Coolier - 新生・東方創想話

怒りより、憐れみが沸いてきます……

2012/11/07 23:42:23
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「ふむ。私が決めるしか、ないか……」

 私は、執務室で一人、机に広がった書類の束の前に、腕を組み思案していた。
 
「だがまあ、これは私の為のイベントではないからなあ」

 軽く伸びをすると、柔らかな香りが鼻腔をくすぐった。
 妖精メイドが紅茶を運んできて、私の机に流れた所作で配置していく。
 私はカップを取ると、香りを楽しみ、それを一口飲んだ。
 なかなかの味だ。咲夜には及ばないが、70点は与えてもいいだろう。この郷にこれほどの紅茶を入れられる者は、ほとんどいまい。
 少しの蜂蜜を加えてあるのは、机仕事をしている私への配慮か。
 基本的な技術力の高さに加え、程よいタイミングで心遣いを入れられるのは、中々である。プラス10点で80点としよう。
 ここを咲夜ならば、更に踏み込んで、突拍子も無いものをブレンドすることにより、気分転換や話題を提供してくれるところだが、そこまで要求するのは酷というものか。
 この妖精メイドと私の距離感から鑑みれば、この程度が最適解とも言えるだろう。
 そういう意味では、咲夜以外の者が入れる紅茶の中では、満点と言っても良いかもしれない。

「中々の味よ。美味しいわ」

 労いの言葉をかけてやると、赤髪の妖精メイドは、嬉しそうにはにかみながら、頭を下げた。
 少し、その妖精の反応に違和感を感じた。何に違和感を感じたのだろうか。
 そうか、私の労いに対し、この子はただ頭を下げるだけで反応したことに、そう感じたのだ。普段であれば、「ありがとうございます」の言葉が、返ってくるところだ。
 妖精の中には、奥ゆかしい子も多く、返事を返せない者も、珍しくは無い。
 だが、この子は、過去に何度かそういったやり取りをした際、きちんと声を出しそう答えていたはずだ。まあ、多少その時々の気分もあって、声を出したくないこともあるだろう。
 私はそう一人納得すると、また一口紅茶を飲み、机に目を戻した。

 いま行っている作業は、秋の親善イベントの計画案の作成である。このイベントは、この館の使用人たちの親善交流を目的とした、季節ごとに行っている定例イベントの一つだ。
 例年通り、大好評の秋姉妹の秋の実り食べ放題ツアーは予定に組み込むとして、その後の妖怪の山紅葉見学ツアーも問題ないだろう。
 そして問題は、宿泊予定の旅館である。
 妖怪の山の烏天狗が経営する、紅葉する山を一望できる一等地に建つ「くつろぎの宿・紅々葉」は、その絶景に魅了された客の予約は絶えず、三年先まで、予約で埋まっている。
 先の酒の席で、天狗新聞の大口契約した際に、咲夜がその優待券を手に入れていた。
 もうひとつの候補が、前々回に利用し好評であった。河童経営の巨大露天風呂を持つ「渓流亭・赤岩波」である。
 流れの強い露天風呂に加え、どういうわけか、この幻想郷では手に入らないはずの海の幸が、食べられる。
 ふと視線を上げると、先ほどの赤髪妖精メイドが、少し温度の下がった紅茶を取り替えているところだった。ふむと息をつき、尋ねた。

「おい、お前。一つ意見を貰いたいんだが。一昨年の秋の親善イベントの時の宿と、去年冬に使った宿のどちらかを秋のイベントに、利用しようと思うのだ。お前たちの意見としては、どちらが良かった?」

 その質問に、妖精はびくりと体を震わせて、危うく紅茶をこぼしてしまいそうになった。何も、そんなに驚くこともないだろうに。妖精は困ったように、机の書類と、私の顔を交互に見やっている。

「どうした。遠慮せずに言え」

 その後も、妖精は答えずに、困惑顔で視線を彷徨わせていたが、私が咳払いすると、死地に向かう決死兵のような顔で、小さく呟いた。

「……怒りより」

 ん? イカリ? 猪狩? そんな宿の名前は無いはずだが。

「なんだって? もう少しはっきり言え」
「憐れみが、沸いてきます……」

 ……何だ? この妖精は今、なんと言った?
 聞き間違いだろうか。今、少々失礼なことを言われた気がする。

「もう一度、言ってくれるか。聞き取りづらかった」
「い、怒りより、あ、憐れみが、沸いて、きます……」

 私は、椅子をくるりと回転させ、後ろの窓から外を見やった。今宵も、月が綺麗だ。

「もう一度頼む」
「い゛、怒りよりも、憐れみが、沸いてきます、ぐぐ、ぅ!」

 ふむ、間違いない。何故だか、この妖精は私に、怒りと憐れみを抱いているらしい。
 しかも、言葉に含まれる力み方が、半端ではない。押し殺すような、腹の底からひねり出す様な、力がこもっている。
 私は再度椅子を回転させ、この妖精が入れてくれた紅茶を一口飲んだ。そして、長く息を吐く。ふむ、と息をついて、妖精の顔を伺った。

「な……!?」

 妖精は、涙をぼろぼろと流しながら、顔を真っ赤にして立っていた。唇を噛み、拷問でも耐えているかのような、有様である。
 何が、どうなっているのか分からない。
 私は、見開き気味の目で、ぼろぼろ泣く妖精を見つめたまま、また一口紅茶を飲んだ。
 そして、引き出しから河童謹製の特殊手鏡で顔を確認する。
 大丈夫だ。少々驚いてはいるが、いつも通りの傾国の美少女が映っているだけだ。
 静かに鏡をしまうと、机の日めくりに視線を移し、少し記憶の糸を辿る。

 確かこの赤髪の妖精は、7年と3月10日前に、この館に仕え始めた古参だ、咲夜よりも経験が長い。
 彼女がはじめて私と面通ししたその日は、三人の妖精が新しくメイドとして、入館したと思う。
 長い茶髪を持った妖精のトルマリン。彼女は今も美鈴管轄の外回り組で良い仕事をしてくれている。
 羽も無いのに妖精と言い張っていた、背が小さめな黒髪妖精のミイコ。
 彼女は当時館にあった、ほぼ全ての食材を消失させるという奇術を披露し、姿を消した。今はどこで何をしているのだろうか。
 そして三人目が、この赤髪妖精のルビィだ。
 その中でもルビィは責任感が強く、妖精にしては珍しく、努力を惜しまない子だった。
 今では、妖精メイドの中でも、多くのことを任せられる、この館を支える大事な家族の一人だ。

 そんな彼女も、当初は何も無いところで、所構わず躓きまくり、頭から突っ込むという特殊癖を持ち、ついたあだ名が、レッドブル。
 彼女は、それを必死の努力で克服し、今ではほとんど躓くことも無くなった。
 だが、私は知っている。この子がこの館で躓く度に、細かくメモをしていて、そのノートが、軽く数百にも上るということを。
 今、彼女がこの紅魔館でも、1,2を争うほどの紅茶を淹れることができるようになった背景には、茶とはまったく関係の無い、そういった血の滲むような努力があったのだ。

 その彼女が、号泣し、怒り、憐れんでいる。一体、何が、彼女をそうさせているのか。

 何か、ストレスでも溜まっているのだろうか。確か、つい4日ほど前に、彼女のワークシフトのメンバーが体調を崩し、一人人員が減ったという報告があった。
 だが、報告の直後、別の持ち場からの応援メンバーをすぐに手配したはずだ。
 配したメンバーは、内回りの経験もある、美鈴の所のメイド妖精シーとハーと、ハーサとラダだ。質も量も語呂も申し分ないだろう。
 臨時に入ったメンバーに、多少慣れない仕事を任せることになるので、少し緩めの仕事予定になっているはず。
 総合的には、普段より楽な業務内容になっているくらいだ。
 綿密にスケジュールやマニュアルを作成してはいるが、限界があるのだろう。かと言って、常に館の面々に目を配るというのは現実的ではない。
 私が出来るのは、この館の主として少しでも、彼女たちが楽しくこの館で生活できるように、システムを改善していくことだけなのだ。
 先月咲夜と改定した、内回り妖精メイドメンタルヘルス№1903改定案、サポートプランのy項178行目の改良の余地ありか。 

 しかし、サポートの不備が多少影響しているとして、それだけでこんな激情をぶつけるほどの思いが鬱積するものだろうか。そこで、私ははっと顔を上げた。
 これは、私に対し、その感情をぶつけているのではないか?

 私の行動に、何がしかの原因がある、そういうことか。
 思い出せ、何があった? 何か、この子を泣かせるようなことを私はしたはずだ、何だ、思い出せ!
 分からない。何が原因なのか、見当もつかなかった。私は、奥歯をかみ締めた。
 何と不甲斐ないことか。私は主として、この家臣の思いに気づいてやれない。だが、放置することなど言語道断である。
 自分の中だけで答えを見つけて、改善できないのは、主として未熟だからに他ならない。その謗りは甘んじてうけよう。ここは、プライドは捨て、直接問うて、答えを確かめるしかない。

「お前、一体何を怒り、憐れんでいるというのだ? 私に、その原因があるとでもいうのか? あるのなら、遠慮なく言ってみろ」

 私の問いに、妖精メイド、ルビィは身を震わせると、大きく頭を下げ、顔に両手を当て、部屋から飛び出していった。ぽたぽたと、絨毯を涙が濡らした。
 呆気にとられて、見送ることしか出来なかった私は、どうにか我に返ると、指を鳴らした。一瞬後に、音もなく咲夜が姿を現し、頭を垂れた。

「いかがなさいましたか。お嬢様」
「赤髪妖精メイドのルビィなんだが、ちょっと様子がおかしい。見てやってきてくれないか」
「かしこまりました」

 咲夜が出て行ったのを確認すると、私は腕を組み、大きな溜息をついた。

「フランに続き、ルビィまでおかしくなって。一体なんだっていうの」



□ □ □




 一体ルビィはどうしたのだろう。私は、お嬢様とルビィのやり取りをほぼ初めから、時をずらした位相空間を経由し、覗き見ていた。
 ルビィは、私がこの紅魔館に来る前からメイドをしている、いわば大先輩である。そんな彼女が、先程のような言動をするなど、考えられないことだった。
 現在は、私が指示する立場にあるが、初めの頃は、色々と親切に、仕事のことを教えてもらったものだ。一時期、ルビィお姉ちゃん!などと言って付きまとっていた時もあったか。
 今でも思い出す。彼女の第一印象は、洗濯物や炊き出し、ゴミ捨て場など、どこにでも頭から突っ込む、面白い人だと思っていた。だが実は、故意的ではないと知って、びっくりしたものだ。
 確か、あだ名がレッドブルだったと思う。お嬢様が、お前は我慢強いなあ、お前なら、レッドの名を冠することを許してもいいな、などと笑っていたのが懐かしい。
 いつの間にか、そんな頭突きをすることは無くなったが、道を歩いてる途中で、ピンと急に立ち止まって地面を確認する姿から、当時の名残と合わさってレッドプル、プル、などの愛称で呼ばれていたりもする。
 そして、今も当時と変わらず、頼れるメイドの一人なのだ。
 私は、紅魔館の渡り廊下の先を歩くルビィに追いつくと、肩をつかんだ。

「ルビィさん。一体どうしたんです? あんなことを言うなんて……お嬢様、とても心配されてましたよ」

 ルビィはびっくりした様に、こちらに振り向いた。そして、嫌々するように頭を横に振ると、私の手を振り払って、逃げようとした。
 私は、一応立場上、ルビィを叱らなくてはいけない。お嬢様にも頼まれたこともあるし、このまま逃がすわけにはいかない。私は逃がさないという意思表明を込めて、少し時を止め先に回りこんだ。

「例えあなたでも、お嬢様にあのような言葉を使ったことは、見過ごせないわ。お願い、訳を話してくれない?」

 私は彼女の両肩をつかんで、瞳を覗き込んだ。だが彼女は、苦虫を噛み潰したような顔をして、俯いたきり、何も語らない。
 仕方ない、あの言葉を使わせてもらおう。

「ルビィお姉ちゃん、お願い。理由を教えて」

 私のその言葉に、彼女はっと顔を上げて唇を震わせていたが、意を決したように、一呼吸おいて、言った。

「低脳……」
「え?」

 思わず私は、素っ頓狂な声を出してしまった。
 え、今なんと言われただろうか。低脳。確かに、そう言われた。
 今でこそ、賞賛の言葉ばかりを受けるようにはなったが、仕事を始めた当初は、それなりにミスもして、ルビィからお叱りの言葉を頂くこともあった。
 だが、このような言葉を頂いたのは、はじめてであった。
 この大先輩は、実は心の底で、私に失望していたのだろうか。ずっと、押し隠してきたそれを今、打ち明けたのか。
 確かに、最近は瀟洒だの完璧だのと言われ続け、多少気持ちに弛みも、あったのかもしれない。だが、どこの点をさしているのか、思いあたるところが無かった。
 ルビィは、しまったとでも言うように、口を両手で押さえている。心なしか、両目に涙をためているようにも見える。
 涙を浮かべるほどだというのか。それほどまでに、私を失望していたのか。それはそうだろう、でなければ、低脳、などといった言葉を放つはずが無いのだ。

「ル、ルビィ……えと、私、えっと、何か、至らないところが、あったのかな。ちょっと、どの部分だかわからないんだけど、出来れば教えてくれない? 私、どこダメだったのか、分からないかな、って」

 なんとか、そのような言葉を紡ぎだした。少々、口調がおかしくなってしまったのは、この状況では仕方ないことだと思った。
 私も、幼いころから世話になった大先輩からの、思いもしない言葉に大分ショックを受けているのだ。
 だが、ルビィは私の腕から力が抜けたのに気がつくと、それを振り払い走って行ってしまった。
 ああ……答えすらも教えては、くれないのか。
 私は、廊下にペタリと座り込み、力なくルビィの後姿を見送ることしか出来なかった。



□ □ □



 私が頭をひねっていると、ドアにノックが響いた。忙しいというのに、今日は来客が多い。困ったものだ。
 こう、立て続けに思案を邪魔されると、さすがにイライラもする。私はノックを無視し、本に目を戻した。

「……パチュリー様、いらっしゃいませんか?」
「な、何、どうしたの」

 咲夜の声だった。誰であろうと無視するつもりだったが、いつもの咲夜からは、想像出来ない弱々しいその声音に意表をつかれて、思わず答えてしまった。

「あの、ちょっと相談があるんです。よろしいでしょうか」
「入りなさい」

 咲夜は、先程の声を体現したかのような元気のない姿で、部屋に入ってきた。
 私が目の前の椅子を視線で示してやると、その気落ちメイドは頭を下げて座った。

「一体、どうしたっていうのよ。レミィに、解雇通知でも受け取ったの?」
「いえ、そうではないんです……」
「私も、結構忙しいのよ。レミィから、フランが部屋から急に出たがらなくなってしまった理由を調べてほしいって言われてるの。最近は、美鈴の気功で情緒のサポートしてあげれば、外に出るのも問題ないほどだったのに。ほんと、どうしたのかしら。あなたも、何も知らないのよね?」
「あ、ええ。そうですね、お嬢様にご許可を頂き、妹様のお部屋の様子は確認しましたが何も。しいて言えば、少々性に――いえ! 特に変わった様子はありませんでした。私が不甲斐ないばかりに……あ、もしかして、これのことなの……?」
「どうしたの? 何か思い当たることでもあった?」
「いえ、こちらの話です。お気になさらないでください」
「そう。それで、あなたの用事は何なのかしら」

 咲夜は少し、考え込むようにしていたが、重そうに口を開いた。

「あの、内回りメイドのルビィについてなんです」
「ルビィ? あの赤牛さんなら、ここにいるわよ」
「え!?」
「何も驚くことはないでしょう。ああ、この部屋って意味じゃないわよ。四つ隣の共有読書スペースにいるわ。さっき、小悪魔がメイド妖精の子が一人、入って来たって、連絡してきたから」
「そう、ですか」
「何、あの子、問題でも起こしたの? 妖精メイドの中では、結構な古参の子よね」
「いえ! あ、問題を起こしたといえば、起こしたのですが」
「何よ、はっきりしないわね」

 なんだか、このはっきりしない気落ちメイドを見ていたら、少々イライラしてきた。ともあれ、原因は、赤牛さんことルビィであるという。ならば、ここに呼んでしまえば済むことだろう。
 私は、引き出しから図書館の見取り図と、適当な大きさの魔力触媒を取り出した。
 そして、魔力を注ぎ込んで、術式を展開する。

「ぱ、パチュリー様?」
「動いてどうにかなることに、うだうだと時間かけるのは、好きじゃないわ」

 私は、術式を起動した。空気が渦巻き、魔力触媒が発光する。次の瞬間には、私が空間転移させたルビィが、咲夜の隣に座っていた。



□ □ □



 何が起きたのだろう。さっきまで読書スペースにいたはずなのに、目の前にパチュリー様がいる。
 そして、あたりを見渡すと、

「ニー!!!」

 危ない、思わず、叫びそうになってしまった。というか、思い切り声は出てしまっていた。だが、失言は避けれているはずだ。
 それよりもだ、さっき、とても失礼なことをしてしまった、咲夜ちゃん、じゃなかった、メイド長がいる。あちらもびっくりしながら、こちらを見つめていた。

「パチュリー様、何も説明聞かないで、呼び出すのは……!」
「こういうのは、頭の中でいくら思考をめぐらせても、解決することじゃないわ。直接伝えないとだめなことでしょ。一体何を伝えるのか分からないけど」
「だ、だからそれを伝えるための、相談をしようと……!」

 メイド長とパチュリー様が、何やら言い争っている。これも、全て私が原因なんだろうか。全ては、あの日が元凶なのだ。ああ、なんで、こんなことになってしまったのだろう。

「分からないなら、直接本人から聞きなさい、と言っているのよ」
「で、ですから」
「ちょっとあなた、咲夜があなたのことで悩んでるのよ。謝ることがあるなら謝って、ないなら何が問題なのか、はっきりと理由を教えてあげなさい」

 パチュリー様が、こちらに話を振ってくる。いや、ダメなんです。そうしたいのは山々なんですが、私に話を振らないでください。ほんと、今はダメなんです。私は首を振って、何とかこの場を逃れようと試みる。とりあえず、状況が悪化する前に、ここから逃げなくては。

「ニ!」

 また変な声を出してしまった。逃げようとしたのだが、足ががっちりと固まってしまって動かない。パチュリー様が、魔法か何かで、私を捕縛しているのだろうか。
 ああ、何てことだ。逃がしてください。お願いです。
 何とか、パチュリー様に伝えられないだろうか。とりあえず、目は言葉よりものを語るとも言うし、真剣な表情で、パチュリー様の目を見つめ返してみる。

「何よ、私に何か言いたいことがあるの?」

 いや、そうではないんです。そうではないんですが、お願いです。伝わってください! 何か助けになるものはないかと、周りを見渡した。そして、気づいた。パチュリー様の手元にある、ノートを見て、気がついた。

 そう、紙があるではないか!なんで、今まで気が付かなかったのだ!

 私はどうにか動く上半身で、パチュリー様の手元にあったノートとペンを取ると、さらさらと文字を書き始めた。この紅魔館での仕事経験の長い私は、妖精の中でも指折りの、事務筆記能力があったのだ。

 え? どういうことだ、これは。筆を走らせていた私の手が止まる。いや、馬鹿な。

   ”怒りより 憐れみが沸いてきます きっと ニート

 慣れていたが故に、一息にそこまで書いてしまっていた。私が書こうとしていた言葉とは、明らかに違う文字列がそこには並んでいた。
 ニートという言葉が、どういう意味なのかがわからないが、今までの事から想像するに、ポジティブな意味の言葉ではないだろう。
 しかも、よりにもよって、その何を指すかわからないニートという文字が、このノートの名前を記すべき場所に綺麗に重なってしまっていた。
 なんという偶然、なんという不幸。私は妖精の神を呪いたい思いだった。

 パチュリー様が怪訝な顔で、私の手元を覗き込んでくる。私は必死にそのノートを隠そうとしたが、下半身が固定されてしまっている状況では限界があった。
 やがて、パチュリー様にノートを取り上げられてしまう。
 いや、ダメです、見ないでください。ほんと、お願いします。

 それを見たパチュリー様は、無表情で、私に振り返ると、何かしらの呪文を唱えて私に放った。何か黒い空間に、私の体が飲み込まれてゆく。

 ああ、なんという妖生だったのだろう。まあ、それなりに楽しい妖生だった。さようなら、咲夜ちゃん、さようなら、紅魔館の皆、次に――

 「ぱ、パチュリー様!?」
 「ついカッとしてやった、今は結構後悔している」
 「ルビィをどこにやったんですか!?」
 「大丈夫よ、外部強制送還術式を起動しただけだから、壁の中にいる、とかそんなことにはならないわ。……たぶん」



□ □ □



 今日もお月様が綺麗だなあ。
 紅魔館の庭のベンチに腰を下ろして、空を眺める。そろそろ、休憩時間も終わる。
 お嬢様も、この月を見ておいでだろうか。
 そういえば、この月が終わって次の満月になると、秋の親善旅行だったはずだ。今回は、どんな所に行くのだろう。
 完全に紅魔館を放置するわけにはいかないため、2グループでの交互の旅行になるのが残念だが、毎年の季節旅行は、この館の者なら誰もが胸踊る、大人気定例イベントのひとつだ。
 そういえば、今年からフランドールお嬢様も、ご一緒できるんじゃないだろうか。
 私はそう考えて、館の方を振り仰いだ。
 ここ最近の調子なら、ご旅行も問題無かっただろう。それなのに、つい先日から、フランドールお嬢様が、お部屋から全然出てこられないのだ。

「一体、どうしてしまったんだろう」

 レミリアお嬢様が、パチュリー様に解決を依頼されていたはずだ。近いうちに、理由も分かるだろう。一週間しても解決する気配がなかったら、私も勝手に調査に出てみるか。

「ちょっと、体動かして気分転換でもするかな」

 ゆっくりと息を吐き出して、一息に大きく吸うと、全力で地面を蹴り駆け出す。その勢いのまま、肘打ち、流れるように裏拳、中段蹴り、軽く飛び上がって、頂点蹴りから体を一回転させ、すとんと地面に直立で降り立つ。
 そのままの呼吸で、また地面を蹴り、

「ニ、ニニニニイィィ!ニッニッニッニニィニニィッ!!」

 謎の叫び声と共に、腰のあたりが引っ張られてつんのめる。

「な、なんです!?」

 腰のあたりを見ると、赤髪のメイド服を着た妖精が、頭を抱えてうずくまっていた。

「あれ、あなたは……ルビィ?」

 そしてよく見ると、彼女の髪の毛が、私の服とくっついてしまっている。どうやら、ボタンに引っ掛けてしまったようである。悪いことをしてしまった。

「ごめんなさい。でも、いつの間に、私の後ろに来たの? 演舞中に急に近づくと、危険よ」

 彼女の髪の毛をとってあげようと、屈んで絡まってしまっているであろう部分を確認した。
 そこで、おかしな事に気がついた。絡まってくっついているのではなくて、完全に彼女の髪の毛と私の服が、一体化してしまっているのだ。
 どういうことだろう。よく見ると、私の服に取り付けられたボタンの中にまで、彼女の髪の毛が入り込んでしまっている。
 そして、ひとつのことに思い至った。これは、もしかして。
 空間転移場所が、重なっていたのだ。もし私が、もう少し場所を移動するのが遅れていたら……。

「うわぁぁ、何それ怖すぎる!」

 彼女と私が完全に重なってしまい、気味の悪いクリーチャーが出来上がってしまっていたことだろう。なんと恐ろしい。
 きっとパチュリー様のトラップ魔法か何かが、誤作動してしまったに違いない。後で、改善してもらわなくては。
 そして、肩を震わせている、赤髪妖精メイドのルビィに、視線を向けた。彼女は、困ったような、安心したような複雑な顔で、こちらを見ていた。

「それにしても、ルビィは内回りの仕事よね。こんな所で何をしているの?」

 私の質問に、ルビィは慌てふためいきながら立ち上がろうとした。だが、髪の毛がくっついてしまっているので、それはできない。

「ちょっと待ってね。いまはずしてあげるわ。ボタンを頭にくっつけておく訳にもいかないし、髪の毛の方を少しだけ、切らせてもらうわよ。仕事の後に、私のところに来てくれれば、きちんと、整えてあげる」

 散髪用じゃなくてごめんなさいと一言添えて、園芸用のはさみを取り出すと、髪の毛を服から、切り離した。
 ルビィは、それに頭を下げるようにして礼をすると、館に向かって一目散に逃げ出していく。

「なんだろう。気に障ることしちゃったかな」

 いつもは顔を合わせると、にこやかに挨拶してくれる子なんだけど。
 なんとなく寂しい気分で、走っていく赤髪妖精の後姿を目で追っていると、館の中には入らず、正面扉の前で立ち止まった。そこで暫し、直立姿勢のまま立っていたと思うと、肩を落として、逆方向に歩き始めた。
 そして、ふわっと軽く浮かび上がり、勢いよくタックルをした。

「おお!!」

 思わず、歓声が漏れる。何年ぶりだろう。久々にルビィの、タックルを見た気がする。何も知らない者が見れば、ただ転んだように見えるだろう。
 だが、それはどんな手練の懐であろうと飛び込める、計算された突進なのだ。赤牛の二つ名は伊達ではない。
 相変わらず、隙の無い、素晴らしいフォーム、見惚れるほどの完璧なる飛びつきだ。
 周りの状況に、常に気を張っている私の虚をも突く鋭さは、筆舌に尽くしがたい。基本的な技を極めて、奥義に至る。まさにその典型だろう。
 あの技は、ルビィがこの館に来た時から、ずっと磨き続けてきたものだ。その錬度たるや、レミリアお嬢様に赤を名に冠するレッド・ブルという二つ名を頂いたほどなのだ。
 どう考えても無謀と言えるものにまで突進していくその姿は、日々鍛錬を怠らない、修験者の鑑のようにさえ思えたものだ。
 封印していた数年を経てもなお、その切れに、衰えはうかがえない。

 良いものが見れた。今日は一日いい気分で、過ごせそうである。
 あのタックルを仮想敵にして、イメージトレーニングするのもいいかもしれない。軽く頭の中でイメージを作ってみる。だいぶ厳しい戦いになりそうだ。
 だが、その満足感と同時に、不可解さもあった。
 ここ何年かは、一度も人前に晒すことのなかった奥義を、何故この場で披露したのか。何か、深い意味があるのだろうか。
 じっとそんな彼女を見ていたが、どうしたのだろう。タックルした姿勢のまま、立ち上がる気配が無い。
 私は恐る恐る、彼女に歩み寄る。そして、ギョッとした。

 彼女は、土が顔に着くのも気にせず、つっぷして、泣いていた。

「に、にぃと、ていのう、ていげっしゅー、……いかりより、あわれみが、わいてきます……」

 私は、その呟きを聞き、再度衝撃を受けた。
 この努力を欠かさぬ赤髪妖精は、あれほどの神技とも言うべき突進に、全然満足していないのだ。まだ、己を罵倒し、追い込み続けている。
 見よ、この悲哀に満ちた表情を。私も久しく忘れていた、武への追求心を思い出し、熱いものが込みあがるのを感じた。

「ルビィ、私、感激したわ。武を志すものとして、互いに、技の研鑽に邁進して行きましょう!」

 私が手を取り立ち上がらせると、ルビィはぽろぽろと涙を流し、焦点の定まらない、力の抜けた視線を私へ向けた。
 久しいタックルに、全気力を使い切ってしまったのだろうか。これでは、技の研鑽等と言う以前の問題だ。気を送って少し元気づけてやろうと思い、背中に手を添える。
 そこで、ふとルビィの経絡系に、不自然な流れを見つけた。
 この感じは、魔法だろうか。何かしらの、魔力片が経絡の流れを阻害している。さっきの空間転送の際に紛れ込んだのだろうか。それにしては、綺麗すぎるくらいに経絡に癒着している。
 ……間違いない、これは意図的なものだ。

「ルビィ。あなたの体におかしな魔力片が入りこんで、気の流れをおかしくしてるみたいなんだけど。何かあった?」

 私の問いに、ルビィは凄い勢いで顔を上げた。何かを期待するかのような、必死の形相で、こちらを見つめてくる。
 とりあえず、その魔力片をもう少し詳しく調べてみる。何か、引っかかるものがあったのだ。

「思い出した! これ、先週末の会議の時の……!」






 そう、これは4日前の、秋の親善旅行案の作成会議の時のことだ。
 会議室に居合わせたメンバーは、レミリアお嬢様、咲夜さん、パチュリー様と小悪魔さん、フランドールお嬢様、私、そしてお茶を運んでいた、メイド妖精のルビィだ。
 レミリアお嬢様が、フランドールお嬢様に向かって、どの宿が良いか質問した。
 突然話を振られ、中々宿を決められないでいたフランドールお嬢様に、私とパチュリー様が、両側から挟み込む形で助言したのだ。
 私とパチュリー様がオススメする宿が、相反するものであったため、フランドールお嬢様は板挟みになる形で、困惑してしまっていた。

「ちょっと、あなたたち……フランが、困ってるじゃないの」
「いえ、これは純粋に、フランドールお嬢様に、この宿の素敵なところを余さず、説明しているだけでして……」
「あらレミィ。現地にも行ったことがないこの子に、答えを委ねたのはあなたでしょう。知識もなしに選ぶことは、選択とは言えないわ」

 この時、私とパチュリー様は、お互いに自分の主張、ではなくてフランドールお嬢様への相談役を譲るつもりはなかった。
 それにレミリアお嬢様が業を煮やし、こう言われた。

「咲夜、今回のルール」
「はい。かしこまりました」

 お嬢様の声に、咲夜さんが、空へと大量のカードをばら撒く。
 それに続いて、レミリアお嬢様の目の前に、一本のナイフが出現する。
 お嬢様はそれを手に取ると、軽く口付けをして、天井高く放り投げた。
 放られたナイフは、一枚のカードを貫いて、卓上に突き刺さる。
 他のカードは、床に触れようとする瞬間に、消え失せていた。
 メイド長は、恭しくカードを貫いているナイフを抜き取ると、書かれた文字を読み上げた。

「己が道を進みたいのならば、己が力で切り拓け。ルールなど無用」

 私はルールを理解したと同時に、パチュリー様に向かって、飛び蹴りを放つ。
 このルールは、何使ってもOK、ただし何か壊したり迷惑があったら、経費責任はお前もちな!という、当事者以外人畜無害な素敵ルールだ。
 私の気合を込めた踵が、パチュリー様の側頭部を蹴り抜いた、かに見えたが、パチュリー様を突き抜けてしまう。私は慣性のまま、素早く机の下へと滑り込む。
 一瞬後に、パチュリー様だったものの姿が膨張し、燃え上がる。
 反応が遅れていたら、今頃ヴェルダンだ。
 エレメンタルデコイ。気の流れまで再現するとは、流石はパチュリー様といったところである。
 私は卓の下から勢いよく飛び出すと、壁伝いに疾走する。先程まで感じなかった、気配を3つ、新たに感じ取る。
 動きから察するに、今発火したエレメンタルデコイと同種の何かのようだ。
 思ったとおり、顔を上げ周りを見渡すと、発火したエレメンタル以外に、3体の、人型の霧のようなエレメンタルが現れている。
 パチュリー様の姿は見当たらない。
 小悪魔さんが、一体のエレメンタルに何やら、耳打ちするような体勢で寄り添っている。魔法を施工しているのだろうか。
 この場合、小悪魔さんを攻撃していいのかどうか、迷うところだ。
 今現在、彼女の行っていることが、パチュリー様への支援だという明確な証拠が無い。
 何か細工をしていたとしても、共闘の意思がないものは、等しく部外者という扱いなのである。
 私が彼女に攻撃を加えた上で、中立であったと判断された場合、ルールの「迷惑があったら、責任を取る」に抵触する。
 パチュリー様に対し論述対決に持ち込むなど、狂気の沙汰だ。
 仕方ないが、この状況では、明確な共闘者と判断つくまで、小悪魔さんは無視するしかなかった。

 エレメンタルの一つが、私に近寄り、ゆっくりと腕を広げて掴みかかろうとしてくる。その腕が、卓の一部をかすった。途端に、ジュワッと音を立てて、卓が溶け出す。
 酸のエレメンタルか。さすがパチュリー様、容赦がない。あんなの触れてしまっただけで、怪我では済まない。
 そして、私はその時に「あちゃーあの卓、修理費用どうしようかしら」という声が後ろの方から聞こえたのを、聞き逃さなかった。
 消音防壁は万全だと油断したのが、運の尽き。私はすでに、壁全体に気を練りこんだ、魔力感知型の盗聴センサーを設置していた。
 これは以前「いざという時のために、持っておけって!」と、ぼったくり価格で白黒魔女から、無理やり買わされたマジックアイテムの一つだ。まさか、こんな所で役に立つとは。

 センサーの反応は、フランドールお嬢様とルビィの間。そこにいるエレメンタルからだ。あれが、パチュリー様か。
 妹様と、完全部外者の妖精メイドの間とは、なんと攻撃しづらい所に陣取っているのか。こういうところでも、容赦がない。さすがパチュリー様である。
 しかし、位置は分かった。その上、私がパチュリー様の位置を把握したことには、気づかれていない。大きなチャンスである。
 戦いにおいて、情報とは致命の刃足りうるのだ。私は今、一つ情報で有利に立っている。
 パチュリー様は、私が魔法関連に関しての、察知能力は疎いと思っているだろう。だが、私にはこのセンサーがある。
 その事に気づかれないように、パチュリー様への間合いを詰めていく。再度、周囲を確認する。

 左手の窓に近い側に、レミリアお嬢様と咲夜さん、小悪魔さん。右手に、フランドールお嬢様にルビィ、その間にパチュリー様が姿を変えているエレメンタル。
 私とパチュリー様の間には、火、酸、謎の三体のエレメンタルが待ち構えている。
 炎のエレメンタルは、最初の攻撃でカウンター発火し、周囲から魔力の補給中。動けるようになるのは、もう少し後だろう。
 酸のエレメンタルは、その高すぎる威力から、素早い動作は行わないはずだ。あの殺傷能力の高い酸エレメンタルを、自らや、妹様、妖精メイドの近くに移動させることは、考えにくい。
 残るは、謎のエレメンタルだ。

 再度言おう、戦いとは、情報戦だ。
 私は、職業柄、戦闘開始前にあらかじめ、部屋にいた全員の常態を把握していた。
 もとい、この館の門番として、守るべき人々を知り、理解することは、より安全で正確な護衛へとつながる。
 例えば、レミリアお嬢様の、いつもより少し浅い呼吸から、普段よりコルセットをきつめに装着していることが分かる。きっと、久々に妹様と接触する機会に、気合を入れてのことだろう。がんばです、お嬢様。
 咲夜さんのストッキングの伸縮による膝と膝裏のこすれ具合から、今日は屈伸の回数が多かったことが分かる。倉庫仕事でもしたのだろう。この後、休まれる前に、マッサージでもしにいくとしよう。
 こんな感じで、人とは情報の塊なのだ。そんな私が、パチュリー様の装備を把握していないはずが無い。
 そして、私は今まで、パチュリー様とはこういった戦いを幾度と行ってきた。伊達に長年見てきてもいない。
 布ずれ、衣服の皺の入り方。ちょっとした体重移動の際の回転軌道、沈み込む絨毯、来ている衣服やその懐のサイズ。そして気の流れ。
 それらの様々な情報から判断して、今のパチュリー様の装備は、魔力触媒結晶が四個、魔法書一冊、魔力瓶一本といったところだろう。ほぼ間違いないはずだ。

 触媒結晶を使い、エレメンタルを生成。魔力瓶のマナからそのエレメンタルに能力を付加したと考えられる。
 魔力瓶の容量から計算すると、半分以上のマナを酸エレメンタルにつぎ込んでいる。もう半分近くは炎のエレメンタルだ。残りの少量を身を隠すエレメンタルと謎エレメンタルに割いている。
 謎ではあるが、いまだ機能不明のエレメンタルは注ぎ込まれた魔力量自体は、大したことが無いということになる。
 頭数増やすだけの、デコイと考えるべきか。
 小悪魔さんが何やらいじっていたのが気になるが、そのいじるという行動自体が、フェイクであるとしたら。
 そういえば、小悪魔さんは、あの謎エレメンタルに何やら耳打ちをするように、囁いていたようにも見えた。これが、パチュリー様を示すフェイクだったのではないか。
 エレメンタルに囁くなど、普通はすることではない。ということは、それをすることで、私に疑いの目を向けさせたかったのではないか。
 実際、私が魔力センサーを使用していなかったら、小悪魔さんが囁いていたエレメンタルに、パチュリー様が隠れているのではと、疑っていたかもしれない。

 謎エレメンタルは、完全なフェイク。私はそう判断した。

 情報がまとまったら、後はそれを基に行動していくだけだ。
 もう一度、周囲を確認する。

 作戦はきまった。

 全力で、謎エレメンタルをぶち抜く。これだ。
 フェイクということは、何かしらのトラップが、仕掛けられているだろう。
 だが、先ほどの魔力量計算結果から考えて、謎エレメンタルに大したことができるとは思えない。
 出来たとして、ちょっとした足止めくらいだろう。
 私が謎エレメンタルをパチュリー様だと思い込み攻撃し、倒せたと油断をしているところに、本物のパチュリー様は攻撃を仕掛けようと、考えているに違いない。
 どんな者でも、勝利の瞬間は気が緩むものである。一番の、隙なのだ。
 まさに、天国から地獄、月から地底である。持ち上げて叩き落すという、いかにもこの魔女様が好みそうな策ではないか。
 そこを逆手に取り、全力で謎エレメンタルをぶち抜き、その勢いのまま、その後ろにいるパチュリー様に攻撃を加える。
 あちらが、こちらが策に掛かったと油断した瞬間に、私の攻撃が襲い掛かるわけだ。反応は難しいだろう。
 自動呪文障壁は展開しているだろうが、あらかじめ攻撃するべき対象が分かっていれば、突き抜かすのは造作も無い。

 策に溺れましたね、パチュリー様!

 私は体中の気の流れを加速させる。そして、それを練りこんで、丹田へと溜めてゆく。
 この踏み込みで、多少床が抜けてしまうかもしれない。ちょっと人里での甘味を食べに行く回数が、減ってしまうかもしれない。
 しかし、それもしょうがない。幻想郷では本来お目にかかることすら出来ない、海の幸料理を提供してくれるあの宿には代えられまい。
 どうしても、妹様にはあれらを味わって貰いたい。

 このくらいでいいだろう。私は迸る全身の気を踏み込む脚、突き出す拳へ送り込んだ。そして、一足飛びに謎エレメンタルに肉迫すると、気を込めた拳で打ち抜く。
 思ったとおり、謎エレメンタルはあっけなく、散った。
 そのまま拳を振り切る。何かしらの魔法が纏わり着くのを感じた。だが今は、目の前のパチュリー様が先決だ。
 その勢いのまま、フランドールお嬢様とルビィの間にいるエレメンタルに、接近する。
 思ったとおり、エレメンタルは両手をかざすようにして、魔力を収束させている。だが、すでに遅い。
 私はエレメンタルの首と思しき場所を掴み、床に押し倒した。そして、馬乗りの体勢でもう片方の拳を顔面に振り下ろし、直前でピタリと止めた。
 私の拳圧で、爆音が轟く。周りの書類を巻き上げ、家具が振動でビリビリと揺れる。その衝撃で、エレメンタルが霧散する。
 後には、ジト目の魔女が仰向けで倒れている形となった。
 魔女は、ふうと息をつく。

「美鈴、いつまで私に乗っかっているつもり? さっさと降りてくれないかしら。まったく、耳がおかしくなるかと思ったわ」
「○○、○○○、△△△△△△!」

 あ、すみません。けど、これで私の勝ちですよね!
 そう言ったはずだった。だが、口から出た言葉は、ちょっと公にするのは、憚られるものだった。

 目を見開き、あっけに取られるレミリアお嬢様。
 相変わらず、瀟洒な咲夜さん。
 頬をひくつかせながら、無表情で耳を真っ赤にする、パチュリー様。
 口に手を当て、赤面するフランドールお嬢様。
 ニヤニヤ笑う、小悪魔さん。
 床で気絶しているルビィ。

「○○○、○○○○、○○? ○○○?」

 ちょ、ちょっと、なんですこれ? 私こんなこと言ってませんよ、え?
 と言ったようなことを思わず呟いたが、出た言葉はまたしても、意図しないものだった。

 あんぐりと、小さな御口をあけて呆然としているお嬢様。
 相変わらず瀟洒なメイド長。
 視線をそむけて、首まで真っ赤にしている魔女様。
 口に手を当て、赤面しながらびょんぴょん飛び跳ねている妹様。
 手で顔を隠して、俯き肩を震わせている、小悪魔さん。
 平社員なんでしょうね、と寝言を呟いている妖精メイド。
                        
 私はすっくと立ち上がると、大きく腕を広げた。
 全員の視線が、私へと集まる。

 パン!!!!

 勢いよく、両手を張り合わせた。破裂音が響き、部屋が沈黙する。
 私はその一瞬の間に、経絡系の巡回出力を跳ね上げ、謎エレメンタルから受けた、全身に纏わりつく魔力片を粉砕した。 

「それで、パチュリー様。私の勝ちで、よろしいですか?」

 何事も無かったように、そう言った。やはり、この魔力片が言語操作を行っていたようである。
 ねこだましからの完全スルーによる、連続技だ。
 戦いにおいて、はったりや空気の掌握は、基本戦術である。この程度で、心揺さぶられるほど、私は甘くない。

 ふん、と息をついて、咳払いするレミリアお嬢様。
 相変わらず瀟洒な咲夜さん。
 そうね、と少し上ずった声で何事も無かったように立ち上がる、パチュリー様。
 空気に着いて行けず、きょろきょろするフランドールお嬢様。
 笑顔で舌打ちする、小悪魔さん。
 低月収、と寝言を呟くルビィ。

 見事私は勝利を収め、フランドールお嬢様の御宿相談役を得た。
 だが、何故かその後に妹様が部屋から逃走、会議は一時中止となってしまった。









 そして今現在、その時の魔力片と同質のものが、このルビィの体に入り込んでいるのだ。 
 同時に今までの、ルビィの不自然な行動の謎が、氷解した。

「あの日から、ずっとまともに、言葉が話せなくなっていたのね?」

 私のその問いに、ルビィは泣いてくしゃくしゃになっていた顔をさらにゆがませ、何度もうなずいた。
 そっと抱き寄せて、頭をなでてやると、声を押し殺したようにして、赤髪妖精は静かに泣く。

「ルビィ、私はもう、きちんと理由を知ってるから、声を出して泣いていいのよ?」

 私がそう言ってやると、また目に涙をあふれさせ、大声で泣き出した。

「ふぐ、怒りより、あ、憐れみが沸いて、きます。きっと、に、ニートか低脳低月給の、ひら、平社員なんでしょうね……! うう!」
「……それは確かに、つらい縛りね」


 ひとしきり泣かせて落ち着かせると、そっと体を離して目を見る。
 このくらい落ち着けば、魔法片除去開始して平気だろう。興奮状態での経絡干渉は、あまりよろしくないのだ。

「いま、その魔力片を取り除いてあげるわ。けどあれね、あんな言葉しか話せなかったとなると、お嬢様やメイド長に、失礼なことしちゃったのよね? この後、私も一緒に謝りに行ってあげる」

 私がそう言うと、またルビィはわっと大きな声で泣き出し、頭から胸に飛び込んできた。

 オッフ……、

 さすがの頭突きである。危うく、口から何かが飛び出しそうになるのを堪えた。
 また感情を高ぶらせてしまった。言うタイミングを間違えたかな。
 しかし、ルビィの貴重なタックルを頂けたのだ、良しとしよう。

 それにしても、厄介な魔法片だ。
 あの時の状況から考えて、おそらくパチュリー様の魔法に便乗して、小悪魔さんがいたずらしたものなのだろう。
 まさか、ルビィにまで、影響しちゃうとは思ってなかっただろうけど。
 まったく、あの子のいたずらにも困ったものだ。
 苦笑して、ふと、もう一つの可能性に思い当たる。
 あの時、ルビィ以外に近くにいたパチュリー様が、この影響を受けなかったのは、まあ普段から魔法を扱う者として、なんら不自然ではないだろう。
 だがもう一人。

 ……フランドールお嬢様だ。

 なんということだ、間違いない。時期も行動も一致する。
 妹様も、この魔力片の影響を受けてしまったのだ。
 これは一刻も早く、治療して差し上げないと。
 こうなると、妹様にも事のあらましは、説明しなくてはならないだろう。
 小悪魔さんには少々気の毒だが、今回は妹様に直接、お灸を据えてもらうのもいいかもしれないな。私はそう考えて、空を仰いだ。

 しかしこれで、心配だった秋の旅行の問題も解消である。
 フランドールお嬢様との海の幸、実に楽しみだ。




 その後、紅魔館では、小さな悪魔と黄色い悪魔の鬼ごっこが、しばしば目撃されたとか。










おしまい




ね、ねえ小悪魔……。この貝って、こないだ教えてくれた、あれに似てない?

あ、妹様さすがですね!それは、

ちょ、こらあああー!










“怒りより、憐れみが沸いてきます……きっと、ニートか低脳低月給の平社員なんでしょうね……”

 チャット会話中に、このフレーズを友人が送ってきて、インパクトのあるそれに、これしか喋れなくなった人とかいたら面白いなぁ、と考えたのが切欠で、このお話をつくりました。
 某掲示板の一つのテンプレらしいです。

 楽しんでいただけましたら、幸いです。
真四角ボトム
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コメント



0.1380簡易評価
5.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。小悪魔マジ悪魔w
8.100名前が無い程度の能力削除
黒髪妖精は今は神社でお茶すすってるんですね
9.90名前が無い程度の能力削除
バトルいいね。パチュリーやられちゃうのかなとも思ったけど、条件が美鈴有利か。
面白かったです。

ニ!
10.90奇声を発する程度の能力削除
小悪魔www
19.100名前が無い程度の能力削除
フランちゃんは小悪魔になにを教わって少々性に…何なんだぁっ!?
21.100名前が無い程度の能力削除
妹様が何しか話せなくなったのか気になるw
22.100名前が無い程度の能刀削除
三作目から辿ってきました
楽しめましたよ、しかし一作目のころからすで"ぃゃらしぃ”かすり技を入れてくるとは…
33.無評価名前が無い程度の能力削除
鏡に映った吸血鬼ww
34.100名前が無い程度の能力削除
小悪魔やめろw
良い紅魔館でした美鈴が良い!
37.90名前が無い程度の能力削除
みんないいキャラしてて面白かったです