「こがれ!」
……隣を歩いていたおくうが急に叫ぶもんだから、心臓が飛び出るかと思った。
「おくう? どうしたの?」
いったい何を焦がれているというんだろう。あたいに恋焦がれてるって言うなら即座にベッドインしようか。
いやまあ、そんな事じゃないのは判ってるけど。
「うにゅ、なんだか急にそんな名前を思い出して……」
そりゃおくうにとっては奇跡的な出来事だね。急に叫びたくなるのも無理はないかもしれない。
しかし、やっぱり誰かの名前なのか。『焦がれる』という意味で喋ったようには聞こえなかったからね。
そう言えば……。
「なんだかそれ、あたいもどっかで聞いたような……」
こがれ……今言われるまで完全に忘れてたけれど、随分と昔にその名前を聞いた事がある気がしてきた。
本当に昔の話で、それこそあたいがさとり様のペットになって、地霊殿に住み始めた時くらいの……。
―― もし『こがれ』と言う名の妖怪の事を聞かれても、答えてはいけませんよ……?
そう思った時、そんなさとり様の声が、あたいの脳内に蘇った。
「あっ……」
「うにゅ? お燐?」
そう言えば、さとり様のペットになってこの地霊殿にやってきた時だったっけな。
地霊殿の事やあたいが請け負うことになった灼熱地獄の事をざっと聞いて、じゃあ当の地獄を見回ってこようと思って……。
さとり様の部屋を出ようと思った時、突然呼び止められて、そしてそう言われたんだっけ。
と言うか、その時おくうも隣にいた気がするんだけど。
ああ、うん、おくうがそんな事まで覚えてるわけなかったね。
「いや、さとり様からその名前を聞いたなって……」
「さとり様から? 誰の事だろうなー」
確かに。
さとり様から注意を促されたものの、あたいはそんな名前の妖怪はハナッから知らなかった。
おくうも首を傾げていた気がするし、多分知らなかったんだろう。おくうの場合、知ってても忘れてるだけかもしれないけどね。
そして注意されたのはいいものの、その『こがれ』と言う名の妖怪について尋ねられた事はなかったし、そのまますっかり忘れてしまっていた。
その事をおくうが思い出したというのはなんだか癪に障るけれど、忘れっぽいが故に突発的になにかを思い出したりするのかもね。
「確かにねぇ。さとり様に聞こうにも、今はお仕事が忙しいって言ってたし……」
仕事って言っても、本書いてるだけなんだけどね。
だけど、本を書くのはさとり様の数少ない趣味だし、邪魔すると物凄く怒られるから。
「さとり様の好きな人かなー」
「いや、それはないと思うけど……」
あの人、昔っからずっとこいし様を溺愛してたし。他の妖怪なんて眼中になかったんじゃないかな。
第一、好きな人だって言うなら『知らない』と答えるように命じるのは変じゃないだろうか。
なにかロミオとジュリエット的なものがあるってならともかくねぇ。妹愛に溢れたさとり様にそんなラブロマンスは似合わないと言うか、想像出来ないと言うか……。
「こいし様は何処にいるか判らないし、ペットの中じゃあたい達が一番古株なんだから知らないだろうし」
無理して探る必要はないじゃないかと思うけど、こういう事は気になったら最後。猫はしつこいんだよ。
「うにゅ、じゃあ街の誰かなら知ってるんじゃないかな」
おっと、おくうにしては珍しくまともな意見が出てきたね。
まあ、おくうは忘れっぽいだけで馬鹿じゃないから。いや、頭の容量は確かに少ないけど……。
うん、言うほど馬鹿じゃないのは確かだから。多分。きっと。
「かもね。じゃあ聞きに行ってみようか」
どうせさとり様は仕事中だし、あたい達は暇だったからこうして二人で歩きながら喋っていたんだ。
1000年も前の話なんだ、口止めなんてとっくに時効ですよさとり様。
いつも通りこの後の仕事の事なんて考えずに、あたいとおくうは旧地獄街に向かう事にした。
* * * * * *
結果から言うと、無駄足を踏んだ。
「まさか誰も知らないとはねぇ……」
「うにゅぅ……」
地霊殿の玄関で、あたいとおくうはため息を吐く。
『こがれ』と言う名の妖怪について、あたい達はいろんな人に聞いて回った。だけど、結果は全部『知らない』の一点張り。
地底では社交的なヤマメや、ある意味では旧地獄の門番とも言えるパルスィも知らないと言う。
勇儀姐さんは、そもそもあたいが地霊殿に住むようになった後に地獄にやってきたから元から期待してなかった。聞きはしたけどね。
その他旧地獄街に昔から住んでる連中に聞いてみても、誰からも『こがれ』と言う名の妖怪については聞き出せなかった。
勿論、最初はさとり様と同じように、なにか隠しての事なんじゃないかと疑ったけどね。
だけどみんながみんな、その名を聞いて驚いている様子もなかった。純粋に知らないから首を傾げているって感じだった。
「やっぱりさとり様に聞くしかないのかなぁ」
「いや、多分教えてくれないと思うよ」
自分で話したくなかったからこそ、あたい達もその妖怪について知らないんだろうし。
そもそも、うろ覚えではあるけど当時のあたいが直接聞き返した気がするし。『こがれ』って誰のことですか? って。
その時のさとり様の返事は確か『判らなければそれでいいのです』だった気がする。
「う~、気になるぅ~」
自分で言うのも難だけど、あたいは好奇心旺盛だからね。
判らない事が出来てしまうと、それが解決するまではどうしても気になってしまう。猫はそういう生き物なんだよ。
誰も知らない『こがれ』と言う名の妖怪、いったい何者なのか……。
「お燐、おくう、どうしたのー?」
うにゃあっ!?
いきなり後ろから声を掛けられたものだから、あたいもおくうも驚いて肩が跳ね上がった。
「こ、こいし様!? いつからそこに!?」
後ろを振り返ってみると、そこにはいつも通りの黒い帽子を被ったこいし様が、ふわふわと浮いていた。
「ん、つい今帰ってきたんだよー。それより二人とも、難しい顔してなに考えてたの?」
さいですか。
しかし、此処でこいし様が帰ってきたのはグッドタイミングかもしれない。
いつもさとり様の一番近くにいたこいし様なら、何か知ってるかもしれないし……。
「えっと、なんだっけ?」
おくう、ちょっと黙ってて。
「こいし様は『こがれ』って名前の妖怪のこと、知ってますか?」
「えっ……?」
……あたいがそう尋ねると、こいし様の表情が一変する。
こいし様は心を閉ざしているせいか、比較的感情の変化には乏しい。もちろん、紅白のお姉さん達が地底にやってきてからは、だいぶ表情豊かになったけどね。
だけど、こいし様が浮かべる表情というのは大体笑顔だった。それは、いろんな物に興味を持ち始めて、いろんな事が楽しく感じるようになったからだと思う。
だけど、今のこいし様の表情は……とても、寂しそうだった……。
「……随分、懐かしい名前だね」
表情で判ってはいたけれど、やっぱりこいし様は『こがれ』という名の妖怪の事を、知っているみたいだ。
「こいし様……?」
「あ、ううん、1000年ぶりくらいに聞いた名前だから、ちょっと懐かしくなっちゃった」
1000年ぶり……って、やっぱりあたい達が地霊殿に住み始めた頃の話なんだな。
しかし、そんな長い時間の事をすぐに思い出せるって事は、それだけこいし様にとっても重要な人なんだと思う。
「あの、こいし様。その『こがれ』っていう妖怪、どんな人だったんですか?」
こいし様の寂しそうな表情を見てしまった手前、聞いてはいけない事なのかもしれない。
だけど、聞かずにはいられなかった。さとり様やこいし様の昔話って、殆ど聞いた事がないしね。
それに、まさかとは思うけど……。
「……そうだね、ちょっと長話になるけど、いいかな?」
どうやら、話してもらえないほどと言うわけではなさそうだ。
いや、本当はとても辛い思い出なのかもしれないけれど、無理して話そうとしているのかもしれない。
なにせ、こいし様は自分の存在を人に認めてもらいたいと、そう思い始めているから……。
……だけど、せっかく話してくれるというのに、しかも自分から尋ねておいて断るのもどうかしてる。
あたいはただ、黙って頷いた。
「……『こがれ』って言うのは、私と同じサトリ。そして、私の一番の友達だった妖怪の事だよ」
えっ? こいし様の一番の友達?
サトリ妖怪だったっていうのは概ね予想通りだけど、じゃあなんでさとり様は、あたい達に口止めなんかしたんだろう。
「お燐達に初めて会った時、私はもう心を閉ざしていたのは覚えてるよね?」
「え? ええ、まあ……」
働き始めの頃はこいし様の存在すら知りませんでしたけどね。
地霊殿に住み始めてから50年くらい経って初めて、それもいきなり声を掛けられた時は心臓が潰れる思いでしたよ。
しかも当時は今以上に感情の変化に乏しかったから、はっきり言って鬼なんかよりもよっぽど怖かったです。
「こがれちゃんも、心を読めないサトリだったんだよ」
えっ……?
「本当に、懐かしいな。私がこの眼を閉じてから、もうそんなに経っちゃったんだ……」
閉ざされた第三の瞳を、愛おしそうな眼差しで見つめながら、こいし様は、静かに語り始めた……。
* * * * * *
それは、遠い遠い昔。私のサトリの眼が、まだ開いていた時の話。
お燐やおくうが私達のペットになる何十年か前で、そして私がまだ生まれてから間もない……16歳の頃。
まあこの時にはもう、今の『古明地こいし』が出来上がってたけどね。
私は嫌われ者だった。心を読める、ただそれだけの理由でずっと、嫌われ続けていた。
みんな言葉には出さないけれど、心の中では私と関わりたくないと思っているのが丸聞こえだった。
「……つまんないなー」
それは、その時の私が口癖のようにしょっちゅう呟いていた台詞。
嫌われ者の日々を送る生活もつまらなかったし、心が読める私に対して、私を忌み嫌う言葉を口に出さない連中もつまらなかった。
気持ち悪いなら気持ち悪いと、堂々と言えばいいのに。陰口だけは一人前の、本当につまらない連中ばっかりだった。
きっと、そうやって堂々と気味悪いと言ってくれる奴や、鬼みたいに心を読んでも意味のない奴がその時にいれば、私は心を閉ざさなかったと思う。
まあ、結果は今の通りなんだけどね。そんな事はどうでもいいや。
今と同じ姿で……強いて違うものがあるとすれば、当時は邪魔だったから帽子を被ってなかったって事と、サトリの眼が開いていたって事かな。
とにかく、その日私は地獄街を歩いていた。特に意味もなく、ただ歩きたかったから。
私が街を歩けば、街は静かになった。みんな私を気味悪がって、私を避けるからだ。
「……ふんっ」
耳に入る音は静かでも、心に入る音は煩わしい。
私を気味悪がる声しか聞こえない。望んでもいないのに、くだらない負の感情が私の頭に流れ込んでくる。
……私だって、好きで心を読んでるわけじゃないって言うのに……。
……誰もその事を、判ってくれないんだもんな……。
「んっ?」
そうして街を歩いていた時……。
(……――)
街の妖怪達の心の声に混じって、まるで今にも消えてしまいそうなほどの、か細い心の声が聞こえた気がした。
「えっ?」
きょろきょろと、辺りを見回す。と言うのも、今までそんな事は一度もなかったから。
私のサトリの眼は、周囲の者達の心を勝手に拾う。弱い意志でも、強い意思でも、それが言葉になっているのなら、ハッキリと。
だけど、今の声はまるで言葉になっていなかった。まるで靄が掛かっているかのようで、全然上手く聞き取れない。
「誰、だろう……」
心が見えない相手に興味が湧いた私は、その声が聞こえた方へと足を進めてみる。
地獄街の裏路地の、さらに奥の方。こんなところに誰がいるんだろうかと思うくらいに、人気のない場所だった。
足を進めるにつれて、私の耳に誰かの声が聞こえる。心の声は、相変わらず靄が掛かっているかのように聞き取れないけれど……。
これは……。
「……ひっく……ぐすっ……」
女の子の、すすり泣く声。
そして、その泣き声の先にいたのは……。
「……っ!?」
紫色の髪で、ぼろぼろの服を身に纏っていた、小さな女の子が、肩を震わせて蹲っていた。
だけど、それだけなら私はこんなにも驚きはしなかったと思う。私が一番驚いた理由は……。
私と同じようにその子の胸には、サトリの眼が浮いていたからだ。
「あなた、どうしたの?」
私が声を掛けると、女の子はびくりと肩を震わせて顔を上げる。
その子の二つの目は、泣きすぎてか真っ赤に腫れ上がっていて、サトリの眼も殆ど閉じてしまっていた。
「あ、あなたは……?」
一度ぼろぼろの袖で涙を拭った後、女の子はそう尋ねて来る。
「私は古明地こいし。多分だけど、あなたと同じサトリだよ」
「こいし……? 私と、同じ……?」
どうやら、私の事は知らないらしい。まあ嫌われ者の私の名前なんて、知ってるほうが珍しいけど。
それにきっと、この子は私以外のサトリにまだ逢った事がないんだろうな。
サトリ妖怪はご覧の通り一人一種妖怪ではないけど、非常に珍しい妖怪だからね。
「あなたの名前は? 大丈夫、私はあなたの味方だから」
大方、この子も私と同じなんだと思う。
サトリ妖怪ってだけで、きっと虐められたりしているんだろう。私はもう慣れきってしまっているからいいけど、この子はまだ私のようにはいかないんだと思う。
その証拠に、私が味方だと告げると、とても悲しそうな顔をしていた女の子が、ちょっとだけ笑って……。
「私は、こがれ」
それが、こがれちゃんとの一番最初の出会いだった……。
* * * * * *
「そっか、やっぱりね」
こがれちゃんが泣いていた理由は、概ね私の予想通りだった。
何もしていないのに、ただサトリ妖怪と言うだけでみんなから嫌われて……それが辛くて、いつも此処で泣いているらしい。
住んでいる場所も次第に街から遠ざかって、今は地獄街のちょっと離れた場所に、一人で暮らしているとの事。
「ちょっと前までは地上にいたんだけど、みんなから嫌われるのが嫌になって……。
……それで地獄に来たの。こっちなら、みんな私を怖がらないかも、って。でも……」
見た目は私と同じくらいに見えるけれど、精神的には私よりも脆いんだろうな。私が図太いのかもしれないけれど。
「仕方ないよ。サトリはみんなの嫌われ者。地上も地獄も一緒だよ。
私だって好きで心を読んでるわけじゃないってのに、みんなで私を悪く言うんだもん。いや、悪く思う、かな」
さっきも言ったけれど、みんな言葉には出さないからね。無意味なのは判ってるくせに。
「こいしも、やっぱり心が聞こえるんだね……」
「そりゃそーだよ。嫌われ者なんだからさ
まったく、16年しか生きてない妖怪を怖がるなんて、ホントくだらない奴ばっかり」
こがれちゃんしか聞いてないけれど、他の妖怪全員を皮肉ってみる。
「……いいなぁ」
だけど、こがれちゃんの反応は、私が予想してたのと全然違った。
「い、いいなぁって……こがれちゃんだって聞こえるんでしょ? だから……」
「ううん、私には聞こえない」
えっ……?
「私はサトリだけど、他の人の心が読めないの。今こうしてても、こいしの心が全然見えない。
昔は聞こえたんだけど、何年か前からだんだん聞こえなくなってきて、今はもう……」
「えっ、ちょ、ちょっと待って」
こがれちゃんが何を話しているのか、さっぱり判らなかった。
こがれちゃんは私と同じサトリ。そんなのは胸に浮いた第三の眼を見れば判る。
なのに心の声が聞こえないって、どういう事? サトリにも種類はあるだろうけど、心が読めないサトリなんて……。
あれ? そう言えば私は私で、さっきからこがれちゃんの心の声を全然聞いていない気が……。
「……あっ」
そこまで思ったところで、私はある事を思い出す。
ちょっと前に何かの本で読んだ話だけど、サトリは第三の眼を閉ざす事で、心の声が聞こえなくなるらしい。
サトリの眼を閉ざすというのは、心を閉ざすという事。そうすればサトリの眼はサトリとしての効力を失って、相手の心が読めなくなる。
そして心を閉ざすが故に、心を読まれる事もなくなり……自分の心をも失い、誰からも存在を認識されなくなってしまうとか……。
こがれちゃんのサトリの眼を、改めてじっくりと見てみる。
やっぱり何処か力なくて、眼の開き方も凄く弱い。ちょっとでも気を抜けば、そのまま眼を閉じてしまいそうなくらいに。
「私は人の心なんて読めないのに、それなのにみんな私を気味悪がって……。
サトリだってだけで、みんな私を……やだよ……私は……普通に遊んで……ぐすっ……」
こがれちゃんはまた俯いて、泣き始めてしまう。よっぽどこがれちゃんの心の傷は深いんだろうな、と考えを改めさせられた。
たぶん、こがれちゃんは知らないんだろう。そうやって無意識に心を閉ざしてしまっている事が、心の声を聞こえなくさせているんだって。
一人で泣いて、一人で心を閉ざして……。そうして心の声も聞こえなくなっていって、自分が嫌われる理由さえ判らなくなっていって、どんどん抜け出せない闇に捉われていく。
こがれちゃんは、心を閉ざしてしまう寸前なんだ。
誰かが心の支えになってあげないと、こがれちゃんは……。
「大丈夫だよ、こがれちゃん」
そっと、私はこがれちゃんの髪を撫でる。ふわふわとしたこがれちゃんの髪の感触が、私の手のひらに伝わってくる。
「こいし……?」
「言ったじゃん。私はあなたの味方だって。
私はこがれちゃんの事を気持ち悪いだなんて思わない。だって、私も一緒なんだから」
そうだよ、こがれちゃんの事を気味悪く思わない妖怪なら、此処にいるじゃんか。
私が、こがれちゃんの心の支えになってあげればいい。嫌われ者同士で助け合えばいい。
「だからさ、私と一緒に遊ぼう。私と一緒に、普通にお喋りをしよう。
私達の事を悪く言う奴なんて、放っておけばいいよ。サトリはサトリ同士で、友達になろうよ」
私の精一杯の笑顔をこがれちゃんに向ける。
……いつ以来なんだろうな。こうやって、誰かに私の本当の笑顔を向けるのは……。
「こいし……!」
だけど、こがれちゃんは今までとは打って変わった、とても嬉しそうな笑顔を返してくれる。
同じサトリ妖怪だったからなのかもしれないけど、なんとなく鏡でも覗き込んでいるかのような気がした。
「えへへ、これからよろしくね」
「うん!」
それが、私にとって初めての『友達』が出来た瞬間だった。
同じサトリ妖怪で、同じような思いで生きてきた私とこがれちゃん。
だけど、生き方は対照的だったのかもしれない。他人の事なんて気にせず生きてきた私と、周りの目を気にしてばかりいたこがれちゃん。
だからこそ私は、こがれちゃんと友達になれると思った。
こがれちゃんが周りの目を気にしすぎるのも、決して悪い事ばかりじゃないと思う。私と違って、こがれちゃんは他人の事を考えてあげられるんだから。
私はこがれちゃんに、自分自身というものを教えてあげられる。
こがれちゃんは私に、他人というものを教えてくれる。
お互いに足りないものを教えあって、一緒に頑張っていけば、きっといつかお互いに笑っていられる日が来るって……。
こがれちゃん、一緒に頑張ろう!
* * * * * *
「こがれちゃーん、早く早くー!」
「ま、待ってよぉ……」
こがれちゃんと友達になってから、一週間くらい経ったかな。
あれから私達は、毎日のように一緒に遊んでいた。二人っきりで、こがれちゃんを刺激しないように、地獄街の外で。
「もー、こがれちゃんは体力ないなー」
「だ、だって……こんなに走り回ったことなんて……」
息を荒くするこがれちゃん。此処数日で判った事だけど、こがれちゃんの体力は並の妖怪よりも遥かに下みたいだ。
まあ、見た目からして確かにちょっとひ弱そうだけどね。
「……こいし、今やな事考えたでしょ」
「あははは、判っちゃった?」
「もう!」
こがれちゃんは目の端を吊り上げたけど、口元は少し楽しそうだった。
これも此処数日で判った事だけど、こがれちゃんはまるっきり相手の心が読めないってわけではなさそうだった。
今みたいに、ちょっとした感情の変化くらいなら察知出来るらしい。
とは言え、そんなのは慣れれば人間にだって出来るし、サトリの本来の能力には程遠い。
……それでも、こがれちゃんの心はまだ死んではいないんだ。それが判るだけでも、今は充分かな。
「そう言えばさ」
こがれちゃんの息が整うまで、ちょっと休む事にする。
「こがれちゃんって、家族とかはいないの?」
「えっ……?」
……ちょっと、嫌な質問だったかな。
本当は、答えを聞くまでもなく判っている。こがれちゃんが今は一人で暮らしている事はもう知っているし、ずっと街で一人で泣いていたって事も考えると……。
「ううん、私は自然に生まれた妖怪だから。親も兄弟もいないよ」
予想通りの返事が返ってきた。
「……私にも親とか兄弟がいてくれたら、私は……」
こがれちゃんは俯いて、言葉を止めてしまう。まあ、こうなるのは大体判ってたけどね。
心に傷を負うこがれちゃんにはあまり振りたくない話だったけど、ごめんね。今だけは許して欲しい。
こがれちゃんの事も、なんとなく判ってたからこそ……言いたい事があったから。
「だったらさ」
俯くこがれちゃんの手を、ぎゅっと掴んで……。
「私がこがれちゃんのお姉ちゃんになってあげる!」
「えっ……?」
突然の事に驚いたのか、こがれちゃんは目を丸くする。閉じかけていたサトリの眼も、何故か今だけは思いっきり開いていた。
「友達だって言うのもそうだけど、私はこがれちゃんともっともっと、家族みたいに仲良くなりたい。
こがれちゃんが困ってる事があったら、私を頼って欲しい。私をお姉ちゃんだと思って、ね?」
「こ、こいし……そんな……」
頬を少し赤くして、目を逸らすこがれちゃん。そんなに恥ずかしかったのかな。
まあ、言ってる私も少し恥ずかしいけどね。でも、私がこがれちゃんの心の支えになってあげたいって言うのは、本当の事だから。
心を閉ざしたサトリがどうなってしまうかを、知っているから……。
それに『お姉ちゃん』って言うの、ちょっとやってみたかったしね。
「あ、あの、その前に聞きたいんだけど……」
「ん?」
「こいしって、16歳なんだよね……?」
ん、急にどうしたんだろう。そう言えば前に『16年しか生きてない妖怪を~』とか言った気もするけど
「そうだけど、どうしたの?」
「……私、25歳なんだけど……」
「えっ」
思わずそんな素っ頓狂な声を出してしまった。
「こ、こがれちゃんって私より年上だったの……?」
「ご、ごめんね、そう見えなくて……」
いや、別に謝る事じゃないし、妖怪に年齢なんてあってないようなものだから、外見と実年齢の誤差もしょうがないんだけど……。
そう言えばこがれちゃんに呼び捨てにされててもあんまり違和感なかったけど、そういう事だったんだな。
だけど、完全に年下だと思ってた……。こがれちゃんの心が見えない事をちょっとだけ恨んだ。
「あ、で、でも……」
うん?
「私、家族なんてずっといなかったから……妹とかいてくれたらな、って思ってて……」
頬を赤く染めて、俯きながらもこがれちゃんは自分の思いを述べる。
それは何処か内気だったこがれちゃんが、初めて自分の思いを伝えようとしていた時だったのかもしれない。
「こがれちゃん……」
「あ、あのさ、こいしが良ければ……私がこいしのお姉ちゃんに……」
「あ、うん、それはダメ」
「ふえぇ!?」
恥ずかしそうにしていたこがれちゃんの表情が、一瞬にして涙目に変わる。
「だってこがれちゃんって全然『お姉ちゃん』ぽくないんだもん。
少なくとも今のこがれちゃんは全然頼りに出来ないし、妹に守られるお姉ちゃんって言うのもなんだかなー」
「あうぅ……」
今にも泣き出しそうなこがれちゃん。そういうところが頼りないんだけどな。
まあ、こがれちゃん自身もそれが判っているからこそ、何も言い返せないんだろうけど。
「だからさ」
そっと、私はこがれちゃんの手を取る。
……私はちょっと、意地悪なのかもしれないね。
だけど、いつかこがれちゃんがもう一度、サトリの眼を開く事が出来たら……きっと判ってくれるよね。
私は何時だって、こがれちゃんを助けたいと思っていたって。その時には、今みたいに意地悪なのも、こがれちゃんは許してくれるかな……。
「もしこがれちゃんが、私を守ってくれるような、そんな頼れるサトリになったら、その時は『お姉ちゃん』って呼んであげるね」
「えっ、こ、こいし……で、でも私は……」
「大丈夫だよ。私だって昔は、こがれちゃんみたいに落ち込んでばっかりの時があった。
それでも今は、こうやって他の妖怪の事なんて気にしないで生きてるんだから。こがれちゃんにも出来るって」
私はまだ、生まれてからそんなに時間も経ってない。精神的にも、やっぱりちょっと脆かった時期もあった。
いっその事、この眼を閉じてしまいたいなんて考えた事もあったんだよ。
だけど、私は眼を閉ざしたサトリの末路を知って、そんな風にはなりたくないと思った。
自分の心に、負けたくないって思った。それからの私は、他の妖怪が私を気味悪く思う事なんて、気にしなくなった。
……正確には『気にする事が出来なくなった』が正しいんだけどね。それでも、私はそれで良かったと思ってる。
そのお陰で、私は前を向いていられるようになったんだから。
「そ、そう、かな……。私でも、出来るのかな」
ちょっとだけ頬を赤くして、照れくさそうにそんな事を言うこがれちゃん。
もう、こがれちゃんはこういう時に自信を持てないから駄目なんだよ。
「うん、きっと出来るよ。だから、その時を楽しみに待ってるね!」
「……う、うん! 私頑張る! もっともっと強くなって、いつかこいしのお姉ちゃんになるから!」
頬を染めながら、それでもとても力強く、こがれちゃんはそう返してくれた。
こがれちゃんがそんなにも張り切って、そして気持ちを乗せてくれたのは、これが初めてだった。
そして……。
―― ありがとう、こいし!
「えっ……!?」
何処からともなく、脳裏に直接響いたこがれちゃんのその声。
それは紛れもなく、今までずっと聞こえなかったこがれちゃんの心の声だった。
「こいし……?」
「……聞こえた、聞こえたよこがれちゃん!
ずっと聞こえなかったこがれちゃんの声が、やっと聞こえたよ!」
今までいろんな事に無気力だった私も、久しぶりにこんなにも気分が高揚してしまった。
だって、それはこがれちゃんの心が、回復しているって言う事なんだから。
「ほ、本当!?」
「うん! 今はまたちょっと聞こえづらくなっちゃったけど……でも、はっきり聞こえた!」
それからはもう、二人で手を取り合って大はしゃぎだった。本当に、子供みたいに。
だけど、私にとってもこがれちゃんにとっても、それほど嬉しい出来事だったからね。
もう少し……もう少しで、こがれちゃんは心を取り戻せるんだ。
そうすればきっと、こがれちゃんはずっと笑っていてくれる。出会った時みたいに、一人で泣かなくても良くなる。
……本当に、こがれちゃんなら私のお姉ちゃんになってくれるかもしれない。
友達と言う存在を越えて、本当に家族になってくれるかもしれない。
本気でそんな事を期待してしまう、それほどの出来事なんだ。
こがれちゃん、きっと……きっとサトリの眼を開いてね。
こがれちゃんを『お姉ちゃん』って呼べる日を……楽しみにしてるからね!
そして私の心を見てくれる日を……私の思いを受け取ってくれる時を、ずっと待ってるからね!
……それは本当に希望に満ち溢れた……儚い夢物語だったよ……。
* * * * * *
こがれちゃんの心の声が初めて聞こえたあの日から、さらに一週間くらい経った。
その日も私は、こがれちゃんと遊ぶ為にこがれちゃんの家を訪れていた。
出会ってから今日まで、毎日のようにね。最近ではもう、いっそこがれちゃんと一緒に暮らしたほうが早いんじゃないかって思ってきてる。
こがれちゃんには家族もいないんだし、今度本当に誘ってみようかな。
それとも一週間前に約束したとおり、私のお姉ちゃんになってからの方がいいのかな。
「こがれちゃーん……あれっ?」
こがれちゃんの家の中は、もぬけの殻だった。
おかしいなぁ、今まで毎日こがれちゃんの家を訪ねてるけど、留守にしてたことは一度もなかったのに。
たまたま出かけてたにしても、あの内気なこがれちゃんが一人で何処に……。
「あっ」
そう言えば、一つだけ心当たりがあった。
初めて会った時に、時々地獄街に買い物に行くって言ってたっけ。こがれちゃんは一人暮らしなんだし、たまには買い物にも行くか。
だったら私が来るまで待ってればいいのに。そうすれば一緒にお買い物とかも出来たんだし。
……まあ、地獄街で買い物したって面白くないだろうけど。今まで一人ずつだったサトリが二人一緒になったらなんて言われる事やら。
あ、でも、ひょっとしたらこがれちゃんも頑張ってるのかもね。私に頼らなくても、一人で他の妖怪の中に混ざれるように。
私のお姉ちゃんになれるように、何時までも内気じゃいられないんだー、って。
一週間前のこがれちゃんの姿からなら、そんな姿も容易に想像出来る。
ふふっ、じゃあこがれちゃんのその努力してる姿、しっかり見てあげないとね。
……そうして私は、そんな適当な妄想をしながら地獄街の方に足を進めた。
……そこで私と、そしてこがれちゃんの人生の全てが変わるなんて、微塵も思わずにね……。
* * * * * *
「……こがれちゃん……」
地獄街に足を進めるにつれて、なんだか妙な胸騒ぎがしてきた。
さっきまであんな事を考えてたけど、冷静に考えたらやっぱりおかしい。
だって、こがれちゃんと出会ってから二週間ほどで、一度もなかったんだよ?
毎日決まった時間にこがれちゃんの家に行くのに、だからこがれちゃんは、私が来るまでずっと家にいたのに。
仮に何処かに出かけていたとしても、絶対に私が訪ねるまでには帰ってくるはずなんだ。こがれちゃんなら、絶対に。
だんだんと、無意識に私の足が速くなる。
嫌だ……なんでこんなに胸が重いの……?
昨日まで、こがれちゃんはずっと笑っていてくれたのに……心の声が聞こえてから、笑顔でいる事が多くなったのに。
あれから何度も何度も、断続的にこがれちゃんの心の声は聞こえるようになってた。
それと同時に、こがれちゃんも私の心の変化に敏感になって……それはつまり、心が読めるようになって来てたんだ。
最初に出会った時とは打って変わって、笑顔を見せるようになってくれたのに……!
「あっ……」
嫌な予感を覚えつつも、私の目に地獄街の入り口が見えてくる。
……あれ? なんだか地獄街が騒がしい気が……。
「……えっ?」
地獄街の前に、誰かが倒れているのが見えて……。
「……こっ……」
一秒だって、掛からなかった。
そこに倒れてたのが、こがれちゃんだって判るまで……。
「こがれちゃん!!こがれちゃあああぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」
地獄の空に、私の絶叫が響いた。
頭の中が、一瞬で真っ白になる。
なんでこんな事になってるのか、そんな事は一切考えられなかった。ただ私は、わき目も振らずこがれちゃんに駆け寄った。
「こがれちゃん!! しっかりして!! こがれちゃん!!」
抱え上げたこがれちゃんは、身体中あちこちが傷だらけで、見るも無残な状態だった。
ただ、こがれちゃん自身の目は開いてなかったけど、サトリの眼は僅かに開いている。
まだ、最悪の事態にはなっていないみたいだ……。
「さ、サトリ妖怪!? お前もそいつの仲間なのか!?」
地獄街の方から、そんな声が聞こえる。
そっちに目を向けてやれば、地獄街の入り口には2~3人の妖怪が、及び腰ながらも立っていた。その手に、槍のような武器を構えてね。
そうだよ、誰がこんな事をしたかなんて考えるまでもない。
サトリは嫌われ者。地獄街で暮らしている連中にとっては、私達は薄気味悪い正体不明の妖怪。
そりゃあ、退治したくもなるだろうね。私自身、いつかそういう日も来るんじゃないかって、時々思ってたよ。
……だけど……。
「……あんた達か……こがれちゃんをこんな目に……!!」
私の中に、言い知れぬ怒りがこみ上げてくる。
こがれちゃんは、心の読めないサトリ。サトリでありながら、特別な力を持たない非力な妖怪なんだ。
だからこがれちゃんには、身を守る術がないんだ。だと言うのに、あんたらはよってたかって、こがれちゃんを……!!
「ひっ……!!」
「そ、そいつは地獄街で俺たちや街のみんなをずっと見て回ってたんだぞ! まるで俺たち全員の心を調べるみたいに!
ど、どうせよからぬ事を考えてたんだろ! お前たちは俺たちの事を敵視してるはずなんだから!!」
……ああ、そうだよ。
敵視してるとも。だって、あんた達が私達の事を避けるんだから。
あんた達の方から避けてたってのに、まるで私達が悪いみたいに……。
嫌われ者ってのは、得てして勝手な迫害を受けやすいよね。
……そういう存在なんだよ。街の殆どの妖怪が私達を嫌えば、まるで私達が嫌われる事が当たり前のように扱われる。
当たり前になるって事は、自分達の中で勝手に、それが正しいあり方なんだと思うようになる。
私やこがれちゃんの気持ちなんて、少しも考えずに……!!
「……それだけの理由で、こがれちゃんを……!!」
ごめんね、こがれちゃん。30秒だけ待ってて。
……こがれちゃんが受けた痛み、あいつらにも味わわせてやるから……。
「じゃあ、私があんた達になにをしたって、あんた達に文句を言う資格はないよねぇ!!」
私のサトリの眼が、大きく見開かれた……。
* * * * * *
「ひぃいっ!!」
「うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
多分、生まれて初めてだった。
生まれて初めてだったのに、まるで昔から知っていたかのように、私はサトリの真の力を解放した。
何もないところで、ただ地面を転げ回る地底妖怪。
まあ、何もないように見えるのは私達の目だけ。あいつらには、言葉にも出来ない恐ろしい映像が見えているだろうね。
相手のトラウマを揺さぶり起こし、覚めない悪夢を見せる恐怖の催眠術。
それは、心の奥底まで読む事の出来るサトリの、最も強力で最も忌むべき力。
そしてそれは、人間よりも精神的な存在である妖怪に、より凶悪な効果を発揮する。それこそ、悪夢で精神が崩壊し、そのまま死んでしまうくらいにね。
私が能力を解除しない限り、一生あんた達は醒める事なき悪夢を見続けるんだ。解除してやる気はないけど。
……こがれちゃんをこんな目に遭わせたんだ。
無様にのた打ち回って、死ね。
「……こがれちゃん!」
暫くすればこの騒ぎを聞きつけて、他の妖怪が集まってくるだろう。
その前に、私はこがれちゃんを抱えて地獄街から離れる。
こがれちゃんをこんな目に遭わせた地獄街の連中、皆殺しにしてやりたいくらいだけど……今はこがれちゃんのほうが心配だ。
急いでこがれちゃんの家まで戻り、寝床にこがれちゃんを寝かしつける。
「こがれちゃん! お願い……目を開けて……!!」
確かにサトリの眼はまだ開いているけれど、肝心のこがれちゃんが目を覚ましてくれない。
傷はそんなに深くはない。多分妖怪の生命力を考えれば、この傷が元でどうにかなる事はないと思う。
だけど、ただでさえ傷付いていたこがれちゃんの心が、どれだけ深い傷を負ってしまったのか……。
心が見え始め、快方に向かっていた最中なだけに、その反動は私には想像出来ない。
こがれちゃんの心が、その反動に耐えられたかどうか……こがれちゃんが目を覚ますか否かは、つまりはその一点なんだ。
だから私には、ただ祈る事しか出来なかった。こがれちゃんの手をぎゅっと、握り締めているだけしか……。
「……んっ……」
「こがれちゃん!?」
「……こ、こいし……? 私……」
うっすらと、だけど確かにこがれちゃんは目を開けて、私の呼びかけに応えてくれた。
「良かった……良かったよぉ……!!」
そんな思いが、自然に口から漏れる。ぼろぼろと、涙が零れる。
本当に、良かった……こがれちゃんが目を開けなかったら、私は……。
「……あは、あははは、アハハハハハハ……!!」
……えっ?
……こがれ……ちゃん……?
「やっぱり……ダメだったんだ……サトリなんて……所詮みんなの嫌われ者なんだ……」
「こ、こがれちゃん……?」
「心が見えないのに……私がサトリってだけで……みんな私を……あは、あははははは」
光の入らない虚ろな目で、何故か楽しそうに笑うこがれちゃん。
誰がどう見ても異常なその姿に、私は一番あってはならなかった最悪の事態が起きている事に、嫌でも気付かされた。
……こがれちゃんの心が、希望から一気に絶望に叩き落されたせいで……。
……壊れて、しまったんだ……。
「こがれちゃん!! しっかりして!!」
「あはは……なんで……なんでみんな……私を避けるの……?
なんで……判らない……判らないよ……あはははは……」
私の言葉に一切反応せず、ただただ壊れた人形のようにそう呟くこがれちゃん。
やだよ、こがれちゃん……。
私はそんなこがれちゃんの姿なんて、見たくないよ……!!
「こがれちゃん!!」
もう一度、私はこがれちゃんの手をぎゅっと握る。
「こいし……?」
……まだ、まだだ。まだ私の事は認識してくれてる。サトリの眼が僅かでも開いてるって事は、完全に心が壊れてしまったわけじゃない。
こがれちゃん、お願い……! サトリの眼を閉じないで……!!
「大丈夫、大丈夫だよ……!! 私が付いてるから!! もう二度とあんな奴らにこがれちゃんを傷付けさせたりしないから!!
二人でまた一緒に遊ぼうよ!! 昨日みたいに、二人であっちこっち遊び回ろうよ!! 私達二人だけで……!!
もう周りの奴らなんか気にしなくていいんだよ……だからお願い……眼を閉じないで……!!」
それは最早、こがれちゃんに投げかける言葉ではなかった。ただ、そうならないで欲しいと祈っているだけだった。
だけど……。
「……あはは……そっか……そうすれば良かったんだ……」
こがれちゃんのその一言は、まるで私のその祈りを嘲笑うかのようだった……。
「サトリの眼があるから、みんな私を嫌いになるんだ……。
……じゃあ、こんな眼閉じちゃえばいいんだ……そうすれば……みんな嫌いにならないよね……」
どうやら、私の言葉はさらに事態を悪化させてしまったみたいだ。
「こがれちゃん!! 駄目!!」
「こいし……なんで?」
「サトリの眼は心の象徴なんだよ!! サトリの眼を閉じたサトリは、自分の心を全部捨てた何者でもない存在になっちゃうんだよ!!
誰からも好かれない、誰からも認識されない、誰にも存在を認められない、サトリの眼を閉じるって言うのはそういう事なの!!
だから駄目!! 私は嫌だよ!! 私はこがれちゃんの事を忘れたくない!! ずっと友達でいたい!!」
ただ必死に、私は自分の気持ちを叫んだ。
こがれちゃんがいなくなっちゃったら、私はまた一人ぼっちになる。そんなの、絶対に嫌だ。
こがれちゃんと一緒にいたい。ずっと友達でいたい。だから、だから……!!
「やっぱり、こいしには判らないよ……」
……えっ?
「こいしは強いから……ちゃんと心を読めて、自分を認められた。
だけど、私にはやっぱり出来ないよ……もう嫌だよ、サトリである事が。嫌われ者である事が。
強いこいしに、弱い私の気持ちなんて判らない。心を読めるこいしに、心を読めない私の気持ちなんて判らない……!!
嫌われ者であることを認めるなんて、私には出来ない! 私は、私は嫌われ者なんかになりたくない!!」
「……ッ!!」
こがれちゃんのその言葉が、私の胸に深く突き刺さる。
私には、こがれちゃんの気持ちが判らない……?
……そうだ。私はただ、こがれちゃんに『そうなって欲しい』って、勝手な理想を押し付けていたんじゃないか?
こがれちゃんは、嫌われ者になりたくなかった。だけど私は、こがれちゃんにサトリの眼を開くように……嫌われ者になって欲しいと、そう言い続けたんだ。
それはただの私の我侭だ。だけど、それが正しいことなんだと勝手に思い込んで……。
それがこがれちゃんを傷付けているだなんて微塵も思わずに、こがれちゃんの笑顔を見て勝手に安心してた。
何時も何時も、誰かの心を読んでばかりで……勝手に、心の見えないこがれちゃんの気持ちを判った気になってた。
目先の安心ばかり与えて、こがれちゃんの本当の心からずっと眼を背けていた。
こがれちゃんの心を誰よりも判っている気になって……。
私は、こがれちゃんの心を誰よりも傷つけていた……?
「こいし、今までありがとう……」
……えっ?
「こいしと出会ってから、毎日が本当に楽しかった。こいしは、私のたった一人の友達だったよ。
……大丈夫。こいしは強いから、私なんかいなくても大丈夫だから……もう、私の事は忘れちゃっていいんだよ……」
こがれちゃん、なにを言ってるの……?
「私が眼を閉じれば、もうこいしは私の事を認識できないんだよね……?
もう二度と会えないかもしれないけど……その方がいいよね。私の事なんて忘れて、こいしは自由に生きて……」
こがれちゃんのサトリの眼が、ゆっくりと閉じていく。
「こがれちゃん!! やめて!!」
「……さよなら、こいし。ありがとう……」
こがれちゃんはゆっくりと目を閉じる。それと連鎖するように、サトリの眼も少しずつ。
……嫌だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
そうだよ!! こがれちゃんに眼を閉じて欲しくないなんてのは、ただの自己満足だよ!!
それでも!! それでも私はこがれちゃんと一緒にいたい!! 私と一緒に嫌われ者になって欲しいよ!!
それのなにが悪いんだよ!! 一緒にいたくて当たり前じゃんか!! こがれちゃんは私の友達なんだ!!
友達と一緒にいたいって!! そう思うののなにがいけないんだよ!!
友達を助けたいと思うのの!! なにが……なにがいけないって言うんだよぉ!!
こがれちゃんを助けられないくらいなら……こんな私なんて……!!
「こがれちゃん!!」
こんな私なんて、要るもんか!!
ぶちっ
プツンッ……。
* * * * * *
……本当に、無意識の出来事だった。
私の脳に響く、今にも気絶してしまいそうなほどの激痛。
私の視界を埋め尽くす、紅い液体。
そしてその紅い液体に身を染められる、私とこがれちゃんの身体。
私は無意識のうちに、自分の頭に繋がっていたサトリの眼の根っこを掴んで、引き抜いていた。
サトリの眼は、頭と直接繋がっているからこそ、眼で見た相手の心を頭に伝えてくれる。だから、その繋がりがなくなれば当然……。
……私の中で何かが、プツッと音を立てて途切れたような気がした……。
「こ、こいし……?」
こがれちゃんのサトリの眼は、完全に閉じてしまう寸前で止まっていた。
何の考えもなしの行動だったけど、どうやらこがれちゃんが心を閉ざしてしまうのは阻止出来たみたいだ。
……代わりに、頭に繋がっていたものを引っこ抜いた私のサトリの眼は、閉じてしまっていたけどね……。
「……あはは、これで私も何も見えないよ……これで、こがれちゃんと一緒だよ……」
「こいし!!」
私の名を叫んだこがれちゃんの顔は、怒っているのか困っているのか、悲しんでいるのか、なんだかよく判らない顔をしていた。
だけどそれは、壊れたこがれちゃんの心が少しだけ、元に戻った証拠でもあった……。
「なんで、なんでこんな事……!! これじゃあ、こいしが……!!」
ぼろぼろと、こがれちゃんの目から大粒の涙が零れ落ちる。
そうだね、自分でも本当に馬鹿だと思うよ。あれほどこがれちゃんがサトリの眼を閉ざす事を嫌がっていたのに……。
……自分の心は、こんなにもあっさりと閉ざしちゃうんだからね。
まあでも、サトリというだけで嫌われ者になるこの世界にうんざりしていたのは本当の事。さっきの一件だけでも、心からそう思う。
此処でこんな事になっちゃうのも、ある意味ではすっきりするのかもしれないけど……。
「……ごめんね、ごめんねこいし……!
私が馬鹿な事を言ったから……サトリの眼を閉じるなんて言っちゃったから……!!」
「ううん……それは違うよ。
こがれちゃんの気持ちを考えていなかったのは、本当の事かもしれない。私の勝手な自己満足で、こがれちゃんを傷付けちゃった。
こがれちゃんの言うとおりだよ。私は……こがれちゃんの本当の気持ちなんて、判ってなかったんだ。これはその報いだよ……」
「そんな……」
他人の心を読んで、私はそれで全部判った気になっていた。
だから私は、私の能力が届かないこがれちゃんの本当の気持ちなんて、全然判ってなかった。勝手に、判った気になってた。
私には……やっぱり自分しか見えてなかったんだね。こんな事、今になって気付くんだもんなぁ。もう、遅すぎるよ……。
「こがれちゃん、よく聞いて……たぶん、もうすぐに私はまともに話せなくなっちゃうから……」
「えっ……?」
サトリの眼を引っこ抜いてから、物凄い勢いで自分の意識が遠ざかって行くのを感じる。
それは多分、痛みのせいじゃない。これが、心を閉ざしたサトリの末路ってやつなんだろうな。
……誰からも認識されず、自分の心を失ってしまうという、最悪の、ね……。
「心を閉ざしたら、サトリはサトリじゃなくなる……。
私は……サトリじゃなくなるこがれちゃんなんて、見たくなかった……こがれちゃんは、私の初めての友達だから……」
「そんなの……そんなの私だって嫌だよ!!
こいしが心を閉ざしちゃったら、私はこいしの存在を認識出来なくなっちゃう!!
こいしの事を忘れちゃうかもしれないんだよ!? こいしがいなかったら!! 私はどうやって生きていけばいいの!?」
「ううん、大丈夫だよ……」
私は首を横に振る。
そう、大丈夫。私は信じてるんだよ、こがれちゃんの事を。
私はもう、これ以上サトリとして強くなろうだなんて、思っていなかった。
サトリの能力を憎むことも愛することもせず、全てのことへの興味を失っていた。
だけど、こがれちゃんは言ってくれた。私のお姉ちゃんになれるように、もう一度心を読めるようになる、って。
前を向く事を忘れていた私と違って、こがれちゃんは前をちゃんと向く事が出来た。
だからきっと、こがれちゃんは立ち直ってくれるって信じてる。私がいなくても、頑張れるって。
「……こがれちゃんなら、きっと私を見つけてくれる。私の事を、忘れないでいてくれる。
もちろん、サトリの眼が殆ど閉じちゃってる今は無理かもしれないけれど……」
震える手で、私はこがれちゃんの手をそっと握る。
薄れ行く意識の中でも、こがれちゃんのその手の暖かさだけは、しっかりと感じる事が出来た。
「こがれちゃん。自分の心に負けないで。そしてサトリの眼をもう一度開いて、きっと誰からも忘れられてる私を見つけて欲しい。
それは、他人を見る事を諦めた私には出来ない事だったから……でも、こがれちゃんならきっと出来るから」
力を振り絞って、こがれちゃんに私の意志を、はっきりと伝える。
……無意識になっちゃったら、こんな事さえも出来なくなっちゃうのかな……。
「こいし……!!」
「……そろそろ、お別れかな……」
もう殆ど、こがれちゃんの顔も見えなかった。
こがれちゃんの手を握る私の腕にも、全然力が入らない。
……ああ、手放したくないな。私の一番の友達の、この暖かさを……。
「……こいし。一つだけ約束して」
うん……?
「私はもう泣いたりしない。私はきっと、こいしよりもずっとずっと強くなる。
絶対にこいしの事を忘れたりしない。絶対にこいしを見つけ出してみせる!
だから……もし私がそんな強い妖怪になれたら……! あの時言ったみたいに……!!」
こがれちゃんのとても強い眼差しが、殆ど目の見えない私の頭に直接届いた気がした。
……うん。やっぱり任せて正解だったみたいね。
こがれちゃん、今まで本当に楽しかったよ。
友達なんていなかった私にとって、こがれちゃんは何にも代えられない大切な存在だったよ。
誰かの為に、自分の全てを捨てるだなんて事……今までの私には絶対に出来なかった。
こがれちゃんが、友達って言うものを教えてくれなかったら、きっと一生判らないで終わってたよね。
こんなに楽しい時間を過ごせたのは、こがれちゃんに出逢えたからだよ。
ありがとう、こがれちゃん……大好きだよ……。
「……うん……約束……するよ……。
……ずっと……待って……るよ……。……この……世界の……どこか……で……」
そっと、私の手がこがれちゃんの手を離して……。
「こいし!!こいしいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」
プツンッ……。
* * * * * *
「……そうして、私はサトリの眼を閉ざした。それでこがれちゃんを助けられるなら……そう思ってね」
こいし様が長々と語ってくれた、遠い昔のこいし様とこがれちゃんの友情話。
あたいはこいし様がサトリの眼を閉ざした理由は、嫌われ者になるのが嫌だったからと聞かされていたけれど……。
『嫌われ者になるのが嫌だった』と誰が思っていたのかは、履き違えていたみたいだ。
嫌われ者になるのが嫌だったのは、こいし様じゃなくて……。
「じゃあ、こいし様がいつも帽子を被っているのは……」
「ん、見たい?」
「い、いえ、遠慮しておきます……」
もう1000年以上も前の話なんだから、目を背けるほどに酷い有様にはなってないと思うけど……。
まあ、あんまり見ていて気持ちいいものじゃないと思う。こいし様が地霊殿の中でも帽子を外さない理由が判っただけで満足しておこう。
「それで、どうなったんですか?」
それよりも、あたいはこの話の続きが気になってしまい、ついつい催促してしまう。
ちなみにおくうは隣でめちゃくちゃに泣いていた。よっぽどおくうの涙腺に触れてしまう話だったみたいだね。
「ん、続き?」
そうそう、早く……。
「この話は此処で終わりだよ?」
……。
…………。
………………。
……………………はあっ!?
「えっ、ちょ、ちょっと待ってくださいよこいし様!」
「待つもなにも、こがれちゃんの話は本当に此処まで。オチもなにもないよ」
オチなんて期待してません!
「まだ続きがあるでしょ! こいし様のために頑張ろうと思ったこがれちゃんがどうなったとか! 今こがれちゃんはどうしてるのかとか!
あああと! どうしてさとり様がこがれちゃんの事を口止めしているのかとか!! いっぱい聞きたいことがあるんですよ!」
こんな中途半端な終わり方なんて納得出来ませんよ!!
それに……おかしいじゃないですか!! こいし様の昔話だったはずなのに……!!
なんで、一回も……!!
「こがれちゃんが今どうしているか……?」
「そうです! そう言えばあたいはさとり様とこいし様以外のサトリ妖怪の事なんて聞いたことありませんし!」
「そりゃそうだよ。サトリ妖怪は私とお姉ちゃんしかいないんだから」
「えっ……?」
興奮していたあたいの頭が、一気に落ち着いていくような感じがした。
さとり様とこいし様しか、もうサトリ妖怪がいない。それってつまり……。
「こがれちゃんは、もうこの世にいないよ。だから、こがれちゃんの話は此処でお終いなの」
……どうやら、聞いてはいけない事を聞いちゃったみたいだね……。
こいし様が話してくれないから推測するしかないけど、そんな中途半端な終わり方をしたって事は、こがれちゃんは多分そのすぐ後に……。
「ごめんなさい、こいし様」
「えっ? どうして謝るの?」
何故かこいし様は首を傾げた。
「えっ、いや、辛い思い出を無理に聞き出してしまって……」
「別に辛くないよ? ただまあ、ちょっと寂しくはあるけどね」
あー、うん、こいし様、確かにあなたは普段から『死んじゃえ』とか『殺す』とか平気で言っちゃう方ですけど、空気読みましょうよ。
「友達の死くらい少しは悲しみましょうよ……」
「えっ? こがれちゃんはまだ生きてるよ?」
「はあっ!?」
落ち着いていた頭が再沸騰。
「こいし様!? あなたのわけの判らない言動には慣れっこだったつもりですけど今回ばかりは本当に意味不明なんですが!?」
「お燐って普段どんな目で私を見てるのかな?」
「んな事どうでもいいです!! こがれちゃんはもうこの世にいないって言ったばかりなのにその30秒後にまだ生きてる発言ってどういう事ですか!?」
「えー? そんなに難しい事言ってるかなぁ」
「難しいです!! さとり様に面と向かってばれない嘘を吐けって問題のほうがまだ簡単ですよ!!」
「うーん……」
なにを考えてるのかは判らないけれどなにかを考え込むこいし様。
此処まで混乱させておいて『こがれちゃんは私の心に生きてる』なんてありきたりな回答したら本気で殴りますからね!?
と言うかつい最近まで心空っぽにして放浪してたこいし様にんな事言われたって説得力ありませんからね!?
「……やっぱ教えてあげなーい」
あたいの予想の遥か斜め上をいく答えが返ってきました。
「こいし様!? いい加減に……」
「あ、そろそろ出かけないと。じゃあねー」
それだけ言い残して、あたいの視界からこいし様の姿がぱっと消える。
こうなってしまうと、もうあたいにはこいし様が何処に行ってしまったのかなんて見当が付かなくなってしまう。
ああもう、いつもいつもいつもいつもこいし様はこうやって突然現れては突然消えて!! 自由奔放にも程がありますよ!!
「うがああぁぁぁぁぁ!! 最後の最後に一番気になるところだけ残して行かないでくださいいいいぃぃぃぃ!!」
「うにゅ……お燐、煩い」
「うっさい!! こんな放置プレイ喰らって叫ばずにいられるかあああぁぁぁぁぁ!!
ああもう気になる気になる気になるううううぅぅぅぅぅ!!!! こいし様の馬鹿ああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「うにゅう……」
そうして暫くの間、あたいの叫び声が地霊殿の廊下に響き渡っていた……。
* * * * * *
玄関のほうから、お燐の叫び声が聞こえる。
ふふっ、そんなに中途半端なところで待ったを喰らったのが辛かったのかなー。
だけど、ごめんねお燐。そこから先は本当に話せないんだ。
だって、それは私とこがれちゃんとの大切な思い出だから。今なお続く、私とこがれちゃんの大切な絆だから。
……多分、違和感はあったと思うよ。
さっきの私とこがれちゃんの話には、本当なら絶対に出てこなきゃいけない人が一人、欠けてるんだから。
ただお燐やおくうにとっては、あり得なさ過ぎて気が付かなかったのかな。
「お姉ちゃん、ただいま」
地霊殿の中心部、お姉ちゃんの部屋の扉を開ける。中ではお姉ちゃんが静かに本を書いていた。
「あら、お帰りなさいこいし。……随分と嬉しそうね」
お姉ちゃんは私の心は読めないけれど、私の表情は読んでくれる。
どうやら今の私は、随分と嬉しそうな顔をしているらしい。まあ、それはそうだろうけどね。
「うん、お燐にこがれちゃんの話をしてあげたんだ」
そう告げると、本を書いていたお姉ちゃんの手が、ぴたりと止まる。
「……そう。随分と懐かしい事ね」
そうだね。もう1000年以上も前の話なんだから。
「何処まで話したの?」
「大丈夫だよ。こがれちゃんが今どうしているかは話してないから」
「……こいし。こがれはもうこの世にいないのよ」
ふふっ、そうだったねー。確かにこがれちゃんはもうこの世にいないよね。
……お燐。私は嘘は言ってないよ。こがれちゃんがもうこの世にいないのは本当のこと。
だけど、こがれちゃんがまだ生きているって言うのも本当だよ。
こがれちゃんがこがれちゃんとして生きているだなんて事は、一言も言ってないけどね。
「みんな不思議に思わないんだもんね。お姉ちゃんの名前が“さとり”だって事」
「……そうね。あなたがサトリの眼を閉ざしてしまったから、実質的にサトリは私一人しか残っていない。
だからこそ、私が“さとり”と呼ばれるようになった……。まるで、元々私の名前が『さとり』だったかのようにね」
そうだね。私がサトリの眼を閉ざして、みんなの記憶に残らない無意識の存在となって……。
そうして地底に残った最後のサトリが、そのまま“さとり”と呼ばれるようになった。そう、今目の前にいる、お姉ちゃんが……。
「お姉ちゃん」
「なにかしら?」
「1000年前、地底にはたった二人だけしかいなかったとても珍しい妖怪。それが偶然出会って、友達になって、姉妹になって……。
血が繋がってなくても、片方が能力を失ってしまっても……それでも昔から変わらず、本当の姉妹のように一緒に生きている」
ふふっ、どこかで聞いたことある話だよね。
「自分のために能力を失った“友達”のために、必死で努力して能力を開花させて、真に“お姉ちゃん”って呼べる存在になって……。
そうして1000年経った今でも、その二人は仲良く、本当の姉妹として一緒に過ごしている……とってもロマンチックだと思わない?」
「……さあ、何の話だか判らないわね」
静かにお姉ちゃんは笑った。それに釣られて、私も一緒に。
「こいし」
「なぁに?」
「あなたがどう思っていようとも、今の私は古明地さとり。あなたのたった一人のお姉ちゃんで、地底に残った最後のサトリ。
私はもう、誰かに助けられてばかりの弱い存在には戻りたくない。約束した通り、“友達”を守れるだけの強い存在になりたい」
……やっと聞かせてくれたね、お姉ちゃん。
お姉ちゃんがどうして、こがれちゃんの話をする事を嫌うのか。今までずっと、話してくれなかったから。
「だから……こがれの話はこれでお終い。こがれは能力を失った友達のために、自分さえも捨ててしまったのだから。
例えその名を失っても……友達を傷付けた自分に戻りたくないと、思っているのだから……」
……うん、そうだね。
だけど、私のために自分を捨ててくれたこがれちゃんを、私は誇りに思っている。誰よりも大切に思っている。
こがれちゃんは約束を守ってくれた。頑張って頑張って、本当に頑張って、私の代わりにサトリの能力を開花させてくれた。
私のお姉ちゃんになって、本当の家族になって、みんなに忘れられた私の事をただ一人、ずっと守ってくれていた。
―― ……こいし! やっと、やっと見つけた……!!
……心を閉ざしてから30年くらい経った時の事が、脳裏を過ぎる。
それは何も考えられず、ただ暗闇の中で無意識に過ごしていた私の心に差した、一筋の光だった。こがれちゃんが私を見つけてくれた事で、存在を認識してくれた事で、自分の心を取り戻す事が出来た。
そして今でもこうして、こがれちゃんは私の傍にいてくれる。私の事を思ってくれている。
それはこがれちゃんとしてじゃないけれど……それでも、私は満足している。
―― 約束、だったよね……無意識になったあなたを見つけられるくらい強くなれたら……。
だって、私はそんなこがれちゃんの事が、大好きだから。
例え血が繋がってなくても、本当のお姉ちゃんだって思ってるから。
そして今でも、私の一番の友達だって思ってるから……。
「
1000年ぶりに送った一番の友達への言葉は、まるで花火のように美しく、暖かく、そして儚く消えていった……。
しかししかし。いいっすねぇ、こいしちゃんとこがれちゃんが紡ぐ現在へと続く秘められた昔話。
いや、秀逸な設定だと思います。確かにこれならサードアイのコード配線がさとりとこいしで違うのも納得です。
なにより第三の目が閉ざされた真の理由が泣かせるし、なんというか上手いなぁ、と。
余計な捻りを入れたくなかったと仰られた作者様の言。
まさしく。個人的にこの流れは大正解であると断言させて頂きます。幸せになるべきなのだ、この姉妹は。
ただ、この流れでお燐がこがれちゃんの正体に気付けなかったのはちょっとした疑問ではあるのですが、
これは物語の世界を俯瞰している者が吐く暴言なのでしょう。
友達であり姉妹でもある少女達のとった行いが正しいとは正直俺には思えない。
でもそれがなんだっつーの。正しくない正解があってもいいじゃない。
ってな訳で、素敵なお話、ありがとうございました。
>足を進めるに釣れて、私の耳に誰かの声が聞こえる →進めるにつれて、で宜しいのではないでしょうか
>その子の二つの目は、泣きすぎてか真っ赤に晴れ上がっていて →真っ赤に腫れ上がって
>地獄街に足を進めるに釣れて、なんだか妙な胸騒ぎがしてきた →同上
>ただ、こがれちゃん自身は目の開いてなかったけど →自身の目は、とか?
>……こがれちゃんが受けた痛み、あいつらにも味合わせてやるから →味わわせて、かな?
>友達なんていなかった私にとって、こがれちゃんは何にも変えられない大切な存在だったよ →何にも代えられない
てっきり、頭山みたいに池かなんかだと思ってました。
シリアスなこいしちゃんが素敵なお話ですね。
でもこがれちゃんもカワエエww
読んでる側としては確かにすぐ気付くけれど、1000年もの間血の繋がった姉妹だと思っていたおりんりんには確かに判らなくても仕方ないかもしれない、と一人で納得
いつかもう一度、こがれちゃんとしてこいしの名を呼んであげてください……
大切な人のために名前さえ捨てる!という覚悟の熱さが、クールなさとり様らしからぬかっこよさ
本名・古明地こがれさんに幸あれ!
でもサードアイを引き抜くところの文章の表現は、ちょっとゾクッとした。
その辺を考慮してこの点数にしました。