日常は誰かの頭を蹴飛ばすことで始まる。
目覚めからずいぶん衝動的で、これだけ切り取って話せば確実に忌避される人格だと言いふらしているもんだけど、相手は妖怪。
妖怪なら何をしてもな訳ではないが、少々意思相通の程度が乱雑な方がしっくりする。何より役割柄ナメられるわけにはいかない。
とまぁ建前は並べれば際限がないモノで、実際は直感情な部分が本音だ。つまり、目障りはいかに繕おうが目に障るのだ。
これを聞いた幾人かは揃って一様に、仕方がないやつだなぁと苦笑を零す。お前は仕方がないやつだと、繰り返し。
いずれの目線も、向けられて首筋がかゆくなるようなものだった。
そんな訳で、
「おう。おはようさん、昨日はよく眠れたかい? まさか歯磨きを忘れたんじゃないだろうね。虫歯はおっかないぞぅ、文字通り゛蝕まれる゛んだから。病の一歩前だよ、きぃ使いんな」
分かったんね? と、磨き伸ばした金色の目で圧しつつ、朝日を受けながらありがたみの一片もないことを我が家顔で寝転がったまんまの説いているのは──地底の妖怪で。
「なんだい、ヒトを道ばたの石っころでも拝むような目で──うん? おいおい、朝からずいぶん剣呑」
一つだけ、忘れていた。朝方、私はほとんど自制が利かないのだと。
迷うこと無くまず遠心力。一歩も踏み出さずに駆動調達を始めた体勢の行き着く所は目に見えている。と、どこか他人事に。
鳥居のど真ん中をきりもみに過ぎて行く、今さっきまで足元で喚いていた妖怪を朝日まで刈りとるように振りぬいた足の向こうへ、淡々と見送ったのだ。
「……ねむい」
腹減ったなぁ、とあべこべしながら茶碗を引き出し、抱えたまま再度布団へと。
起きたら茶碗はよだれまみれになっている。
────
よだれに白米。
単語だけ並べれば生唾を飲んで待った食事と取れるだろうが、それは茶碗に入った順番が正解だ。
もっとも聞いてたどり着くやつがいるのかは、さて置き。そのよだれ白米茶碗を待ちながらぐったりと頬を預けた卓台の上は、まだ朝抜けの冷気をひやりと纏っていた。
「ひどいねぇ、頭を鞠のように蹴たぐられて飯まで用意しなきゃならないなんて。獄と付いた土の下でももっと仕打ちは穏やかだよ」
私が思い返すに、頭どころかまるごと蹴飛ばした気がする。
敷物をひいた畳に鎮座する釜から上る白い煙は、炊き上げたばかりの証拠。
対面の座卓に行儀よく正座などして構え、花柄の茶碗に粒立った米をぺちぺちとよそってはこちらへと寄越す、黒い袖に包まれた腕。
言うほど非難する顔でもないそいつは、黒谷ヤマメ。地底のアイドルだとか真顔で言い放つ、
「タモだっけ」
「誰が魚を捕まえる網かい。おまえ、さっきから私をないがしろにし過ぎだよ。土蜘蛛だ、ツチグモ」
らしい。
やれやれ、と零すまでもなく頭をふって見せて。差し込み始める朝日に、くすんだ色の金髪を後ろで結わえた黒いリボンがぽっかりと浮き上がっていた。
いただきますと互いに合わせるでもなく、けどいずれも食事を始める。ヤマメは塩を甘めに振ったシャケに。私はかぶの漬物に。
長く生きているからだろうか、ふと見やった箸の運びは傍目に見ても整っていた。必然的に和の食に接することが多いここでは慣れない箸を振るう奴が意外、と言うよりは結構いる。
生まれの文化はそうそぎ落とせないものなのか、年単位で接しているであろうにいくらかの洋妖怪は今だこんがらがった持ち方をしていた。
それを鑑みると、こちらの妖怪なだけはあるというのか。
「そんながん見したってシャケはやらんよ。大きさの不公平は水かけ論だかんね」
ぼけっとした眼差しをどう解釈したのか。まるで意地汚さの権化、とでも言いたげである。
そんな消耗論まで持ち出してケチつけをするような人間だと。心外もいい所。目をつけるとしたら焼き具合のものだ。──ところで、よく焼けてるなぁ、あっち。
「水かけたら縮むのかしら、クモって」
かぶを一口含めばしゃきりと奥歯で鳴らして。この塩加減と自然な甘み、舌を通るかすかな辛みが好みだった。
こちらの言いぶりに踏む方向を間違えたと悟ったのか、続く言葉は少し弁明じみていた。
「泳げないんだから、勘弁しておくれ。ここまで生きてきて果てるのが水底だなんて私しゃ嫌だよ」
言って、さほど崩さずに切り分けた淡色の身を白米に乗せ、眉根をよせながらも上機嫌でそれを口許に運ぶと言う器用な真似をしてみせる。
縮こまったように肩をすくめるのは、流石の抜け目なさか。
金髪金目に青っちろい肌と容姿のそれは和にそぐわないのに、こうして箸で魚を突いている様を見ると首をかしげる所がないというのがなんとも可笑しくて、歪みそうだった口許を丁度ついたご飯粒共に拭って嚥下した。
私もまだ熱の冷めやらぬ内にとシャケへ箸を伸ばす。ぱくりと割った身からは、忘れていた湯気が顔を見せる。
……味噌汁を頼むのを忘れていたと、今になってから後悔したのだった。
────
「たのもーーーーう!」
すぴゃあん、と滑らかに開けきった障子の向こう──わざわざ開いていない方から回ってくる辺り、この登場がしたかったのだと見える。
ヤマメとお互い残り三口ほどで朝食が終わる所に現れたのは、小柄な少女。朝日を後光のように受けてにっかりと笑み湛える、艶の無い銀髪と緑目。またも和をなめくさっていた。
「おーう、こいし。なんだい、来んなら一言寄越せばいいのにおまえ」
「うんそう、だから来るよって言いに来たわ」
あべこべ。
大きさが合わないのか、こいしが大きな身振りをすると被っている黒帽子が前後ならず左右にまで自在に動いていた。
私はご飯を粗末にしまいと無言で箸を動かす。応対は勘違いしまくったニセ住人がしてくれるのだから。
古明地こいし──こやつの相手をさせられると、昼寝をしていたのにいつの間にか大漁の猫と共に纏わりつかれてたり、肉を切ろうとしたらいつの間にか゛しな゛を作ってまな板に乗っていたり。買い物にいけば包みに飴っこをすべりこませていたりする閻魔もびっくりの極悪人だ。この間なんかは洗濯物に服を紛れ込ませていた。
気がついたのは日も沈んで取り込む段階になってからで、当の本人はどこに居たかと言えば堂々と人の布団を引いて寝っこけていやがる。素っ裸で。
──こいし、許すまじ。と息巻いていたのだけど、そういう時に限って姿を見せないのだ、奴は。
そろそろ姉の方を呼び出して愚痴を聞かせる必要があるかもしれない。言葉と思考で責められ涙目になるんだろうなぁ、と本人が読んだら頬を膨らませてうなりそうな想像をして。
愚考の端に一通り食い尽くし終えて、またも無言で両手を合わせごちそうさまを一つ。まだ食べきっていないヤマメは気配を察しつつも目線だけで頷くが、それがこいしの注意を向けさせる一手となった。
「──霊夢」
眩く溢れんばかりの喜色がこちらを捉え、心なしか導線と共に纏う閉じられた瞳もこちらを向いたような動きをする。
ち、と舌打つのは別にあてつけを意識した訳ではない。無意識が煩わしさを隠し切れなかったのだ。
持ち上げかけた食器を再び卓上に戻すや、両手を広げたこいしが胸めがけて吹っ飛んできた。分かっていても毎度こいつは受け止めにくい。
どでん、と座ったまますっ転ぶという芸当をしながらも一回りちっさい頭を引っぱたいてやった。
「まだ食事してるやつがいるでしょうが」
「ちゃんと霊夢を狙うって言ったよ?」
「食事中にどたばたすんなってことだと、こいし」
ヤマメが律儀に噛み砕いてくれる。いや、必要もなく伝わってる、と思いたいが。
「私が来るまでご飯を待ってくれなかった嫌がらせです」
えへぇ、とだらしなく笑んだこいしをもう一発はたいた。確信犯か、こいつ。
それでこの問答は終わりだとばかりに胸元にぎゅるぎゅると頭を潜りこませてくる。残念ながら、この状態では蹴っ飛ばせない。
ヤマメは最後の三口をゆっくりと味わっているのに、どうにも不公平を拭えなかった。恨みがましい目をそのままに反応を待てば、箸をち、ち、と振り一番最初に相手をしたのは私だから何も不公平はない、とでも言うかのようにふんぞり返って見せてくる。
──ヤマメ、許すまじ。
割と恨みやすい自分ではあった。
────
「あれ、やっとご飯おわったの? ──っと」
こいしの相手に四苦八苦しているこちらをのんびり眺めながら食い終えたヤマメが、見計らったように満面の笑みで振り返ったこいしから捕食者との対峙を見出した恐怖を貼り付けたのを尻目に。
あっさり懐に滑りこまれ主導権をぶんどられた悲鳴にいい気味だと取り残して、二人分の食器を下げに台所へとやって来ると先客──いあ、お客様(無法侵入者)が一人。
軽く中へと投げて空けた手に、戻ってきた椀を取る。さすがに持ったままでは難しかった。
「──こいしに天子。その日両方を見かけただけで憂鬱になる組み合わせね……」
「挨拶代わりが二膳の箸な巫女に言われたかない話だわ、まったく」
こちらは憤りを隠さず四本の箸を流しにからんと放る。年の落ち着きが違うのだろうか。あっちは朝日に向かって蹴り飛ばしてもまだ、というのに。
まるで土気色に萎びた母屋の内装にそぐわない極彩の色成りをした令嬢──比那名居天子は、流水のように揺らめく蒼髪の尾を振って途中だったと思しき作業へ向かい直った。
もはや和などは゛うちゅう゛外の理と化している。
天子はご丁寧に前掛けをして,、どうも何かを切っているらしい。横に立ってなになに、と見るまでもなく傍らの籠に盛られていたまるまるとした物が目に入る。
先ほどからこれでもかと鼻腔を甘く芳ぐわせているのは、瑞々しく潤う桃のそれ。しかも、
「ずいぶんと山にもりもり盛られて来たもんねぇ」
「いつものことじゃない。余さず食べてくれてるから素直に助かるわ。こっちはそろそろ桃以外の味が分からなくなっちゃう」
他の味が恋しい、ではなく分からなくなる。天界の食事情が垣間見えんとする言葉だった。
「腐るほど生るんでしょ? 律儀に口へ運ばなくても」
あくまで外聞のみでの意見だが、案の定というか。天子は目に見えて肩を落しつつも大まかに等分された桃を青い皿に並べていく。
流しに食器を置いて水をかけ、潰れやすい桃にする切り方でないと思いつつ、その手際の良さと崩れずに切り立った実を見るとその気落ちが理解出来るような気がした。
「林檎みたいねぇ」
「ええ、ずっしりしているのに刃を通すとこんなにも、ほら」
言って、また一つ。新たな実を縦に割れば繊維の裁断音すらなく、ぬるりと身を分けまな板上でだるまのように踊る。蜜の溢れた断面からこれでもかと果汁が滴っていた。
こんな上物を目の当たりどころか常日頃から接していて嘆息を零すなど、よほど桃が嫌いかそれを食べ過ぎたか、だ。
「一言で言うなら」
「辟易」
「切実に」
「もう食べたくない」
「言葉が通じたら」
「もう実らなくてもいいのよ?」
赤眼を目蓋に隠し、虚しさの届かない声音で嘆く。ぱっぱと出る辺り、大分処理しあぐねているようだ。
贅沢なことだ、とは分かっていても言われたくないだろうな、と。
まぁ、そんな訳で身銭を切ろうものなら向こう三ヶ月の極貧は確定するような桃をタダで分けて貰って──いや押し付けられている。それも、宛先はここだけでない始末だと天子は零す。こっちは桃以外が主食なのでその極上の甘味に味覚を委ねつつも飽きる事はない。
強いて言えば、天界でならいつまでも瑞々しさを保持するという実が下界に降りた途端、普通種の何倍もの早さで腐るということだろうか。具体的な時間だと日が昇った直後に届けられば、その日の晩が宝果の寿命だった。
さすがに量となれば一人では口に余る。最近はたかり屋と住み込み屋が増えたので食いつぶす勿体なさを味わうことも無くなってきたが。
「ま、足の踏み場もなく一面に山となってくる光景を毎日見ていれば……嫌でも分かるわ」
先ほどの答えか。じと睨んできた目は、こちらの表情から環境の差異を読み取って恨めしくなったのだろう。続き二、三と刃を通しながらそんなことをぽつりと吐き捨てる。
しかしそのくらいで済んでいるのは、代わりにとやって来た時間帯に近い飯の席へ座らせているからでもあるのか。
事情を知って、惜しみなく分けて貰っていれば私でなくとも情けをかけるというものだ。桃おいしい。
「てんちゃーんっ、モモ切れたー?」
と、呼びかける溌剌な音声に天子と振り向けば、居間へ続く戸口からこいしが顔を覗かせていた。ヤマメに乗って。
「なにしてんの……」
「いや……いつの間にか背後を」
少し怪訝の色が強かったかもしれない。そんな目で見るなとやたら苦々しい表情で訴えていた。
馬よろしくげっそり四つんばいになったその背中に、きゃっきゃと笑うこいしがしがみつく格好はヤマメをして大幅に精神を削らされるらしい。似ても似つかわない両人だが、どことなくそういう姉妹にも見えなくはない。言えばヤマメはよせやい、と照れ隠しではなく割りと嫌そうな顔をする。その本人が背中という事を忘れているようだった。
「ええーヤマメぇー、メぇー」
不満なんだか喜んでいるんだか、判断しにくいうめきを挙げながらこいしはヤマメの顔をぐにぐにと引っ張っている。言わんこっちゃない。
顔面崩壊を起こしつつも目が合ったであろう天子にほふぅ、と手を上げて見せた。多分、おうって言いたかったんだろう。
「切り分けた方なら持って行っていいわよ、ほら」
苦笑しつつも小さく手を上げ応え、ついでに助け舟を出すというソツの無さを珍しく見せる。わーい! と蹴鞠のように躍り出たこいしの反動でヤマメがぼふっと潰れた。
だがそんな哀れ苦労人に構わず、私はまさかと振り返った。天子はまだ包丁を握っている。
「まだ切るつもりなの……」
「新鮮な方がいいわよー。腐りかけを食べたこと無いでしょう」
なにやら達観したような面持ちで、その言い様はと断言してくる。
確かに、無い。それなりにこちらの食事量を慮ってはいるようなので幸い余したことはなかった。最近であればなお更だ。
天子はいつの間にか滴った汗を顎から拭い、虚ろなる目で必死に桃を視界に入れまいとしている。何か、おぞましい気が、ひしと。
「こっちに持ってきて熟すのが、気になってね。たまたま手にとってみたら──茶が、砂糖水へと、変わったわ……」
今にもえずきそうな顔色をして、震える声音で恐々と放つ。こいつが真っ青になると言うのも中々見ない光景だった。
「戸棚に大事にしまってあったあの高そうなやつでも……ええ、もはや砂糖汁よ。新鮮なこれをお湯で煮詰めて、焦げる手前になっても敵わないんだから……っ」
「……言葉端からの想像だけで胸焼けを起こしそうなのは初めてよ」
どうやら今日も昼までに半分減らすことが決定してしまったようだ。老土蜘蛛の言う通り、甘さに蝕まれなければいいが。
その老土蜘蛛と言えば、一人で大きな皿を抱えてよたよた駆けていったこいしを平行感覚が怪しそうな挙動であたふた追っていった。極上の宝果を前に暗く沈む私達を見向きもせず。そろそろ私もこいしの相手に加わらなければならないか。懐は広いが、ヤマメの奴は一旦恨み始めるとねっちこい。下手を打てばヤツの編む衣類の試着台になりかねないのだ。延々と。
皿と桃だけ持っていてそれを掴む物を忘れていく辺り、また騒ぎだすのは目に見えているのだから。こいしなら手づかみで貪りかねないけど。畳みに汁染みを作る訳にはいかんとフォークを人数分持って、後は天子の気が済むまで切らせておけばいいと居間へ足を向ける。
「……ところで。戸棚の高そうなやつ、ってのは」
戸口で思い返したように振り向くと、艶やかな蒼髪を流して見返してきたのは糸の細さに歪めた笑み。
「もちろん──そっちのご想像通り」
「ごっそり減っていたのはお前の仕業かいっ」
「だって、どうせ盗品でしょう。知ってるんだから」
「失敬する免罪符になるとでも?」
「ご馳走様でした?」
「こぉのっ」
かんらかんらと転がすように笑いやって逆撫でする、こいしと違って素直に叩かれない天子が恨めしい。
だんだんお前をぶちのめした誰かに似てきたと言ってやれば、あまりにも顕著な鬱を纏い始めたのでいくらかの気は晴れた、が。鬱陶しくなって立ち直らせようとした労力がそれ以上の気疲れだったのは、当然のごとく語るまでもない。
ふと視界端に捉えた、落ち込んだ天子を目の当たりにして、目を潤ませた笑みでこいしが頬を上気させていた理由は──知りたくもなかった。
────
無意識で自由奔放なこいしちゃんが素敵
もうちょっと理解しやすいよう書いたほうがいいかなと思います
>1様
こいしちゃんはいい意味でずるいキャラですねw 思考にウェイトがかからないのは羨ましい限り。でももっとよく話してみればロジック混ぜ込んでいたり、ただふらりとしている訳でもなく。 そんなこいしちゃんの一片でも表現できれば、幸いです。ありがとうでした。
>2様
お褒めの言葉とお叱り、ありがとうございます。そうですね、何よりも話が伝わらなければいけませんよね。もっと上手い描写を練っていきます。どうもでした。
>奇声を発する様
人と人が集まって生まれる雑音を感じていただけたようで。次はもそっと喧しく、いや姦しくしていただこうと思考転がしてきます。毎度ありがとうございました
以上、コメントからの返信を失礼しました。