輝夜が目を覚ますと、そこは星や月どころか、一寸先も見えない闇の中だった。手を伸ばしても光に触れず、その手を近づけても、其処には何もかもが失われてしまったかのような虚空がある。そんな景色に出迎えられた。
驚きの前にきょとんと目を見開き、瞳孔も死人のそれと同じく開かれたのだが、変わらず全くの闇があった。しかし失明の感覚とは違う。いつの日だったか、盲目も経験したことがある輝夜だが、それとは違って、その目にはしっかりと闇が見えていた。
一体何がどうなっているのか。思い出そうとするが、前後の記憶が取り戻せない。もしかしたら、頭を強く打ってそのまま気絶していたのかもしれない。頭が酷く重たかった。
「ここは――?」
小さく呟いた自分の声が、ごわついて耳に反響した。何やらとても狭い空間に押し込められているようだ。
それに、少し息苦しさを感じた。そう思って吐いた息は、ごく近くの何かに当たって、対流した空気が、額を、頬を抜けていく。
輝夜は自分の顔に触れようとした。
そこで初めて、輝夜は自分の顔が何かで覆われているということに気づいた。
「何よこれ、誰かのイタズラ?」
溜息を吐くように言った。周りからの反応は何もないし、誰か居るようにも感じられない。
「てゐ! ……っ」
そして叫ぶと少し耳が痛い。きぃんとした耳を抑えようとして、でこぼこと、それでいてざらついた感触の硬い被り物に遮られた。思わず舌打ちが出る。
以前、その言葉に返事をしようとする何かの気配もない。八方塞がりだった。
あまり焦りすぎても良いことはない。輝夜はまず、自分の正しい現状を把握することにした。
怪我はない。不老不死という身体のことを思えば当然といえば当然だが、それでも、『記憶が飛ぶほどの衝撃を受けた状態から、身体の傷が完全になくなるまで』の時間が経過していることが分かる。
服はどうやら寝間着らしい。触り心地で分かる。最後に眠った時は確かに夜で、それは布団の上だった。はっとして、輝夜は地面に手を伸ばす。柔らかく、それに掴んだそれは竹葉に違いない。なので此処は、恐らく永遠亭からそう離れていない、迷いの竹林の何処かであるはず、というのが分かった。
ではむしろ、自分は『今』目覚めたのではないか? 元々気絶なんてしておらず、頭が重いのは物理的にそうなっているだけ。被り物のせいだ。誰かが徒に眠っていた自分を運び出して、被り物をさせて、竹林の何処かに寝かせたのでは、ないか?
いや、そんなわけはない。永遠亭に忍び込んで、輝夜自身に気付かれないよう拉致して運び、そのまま竹林に放置するなど不可能だ。空間を無視する能力か、時間を止める能力でもない限り。それに後者の場合は自分で気付く。時間の動きには敏感……って、そもそも目的が意味不明だ。冷静になれ。
そうやって冷静になった輝夜は、まず被り物の正体を確かめることにした。
ほぼほぼ真円かと思ったが、緩い角があるので円柱に近い。感触はでこぼこ。ざらざら。石のような冷たさはなく、有機的だ。溝と帯が交互に並んで、縦縞を形成している。その二つの幅は等しくなく、帯に比べると溝のほうが細い。丁度、耕した後に足の踏み場を形成した状態の畑を、シート状にして貼り付けたような感じ。
その感じに、覚えはあった。一つしかない。間違いなくこれは、
――カボチャ。だ。
何故自分はカボチャを被っているのか。
「あ、ああ……そうか……」
その疑問をきっかけに、ぽっかりと空いていた――昨日寝てから、先ほど目覚めたそれまでの――記憶が連鎖するように浮かび上がってきた。
それは午前4時30分。輝夜はその時、今がその時間であることを知らない。永琳に起こされて、まだ外は全然暗いじゃない。と、寝ぼけ眼で起こされたことを批難する。
そこで永琳は、輝夜に頼んだおつかいの約束を思い出させた。風見幽香の下へ特製のカボチャを取りに行かなければならない。幽香は、午前6時までは幻想郷の某所にある自身の住処で過ごしている。しかしその時間を過ぎてしまうと、幻想郷のどこかをふらつき続けて、眠くなるまで帰ってこない。すっきりと機嫌が良い幽香と確実に会いたいなら、朝の家を出る時間までに、住処を訪ねなければならないのだ。
そういえば、そんな約束をしていたわ。そう言って輝夜は渋々永遠亭を出たのだ。寝間着姿のままで。
間違いない。
道中のことはほとんど記憶にないが、道に迷うことなく竹林を飛び越え、幽香の住処に辿り着いた。
そしてカボチャを貰い……その時の会話は全く覚えていない。会話どころか、それ以降の意識がほとんどない。が、今が『こう』なのだからカボチャは確かに貰えたのだろう。
此処から記憶が曖昧。もしくは途切れ途切れで、どんな景色を見て、どんなルートを帰ろうとしたのか、ちっとも思い出せない。ただ、此処は竹林。恐らく切れかけの意識で空を飛び、何かを見つけて安心し、そこで意識をギリギリで繋ぎ止めていたものがぷつりと切れて、真っ逆さま。というのは想像に難くなかった。
その何かとは、恐らく永遠亭だろう。
――じゃあ永遠亭は近くにあるのかしら?
しかし前後不覚、五里霧中である。
――っていうか、これがカボチャなら何の問題もないじゃない!
輝夜は気付いた。カボチャはカボチャだ。カボチャくらいなら、壊せばいい。永琳から言い渡された、パーティに必要な品ではあるものの、これこれこういう事情があったということを話せば分かってくれるはずだ。
そうと決まれば話は早い。首ごと持っていかれてもいいから、最大出力でカボチャを粉微塵にすると決めた。多少痛いが、むしろ痛みを感じない火力で飛ばせば、それこそ一瞬だ。
耳を塞ぐような格好で、両手をカボチャに当てる。そしてたった一息の後に、迷わずその手から熱光線を発射した。
突然その場に召喚された熱エネルギーは、辺りの空気や竹葉を巻き込みながら放散し、それは音にも変わり、爆発そのものとなって響き渡った。
不変なのは、呪いのように永遠を生き続ける自らの身体。
それと、カボチャだった。
「何でだああああああ!」
叫ぶと同時に、地面へ思いっきりカボチャを叩きつけた。頭ごと。何度も。ヘッドバンギングというヤツだ。それもカボチャは欠けることなく、何ならへこむ様子さえない。
「何、このカボチャ。どうなってるの? ただのカボチャじゃないわけ?」
ただのカボチャじゃないだろう。風見印の特注品に違いない。それなりの高度からの落下にも、強靭を誇る月人の一撃にも、まるで様子を変えずに耐えている。
一頻り地面と強烈なキスをしたところで、これが全くの不毛と判断したのか、輝夜はゆっくりとその動きを止めた。そして首元に手を掛けた。
「ぬあああああああああああああ!!」
後は気合だ。力づくで何とかしようとした。
耳が鳴るなど、どうでもよかった。とにかくカボチャを外すために死力を尽くした。
それでも頑なに、カボチャはそれそのものが身体の一部であるかのようにはまり込んでいた。取り憑いているかのようだった。
どういうはまり方をしてしまったのか。どうやら髪もほとんど全てがカボチャの中に吸い込まれてしまっているらしく、それがクッション材と隙間を埋める役目を同時に果たしている。そのせいで、一層抜けないのだ。
「本当にどうなってるのこれ……あら?」
憎じとカボチャを撫で回していたら、後頭部の辺りで指に引っかかりを覚えた。なぞってみると、それはどうやら目と口が存在するようだった。
――そうか、このカボチャはハロウィン用。そもそも頭が入る穴が既に彫ってあったんだから、目も口もあるに決まっているじゃない。
取れないならせめて、回せないものか。思い立った輝夜は、迷わずカボチャの溝に手をかけた。そして、思いっきりカボチャを捻り上げた。
首が、ゴクリと鳴った。
それは久しぶりに、真っ当に痛いものだった。声にもならない声を上げた後、つい輝夜は意識を失ってしまった。
輝夜が目を覚ますと、狭い視野の先にぼんやりとした光が見えた。あまり明るくない。闇を炎で照らした時の、ゆらりと揺れる光だった。
「何処……?」
横になっていたので、身体を起こす。声はいまいちくぐもっていた。
永遠亭の雰囲気ではないが、何か覚えがある。首を傾げたがそれは一瞬だった。
「あら? 気付いたみたいね」
聞き覚えのある声だった。
「血を流して倒れてたけど、平気? 何かさっき爆発みたいなのも起きたっぽくてさー。しかもあなた、爆発の真ん中に倒れてたじゃない? 何があったの? カボチャの妖怪さん」
「もっ……!」
「も?」
悲鳴を上げかけた。妹紅! と、その少女の名を呼びかけた。思いとどまったのは、妹紅のリアクションの奇妙さにだった。
「も……申し訳ない」
「いやいや、いいのいいの。私も竹林の番みたいなものだから」
もしかして、妹紅はこのジャック・オ・ランタンの正体に気付いていないのではないかと、輝夜は疑った。心ない謝罪を述べた後、静かに少しの間様子を観察していたが、やはり、その動きは輝夜を輝夜であると認識した動きではなかった。
目の前で、何の躊躇いもなく背を向ける。怪我をしていないか、大丈夫かなどと聞いてくる。
包丁を手にしているのに投げてこない。
何一つ、輝夜が知る妹紅ではなかった。
声を聞いても分からなかったのか。それともこもっているから判別できないのか。それにしても鈍すぎる。からかっているんじゃないかと、一瞬殺気を帯びてもみたが、その殺気さえも気にしない様子だったので、本当に気を抜いているらしかった。
また妹紅とは全く関係ないのだが、輝夜はふとしたことに気付いて頭を抱えた。それはもしかすると、自分が『発見』して気を抜いてしまったものの正体が、妹紅の家だったのではないかということだ。もしも寝ぼけていた頭で妹紅の家を見て、それで安心して意識を切らしてしまっていたのだとしたら?
決して、喋りさえしなければ妹紅にどころか、世の誰にもバレない『結果』なのだが、それでも輝夜は少し落ち込んだ。というか、自分に腹が立った。
そんな一人芝居をやっていたところで、妹紅が話しかけてきた。
「ところでさ、あなたは……所謂、アレでしょ。『ジャック・オ・ランタン』って妖怪でしょう?」
その目は、少し輝いているように見えた。あまり目を合わせたくないので、視線を下げた。
「やっぱりそうなのね!」
どうにもテンションが高い。先ほどの動作が『肯定』と取られてしまったらしい。
「うちに来ようとして何か事故ちゃって、それであそこに転がってたってこと?」
輝夜は、また頷く動作を取った。最初にこの状況をどう説明するか、勘違いされている『カボチャの妖怪』としてどのような行動を取ればいいか考えていたが、こう先走られていると拍子抜けだ。妹紅の問いかけは、まるで妹紅が『こうあってほしい』という状況を表しているようだった。つまり妹紅はジャック・オ・ランタンが存在して、そしてその彼から家にやってきてほしいのだ。更にそんな願いがあるならば、次に輝夜が言うべき言葉は決まっているようなものだった。
「ということはつまり……?」
妹紅もどうやら、それを促しているらしい。輝夜はできるだけ自分の声にならないようにして、『その言葉』を呟いた。
なるべく陽気に心がけてだ。
「ト……トリックオア、トリート……」
「出たー!!」
言ったほうが恥ずかしくなってしまうほど、妹紅は喜んだ。そして、ちょっと待って、と言い残して、炊事場のほうに消えた。輝夜もそれに乗じて消えてしまおうと思ったが、ちょっと待ってという言葉に何故か引っかかったように、動くことができなかった。
たった少しの時間を待ったところで、妹紅が炊事場から現れる。妹紅は白い箱を持っていた。
「これ、お菓子ね。あっ、違った。えーっと、ハッピーハロウィーン!」
それほど嬉しかったのか、妹紅の顔は淡く紅潮していた。輝夜も釣られて顔を赤らめてしまう。今ばかりは、カボチャの存在に安堵した。
「……それと、お願いがあるんだけど、いい?」
妹紅が続けて告げる。速やかにこの場を去るため、輝夜はある程度の厄介事なら背負い込むことにした。どうせ、カボチャが取れ次第なくなってしまう約束になるのだから。
「えっとね……このお菓子、ちょっと行った先に永遠亭ってところがあるんだけど、そこにお菓子を貰いに行ったら、このお菓子と交換してきてくれないかしら……?」
そのお願いに、輝夜は思わず動きを止めた。
理由を問われていると勘違いしたのか、妹紅は少し言いにくそうにしながら、勝手に言葉を続けた。
「えっと……実は永遠亭に悪友が居てね。そいつに渡す……いや、渡したつもりになって! 一人で……このお菓子を食べる予定だったの。無駄なことしてるっては思うんだけどさ、一応そいつ、何かイタズラとか好きそうだし、割とこういうお祭りごと好きだから、もしかしたらそんなことを言いに来るんじゃ……ないかな……とか、思ってるの。まあ、多分その確率もほとんどないんだけどね。そもそも! 来たところで恥ずかしくて渡せるわけないし! 作ってみたものの! ……で、でも。せっかくこうやって、ジャック・オ・ランタンが来てくれたわけじゃない? もしかしたらこれは! ……って思って。いや、ジャック・オ・ランタンがそういう妖怪じゃないのは分かってるんだけど。もしかして、もしかしたらやってくれるかな……なん……て。やっぱり、迷惑かな?」
途中から聞いていられなかった。
迷惑かな? と、妹紅が首を傾げた瞬間には、後ろを振り返って走り出していた。
「あっ、ちょっと! もう平気なの!?」
脱兎の如く逃げ出してしまおう。後ろから妹紅が追いかけてくるようだったが、家を出て、元気に走っていく姿を見せてさえしまえば問題ないはずだ。
そう思って土間に飛び出した時。
「うわっ!」
急に動き出してしまったからか、足が絡んでふらりと身体が傾いた。そのまま、土間の硬い石畳に、輝夜は顔から突っ伏した。
同時に、パカンと軽い音がして、輝夜は顔全体に冷たい空気を感じた。カボチャに詰め込まれていた髪の毛が、四方八方に散らばりながら広がる。
此処で、此処でまさか。
こけている間に、妹紅が追いついてくる。
「ねえ、悲鳴がしたけど大丈夫――ああっ!? か……カボチャが?」
割れている。
あんなに割れなかったカボチャが、石に思いっきりぶつかったくらいで、割れている!
偶然、割れやすいところに当たってしまったのか。それとも、目と口を開ける過程で、そこだけ割れやすいヒビが入っていたのか。それとも、様々な衝撃を耐えに耐えたカボチャも、此処がダメージの限界だったのか。
輝夜は、すぐには立ち上がれなかった。
後ろから、血の気が引いていくような音が、まざまざと聞こえた。
「…………ねぇ、もしかして、と思うんだけど。……『輝夜』?」
輝夜は心の中で叫んでいた。
これは気付かなかったアンタが悪いんだから。そもそも何で此処で気付こうとしてまうの。黒髪だから? 自分の外見的なアイデンティティはそこにしかないの? ごめん、確かにそこしかないかもしれない。いやそれにしても、だよ。そもそもあんな恥ずかしいことをいきなり言い出したのはそっちだし、勘違いもそっちからだし、決して、こっちが悪いことなんて、一つも――。
そんな言葉を飲み込んで、ゆっくり振り返る。
真っ赤な顔をした妹紅と目が合って、輝夜はぼそりと呟いた。
「ト……トリックオア……トリー……」
「トリックそのものだよぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
竹林の一角で火柱が立ち上った。
人里からはそれが花火に見えて、ハロウィンという名の仮装大会に興じていた里の人間たちは、たまや、かぎや、と、それを見ながら口々にはやし立てたのだった。
妹紅がかわいかったです。
カボチャ回したので全力で笑ったww
姫かわいそうです