一陣の風とともに一人の男が現れた。
「ここが幻想郷か」
この者は更なる強敵を求め、幻想入りを果たしたのである。
「血が騒ぐ。もはやこの身は、人間を凌駕してしまったからな」
幻想郷へと来る一ヶ月前、彼は無二の親友である、新庄剛を決戦の末に殺めた。互いに武を極めた二人の死闘は、実に三日三晩に及んだ。そうして、田中龍斗の龍狂焦身突が、新庄剛の虎叫絶命拳を打ち破ったとき、もはや外界に敵なしを悟ったのである。
「もはや俺に、戻るべきところなどはない」
二十四歳の若さであるが、死ぬ覚悟などは、とうにできていた。
「俺は何も持たずに大人になったんだ。何も持たずに死ぬだけさ」
いや、一つ、否二つあった。
「才能と、親友……でも親友はもう、いない」
ただ風に吹かれ行く木の葉だけが、彼の気持ちを知るのであった。
そうして一刻ほど歩いていると、人影を見つけた。人影? 否。猫の耳に二股の尻尾。どうみてもこれは、人間ではない。いよいよ、幻想郷に辿り着いたのだという実感が強く沸き起こってきた。
「少し、いいか。訪ねたいことがあるんだ」
「ん? 何けぇ」
「俺よりも凄い強敵(ヤツ)を教えてくれ」
「はぁ? 何言うとんがんけ」
「ここは幻想郷だろう」
「そう、そやちゃ」
「幻想郷に来れば、強敵と死合ると聞いた」
「あ~、あんた、外来人け~。まぁ、よう来たちゃ。でもあんた、まだ若いがんに、命粗末にするようなことしたらあかんがんよ。藍様呼ぶから、ちょっと待っとられま。そうしたら、霊夢のところ行かれま。外にでられっちゃ」
「俺は命など、惜しくない」
「みんな最初はそう言うんやちゃ。でも、今に後悔すっちゃ。止めとかれ。どうしても外に帰るがイヤなら、人里で働かれ。わっかいがんに、働きもせんでフラフラしとっちゃいけんちゃ。畑仕事でも、柴刈りでも、何でもあっちゃ。着いて来られ」
「好意多謝。しかし俺は、俺が正しいと信じている道がある。悪いが、君の提案に乗ることはできない」
「どうしてもけ」
「どうしてもだ」
「な~んで、若い男っちゃ、こう無茶するんかねぇ。早く結婚しられま。そうして、かわいい奥さんと子供もったら、仕事のために一生懸命になるがんやちゃ。そうしたら、子供が大きくなるがん楽しみにして生きるもんやちゃ。それが幸せっちゅうもんやちゃ」
「俺は、一匹狼だから。女なんかには興味がない」
「しょうがないちゃぁねぇ。じゃぁ、幽香姉ちゃんのところに連れてかんまいけ。来られま、来られま」
「待て」
「何け?」
「女を相手にして戦うことなど、俺にはできない」
「はぁ?」
「俺は男だ。女に暴力を振るうなどはできない。俺のお袋も、親父の暴力で苦しんだ……もう不幸な女は見たくないんだ」
「安心しられま。幽香姉ちゃんに暴力なんか、振るう必要ないちゃ。いいから、橙の言う通りにしられま」
そうして田中龍斗は、しぶしぶ橙の後に着いて行くことにしたのだった。
太陽の畑に案内された田中龍斗は、風見幽香を見るや否や一言漏らした。
「まさか龍が潜みおるとは……」
そうして同時に感じたのだ。
(こいつ……俺より強いかも知れん)
しかしそれこそ、この者の望んだ戦いである。
田中龍斗は満足して微笑んだ。
「ねぇ、幽香姉ちゃん。今度うちに遊びに来られま。ダバダバ茶作ってあげっちゃ。甘金丹とねぇ、富也萬を紫様が買って来てくれたんよ。すっごい、おいしいんよ」
「あら、本当? 久しぶりに、橙ちゃんのお茶も飲みたいわね」
「私も久しぶりに、お姉ちゃんと遊びたいちゃ」
「でも、あんまり妖怪の山に行くと、みんなが煩くてね」
「かまわんちゃ。来られま」
「でも、八雲紫が面白い顔をしないわよ」
「何でけぇ。紫様、イジワルするんけ」
「そうじゃないけど……橙ちゃんの大事な紫様が困るのよ。我慢してね」
「でも、私お姉ちゃんとも遊びたいちゃ。藍様はお母さんみたいなものだし、紫様はおばあちゃんだし……みんなと一緒に、仲良くしたいちゃ」
「そうね。私もそうしたいんだけどね」
命などはとうに捨てた田中龍斗だったが、さすがに今から自分が、この幼い子供の姉代わりを殺すかも知れぬと思うと、闘志が陰るのを感じるのだった。
(許せよ、少女。これが死狂いの性だ。もしお前が、仇討ちに来たとあらば、命をくれてやっても良いが、この者との決戦ばかりは、止めるわけにはいかぬのだ)
田中龍斗は最初から、生死を度外視している。
むしろ己を殺すほどの相手と死合ることこそ、武に生きる者の誉れである。
橙が山へと帰ると、いよいよ双龍は相見える。
田中龍斗が刀を担いだ。
「狂い吼えろ。虎殺斬魔刀」
その瞬間、美しい刀が姿を変える。
それは刀というには、あまりにも無骨で、大きく、重たすぎるものであった。
三メートルもあるこの超重量の大剣を片手で扱うことができるのは、ただこの男一人だけである。
対する幽香は、ただ悠然と微笑を浮かべる。手には傘が握られており、閉じられた傘は地面をついている。
「ちょっと、いい……」
風見幽香がそう言葉を発した瞬間である。
(先手必勝!!)
田中龍斗の斬魔刀が風を切る!!
「うぉおお……うわぁぉ」
その瞬間、目をカッと開き、馬鹿みたいに口を開けて涎を垂らしながら、田中龍斗はその場に膝を着いた。
風見幽香の、腹パンである。
田中龍斗にはもはや、微塵も戦意は残っていなかった。
しかしそれで追撃の手を緩める幽香ではない。
幽香は顎に蹴りを入れ、相手を仰け反らせると、肩に日傘を突き立てた。
「あぁああああああああああ!! 痛い~、痛い痛い痛い痛い、ダメダメダメダメダメ、無理!! 絶対無理!! 抜いてぇ~、抜いてくださいよぉ~……抜いてぇ……」
全身の穴という穴から、汁を噴出しての絶叫に、風見幽香の苛立ちはピークに達した。グリグリと、日傘を傷口に捻じ込む。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!! あぁ、無理っす。ホント無理っす。あぁ~、キツイ……無理っす……」
あまりの醜悪さが、苛立ちを越えて吐き気を催させた。
風見幽香は、「その臭いの、埋めときなさいよ。」とだけ言い捨てて、その場を去って行った。
恐怖のあまり、田中龍斗の髪はほとんどが抜け落ち、容貌は一気に二十年ほど老け込んだのであった。
泣きじゃくりながら、斬魔刀を巧みに用いて、深い穴を掘り、汚物を全て穴の底に沈め、その中に愛刀を放り込み、穴を塞いだのであった。
一昼夜、田中龍斗はあらゆるものに怯えながら逃げ回った。そうしてようやく見つけた湖畔に飛び込み、全身の汚れを拭った。傷口がズキズキと痛む。だが、それよりも、取り返しのつかない傷を心に負ってしまっていた。あまりのショックに、もう言葉を話すことができなくなっていたのである。
そこに、光の三妖精が通りかかった。
「うわ、何この人。くっさい」
「汚物君、オッスオッス!!」
「バイオテロとか、勘弁してもらえませんかね……」
例え水で洗い流したところで、半日染み付いた糞尿の匂いが取れるわけもない。妖精がこのように罵詈雑言を浴びせ掛けるのも当然のことである。そうしてしゃべることのできない田中龍斗に対する罵倒は、止まるところを知らなかった。
「ぶもぉぉぉぉぉ、おぉぉおぉおおぉ」
しゃべれぬ田中龍斗だが、泣くことはできる。嗚咽することもできる。それは確かに心に届くのだ。
「ちょっと、いくらなんでもやりすぎちゃったかな」
「う、うん……なんか、かわいそう」
「ご、ごめんね」
「ふぅううう、うううぅうう、うううううううううう」
唸るようにして嗚咽を堪えようとする田中龍斗。
それがいっそう、妖精たちの同情を誘った。
「ど、どうしよう」
「どうしようって……」
「手が付けられないよ」
そんなとき、現れたのが大妖精とチルノであった。
大妖精は一瞥して、何か思うところがあったらしく、妙に暗い表情をして言った。
「きっとこの人は、捨てられちゃった人間なんだと思う」
「捨てられた人間? あ……」
三妖精は、大妖精の言わんとするところをすぐに察した。
「何で捨てられちゃったの?」
チルノだけは、よく分からない様子だった。
「チルノちゃん。人間はね、他の人と違うところがある人間を、とても嫌うんだよ。だから、時には嫌うあまり、いじめて、追い出して、酷いときには殺してしまう人もいるんだって」
「えぇ!? なんで? 同じ人間じゃん」
「うん。同じ人間なんだけどね」
道理を説明しようと頑張る大妖精だったが、チルノには理屈が分からない。
「そんじゃ、人間がこの人をいじめるんだったら、代わりに私たちが一緒にいてあげたらいいよ」
それ故にこそ、簡潔に正しいと思うことを行う力がチルノにはあるのだった。
「そうだね。うん、そうしよう。きっとこの人も、力仕事とかだったらできると思うし。私たちも、助けてもらえることがたくさんあるハズだよ」
三妖精は少し戸惑った。しかし男手が欲しいと思ったことは何度あるか分からない。結局、チルノと大妖精がそう言うならと、賛同した。
「でも、具体的には何をしてもらおうか」
「やっぱり、畑仕事とかがいいんじゃない?」
「あと、柴刈りとか」
「冬篭りの準備がずっと楽になるよね」
「アタイ、すいかと、とうもろこしと、さつまいも食べたい!!」
「いいね。やっぱり、おいしいものが一番だよね」
「えへへ、こんなお話してると、何だかお腹空いてきちゃったね」
そのとき、「ぐぅ~」という音がして、一同、田中龍斗のほうを見た。
無理もない。
寝食を忘れての逃亡だったのである。
「お腹、空いてるんですか?」
大妖精の問い掛けに、田中龍斗は顔を赤らめながら、コクリと頷いた。
その反応に妖精たちは、この男が自分たちとは何も違わぬ存在だということをしっかりと感じた。
「ねぇねぇ、アンタ、何て名前なの?」
チルノの問い掛けに、田中龍斗は指で地面に名前を彫った。
「う~ん……アタイ漢字、分かんないよ」
「私も、名前はちょっと分からないけど……でも、苗字は田中なんですね」
「それじゃ、田中さんでいいんじゃない?」
「う~ん、でも、名前も知りたいよね」
「あ、思い出した。これ、ドラゴンだ。ドラゴンって漢字だ。ホラ、メーリンの額に書いてあるじゃん」
「そうだよ、チルノちゃん!! てことは、田中ドラゴンさん?」
そう訪ねて来る大妖精に、田中龍斗は満面の笑みを返した。
「やっぱりね!! じゃ、これからは……ドラゴン田中で決まり。よろしくね、ドラゴン田中さん」
「それにしても、ドラゴン田中さんって文字が書けるんですね。スゴイです」
「今度、私たちにも教えてよね」
「うぅ。ううううう」
そうしてコクリコクリと頷くドラゴン田中と、妖精たちは笑顔であった。
それからしばらくして、夏がやって来た。
スイカは大豊作だ。
ドラゴン田中は、妖精たちと一緒に、仲良く湖畔でスイカを食べていた。
そこを、レミリア・スカーレットが通りかかった。
「あれは何かしら?」
お付きの咲夜に訪ねる。
「妖精たちが、スイカを食べてるんですよ」
「へぇ。どこから盗んできたスイカかしらね」
「自分たちで、栽培していたようですよ。ホラ、あの男の妖精。彼が一生懸命、畑を耕している姿を目撃した妖精メイドたちがたくさんいます」
「そう。感心なのね」
もちろんドラゴン田中は、こうして自身が妖精と見られていることを知らない。だがきっと、その事実を知ったとしても、彼は嫌な思いをすることなどはないであろう。妖精たちとともに生きることに、彼は少しも後悔などはしていないのだから。
「ここが幻想郷か」
この者は更なる強敵を求め、幻想入りを果たしたのである。
「血が騒ぐ。もはやこの身は、人間を凌駕してしまったからな」
幻想郷へと来る一ヶ月前、彼は無二の親友である、新庄剛を決戦の末に殺めた。互いに武を極めた二人の死闘は、実に三日三晩に及んだ。そうして、田中龍斗の龍狂焦身突が、新庄剛の虎叫絶命拳を打ち破ったとき、もはや外界に敵なしを悟ったのである。
「もはや俺に、戻るべきところなどはない」
二十四歳の若さであるが、死ぬ覚悟などは、とうにできていた。
「俺は何も持たずに大人になったんだ。何も持たずに死ぬだけさ」
いや、一つ、否二つあった。
「才能と、親友……でも親友はもう、いない」
ただ風に吹かれ行く木の葉だけが、彼の気持ちを知るのであった。
そうして一刻ほど歩いていると、人影を見つけた。人影? 否。猫の耳に二股の尻尾。どうみてもこれは、人間ではない。いよいよ、幻想郷に辿り着いたのだという実感が強く沸き起こってきた。
「少し、いいか。訪ねたいことがあるんだ」
「ん? 何けぇ」
「俺よりも凄い強敵(ヤツ)を教えてくれ」
「はぁ? 何言うとんがんけ」
「ここは幻想郷だろう」
「そう、そやちゃ」
「幻想郷に来れば、強敵と死合ると聞いた」
「あ~、あんた、外来人け~。まぁ、よう来たちゃ。でもあんた、まだ若いがんに、命粗末にするようなことしたらあかんがんよ。藍様呼ぶから、ちょっと待っとられま。そうしたら、霊夢のところ行かれま。外にでられっちゃ」
「俺は命など、惜しくない」
「みんな最初はそう言うんやちゃ。でも、今に後悔すっちゃ。止めとかれ。どうしても外に帰るがイヤなら、人里で働かれ。わっかいがんに、働きもせんでフラフラしとっちゃいけんちゃ。畑仕事でも、柴刈りでも、何でもあっちゃ。着いて来られ」
「好意多謝。しかし俺は、俺が正しいと信じている道がある。悪いが、君の提案に乗ることはできない」
「どうしてもけ」
「どうしてもだ」
「な~んで、若い男っちゃ、こう無茶するんかねぇ。早く結婚しられま。そうして、かわいい奥さんと子供もったら、仕事のために一生懸命になるがんやちゃ。そうしたら、子供が大きくなるがん楽しみにして生きるもんやちゃ。それが幸せっちゅうもんやちゃ」
「俺は、一匹狼だから。女なんかには興味がない」
「しょうがないちゃぁねぇ。じゃぁ、幽香姉ちゃんのところに連れてかんまいけ。来られま、来られま」
「待て」
「何け?」
「女を相手にして戦うことなど、俺にはできない」
「はぁ?」
「俺は男だ。女に暴力を振るうなどはできない。俺のお袋も、親父の暴力で苦しんだ……もう不幸な女は見たくないんだ」
「安心しられま。幽香姉ちゃんに暴力なんか、振るう必要ないちゃ。いいから、橙の言う通りにしられま」
そうして田中龍斗は、しぶしぶ橙の後に着いて行くことにしたのだった。
太陽の畑に案内された田中龍斗は、風見幽香を見るや否や一言漏らした。
「まさか龍が潜みおるとは……」
そうして同時に感じたのだ。
(こいつ……俺より強いかも知れん)
しかしそれこそ、この者の望んだ戦いである。
田中龍斗は満足して微笑んだ。
「ねぇ、幽香姉ちゃん。今度うちに遊びに来られま。ダバダバ茶作ってあげっちゃ。甘金丹とねぇ、富也萬を紫様が買って来てくれたんよ。すっごい、おいしいんよ」
「あら、本当? 久しぶりに、橙ちゃんのお茶も飲みたいわね」
「私も久しぶりに、お姉ちゃんと遊びたいちゃ」
「でも、あんまり妖怪の山に行くと、みんなが煩くてね」
「かまわんちゃ。来られま」
「でも、八雲紫が面白い顔をしないわよ」
「何でけぇ。紫様、イジワルするんけ」
「そうじゃないけど……橙ちゃんの大事な紫様が困るのよ。我慢してね」
「でも、私お姉ちゃんとも遊びたいちゃ。藍様はお母さんみたいなものだし、紫様はおばあちゃんだし……みんなと一緒に、仲良くしたいちゃ」
「そうね。私もそうしたいんだけどね」
命などはとうに捨てた田中龍斗だったが、さすがに今から自分が、この幼い子供の姉代わりを殺すかも知れぬと思うと、闘志が陰るのを感じるのだった。
(許せよ、少女。これが死狂いの性だ。もしお前が、仇討ちに来たとあらば、命をくれてやっても良いが、この者との決戦ばかりは、止めるわけにはいかぬのだ)
田中龍斗は最初から、生死を度外視している。
むしろ己を殺すほどの相手と死合ることこそ、武に生きる者の誉れである。
橙が山へと帰ると、いよいよ双龍は相見える。
田中龍斗が刀を担いだ。
「狂い吼えろ。虎殺斬魔刀」
その瞬間、美しい刀が姿を変える。
それは刀というには、あまりにも無骨で、大きく、重たすぎるものであった。
三メートルもあるこの超重量の大剣を片手で扱うことができるのは、ただこの男一人だけである。
対する幽香は、ただ悠然と微笑を浮かべる。手には傘が握られており、閉じられた傘は地面をついている。
「ちょっと、いい……」
風見幽香がそう言葉を発した瞬間である。
(先手必勝!!)
田中龍斗の斬魔刀が風を切る!!
「うぉおお……うわぁぉ」
その瞬間、目をカッと開き、馬鹿みたいに口を開けて涎を垂らしながら、田中龍斗はその場に膝を着いた。
風見幽香の、腹パンである。
田中龍斗にはもはや、微塵も戦意は残っていなかった。
しかしそれで追撃の手を緩める幽香ではない。
幽香は顎に蹴りを入れ、相手を仰け反らせると、肩に日傘を突き立てた。
「あぁああああああああああ!! 痛い~、痛い痛い痛い痛い、ダメダメダメダメダメ、無理!! 絶対無理!! 抜いてぇ~、抜いてくださいよぉ~……抜いてぇ……」
全身の穴という穴から、汁を噴出しての絶叫に、風見幽香の苛立ちはピークに達した。グリグリと、日傘を傷口に捻じ込む。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!! あぁ、無理っす。ホント無理っす。あぁ~、キツイ……無理っす……」
あまりの醜悪さが、苛立ちを越えて吐き気を催させた。
風見幽香は、「その臭いの、埋めときなさいよ。」とだけ言い捨てて、その場を去って行った。
恐怖のあまり、田中龍斗の髪はほとんどが抜け落ち、容貌は一気に二十年ほど老け込んだのであった。
泣きじゃくりながら、斬魔刀を巧みに用いて、深い穴を掘り、汚物を全て穴の底に沈め、その中に愛刀を放り込み、穴を塞いだのであった。
一昼夜、田中龍斗はあらゆるものに怯えながら逃げ回った。そうしてようやく見つけた湖畔に飛び込み、全身の汚れを拭った。傷口がズキズキと痛む。だが、それよりも、取り返しのつかない傷を心に負ってしまっていた。あまりのショックに、もう言葉を話すことができなくなっていたのである。
そこに、光の三妖精が通りかかった。
「うわ、何この人。くっさい」
「汚物君、オッスオッス!!」
「バイオテロとか、勘弁してもらえませんかね……」
例え水で洗い流したところで、半日染み付いた糞尿の匂いが取れるわけもない。妖精がこのように罵詈雑言を浴びせ掛けるのも当然のことである。そうしてしゃべることのできない田中龍斗に対する罵倒は、止まるところを知らなかった。
「ぶもぉぉぉぉぉ、おぉぉおぉおおぉ」
しゃべれぬ田中龍斗だが、泣くことはできる。嗚咽することもできる。それは確かに心に届くのだ。
「ちょっと、いくらなんでもやりすぎちゃったかな」
「う、うん……なんか、かわいそう」
「ご、ごめんね」
「ふぅううう、うううぅうう、うううううううううう」
唸るようにして嗚咽を堪えようとする田中龍斗。
それがいっそう、妖精たちの同情を誘った。
「ど、どうしよう」
「どうしようって……」
「手が付けられないよ」
そんなとき、現れたのが大妖精とチルノであった。
大妖精は一瞥して、何か思うところがあったらしく、妙に暗い表情をして言った。
「きっとこの人は、捨てられちゃった人間なんだと思う」
「捨てられた人間? あ……」
三妖精は、大妖精の言わんとするところをすぐに察した。
「何で捨てられちゃったの?」
チルノだけは、よく分からない様子だった。
「チルノちゃん。人間はね、他の人と違うところがある人間を、とても嫌うんだよ。だから、時には嫌うあまり、いじめて、追い出して、酷いときには殺してしまう人もいるんだって」
「えぇ!? なんで? 同じ人間じゃん」
「うん。同じ人間なんだけどね」
道理を説明しようと頑張る大妖精だったが、チルノには理屈が分からない。
「そんじゃ、人間がこの人をいじめるんだったら、代わりに私たちが一緒にいてあげたらいいよ」
それ故にこそ、簡潔に正しいと思うことを行う力がチルノにはあるのだった。
「そうだね。うん、そうしよう。きっとこの人も、力仕事とかだったらできると思うし。私たちも、助けてもらえることがたくさんあるハズだよ」
三妖精は少し戸惑った。しかし男手が欲しいと思ったことは何度あるか分からない。結局、チルノと大妖精がそう言うならと、賛同した。
「でも、具体的には何をしてもらおうか」
「やっぱり、畑仕事とかがいいんじゃない?」
「あと、柴刈りとか」
「冬篭りの準備がずっと楽になるよね」
「アタイ、すいかと、とうもろこしと、さつまいも食べたい!!」
「いいね。やっぱり、おいしいものが一番だよね」
「えへへ、こんなお話してると、何だかお腹空いてきちゃったね」
そのとき、「ぐぅ~」という音がして、一同、田中龍斗のほうを見た。
無理もない。
寝食を忘れての逃亡だったのである。
「お腹、空いてるんですか?」
大妖精の問い掛けに、田中龍斗は顔を赤らめながら、コクリと頷いた。
その反応に妖精たちは、この男が自分たちとは何も違わぬ存在だということをしっかりと感じた。
「ねぇねぇ、アンタ、何て名前なの?」
チルノの問い掛けに、田中龍斗は指で地面に名前を彫った。
「う~ん……アタイ漢字、分かんないよ」
「私も、名前はちょっと分からないけど……でも、苗字は田中なんですね」
「それじゃ、田中さんでいいんじゃない?」
「う~ん、でも、名前も知りたいよね」
「あ、思い出した。これ、ドラゴンだ。ドラゴンって漢字だ。ホラ、メーリンの額に書いてあるじゃん」
「そうだよ、チルノちゃん!! てことは、田中ドラゴンさん?」
そう訪ねて来る大妖精に、田中龍斗は満面の笑みを返した。
「やっぱりね!! じゃ、これからは……ドラゴン田中で決まり。よろしくね、ドラゴン田中さん」
「それにしても、ドラゴン田中さんって文字が書けるんですね。スゴイです」
「今度、私たちにも教えてよね」
「うぅ。ううううう」
そうしてコクリコクリと頷くドラゴン田中と、妖精たちは笑顔であった。
それからしばらくして、夏がやって来た。
スイカは大豊作だ。
ドラゴン田中は、妖精たちと一緒に、仲良く湖畔でスイカを食べていた。
そこを、レミリア・スカーレットが通りかかった。
「あれは何かしら?」
お付きの咲夜に訪ねる。
「妖精たちが、スイカを食べてるんですよ」
「へぇ。どこから盗んできたスイカかしらね」
「自分たちで、栽培していたようですよ。ホラ、あの男の妖精。彼が一生懸命、畑を耕している姿を目撃した妖精メイドたちがたくさんいます」
「そう。感心なのね」
もちろんドラゴン田中は、こうして自身が妖精と見られていることを知らない。だがきっと、その事実を知ったとしても、彼は嫌な思いをすることなどはないであろう。妖精たちとともに生きることに、彼は少しも後悔などはしていないのだから。
ただまあ妖精とほほえましく暮らしているオチだけは清涼感を得ました
少なくとも作者なりの個性が見えますからね
語録の使い方が甘いと思った(小並感)
ただいい年こいた男が妖精って・・・・・
この橙が藍しゃまと方言でやりとりする話はまだっすかね?