過去作
SO-NANOKA-
SO-NANOKA-2
SO-NANOKA-3
SO-NANOKA-4
SO-NANOKA-5
SO-NANOKA-6
SO-NANOKA-7
SO-NANOKA-8
レミリアは言った。ルーミアを雇いなおす。言葉は悪くなるが、ルーミアをEXから買い取るのだ。
めずらしく、パチュリーが紅魔社内を歩き回っている最中、チルノはいつもの仕事部屋にいた。窓の外の雪が太陽の光を反射し、室内を照らしている。外は積もった雪のせいで、車が通れない。チルノには必要のないファンヒーターがなく音だけが室内に響いていた。
書類が山積みになった机が、四つある。そのうちの一つ、チルノが良く使う机にチルノは座っていた。足を乗せ、イスに背を預ける。不良のような格好でぼぅっとしている。
仕事は休みだ。
紅魔は再建を目的として、倒産した。理由は経済難。が、これは勿論嘘だ。適当に工作をした。実はこんな負債を抱えてました。ただ、縮小し、再建すればまだ大丈夫だ。と、世間に発表しただけだ。
紅魔が倒産したことは、新聞でも大きく取り上げられた。大体の新聞は、紅魔倒産! からはじまり、ルーミアがEXに移動する可能性があり。で締めくくられていた。
批評には、なぜ倒産させる必要があったのか、と訝っているのも多い。それもそのはず。再建するはずの紅魔から、ルーミアが抜けるからだ。このタイミングでEXに異動。ただただ紅魔を見限ったという意見がはじめは出回っていたものの、文々。新聞が強く否定したため、今はなにか裏があるという意見の方が強い。今のところ、文は根拠を小出しにして否定するだけでEX社の地下で出会ったことを書いていない。おそらく、まだ大きなネタがあると踏んで、あえて全てを公開しなかったのだろう。
今、新聞を中心に倒産と異動の関係を見つけるべく動いているのだった。
もっとも、それもEXもしくは紅魔の社員が口を割らない限りは、真実で繋がることはない。
どたどたと二つの足音が廊下を行き来する。レミリアとパチュリーが後処理を行っているのだ。会社の倒産云々に関わる作業にチルノが加わっても邪魔になるだけだろう。その辺りに、まったく知識がない。
ならばなぜ会社に来たのか。それはルーミアが来るのを期待していたのだ。来ないとわかっていようとも。
チルノはあくびを一つもらす。それにしても暇だ。ルーミアが紫の手に落ちて二日。意外なほどにチルノは冷静だった。感情は、ある一定のラインを超えてしまうと効果がなくなるようだ。
もう一度、大あくびをし、チルノは目を閉じた。スリルのない居眠り、うたた寝をはじめたのだった。
「おい、チルノ。ここで何をしてるんだ」
レミリアに揺さぶられ、チルノは目覚めた。すでに部屋は夕日で赤く染まっている。ちなみに、チルノはレミリアに自宅待機を言い渡されていた。
呆れ顔でレミリアはチルノの顔を覗き込む。口元のよだれをぬぐいながら、チルノは尋ねた。
「仕事、終わったの?」
「お前が心配することじゃない」
のびをすると、チルノの背骨は小気味良い音をたてた。
正直に言うと、あれ以来、チルノはレミリアを信用しきれていない。こんなことではあらゆる場面で支障が出るのはわかりきっている。
「さて、私はもう一仕事だ」
「やっぱり仕事あるだね。ここに来たってことは、るーみゃの机荒しでしょ?」
「また随分な言いようだな。調べるだけだ。あいつならEXについて何か掴んでるかもしれないからな」
言いつつも、希望は薄い。そう考えているのだろう。レミリアは特に期待している風でもなかった。
「幽々子の情報で揺さぶらないの?」
裏が取れていないのはわかる。けれど、幽々子が嘘をついているわけないのだ。ルーミアがあそこまで完璧に嵌めたのだから。
しかし、レミリアは憂いのある笑みを浮かべ、首を横に振るだけだった。理由は言おうとしない。
「ルーミアを助けれるだけの金は用意する。それで良いだろ」
投げやり気味にレミリアは言葉を放る。
「とにかく、お前はもう帰れ」
「やだよ。あたいも探す」
机に載せていた足を地に着け、チルノは立ち上がる。
「給金はないぞ」
冗談っぽく言うレミリアに、「わかったよ」と苦笑を混ぜながらチルノは言い返した。
四つの机が長方形になるように並べられており、チルノの机のまん前がルーミアのよく使う机だ。もう一つ、ルーミアの机があるのだが、そちらはあまり使われておらず、物置と化している。あまり使われてないほうの机には山のように資料が積まれていた。掘り出し物は、こちらのほうにありそうだ。そう感じたチルノは、その机を確保する。
「レミリアはそっちね」
ルーミアが良く使う机をチルノは指差す。
「社長に指示するなんてとんでもない社員だな」
肩をすくめ、レミリアはよく使われるほうのルーミアの机を漁りだした。それにつられ、チルノも資料の読み込みを開始する。
卓上にある資料を作ったのは、間違いなくルーミアだった。気持ち悪いくらいにミスがなく、正確なのだ。他社の人事、支出などからはじまり、紅魔の内部情勢に終わる。それらが事細かにまとめられていた。読み進めていくうちに、一つの資料がチルノの目を引いた。
スペルカードの連結、と見出しに書かれている。本来、スペルカードは一枚一効果だ。使われたスペルカードは、自動消滅してそこで終わる。けれど、その消滅をトリガーに、もう一枚、別のスペルカードを発動させる。というのがルーミアの考えたスペルカードの連結だ。
簡単に言うと、スペルカードAを唱えれば、スペルカードBも発動しますよ、というものだ。
文字を書き、効力を持たせる辺り、スペルカードは、コンピュータのプログラムと似たような仕組みである。ただ、なんとなく概要はわかっていてもプログラムが組めるかどうかはまた別の話だ。
この資料の最後には、「没」と大きく書かれていた。理由は、「不用意な暴発をし、悪用される可能性が高い」だ。知らずに使えば、一枚のスペルカードで連結されたスペルカードが予期せぬ発動をする可能性があり、しかも距離、障害物に関係なく発動するため、危険が大きいらしい。悪用に関してはありとあらゆる道具にいえるが、便利さゆえに悪用しやすいのだ。
それもそうか。チルノは仕組みの半分も理解していないが、一人頷いた。
改良すれば便利かもしれない。と、同時に残念に思ったものだ。
「どうだ?」
どのくらい時間がたっただろうか。レミリアがチルノの肩を叩いた。見上げると、天井には電灯が輝いている。夕日の橙は、すでに跡形もなく部屋から消え去っている。
大分時間がたっているようだが、チルノ担当の机には資料がまだ山のように残っていた。
「すごいよ。どれもこれも勉強になる。でも、これといってEXに関することはないね。今のところは……」
「そうか。こっちはだいたい読み終わったが、何もなかった」
「はやっ!?」
「大抵の奴は見たことあるからな」
よくよく考えれば、レミリアは社員の提出する資料を全てチェックしているのだ。時間がかからないのも頷ける。
「今日はもう上がるぞ」
夜の黒と、結露の白が混ぜ合わさり、窓ガラスに張り付いている。
「わかったよ」
「ところで、どうだ。今から飲みに行かないか?」
それは唐突な誘いだった。けれど、意図は読める。チルノの疑心暗鬼をどうにかしてほどこうとしているのだ。
「おごり?」
「お前は本当に私を社長と思っているのか? まぁ、おごりで良いが」
「やった」
「じゃあ、さっさとあがるぞ」
帰宅の準備とは言え、チルノは手ぶらだ。寒さにめっぽうに強いチルノに、防寒具は必要ないし、いつでも帰れる。このあたり、あたい最強だと思っているのだった。
チルノに対して、寒さに弱いレミリアは、咲夜に防寒具を持って来させた。
「あれ? 咲夜も来てたんだ」
「いや、あいつも自宅待機だ」
「電話もしてないのにどうやって呼んだのさ……」
「名前を呼んだらなぜか来る」
咲夜の「いってらっしゃいませ」を背に、二人は外に出た。粉雪がちらついている。傘をさす必要はなさそうだ。けれど昨日から雪が続いているため、膝元にまで雪が積もっていた。息を荒げながら、チルノは雪をかき、進んだ。そのチルノが雪をかいた後を、レミリアは悠々とついてきた。ずるいが、夜飯をおごってもらう立場だから文句は言えない。
雪をかきながら、チルノは空を見上げた。月は暗雲に隠されて見えない。街灯の明かりだけが頼りだ。
「ほんと、よく寒くないな」
手袋をつけた手を擦りながら、レミリアはチルノを見やる。赤い手袋にマフラーをつけており、レミリアの寒さ対策はばっちりだ。
「まぁ、とりえの一つかな」
「ああ、そうだな。それなら冬に路頭に迷っても大丈夫そうだ」
失業保険から金が出るものの、仕事を失いかけたチルノにとっては、あまり笑える冗談ではなかった。
しばらくすると、夜雀の経営する居酒屋が見えてきた。
「やっとだ」
白い溜め息をつきながら、レミリアは帽子に乗っかった粉雪を払う。店の前だけは雪かきがされていた。けれど、客らしき足跡はほとんどない。入り口の横戸まで凍り付いていないか心配だったが、流石にそれはなかった。
横戸をずらすと同時に熱風がチルノの前髪を揺らす。和風造りの店内には、案の定客は少なかった。
「いらっしゃい」
カウンターの奥で、店主であるミスティアが定例の挨拶をした。チルノも挨拶代わりに右手を上げる。カウンターのど真ん中の席を、チルノは確保した。カウンターのちょっと奥には、鰻を焼くための炭が赤々と光っている。本当は熱くて嫌なのだが、レミリアが唇を青くして震えているので仕方がない。カウンターに他の客はおらず、独占状態だった。他の客は各々のテーブルで酒を舐めている。
「何にする?」
ミスティアの問いに、紫色の唇を懸命に動かし、レミリアは熱い焼酎を注文した。彼女は腕で体を抱き、震えている。よっぽど寒かったのだろう。
そんなレミリアを横目に、チルノは何を注文するかを考えていた。勿論、遠慮する気はさらさらない。
「ミスチー、こっちには蒲焼三つとキンキンに冷えたビールお願い」
「はいよー」
真冬に来店直後から冷えたビールを頼む者はいない。けれど、ミスティアはチルノの体質を理解しているため、不思議がることはなかった。鰻に手を加えながら、ミスティアは接待を行う。
「そういえば、チルノはルーミアとよく来るよね。レミリアとなんて珍しい。紅魔再建の祝い事?」
良いこともないのに、なぜ祝うのか。という突っ込みは不要だった。これはあくまでミスティアの冗談だ。けれど、彼女の思っている以上に、今の冗談は力を持っている。
これには、チルノもレミリアも苦笑で応じるしかない。
天井から吊り下げられる形で設置されたテレビからは、新しいニュースが流れてくる。
ミスティアの様子を見る限りでだが、なんとなく予想していた。彼女はルーミアが抜けたことを知らない。ルーミアの異動を騒いでいるのは、新聞のみなのだ。テレビ、ラジオなどから情報を得ている者は、紅魔が倒産、再建したことしか知らない。
鰻に串を通し、焼き始めると、ミスティアは温めていた焼酎をレミリアに渡した。それを待っていたと言わんばかりに、焼酎をおちょこに注ぎ、レミリアは口元で傾ける。
「この前、チルノとルーミアが来たとき、大変だったわ。VIPのお嬢様も来て食い争いをはじめるものだから……」
つらつらと客の接待を続けるミスティア。ここが地雷原なら、もう五以上の地雷を踏み抜いただろう。
「はい、蒲焼三つとビール」
「待ってたよ」
四角皿一枚につき、蒲焼が一つ乗っている。丸々と肥った、旬の鰻だ。まだ音を立ててはじけるたれからは、香ばしい匂いが溢れてくる。一皿をレミリアに渡す。
「したたかなやつめ」
二皿確保したチルノをレミリアはつつく。それをチルノは気にも留めず、蒲焼にかぶりついた。豆腐のようにやわらかい。鰻の身が歯に当たった瞬間溶けていくようだった。これなら、いくらでも食べられそうだ。いや、撤回。食い争いで撃沈したことをチルノは思い出したのだった。
あっという間に一匹たいらげて、チルノはビールで口内に残るたれを洗う。よく冷えたビールが心地よく喉を通り抜ける。一息ついて、もう一つの蒲焼に手を伸ばしたときだ。その蒲焼が横からかっさらわれた。楽しみを奪われたチルノは、敵意たっぷりに犯人を睨みつける。
「気が利くわね。私の分まで頼んでくれてるなんてね」
鰻を返せ! なんて出てこなかった。
解け始めた雪が、ぬらす金髪。金髪にしがみつく赤いリボン。赤いリボンに負けず劣らないほどの赤い瞳。そして赤い瞳を覆う黒縁の眼鏡。
誰が見間違うだろうか。
「どうしたの。幽霊でも見たような顔をして」
「るーみゃ!?」
一口、ルーミアは蒲焼をはむ。ミスティアが口を挟んだ。
「あれ、二人で飲み会じゃなかったの」
「そんなわけないでしょ。ミスチー、蒲焼八つと熱燗ね」
「これは忙しくなりそうね」
ルーミアの髪にはあの忌々しいリボンがついている。けれど、特に言語制限を受けてはない。
どうしてここに? と聞きたくなったが、チルノはその言葉を飲み込んだ。レミリアに驚きが一切見えないからだ。事前に二人はなんらかのやり取りをしていたのだろう。ここでチルノ一人だけ騒ぐのも妙だ。
「で、何の用だルーミア」
おちょこを傾けながら、レミリアは問う。それは、ルーミアを突き放すかのような言い方だった。
「ああ、大したことじゃないんだけどね。退職届くらいは出しとこうと思ったの」
カウンターの奥で煙にまかれていたミスティアの肩がぴくりと動いた。先ほどまで、自分が歩いていた地雷原に気付いたのだ。
「それはご丁寧に。ということは、気付いたんだな」
「勿論よ。じゃ、はい、これ」
懐からルーミアは『退職届』と大きく書かれた白封筒を取り出し、レミリアに渡す。その時さえも、二人は目をあわせようとしなかった。あっさりとしたものだが、これで公式に退職が決定する。
「ま、これで用事はおしまい。じゃあ後は好き勝手に食べるわ」
チルノの隣にルーミアはどっかりと腰をおろす。そんなルーミアに、何も言わず、封筒をつまみ上げ、懐にしまうと、レミリアはまずそうに焼酎を飲んだ。
「はい、うなぎ。なんか……ごめんね」
うなぎはルーミアに。謝罪はみんなに。
「ミスチーは悪くないよ」
居心地悪そうにミスティアは頷く。ほほが引きつっているのが伺えた。本当に、ミスティアは悪くない。そうは思うが、これ以上どう言葉で伝えれば良いのか、チルノにはわからなかった。
焼酎をまずそうに舐め続けるレミリア。蒲焼を無表情でむさぼるルーミア。今だ雰囲気を受け入れられないチルノ。居酒屋は不協和音に包まれていたのだった。
閉店を向かえ、客は皆、店内から追い出された。酒で体が火照り、チルノの額にはうっすらと汗が浮いている。気色の悪いアルコールが体内を駆け巡る中でも、チルノは雪をかき、進む。その後にはレミリアがついてくる。行きとまったく同じスタイルで帰路に着いた。
結局、ルーミアがチルノと同じ道を行くことはなかった。別れ際、チルノは「すぐに迎えに行くよ」と言ったが、ルーミアは力なく腕を振っただけだった。
二日酔いで頭ががんがんする。病人のようにふらふらな状態で、チルノは紅魔に出社した。レミリアに渡された新しい紅魔社の予算をパソコンに打ち込む作業をしながら、チルノは別のことを考えていた。
現状では、何をやるにしても少なすぎる。今回の場合、敵以前に味方に問題があるのだ。特にレミリア。昨日の様子を見る限り、ルーミアとレミリアの間には、底の見えない谷が存在するようだった。どうしてあんな雰囲気になるのか。レミリアが少々意地を張りすぎているような気がする。
そもそも、紫に紅魔社を潰されたなら、どうしてそれを言ってくれないのか。EXにチルノとルーミアがもぐったあの日、二人が地下に居たのは実質二時間程度だ。あの二時間でレミリアを黙らせるほどに屈辱的な勝ち方を紫はしたのだろうか。二時間程度でレミリアを潰せるのなら、紫はもっと潰すには良いタイミングがあったはずだ。
二時間で紫がレミリアを潰したというのは半分正解で、半分違うだろう。チルノの勘がそう告げていた。レミリア自身、なにかを抱えている。
そのなにか、を調べたいのだが、それはパンドラの箱を開けるのと同じだ。この歯がゆさが、チルノには耐えがたかった。けれど、開けないと先に進めない気もする。矛盾だらけの状況だ。
レミリアはルーミアを助ける手段を用意してくれている。それで良いじゃないか! 結局、そうやってチルノは自分に言い聞かせようとした。黙ってレミリアに乗っかればよい。けれど、やはりチルノにはそれもできなかった。レミリアを信用し切れていない。準備してくれた船が軍艦なら良いが、泥の船かもしれないのだ。
いつの間にか、キーボードを弾く手が止まっていた。元々、チルノは二つの作業を同時にこなせるほど器用ではない。
簡単な話。レミリアを信じれば良いのだ。
そんな終わりの見えない葛藤を打ち切るように、ごつりと脳天に鈍い痛みが走った。
「こぉらチルノ。仕事をさぼるんじゃない」
まさしくチルノの悩みの種。レミリアがいつの間にか部屋に訪れていた。拳を固めている彼女も、どことなく調子が悪そうだ。顔が少しばかり青い。
「休憩中だよ」
「タイピングしてたら画面にゴーゴンが現れて石像にされました。みたいな休み方をする奴がいるか」
チルノのあからさまの嘘を、レミリアは苦笑しながら打ち砕く。パソコンのディスプレイを、赤い瞳が覗き込む。
「間違えだらけじゃないか」
ほかの事を考えていたのだから、当たり前と言えば当たり前だ。
「レミリア、何度も聞くようだけど、ルーミアのことは大丈夫なんだよね?」
「ああ、任せろ」
レミリアの返事には不安も、かといって希望も含まれていなかった。どこまでも透明な氷を見るかのように、その真意は計れない。
「明日だ、明日、早速ルーミアを助けにいく」
そっけなく言うレミリアは、どこか人身売買を行う者のように見えた。ルーミアを取り戻すのは早い方が良い。だれの目から見ても明らかだ。今はただ、レミリアの言葉に頷いたのだった。
翌日、紅魔に出社したチルノは、すぐに社長室に向かった。
「……だから、EX社に来い。わかったな?」
社長室のドアを開けると、豪勢なイスに腰掛け、携帯を耳に当てているレミリアの姿があった。ちょうど話が済んだらしい。携帯を閉じると、彼女の背後に立っていた咲夜に投げ渡す。
EXに来い。この言葉がチルノは気になった。こんなときに、誰を呼ぶのだろうか。
「他の紅魔社員が来るの?」
「いいや、文屋だ」
当然、チルノは首をかしげる。文屋を呼ぶということは、幽々子のあの情報を暴く気なのだろうか。
「もしかしたら、役に立つかもしれないからな。簡単な条件を一つ付ける代わりに、ネタをやることにした」
レミリアがあれほど避けていたのに、と思ったが、今は問いたださないことにした。
「さぁ、EXに行くぞ」
状況を整理する間なぞ与えられぬまま、レミリアに袖を引っ張られる。
「社長、忘れ物ですよ」
「ああ、そうだったな。チルノ、頼む」
なんだろう、と首を傾げながら見ていると、咲夜が小ぶりなトランクケースを取り出す。それをチルノに渡す。トランクケースはずっしりと重かった。
「千万だ」
「せっ、千万!?」
以前、取り扱ったファーストスペルの値段とは比べ物にならないほど小さな額だ。けれど、驚かずには居られない。平社員を一人雇いなおすのに、千万円を使うのだ。普通では考えられない額である。
「じゃあ咲夜、留守を頼む」
「わかりましたわ」
打てば響くような返事だった。同時に、咲夜は一礼する。
紅魔前の道路には、すでにタクシーが待機していた。幸い、昨日が快晴だったので雪は溶けており、車は通れる。けれど、路面がところどころ凍結しているため、タクシーのタイヤにはチェーンが巻かれていた。鈍く光を反射する黒のトランクケースを抱え、チルノはタクシーに乗り込んだ。大金を抱えていると、どうしても気が小さくなってしまう。
EX社まで。レミリアがタクシーの運転手に告げる。しばらくタクシーに揺られていると、一つの、巨大なビルが見えてきた。天を突くかのように建っているビルは、スペルカード業界最大手に相応しいものだ。
ビルの自動ドアをくぐり、エントランスへと踏み入れる、エントランスは、パーティーのときとは違い、粛々としていた。シャンデリアの元、EXの社員と思われる人たちが行き来している。
床には、赤い絨毯が一直線に敷かれていた。それは受付へと続く。半円を描くようにカウンターが設置されており、その内側では受付嬢が微笑んでいた。が、それもチルノとレミリアが紅魔社員であると認識するまでの間だ。
胸に『八雲藍』とかかれた名札をつけた女性は、困惑の表情を見せた。
「申し訳ないのですが、紅魔社の者はここに入れないようにと紫様に言われております。どうぞお引取りください……」
「うちの社員が入ってるだろう?」
首を傾げたが、藍はすぐにああ、と頷く。
「彼女はもう紅魔を退職したでしょう」
「そうかそうか」
ひょうひょうとレミリアは受けて立つ。
「まぁ、それは関係ないな。今日もフランに用があってな」
「困ります……」
「私とフランは姉妹だぞ? フランに連絡を取ってくれ。『例の件』で来たと言えば伝わるはずだ」
少し考えるしぐさを見せてから、藍はしぶしぶ「わかりました」と頭を下げた。彼女は、受付の奥にある社内電話を手にする。何度かの応答の後、「わかっていると思いますが、五階の東の端にフラン様のお部屋があります。そちらへどうぞ」と悔しそうに言ってきた。
「ん。ご苦労」
チルノも一度来たことあるし、レミリアにいたっては数え切れないほど訪れている。迷うことはない。受付の右手にあるエレベーターに二人は乗り込む。
どうせフランの元には行かない。あくまでEX社に入るための口実だ。
そうチルノはたかを括っていた。けれどその意に反し、レミリアは五階のボタンを押す。疑問に思ったが、チルノは、ルーミアの場所を聞くのだろう、と自己完結した。
五階でエレベーターを降りる。EX社地下とは違い、あきらかに接客用の構造になっている。窓からは光がたっぷり取り込まれ、白い壁からは清潔感があふれ出していた。
時折すれ違うEX社員に白い目で見られながら、二人はフランの部屋を目指す。
『フランドールの部屋』とかかれたドアがチルノの目に入った。一見すると、子供部屋のようだ。けれど、中身は泣く子も黙るEX幹部の所有地だ。
レミリアは慣れた手つきでドアを叩いた。
すると、すぐにドアが少しだけ開く。隙間から、レミリアとよく似た赤い瞳をもつ少女がこちらをねめつけていた。
「入って良いな?」
「なんの用?」
毒気の強い口調だ。姉に対して冷たすぎるのではないか。そんなフランに、レミリアは苦笑で応じる。
「入るぞ」
ドアに張り付いたフランごと押しのけるようにレミリアは部屋に入った。それに、チルノも続く。
以前はブラウン調で整えられていた部屋だが、今は緋色を中心に配色されていた。けれど、チルノがはじめて座ったEXのソファは昔のままで、向かい合うように設置されていた。足の短いテーブルも、相変わらず二つのソファの間に置かれている。
なめし皮のソファに、レミリアはどっかりと腰を下ろした。我が家に居るかのような振る舞いをするレミリアにあきれ、フランは溜め息をつく。
「お姉様、『例の件』なんて聞いてないわ」
やはりそうか。応対の態度から、チルノはなんとなく察していた。
「勿論、EXに入るための口実だ、合わせてくれてありがとう」
フランが冷たい、などといったことを、チルノは撤回する。フランにも、姉を思う心はあるようだ。
「さっさと用事をすませてよね」
フランにチルノも賛成だった。一刻も早く、ルーミアを助けたい。
「フラン。ルーミアはどこに居る?」
「地下二階。部屋番号202番。なんだか牢獄みたいなところよ」
場所、それに状況を聞いたチルノは、今にも動き出そうとする体を押さえ込むのに苦戦した。
「わかってると思うけど、行くだけ無駄だと思うわ」
そんなことは、行って見なければわからない。千万の重みを手に感じながら、チルノは心の中で強く反論した。
「まぁ、そうだろうな」
帽子のリボンをいじりながら、レミリアは溜め息をつく。チルノの手から、千万の重みがすぅっと消えた気がした。
「レミリア……。いまさら何を……」
ここまで来て、また弱気なレミリアが顔を出したのだ。ルーミアはもう手の届くところに居る。なのに。
「現時点でルーミアを救うのは無理だ」
落ち着いた口調で、レミリアはチルノを諭す。
「だから、だ」
レミリアの白い指がよれよれと宙を舞う。なぜか、フランの顔がこわばった。
「フラン。ここに千万ある。これで私に買われろ」
チルノの持つ、黒光りするトランクケースをレミリアは指差した。ケースには千万が。ルーミアを救うための千万が入っている。幽々子の情報が使えない今、唯一無二の手札だ。なのに、それをルーミアとはおいそれ関係ない、フランに使うのだ。
あまりにも筋違いではなかろうか。気が狂ったのではないかとすら疑った。
しかし、レミリアはいたって冷静だ。むしろ、顔色が悪いのはフランのほうだ。
「なに、言ってるの……。お姉様は……」
「そうだよ! それはルーミアを雇いなおすためのお金でしょ?」
フランに便乗せざるをえなかった。
「あれは嘘だ。それに、これは私の金。どう使おうが私の自由だ」
もう我慢できなかった。チルノはドアから駆け出す。勿論、千万の入ったトランクケースを抱えながら。もうレミリアはあてにならない。
「チルノ!」
ドアの向こうで叫ぶレミリアの声をチルノは振り切る。エレベーターは使わず、転げ落ちるように階段を降りていった。
もう、見えない。レミリアの意図がこれっぽっちもわからない。無我夢中に、チルノは駆けた。
地下二階の202号室。フランの行っていた部屋を探す。以前、地下にもぐったときには気付かなかったが、このフロアの部屋には番号が振られていたのだ。そのため、ルーミアの居る部屋を見つけるのは容易かった。
るーみゃるーみゃるーみゃ。
胸のうちで独り言を繰り返す。
202とかかれた黒く、重々しい扉がチルノの前に立ちはだかる。けれど、見た目に反し、扉は簡単に開いた。
「いらっしゃい」
最近では、もう聞きなれてしまった声がした。ソファに仰向けになり、声の主、ルーミアは雑誌を読んでいた。
色彩自体薄い部屋で、物もほとんどない。机には、仕事に必要であろう物はなに一つ乗っていなかった。本棚は本棚で、本はあるものの、どれも雑誌の類で、仕事には関係ない。
「早く帰ろうよ」
雑誌にルーミアの顔は隠されていた。チルノは歩み寄り、雑誌を引っ剥がす。金髪の前髪が重力に負け逆立っているため、ルーミアのおでこが露になっていた。見ようによっては休日をむさぼるお父さんのように見える。
「帰れないわ」
「どうして?」
本人の意思が尊重される世の中だ。気が弱くなければ、会社を抜けることなんぞいくらでもできる。
「もし、なにか気になることがあるんだったら、ここに千万あるよ。これを使って紫と交渉しても……」
ルーミアがEXを抜けることをためらうのは有り得ない。ならばなにかあると考える方が妥当だ。そのために、レミリアは千万を用意したのだろう。
そこまで考えていながら、反面、今、チルノは自分がとんでもないことをしているのも承知していた。
「誰のお金?」
流石と言うべきだ。チルノにとって最も困る部分を突いてくる。チルノの行為は、人の金を勝手に使っているのとなんら変わらない。
「レミリアだよ……」
「レミリアはそのお金を何に使おうとしていたの?」
大胆にルーミアはチルノの領域に踏み込んでくる。嘘をつく余裕なぞ与えてはくれない。かと言ってチルノの道徳的におかしな行動を、攻める様子は一切なかった。
「EXからフランを買うのに……。でも、でも! 元はるーみゃを買い戻すために用意されたお金だからね!」
他人のお金にどうこう難癖を付けるなど、言語道断だ。わかっていても、あふれ出した言葉が止まることはなかった。
「だからさ。るーみゃ。帰ろうよ」
支離滅裂。チルノがおかしなことを言っているのも、それを本人が自覚しているのもルーミアはわかっているようだった。
「違うわ。チルノのやり方じゃ私は帰れない」
だらんと垂れ下がった金髪を、ルーミアはなでる。
「レミリアを信じて。それが一番の近道よ」
ルーミアも、レミリアも、それにフランも、チルノには見えない何かが見えている。それ故に動けない。
「何がるーみゃを縛り付けているの?」
「私も抜けててね。紫の手元に置かれてはじめて気付いたんだけど……、目を凝らせば見えるわよ。ある意味、知らないほうが幸せなことかもしれないわ。でも、知らなきゃ進めないわね」
そこまで言って、ルーミアは口ごもる。黒縁眼鏡の奥にある瞳に、悲しげな色が浮かぶ。
「どちらにせよ、今あなたはここに居るべきじゃないわ。戻りなさい」
「るーみゃには何が見えているというのさ。どうして教えてくれないの?」
「私は別に教えてあげても良いんだけどね。ただ、そうしようとすると、ふぁあぁあぁ」
大きなあくびを一つ挟み、「眠くなるのよ。こうなったのは私の責任。でもね、言わせて。私をレミリアを、紅魔を信じて……」と、そこまで言うとルーミアのまぶたが静かに下りた。それっきりルーミアは動かなくなってしまう。すやすやと寝息を立てている。
ルーミアから取った雑誌をチルノは投げ捨てた
「るーみゃ! るーみゃ!」
肩を揺さぶろうと、ほっぺをつねろうと、ルーミアが起きない。すぐさま、チルノはリボンに手を伸ばす。ルーミアの言語制限の原因となっていたリボンだ。この、ルーミアが何かを言おうとしたときに制限が起きる現象は、リボンが原因と見て間違いない。
けれど、不思議なことにリボンはどんなに力をこめても『動かなかった』
まるで、ルーミアの髪についているのではなく、ルーミアの頭上に固定されているかのようだ。死んだように眠る相方を前に、チルノはどうすることもできなかった。
自分の周りにはもう誰も居ないんじゃないか。
ふいにそんな錯覚がチルノを襲った。けれど、違うのだ。見えていないだけ。なにが? なにが見えていないの?
ルーミアはチルノにそれを教えれる状況でないにしても、レミリアは違う。いや、彼女も話さないではなく、話せない? それも違う。レミリアは話したくないといっていたじゃないか。しかし、どこまで本当かはわからない。
頭をひねったが、点と点が線で繋がらない。点を線でつなぐ作業を一度あきらめて、チルノは眠るルーミアに目をやった。とにかく、ルーミアをここから連れ出そう。揺さぶっても起きない相方を、チルノは背負う。意識のない者を担ぐのは、相当力がいるものだ。ましてや小柄なチルノである。
容赦なくのしかかるルーミアの体重に、チルノは歯をくいしばった。トランクもある。これが小さめで良かった。片手を使い、トランクを腹に押し当てるようにして持つ。もう一方の手ではルーミアが背中からずり落ちないようにしていた。
老婆のような格好で、チルノは部屋を出る。不恰好なんて気にならなかった。
重くない。そう自分に言い聞かせながら、チルノは進む。まず、エレベーターを探したがなかった。よくよく考えれば、以前もぐったとき、地下でエレベーターは一度も見なかった。考えてみれば当たり前だ。秘匿にすべき場所に直通するエレベーターなぞ作るわけがない。
上がるには、階段を使わなければならない。今のチルノには階段が、立ちはだかる絶壁のように見えた。
仕方がないので、一度トランクを置き、階段を数段上ったところにルーミアを寝かせた。そしてトランクを運んで、階段に置き、またルーミアを運んだ。千万から目を離す度胸は、チルノにない。何度か、同じ作業を繰り返し、ようやく地下一階に続く踊り場に出る。ルーミアを地面に寝かし、トランクを抱くと、チルノはしゃがみこんでしまった。
ふと上を見ると、天井の照明が、チルノを見下している。どうすればいいのさ! 意識をしなければ、そんな叫びが口から飛び出そうだった。
チルノが戻るべき場所。それは間違いなく、レミリア等のいる部屋だ。けれど、そこに行ってチルノが何をするべきかだ。姉妹と言う関係を持ちながら、レミリアはフランを買い取ろうとしている。
じわりと浮いてきた汗をぬぐう。
フランを引き抜くのに、レミリアならそもそもお金なんていらないはずだ。レミリアが本気で頼めば、フランだって答えてくれるだろう。まるで、何かの言い訳を作るためにこの千万があるようだ。
本当は仲の良い姉妹なのに……。
姉妹。
このワードに連なって、古明地姉妹の顔が浮かんできた。
そういえば、さとりの妹もEX所属だったよね。
チルノの視界の端で、踊り場に置かれていた自動販売機の光が揺れる。
もしかして……。
パーティーで見せたさとりの憂い。あれは、「EXの犯罪を暴きに行く」と言ったときに見せたものだ。気にも留めなかったが、今になって引っかかりを覚えた。レミリアとさとり。彼女等の共通点は妹持ち。
方程式をたてて、連立させる。それは唐突な閃きだった。
「簡単な答えだ!」
たまらず、チルノは口元を覆った。少し勘の良い人ならすぐに気が付く。今までどうして見過ごしていたのだろう。
紅魔からはフラン、地霊からはこいし。これだけ見てもわかる。EXはそれぞれの社長、もしくはトップに当たる人物の大切な者を取り込んでいるのだ。実は他にも、星船社、風神社、永夜社などもあるが、それらの会社からも紫の言うEX級の人物を引き抜いている。もっとも、地霊はスペルカード業界には属さないが、さとり自身が業界に十分な影響力を持っているのだ。引き抜かれた人物は例外なくトップの者が大切にする人物だ。更に、その引き抜かれた人物はそれぞれ重要なポジションに置かれている。
有能な人物を引き抜き、それに相応しいポジションに置くことに違和感はない。だが、大切なのは、重要なポジションになればなるほどEXが問題を起こしたときの責任が大きくなるということだ。
これが何を意味するかは、考えるまでもない。
EXが仮に法を犯したとしよう。すると、社長の紫は元より、責任は各社の大切な者へと降りかかる。そして、最悪、裁かれる。
これが今までEXの危なげな行為がグレーで終わっていた理由の根元だ。チルノの背中を冷たいものが駆け抜けた。
EXの犯罪行為に気付いていても、言えないのだ。その手の方法で、EXを叩き落せば、つまるところ、大切な者を叩き落すことになる。誰がそんなことをするだろう。
これらのことを簡単にまとめると、EXはスペルカード業界全ての会社から、人質を取っていたのだ。例外として、妖々夢があるが、幽々子と紫は親友なので、人質を取る必要はない。
ということは、今までチルノ等がしてきたことは、間接的にレミリアの妹、フランを貶める行為に当たる。レミリアが幽々子の情報を使いたがらないのは、裏が取れてないのではなく、フランに影響が及ぶから。
EXのパーティーに参加した日、レミリアはチルノ等が休むことにケチ一つ付けなかった。これをルーミアは、裏を取ってこい、という意味でルーミアも解釈していた。そして、上手くいけば潰しても良い、と。レミリアの立場上、先走ってEXを潰すな、などといえるはずがない。紅魔の得られるチャンスが少ないのは、誰から見ても明らかだからだ。そして、紫の挑発にあえて乗り、ルーミアはその日にEXを潰す宣言をした。
さらに地下に潜ると、文屋が二人現れた。まさしく、計ったようなタイミングで。違和感を覚えたものの、どうしようもなく、チルノ等は同行を許可したのだった。
EXを速攻で潰せるチャンスだと、チルノは考えていた。けれど、実はこの時点で紅魔の負けが確定したのだった。
監視カメラを潰しながら進んだものの、紫は他になんらかの手段を使って、チルノ、ルーミア、文、はたてがEXの地下を進む動画を撮っていたのだろう。いや、動画じゃなくても良い。レミリアにこの事実が伝えられるものがあれば。
そして、紫はレミリアに伝えたのだ。このままではEXが潰れるぞ。潰れたら、フランが、ね? と。
紫がぎりぎりまで止めに来なかったのも、そのためだ。今思い返せば、警備もぎりぎりだが、必ず抜けれるように仕掛けられていた。普通、あんな手薄にしないものだ。
嗚咽が漏れそうになり、チルノは必死に口を押さえた。紅魔を潰したのは、間違いなく、自分だ。それなのに、レミリアを疑うばかりで、何もしなかった。
幽々子の情報が犯罪性を持つものだと知ったレミリアの心境が、汲み取れる。おそらく、彼女はEXを潰せる情報と聞き、それが真っ向から潰せるものなのか、相手の傷を抉るような、犯罪性をもったものなのか判断に迷っただろう。比率としては七対三くらいなのだが、急場であるため、賭けざるを得なかった。結果的に損得はないとは言え、情報が犯罪性を持つものだと知ったときのレミリアの絶望は底知れない。
それで、今、フランを引き抜こうとしているのは、言わずとも彼女を助けようとしているのだ。だが、もちろんフランをEXから引き抜いたからとしても、『EXにフランが居た』という事実は変わらない。おそらくレミリアも、承知の上だろう。
レミリアがどの程度覚悟を決めているかはわからない。しかし、文屋を呼んでいる。もし、もしも幽々子の情報を使ってEXを潰すことを考えての行動ならば、その情報を使ってなおEXを潰すのに失敗したときのことを考えているのだ。ここでフランを引き抜いておけば、失敗した場合、フランは紅魔に帰ってくる。これで、しばらくは安泰だろう。
が、裏側を見てみれば、残酷な運命が見えてくる。
幽々子の情報でEXを潰したとすれば、フランもろとも、法に裁かれる。フランが裁かれることを覚悟した上ならば……。
どんなに残酷な決断なのだろう。そして、それを促したのは言うまでもない。チルノ自身だ。
チルノの周りの重力だけが、急に強くなったかのようだった。
「……あたい、なんてことしてたんだろう」
トランクを横目に、考える。この千万は、フランに口実を与えるためだ。きっかけを作るためなのだ。チルノの予想していた言い訳を作るため、というのは的を射ていた。
「どうしよう……」
あたいの撒いた種だ。どうにかしなくちゃいけない。
あの日、同行したルーミア。彼女も罪悪感に苛まれているのだろう。でなければ、私のせいで、などとは言わない。
そして、ルーミアも一人ではどうしようもできなかった。フランを救おうにも、紫にマークされていて、ろくに動けなかったのだろう。もしかしたら、今も紫にチルノごと監視されているのかもしれない。
チルノも一人じゃもうどうにもできない。寝息をたてる、ルーミアをチルノは見やる。
ルーミアを縛る、紫の呪縛を解くのが、今のチルノにできることだ。
「ねぇ、るーみゃ」
聞いているはずのないルーミアに、チルノは問いかける。
動けなかったとは言え、言わずとも知れたルーミアだ。彼女の持つ可能性。紫にも隙はある。ならば、三日間、このEXに侵入していたルーミアならば、なんらかの策を、講じてくれているはずだ。
「信じても、良いよね?」
チルノのすることはただ一つ。ルーミアが自由に動ける状況を作ることだ。
再確認をし、チルノは取り付く重力に逆らい、ぐっと立ち上がる。
相変わらず、ルーミアの表情に変化はない。そんなルーミアを引きずり、踊り場においてあったソファに寝かせた。
「必ず迎えに来るよ」
二人が別々の道を進んだときの悲しみをかみ締めながら、一千万の入ったトランクを抱え、チルノは階段を駆け上がったのだった。
SO-NANOKA-
SO-NANOKA-2
SO-NANOKA-3
SO-NANOKA-4
SO-NANOKA-5
SO-NANOKA-6
SO-NANOKA-7
SO-NANOKA-8
レミリアは言った。ルーミアを雇いなおす。言葉は悪くなるが、ルーミアをEXから買い取るのだ。
めずらしく、パチュリーが紅魔社内を歩き回っている最中、チルノはいつもの仕事部屋にいた。窓の外の雪が太陽の光を反射し、室内を照らしている。外は積もった雪のせいで、車が通れない。チルノには必要のないファンヒーターがなく音だけが室内に響いていた。
書類が山積みになった机が、四つある。そのうちの一つ、チルノが良く使う机にチルノは座っていた。足を乗せ、イスに背を預ける。不良のような格好でぼぅっとしている。
仕事は休みだ。
紅魔は再建を目的として、倒産した。理由は経済難。が、これは勿論嘘だ。適当に工作をした。実はこんな負債を抱えてました。ただ、縮小し、再建すればまだ大丈夫だ。と、世間に発表しただけだ。
紅魔が倒産したことは、新聞でも大きく取り上げられた。大体の新聞は、紅魔倒産! からはじまり、ルーミアがEXに移動する可能性があり。で締めくくられていた。
批評には、なぜ倒産させる必要があったのか、と訝っているのも多い。それもそのはず。再建するはずの紅魔から、ルーミアが抜けるからだ。このタイミングでEXに異動。ただただ紅魔を見限ったという意見がはじめは出回っていたものの、文々。新聞が強く否定したため、今はなにか裏があるという意見の方が強い。今のところ、文は根拠を小出しにして否定するだけでEX社の地下で出会ったことを書いていない。おそらく、まだ大きなネタがあると踏んで、あえて全てを公開しなかったのだろう。
今、新聞を中心に倒産と異動の関係を見つけるべく動いているのだった。
もっとも、それもEXもしくは紅魔の社員が口を割らない限りは、真実で繋がることはない。
どたどたと二つの足音が廊下を行き来する。レミリアとパチュリーが後処理を行っているのだ。会社の倒産云々に関わる作業にチルノが加わっても邪魔になるだけだろう。その辺りに、まったく知識がない。
ならばなぜ会社に来たのか。それはルーミアが来るのを期待していたのだ。来ないとわかっていようとも。
チルノはあくびを一つもらす。それにしても暇だ。ルーミアが紫の手に落ちて二日。意外なほどにチルノは冷静だった。感情は、ある一定のラインを超えてしまうと効果がなくなるようだ。
もう一度、大あくびをし、チルノは目を閉じた。スリルのない居眠り、うたた寝をはじめたのだった。
「おい、チルノ。ここで何をしてるんだ」
レミリアに揺さぶられ、チルノは目覚めた。すでに部屋は夕日で赤く染まっている。ちなみに、チルノはレミリアに自宅待機を言い渡されていた。
呆れ顔でレミリアはチルノの顔を覗き込む。口元のよだれをぬぐいながら、チルノは尋ねた。
「仕事、終わったの?」
「お前が心配することじゃない」
のびをすると、チルノの背骨は小気味良い音をたてた。
正直に言うと、あれ以来、チルノはレミリアを信用しきれていない。こんなことではあらゆる場面で支障が出るのはわかりきっている。
「さて、私はもう一仕事だ」
「やっぱり仕事あるだね。ここに来たってことは、るーみゃの机荒しでしょ?」
「また随分な言いようだな。調べるだけだ。あいつならEXについて何か掴んでるかもしれないからな」
言いつつも、希望は薄い。そう考えているのだろう。レミリアは特に期待している風でもなかった。
「幽々子の情報で揺さぶらないの?」
裏が取れていないのはわかる。けれど、幽々子が嘘をついているわけないのだ。ルーミアがあそこまで完璧に嵌めたのだから。
しかし、レミリアは憂いのある笑みを浮かべ、首を横に振るだけだった。理由は言おうとしない。
「ルーミアを助けれるだけの金は用意する。それで良いだろ」
投げやり気味にレミリアは言葉を放る。
「とにかく、お前はもう帰れ」
「やだよ。あたいも探す」
机に載せていた足を地に着け、チルノは立ち上がる。
「給金はないぞ」
冗談っぽく言うレミリアに、「わかったよ」と苦笑を混ぜながらチルノは言い返した。
四つの机が長方形になるように並べられており、チルノの机のまん前がルーミアのよく使う机だ。もう一つ、ルーミアの机があるのだが、そちらはあまり使われておらず、物置と化している。あまり使われてないほうの机には山のように資料が積まれていた。掘り出し物は、こちらのほうにありそうだ。そう感じたチルノは、その机を確保する。
「レミリアはそっちね」
ルーミアが良く使う机をチルノは指差す。
「社長に指示するなんてとんでもない社員だな」
肩をすくめ、レミリアはよく使われるほうのルーミアの机を漁りだした。それにつられ、チルノも資料の読み込みを開始する。
卓上にある資料を作ったのは、間違いなくルーミアだった。気持ち悪いくらいにミスがなく、正確なのだ。他社の人事、支出などからはじまり、紅魔の内部情勢に終わる。それらが事細かにまとめられていた。読み進めていくうちに、一つの資料がチルノの目を引いた。
スペルカードの連結、と見出しに書かれている。本来、スペルカードは一枚一効果だ。使われたスペルカードは、自動消滅してそこで終わる。けれど、その消滅をトリガーに、もう一枚、別のスペルカードを発動させる。というのがルーミアの考えたスペルカードの連結だ。
簡単に言うと、スペルカードAを唱えれば、スペルカードBも発動しますよ、というものだ。
文字を書き、効力を持たせる辺り、スペルカードは、コンピュータのプログラムと似たような仕組みである。ただ、なんとなく概要はわかっていてもプログラムが組めるかどうかはまた別の話だ。
この資料の最後には、「没」と大きく書かれていた。理由は、「不用意な暴発をし、悪用される可能性が高い」だ。知らずに使えば、一枚のスペルカードで連結されたスペルカードが予期せぬ発動をする可能性があり、しかも距離、障害物に関係なく発動するため、危険が大きいらしい。悪用に関してはありとあらゆる道具にいえるが、便利さゆえに悪用しやすいのだ。
それもそうか。チルノは仕組みの半分も理解していないが、一人頷いた。
改良すれば便利かもしれない。と、同時に残念に思ったものだ。
「どうだ?」
どのくらい時間がたっただろうか。レミリアがチルノの肩を叩いた。見上げると、天井には電灯が輝いている。夕日の橙は、すでに跡形もなく部屋から消え去っている。
大分時間がたっているようだが、チルノ担当の机には資料がまだ山のように残っていた。
「すごいよ。どれもこれも勉強になる。でも、これといってEXに関することはないね。今のところは……」
「そうか。こっちはだいたい読み終わったが、何もなかった」
「はやっ!?」
「大抵の奴は見たことあるからな」
よくよく考えれば、レミリアは社員の提出する資料を全てチェックしているのだ。時間がかからないのも頷ける。
「今日はもう上がるぞ」
夜の黒と、結露の白が混ぜ合わさり、窓ガラスに張り付いている。
「わかったよ」
「ところで、どうだ。今から飲みに行かないか?」
それは唐突な誘いだった。けれど、意図は読める。チルノの疑心暗鬼をどうにかしてほどこうとしているのだ。
「おごり?」
「お前は本当に私を社長と思っているのか? まぁ、おごりで良いが」
「やった」
「じゃあ、さっさとあがるぞ」
帰宅の準備とは言え、チルノは手ぶらだ。寒さにめっぽうに強いチルノに、防寒具は必要ないし、いつでも帰れる。このあたり、あたい最強だと思っているのだった。
チルノに対して、寒さに弱いレミリアは、咲夜に防寒具を持って来させた。
「あれ? 咲夜も来てたんだ」
「いや、あいつも自宅待機だ」
「電話もしてないのにどうやって呼んだのさ……」
「名前を呼んだらなぜか来る」
咲夜の「いってらっしゃいませ」を背に、二人は外に出た。粉雪がちらついている。傘をさす必要はなさそうだ。けれど昨日から雪が続いているため、膝元にまで雪が積もっていた。息を荒げながら、チルノは雪をかき、進んだ。そのチルノが雪をかいた後を、レミリアは悠々とついてきた。ずるいが、夜飯をおごってもらう立場だから文句は言えない。
雪をかきながら、チルノは空を見上げた。月は暗雲に隠されて見えない。街灯の明かりだけが頼りだ。
「ほんと、よく寒くないな」
手袋をつけた手を擦りながら、レミリアはチルノを見やる。赤い手袋にマフラーをつけており、レミリアの寒さ対策はばっちりだ。
「まぁ、とりえの一つかな」
「ああ、そうだな。それなら冬に路頭に迷っても大丈夫そうだ」
失業保険から金が出るものの、仕事を失いかけたチルノにとっては、あまり笑える冗談ではなかった。
しばらくすると、夜雀の経営する居酒屋が見えてきた。
「やっとだ」
白い溜め息をつきながら、レミリアは帽子に乗っかった粉雪を払う。店の前だけは雪かきがされていた。けれど、客らしき足跡はほとんどない。入り口の横戸まで凍り付いていないか心配だったが、流石にそれはなかった。
横戸をずらすと同時に熱風がチルノの前髪を揺らす。和風造りの店内には、案の定客は少なかった。
「いらっしゃい」
カウンターの奥で、店主であるミスティアが定例の挨拶をした。チルノも挨拶代わりに右手を上げる。カウンターのど真ん中の席を、チルノは確保した。カウンターのちょっと奥には、鰻を焼くための炭が赤々と光っている。本当は熱くて嫌なのだが、レミリアが唇を青くして震えているので仕方がない。カウンターに他の客はおらず、独占状態だった。他の客は各々のテーブルで酒を舐めている。
「何にする?」
ミスティアの問いに、紫色の唇を懸命に動かし、レミリアは熱い焼酎を注文した。彼女は腕で体を抱き、震えている。よっぽど寒かったのだろう。
そんなレミリアを横目に、チルノは何を注文するかを考えていた。勿論、遠慮する気はさらさらない。
「ミスチー、こっちには蒲焼三つとキンキンに冷えたビールお願い」
「はいよー」
真冬に来店直後から冷えたビールを頼む者はいない。けれど、ミスティアはチルノの体質を理解しているため、不思議がることはなかった。鰻に手を加えながら、ミスティアは接待を行う。
「そういえば、チルノはルーミアとよく来るよね。レミリアとなんて珍しい。紅魔再建の祝い事?」
良いこともないのに、なぜ祝うのか。という突っ込みは不要だった。これはあくまでミスティアの冗談だ。けれど、彼女の思っている以上に、今の冗談は力を持っている。
これには、チルノもレミリアも苦笑で応じるしかない。
天井から吊り下げられる形で設置されたテレビからは、新しいニュースが流れてくる。
ミスティアの様子を見る限りでだが、なんとなく予想していた。彼女はルーミアが抜けたことを知らない。ルーミアの異動を騒いでいるのは、新聞のみなのだ。テレビ、ラジオなどから情報を得ている者は、紅魔が倒産、再建したことしか知らない。
鰻に串を通し、焼き始めると、ミスティアは温めていた焼酎をレミリアに渡した。それを待っていたと言わんばかりに、焼酎をおちょこに注ぎ、レミリアは口元で傾ける。
「この前、チルノとルーミアが来たとき、大変だったわ。VIPのお嬢様も来て食い争いをはじめるものだから……」
つらつらと客の接待を続けるミスティア。ここが地雷原なら、もう五以上の地雷を踏み抜いただろう。
「はい、蒲焼三つとビール」
「待ってたよ」
四角皿一枚につき、蒲焼が一つ乗っている。丸々と肥った、旬の鰻だ。まだ音を立ててはじけるたれからは、香ばしい匂いが溢れてくる。一皿をレミリアに渡す。
「したたかなやつめ」
二皿確保したチルノをレミリアはつつく。それをチルノは気にも留めず、蒲焼にかぶりついた。豆腐のようにやわらかい。鰻の身が歯に当たった瞬間溶けていくようだった。これなら、いくらでも食べられそうだ。いや、撤回。食い争いで撃沈したことをチルノは思い出したのだった。
あっという間に一匹たいらげて、チルノはビールで口内に残るたれを洗う。よく冷えたビールが心地よく喉を通り抜ける。一息ついて、もう一つの蒲焼に手を伸ばしたときだ。その蒲焼が横からかっさらわれた。楽しみを奪われたチルノは、敵意たっぷりに犯人を睨みつける。
「気が利くわね。私の分まで頼んでくれてるなんてね」
鰻を返せ! なんて出てこなかった。
解け始めた雪が、ぬらす金髪。金髪にしがみつく赤いリボン。赤いリボンに負けず劣らないほどの赤い瞳。そして赤い瞳を覆う黒縁の眼鏡。
誰が見間違うだろうか。
「どうしたの。幽霊でも見たような顔をして」
「るーみゃ!?」
一口、ルーミアは蒲焼をはむ。ミスティアが口を挟んだ。
「あれ、二人で飲み会じゃなかったの」
「そんなわけないでしょ。ミスチー、蒲焼八つと熱燗ね」
「これは忙しくなりそうね」
ルーミアの髪にはあの忌々しいリボンがついている。けれど、特に言語制限を受けてはない。
どうしてここに? と聞きたくなったが、チルノはその言葉を飲み込んだ。レミリアに驚きが一切見えないからだ。事前に二人はなんらかのやり取りをしていたのだろう。ここでチルノ一人だけ騒ぐのも妙だ。
「で、何の用だルーミア」
おちょこを傾けながら、レミリアは問う。それは、ルーミアを突き放すかのような言い方だった。
「ああ、大したことじゃないんだけどね。退職届くらいは出しとこうと思ったの」
カウンターの奥で煙にまかれていたミスティアの肩がぴくりと動いた。先ほどまで、自分が歩いていた地雷原に気付いたのだ。
「それはご丁寧に。ということは、気付いたんだな」
「勿論よ。じゃ、はい、これ」
懐からルーミアは『退職届』と大きく書かれた白封筒を取り出し、レミリアに渡す。その時さえも、二人は目をあわせようとしなかった。あっさりとしたものだが、これで公式に退職が決定する。
「ま、これで用事はおしまい。じゃあ後は好き勝手に食べるわ」
チルノの隣にルーミアはどっかりと腰をおろす。そんなルーミアに、何も言わず、封筒をつまみ上げ、懐にしまうと、レミリアはまずそうに焼酎を飲んだ。
「はい、うなぎ。なんか……ごめんね」
うなぎはルーミアに。謝罪はみんなに。
「ミスチーは悪くないよ」
居心地悪そうにミスティアは頷く。ほほが引きつっているのが伺えた。本当に、ミスティアは悪くない。そうは思うが、これ以上どう言葉で伝えれば良いのか、チルノにはわからなかった。
焼酎をまずそうに舐め続けるレミリア。蒲焼を無表情でむさぼるルーミア。今だ雰囲気を受け入れられないチルノ。居酒屋は不協和音に包まれていたのだった。
閉店を向かえ、客は皆、店内から追い出された。酒で体が火照り、チルノの額にはうっすらと汗が浮いている。気色の悪いアルコールが体内を駆け巡る中でも、チルノは雪をかき、進む。その後にはレミリアがついてくる。行きとまったく同じスタイルで帰路に着いた。
結局、ルーミアがチルノと同じ道を行くことはなかった。別れ際、チルノは「すぐに迎えに行くよ」と言ったが、ルーミアは力なく腕を振っただけだった。
二日酔いで頭ががんがんする。病人のようにふらふらな状態で、チルノは紅魔に出社した。レミリアに渡された新しい紅魔社の予算をパソコンに打ち込む作業をしながら、チルノは別のことを考えていた。
現状では、何をやるにしても少なすぎる。今回の場合、敵以前に味方に問題があるのだ。特にレミリア。昨日の様子を見る限り、ルーミアとレミリアの間には、底の見えない谷が存在するようだった。どうしてあんな雰囲気になるのか。レミリアが少々意地を張りすぎているような気がする。
そもそも、紫に紅魔社を潰されたなら、どうしてそれを言ってくれないのか。EXにチルノとルーミアがもぐったあの日、二人が地下に居たのは実質二時間程度だ。あの二時間でレミリアを黙らせるほどに屈辱的な勝ち方を紫はしたのだろうか。二時間程度でレミリアを潰せるのなら、紫はもっと潰すには良いタイミングがあったはずだ。
二時間で紫がレミリアを潰したというのは半分正解で、半分違うだろう。チルノの勘がそう告げていた。レミリア自身、なにかを抱えている。
そのなにか、を調べたいのだが、それはパンドラの箱を開けるのと同じだ。この歯がゆさが、チルノには耐えがたかった。けれど、開けないと先に進めない気もする。矛盾だらけの状況だ。
レミリアはルーミアを助ける手段を用意してくれている。それで良いじゃないか! 結局、そうやってチルノは自分に言い聞かせようとした。黙ってレミリアに乗っかればよい。けれど、やはりチルノにはそれもできなかった。レミリアを信用し切れていない。準備してくれた船が軍艦なら良いが、泥の船かもしれないのだ。
いつの間にか、キーボードを弾く手が止まっていた。元々、チルノは二つの作業を同時にこなせるほど器用ではない。
簡単な話。レミリアを信じれば良いのだ。
そんな終わりの見えない葛藤を打ち切るように、ごつりと脳天に鈍い痛みが走った。
「こぉらチルノ。仕事をさぼるんじゃない」
まさしくチルノの悩みの種。レミリアがいつの間にか部屋に訪れていた。拳を固めている彼女も、どことなく調子が悪そうだ。顔が少しばかり青い。
「休憩中だよ」
「タイピングしてたら画面にゴーゴンが現れて石像にされました。みたいな休み方をする奴がいるか」
チルノのあからさまの嘘を、レミリアは苦笑しながら打ち砕く。パソコンのディスプレイを、赤い瞳が覗き込む。
「間違えだらけじゃないか」
ほかの事を考えていたのだから、当たり前と言えば当たり前だ。
「レミリア、何度も聞くようだけど、ルーミアのことは大丈夫なんだよね?」
「ああ、任せろ」
レミリアの返事には不安も、かといって希望も含まれていなかった。どこまでも透明な氷を見るかのように、その真意は計れない。
「明日だ、明日、早速ルーミアを助けにいく」
そっけなく言うレミリアは、どこか人身売買を行う者のように見えた。ルーミアを取り戻すのは早い方が良い。だれの目から見ても明らかだ。今はただ、レミリアの言葉に頷いたのだった。
翌日、紅魔に出社したチルノは、すぐに社長室に向かった。
「……だから、EX社に来い。わかったな?」
社長室のドアを開けると、豪勢なイスに腰掛け、携帯を耳に当てているレミリアの姿があった。ちょうど話が済んだらしい。携帯を閉じると、彼女の背後に立っていた咲夜に投げ渡す。
EXに来い。この言葉がチルノは気になった。こんなときに、誰を呼ぶのだろうか。
「他の紅魔社員が来るの?」
「いいや、文屋だ」
当然、チルノは首をかしげる。文屋を呼ぶということは、幽々子のあの情報を暴く気なのだろうか。
「もしかしたら、役に立つかもしれないからな。簡単な条件を一つ付ける代わりに、ネタをやることにした」
レミリアがあれほど避けていたのに、と思ったが、今は問いたださないことにした。
「さぁ、EXに行くぞ」
状況を整理する間なぞ与えられぬまま、レミリアに袖を引っ張られる。
「社長、忘れ物ですよ」
「ああ、そうだったな。チルノ、頼む」
なんだろう、と首を傾げながら見ていると、咲夜が小ぶりなトランクケースを取り出す。それをチルノに渡す。トランクケースはずっしりと重かった。
「千万だ」
「せっ、千万!?」
以前、取り扱ったファーストスペルの値段とは比べ物にならないほど小さな額だ。けれど、驚かずには居られない。平社員を一人雇いなおすのに、千万円を使うのだ。普通では考えられない額である。
「じゃあ咲夜、留守を頼む」
「わかりましたわ」
打てば響くような返事だった。同時に、咲夜は一礼する。
紅魔前の道路には、すでにタクシーが待機していた。幸い、昨日が快晴だったので雪は溶けており、車は通れる。けれど、路面がところどころ凍結しているため、タクシーのタイヤにはチェーンが巻かれていた。鈍く光を反射する黒のトランクケースを抱え、チルノはタクシーに乗り込んだ。大金を抱えていると、どうしても気が小さくなってしまう。
EX社まで。レミリアがタクシーの運転手に告げる。しばらくタクシーに揺られていると、一つの、巨大なビルが見えてきた。天を突くかのように建っているビルは、スペルカード業界最大手に相応しいものだ。
ビルの自動ドアをくぐり、エントランスへと踏み入れる、エントランスは、パーティーのときとは違い、粛々としていた。シャンデリアの元、EXの社員と思われる人たちが行き来している。
床には、赤い絨毯が一直線に敷かれていた。それは受付へと続く。半円を描くようにカウンターが設置されており、その内側では受付嬢が微笑んでいた。が、それもチルノとレミリアが紅魔社員であると認識するまでの間だ。
胸に『八雲藍』とかかれた名札をつけた女性は、困惑の表情を見せた。
「申し訳ないのですが、紅魔社の者はここに入れないようにと紫様に言われております。どうぞお引取りください……」
「うちの社員が入ってるだろう?」
首を傾げたが、藍はすぐにああ、と頷く。
「彼女はもう紅魔を退職したでしょう」
「そうかそうか」
ひょうひょうとレミリアは受けて立つ。
「まぁ、それは関係ないな。今日もフランに用があってな」
「困ります……」
「私とフランは姉妹だぞ? フランに連絡を取ってくれ。『例の件』で来たと言えば伝わるはずだ」
少し考えるしぐさを見せてから、藍はしぶしぶ「わかりました」と頭を下げた。彼女は、受付の奥にある社内電話を手にする。何度かの応答の後、「わかっていると思いますが、五階の東の端にフラン様のお部屋があります。そちらへどうぞ」と悔しそうに言ってきた。
「ん。ご苦労」
チルノも一度来たことあるし、レミリアにいたっては数え切れないほど訪れている。迷うことはない。受付の右手にあるエレベーターに二人は乗り込む。
どうせフランの元には行かない。あくまでEX社に入るための口実だ。
そうチルノはたかを括っていた。けれどその意に反し、レミリアは五階のボタンを押す。疑問に思ったが、チルノは、ルーミアの場所を聞くのだろう、と自己完結した。
五階でエレベーターを降りる。EX社地下とは違い、あきらかに接客用の構造になっている。窓からは光がたっぷり取り込まれ、白い壁からは清潔感があふれ出していた。
時折すれ違うEX社員に白い目で見られながら、二人はフランの部屋を目指す。
『フランドールの部屋』とかかれたドアがチルノの目に入った。一見すると、子供部屋のようだ。けれど、中身は泣く子も黙るEX幹部の所有地だ。
レミリアは慣れた手つきでドアを叩いた。
すると、すぐにドアが少しだけ開く。隙間から、レミリアとよく似た赤い瞳をもつ少女がこちらをねめつけていた。
「入って良いな?」
「なんの用?」
毒気の強い口調だ。姉に対して冷たすぎるのではないか。そんなフランに、レミリアは苦笑で応じる。
「入るぞ」
ドアに張り付いたフランごと押しのけるようにレミリアは部屋に入った。それに、チルノも続く。
以前はブラウン調で整えられていた部屋だが、今は緋色を中心に配色されていた。けれど、チルノがはじめて座ったEXのソファは昔のままで、向かい合うように設置されていた。足の短いテーブルも、相変わらず二つのソファの間に置かれている。
なめし皮のソファに、レミリアはどっかりと腰を下ろした。我が家に居るかのような振る舞いをするレミリアにあきれ、フランは溜め息をつく。
「お姉様、『例の件』なんて聞いてないわ」
やはりそうか。応対の態度から、チルノはなんとなく察していた。
「勿論、EXに入るための口実だ、合わせてくれてありがとう」
フランが冷たい、などといったことを、チルノは撤回する。フランにも、姉を思う心はあるようだ。
「さっさと用事をすませてよね」
フランにチルノも賛成だった。一刻も早く、ルーミアを助けたい。
「フラン。ルーミアはどこに居る?」
「地下二階。部屋番号202番。なんだか牢獄みたいなところよ」
場所、それに状況を聞いたチルノは、今にも動き出そうとする体を押さえ込むのに苦戦した。
「わかってると思うけど、行くだけ無駄だと思うわ」
そんなことは、行って見なければわからない。千万の重みを手に感じながら、チルノは心の中で強く反論した。
「まぁ、そうだろうな」
帽子のリボンをいじりながら、レミリアは溜め息をつく。チルノの手から、千万の重みがすぅっと消えた気がした。
「レミリア……。いまさら何を……」
ここまで来て、また弱気なレミリアが顔を出したのだ。ルーミアはもう手の届くところに居る。なのに。
「現時点でルーミアを救うのは無理だ」
落ち着いた口調で、レミリアはチルノを諭す。
「だから、だ」
レミリアの白い指がよれよれと宙を舞う。なぜか、フランの顔がこわばった。
「フラン。ここに千万ある。これで私に買われろ」
チルノの持つ、黒光りするトランクケースをレミリアは指差した。ケースには千万が。ルーミアを救うための千万が入っている。幽々子の情報が使えない今、唯一無二の手札だ。なのに、それをルーミアとはおいそれ関係ない、フランに使うのだ。
あまりにも筋違いではなかろうか。気が狂ったのではないかとすら疑った。
しかし、レミリアはいたって冷静だ。むしろ、顔色が悪いのはフランのほうだ。
「なに、言ってるの……。お姉様は……」
「そうだよ! それはルーミアを雇いなおすためのお金でしょ?」
フランに便乗せざるをえなかった。
「あれは嘘だ。それに、これは私の金。どう使おうが私の自由だ」
もう我慢できなかった。チルノはドアから駆け出す。勿論、千万の入ったトランクケースを抱えながら。もうレミリアはあてにならない。
「チルノ!」
ドアの向こうで叫ぶレミリアの声をチルノは振り切る。エレベーターは使わず、転げ落ちるように階段を降りていった。
もう、見えない。レミリアの意図がこれっぽっちもわからない。無我夢中に、チルノは駆けた。
地下二階の202号室。フランの行っていた部屋を探す。以前、地下にもぐったときには気付かなかったが、このフロアの部屋には番号が振られていたのだ。そのため、ルーミアの居る部屋を見つけるのは容易かった。
るーみゃるーみゃるーみゃ。
胸のうちで独り言を繰り返す。
202とかかれた黒く、重々しい扉がチルノの前に立ちはだかる。けれど、見た目に反し、扉は簡単に開いた。
「いらっしゃい」
最近では、もう聞きなれてしまった声がした。ソファに仰向けになり、声の主、ルーミアは雑誌を読んでいた。
色彩自体薄い部屋で、物もほとんどない。机には、仕事に必要であろう物はなに一つ乗っていなかった。本棚は本棚で、本はあるものの、どれも雑誌の類で、仕事には関係ない。
「早く帰ろうよ」
雑誌にルーミアの顔は隠されていた。チルノは歩み寄り、雑誌を引っ剥がす。金髪の前髪が重力に負け逆立っているため、ルーミアのおでこが露になっていた。見ようによっては休日をむさぼるお父さんのように見える。
「帰れないわ」
「どうして?」
本人の意思が尊重される世の中だ。気が弱くなければ、会社を抜けることなんぞいくらでもできる。
「もし、なにか気になることがあるんだったら、ここに千万あるよ。これを使って紫と交渉しても……」
ルーミアがEXを抜けることをためらうのは有り得ない。ならばなにかあると考える方が妥当だ。そのために、レミリアは千万を用意したのだろう。
そこまで考えていながら、反面、今、チルノは自分がとんでもないことをしているのも承知していた。
「誰のお金?」
流石と言うべきだ。チルノにとって最も困る部分を突いてくる。チルノの行為は、人の金を勝手に使っているのとなんら変わらない。
「レミリアだよ……」
「レミリアはそのお金を何に使おうとしていたの?」
大胆にルーミアはチルノの領域に踏み込んでくる。嘘をつく余裕なぞ与えてはくれない。かと言ってチルノの道徳的におかしな行動を、攻める様子は一切なかった。
「EXからフランを買うのに……。でも、でも! 元はるーみゃを買い戻すために用意されたお金だからね!」
他人のお金にどうこう難癖を付けるなど、言語道断だ。わかっていても、あふれ出した言葉が止まることはなかった。
「だからさ。るーみゃ。帰ろうよ」
支離滅裂。チルノがおかしなことを言っているのも、それを本人が自覚しているのもルーミアはわかっているようだった。
「違うわ。チルノのやり方じゃ私は帰れない」
だらんと垂れ下がった金髪を、ルーミアはなでる。
「レミリアを信じて。それが一番の近道よ」
ルーミアも、レミリアも、それにフランも、チルノには見えない何かが見えている。それ故に動けない。
「何がるーみゃを縛り付けているの?」
「私も抜けててね。紫の手元に置かれてはじめて気付いたんだけど……、目を凝らせば見えるわよ。ある意味、知らないほうが幸せなことかもしれないわ。でも、知らなきゃ進めないわね」
そこまで言って、ルーミアは口ごもる。黒縁眼鏡の奥にある瞳に、悲しげな色が浮かぶ。
「どちらにせよ、今あなたはここに居るべきじゃないわ。戻りなさい」
「るーみゃには何が見えているというのさ。どうして教えてくれないの?」
「私は別に教えてあげても良いんだけどね。ただ、そうしようとすると、ふぁあぁあぁ」
大きなあくびを一つ挟み、「眠くなるのよ。こうなったのは私の責任。でもね、言わせて。私をレミリアを、紅魔を信じて……」と、そこまで言うとルーミアのまぶたが静かに下りた。それっきりルーミアは動かなくなってしまう。すやすやと寝息を立てている。
ルーミアから取った雑誌をチルノは投げ捨てた
「るーみゃ! るーみゃ!」
肩を揺さぶろうと、ほっぺをつねろうと、ルーミアが起きない。すぐさま、チルノはリボンに手を伸ばす。ルーミアの言語制限の原因となっていたリボンだ。この、ルーミアが何かを言おうとしたときに制限が起きる現象は、リボンが原因と見て間違いない。
けれど、不思議なことにリボンはどんなに力をこめても『動かなかった』
まるで、ルーミアの髪についているのではなく、ルーミアの頭上に固定されているかのようだ。死んだように眠る相方を前に、チルノはどうすることもできなかった。
自分の周りにはもう誰も居ないんじゃないか。
ふいにそんな錯覚がチルノを襲った。けれど、違うのだ。見えていないだけ。なにが? なにが見えていないの?
ルーミアはチルノにそれを教えれる状況でないにしても、レミリアは違う。いや、彼女も話さないではなく、話せない? それも違う。レミリアは話したくないといっていたじゃないか。しかし、どこまで本当かはわからない。
頭をひねったが、点と点が線で繋がらない。点を線でつなぐ作業を一度あきらめて、チルノは眠るルーミアに目をやった。とにかく、ルーミアをここから連れ出そう。揺さぶっても起きない相方を、チルノは背負う。意識のない者を担ぐのは、相当力がいるものだ。ましてや小柄なチルノである。
容赦なくのしかかるルーミアの体重に、チルノは歯をくいしばった。トランクもある。これが小さめで良かった。片手を使い、トランクを腹に押し当てるようにして持つ。もう一方の手ではルーミアが背中からずり落ちないようにしていた。
老婆のような格好で、チルノは部屋を出る。不恰好なんて気にならなかった。
重くない。そう自分に言い聞かせながら、チルノは進む。まず、エレベーターを探したがなかった。よくよく考えれば、以前もぐったとき、地下でエレベーターは一度も見なかった。考えてみれば当たり前だ。秘匿にすべき場所に直通するエレベーターなぞ作るわけがない。
上がるには、階段を使わなければならない。今のチルノには階段が、立ちはだかる絶壁のように見えた。
仕方がないので、一度トランクを置き、階段を数段上ったところにルーミアを寝かせた。そしてトランクを運んで、階段に置き、またルーミアを運んだ。千万から目を離す度胸は、チルノにない。何度か、同じ作業を繰り返し、ようやく地下一階に続く踊り場に出る。ルーミアを地面に寝かし、トランクを抱くと、チルノはしゃがみこんでしまった。
ふと上を見ると、天井の照明が、チルノを見下している。どうすればいいのさ! 意識をしなければ、そんな叫びが口から飛び出そうだった。
チルノが戻るべき場所。それは間違いなく、レミリア等のいる部屋だ。けれど、そこに行ってチルノが何をするべきかだ。姉妹と言う関係を持ちながら、レミリアはフランを買い取ろうとしている。
じわりと浮いてきた汗をぬぐう。
フランを引き抜くのに、レミリアならそもそもお金なんていらないはずだ。レミリアが本気で頼めば、フランだって答えてくれるだろう。まるで、何かの言い訳を作るためにこの千万があるようだ。
本当は仲の良い姉妹なのに……。
姉妹。
このワードに連なって、古明地姉妹の顔が浮かんできた。
そういえば、さとりの妹もEX所属だったよね。
チルノの視界の端で、踊り場に置かれていた自動販売機の光が揺れる。
もしかして……。
パーティーで見せたさとりの憂い。あれは、「EXの犯罪を暴きに行く」と言ったときに見せたものだ。気にも留めなかったが、今になって引っかかりを覚えた。レミリアとさとり。彼女等の共通点は妹持ち。
方程式をたてて、連立させる。それは唐突な閃きだった。
「簡単な答えだ!」
たまらず、チルノは口元を覆った。少し勘の良い人ならすぐに気が付く。今までどうして見過ごしていたのだろう。
紅魔からはフラン、地霊からはこいし。これだけ見てもわかる。EXはそれぞれの社長、もしくはトップに当たる人物の大切な者を取り込んでいるのだ。実は他にも、星船社、風神社、永夜社などもあるが、それらの会社からも紫の言うEX級の人物を引き抜いている。もっとも、地霊はスペルカード業界には属さないが、さとり自身が業界に十分な影響力を持っているのだ。引き抜かれた人物は例外なくトップの者が大切にする人物だ。更に、その引き抜かれた人物はそれぞれ重要なポジションに置かれている。
有能な人物を引き抜き、それに相応しいポジションに置くことに違和感はない。だが、大切なのは、重要なポジションになればなるほどEXが問題を起こしたときの責任が大きくなるということだ。
これが何を意味するかは、考えるまでもない。
EXが仮に法を犯したとしよう。すると、社長の紫は元より、責任は各社の大切な者へと降りかかる。そして、最悪、裁かれる。
これが今までEXの危なげな行為がグレーで終わっていた理由の根元だ。チルノの背中を冷たいものが駆け抜けた。
EXの犯罪行為に気付いていても、言えないのだ。その手の方法で、EXを叩き落せば、つまるところ、大切な者を叩き落すことになる。誰がそんなことをするだろう。
これらのことを簡単にまとめると、EXはスペルカード業界全ての会社から、人質を取っていたのだ。例外として、妖々夢があるが、幽々子と紫は親友なので、人質を取る必要はない。
ということは、今までチルノ等がしてきたことは、間接的にレミリアの妹、フランを貶める行為に当たる。レミリアが幽々子の情報を使いたがらないのは、裏が取れてないのではなく、フランに影響が及ぶから。
EXのパーティーに参加した日、レミリアはチルノ等が休むことにケチ一つ付けなかった。これをルーミアは、裏を取ってこい、という意味でルーミアも解釈していた。そして、上手くいけば潰しても良い、と。レミリアの立場上、先走ってEXを潰すな、などといえるはずがない。紅魔の得られるチャンスが少ないのは、誰から見ても明らかだからだ。そして、紫の挑発にあえて乗り、ルーミアはその日にEXを潰す宣言をした。
さらに地下に潜ると、文屋が二人現れた。まさしく、計ったようなタイミングで。違和感を覚えたものの、どうしようもなく、チルノ等は同行を許可したのだった。
EXを速攻で潰せるチャンスだと、チルノは考えていた。けれど、実はこの時点で紅魔の負けが確定したのだった。
監視カメラを潰しながら進んだものの、紫は他になんらかの手段を使って、チルノ、ルーミア、文、はたてがEXの地下を進む動画を撮っていたのだろう。いや、動画じゃなくても良い。レミリアにこの事実が伝えられるものがあれば。
そして、紫はレミリアに伝えたのだ。このままではEXが潰れるぞ。潰れたら、フランが、ね? と。
紫がぎりぎりまで止めに来なかったのも、そのためだ。今思い返せば、警備もぎりぎりだが、必ず抜けれるように仕掛けられていた。普通、あんな手薄にしないものだ。
嗚咽が漏れそうになり、チルノは必死に口を押さえた。紅魔を潰したのは、間違いなく、自分だ。それなのに、レミリアを疑うばかりで、何もしなかった。
幽々子の情報が犯罪性を持つものだと知ったレミリアの心境が、汲み取れる。おそらく、彼女はEXを潰せる情報と聞き、それが真っ向から潰せるものなのか、相手の傷を抉るような、犯罪性をもったものなのか判断に迷っただろう。比率としては七対三くらいなのだが、急場であるため、賭けざるを得なかった。結果的に損得はないとは言え、情報が犯罪性を持つものだと知ったときのレミリアの絶望は底知れない。
それで、今、フランを引き抜こうとしているのは、言わずとも彼女を助けようとしているのだ。だが、もちろんフランをEXから引き抜いたからとしても、『EXにフランが居た』という事実は変わらない。おそらくレミリアも、承知の上だろう。
レミリアがどの程度覚悟を決めているかはわからない。しかし、文屋を呼んでいる。もし、もしも幽々子の情報を使ってEXを潰すことを考えての行動ならば、その情報を使ってなおEXを潰すのに失敗したときのことを考えているのだ。ここでフランを引き抜いておけば、失敗した場合、フランは紅魔に帰ってくる。これで、しばらくは安泰だろう。
が、裏側を見てみれば、残酷な運命が見えてくる。
幽々子の情報でEXを潰したとすれば、フランもろとも、法に裁かれる。フランが裁かれることを覚悟した上ならば……。
どんなに残酷な決断なのだろう。そして、それを促したのは言うまでもない。チルノ自身だ。
チルノの周りの重力だけが、急に強くなったかのようだった。
「……あたい、なんてことしてたんだろう」
トランクを横目に、考える。この千万は、フランに口実を与えるためだ。きっかけを作るためなのだ。チルノの予想していた言い訳を作るため、というのは的を射ていた。
「どうしよう……」
あたいの撒いた種だ。どうにかしなくちゃいけない。
あの日、同行したルーミア。彼女も罪悪感に苛まれているのだろう。でなければ、私のせいで、などとは言わない。
そして、ルーミアも一人ではどうしようもできなかった。フランを救おうにも、紫にマークされていて、ろくに動けなかったのだろう。もしかしたら、今も紫にチルノごと監視されているのかもしれない。
チルノも一人じゃもうどうにもできない。寝息をたてる、ルーミアをチルノは見やる。
ルーミアを縛る、紫の呪縛を解くのが、今のチルノにできることだ。
「ねぇ、るーみゃ」
聞いているはずのないルーミアに、チルノは問いかける。
動けなかったとは言え、言わずとも知れたルーミアだ。彼女の持つ可能性。紫にも隙はある。ならば、三日間、このEXに侵入していたルーミアならば、なんらかの策を、講じてくれているはずだ。
「信じても、良いよね?」
チルノのすることはただ一つ。ルーミアが自由に動ける状況を作ることだ。
再確認をし、チルノは取り付く重力に逆らい、ぐっと立ち上がる。
相変わらず、ルーミアの表情に変化はない。そんなルーミアを引きずり、踊り場においてあったソファに寝かせた。
「必ず迎えに来るよ」
二人が別々の道を進んだときの悲しみをかみ締めながら、一千万の入ったトランクを抱え、チルノは階段を駆け上がったのだった。
ただ、金額は千万でなく一千万と表記するべきではないでしょうか?
次回も楽しみにしています。