして、今日も夢に破れ、幻想郷に流れ着いたラーメン達が、ベアクローによって駆逐されていくのだった。
めでたしめでたし。
そんなフランドールの言葉を聞いた瞬間、レミリア・スカーレットは桂文枝(六代目)の如く椅子からずり落ちた。そして、凄い体勢になりながらも、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で、こう呟く。
「マ、マジで?」
「うん。まじまじ」
それは全くもって、青天の霹靂だった。
三日に一度は部屋から出るようになったし、一週間に一度は外出をするようになったとは言え、フランドール・スカーレットという吸血鬼は、引き篭もり系女子である。そんな一切の出会いを拒絶しているフランが、相手も居ないのに、どうやって恋など出来るというのだろうか。
「どうやって、どのようにして恋したの!」
「え? 普通に出会って、それで……」
「出会ってって、何処で!」
「ウチだよ」
その言葉に、レミリアは全力で衝撃を受けた。
まさか我が家たる紅魔館で、そのような破廉恥な行為が行われていたなんて。
古くから住んでいる慣れ親しんだ我が家にて、フランは『ボンジュール』とか『スパシーボ』みたいな愛の言葉を交わしたりしたのか。
「なんという……なんて事だ」
レミリアは椅子を這い上がりながらも、頭を抱える。
地下に監禁してまで大切に育てていた純真無垢な箱入り妹が、慮外者の毒牙にかかってしまったのである。その衝撃たるや、相当なものが有るだろう。
「本当に、素敵なんだよ」
夢見る乙女という調子で、フランが語る。
それは、まさに恋に恋をする乙女であり、そうして浮かれる妹の姿を見たレミリアは、バナナをとられたサルみたいな顔をした。
だが、そんな姉の心を知らずにフランは続ける。
「まずね。とっても濃厚なの」
「の、濃厚!」
いきなり何を言い出すのだろうか。
レミリアは、息を呑む。
濃厚って、それは限りなく十八禁に近い領域ではないか。しかも、主語がないから、何が濃厚なのかが特定できず、どの辺りが濃厚なのかと更なる想像を呼び起こしてしまう。
「それで麺は細麺で」
「ホ、ホソメン!?」
それはイケメンとか、ブサメンの派生系か。
「それで、とってもいい匂いがして」
「に、匂いって!」
そこまで接近しちゃったりするのか。
ちょっとそれは、千歳未満の未成年吸血鬼には刺激が強すぎる行為じゃないか。こんな幼いフランが、そんな事までしてしまったら、幻想郷児童健全育成条例に違反してしまうではないか。
「でね。とっても素敵なんだよ。とんこつラーメンって」
それがフランドールの恋の相手なのか。
そんな物が、この紅魔館に侵入し、大切な妹を汚していたのか。
レミリアの心にとんこつラーメンという八文字が、悔恨や憎悪と共に刻まれた。
償わせなければならない。
妹を傷物にした報いを受けさせなければいけない。
かくして、レミリア・スカーレットはとんこつラーメンへの復讐を決意したのであった。
登場人物紹介
レミリア・スカーレット…………紅魔館の女主人。誰からも慕われるカリスマ溢れる大人物であるが、妹がとんこつラーメンの餌食になったことによって、とんこつラーメンへの憎悪に狂う復讐鬼となる。
フランドール・スカーレット……レミリアの可憐な妹。とんこつラーメンに心を奪われてしまう悲劇の乙女。
十六夜咲夜…………………………レミリアの信頼厚い紅魔館のメイド長。とんこつラーメンに利用されてしまう。
パチュリー・ノーレッジ…………紅魔館に住むレミリアの友人。知恵者であり、あまりコッテリしたのは好きではなかった事から、とんこつラーメンの魔の手を逃れた。
紅美鈴………………………………紅魔館の門番。とんこつラーメンの最初の犠牲者。
小悪魔………………………………大図書館の司書。フランドールと共にとんこつラーメンの虜となる。
妖精メイド…………………………紅魔館のメイド達。たまに箒を持ってみたり、窓を拭く真似をしたりする。一部がとんこつラーメンを熱烈に支持。
桂文枝(六代目)……………………落語家。元桂三枝であり、上方落語の重鎮。関東では『新婚さんいらっしゃい!』でよく知られる。
ムサシ・ミヤモト…………………東の国のソードマスター。戦国時代末期にて、生涯不敗の伝説を残した武芸者。なお、ミヤモト・マサシとの関連は不明。
オスカー・ワイルド…………………アイルランド出身の作家。本名はオスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド。ホモと言われているが、実際には両刀使い。
ラーメン……………………………空飛ぶスパゲッティモンスター教の祈りの言葉。あるいは、中華麺を使った日本料理。
ラーメンマン………………………中国出身の残虐超人。キャメルクラッチや九龍城落地(ガウロンセンドロップ)をフィニッシュホールドとした。その人気は圧倒的で、スピンオフの『闘将!!拉麺男』においては主人公を務める。
ウォーズマン………………………今は無きソ連出身のロボ超人。ベアクローによる残虐ファイトによって、ラーメンマンを初めとする数々の超人たちを血の海に沈めたが、キン肉マンとのファイトで友情に目覚める。
鶏白湯ラーメン……………………鶏がらをベースとしたラーメン。とんこつラーメンと同じ白湯系ラーメンで、とんこつの影に隠れながらも、着実に勢力を伸ばしつつある。
とんこつラーメン…………………博多ラーメンがもっとも有名。とんこつスープと細麺が魅力の美味しいラーメンで、ご当地ラーメンブームにて一時代を築く。
のぼせ上がったフランドールと別れ、レミリア・スカーレットは紅魔館地下大図書館へと向かった。妹の思い人であると言う『とんこつラーメン』についての情報を集める為である。
「パチュリー、とんこつラーメンとは何者だ!」
「博多出身のラーメンよ。そもそもとんこつラーメンは一種の異名で、実際は博多ラーメンと呼ばれる事が多いわ」
打てば響くように、パチュリーはすらすらと答えた。
流石は紅魔館の知恵袋である。レミリアの質問に先んじて、これほどの情報を集めておくとは、まさに神算鬼謀としか言いようが無い。
だが、そんなパチュリーの答えにも、ひとつ画竜点睛を欠いている部分がある。
「……ハカタってどこ?」
博多という土地についての説明が無いのだ。
レミリアは、とんこつラーメンの出身地であるハカタとかいう土地を知らない。この欧州生まれの吸血鬼は日本の都市名など殆ど知らなくて、キョウトやトウキョウ、それにオーサカくらいしか覚えていない。
すると、流石はパチュリー・ノーレッジ。即座に博多についての解説を始める。
「古くは九州は筑前国の事よ。西海道に位置し、日宋貿易を初めとして、当時の中国や琉球王朝、それに東南アジアとも貿易を行っていた、日本有数の貿易都市ね」
「へぇ、貿易都市ねぇ。つまり、ドゥブロヴニクとかハンブルグみたいな土地という認識でいいのかな?」
「似たようなモノね。貿易によって経済を回し、商人が強い力を持つ。そんな向こうの自由都市と同じよ」
「成程」
それでようやく、レミリアはとんこつラーメンの背景や氏素性を理解する。
つまり、とんこつラーメンというのは異名や二つ名の類であり、本名は出身地にあわせて博多ラーメンというらしい。
これは、日本における伝説のソードマスター、ムサシ・ミヤモトの出身地がミヤモトヴィレッジであると事と全く同じだ。この国の人間は、遊牧民族や狩猟採取民族と違って、地縁を極めて重視する。だから、こうして土地の名を名乗る事が一般的なのである。
そして、貿易都市出身という事は、かなり社交的な性格だろう。つまり、手足よりも口で勝負するタイプで、オスカー・ワイルドみたいな軽薄でいけ好かない奴に違いない。
「だったら、パチェ。そのハカタのとんこつとやらが、どうして紅魔館の敷居を跨いだんだ!」
「そりゃ、あれだ。確か、美鈴が食べたいとか言ったのよ」
「た、食べたいって………………そ、そんな事を美鈴は言ったの!?」
なんというダイレクトな破廉恥発言だろう。
流石は、本能に根ざすことであれば、他の文化では及びも付かぬ領域へと足を踏み入れるという中華の妖怪である。
淑女となるべく育てられたレミリアには想像も付かないほどの肉食系な発言に、幼いデーモンロードは、しどろもどろになってしまう。
「そ、そ、そんな事、しちゃったんだ」
「ま、私は食べなかったけどさ。ああいうコッテリしたの苦手だし」
「そ、そうなんだ」
「ただ、その時、フランや小悪魔が美味しそうとか言って」
「お、美味しそう!?」
「美鈴に分けてもらって、一緒に食べてたわね」
「一緒に…………」
食べたのか。
仲良く分け合って、食べちゃったのか。
いつの間に、この紅魔館はそんな進んだ事になっていたのだろうか。
我が妹ながら、とんでもない肉食系だと、レミリア・スカーレットは絶句する。
レミリアが知らぬ間に、紅魔館がこれほどとんこつラーメンの侵食を受けていたなんて……フランだけではなく、美鈴や小悪魔もとんこつラーメンの餌食になっていたとは、流石のレミリア・スカーレットも完全に予想外だった。
しかも、それは本来、紅魔館を悪漢から守るはずの美鈴によって、引き起こされたことらしい。泥棒に入るときは番犬を手懐けろという盗人の知恵があるらしいが、この事態はまさにそれだ。
「美鈴は何処だ!」
外患を招き入れた番犬に詳しい話を聞くべく、レミリアは門番の場所を問いただした。
「門でしょ。門番だし」
「それもそうか! 分かった! 行ってくる!」
「はい。いってらっしゃい」
そして扉を開けるのももどかしいとばかりにドアをぶち破って、レミリアは紅魔館正門へと直行した。
「美鈴! とんこつラーメンは何処だ!」
鬼のような形相でレミリアが叫ぶと、対する美鈴はなんとも嬉しそうな顔をする。
「あ、お嬢様知っているんですか。いやぁ、お耳が早いですね」
「うん? 何をわけの分からない事を言っている! それよりも、早くとんこつラーメンが何処にいるのかを言え!」
「そんなに慌てなくとも大丈夫ですよ。ちゃんと夕食時になれば、咲夜さんがお出しする事になっていますから」
「……さ、咲夜が、だとッ!?」
「はい、咲夜さんが」
その言葉を聞いて、レミリアは耳を疑った。
まさか、腹心中の腹心であるメイド長の十六夜咲夜までが、この一連のとんこつラーメン騒動に関わっていたとは。
「ままままま、まさか、咲夜も……」
「そうですねー。咲夜さんもとんこつラーメンが好きみたいです。こういう濃厚なのは苦手じゃないかって思っていたんですが、意外ですよね。食卓に出す前、ちょっとつまみ食いをしたら、とても美味しかったと言ってましたし」
「……つ、つまみ食い」
レミリア・スカーレットは我が耳を疑った。
だが、五感が鋭敏である吸血鬼が、聞き違いなどするはずも無い。
咲夜は、意外と濃厚なのが好きであるらしい。
しかも、美鈴に出す前に、つまみ食いをしてしまったのだという。
何という事だ。
なんという昼ドラ展開。
レミリアは、咲夜がつまみ食いをしてしまっている場面を思い描いて、顔を真っ赤にさせてしまう。
咲夜とレミリアの付き合いは、時間にするとそこまで長いモノではない。何百年と生きる吸血鬼と、百年で死んでしまう人間だ。どうしたって、ずっと一緒に居られない。
けれど。
だけれども。
その信頼関係は、過ごした時間とは関係なく、とても強靭なモノであると確信していた。
それなのに、咲夜はレミリアの知らないところで、とんこつラーメンの毒牙にかかっていたという。否、自分からつまみ食いにいっていたらしい。しかも、美味しかったとか言っていたのだ。
――目眩がした。
まるで、自身の足元が崩れ去ったような錯覚にレミリアは陥る。
それは、まるで、レミリアの築き上げてきた全てが壊れて――
「まだだ!」
レミリア・スカーレットは自身を叱咤するような叫び声を上げる。
まだ、紅魔館は壊れきってない。
まだ、間に合う筈なのだ。
たかが、とんこつラーメンに壊されてしまうほど、紅魔館はやわではない。
「それで、咲夜ととんこつラーメンは何処だ! 何処にいる!」
「あ、待ちきれないんですか?」
そんな必死なレミリアに対して、美鈴は何とも腑抜けた表情で対応する。
誇りある紅魔館の門番をここまで骨抜きにするとは、とんこつラーメンとはそれほどのモノなのだろうか。
美鈴も、咲夜も、フランだって、身内の贔屓目を除いても、強い心を持ったひとかどの人物である。それをここまで惚けさせるのだから、とんこつラーメンの人たらしぶりは、尋常なモノではない。
実際、それは相当な物なのだろう。
レミリアの心の内に、とんこつラーメンへの恐れが芽生え始めていた。
肉体の闘いであれば、そうそう負けるつもりは無い。大抵のモノに打ち勝つだけの資質をレミリア・スカーレットという吸血鬼は兼ね備えている。
しかし、精神の領域においては――
どれほど肉を鍛えようとも、能力を研ぎ澄まそうとも、心を鍛えるのは尋常な事ではない。形のないものを鍛えるのは、とても難しい事なのだ。
そして、とんこつラーメンは、その心を攻める敵らしい。
もしかしたら、それはレミリア・スカーレットが幻想郷に来て以来、最悪の敵であるのかもしれない。
レミリア・スカーレットは僅かに怯む。
しかし――
「ああ、待ちきれないな。夜を待たず決着を付ける!」
ここで退く事など、できなかった。
それは今まで築いてきた全てを諦めるという事だ。そんな事、到底容認できるものではない。
「そうですかー。出来れば、私たちの分も残しておいて欲しいんですが……」
「それは無理な相談だよ。これは紅魔館の主としての急務だからな」
「はぁ、まあ、それなら仕方ないのかもしれませんね」
「で、咲夜ととんこつラーメンは、何処にいる!」
「さっき、お買い物から帰ってきてたので、きっと厨房に居ると思いますが」
「良し、分かった!」
即座に、レミリアは厨房に飛んだ。
厨房へ向かう道すがら、お喋りをしている妖精メイド達の声が聞こえてくる。
「今日はとんこつラーメンなんだって」
「やったっ。私、アレ好きー」
「えー、私は濃厚すぎてちょっとなー」
「何言っているのよ。あのドロっとしているのが良いんじゃない」
どうやらメイド達の間にまで、とんこつラーメンは浸透してしまっているらしい。
やはり、とんこつラーメンは恐ろしい相手だ。
湧き上がる恐怖をねじ伏せながら、レミリア・スカーレットは厨房に飛び込んだ。
「咲夜! とんこつラーメンは何処だ!」
「はい。もう少しで出来ますわ」
大きな鍋でスープをコトコト煮込みながら、十六夜咲夜は返答する。その手に持っている菜箸の指す方向には、大きな鍋とそこから突き出た豚骨が垣間見える。
「今日は、里の肉屋で豚骨をいっぱい頂きましたから、沢山のとんこつラーメンが作れますよ」
しばし、レミリアは沈思黙考。
「とんこつラーメンってラーメンか!」
「はい、ラーメンです」
ようやく得心が行ったレミリアに対し、咲夜はなんだか楽しそうに頷くのだった。
○
かくして、その日の晩餐は、とんこつラーメンとなった。
「ああ、いとしいひと! 早く、早く、早く私のお腹におさまってくれないかな!」
厨房から漂ってくる素晴らしい匂いを嗅ぎながら、フランドールは歓声を上げる。
つい先日、生まれて初めてとんこつラーメンを食べて以来、彼女はとんこつラーメンの虜となって、今日という日を心待ちにしていた。豚骨の濃厚なスープは、血を常食とする吸血鬼の舌にはぴったりで、それこそ恋に落ちたとも形容できるほど、吸血鬼の少女は濃厚な豚骨スープを愛してしまったのである。
「妹様は、本当にとんこつラーメンがお好きなんですね」
そんなフランドールがほほえましいのか、なんともほっこりした顔で紅美鈴が言う。
そんな美鈴もなかなかどうして、待ち遠しそうな様子である。麺の本場である中国で、様々な麺類を食べてきた紅美鈴だが、日本式ラーメンも大好きで、その中でもとんこつラーメンはお気に入りなのだ。
そうしてフランと美鈴が二人で、とんこつラーメンが来るのを心待ちにしていると、パタパタという誰かが駆ける音が聞こえて来て、食堂のドアが開く。
「と、とんこつラーメンはまだ来てませんよね!」
それはフランと一緒にとんこつラーメンを食べて、同じようにハマった小悪魔だった。
魔界出身で味の濃いこってりした料理が好きな彼女は、とんこつラーメンを高く評価している。だから熱々のとんこつラーメンを食べる為に司書仕事を急いで終わらせ、この食堂に直行してきたのである。
「まだかなー」
「たのしみだよねー」
「ねー」
その上、とんこつラーメン好きのメイド達まで集まってきて、食堂は過密状態になってきた。誰も彼もが楽しげに、今から来るであろうとんこつラーメンを待ち望んでいた。
たった一人の例外を除いて。
「私は、さっぱりした塩ラーメンとか、ワンタンメンとか、そういうのが良いんだけどね」
その例外は、パチュリー・ノーレッジだった。
濃厚なのはちょっと苦手な彼女は、とりあえず食堂には来たものの、とんこつラーメン自体に興味は無く、その無関心さを示すように食堂の隅に座っている。
そうしてとんこつを待ち望む人々プラス無関心な魔法使いが食堂にてたむろしていると、厨房より十六夜咲夜の声がした。
「お待たせしました妹様。とんこつラーメンの登場です!」
そして、十六夜咲夜に連れられて現れたのは、ダブルのスーツを華麗に着こなしたシンプルな柄の無い白のどんぶりであった。
そのどんぶりから漂ってくるのは、濃厚なとんこつの匂い。どんぶりから覗くスープの色は、当然のように白濁したスープ。つまり、間違いなくとんこつベースという、どこから見てもとんこつラーメンという御仁である。
それは小粋にステッキをくるりと振り回すと、華麗に自己紹介をした。
「どうも、とんこつラーメンです」
これは、もう間違いない。
本人が言っている以上、これは間違いなくとんこつラーメンだ。
「待ってたよ! とんこつラーメン!」
「ははは、まさかこんなに歓迎されるとは、一杯のラーメンとして、嬉しく思います」
待ってましたと抱きつくフランドールを、とんこつラーメンは一滴のスープも零さずにしっかりと受け止めた。ゼラチンがたっぷりと入った濃厚スープは、これぐらいではびくともしないのだ。
「ずっと待ってたんだよ。ホラ、早く食べさせて!」
「ははは、そんなに急がなくても大丈夫ですよ。私のスープは濃厚コッテリ、ゼラチンたっぷりですから、そう簡単には冷めません。最後まで、アッツアツです」
そうして、少し入れ込みすぎになっているフランをとんこつラーメンは嗜めた。
そして、嘗め回すように食堂に集まった女性陣を見る。
最初にとんこつラーメンを紅魔館へと導き入れた美鈴、フランと一緒にとんこつラーメンにハマッた小悪魔、それにコッテリしたのも嫌いではない咲夜など、紅魔館の女性のほぼ全てが、とんこつラーメンに熱い視線を注いでいる。
「本当にとんこつラーメンは美味しそうですよねぇ」
「でしょう。頑張って作ったのよ」
「ああ、涎が出てきますよ」
「美味しそうだねぇ」
「ねー」
誰も彼もがとんこつラーメンに夢中で、食堂は異様な熱気に包まれている。
だが、とんこつラーメンが人々の耳目を集める中、無関心を貫くものがいた。
さっぱり好きな魔法使い、パチュリー・ノーレッジだ。
彼女は、入ってきたとんこつラーメンを一顧だにせず、黙々と本を読みながら、付け合わせとして用意された塩キャベツをつまんでいる。
「パチュリーさんは、私にご関心がないようですね」
そんな魔法使いに、とんこつラーメンは一歩近付いた。
「コッテリしたのは嫌いなの」
対するパチュリーのすげない答え。
だが、とんこつラーメンは執拗に食い下がった。
「ですが、今日の夕餉は私だけですぞ。このままでは、貴方は夕食抜きになってしまう」
「塩キャベツを食べてるから平気」
「けれど、それではお腹一杯にはならないでしょう」
「小食なのよ。それに、貴方みたいな濃厚なのを食べたら、体調を崩しかねないし、美容にも悪いわ」
そう言って、コッテリ嫌いの魔法使いはとんこつラーメンを完全に拒絶しようとする。
だが、とんこつラーメンはニタリと笑った。
「……それは心外ですね。私はコラーゲンたっぷりで美容に良いのですよ」
「そ、そうなの?」
「はい。沢山のコラーゲンで、お肌なんかツルツルになります」
「……そう、なんだ」
「ええ、だから、一口ぐらい食べてみたらどうですか」
「……んー、まあ、確かに一口ぐらいだったら良いかもね」
パチュリー・ノーレッジも、美容に良いという一言には弱かったのか、ついに頷いてしまった。
そうして、魔法使いが一口食べる事を了承した瞬間、とんこつラーメンは『しめた』という顔をする。
なぜなら、パチュリー・ノーレッジを陥落せしめれば、とんこつラーメンは紅魔館のほぼ全てを手中に収めたも同然であるからだ。
当主のレミリア・スカーレットは未だにとんこつラーメンの魅力を知らず、今回の晩餐にも姿を現していない。だが、彼女の妹御であるフランドールは既にとんこつラーメンの虜となっている。当主レミリアと同じ環境で育ち、同じ味で育ってきたフランが、こうも呆気なくとんこつラーメンに転んだ以上、スカーレット一族ととんこつの相性は抜群である事は明白である。なれば、レミリア・スカーレットを堕とす事など赤子の手を捻るよりも容易いという公式も成り立つ事だろう。
紅魔館の紅い悪魔も、このとんこつスープの濃厚な匂いでも嗅がせてやれば、呆気なく陥落してしまうに違いないのだ。
「ぐふふ」
とんこつラーメンは、汚い笑みを浮かべた。
紅魔館征服を目前にし、つい笑いが込みあげててきしまったのだろう。
かつて、外の世界で巻き起こったご当地ラーメンブームにおいて、他のラーメンを駆逐して、全てをとんこつ色に染め上げたのが、このとんこつラーメンである。東京も、横浜も、京都も、尾道も、札幌ラーメンですら、とんこつラーメン、つまりは博多ラーメンほどの勢力圏を獲得する事は出来なかった。
それほどまでに、博多ラーメンは強い勢力を保っていた。このラーメンは、ご当地ラーメン界の覇者なのである。
「けれど、まだまだ足りませんね」
そして、そんな覇道を歩んできたとんこつラーメンだからこそ、紅魔館一つでは満足出来なかった。
このラーメンは貪欲にも、紅魔館を足がかりとして、幻想郷全土にとんこつラーメン旋風を吹かせようという、気宇壮大な計画を企んでいたのである。
それが、幻想郷の料理を全てとんこつラーメンにしてしまおうという『幻想郷博多化計画』である。かつて頂点を取ったラーメンであるからこそ、とんこつラーメンの胸中には、熱いスープが如き激烈な野心が燃え盛っていたのだ。
そんな野望の橋頭堡を築くべく、とんこつラーメンはパチュリーに、その濃厚なスープを差し出した。
「ほうら、美味しいですよ」
「う、うん」
白く濁ったとんこつスープは本当に美味しそうで、コッテリ嫌いのパチュリーでも、つい口を開けてしまう。
その刹那――
「そこまでだ!」
真紅の弾幕が、とんこつスープの入ったレンゲを吹き飛ばした。
「な、何ですか! 何事です!」
とんこつラーメンが慌てて声を上げて、弾幕の飛んできた方を見る。
「お、お姉様!」
すると其処には、可憐にしてカリスマ溢れる吸血鬼の姿があった。
月光が如き冴え冴えとした銀髪、夜の闇のような漆黒の翼、そして紅い悪魔の異名に相応しき真紅の瞳。それは、間違いなく紅魔館当主であるレミリア・スカーレットその人だ。
「貴様の浅薄な企みは、このレミリア・スカーレットが全てまるっとお見通しだ!」
レミリア・スカーレットはそう言い放つと、とんこつラーメンを睨みつける。
この紅魔館を食い物にしようと言うとんこつラーメンの悪事を、レミリアは完全に見通していたのである。
「お、おのれ!」
だが、対するとんこつラーメンも、ラーメン界の覇王を自認するラーメンだ。まるで麺を湯切りするかのような素早い動きで、とんこつラーメンは呆然としていたフランドールを羽交い絞めにすると、レミリアを睨みつけて叫ぶ。
「動くな! もしも、少しでも動いてみなさい! 動いた瞬間に、この小さな口に熱々の細麺を捻じ込みますぞ!」
「お、お姉様!」
なんという卑劣な所業だろうか。
追い詰められたとんこつラーメンは、火傷しそうなほど熱々の細麺をフランの小さな口に突きつけて、脅迫してきたのだ。
「なんという事を!」
「い、妹様! とんこつラーメンさん、妹様を離して下さい!」
それまで呆気にとられていた咲夜や美鈴も、ようやく事態を把握して非難の声を上げた。
しかし、とんこつラーメンはフランを解放する様子は無く、それどころか、紳士然とした態度をかなぐり捨てて、汚い笑みを浮かべながら、傲然と見下す。
「ぐふふふ、放せといわれて放す馬鹿がどこに居りますか。そもそも、お前らは、既に私のとんこつスープで骨抜きになっていて、何をする事も出来ない! その上、そこの吸血鬼と魔法使いに我が白濁したスープを飲ませれば、紅魔館を制圧できるというのに、ここで放すわけがないでしょう!」
極めて卑劣な所業であるが、とんこつラーメンの言は正しい。
とんこつラーメンによる制圧力は圧倒的で、彼女らは骨抜きにされて、完全に無力化されてしまっている。咲夜や美鈴、それに人質になっているフランも、とんこつの魔力にやられてしまい、能力を使うことも出来ないのだ。
その上、とんこつラーメンは人質を取っている。
現状は、とんこつラーメンが優位だ。
「さあ、レミリア・スカーレット! 妹が大切だというのなら、私のとんこつスープを! 白く濁った私の濃厚スープを飲め! 飲むのだ!」
まるで王手を宣告するかのように、とんこつラーメンがレミリア・スカーレットに降伏を迫る。
だが、対する紅魔館当主は何の反応も見せない。
その顔には、一切の動揺すらなく、ただ、豚を見る目つきでとんこつラーメンを冷たく見下すだけだ。
「な、なんだ。私は本気だぞ! この口に麺を捻じ込むぞ! それなのに、どうして私のとんこつスープに平伏さない!」
とんこつの軍門に下る様子を見せないレミリアに、とんこつラーメンは焦りを見せる。
優位であるはずなのだ。
とんこつスープで、紅魔館の面々のほぼ全て骨抜きにしている。
あとは、たった二人にスープを飲ませてやれば良い。
それなのに、レミリア・スカーレットが下る気配は、全く無い。
フランの口元に熱い麺を突きつけているという絶対的優位に有りながら、とんこつラーメンは追い詰められていた。
まるで永遠のような沈黙。
その重い沈黙を破り、レミリアが口を開いた。
「もう勝負は付いている」
「な、なにっ!」
「厨房でお前が出来上がっていくのを目撃し、私はそこでようやくお前がラーメンである事を認識した。我が紅魔館を侵略する者が、ラーメンであると初めて知った。だから、用意をしていたのだよ」
「なんだと、まさか……」
「この時の為に、ラーメンの天敵を、ラーメンを狩る運命を背負った超人を、幻想郷に呼び寄せておいたのさ!」
その声と共に、一人のロボ超人が紅魔館の食堂に現れる。
「コーホー」
その超人は、黒かった。
顔も、胴体も、タイツさえ、全ては黒で統一され、死神と呼ぶに相応しい姿をしていた。
彼は、無機質な呼吸音を繰り返しながら、両手の甲より鋭い爪を出し、死刑宣告をするように、その切っ先をとんこつラーメンに突きつける。
「ひ、ひぃぃっ」
それだけで、趨勢は決してしまった。
黒い超人に爪の切っ先を突きつけられた瞬間、とんこつラーメンは真っ青になって、フランドールを放り出して、逃げ出してしまったからだ。
「大丈夫か。フランドール」
放り出されたフランをレミリアが抱き起こす。
だが、姉に助けられながらも、フランの視線は唐突に現れたロボ超人に注がれていた。
「お、お姉様。あの人は……」
「うん? 彼か。彼は、あのウォーズマンだよ」
それが、黒いロボ超人の名であった。
第二十一回超人オリンピックに彗星の如く現れ、アイドル超人軍団の一員として活躍したファイティング・コンピューターの異名を持つ超人。そのウォーズマンこそが、対とんこつラーメン用の切り札だった。
「た、助けてくれ!」
その効果はてき面で、とんこつラーメンはただひたすらに遁走する。
それは、ラーメン達にとってウォーズマンは、まさに天敵と呼ぶに相応しい存在であるからだ。かのラーメンマンでさえ、金網デスマッチにおいてウォーズマンのベアクローで頭部を抉られて植物状態になってしまい、復帰後も金網恐怖症に悩まされた。ラーメン達にとってウォーズマンは、まさに死神と同義なのである。
だから、とんこつラーメンは、それまで一滴も零さなかったスープを撒き散らしながら、必死に逃げた。
「く、来るな! 私に近付くなああああああっ!」
けれど、ファイティングコンピューターの異名をとるウォーズマンが、みすみすラーメンを逃がすはずも無い。
「百万パワー+百万パワーで二百万パワー!!いつもの二倍のジャンプが加わって二百万×二の四百万パワーっ!!そしていつもの三倍の回転をくわえれば四百万×三の……とんこつラーメン、おまえを上回る千二百万パワーだーっ!!」
「グエ――ッ!!」
光の矢となったウォーズマンが、とんこつラーメンを貫いた。
こうして、一人のとんこつラーメンが企んだ『幻想郷博多化計画』は潰えたのである。
○
それから、しばらくして。
ようやく紅魔館は正常に戻ろうとしていた。
とんこつラーメンの虜になった者たちはしばらく静養する事で、体からとんこつスープの成分を抜くことに成功し、禁断症状に悩まされることも無くなった。特に禁断症状の酷かったフランドールも、今ではすっかり元気になって、毎日引き篭もりが出来るまでに回復している。
そうして、事件が風化されようとしている最中、事後調査をしていたパチュリーが、夜食を食べていたレミリアの前に現れた。
「あのとんこつラーメンの正体が分かったわ」
「……正体って、そんなご大層なものがあったの?」
「まあ、それなりにはね。それに、せっかく色々と調べたんだから、聞いてくれてもバチは当たらないでしょう」
そう前置きをすると、魔法使いは先に出現したとんこつラーメンについて話し出した。
「あのラーメンは、あくまで『とんこつラーメン』であって、博多ラーメンじゃなかったのよ」
「どういうこと?」
「そもそも、外の世界では博多ラーメンは未だに現役なの。つまり、博多ラーメンが幻想郷に居るわけはない」
「なら、アレは偽者か?」
「偽者というのとは、少し違うわね」
そもそもとんこつラーメンと博多ラーメンはイコールではない。
豚骨ベースのラーメンの中で、博多ラーメンが最も名が知れているだけで、長浜ラーメン、和歌山ラーメン、広島ラーメン、徳島ラーメンなど、豚骨をメインにしたラーメンは沢山ある。
博多ラーメンも、数あるとんこつラーメンの一つに過ぎなかったのだ。
「そんな博多ラーメンだけど、ご当地ラーメンブームでは、他のとんこつベースなラーメンに比べて一歩抜き出た。そのお陰で、博多ラーメンは日本各地に進出できたのよ。こうして、日本中に博多ラーメンの店が立つ事になった訳だけど、そうしていろんな地域に進出した博多ラーメンが、永遠に博多から出てきたときの純粋性を保っていられると思う?」
「ああ、種の適応の問題か」
それは生物が様々な環境に適応するようなものだった。
日本各地に拡散していった博多ラーメンは、その根幹たる『豚骨スープ』という属性を残したまま、各地のラーメン文化と混ざり合い、適応していったのだ。
その結果、様々な美味しいラーメンが生まれた事は間違いない。
だが、そうして地方に適応した博多ラーメンはもはや博多ラーメンとは言えず、とんこつラーメンとしか呼べない食べ物へと変わっていたのだ。
「外の世界では、博多ラーメンもとんこつラーメンも現役だわ。けど、そうして日本中に拡散していったとんこつラーメンだからこそ、その土地に適応しながらも生き残る事が出来ず、消えていったものもある。アレはそうして消えてしまった、幻想となったとんこつラーメンだったのよ」
今日も、日本のラーメン界は激流の中にある。
様々なカリスマラーメン店が現れては消えて行き、多種多様なラーメンが生まれては幻想となっていく。ご当地ラーメンブーム、八王子ラーメン戦争、空前のつけ麺ブーム、そしてラーメン二郎と二郎系等と、様々なムーブメントがラーメン界を賑わしているのだ。
今回、幻想郷に現れたとんこつラーメンは、そんな時代のあだ花だったのかもしれない。
「そういう意味では、あのとんこつラーメンも被害者だったんだねぇ」
いとかなし、とでも言いたげな調子で、レミリアは夜食のラーメンを啜る。
「外の世界で忘れ去られてしまうものが、この幻想郷に流れ着いてくる。そうなれば、せめてこっちでは天下を取ろうって輩が現れるのは仕方がないことなのかも知れないわね」
「うむ」
そうして二人が散っていたラーメンたちへ黙祷するように、夜食のラーメンを食べていると、厨房の方からドスドスという音が聞こえて来た。
「ぐはははっ、俺は鶏白湯ラーメン! この幻想郷を支配するという大儀の為、まずは、この館を乗っ取らせてもらう!」
「コーホー」
そして、今日も夢に破れ、幻想郷に流れ着いたラーメン達が、ベアクローによって駆逐されていくのだった。
めでたしめでたし。
まさか東方SSで九龍城落地の五文字を見ることになるとは…
ゆでネタは鉄板過ぎてどうしても笑ってしまう…
しかし愉快な話に見せかけて博多ラーメンのステマは通用しない。何故なら俺の地元には…
「俺もいるぜ!」
「ゲーッ! 貴様は家系ラーメン!?」
ともかく愉快な小説ごちそうさまでした。
>「どうも、とんこつラーメンです」
なに当たり前のように登場してんだよ!
レミリア空回り系かと思いきや結局レミリアが正解という意外性。
そして呼ばれて出向くウォーズマンが良い人過ぎる。
つまり、何が言いたいかと言うと面白かったです!
しかしダブルのスーツを着たとんこつラーメン頭の怪人物を想像出来ない・・・
人物紹介である程度ネタバレしてるのに、最後まで笑わせてもらいました
朝から盛大に吹いたので満点で~
お嬢様かわいい
うっ、画面の向こうからとんこつの魔の手がっ
>「どうも、とんこつラーメンです」
ここ、最高でした。
はっ これが恋!?
みんなに忘れられたりしてないんだ!
頼むから、天下一品は幻想郷入りしないでくれ。
と思ったらなんか小粋にステッキ回してた。 (・3・)あるぇー?
……ハッ!?これがとんこつラーメンの力!?
やられましたっ……!
この気持ち、どうしてくれようか……ッ!
要は何かというと最高でした
……ハッ!?
とにかく笑わせてもらいましたwww
楽しかったです
とんこつラーメン食べたくなったちくしょう面白かったです
途中から話が予想外の方向へ転がり始めたのには感服しました
ウォーズマンさんがレミィの要請に答えて出張していなかったら、昨今の日本列島のラーメニズムはあり得なかっただろう。
なんだこれwwww
「とんこつラーメンってラーメンか!」で変な咳でて
「どうも、とんこつラーメンです」でまた変な咳が出たww
深夜に読むもんじゃないですね、らーめん食べたい。