秋の日照りであった。
常ならば長閑で閑散とした幻想郷の一画で、この日ばかりは至って賑わいを見せていた。
人間たちの多く住まう人里で、秋の実りを寿ぐ祝祭が催されていたのである。
芝居小屋や露天商が集い、ある者は唄い、呑み、騒ぎ、踊り、ハレの日の折を銘々が満喫していた。
人里近くにある紅魔湖、その畔にある紅魔館の主もまた、この賑わいに興じる一人であった。
彼女曰く、吸血鬼とて実りを祝う誠実さくらいは持ち合わせている、とのこと。
そうは言うが日照の下での吸血鬼の行動は、極端に制限されるため、彼女の守りとして侍る使用人の十六夜咲夜は、内心、はらはらしながら主の共を仰せつかるのであった。
そうして暫しの物見遊山に主が飽き始めた頃、彼女たちの前に、何処からともなくやって来ては自らの芸を披露する、旅芸人の一座が見えた。
火を吹き、玉に乗り、ピンを放り、ほどほどには喝采を受けていた彼らだが、次にはナイフを使った芸をすると言っている。主はこれに興味を覚えた。
「ねぇ、咲夜。あれをどう思う?」
幾分頭の位置が低い主は、斜め上を見上げて、生真面目な顔をして侍る咲夜に声を掛けた。
「どう、と言いますと?」
その咲夜は些かも表情を崩さす、小さな主に問を返した。
――真面目はいいが面白みが無い。主はそれが不満であった。
「鈍いわねぇ。あのナイフ使い、貴女より腕は上かと訊いているのよ」
「……はぁ」
そんなことを言われても――。
しかし、主をこれ以上落胆させる訳にはいかないので、咲夜は対象に挙がったナイフ使いに注視した。
彼は一座の中では若く、多分に英気と精気とを滾らせる快活な青年であった。
そのしなやかな腕の動きから繰り出されるナイフは、離れた的に当然の如く吸い込まれていく。段々と距離を取るもそれは変わらず、寸分違わず的を射った。
彼が、どれほど離れたところから的を射ることが出来るかが、この芸の見世物であった。
なるほど――、と咲夜は感嘆する。
主が比較に出したのもよく分かる、それは十分に熟練した腕前だった。
では、果たしてどちらが上か――、それは試してみなければ分からないだろうと咲夜は結論付けた。
主はそんな咲夜の心境を見越してか、うんうんと頷くと、ひときわ盛り上がるその一座の前へと進み出た。
不測の事態に咲夜は半歩出足が遅れた。
「待ちなさい、貴方たち。確かにその男はいい腕前だけど、私の従者だって負けてなくってよ」
主は尊大に胸を張って――と言ってもささやかな胸なのだが――高らかに宣言し、ナイフ使いの芸に夢中になっていた群衆を唖然とさせた。
呆れとも侮りとも取れるその反応を、畏敬の念と思い違いをした主は、上機嫌で従者に目配せをした。皆の視線が釣られて集まる。
ああ、と咲夜は思わず嘆息を漏らした。
この嘆息には、それ以外の懸念も詰まっている。
大体にしてこの主は、自らの立場を正確に分かっていない節がある。
闇の王、吸血鬼といえども、この穏やかな日光の下では、羽もなく、牙もなく、ついでに体力もない、ただの幼子に過ぎないのだ。
もっとも、そのぶん夜になると、ほぼ無敵の力を発揮するのだが、とにかく、この主はそういった諸事について全く無頓着に見えた。
そうして咲夜が、あれやこれやの心配事に心を奪われている間に、すっかり舞台は完成したらしく、あまつさえ投擲用のナイフを磨いている咲夜自身がいる。
不本意ながらも立ち位置につく咲夜に、主から期待混じりの激励が届いた。
その声に「いよし」と覚悟を決めた咲夜は、気持ちを切り替え、的を睨んだ。
咲夜は、すっ、と程よい力でナイフを投擲した。
――トスッ。
中り。中央黒星を射る。
ざああっと歓声が起こった。
突然現れた少女の腕前に、群衆も俄然意気を上げる。側で見守る主も、満足気な顔をして頷いた。
従者はそれが恥ずかしいのか、やや顔を俯けながら主の側に戻る。
ナイフ投げの青年は、咲夜の投擲が終わるとすぐに位置に立った。
本来なら自分に注がれるはずの歓声を奪われ、些か不満気であったが、一座としてみれば客が盛り上がるに越したことはない。
青年も仲間の声を受けて投擲の姿勢に入る。
しかし青年は、周りの期待を余所に、ろくに目も合わせず、まるで無造作にナイフを放った。
自暴自棄になったか、狙いもつけずに投げたようだが、的を見ると見事黒星を射抜いている。
ははあと、これには咲夜も驚かずにはいられなかった。
どうやら余程の腕自慢らしい、また、確かな実力を備えている。
歓声がわっと湧く。
咲夜は恐る恐る主に目を遣るが、案の定、むすっと不機嫌な顔をしていた。
これは主のためにも何としてでも張り合わねばなるまい――、咲夜はそう決心を新たにし、先ほどより少し離れた立ち位置についた。
……的までが遠い。
咲夜は慎重に投擲した。
咲夜は自身が思っているより大いに奮闘した。
段々と距離が遠くなるが両者とも的を外すことはない。しかし、回を重ねるごとに難易度は格段に上がっていく。
いつしか余裕が無くなったのか、青年も真剣な眼差しで投擲に挑んでいた。
咲夜も負けじと的を射る。
何度も何度もそれを繰り返し、両者の間で――いや、見物人も含め全員の中で、不思議な連帯感が生まれていた。
遠く、もっと遠く――、
それは二人の対決というよりも、いかに良い記録を打ち出すことが出来るか、という挑戦に変わっていた。
投げて、位置を変え、そしてまた投げて、心地よい緊張感があたりを隈無く覆っていた。
そして転機が訪れる。それは咲夜の順番の時であった。
狙いを定め、ナイフを放る、その一瞬の間、強く鋭い風が、びゅうと吹いたのだ。
咲夜は思わず目を細め、顔を顰める。
「あ――、」
かくして放たれたナイフは的を逸れた。円の淵を僅かに削いで、しかし、そのまま何処かへ流れていった。
青年は次の回も見事に的を射抜き、結局、咲夜の敗北となった。
しかし、咲夜という少女の思わぬ大健闘に、群衆は一体となって彼女を労った。
主もこの成果に大いに満足を表している。従者としては、主に不足が無ければ、遊戯の結果など二の次である。
旅芸人の一座も、思わぬ収穫を果たしたことから上機嫌で、すぐに呑めや歌えやの大宴会となった。
そうしてこの一件は、天狗の新聞にもささやかな記事が載る程度の、瑣末な出来事として幕を閉じた……、
――――はずだった。
……しかし、事件はまだ続いていた。
ナイフ投げは終わっていなかったのである。
咲夜が外した一本のナイフ。
別段、誰も気に留めていなかったのだが、それ以降も地面に落下することなく、どころか、益々勢いを付けて飛び続けていたのである。
それは何かの意図、あるいは使命感を思わせる勢いで、一直線に飛んでいた。
――その時、彼女は賑わう祭りの中にいた。
囃す露天商の声を両脇に捨て置き、赤白の巫女、霊夢は、うっとりとした表情で道を歩いていた。
両手には買ったばかりの烏賊焼きがある。
せっかくの祭りの場。始終貧しい日常からの脱却を、彼女もこの日ばかりは望んでいた。その為に買ったのが烏賊焼きであった。
烏賊である。何はともあれ烏賊である。
海の側にない幻想郷では、その幸は非常な贅沢品であった。
そして、そうであるが故、霊夢はこの日はこれと決めて、兼ねてから小銭を蓄えてきたのであった。
一口、齧り付いたその幸福は、何も烏賊の美味しさばかりではないであろう。この至福を、彼女は神に祈る気持ちで堪能していた。
しかし、その彼女に忍び寄る銀の影があった。
それは気配も無く忍び寄り、彼女の斜め前方から迫ってきた。
それは彼女に不幸をもたらす悪魔の狗であった。
霊夢はまだ気付かない。
至福の二口目を収めようと口を開ける、――その時だった。
――疾ッ、、、!!
それは一瞬の出来事であった。
彼女の口に収まる筈だった烏賊焼きを掻っ攫い、銀の刺客は彼女の側を駆け抜けていった。
残された彼女の手元にあったのは、烏賊が引きちぎられた竹串のみだった。
彼女は唖然としながら、次の瞬間には両目に涙を蓄えて、そして更に次の瞬間には烈火の怒りに顔を赤くして、彼の者が過ぎ去った方角を睨めつけた。
烏賊が四散していくのが見えた。
「な、何なのよぉぉぉっ!!!」
そしてその日、偶然、彼女の目に留まった吸血鬼が、彼女の腹いせの為に身銭を切る羽目になったのは、また別の話である。
――その時、森の中の妖怪は、新鮮な楽しみを発見していた。
彼女は宵闇の妖怪、ルーミアであった。
彼女の手には、祭りに浮かれて気の緩んだ人間から奪った、中心に穴の空いた円盤状の菓子――、ドーナツがある。
今まで見たことのない食べ物に、彼女は大いに気を良くしていた。
甘い匂い――、砂糖が使われた菓子であることはすぐに知れた。しかし、その奇怪な形にこそ、彼女の興味は傾いていた。
ドーナツの穴に指を入れて、くるくると回してみる。
それは、およそ他の食べ物では味わえない甘美であった。
がさがさと不穏な音が森中に響いているのに気付けない程、愉快な遊びであった。
森の枝葉を切り裂き、隙間を抜けて、銀の刺客はルーミアを捉えていた。彼の者は、まるでルーミアなぞ興味はないと言わんばかりに、突進を続けていた。
手が砂糖でべとべとになった。名残惜しいがそろそろ頃合かと、ルーミアはドーナツに齧り付こうとしていた、
その時――、
――颯ッ、、、!!
それはドーナツの穴を貫いて左右に断割し、それでも勢いを緩めることなく通り過ぎていった。
ルーミアは衝撃によって落としてしまったドーナツを見やる。
無残に砕けて土の上に亡骸を晒していた。
そういえば、まだ一口も口にしていなかったことを思い出した。
「お腹、空いたのだ……」
ルーミアは、今度からドーナツを食べるときは穴で遊ばないことを密かに誓い、拾ったドーナツをしげしげと眺めた。
ぱくり――。
それは砂糖と土の味がした。
――その時、妖精の彼女は、季節はずれのかき氷を生産していた。
彼女は氷を操る妖精、チルノであった。
人間たちの祭りを見て、自分たちも何かしたいと、他の妖精たちを集めて、何事が出来ないかと頭を捻っていた。
そして思いついたのが、むかし露天で見た、かき氷の模倣であった。
チルノは自家製かき氷を妖精たちに配ってご満悦であった。
とは言っても、所詮は妖精の遊びである。
氷精の力によって、差し出す両手に雪を降らせ、それをそのまま食べる、というだけの話である。
それでも彼女――雪を食べさせられる周りの妖精たちは、寒い寒いと不評であったが――にとっては、満足のいく遊びであった。
しかし銀の影が、そんな微笑ましい一幕さえも打ち壊さんと猛進を続けていた。
チルノは親友である大妖精の手に雪を降らせる。
大妖精は少し寒くなったが、はらはらと舞い落ちる白い粉は、なかなか優美であった。
その時――、
――彪ッ、、、!!
銀の刺客は、舞い落ちる雪の結晶を射抜き、猛加速しながら一点を目指して駆け抜けた。
呆然とするのは妖精たちである。
何が起こったのか分からず、チルノの至っては気づきもせず、なおも作業を続行していた。
チルノが、目を丸くさせる大妖精に告げた。
「出来たよ、大ちゃん。さあ召し上がれ」
チルノの言葉に大妖精は曖昧に頷きながら、出来たばかりのかき氷を口に入れた。
しゅん、と背筋が凍えたような気がした。
――その時、紅い長髪の麗人は、門の前で番をしていた。
彼女はかの吸血鬼が住まう紅魔館の門番、紅美鈴であった。
本日は紅魔の主も、おっかないお局様も留守ということで、羽を休め気を休め、緩やかな午後のひと時を過ごしていた。
少し冷たくなった秋の風が撫でる。さらさらと紅い髪を風に遊ばせながら、彼女は深く目を閉じていた。
緩やかな午後である。
来客もないし、敵襲もない。無論、不満はないが、些か退屈でもあった。
……彼女から安らかな吐息が漏れる。
すやすやと、それは寝息であった。
――キッと、ナイフは更なる加速を生む。
銀の刺客は躊躇うことなく紅美鈴に向かって飛翔を続けていた。
それはいよいよ加速を大きくし、さながらレーザービームのように彼女へ押し迫っていた。
紅美鈴は気付かない。
まだ、気付けない――。
――轟ッ!!
――轟轟轟轟轟ッ!!!!!!
それは最早、ただのナイフを超越していた。
嘶き猛る龍の牙であった。
空を翔け天を焦がす鳳凰の嘴であった。
森羅万象の理を覆す一筋の閃光であった。
ナイフは正確に狙いを付ける。
美鈴の――、
惰眠を貪る美鈴の額に向かって。
情けも、躊躇も必要ない、無慈悲な一撃を加えんと走り続けた。
ナイフの切っ先が彼女を捉えた――、、、!!!
「………………あいたーーっ」
そうして美鈴は、理由の知れない鋭利痛によって額を押さえるのであった。
読了、ありがとうございます。
行間、空けてみました。
読みやすくなったかな・・・?
みすゞ行間、空けてみました。
読みやすくなったかな・・・?
そして美鈴は痛いで済むのかw
そしてそれを投げた咲夜さんすごい
あと烏賊とドーナツの描写がやたら秀逸
ナイフの描写がいい。
面白かったです
完敗ですw。
美鈴に刺さるのは様式美なのか…
わわ、思ったよりも好感触。
ありがとうございます。
美鈴のもとに辿りつくのはもはや運命なのか......w