Coolier - 新生・東方創想話

千四百年はもう一つ

2012/10/03 20:48:37
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「あれ、妹紅さん珍しいですね、こんな時間に」

昼下がりの人間の里を歩いていたら、里の人にそう言われた。
そんな事を言われるほどだろうかと一瞬考えて、そう言えば私が人里……慧音のところを訪ねるのは、大抵日が暮れる時間帯だった気もする。
まあ、だいたい輝夜と一悶着起こしてからだから、って言うのが主な理由なんだけど。

「まあね。家にいても暇だったし」

「慧音先生でしたら、先ほどお客さんが来てたみたいですよ」

「ん、そう」

里の人たちとはそれなりに見知っているとは言え、それほど親しいわけでもない。
早々に手を振って、私は慧音の家に向かうことにする。ただ、今言われたことにちょっとだけ違和感を覚えながら。

「お客さん、ねぇ……」

慧音はなんだかんだで人間の里では中心人物だし、お客さんが来る事はそう珍しいことじゃないと思う。
だけど、少なくとも今回の『お客さん』と言うのは、里の人物じゃないんだろうと予想しておいた。だって、里の誰かなら『○○さん』とか名指せるはずだから。
人間の里に住んでないのならば、それは妖怪とか……少なくとも人間じゃない可能性のほうが高い。

とは言っても、さっきの人もそれほど恐怖心を持っているようにも見えなかったし、里にもピリピリした雰囲気はない。
つまりは、その『お客さん』が妖怪だったとしても、人間には友好的なんだと思う。
まあ、気にするほどでもないかと考えを改め、私はのんびりと足を進める事にした。





 * * * * * *





「けーねー」

5分ほど街中を歩いて、寺子屋兼慧音の家に辿り着いた私は、なんの気もなしに扉を開ける。
何度も何度も足を運んでいるし、私にとってはもう一つの自宅のような場所。今更遠慮なんて殆どないし、慧音もそれを許容してくれている。
とは言え、お客さんが来ているというのは考えておくべきだったかもしれない。

「それでは失礼……おわっ」

「わっ」

何も考えずに足を進めてしまったために、扉の向こうにいた誰かに勢いよくぶつかってしまい、尻餅を搗いた。

「っと、すまない。大丈夫か?」

あ、いや、私のほうからぶつかったのに、そう言われるとちょっと申し訳ないけど……。

「ごめんなさい、大丈夫で……」

ちゃんと誤ろうと顔を上げた瞬間に、言葉が止まってしまった。
私とぶつかったその『お客さん』は、緑一色のワンピースを着た、鶯色の髪の女性だったんだけど……。
その女性をぱっと見て、私と同じ反応を示さない人はいないと思う。何故かって……。

その女性には、足がなかったからだ。

「屠自古殿、どうなされた……って、妹紅じゃないか。どうしたんだこんな時間に」

私が呆然としていると、家の奥から慧音も出てくる。
屠自古……この女性は屠自古って言うのか。だけど、なんだって……。

「妹紅、と言うのか。私は蘇我屠自古と言う。本当にすまなかった」

蘇我屠自古さんか、なんだか何処となく慧音っぽい……。



……えっ……?



……蘇……我……?



「では慧音殿、急がねばならぬ故これで失礼する。また後日……」

と、それだけ言い残して、屠自古さんは呆然とする私を尻目にそそくさとこの場を離れる。

……蘇我って、まさかあの……?

……そう言えば、屠自古さんは何処か懐かしい気がする烏帽子を被っていた。
それに、どう見ても彼女は幽霊。蘇我の名前を持った、千年前の豪族が使っていた烏帽子を被っている幽霊って……。

「妹紅? 何時までそんなところで呆けているんだ?」

慧音の声で、千年前にタイムスリップしていた私の意識が現代に戻ってくる。

「け、慧音。今の人は……?」

「ああ、屠自古殿か? なんでも最近復活した、飛鳥時代の王『豊聡耳神子』の従者だそうだ。ちょっと前にその異変の事は話しただろう?」

ああ、そう言えばそんな話を聞いた気がする。だけど、その時にはその聖徳王の事しか聞かなかったから……。
……まあ、長生きしているのにかまけて、その辺の歴史をちゃんと学んでなかったのは迂闊だったかな。
聖徳王の部下が、あの蘇我家の者だったとはね……。

「最近幻想郷に顔を出し始めたから、まだこの世界の決まり事について疎いらしくてな。
 それで時折私のところに来るようになったのだが……それがどうかしたのか?」

「……じゃあ、やっぱりあの蘇我家の……」

「あっ……そうか……」

歴史に聡い慧音はその一言だけで察してくれたようだ。
……どうやら、私はとんでもなく因縁深い人と出会っちゃったみたいだね……。

蘇我家の人間にとって、私の祖父にあたる藤原……いや、中臣鎌足は、一族の仇とも呼ぶべき怨敵だ。
祖父と中大兄皇子が中心となり、当時の政治の中心であった豪族、蘇我家を滅ぼした。
それは聖徳王が飛鳥の政治の中心にいてから、ほんの僅かの時間しか経っていない時の出来事だ。

もしも屠自古さんが、その時に生きていた幽霊だったとしたら……下手を打てば、私の祖父は彼女の一族の仇になるのだ……。

「……いや、妹紅。他人の私が言う事ではないかもしれないが、お前がそんな事を気にしてもしょうがないだろう。
 酷な話を言うようだが、確かに屠自古殿は、お前の祖父に滅ぼされた蘇我氏本家の者だ。それも非常に近しい、な。
 だが、蘇我家が滅んだ乙巳の変とお前が直接関係があるわけではないだろう」

「そ、それはそうだけどさ……」

もちろん、祖父は祖父だし私は私だ。今更藤原の姓になんら特別な思いはないし、関係ないと言えば関係ないかもしれない。
だけど、それはあくまで加害者側の意識だ。彼女にとっては、藤原家の人間は憎むべき仇なのかもしれない。
ましてや私は、中臣鎌足の孫にあたる非常に近い血筋の人間なんだ。
……これで、意識するなっていう方が無理だと思う。

「それに、屠自古殿は時折里に買い物に来るのだが、口調が少々粗野なのを除けば気前のいい人だぞ。
 亡霊ではあるが、それを気にさせないほど活気はあるし……寧ろお前とは気が合いそうなものだがな」

そりゃあ、私はそこまで人付き合いは悪くないから。……慧音と関わるようになってからの話だけどさ。
さっきの礼儀正しい態度を見ても、まあ口調は確かに慧音の言うとおりかもしれないけど、少なくともしっかりした人ではあった。
と言うか、口調とか何とかを考慮するならば、慧音そっくりな気もする。確かに、気は合うかもしれない。

……だけど、それは私と彼女の因縁を聞かなかったら、の話だろう。

私が藤原家の人間だと知ったら、彼女は私を敵として見るんじゃないだろうか。憎たらしく思うんじゃないだろうか。

……だって、私は憎いんだから。父に恥辱を与えた、あの月の姫が。今になっても。

「どうしても気になると言うなら、屠自古殿を追いかけてみるといい。
 急いではいたが、買い物を済ませてから帰るとも言っていた。まだ里の何処かにいるだろう」

「えっ、で、でも……」

慧音の言いたいことは判る。そんな事でどうこう悩むくらいなら、さっさと彼女と話を付けてしまうのが一番早いだろう。
だけど、家族の敵である藤原家の者が出て行って、果たして彼女はどう反応するだろうか……。
……拒絶されるのには慣れているし、ましてやついさっき初めて会った人なんだ。気にするほどではないかもしれない。

……それでも、誰かに拒絶されるって言うのは……やっぱり気持ちのいいものじゃないからね……。

「妹紅、考えていても仕方はあるまい。確かに初対面の屠自古殿とそんな重苦しい話はしたくはないだろう。
 だが、いつかは話さねばならなくなる時も来る。お前も屠自古殿も、同じような存在のはずだからな」

……慧音は私の事を『そういう存在』だと言う時、決まって寂しそうな顔をする。
でも、確かにそうなんだよね。屠自古さんも私も、滅びる事のない存在。その性質は、正反対かも知れないけどね。
お互いにずっとこの幻想郷にいる事になるんだろうし……きっといつか、私と彼女の因縁を知られる日も来るだろう。

だったら、初対面のうちにケリを付けておいた方が、後腐れなくていいかもね。

「……慧音、ちょっと行ってくる」

「そう気を張るな。思う事だけ、素直に話してくればいい」

「……うん」

慧音の言葉を心に留め、私は屠自古さんを探すべく、里の中を駆け出した。





 * * * * * *





10分ほど里の中を走り回って、意外とあっさりと屠自古さんは見つかった。
まあ、里で買い物出来る場所は限られているし、なにより亡霊ゆえに宙に浮いているため、目線は他の人間よりも高い。
屠自古さんは八百屋で野菜を買っているところだった。八百屋で魚を買っていたら不気味か。そんな事はどうでもいい。

「……………」

買い物をしている屠自古さんを、暫しの間遠くから眺めてみる。
八百屋の人と話すその顔は、とても静かな笑顔だ。本当に慧音を見ているような気分になる。
慧音と同じで、基本的にはクールなんだろう。だけど、屠自古さんが優しい人だからこそ、ああやって自然に笑えるんだと思う。

……だけど、私が一族の仇であると知ったら……。

……屠自古さんを見つけたのはいいものを、どうも今一歩踏み出せない。
うだうだ悩んでいてもしょうがないと、頭では判っているんだけど……。

「おや?」

あっ……。

「妹紅、また会うとは奇遇な。先ほどは慌しくて申し訳なかった」

遠くから眺めていたら、うっかり目が合ってしまった。
ああもう、まだ心の準備も出来てないって言うのに、なんて運が悪いんだ私は。

「しかし、先ほど慧音殿に用事があるのかと思っていたが、何故このような所に?」

「あ、いえ、その……」

気さくに話しかけてくる屠自古さんに対して、どうも目を合わせる事が出来ない。

「じ、実は……その……わ、私は……」

「うん?」

私が言いよどんでいるせいで、首を傾げる屠自古さん。

あーもう!
いい加減にしろ私! ちゃんと屠自古さんに話すって決めたんだろ!
こうやって面と向かっている以上、もう後戻りなんて出来ないんだから! 大人しく腹を括れ!



「わ……私は藤原妹紅だ!」



……無駄に気合が入ってしまい、暫しの間里の中に言い知れぬ沈黙が漂った。
そして変に大声を出してしまった事に気付いた時、途轍もない羞恥心に襲われた。みんなこっち見てるし。

「……藤原……妹紅……?」

しかしそんな恥ずかしさも、屠自古さんが私のフルネームを復唱したところで治まる。
もしも屠自古さんがそれだけで、私を一族の仇だと悟ったら……とりあえず一発殴られるくらいは覚悟しておこう。
その後どうなるかは……どうにかなってから考えよう。

「はあ、苗字が藤原だとは判ったが、それが……?」

屠自古さんからの返事は、私の予想の遥か斜め上を行っていた。

「えっ、ちょ、屠自古さん?」

「? どうしたんだ?」

あれっ? 全く気に掛けてないどころか、私がなにを言いたかったのかすら判ってないみたいなんだけど?

……あっ、ひょっとして……。

「……中臣鎌足の孫……です」

「……ッ!!」

その一言で、屠自古さんの表情が一変する。

妙な空気が入ったお陰か少しだけ落ち着いたところで、その答えに辿り着く事が出来た。
恐らく屠自古さんは、祖父が姓を『藤原』に改める前に生きていたのだろう。だから、『藤原』と言う姓がどういう意味を持っているのか知らなかったんだ。
彼女にとって怨敵なのは『中臣』であり、『藤原』ではなかった。だから、私の名前を聞いても判らなかったんだ。

「そうか……中臣の子か……。なんと因果なものだな……」

……確かに、私もそう思う。
こんな狭い世界に、1000年越しの因縁を持った一族同士が存在しているだなんてね。
輝夜といい、屠自古さんといい……つくづく私は、静かな生活を送れない運命にあるんだな。

「妹紅、少し話がしたい。何処か落ち着ける場所に……」

屠自古さんが、驚いてはいるものの、憎悪の表情を浮かべていないのは救いかもしれない。
慧音の言うように、その辺はやっぱり余計な心配だったのかもね……。

ただ、屠自古さんにもいろいろ言いたい事はあると思う。取り敢えず私たちは、近くの茶屋に腰を落ち着ける事にした。





 * * * * * *





「……………」

「……………」

私たち二人の間に、なんとも言えない静かな空気が流れる。
茶屋に腰を落ち着けてから5分ほど、お互いに会話は一切無し。二人して、黙ってお茶を啜っているだけだった。

……正直、なにを言えばいいのかが判らなかった。たぶんそれは、向こうも同じなんだと思う。
それもそうだ。千年以上前に一族を滅ぼした仇が、いきなり目の前に現れれば、誰だって混乱するだろう。
さっきから憎しみを見せないのも、本当は心の整理が出来ていないだけかもしれないし……。

「……今でも、夢に見る事があるんだ」

「えっ?」

ずっと黙っていた屠自古さんが、何処か遠くを見つめながら、静かに口を開いた。

「私がまだ生きていた時……千四百年前、蘇我家が最も栄えた飛鳥の時代。
 そして、今は亡き家族の事や、その思い出……やっぱり、忘れる事が出来ないんだな」

「……そう、でしょうね」

ほぼ同じ年月を生きている私だって、こんな身体になる前の事は良く覚えている。
輝夜の事があるから、ってわけじゃない。家族と過ごした思い出って言うのは、それだけ大切なものなんだ。
楽しかった事、辛かった事、いっぱいあるけれど……それはそれだけの時を過ごしたって、忘れる事が出来ない大切な思い出なんだ。

「中臣鎌足に討たれた入鹿は、私の兄の息子……私の甥になるな」

……思った以上に関わりが深い人だったんだな。

「ごめんなさい。謝って済む話でないのは承知ですけど……」

さっきまではあれだけ言葉にするのが難しかったのに、今は随分あっさりと言えたもんだな。

謝って済むわけじゃない。なにせ、屠自古さんは祖父に甥を殺され、一族を滅亡へと追いやられているんだ。
屠自古さんに殺されたって、文句は言えない立場だと思う。まあ、死にはしないけどさ。

……ただ、それでも……一言そう言っておきたかった。ただそれだけだ。

「……なにを謝っているんだ?」

……えっ?

「だ、だって、あなたにとって私は一族を滅ぼした仇の子孫なんですよ?」

「そうなるな。だが、それがどうしたと言うんだ?」

「ど、どうしたって……」

屠自古さんのあまりの返答に、言葉が続かなくなってしまう。
なんでこの人は、こんなに冷静なんだ? 普通家族の仇が目の前にいたら、こんなに平静でいられるはずがない。
屠自古さんが優しい人だろうという事はそれなりに判っているつもりだけど、いくらなんでも無関心すぎるんじゃ……。

「……中臣が憎いかと聞かれれば、憎いと答えるさ。当時も色々あったが、みんな私の家族だったんだ」

家族だった。その一言が、私の背に重く圧し掛かる。

「蘇我家が滅んだ時、私は既にこの姿だった。あの時、滅び行く一族を目の当たりにして何も出来なかった事に、幾日も泣き続けていたさ。
 中大兄皇子や君の祖父を殺してやりたいと、何度も思った。一族もろとも呪い殺してやろうかと思った事もあった。
 ……そう言えば、鎌足は死後に『藤原』の姓を貰ったのだったな。『中臣』で覚えていたせいか、うっかりしていたよ」

ああ、知らなかったわけじゃないのか。
ただ、祖父に対しての思いが強すぎたせいで、藤原の姓への印象が薄かったんだろう。

「……だからさ、鎌足が病死したとの話を聞いた時、どうしようもない脱力感を覚えたよ。
 まったく、その話をしてきた青娥の嬉しそうな表情と来たら、逆にあいつを殺してやろうかと思ったくらいだ」

えっ? 青娥って誰だろう。
屠自古さんの仇が死んだと言う事を嬉しそうに話す辺り、あまり性格のいい人じゃなさそうだけど。

「だけど、おかげで目が覚めたような気がしたよ。私は一体、なにをやっていたのだろうってね。
 亡霊になった私と違って、人間はいつか死ぬ。どんなに栄えていたとしても、必ず滅びる時が来る。盛者必衰の理ってやつだな。
 人ならざる私が誰かを憎んだって、人は必ず死ぬんだ。そう思ったら、鎌足を殺したいなどと思っていた自分が馬鹿馬鹿しくなってな」

屠自古さんは静かに笑った。言葉の通り、嘗ての自分を嘲笑するかのように。

「家族を殺された事は、当然怨めしいさ。だけど、その当事者はもう誰一人生きてはいない。
 だったら、もう誰かを憎んでも仕方あるまい。たとえ目の前に、鎌足の孫娘がいたとしても、な……」

そこまで言って、屠自古さんはお茶を啜った。私に言いたかった事は、そこまでだからだろう。

「よく、そんな事が思えますね」

「ああ、自分でもそう思う。だが、仮に君を殴り飛ばしたところで、家族が生き返るわけでもないだろう?
 鎌足の時だってそうさ。私がこの手で奴を殺していたとしても、結果は何も変わらなかった。復讐なんていうのは、所詮ただの自己満足なんだよ」

屠自古さんのその言葉が、私の胸に深く響き渡る。

復讐なんて、所詮ただの自己満足。屠自古さんは軽く言い放ったけど、私は……。
……私は未だに輝夜を憎み続け、何度も何度もあいつを殺している。死なない事が判っていても、何度でも。
やっぱりそれも、ただの自己満足なんだろうか。父様の仇だからって、自分の目的を正当化させて、そして誤魔化して。

死なない輝夜を殺したって、なんの意味もないというのに……。

「屠自古さん、もし……」

「うん?」

「もし仮に祖父がまだ生きていたら、そしてあなたの目の前に現れたとしたら、あなたはどうしますか?」

ちょっと卑怯かもしれないけれど、私は屠自古さんにそう尋ねてみる。
復讐をただの自己満足だという屠自古さんが、もし私と同じ境遇になったらどうするのか。それが聞きたかったから。

「……そうだな、多分一発ぶん殴る」

一息吐いてから、またゆっくりと語り始める。眼を閉じ、きっと祖父の事を思い浮かべて……。

「一発殴って、それで終わりだ。後は酒でも呑みながら、当時の思い出話でもしてもらうさ。
 良い事も、悪い事も、全て過去の思い出としてな。あとはまあ、気長に近所付き合いでも続けていけば、いつか蟠りもなくなるだろう。
 ただ、許してやるってわけじゃない。許せなくても、判ってやるんだ。憎い相手の事を。
 どんなに憎い相手だったとしても、判り合える時というのはきっとあるはずさ。
 ……っと、太子様に聞かれては怒られそうだな。白蓮のようなことを言うな、と」

ふふっ、と屠自古さんは静かに笑った。それに釣られてか、私の顔も少しだけ綻んだ。

……凄いな、この人は。
私じゃ千年以上経っても出来ない事を、当たり前のようにこなしてしまうんだから。年齢だけなら、百歳も変わらないと思うのに。
許す事は出来なくても、判りあう事は出来る。私にはそんな事、この話を聞かなければ一生出来なかったと思う。
勿論、聞いたからって出来るかは判らないけれど……でも、0%から1%くらいにはなったんじゃないかな。
千年以上経って、漸く1%前進か。これが2%になるには、また途方もない時間が掛かると思う。

それでも、あれだけ憎んでいた輝夜と……いつか判りあう事は出来るのかな。

「屠自古さん、ありがとうございました。
 少しだけ……自分の本当の思いっていうのが、判った気がします」

輝夜の事が憎くてしょうがなくても、ほんの少しだけ、あいつと判り合いたいと思っている自分がいる事に。

「やっぱり、君も憎い相手がいるんだな」

「えっ……」

「鎌足の孫娘が、何の理由もなしにこの時代まで生きているはずがないだろう?
 妙に私の憎しみに関わる発言も多かったしな。きっと、君にも殺してやりたいほどの仇という者がいるのだろう」

あっ……。
あんまり意識してなかったけど、言われてみればその通りだった。千年以上前の人間の孫が、こんな時代まで生きてるわけがない。
それを最初から信じていた屠自古さんも屠自古さんだけど……まあ、自分自身もそうだからかな。
それに、冥界の亡霊姫に初めて会った時、一目見て随分と怖がられてたからね。亡霊には私が不死だって言うのが判るのかもしれない。

「判り……ますかね」

「妹紅。誰かを憎むという事は、長く生きていれば必ずある。どうしても許せないと思う者だってきっといる。
 許してやれとは言わない。それに、許す必要もないと思う。だけど、判ってやる事は出来る。
 こうしてちょっと話すだけで、因縁深い私たちも判り合う事が出来るんだ。殺したいほど憎い相手ならば、それだけ相手の事も判っていると言う事だろう?」

屠自古さんのその一言に、私の胸はどきりと脈打った。

……そんな事、思いもよらなかった。
輝夜の事を殺したいほど憎んでいる。だからこそ、私は輝夜の事を理解してやれる。つまりはそういう事……?
そんな馬鹿馬鹿しいと、切り捨てることは容易いけど……でも、その通りなのかもしれない。

あいつと同じ、老いる事も死ぬ事もない蓬莱人だからこそ、そして何百年も殺し合っているからこそ、私はあいつの事を理解しているのかもしれない。
もし本当にあいつの事を判っていなかったら、きっとあいつを憎んだりはしないと思うからね。
本当に憎たらしい相手だと、そう思えるほどにはあいつと関わっているから……。

「さて、私はそろそろお暇させてもらおう。時間も喰ってしまった事だしな」

「あっ、そう言えば急いでいるんでしたっけ。時間を取らせてすみませんでした」

「なに、気にする事はない。太子様ならお許しくださるからな」

「屠自古さん」

私はそっと、右手を差し出す。

「良ければまた、あなた達のことを聞かせてください。
 私も祖父の事……父から聞いた話しか出来ませんけど、それでも話せる事もあると思います」

祖父は私が生まれる前に亡くなっているので、直接会った事は一度もない。
だけど、私が子供の頃と言うのは藤原家が力を持ち始めた頃だ。その礎となった祖父の事は、散々聞かされている。
聞いた話が全部真実であるかは判らないけれど……それでも、屠自古さんに話しておくべき事はあると思う。
だから、屠自古さんにも聞かせて欲しい。屠自古さんの家族の事を、思い出話を。酒でも呑みながら、ね。

「……ああ、またな」

私の手を、屠自古さんは優しく握り返してくれた。
屠自古さんのその手は、本当に彼女が亡霊とは思えないほどに暖かく、まるで遠い昔に忘れてしまったあの感覚……。

……まるで、本当の家族のような……そんな暖かさだった……。





 * * * * * *





「ふぅ」

神霊廟に帰り着き、私は一息吐く。

……本当に、予想外だったな。まさかこの幻想郷に、中臣の子がいるとはな。
しかも、あの子……妹紅は恐らく、私のような亡霊とは正反対に位置する存在だ。正直な事を言うなら、ちょっと息が詰まる思いだった。

……だけど、私なんかよりもよっぽど人間らしい、素直な娘だったとも思う。
妹紅が誰かの事を憎んでいるだなんて、とても思えないくらいにはな。

「屠自古、遅かったですね」

「太子様」

神霊廟の戸を開けると、そこには太子様が立っていた。まるで、私が帰ってくるのを待っていたかのように。

「待っていたんですよ」

「あっ……申し訳ありません」

「……どうやら、面白い人に会って来たようですね」

むぅ、そうやって軽々しく欲を聞くのは止めてくださいって言ってるじゃないですか。

「すみません、帰りが遅くて心配だったものですから、ずっと聞いていたんです」

今です今。

「まあでも、そうですね。まさか中臣の子孫が幻想郷にいるだなんて思いませんでした」

「ただ、嘘は感心しませんよ」

ギクッ。
な、なんの事ですかねー、と誤魔化したかったけど太子様にそんなのは通用しないか。

「君が彼女に復讐したいと思わないのは、復讐しても意味がないからではない。
 君自身が復讐される立場にあったから、そしてその結果が今の君だからでしょう?」

「……復讐しても意味がないと思っているのは本当ですからね?」

「失礼」

……太子様の言うとおり、私は本当は妹紅にあんな事を言える立場じゃなかった。
私が亡霊として生きているのは、物部の一族を滅ぼしたが故の報いなんだ。あいつが……布都が蘇我寄りの考え方をしていたとしても、物部の者があいつの家族であった事に変わりはない。
そしてその結果布都に騙されて、私は……。

私のこの壊れぬ身体は、蘇我家の罪と物部家の怨念、その証なんだ……。

「復讐なんて、憎しみの押し付け合いなんですよ。
 だから、私がそれを背負って止めておくべきだったんです。私なら、どれだけの憎しみを背負ったところで、死にはしませんからね」

私は妹紅に、復讐はただの自己満足だと言ったし、実際にそう思っている。
ただ、正しくは『憎しみの押し付け合い』と言うべきかもしれない。
自分の憎しみを誰かに押し付け、そして自分は満足するだろう。だけど相手はまた、その憎しみを押し付けてくる。相手は満足し、自分はまた憎しみを募らせる。
そうやって憎しみは連鎖し、終わる事なき復讐劇となる。誰かが、憎しみを受け止めてやらない限りは。

だから私は、まずあの阿呆の事を理解してやろうと思った。
家族を滅ぼされた布都の心は、一体どれほど傷付いたのか。……それは、妹紅の祖父のお陰で知る事が出来たよ。
そのせいなのかな。私が布都の憎しみの心を受け止め、そしてあいつに押し付ける事をしなくなったのは。

「布都に自分の憎しみをぶつけない事で、ですか。君はそれで満足しているのですか?」

にこにこと、いい笑顔でそう聞き返してくる。
きっと、既に答えは判っているんでしょうね。だと言うのにわざわざ聞き返してくるんだから、本当に意地の悪い人だ。

「まさか。布都如きに騙された私も私ですが、千四百年経った今でもあいつの事は憎たらしいですよ。
 ですが、私はその恨みを晴らすわけにはいきません。なんて言ったって……」

一度、私は言葉を切る。
……どうせ、太子様には私がなにを言うかも判っているのだろう。全く、面白くもなんともない。
だからせめて、精一杯太子様にぶつけてやるとするか。

亡霊は本来誰かを恨み、この世に未練を残す事で生まれる存在。私は布都によって蘇らされた特殊な亡霊だけどね。
それでも、自分が亡霊だと自覚しているからこそ、私は布都を恨み続けられる。恨むだけで、復讐しようなどと思わずにいられる。

だって、亡霊は誰かを恨まなきゃ、心をこの世に残さなきゃ、この世界にいられないのだから……。



「私はずっと、太子様の傍にいたいのですから」



太子様の頬が、ちょっとだけ赤くなった……。





 * * * * * *





「あーあ、すっかり遅くなっちった」

夜の迷いの竹林を歩きながら、一人そんな事を呟いた。
屠自古さんと別れた後、私は慧音に屠自古さんとの事を色々話し、後はその時の歴史を聞いたりもした。次に屠自古さんと会う時までの予習にね。
ただ、そのせいで歴史家の慧音に随分と長話をされてしまい、結局帰りがこんな時間になってしまった。
慧音には泊まっていけと散々催促されたけど、今日は一人で色々考えたかったしね。

今日の屠自古さんとの話、輝夜に話したらなんて言われんのかな。
考えるまでもないか。なにを言ってるのかと笑い飛ばすに決まってる。

……だけど私は、きっと見習わなきゃいけない。屠自古さんの、どんな相手をも理解しようとするその心は……。

「あら、妹紅。奇遇ねこんなところで」

……うっわぁ……この世で最も聞きたくない奴の声が……。
……いやまあ、ある意味ではグッドタイミングなのかな。

「はん、月のお姫様が従者も連れずにのこのこ一人歩きとは、どういう風の吹き回しだ?
 そんな無用心だと、たまたま出くわした不死鳥に丸焼きにされても文句言えないよな?」

「ただの散歩よ。用心するべき敵などこの森には住んでいないから。煩い焼き鳥が住んでいるくらいで」

無駄に上品に口元を隠し、くっくと喉を鳴らして笑う私の最大の宿敵、蓬莱山輝夜。

全く、相変わらずだな。変わってもらっても不気味だけどさ。
しかし、この引き篭もり姫様が散歩っていうのも珍しい気もする。今日は最後まで珍事ばかりの一日だな。

「引き篭もりが慣れない散歩なんてしてると捻挫するぞ。やっぱり保護者は必要なんじゃないか?」

「あなた如きに心配してもらう事じゃないわ」

ま、そりゃそうだろうね。仮に目の前で本当に捻挫したって、私の手なんて死んでも借りないだろうし。死なないけど。

「ところで、なんだか丸焼きとかどうとか言ってたけど、殺り合いたいのかしら?」

ん、ああ、いつもの癖でつい言っちゃったな。
今までだってこう、ばったり会ってから10秒後には殺し合いだなんて何度もあったし、そう思うのも無理はないか。

「輝夜」

ふふっ、と何故か小さく笑ってしまった。

「えっ、ちょ、な、なによ……」

突然笑ったのが不気味だったのか、身じろぐ輝夜。そんな表情を見れただけでも、少し満足した。
私は一歩一歩、静かに輝夜に近付く。一歩踏み出せば、肌と肌が触れ合いそうなくらいに。殺し合い以外でこんなに輝夜に近付いたのは、初めてじゃないかな。

「ちょ、ち、近いわよ! な、ななななにをする気!?」

顔を赤くして、とても判りやすく慌てふためく。こんな見た目相応な反応も出来るんだな、と笑いそうになった。
一体なにを考えてるんだか。まさかお前なんかにそんな、考えてるだろう事をするはずないだろ。

ポケットの中に入れっぱなしだった手を、硬く握って……。



バキッ!!



……と、静かな竹林にとても綺麗な顔面グーパンチの音が響いた。

「痛ッ! ちょ、えっ!? 妹紅!? あんたさっきからなにがしたいのよ!!」

うーん、なんだか意外にもスカッとしたなぁ。
いつもは殺す気で攻撃してるから、こう、ただ本気で殴っただけって言うのは逆に珍しいかもね。

「一発殴って、それで終わり、か……」

「はあっ!?」

動揺する輝夜を無視して、私は屠自古さんの言葉を思い出す。

やっぱり、まだ屠自古さんのようにはいかないかな。一発殴ってそれで終わりなんて、まだ出来そうにない。
でも、一発ぶん殴っただけでも、なんだかもうこいつと殺し合おうなんて気は全然湧いてこなかった。
殺し合いなんてしなくても、こんな簡単に殺意を晴らす方法があるんだな……。

……本当に、いつか輝夜と判り合える日が来るんじゃないか。ほんのちょっとだけ、そんな思いが脳裏を過ぎった。

「ふふっ」

「な、なにがおかしいのよ!」

いや、自分を笑っただけだ。気にするな。

「やめやめ、悪いけど今日は殺し合いなんて気分じゃないよ。
 散歩の邪魔して悪かったな。それじゃ」

「はあっ!? ちょ、待ちなさいよ!! 私の顔殴っておいてそれだけ!? こら!! 妹紅!!」

頬を押さえながら怒鳴る輝夜の横を、晴れ晴れとした気分で通り過ぎる。

……今とても自然に言えたけど、どんな小さな事でも輝夜に、素直に『悪かったな』なんて、今までの私には絶対に言えなかったよね。
そんな小さな事でも、私は少しだけ前に進めたんだな、と実感できた。

屠自古さん。
私はきっと、あなたのように簡単にこいつの事を判ってやるなんて出来ないと思います。
あと何百、何千と時間を掛けなきゃ、出来ないかもしれません。あなたのような心の強さを、私は持ち合わせていませんから。

でも、あなたに会えなければ、その可能性は0でした。祖父の事すら判ってあげたいと思うあなたに会えなければ。
祖父はもうこの世にいませんが、あなたのその心を知ったら、きっと涙したと思います。

憎んでもいい。許してやらなくてもいい。それだけで、私の今までが無駄ではなかったんだと安心出来る。
判ってやる。憎んでいるからこそ、理解してやれる。それが私がしなくてはならない事。

そしていつか、輝夜と殺し合う事がなくなったら……今までの事も、全部笑い話になるのかな。

ちょっとだけ、輝夜と私が、そして慧音や永琳が、仲良く酒を酌み交わす姿を想像してみた。

そしてそんな想像を、いつか現実に出来るように……。



「父様、それでいいんですよね……」



見上げた空の月は、なんだかいつもよりも明るく輝いている気がした……。



































「待ちなさいって言ってるでしょうが!! 私の顔を殴っておいて無事で帰れると思っているなら大間違いよ!!
 神宝『ブリリアントドラゴンバレッタ』アアアアァァァァァァァ!!!!」

「え、ちょ、お前空気読m

ピチューン
「布都、ちょっと一発殴らせろ」

「唐突な上に頼みがおかしい。それに殴ると言うのは主の隣にあるその雷球でかそれは殴るとは言わぬ。待て、待つんじゃ屠自古我が悪かったなら謝るから話し合おう待て待てごめんなs

ピチューン
酢烏賊楓
[email protected]
http://www.geocities.jp/magic_three_map/Kochiyami.html
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コメント



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3.100名前が無い程度の能力削除
もことじという新しいカップリング、誰かやってくれるの待っていました
8.100むーと削除
とじこと妹紅の会合。そういえばこの二人にはそういう関係があるのかぁ、と気付かされ、
二人の恨みの晴らし方にスッキリしました。
そしてもことじなんてあるのかと思ったら、もこかぐ、とじみこ、も良い具合に入ってて嬉しい限りです。特にとじこの亡霊であり続ける理由にはニヤついてしまいますね

面白かったです。素敵でした
13.100名前が無い程度の能力削除
許さなくてもいい
屠自古さんイケメンや…
14.80奇声を発する程度の能力削除
新しくて良かったです
15.100名前が無い程度の能力削除
妹紅が前に進もうとする気持ちの描写がすごく好きです。
そしててるもこ好きとしてはたまらんですたあああ!
17.80名前が無い程度の能力削除
この二人組を待っていた
19.90名前が無い程度の能力削除
ついに来ましたよもことじ。
20.90名前が無い程度の能力削除
考えてみればこの二人はつながりがあるんですね。面白い
若干、妹紅が素直過ぎるかなと思いましたが、こんな出会いも素敵です
37.100名前が無い程度の能力削除
もこたんと屠自古の一族関連の話キタアアアアアアアア☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆こういうもこたんの元ネタ関連の話増えればいいのに…。輝夜空気読めw