人生の1番古い記憶はなんだったか。
私のそれは『手』だ。
大きな手が私の手を掴み、前へ前へと引っ張っていく。
どこに行くのかも、なぜそんなことをされるかもわからない。
後ろを振り向くと、お父さんとお母さんが泣いているのが見えた。
幼いながらも漠然と、もう戻れないのだと悟った。
記憶はそこで終わっている。
◆
ちゃぶ台に噛り付きながら客人の来訪を待っていた。
付いた歯形が幾重にも重なり、さながら年輪のように見えなくもない。
あれだ、あれに見える。
柱に傷をつけて背を測るやつ。
それをちゃぶ台でやったのがこれだ、この年輪が私のあごの成長を物語っている。
「……」
腹が減っている。
もう2日は食べていない。
近隣の植物は軒並み食い尽くした。
小動物も居なくなった。
このさびれた神社には、もはやだれも寄りつかない。
「そうだ、里を襲おう」
その言葉は、あまりにもすんなり声に出た。
そうだ、その手があった。
私は天才か。
所詮この世は弱肉強食。
強ければ食べ放題なんだ。
「馬鹿言ってんじゃないよ、博麗」
「!!」
その声にガバッと頭を起こす。
勢い余って下あごがちゃぶ台に引っかかり派手にひっくり返した挙句、体勢を崩した勢いのまま顔面をしたたかに打ちつけたが特に問題はなかった。
「ちぇえええええんん!! 待ってたわよ!」
「わ、鼻血出てるよ」
待っていた、この時をずっと待っていた。
飯だ!
「はいこれ今月の分」
「ありがとうございます!!」
差し出された封筒を受け取りビリビリに破く、中には何人もの諭吉様が束になって入っていらっしゃった。
に、肉が食える!
「うっはー! 飯じゃ飯じゃ!」
「……博麗、ねえ博麗ったら」
喜びのあまり自分で考案した『現金の舞』を踊っていると、橙がかわいそうなものを見るような目でこちらを見てきた。
なんだその目は。
「来月から生活費はこの子が届けるから」
「……うん?」
「あ、どもです」
促されて横を見ると、見たことのない妖精がぺこりと頭を下げていた。
……高そうな服を着ておる。
「貴殿、名を名乗られよ」
「えう!? あ、あの、ミーコです、紅魔館でメイドやってます」
「ふむ、こうまかんとはなんぞや?」
「え?」
「え?」
橙とミーコなる妖精が揃って驚く。
そんな顔しなくたっていいじゃない。
「なによ、私だって知らないことくらいあるわよ」
「……マジで言ってんの博麗」
「え? なんだっけ、地名よね」
「レミリアが住んでるとこだよ」
「…………ああ、ふもとの里の」
「違ぇよカス、レミリアが里に住んでたら住民大パニックだよ」
カスとはなんだカスとは。
まったく、躾のなっていないどら猫だ。
「まあいいや、伝えたからね」
「うむ、大義であった」
「……」
軽く舌打ちする橙を無視しつつ、妖精の方にとびっきりの笑顔を見せる。
「ま、来月から頼むわ妖精ちゃん、私にご飯の成る木を持ってきてね」
「は、はい」
「一緒に食べられるものも持ってきてくれるとうれしいな」
「あ、そういうことでしたら任せてください、私コックですので」
「おおっ」
妖精料理。
コイツは期待できるかもしれない。
大抵こういうのは驚くほどおいしいか炭かの2択と相場は決まっているが、大丈夫、炭でも問題なく食える。
「よろしくねー」
「はーい」
去っていく2人に手を振って見送り、さっそく買い出しへと向かうことにした。
今日は肉だ、肉を食うのだ。
◆
肉と言えば北の里だ。
その昔、どっかの外来人が牧場を始めたのをきっかけに、そこに里ができた。
ウソみたいなホントの話。
まず先に牧場ができたのだ。
まだそこが里じゃなかったころ、妖怪たちは当然のようにそこを襲った。
もともと単細胞な連中だから、人がいれば食い、牛がいれば食う。
でもその外来人は諦めなかった。
何度襲われても何度食われかけても、飽きることなく牧場を続け、乳製品の素晴らしさを妖怪相手に説いて回った。
そしてその努力は功を結び、愚かな妖怪たちも次第に気付き始めた。
自分たちが目先の食欲にかられ、何を失っていたのかを。
彼女らから分泌される白き栄養、ママの味。
柔らかな口当たりに独特ののど越し。
妖怪と牛乳の歴史的邂逅だった。
そんなわけで、なぜだか知らないが妖怪たちは牛乳が大好きなのだ。
朝食に飲み、風呂上りに飲み、寝る前に飲む。
そんなにカルシウムが不足しているのだろうか。
それはともかく、妖怪たちはその牧場を襲うことを止めた。
すると次第にその牧場付近に住みつく者が現れ、あれよあれよと言う間に里が1つ出来上がってしまっていた。
いつの間にか肉牛も売られるようになり始め、幻想郷唯一の牧場地帯として今日もお肉を生産している。
紫からその話を聞いた時、こう思った。
登場人物全員食い意地が張りすぎていると。
「ああ、お肉の匂い」
里に到着すると、どこからともなくおいしそうな香りが漂ってくる。
右を見ても左を見てもお肉屋さんと焼肉屋さんとステーキ屋さんばかりが立ち並び、その隙間を縫うようにして牛乳屋さんやチーズ屋さんなどの乳製品のお店も顔を覗かせている。
なんという牛パラダイス。
ここほど牛関係で充実している街は外にだってそうはあるまい。
世界の中心が誰なのかは知らないが。
この里の中心は間違いなく牛なのだ。
「じゅるり」
さて、どの店にしようかしら。
懐のお金に触れながら、大通りの店を見て回ることにした。
一流のハンターのような目付きで獲物を探す。
この里にも行列のできる店とそうでない店がある。
それだけで判断するのは危険だったが、それでも尺度の一つであることは確かだ。
行列ができるところは、やっぱりおいしいところが多い。
でもなぜかラーメン屋さんや羊羹屋さんにまで行列ができている。
お前らわざわざ北の里にまで何しに来たのだ。
ここは肉を食うところだ。
なんやかんやといろいろなお店が見て取れたが、やはりというかなんというか、牛をモチーフにした看板を下げている店が多かった。
ペンキが白と黒だけで済むからかもしれないが。
そんな白黒に挟まれながら歩いていると、前方からも白黒がやってくるのが見えた。
「あ、魔理沙! やっほー!」
「お? よお霊……うわなにするヤメぐほぉ!?」
出会いがしらに飛びついた。
会うのは随分久しぶりだ。
「もう! 神社にも顔出さないで何やってたのよ、死んだかと思ったじゃない」
「あ、ああ、当たらずとも遠からずだ、ちょっと大けがしてな」
「ふーん」
「とりあえず退け」
馬乗りになりながら頬をグニュグニュと揉みしだく。
魔理沙の日常を考えれば、怪我くらい日常茶飯事なのだろう。
弱っちいくせに無茶な人生を歩んでいるのだ。
「しーんーぱーいーしーたーのー」
「わ、わがっだよ」
「ほんとにわかってんのー?」
たっぷりと頬を辱めてから開放した。
そしてため息をつきながら埃を払う魔理沙に聞いてみる。
あんたもメシ?
「くははは、この里に来る理由なんて1つしかねーぜ」
「よね」
やっぱり向こうも外食に来ていたらしい。
せっかくだからと2人で食べるところを探すことにした。
飯は道連れ世は情け。
「お前、金は?」
「さっきまでは無かったわ」
「……ああ、今日仕送りの日か」
「まーね、そっちこそ珍しいじゃない、あんた肉苦手じゃなかったっけ」
まさかラーメン食べに来たんじゃないでしょうね。
だったらここでお別れよ。
「今日は食うぜ、血が足りねえ」
「ふーん」
言われてみれば確かに血色はよくない気がした。
病み上がりなのだろうか。
でもそんなのは食えば治る。
「ていうかお前巫女服で来たのか、汚れるぜ?」
「いいのよ、普段着みたいなものだから」
「まあ、そうか」
そんなことを話しながらいい感じの店を探した。
いい加減お腹がすき過ぎて耐え切れそうになかったが、もうちょっとこうして歩きたいとも思った。
誰かと並んで歩くなんて、いつ以来だろうか。
妙にうれしくなってしまう。
「……なんだありゃ」
「む、いかがなされた」
「おい霊夢、あれを見ろ」
「はて、どれの事か」
「そのしゃべり方やめろ」
10時の方向、という魔理沙の言葉に従いそっちを向くと、1件のステーキ屋さんが見えた。
西洋チックな木造建て、何と言ったか、ログハウス? と言うんだったか。
そんな感じの小洒落た店に『ステーキの王将』という大きな看板がかかっている。
しかし、そんなことは問題ではない。
我々の視線は客引きをしている金髪のおねーちゃんに釘づけだ。
「なによあのスイカは」
おねーちゃんは牛の模様をしたダボダボの衣装をまといつつ、その胸部のハチ切れんばかりの脂肪の塊を誇示している。
それが道行く人に声をかけるたびに揺れる揺れる。
「美鈴よりでけえぜ」
「藍のより大きそうね」
はた、と魔理沙と目が合う。
お互い自らの知る最も大きなブツと比べていたのだろう。
まあ、私のはほとんど想像だけど。
「まさか牛の妖怪じゃないだろうな」
「さもありなん、あらためてみるべし」
「妖怪だったら退治ものだぜ」
「人里での労働はルール違反でありけり」
「……そんなことはなかったと思うが、そういうことにしておこう」
意を決した調査員2人は、自尊心の崩壊という内的危機を顧みず、知的好奇心と科学的探究心と一匙の嫉妬心に駆られながらも慎重に脂肪の塊に近づいて行った。
服はダボダボのくせにあちこち切れ込みが入っていて『中身』が見えそうで見えない。
無理やり確認してみたが、乳だけでなく、尻も太もももヤバかった。
ふざけんな。
「ハーイ、ガールズ! ランチは済んだ? うちのステーキは最高よ?」
おねーちゃんは気さくな笑顔で声をかけてくる。
なんて嫌味のない笑顔だ、危うく騙されそうになる。
「間近で見ると改めてスゲーぜ、何食ったらそうなったんだ」
「オー、ウィッチガール、うちで食べてってくれたらプロポーションの秘密を教えてア・ゲ・ル」
「……霊夢、いいかな」
「是非もなし」
僅かに照れたような魔理沙に、私は即答する。
3日ぶりの食事はここに決まった。
通されたテーブルで魔理沙と2人。
頼んだステーキを憮然とした顔で待っていた。
注文を取りに来たあのおねーちゃんに秘密を教えてくれと言い、耳元で色っぽく 『遺伝よ』 とささやかれたときはさすがにキレそうになった。
お前は誰を店に招いたのかわかってるのか。
私と魔理沙がその気になったら、こんな店4秒で灰にできるのよ?
「……」
同じように耳元で呪詛をささやかれた魔理沙は、苦虫をかみつぶしたような顔でうつむいてしまっていた。
「霊夢、すまん」
「……いいのよ」
プライドをへし折られた友の姿を見て、私も平静を取り戻せた。
いいのよ魔理沙、私も人の事言えないから。
「いただきます」
「いただきます」
しっかりと手を合わせ、食材に感謝する。
最近はこれを蔑ろにする馬鹿な子供が多いと聞くけれど、私が見る限り大人の方がやっていない気がする。
恥を知れ。
さっそくお肉へと取り掛かろうとしたら、魔理沙が懐からナイフとフォークを取り出すのが目に入った。
「……あんたマイ食器とか持参する派だったの?」
「いや誰が使ったかわかんねーじゃん」
「洗ってあるから大丈夫よ」
「気分の問題だぜ」
正直私の気分が害されたのだけれど、気にしないことにした。
この潔癖症め。
そのスープの皿はいいのか。
まあでもお肉はおいしかった。
トマト仕立ての不思議なソースは、和食がメインの私の舌にもよく合う。
空腹は最高のスパイスとはよく言ったものだ。
幸福を頬張りながら思う。
やはり牛は素晴らしい。
これ以上おいしいものがこの世にあるのだろうか。
それも食事を供にする相手が魔理沙だというから最高だ。
里のお偉いさんに囲まれての会食なんかじゃ、味もわからない。
それを思えばここみたいな『博麗の巫女』を知らない店も、ある意味では貴重な存在なのかもしれなかった。
まあ実際は、どこでだろうと私の態度は変わらないのだが。
そんなこんなで久方ぶりのお肉を思う存分に味わった。
普段は健康面と経済面に気を遣い大豆製品からしかタンパク質を摂取しない私にとって、重厚なる牛の脂身は犯罪的なまでの贅沢品だ。
染み込んできやがる。
食べ終わってからも軽く魔理沙と話し込み、あの心の薄汚い金髪おねーちゃんの尻に蹴りをかましてから店を出た。
あんな大人にはなりたくない。
それはともかく。
せっかく里まで来たのだから、ついでに生活用品も買い足していくことにした。
牛パラダイスにだって普通の店はある。
魔理沙、あんたも付き合いなさい。
私に見つかったのが運の尽きなんだからね。
◆
買い物を終え、帰路に就く。
魔理沙は仕事が入らなくて暇だというのでそのまま招待することにした。
帰りしなに買ってきたお茶を淹れ、縁側に2人で腰かける。
話題らしい話題が碌になかったので、どーっでもいいことを適当にしゃべった。
「んでねー、紫もそうだって言うのよ」
「くはははは、あのババアとうとう耄碌したか」
「最初っからあんな感じだったわよ」
「ま、そうかもな」
お茶を飲み干しながら魔理沙が笑う。
下らない話でもちゃんと合わせてくれるところが大人だ。
そして魔理沙は空になった湯呑を盆に戻し、私の方を見ずに呟いた。
「……霊夢、ちょっと運動しようぜ」
「うん? いいわよ?」
「身体、なまっちまったからな、肉も食ったし、リハビリだ」
そう言って魔理沙は庭に下りた。
そして指先をクイッと動かすだけで、帽子とホウキが魔理沙の手元に飛んでいく。
今のちょっとかっこよかった。
「手加減しないわよー?」
「ああ、上等だぜ」
言いながら空へと浮かび上がる。
追いかけるようにやってきた魔理沙と、空中で対峙した。
距離にして十と数メートル。
弾幕ごっこの間合いだ。
「境内壊すんじゃないわよ!?」
言葉をゴング代わりに弾幕を張る。
リハビリと言うのだから多少遅めにしてあげた。
「よっ、ほっ」
魔理沙も自分の動きを確かめるように右へ左へと弾幕を躱す。
言われてみればいつもより動きがぎこちない気もする。
「ほらほら、当たっちゃうわよー!」
「はは、来やがれってんだ!」
向こうも弾幕を張ってきた。
ここからが本番だ。
弾幕と言うのは面白い。
片方が撃つだけで、片方が避けるだけだと何とも単調なのに、撃ち合いになった瞬間その空気が変わる。
避けながら当てる。
向こうの動きを予想して逃げ道を塞ぎ、こちらの動きは読まれないようにジグザグに飛ぶ。
そんな不安定な姿勢のまま相手を見失わず、相手の死角へ死角へと回り込む。
人間の身体はもともと空を飛ぶようになんてできていない。
三半規管の悲鳴を聞きながら、3次元の動きで相手の隙を突くのだ。
その様子を横から見ると、獣同士が喉笛を狙い合っているようにも見える。
しかしそれでいて美しくなくてはならない。
簡単じゃあないのだ。
「うむ、快調なりけり、いまそがり」
繰り出す弾幕の数が増した。
魔理沙も調子が出てきたようだ。
避け合い、狙い合い、回り込み合い、探り合う。
状況に合わせて戦略を次々と切り替えなければ、たやすく撃墜されてしまう。
相手が次に何をするか、その読み合いが楽しかった。
十数分の後、至近距離で私が魔理沙に符を向け、魔理沙が私に八卦炉を向けたところで戦闘は終了となった。
「絶好調じゃない」
「ああ、いい汗かいたぜ」
笑顔で言う魔理沙に、ちょっと疑問に思ったことを聞いてみた。
「……ねえ魔理沙」
「うん?」
「あんた手加減した?」
「そりゃするさ、神社壊れちまうよ」
「……それもそうね」
八卦炉を使わなかったのはわかる。
普段も私とやるときは使わないし、やみくもにぶっ放すものでもないのだろう。
でもそうじゃないのだ。
なんか、手を抜いているというか、気を抜いているというか。
全然、本気じゃないような、そんな気がする。
意に反して見せてしまった隙を、何度も見逃された気が。
「むー、やっぱり釈然としないわ」
「リハビリで勝ちに行ってどうするんだぜ」
「うーん」
なんか騙されている気がするが、まあいいか、騙されてやろう。
一息ついて、新しいお茶を淹れてきた。
出がらしだけれども、まだ飲める。
「お、さんきゅ」
「たんと味わうがいい」
「……それは食事の時のセリフじゃないのか?」
「さもありなん」
「……」
細かいことを言う魔理沙は無視して、裏手にある薪置き場を確認しに行く。
うん、この間いっぱい割ったからまだある。
「お風呂入ってくでしょー!?」
「なんだって!?」
「お風呂ー!!」
ここからでは聞こえないのか、仕方ないのでいったん戻って聞くことにした。
「お風呂入ってくでしょ? 薪準備するから軽く洗ってきてよ」
「あー、ありがたいがやめとくぜ」
「えー? 汗臭くなっちゃうわよ?」
「誰に会う訳でもないしな」
「ふーん」
そういえば魔理沙が誰かの家で風呂に入るところを見たことがない。
それどころか誰かが家にいると自宅でですら入らない。
どんだけ恥ずかしがり屋なんだ。
それとも風呂嫌いなのか。
「じゃあ日も暮れるし、そろそろあたしは帰るぜ、リハビリ付き合ってくれてありがとな」
「うん、またねー」
「ああ、またな」
お茶を飲み終えもうひと休みし、魔理沙は森に帰っていった。
その姿になんとなく違和感を覚えたが、深く気にはしなかった。
「……さて」
湯呑みを片付け、縁側を後にする。
1人になった瞬間、急に神社が広く見えた。
「……」
自分しかいない神社は広い。
それが博麗の務めだとわかっていても、時々無性にさびしくなる。
里の人たちをうらやましいと思ったことも1度や2度じゃない。
私だって、普通の人生が欲しかった。
それを忘れさせてくれるのは魔理沙だけ。
魔理沙だけが『博麗の巫女』ではなく『私』に会いに来てくれる。
「……」
気が付いたら魔理沙が帰って行った方角をじっと見つめていた。
本人はとっくに見えなくなっているというのに。
我ながら女々しいことをしていると自覚しながらも、しばらく空を見ていた。
次に会えるのはいつだろうか。
なんなら魔理沙じゃなくてもいい。
次に誰かに会えるのは、いつなのだろうか。
「……明日の買い出しの時よね」
冷静に自分にツッコミを入れ、洗い終わった風呂釜を水で流した。
加熱釜に水を入れ、着火用の符を持って薪置き場に戻る。
ポリポリ頭を掻きながら薪を見繕っていると、黒いトンガリ帽子が茂みに引っ掛かっているのが目に入った。
撃ち合いの最中に落としたらしい。
「まったく」
ため息交じりに拾いあげる。
さっきの違和感の正体はこれか。
ダメじゃないか、トレードマークを置いて行ったら。
「……是非もなし」
私はその帽子をかぶり、ボイラーに薪を放り込んだ。
どうやら、またすぐにでも会えそうだった。
◆
「なんか、眠れないわね」
のっそりと起き上がる。
時計を見ると午前2時を指していた。
乙女としては寝ておかないといけない時間だったが、不思議と眠気は無い。
ご飯も食べて運動もしたのに……異変の前兆だろうか?
「……」
まあ、別に明日の予定があるわけでもないし。
ちょっと夜更かし、散歩にでも行こうかな。
「うふふ」
寝間着からいつもの巫女服に着替え、部屋の端に転がしていた魔理沙の帽子を手に取った。
鳥居越しに、空を見上げる。
今宵の空には月が出ていない。
月の出ていない夜は好きだ。
「……」
世の妖怪どもはみんな月が好きらしい。
強い奴も弱い奴も、人型も獣型も。
みんなみんな、夜空と言えば月だという。
「……愚かなり」
ふわりと空に浮かびあがり、空中に寝そべって空を仰ぐ。
本日は快晴、遮るものは何もない。
視界いっぱいに広がる満天の星空は、私だけの世界だ。
「……」
いつ見ても素晴らしい。
夜空に散らばるこの光は、何百万年も前の光がやっとのことでここまでたどり着いたものだと紫が言っていた。
ホントかウソかはわからなかったが、どちらにせよ、途方もない話だ。
そのスケールの大きさを考えるたびに、私は自分の小ささを痛感する。
真上に広がる星空は、何百万年も前からずっとこうで、何百万年あともずっとこうなのだ。
魔理沙の帽子を浅くかぶりながら、この世で最も美しい景色をいつまでも眺めていた。
やっぱり月なんて無粋なだけだ。
肝心の星が、見づらいじゃないか。
「~♪」
どれだけそうしていただろう。
背泳ぎの格好でふよふよと漂っていたら、綺麗な歌声が聞こえてくるではないか。
同時に鼻孔をくすぐる香ばしい香り、屋台でもあるのだろうか。
ぐるりと体をひねって地上を見下ろす。
帽子が落ちそうになったが、何とか空中でキャッチした、元気な帽子だ。
「~♪」
歌の出処を探り、ひらりと華麗に着地する。
魔法の森の端っこにその屋台はあった。
ボーっとしているうちに結構遠くまで飛んでいたようだ。
「こーんばんは」
「へい、らっしゃい」
と、元気に返事をしたのは鳥の妖怪だった。
ここは妖怪のお店なのか。
客はどうやら1人しかいないみたいだ。
しかしその客は飲み潰れたのか、カウンターに突っ伏して寝息を立てていた。
横にごろごろ転がっている空き瓶は、全部この妖怪が空けたのだろうか。
「どうだいおねーさん、今日はいい酒が……え?」
鳥の妖怪は私を、というか私の服装を確認すると、持っていた酒瓶を取り落してしまう。
ガシャン、と言う音が響いた。
……まあ、こういうのは慣れている。
妖怪は私を見ると、みんな似たような反応をするからだ。
「は、博麗……?」
「そーよ」
鳥はあっちゃー、とでも言いたげに額を抑えて天を仰ぐ。
なんかむかついたから寝こけている妖怪の隣にどっかりと腰を下ろした。
帰る気はないわ。
「あー、いらっしゃい、未成年に酒はでねーぞ、つーかなんだその帽子」
「何よ、飲めないわけじゃないわよ」
「……梅酒にしとけ、な?」
と言って鳥は落とした酒瓶を片付けると、大げさなサイズの瓶を取り出した。
中には山盛りの梅が沈んでいる。
その瓶を鳥がぐるぐると軽くかき回すと、中で水あめのようなものが慌ただしく漂うのが見えた。
「あら、自家製?」
「まあな、何度くらいなら飲める?」
「ストレートでよこしなさい」
「……だーめ」
グラスにほんの少しだけ注がれた梅酒が、多量のお湯によって割られていった。
「入れ過ぎよ、しかもなんでお湯割りなのよ」
「今日はちょっと涼しいからな」
ほらよ、と出してくれた梅酒を手に取った。
手の中のお酒も、熱いというよりは温かいと思える温度だ。
暦の上ではともかく、まだ秋と言えるような季節ではなかったが、確かに今夜はちょっと冷える。
思いのほか気の利く奴だ。
「……こやつ、できおるのう」
「あん?」
梅酒に口をつけた。
……うん、おいしい。
「思ったより味するわね、あんなに割ったのに」
「梅酒ってのはな、度数は40度くらいで作るんだよ」
「え? これそんなに強いの?」
「だから味も濃い目に作っとくの、どうせ割るからな」
「へぇー」
「……ほら、お通しだ」
そんな梅酒トリビアに感心しているところに、ウナギのかば焼きとお肉の串焼きが出された。
どっちも熱々だ。
「おお」
その匂いを嗅いだ瞬間、どこからともなく、ぐぅ、という音が聞こえた。
今宵の腹の虫はよく唸りおる。
「おいしそうだけど、お昼牛肉だったのよね」
「あ、そうだったん? 北?」
「北」
もう『北』で通じるらしい。
それほどまでにあそこは牛パラダイスだ。
「あそこで運送業やったら儲かるんだろうなー」
「……知らないわよ」
芋煮やら筍やら山菜の天ぷらやら。
頼みもしないのに次々出てくる肴をほおばり、ちびちびと梅酒でのどを焼く。
この鳥に旬だとかなんだとかの概念は無いようだったが、その料理のどれもが私が作るよりはるかにハイレベルな出来だった。
「おいしいわ、あんたすごいじゃない」
「きひひ、そりゃどーも」
博麗御用達だな、と苦笑いする鳥をからかうと、その度になんだよやめろよといちいちリアクションを返してくれる。
それが面白くてつい意地悪してしまう。
どうやらこの鳥は、良い妖怪のようだ。
時間を忘れて駄弁っていると、酔いつぶれていた妖怪がうめき声をあげた。
「……うーん」
「あら、起こしちゃった?」
「…………うおっ!? 博麗!?」
私の顔を見て酔いが吹き飛んだのか、その妖怪は転げ落ちるように席から離れる。
しかし目をつぶったまま周囲をキョロキョロ見回すという意味不明な行動をとる辺り、やっぱりまだ酔っぱらっているらしかった。
「……異変、じゃないよね」
「散歩よ」
「……そうかい、なんで魔理沙みたいな帽子かぶってんのさ」
「本人のよ」
「あっそ」
はぁー、と大きなため息をつくと、その妖怪は元いた席へと戻った。
「あんまり遅くに出歩くもんじゃないよ」
「うるさいわね」
「今日結構寒いだろうに、風邪ひいちゃっても知らないからね」
「あんたは私のかーちゃんか」
頭から触角を生やした酔っぱらい妖怪は、生意気にもこの私に説教がしたいようだった。
「こわーい妖怪も出るしな」
鳥の方も合わせてくる。
うぜぇ。
「ふん、上等よ、まとめて退治してあげるわ」
「はいはい」
「きひひひ」
しかし2人は生返事をするばかりで、まともに取り合おうとしていない。
なによ、ほんとだかんね。
憤慨する私をよそに、妖怪どもはいかにも上機嫌そうだ。
それがムカついたので、目の前の料理にがっつくことにした。
ふーんだ。
「ふふふ、あ、ミスちー、焼酎ぬる燗で」
触角野郎は私に敵意がない事に安心したのか、酒の追加を注文した。
酒盛りを再開する腹らしい。
しかし鳥の女将さんはやれやれとため息をつく。
「今日はもうだめだ、何杯飲んだと思ってんだよリグル」
「寝たらリセットさ、ほら博麗も頼みなよ、一杯奢るよ?」
「え? いーの!?」
「おいおい」
どうやらこの触角君も良い妖怪らしい。
カウンター越しに勝手に一升瓶を取り上げ、自分のだけでなく私のコップに向かっても傾けてくれる。
僅かに赤みがかった芋焼酎が、トクトクと音を立てながら注がれていった。
ありがたくいただくとしよう。
タダよりうまいものは無い。
「お前それ30度くらいあるぞ」
「そんくらい大丈夫でしょ? ねぇ博麗」
「当然よ!」
「……しーらね」
グイとコップを傾ける。
そして先ほどの梅酒とは比べ物にならないほどのアルコールがノンストップでのどを焼き、体験したことのない衝撃がこの身を襲った。
むせた。
「ゲッホ! ウェッホ! ゲッホ!」
のどが痛い。
鼻が痛い。
心が痛い。
「あーもー、言わんこっちゃねえ」
「あっはははははは!」
「笑ってんじゃねーよリグル」
「ゲッホ、ゴホッ!」
「ったく、酒慣れしてねーくせにそんな飲み方すっから」
こ、これが酒か。
甘酒とお神酒くらいしか飲んだことがなかったが、モノホンの酒とはこんな味だったのか。
未知との遭遇。
この感情を言葉に表すのは難しかった。
一言で言うと『キツイ』。
「うぐぅ、クラクラするわ」
「水飲め、水」
咳き込んだ拍子に転げ落ちた帽子をかぶり直し、入れてくれた水を胃に流し込む。
いくらかマシにはなった。
「大丈夫か?」
「うー」
「あははははははは!! だっせぇ!」
すぐ横で触角野郎がゲラゲラと笑い転げる。
やはりこいつは悪い妖怪のようだ。
「……ちょっと深酒してんだ、悪く思わないでやってくれ」
「えー?」
これあげるから、と本日2枚目のウナギのかば焼きが私の前に出される。
さっきと違って今度は七味からし付きだ。
そんなもので私が釣れると思ったら大間違いよ。
「くっそー、おいしいわね」
「あー面白かった、あ、ミスちー僕もウナギ1枚」
「あいよ」
やわらかいウナギの身を頬張りながら、横の妖怪を睨んだ。
散々笑いやがって。
今度会ったら退治してくれる。
「お覚悟召されよ」
「うん?」
「是非もなし」
「うんうん」
適当に相槌を打ちながら、向こうも自分のウナギに噛り付く。
身をほぐすことなく、箸で掴んで豪快に食している。
なんとも贅沢な食べ方だ。
「おいしい?」
「最高だよ」
「きひひひ」
上機嫌に頬を緩める鳥に、触角野郎がさらに酒を注文する。
さっきの分は私がむせてる間に飲んでしまったらしい。
妖怪はみんな酒に強いのかしら。
「日本酒ある?」
「あるけどダメ、飲み過ぎ」
「ちぇー」
「ほら、こっちにしとけ、博麗も」
「……なにこれ?」
「お、コーラじゃん」
パキョっといい音をさせて、鳥がビンの蓋を捻じり切った。
そんな開け方していいのか。
「~♪」
新しいコップに黒い液体が注がれる。
シュワシュワと音を立てながら泡を立てるそれは、とても飲み物には見えなかった。
「……黒いシャンパン?」
「冷やした方がうまいんだけどな」
アルコールは入ってないよ、と2人分をよこし、鳥はまた違う肴を作り始めてしまった。
「……」
なんとなく抵抗感がある。
墨汁ではなかろうか。
ちらりと横を見ると、触角野郎は当然のようにコップに口をつけている。
行くしかないか。
「……あら、おいしいわね」
「だろ?」
「でしょ?」
と、前と横から声が飛んでくる。
なんか悔しい。
「黒いのに甘いとは思わなかったわ」
「里でも売れ筋らしいよ」
「ふーん」
「居酒屋でも喫茶店でもちょろちょろ見かけるし、一般家庭にまで卸売りされてるんだ」
「へー」
「ま、紅魔館系列の所だけだけどね」
触角野郎が得意げに語る。
さも『私情勢に詳しいですよー』と言わんばかりの口調は非常に不愉快だ。
あてつけか。
「悪かったわね、世間知らずで」
「……博麗は歴代そんな感じだよ」
「会ったことあんの?」
「君の1個前とその前はね」
「ふーん」
「肉じゃができたぜー」
空いた皿を片付けながら、新たな料理が追加された。
大変おいしそうで結構なのだけど、ここの店は頼まなくても料理が出てくるのか。
楽っちゃ楽だけどそんなに持ち合わせないわよ。
「……」
ハフハフと糸こんにゃくを頬張っている触角野郎を覗き見る。
今まで気付かなかったが、底辺妖怪の割にはいい身なりをしていた。
金持ってそうだ。
コイツにたかるとしよう。
最悪カツアゲしよう。
「でもこのジュース輸入禁止になるんだよね」
「え? マジでー?」
「ウォッカ割るのにちょうどいいんだけどね」
ジャガイモを崩しながら触角野郎が言う。
何でだろう、せっかくおいしいのに。
「なんかものすごい量の砂糖が入ってるんだって、依存性も高いらしいし、里のお茶屋が悲鳴あげてるし」
「制限じゃなくて完全に禁止?」
「うん、販売目的のやつはね、個人で大結界越えられる人が自分で飲む分にはいいんだって」
「それ誰情報だよ」
「パチュリーさんだよ」
「お前まだ紅魔館に出入りしてんの? あぶねーからやめとけって」
「吸血鬼が怖くて商売ができるか」
「……まあ、人の事言えねーけどさ」
また紅魔館か。
やっと思い出した、湖の近くにある赤い城だ。
超のつく危険人物が徒党を組んでいるとたまに聞くが、異変解決に乗り込んでった時にはそんな感じはしなかったと思う。
というか輸入やってることも初めて知った。
たぶんこの店も酒とか食材とかを頼っているのだろう。
もはや幻想郷内でも輸入品に頼らなければやっていけないのか。
「今のうちに買っといた方がいいのかなー」
「僕はもう買ってある、コーラとサイダー1000本ずつ、高騰したら売り抜けてやる」
「……お前これ1本いくらすると思ってるんだよ」
「大量購入で割引きしてもらった、パチュリーさん大好き」
「お前ってやつは」
触角野郎は生き生きとした表情で語る。
商売かー。
博麗の巫女には無縁な話だけれど、やってる人は本当に楽しそうだ。
失敗して首をくくったなんて話もよく聞くのに、それでも誰もやめようとしない。
それほどまでに魅力的なのだろうか。
「……」
食べていけるだけあればいいじゃん、と言おうと思ったがやめた。
一応ぎりぎり公務員と言えなくもない私は、巫女として修業なり退治なりをしていれば食いっぱぐれることはない。
そんな存在がそれを言うのは卑怯だと思う。
いくら妖怪相手でも、流石に失礼が過ぎると思える程度には私は大人だ。
「ボーダー商事復活しねーかなー」
「無理だよ、人いないもん」
「吸血鬼のせいじゃん」
「……まーね」
というかさっきから全く話に入れない。
ボーダー商事ってなんだっけ、紫が昔やってたやつだっけ。
下らない話ならともかく、難しい話に入れないのは若干悔しい。
私も少しは勉強しないとダメなのだろうか。
里のお偉いさんはその辺まったく教えてくれないし。
無理やりでもいいから飛び込んでいけば、少しは教養付くかしら。
「ねえねえちょっと触角」
「……うん?」
「紫と吸血鬼って仲悪いの?」
せっかくなので前から思っていたことを聞いてみた。
私から見るとそんなでもないように見えるのだけど、里でたまにそんな話を聞く。
主に魔理沙からだけど。
「とりあえず管理者を呼び捨てにするな」
「いいのよ、うるさいわね」
「……一応表向きは和解したことにはなってるよ」
「表向きだけ?」
「今でもたまにいざこざあるしね、ほら、この間も守矢のとこの講演会で騒ぎがあったばっかりでしょ」
あったでしょと言われても、そんな話は初めて聞いた。
それ以前に講演会ってなんの講演会よ。
ていうか守矢ってなに?
「……そうね、あったわね」
「なんか無理してない?」
「全然?」
「そう、でもこの前藍さんとパチュリーさんが並んで歩いてるとこ見たんだよね」
「ちょこちょこ名前上がってたけどそのパチュリーって誰? 紅魔館の人?」
「そうだね、魔法使いの人だ」
魔法使い。
じゃあ魔理沙の仲間か。
「何してるのかと思ったら大結界の修復してたんだよ、2人してさ」
「……おいリグル、それって」
「うん」
それまで黙っていた鳥が口を挟んだ。
さっきまでと打って変わって真剣な表情だ。
禁じられた恋とか言おうと思ってたが慌てて取りやめた、そんな雰囲気じゃない。
「輸入業交代したことといい、なんか『引き継ぎ』っぽいよね?」
「……」
「……」
引き継ぎ?
触角野郎のその言葉に、私は昨日のことを思い出していた。
何か言おうとしていた鳥を遮り、私は身を乗り出した。
「うちのさ、博麗神社の生活費って毎月紫から貰ってたんだけど、来月から紅魔館に変わるのよ、それも関係ある?」
「呼び捨てにすんなっつってんだろ! 2回目だぞ!」
「今はいいでしょそんなの!」
「おいおい、落ち着けよ2人とも」
語気を荒げる触角野郎をなだめながら、鳥は2杯目のジュースを出してくれる。
苦々しげに一気飲みする姿を見ながら、私も自分の分を飲んだ。
なんだこいつは、せっかく人が情報あげようとしてるのに。
「……まあでも、それが本当ならいよいよ現実味を帯びてくるね、交代劇」
「私らどうなっちまうんだ?」
「歴史的瞬間ね」
「博麗も他人事じゃねーだろ」
「私のやることは変わらないわ」
「……ねえ博麗」
触角は空になったコップを指先で弄び、表面に付いた水滴をすくって舐める。
たったそれだけのしぐさが、なんだか妙に堂に入って見える。
「紅魔館の方針によっては博麗のあり方も変わるかもよ? 無くなりはしないと思うけど」
「知らないわよそんなの、あいつらの都合なんて関係ないし」
「説得するより代える方が早い、そう思われたらアウトだよ、僕はどっちでもいいけどさ」
「どういう意味よ」
「わかるだろ?」
「……」
わからないわけじゃない。
でも納得はいかない。
何で私があいつらの機嫌を伺わないといけないのよ。
誰にも媚びず、へつらわず、あるがままに自然体なのが博麗の巫女よ。
「わがままとでもなんとでも言うがいいわ、自由じゃなけりゃ巫女じゃないのよ」
「……あっそ、こりゃ次の代にもすぐ会えそうだ」
「何ですって!?」
「まあまあ、喧嘩すんなって」
鳥がまた仲裁に入って来たが、私は無視した。
この野郎は完全に私を舐めきってやがる。
「連中と喧嘩になったって、そう簡単に負けやしないわ! 吸血鬼だろうが紫だろうが逆にボコボコにしてやるんだから!」
「……ぁあ゛?」
おい馬鹿やめろ! という鳥の叫び声が聞こえた瞬間、顔面に衝撃を受けた。
すっ転ぶように吹き飛ばされ、泥まみれになりながら地面を転がる。
「……っ」
鼻が折れたらしい。
ドバドバと盛大に鼻血を噴きながら、それでも立ち上がろうと試みた。
何が起こったのか把握するより先に、反射的に身体が動く。
目がチカチカした。
「3回目だぞ博麗ぇ」
「あー、もう! 酒が入るとすぐこれだ」
怒りに顔を歪める妖怪。
額に手を当て空を仰ぐ鳥。
吐き出される妖力。
ガシャンという音。
宙を舞う帽子。
満天の星空。
次々と移りゆく認識の中で、最も重要なものを巫女の勘が選定してくれた。
とっさに転がる。
1秒前まで自分がいた空間に、割れた酒瓶が突き刺さった。
「ふんっ」
思い切り鼻をかみ、鼻血を吹き出す。
もう止まった。
「あんた! 覚悟はできてんでしょーね!」
「黙れ人間」
立ち上がりながら懐をまさぐる。
霊撃用の符が数枚。
コイツ1人ならこれだけで十分だ。
一応持ってきておいて正解だった。
「管理者を、呼び捨てに、するな、つってんだよ」
「はぁ? あんたらにとっちゃ大ボスでもね、こっちにとっちゃボス猿にすぎないのよ!」
「……貴様」
「存在が迷惑なんだから!」
じゃり、じゃり、と妖怪は靴を鳴らしてまっすぐに距離を詰めてくる。
馬鹿かこいつは、命が惜しく無いのか。
負けるとわかって挑むのか。
そんなに紫が好きなのか。
それとも何か、博麗の巫女に敵うと本気で思っているのか。
いずれにせよ、馬鹿めとしか言いようがない。
馬鹿は早死にするだけだ。
一発で終わらせてやろう。
「二重けっ……」
符を構えた瞬間、足に激痛が走った。
「いった!」
見ると、ちょっとした子犬くらいありそうな真っ黒いカマキリが私の足首にカマを突き立てていた。
出血はほとんどなかったが、カマがガリガリと引っかかって痛い。
「いったたた!」
慌ててカマキリを蹴飛ばし、親玉の方へ向き直る。
どうせあいつの眷属か何かだろう、元を断てばいなくなると相場は決まっている。
「どこ見てんだ」
「っと!」
気が付いたら目の前に敵がいた。
慌てて飛びのこうとしたが、向こうの蹴りの方が速かった。
鳩尾を蹴り上げられ、私の身体は再び宙を舞う。
瞬間的に息ができなくなり、碌に受け身も取れなかった。
「立てよコラ」
お腹を抱えてうずくまる私に、妖力を纏った蹴りが飛んでくる。
身体の中身をビクビクと痙攣させつつ、向かってくる靴底をなんとか躱した。
「……おぇ」
血の混じった唾をそこらに垂らしながら、震える足に鞭打って立ち上がる。
膝が今にも砕けそうにがくがくと揺れたが、向こうは待ってはくれなかった。
「わきまえろよ、な?」
「ぐえっ」
喉を掴まれる。
その手をひっかいてはみたが、頑丈な妖怪の皮膚には傷の1つもつけられない。
そのまま持ち上げられる。
呼吸を止められ動けなくなった私は、せめてもの抵抗に巫力を放出した。
じゅうじゅうと音を立てて向こうとこちらの力が打ち消し合うが、それでも私の身体は持ち上げられたままだ。
こいつは単純な腕力だけで、人ひとり持ち上げられるのか。
「……かはっ」
「……」
あまりにもあっけなく目の前が真っ暗になり、いよいよ本気で死を覚悟した時。
不意に重力が戻ってきた。
「よう、何やってんだ」
「……ちっ」
「ゲホッゲホッ、ゲホッ」
足から落ちたにもかかわらず、身体を支えられずにしたたかに背中を打つ。
肺の望むままに呼吸を繰り返すうち、何とか意識がはっきりしてきた。
ふと見上げれば、寝転がって咳き込む私を、1人の人間が見下ろしていた。
「おら、何してんだって聞いてんだよ」
「あ? 何って、ほら……人質?」
ゴリ、と妖怪が私の頭を踏みつける。
しかし相対するその人物は、余裕を崩すことなく指をクイッと動かす。
すると私がさっきまでかぶっていた帽子が、主人の元へと飛んで行った。
「魔理沙逃げて! こいつ普通じゃないわ!」
踏みつけられた体勢のまま、あらん限りの声で叫ぶ。
たぶん届いてはいるだろうに、魔理沙は私の言葉を信じてくれなかった。
こいつは見た目よりずっと強いの。
お願い、気付いて。
「寒い真似してんじゃねーぜ、害虫風情が」
「なら燃やしてあげようか? クソガキが」
あっそ、と魔理沙はすでに取り出していた八卦炉を鳥の妖怪に向けた。
頭に乗っかっている足をどけて鳥の方を見ると、避けるでも逃げるでもなくただやれやれと肩をすくめているだけだった。
「こっちも人質だ」
「じゃあ交換ね」
それだけ言い、触角野郎はあっさり私から離れる。
訳がわからず放心する私をよそに、頭をぼりぼりかけながら鳥の方に向かっていってしまった。
訳がわからない。
「なんか萎えちゃったよ」
「お前巫女苛めておっ勃ててたのかよ変態じゃん」
「黙れ駄雀」
「でも大丈夫、私受け止められっから」
「黙れと言った」
魔理沙の方も、もう済んだと言わんばかりに八卦炉を降ろし、私の方へと歩み寄ってくる。
意味がわからない。
「よお、怪我してないか?」
「う、うん」
意味がわからないまま手を借りて立ち上がる。
あちこちがズキズキと痛んではいたが、魔理沙に泣き言は言いたくなかった。
俯く私の頭を軽く撫で、魔理沙はさっきの妖怪たちの方に向かっていく。
向こうも向こうで酒盛りを再開していたらしく、もうさっきまでの戦いの空気はどこかへと行ってしまっていた。
どうなってるんだ。
「よお」
「……なんだまだいたの?」
「霊夢の分は私にツケといてくれ」
「僕の奢りだよ」
「博麗から金なんてとらねーよ」
「はは、悪いぜ」
「とっとと消えてよ、食っちゃうよ?」
「……じゃあな」
遠くてよくわからなかったが、おおよそそんなやり取りが聞き取れた。
魔理沙は妖怪どもに背中を向けて歩み寄ってくる。
そしてまた指をクイッと動かすと、そこらに立てかけてあったホウキが手元まで飛んでいった。
「……帰ろうぜ」
「……」
「乗りな」
「……うん」
古びたホウキに2人乗りし、私たちは夜空へと飛び上がる。
神社に向けて進むにつれて、眼下に見えていた屋台の明かりが少しずつ小さくなっていった。
◆
ホウキの後部座席に乗りながら、魔理沙のお腹に手を回す。
揺れることはなかったが、座っているところが硬くてちょっと痛かった。
私は振り落とされないように注意しながら、魔理沙の背中に頭を寄せた。
「怖かったな、もう大丈夫だぜ」
「よく、都合のいいタイミングで来れたわね」
「あー、この帽子な、家のカギになってるんだよ」
「そうなんだ」
「しかも発信機も付いている」
「……ふーん」
つまりあれか、こんな夜中までどこかで道草食っていたのか。
「あいつ、メチャクチャ強かったんだけど」
「あー、まあ、喧嘩慣れしてるだろうしな、場数が違げーんだろ」
「吸血鬼はもっと弱かったわ」
「……」
「天狗も、鬼も、神様も、みんなあいつより弱かったわ」
「……」
魔理沙は答えない。
ただ黙って、ホウキを操縦する。
「ねえ、魔理沙」
「……んー?」
「私って弱いの? みんな手加減してたの?」
「……霊夢」
魔理沙は言葉を切る。
魔理沙はいつも、言いにくいことがあると名前だけ呼んで黙ってしまう。
でも、今日は誤魔化さないでほしかった。
「……お前がやってきたのは弾幕ごっこだ、『遊び』だ」
「あそび?」
「そうだ、だがさっきのは喧嘩だ、紙相撲と殴り合いくらい違う」
「……あの触角って強いの?」
「明らかに下から数えた方が早ええ、だが最底辺じゃねえな」
「中堅ってやつ?」
「やや下かな」
「そう」
あれで、中堅やや下。
私が今までやっていたことは遊び。
本気を出されたら、私はそれ以下。
そんな事、信じたくなかった。
「魔理沙は? あいつらに勝てる?」
「ボロ負けもしねーが、楽勝じゃねーな、不意打ちした方が勝つ」
「そう、じゃあ、魔理沙が巫女やってよ」
「……」
「ううん、もう、巫女とかいらないじゃん」
無意識に腕に力が入っていた。
結構強く締め付けられているはずなのに、魔理沙は文句ひとつ言わない。
それがなんか、悔しかった。
「博麗の巫女ってなんなのよ」
「……あれだよ、妖怪が人を食うように、人も妖怪を倒すんだ、その『倒す係』が博麗だ」
「なによそれ」
「よく知らねーが、無抵抗な人間は不味いらしいんだ、ほんとかどうか知らんけど」
「……眉唾ね」
「稗田んとこの歴史書読ましてもらったんだがな、一時期あったらしいぜ、人食い宗教ならぬ人食われ宗教」
「宗教?」
「『妖怪に食われることは名誉なことだ』みたいな教義をガキのうちから刷り込むらしい、向こうからすればこんなに簡単なことはねえ」
最悪だ。
なんだそれは。
「だが頓挫した、そういうのを食っても満たされないらしいぜ」
「……」
なんとなく読めてきた。
人間の方から喜んで食べられるのもダメ、無抵抗なのもダメ。
あくまで希望と喜びを持って生活している人間を、力ずくで奪わないと満たされない。
そんな身勝手で最低最悪な欲求を満たすために工夫するうち、今のこの形に落ち着いたのか。
つまり。
「私は、異変は、『妖怪倒してますよー』『人間強いですよー』っていうパフォーマンスなの? だからみんな手加減してるの? 間違って私が死なないために?」
「……平たく言うと、そうなるな」
「……」
「細心の注意を、払ってるんだろう」
嫌がって欲しい。
抵抗してほしい。
その為の希望が巫女。
妖怪を討つ者。
歴代の博麗は、そんな事のために居たって言うのか。
「……」
私は魔理沙の身体を離し、中空へと身を躍らせた。
慌ててブレーキをかける魔理沙と向き合い、その場に制止する。
不意に風が頬を撫でできたが、ぬるいとも涼しいとも感じなかった。
「……まだ痛むだろ、乗ってろよ」
「魔理沙、あんたはどうなのよ」
最初は、面白半分に付いてきてるのだと思っていた。
でも、そんな訳はない。
私が遊んでいる横で、こいつは本気だったってことだ。
「あんたも手加減してたのね」
「……あー」
「言い訳はいいわ」
私1人、道化。
事情を知らない、小童。
それがどうしても、許せなかった。
「魔理沙、私はこれから紅魔館に行ってくるわ」
「は?」
「そんでそこの連中を一人残らずぶっ飛ばしてくる」
「……おい」
「そこが終わったら次は山よ、天狗も河童も容赦しないわ、全員沈めてやる」
「あー、黙ってたのは悪かったぜ、私も言っていいのかどうか判断付かなかったんだ」
「決めたの、私は今から妖怪退治に行ってくる」
「……霊夢、いい加減にしてくれ」
「止めたいんなら止めればいいでしょ!!」
声を張り上げる私を、魔理沙は冷静な目で見つめていた。
自分でも、自分の声が湿っていることがわかる。
今だけは、鏡を見たくなかった。
「私は本気よ」
「……やれやれ」
私は少し、距離を取った。
十と数メートル。
弾幕ごっこの間合いだ。
魔理沙はホウキの上に立ち上がると、自分の胸辺りに手を触れる。
ポンと音がしたかと思うと、魔理沙の衣装が変わっていた。
グレーっぽいラフな格好から、白黒の正装へ。
キザな少女から、妖怪退治屋の魔法使いへ。
「死ぬにはいい日だ」
帽子の位置を整えながら、魔理沙は構えた。
今の魔理沙はきっと、優しくなんてない。
それでも、戦わなくちゃいけなかった。
そう思った。
これからも友達でいるために。
◆
魔理沙は動かない。
霊撃用の符は4枚。
無駄撃ちはできない。
弾幕ごっこじゃない、本気の勝負。
避けてもらうための弾幕は、そこにはない。
どれほど時間がたっただろう。
私と魔理沙は向かい合って対峙したまま動かない。
夜風に揺られてふわふわと揺れる髪を見ているうち、段々と魔理沙の存在が希薄に感じられるようになってきた。
不可解だ。
様子見にしたってなんだって、いくらなんでも動かなさすぎじゃないだろうか。
まさか……
「よお」
『すぐ耳元』で聞こえた魔理沙の声に反応し、振り向きざまに符を放つ。
「しまっ」
間に合うとは思えなかったが、何もしないよりはマシだ。
しかし振り返った先に魔理沙の姿は無く、放った符はむなしく宙を舞った。
「った!!」
慌ててもう半回転。
360度グルリと回転する時間は、魔理沙にとってあくびが出るほど長い時間だったのだろう。
目の前に迫った何かを認識する間もなく、額に堅い何かがぶち当たった。
衝撃で体勢が崩れる。
視界の端に映ったそれは、魔理沙のホウキだった。
これだけ射出して、ぶつけてきたらしい。
グルグルと回転する視界の中で、魔理沙の姿を探そうとする。
でもその姿をとらえるより先に、のど元に冷たい感触が走った。
「王手だ」
「……う」
耳元で魔理沙の声が聞こえた。
今度こそ本物だろう。
片手で私をがっちりとホールドしながら、油断なく首元にナイフを突きつけている。
完敗だった。
瞬殺だった。
「なによ、やっぱり強いんじゃん」
「……伊達に5年も魔女やってねーよ」
声だけ飛ばすなんてわけねーぜ、そう言って魔理沙は私を開放してくれる。
よく見たらその手に持っていたのはナイフじゃなくてスプーンだった。
こんなところでもマイ食器か。
ていうか5年って、私の巫女歴より短いじゃないの。
それ以前に5年やそこらで魔法って使えるものなのだろうか。
私が空とか飛べるようになったのって、割と最近よ?
「……これは私見だがな、紫はビビってんだよ」
再び魔理沙のホウキに乗せてもらい、神社へと帰る。
額の血はとっくに止まっていた。
「紫が? 何に?」
「里の人間に、だ」
「まさか」
乗せてもらいながら、魔理沙の持論を聞くことになった。
全ての里を飛び回り、妖怪のねぐらに侵入すること数十回。
倒した敵は数知れず、里のお偉いさんにも顔が効く。
名家と言われる所が保管しているような貴重な文献や歴史書なんかも、魔理沙はフリーパスで読み放題らしい。
妖怪のルールで妖怪を倒す、稀代のトラブルバスター。
そしておそらく現在最も幻想郷に詳しい人間。
そんな魔理沙の持論。
紫ビビってる説。
でもそんな事考えられない。
あの傲慢で不遜で、常に上から目線の超越者が里の人間にビビってる?
「自警団っているだろ」
「……ええ」
「あのブリキの兵隊未満のお粗末な連中が、紫は怖くて仕方がないのさ」
「まさか」
「そもそも幻想郷ができた理由がそれだろ、団結した人類は地球最強だからな」
それは、たぶんそうなのだろう。
話に聞く限りだと、外の世界は人間の天下、妖怪なんてそもそも認知すらされていない。
職業柄外来人との接触が多い私だったが、やはりみんなそう言うのだ。
それほどまでに、圧倒的。
いや向こうからしたら絶望的、か。
「直接聞いたわけじゃねーが、自警団の発足もレミリアが来るのと同時期だったらしい」
「そうなの」
「あいつらが暴れたせいで、いや逆か、里の半分が吹っ飛ぶほどの被害に遭うまでその手の組織は一切なかったそうだ」
「個人での退治屋はいたらしいけどね」
「あたしの先輩だな、みんな心のどこかで思ってたんだよ『巫女がいるから大丈夫』ってな」
巫女がいるから大丈夫。
むしろ、積極的にそう思わせていたのだろう。
歴代の博麗の戦果。
神社に記録はあるけれど、どこまでが本当で、どこからが誇張なのだろうか。
「『人間に武装されたくない』すべてはそこに集約されてるんだ、幻想郷ができた当初からそうなのか、当時の武装なんてオモチャもいいところだけどな、それを見た若き日の紫がこうなることを予見してたとしたら大したもんだ」
「ふーん」
「だからあたしは嬉しいんだぜ?」
「……なにが?」
「お前がいることがだよ、お前の存在が、人間の優位を証明している」
「……そっか」
「……もう着くぜ」
そう言って魔理沙は高度を下げた。
話に夢中で気が付かなかったが、魔理沙の背中越しに前を覗いてみると、見慣れた風景が迫ってきていた。
「とーちゃくっと」
「……ありがとね」
「命の恩人だぜ?」
「今度ご飯でも奢るわ」
「楽しみにしてるぜ」
それだけ言って、魔理沙は帰ろうとしてしまう。
その後ろ姿に、私は声を投げかけた。
「ねえ魔理沙」
「んー?」
「妖怪がさ、もし人食いやめたらどうする? 退治屋やめる?」
ありえない仮定。
妖怪にとって人間は、なくてはならない栄養源のようなものらしい。
妖力を蓄えるための、牛や豚なんかの肉では代えられないのだと、紫から聞いた。
しかも食べるときは他では味わえない興奮と恍惚が伴うという。
ほとんど依存症の様なものだ。
「……すでに食われた人たちが帰ってくるわけじゃねえ」
「そう」
それが答えだった。
「無理だよ霊夢、世界は残酷だ、みんななかよし平和ラブラブとはいかねえぜ」
そう言って魔理沙は上着を脱いだ。
そのまま器用に上半身だけ裸になる。
「……っ!!」
「もう戻れねえ、やらなきゃやられる」
その体は、傷だらけだった。
右肩から左の脇腹にかけて、大きな目立つ爪痕が3つ。
それを筆頭に、大小さまざまな傷が魔理沙の身体に刻まれていた。
「グロいだろ? こっちなんて先っちょねーぜ? たぶん母乳でねーよ」
「……そんなことないわ、綺麗よ」
「ありがとな」
それだけ言うと、また上着を着始める。
そのまま帰るには、今日はちょっと肌寒い。
なんて言って、ふざけながら。
「じゃあな、風邪ひくなよ」
「……うん、またね」
「ああ、またな」
今度こそ魔理沙は飛び上がる。
私を置いて、どこかへと飛び去ってしまう。
その姿が見えなくなるまで、見えなくなっても。
ずっとその空を見ていた。
満天の星空は、今日も変わらず美しかった。
「……」
縁側に腰掛けながら、私は思う。
私にはごっこ遊びがふさわしい、と。
魔理沙がいるような世界には、とてもじゃないが踏み込めない。
魔理沙は怖くないのだろうか。
いや、そんな訳がない。
それ以上の何かを胸に、最前線を飛んでいるのだろう。
想像でしかないけれど。
私はだめだ。
今更になって震えてきた。
足の傷が、蹴られたお腹が、打ち付けた背中が、絞められた首が。
その感触を、反芻している。
「……ぅぅ」
今から魔理沙を追いかけて一緒に居てと言いたくなる。
言ったら居てくれるだろうか。
「……魔理沙ぁ」
私は所詮、いくらでも替えの利く幻想郷の備品。
そんな気はしていた。
嘘じゃない。
ほんとになんとなく、おぼろげだけど、そんな気はしていたのだ。
でもそんな私を居てくれてうれしいって言ってくれた。
他にも大事なこと言っていた気がするけど、それだけが頭の中で繰り返されていた。
「……」
服に付いた汚れを払い、私は境内へと戻ることにした。
◆
昔、一番昔の記憶。
紫に手を引かれ、親元から引き離された。
不幸に嘆く両親がいた、もう顔も思い出せない。
紫や部下の連中にいろいろ教わりながら、今日の今日までやってきた。
でも、と思う。
私が今までしてきたことは、全部誰かの都合によるもので。
そこに私の意思はないのだろう。
説得するより代えた方が早い。
触角の妖怪に言われたことを思い出した。
そんな使い捨ての運命だけど、それに抗う力が無い。
無知で無力で愚かなピエロは、今日も幻想の供物となる。
いっそ知らずにいたかった。
道化のまま、過ごしたかった。
この理不尽に立ち向かう勇気がありません。
戦う友の傍らにすら立てません。
ごめんなさい。
弱い私を許して下さい。
「畜生」
つぶやきながら寝室の戸をあけ、巫女装束のまま布団に倒れこむ。
今これを脱いだら、2度と着られない気がした。
「……」
布団は、とっくに冷え切っていた。
了
私のそれは『手』だ。
大きな手が私の手を掴み、前へ前へと引っ張っていく。
どこに行くのかも、なぜそんなことをされるかもわからない。
後ろを振り向くと、お父さんとお母さんが泣いているのが見えた。
幼いながらも漠然と、もう戻れないのだと悟った。
記憶はそこで終わっている。
◆
ちゃぶ台に噛り付きながら客人の来訪を待っていた。
付いた歯形が幾重にも重なり、さながら年輪のように見えなくもない。
あれだ、あれに見える。
柱に傷をつけて背を測るやつ。
それをちゃぶ台でやったのがこれだ、この年輪が私のあごの成長を物語っている。
「……」
腹が減っている。
もう2日は食べていない。
近隣の植物は軒並み食い尽くした。
小動物も居なくなった。
このさびれた神社には、もはやだれも寄りつかない。
「そうだ、里を襲おう」
その言葉は、あまりにもすんなり声に出た。
そうだ、その手があった。
私は天才か。
所詮この世は弱肉強食。
強ければ食べ放題なんだ。
「馬鹿言ってんじゃないよ、博麗」
「!!」
その声にガバッと頭を起こす。
勢い余って下あごがちゃぶ台に引っかかり派手にひっくり返した挙句、体勢を崩した勢いのまま顔面をしたたかに打ちつけたが特に問題はなかった。
「ちぇえええええんん!! 待ってたわよ!」
「わ、鼻血出てるよ」
待っていた、この時をずっと待っていた。
飯だ!
「はいこれ今月の分」
「ありがとうございます!!」
差し出された封筒を受け取りビリビリに破く、中には何人もの諭吉様が束になって入っていらっしゃった。
に、肉が食える!
「うっはー! 飯じゃ飯じゃ!」
「……博麗、ねえ博麗ったら」
喜びのあまり自分で考案した『現金の舞』を踊っていると、橙がかわいそうなものを見るような目でこちらを見てきた。
なんだその目は。
「来月から生活費はこの子が届けるから」
「……うん?」
「あ、どもです」
促されて横を見ると、見たことのない妖精がぺこりと頭を下げていた。
……高そうな服を着ておる。
「貴殿、名を名乗られよ」
「えう!? あ、あの、ミーコです、紅魔館でメイドやってます」
「ふむ、こうまかんとはなんぞや?」
「え?」
「え?」
橙とミーコなる妖精が揃って驚く。
そんな顔しなくたっていいじゃない。
「なによ、私だって知らないことくらいあるわよ」
「……マジで言ってんの博麗」
「え? なんだっけ、地名よね」
「レミリアが住んでるとこだよ」
「…………ああ、ふもとの里の」
「違ぇよカス、レミリアが里に住んでたら住民大パニックだよ」
カスとはなんだカスとは。
まったく、躾のなっていないどら猫だ。
「まあいいや、伝えたからね」
「うむ、大義であった」
「……」
軽く舌打ちする橙を無視しつつ、妖精の方にとびっきりの笑顔を見せる。
「ま、来月から頼むわ妖精ちゃん、私にご飯の成る木を持ってきてね」
「は、はい」
「一緒に食べられるものも持ってきてくれるとうれしいな」
「あ、そういうことでしたら任せてください、私コックですので」
「おおっ」
妖精料理。
コイツは期待できるかもしれない。
大抵こういうのは驚くほどおいしいか炭かの2択と相場は決まっているが、大丈夫、炭でも問題なく食える。
「よろしくねー」
「はーい」
去っていく2人に手を振って見送り、さっそく買い出しへと向かうことにした。
今日は肉だ、肉を食うのだ。
◆
肉と言えば北の里だ。
その昔、どっかの外来人が牧場を始めたのをきっかけに、そこに里ができた。
ウソみたいなホントの話。
まず先に牧場ができたのだ。
まだそこが里じゃなかったころ、妖怪たちは当然のようにそこを襲った。
もともと単細胞な連中だから、人がいれば食い、牛がいれば食う。
でもその外来人は諦めなかった。
何度襲われても何度食われかけても、飽きることなく牧場を続け、乳製品の素晴らしさを妖怪相手に説いて回った。
そしてその努力は功を結び、愚かな妖怪たちも次第に気付き始めた。
自分たちが目先の食欲にかられ、何を失っていたのかを。
彼女らから分泌される白き栄養、ママの味。
柔らかな口当たりに独特ののど越し。
妖怪と牛乳の歴史的邂逅だった。
そんなわけで、なぜだか知らないが妖怪たちは牛乳が大好きなのだ。
朝食に飲み、風呂上りに飲み、寝る前に飲む。
そんなにカルシウムが不足しているのだろうか。
それはともかく、妖怪たちはその牧場を襲うことを止めた。
すると次第にその牧場付近に住みつく者が現れ、あれよあれよと言う間に里が1つ出来上がってしまっていた。
いつの間にか肉牛も売られるようになり始め、幻想郷唯一の牧場地帯として今日もお肉を生産している。
紫からその話を聞いた時、こう思った。
登場人物全員食い意地が張りすぎていると。
「ああ、お肉の匂い」
里に到着すると、どこからともなくおいしそうな香りが漂ってくる。
右を見ても左を見てもお肉屋さんと焼肉屋さんとステーキ屋さんばかりが立ち並び、その隙間を縫うようにして牛乳屋さんやチーズ屋さんなどの乳製品のお店も顔を覗かせている。
なんという牛パラダイス。
ここほど牛関係で充実している街は外にだってそうはあるまい。
世界の中心が誰なのかは知らないが。
この里の中心は間違いなく牛なのだ。
「じゅるり」
さて、どの店にしようかしら。
懐のお金に触れながら、大通りの店を見て回ることにした。
一流のハンターのような目付きで獲物を探す。
この里にも行列のできる店とそうでない店がある。
それだけで判断するのは危険だったが、それでも尺度の一つであることは確かだ。
行列ができるところは、やっぱりおいしいところが多い。
でもなぜかラーメン屋さんや羊羹屋さんにまで行列ができている。
お前らわざわざ北の里にまで何しに来たのだ。
ここは肉を食うところだ。
なんやかんやといろいろなお店が見て取れたが、やはりというかなんというか、牛をモチーフにした看板を下げている店が多かった。
ペンキが白と黒だけで済むからかもしれないが。
そんな白黒に挟まれながら歩いていると、前方からも白黒がやってくるのが見えた。
「あ、魔理沙! やっほー!」
「お? よお霊……うわなにするヤメぐほぉ!?」
出会いがしらに飛びついた。
会うのは随分久しぶりだ。
「もう! 神社にも顔出さないで何やってたのよ、死んだかと思ったじゃない」
「あ、ああ、当たらずとも遠からずだ、ちょっと大けがしてな」
「ふーん」
「とりあえず退け」
馬乗りになりながら頬をグニュグニュと揉みしだく。
魔理沙の日常を考えれば、怪我くらい日常茶飯事なのだろう。
弱っちいくせに無茶な人生を歩んでいるのだ。
「しーんーぱーいーしーたーのー」
「わ、わがっだよ」
「ほんとにわかってんのー?」
たっぷりと頬を辱めてから開放した。
そしてため息をつきながら埃を払う魔理沙に聞いてみる。
あんたもメシ?
「くははは、この里に来る理由なんて1つしかねーぜ」
「よね」
やっぱり向こうも外食に来ていたらしい。
せっかくだからと2人で食べるところを探すことにした。
飯は道連れ世は情け。
「お前、金は?」
「さっきまでは無かったわ」
「……ああ、今日仕送りの日か」
「まーね、そっちこそ珍しいじゃない、あんた肉苦手じゃなかったっけ」
まさかラーメン食べに来たんじゃないでしょうね。
だったらここでお別れよ。
「今日は食うぜ、血が足りねえ」
「ふーん」
言われてみれば確かに血色はよくない気がした。
病み上がりなのだろうか。
でもそんなのは食えば治る。
「ていうかお前巫女服で来たのか、汚れるぜ?」
「いいのよ、普段着みたいなものだから」
「まあ、そうか」
そんなことを話しながらいい感じの店を探した。
いい加減お腹がすき過ぎて耐え切れそうになかったが、もうちょっとこうして歩きたいとも思った。
誰かと並んで歩くなんて、いつ以来だろうか。
妙にうれしくなってしまう。
「……なんだありゃ」
「む、いかがなされた」
「おい霊夢、あれを見ろ」
「はて、どれの事か」
「そのしゃべり方やめろ」
10時の方向、という魔理沙の言葉に従いそっちを向くと、1件のステーキ屋さんが見えた。
西洋チックな木造建て、何と言ったか、ログハウス? と言うんだったか。
そんな感じの小洒落た店に『ステーキの王将』という大きな看板がかかっている。
しかし、そんなことは問題ではない。
我々の視線は客引きをしている金髪のおねーちゃんに釘づけだ。
「なによあのスイカは」
おねーちゃんは牛の模様をしたダボダボの衣装をまといつつ、その胸部のハチ切れんばかりの脂肪の塊を誇示している。
それが道行く人に声をかけるたびに揺れる揺れる。
「美鈴よりでけえぜ」
「藍のより大きそうね」
はた、と魔理沙と目が合う。
お互い自らの知る最も大きなブツと比べていたのだろう。
まあ、私のはほとんど想像だけど。
「まさか牛の妖怪じゃないだろうな」
「さもありなん、あらためてみるべし」
「妖怪だったら退治ものだぜ」
「人里での労働はルール違反でありけり」
「……そんなことはなかったと思うが、そういうことにしておこう」
意を決した調査員2人は、自尊心の崩壊という内的危機を顧みず、知的好奇心と科学的探究心と一匙の嫉妬心に駆られながらも慎重に脂肪の塊に近づいて行った。
服はダボダボのくせにあちこち切れ込みが入っていて『中身』が見えそうで見えない。
無理やり確認してみたが、乳だけでなく、尻も太もももヤバかった。
ふざけんな。
「ハーイ、ガールズ! ランチは済んだ? うちのステーキは最高よ?」
おねーちゃんは気さくな笑顔で声をかけてくる。
なんて嫌味のない笑顔だ、危うく騙されそうになる。
「間近で見ると改めてスゲーぜ、何食ったらそうなったんだ」
「オー、ウィッチガール、うちで食べてってくれたらプロポーションの秘密を教えてア・ゲ・ル」
「……霊夢、いいかな」
「是非もなし」
僅かに照れたような魔理沙に、私は即答する。
3日ぶりの食事はここに決まった。
通されたテーブルで魔理沙と2人。
頼んだステーキを憮然とした顔で待っていた。
注文を取りに来たあのおねーちゃんに秘密を教えてくれと言い、耳元で色っぽく 『遺伝よ』 とささやかれたときはさすがにキレそうになった。
お前は誰を店に招いたのかわかってるのか。
私と魔理沙がその気になったら、こんな店4秒で灰にできるのよ?
「……」
同じように耳元で呪詛をささやかれた魔理沙は、苦虫をかみつぶしたような顔でうつむいてしまっていた。
「霊夢、すまん」
「……いいのよ」
プライドをへし折られた友の姿を見て、私も平静を取り戻せた。
いいのよ魔理沙、私も人の事言えないから。
「いただきます」
「いただきます」
しっかりと手を合わせ、食材に感謝する。
最近はこれを蔑ろにする馬鹿な子供が多いと聞くけれど、私が見る限り大人の方がやっていない気がする。
恥を知れ。
さっそくお肉へと取り掛かろうとしたら、魔理沙が懐からナイフとフォークを取り出すのが目に入った。
「……あんたマイ食器とか持参する派だったの?」
「いや誰が使ったかわかんねーじゃん」
「洗ってあるから大丈夫よ」
「気分の問題だぜ」
正直私の気分が害されたのだけれど、気にしないことにした。
この潔癖症め。
そのスープの皿はいいのか。
まあでもお肉はおいしかった。
トマト仕立ての不思議なソースは、和食がメインの私の舌にもよく合う。
空腹は最高のスパイスとはよく言ったものだ。
幸福を頬張りながら思う。
やはり牛は素晴らしい。
これ以上おいしいものがこの世にあるのだろうか。
それも食事を供にする相手が魔理沙だというから最高だ。
里のお偉いさんに囲まれての会食なんかじゃ、味もわからない。
それを思えばここみたいな『博麗の巫女』を知らない店も、ある意味では貴重な存在なのかもしれなかった。
まあ実際は、どこでだろうと私の態度は変わらないのだが。
そんなこんなで久方ぶりのお肉を思う存分に味わった。
普段は健康面と経済面に気を遣い大豆製品からしかタンパク質を摂取しない私にとって、重厚なる牛の脂身は犯罪的なまでの贅沢品だ。
染み込んできやがる。
食べ終わってからも軽く魔理沙と話し込み、あの心の薄汚い金髪おねーちゃんの尻に蹴りをかましてから店を出た。
あんな大人にはなりたくない。
それはともかく。
せっかく里まで来たのだから、ついでに生活用品も買い足していくことにした。
牛パラダイスにだって普通の店はある。
魔理沙、あんたも付き合いなさい。
私に見つかったのが運の尽きなんだからね。
◆
買い物を終え、帰路に就く。
魔理沙は仕事が入らなくて暇だというのでそのまま招待することにした。
帰りしなに買ってきたお茶を淹れ、縁側に2人で腰かける。
話題らしい話題が碌になかったので、どーっでもいいことを適当にしゃべった。
「んでねー、紫もそうだって言うのよ」
「くはははは、あのババアとうとう耄碌したか」
「最初っからあんな感じだったわよ」
「ま、そうかもな」
お茶を飲み干しながら魔理沙が笑う。
下らない話でもちゃんと合わせてくれるところが大人だ。
そして魔理沙は空になった湯呑を盆に戻し、私の方を見ずに呟いた。
「……霊夢、ちょっと運動しようぜ」
「うん? いいわよ?」
「身体、なまっちまったからな、肉も食ったし、リハビリだ」
そう言って魔理沙は庭に下りた。
そして指先をクイッと動かすだけで、帽子とホウキが魔理沙の手元に飛んでいく。
今のちょっとかっこよかった。
「手加減しないわよー?」
「ああ、上等だぜ」
言いながら空へと浮かび上がる。
追いかけるようにやってきた魔理沙と、空中で対峙した。
距離にして十と数メートル。
弾幕ごっこの間合いだ。
「境内壊すんじゃないわよ!?」
言葉をゴング代わりに弾幕を張る。
リハビリと言うのだから多少遅めにしてあげた。
「よっ、ほっ」
魔理沙も自分の動きを確かめるように右へ左へと弾幕を躱す。
言われてみればいつもより動きがぎこちない気もする。
「ほらほら、当たっちゃうわよー!」
「はは、来やがれってんだ!」
向こうも弾幕を張ってきた。
ここからが本番だ。
弾幕と言うのは面白い。
片方が撃つだけで、片方が避けるだけだと何とも単調なのに、撃ち合いになった瞬間その空気が変わる。
避けながら当てる。
向こうの動きを予想して逃げ道を塞ぎ、こちらの動きは読まれないようにジグザグに飛ぶ。
そんな不安定な姿勢のまま相手を見失わず、相手の死角へ死角へと回り込む。
人間の身体はもともと空を飛ぶようになんてできていない。
三半規管の悲鳴を聞きながら、3次元の動きで相手の隙を突くのだ。
その様子を横から見ると、獣同士が喉笛を狙い合っているようにも見える。
しかしそれでいて美しくなくてはならない。
簡単じゃあないのだ。
「うむ、快調なりけり、いまそがり」
繰り出す弾幕の数が増した。
魔理沙も調子が出てきたようだ。
避け合い、狙い合い、回り込み合い、探り合う。
状況に合わせて戦略を次々と切り替えなければ、たやすく撃墜されてしまう。
相手が次に何をするか、その読み合いが楽しかった。
十数分の後、至近距離で私が魔理沙に符を向け、魔理沙が私に八卦炉を向けたところで戦闘は終了となった。
「絶好調じゃない」
「ああ、いい汗かいたぜ」
笑顔で言う魔理沙に、ちょっと疑問に思ったことを聞いてみた。
「……ねえ魔理沙」
「うん?」
「あんた手加減した?」
「そりゃするさ、神社壊れちまうよ」
「……それもそうね」
八卦炉を使わなかったのはわかる。
普段も私とやるときは使わないし、やみくもにぶっ放すものでもないのだろう。
でもそうじゃないのだ。
なんか、手を抜いているというか、気を抜いているというか。
全然、本気じゃないような、そんな気がする。
意に反して見せてしまった隙を、何度も見逃された気が。
「むー、やっぱり釈然としないわ」
「リハビリで勝ちに行ってどうするんだぜ」
「うーん」
なんか騙されている気がするが、まあいいか、騙されてやろう。
一息ついて、新しいお茶を淹れてきた。
出がらしだけれども、まだ飲める。
「お、さんきゅ」
「たんと味わうがいい」
「……それは食事の時のセリフじゃないのか?」
「さもありなん」
「……」
細かいことを言う魔理沙は無視して、裏手にある薪置き場を確認しに行く。
うん、この間いっぱい割ったからまだある。
「お風呂入ってくでしょー!?」
「なんだって!?」
「お風呂ー!!」
ここからでは聞こえないのか、仕方ないのでいったん戻って聞くことにした。
「お風呂入ってくでしょ? 薪準備するから軽く洗ってきてよ」
「あー、ありがたいがやめとくぜ」
「えー? 汗臭くなっちゃうわよ?」
「誰に会う訳でもないしな」
「ふーん」
そういえば魔理沙が誰かの家で風呂に入るところを見たことがない。
それどころか誰かが家にいると自宅でですら入らない。
どんだけ恥ずかしがり屋なんだ。
それとも風呂嫌いなのか。
「じゃあ日も暮れるし、そろそろあたしは帰るぜ、リハビリ付き合ってくれてありがとな」
「うん、またねー」
「ああ、またな」
お茶を飲み終えもうひと休みし、魔理沙は森に帰っていった。
その姿になんとなく違和感を覚えたが、深く気にはしなかった。
「……さて」
湯呑みを片付け、縁側を後にする。
1人になった瞬間、急に神社が広く見えた。
「……」
自分しかいない神社は広い。
それが博麗の務めだとわかっていても、時々無性にさびしくなる。
里の人たちをうらやましいと思ったことも1度や2度じゃない。
私だって、普通の人生が欲しかった。
それを忘れさせてくれるのは魔理沙だけ。
魔理沙だけが『博麗の巫女』ではなく『私』に会いに来てくれる。
「……」
気が付いたら魔理沙が帰って行った方角をじっと見つめていた。
本人はとっくに見えなくなっているというのに。
我ながら女々しいことをしていると自覚しながらも、しばらく空を見ていた。
次に会えるのはいつだろうか。
なんなら魔理沙じゃなくてもいい。
次に誰かに会えるのは、いつなのだろうか。
「……明日の買い出しの時よね」
冷静に自分にツッコミを入れ、洗い終わった風呂釜を水で流した。
加熱釜に水を入れ、着火用の符を持って薪置き場に戻る。
ポリポリ頭を掻きながら薪を見繕っていると、黒いトンガリ帽子が茂みに引っ掛かっているのが目に入った。
撃ち合いの最中に落としたらしい。
「まったく」
ため息交じりに拾いあげる。
さっきの違和感の正体はこれか。
ダメじゃないか、トレードマークを置いて行ったら。
「……是非もなし」
私はその帽子をかぶり、ボイラーに薪を放り込んだ。
どうやら、またすぐにでも会えそうだった。
◆
「なんか、眠れないわね」
のっそりと起き上がる。
時計を見ると午前2時を指していた。
乙女としては寝ておかないといけない時間だったが、不思議と眠気は無い。
ご飯も食べて運動もしたのに……異変の前兆だろうか?
「……」
まあ、別に明日の予定があるわけでもないし。
ちょっと夜更かし、散歩にでも行こうかな。
「うふふ」
寝間着からいつもの巫女服に着替え、部屋の端に転がしていた魔理沙の帽子を手に取った。
鳥居越しに、空を見上げる。
今宵の空には月が出ていない。
月の出ていない夜は好きだ。
「……」
世の妖怪どもはみんな月が好きらしい。
強い奴も弱い奴も、人型も獣型も。
みんなみんな、夜空と言えば月だという。
「……愚かなり」
ふわりと空に浮かびあがり、空中に寝そべって空を仰ぐ。
本日は快晴、遮るものは何もない。
視界いっぱいに広がる満天の星空は、私だけの世界だ。
「……」
いつ見ても素晴らしい。
夜空に散らばるこの光は、何百万年も前の光がやっとのことでここまでたどり着いたものだと紫が言っていた。
ホントかウソかはわからなかったが、どちらにせよ、途方もない話だ。
そのスケールの大きさを考えるたびに、私は自分の小ささを痛感する。
真上に広がる星空は、何百万年も前からずっとこうで、何百万年あともずっとこうなのだ。
魔理沙の帽子を浅くかぶりながら、この世で最も美しい景色をいつまでも眺めていた。
やっぱり月なんて無粋なだけだ。
肝心の星が、見づらいじゃないか。
「~♪」
どれだけそうしていただろう。
背泳ぎの格好でふよふよと漂っていたら、綺麗な歌声が聞こえてくるではないか。
同時に鼻孔をくすぐる香ばしい香り、屋台でもあるのだろうか。
ぐるりと体をひねって地上を見下ろす。
帽子が落ちそうになったが、何とか空中でキャッチした、元気な帽子だ。
「~♪」
歌の出処を探り、ひらりと華麗に着地する。
魔法の森の端っこにその屋台はあった。
ボーっとしているうちに結構遠くまで飛んでいたようだ。
「こーんばんは」
「へい、らっしゃい」
と、元気に返事をしたのは鳥の妖怪だった。
ここは妖怪のお店なのか。
客はどうやら1人しかいないみたいだ。
しかしその客は飲み潰れたのか、カウンターに突っ伏して寝息を立てていた。
横にごろごろ転がっている空き瓶は、全部この妖怪が空けたのだろうか。
「どうだいおねーさん、今日はいい酒が……え?」
鳥の妖怪は私を、というか私の服装を確認すると、持っていた酒瓶を取り落してしまう。
ガシャン、と言う音が響いた。
……まあ、こういうのは慣れている。
妖怪は私を見ると、みんな似たような反応をするからだ。
「は、博麗……?」
「そーよ」
鳥はあっちゃー、とでも言いたげに額を抑えて天を仰ぐ。
なんかむかついたから寝こけている妖怪の隣にどっかりと腰を下ろした。
帰る気はないわ。
「あー、いらっしゃい、未成年に酒はでねーぞ、つーかなんだその帽子」
「何よ、飲めないわけじゃないわよ」
「……梅酒にしとけ、な?」
と言って鳥は落とした酒瓶を片付けると、大げさなサイズの瓶を取り出した。
中には山盛りの梅が沈んでいる。
その瓶を鳥がぐるぐると軽くかき回すと、中で水あめのようなものが慌ただしく漂うのが見えた。
「あら、自家製?」
「まあな、何度くらいなら飲める?」
「ストレートでよこしなさい」
「……だーめ」
グラスにほんの少しだけ注がれた梅酒が、多量のお湯によって割られていった。
「入れ過ぎよ、しかもなんでお湯割りなのよ」
「今日はちょっと涼しいからな」
ほらよ、と出してくれた梅酒を手に取った。
手の中のお酒も、熱いというよりは温かいと思える温度だ。
暦の上ではともかく、まだ秋と言えるような季節ではなかったが、確かに今夜はちょっと冷える。
思いのほか気の利く奴だ。
「……こやつ、できおるのう」
「あん?」
梅酒に口をつけた。
……うん、おいしい。
「思ったより味するわね、あんなに割ったのに」
「梅酒ってのはな、度数は40度くらいで作るんだよ」
「え? これそんなに強いの?」
「だから味も濃い目に作っとくの、どうせ割るからな」
「へぇー」
「……ほら、お通しだ」
そんな梅酒トリビアに感心しているところに、ウナギのかば焼きとお肉の串焼きが出された。
どっちも熱々だ。
「おお」
その匂いを嗅いだ瞬間、どこからともなく、ぐぅ、という音が聞こえた。
今宵の腹の虫はよく唸りおる。
「おいしそうだけど、お昼牛肉だったのよね」
「あ、そうだったん? 北?」
「北」
もう『北』で通じるらしい。
それほどまでにあそこは牛パラダイスだ。
「あそこで運送業やったら儲かるんだろうなー」
「……知らないわよ」
芋煮やら筍やら山菜の天ぷらやら。
頼みもしないのに次々出てくる肴をほおばり、ちびちびと梅酒でのどを焼く。
この鳥に旬だとかなんだとかの概念は無いようだったが、その料理のどれもが私が作るよりはるかにハイレベルな出来だった。
「おいしいわ、あんたすごいじゃない」
「きひひ、そりゃどーも」
博麗御用達だな、と苦笑いする鳥をからかうと、その度になんだよやめろよといちいちリアクションを返してくれる。
それが面白くてつい意地悪してしまう。
どうやらこの鳥は、良い妖怪のようだ。
時間を忘れて駄弁っていると、酔いつぶれていた妖怪がうめき声をあげた。
「……うーん」
「あら、起こしちゃった?」
「…………うおっ!? 博麗!?」
私の顔を見て酔いが吹き飛んだのか、その妖怪は転げ落ちるように席から離れる。
しかし目をつぶったまま周囲をキョロキョロ見回すという意味不明な行動をとる辺り、やっぱりまだ酔っぱらっているらしかった。
「……異変、じゃないよね」
「散歩よ」
「……そうかい、なんで魔理沙みたいな帽子かぶってんのさ」
「本人のよ」
「あっそ」
はぁー、と大きなため息をつくと、その妖怪は元いた席へと戻った。
「あんまり遅くに出歩くもんじゃないよ」
「うるさいわね」
「今日結構寒いだろうに、風邪ひいちゃっても知らないからね」
「あんたは私のかーちゃんか」
頭から触角を生やした酔っぱらい妖怪は、生意気にもこの私に説教がしたいようだった。
「こわーい妖怪も出るしな」
鳥の方も合わせてくる。
うぜぇ。
「ふん、上等よ、まとめて退治してあげるわ」
「はいはい」
「きひひひ」
しかし2人は生返事をするばかりで、まともに取り合おうとしていない。
なによ、ほんとだかんね。
憤慨する私をよそに、妖怪どもはいかにも上機嫌そうだ。
それがムカついたので、目の前の料理にがっつくことにした。
ふーんだ。
「ふふふ、あ、ミスちー、焼酎ぬる燗で」
触角野郎は私に敵意がない事に安心したのか、酒の追加を注文した。
酒盛りを再開する腹らしい。
しかし鳥の女将さんはやれやれとため息をつく。
「今日はもうだめだ、何杯飲んだと思ってんだよリグル」
「寝たらリセットさ、ほら博麗も頼みなよ、一杯奢るよ?」
「え? いーの!?」
「おいおい」
どうやらこの触角君も良い妖怪らしい。
カウンター越しに勝手に一升瓶を取り上げ、自分のだけでなく私のコップに向かっても傾けてくれる。
僅かに赤みがかった芋焼酎が、トクトクと音を立てながら注がれていった。
ありがたくいただくとしよう。
タダよりうまいものは無い。
「お前それ30度くらいあるぞ」
「そんくらい大丈夫でしょ? ねぇ博麗」
「当然よ!」
「……しーらね」
グイとコップを傾ける。
そして先ほどの梅酒とは比べ物にならないほどのアルコールがノンストップでのどを焼き、体験したことのない衝撃がこの身を襲った。
むせた。
「ゲッホ! ウェッホ! ゲッホ!」
のどが痛い。
鼻が痛い。
心が痛い。
「あーもー、言わんこっちゃねえ」
「あっはははははは!」
「笑ってんじゃねーよリグル」
「ゲッホ、ゴホッ!」
「ったく、酒慣れしてねーくせにそんな飲み方すっから」
こ、これが酒か。
甘酒とお神酒くらいしか飲んだことがなかったが、モノホンの酒とはこんな味だったのか。
未知との遭遇。
この感情を言葉に表すのは難しかった。
一言で言うと『キツイ』。
「うぐぅ、クラクラするわ」
「水飲め、水」
咳き込んだ拍子に転げ落ちた帽子をかぶり直し、入れてくれた水を胃に流し込む。
いくらかマシにはなった。
「大丈夫か?」
「うー」
「あははははははは!! だっせぇ!」
すぐ横で触角野郎がゲラゲラと笑い転げる。
やはりこいつは悪い妖怪のようだ。
「……ちょっと深酒してんだ、悪く思わないでやってくれ」
「えー?」
これあげるから、と本日2枚目のウナギのかば焼きが私の前に出される。
さっきと違って今度は七味からし付きだ。
そんなもので私が釣れると思ったら大間違いよ。
「くっそー、おいしいわね」
「あー面白かった、あ、ミスちー僕もウナギ1枚」
「あいよ」
やわらかいウナギの身を頬張りながら、横の妖怪を睨んだ。
散々笑いやがって。
今度会ったら退治してくれる。
「お覚悟召されよ」
「うん?」
「是非もなし」
「うんうん」
適当に相槌を打ちながら、向こうも自分のウナギに噛り付く。
身をほぐすことなく、箸で掴んで豪快に食している。
なんとも贅沢な食べ方だ。
「おいしい?」
「最高だよ」
「きひひひ」
上機嫌に頬を緩める鳥に、触角野郎がさらに酒を注文する。
さっきの分は私がむせてる間に飲んでしまったらしい。
妖怪はみんな酒に強いのかしら。
「日本酒ある?」
「あるけどダメ、飲み過ぎ」
「ちぇー」
「ほら、こっちにしとけ、博麗も」
「……なにこれ?」
「お、コーラじゃん」
パキョっといい音をさせて、鳥がビンの蓋を捻じり切った。
そんな開け方していいのか。
「~♪」
新しいコップに黒い液体が注がれる。
シュワシュワと音を立てながら泡を立てるそれは、とても飲み物には見えなかった。
「……黒いシャンパン?」
「冷やした方がうまいんだけどな」
アルコールは入ってないよ、と2人分をよこし、鳥はまた違う肴を作り始めてしまった。
「……」
なんとなく抵抗感がある。
墨汁ではなかろうか。
ちらりと横を見ると、触角野郎は当然のようにコップに口をつけている。
行くしかないか。
「……あら、おいしいわね」
「だろ?」
「でしょ?」
と、前と横から声が飛んでくる。
なんか悔しい。
「黒いのに甘いとは思わなかったわ」
「里でも売れ筋らしいよ」
「ふーん」
「居酒屋でも喫茶店でもちょろちょろ見かけるし、一般家庭にまで卸売りされてるんだ」
「へー」
「ま、紅魔館系列の所だけだけどね」
触角野郎が得意げに語る。
さも『私情勢に詳しいですよー』と言わんばかりの口調は非常に不愉快だ。
あてつけか。
「悪かったわね、世間知らずで」
「……博麗は歴代そんな感じだよ」
「会ったことあんの?」
「君の1個前とその前はね」
「ふーん」
「肉じゃができたぜー」
空いた皿を片付けながら、新たな料理が追加された。
大変おいしそうで結構なのだけど、ここの店は頼まなくても料理が出てくるのか。
楽っちゃ楽だけどそんなに持ち合わせないわよ。
「……」
ハフハフと糸こんにゃくを頬張っている触角野郎を覗き見る。
今まで気付かなかったが、底辺妖怪の割にはいい身なりをしていた。
金持ってそうだ。
コイツにたかるとしよう。
最悪カツアゲしよう。
「でもこのジュース輸入禁止になるんだよね」
「え? マジでー?」
「ウォッカ割るのにちょうどいいんだけどね」
ジャガイモを崩しながら触角野郎が言う。
何でだろう、せっかくおいしいのに。
「なんかものすごい量の砂糖が入ってるんだって、依存性も高いらしいし、里のお茶屋が悲鳴あげてるし」
「制限じゃなくて完全に禁止?」
「うん、販売目的のやつはね、個人で大結界越えられる人が自分で飲む分にはいいんだって」
「それ誰情報だよ」
「パチュリーさんだよ」
「お前まだ紅魔館に出入りしてんの? あぶねーからやめとけって」
「吸血鬼が怖くて商売ができるか」
「……まあ、人の事言えねーけどさ」
また紅魔館か。
やっと思い出した、湖の近くにある赤い城だ。
超のつく危険人物が徒党を組んでいるとたまに聞くが、異変解決に乗り込んでった時にはそんな感じはしなかったと思う。
というか輸入やってることも初めて知った。
たぶんこの店も酒とか食材とかを頼っているのだろう。
もはや幻想郷内でも輸入品に頼らなければやっていけないのか。
「今のうちに買っといた方がいいのかなー」
「僕はもう買ってある、コーラとサイダー1000本ずつ、高騰したら売り抜けてやる」
「……お前これ1本いくらすると思ってるんだよ」
「大量購入で割引きしてもらった、パチュリーさん大好き」
「お前ってやつは」
触角野郎は生き生きとした表情で語る。
商売かー。
博麗の巫女には無縁な話だけれど、やってる人は本当に楽しそうだ。
失敗して首をくくったなんて話もよく聞くのに、それでも誰もやめようとしない。
それほどまでに魅力的なのだろうか。
「……」
食べていけるだけあればいいじゃん、と言おうと思ったがやめた。
一応ぎりぎり公務員と言えなくもない私は、巫女として修業なり退治なりをしていれば食いっぱぐれることはない。
そんな存在がそれを言うのは卑怯だと思う。
いくら妖怪相手でも、流石に失礼が過ぎると思える程度には私は大人だ。
「ボーダー商事復活しねーかなー」
「無理だよ、人いないもん」
「吸血鬼のせいじゃん」
「……まーね」
というかさっきから全く話に入れない。
ボーダー商事ってなんだっけ、紫が昔やってたやつだっけ。
下らない話ならともかく、難しい話に入れないのは若干悔しい。
私も少しは勉強しないとダメなのだろうか。
里のお偉いさんはその辺まったく教えてくれないし。
無理やりでもいいから飛び込んでいけば、少しは教養付くかしら。
「ねえねえちょっと触角」
「……うん?」
「紫と吸血鬼って仲悪いの?」
せっかくなので前から思っていたことを聞いてみた。
私から見るとそんなでもないように見えるのだけど、里でたまにそんな話を聞く。
主に魔理沙からだけど。
「とりあえず管理者を呼び捨てにするな」
「いいのよ、うるさいわね」
「……一応表向きは和解したことにはなってるよ」
「表向きだけ?」
「今でもたまにいざこざあるしね、ほら、この間も守矢のとこの講演会で騒ぎがあったばっかりでしょ」
あったでしょと言われても、そんな話は初めて聞いた。
それ以前に講演会ってなんの講演会よ。
ていうか守矢ってなに?
「……そうね、あったわね」
「なんか無理してない?」
「全然?」
「そう、でもこの前藍さんとパチュリーさんが並んで歩いてるとこ見たんだよね」
「ちょこちょこ名前上がってたけどそのパチュリーって誰? 紅魔館の人?」
「そうだね、魔法使いの人だ」
魔法使い。
じゃあ魔理沙の仲間か。
「何してるのかと思ったら大結界の修復してたんだよ、2人してさ」
「……おいリグル、それって」
「うん」
それまで黙っていた鳥が口を挟んだ。
さっきまでと打って変わって真剣な表情だ。
禁じられた恋とか言おうと思ってたが慌てて取りやめた、そんな雰囲気じゃない。
「輸入業交代したことといい、なんか『引き継ぎ』っぽいよね?」
「……」
「……」
引き継ぎ?
触角野郎のその言葉に、私は昨日のことを思い出していた。
何か言おうとしていた鳥を遮り、私は身を乗り出した。
「うちのさ、博麗神社の生活費って毎月紫から貰ってたんだけど、来月から紅魔館に変わるのよ、それも関係ある?」
「呼び捨てにすんなっつってんだろ! 2回目だぞ!」
「今はいいでしょそんなの!」
「おいおい、落ち着けよ2人とも」
語気を荒げる触角野郎をなだめながら、鳥は2杯目のジュースを出してくれる。
苦々しげに一気飲みする姿を見ながら、私も自分の分を飲んだ。
なんだこいつは、せっかく人が情報あげようとしてるのに。
「……まあでも、それが本当ならいよいよ現実味を帯びてくるね、交代劇」
「私らどうなっちまうんだ?」
「歴史的瞬間ね」
「博麗も他人事じゃねーだろ」
「私のやることは変わらないわ」
「……ねえ博麗」
触角は空になったコップを指先で弄び、表面に付いた水滴をすくって舐める。
たったそれだけのしぐさが、なんだか妙に堂に入って見える。
「紅魔館の方針によっては博麗のあり方も変わるかもよ? 無くなりはしないと思うけど」
「知らないわよそんなの、あいつらの都合なんて関係ないし」
「説得するより代える方が早い、そう思われたらアウトだよ、僕はどっちでもいいけどさ」
「どういう意味よ」
「わかるだろ?」
「……」
わからないわけじゃない。
でも納得はいかない。
何で私があいつらの機嫌を伺わないといけないのよ。
誰にも媚びず、へつらわず、あるがままに自然体なのが博麗の巫女よ。
「わがままとでもなんとでも言うがいいわ、自由じゃなけりゃ巫女じゃないのよ」
「……あっそ、こりゃ次の代にもすぐ会えそうだ」
「何ですって!?」
「まあまあ、喧嘩すんなって」
鳥がまた仲裁に入って来たが、私は無視した。
この野郎は完全に私を舐めきってやがる。
「連中と喧嘩になったって、そう簡単に負けやしないわ! 吸血鬼だろうが紫だろうが逆にボコボコにしてやるんだから!」
「……ぁあ゛?」
おい馬鹿やめろ! という鳥の叫び声が聞こえた瞬間、顔面に衝撃を受けた。
すっ転ぶように吹き飛ばされ、泥まみれになりながら地面を転がる。
「……っ」
鼻が折れたらしい。
ドバドバと盛大に鼻血を噴きながら、それでも立ち上がろうと試みた。
何が起こったのか把握するより先に、反射的に身体が動く。
目がチカチカした。
「3回目だぞ博麗ぇ」
「あー、もう! 酒が入るとすぐこれだ」
怒りに顔を歪める妖怪。
額に手を当て空を仰ぐ鳥。
吐き出される妖力。
ガシャンという音。
宙を舞う帽子。
満天の星空。
次々と移りゆく認識の中で、最も重要なものを巫女の勘が選定してくれた。
とっさに転がる。
1秒前まで自分がいた空間に、割れた酒瓶が突き刺さった。
「ふんっ」
思い切り鼻をかみ、鼻血を吹き出す。
もう止まった。
「あんた! 覚悟はできてんでしょーね!」
「黙れ人間」
立ち上がりながら懐をまさぐる。
霊撃用の符が数枚。
コイツ1人ならこれだけで十分だ。
一応持ってきておいて正解だった。
「管理者を、呼び捨てに、するな、つってんだよ」
「はぁ? あんたらにとっちゃ大ボスでもね、こっちにとっちゃボス猿にすぎないのよ!」
「……貴様」
「存在が迷惑なんだから!」
じゃり、じゃり、と妖怪は靴を鳴らしてまっすぐに距離を詰めてくる。
馬鹿かこいつは、命が惜しく無いのか。
負けるとわかって挑むのか。
そんなに紫が好きなのか。
それとも何か、博麗の巫女に敵うと本気で思っているのか。
いずれにせよ、馬鹿めとしか言いようがない。
馬鹿は早死にするだけだ。
一発で終わらせてやろう。
「二重けっ……」
符を構えた瞬間、足に激痛が走った。
「いった!」
見ると、ちょっとした子犬くらいありそうな真っ黒いカマキリが私の足首にカマを突き立てていた。
出血はほとんどなかったが、カマがガリガリと引っかかって痛い。
「いったたた!」
慌ててカマキリを蹴飛ばし、親玉の方へ向き直る。
どうせあいつの眷属か何かだろう、元を断てばいなくなると相場は決まっている。
「どこ見てんだ」
「っと!」
気が付いたら目の前に敵がいた。
慌てて飛びのこうとしたが、向こうの蹴りの方が速かった。
鳩尾を蹴り上げられ、私の身体は再び宙を舞う。
瞬間的に息ができなくなり、碌に受け身も取れなかった。
「立てよコラ」
お腹を抱えてうずくまる私に、妖力を纏った蹴りが飛んでくる。
身体の中身をビクビクと痙攣させつつ、向かってくる靴底をなんとか躱した。
「……おぇ」
血の混じった唾をそこらに垂らしながら、震える足に鞭打って立ち上がる。
膝が今にも砕けそうにがくがくと揺れたが、向こうは待ってはくれなかった。
「わきまえろよ、な?」
「ぐえっ」
喉を掴まれる。
その手をひっかいてはみたが、頑丈な妖怪の皮膚には傷の1つもつけられない。
そのまま持ち上げられる。
呼吸を止められ動けなくなった私は、せめてもの抵抗に巫力を放出した。
じゅうじゅうと音を立てて向こうとこちらの力が打ち消し合うが、それでも私の身体は持ち上げられたままだ。
こいつは単純な腕力だけで、人ひとり持ち上げられるのか。
「……かはっ」
「……」
あまりにもあっけなく目の前が真っ暗になり、いよいよ本気で死を覚悟した時。
不意に重力が戻ってきた。
「よう、何やってんだ」
「……ちっ」
「ゲホッゲホッ、ゲホッ」
足から落ちたにもかかわらず、身体を支えられずにしたたかに背中を打つ。
肺の望むままに呼吸を繰り返すうち、何とか意識がはっきりしてきた。
ふと見上げれば、寝転がって咳き込む私を、1人の人間が見下ろしていた。
「おら、何してんだって聞いてんだよ」
「あ? 何って、ほら……人質?」
ゴリ、と妖怪が私の頭を踏みつける。
しかし相対するその人物は、余裕を崩すことなく指をクイッと動かす。
すると私がさっきまでかぶっていた帽子が、主人の元へと飛んで行った。
「魔理沙逃げて! こいつ普通じゃないわ!」
踏みつけられた体勢のまま、あらん限りの声で叫ぶ。
たぶん届いてはいるだろうに、魔理沙は私の言葉を信じてくれなかった。
こいつは見た目よりずっと強いの。
お願い、気付いて。
「寒い真似してんじゃねーぜ、害虫風情が」
「なら燃やしてあげようか? クソガキが」
あっそ、と魔理沙はすでに取り出していた八卦炉を鳥の妖怪に向けた。
頭に乗っかっている足をどけて鳥の方を見ると、避けるでも逃げるでもなくただやれやれと肩をすくめているだけだった。
「こっちも人質だ」
「じゃあ交換ね」
それだけ言い、触角野郎はあっさり私から離れる。
訳がわからず放心する私をよそに、頭をぼりぼりかけながら鳥の方に向かっていってしまった。
訳がわからない。
「なんか萎えちゃったよ」
「お前巫女苛めておっ勃ててたのかよ変態じゃん」
「黙れ駄雀」
「でも大丈夫、私受け止められっから」
「黙れと言った」
魔理沙の方も、もう済んだと言わんばかりに八卦炉を降ろし、私の方へと歩み寄ってくる。
意味がわからない。
「よお、怪我してないか?」
「う、うん」
意味がわからないまま手を借りて立ち上がる。
あちこちがズキズキと痛んではいたが、魔理沙に泣き言は言いたくなかった。
俯く私の頭を軽く撫で、魔理沙はさっきの妖怪たちの方に向かっていく。
向こうも向こうで酒盛りを再開していたらしく、もうさっきまでの戦いの空気はどこかへと行ってしまっていた。
どうなってるんだ。
「よお」
「……なんだまだいたの?」
「霊夢の分は私にツケといてくれ」
「僕の奢りだよ」
「博麗から金なんてとらねーよ」
「はは、悪いぜ」
「とっとと消えてよ、食っちゃうよ?」
「……じゃあな」
遠くてよくわからなかったが、おおよそそんなやり取りが聞き取れた。
魔理沙は妖怪どもに背中を向けて歩み寄ってくる。
そしてまた指をクイッと動かすと、そこらに立てかけてあったホウキが手元まで飛んでいった。
「……帰ろうぜ」
「……」
「乗りな」
「……うん」
古びたホウキに2人乗りし、私たちは夜空へと飛び上がる。
神社に向けて進むにつれて、眼下に見えていた屋台の明かりが少しずつ小さくなっていった。
◆
ホウキの後部座席に乗りながら、魔理沙のお腹に手を回す。
揺れることはなかったが、座っているところが硬くてちょっと痛かった。
私は振り落とされないように注意しながら、魔理沙の背中に頭を寄せた。
「怖かったな、もう大丈夫だぜ」
「よく、都合のいいタイミングで来れたわね」
「あー、この帽子な、家のカギになってるんだよ」
「そうなんだ」
「しかも発信機も付いている」
「……ふーん」
つまりあれか、こんな夜中までどこかで道草食っていたのか。
「あいつ、メチャクチャ強かったんだけど」
「あー、まあ、喧嘩慣れしてるだろうしな、場数が違げーんだろ」
「吸血鬼はもっと弱かったわ」
「……」
「天狗も、鬼も、神様も、みんなあいつより弱かったわ」
「……」
魔理沙は答えない。
ただ黙って、ホウキを操縦する。
「ねえ、魔理沙」
「……んー?」
「私って弱いの? みんな手加減してたの?」
「……霊夢」
魔理沙は言葉を切る。
魔理沙はいつも、言いにくいことがあると名前だけ呼んで黙ってしまう。
でも、今日は誤魔化さないでほしかった。
「……お前がやってきたのは弾幕ごっこだ、『遊び』だ」
「あそび?」
「そうだ、だがさっきのは喧嘩だ、紙相撲と殴り合いくらい違う」
「……あの触角って強いの?」
「明らかに下から数えた方が早ええ、だが最底辺じゃねえな」
「中堅ってやつ?」
「やや下かな」
「そう」
あれで、中堅やや下。
私が今までやっていたことは遊び。
本気を出されたら、私はそれ以下。
そんな事、信じたくなかった。
「魔理沙は? あいつらに勝てる?」
「ボロ負けもしねーが、楽勝じゃねーな、不意打ちした方が勝つ」
「そう、じゃあ、魔理沙が巫女やってよ」
「……」
「ううん、もう、巫女とかいらないじゃん」
無意識に腕に力が入っていた。
結構強く締め付けられているはずなのに、魔理沙は文句ひとつ言わない。
それがなんか、悔しかった。
「博麗の巫女ってなんなのよ」
「……あれだよ、妖怪が人を食うように、人も妖怪を倒すんだ、その『倒す係』が博麗だ」
「なによそれ」
「よく知らねーが、無抵抗な人間は不味いらしいんだ、ほんとかどうか知らんけど」
「……眉唾ね」
「稗田んとこの歴史書読ましてもらったんだがな、一時期あったらしいぜ、人食い宗教ならぬ人食われ宗教」
「宗教?」
「『妖怪に食われることは名誉なことだ』みたいな教義をガキのうちから刷り込むらしい、向こうからすればこんなに簡単なことはねえ」
最悪だ。
なんだそれは。
「だが頓挫した、そういうのを食っても満たされないらしいぜ」
「……」
なんとなく読めてきた。
人間の方から喜んで食べられるのもダメ、無抵抗なのもダメ。
あくまで希望と喜びを持って生活している人間を、力ずくで奪わないと満たされない。
そんな身勝手で最低最悪な欲求を満たすために工夫するうち、今のこの形に落ち着いたのか。
つまり。
「私は、異変は、『妖怪倒してますよー』『人間強いですよー』っていうパフォーマンスなの? だからみんな手加減してるの? 間違って私が死なないために?」
「……平たく言うと、そうなるな」
「……」
「細心の注意を、払ってるんだろう」
嫌がって欲しい。
抵抗してほしい。
その為の希望が巫女。
妖怪を討つ者。
歴代の博麗は、そんな事のために居たって言うのか。
「……」
私は魔理沙の身体を離し、中空へと身を躍らせた。
慌ててブレーキをかける魔理沙と向き合い、その場に制止する。
不意に風が頬を撫でできたが、ぬるいとも涼しいとも感じなかった。
「……まだ痛むだろ、乗ってろよ」
「魔理沙、あんたはどうなのよ」
最初は、面白半分に付いてきてるのだと思っていた。
でも、そんな訳はない。
私が遊んでいる横で、こいつは本気だったってことだ。
「あんたも手加減してたのね」
「……あー」
「言い訳はいいわ」
私1人、道化。
事情を知らない、小童。
それがどうしても、許せなかった。
「魔理沙、私はこれから紅魔館に行ってくるわ」
「は?」
「そんでそこの連中を一人残らずぶっ飛ばしてくる」
「……おい」
「そこが終わったら次は山よ、天狗も河童も容赦しないわ、全員沈めてやる」
「あー、黙ってたのは悪かったぜ、私も言っていいのかどうか判断付かなかったんだ」
「決めたの、私は今から妖怪退治に行ってくる」
「……霊夢、いい加減にしてくれ」
「止めたいんなら止めればいいでしょ!!」
声を張り上げる私を、魔理沙は冷静な目で見つめていた。
自分でも、自分の声が湿っていることがわかる。
今だけは、鏡を見たくなかった。
「私は本気よ」
「……やれやれ」
私は少し、距離を取った。
十と数メートル。
弾幕ごっこの間合いだ。
魔理沙はホウキの上に立ち上がると、自分の胸辺りに手を触れる。
ポンと音がしたかと思うと、魔理沙の衣装が変わっていた。
グレーっぽいラフな格好から、白黒の正装へ。
キザな少女から、妖怪退治屋の魔法使いへ。
「死ぬにはいい日だ」
帽子の位置を整えながら、魔理沙は構えた。
今の魔理沙はきっと、優しくなんてない。
それでも、戦わなくちゃいけなかった。
そう思った。
これからも友達でいるために。
◆
魔理沙は動かない。
霊撃用の符は4枚。
無駄撃ちはできない。
弾幕ごっこじゃない、本気の勝負。
避けてもらうための弾幕は、そこにはない。
どれほど時間がたっただろう。
私と魔理沙は向かい合って対峙したまま動かない。
夜風に揺られてふわふわと揺れる髪を見ているうち、段々と魔理沙の存在が希薄に感じられるようになってきた。
不可解だ。
様子見にしたってなんだって、いくらなんでも動かなさすぎじゃないだろうか。
まさか……
「よお」
『すぐ耳元』で聞こえた魔理沙の声に反応し、振り向きざまに符を放つ。
「しまっ」
間に合うとは思えなかったが、何もしないよりはマシだ。
しかし振り返った先に魔理沙の姿は無く、放った符はむなしく宙を舞った。
「った!!」
慌ててもう半回転。
360度グルリと回転する時間は、魔理沙にとってあくびが出るほど長い時間だったのだろう。
目の前に迫った何かを認識する間もなく、額に堅い何かがぶち当たった。
衝撃で体勢が崩れる。
視界の端に映ったそれは、魔理沙のホウキだった。
これだけ射出して、ぶつけてきたらしい。
グルグルと回転する視界の中で、魔理沙の姿を探そうとする。
でもその姿をとらえるより先に、のど元に冷たい感触が走った。
「王手だ」
「……う」
耳元で魔理沙の声が聞こえた。
今度こそ本物だろう。
片手で私をがっちりとホールドしながら、油断なく首元にナイフを突きつけている。
完敗だった。
瞬殺だった。
「なによ、やっぱり強いんじゃん」
「……伊達に5年も魔女やってねーよ」
声だけ飛ばすなんてわけねーぜ、そう言って魔理沙は私を開放してくれる。
よく見たらその手に持っていたのはナイフじゃなくてスプーンだった。
こんなところでもマイ食器か。
ていうか5年って、私の巫女歴より短いじゃないの。
それ以前に5年やそこらで魔法って使えるものなのだろうか。
私が空とか飛べるようになったのって、割と最近よ?
「……これは私見だがな、紫はビビってんだよ」
再び魔理沙のホウキに乗せてもらい、神社へと帰る。
額の血はとっくに止まっていた。
「紫が? 何に?」
「里の人間に、だ」
「まさか」
乗せてもらいながら、魔理沙の持論を聞くことになった。
全ての里を飛び回り、妖怪のねぐらに侵入すること数十回。
倒した敵は数知れず、里のお偉いさんにも顔が効く。
名家と言われる所が保管しているような貴重な文献や歴史書なんかも、魔理沙はフリーパスで読み放題らしい。
妖怪のルールで妖怪を倒す、稀代のトラブルバスター。
そしておそらく現在最も幻想郷に詳しい人間。
そんな魔理沙の持論。
紫ビビってる説。
でもそんな事考えられない。
あの傲慢で不遜で、常に上から目線の超越者が里の人間にビビってる?
「自警団っているだろ」
「……ええ」
「あのブリキの兵隊未満のお粗末な連中が、紫は怖くて仕方がないのさ」
「まさか」
「そもそも幻想郷ができた理由がそれだろ、団結した人類は地球最強だからな」
それは、たぶんそうなのだろう。
話に聞く限りだと、外の世界は人間の天下、妖怪なんてそもそも認知すらされていない。
職業柄外来人との接触が多い私だったが、やはりみんなそう言うのだ。
それほどまでに、圧倒的。
いや向こうからしたら絶望的、か。
「直接聞いたわけじゃねーが、自警団の発足もレミリアが来るのと同時期だったらしい」
「そうなの」
「あいつらが暴れたせいで、いや逆か、里の半分が吹っ飛ぶほどの被害に遭うまでその手の組織は一切なかったそうだ」
「個人での退治屋はいたらしいけどね」
「あたしの先輩だな、みんな心のどこかで思ってたんだよ『巫女がいるから大丈夫』ってな」
巫女がいるから大丈夫。
むしろ、積極的にそう思わせていたのだろう。
歴代の博麗の戦果。
神社に記録はあるけれど、どこまでが本当で、どこからが誇張なのだろうか。
「『人間に武装されたくない』すべてはそこに集約されてるんだ、幻想郷ができた当初からそうなのか、当時の武装なんてオモチャもいいところだけどな、それを見た若き日の紫がこうなることを予見してたとしたら大したもんだ」
「ふーん」
「だからあたしは嬉しいんだぜ?」
「……なにが?」
「お前がいることがだよ、お前の存在が、人間の優位を証明している」
「……そっか」
「……もう着くぜ」
そう言って魔理沙は高度を下げた。
話に夢中で気が付かなかったが、魔理沙の背中越しに前を覗いてみると、見慣れた風景が迫ってきていた。
「とーちゃくっと」
「……ありがとね」
「命の恩人だぜ?」
「今度ご飯でも奢るわ」
「楽しみにしてるぜ」
それだけ言って、魔理沙は帰ろうとしてしまう。
その後ろ姿に、私は声を投げかけた。
「ねえ魔理沙」
「んー?」
「妖怪がさ、もし人食いやめたらどうする? 退治屋やめる?」
ありえない仮定。
妖怪にとって人間は、なくてはならない栄養源のようなものらしい。
妖力を蓄えるための、牛や豚なんかの肉では代えられないのだと、紫から聞いた。
しかも食べるときは他では味わえない興奮と恍惚が伴うという。
ほとんど依存症の様なものだ。
「……すでに食われた人たちが帰ってくるわけじゃねえ」
「そう」
それが答えだった。
「無理だよ霊夢、世界は残酷だ、みんななかよし平和ラブラブとはいかねえぜ」
そう言って魔理沙は上着を脱いだ。
そのまま器用に上半身だけ裸になる。
「……っ!!」
「もう戻れねえ、やらなきゃやられる」
その体は、傷だらけだった。
右肩から左の脇腹にかけて、大きな目立つ爪痕が3つ。
それを筆頭に、大小さまざまな傷が魔理沙の身体に刻まれていた。
「グロいだろ? こっちなんて先っちょねーぜ? たぶん母乳でねーよ」
「……そんなことないわ、綺麗よ」
「ありがとな」
それだけ言うと、また上着を着始める。
そのまま帰るには、今日はちょっと肌寒い。
なんて言って、ふざけながら。
「じゃあな、風邪ひくなよ」
「……うん、またね」
「ああ、またな」
今度こそ魔理沙は飛び上がる。
私を置いて、どこかへと飛び去ってしまう。
その姿が見えなくなるまで、見えなくなっても。
ずっとその空を見ていた。
満天の星空は、今日も変わらず美しかった。
「……」
縁側に腰掛けながら、私は思う。
私にはごっこ遊びがふさわしい、と。
魔理沙がいるような世界には、とてもじゃないが踏み込めない。
魔理沙は怖くないのだろうか。
いや、そんな訳がない。
それ以上の何かを胸に、最前線を飛んでいるのだろう。
想像でしかないけれど。
私はだめだ。
今更になって震えてきた。
足の傷が、蹴られたお腹が、打ち付けた背中が、絞められた首が。
その感触を、反芻している。
「……ぅぅ」
今から魔理沙を追いかけて一緒に居てと言いたくなる。
言ったら居てくれるだろうか。
「……魔理沙ぁ」
私は所詮、いくらでも替えの利く幻想郷の備品。
そんな気はしていた。
嘘じゃない。
ほんとになんとなく、おぼろげだけど、そんな気はしていたのだ。
でもそんな私を居てくれてうれしいって言ってくれた。
他にも大事なこと言っていた気がするけど、それだけが頭の中で繰り返されていた。
「……」
服に付いた汚れを払い、私は境内へと戻ることにした。
◆
昔、一番昔の記憶。
紫に手を引かれ、親元から引き離された。
不幸に嘆く両親がいた、もう顔も思い出せない。
紫や部下の連中にいろいろ教わりながら、今日の今日までやってきた。
でも、と思う。
私が今までしてきたことは、全部誰かの都合によるもので。
そこに私の意思はないのだろう。
説得するより代えた方が早い。
触角の妖怪に言われたことを思い出した。
そんな使い捨ての運命だけど、それに抗う力が無い。
無知で無力で愚かなピエロは、今日も幻想の供物となる。
いっそ知らずにいたかった。
道化のまま、過ごしたかった。
この理不尽に立ち向かう勇気がありません。
戦う友の傍らにすら立てません。
ごめんなさい。
弱い私を許して下さい。
「畜生」
つぶやきながら寝室の戸をあけ、巫女装束のまま布団に倒れこむ。
今これを脱いだら、2度と着られない気がした。
「……」
布団は、とっくに冷え切っていた。
了
こういう、俺の幻想郷マジもんだからマジぬるいのとか勘弁なマジって話も悪くはないんだけど。
作家として最低限のルールだと思いますよ?
これからも好きにやっちゃってください!
あるいは冒頭に注意書きをつけるとか。
ほのぼの好きな人が見ると結構ショック受けます
タグは分類や検索の為にあるものです
某笑顔動画の様にネタで付ける物ではありません
さておき、お話は好みでした
というか大好きです
しかし、此所で評価を貰うのは厳しいかと
然るべき場所に投稿することをお勧めします
東方原作の世界観や神主の発言見てると、長寿の妖怪も骨子は子供だからこその東方のはずだし、
この作品を見る限り、霊夢以外のキャラは人間でも、無理やり子供を卒業させられてる、みたいな風に見えます。
あと、設定面だと、今までの博麗の巫女がどうやってたのかも気になりました。
弾幕ごっこが主流になる前から、巫女専用のごっこ遊びで無理やり巫女の看板守らされてたんだろうか……? そんな見るからに儀式さながらの抵抗で、里の人間は納得できてたんでしょうか?
ただお話はありかなと思いました
魔理沙は例外なんでしょうか?
それとあなたは霊夢が嫌いなんですか? あとがきいらないですよね
話は嫌いではないのですが…
だったら一応シリーズものと書いていたほうがいいと思いますよ。
一話だけみても一つの話としてみれるのは素晴しいですが、それでもやはり世界観や話の筋や
キャラの行動がどうしても納得がいかない感じになってしまうと思うので
ストーリーもキャラも世界観もとても面白いと思うので勿体無い気がします。
ひょっとしたら、それもこのシリーズのテーマのための一つの演出かも知れませんが
つまり、世界を正しく認識出来てるか出来てないかで全然見え方が違うと。
霊夢みたく正しく認識できず、表面上の平和ラブラブほのぼのを真に受けてしまうと
「ほのぼの平和でいいわ、ってあれ、なんでいきなりシリアス暴力に、へ、なんでこんな目に・・?ひどくね?ハードボイド過ぎね?」ってなることを読者にも体験させる試みかも知れませんが。
霊夢だけ子供なのも彼女だけ表面上しか認識出来てないってことですよね?
>>『こんな子供がそんな強いわけねーだろ』が、私の東方観の根幹
ってことは魔理沙も霊夢同様に弱くないと成立しない気が・・・。それともこの魔理沙は捨虫捨食で種族的に魔法使いになっているとか? でも儚月抄で神を降ろして戦っていた筈なんで、少なくとも霊夢は弱くないと思うんですよね。
あと博麗の巫女=人間の優位性の証明ではないですよ。人間なんて里の外に出れば妖怪に喰われるし、博麗の巫女が強いからって他の人間も強いわけではない。博麗ってのはあくまでもやられたらやり返して人と妖怪の均衡を保つためにあるんでしょう。分別のない妖怪が里を襲って人間を壊滅させないための抑止力と言うか。人間が居なくなっても幻想郷は成立しませんのでね。
弱い霊夢がボコられるのを書きたいなら書きたいで、突っ込みどころは潰しておくべきかと。助けに入るのは魔理沙じゃなくて、例えば紫とかの方が適任だと思います。あ、別にリグルとかが強いことを否定しているわけではありませんからね。
おもしろい!
現実に立ち向かっていくキャラは最高だぜ!
ところでさ、タグも投稿場所もストーリーもお主の好きなようにするがいい!
誰もルールなんて決めてないのだから。強く生きろ!応援してるぜ!
いやあハマった。ままならない現実とそれぞれのキャラクターの意図を徹底的に描いているのが素晴らしいと思います。これから自由にやってください!
俺のノミの心臓が穴だらけになりそうだ
キャラが感じ悪いのがやだ
ヤマメちゃん噺ぐらい愛に溢れたダークな話が読みたい
リグルきゅんにボッコボコにされる辺りでくっそ胸糞悪くなりました。理由は色々あると思うんだけど(例えばチンピラが子供にムキになってる感とか)それにしても霊夢さんカワイソス。
でもきっとこれ、霊夢が弱くて子供で、そして何も教えて貰ってないだけで、それ以外の世界はなんら問題なく通常運転なんですよね。報われない贄役で。
いやしかし報われないなあ。
点数はいつも無頓着なんですけどなんかムカついたのとでもやっぱり面白いのとで八十点入れときます。
個人的にあきらかに変えちゃダメな原作設定変えてしまったのでこの評価で
象徴である巫女は象徴でしかない。
自分的に、このお話が一番、南条さんの幻想郷を表しているのではないかな、なんて思います。