「そろそろ紅葉の季節だな……焼き芋、か」
少しずつ色づき始めた木々を見ていたら、そんな言葉がポロリと零れた。
買い物を終え、小屋へと帰る途中。いつも通る道は、秋の装いへと変わりつつあった。
深い緑の中に、紅や黄が混じる。まだ紅葉と呼べる段階ではないが、もう二週間もすればこの辺りの木々もすっかり秋色に染まることだろう。
秋の始まり。寂しげなその風景に誘われるように、私の記憶が眠りから目覚める。
ご主人様と二人、まだ少ない落ち葉をかき集めて焼き芋をしたかつての日々が、一瞬にして私の脳裏に鮮明に浮かび上がった。
季節感なんて関係ない。私はあのおいしい焼き芋を今すぐ食べたくて仕方がない。
いつだったか、ご主人様はある早秋の日にそう言った。食べ物に関してはまったく自制の効かない性格は、仲間達が封印され手も足も出せないという状況などお構いなしだった。
当然、私は反対した。二人で寺に隠れ住んでいる状況で焼き芋などやっていられない。そう面と向かって言ってやった。
けれど、意思を固めたご主人様を理屈で動かせるはずもない。根負けした私は、結局彼女に付き合って焼き芋を始めた。それが、後に毎年の恒例行事となる早秋の焼き芋の記念すべき第一回目であった。
経緯こそこんなふうに無茶苦茶ではあったが、それでもこの焼き芋の習慣は私達にとってとても大切なものとなった。取り残された私達には、心を癒す時間がほとんどなかったからだ。
仲間が皆封印され、私達二人は残された。頼れる者などおらず、二人で支え合いながら日々を生きることしかできなかった。
そのような状況に安らぎの場など存在しない。日々襲ってくる絶望と悲しみに、私達の心は少しずつ削り取られていくばかり。それを癒せる数少ない場面が、この焼き芋だったのだ。
当時どんなに苦しんでいたか、またこの時間でどれほど傷を癒せたのか。焼き芋を見つめるご主人様の顔を見れば、それがすぐに分かる。
二人きりになって以来、ご主人様は笑わなくなった。私が何をしても、何を手伝っても、悲しい愛想笑いしか浮かべなくなった。
おそらく、悲しみを隠したかったのだと思う。私に落ち込む姿を見せないため、また自分の前に進もうとする心を妨げないため。ご主人様は、ずっと自分自身に嘘を吐いていたのだろう。
そんな彼女も、焼き芋を前にするとその表情は一変させる。焼けるのを楽しみに待つその顔は、以前の子供っぽいご主人様そのものだった。焼き芋をしている間だけ、彼女は本来の姿に戻ることができたのだ。
無邪気なご主人様の微笑み。あの件があるまでは子供っぽくて好きではなかったその表情が、いつしか私の大切なものになっていた。彼女の笑顔を失って初めて、私はその温かさに気がついたのだ。
だからこそ、ご主人様の素が見られるこの時間が好きだった。この笑顔がずっと続くのなら、毎日焼き芋をしてもいいと思ったほどだ。
季節外れの焼き芋。私とご主人様にとって、それはかけがえのない大切な時間だった。
しかし、それも過去の話。ここ幻想郷で暮らすようになってからは、焼き芋をすることもなくなった。
する必要がないのだ。もうご主人様は悲しまないし、彼女はいつも自分を偽らずにいられる。わざわざ二人で、しかも時期をずらして焼き芋をする必要性など、もはやどこにもない。
しかし、どうして今更あの頃のことを思い出したのだろう。私達の居場所も立場も何もかも、とうの昔に変わってしまったというのに。
けれども、唐突に浮かんだイメージはそう簡単に消えはしない。私自身忘れかけていたこの記憶だが、不意によみがえった今となってはそれが気がかりでたまらない。
こうして気にしてばかりでもいけない。帰ったら気分転換に探索でもしよう。名前を忘れたが、最近妙な小さい機械が見つかったっていうじゃないか。携帯できるような大きさで、なんだったか、あのいけ好かない道具屋から聞いた話だとゲーム、ゲームギ――
「動くと撃つぞ妖怪ネズミっ!!」
「ゲームギアッ!?」
森の静けさに油断していたせいか、背後から聞こえた声に驚き心臓が飛び出しそうな勢いで跳ね上がる。
思わず胸に手を当てたが、幸い飛び出したのは直前まで考えていた内容だけだった。
少し安心して、聞き覚えのある声の主を睨みつける。私の反応に満足しているのだろう、当の白黒魔女はうれしそうに笑いながら側へ歩いてきた。
「ちょ、おま、青~娥~ってか?」
「ふざけるな! 君の家に部下の特別隊を送り込むぞ」
「そう怒るなよ。すまん、悪気はあった」
「まったく、からかうのはやめろと言っているだろう。挨拶にしてもやりすぎだ」
「お前が小心者って噂を聞いてさ、試さずにはいられなかったんだ。分かるだろ、その気持ち」
「共感しかねるな。私は悪戯小僧とは違うんでね」
「小僧はないだろ。私は普通の悪戯魔法使いだぜ」
そう言って笑う魔理沙。その笑顔は、ご主人様とは違う意味で純粋そのものだ。
「悪戯好きなのは否定しないんだな」
「ああ、事実を捻じ曲げるわけにはいかんからな」
「うむ、ごもっとも。ところで、何か用だったのかい?」
「おお、そうだった。多すぎるから誰かに渡そうと思ってたんだよ」
そう言うと魔理沙は手にしていた袋を探り始めた。
気になって眺めていると、彼女が取り出したるは立派な芋。赤みの強いその皮から察するに、かなり質のいいもののようだ。
「ほい、これやるよ」
「いいのか? 良さそうな品だが」
「いいんだ、どうせもらい物だし」
「……盗んできたんじゃ」
「んなわけあるか! いくら私でも犯罪に手を染めるほど落ちぶれちゃいないぜ」
「まあ、本気で疑ってはいないさ」
「なんか気になる言い方だな……ただ、アリスの知り合いの農家でもらってきただけだから心配すんなって」
「アリス? なんで彼女の知り合いのところへ?」
「いや、実は今あいつにツケを払ってるところでな。今まで借りた本の代償にタダ働きさせられてるんだよ」
「まあ、日頃の行いの報いだな」
「それでもちゃんと返してたんだぜ、全部じゃないけど」
「いや、そもそも死ぬまで借りるというほうが問題だろう」
「あいつもそう言ってた。まったくケチ臭いったらありゃしない」
そう言って魔理沙は顔をしかめる。
アリスの言い分がもっともだとは思うが、このシーフ兼魔法使いに言うだけ無駄だろう。
「で、もらってきたはいいがあの親父さん太っ腹すぎでな。いっぱいあるから持ってけって、袋に入りきらないくらい渡してくれたんだよ」
「親父さんの気遣いはありがたいが、持って帰るには重すぎる。それで、誰かお裾分けという名の厄介払いのできる相手を探していたわけか」
「そういうこと。だから遠慮なくもらってくれよな」
「では、ありがたくいただこう。ご主人様もきっと……」
きっと喜ぶに違いない。そう言いかけた自分が滑稽に思えて、つい笑みを零す。
離れて暮らしてからもう随分経つのに、あの頃のままご主人様と一緒にいるような気になっていた。よく分からないが、きっと焼き芋の記憶のせいだろう。
何かを言いかけた後、急に納得して苦笑いを浮かべる。そんな私の様子は傍から見れば不思議な光景だったのだろう、魔理沙は少し怪訝そうな顔で訊ねる。
「どうかしたか?」
「いや、なんでもない。そろそろ報告を聞きに出向く頃だからその時に持っていこうと思っただけさ」
「そうか。星好きそうだもんな」
「あの人はおいしい物ならなんでも食いつくよ。余程のことでない限り買収に逆らえないんじゃないかと心配になるほどにね」
「『絶対食べ物なんかに負けたりしない!』と、きたら」
「『甘い物には勝てなかったよ……』か。笑い事じゃないから困る」
「はは、お前も大変だな。んじゃ、そろそろ私は行くぜ」
「ああ。ありがとう」
「いやいや、こっちこそ助かった。それじゃな」
軽く手を振った後、魔理沙は森の奥へと消えていった。それを見送った後、私は無縁塚へと続く道を歩き出す。
しかし、妙なこともあるものだ。突然よみがえって調子を狂わせるし、直後に芋と対面するし、あの焼き芋の記憶に何か因果があるとしか思えない。
だが仮にそうだとして、いったいどんな意味があったのだろう。ご主人様と離れて三年目、それまで一度も思い出しはしなかった記憶を突如浮かび上がらせたのは、いったい何だったのだろう。
心に生まれた小さな疑問が次第に大きくなっていく。
けれども、不思議と嫌な気はしなかった。むしろ、この記憶が私をどこへ誘うのかが楽しみで仕方なかった。
この後ご主人様に出くわしたりなんかすれば面白いんだが。
そんなことを考えつつ森の奥へと向かうも、何かが起こりそうな気配はない。
進むにつれて、道が明るくなる。視界を遮る木々が少しずつ減り、代わりに背の低い草木が増えていく。
未だにご主人様の姿は見えないが、あと少しで小屋に到着だ。
「やはり偶然だったのか……」
内心期待していた私は、思わずそう呟いていた。一人気ままな生活というのも少々飽きてきた頃だったのだ。
他人といると煩わしさもあるが楽しみもある。その相手がご主人様なら尚更だ。
あの人につき合わされれば疲れもたまるが楽しい時間を過ごせるのもまた事実。妙な記憶に誘われるのもいいと思ってはいたが、事はそううまく運んでくれなかったようだ。
心の照準が、焼き芋の記憶から芋の処遇へと移っていく。
立派な芋が数本。一人で食べきれないし、一度に蒸かさないほうがいいだろうか。
小屋の方を見ることもなく、そんなことを頭に浮かべて玄関の扉へと歩いていく。
そして何気なく顔を上げた瞬間、私は思わず声を上げていた。
「ご、ご主人様!?」
玄関前に立っていた人影に驚き、それがご主人様だったことに更に驚く。
焼き芋の因果が証明された瞬間だったが、驚きのほうが大きくてその実感はいまひとつだった。
「よかった、留守のようだったからどうしようと思ってたんですよ」
「ちょっと買い物に出ていたんだ。来るのなら一言言ってくれればよかったのに」
「いえ、今日は用事があるわけじゃなくてですね……これをお裾分けに来たんです」
そう言ってご主人様は手に提げた袋を見せる。瑞々しい紫色の房が、袋の口から顔を覗かせていた。
「葡萄か。とても質がいいな」
「里で専門に作っている方からいただいたんです。今年は特にいい出来だそうですよ」
「それは楽しみだ。上がっていってくれご主人様……いや、やっぱりここにいてくれ」
「え、あの」
不思議そうな顔をしたご主人様を無視して鍵を開け、椅子とテーブルを出す。
あの記憶がよみがえったのはやはり偶然ではない。そう確信した今、その妙な因果に従い焼き芋をするのが筋だろう。
ご主人様を見た瞬間、私の心はそう一つに決まっていた。
「ええと、ナズーリン」
「覚えているだろうご主人様。こちらへ来る前の今頃は、何をする時期だったかな」
わざともったいぶった言い方をしながら、ご主人様に袋を見せる。
ご主人様は怪訝そうに中を覗いたが、私の意図に気づいた瞬間顔を輝かせた。
「落ち葉はそこら中にある。私がこれを洗っている間に、ご主人様は焼き芋の準備をしてくれないか」
「ええ、分かりました。久々の季節先取りですね」
うれしそうに微笑むご主人様に笑顔で答えて、小屋の中へ入る。
久しぶりに見る彼女の笑顔は、何故かいつもより輝いて見えた。
不思議なことが起きるものだな。
葡萄を洗いながら、そんな思いが浮かぶ。
早秋の焼き芋。二人で過ごすその時間は、私の中では既に過去のものだ。
この時期になったからといって思い出すわけではないし、あの出来事に特別な想いがあるわけでもない。
けれども、その記憶は確実に何らかの因果で私を導いている。そうでなければ、偶に会う程度の魔理沙と出会い芋をもらい、その直後にここ一月ほど会っていないご主人様が訪ねてくるという状況など起こりはしないだろう。先程起こった出来事は、偶然という言葉で片付けられるほど単純ではないはずだ。
しかし、どうしてこの記憶なのだろう。この時期に限定した記憶でしかないこの思い出が、どうしてこんな不思議な事態を引き起こすきっかけになり得たのだろう。
頭の中で様々な思いが行き交う。その過程で生まれる疲労と姿形のないモノを追う充実感は、一人の気ままな時間では味わうことのできない特別なものだ。
やはり、ご主人様と会うのは面白い。そんなことを考えつつ、私は葡萄を器に盛った。器と取り皿二枚を持ち、玄関を開ける。
待っていたのは、純真な瞳で煙の元を見つめるご主人様だ。
「おまたせ、ご主人様」
「すみません、これじゃ御馳走になるみたいですね。お裾分けに来たのに」
「いいんだ。せっかく訪ねてきた客人をそのまま帰すわけにはいかないだろう?」
「まあ、それもそうですね……まだかなあ」
煙を上げる落ち葉の山を見ながらご主人様が呟く。
落ち葉が散らからないように枠を作り、その中で火をつけたようだ。さすがはご主人様、食べ物に関してはぬかりない。
「まだだよ、今取り出したっておいしくない。これでも摘まんで待っていよう」
「そうですね……ああ、やっぱりおいしい」
うれしそうに笑いながら、ご主人様は皿に葡萄を一房乗せる。今手にしたそれは自分がお裾分けとして持ってきたものだという事実は、食べ物を前にした彼女の頭からは消えてなくなったようだ。
わざと何も言わず出してみたが、相変わらずだな。いや、側にいてあれこれ言う役がいない分今のほうが酷いのかもしれない。そんなことを考えて笑みを浮かべながら、私も葡萄を口にする。
含んだ瞬間、爽やかな甘みが広がる。これを前にすれば、ご主人様が夢中になってしまうのも分からなくはない。
「うん、やはり旬のものはおいしいね」
「ですよね! 食欲の秋と言いますし、これから楽しみですねえ」
「食べ過ぎはよくないぞ。体調を崩すかもしれないし、節制できないのはみっともないだろう」
「え、ええ、そうですよね……ところで、このお芋は買ったんですか? とても上等そうでしたけど」
「いや、もらったんだ。森で魔理沙と会って、お裾分けしてもらった」
「そうだったんですか……まだですかね」
「落ち着けご主人様、明らかに早すぎる」
いつも通りのご主人様を諫めつつ、葡萄を摘まむ。
本当に出来のいい葡萄で、甘みと微かな酸味のバランスが絶妙だ。
ふむ、と一人頷いていると、ご主人様が懐かしそうな顔で言ってきた。
「こうしていると、なんだか昔を思い出しますね。といっても、数年前のことですが」
「こちらに来てからは機会がなかったからね。皆揃う前の年が最後になるかな」
「ええ。この待っている時間が、あの頃は一番心の安らぐ時間でした」
「今は昔のように悲しむこともなく、心安らかに日々を過ごせる。ありがたいことだ」
「ええ、本当に……まだですかね」
もはや反応する気力もなく、ただ無言でご主人様を見つめる。
私の視線に気づき、「あはは」と苦笑いを浮かべるご主人様。私が溜息を吐くと、彼女はまたにこにこ笑いながら燃える木の葉に視線を移した。
あの頃と、何も変わりはしない。
ご主人様が待ちきれなさそうにするのも、心を弾ませる彼女の笑顔も。今ここにあるすべてが、記憶の中にある光景そのままだ。
早秋の焼き芋。つい先ほどまで忘れかけていた記憶の中の出来事を、今私達は再現している。しかも、その記憶に誘われたかのような展開で。
こんな奇妙な話、ご主人様に話さずにいるのはもったいない。
ご主人様の横顔を見ていたら、そんな感情が湧き上がってきた。
彼女と出来事を共有したい。そんな思いに駆られて、葡萄を摘まむご主人様に話しかける。
「さっき、不思議なことがあったんだ」
「不思議なこと、ですか」
「森を歩いていたら、いきなり昔の記憶を思い出した。二人で焼き芋をしたときのものだ」
「今頃にやっていた、あの焼き芋ですね。ちょうど今みたいに」
「ああ。その時はたまたま思い出しただけだと思ったんだが、直後に会った魔理沙から芋をもらった。これで焼き芋をしろと言わんばかりに、上質なものを。次に何が起きるのか期待しながら小屋に戻ると、ご主人様が私を待っていた。記憶がよみがえった直後から、どうもそれに誘導されているような気がしてならないんだ」
「あの頃の記憶に、ですか?」
「妙な話だろう? だが、あの記憶には何かがあるとしか思えなくて……いや、何を言っているんだろうね、私は」
思わず言葉を切って、私は照れ隠しに葡萄を口へ運んだ。ご主人様の視線が恥ずかしくて仕方なかったのだ。
顔を上げた際、真剣な表情で私を見つめるご主人様が見えた。おそらく、ずっと彼女は真顔で私を見ていたのだろう。それに気づいた瞬間、得も言われぬ恥ずかしさがこみ上げてくる。
こんな話、されても困るだろうに。私よ、どうして話してみたくなった。
自責の念と恥ずかしさで顔が上げられない。ご主人様がどんな顔をしているのかも分からない。
静まり返った森に、木の葉の燃える微かな音だけが響く。
互いに何も言わないまま、時間だけがゆっくりと流れていく。
その均衡を破ったのは、ご主人様の一言だった。
「きっと、寂しかったんですよ」
「……えっ?」
予想外の発言に、思わず間の抜けた声を漏らす。
驚きを隠せずにいる私に微笑みかけたご主人様は、落ち着いた口調で続けた。
「今はあの頃とずいぶん変わってしまった。それを内心寂しく思っていたのなら、不意にその記憶がよみがえってきても不思議ではないでしょう」
「そう言われるともっともな気はする。しかし……」
どうにも実感が湧かなかった。
ご主人様と離れて三年、一緒にいないことを寂しく思ったことはない。少なくとも、私が認識している限りでは。
ただ、あの退屈がそうだったとしたら。
一人で過ごす日々に感じ始めた退屈は、ご主人様と会わない寂しさの裏返しだった。そう考えれば、焼き芋の記憶も説明がつく。
私が気づかずにいただけなのだろうか。自分の本当の気持ちに目を背けたまま、私は一人過ごしてきてしまったのだろうか。
「実はね、私も少し寂しく思う時があるんですよ」
ご主人様の言葉に顔を上げる。穏やかな笑みを零しながら、彼女は続けた。
「ほんの少し前まで、何をする時でもあなたが側にいてくれたでしょう? その時から変われてないんでしょうね、時々あなたがいないことで寂しくなるんです」
「しかし、極力干渉はしないとあの時に決めたはずだ。依存しないよう、少し距離をおいて暮らすことにご主人様も同意しただろう」
「ええ。ですが、気持ちは簡単に割り切れません。数百年の間一緒にやってきたんです、今更離れるのはそう容易くありませんよ。実際、ナズーリンも寂しくなってきたのでしょう?」
「私は寂しくなど……そもそも、そういった依存をなくすためにだね」
「だから私、考えました。月に一回くらい、二人で会いましょう。毘沙門天代理とその補佐なんて関係ではなく、二人だけで」
そう言って微笑むご主人様に、私は何も答えることができなかった。
唐突で予想外の提案に、私の思考回路が再び停止しかけてしまう。
私の返事を待つこともなく、うれしそうな表情でご主人様は言う。
「確かに、お互い頼り過ぎるのはよくないことです。私もナズーリンに手伝ってもらってばかりではいけないと思い、あの時提案を受け入れました。けれど、いきなり離れ離れで過ごすというのはやはり無理があると思うんですよ。それまでずっと一緒だったわけですし、お互い側にいることに慣れてしまっているでしょう。実際、あなたがいないと心にぽっかりと穴が開いたようで、寂しくてたまりません。ですから、二人で月に一度くらい会えないかな、と思ったんです。もちろん、それ以外の時は依存しないように努力する、という前提ですが……駄目、ですかね?」
私が混乱しているのをいいことに、ご主人様は一気にこうまくし立てた。
ひとしきり語り終えた彼女は、当惑する私を見ると眉を寄せて微笑む。
その笑みを見た瞬間、心を覆っていた霧が晴れたような気がした。
離れて暮らすなんて、寂しくもなんともない。互いに依存し過ぎないようにするためにも、むしろあまり会わないほうがいいに決まっている。つい先程まで、私はそう思っていた。少なくとも、私の認識はそうだった。
けれども、それは間違いだったのだと今は思う。ただ私が自分自身の想いに気づいていなかっただけで、きっと本当は寂しさを以前から感じていたのだ。ご主人様の提案を聞き、困ったような笑顔を見た瞬間、そんな思いが胸に湧き上がってきた。
二人で月に一度くらい会おう。そんな提案、普段の私なら突っぱねていたはずだ。三年前の私ならば、まともに取り合いもしなかっただろう。
けれども、今の私の心は喜びに満ち溢れている。ご主人様の言葉を聞いた瞬間浮かんできたのは反論しようという気持ちではなく、柔らかに心を包む温かい感覚であった。
ご主人様が言った「二人で会おう」という言葉を、私はうれしく思っている。自分でも信じられないような心境だが、もはやこれを否定することなどできはしない。
私が感じていた退屈、あれはやはりご主人様と会えない寂しさだった。その寂しさがかつての記憶を呼び起こし、それが私達を引き合わせた。結局どういう因果があってのことなのか分からずじまいだが、私の本当の気持ちに気づかせてくれたことに感謝せずにはいられない。
「本当に、依存せずにいられるかい」
喜びをなるべく表に出さないよう気にしながら、静かにご主人様に訊ねる。
けれど、それも無駄な努力だったようだ。私の気持ちを察したらしいご主人様はうれしそうに笑い、私の目を見つめながら答えた。
「ええ、手に負えない時にだけあなたの力を借りるよう心がけます」
「油断してだらしない生活を送ったりはしないか」
「むむ……一人暮らしだったら危ないかもしれませんね。寺には皆がいるので、自然と節制できますが」
「それもそうだな。最後に一つ……月に一度会うとして、気持ちが変わってしまったりしないかい? 昔のように、ずっと一緒にいたいと思いはしないか?」
「大丈夫ですよ、私だって距離を置く大切さは分かっているつもりです。月に一度くらいなら、お互い心に開いた穴を埋めるのにちょうどいいはずですよ」
そう言うとご主人様はいつもの微笑みを浮かべる。
温かい笑顔が、私の心を優しく包む。
「そうか……なら、ご主人様に従うとしよう」
「またまたぁ、ナズーリンも本当は寂しくなってきたんでしょう?」
「私は別に……少し、ご主人様がいない日々に退屈しただけさ」
「ふふ、まあそういうことにしておきましょうか。早速ですけど、今月はどうします?」
「あと二週間もすれば紅葉の盛りだ。山にでも見に行こう」
「いいですね。紅葉を見ながらお弁当にお菓子に……ああ、やっぱりお団子は欠かせないか。楽しみですねえ」
食べ物のことを話す時特有の呆けた表情で、ご主人様はうれしそうに呟く。
その緩んだ笑顔につられてこちらも笑みを浮かべてしまったが、思い直して彼女に軽く釘を刺す。
「食べきれないような量を持って来ないでくれよ。『私が食べますから』という意味不明な言い訳もなしだ」
「で、でも、紅葉狩りにはお供がないと、ねえ?」
「ああ、あくまでもメインは紅葉狩りだ。分かっているね、ご主人様?」
「はい……」
しょんぼりするご主人様を見て笑みを零す。やはり、この人と一緒にいる時間は楽しい。
ここで暮らすようになった時、こういう時間に未練はないと思っていた。二人きりの数百年間は仕方のないものだったし、今更ご主人様と過ごす時間なんて必要ない。強がりでも何でもなく、それが私の本心だったはずだ。
けれど、それは私の思い違いなのかもしれない。少なくとも、今の私はその頃と変わった。そうでなければ、ご主人様と過ごすこの時間に胸を弾ませたりはしないだろう。
あれから三年経った今、私はご主人様と共にいる時間を欲している。あらためてそう考えるとなんだか恥ずかしいが、それが事実だ。
「うれしそうですね」
ご主人様に言われて、頬を緩めすぎていたことに気がつく。
慌てて表情を引き締め、ニヤニヤと笑う彼女に言う。
「そうかな。それよりご主人様、そろそろだぞ」
「え? ああ、そうですね」
トングを手にご主人様は地面に置いた木枠の方に向きを変え、燃え尽き灰混じりになった落ち葉の中を探り出す。やがて塊を見つけると灰を払って皿へ置き、うれしそうに笑いながら彼女は言った。
「ああ、いい香り! さっそく食べましょう!」
「慌てて食べるとやけどするよ。ご主人様は猫舌だろう?」
「ええ、でも最近はおいしいものなら熱くてもいけるようになりました。やっぱり食べ物にはそれぞれ最適な温度があると思うんですよね、焼き芋ならできたてのホカホカを食べるのが一番です」
「た、確かにそうだな。どれ」
熱く語るご主人様に少々押され気味になりながら、芋を覆うアルミホイルを剥がす。先程も漂っていた甘い仄かな香りがいっそう強く広がっていく。
赤々とした皮を剥くと、現れたのはホクホクと湯気を上げる黄金色。たまらず一口含めば、途端に柔らかな甘みが口いっぱいに広がった。
「うむ……焼き芋にして正解だな」
「これぞ秋、って感じですね。ああ……うん、やっぱりこっちの葡萄もおいしい」
焼き芋、葡萄、また焼き芋。ご主人様はかわるがわる口にしては幸せそうな笑みを零す。その仕草があまりに子供っぽすぎて、私は思わず吹き出してしまった。
それに気づいたご主人様は少し不服そうな顔をしたが、すぐに微笑んでまた焼き芋を頬張り始める。
早秋の焼き芋。私とご主人様の、かつての思い出。
今日の出来事は、その記憶が導いてくれた結果なのかもしれない。
かつて私達の心の支えとなってくれたように、今度は私達の抱えた心の溝を埋めてくれた。妙な話だが、人生なんてそんなものだろう。
絶望の中の希望は、この日私達の新たな絆へと姿を変えた。
少々複雑にはなったが、これからはまたこの思い出を毎年のように思い出すことになるだろう。
月に一度の楽しみ。今月の分は、きっと毎年これになるだろうからね。
これからもっと焼き芋のように熱くなるに違いないな!
タイトルが早苗の焼き芋に見えて途中まで混乱してました
おもしろかったです
いいナズ星でした