01
この店には、少女が降る。
これは何も比喩表現や回りくどい感情表現などではない。文字通り、ここに書かれている文章を読んで大多数の人間が脳裏に思い描くように、少女が降ってくるのだ。上から下へと。
大多数に属さない人間の方には想像しにくいかもしれないが、そういった方には平にご容赦頂きたい。そもそも、これくらいでついて行けないと仰るのなら、まず初めからついてこない方が精神衛生上大変よろしいかと思われる。それでもついてくると言うのならば、僕としてはありがたい事この上ないのだが。
02
さて、少女が降る。少女が降るというのは少女が降るという事で、つまり文字通り少女が降る。同じ事を何度も回りくどく繰り返す必要などないと感じるだろうが、それはそのまま僕が上へ届けたい要望だ。そう、繰り返し繰り返し少女を降らすのはどういう用件なのだと。
しかし僕の要望が上に届いた事はなく、上からは相変わらず少女が降る。だから僕も変わらず繰り返すのだ。少女が降る、と。
03
少女が降るのは決まって僕の店だ。他の誰の店でもなく、僕の店へと降ってくる。大抵の場合は屋根を突き破って、僕の店へと降ってくる。僕の店には一応しっかりとした屋根がついているので、少女が降ってくる度に風通しは良くなっていく。風通しの良い経営と言えば聞こえは良いのだが、物理的に風通しが良いのもなにやら違う気がする。
そんな訳で僕は客がいないなどの手の空いた時は、天井などに空いた穴を埋めて風通しを悪くする作業を行うようにしている。幸いにも僕は手の空いている事が多いので、この店の風通しが良いままでいる状態は長く続かない。
04
少女が降るのは僕の店なのか、それとも僕の周りなのか。それを手っ取り早く確かめてみたければ、僕と店とを結ぶ絆を断ち切ってみせれば良い。
そう考えて三日ほど店を空けてみた事もある。それで判明したものといえば、僕は僕の店を捨てては三日と生きていられないという事実だった。僕と店との結びつきはそれほどまでに強かったのだ。なにせ、店主というものは店を離れてしまえばやる事が極端になくなってしまうのだから。店を離れた店主などまな板の上の鯉か、はたまた鉄板を離れた鯛焼きか。何にせよ、腹の中身をぶちまける並の無残な結果が待ち構えているに違いない。
僕が定位置を離れた事にこれ程までに危機感を抱いているのなら、きっと店の方もあるべき場所にあるべきものがない状態が続く事に収まりの悪さを感じているだろう。僕が戻るのを一日千秋の思いで待ち焦がれているのではないか。なんと言っても、店こそが我が世界。我が全てこそが店なのだから。
結局辛抱堪らず店に舞い戻った僕と、辛抱堪らずに僕を呼び戻した店。そこに少女が降ってくる。
05
少女が降るのは、不定期だ。
週に一回降ってくる事もあれば、一ヶ月音沙汰がない時もある。しかしもう二度と降らないだろうという僕の期待は嘲笑われ続け、つまりはいつか必ず降ってくる。
昔開き直って時報代わりにならないかとも考えたときがあったが、そういう時に限って少女は降ってこないのだからたちが悪い。
どこかで僕の思考を読み取って、油断している隙を見計らい少女を降らせているものがいるのかもしれない。そんな事を思った時期もあったのだが、四六時中思考が読み取られていると考えながら生きていくのはあまりにも精神衛生上よろしくなかったので、結局その考えはすぐに捨てた。
06
今まで控えめに見て数十回少女が降ってきているが、降ってきた少女は十人かそこらというところだ。つまりは、同じ少女が複数回降るという事になる。少女達は頼みもしないのにこの店に落下し続けている。空から降るのを趣味としている訳でもなかろうなので、何か自然とそうなる理由やら仕組みやらがあるのだと僕は踏んでいる。
踏んでいるとは言ったものの、理由や仕組みの影はいまだ踏めていない。
07
理由があるのには違いない。理由無くして少女が降っては堪らない。理由も無しに降るのであれば、今こうしている瞬間の僕にだって落下の運命が降りかかるのかも判らない。地べたに足を着けながら落下の恐怖におびえるなんてのは真っ平御免だ。少なくとも理由があれば避けられるかもしれないし、避けられなくともある程度の心構えは行える。心構えがあるからいつでも落ちて良いのかと問われれば、そんな事はもちろんないのだが。踏み出した一歩が大地に着くと知っているからこそ、僕たちは自由に歩けるのだ。
もしかしたら降るのは少女だけであって、僕のような良い年をした大人、ましてや性別からして違うとなると降ったりはしないのかもしれない。だが、何が起こっても不思議ではないこの世界。用心をするに越した事はない。ましてや掛かっているのは掛け値のない僕の命なのだから。
そう、僕は飛べないのだ。落下を止める術はなく、落ちていく命を繋ぎ止める方法は落ちる前にどうにかするしか有り得ない。
08
この店は僕の所有物であって、つまりはそこに降ってくるものも僕のものとして扱える理屈もあるかもしれない。
だがこの店は生物は扱っていないのであって、降ってくる少女は大体生物だ。故に僕は少女を商品として留めておく事は出来ず、結果退店していく彼女たちを見送るしか出来なかったりするのだ。
先程少女は大体生物としたのは、時折生きていないのに動くものが降ってきたりするからであって、生きていなくて動きもしないものが降ってくる訳ではない。
生きていなくて動きもしなければそれは生き物ではなく、僕は嬉々として値札を貼り付けるだろう。
残念ながらそんな機会にはいまだ恵まれていないのだが。
09
今の僕には降ってきた少女が去るのを見送るくらいしか行えないのだが、昔の僕はもう少し違った。
今とは違う過去の僕はといえば、果敢にも突然降ってきた少女に話しかけた事があるのだ。何の理由があって突然屋根を突き破って降ってきたのかを。
しかし少女の口元に刻まれた真一文字は形を変えはせず、僕はその文字を書き換える筆を持っていなかった。
そうして僕には一言もくれず、少女は降ってきた時の表情のまま店の外へと出て行くのだ。店に空いた穴とは別の場所から。
次の機会に降ってきた少女も同様で、僕には何の理由も理屈も与えてくれなかった。前の少女と同じように、影すら残さず目の前から早々に立ち去っていった。
この二度の体験から、僕は少女に問いかける事は無駄なのだと学んだ。三度目の正直という言葉があるように、次は何か違った反応があるのかもしれない。だが商売人の僕としては、二度ある事は三度あるという言葉の方が好きだ。僕の店を二度訪れた客の数を、どうしてか僕の頭は数えたがらないが。
10
二度ある事は三度ある。ならば三度ある事は四度あっても良かろう。そうして次へ次へと欲張った果てはどこに行くのだろうか。恐らく無限という終着点にいつしか届いてくれるとは思うのだが。
しかし、無限の取り扱いは常に極限の取り方との兼ね合いを含んでいる。一歩一歩無限に近づくのか跳ね跳びかかるのか、背後から襲いかかるか正面切って切り込むのかによって無限の極限が取り得る値は自在に移り変わる。
結局の所無限というものはそれを求めようとするものが扱う式次第という訳になるのだが、なぜだか求めていないはずの僕の店に無限に少女が降ってくるのだから道理が通らない。
道理が通らないという事は無茶が通るという事で、つまりは少女が降るなんて無茶苦茶な事態の一応の解答にはなる。
11
先に述べたように、降ってくる少女は生物である。
生物としての少女は眼が二つあり、鼻と口をそれぞれ一つずつ備えている。他にもいろいろなものを備えているのだろうが、生憎僕はそのあたりを見た事がない。
それらの少女を生物と説明するからには、少女は生命活動を続けている身体を持っているのかと問う向きもあるかもしれない。しかし僕はと言えば、その点はちょっと自信がない。なにせそもそも確かな身体がないくせに降ってくる輩も存在するからだ。
しかし身体が不確かなくせに、僕の見たところ眼は二つあり、鼻と口をそれぞれ一つずつ備えている。そんな訳で今日も僕の店には生物であり少女である存在が降ってくるのだ。
12
少女が降ってくる。しかし降ってくる以上、とにかく一度は昇ったのだろうと考えるのは早計だ。
少女はもしかして、あらかじめ上で生まれたのかもしれないから。それとも生まれた時から降りっぱなしという事だってあるかもしれない。
しかしまぁ、この世界には空飛ぶ少女の目撃情報は呆れかえるほど多い。それこそ日常の風景と溶け込んでしまっているせいで誰も気にとめないほどだ。
だからきっと、少女は一度自分で飛び上がった後に降ってくるのだろう。自分で早計と言っておいて結論はそれかと言われる向きもあるかもしれない。だが物事を考える上で、一度あらゆる可能性を検討し、その上で間違ったもの、矛盾したものを潰していくのは大切な手順だ。結果、残った結論が先に挙げていた仮定と一致する事は珍しくない。少なくとも少女が降ってくるよりかは珍しくない。
飛び上がった後に降ってくるという結論が示すに、結局降ってくるやつは勝手にただ降ってくるのであって、どうも得体の知れぬ法則に支配されて降ってくるのではないらしい。
13
実を言うと、少女は投射されているのではという意見もある。意見といっても、誰かが僕へと告げ口したのではなく、僕が僕へと教えたものなのだが。
投射というのは所謂人間大砲じみたもので放たれた後に降ってくるというやつで、実際にお目に掛かった事はないが、曲芸などに使われるものらしい。
この意見もどうも事実ではないらしい。というのは、降ってくる少女達は真っ直ぐに降ってくる事が多いからで、一度上がってそれから下がるという放物運動を描きながら降ってきた事は、僕の観測上あんまりない。
まぁ、あまりに巨大な放物線の一部分は直線に見えるというのも確かではある。地球なるものの表面は湾曲しているといわれているが、大体が所自分の周りでは平面と考えておいて差し支えない。
しかしある時突然に少女が発射されてしまうという事件は僕の知りうる限りでは目撃された例がなく、記録などにも残っていない。
ありがたい事に、何かを発射するには発射装置が必要であるという前提条件の、これは強力な状況証拠だ。ある日いきなり発射されてしまうかもしれないという人生を僕は送りたくない。
そんな発射装置がどこかで見かけられた事はなく、何かしらの妖怪がこの店に少女を執拗に撃ち込み続ける理由というのも、ちょっと思い当たらない。
14
落下してくる少女の中には、時々は顔見知りが混じる。
しかし落下してきた少女達は皆例外なく不機嫌そうな顔をしており、例え顔見知りだとしても声をかけるのは憚られるような空気を醸し出している。
どうやら少女達にとっても落下してくる事は不本意なようである。もっとも、店に落下してこられる僕もよっぽど不本意なのであって、鏡を見れば恐らく不機嫌そうな顔をしているに違いない。
不機嫌と不機嫌を掛け合わせたとて上機嫌になる理屈はなく、寧ろ事態はますます悪化する。不本意と不本意を掛け合わせてもおおよそ同じ所で、不機嫌と不本意を掛け合わせた組み合わせは試した経験がない。しかし理論的にはよろしくない結果を迎えるであろう事は想像に難くない。
そんな訳で、少女と僕は一言も声を交わす事なくお別れになるのが殆どだ。
大抵の少女は扉を開けて出て行くし、時々扉を開けずに出て行くものもいる。中には戸棚を開けてお茶とお茶請けを取り出すものも居るが、それはまぁ僕にはどうしようもない事なので放っておくしかない。彼女が僕の分のお茶を淹れてくれる事で、僕と彼女の不機嫌はいくらか緩和される。
15
先程真っ直ぐに降ってくる事が多いといったが、多いといったからには少ない事例も存在する。
例えば地面から降ってきたり、真横から降ってきたりだとかそういう奇特な降ってき方をする輩だ。
どこから飛んでこようと降ってくるのには変わりなく、結果として店に被害が出る事にも変わりない。おかげさまで僕の店は、穴が空かなかった事がない場所を探すのが難しい程度にはなっている。柱と壁のどちらが新しい材質だったかは最早店主である僕にも判らず、新旧混在する壁に包まれている古道具屋というのもなかなか趣があるのではないかと諦める程度には迷惑している。
地面から降ってくるからには地面の下で何かがあったのは疑いのない訳だが、生憎僕には地面の下を探る術も気力もない。そもそも地面から降ってきたというのも僕の記憶ではそうなっているというだけで、もしかしたら地面に埋まっていたものがたまたま出土しただけという可能性も無きにしも非ずだ。
こんな事なら写真の一つでも撮っておけばとも思うが、写真に写っているのだって結局真実かどうかは判らない。
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落下してくる少女に対して重要なのは、とにかく落下してきたという事実だけであって、突き詰めてしまえば原因も動機も判りようがないしどうでも良い。何が肝であるのかには定見がなく、何を書き残すのが将来の解明の為となるのかは皆目判らない。となれば、重要と見なすべき事柄はこれを書く僕の価値観に任せるしかないという事になって、僕としてはこれが後の世の役に立つとは毛頭思っていない。
だからこそ、この文章にとって意味はすこぶる不明瞭であって、そもそもこれは僕が趣味で書いている日記じみた文章であって意味を積極的に求められても困る。
この文章に意味があるのならば、少女達も意味があって降っている事になる。生憎僕にその意味は判らないが。
文章と少女、どちらの意味が判らないかはここでは伏せておくとしよう。
17
少女が降るのを食い止められないのかと考えた事もある。
食い止められればそれだけ僕が被る被害も食い止められる訳で、別段僕はライ麦畑の捕まえ役になりたい訳ではない。
しかし事象を食い止める為には、ある程度発生原因が判明していなければやりにくい事この上ない。残念ながら原因は不明であって、不明なものは食い止めにくい。僕の手では全く食い止められないだろうと断ずる根拠は薄いが、薄いなりに非道く分厚い。せめてどんな原因によるのかが知られれば対策のしようもあるかもしれないというのは一歩後退した考え方ではあるものの、他に手立ても思いつかない。
結局僕に出来る行動といえば、降ってきた少女と不機嫌な視線を絡み合わせる事くらいなのだ。
僕には崖から落下した子供達を見るしか出来ないという訳だ。見るのは簡単でもやってみるとなると非道く難しいという世の無常さを、僕は今になって思い知る。
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もしも本気で心底、何が何でも落下する少女をどうにかしたいと考えるのなら、店の中全てを何かマットのようなもので覆ってしまえばいい。
これを僕が行おうと思えないのは、そんなマットは僕の店では取り扱っていないし、そもそもマットで防いだところですでに少女は降っている訳で、つまり僕の店には穴が空いているという事だからだ。
店の外全体を覆うというのも考えられなくはないが、そうなると今度は僕が外に出られない。
そもそも僕の世界は殆どが店の中で完結しているが、だからといって外があると知りつつもそれがないふりをして生きていけるほど僕は器用ではない。
僕は僕を閉じ込める踏ん切りがつかず、そしてそんな僕を嘲笑うかのように少女は僕の店へと降ってくる。もちろん嘲笑の下りは僕の被害妄想に過ぎないのだが。
19
全ての人間はいつもどこかへ落ちていく。これがそんな話で綺麗に落ちを付けられるのならばどんなに良いだろうと僕は思う。堕落に関する説話や高度な比喩話というやつにも持って行けるのかもしれない。所謂ソドムやゴモラの乱痴気騒ぎ。振り返って立つのは塩の柱。
しかし現実は非常に非情であって、この文章を振り返ったとして塩の柱なんてものは一本も立っていない。あるのはただしょっぱい文字の羅列であって、舐めたところで美味しくはないだろう。
新聞記者がペン先を舐めるのも、滑らかに文章を書けますようにとのおまじないじみたものであって、美文を生み出すペン先ならばきっと味も美味しいに違いないという思い込みから来る動作では決してない。
文章を味わったところで腹はふくれない。紙束で胃袋の隙間を誤魔化すのは、あまりにも悲しい。
20
降ってくる少女を受け止めてみようかと考えてみた事もあった。しかし、人間は考えるだけで満足し得る葦であって、僕には少女を受け止めるだけの手足がなかった。
なにせ相手は天井を突き破って降ってくる。僕の手足ごと突き破って地面に落ちないとは言い切れない。それほど自慢でもない手足でも、破られるのは惜しい。
それに降ってくる少女を受け止めるなんていうのは、物語の始まりとしては常套だ。言い換えれば陳腐でもあり、料理の仕方次第では上等になり得る。
なんにせよそれをやると物語が始まってしまい、僕の求める終焉からは遠ざかってしまう気がする。僕が欲しいのはこの現象の終わりであって、胸沸くおとぎ話の始まりではない。
無論、始まった物語はいつか終わりが来るのではないかとの意見もあるだろう。しかし僕には少女が降ってくるお話がそうそう早くに終わりを迎えるとは思えないのだ。物語の書き手が相当な性格の悪さか、異常に切れる文才でも持っていない限り。
そんな諸々の理由から、考える葦であるところの僕は少女を受け止める為の一歩を踏み出すことを拒み、二の足さえも踏めないでいる。物語が始まることを恐れて行き先を失った足は、今日も変わらず店の床を掴んでいる。そのうち根が生えて安定性を増すかもしれない。そんなとりとめもない空想が、誰にも言えないここのところの楽しみになっている。
21
この店には、少女が降る。
この店というのは他ならない僕の店に違いなく、僕の店を目掛けて少女が降ってくるという事になる。
もしかしたら少女の方では目掛けているつもりなどはなく、偶然僕の店に降っているのかもしれない。それとも僕が知らないだけで、別の場所では十秒に一回くらいのペースで少女が降っているのかもしれない。そこから逸れた少女だけが、不本意ながら僕の店へと降ってくるのだ。
だからこそ節度ある間隔で降ってくる少女達はありがたいのであって、ひっきりなしに降ってくる少女の雨あられに打たれずに済む幸運を僕はかみしめるべきなのかもしれない。
だけどこの考えも全ては仮定の上に成り立つ砂上の楼閣であって、残念ながら僕は他の場所に降る少女の事を知らない。
それ故僕は自分が幸運とは思えず、どうやって壁の穴をふさごうかと今日も頭を悩ます事になる。
もう少し積極的に外に出て、他に降ってくる少女に悩まされている同胞がいないかを確かめるべきとも思うのだが、こういった時に相談できる相手が僕にはいないのだ。そんな自分の友好関係が無性に悲しくなるような時は、降ってきた少女に声をかけて酒を飲むようにしている。
その酒に酔っている間だけは、降ってくる少女をありがたいと感じなくもない。しかし大体の時はありがたくないのだから、少女の落下に対する僕のありがたさは平均すればほぼないに等しくなる。
そこにそもそも僕が酒を飲みたくなる原因を加味すれば、僕の持つありがたさは雲散霧消して負数方面へと欠片が降っていく。
22
少女は何故降るのか。
それは今のところ解明が出来ない謎として僕の前に立ちふさがっており、この壁を貫通して向こう側を訪れる見通しはまるで立っていない。そもそも、目の前にある壁の全貌すら判っていないのだから。もしかしたらそれは壁などではないのかもしれない。無貌の神が目の前に立ちふさがっていたとしたら、それに穴を開けるのは中々難しそうだ。
突拍子もなく無貌の神を出してきたのは無論僕の趣味としか言えず、その少し前にあった貌という文字から連想したとしか思えない。
しかし突拍子もない事柄を記述し続けるのは、この局面においては大いに意味のある行動なのだ。なぜなら、降ってくる少女というのは突拍子もない出来事だ。これらの突拍子もない出来事を、別の突拍子もない考えでもって埋め尽くし、包囲する。突拍子もない記述で埋め尽くされた突拍子もない出来事は、その突拍子性を失い、結果消滅する。
つまり僕の突拍子もない記述は目の前の壁を穿つ為の水滴であって、意味も無くただ思った事を書き連ねていた訳ではないのだ。
23
もちろん、先に書いた事はその時思いついた突拍子もない言い訳に過ぎない。
この店には、少女が降る。
これは何も比喩表現や回りくどい感情表現などではない。文字通り、ここに書かれている文章を読んで大多数の人間が脳裏に思い描くように、少女が降ってくるのだ。上から下へと。
大多数に属さない人間の方には想像しにくいかもしれないが、そういった方には平にご容赦頂きたい。そもそも、これくらいでついて行けないと仰るのなら、まず初めからついてこない方が精神衛生上大変よろしいかと思われる。それでもついてくると言うのならば、僕としてはありがたい事この上ないのだが。
02
さて、少女が降る。少女が降るというのは少女が降るという事で、つまり文字通り少女が降る。同じ事を何度も回りくどく繰り返す必要などないと感じるだろうが、それはそのまま僕が上へ届けたい要望だ。そう、繰り返し繰り返し少女を降らすのはどういう用件なのだと。
しかし僕の要望が上に届いた事はなく、上からは相変わらず少女が降る。だから僕も変わらず繰り返すのだ。少女が降る、と。
03
少女が降るのは決まって僕の店だ。他の誰の店でもなく、僕の店へと降ってくる。大抵の場合は屋根を突き破って、僕の店へと降ってくる。僕の店には一応しっかりとした屋根がついているので、少女が降ってくる度に風通しは良くなっていく。風通しの良い経営と言えば聞こえは良いのだが、物理的に風通しが良いのもなにやら違う気がする。
そんな訳で僕は客がいないなどの手の空いた時は、天井などに空いた穴を埋めて風通しを悪くする作業を行うようにしている。幸いにも僕は手の空いている事が多いので、この店の風通しが良いままでいる状態は長く続かない。
04
少女が降るのは僕の店なのか、それとも僕の周りなのか。それを手っ取り早く確かめてみたければ、僕と店とを結ぶ絆を断ち切ってみせれば良い。
そう考えて三日ほど店を空けてみた事もある。それで判明したものといえば、僕は僕の店を捨てては三日と生きていられないという事実だった。僕と店との結びつきはそれほどまでに強かったのだ。なにせ、店主というものは店を離れてしまえばやる事が極端になくなってしまうのだから。店を離れた店主などまな板の上の鯉か、はたまた鉄板を離れた鯛焼きか。何にせよ、腹の中身をぶちまける並の無残な結果が待ち構えているに違いない。
僕が定位置を離れた事にこれ程までに危機感を抱いているのなら、きっと店の方もあるべき場所にあるべきものがない状態が続く事に収まりの悪さを感じているだろう。僕が戻るのを一日千秋の思いで待ち焦がれているのではないか。なんと言っても、店こそが我が世界。我が全てこそが店なのだから。
結局辛抱堪らず店に舞い戻った僕と、辛抱堪らずに僕を呼び戻した店。そこに少女が降ってくる。
05
少女が降るのは、不定期だ。
週に一回降ってくる事もあれば、一ヶ月音沙汰がない時もある。しかしもう二度と降らないだろうという僕の期待は嘲笑われ続け、つまりはいつか必ず降ってくる。
昔開き直って時報代わりにならないかとも考えたときがあったが、そういう時に限って少女は降ってこないのだからたちが悪い。
どこかで僕の思考を読み取って、油断している隙を見計らい少女を降らせているものがいるのかもしれない。そんな事を思った時期もあったのだが、四六時中思考が読み取られていると考えながら生きていくのはあまりにも精神衛生上よろしくなかったので、結局その考えはすぐに捨てた。
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今まで控えめに見て数十回少女が降ってきているが、降ってきた少女は十人かそこらというところだ。つまりは、同じ少女が複数回降るという事になる。少女達は頼みもしないのにこの店に落下し続けている。空から降るのを趣味としている訳でもなかろうなので、何か自然とそうなる理由やら仕組みやらがあるのだと僕は踏んでいる。
踏んでいるとは言ったものの、理由や仕組みの影はいまだ踏めていない。
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理由があるのには違いない。理由無くして少女が降っては堪らない。理由も無しに降るのであれば、今こうしている瞬間の僕にだって落下の運命が降りかかるのかも判らない。地べたに足を着けながら落下の恐怖におびえるなんてのは真っ平御免だ。少なくとも理由があれば避けられるかもしれないし、避けられなくともある程度の心構えは行える。心構えがあるからいつでも落ちて良いのかと問われれば、そんな事はもちろんないのだが。踏み出した一歩が大地に着くと知っているからこそ、僕たちは自由に歩けるのだ。
もしかしたら降るのは少女だけであって、僕のような良い年をした大人、ましてや性別からして違うとなると降ったりはしないのかもしれない。だが、何が起こっても不思議ではないこの世界。用心をするに越した事はない。ましてや掛かっているのは掛け値のない僕の命なのだから。
そう、僕は飛べないのだ。落下を止める術はなく、落ちていく命を繋ぎ止める方法は落ちる前にどうにかするしか有り得ない。
08
この店は僕の所有物であって、つまりはそこに降ってくるものも僕のものとして扱える理屈もあるかもしれない。
だがこの店は生物は扱っていないのであって、降ってくる少女は大体生物だ。故に僕は少女を商品として留めておく事は出来ず、結果退店していく彼女たちを見送るしか出来なかったりするのだ。
先程少女は大体生物としたのは、時折生きていないのに動くものが降ってきたりするからであって、生きていなくて動きもしないものが降ってくる訳ではない。
生きていなくて動きもしなければそれは生き物ではなく、僕は嬉々として値札を貼り付けるだろう。
残念ながらそんな機会にはいまだ恵まれていないのだが。
09
今の僕には降ってきた少女が去るのを見送るくらいしか行えないのだが、昔の僕はもう少し違った。
今とは違う過去の僕はといえば、果敢にも突然降ってきた少女に話しかけた事があるのだ。何の理由があって突然屋根を突き破って降ってきたのかを。
しかし少女の口元に刻まれた真一文字は形を変えはせず、僕はその文字を書き換える筆を持っていなかった。
そうして僕には一言もくれず、少女は降ってきた時の表情のまま店の外へと出て行くのだ。店に空いた穴とは別の場所から。
次の機会に降ってきた少女も同様で、僕には何の理由も理屈も与えてくれなかった。前の少女と同じように、影すら残さず目の前から早々に立ち去っていった。
この二度の体験から、僕は少女に問いかける事は無駄なのだと学んだ。三度目の正直という言葉があるように、次は何か違った反応があるのかもしれない。だが商売人の僕としては、二度ある事は三度あるという言葉の方が好きだ。僕の店を二度訪れた客の数を、どうしてか僕の頭は数えたがらないが。
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二度ある事は三度ある。ならば三度ある事は四度あっても良かろう。そうして次へ次へと欲張った果てはどこに行くのだろうか。恐らく無限という終着点にいつしか届いてくれるとは思うのだが。
しかし、無限の取り扱いは常に極限の取り方との兼ね合いを含んでいる。一歩一歩無限に近づくのか跳ね跳びかかるのか、背後から襲いかかるか正面切って切り込むのかによって無限の極限が取り得る値は自在に移り変わる。
結局の所無限というものはそれを求めようとするものが扱う式次第という訳になるのだが、なぜだか求めていないはずの僕の店に無限に少女が降ってくるのだから道理が通らない。
道理が通らないという事は無茶が通るという事で、つまりは少女が降るなんて無茶苦茶な事態の一応の解答にはなる。
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先に述べたように、降ってくる少女は生物である。
生物としての少女は眼が二つあり、鼻と口をそれぞれ一つずつ備えている。他にもいろいろなものを備えているのだろうが、生憎僕はそのあたりを見た事がない。
それらの少女を生物と説明するからには、少女は生命活動を続けている身体を持っているのかと問う向きもあるかもしれない。しかし僕はと言えば、その点はちょっと自信がない。なにせそもそも確かな身体がないくせに降ってくる輩も存在するからだ。
しかし身体が不確かなくせに、僕の見たところ眼は二つあり、鼻と口をそれぞれ一つずつ備えている。そんな訳で今日も僕の店には生物であり少女である存在が降ってくるのだ。
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少女が降ってくる。しかし降ってくる以上、とにかく一度は昇ったのだろうと考えるのは早計だ。
少女はもしかして、あらかじめ上で生まれたのかもしれないから。それとも生まれた時から降りっぱなしという事だってあるかもしれない。
しかしまぁ、この世界には空飛ぶ少女の目撃情報は呆れかえるほど多い。それこそ日常の風景と溶け込んでしまっているせいで誰も気にとめないほどだ。
だからきっと、少女は一度自分で飛び上がった後に降ってくるのだろう。自分で早計と言っておいて結論はそれかと言われる向きもあるかもしれない。だが物事を考える上で、一度あらゆる可能性を検討し、その上で間違ったもの、矛盾したものを潰していくのは大切な手順だ。結果、残った結論が先に挙げていた仮定と一致する事は珍しくない。少なくとも少女が降ってくるよりかは珍しくない。
飛び上がった後に降ってくるという結論が示すに、結局降ってくるやつは勝手にただ降ってくるのであって、どうも得体の知れぬ法則に支配されて降ってくるのではないらしい。
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実を言うと、少女は投射されているのではという意見もある。意見といっても、誰かが僕へと告げ口したのではなく、僕が僕へと教えたものなのだが。
投射というのは所謂人間大砲じみたもので放たれた後に降ってくるというやつで、実際にお目に掛かった事はないが、曲芸などに使われるものらしい。
この意見もどうも事実ではないらしい。というのは、降ってくる少女達は真っ直ぐに降ってくる事が多いからで、一度上がってそれから下がるという放物運動を描きながら降ってきた事は、僕の観測上あんまりない。
まぁ、あまりに巨大な放物線の一部分は直線に見えるというのも確かではある。地球なるものの表面は湾曲しているといわれているが、大体が所自分の周りでは平面と考えておいて差し支えない。
しかしある時突然に少女が発射されてしまうという事件は僕の知りうる限りでは目撃された例がなく、記録などにも残っていない。
ありがたい事に、何かを発射するには発射装置が必要であるという前提条件の、これは強力な状況証拠だ。ある日いきなり発射されてしまうかもしれないという人生を僕は送りたくない。
そんな発射装置がどこかで見かけられた事はなく、何かしらの妖怪がこの店に少女を執拗に撃ち込み続ける理由というのも、ちょっと思い当たらない。
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落下してくる少女の中には、時々は顔見知りが混じる。
しかし落下してきた少女達は皆例外なく不機嫌そうな顔をしており、例え顔見知りだとしても声をかけるのは憚られるような空気を醸し出している。
どうやら少女達にとっても落下してくる事は不本意なようである。もっとも、店に落下してこられる僕もよっぽど不本意なのであって、鏡を見れば恐らく不機嫌そうな顔をしているに違いない。
不機嫌と不機嫌を掛け合わせたとて上機嫌になる理屈はなく、寧ろ事態はますます悪化する。不本意と不本意を掛け合わせてもおおよそ同じ所で、不機嫌と不本意を掛け合わせた組み合わせは試した経験がない。しかし理論的にはよろしくない結果を迎えるであろう事は想像に難くない。
そんな訳で、少女と僕は一言も声を交わす事なくお別れになるのが殆どだ。
大抵の少女は扉を開けて出て行くし、時々扉を開けずに出て行くものもいる。中には戸棚を開けてお茶とお茶請けを取り出すものも居るが、それはまぁ僕にはどうしようもない事なので放っておくしかない。彼女が僕の分のお茶を淹れてくれる事で、僕と彼女の不機嫌はいくらか緩和される。
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先程真っ直ぐに降ってくる事が多いといったが、多いといったからには少ない事例も存在する。
例えば地面から降ってきたり、真横から降ってきたりだとかそういう奇特な降ってき方をする輩だ。
どこから飛んでこようと降ってくるのには変わりなく、結果として店に被害が出る事にも変わりない。おかげさまで僕の店は、穴が空かなかった事がない場所を探すのが難しい程度にはなっている。柱と壁のどちらが新しい材質だったかは最早店主である僕にも判らず、新旧混在する壁に包まれている古道具屋というのもなかなか趣があるのではないかと諦める程度には迷惑している。
地面から降ってくるからには地面の下で何かがあったのは疑いのない訳だが、生憎僕には地面の下を探る術も気力もない。そもそも地面から降ってきたというのも僕の記憶ではそうなっているというだけで、もしかしたら地面に埋まっていたものがたまたま出土しただけという可能性も無きにしも非ずだ。
こんな事なら写真の一つでも撮っておけばとも思うが、写真に写っているのだって結局真実かどうかは判らない。
16
落下してくる少女に対して重要なのは、とにかく落下してきたという事実だけであって、突き詰めてしまえば原因も動機も判りようがないしどうでも良い。何が肝であるのかには定見がなく、何を書き残すのが将来の解明の為となるのかは皆目判らない。となれば、重要と見なすべき事柄はこれを書く僕の価値観に任せるしかないという事になって、僕としてはこれが後の世の役に立つとは毛頭思っていない。
だからこそ、この文章にとって意味はすこぶる不明瞭であって、そもそもこれは僕が趣味で書いている日記じみた文章であって意味を積極的に求められても困る。
この文章に意味があるのならば、少女達も意味があって降っている事になる。生憎僕にその意味は判らないが。
文章と少女、どちらの意味が判らないかはここでは伏せておくとしよう。
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少女が降るのを食い止められないのかと考えた事もある。
食い止められればそれだけ僕が被る被害も食い止められる訳で、別段僕はライ麦畑の捕まえ役になりたい訳ではない。
しかし事象を食い止める為には、ある程度発生原因が判明していなければやりにくい事この上ない。残念ながら原因は不明であって、不明なものは食い止めにくい。僕の手では全く食い止められないだろうと断ずる根拠は薄いが、薄いなりに非道く分厚い。せめてどんな原因によるのかが知られれば対策のしようもあるかもしれないというのは一歩後退した考え方ではあるものの、他に手立ても思いつかない。
結局僕に出来る行動といえば、降ってきた少女と不機嫌な視線を絡み合わせる事くらいなのだ。
僕には崖から落下した子供達を見るしか出来ないという訳だ。見るのは簡単でもやってみるとなると非道く難しいという世の無常さを、僕は今になって思い知る。
18
もしも本気で心底、何が何でも落下する少女をどうにかしたいと考えるのなら、店の中全てを何かマットのようなもので覆ってしまえばいい。
これを僕が行おうと思えないのは、そんなマットは僕の店では取り扱っていないし、そもそもマットで防いだところですでに少女は降っている訳で、つまり僕の店には穴が空いているという事だからだ。
店の外全体を覆うというのも考えられなくはないが、そうなると今度は僕が外に出られない。
そもそも僕の世界は殆どが店の中で完結しているが、だからといって外があると知りつつもそれがないふりをして生きていけるほど僕は器用ではない。
僕は僕を閉じ込める踏ん切りがつかず、そしてそんな僕を嘲笑うかのように少女は僕の店へと降ってくる。もちろん嘲笑の下りは僕の被害妄想に過ぎないのだが。
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全ての人間はいつもどこかへ落ちていく。これがそんな話で綺麗に落ちを付けられるのならばどんなに良いだろうと僕は思う。堕落に関する説話や高度な比喩話というやつにも持って行けるのかもしれない。所謂ソドムやゴモラの乱痴気騒ぎ。振り返って立つのは塩の柱。
しかし現実は非常に非情であって、この文章を振り返ったとして塩の柱なんてものは一本も立っていない。あるのはただしょっぱい文字の羅列であって、舐めたところで美味しくはないだろう。
新聞記者がペン先を舐めるのも、滑らかに文章を書けますようにとのおまじないじみたものであって、美文を生み出すペン先ならばきっと味も美味しいに違いないという思い込みから来る動作では決してない。
文章を味わったところで腹はふくれない。紙束で胃袋の隙間を誤魔化すのは、あまりにも悲しい。
20
降ってくる少女を受け止めてみようかと考えてみた事もあった。しかし、人間は考えるだけで満足し得る葦であって、僕には少女を受け止めるだけの手足がなかった。
なにせ相手は天井を突き破って降ってくる。僕の手足ごと突き破って地面に落ちないとは言い切れない。それほど自慢でもない手足でも、破られるのは惜しい。
それに降ってくる少女を受け止めるなんていうのは、物語の始まりとしては常套だ。言い換えれば陳腐でもあり、料理の仕方次第では上等になり得る。
なんにせよそれをやると物語が始まってしまい、僕の求める終焉からは遠ざかってしまう気がする。僕が欲しいのはこの現象の終わりであって、胸沸くおとぎ話の始まりではない。
無論、始まった物語はいつか終わりが来るのではないかとの意見もあるだろう。しかし僕には少女が降ってくるお話がそうそう早くに終わりを迎えるとは思えないのだ。物語の書き手が相当な性格の悪さか、異常に切れる文才でも持っていない限り。
そんな諸々の理由から、考える葦であるところの僕は少女を受け止める為の一歩を踏み出すことを拒み、二の足さえも踏めないでいる。物語が始まることを恐れて行き先を失った足は、今日も変わらず店の床を掴んでいる。そのうち根が生えて安定性を増すかもしれない。そんなとりとめもない空想が、誰にも言えないここのところの楽しみになっている。
21
この店には、少女が降る。
この店というのは他ならない僕の店に違いなく、僕の店を目掛けて少女が降ってくるという事になる。
もしかしたら少女の方では目掛けているつもりなどはなく、偶然僕の店に降っているのかもしれない。それとも僕が知らないだけで、別の場所では十秒に一回くらいのペースで少女が降っているのかもしれない。そこから逸れた少女だけが、不本意ながら僕の店へと降ってくるのだ。
だからこそ節度ある間隔で降ってくる少女達はありがたいのであって、ひっきりなしに降ってくる少女の雨あられに打たれずに済む幸運を僕はかみしめるべきなのかもしれない。
だけどこの考えも全ては仮定の上に成り立つ砂上の楼閣であって、残念ながら僕は他の場所に降る少女の事を知らない。
それ故僕は自分が幸運とは思えず、どうやって壁の穴をふさごうかと今日も頭を悩ます事になる。
もう少し積極的に外に出て、他に降ってくる少女に悩まされている同胞がいないかを確かめるべきとも思うのだが、こういった時に相談できる相手が僕にはいないのだ。そんな自分の友好関係が無性に悲しくなるような時は、降ってきた少女に声をかけて酒を飲むようにしている。
その酒に酔っている間だけは、降ってくる少女をありがたいと感じなくもない。しかし大体の時はありがたくないのだから、少女の落下に対する僕のありがたさは平均すればほぼないに等しくなる。
そこにそもそも僕が酒を飲みたくなる原因を加味すれば、僕の持つありがたさは雲散霧消して負数方面へと欠片が降っていく。
22
少女は何故降るのか。
それは今のところ解明が出来ない謎として僕の前に立ちふさがっており、この壁を貫通して向こう側を訪れる見通しはまるで立っていない。そもそも、目の前にある壁の全貌すら判っていないのだから。もしかしたらそれは壁などではないのかもしれない。無貌の神が目の前に立ちふさがっていたとしたら、それに穴を開けるのは中々難しそうだ。
突拍子もなく無貌の神を出してきたのは無論僕の趣味としか言えず、その少し前にあった貌という文字から連想したとしか思えない。
しかし突拍子もない事柄を記述し続けるのは、この局面においては大いに意味のある行動なのだ。なぜなら、降ってくる少女というのは突拍子もない出来事だ。これらの突拍子もない出来事を、別の突拍子もない考えでもって埋め尽くし、包囲する。突拍子もない記述で埋め尽くされた突拍子もない出来事は、その突拍子性を失い、結果消滅する。
つまり僕の突拍子もない記述は目の前の壁を穿つ為の水滴であって、意味も無くただ思った事を書き連ねていた訳ではないのだ。
23
もちろん、先に書いた事はその時思いついた突拍子もない言い訳に過ぎない。
果てのない落下浮遊のさなかにおとずれる、手足が自分の意思から離れていき、なすがままにされるあの感覚。いわば、すぐれた話し手の赤い舌に翻弄され、妖しげな身震いと、どこか心地のよい疲労感に笑みをこぼす、聞き手の気分を味わうのだ。
しかし面白かったです。
自分ではとても思いつかないような話だったので興味深く読めました。物語を始めないという珍しい物語。面白かったです。
しかしながら、良い雰囲気のお話でした。
彼にとって落ちてくる少女は、ライ麦畑に住む穢れを知らない純粋な少女だったのでしょうか
その以上もその以下でもない
霖之助が書きそうな、実に、もったいぶってて、意味もオチもない話でした。
二次創作として、たまにこういうのもいいですね。