相も変わらず夏であった。
夏真っ盛りである。
照りつける太陽がもたらす熱は、室内であっても容赦なく、人々の体力気力を奪う。
だがそれは、あくまで肉体を持ったものに対してのことであり、怨霊である蘇我屠自古にはまるで関係の無いことであった。
屠自古は涼しい顔で、取り込んだ洗濯物を丁寧に畳み、仕分け、各々の部屋へと置くと、ふう、と息をついた。
いつもフラフラと遊び歩いている青娥をはじめ、座椅子になるか食べ残しを処理するか、くらいにしか役に立たない芳香、放火と運転しか能の無い布都というボンクラーズを擁する豊聡耳家が、破綻せずに切り盛り出来ているのには、この屠自古の存在が大きい。
無論彼女とて、そういった家事全般が得意というわけではないが、他にそれをする者がいないのでは仕方が無い。もう一人、手の空いている者がいるにはいるのだが、恐れ多くも聖人であるその人に、洗濯やごみ捨て、トイレ掃除などを頼むという度胸は、屠自古にはない。
「さて、と…どうするか」
屠自古は傍にあった麦茶をぐっと飲み干し、そう独りごちた。
日は若干傾いてはいるが、夕食の準備にはまだ早い。そもそも、この豊聡耳家は、食事をせずとも深刻な問題にならない者達の集まりでもあるから、そこはあまり悩むことはないのだが。
屠自古は畳に寝転がり、本棚へと手を伸ばした。布都が入手してきた大量の本…八割方は漫画であるが…を何冊か手に取り、ページをめくる。
「「マスター、バスターロックです」「なぁに、こっちにだってあるさッ」」
「「解体しろジジイ!」」
「「きさまは電子レンジに入れられたダイナマイトだ! メガ粒子の閉鎖空間の中で分解されるがいい!」」
癖なのか、屠自古は台詞を読み上げながら、ページをめくる。
実際、そうすることで、漫画家が精魂込めて世に送り出した作品を、より深く楽しめるという節もあるので、あながち悪いことであるとも言えない。
屠自古はぶつぶつと、あるいはノリノリで、台詞を読み上げていく。
「「おまえはそこでかわいてゆけ」」
「「やる…ねェ…」」
「「心配無用! 術にはまりしは異形どもの方!」」
少年誌、その往年の名作の数々を拾い読みし、また音読していると、ふと、冷たい空気が感じられた。
怨霊である屠自古が、気温の変化を感じることはないが、それはおそらく、その元が放つ霊気なのであろう。屠自古は漫画を傍らに置くと、首を捻って、部屋の入り口を見た。
「屠自古、さっきからなにぶつぶつ言ってんのー」
「よ、芳香…?」
いつからそこにいたのか、あるいは初めからいたのか…それは判らないが、ともかく、青娥の作り出した僵死である、宮古芳香が、いつものポーズで立っている。
思考能力に乏しく、感情の触れ幅も大きくない芳香であったが、心なしか、その視線は冷たい。屠自古は若干狼狽しつつ漫画を戸棚に戻し、改めて芳香を見た。
「本読んでたのかー」
「そ、そうだよ。暇だったんでね」
「まだ晩御飯には早いもんなー。たいしさまもいないし」
ゴキゴキと関節を鳴らし、芳香がぺたりと座る。屠自古は一人芝居と取られてもおかしくない朗読劇のことを、芳香の興味から逸らそうと、コップに麦茶を注いで、芳香の前に置いた。
「青娥はどうした?」
「どっかいった」
「…そうか。ほら、饅頭を食え」
またもゴキゴキと関節を鳴らし、芳香が差し出された饅頭手に取り、包みごと口に入れる。
屠自古もずずっ、と麦茶をすする。
会話が続かない。脳が若干不自由な芳香が、積極的に話しかけてくることはないし、屠自古も芳香に対して、どんな話題を振って良いものか、考えあぐねているようだ。
どうしようも無くなった屠自古は、座布団を引き寄せ、枕にすると、そのまま大の字…いや、カタカナの「ナ」の様になって、寝転がった。
「寝るのー」
「あ、ああ、何かあったら起こしてくれ…」
ちりん、と、風鈴が涼やかな音を鳴らした。
ここで少し、時間と場所を移す…。
古代日本の技術者達の魂と、タオの力の結晶である磐舟が、凄まじい速度で川沿いを走っている。
搭載された丹田エンジンは絶好調のようで、心地よい振動とエクゾーストでもって、それを証明している。
そしてその運転手である物部布都は、トップギアに入ったままの速度を維持しつつ、満面の笑みを浮かべていた。
以前、慧音にキズモノにされた磐舟であったが、布都の入念な補修の結果、新品同様に生まれ変わっている。そのテスト走行を兼ねて、布都は今、妖怪の山へと続く河原を走っているのだ。
時折、何事かとこちらを見る、あるいは追ってくる妖怪達もいるが、磐舟の速度には追従できない。
「ふふン…貴様らに足りないもの、それは~情熱思想理念頭脳気品優雅さ勤勉さ!そしてェなによりもォ! 速さが足りない! あとタオも!」
どこぞの兄貴の様な台詞を吐き、サングラスをくいっ、と直すと、布都は限界までアクセルを踏み込む。
ほぼ直線であるこの河原は、障害物も少なく、スピードマニアにはたまらないコースと言えるだろう。豊聡耳一家の足として使っている時には到底出せない速度を体感し、布都のテンションはレッドゾーンへと突入していた。
「フフフ…ハハハ! 時速は凡そ200km/hってなところじゃな! 今の我は女豹…幻想郷を"疾走"(はし)るキラーパンサーと言ったところか…よい、良いぞ…スピードの向こう側って奴を、この目で…!」
相も変わらずトンチキな脳ではあるが、スピードを追い求める心は真摯であった。布都は片手で印を切ると、指先を前方に向け、霊力を解放する。
タオによる術式が練り上げられ、磐舟の前方に、光り輝く道のようなものが形成されてゆく。
「タオ」という概念にそんな用法があるのかどうかは判らないが、その道に乗った磐舟は、更に爆発的な加速を見せた。
「F-MEGAァアアアアアア!!!!!」
トンチキは意味の判らぬ雄たけびを上げ、今、スピードの向こうへと…
が、その瞬間である。
「!?」
前方およそ20m、腰の高さ程の茂みから、一人の幼女が飛び出してきた。
「ゲェー歩行者!」
とびだすな くるまはきゅうに とまれない
とは言うが、これはあくまで、車の存在する社会での標語であり、車と言えば大八車やリヤカー、牛車の類しか存在していない幻想郷においては、さしたる意味を持たない。なお磐舟は車じゃないだろう、という突っ込みは受け付けておりません。
布都は電光石火の速さでブレーキを踏み込み、ハンドルを左に切りつつ、サイドブレーキも引き上げる。
磐舟は凄まじいドリフトをしつつ、幼女の手前、わずか1mほどの所をかすめ、小さな岩に乗り上げて一回転したのち、川の中央にあった巨岩に激突し、ようやく停止した。
猛烈なクラッシュを目撃した幼女は、その場にへたり込み、言葉も無く、ただ磐舟を見つめることしか出来ないでいた。
暫しの間を置いて、白煙を上げ、大破した磐舟の中から、布都が飛び出してくる。
「ドゥエーーーイ! う、ウオオ…サングラスが無ければ即死じゃった…」
「あ…あ…」
速度200kmオーバーであれだけのクラッシュをすれば、常人なら一瞬でミンチよりひでぇや、な状態になってしまうのだろうが、そこは尸解仙な上にコメディの登場人物である。
だらだらと血を流しつつも、布都はよろよろと、二、三歩、パンチドランカーの如く歩いて、幼女の前に座り込んだ。
「い、いてーにゃー…こいつぁ物部の歴史においても最大級のクラッシュじゃぜ…おっと、ぬ、主、怪我は無いか?」
「あ…うん…ちょっと、膝、擦りむいただけ…」
「ぬ、それは済まぬ…! 痛くないか? 他に怪我は?」
「だ、大丈夫…」
布都は流れる血もそのままに、幼女の膝に指先を当て、目を閉じる。
青白い光が、幼女の膝を包んだかと思うと、小さな傷はたちどころに塞がり、跡すら残らず平癒した。
「これで良い。すまんな、まさか飛び出してくるとは思わなんだ、許してくれ」
ニゴォ…と笑い、血に染まった右手をスカートの裾で拭いたのち、布都は幼女の頭を撫でた。
既に人ならざる領域へと到達している布都であったが、人間としての心は失っていないようである。己の命と同じくらい大事な神子、それとほぼ同等と言っても過言ではない磐舟の状況よりも、まず幼女の心配をするところに、その優しさが垣間見える。
幼女ははじめ、怯え、言葉を失っていたものの、布都のその様子を見て、ようやく喋りだした。
「おねえちゃん、怪我…」
「ふむ、この程度どうということは無い…人体には200以上の骨があるので、何本か折れても平気ってサラ・コナーが言ってたじゃろ? 例え頭蓋が砕けても、200分の1じゃ、安心せい。見ておれよ、我が風水力(ふうすいちから)に不可能など無し…ホォオオオオオ」
そういう意味でサラ・コナーも言った訳でもあるまいが、ともかく立ち上がった布都は、例の立ち絵の如きポーズをとって、瞑目した後、奇妙な呼吸を始める。
それと共に、クラッシュした際にほどけたロングヘアがざわざわと逆立ち、力が渦巻く。
「あ、キタ! これキタ! キちゃってるんじゃい! よし! このまま行く! バイタルチャージ! そして深呼吸からの…も、の、の、べぇ~」
何がキているのかは布都以外には判らないが、とにもかくにも、布都は拳を振り上げ、大きな声で、「ヨッシャ!」と叫ぶ。
渦巻いた力が収束し、青白い光を放つ。幼女はもの凄い圧力に耐えつつ、じっと事の顛末を見守った。
そして、光が弾ける。
と、同時に、布都のこめかみの辺りから、猛烈な勢いで、鮮血が噴出した。
「ひ!?」
「は…オ…?」
更に、少し間を置いて、両目、鼻の穴、両耳、そして口から、大量の血が迸る。
三流の怪談などでよくある、目から血を流す人形…今の布都を例えるならば、それ以外に無い。
「ひ…ひぃいいいいい!」
「あばばば、え、えーとこれはアレじゃ、違うのじゃ、えーと、どこぞの大陸に伝わる、命がけの一発芸! その名も『七孔噴血(しちこうふんけつ)』というものじゃ! どうじゃ、和んだであろう? ユーモアたっぷりであろう? これは酒の席でも存外に好評でな、上司に至っては、「ハハハまた布都が血まみれだ。血のバレンタインとはよく言ったもの、ザ・フトだけに」などと言ってそれはもうバカウケしてくれる鉄板のネタであり…お、おい童! 何処へ行く! これは血ではなくてただの水でありフィクションで、ええとその…」
「ひぃいいいいいいいいいいいいい!」
チョコレートではなくブラッドでファウンテンと化した布都の姿を見て、幼女は一目散に駆け出し、茂みの中に消えてしまった。
まあ、無理のないことであった。例え大人であったとしても、こんな凄惨な光景を見れば誰でもそうするだろう。
出血のショックと、幼女の逃走、その二重の衝撃を受けた布都はふらふらと、二、三歩後ずさると、その場に大の字に、倒れてしまった。
「あ…お空…きれい…」
そして再び、豊聡耳家…
イマカラーアイツヲー コレカラーアイツヲー ナーグリニーイコウカー
ナ、ではなく漢字の七の様な格好で寝ていた屠自古が、机の上にあった帽子から発せられる、軽快なメロディと振動を感じて飛び起きる。
「ファッ!? おふ…で、伝話か…」
チャゲ&飛鳥の名曲をバックに、屠自古は目をこすりつつ、帽子を手に取り、巻きついている紐を手に持ち、開いた部分を耳に当てた。
神子が暇つぶしにと、霊力とタオとインスピレーションでメイクイットポッシボーした結果生まれた最新鋭のひみつ道具、それが「伝話(でんわ)」である。
巻きつけられた紐を、定められた相手の持つ伝話機…帽子であったり耳当てであったり羽衣であったりと形は色々だが、ともかく相手の持つそれに割り当てられた受信周波数の数だけ引っ張ることで、会話することが可能となる、素晴らしいデバイスである。
こちらが受信する場合においては、ただ単に紐を一度引けばいい仕組みであり、屠自古はゆっくりと紐を引っ張る。
「はい、蘇我ですが」
「はァ…はァ…ッハァ…ハァ」
「…うん?」
伝話の性能はお世辞にも良くなく、音量、音質の調節はできない。何処か、別の場所から聞こえてくる息遣いは、上ずっていて、誰であるかも判別不可能であった。
「もし? もっしー? 聴こえてる?」
「ハァハァ…ねぇ…」
「あ、聴こえてる? 誰? 神子様? 青娥? 芳香? 布都?」
「ハァ…ハァー…オハァ…ねぇ…」
誰であるか名乗らず、ただ薄気味の悪い息遣いだけを送ってくる相手に、屠自古は眉をひそめる。悪戯の類か、あるいは魑魅魍魎の類か…だがそんなものを恐れる屠自古ではない。彼女は大きく息を吸うと、大声で叫んだ。
「誰だってんだ!」
「ホッヒヒ…女の子だよねえ…歳は二十歳前、身長は150cm代後半くらい…おっぱいは結構大きめかなァ…ハァ…ハァ…」
「…ハァー? 何言ってんだ、お前」
「ンフー…フー…ァアー…ねぇ、パンティーの色は何色ォ…?」
「はァ…?」
所謂ところのアレであるが、屠自古にとっては初めての遭遇だ。まさか伝話口の向こうで、アレな趣味の持ち主がアレしてナニしているとは思うまい。
要領を得ない受け答えをする相手に、もともと短気な屠自古の周りに、雷雲が立ちこめ始める。ゴロゴロと、今にも落雷しそうな雲を追いやり、屠自古は口を開く。
「何だてめェ、パンツ? パンツっつったのか?」
「何色かなァ~? 声の感じからピンクか水色かなァ、デュフ…もしかして黒とかかなァ、ヌフー」
雷雲は更に密度を増し、青白い光を含む。屠自古はもはやそれを払おうともせず、深呼吸を一つして、伝話口に口を近づける。
「…履いてねえよ!」
「は、履いて…!? ちょ、詳しく」
「履けねぇんだよこの野郎! 足がねぇんだよこの野郎! 怨霊ナメんなコラ! 呪われろ!」
言うに事欠いて、女性の下着の色を問うとは何事か…屠自古は威勢のよい啖呵を切ると、そのまま帽子を壁に叩き付けた。
通話は終わり、風鈴の音だけが空しく響く。
「ったく…何処の馬鹿だよ」
吐き捨てる様に言い、屠自古は袂から取り出した煙草に火を点ける。他の者がいる時には吸わないが、葛城の地でブイブイ言わせていた元ヤンだけに、怨霊となった今でも喫煙はやめられないらしい。
しばし、紫煙をくゆらせ、中庭を眺めていた屠自古であったが、そんな豊かな時間を邪魔するかのように、再び帽子が振動を始める。
「またかい…」
屠自古は煙草を灰皿で揉み消すと、部屋の隅に転がった帽子を手に取り、紐を引いた。
「はい、蘇我」
「おお、屠自古か! わ、我じゃ! 我我! 我だけど!」
今度は良く聞こえ、また音質もよい。伝話口の向こうから、聞き覚えのある声が大音量で響き、屠自古は思わず帽子を耳から遠ざける。
「…っせえな…我ってどこの我だよ? 我我詐欺って奴か? あ?」
「ええい、幻想郷広しと言えど我っ娘など我をおいて他にいなかろうが! それよりも屠自古、大変じゃ! 大変なのじゃ!」
「うるせえな! うるせえよ! じゃーじゃーうっせえよ! 麺かてめぇは!」
わだかまりはもう無いとは言え、布都と屠自古は基本的に性格が違い過ぎて、些細なことでも口論になる。先ほどのパンツ伝話で血圧の上がった屠自古からしてみれば、名乗りもせずいきなりじゃーじゃーと、どこぞの姫の如く喚く布都に、我慢ならないという思いが生じるのも無理はない。
すっかりヤンキー時代の口調に戻った屠自古は、机をばんばんと叩きながら、布都との舌戦の戦端を開く。
「わはは、ジャージャー麺とは上手い事を言うなお主。と、そうではない! 良いから聞けいと言うに!」
「ああ畜生、この野郎ファッキン皿野郎、言えよ、聞いてやるよ。ただしくだらねー事だったら後で血ィ見るぞ、よく吟味して喋れよ皿野郎!」
「うむ、事故った」
「ざまあ!」
「ぐッ…そこは心配するのが友人というものじゃろうが…」
「知るかボケェ! 大方、磐舟を飛ばし過ぎてそうなったんだろうが! ざまぁ見さらせ! 神子様がいつも安全運転を心がけよと言ってたのにそのザマか! だせぇな布都、このダサ坊が! 不運(ハードラック)と踊(ダンス)っちまったってワケだ! ざまぁ見ろ!」
「た、確かにその通りじゃが…まさかあんな、人気の無いところで、人が飛び出してくるとは思わなかろうもん…」
「ぶはははは! 知るかってんだよ! どうせ速さが足りないとか叫んでて、前方不注意してたって感じだろうが! お前に足りなかったのは注意力だ! ざまあねえな!」
机を引き続きばんばんと叩き、屠自古は嘲笑混じりでそう叫ぶ。調子に乗った布都が、ローンの終わった磐舟を調子ぶっこいて飛ばしていたら、調子ぶっこき過ぎて事故ったなどと聞いて、我慢できるはずもない。
ひとしきりゲラゲラと笑った屠自古は、煙草に火をつけ、意地の悪い笑顔で、伝話の向こうの布都に尋ねた。
「んで? どうすんだよ布都チャン、歩いて帰ってくるか? そもそも歩けんのか? いいんだぜ、神子様には上手く言っておいてやるよ、布都は神子様の圧政に耐え切れず、遣隋使になってそのまま隋にエクソダスしてしまいましたって感じでなァ!」
「よ、よせ! その、何じゃ…出来ればレッカーを回してくれると助かるのじゃが…ああJAFでも可」
「あァ!? 馬鹿かてめぇ、この幻想郷にんなもんあると思ってんのか! てめぇでどうにかしろランチプレート野郎が! 帽子にホカホカご飯詰めてやろうか!?」
「ぬ、ぐぐ…貴様…黙っておれば付け上がりおってからに…もう頭に来た! 貴様にはもう頼まん! 自分でどうにかして帰ってやるわ! そしたら覚えておけよこのエロ大根! かなり痛くぶつ!」
「エ、エロ大根だァ…!? 上等だぜダサ坊、私の雷属性の左で迎撃してやるよ! まぁそれも無事帰って来れたらの話だがなァ! じゃあな皿野郎、達者で暮らせ」
売り言葉に買い言葉、口喧嘩での応酬を終えると、屠自古は先ほどと同じように、帽子を壁に叩き付けた。
ニヤニヤと、先日皆で観賞した、「アウトレイジ」における椎名桔平の様に笑いつつ、屠自古は無言で煙を吐き出し、煙草をもみ消す。
布都が己にした事を考えれば、これくらいの応対をしてもまだお釣りが来るだろう。屠自古はそう納得し、溜飲を下げると、座布団を引き寄せた。
「…さて、と。もう一眠りすっか…」
「今の、布都?」
「ウォオイ!? いたのかよお前!」
どれくらい昼寝していたのかは定かでないが、とっくにいなくなっていたと思っていた芳香の声に、屠自古は慌てて飛び起きる。
芳香は叩きつけられた帽子を拾い上げると、それを屠自古の前に置き、座り込んで、じっと彼女の目を見た。
何か、非難しているような、そんな風情の目にも見える。
「な、なんだよ」
「…布都、困ってるんじゃないのー」
会話の内容から、察したのだろう。芳香は首を傾げつつ、そう呟く。よもやこの僵死、脳まで壊死しているような存在に、そんな事を指摘されるとは思っていなかったらしく、屠自古は明らかに困った様子で、そっぽを向く。
実際そうだったとして、だから何だと言うのか。あいつが勝手に事故っただけだ…そう言えばいいのだろうが、芳香の目は、己の心の奥深くまでを見透かしているようにも思えて、どうにも居心地が悪い。
「い、いいんだよ、あんな奴…ほっとけ」
「…ほっといていいの?」
「いいんだよ! 生きてりゃ歩いてでも飛んででも帰ってくるんだから!」
語気を強め、吐き捨てる様に屠自古は言い、そしてタオルケットを引き寄せると、芳香の目を見ないようにして、再び寝転がった。
ちりん、と、風鈴が鳴る。
再度、物部布都。
「ええい、あの説得力に欠けるでんきタイプの怨霊めが! 覚えておれよ、ハマ、ハンマ、マハンマ、ハマオン、マハンマオン…」
出血は治まり、傷も平癒していたが、血で汚れた服はどうにも見栄えがよくない。布都はさらしにパンツというあられもない格好で、川の中に入って、ざぶざぶと衣服を洗っていた。
口をついて出てくるのは、屠自古への悪口である。冷静になった今、改めて考えてみれば、屠自古がああいう反応をするであろう、ということは、容易に想像できる。しかしあの時、真っ先に思い浮かんだのは屠自古の顔であり、彼女ならばあるいは、どうにかしてくれるのではないか、という思いがあった事を、否定することはできない。
しかし、結果は先ほどの罵倒である。神子や青娥にではなく、まず屠自古に連絡を取ってしまった己の迂闊さと、屠自古の反応を思い起こすと、無性に悔しくて、気持ちがざわつく。
「ええい! ええい! 白いものはより白く! 色ガラものはくっきりと!」
そんなダウナーな気分を振り払うように、布都は衣服をぎゅっと絞り、傍にあった岩へと打ち付ける。
ぱぁん、と小気味良い音が、静寂を打ち破った。
暫しの後、洗濯を済ませ、木の枝に衣服を引っ掛けた布都は、大破した磐舟の前に座り込んで、はぁ、とため息をついた。
要である丹田エンジンは、RR車…いや、舟である磐舟の後部に搭載されていた為無事であったが、運転席は完全に大破してひしゃげており、ハンドルやアクセル、クラッチ、サイドブレーキなどは見る影も無い。砕け散った芳香剤の香りだけが、空しく漂う。
こうなってしまっては最早、廃車…という選択肢以外に道は無いように思える。だが今まで、色々な思い出の供として側にあった磐舟を、こんな寂しい所で朽ち果てさせるというのは、あまりにも残酷すぎた。
布都はずずっ、と鼻をすすり、そしてまた、ため息をつく。
「はー…どうしたもんかのう…」
この手の機械に詳しい友人がいるでもなく、また新車を買うような余裕も無い。
夏の空は青く澄み渡り、雲ひとつ無い。布都は再び大の字になって寝転がると、ありったけの声を振り絞って、意味の判らない叫び声を上げた。
と、そこに、陰がさす。
太陽を遮った何かを確認すべく、布都は首を捻って、それを見た。
「…大丈夫かい?」
青い衣服に帽子、背にはリュックを背負った、少女がそこにいた。
布都はゆっくりと上体を起こすと、改めてその少女を見る。歳の頃は十代半ばといったところか、布都とそう変わらないようにも思える。
そして、先ほど逃げていった幼女が、その青い少女にすがり付くようにして、こちらを伺っているのも確認できた。
「…大丈夫かと聞かれれば、大丈夫であるような、そうでないような」
「結構、平気そうだね。この子の話だと、何だか血まみれで意味わからんこと言ってたらしいからさ」
布都はすっくと立ち上がって、ぱんぱんと尻を叩く。その様子を見た二人は、安堵したかのように微笑み、布都の言葉を待った。
「ぬ、お主は先ほどの…そうか、人を呼んでくれたのであるな」
「け、怪我してたから…」
「なるほど、恩に着るぞ。しかし見よ、この瑕疵一つ無いパーフェクトアイアンボディを! タオを極め風水を究めた我にとって、あの程度のダメージなど」
くるくると回り、起伏に乏しい残念アイアンボディを披露する布都に、二人は顔を見合わせ、今度は苦笑する。
そして青い衣服の少女は、布都の後ろにある磐舟に近づき、それをしげしげと見回し始めた。
「これ、どっかで見たような…どこだったか」
「む? 主、磐舟を知っているのか?」
「ああうん…君さ、以前…G-1に出たことなかった?」
妖怪の山を牛車、あるいはそれに準じる乗り物で疾走する催し…G-1グランプリと呼ばれるそれの名を聞き、布都は少女の顔と、大破した磐舟を見比べる。
確かに以前、神子の発案で、一度だけ参加したことがある。あの時はAT免許しか持たない神子が、MTである磐舟に乗り込み、発進することすらままならなかったが…布都はそれに伴う記憶を探り、そしてぽん、と手を叩いた。
「お主確か、妙ちくりんな車で参加しておったのう!?」
「やっぱりか。私は河城にとり。でも君、トヨサトミミさんじゃないよね?」
「トヨサトミミは上司じゃ。我は物部布都という」
「モノノベさんね…なるほど。しっかし、派手にやったもんだ」
にとり、と名乗った少女は、クラッシュして未だ白煙を上げる磐舟のボディをさすりながら、そう呟く。素性を推し量ることは出来ないが、その表情はどこか、つらそうだ。
「ごめんなさい…」
「主のせいではない。我が調子こいてぶっ飛ばし過ぎたのがいかんかったのじゃ…それより河城と言うたな…いきなりで何じゃが、お主、G-1に出ていた時の車、まだあるのか?」
沈痛な面持ちで俯いた幼女の頭を撫でつつ、布都はにとりにそう尋ねた。
にとりはふむ、と顎に手をやり、改めて、布都を見つめる。
何という巡り合わせだろうか。あの時の少女ならば、あの車を所有しているかもしれない。ウィンチか何かでレッカーして貰えれば、磐舟を自宅まで運ぶことも出来るだろう。
布都は頬を紅潮させ、にとりの言葉を待つ。顔にはありありと、期待、の二文字が浮かんでいる様にも思える。
「あるにはあるけどね、あれはそんなに馬力があるわけじゃあ、ないんだよね。レッカーしてあげたいのはやまやまなんだけどさ…この舟、SUV(スポーツ・ユーティリティ・ビークル。スポーツ用多目的車)くらいの重さはありそうだし、車輪もついてない。さすがに、引きずって行くのは無理かな」
しかし現実とは非情なもので、にとりはあっさりと、そう言ってのけた。彼女の申し訳なさそうな顔を見て、布都の表情も、一気に暗くなる。
だがにとりは、そんな布都を見て、三度、笑顔を見せた。
「まぁ話は最後まで聞きなって。私の車じゃ確かに運べないけれどもさ、今ここで、これを修理してあげることは出来るかもしれない」
「…なに」
「見た所、エンジンは無事みたいだし、造りそのものは極めて単純だ…何せ、岩で出来てるからね。そして見てごらん、この辺りには良質な岩がゴロゴロしてる…私の工具なら、削り出すことも出来る…つまり?」
それはまるで夢のような、現実離れした話であった。
にとりは大破した今の舟体から、エンジンを取り出し、新たに削り出したボディに搭載させるという旨を言っているのだ。
にわかには信じられないことだ。しかし今の布都にとって、それに縋るしか無いのもまた、事実である。
「で、出来るのか、そんな事が…?」
「多分、ね。自信はある。ただ私も、完璧な生き物じゃあない…もしかしたら、取り返しのつかない事になるかもしれない。だから、君が決めるんだよ、物部布都」
謙遜するように言うにとり。その言葉に、布都は是非も無く、首を縦に振ろうとしたが、すんでの所で踏みとどまる。
過去に一度会っただけの人物に、そこまでしてくれる理由は何だろうか。親切からの行いであれば、それで良い。
だが、何か、含む所があるのだとしたら?
邪な考えを持っているのだとしたら?
疑うことはしたくない。だが己の不注意で、この様な事態になって、そしてまた再び、不注意から、事態が悪化しないとは言い切れない。
布都はすぅ、と息を吸うと、口を開いた。
「とても、有難いことじゃ。だが、何故…そうしてくれる?」
「うん…? ああ…なるほど、そりゃあ、そうだね。殆ど初対面の君に、私がそうまでしてやる義理は無いね…確かにそうだ」
気を悪くしてしまったろうか。布都は申し訳無いと思いつつも、続く言葉を待つ。
にとりはそんな布都と、傍にいる幼女を見比べて、人の良さそうな笑顔で、言葉を紡いだ。
「この子はね、私達一族の、偉い人の娘さんなんだ。本来なら、この子を危険な目に遭わせた君に、何がしかの報いがあってしかるべきだが…君は逃げも隠れもせず、この子を気遣ったんだろう?」
「逃げも隠れもせんわ、そこまで腐ってはおらぬ」
「うん、だからそれでいいと思う。禍根も借りも無い…なら、私は私の良心に従って、君の舟を直してやりたいってだけさ…それにこの子も、そうしてくれって言う。どうするね?」
そう言ってはにかみつつ、にとりは手を差し出してくる。その笑顔に、もはや裏などあるまい。
疑ってしまった己の心を悔いつつ、布都は心から微笑んで、その手を強く、握り返した。
「っしゃあ! んじゃ物部さん、まずはエンジンを外そうか! 正直どんなもんか判らないから、慎重に行こう」
「よ、よし…待っておれ!」
仙人と河童の急造よろしくメカドッグが、今ここに結成された。
吹き抜ける風は爽やかで、空はどこまでも青い。
「このエンジンはじゃな、我の持つタオの力、そして風水力を何倍にも増幅して動力とするのじゃ」
「化石燃料で動いてる訳じゃないのか…すごいね。つまり君の力が続く限り、走るって訳か…なるほど」
「一説にはイレーザーエンジンや縮退炉をも上回る…つまり最高出力、我次第!」
「なるほどなるほど…道理で何処にも繋がって無いわけだ…エンジンルームの内側には…術式かな、これは」
「運転席側の術式からインプットされた我が力により、エンジンは回転し…後尾側の術式から増幅、出力されるという仕組みじゃな」
「あれ? じゃあギアとかアクセルとか要らなくない?」
「あれはまあ気分じゃな」
「気分かよ!」
「さて、次はボディだけど…岩はどれがいいか」
「目星はつけておる。あの花崗岩がマストじゃな」
「ふむ…グラナイトね。加工難度は中の上ってとこか…どうする、折角だし、色々組み込んでみるかい?」
「む? 例えばどんなじゃ? サテライトキャノンとか月光蝶とかEXAMとかサイコフレームとかNT-Dとかか!?」
「いやいや、ガンダムは私も好きだけど…流石にそれは無理かな。そうだね…ロマン溢れる変形機構とか…VTOL(垂直離着陸機構)とかくらいなら、どうにかなるかも」
「で き る の か ! ?」
「やらいでか!」
「ああ暗くなってきた…灯りを点けるか。よっこらせ」
「ランタンか。お主の背嚢、まこと色々入っておるのう」
「まぁね。さて、タンク形態とモビル形態への可変機構はこんなところか…ああ、ドリルの刃先を替えないと…意匠はヒルドルブまんまでいいのかな?」
「無論じゃ。ヒルドルブに憧れぬガノタなどそうはおるまいて」
「私はザメルの方が好きだけどねえ…」
「ふぃー…何とかなったか…」
日が沈み、月が顔を出す頃、それは完成した。
古代日本の技術により生み出された丹田エンジンの心臓を持ち、舟、戦車、そしてモビル形態への可変を可能とした、仙人と河童の技術の結晶である。
油と石の粉末で汚れた顔を洗い、にとりは満足げに、それを見つめる。同じように、布都もν磐舟を眺め、辛抱たまらぬといった風情で、にとりの手を握った。
「素晴らしい…まことに…いくら礼をしても足らぬ」
「はは、手前味噌だけど、上出来だね。あとはコーティングとかその辺だけど、それは私がいなくても出来るはずだよ」
布都の手をしっかりと握り返し、にとりは言う。
まさかあの状態から、修理どころでなく、新生と言っていい程の成果が出るとは思ってもいなかったのだろう。エンジニアとして冥利に尽きる、彼女の目は雄弁に、そう語っていた。
「さて、と。テストドライブと行きたいところだけどもね、この子を送っていかなきゃあならないんだ…君だって家に戻らないといけないんだろ?」
にとりは岩にもたれ掛かって寝息を立てている幼女を抱き上げると、少し、寂しそうに言う。現在の時間は判らないが、日が落ちてから、結構な時間が過ぎていた。
布都が家を出たのも、正午過ぎであり、きっと神子や青娥も帰って来ているだろう。先ほどの伝話の件を、屠自古がどこまで伝えているかは判断しかねるが、このまま戻らない、という選択肢はなかった。
そして、戻る為の障害も、もはや無い。磐舟は生まれ変わり、ヒルドルブへと進化を遂げたのだから。
「そう…じゃな。名残惜しいことじゃが…しかし河城よ、この物部布都、受けた恩は決して忘れん。これを渡しておく」
すっかり乾いたまま放置していた上着とスカートを身につけ、髪の毛をいつものポニーテールに縛ると、布都はスカートのポケットから、小さな、白磁の皿を取り出して、にとりに手渡した。
「皿…?」
「うむ。もし何かあれば、これを割るといい…何時なんどき、何をしていようとも、駆けつけようぞ」
「はは、便利なものだね。てっきり、頭に乗っけてみよ、とか言うんじゃないかと思ったよ。私はちょっと、河童らしくないかも知れないからねえ」
月が照らす河原に、丹田エンジンの音が響き渡る。
今までとは明らかに違う、伸びのある低音と、逆に全く振動を感じないシートの感触を味わいながら、布都は操縦席から身を乗り出し、声を張り上げた。
「本当に世話になった! かたじけない!」
「ああ、今度は酒でも飲もう!」
「我は下戸じゃがな! それでもよければ!」
その言葉を受け、にとりは満面の笑顔を浮かべ、ぐっと、親指を立てて見せる。
布都もそれに倣い、いつものドヤ顔で、サムズアップを返す。
そして可変型ν磐舟・河童&仙人カスタムヒルドルブ風味は、ゆっくりと浮き上がり、下流へと舳先を向けた。
「さぁ行くぞ磐舟よ…今お主に、魂を吹き込んでやる!」
一方、豊聡耳家…
「だから、私一人でいいって」
「でもさー屠自古ー、布都のいるとこ、わかるのかー」
「わからないけど…伝話じゃ川の音が聴こえたからな、つまり川沿いで事故ったってこった…その事を踏まえて探せば見つかるかもしれないだろ」
「なるほどー。まあ私はなー、皆の匂い、判るぞー。布都は抹茶みたいな匂いだー。太子様は香木、青娥は花、屠自古は線香かなー。凄いだろー?」
「犬かよ」
結局、神子も青娥も帰宅しないという旨の連絡があり、屠自古と芳香は、二人で夕飯をとることにした。
それはよかったが、しかし芳香が、布都がいなければ食事をしない、と言い張るので、屠自古は仕方なく、布都を探しに行く事になった。
これが今、二人が家の前で話し合っている状態に至るまでの、経緯である。
折角用意した食事を、食べないのは勿体無いし、また芳香を放っておけば、一人で探しに行ってしまうかもしれない。また、食う事が何よりも好きな芳香が、自らその様なことを言い出すのは初めてであり、流石の屠自古も折れざるを得なかった。
あそこまでの口喧嘩をしておきながら、結局は探しに出るということで、屠自古にはそれがむず痒く、そして照れくさくもあったが、彼女は布都よりも、物の分別はつく。
意地っ張り同士の喧嘩は、大抵神子の仲裁により鎮まるのだが、それ以降の、当人同士での手打ちでは、屠自古が先に頭を下げるのが常だ。
プライドが無い訳ではないが、争うことの不毛さを、より本能的に理解しているのは、紛れも無く屠自古であり、それは彼女の、隠れて美点でもある。
大人である、と言い換えてもいい。
「んじゃいこー」
「判ったわかった、お前は上から見張れ、私は下だ」
「おーう」
二人はそう言うと、目の前に続く山道を下り始める。
しかし次の瞬間、二人の耳に、遠くから、聞きなれた音…それによく似た音が届く。
「屠自古」
「ああ…磐舟のエンジン音だ。あの馬鹿」
屠自古は鼻の頭を掻きつつ、歩みを止める。芳香もまた、ぴょん、と嬉しそうに、跳ねる。
どうやら、豚汁と豚肉の炒め物の、説得力のある夕食が、無駄になることは避けられたようだ。
だが一つ、気になる点があった。
エンジンの音は地を這うのではなく、どうも、上空から聞こえてくるように思える。
「上…?」
磐舟は水陸空、そのどれにも対応していて、空を飛ぶ事も可能であるが、布都は「空を飛ぶのは非常に疲れるし舟としてそれはどうなんじゃ?」と、陸を爆走する舟を棚に上げた、トンチキな持論を常日頃から口にしている為、磐舟が空を舞うことはまずなかった。
ましてや事故って、どんな状態なのかも判らない磐舟と布都が、呑気に飛翔するくらいの余裕があるとも思えない。
屠自古は上空を見上げ、右、左、後方と見回すが、音はすれど姿は見えず。当然、地面を走ってもこない。
「どこだ?」
「んー…? 匂いはするのになー…」
エンジン音が肉薄し、屠自古と芳香の立つ門前に、凄まじい風が巻き起こる。
吹き降ろされるその風圧に、屠自古と芳香は、はっと、真上を見た。
「え」
「ウオオオオオオオ逆噴射ボタンが判らぬぅううううう!」
ずどん、と、轟音が響き、瓦の割れる音、柱のへし折れる音、家財が吹き飛ぶ音、そして布都の叫び声とないまぜになって、辺りは地獄の様相を呈した。
それらが治まった後、屠自古と芳香の目に映ったものは、家の屋根に、後部座席の辺りまで突き刺さり白煙を上げる磐舟と、投げ出されて物干し竿に引っかかった、物部布都の姿であった。
古代日本の技術者達の魂と、タオの力…そして河童のオーバーテクノロジーの結晶である磐舟と、その操縦者は今、豊聡耳家を半壊させて、帰ってきた。
立ち上る白煙は、いつか空に届いて。
「ウオオオオオてめぇ布都ォオオオオオオ!」
「だ、だから故意ではないと何度言えば!」
「そういう問題じゃねえんだよこのファッキンアスホール皿野郎がァアアアアアアア! 神子様の部屋全壊じゃねぇかゴラァアアアアア!」
「だ、だからそれも何とかすると言うておろうが! 劇的ビフォーアフターのノリでやるので、お主はサザエさんみたいな声でナレーションを頼む!」
ピンポイントで破壊された神子の部屋の前で、屠自古は先ほどとは比べ物にならない位の勢いで、布都を揺さぶる。
神子の不在がせめてもの救いだが、だからと言って事態が好転するはずもない。布都は工具箱を指し示し、屠自古を何とかなだめようとするが、半狂乱になった屠自古がそんなもので治まる筈も無く、遂には雷雲までが発生し始めていた。
「あーもう! あー畜生この野郎、どうすんだよ! 一晩で直るのかよ! 直せんのかよ!」
「しんぱいむよう、磐舟はこのままインテリアと称し、周りを直せばよいのじゃ。太子様はあれで新しモノ好きじゃからな、きっと斬新と言って褒めてくれよう」
「くッ…ああくそ、しゃあねえ、やるしかないか…おい芳香、お前も手伝えよ、いいな!」
屠自古は観念したのか、布都の尻を思い切り引っぱたくと、腕まくりをして、工具箱を手に持つ。
布都を叱責するよりも、まずはこの事態の収束である。しかし芳香はあたりをきょろきょろと見回しながら、鼻をひくつかせている。
「おいどうした芳香、豚汁は夜食に食わせてやるから!」
「…香木の匂いがするー」
「えっ」
「フハハただいま帰りましたよ皆の衆ー! 以和爲貴ー!? ひっく」
この後、仕置きの十七条拳法フルコースが炸裂したのは、最早語るまでもあるまい。
布都の絶叫もまた、天に届いたのであった。
~おわり~
夏真っ盛りである。
照りつける太陽がもたらす熱は、室内であっても容赦なく、人々の体力気力を奪う。
だがそれは、あくまで肉体を持ったものに対してのことであり、怨霊である蘇我屠自古にはまるで関係の無いことであった。
屠自古は涼しい顔で、取り込んだ洗濯物を丁寧に畳み、仕分け、各々の部屋へと置くと、ふう、と息をついた。
いつもフラフラと遊び歩いている青娥をはじめ、座椅子になるか食べ残しを処理するか、くらいにしか役に立たない芳香、放火と運転しか能の無い布都というボンクラーズを擁する豊聡耳家が、破綻せずに切り盛り出来ているのには、この屠自古の存在が大きい。
無論彼女とて、そういった家事全般が得意というわけではないが、他にそれをする者がいないのでは仕方が無い。もう一人、手の空いている者がいるにはいるのだが、恐れ多くも聖人であるその人に、洗濯やごみ捨て、トイレ掃除などを頼むという度胸は、屠自古にはない。
「さて、と…どうするか」
屠自古は傍にあった麦茶をぐっと飲み干し、そう独りごちた。
日は若干傾いてはいるが、夕食の準備にはまだ早い。そもそも、この豊聡耳家は、食事をせずとも深刻な問題にならない者達の集まりでもあるから、そこはあまり悩むことはないのだが。
屠自古は畳に寝転がり、本棚へと手を伸ばした。布都が入手してきた大量の本…八割方は漫画であるが…を何冊か手に取り、ページをめくる。
「「マスター、バスターロックです」「なぁに、こっちにだってあるさッ」」
「「解体しろジジイ!」」
「「きさまは電子レンジに入れられたダイナマイトだ! メガ粒子の閉鎖空間の中で分解されるがいい!」」
癖なのか、屠自古は台詞を読み上げながら、ページをめくる。
実際、そうすることで、漫画家が精魂込めて世に送り出した作品を、より深く楽しめるという節もあるので、あながち悪いことであるとも言えない。
屠自古はぶつぶつと、あるいはノリノリで、台詞を読み上げていく。
「「おまえはそこでかわいてゆけ」」
「「やる…ねェ…」」
「「心配無用! 術にはまりしは異形どもの方!」」
少年誌、その往年の名作の数々を拾い読みし、また音読していると、ふと、冷たい空気が感じられた。
怨霊である屠自古が、気温の変化を感じることはないが、それはおそらく、その元が放つ霊気なのであろう。屠自古は漫画を傍らに置くと、首を捻って、部屋の入り口を見た。
「屠自古、さっきからなにぶつぶつ言ってんのー」
「よ、芳香…?」
いつからそこにいたのか、あるいは初めからいたのか…それは判らないが、ともかく、青娥の作り出した僵死である、宮古芳香が、いつものポーズで立っている。
思考能力に乏しく、感情の触れ幅も大きくない芳香であったが、心なしか、その視線は冷たい。屠自古は若干狼狽しつつ漫画を戸棚に戻し、改めて芳香を見た。
「本読んでたのかー」
「そ、そうだよ。暇だったんでね」
「まだ晩御飯には早いもんなー。たいしさまもいないし」
ゴキゴキと関節を鳴らし、芳香がぺたりと座る。屠自古は一人芝居と取られてもおかしくない朗読劇のことを、芳香の興味から逸らそうと、コップに麦茶を注いで、芳香の前に置いた。
「青娥はどうした?」
「どっかいった」
「…そうか。ほら、饅頭を食え」
またもゴキゴキと関節を鳴らし、芳香が差し出された饅頭手に取り、包みごと口に入れる。
屠自古もずずっ、と麦茶をすする。
会話が続かない。脳が若干不自由な芳香が、積極的に話しかけてくることはないし、屠自古も芳香に対して、どんな話題を振って良いものか、考えあぐねているようだ。
どうしようも無くなった屠自古は、座布団を引き寄せ、枕にすると、そのまま大の字…いや、カタカナの「ナ」の様になって、寝転がった。
「寝るのー」
「あ、ああ、何かあったら起こしてくれ…」
ちりん、と、風鈴が涼やかな音を鳴らした。
ここで少し、時間と場所を移す…。
古代日本の技術者達の魂と、タオの力の結晶である磐舟が、凄まじい速度で川沿いを走っている。
搭載された丹田エンジンは絶好調のようで、心地よい振動とエクゾーストでもって、それを証明している。
そしてその運転手である物部布都は、トップギアに入ったままの速度を維持しつつ、満面の笑みを浮かべていた。
以前、慧音にキズモノにされた磐舟であったが、布都の入念な補修の結果、新品同様に生まれ変わっている。そのテスト走行を兼ねて、布都は今、妖怪の山へと続く河原を走っているのだ。
時折、何事かとこちらを見る、あるいは追ってくる妖怪達もいるが、磐舟の速度には追従できない。
「ふふン…貴様らに足りないもの、それは~情熱思想理念頭脳気品優雅さ勤勉さ!そしてェなによりもォ! 速さが足りない! あとタオも!」
どこぞの兄貴の様な台詞を吐き、サングラスをくいっ、と直すと、布都は限界までアクセルを踏み込む。
ほぼ直線であるこの河原は、障害物も少なく、スピードマニアにはたまらないコースと言えるだろう。豊聡耳一家の足として使っている時には到底出せない速度を体感し、布都のテンションはレッドゾーンへと突入していた。
「フフフ…ハハハ! 時速は凡そ200km/hってなところじゃな! 今の我は女豹…幻想郷を"疾走"(はし)るキラーパンサーと言ったところか…よい、良いぞ…スピードの向こう側って奴を、この目で…!」
相も変わらずトンチキな脳ではあるが、スピードを追い求める心は真摯であった。布都は片手で印を切ると、指先を前方に向け、霊力を解放する。
タオによる術式が練り上げられ、磐舟の前方に、光り輝く道のようなものが形成されてゆく。
「タオ」という概念にそんな用法があるのかどうかは判らないが、その道に乗った磐舟は、更に爆発的な加速を見せた。
「F-MEGAァアアアアアア!!!!!」
トンチキは意味の判らぬ雄たけびを上げ、今、スピードの向こうへと…
が、その瞬間である。
「!?」
前方およそ20m、腰の高さ程の茂みから、一人の幼女が飛び出してきた。
「ゲェー歩行者!」
とびだすな くるまはきゅうに とまれない
とは言うが、これはあくまで、車の存在する社会での標語であり、車と言えば大八車やリヤカー、牛車の類しか存在していない幻想郷においては、さしたる意味を持たない。なお磐舟は車じゃないだろう、という突っ込みは受け付けておりません。
布都は電光石火の速さでブレーキを踏み込み、ハンドルを左に切りつつ、サイドブレーキも引き上げる。
磐舟は凄まじいドリフトをしつつ、幼女の手前、わずか1mほどの所をかすめ、小さな岩に乗り上げて一回転したのち、川の中央にあった巨岩に激突し、ようやく停止した。
猛烈なクラッシュを目撃した幼女は、その場にへたり込み、言葉も無く、ただ磐舟を見つめることしか出来ないでいた。
暫しの間を置いて、白煙を上げ、大破した磐舟の中から、布都が飛び出してくる。
「ドゥエーーーイ! う、ウオオ…サングラスが無ければ即死じゃった…」
「あ…あ…」
速度200kmオーバーであれだけのクラッシュをすれば、常人なら一瞬でミンチよりひでぇや、な状態になってしまうのだろうが、そこは尸解仙な上にコメディの登場人物である。
だらだらと血を流しつつも、布都はよろよろと、二、三歩、パンチドランカーの如く歩いて、幼女の前に座り込んだ。
「い、いてーにゃー…こいつぁ物部の歴史においても最大級のクラッシュじゃぜ…おっと、ぬ、主、怪我は無いか?」
「あ…うん…ちょっと、膝、擦りむいただけ…」
「ぬ、それは済まぬ…! 痛くないか? 他に怪我は?」
「だ、大丈夫…」
布都は流れる血もそのままに、幼女の膝に指先を当て、目を閉じる。
青白い光が、幼女の膝を包んだかと思うと、小さな傷はたちどころに塞がり、跡すら残らず平癒した。
「これで良い。すまんな、まさか飛び出してくるとは思わなんだ、許してくれ」
ニゴォ…と笑い、血に染まった右手をスカートの裾で拭いたのち、布都は幼女の頭を撫でた。
既に人ならざる領域へと到達している布都であったが、人間としての心は失っていないようである。己の命と同じくらい大事な神子、それとほぼ同等と言っても過言ではない磐舟の状況よりも、まず幼女の心配をするところに、その優しさが垣間見える。
幼女ははじめ、怯え、言葉を失っていたものの、布都のその様子を見て、ようやく喋りだした。
「おねえちゃん、怪我…」
「ふむ、この程度どうということは無い…人体には200以上の骨があるので、何本か折れても平気ってサラ・コナーが言ってたじゃろ? 例え頭蓋が砕けても、200分の1じゃ、安心せい。見ておれよ、我が風水力(ふうすいちから)に不可能など無し…ホォオオオオオ」
そういう意味でサラ・コナーも言った訳でもあるまいが、ともかく立ち上がった布都は、例の立ち絵の如きポーズをとって、瞑目した後、奇妙な呼吸を始める。
それと共に、クラッシュした際にほどけたロングヘアがざわざわと逆立ち、力が渦巻く。
「あ、キタ! これキタ! キちゃってるんじゃい! よし! このまま行く! バイタルチャージ! そして深呼吸からの…も、の、の、べぇ~」
何がキているのかは布都以外には判らないが、とにもかくにも、布都は拳を振り上げ、大きな声で、「ヨッシャ!」と叫ぶ。
渦巻いた力が収束し、青白い光を放つ。幼女はもの凄い圧力に耐えつつ、じっと事の顛末を見守った。
そして、光が弾ける。
と、同時に、布都のこめかみの辺りから、猛烈な勢いで、鮮血が噴出した。
「ひ!?」
「は…オ…?」
更に、少し間を置いて、両目、鼻の穴、両耳、そして口から、大量の血が迸る。
三流の怪談などでよくある、目から血を流す人形…今の布都を例えるならば、それ以外に無い。
「ひ…ひぃいいいいい!」
「あばばば、え、えーとこれはアレじゃ、違うのじゃ、えーと、どこぞの大陸に伝わる、命がけの一発芸! その名も『七孔噴血(しちこうふんけつ)』というものじゃ! どうじゃ、和んだであろう? ユーモアたっぷりであろう? これは酒の席でも存外に好評でな、上司に至っては、「ハハハまた布都が血まみれだ。血のバレンタインとはよく言ったもの、ザ・フトだけに」などと言ってそれはもうバカウケしてくれる鉄板のネタであり…お、おい童! 何処へ行く! これは血ではなくてただの水でありフィクションで、ええとその…」
「ひぃいいいいいいいいいいいいい!」
チョコレートではなくブラッドでファウンテンと化した布都の姿を見て、幼女は一目散に駆け出し、茂みの中に消えてしまった。
まあ、無理のないことであった。例え大人であったとしても、こんな凄惨な光景を見れば誰でもそうするだろう。
出血のショックと、幼女の逃走、その二重の衝撃を受けた布都はふらふらと、二、三歩後ずさると、その場に大の字に、倒れてしまった。
「あ…お空…きれい…」
そして再び、豊聡耳家…
イマカラーアイツヲー コレカラーアイツヲー ナーグリニーイコウカー
ナ、ではなく漢字の七の様な格好で寝ていた屠自古が、机の上にあった帽子から発せられる、軽快なメロディと振動を感じて飛び起きる。
「ファッ!? おふ…で、伝話か…」
チャゲ&飛鳥の名曲をバックに、屠自古は目をこすりつつ、帽子を手に取り、巻きついている紐を手に持ち、開いた部分を耳に当てた。
神子が暇つぶしにと、霊力とタオとインスピレーションでメイクイットポッシボーした結果生まれた最新鋭のひみつ道具、それが「伝話(でんわ)」である。
巻きつけられた紐を、定められた相手の持つ伝話機…帽子であったり耳当てであったり羽衣であったりと形は色々だが、ともかく相手の持つそれに割り当てられた受信周波数の数だけ引っ張ることで、会話することが可能となる、素晴らしいデバイスである。
こちらが受信する場合においては、ただ単に紐を一度引けばいい仕組みであり、屠自古はゆっくりと紐を引っ張る。
「はい、蘇我ですが」
「はァ…はァ…ッハァ…ハァ」
「…うん?」
伝話の性能はお世辞にも良くなく、音量、音質の調節はできない。何処か、別の場所から聞こえてくる息遣いは、上ずっていて、誰であるかも判別不可能であった。
「もし? もっしー? 聴こえてる?」
「ハァハァ…ねぇ…」
「あ、聴こえてる? 誰? 神子様? 青娥? 芳香? 布都?」
「ハァ…ハァー…オハァ…ねぇ…」
誰であるか名乗らず、ただ薄気味の悪い息遣いだけを送ってくる相手に、屠自古は眉をひそめる。悪戯の類か、あるいは魑魅魍魎の類か…だがそんなものを恐れる屠自古ではない。彼女は大きく息を吸うと、大声で叫んだ。
「誰だってんだ!」
「ホッヒヒ…女の子だよねえ…歳は二十歳前、身長は150cm代後半くらい…おっぱいは結構大きめかなァ…ハァ…ハァ…」
「…ハァー? 何言ってんだ、お前」
「ンフー…フー…ァアー…ねぇ、パンティーの色は何色ォ…?」
「はァ…?」
所謂ところのアレであるが、屠自古にとっては初めての遭遇だ。まさか伝話口の向こうで、アレな趣味の持ち主がアレしてナニしているとは思うまい。
要領を得ない受け答えをする相手に、もともと短気な屠自古の周りに、雷雲が立ちこめ始める。ゴロゴロと、今にも落雷しそうな雲を追いやり、屠自古は口を開く。
「何だてめェ、パンツ? パンツっつったのか?」
「何色かなァ~? 声の感じからピンクか水色かなァ、デュフ…もしかして黒とかかなァ、ヌフー」
雷雲は更に密度を増し、青白い光を含む。屠自古はもはやそれを払おうともせず、深呼吸を一つして、伝話口に口を近づける。
「…履いてねえよ!」
「は、履いて…!? ちょ、詳しく」
「履けねぇんだよこの野郎! 足がねぇんだよこの野郎! 怨霊ナメんなコラ! 呪われろ!」
言うに事欠いて、女性の下着の色を問うとは何事か…屠自古は威勢のよい啖呵を切ると、そのまま帽子を壁に叩き付けた。
通話は終わり、風鈴の音だけが空しく響く。
「ったく…何処の馬鹿だよ」
吐き捨てる様に言い、屠自古は袂から取り出した煙草に火を点ける。他の者がいる時には吸わないが、葛城の地でブイブイ言わせていた元ヤンだけに、怨霊となった今でも喫煙はやめられないらしい。
しばし、紫煙をくゆらせ、中庭を眺めていた屠自古であったが、そんな豊かな時間を邪魔するかのように、再び帽子が振動を始める。
「またかい…」
屠自古は煙草を灰皿で揉み消すと、部屋の隅に転がった帽子を手に取り、紐を引いた。
「はい、蘇我」
「おお、屠自古か! わ、我じゃ! 我我! 我だけど!」
今度は良く聞こえ、また音質もよい。伝話口の向こうから、聞き覚えのある声が大音量で響き、屠自古は思わず帽子を耳から遠ざける。
「…っせえな…我ってどこの我だよ? 我我詐欺って奴か? あ?」
「ええい、幻想郷広しと言えど我っ娘など我をおいて他にいなかろうが! それよりも屠自古、大変じゃ! 大変なのじゃ!」
「うるせえな! うるせえよ! じゃーじゃーうっせえよ! 麺かてめぇは!」
わだかまりはもう無いとは言え、布都と屠自古は基本的に性格が違い過ぎて、些細なことでも口論になる。先ほどのパンツ伝話で血圧の上がった屠自古からしてみれば、名乗りもせずいきなりじゃーじゃーと、どこぞの姫の如く喚く布都に、我慢ならないという思いが生じるのも無理はない。
すっかりヤンキー時代の口調に戻った屠自古は、机をばんばんと叩きながら、布都との舌戦の戦端を開く。
「わはは、ジャージャー麺とは上手い事を言うなお主。と、そうではない! 良いから聞けいと言うに!」
「ああ畜生、この野郎ファッキン皿野郎、言えよ、聞いてやるよ。ただしくだらねー事だったら後で血ィ見るぞ、よく吟味して喋れよ皿野郎!」
「うむ、事故った」
「ざまあ!」
「ぐッ…そこは心配するのが友人というものじゃろうが…」
「知るかボケェ! 大方、磐舟を飛ばし過ぎてそうなったんだろうが! ざまぁ見さらせ! 神子様がいつも安全運転を心がけよと言ってたのにそのザマか! だせぇな布都、このダサ坊が! 不運(ハードラック)と踊(ダンス)っちまったってワケだ! ざまぁ見ろ!」
「た、確かにその通りじゃが…まさかあんな、人気の無いところで、人が飛び出してくるとは思わなかろうもん…」
「ぶはははは! 知るかってんだよ! どうせ速さが足りないとか叫んでて、前方不注意してたって感じだろうが! お前に足りなかったのは注意力だ! ざまあねえな!」
机を引き続きばんばんと叩き、屠自古は嘲笑混じりでそう叫ぶ。調子に乗った布都が、ローンの終わった磐舟を調子ぶっこいて飛ばしていたら、調子ぶっこき過ぎて事故ったなどと聞いて、我慢できるはずもない。
ひとしきりゲラゲラと笑った屠自古は、煙草に火をつけ、意地の悪い笑顔で、伝話の向こうの布都に尋ねた。
「んで? どうすんだよ布都チャン、歩いて帰ってくるか? そもそも歩けんのか? いいんだぜ、神子様には上手く言っておいてやるよ、布都は神子様の圧政に耐え切れず、遣隋使になってそのまま隋にエクソダスしてしまいましたって感じでなァ!」
「よ、よせ! その、何じゃ…出来ればレッカーを回してくれると助かるのじゃが…ああJAFでも可」
「あァ!? 馬鹿かてめぇ、この幻想郷にんなもんあると思ってんのか! てめぇでどうにかしろランチプレート野郎が! 帽子にホカホカご飯詰めてやろうか!?」
「ぬ、ぐぐ…貴様…黙っておれば付け上がりおってからに…もう頭に来た! 貴様にはもう頼まん! 自分でどうにかして帰ってやるわ! そしたら覚えておけよこのエロ大根! かなり痛くぶつ!」
「エ、エロ大根だァ…!? 上等だぜダサ坊、私の雷属性の左で迎撃してやるよ! まぁそれも無事帰って来れたらの話だがなァ! じゃあな皿野郎、達者で暮らせ」
売り言葉に買い言葉、口喧嘩での応酬を終えると、屠自古は先ほどと同じように、帽子を壁に叩き付けた。
ニヤニヤと、先日皆で観賞した、「アウトレイジ」における椎名桔平の様に笑いつつ、屠自古は無言で煙を吐き出し、煙草をもみ消す。
布都が己にした事を考えれば、これくらいの応対をしてもまだお釣りが来るだろう。屠自古はそう納得し、溜飲を下げると、座布団を引き寄せた。
「…さて、と。もう一眠りすっか…」
「今の、布都?」
「ウォオイ!? いたのかよお前!」
どれくらい昼寝していたのかは定かでないが、とっくにいなくなっていたと思っていた芳香の声に、屠自古は慌てて飛び起きる。
芳香は叩きつけられた帽子を拾い上げると、それを屠自古の前に置き、座り込んで、じっと彼女の目を見た。
何か、非難しているような、そんな風情の目にも見える。
「な、なんだよ」
「…布都、困ってるんじゃないのー」
会話の内容から、察したのだろう。芳香は首を傾げつつ、そう呟く。よもやこの僵死、脳まで壊死しているような存在に、そんな事を指摘されるとは思っていなかったらしく、屠自古は明らかに困った様子で、そっぽを向く。
実際そうだったとして、だから何だと言うのか。あいつが勝手に事故っただけだ…そう言えばいいのだろうが、芳香の目は、己の心の奥深くまでを見透かしているようにも思えて、どうにも居心地が悪い。
「い、いいんだよ、あんな奴…ほっとけ」
「…ほっといていいの?」
「いいんだよ! 生きてりゃ歩いてでも飛んででも帰ってくるんだから!」
語気を強め、吐き捨てる様に屠自古は言い、そしてタオルケットを引き寄せると、芳香の目を見ないようにして、再び寝転がった。
ちりん、と、風鈴が鳴る。
再度、物部布都。
「ええい、あの説得力に欠けるでんきタイプの怨霊めが! 覚えておれよ、ハマ、ハンマ、マハンマ、ハマオン、マハンマオン…」
出血は治まり、傷も平癒していたが、血で汚れた服はどうにも見栄えがよくない。布都はさらしにパンツというあられもない格好で、川の中に入って、ざぶざぶと衣服を洗っていた。
口をついて出てくるのは、屠自古への悪口である。冷静になった今、改めて考えてみれば、屠自古がああいう反応をするであろう、ということは、容易に想像できる。しかしあの時、真っ先に思い浮かんだのは屠自古の顔であり、彼女ならばあるいは、どうにかしてくれるのではないか、という思いがあった事を、否定することはできない。
しかし、結果は先ほどの罵倒である。神子や青娥にではなく、まず屠自古に連絡を取ってしまった己の迂闊さと、屠自古の反応を思い起こすと、無性に悔しくて、気持ちがざわつく。
「ええい! ええい! 白いものはより白く! 色ガラものはくっきりと!」
そんなダウナーな気分を振り払うように、布都は衣服をぎゅっと絞り、傍にあった岩へと打ち付ける。
ぱぁん、と小気味良い音が、静寂を打ち破った。
暫しの後、洗濯を済ませ、木の枝に衣服を引っ掛けた布都は、大破した磐舟の前に座り込んで、はぁ、とため息をついた。
要である丹田エンジンは、RR車…いや、舟である磐舟の後部に搭載されていた為無事であったが、運転席は完全に大破してひしゃげており、ハンドルやアクセル、クラッチ、サイドブレーキなどは見る影も無い。砕け散った芳香剤の香りだけが、空しく漂う。
こうなってしまっては最早、廃車…という選択肢以外に道は無いように思える。だが今まで、色々な思い出の供として側にあった磐舟を、こんな寂しい所で朽ち果てさせるというのは、あまりにも残酷すぎた。
布都はずずっ、と鼻をすすり、そしてまた、ため息をつく。
「はー…どうしたもんかのう…」
この手の機械に詳しい友人がいるでもなく、また新車を買うような余裕も無い。
夏の空は青く澄み渡り、雲ひとつ無い。布都は再び大の字になって寝転がると、ありったけの声を振り絞って、意味の判らない叫び声を上げた。
と、そこに、陰がさす。
太陽を遮った何かを確認すべく、布都は首を捻って、それを見た。
「…大丈夫かい?」
青い衣服に帽子、背にはリュックを背負った、少女がそこにいた。
布都はゆっくりと上体を起こすと、改めてその少女を見る。歳の頃は十代半ばといったところか、布都とそう変わらないようにも思える。
そして、先ほど逃げていった幼女が、その青い少女にすがり付くようにして、こちらを伺っているのも確認できた。
「…大丈夫かと聞かれれば、大丈夫であるような、そうでないような」
「結構、平気そうだね。この子の話だと、何だか血まみれで意味わからんこと言ってたらしいからさ」
布都はすっくと立ち上がって、ぱんぱんと尻を叩く。その様子を見た二人は、安堵したかのように微笑み、布都の言葉を待った。
「ぬ、お主は先ほどの…そうか、人を呼んでくれたのであるな」
「け、怪我してたから…」
「なるほど、恩に着るぞ。しかし見よ、この瑕疵一つ無いパーフェクトアイアンボディを! タオを極め風水を究めた我にとって、あの程度のダメージなど」
くるくると回り、起伏に乏しい残念アイアンボディを披露する布都に、二人は顔を見合わせ、今度は苦笑する。
そして青い衣服の少女は、布都の後ろにある磐舟に近づき、それをしげしげと見回し始めた。
「これ、どっかで見たような…どこだったか」
「む? 主、磐舟を知っているのか?」
「ああうん…君さ、以前…G-1に出たことなかった?」
妖怪の山を牛車、あるいはそれに準じる乗り物で疾走する催し…G-1グランプリと呼ばれるそれの名を聞き、布都は少女の顔と、大破した磐舟を見比べる。
確かに以前、神子の発案で、一度だけ参加したことがある。あの時はAT免許しか持たない神子が、MTである磐舟に乗り込み、発進することすらままならなかったが…布都はそれに伴う記憶を探り、そしてぽん、と手を叩いた。
「お主確か、妙ちくりんな車で参加しておったのう!?」
「やっぱりか。私は河城にとり。でも君、トヨサトミミさんじゃないよね?」
「トヨサトミミは上司じゃ。我は物部布都という」
「モノノベさんね…なるほど。しっかし、派手にやったもんだ」
にとり、と名乗った少女は、クラッシュして未だ白煙を上げる磐舟のボディをさすりながら、そう呟く。素性を推し量ることは出来ないが、その表情はどこか、つらそうだ。
「ごめんなさい…」
「主のせいではない。我が調子こいてぶっ飛ばし過ぎたのがいかんかったのじゃ…それより河城と言うたな…いきなりで何じゃが、お主、G-1に出ていた時の車、まだあるのか?」
沈痛な面持ちで俯いた幼女の頭を撫でつつ、布都はにとりにそう尋ねた。
にとりはふむ、と顎に手をやり、改めて、布都を見つめる。
何という巡り合わせだろうか。あの時の少女ならば、あの車を所有しているかもしれない。ウィンチか何かでレッカーして貰えれば、磐舟を自宅まで運ぶことも出来るだろう。
布都は頬を紅潮させ、にとりの言葉を待つ。顔にはありありと、期待、の二文字が浮かんでいる様にも思える。
「あるにはあるけどね、あれはそんなに馬力があるわけじゃあ、ないんだよね。レッカーしてあげたいのはやまやまなんだけどさ…この舟、SUV(スポーツ・ユーティリティ・ビークル。スポーツ用多目的車)くらいの重さはありそうだし、車輪もついてない。さすがに、引きずって行くのは無理かな」
しかし現実とは非情なもので、にとりはあっさりと、そう言ってのけた。彼女の申し訳なさそうな顔を見て、布都の表情も、一気に暗くなる。
だがにとりは、そんな布都を見て、三度、笑顔を見せた。
「まぁ話は最後まで聞きなって。私の車じゃ確かに運べないけれどもさ、今ここで、これを修理してあげることは出来るかもしれない」
「…なに」
「見た所、エンジンは無事みたいだし、造りそのものは極めて単純だ…何せ、岩で出来てるからね。そして見てごらん、この辺りには良質な岩がゴロゴロしてる…私の工具なら、削り出すことも出来る…つまり?」
それはまるで夢のような、現実離れした話であった。
にとりは大破した今の舟体から、エンジンを取り出し、新たに削り出したボディに搭載させるという旨を言っているのだ。
にわかには信じられないことだ。しかし今の布都にとって、それに縋るしか無いのもまた、事実である。
「で、出来るのか、そんな事が…?」
「多分、ね。自信はある。ただ私も、完璧な生き物じゃあない…もしかしたら、取り返しのつかない事になるかもしれない。だから、君が決めるんだよ、物部布都」
謙遜するように言うにとり。その言葉に、布都は是非も無く、首を縦に振ろうとしたが、すんでの所で踏みとどまる。
過去に一度会っただけの人物に、そこまでしてくれる理由は何だろうか。親切からの行いであれば、それで良い。
だが、何か、含む所があるのだとしたら?
邪な考えを持っているのだとしたら?
疑うことはしたくない。だが己の不注意で、この様な事態になって、そしてまた再び、不注意から、事態が悪化しないとは言い切れない。
布都はすぅ、と息を吸うと、口を開いた。
「とても、有難いことじゃ。だが、何故…そうしてくれる?」
「うん…? ああ…なるほど、そりゃあ、そうだね。殆ど初対面の君に、私がそうまでしてやる義理は無いね…確かにそうだ」
気を悪くしてしまったろうか。布都は申し訳無いと思いつつも、続く言葉を待つ。
にとりはそんな布都と、傍にいる幼女を見比べて、人の良さそうな笑顔で、言葉を紡いだ。
「この子はね、私達一族の、偉い人の娘さんなんだ。本来なら、この子を危険な目に遭わせた君に、何がしかの報いがあってしかるべきだが…君は逃げも隠れもせず、この子を気遣ったんだろう?」
「逃げも隠れもせんわ、そこまで腐ってはおらぬ」
「うん、だからそれでいいと思う。禍根も借りも無い…なら、私は私の良心に従って、君の舟を直してやりたいってだけさ…それにこの子も、そうしてくれって言う。どうするね?」
そう言ってはにかみつつ、にとりは手を差し出してくる。その笑顔に、もはや裏などあるまい。
疑ってしまった己の心を悔いつつ、布都は心から微笑んで、その手を強く、握り返した。
「っしゃあ! んじゃ物部さん、まずはエンジンを外そうか! 正直どんなもんか判らないから、慎重に行こう」
「よ、よし…待っておれ!」
仙人と河童の急造よろしくメカドッグが、今ここに結成された。
吹き抜ける風は爽やかで、空はどこまでも青い。
「このエンジンはじゃな、我の持つタオの力、そして風水力を何倍にも増幅して動力とするのじゃ」
「化石燃料で動いてる訳じゃないのか…すごいね。つまり君の力が続く限り、走るって訳か…なるほど」
「一説にはイレーザーエンジンや縮退炉をも上回る…つまり最高出力、我次第!」
「なるほどなるほど…道理で何処にも繋がって無いわけだ…エンジンルームの内側には…術式かな、これは」
「運転席側の術式からインプットされた我が力により、エンジンは回転し…後尾側の術式から増幅、出力されるという仕組みじゃな」
「あれ? じゃあギアとかアクセルとか要らなくない?」
「あれはまあ気分じゃな」
「気分かよ!」
「さて、次はボディだけど…岩はどれがいいか」
「目星はつけておる。あの花崗岩がマストじゃな」
「ふむ…グラナイトね。加工難度は中の上ってとこか…どうする、折角だし、色々組み込んでみるかい?」
「む? 例えばどんなじゃ? サテライトキャノンとか月光蝶とかEXAMとかサイコフレームとかNT-Dとかか!?」
「いやいや、ガンダムは私も好きだけど…流石にそれは無理かな。そうだね…ロマン溢れる変形機構とか…VTOL(垂直離着陸機構)とかくらいなら、どうにかなるかも」
「で き る の か ! ?」
「やらいでか!」
「ああ暗くなってきた…灯りを点けるか。よっこらせ」
「ランタンか。お主の背嚢、まこと色々入っておるのう」
「まぁね。さて、タンク形態とモビル形態への可変機構はこんなところか…ああ、ドリルの刃先を替えないと…意匠はヒルドルブまんまでいいのかな?」
「無論じゃ。ヒルドルブに憧れぬガノタなどそうはおるまいて」
「私はザメルの方が好きだけどねえ…」
「ふぃー…何とかなったか…」
日が沈み、月が顔を出す頃、それは完成した。
古代日本の技術により生み出された丹田エンジンの心臓を持ち、舟、戦車、そしてモビル形態への可変を可能とした、仙人と河童の技術の結晶である。
油と石の粉末で汚れた顔を洗い、にとりは満足げに、それを見つめる。同じように、布都もν磐舟を眺め、辛抱たまらぬといった風情で、にとりの手を握った。
「素晴らしい…まことに…いくら礼をしても足らぬ」
「はは、手前味噌だけど、上出来だね。あとはコーティングとかその辺だけど、それは私がいなくても出来るはずだよ」
布都の手をしっかりと握り返し、にとりは言う。
まさかあの状態から、修理どころでなく、新生と言っていい程の成果が出るとは思ってもいなかったのだろう。エンジニアとして冥利に尽きる、彼女の目は雄弁に、そう語っていた。
「さて、と。テストドライブと行きたいところだけどもね、この子を送っていかなきゃあならないんだ…君だって家に戻らないといけないんだろ?」
にとりは岩にもたれ掛かって寝息を立てている幼女を抱き上げると、少し、寂しそうに言う。現在の時間は判らないが、日が落ちてから、結構な時間が過ぎていた。
布都が家を出たのも、正午過ぎであり、きっと神子や青娥も帰って来ているだろう。先ほどの伝話の件を、屠自古がどこまで伝えているかは判断しかねるが、このまま戻らない、という選択肢はなかった。
そして、戻る為の障害も、もはや無い。磐舟は生まれ変わり、ヒルドルブへと進化を遂げたのだから。
「そう…じゃな。名残惜しいことじゃが…しかし河城よ、この物部布都、受けた恩は決して忘れん。これを渡しておく」
すっかり乾いたまま放置していた上着とスカートを身につけ、髪の毛をいつものポニーテールに縛ると、布都はスカートのポケットから、小さな、白磁の皿を取り出して、にとりに手渡した。
「皿…?」
「うむ。もし何かあれば、これを割るといい…何時なんどき、何をしていようとも、駆けつけようぞ」
「はは、便利なものだね。てっきり、頭に乗っけてみよ、とか言うんじゃないかと思ったよ。私はちょっと、河童らしくないかも知れないからねえ」
月が照らす河原に、丹田エンジンの音が響き渡る。
今までとは明らかに違う、伸びのある低音と、逆に全く振動を感じないシートの感触を味わいながら、布都は操縦席から身を乗り出し、声を張り上げた。
「本当に世話になった! かたじけない!」
「ああ、今度は酒でも飲もう!」
「我は下戸じゃがな! それでもよければ!」
その言葉を受け、にとりは満面の笑顔を浮かべ、ぐっと、親指を立てて見せる。
布都もそれに倣い、いつものドヤ顔で、サムズアップを返す。
そして可変型ν磐舟・河童&仙人カスタムヒルドルブ風味は、ゆっくりと浮き上がり、下流へと舳先を向けた。
「さぁ行くぞ磐舟よ…今お主に、魂を吹き込んでやる!」
一方、豊聡耳家…
「だから、私一人でいいって」
「でもさー屠自古ー、布都のいるとこ、わかるのかー」
「わからないけど…伝話じゃ川の音が聴こえたからな、つまり川沿いで事故ったってこった…その事を踏まえて探せば見つかるかもしれないだろ」
「なるほどー。まあ私はなー、皆の匂い、判るぞー。布都は抹茶みたいな匂いだー。太子様は香木、青娥は花、屠自古は線香かなー。凄いだろー?」
「犬かよ」
結局、神子も青娥も帰宅しないという旨の連絡があり、屠自古と芳香は、二人で夕飯をとることにした。
それはよかったが、しかし芳香が、布都がいなければ食事をしない、と言い張るので、屠自古は仕方なく、布都を探しに行く事になった。
これが今、二人が家の前で話し合っている状態に至るまでの、経緯である。
折角用意した食事を、食べないのは勿体無いし、また芳香を放っておけば、一人で探しに行ってしまうかもしれない。また、食う事が何よりも好きな芳香が、自らその様なことを言い出すのは初めてであり、流石の屠自古も折れざるを得なかった。
あそこまでの口喧嘩をしておきながら、結局は探しに出るということで、屠自古にはそれがむず痒く、そして照れくさくもあったが、彼女は布都よりも、物の分別はつく。
意地っ張り同士の喧嘩は、大抵神子の仲裁により鎮まるのだが、それ以降の、当人同士での手打ちでは、屠自古が先に頭を下げるのが常だ。
プライドが無い訳ではないが、争うことの不毛さを、より本能的に理解しているのは、紛れも無く屠自古であり、それは彼女の、隠れて美点でもある。
大人である、と言い換えてもいい。
「んじゃいこー」
「判ったわかった、お前は上から見張れ、私は下だ」
「おーう」
二人はそう言うと、目の前に続く山道を下り始める。
しかし次の瞬間、二人の耳に、遠くから、聞きなれた音…それによく似た音が届く。
「屠自古」
「ああ…磐舟のエンジン音だ。あの馬鹿」
屠自古は鼻の頭を掻きつつ、歩みを止める。芳香もまた、ぴょん、と嬉しそうに、跳ねる。
どうやら、豚汁と豚肉の炒め物の、説得力のある夕食が、無駄になることは避けられたようだ。
だが一つ、気になる点があった。
エンジンの音は地を這うのではなく、どうも、上空から聞こえてくるように思える。
「上…?」
磐舟は水陸空、そのどれにも対応していて、空を飛ぶ事も可能であるが、布都は「空を飛ぶのは非常に疲れるし舟としてそれはどうなんじゃ?」と、陸を爆走する舟を棚に上げた、トンチキな持論を常日頃から口にしている為、磐舟が空を舞うことはまずなかった。
ましてや事故って、どんな状態なのかも判らない磐舟と布都が、呑気に飛翔するくらいの余裕があるとも思えない。
屠自古は上空を見上げ、右、左、後方と見回すが、音はすれど姿は見えず。当然、地面を走ってもこない。
「どこだ?」
「んー…? 匂いはするのになー…」
エンジン音が肉薄し、屠自古と芳香の立つ門前に、凄まじい風が巻き起こる。
吹き降ろされるその風圧に、屠自古と芳香は、はっと、真上を見た。
「え」
「ウオオオオオオオ逆噴射ボタンが判らぬぅううううう!」
ずどん、と、轟音が響き、瓦の割れる音、柱のへし折れる音、家財が吹き飛ぶ音、そして布都の叫び声とないまぜになって、辺りは地獄の様相を呈した。
それらが治まった後、屠自古と芳香の目に映ったものは、家の屋根に、後部座席の辺りまで突き刺さり白煙を上げる磐舟と、投げ出されて物干し竿に引っかかった、物部布都の姿であった。
古代日本の技術者達の魂と、タオの力…そして河童のオーバーテクノロジーの結晶である磐舟と、その操縦者は今、豊聡耳家を半壊させて、帰ってきた。
立ち上る白煙は、いつか空に届いて。
「ウオオオオオてめぇ布都ォオオオオオオ!」
「だ、だから故意ではないと何度言えば!」
「そういう問題じゃねえんだよこのファッキンアスホール皿野郎がァアアアアアアア! 神子様の部屋全壊じゃねぇかゴラァアアアアア!」
「だ、だからそれも何とかすると言うておろうが! 劇的ビフォーアフターのノリでやるので、お主はサザエさんみたいな声でナレーションを頼む!」
ピンポイントで破壊された神子の部屋の前で、屠自古は先ほどとは比べ物にならない位の勢いで、布都を揺さぶる。
神子の不在がせめてもの救いだが、だからと言って事態が好転するはずもない。布都は工具箱を指し示し、屠自古を何とかなだめようとするが、半狂乱になった屠自古がそんなもので治まる筈も無く、遂には雷雲までが発生し始めていた。
「あーもう! あー畜生この野郎、どうすんだよ! 一晩で直るのかよ! 直せんのかよ!」
「しんぱいむよう、磐舟はこのままインテリアと称し、周りを直せばよいのじゃ。太子様はあれで新しモノ好きじゃからな、きっと斬新と言って褒めてくれよう」
「くッ…ああくそ、しゃあねえ、やるしかないか…おい芳香、お前も手伝えよ、いいな!」
屠自古は観念したのか、布都の尻を思い切り引っぱたくと、腕まくりをして、工具箱を手に持つ。
布都を叱責するよりも、まずはこの事態の収束である。しかし芳香はあたりをきょろきょろと見回しながら、鼻をひくつかせている。
「おいどうした芳香、豚汁は夜食に食わせてやるから!」
「…香木の匂いがするー」
「えっ」
「フハハただいま帰りましたよ皆の衆ー! 以和爲貴ー!? ひっく」
この後、仕置きの十七条拳法フルコースが炸裂したのは、最早語るまでもあるまい。
布都の絶叫もまた、天に届いたのであった。
~おわり~
ポケスペ?
何故そのセリフを聖か文に言わせなかったw
ナイスガッツさんの文はたを読みたいと思った今日この頃
磐船ATもMTもないんじゃねえかwwwなんで太子は動かせなかったんだよwww
芳香がなんかの伏線なのかと思ったらそんなことはなかった
> 「ゲェー歩行者!」
ほんとねー、この驚き方に弱いんだ
どうしてもウケる、ウケてしまう
ゆでの呪いと言うか
芳香は霊廟の良心ですね。相変わらずトンガった屠自子かわいい。
どうでもいいようなシーンでキャラが光ってる
こういう感じのをもっと書いてくれると俺が喜びます