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「河童の里の冷やし中華と串きゅうり」(ここ) 「迷いの竹林の焼き鳥と目玉親子丼」(作品集174) 「太陽の畑の五目あんかけ焼きそば」(作品集174) 「紅魔館のカレーライスとバーベキュー」(作品集174) 「天狗の里の醤油ラーメンとライス」(作品集175) 「天界の桃のタルトと天ぷら定食」(作品集175) 「守矢神社のソースカツ丼」(作品集175) 「白玉楼のすき焼きと卵かけご飯」(作品集176) 「外の世界のけつねうどんとおにぎり」(作品集176) 「橙のねこまんまとイワナの塩焼き」(作品集176) | 「人間の里の豚カルビ丼と豚汁」(作品集162) 「命蓮寺のスープカレー」(作品集162) 「妖怪の山ふもとの焼き芋とスイートポテト」(作品集163) 「中有の道出店のモダン焼き」(作品集164) 「博麗神社の温泉卵かけご飯」(作品集164) 「魔法の森のキノコスパゲッティ弁当」(作品集164) 「旧地獄街道の一人焼肉」(作品集165) 「夜雀の屋台の串焼きとおでん」(作品集165) 「人間の里のきつねうどんといなり寿司」(作品集166) 「八雲紫の牛丼と焼き餃子」(作品集166) |
うだるような日射しが、容赦なく大地に照りつけている。
「暑い……」
私――八雲藍は、額の汗を手ぬぐいで拭きながら、妖怪の山の麓を歩いていた。季節は夏真っ盛りである。あたり一面に響き渡る蝉の大合唱。木陰を選んで歩き、近くに流れる川のせせらぎにかすかな涼を求めたところで、根本的な気温の高さはどうにもならない。
立ち止まり、手にした荷物を置くと、襟元を緩め、ぶるんぶるん、と九尾の尻尾を振り回して首元に風を送る。ああ、少しばかり気分が涼やかになった。みっともなくて人前では出来ないが、こんなところで誰に見られるわけでもないだろう。近くは森と川しかないわけだし――。
ばしゃん、と川から何かが水音。
私ははっとして、川の方をぎこちなく振り返った。
川面から、河童の少女が顔を出して、こちらを見つめていた。
「――――」
私が何か言うより早く、その河童はちゃぷんと川の中に沈んで姿を消す。私はしばし硬直したまま、じりじりと照りつける日射しの中に立ちすくんでいた。
――見られた。あられもなく首元をはだけて、尻尾を扇風機のように振り回して涼をとっているところを見られた。これは八雲藍一生の不覚と言わざるを得ない。天狗の新聞記者でなかったことを不幸中の幸いと喜ぶ気力も湧かず、私は頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。
誰にも邪魔されず、気を遣わずにものを食べるという、孤高の行為。
この行為こそが、人と妖に平等に与えられた、最高の“癒し”と言えるのである。
狐独のグルメ Season 2
「河童の里の冷やし中華と串きゅうり」
妖怪の山という場所は、幻想郷の他の場所に比べても排他的な雰囲気が強い。
人間の里や中有の道のフランクさに対して、河童にしろ天狗にしろ、自分たちのテリトリーを犯されるのをひどく嫌っている節がある。河童はまだ逃げるだけだからいいが、天狗は警備の白狼天狗が問答無用で斬りかかってくるからたまらない。もちろん私とて九尾の妖狐であるからして、白狼天狗ごときに後れを取ることはないにせよ、無益な戦いは避けるが道理だ。
さて、ではなぜ私がそんな妖怪の山に来ているかといえば――。
「よいしょ」
抱えた箱を持ち直し、私は河童の里に足を踏み入れた。箱の中身は、壊れた扇風機だ。私が算術の教師をしている、人里の寺子屋の備品である。今日の午前の授業中、急に動かなくなってしまったのだ。
河童のバザーで仕入れたものだそうで、それなら修理も河童の里に直接持ち込んだ方が早いだろう。上白沢慧音女史は自分で持っていくと言ったが、歴史家と教師と自警団員と作家とを掛け持ちしている彼女が忙しいのは私も知っているので、私がこうして運んできた次第である。
いや、私だって決して暇なわけではないのだが、何しろこの季節、扇風機のない教室で授業をするのは御免被りたい。子供たちの学習意欲にも影響するだろうし。
「さて……河城工房っていうのはどこだ?」
きょろきょろと周囲を見回す。扇風機の箱には《河城工房》と印字されていたので、ここに持っていけば修理してもらえるだろうが――とりあえず、そのへんの河童に訊いてみるか。そう思って、近くにいた河童に「ちょっと失礼」と声をかける。が、
「ひゅい!?」
そうだ、河童は基本的に他種族に対しては人見知りなのである。私が声をかけた途端、黒髪おかっぱの少女は、びくりと身を竦めて物陰に隠れてしまった。肩を竦め、私はさらに視線をめぐらす。――が、他の河童もどこか遠巻きにこちらを眺めるばかりで、近付いてはこない。
やれやれ、自力で探すか。私は箱を抱え直して、里の道を歩き始めた。
そう広くもない河童の里を三十分ほどうろうろして、ようやく細い路地の片隅に河城工房の看板を見つけた。のはいいのだが、シャッターが閉まっている。今日は休業日なのだろうか。
「すみませーん」
声をかけてみるが、反応は無い。ううむ、どうしたものか。
ああ、それにしても暑い。汗を拭って、私は軒先の日陰で息を吐く。
冷たいものが飲みたい。もしくは氷菓子か――とにかく、水分が補給できて涼がとれそうなものならなんでもいい。この暑さでは、そりゃ機械もへばるだろう。式の私がこれなのだから。
ここでこうしてシャッターが開くのを待っていても仕方なさそうだ。他を当たるか――そう思って地面に置いていた箱を持ち上げようとしたとき、ぱたぱたという足音がした。顔を上げると、河童の少女がひとり、足早にこちらに駆けてくる。
緑の帽子にリュックを背負った少女は、軒先にいる私の姿を見て目を丸くした。
「おおう、お客さん? ごめーん、今店開けるねー」
少女は私の横に駆け寄ると、鍵を開けてがらがらとシャッターを上げる。その横顔をぼんやり見ていた私は、はてどこかで見たような顔だが、とひとつ首を傾げた。どこだったか――そう考えていると、少女もこちらを見上げて、「あれ?」と首を傾げた。
「お客さん、さっき川べり歩いてなかった?」
「――――あ」
思い出した。あの河童だ。私が尻尾を扇風機代わりにして涼んでいたときに、川から顔を出してこちらを見ていた河童の少女――。
私は思わず、むんずとその襟首を捕まえた。「ひゅい!?」と少女は悲鳴をあげる。その悲鳴は河童の鳴き声か何かなのか。
「――さっき見たことは他言無用だ、いいか」
「は、はへ……」
私が睨むと、少女はわけがわからないという顔でこくこくと頷いた。
河城にとりと名乗った河童の少女は、私の差し出した扇風機を見て、「あー、とりあえず一度ばらして全部チェックするから、一時間ぐらいしたらまた来てね」と言った。大雑把なことだが、こういうことは専門家に任せるにしくはない。
そんなわけで、一時間ほどぽっかりと時間が空いてしまった。人里に戻るにも半端な時間だし、この河童の里で時間を潰すか、と私は店の外に出る。
――ああ、お腹が減ってきた。
よく考えれば、午前の授業を終えたあと、そのままこっちに来たから、昼食をまだとっていないのだった。ちょうどいい、何か店ぐらいあるだろう。私は歩き出す。
河童たちが行き交う里の通りを歩く。なんだか妙に注目を集めている気がしたが、あまり気にしても仕方ない。河童たちにしてみれば、妖狐がこんなところに来ているのが珍しいのだろうし。いや、だからといって見世物になる気も無いが、さりとて姿を消すのも馬鹿馬鹿しい。
しかし、飯屋はどこだ。今の私の腹に入れるべきもの何なんだ。
落ち着け。考えるな、感じるんだ。感じたまま、良さそうな店に入ればいい。
私は視線をめぐらす。とにかく何でもいいから、食べ物を出す店は無いのか。
――しかし、目に入るのはどこもかしこも、《○○工房》《△△家具店》《金物の☆☆》《□□電器》《カメラの××堂》エトセトラエトセトラ。延々とそんな感じで実用品の店ばかりが軒を連ね、飯屋は一向に見つからない。
まるで、この里には食欲というものが欠乏しているかのようだ。この里じたいが大きな工房の中みたいに思える。さりとて、飯を食わねば生きていかれぬのは河童とて同じはずだが。
「ううむ……」
空腹に目がつり上がってくる。何でもいい、キュウリだけでもいいから、何か私に食べ物を。
半ば殺気だった目になっているのを自覚しながら、私は路地を覗きこむ。
――《食堂》ののぼりがそこにあった。ああ、やっと見つけた! 家中ひっくり返しての探し物を見つけたような気分で、私は何の店かを確かめることもなくその店の暖簾をくぐった。
「いらっしゃ……おぉ? いらっしゃいませー」
河童の店員が、私の姿に目を丸くする。そんなに狐の客が珍しいか、とは思ったが、とにかく飯だ飯。腹が減って死にそうなんだ。私は席に着き、テーブルに置かれたメニューを見やる。
もりそば、ざるそば、天ぷらそば――そうか、ここは蕎麦屋だったか。うどんもある。となれば――と見れば、期待通りのその文字があった。きつねうどん。よしよし、それならきつねうどん一択だ。私は浮かれた気分で、注文を取りにきた店員を振り返る。
「きつねうどんひとつ」
勇んでそう注文した私に、店員はしかし、困ったように苦笑した。
「あ、ごめんなさい、温かいメニューは来月からなんですよ」
「なん……」
愕然と目を見開き、私はもう一度メニューを見下ろした。――確かに、《温かいうどん》の文字の下に小さく、《長月から皐月まで》の文字が印字されている。今は葉月の頭だ。
出鼻をくじかれたどころの話ではない。唖然呆然、驚天動地の事態に私の思考は停止した。
「じゃ……じゃあ、きつねそばを」
「ですからごめんなさい、温かいおそばも来月からなんです。夏場は注文する人がいなくて」
ここにいるだろう、ここに。そう主張したかったが、それではただの迷惑な客である。僅かに残った理性でぐっと堪え、私は虚ろな目でメニューを眺めた。しかしきつねうどんを奪われた衝撃の前では、空腹の前であってもどのメニューも輝かない。
「……冷やし中華で」
「かしこまりましたー」
結局、メニューの端にあったそれを注文していた。もう、とにかく空腹を埋められればなんでもいい。捨て鉢な気分で息を吐いて、私はぐっとグラスの水を飲み干した。
まあ、とにかくさっと食ってぱっと扇風機を回収してさっさと帰ろう。ふて腐れたような気分でぼんやり、店の壁に貼られた将棋大会のポスターを眺めていると、「お待たせしましたー」と冷やし中華が運ばれてきた。
透明な器に、たっぷり盛られた中華麺の上、錦糸卵に細切りのきゅうり、トマト、鶏のささみに少しの紅生姜。ううん、いかにもって感じの冷やし中華だな。かけ汁がかかっていないようだが、と思ったら「かけ汁はお好きな方をお使いください」とポット型の醤油差しのようなものをふたつ渡された。それぞれ《酢醤油》《ごまだれ》と書かれている。なるほど。
現金なもので、沈んでいた気分が食べ物を前にするともりもり復活する。私は箸を手にとって「いただきます」と手を合わせた。かけ汁はどっちにするかな。さっぱりといくなら酢醤油だが……いや、ここは敢えてごまだれで食べよう。私は薄茶色のかけ汁を麺全体にまぶすようにかける。うんうん、それらしくなってきた。
まずは麺から。かけ汁の良い具合に絡んだ麺をすする。うん、冷たくて歯ごたえがある。ごまだれのこってり感のある風味が、麺じたいのさっぱり感と絡み合って、絶妙な味わいだ。酢醤油もいいが、やっぱり冷やし中華はごまだれ派だな、私は。
麺のもちもち感の後には、細切りきゅうりのシャキシャキ感がいいアクセントだ。ちょっと量が多いが、結構結構。トマトもさっぱりした味を添えて、食欲が進む。
「ずずっ、んっ、美味い」
鶏のささみっていうのがまた、心憎いじゃないか。冷やし中華にはハムでもいいが、ごまだれにはやっぱりあっさりした鶏ささみが合う。
錦糸卵は決して強く自己主張することはないが、そのほのかな甘みが全体の爽やかさをいっそう引き立てる。そして紅生姜の風味が味に変化をつけ、飽きずに食べさせてくれるのだ。
それぞれ大きさの異なる歯車がぴたりと噛み合って機械を動かすように、麺ときゅうり、トマト、ささみ、卵に紅生姜ががっちりと絡み合って、冷やし中華というひとつのシステムを構築しているのだな。ごまだれは、さながらその潤滑油か。
「あむ、ずず、ずぅぅ――」
麺という大きな歯車を中心に、なめらかに動き続ける冷やし中華が、私の胃の中に吸い込まれていく。私も冷やし中華というシステムの一部になってしまったかのようだ。私が食べることで冷やし中華は完成するのか、完成した冷やし中華というシステムに私という食事者が組み込まれているのか――ああ、もう、なんでもいい。うだるような熱気にへばった身体が冷まされ、活力を吹き込まれていくようだ。エネルギーを与えるのは、何も熱ばかりではない。爽やかな冷たさもまた、私というシステムのエネルギー源なのだ。
「むぐ、むぐ――はふぅ。美味かった、ごちそうさま」
ああ、腹の中が中華だ。冷やし中華、満足。
つい先ほどまでのふて腐れた気分は消え失せ、私は幸福な満足感に浸りながら店の中を眺める。河童たちが思い思いに昼食をとりながら、歓談する者もいれば、何か書きものをしている者もいるし、中にはざるそばを食べながら将棋をしている者もいる。
その光景は人里の食堂などと変わるところはなく、私は小さく笑みを漏らした。
一時間より少し早く《河城工房》に戻ると、既に扇風機は箱詰めされて袋に入れられ机の上に置かれていた。何か別の作業をしているにとりに声を掛けると、「ああうん、もう終わったよ」との返事。お代は、と問うと、「いいよいいよ、うちの売ったものだし、無償修理の保証期限内ってことで」とにとりは笑った。
「そうか、ありがとう」
「どういたしまして。盟友によろしく!」
何に感化されたのか、びしっと敬礼してみせるにとりに、私は笑って背を向ける。
――と、そこでふと、脳裏によぎるものがあった。そういえば、この河童の少女を見かけたのは、さっきの川辺でのことが最初ではない。あれは確か、去年の秋から冬の頃……。
記憶をたぐりながら顔を上げると、棚の上に一枚の写真が飾られていた。そこには、にとりを中心に四人の少女が並んで映っている。そのうちふたりには見覚えがあった。麓で焼き芋屋兼アクセサリーショップをやっていた、神様の姉妹だ。もうひとり、にとりと寄り添うように微笑んだ背の高いゴスロリ服の少女は見知らぬ顔だが――。
「お客さん、どうかした?」
立ち止まった私に、にとりがそう首を傾げた。
「……踊る人形のオルゴールは、ちゃんと渡せたのかい?」
「ひゅい!? な、ななな、なんでそれ知ってるの!? お客さん何者!?」
なるほど、あの写真の少女へのプレゼントだったわけだ。私はにとりの問いには答えずに、扇風機の箱の入った袋を提げて店を出た。みっともないところを見られた分は、これでおあいこにしておいてもらおう。
さて、里に戻って寺子屋にこれを届けたら、自分の仕事に戻らなければ。私は足早に河童の里の通りを歩く。相変わらず日射しは強く、またすぐに汗が滲んできた。
「冷たい串きゅうりいかがですかー」
と、そんな声が通りに響く。見ると、屋台を引いて歩く河童の姿があった。歩いていた河童が何人か、歓声をあげて駆け寄る。私も興味を覚えてそちらに足を向けた。
「串きゅうり一本」
「毎度ー」
差し出されたのは、その名の通り、串にきゅうりを刺しただけの代物だった。味噌か何かつけて食べるものじゃないのだろうか? 不思議に思って囓ってみると、ちゃんと味が付いている。浅漬けの味だ。へえ、こういうものもあるんだな。
片手に扇風機の袋、片手に串きゅうり。そんなスタイルで歩いていると、同じように串きゅうりを食べながら歩く河童たちの姿の中に、少し馴染めたような気がした。
根っから技術者の河童たちにしてみれば、創作欲の前に食欲は二の次なのかもしれない。しかしその創作欲も、何かを食べて得たエネルギーから生み出されているもののはずだ。河童にとってはきゅうりがその最大のエネルギー源なのだろう。私にとっての油揚げのように。
しゃく、と串きゅうりを囓りながら、私は思う。明日は人里できつねうどんを食べよう、と。
まあ、冷やし中華も美味しいですけどねー
ごちそうさまでした。
そして割り箸から抜け落ちそうになるのを苦心しながら食べるのです。
昼は冷やし中華かなぁ、でもまだあるかな。
串キュウリなんて初めて聞いたけど、実在するんだね。
串キュウリ美味しいですよね。
よく登る近場の山の上で売ってるのでよく食べます
浅漬けの串きゅうり美味しそうだなぁ
酒のアテに今度作ってみようかしら
本編ともに毎週楽しみに待ってます。
それにしても何故か頭に浮かぶ藍様の顔がゴローちゃんになってしまって困るw
相変わらずの安定したクォリティですね。
本家→食事→このSS→食事と素晴らしい流れです。
食い道楽な藍様、これからも楽しみにさせて頂きます。
お腹をすかせて待ってます!
第2期楽しみにしてます!
今期も楽しみにしてます
ふらっとYUKARIコーナーも欲しいなあ
河童の里も良い感じです
藍様のがっかり具合に妙に共感できて楽しかったです。さぁ、朝飯はうどん雑炊にするか…
相変わらず読んでると食欲を持て余す
次作も楽しみにお待ちしています。
文章でこれだけうまそうに書けるのがすごい。物語部分の展開も楽しみ!
地元民の視線に晒されながら電気街をさ迷って地元の常連が通ってそうな小さな店を発見し、冷し中華を注文するまでの流れ、最高です
この言葉にしがたい叙情的な感じの描写が、さすがだと思います