『――今の地底にはお燐さんは必要ないということですか?』
ボスっと。
ベッドの上で、あたいは枕を軽く潰した。
頭の中に残った、昼間の出来事を打ち消すように、両手でえいってさ。
それでも、ひがみやすいあたいだからさ。
その内なる声ってヤツが、頭の中でどんどん大きくなっちゃってね。
「あぁぁ~~もぉぉ~~」
ついには耳を押しつぶしちゃう感じで、枕にダイブ。
ぐりぐりーって耳が捻れて痛くなるくらい押しつけたところでやっと、嫌な声が収まり始めてくれた。
「取材なんて、受けるんじゃなかったよぉ」
今日の昼間の話なんだけどね。
珍しく鴉天狗の文お姉さんから、取材の依頼があったんだよ。
妖怪に関する資料集みたいなのを更新するから協力して欲しい。そういうやつが急にね。今はあたいとさとり様しかいないよ、ってやんわりと拒否しようと思ったんだけど、さとり様がオッケーしちゃったんだからしょうがない。
「では、まずお燐さんから」
そこで、できるだけ本音を知りたいから1人1人順番でお願いします。とか、文お姉さんに言われて部屋移動。あたいの部屋と別々で始まった取材ってヤツは、一般的な火車の知識の確認から、あたいのことまで。広く浅い感じで尋ねられてね。
だから、人を襲うことなんてないとか。火車は死体なら何でも運ぶけど、弔われたヤツとか善人とかは運んだりしないよ。なんて言ってみた。
どこまで反映されるかはわからないけど、素直に協力したよ。
で、途中からあたいの仕事の話題になってさ。
「お燐さんは、灼熱地獄の燃料を運んでいたんでしたか」
「うん、そうだよ。昔はおくうにもあんな能力なかったからね。あたいがしっかり運んでやってたんだ」
「では、今は?」
「おくう1人でも火力が充分になったから、今は趣味とか火車の能力維持ってところが大きいかねぇ」
「ふむふむ……それでは」
そのときの動きは、良く覚えてる。
文お姉さんはこめかみあたりに、万年筆をコンコンって当てて。あたいの瞳を覗き込んできたんだ。
「灼熱地獄は燃料が無くても熱を維持できるようになった。ということはですよ。死体を運ばなくても良い。つまり仕事というかそう言う面だけでみるならば。
今の地底にはお燐さんは必要ないということですか?」
ぐさって、きたよ。
言われちゃったんだよね。
胸の奥を抉る言葉を。
あーあ、また思い出しちゃった。
そのときは、『そんなきついこと言わないでおくれよ~』なんて笑いながら答えてたけどさ。
「はぁ……」
わかってるよ。
文お姉さんは取材だからついつい質問しちゃっただけで、他意はないってことくらい。
でも正直、結構きついね、これ。
正面からいらないって言われちゃったら、ね?
勘違いだったとしても、クルものがあるんだよ。
あたいってば、頑張ってたつもりなんだけどな。
さとり様のため、おくうのためってさ。
ペットのみんなをまとめるつもりでやってきたんだよ。
でも、確かにさ。
あたいが動かなくても地底は回っちまう。
そういう仕組みになってるって、わかってたよ。
文お姉さんに指摘される前から、あたいって必要なのかなって自問自答してたさ。
「……潮時かね」
ちょっと前から考えてたけど。
地上と地底が出入り可能になったし。
友好関係もできはじめたからさ。
元の地獄に帰って、他の火車と楽しくやる。そういうのも悪くないかもね。
あっはっは、あたいって凄いな~。
こんなネガティブになれちゃうんだな~っ
「ああ、もう! 寝よ、寝よ!
明日になったらいいことあるし!」
ベッドの上でいつまでもぐったりしてちゃ、何にもならないからね。
あたいはパンパンってほっぺたを叩いて気合いを入れてから、
掛け布団をばさぁって拡げてさ。
あ、っと。
その前にちょっと厠へ……
慌てて部屋の入り口まで戻って、内鍵を
「あれ?」
ん? 開いてる。
イライラして閉め忘れたかねぇ?
あたいはそんなことを気にしながら、素早く移動し、すっきりしてから。
明日への期待を込めて暖かい布団に飛び込んだのだった。
◇ ◇ ◇
巻き上がる土煙。
轟く雄叫び。
あたいは追われていた、得体の知れない灰色の魔物に。
いつから、なんで? こいつは何者?
それがわからないのに、捕まったら終わりだということだけははっきりとわかる。
だから、あたいはただ必死に逃げ回っていた。
なのに、目の前の地面が崩れて、あたいは真っ逆さまに落ち――
「……ん」
気付けば、床の上。
見覚えのある模様が広がっている。
上を向けば、やっぱり見覚えある天井。
前に戻せば、見覚えのある模様。
「ああもう、せめて幸せな寝起きくらいプレゼントしてくれないかねぇ」
悪夢のせいで、ベッドから落ちちゃったみたいだね、こりゃ。
身体を引きずるようにして座り込み、おしりをつけて大あくび。
昨日が悪かったんだから、せめて今日はと思ったんだけどね。
なんだかそうもいかないみたいだ。
さてさて、気を取り直してさっさと着替えようかと、寝る前に準備していた服に手を伸ばした。だいたい枕の横にあるはずだからと、ベッドの方をほとんど見ずに。
「あれ?」
けど、ない。
昨日畳んで置いといた、あたいの深緑の服がない。
「もしかして、布団の中?」
落ちるくらい寝相がわるかったんだから、もしかしたら知らない間に巻き込んだか。
なんて想像して、改めて布団の上を眺めたら。
「にゃーん♪」
なんか、いる。
灰色の髪の上に、黒っぽい猫耳を乗せた何かがいる。
しかもベルト(尻尾もどき付き)をくっつけた何かが。
夢の中のヤツよりも、絶対に危険なモンスターが。
「にゃーん♪」
あたいの着るはずだった服を着て、誘ってる。
おいで、おいでと。
あたいを呼んでる。
だからあたいは、一度だけ深呼吸して。
「にゃ、にゃーん?」
と、そのモンスター。
あたいの服を着た、こいし様に向けて猫の声で返してみる。
すると、何故かお怒りのようで。
「そんな猫の声を出されてもわからないわ」
「……理不尽な」
にゃーん、と誘っておいて猫のにゃーん否定とか。
こいし様はただ遊んでるだけなんだろうけど、あたいとしてはたまったもんじゃない。
「朝っぱらから何してるんですかっ、服返して下さいよぉ」
「え? 落ちてたけど?」
「ベッドの上でしたっ! ましてや敷き布団の上に置いてあるものを落ちてるとは言わないんですって。その上であたいも寝てたでしょう?」
「お燐も落ちてから拾って良かったのね。邪魔だからベッドから出しちゃったけど」
「そうじゃなくてぇぇぇ~~~、って、お、落としたっ!?」
「ええ、ころころって」
って、あの悪夢はこいし様のせいかっ。
ベッドから落ちたのも。
「何で落とすんですか! 落とさなくても服取れたでしょ!」
「でも、ちょうどお燐の手の下にあったのよ?」
「手をどかせばいいでしょう」
「でも、ころころした方が楽しかったから。そしたらお燐が勝手に落ちたの。転がりやすいのは問題よね」
「……理不尽な」
会話の手応えなどあるはずもない。
あたいのペースに持って行こうとしたら、あたい自身がこいし様のホームにお持ち帰りされてる感じだよ。
「ころころ~ころころ~って楽しかったな~って、あれ? お燐、もしかして太った?」
「太ってません!」
これ以上、さわやかな朝の一時を邪魔されてなるものか。
あたいはクローゼットから替えの服を取り出して、パジャマから素早く着替えると。ぺこりっとこいし様に一礼して。
「じゃあ、朝ご飯食べてからお仕事行ってきますね!」
媚び媚びの笑顔で、決める。
こいし様があたいの服を着てる意図とか、耳と尻尾つけてる理由とか。いろいろ気になることがあったけど、あたいの直感は察していた。
それに突っ込んだら、終わりだと。
だからあたいは一瞬のうちに入り口まで移動して、ドアノブに手を掛け。
部屋から出
がちゃがちゃ
開かない。
おかしいね。
鍵を掛けてないのに、びくともしな――
「どこいくの……?」
続けて、おもいっきりドアを開けようとしたらね。
すぐ後ろから声が聞こた。
耳に触れるか触れないか、そんな位置から。
「私が遊びに来て上げたのに、お燐は、いっちゃうんだ」
あたいのドアを握る手の上には、いつのまにかこいし様の手が重ねられてた。
きっとこれがドアが開かなかった原因。
「私がお燐と同じ格好してるのに、ねえ?」
こいし様が、あたいを逃がしたくないって思った。
だから無意識の能力が発動して、あたいを引き留めた。
これ以上、刺激したら本気で、まずい……
「ねえ? 私、おいでって、伝えたよね? でもお燐ってば無視してさ。この耳も、この尻尾も、作るの大変だったんだよ~? 本物はふたつずつあるから、一個ずつ貰っても良いかなって思ったけどなぁ。我慢したんだけどなぁ」
「ひぅっ!?」
こいし様が、あたいの尻尾の獣の方の耳を撫でて……
ぎゅって掴む。
それがもう、あたいが沈黙を保てた限界だった。
「わ、わぁい。あ、あたいも本当はこいし様とあそびたいなぁ、でもお仕事がぁ……」
「心配しないで、お姉ちゃんには……お燐を休ませて上げるように言っておいたから。嬉しい?」
「わぁ~、嬉しいなぁ。今日はこいし様と遊べるんですね」
「うふふ、そうよ……、さあ、ベッドの上で何して遊ぶか話し合いましょう?」
「はい……こいし様」
耳元で話される度に。
生暖かな風と、毛穴から氷水を流し込まれたような寒気を与えられ、あたいの身体は何度も震える。
やっぱり、逆らっちゃ駄目だ。
こいし様がやろうと思えば、あたいの尻尾なんて簡単に引きちぎれる。
しかも笑ったまま。
それを今やられても、おかしくない。
そんな怖さがあるんだよ。
だから、あたいはこいし様よりも先にベッドに飛び乗って。
身体の震えを何とか沈めながら、こいし様が近寄ってくるのを待った。
「えと、それで、こいし様……、あたいみたいな格好して、何がしたいんだろうなーって」
さっき自分で禁忌とした台詞をぶつけながら。
きっとコレなら満足するだろうと思ったのに。
それでもこいし様はどこか不満げに歩いてきて。
じとーって睨みながら、あたいに顔を寄せてくるんだよ。
で、強い口調で。
「お姉ちゃん」
と、一言。
なにこれ。え、何? 何が正解なのこれ?
「え? さとり様が何か?」
「違うの、お姉ちゃんなの」
あ、怒ってる。目が金色だ。
あはは~、これ以上間違っちゃやばいなぁ。って。
だって。こいし様の姉はさとり様でさとり様の妹はこいし様で、でもお姉ちゃんで、え? ええ? えええ?
いくらあたいの格好してても、それの何が違うって言うんですかぁ~。
あぁ~もぉ~猫耳ぃ~、尻尾ぉぉ~~!
…………お?
そこで、あたいは閃いた。
生き物は命の危機に瀕したとき想像以上の力を出すって話だったけど、うん。
ぴんときたよ!
「こいし様、じゃなく、て?
こいし……お姉、ちゃん?」
「ふふ~、よしよし、お燐は良い子だね~~」
「お姉ちゃん?」
「よしよ~し」
確認のためにもう一回呼んでみたけど、これで正解みたい。
いやー、こいし様の遊びは肝が冷えるよほんと。
とにかく、今日一日はこいし様があたいのお姉さんって設定で遊べってことかねぇ。
まあ、とにかく。
地霊殿からあんまり離れないようにしていけば――
「さあ、お燐ちゃん。私が火車としてお手本を見せて上げるから、上の世界で遊ぼうか」
「え゛っ!?」
こいし様の宣言の直後。
あたいの喉から濁った悲鳴が上がったのだった。
◇ ◇ ◇
「お姉ちゃんね? いつもお燐が遊びに行ってるところ知りたいな~」
地上行きたいって言ったのに、ノープランだよこのお方。
しかも、あたいが台車を押して歩く中で、気配を出したり消したり。
気配を出した時しか見えないからね、もう、歩いてるだけで気が張るっていうか。
気を抜いてるとほら、いきなり後ろに現れて尻尾触ったりね。
だるまさんが転んだ、って感じで振り返ったりすると。
今度は空中に浮いて耳触ってきたり。
あたいにどうしろっていうのさ、まったく……
「私も地上に遊びに行ってるんだけどね。やっぱりお燐が好きなところの方がいいから」
こいし様はふらふらしすぎなんだよぉ。
でも、変なところで問題起こされても困っちゃうしねぇ。立場上やばいお人だし。
仕方ないからね、一応あたいが贔屓にしてる場所。
こいし様が遊んでも問題なさそうな場所に誘導してみた。
外からいろんなものや、生き物すら流れてくる。
幻想郷への迷い人が一番多い場所。
そんな場所さ。
「着きましたよぉ、お姉ちゃん」
人呼んで、無縁塚。
今は桜の季節でもない秋だからね、桜も葉っぱの衣装を脱いで。ほんと寂しい風景だよ。
ま、こっちの方が死体を見つけやすいんだけど。
で探しながら、猫耳猫又尻尾付きなこいし様の設定で付き合ってあげないと。
「お姉ちゃん?」
「……」
でも、反応なし。
気配は消えたままで、姿も見えず。
おかしいね、近くに居るはずなんだけど。
「お姉、ちゃん?」
「……」
もう一回言ってみたけど、反応なし。
おかしいね。
「……」
「……」
もしかして……
いやいや、自分で言っておいてまさか……
「こいし様?」
「なに? お燐?」
「お姉ちゃん設定はっ!?」
ホントに自由だな、このお方。
「あ、そうだった! どうちまちたかー、お燐ちゃん?」
しかもあたいがおもいっきり自爆した感じじゃないかい。
呼び方をこいし様に戻すチャンスだったのに。
「こいし様、じゃなかった。こいしお姉ちゃんの中であたいって何歳設定なんですか……」
「ハイハイしてる感じ」
「おもいっきり二足歩行してますけどね」
「ほらほらー、お燐! そんなこと言ってないで、お仕事だよー!」
「はーい。こいしお姉ちゃんもちゃんと拾ってくださいね」
あ、また気配消してどっかいっちゃった。
こうなるとあたいの5感程度じゃ探れないからね。
あたいも気を取り直して、地上を楽しみますか。
「んー、こっちかな?」
火車は死体の声と匂いと敏感に感じ取れるからね。
特に地獄出身だから悪人の匂いに敏感。
だから、こういう目印のない平野でもちゃーんとお目当てのを探し当てることができるんだよ。時間が経ちすぎてる死体だと声が聞こえないけど、最近はほとんど毎日と言って良いほど来てるからね。
そういう見逃しはないと思うし。
それとね、あたいと同じころにここに目を付けた奴もいるんだよ、これがまた。
「おっ!」
うっすらと、声が残ってたから。
当たりだと思って草むらを台車で走り抜けて、聞こえた場所あたりの草をかき分けてみたら。
あたいの目に飛び込んできたのは、真っ白な骨だけ。
それが無造作に転がってたんだよね。
一本当たりの長さが、あたいの二の腕くらいのやつもあるし。
まあ、あたいにとっても本命だったもの。
ここに流れてきたときはちゃんとお肉もついてたんだろうけどねぇ。
「やられたよ。食欲旺盛だねぇまったく」
骨についた小さな噛みつき傷が、犯人を教えてくれる。
え? 何だい? 骨くん?
自分が誰に殺されたか知りたいって?
ほらほら、あそこに見えるだろう。
あの掘っ立て小屋の……
「きゃ、きゃああああっ!!」
おっとぉ!
こいつはいけない。
あたいは転がってた骨を慌ただしく台車に乗っけて猛ダッシュ。
きっとまたあたいのライバルが獲物を見つけちゃったんだろう。
でも、早い者勝ちってわけじゃないんだよねぇ。
この業界。
特に幻想郷だとこの、スペルカードってやつがある。
悪人の死体だったら無理やりにでも譲ってもらうつもりで、
がさがさと何かが争う音がする場所へ飛び込んでっ!
「い、いやぁぁぁああっ!」
「にゃーん♪ にゃんにゃーん!」」
……うん、襲われてる。
見事に押し倒されてるね。
あたいの台車の上の、骨になったお兄さんを襲った犯人が。
見覚えのある猫耳少女に襲われてた。
「た、助けてくれ! わ、私なんか食べてもおいしくなんかない! そ、そうだ交渉しよう!」
「にゃん?」
ほらほら、骨のお兄さん見てごらんよ。
押し倒された側が交渉を持ち出しながら、隙あらばひっくり返そうとしてる。
でも相手が悪いよね。反応してると見せかけて実はなんも考えてないお人だからね。
「わ、私がここで集めた宝物が、いくつかあの建物の中にある! その中から欲しいものをあげよう!」
「にゃん……はむっ」
お腹付近を蹴りあげようと、わざと身体をずらしたのが運のつき。
大きな耳をぱくっと咥えられて、半狂乱状態だよ。
「ひ、ひぃっ!? き、君は! いきなり人の耳を噛むなどと!」
「……わたし、お燐のお姉ちゃんのこりんりん。
だから、猫の言葉しかわかんないにゃん」
いやいや、こりんりんって……
よし、骨のお兄さん。
あたいたちは続けて死体探しにでも入るかね~。
あの子がうろついてたってことは、この辺にあたりがあるかもしれないし。
「……? いや、君? 今しっかり私と同じ言語で会話を」
「はむっ、はむっ」
「ひぃっ! だから噛むなっ! い、一体なんなんだ君はぁぁ! 何が目的だぁ!」
おお、なかなかいいのが落ちてるじゃないか。
こっちのお兄さんも綺麗に骨だけど、魂がくっついてるからなかなか楽しめそうだよ。
さて、二体も骨がゲットできたことだし、あたいはこのまま地霊殿にでも戻ろうかなーっと。
「こらっ! そこのお燐! お前の姉だろっ、なんとかしろぉ!」
「……うわ、ばれた」
「そういうのはいいから! 早くっ!」
できればそのまま二人の間で解決してほしかったんだけど。
「あー、はいはい、こい……じゃなかった。また設定変わったんだっけ……
こりんりんお姉ちゃん」
「なにかにゃ?」
よし、猫語設定消えた。
「なんでナズーリンを獲物に?」
「だって、お燐って猫じゃない?」
「猫ですね」
「ってことは、ネズミ食べるじゃない?」
「食べますね」
「ってことは、問題なし?」
「……言われてみれば」
「ちょ、ちょっとぉぉぉおおおおっ!!」
このナズーリンってネズミは仲間を入れると結構大所帯でね。そのネズミたちを養うのに迷い込んだ動物の肉を食わせてたりするんだけど。食事中じゃなければ死体を分けてくれる関係は結んでるからね。その関係は維持したい。
それと毘沙門天関係で敵に回すと厄介そうだしね。
しかもだよ?
こいし様みたいにあたいたちの代表の妹様が、相手の多勢力の大事な子を、こう、キュッてやっちゃったら。
大問題どころじゃないよ。
戦闘だよ、大抗争だよ。
『無意識でした、へて♪』
うん、軽く滅ぶ。
戦争に発展して、おくうとか出てきた時点で地上か地底が地図から消える。
「……あれ? 本気美味しいかも」
「え?」
耳を齧ってたこいし様ならぬこりんりんが不穏なこと言い始めたし。
ナズーリンの方もテンパり過ぎてホントに衣装変わっただけのこいし様をあたいのお姉ちゃんだと思い始めてるし、まったくもう。
さすがにまずいかなと、あたいはこいし様の肩をぽんぽんっと叩いて。
「こりんりんお姉ちゃん。やめといた方がいいよ」
「……ダメ?」
「そ、そうだ! 妹の言うとおりだぞ! こりんりん!」
物欲しそうな顔してるってことは、割と本気で食う気だねこのお方。
ならば、これだ。
あたいは知識の中から切り札を一枚抜き取って。
「こりんりんお姉ちゃん。その子、病気持ちだから……
お腹壊すよ……」
「……うわ」
「おい、おいマテ! いまなんつった! っていうかなんだその眼は!」
おもいっきり嫌そうな顔で見下ろされ、ナズーリンが真っ赤な顔をして否定し始めるけど。
あたいは全く気にしない。
「しかも寄生虫持ち」
「……最悪」
「そんなわけあるかぁっ!」
「お燐、ハンカチ頂戴……」
「あー、はいはい、綺麗に拭き拭きしましょうね」
「こら! マテ! 君達っ! 今、非常に許容しがたい誤解が生まれたぞ!
ただでさえ人里の人間に良い目で見られていないというのにっ!」
こいし様がナズーリンの上から飛びのいて、触れていた部分をごしごしと拭き始める。
結構、真剣に。
そして、尻餅をついた体勢で必死で弁解するネズミさんも一人。
「私はっ! いや、私を含めて私の配下のネズミはペストとかそういう病気は持ってない!
毘沙門天様から一年一回定期健診受けてるし! 危険な寄生虫もゼロだ!」
「……持ってるネズミはだいたいそういうこと言うんですよ、お姉ちゃん」
「わかるわかる」
「わかるなーっ!!」
聞き分けのないナズーリンさんだねぇもう。
あたいはダウジングロッドをぶんぶん振り回し始めたナズーリンに軽いステップで近づいて。
(こりんりんに食べられたくないだろう? 少しだけそういうことにしておいておくれよ)
(……あ、ああ! そういうことだったか。君のことだから悪ふざけかと思ったよ)
ふむ、やっと納得してくれたようだよ。
これで死体も2つゲットできたし。
問題なく収穫品を持ち帰れるってもんさ。
「これからもあんまり無意識になんでも食べちゃダメですよ?」
「そうね、あのネズミさんみたいにね」
「う、ぐっ!」
「ま、まあまあ、その話はその辺で」
「お燐ももうちょっと早く注意してよね。うつってたらどうするのよ」
「ぐ、ぐぬぬっ!」
今だけ、今だけは耐えておくれっ
あたいは心の中で必死に叫びながら、こいし様の背中と台車を押してその場を後にしたのだった。
◇ ◇ ◇
とりあえず、一旦地底に戻って、地霊殿の外のあたいの縄張りへ。
そこで死体保管庫に骨を並べて、一段落。
午前の予定はこれで終わったんだけど、午後もこいし様が外で遊びたいって言うもんだからさ。
死人が出そうで、こいし様が行っても問題なさそうな場所を選ばないとなんだけど……
「まかせてっ! 私良いこと思いついたっ!」
という、凄く強引な一手により。
行き先が強制変更。
まあ、さとり様よりも圧倒的に外出が多い。
下手するとあたいよりも地上出てるお方だからね。
もしかしたら期待できるかなーっとか思ったけどさ。
「おお、お燐ちゃん。やっぱり人間が多いねぇ。旧都とは大違い」
「……わぉ」
もう、人が一杯歩いてる時点で、一か所しかありえない。
もちろん人里ってわけ。
平和なのにこいし様と一緒だと危険度が跳ね上がる気がするのはなんでだろう。
しかも猫耳少女二人組がどうどうと歩いてるわけだからね。
もう、注目浴びまくりだよ。
でも、こいし様がオススメする場所っていうのも、気になるっていうのもあるんだよね。
怖いもの見たさっていうのかな。
でも、さすがにナズーリンに襲い掛かるみたいな、そんなアウト感はないはず……
「……」
そこは、黒一色だった。
晴れやかな空を恨むように、地上は闇色に染まっていた。
人里の中にありながら賑やかな喧噪などどこにもなく。
ただ耳に運ばれてくるのは、衣擦れの音と、地面の上を足が進む音。
時折すすり泣く誰かの声が、また別の誰かの涙を誘う。
さとり妖怪でなくても、どんな感情が渦巻いているかはわかる。
心を読むなど必要ない。
影を帯びた人間たちの表情は、たった一つ。
故人に向けた、想いだけ。
そんな大切な、一つの人生が終わる場所。
汚すことが許されない、重要な儀礼。
「……」
その受付場所のすぐ近くに。
死体運びの火車と、火車もどきが二人。
「あ」
うん、見られた。
めっちゃ、気づかれてる。
っていうか、何コレ。
なんでしょう、この敵意。
この尋常じゃない殺気。
なんかもう、台車持ってる手が自分のものじゃない感じで、震えてる。
死ぬな、これ。
あたい、一歩でも葬儀場に近づいたら死ぬ。
「あれ? お燐ちゃん? いかないの?」
「……」
なにいってんのぉっ!?
その言葉に、あたいは首を激しく振ることしかできなかったよ。
あ、うん。
殺気膨れた。
二倍くらいに膨れた。
「えー、いいと思うんだけど? 死体あるよ?」
「無理です……これ絶対無理です……」
「えー?」
「えー、じゃなくてぇ! 帰りましょうよぉ、ね? あたいが違うとこ案内しますからぁ!」
バカ、こいし様の馬鹿。
なんでちょっと寄り道程度で命掛けないといけないんですかぁ!
こいし様がおかしなこというから、なんか怖そうな人がじりじり近づいてきてるじゃないですか!
あれ絶対人里の妖怪退治屋関係者ですってば!
「ん、わかった。仕方ないなぁ」
って、あ、嘘!
なんでこのタイミングで気配消しちゃうんですか。
あたい一人であの人間の群れに立ち向かえっていうんですかぁっ。
逃げますからね、
あと10数えて戻ってこなかったら、絶対逃げますからね!
あたいは、尻尾を下げて、じりじりってね。
敵意ないよー、死体なんていらないよー。
そんな風に、台車を背中の方に回して、里の中央部の方へとゆっくりと、脚をね。
もう、こいし様なんて待ってれないよ。
「ただいま」
ああ、もう!
遅いですよ。
ほら、こいし様がいきなり現れたり消えたりするからみんなびっくりしてるじゃないですか!
「はい、プレゼント」
どさって。
もう、何もってきたんですか。
いきなり台車に乗せたら、バランスが崩れて転びそうになっちゃいますよ。
「ほらほら、お燐の好きなヤツ」
あ……
思わず、声が漏れちゃった。
そんな場面じゃないってわかってるんだけど。
あまりにも綺麗な死体だったから、すごくびっくりしたんだよ。
こいし様があたいのためにわざわざ持ってきてくれた。
そんな感情が一瞬であたいの中を駆け巡ったんだ。
「凄い……です」
死体だけじゃないよ。
死体を飾る白い服の見事さ。
そして額についた三角の白い布。
完璧な姿過ぎて、もしかしてどこかの葬儀会場から盗んできたみたいな……
え?
盗んできた、みたいな?
「……えと?」
「何?」
「こりんりん、お姉ちゃん……?」
なんでだろうね。
死体が台車に乗ったのを見に振り返った瞬間。
あたいが人間たちに背を向けた瞬間。
背中からナイフを突き刺された風な、嫌な気配が生まれてるんだけど……
うん、まさかだよ。
いくら、こいし様でも……ねぇ?
無意識で、行動できるからって、ねぇ?
「これ、どこから?」
「うん♪ そこから盗―ー」
こいし様が口を動かし切るより早く。
あたいはぺしっと。
尻尾でこいし様の脚を払って、無理やり台車に乗せ。
「こいし様の、ばかぁぁぁぁっ!!」
後ろから、お札やら、霊弾が飛びまくる中。
あたいは必死で人里を走り抜けたのだった。
◇ ◇ ◇
「楽しかったね、お燐♪」
どこがですかぁ!
なんて、突っ込みを入れられるはずもなく、あたいは力なく頷いただけ。
昨日の天狗騒動といい、今日と良い。
ホント散々だよぉ。
あたいなんか悪い事でもしたかねぇ。
引きずるように台車を引っ張って、肩を落としたまま地霊殿の扉を叩いたら。
「おっかえりー!」
明るい声でおくうが迎えてくれたよ。
ああ、おくう。
やっぱりあんたのその明るい声が、あたいを癒す唯一の調べ……
「て、あれ?」
「えへへ~、どう? どう?」
玄関を開けておくうを見たら、びっくりした。
何せ、あれだよ。
「その耳と、尻尾……」
こいし様と一緒な。
猫みたいな耳と、二本の尻尾。
もちろん作り物だけど、それがおくうにくっついてる。
「朝起きたら、近くにあったの。今日一日付けて過ごしなさいって紙と一緒に」
そんなことを気にしてたら、おくうはあたいの前でくるりって一回転。
「お燐みたいに可愛くていいよね、これ」
「あははは、そんなこと言わないでおくれよ。照れ臭いじゃないか」
あれ? ハロウィンって今日だったっけ?
なんて不思議なこと考えながら、あたいはこいし様と分かれて、戻ったことを伝えにさとり様の部屋へ。
コンコンって、軽く叩いてお邪魔しまーすっと。
「……え?」
そしたら、さとり様もだった。
なんでか猫耳と尻尾付けて、地獄関係の書類整理してた。
「その疑問は当然かと思いますが。私もおくうと一緒ですよ」
え? さとり様も、おくうと一緒。
ということは朝起きたら、猫耳と尻尾が置いてあったってことかい。
じゃあ、おくうの部屋に耳と尻尾を置いたのはさとり様じゃない、ってこと。
「でも、素直に付けなくても……」
「そういうわけにもいかないでしょう。あの子の数少ないお願いごとですもの」
「あの子って……」
待てよ。
おくうの部屋と、さとり様の部屋に無断で入れて。
しかもさとり様にまったく行動を読ませずに行動できる人って。
「こりんりん」
「やっぱり……って、読まないで下さいよ、あたいの苦労歴史」
「うふふ、だって。こいしがあんなに動き回る姿を見るには、誰かの感情を読まないと無理だもの」
「そりゃあ、そうでしょうけど……」
あたいってば、大変だったんだからね。
特に人里なんて、いらない騒動に巻き込まれちゃってさ。
昨日のあれと良い、これと良い。
「昨日があったから、コレなんですよ」
あの嫌なことがあったから。
あたいのコスプレって……
こいし様ってばいったい何を……
そんなことをあたいが悩んでたら、さとり様はいつのまにかあたいの前まで歩いてきて。
「……お燐、これは私の、あの子の姉としての希望的観測かもしれないのだけれど」
まっすぐ目を見つめてくれた。
お優しい、穏やかな瞳を向けてくれた。
「あの子の瞳は、あの人間たちが来てから緩くなっている。だからもしかしたら……
あなたの心を覗いたんじゃないかって……、私はそう思いたいのです」
あたいを通して、誰かに語りかけるみたいに。
ゆっくりと、言葉を選んでいた。
「お燐があのとき、地底で役割がないと落ち込んでいるとき。偶然、瞳が緩んで……あなたの悩みを覗いてしまったのかもしれません」
だから、作った。
猫耳を、そして2本の尻尾を。
誰にも相談せずに、こっそり。
一晩で作り上げて見せた。
「遠回りですが、本当に、不器用としか言いようがありませんが」
そして、いきなりお燐の姉なんて言い出して。
一日中つきまとった。
でもそれが、
全部が一本で繋がっているとするなら……
「家族が一緒にいることに、理由などいらないと……そう伝えたかったんじゃないかって。そう思うんですよ」
でも、さとり様は。
その言葉を口にしてからすぐ、恥ずかしそうに頬を染めて首を横に振って……
「そう、思いたんです」
だからあたいも、うんって頷いてね。
「あたいもそう思いたいです」
そう返したらさ。
胸のあたりがね、すっごい温かかったんだ。
「……ところで、お燐? 人里の死体、返さないの?」
「……あ゛」
その後、稗田の書の中に
葬式中に、火車に死体を盗まれないように気を付けろ
のような一文が追加されという。
ボスっと。
ベッドの上で、あたいは枕を軽く潰した。
頭の中に残った、昼間の出来事を打ち消すように、両手でえいってさ。
それでも、ひがみやすいあたいだからさ。
その内なる声ってヤツが、頭の中でどんどん大きくなっちゃってね。
「あぁぁ~~もぉぉ~~」
ついには耳を押しつぶしちゃう感じで、枕にダイブ。
ぐりぐりーって耳が捻れて痛くなるくらい押しつけたところでやっと、嫌な声が収まり始めてくれた。
「取材なんて、受けるんじゃなかったよぉ」
今日の昼間の話なんだけどね。
珍しく鴉天狗の文お姉さんから、取材の依頼があったんだよ。
妖怪に関する資料集みたいなのを更新するから協力して欲しい。そういうやつが急にね。今はあたいとさとり様しかいないよ、ってやんわりと拒否しようと思ったんだけど、さとり様がオッケーしちゃったんだからしょうがない。
「では、まずお燐さんから」
そこで、できるだけ本音を知りたいから1人1人順番でお願いします。とか、文お姉さんに言われて部屋移動。あたいの部屋と別々で始まった取材ってヤツは、一般的な火車の知識の確認から、あたいのことまで。広く浅い感じで尋ねられてね。
だから、人を襲うことなんてないとか。火車は死体なら何でも運ぶけど、弔われたヤツとか善人とかは運んだりしないよ。なんて言ってみた。
どこまで反映されるかはわからないけど、素直に協力したよ。
で、途中からあたいの仕事の話題になってさ。
「お燐さんは、灼熱地獄の燃料を運んでいたんでしたか」
「うん、そうだよ。昔はおくうにもあんな能力なかったからね。あたいがしっかり運んでやってたんだ」
「では、今は?」
「おくう1人でも火力が充分になったから、今は趣味とか火車の能力維持ってところが大きいかねぇ」
「ふむふむ……それでは」
そのときの動きは、良く覚えてる。
文お姉さんはこめかみあたりに、万年筆をコンコンって当てて。あたいの瞳を覗き込んできたんだ。
「灼熱地獄は燃料が無くても熱を維持できるようになった。ということはですよ。死体を運ばなくても良い。つまり仕事というかそう言う面だけでみるならば。
今の地底にはお燐さんは必要ないということですか?」
ぐさって、きたよ。
言われちゃったんだよね。
胸の奥を抉る言葉を。
あーあ、また思い出しちゃった。
そのときは、『そんなきついこと言わないでおくれよ~』なんて笑いながら答えてたけどさ。
「はぁ……」
わかってるよ。
文お姉さんは取材だからついつい質問しちゃっただけで、他意はないってことくらい。
でも正直、結構きついね、これ。
正面からいらないって言われちゃったら、ね?
勘違いだったとしても、クルものがあるんだよ。
あたいってば、頑張ってたつもりなんだけどな。
さとり様のため、おくうのためってさ。
ペットのみんなをまとめるつもりでやってきたんだよ。
でも、確かにさ。
あたいが動かなくても地底は回っちまう。
そういう仕組みになってるって、わかってたよ。
文お姉さんに指摘される前から、あたいって必要なのかなって自問自答してたさ。
「……潮時かね」
ちょっと前から考えてたけど。
地上と地底が出入り可能になったし。
友好関係もできはじめたからさ。
元の地獄に帰って、他の火車と楽しくやる。そういうのも悪くないかもね。
あっはっは、あたいって凄いな~。
こんなネガティブになれちゃうんだな~っ
「ああ、もう! 寝よ、寝よ!
明日になったらいいことあるし!」
ベッドの上でいつまでもぐったりしてちゃ、何にもならないからね。
あたいはパンパンってほっぺたを叩いて気合いを入れてから、
掛け布団をばさぁって拡げてさ。
あ、っと。
その前にちょっと厠へ……
慌てて部屋の入り口まで戻って、内鍵を
「あれ?」
ん? 開いてる。
イライラして閉め忘れたかねぇ?
あたいはそんなことを気にしながら、素早く移動し、すっきりしてから。
明日への期待を込めて暖かい布団に飛び込んだのだった。
◇ ◇ ◇
巻き上がる土煙。
轟く雄叫び。
あたいは追われていた、得体の知れない灰色の魔物に。
いつから、なんで? こいつは何者?
それがわからないのに、捕まったら終わりだということだけははっきりとわかる。
だから、あたいはただ必死に逃げ回っていた。
なのに、目の前の地面が崩れて、あたいは真っ逆さまに落ち――
「……ん」
気付けば、床の上。
見覚えのある模様が広がっている。
上を向けば、やっぱり見覚えある天井。
前に戻せば、見覚えのある模様。
「ああもう、せめて幸せな寝起きくらいプレゼントしてくれないかねぇ」
悪夢のせいで、ベッドから落ちちゃったみたいだね、こりゃ。
身体を引きずるようにして座り込み、おしりをつけて大あくび。
昨日が悪かったんだから、せめて今日はと思ったんだけどね。
なんだかそうもいかないみたいだ。
さてさて、気を取り直してさっさと着替えようかと、寝る前に準備していた服に手を伸ばした。だいたい枕の横にあるはずだからと、ベッドの方をほとんど見ずに。
「あれ?」
けど、ない。
昨日畳んで置いといた、あたいの深緑の服がない。
「もしかして、布団の中?」
落ちるくらい寝相がわるかったんだから、もしかしたら知らない間に巻き込んだか。
なんて想像して、改めて布団の上を眺めたら。
「にゃーん♪」
なんか、いる。
灰色の髪の上に、黒っぽい猫耳を乗せた何かがいる。
しかもベルト(尻尾もどき付き)をくっつけた何かが。
夢の中のヤツよりも、絶対に危険なモンスターが。
「にゃーん♪」
あたいの着るはずだった服を着て、誘ってる。
おいで、おいでと。
あたいを呼んでる。
だからあたいは、一度だけ深呼吸して。
「にゃ、にゃーん?」
と、そのモンスター。
あたいの服を着た、こいし様に向けて猫の声で返してみる。
すると、何故かお怒りのようで。
「そんな猫の声を出されてもわからないわ」
「……理不尽な」
にゃーん、と誘っておいて猫のにゃーん否定とか。
こいし様はただ遊んでるだけなんだろうけど、あたいとしてはたまったもんじゃない。
「朝っぱらから何してるんですかっ、服返して下さいよぉ」
「え? 落ちてたけど?」
「ベッドの上でしたっ! ましてや敷き布団の上に置いてあるものを落ちてるとは言わないんですって。その上であたいも寝てたでしょう?」
「お燐も落ちてから拾って良かったのね。邪魔だからベッドから出しちゃったけど」
「そうじゃなくてぇぇぇ~~~、って、お、落としたっ!?」
「ええ、ころころって」
って、あの悪夢はこいし様のせいかっ。
ベッドから落ちたのも。
「何で落とすんですか! 落とさなくても服取れたでしょ!」
「でも、ちょうどお燐の手の下にあったのよ?」
「手をどかせばいいでしょう」
「でも、ころころした方が楽しかったから。そしたらお燐が勝手に落ちたの。転がりやすいのは問題よね」
「……理不尽な」
会話の手応えなどあるはずもない。
あたいのペースに持って行こうとしたら、あたい自身がこいし様のホームにお持ち帰りされてる感じだよ。
「ころころ~ころころ~って楽しかったな~って、あれ? お燐、もしかして太った?」
「太ってません!」
これ以上、さわやかな朝の一時を邪魔されてなるものか。
あたいはクローゼットから替えの服を取り出して、パジャマから素早く着替えると。ぺこりっとこいし様に一礼して。
「じゃあ、朝ご飯食べてからお仕事行ってきますね!」
媚び媚びの笑顔で、決める。
こいし様があたいの服を着てる意図とか、耳と尻尾つけてる理由とか。いろいろ気になることがあったけど、あたいの直感は察していた。
それに突っ込んだら、終わりだと。
だからあたいは一瞬のうちに入り口まで移動して、ドアノブに手を掛け。
部屋から出
がちゃがちゃ
開かない。
おかしいね。
鍵を掛けてないのに、びくともしな――
「どこいくの……?」
続けて、おもいっきりドアを開けようとしたらね。
すぐ後ろから声が聞こた。
耳に触れるか触れないか、そんな位置から。
「私が遊びに来て上げたのに、お燐は、いっちゃうんだ」
あたいのドアを握る手の上には、いつのまにかこいし様の手が重ねられてた。
きっとこれがドアが開かなかった原因。
「私がお燐と同じ格好してるのに、ねえ?」
こいし様が、あたいを逃がしたくないって思った。
だから無意識の能力が発動して、あたいを引き留めた。
これ以上、刺激したら本気で、まずい……
「ねえ? 私、おいでって、伝えたよね? でもお燐ってば無視してさ。この耳も、この尻尾も、作るの大変だったんだよ~? 本物はふたつずつあるから、一個ずつ貰っても良いかなって思ったけどなぁ。我慢したんだけどなぁ」
「ひぅっ!?」
こいし様が、あたいの尻尾の獣の方の耳を撫でて……
ぎゅって掴む。
それがもう、あたいが沈黙を保てた限界だった。
「わ、わぁい。あ、あたいも本当はこいし様とあそびたいなぁ、でもお仕事がぁ……」
「心配しないで、お姉ちゃんには……お燐を休ませて上げるように言っておいたから。嬉しい?」
「わぁ~、嬉しいなぁ。今日はこいし様と遊べるんですね」
「うふふ、そうよ……、さあ、ベッドの上で何して遊ぶか話し合いましょう?」
「はい……こいし様」
耳元で話される度に。
生暖かな風と、毛穴から氷水を流し込まれたような寒気を与えられ、あたいの身体は何度も震える。
やっぱり、逆らっちゃ駄目だ。
こいし様がやろうと思えば、あたいの尻尾なんて簡単に引きちぎれる。
しかも笑ったまま。
それを今やられても、おかしくない。
そんな怖さがあるんだよ。
だから、あたいはこいし様よりも先にベッドに飛び乗って。
身体の震えを何とか沈めながら、こいし様が近寄ってくるのを待った。
「えと、それで、こいし様……、あたいみたいな格好して、何がしたいんだろうなーって」
さっき自分で禁忌とした台詞をぶつけながら。
きっとコレなら満足するだろうと思ったのに。
それでもこいし様はどこか不満げに歩いてきて。
じとーって睨みながら、あたいに顔を寄せてくるんだよ。
で、強い口調で。
「お姉ちゃん」
と、一言。
なにこれ。え、何? 何が正解なのこれ?
「え? さとり様が何か?」
「違うの、お姉ちゃんなの」
あ、怒ってる。目が金色だ。
あはは~、これ以上間違っちゃやばいなぁ。って。
だって。こいし様の姉はさとり様でさとり様の妹はこいし様で、でもお姉ちゃんで、え? ええ? えええ?
いくらあたいの格好してても、それの何が違うって言うんですかぁ~。
あぁ~もぉ~猫耳ぃ~、尻尾ぉぉ~~!
…………お?
そこで、あたいは閃いた。
生き物は命の危機に瀕したとき想像以上の力を出すって話だったけど、うん。
ぴんときたよ!
「こいし様、じゃなく、て?
こいし……お姉、ちゃん?」
「ふふ~、よしよし、お燐は良い子だね~~」
「お姉ちゃん?」
「よしよ~し」
確認のためにもう一回呼んでみたけど、これで正解みたい。
いやー、こいし様の遊びは肝が冷えるよほんと。
とにかく、今日一日はこいし様があたいのお姉さんって設定で遊べってことかねぇ。
まあ、とにかく。
地霊殿からあんまり離れないようにしていけば――
「さあ、お燐ちゃん。私が火車としてお手本を見せて上げるから、上の世界で遊ぼうか」
「え゛っ!?」
こいし様の宣言の直後。
あたいの喉から濁った悲鳴が上がったのだった。
◇ ◇ ◇
「お姉ちゃんね? いつもお燐が遊びに行ってるところ知りたいな~」
地上行きたいって言ったのに、ノープランだよこのお方。
しかも、あたいが台車を押して歩く中で、気配を出したり消したり。
気配を出した時しか見えないからね、もう、歩いてるだけで気が張るっていうか。
気を抜いてるとほら、いきなり後ろに現れて尻尾触ったりね。
だるまさんが転んだ、って感じで振り返ったりすると。
今度は空中に浮いて耳触ってきたり。
あたいにどうしろっていうのさ、まったく……
「私も地上に遊びに行ってるんだけどね。やっぱりお燐が好きなところの方がいいから」
こいし様はふらふらしすぎなんだよぉ。
でも、変なところで問題起こされても困っちゃうしねぇ。立場上やばいお人だし。
仕方ないからね、一応あたいが贔屓にしてる場所。
こいし様が遊んでも問題なさそうな場所に誘導してみた。
外からいろんなものや、生き物すら流れてくる。
幻想郷への迷い人が一番多い場所。
そんな場所さ。
「着きましたよぉ、お姉ちゃん」
人呼んで、無縁塚。
今は桜の季節でもない秋だからね、桜も葉っぱの衣装を脱いで。ほんと寂しい風景だよ。
ま、こっちの方が死体を見つけやすいんだけど。
で探しながら、猫耳猫又尻尾付きなこいし様の設定で付き合ってあげないと。
「お姉ちゃん?」
「……」
でも、反応なし。
気配は消えたままで、姿も見えず。
おかしいね、近くに居るはずなんだけど。
「お姉、ちゃん?」
「……」
もう一回言ってみたけど、反応なし。
おかしいね。
「……」
「……」
もしかして……
いやいや、自分で言っておいてまさか……
「こいし様?」
「なに? お燐?」
「お姉ちゃん設定はっ!?」
ホントに自由だな、このお方。
「あ、そうだった! どうちまちたかー、お燐ちゃん?」
しかもあたいがおもいっきり自爆した感じじゃないかい。
呼び方をこいし様に戻すチャンスだったのに。
「こいし様、じゃなかった。こいしお姉ちゃんの中であたいって何歳設定なんですか……」
「ハイハイしてる感じ」
「おもいっきり二足歩行してますけどね」
「ほらほらー、お燐! そんなこと言ってないで、お仕事だよー!」
「はーい。こいしお姉ちゃんもちゃんと拾ってくださいね」
あ、また気配消してどっかいっちゃった。
こうなるとあたいの5感程度じゃ探れないからね。
あたいも気を取り直して、地上を楽しみますか。
「んー、こっちかな?」
火車は死体の声と匂いと敏感に感じ取れるからね。
特に地獄出身だから悪人の匂いに敏感。
だから、こういう目印のない平野でもちゃーんとお目当てのを探し当てることができるんだよ。時間が経ちすぎてる死体だと声が聞こえないけど、最近はほとんど毎日と言って良いほど来てるからね。
そういう見逃しはないと思うし。
それとね、あたいと同じころにここに目を付けた奴もいるんだよ、これがまた。
「おっ!」
うっすらと、声が残ってたから。
当たりだと思って草むらを台車で走り抜けて、聞こえた場所あたりの草をかき分けてみたら。
あたいの目に飛び込んできたのは、真っ白な骨だけ。
それが無造作に転がってたんだよね。
一本当たりの長さが、あたいの二の腕くらいのやつもあるし。
まあ、あたいにとっても本命だったもの。
ここに流れてきたときはちゃんとお肉もついてたんだろうけどねぇ。
「やられたよ。食欲旺盛だねぇまったく」
骨についた小さな噛みつき傷が、犯人を教えてくれる。
え? 何だい? 骨くん?
自分が誰に殺されたか知りたいって?
ほらほら、あそこに見えるだろう。
あの掘っ立て小屋の……
「きゃ、きゃああああっ!!」
おっとぉ!
こいつはいけない。
あたいは転がってた骨を慌ただしく台車に乗っけて猛ダッシュ。
きっとまたあたいのライバルが獲物を見つけちゃったんだろう。
でも、早い者勝ちってわけじゃないんだよねぇ。
この業界。
特に幻想郷だとこの、スペルカードってやつがある。
悪人の死体だったら無理やりにでも譲ってもらうつもりで、
がさがさと何かが争う音がする場所へ飛び込んでっ!
「い、いやぁぁぁああっ!」
「にゃーん♪ にゃんにゃーん!」」
……うん、襲われてる。
見事に押し倒されてるね。
あたいの台車の上の、骨になったお兄さんを襲った犯人が。
見覚えのある猫耳少女に襲われてた。
「た、助けてくれ! わ、私なんか食べてもおいしくなんかない! そ、そうだ交渉しよう!」
「にゃん?」
ほらほら、骨のお兄さん見てごらんよ。
押し倒された側が交渉を持ち出しながら、隙あらばひっくり返そうとしてる。
でも相手が悪いよね。反応してると見せかけて実はなんも考えてないお人だからね。
「わ、私がここで集めた宝物が、いくつかあの建物の中にある! その中から欲しいものをあげよう!」
「にゃん……はむっ」
お腹付近を蹴りあげようと、わざと身体をずらしたのが運のつき。
大きな耳をぱくっと咥えられて、半狂乱状態だよ。
「ひ、ひぃっ!? き、君は! いきなり人の耳を噛むなどと!」
「……わたし、お燐のお姉ちゃんのこりんりん。
だから、猫の言葉しかわかんないにゃん」
いやいや、こりんりんって……
よし、骨のお兄さん。
あたいたちは続けて死体探しにでも入るかね~。
あの子がうろついてたってことは、この辺にあたりがあるかもしれないし。
「……? いや、君? 今しっかり私と同じ言語で会話を」
「はむっ、はむっ」
「ひぃっ! だから噛むなっ! い、一体なんなんだ君はぁぁ! 何が目的だぁ!」
おお、なかなかいいのが落ちてるじゃないか。
こっちのお兄さんも綺麗に骨だけど、魂がくっついてるからなかなか楽しめそうだよ。
さて、二体も骨がゲットできたことだし、あたいはこのまま地霊殿にでも戻ろうかなーっと。
「こらっ! そこのお燐! お前の姉だろっ、なんとかしろぉ!」
「……うわ、ばれた」
「そういうのはいいから! 早くっ!」
できればそのまま二人の間で解決してほしかったんだけど。
「あー、はいはい、こい……じゃなかった。また設定変わったんだっけ……
こりんりんお姉ちゃん」
「なにかにゃ?」
よし、猫語設定消えた。
「なんでナズーリンを獲物に?」
「だって、お燐って猫じゃない?」
「猫ですね」
「ってことは、ネズミ食べるじゃない?」
「食べますね」
「ってことは、問題なし?」
「……言われてみれば」
「ちょ、ちょっとぉぉぉおおおおっ!!」
このナズーリンってネズミは仲間を入れると結構大所帯でね。そのネズミたちを養うのに迷い込んだ動物の肉を食わせてたりするんだけど。食事中じゃなければ死体を分けてくれる関係は結んでるからね。その関係は維持したい。
それと毘沙門天関係で敵に回すと厄介そうだしね。
しかもだよ?
こいし様みたいにあたいたちの代表の妹様が、相手の多勢力の大事な子を、こう、キュッてやっちゃったら。
大問題どころじゃないよ。
戦闘だよ、大抗争だよ。
『無意識でした、へて♪』
うん、軽く滅ぶ。
戦争に発展して、おくうとか出てきた時点で地上か地底が地図から消える。
「……あれ? 本気美味しいかも」
「え?」
耳を齧ってたこいし様ならぬこりんりんが不穏なこと言い始めたし。
ナズーリンの方もテンパり過ぎてホントに衣装変わっただけのこいし様をあたいのお姉ちゃんだと思い始めてるし、まったくもう。
さすがにまずいかなと、あたいはこいし様の肩をぽんぽんっと叩いて。
「こりんりんお姉ちゃん。やめといた方がいいよ」
「……ダメ?」
「そ、そうだ! 妹の言うとおりだぞ! こりんりん!」
物欲しそうな顔してるってことは、割と本気で食う気だねこのお方。
ならば、これだ。
あたいは知識の中から切り札を一枚抜き取って。
「こりんりんお姉ちゃん。その子、病気持ちだから……
お腹壊すよ……」
「……うわ」
「おい、おいマテ! いまなんつった! っていうかなんだその眼は!」
おもいっきり嫌そうな顔で見下ろされ、ナズーリンが真っ赤な顔をして否定し始めるけど。
あたいは全く気にしない。
「しかも寄生虫持ち」
「……最悪」
「そんなわけあるかぁっ!」
「お燐、ハンカチ頂戴……」
「あー、はいはい、綺麗に拭き拭きしましょうね」
「こら! マテ! 君達っ! 今、非常に許容しがたい誤解が生まれたぞ!
ただでさえ人里の人間に良い目で見られていないというのにっ!」
こいし様がナズーリンの上から飛びのいて、触れていた部分をごしごしと拭き始める。
結構、真剣に。
そして、尻餅をついた体勢で必死で弁解するネズミさんも一人。
「私はっ! いや、私を含めて私の配下のネズミはペストとかそういう病気は持ってない!
毘沙門天様から一年一回定期健診受けてるし! 危険な寄生虫もゼロだ!」
「……持ってるネズミはだいたいそういうこと言うんですよ、お姉ちゃん」
「わかるわかる」
「わかるなーっ!!」
聞き分けのないナズーリンさんだねぇもう。
あたいはダウジングロッドをぶんぶん振り回し始めたナズーリンに軽いステップで近づいて。
(こりんりんに食べられたくないだろう? 少しだけそういうことにしておいておくれよ)
(……あ、ああ! そういうことだったか。君のことだから悪ふざけかと思ったよ)
ふむ、やっと納得してくれたようだよ。
これで死体も2つゲットできたし。
問題なく収穫品を持ち帰れるってもんさ。
「これからもあんまり無意識になんでも食べちゃダメですよ?」
「そうね、あのネズミさんみたいにね」
「う、ぐっ!」
「ま、まあまあ、その話はその辺で」
「お燐ももうちょっと早く注意してよね。うつってたらどうするのよ」
「ぐ、ぐぬぬっ!」
今だけ、今だけは耐えておくれっ
あたいは心の中で必死に叫びながら、こいし様の背中と台車を押してその場を後にしたのだった。
◇ ◇ ◇
とりあえず、一旦地底に戻って、地霊殿の外のあたいの縄張りへ。
そこで死体保管庫に骨を並べて、一段落。
午前の予定はこれで終わったんだけど、午後もこいし様が外で遊びたいって言うもんだからさ。
死人が出そうで、こいし様が行っても問題なさそうな場所を選ばないとなんだけど……
「まかせてっ! 私良いこと思いついたっ!」
という、凄く強引な一手により。
行き先が強制変更。
まあ、さとり様よりも圧倒的に外出が多い。
下手するとあたいよりも地上出てるお方だからね。
もしかしたら期待できるかなーっとか思ったけどさ。
「おお、お燐ちゃん。やっぱり人間が多いねぇ。旧都とは大違い」
「……わぉ」
もう、人が一杯歩いてる時点で、一か所しかありえない。
もちろん人里ってわけ。
平和なのにこいし様と一緒だと危険度が跳ね上がる気がするのはなんでだろう。
しかも猫耳少女二人組がどうどうと歩いてるわけだからね。
もう、注目浴びまくりだよ。
でも、こいし様がオススメする場所っていうのも、気になるっていうのもあるんだよね。
怖いもの見たさっていうのかな。
でも、さすがにナズーリンに襲い掛かるみたいな、そんなアウト感はないはず……
「……」
そこは、黒一色だった。
晴れやかな空を恨むように、地上は闇色に染まっていた。
人里の中にありながら賑やかな喧噪などどこにもなく。
ただ耳に運ばれてくるのは、衣擦れの音と、地面の上を足が進む音。
時折すすり泣く誰かの声が、また別の誰かの涙を誘う。
さとり妖怪でなくても、どんな感情が渦巻いているかはわかる。
心を読むなど必要ない。
影を帯びた人間たちの表情は、たった一つ。
故人に向けた、想いだけ。
そんな大切な、一つの人生が終わる場所。
汚すことが許されない、重要な儀礼。
「……」
その受付場所のすぐ近くに。
死体運びの火車と、火車もどきが二人。
「あ」
うん、見られた。
めっちゃ、気づかれてる。
っていうか、何コレ。
なんでしょう、この敵意。
この尋常じゃない殺気。
なんかもう、台車持ってる手が自分のものじゃない感じで、震えてる。
死ぬな、これ。
あたい、一歩でも葬儀場に近づいたら死ぬ。
「あれ? お燐ちゃん? いかないの?」
「……」
なにいってんのぉっ!?
その言葉に、あたいは首を激しく振ることしかできなかったよ。
あ、うん。
殺気膨れた。
二倍くらいに膨れた。
「えー、いいと思うんだけど? 死体あるよ?」
「無理です……これ絶対無理です……」
「えー?」
「えー、じゃなくてぇ! 帰りましょうよぉ、ね? あたいが違うとこ案内しますからぁ!」
バカ、こいし様の馬鹿。
なんでちょっと寄り道程度で命掛けないといけないんですかぁ!
こいし様がおかしなこというから、なんか怖そうな人がじりじり近づいてきてるじゃないですか!
あれ絶対人里の妖怪退治屋関係者ですってば!
「ん、わかった。仕方ないなぁ」
って、あ、嘘!
なんでこのタイミングで気配消しちゃうんですか。
あたい一人であの人間の群れに立ち向かえっていうんですかぁっ。
逃げますからね、
あと10数えて戻ってこなかったら、絶対逃げますからね!
あたいは、尻尾を下げて、じりじりってね。
敵意ないよー、死体なんていらないよー。
そんな風に、台車を背中の方に回して、里の中央部の方へとゆっくりと、脚をね。
もう、こいし様なんて待ってれないよ。
「ただいま」
ああ、もう!
遅いですよ。
ほら、こいし様がいきなり現れたり消えたりするからみんなびっくりしてるじゃないですか!
「はい、プレゼント」
どさって。
もう、何もってきたんですか。
いきなり台車に乗せたら、バランスが崩れて転びそうになっちゃいますよ。
「ほらほら、お燐の好きなヤツ」
あ……
思わず、声が漏れちゃった。
そんな場面じゃないってわかってるんだけど。
あまりにも綺麗な死体だったから、すごくびっくりしたんだよ。
こいし様があたいのためにわざわざ持ってきてくれた。
そんな感情が一瞬であたいの中を駆け巡ったんだ。
「凄い……です」
死体だけじゃないよ。
死体を飾る白い服の見事さ。
そして額についた三角の白い布。
完璧な姿過ぎて、もしかしてどこかの葬儀会場から盗んできたみたいな……
え?
盗んできた、みたいな?
「……えと?」
「何?」
「こりんりん、お姉ちゃん……?」
なんでだろうね。
死体が台車に乗ったのを見に振り返った瞬間。
あたいが人間たちに背を向けた瞬間。
背中からナイフを突き刺された風な、嫌な気配が生まれてるんだけど……
うん、まさかだよ。
いくら、こいし様でも……ねぇ?
無意識で、行動できるからって、ねぇ?
「これ、どこから?」
「うん♪ そこから盗―ー」
こいし様が口を動かし切るより早く。
あたいはぺしっと。
尻尾でこいし様の脚を払って、無理やり台車に乗せ。
「こいし様の、ばかぁぁぁぁっ!!」
後ろから、お札やら、霊弾が飛びまくる中。
あたいは必死で人里を走り抜けたのだった。
◇ ◇ ◇
「楽しかったね、お燐♪」
どこがですかぁ!
なんて、突っ込みを入れられるはずもなく、あたいは力なく頷いただけ。
昨日の天狗騒動といい、今日と良い。
ホント散々だよぉ。
あたいなんか悪い事でもしたかねぇ。
引きずるように台車を引っ張って、肩を落としたまま地霊殿の扉を叩いたら。
「おっかえりー!」
明るい声でおくうが迎えてくれたよ。
ああ、おくう。
やっぱりあんたのその明るい声が、あたいを癒す唯一の調べ……
「て、あれ?」
「えへへ~、どう? どう?」
玄関を開けておくうを見たら、びっくりした。
何せ、あれだよ。
「その耳と、尻尾……」
こいし様と一緒な。
猫みたいな耳と、二本の尻尾。
もちろん作り物だけど、それがおくうにくっついてる。
「朝起きたら、近くにあったの。今日一日付けて過ごしなさいって紙と一緒に」
そんなことを気にしてたら、おくうはあたいの前でくるりって一回転。
「お燐みたいに可愛くていいよね、これ」
「あははは、そんなこと言わないでおくれよ。照れ臭いじゃないか」
あれ? ハロウィンって今日だったっけ?
なんて不思議なこと考えながら、あたいはこいし様と分かれて、戻ったことを伝えにさとり様の部屋へ。
コンコンって、軽く叩いてお邪魔しまーすっと。
「……え?」
そしたら、さとり様もだった。
なんでか猫耳と尻尾付けて、地獄関係の書類整理してた。
「その疑問は当然かと思いますが。私もおくうと一緒ですよ」
え? さとり様も、おくうと一緒。
ということは朝起きたら、猫耳と尻尾が置いてあったってことかい。
じゃあ、おくうの部屋に耳と尻尾を置いたのはさとり様じゃない、ってこと。
「でも、素直に付けなくても……」
「そういうわけにもいかないでしょう。あの子の数少ないお願いごとですもの」
「あの子って……」
待てよ。
おくうの部屋と、さとり様の部屋に無断で入れて。
しかもさとり様にまったく行動を読ませずに行動できる人って。
「こりんりん」
「やっぱり……って、読まないで下さいよ、あたいの苦労歴史」
「うふふ、だって。こいしがあんなに動き回る姿を見るには、誰かの感情を読まないと無理だもの」
「そりゃあ、そうでしょうけど……」
あたいってば、大変だったんだからね。
特に人里なんて、いらない騒動に巻き込まれちゃってさ。
昨日のあれと良い、これと良い。
「昨日があったから、コレなんですよ」
あの嫌なことがあったから。
あたいのコスプレって……
こいし様ってばいったい何を……
そんなことをあたいが悩んでたら、さとり様はいつのまにかあたいの前まで歩いてきて。
「……お燐、これは私の、あの子の姉としての希望的観測かもしれないのだけれど」
まっすぐ目を見つめてくれた。
お優しい、穏やかな瞳を向けてくれた。
「あの子の瞳は、あの人間たちが来てから緩くなっている。だからもしかしたら……
あなたの心を覗いたんじゃないかって……、私はそう思いたいのです」
あたいを通して、誰かに語りかけるみたいに。
ゆっくりと、言葉を選んでいた。
「お燐があのとき、地底で役割がないと落ち込んでいるとき。偶然、瞳が緩んで……あなたの悩みを覗いてしまったのかもしれません」
だから、作った。
猫耳を、そして2本の尻尾を。
誰にも相談せずに、こっそり。
一晩で作り上げて見せた。
「遠回りですが、本当に、不器用としか言いようがありませんが」
そして、いきなりお燐の姉なんて言い出して。
一日中つきまとった。
でもそれが、
全部が一本で繋がっているとするなら……
「家族が一緒にいることに、理由などいらないと……そう伝えたかったんじゃないかって。そう思うんですよ」
でも、さとり様は。
その言葉を口にしてからすぐ、恥ずかしそうに頬を染めて首を横に振って……
「そう、思いたんです」
だからあたいも、うんって頷いてね。
「あたいもそう思いたいです」
そう返したらさ。
胸のあたりがね、すっごい温かかったんだ。
「……ところで、お燐? 人里の死体、返さないの?」
「……あ゛」
その後、稗田の書の中に
葬式中に、火車に死体を盗まれないように気を付けろ
のような一文が追加されという。
なかなかでした。
やっぱり、お燐は苦労人ポジションが一番似合う気がする
そういうのもあるのか!
こいしちゃんもおりんりんも可愛いかったです
さとりのセリフ
>「そう、思いたんです」