Coolier - 新生・東方創想話

害→○→死

2012/10/17 02:59:10
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「あのね、妹紅。何回も言うようだけど、私は臨床心理学《カウンセラー》じゃないのよ」
 長すぎる白髪を束ねた女医―八意永琳―は素っ気なく告げた。左右非対称の朱と群青のゴシックドレスを身に纏う妙齢の女性はしかし妖艶華美であり、一部の隙もない所謂『化物』の類いであるのだから。
 小綺麗な漆塗りの長机と来客用の豪奢な椅子。日差しを差し込む硝子窓。雰囲気に似つかわしくない化学物質の臭いがこの部屋の意味を的確に表していた。長机には八意、椅子には私がそれぞれが役割を果たしていた。私は唯、診察という体で彼女に薬を貰いに来ただけだった。
「アナタもいい加減、何かしたらいいのに」
 背を向けた儘なので、その表情まで見ることは出来なかったが、文字通り匙を投げたいということは読み取れた。
「何か……。それを貴女が宣うか」
「あら吐き捨てる相手は自身じゃなくって?」
「そうか、じゃあいつものように薬だけくれればいい」
「りょーかい」
 要求だけ伝え、私は手元の紙に目を向けた。静謐な部屋に八意が棚を漁る音のみが響く。診療録《カルテ》に記載された三項目。『・自傷行動癖 ・睡眠障害 ・情動脱力発作』
 内心苦笑を禁じ得ない。見慣れた字面――大した感想など皆無であり事実を事実として認識するのに時間は要らなかった。
ようやく振り返った八意は用意した薬箱を机の上に置いた。薬箱が机を叩く音はやたら耳に触った。
 ふと視線をあげたときに映ったいつも通り柔和な微笑を浮かべる彼女。しかし信用する気はない。どことなく腐臭を感じるのも平生通りだ。善意の裏にある悪意を感じ取れぬほど耄碌はしていないつもりだ。
「いつもありがと」
 乱暴に薬箱を掴むと早々と踵を返した。
「あら、姫様には会っていかないの?」
 途端に足が止まる。
 声色に若干の揶揄を味付けしたような嘲り。
「どういう意味」
「言葉通り」
 なんで私が、彼女に会わなくちゃいけないんだ。
 だいたい、私と彼女の間柄は大嫌いだとか嫌悪だとか簡単な言葉で括れるほど陳腐じゃ無い。
 言うだろう? 好きなものほど食べたいって。
 だからさ、
「互いに衝動があったら殺し合う。それで十分よ」
「変わってないわね」
 その表情……一粲に値する。
「はン、保護者面して……それで贖罪してるつもりなら、片腹痛いね」
「別にそんなつもりじゃないわ」
「だったらさ、どうしていつも嘘吐いてるんだ」
 図星だったのか、八意は若干虹彩を縮ませた。そしてその様子哀れと思った自分もまた、少しだけ胸が締め付けられるようだった。
「……邪魔した。またくる」
「ええ。待ってるわ」
 畢竟《つまり》、私も彼女も同類なのだ。

  ○

 唐突だが、君は生きていると実感したことはあるだろうか。
 それは美味しい料理を食べているときに感じているのかもしれないだろうし、友人と他愛も無い雑談をしているときかもしれない。 誰かに認められ褒められたときだとか、愛しい人と肌を重ねるときの場合もあるだろう。それらが、きっと一般的且つ常識というものなのだろう。無論どれだけ禍福を糾えたところで終着点は常に死《タナトス》ではあるが、故に幸せを求めることこそが生きるという唯心論が最も効率よく浸透している。
 月の剣が暗雲を裂き静かに周囲を照らす。周囲には竹林しかない。滔滔と温水が岩を叩く。湯気が空気を掻き乱す。飛沫と擦れる音以外は……嗚呼、そういえば鳩やら梟やらが喚いているな。私はゆっくりとその水辺に片足を入れる。少し熱すぎる気もするが、まぁ文句などない。ゆっくりと衣装を手にかけ解いていく。
 肩までつかり少しだけ嘆息をする。こうしているだけで、何もかもから解放された様な疑似涅槃を味わえるのも好きな理由の一つだ。そう柵めいたものを考えなくてもいいのだから。
 先日からここに温泉なるものがあると知り、毎夜沐浴している。返り血がたっぷりと付着した服も一緒に洗うため、私の周囲は次第に赤くなっていく。私は一応浴槽には気を遣う。何ともなしに一人になれる唯一の空間だから。もちろん髪はお湯では痛めるから、手ぬぐいで纏めてある。母からの教えだった。綺麗な長い髪を保つこと、琴《きん》の琴を美麗に奏でることが出来ること、古今和歌を暗唱できること、それが美しい女性の条件だと母は語っていた。その教えは呪詛めいた軛になっているのだが……別段破る気はないのが、私の甘えであるとは重々承知しているつもりだ。
 徐に私はそばに置いてある、ソレを手に取った。鈍色に光る刃渡り三寸ほどの小さな剃刀。私の様な女性には似つかわしくない刃物だったが、それは謂わば私の唯心を補助する大切な一品だった。
 右手に握ってからは一瞬。左手の手首にから肘にかけて何度も何度も走らせていく。皮膚を切り裂く感覚、それはゴム風船を割るように案外容易い。最初は掻痒感、次第に痺れるような痛みが左手のみに集約していく。
「――ッ」
 嬌声めいた声が静かに浴槽に木霊する。
 無論私の声色であるが、その音源はどこなのか。喉か頭蓋か脳漿か――はたまた臓腑の一部からなのか。範疇の外にある非常識から浮き上がる。
 ぴたりと揺れ雫が零れる。真っ赤な人体の八割を構成する漿液。左手首から流れる血液。今回はどうやら動脈路をやってしまったらしい。止まる気配が無い。一筋入れれば彼岸花のように艶やかな液体が一筋手首から腕を伝い肘で留まる。それはやがて重力に従い落下し、湯船に王冠を作るのだ。薄紅色に染まった温水の中で一際燐光を放つ私の一部。
 他者から見たら私は異常だろうか異質だろうか、はたまた気狂いか道化だろうか。だが、愉悦の笑が自然と象られる。嗚呼。私は今生きている。
 生物が呼吸をするように、植物が光合成をするように、私という存在はこの行為自体が生きるという行為を具象化する最も的確な手段であると、知っているから。
 辞めたら、きっと私は生きながらにして死人と成り果てるだろう。

  ○

 ソレは陳腐で喩えようもなく直情的な台詞だったが理解できなかった。もちろん御伽噺や、況んや行為そのものは知識としてはあったが、しかしそれはあくまで架空の事例でしか知ったことは無い。つまり体験してみれば無知であり未知である。
 秋風索莫を超えて尚、静謐な朱色の森の噎せ返るような香りが好みだ。涼しげな太陽を一心に浴びる木々はしかし、どことなく閑雅である。滲み霞む夕暮れは宛ら水彩画。色彩の波間に漂う鶫の嬌声に耳を立てると、どことなく神殿や遺跡にもいる心地になる。そんな神秘とも呼べる空間に漂う仄かな一縷の紫煙は間違いなく、手元の火種が原因だ。誰に対してでも無く負い目を感じ燻らせていた紫煙の元凶を踏み消した。と同時だった。
 大樹に腰掛けていた私に降り注ぐ影。それは人型だった。人後を話せることから妖羅刹の類いか、それとも真に人間だったのか。一切合切興味が無かった。どちらにおいても、気に入らないことをしたら……自ずと左手が鞘に右手が柄に伸びていた。四百年以上愛用している、親よりも固い絆で結ばれた相棒《やいば》を握る。いつでも抜けるよう左手に鞘を持ち垢穢と血で汚れた柄を右手に構える。半ば鯉口は切り気味だ。だが、その影は唐突に有り得ない言の葉を秋風に乗せ、私に届けた。
「……なんだって」
 だから、私がどんな表情をしていいのかわからなかった。もっともそれに対する適切な答えも見つけられなかった。
「繰り返させるのですか……なんとも」
 妙に演技かかったそれでいて仰々しい仕草で額をつまむ彼女の名前を私はまだ知らない。知りもしない見たことも無い。
「私は、君が好きだと、そういったのですよ。滑稽だと嗤うかな。いやはや、嗤われても仕方の無いことだと重々承知しているつもりですが」
 特有の慇懃さと飄々さを兼ね備えた口調の彼女の声色は氷。玲瓏さと慈愛が混濁した、不可思議なほど人の心に響き渡たらない。
「探しました。否、今となっては探し当てたという方が適切でしょうか。ともかく、見つけました」
 第一の疑問、何なんだこの女は。第二に何故探していたのか。
 それらが綯い交ざり、この女に対して初めて興味を覚えた。一瞥する。溢れた夕日に染め上げられた銀嶺髪を悠々と颶風に梳かせる彼女は極端に目尻を細め微笑む姿が印象的だった。ドレスアップした人形のように美麗で優雅で、だからこそ相容れないのだろうかと、素直に感じた。滄溟を思わせる群青色の三段に編み込まれたスカートドレスとフリルの突いたネック部分から生える深紅のスカーフも相まって、垢穢な表現かもしれないがギリシア彫刻の亜種に見えてしまった。しかしそれ以上に瞠目したのは、その女の双眼は間違いなく遺業。片目が紅蓮色、もう片方である右目は滄海色。所謂虹彩異色症《オッドアイ》というやつだ
 恥ずかしい話。
 見惚れてしまった。須臾だろうか。それとも悠久だろうか。定かでは無いが。しばらく互いの目の奥に潜む何かを観察しあっていた。彼女の奥に潜む何かを知りたかった。
 が、それを知ることは叶わず。
「藤原さんですよね」
 少しだけ、彼女が一歩引いた気がした。
「誰?」
 私はできる限りぶっきらぼうを装い、彼女に尋ねた。
「あぁ、初対面。そうですね。この世界では初めてです」
 一息。
「私の名前は上白沢。上白沢慧音と申します。下町で小さな寺子屋を営む名取りです」
 なるほど人間。その言動は小粋な冗句と捉え失笑すればいいところか。見れば見るほどまっとうな人間には見えない。大和人といえば黒髪が常。加えこの閉ざされた箱庭に、白銀の髪と灼眼を持つこんな女を人間と認めろと……それこそ巫山戯も大概にしてほしい。慇懃無礼を絵に描いたような女性だと、今度こそ彼女には敵愾心を剥き出しにした。
「ふふ、そう混乱せずとも大丈夫です。あなたのことはよくご存じですから、ええそうでしょうから。藤原多比能」
 刹那、脊髄から脳漿、はてはクオークまでもが麻痺したような、喪失感と赫怒を覚えた。私が眉尻をつり上げた顔を見て、あろう事かその女性は、嗤い始めた。
「ダメですよ。多比能。君の蛾眉が釣り上げるのではなく下げるものです。せっかくのアフロディーテの様な出で立ちも修羅と勘違いされてしまいます」
 それは蛇が鳴くような奈落への嚮導めいた哄笑。聞いているだけで不愉快になる不協和音。喩えるなら、音のずれたパイプオルガンを弾き続けるような、途方も無い絶望と善悪の区別を凌駕する、そんな前衛的な喉奥で産声を上げた使途の竪琴。雄弁で優雅を是とする彼女の口からこのような音叉が生まれるとは思いもしなかった。心底喜んでいるような、愉悦の油に浸ったくぐもった嗤い。
 なんだってんだ。この女に呼ばれただけで体中の血液が沸騰しそうだった。
「さ、行きましょうか」
「は、ハァ!? テめぇ巫山戯るのもいい加減に――」
 遮られた。物理的に唇を。それは接吻だった。直後に響く怒りのこもった忠告。
「お、おまえ……!?」
 すぐさま袖でぬぐい取る。真っ赤な口紅《ルージュ》が袖に蔓延り付いた。
「私には驥足持つ貴女が、どうしても必要なのです」
 今度こそ憤りが支配した。
「痴れ言を!」
「勝手なことではないのです。私はあなたを救いに来た。……いいえ、そんな高尚なことではありません。私はあなたに未来を与えたい」
 複雑な感情が脳漿で侃々諤々と迷走する。
「そのために、貴女の力が必要なのです。仮にも冠に八雲神を宿し、字を紫と名乗る邪気を払うために」
 ……何を言っているのかと、口を挟むことすら躊躇われるほど彼女は悦に浸っている。頬は紅色に染まり、瞳がありもしない宙に注がれている。
「彼女を穿つための刃が――そう。とっておきの異物《常識》が私にはありません。嘗ての私ならばそのような武器があったらしいのですが、残念なことに悪辣な魔女に奪われてしまいましたから。今の私には牙すらありません――無力です」
 その瞳は遙か彼方を見ているようだった。まるで亡骸と抱擁《トーテンタンツ》するような稜々とした間がつづく。
「ですが、代わりに今の私には誇るべき楯があります。後は矛。あなたにはその矛になっていただきたいと……お気づきですよね」
「利用する代わりに利用さろって……そう言いたいのか、お前は」「最初はそれだけでした」
「生憎だが……」
「ですが」
 彼女の語気はしかし、今までとは一線を画すほどの真摯であった。いつの間にか虚ろな様態は消え去り、その凛とした顔立ちを際立たせる険しい顔立ちをしていた。
「すみません、腕《かいな》失礼しますね」
 彼女は私の腕を掴み嚮導者宛ら、どこかへと歩き始めた。私は、どうしてだが、彼女の腕を振り払う気にはならなかった。
 足が止まる。そこは竹林と人里を結ぶ唯一の水平線にして境界線。故に、ここを踏み越えることがどのようなことは重々理解しているつもりだ。私は、人では無いのだから。
 人を捨て今更人に縋るなど、父上と母、姉上たちに顔向けできない。
「私はこの境界線を越えることはできないよ」
 自分でも寒々しくなるほど弱気だった。誰に対して引け目を感じているのか、訳がわからないが、とにかく倫理に、道徳に反していると直感した。
 上白沢だったか、女性はしばらく故に思惟しているようだった。……が刹那の瞬きの間に私の右手首をつかみ、
「えいっ」
 あっという間に街道へ、人間が群れる町へとつづく街道へと引っ張られてしまった。
「お、おい! さっきの話を聞いてなかったのかよ!」
「聞いていましたよ、貴女の怯懦――父君や母上、並びに御姉妹に顔向けできないのでしょう。まして覬覦《やくそく》だ鄙俚《ちかい》だと思い込んでいるのでしょう。――それがどうしたというのです」
 その夕日で染まった彼女の顔は、否その彼女こそが素の彼女であるように欣快に充ち満ちた笑顔。
「唱え失いなさい」
 聳動で体が震えるのは当たり前だった。
 この女は、私の断ち切れない呪詛の鎖を一言で剿滅させたのだから。
「私だって誇れるものはありませんよ。宇佐見先生という大切な恩師を救えませんでしたし、剰え間接的に彼女を失わせてしまった。人間を食べたことだってあります。言ってて思いましたけど、聖職者とは思えぬほど傷だらけの瑕疵《かし》だらけですね」
 彼女の独白を素っ気ないと感じたのは、きっとすべてを受けいれたからだと思いたい。
「でも、そんなの過去じゃないですか。生きているなら、生きた方が、ええ最も至高たる星々に並ぶんじゃないでしょうか」
 きっと私と彼女にしかわからないこの会話は。
「……チッ」
 唯々諾々と従うのは性に合わない。
「あ……」
 私は彼女の腕を振りほどき彼女の横を歩き始めた。
「意外と面映ゆいのでしたか。これは失敬です」
 うるさい。

 ○○○
誤字脱字、表記揺れ、お見苦しい箇所があったかと思いますが、読了に多大な感謝を込めて、ありがとうございます。
きゃんでぃ
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コメント



0.190簡易評価
1.60名前が無い程度の能力削除
やはり、永夜はこれくらいシリアスでも違和感ありませんね。 ただ表現が冗長で、短いながら読むのに疲れるところがあったので、点数は控えめにしますね
3.80名前が無い程度の能力削除
やたらと難しい漢字を使い過ぎではないでしょうか。純文学風なら、三人称でも面白いかもしれませんね。
6.70奇声を発する程度の能力削除
少し難しい漢字が多いかなと思いました
でも面白かったです