月曜日 守矢神社
ただいま。二人とも居るな。
ああ、聞いてきた。あの烏天狗の話によると、奴が情報を得るまでにこの件に関わったのは、少なくとも三人。うち一人は、他の二人から聞いた話をしていたのだそうだ。諏訪子! ちゃんと聞いてる!?
良い? 諏訪子。いや、洩矢の神よ。これは由々しき事態なのだ。我ら、守矢の秘密が暴かれたのだぞ! 私とお前の、あの忌々しい出来事ばかりか、我らに仕える風祝にして、我らの愛しい娘である早苗の、絶対に知られてはならぬはずの、あの秘密までもが暴かれたのだ! これは、我らへの信仰にも関わる問題だ。心せよ。
早苗、お前がそんな弱気でどうするのだ。ああ、わかっている。確かに、幾分かの齟齬があるとはいえ、それは事実だ。何も、それを捩じ曲げようと言うのではない。だが! 我らが秘密にしている事実が外部に漏れたこと。それ自体が問題なのだ! このままでは済まさぬ。我らの神秘を探る愚か者に、必ずや、神罰を下してやろうぞ。
うむ、すまん。では、此度(こたび)の事件に関わった者の名と、姿を伝えよう。まずは、此奴(こやつ)。そう、あの半獣人。白沢の娘だ。歴史を支配する力を持つあの者であれば、我らの秘匿を破ることも出来るやも知れぬ。
次が、この女狐(めぎつね)。かの八雲の九尾よ。その力の強大さについては、今さら口にする必要もあるまい。そして、今、この季節においては、彼奴(きゃつ)は制御の利かぬ怪物だ。我らを狙ってきたとしても、何ら不思議はない。
そして最後に、もう一人…。
木曜日 人里
おい。それをどうするつもりだ。違う。今は、ご主人が少し席を外されているだけだ。本当か? だったら、ちゃんと、お金は持ってるんだろうな。見せなさい。これで全部? よし、ここに数字が書いてあるのが見えるな? ここだ、ここ。何円だ? うん。そうだな。それで、この小銭は全部でいくらかな? サバを読むな、サバを。しかも、それでも足りてないから。
ああ、ご主人。こんにちは。すみません、こいつが居ると余計に寒いでしょう。いえいえ、今、どれを買うか相談していたところです。このリンゴ、一つ頂けますか。ありがとう。え? ええ、良い子ですよ。本当に。いつも寺子屋の掃除まで手伝わせてしまって、むしろ申し訳ないぐらいで。あ、こら、待て。すみません、失礼します。
待てと言うのに。これが食べたかったんじゃないのか、お前は。もちろん、お代はもらうよ。お前が食べて良いのは、そのお金の分だけだ。要らないのなら、私が全部もらうが。うん。そうか。じゃあ、あそこに座って食べようか。
先に齧(かじ)って良いぞ。ただし、全部は食べるなよ。ところで、お前、普段から店の物を盗んでるんじゃないだろうな。それなら良いんだが。とにかく、泥棒は絶対に駄目だ。一度だけだから、では赦されないんだぞ。確かに、甘くて美味しそうなリンゴを食べたい気持ちはよく解る。だが、だからって、それをタダで持って行かれたんじゃ、お店の人は生活が出来なくなるんだ。おい、聞いてるのか。
まったく…。知恵の果実は人間だけでなく、妖精まで堕落させる、か。いや、気にするな。外の世界に、そういう伝承があってな。決して食べてはいけないリンゴを口にしてしまった人間が、神の怒りを買って…。いや、糖尿病とかではなくて。どこで覚えてくるんだ、そういうことを。ああ、あの兎か。あいつが口を開くと、ろくなことが…。
おい、いくらなんでも食べすぎだ。もう八割方、無くなってるじゃないか。八割っていうのは、十個に分けたうちの八つ分だ。七つ分なら七割。お前が持ってたお金は、これだけだろう。いいか、そのリンゴの代金全部を払うには、このお金が二倍と半分ないと足りないから…。こら、逃げるな!
寒い日に食べる蕎麦は、本当に美味しいな。お椀から立ち上ってくる真っ白い湯気が、より一層、その温かさを感じさせてくれる。その温もりと、甘さ、それから、ほんの僅かな辛さを内包したお汁(つゆ)が存分に染み込んだ、この油揚げ。これを食べる時、私は、この世の誰よりも幸せなのではないかという錯覚に陥りさえするよ。ああ、ごめん。無理しなくて良いよ。橙は熱いのが苦手なんだから、ゆっくり、冷ましながら食べなさい。
おや、白沢の。こんにちは。ほら、お前も挨拶しなさい。どうしたんだい、そんなに急いで。師走(しわす)はまだ先だよ。チルノ? うーん。ここ一分間で私の前を通って行ったのは、人の子が二人だけだな。また、何か、やらかしたのか? リンゴ? ははは、なるほど。利息の計算なら手伝うよ。なに、一秒で終わる。おや、そうかね。ああ、伝えておくよ。ごきげんよう。
さて。聞こえていただろう? 次に彼女と顔を合わせるまでに、小遣い稼ぎでもするんだね。それと、私の尻尾は子どもが隠れるために付いているんじゃないんだよ。せっかく蕎麦を食べて温まっているのに、体が冷えてしまうじゃないか。ああ、それから、ちゃんと礼は言ったのか? 私に言ってどうするんだ。勝手に匿わせておいて。まったく。素直に頼めば、リンゴぐらい奢ってくれるだろうに。
良いじゃないか。先生の話ってのは、聞けるだけでも有り難いものだよ。自分で考えるのはとても大事なことだが、まずは、人の話を聞くことによって少しずつ賢くなっていくんだ。里の子ども達だって、慧音のお陰で…。知恵の果実? ああ、アブラハムのところの話か。蛇が人間を唆すんだったかな。まさか彼女も、お前にそんな話を覚えさせようなんて思ってないさ。だろう? じゃあ、何が不満だったんだ。
ハチワリ? ああ、八割ね。割り算と掛け算が面倒で逃げた、って、子どもか。…子どもか。だけど、割り算というのは本当に大切なんだ。例えば、ここにリンゴが一つあるとしようか。私達が三人で平等に食べたいなら、何切れにすれば良い? ああ、そうだね。橙は賢いな。でも、三つに分けると、少し大きいだろう。おい、逃がさないよ、チルノ。私は、あの娘みたいに優しくないからね。
今の例だと、リンゴは六つに分けても良いし、九つに分けても良い。皆、二切れずつになるか、三切れずつになるか、だ。とにかく、同じ数だけ食べられれば良いんだ。これがもし、八等分だと、誰かが二切れで我慢しなきゃならない。そうすると、喧嘩になるだろう。ん? 何だい、橙。
ああ、お前は本当に優しい子だ。いや、良いんだ、橙。その時は、私が二切れで良いんだ。むしろ、九等分した時でも、私からお前に一切れあげよう。お前は四切れ、私は二切れで良い。え、ああ、すまん。そうだな、ずるいな。いや、ほら、そうやって、一切れだけ余ったりすると、誰かが怒り出して喧嘩になるから良くないってことだ。
ええと、そもそも、何の話だったかな。ああ、そうだ。お前が金を払わずに食べてしまった分の話だな。さっき、慧音が言っていた金額は覚えているか? うん、やっぱりね。ちょっと待て。ほら、この紙に書いておいてやったから、これだけ金を溜めるんだ。なに、これぐらい、あっという間だよ。間違っても誰かから奪おうとするなよ。下手に異変に発展されると、紫様を起こさないといけない。
そうだなあ、お前は夏場には需要が高そうなんだが。ううむ、私は別に手伝ってもらうこともないし。お、あれは。丁度良い、あいつに訊いてみろ。無駄に顔が広いから、何か良い仕事を教えてくれるかも知れない。
あや、貴方が先に見付かってしまいましたか。いえ、こちらの話です。しかし、人の里に居るとは珍しい。何か、良からぬことでも企んでいるのですか? もし、事件を起こすのなら、事前に教えておいてくださいね。
はい? 仕事? え、仕事? どうしたんですか、熱でもあるんですか。あやや、これは、ただ事ではありませんね。未曾有の大事件の匂いがします。怒る前に、ご自分の日頃の振る舞いを省みて御覧なさい。千人中、千人が私と同じ反応をすると思いますよ。
いえ、ありますよ。丁度、貴方に頼むのも、なしではないかな、といった仕事が、確かに、あります。河城にとりは知っていますか? ほら、あの機械好きの。そう、その河童です。彼女が、また妙な装置を作ろうとしていまして。極端に温度が低い状況で実験してみたいと言うのですよ。
ええ、私も、貴方の能力は適任だと思います。ただ、迂闊にやらせると、余計なものまで凍らせてしまう気がするんですよね。できることなら、レティさんに頼みたかったんですが。貴方、この間も、うっかり花を凍らせて、幽香さんに折檻されていたじゃないですか。ふふふ。私を侮ってもらっては困ります。…ほう。昨日までの貴方と、今の貴方。どれほどの違いがあると言うのですか?
なるほど。貴方が人の話を大人しく聞いていたのなら、それは大した進歩ですね。ちなみに、その賢い奴らとは、どちら様のことでしょうか? ほほう。それは、それは。彼女たちの話を聞いたのならば、さぞかし、ためになったことでしょう。ふむ。では、その有りがたいお話の内容を、この私めにも教えてもらえませんかね。
初っ端から思い出すのに苦労されては、流石の私もフォローできませんよ。はい。リンゴ。食べた。ええ。怒られた。え、神様? 神様がリンゴを食べて怒られたのですか? 蛇? ああ、うちの山の神様ですか。ハチワリ? はあ。割り算。九分割。三人で。ああ、あそこには三人いらっしゃいますからね。しかし、リンゴを九分割とは、また器用な。ええ。喧嘩に? どうして喧嘩になるのですか? ああ、誰かが二切れしか食べないから、残りの一切れをめぐって。最初から八分割にすれば良かったのに。
ごめんなさい、ちょっと待ってもらっても良いかしら。貴方、私を翻弄するために、わざとやってるんじゃないわよね? はいはい、失礼しました。どうぞ、続けてください。
え、何です。何を思い出しましたか? 油、ハム? またカロリーの高そうな話ですね。あ、ひょっとして、私たち天狗からの献上品のことですか。そんな、お中元みたいな物、送ったかしら。お、今度は何ですか。一人で食べてしまった? 三人ではなかったのですか? ああ、それはリンゴの話ですか。糖尿病? そりゃあ、油やらハムやらをお一人で召し上がられては、心配でしょう。ですが、その前に、一婦人として、体重を気にした方が良いですね。特に早苗さんはまだお若い…。むむ、そういえば…。
なるほど。解りましたよ、チルノさん。ありがたい話ではなく、ただの噂話なのが気になりますが。おそらく、こういうことでしょう。
日曜日 河童の住処
やあ、盟友。久しぶり。まあ、これでも飲みなよ。あ、冷たいよ。温かい飲み物もあるけど。いい? ああ、そう。それで、最近どうよ、魔法の研究の方は。そうか、そうか。良いじゃない。普通が一番、ってね。
ん? ああ、これ。よくぞ聞いてくれた。違う、拷問器具じゃない。これはね、瞬間移動装置の試作品だよ。まだ送信側だけなんだけど。いやいや、あのスキマとは原理が違うのだよ、ワトスン君。あ、知らない? ワトスン。まあ、いいや。とにかく、こいつは中に入れた物を塵よりも細かくなるくらい粉々に砕いて…。処刑器具でもないってば。確かに、今は違う用途にしか使ってないけどさ。実験も失敗したし。わざわざ氷の妖精に手伝ってもらったのに。だけど、ほら、そのリンゴジュース、美味しいでしょ。ね?
ああ、そういえば、リンゴで思い出したんだけど。うちの山の上の神様、いるじゃん。そう、あの人ら。最近、東風谷の姉さんが妖怪退治に精を出してるのは知ってる? でしょ。大きい声じゃ言えないんだけどね、あれはどうやら、ダイエットの一貫らしいよ。まあ、聞きなって。そうなったのにも、理由があるのよ。
天狗様方も、私ら河童も、一応、あの神社を信仰することで御加護を頂いてるんだ。なんだかんだで、お強い人らだからね。で、その証として、旬の野菜や果物なんかを献上してるのさ。あの人らも、わりと喜んでくれてね。ところが、その献上品の中にあった一つのリンゴが、悲劇を呼んだんだよ。
食後のデザートにリンゴを頂きましょう、ってなってさ、東風谷の姉さんが器用に九等分になるよう切ったらしいのよ。九なら三で割り切れるからね。ところが、当の東風谷の姉さんは、おなかが一杯で三切れ目が食べられなかった。だもんで、お二柱(ふたり)のどちらかが食べてくださいと言ったのよ。そしたら、双方が同時に、それじゃあ私が、とフォークを突き刺した。睨み合う二柱(ふたり)の神。さあ、こうなったら戦いだ。この世で最もいじましく、恥ずかしい争いだ。
そうして始まった第二次諏訪大戦は、熾烈を極めなかった。うん。ちゃぶ台の上のお茶がひっくり返ったところで、怒れる第三勢力の勝利で終結したらしい。結果、八坂様と洩矢様は、しばらく献上品を食べさせてもらえなかったそうな。ここまで聞いたら、もう解っただろう。そうそう。献上品禁止令が出ている間、一人でそれらを処分していたもんだから、ちょこっと重くなっちゃったんだね。それで、体を軽くするために妖怪退治ってわけ。
あ、ジュースはおかわり自由だよ。どう、もう一杯。あれ、口に合わなかった? うん。ああ、そういうこと。あはは。あんたも、何だかんだで乙女だね。
月曜日 守矢神社
かーなーこー。もう、良いじゃん、別に。そりゃあ、しょうもない理由で喧嘩してて怒られたってのは恥ずかしいから、黙ってようって言ったのは私だけどさ。良いんじゃないの? そういう、親しみやすい感じの神様も。あんたが目指すところでしょ。それに、早苗の体重が増えたのだって…。
いや、だからさ、早苗。うん、わかってる。わかってるから。そんなつもりで妖怪退治してるんじゃないもんね。私たちの信仰を増やすために、やってくれてるんだよね。ありがとう。大丈夫。ちゃんと、わかってるから。
うーん。あんたは、そう言うけどさ。私には、どうも、この連中に悪意があったとは思えないのよね。見てみな、この三人の組み合わせ。これに、あの射命丸が加わるんでしょ。その、何て言うのかな。あれよ、偶然の積み重ねってやつ。いやいや。案外そういうものなんだって。
きっと、賢人を足し合わせて、ブン屋と馬鹿を掛ければ、奇跡が起きて真実に辿り着くのよ。
ただいま。二人とも居るな。
ああ、聞いてきた。あの烏天狗の話によると、奴が情報を得るまでにこの件に関わったのは、少なくとも三人。うち一人は、他の二人から聞いた話をしていたのだそうだ。諏訪子! ちゃんと聞いてる!?
良い? 諏訪子。いや、洩矢の神よ。これは由々しき事態なのだ。我ら、守矢の秘密が暴かれたのだぞ! 私とお前の、あの忌々しい出来事ばかりか、我らに仕える風祝にして、我らの愛しい娘である早苗の、絶対に知られてはならぬはずの、あの秘密までもが暴かれたのだ! これは、我らへの信仰にも関わる問題だ。心せよ。
早苗、お前がそんな弱気でどうするのだ。ああ、わかっている。確かに、幾分かの齟齬があるとはいえ、それは事実だ。何も、それを捩じ曲げようと言うのではない。だが! 我らが秘密にしている事実が外部に漏れたこと。それ自体が問題なのだ! このままでは済まさぬ。我らの神秘を探る愚か者に、必ずや、神罰を下してやろうぞ。
うむ、すまん。では、此度(こたび)の事件に関わった者の名と、姿を伝えよう。まずは、此奴(こやつ)。そう、あの半獣人。白沢の娘だ。歴史を支配する力を持つあの者であれば、我らの秘匿を破ることも出来るやも知れぬ。
次が、この女狐(めぎつね)。かの八雲の九尾よ。その力の強大さについては、今さら口にする必要もあるまい。そして、今、この季節においては、彼奴(きゃつ)は制御の利かぬ怪物だ。我らを狙ってきたとしても、何ら不思議はない。
そして最後に、もう一人…。
木曜日 人里
おい。それをどうするつもりだ。違う。今は、ご主人が少し席を外されているだけだ。本当か? だったら、ちゃんと、お金は持ってるんだろうな。見せなさい。これで全部? よし、ここに数字が書いてあるのが見えるな? ここだ、ここ。何円だ? うん。そうだな。それで、この小銭は全部でいくらかな? サバを読むな、サバを。しかも、それでも足りてないから。
ああ、ご主人。こんにちは。すみません、こいつが居ると余計に寒いでしょう。いえいえ、今、どれを買うか相談していたところです。このリンゴ、一つ頂けますか。ありがとう。え? ええ、良い子ですよ。本当に。いつも寺子屋の掃除まで手伝わせてしまって、むしろ申し訳ないぐらいで。あ、こら、待て。すみません、失礼します。
待てと言うのに。これが食べたかったんじゃないのか、お前は。もちろん、お代はもらうよ。お前が食べて良いのは、そのお金の分だけだ。要らないのなら、私が全部もらうが。うん。そうか。じゃあ、あそこに座って食べようか。
先に齧(かじ)って良いぞ。ただし、全部は食べるなよ。ところで、お前、普段から店の物を盗んでるんじゃないだろうな。それなら良いんだが。とにかく、泥棒は絶対に駄目だ。一度だけだから、では赦されないんだぞ。確かに、甘くて美味しそうなリンゴを食べたい気持ちはよく解る。だが、だからって、それをタダで持って行かれたんじゃ、お店の人は生活が出来なくなるんだ。おい、聞いてるのか。
まったく…。知恵の果実は人間だけでなく、妖精まで堕落させる、か。いや、気にするな。外の世界に、そういう伝承があってな。決して食べてはいけないリンゴを口にしてしまった人間が、神の怒りを買って…。いや、糖尿病とかではなくて。どこで覚えてくるんだ、そういうことを。ああ、あの兎か。あいつが口を開くと、ろくなことが…。
おい、いくらなんでも食べすぎだ。もう八割方、無くなってるじゃないか。八割っていうのは、十個に分けたうちの八つ分だ。七つ分なら七割。お前が持ってたお金は、これだけだろう。いいか、そのリンゴの代金全部を払うには、このお金が二倍と半分ないと足りないから…。こら、逃げるな!
寒い日に食べる蕎麦は、本当に美味しいな。お椀から立ち上ってくる真っ白い湯気が、より一層、その温かさを感じさせてくれる。その温もりと、甘さ、それから、ほんの僅かな辛さを内包したお汁(つゆ)が存分に染み込んだ、この油揚げ。これを食べる時、私は、この世の誰よりも幸せなのではないかという錯覚に陥りさえするよ。ああ、ごめん。無理しなくて良いよ。橙は熱いのが苦手なんだから、ゆっくり、冷ましながら食べなさい。
おや、白沢の。こんにちは。ほら、お前も挨拶しなさい。どうしたんだい、そんなに急いで。師走(しわす)はまだ先だよ。チルノ? うーん。ここ一分間で私の前を通って行ったのは、人の子が二人だけだな。また、何か、やらかしたのか? リンゴ? ははは、なるほど。利息の計算なら手伝うよ。なに、一秒で終わる。おや、そうかね。ああ、伝えておくよ。ごきげんよう。
さて。聞こえていただろう? 次に彼女と顔を合わせるまでに、小遣い稼ぎでもするんだね。それと、私の尻尾は子どもが隠れるために付いているんじゃないんだよ。せっかく蕎麦を食べて温まっているのに、体が冷えてしまうじゃないか。ああ、それから、ちゃんと礼は言ったのか? 私に言ってどうするんだ。勝手に匿わせておいて。まったく。素直に頼めば、リンゴぐらい奢ってくれるだろうに。
良いじゃないか。先生の話ってのは、聞けるだけでも有り難いものだよ。自分で考えるのはとても大事なことだが、まずは、人の話を聞くことによって少しずつ賢くなっていくんだ。里の子ども達だって、慧音のお陰で…。知恵の果実? ああ、アブラハムのところの話か。蛇が人間を唆すんだったかな。まさか彼女も、お前にそんな話を覚えさせようなんて思ってないさ。だろう? じゃあ、何が不満だったんだ。
ハチワリ? ああ、八割ね。割り算と掛け算が面倒で逃げた、って、子どもか。…子どもか。だけど、割り算というのは本当に大切なんだ。例えば、ここにリンゴが一つあるとしようか。私達が三人で平等に食べたいなら、何切れにすれば良い? ああ、そうだね。橙は賢いな。でも、三つに分けると、少し大きいだろう。おい、逃がさないよ、チルノ。私は、あの娘みたいに優しくないからね。
今の例だと、リンゴは六つに分けても良いし、九つに分けても良い。皆、二切れずつになるか、三切れずつになるか、だ。とにかく、同じ数だけ食べられれば良いんだ。これがもし、八等分だと、誰かが二切れで我慢しなきゃならない。そうすると、喧嘩になるだろう。ん? 何だい、橙。
ああ、お前は本当に優しい子だ。いや、良いんだ、橙。その時は、私が二切れで良いんだ。むしろ、九等分した時でも、私からお前に一切れあげよう。お前は四切れ、私は二切れで良い。え、ああ、すまん。そうだな、ずるいな。いや、ほら、そうやって、一切れだけ余ったりすると、誰かが怒り出して喧嘩になるから良くないってことだ。
ええと、そもそも、何の話だったかな。ああ、そうだ。お前が金を払わずに食べてしまった分の話だな。さっき、慧音が言っていた金額は覚えているか? うん、やっぱりね。ちょっと待て。ほら、この紙に書いておいてやったから、これだけ金を溜めるんだ。なに、これぐらい、あっという間だよ。間違っても誰かから奪おうとするなよ。下手に異変に発展されると、紫様を起こさないといけない。
そうだなあ、お前は夏場には需要が高そうなんだが。ううむ、私は別に手伝ってもらうこともないし。お、あれは。丁度良い、あいつに訊いてみろ。無駄に顔が広いから、何か良い仕事を教えてくれるかも知れない。
あや、貴方が先に見付かってしまいましたか。いえ、こちらの話です。しかし、人の里に居るとは珍しい。何か、良からぬことでも企んでいるのですか? もし、事件を起こすのなら、事前に教えておいてくださいね。
はい? 仕事? え、仕事? どうしたんですか、熱でもあるんですか。あやや、これは、ただ事ではありませんね。未曾有の大事件の匂いがします。怒る前に、ご自分の日頃の振る舞いを省みて御覧なさい。千人中、千人が私と同じ反応をすると思いますよ。
いえ、ありますよ。丁度、貴方に頼むのも、なしではないかな、といった仕事が、確かに、あります。河城にとりは知っていますか? ほら、あの機械好きの。そう、その河童です。彼女が、また妙な装置を作ろうとしていまして。極端に温度が低い状況で実験してみたいと言うのですよ。
ええ、私も、貴方の能力は適任だと思います。ただ、迂闊にやらせると、余計なものまで凍らせてしまう気がするんですよね。できることなら、レティさんに頼みたかったんですが。貴方、この間も、うっかり花を凍らせて、幽香さんに折檻されていたじゃないですか。ふふふ。私を侮ってもらっては困ります。…ほう。昨日までの貴方と、今の貴方。どれほどの違いがあると言うのですか?
なるほど。貴方が人の話を大人しく聞いていたのなら、それは大した進歩ですね。ちなみに、その賢い奴らとは、どちら様のことでしょうか? ほほう。それは、それは。彼女たちの話を聞いたのならば、さぞかし、ためになったことでしょう。ふむ。では、その有りがたいお話の内容を、この私めにも教えてもらえませんかね。
初っ端から思い出すのに苦労されては、流石の私もフォローできませんよ。はい。リンゴ。食べた。ええ。怒られた。え、神様? 神様がリンゴを食べて怒られたのですか? 蛇? ああ、うちの山の神様ですか。ハチワリ? はあ。割り算。九分割。三人で。ああ、あそこには三人いらっしゃいますからね。しかし、リンゴを九分割とは、また器用な。ええ。喧嘩に? どうして喧嘩になるのですか? ああ、誰かが二切れしか食べないから、残りの一切れをめぐって。最初から八分割にすれば良かったのに。
ごめんなさい、ちょっと待ってもらっても良いかしら。貴方、私を翻弄するために、わざとやってるんじゃないわよね? はいはい、失礼しました。どうぞ、続けてください。
え、何です。何を思い出しましたか? 油、ハム? またカロリーの高そうな話ですね。あ、ひょっとして、私たち天狗からの献上品のことですか。そんな、お中元みたいな物、送ったかしら。お、今度は何ですか。一人で食べてしまった? 三人ではなかったのですか? ああ、それはリンゴの話ですか。糖尿病? そりゃあ、油やらハムやらをお一人で召し上がられては、心配でしょう。ですが、その前に、一婦人として、体重を気にした方が良いですね。特に早苗さんはまだお若い…。むむ、そういえば…。
なるほど。解りましたよ、チルノさん。ありがたい話ではなく、ただの噂話なのが気になりますが。おそらく、こういうことでしょう。
日曜日 河童の住処
やあ、盟友。久しぶり。まあ、これでも飲みなよ。あ、冷たいよ。温かい飲み物もあるけど。いい? ああ、そう。それで、最近どうよ、魔法の研究の方は。そうか、そうか。良いじゃない。普通が一番、ってね。
ん? ああ、これ。よくぞ聞いてくれた。違う、拷問器具じゃない。これはね、瞬間移動装置の試作品だよ。まだ送信側だけなんだけど。いやいや、あのスキマとは原理が違うのだよ、ワトスン君。あ、知らない? ワトスン。まあ、いいや。とにかく、こいつは中に入れた物を塵よりも細かくなるくらい粉々に砕いて…。処刑器具でもないってば。確かに、今は違う用途にしか使ってないけどさ。実験も失敗したし。わざわざ氷の妖精に手伝ってもらったのに。だけど、ほら、そのリンゴジュース、美味しいでしょ。ね?
ああ、そういえば、リンゴで思い出したんだけど。うちの山の上の神様、いるじゃん。そう、あの人ら。最近、東風谷の姉さんが妖怪退治に精を出してるのは知ってる? でしょ。大きい声じゃ言えないんだけどね、あれはどうやら、ダイエットの一貫らしいよ。まあ、聞きなって。そうなったのにも、理由があるのよ。
天狗様方も、私ら河童も、一応、あの神社を信仰することで御加護を頂いてるんだ。なんだかんだで、お強い人らだからね。で、その証として、旬の野菜や果物なんかを献上してるのさ。あの人らも、わりと喜んでくれてね。ところが、その献上品の中にあった一つのリンゴが、悲劇を呼んだんだよ。
食後のデザートにリンゴを頂きましょう、ってなってさ、東風谷の姉さんが器用に九等分になるよう切ったらしいのよ。九なら三で割り切れるからね。ところが、当の東風谷の姉さんは、おなかが一杯で三切れ目が食べられなかった。だもんで、お二柱(ふたり)のどちらかが食べてくださいと言ったのよ。そしたら、双方が同時に、それじゃあ私が、とフォークを突き刺した。睨み合う二柱(ふたり)の神。さあ、こうなったら戦いだ。この世で最もいじましく、恥ずかしい争いだ。
そうして始まった第二次諏訪大戦は、熾烈を極めなかった。うん。ちゃぶ台の上のお茶がひっくり返ったところで、怒れる第三勢力の勝利で終結したらしい。結果、八坂様と洩矢様は、しばらく献上品を食べさせてもらえなかったそうな。ここまで聞いたら、もう解っただろう。そうそう。献上品禁止令が出ている間、一人でそれらを処分していたもんだから、ちょこっと重くなっちゃったんだね。それで、体を軽くするために妖怪退治ってわけ。
あ、ジュースはおかわり自由だよ。どう、もう一杯。あれ、口に合わなかった? うん。ああ、そういうこと。あはは。あんたも、何だかんだで乙女だね。
月曜日 守矢神社
かーなーこー。もう、良いじゃん、別に。そりゃあ、しょうもない理由で喧嘩してて怒られたってのは恥ずかしいから、黙ってようって言ったのは私だけどさ。良いんじゃないの? そういう、親しみやすい感じの神様も。あんたが目指すところでしょ。それに、早苗の体重が増えたのだって…。
いや、だからさ、早苗。うん、わかってる。わかってるから。そんなつもりで妖怪退治してるんじゃないもんね。私たちの信仰を増やすために、やってくれてるんだよね。ありがとう。大丈夫。ちゃんと、わかってるから。
うーん。あんたは、そう言うけどさ。私には、どうも、この連中に悪意があったとは思えないのよね。見てみな、この三人の組み合わせ。これに、あの射命丸が加わるんでしょ。その、何て言うのかな。あれよ、偶然の積み重ねってやつ。いやいや。案外そういうものなんだって。
きっと、賢人を足し合わせて、ブン屋と馬鹿を掛ければ、奇跡が起きて真実に辿り着くのよ。
平和な幻想郷をこれ以上ないというくらいに感じ取れる
それにしても文の想像力は怖いなぁw
楽しませてもらいました