『あなたは神様に選ばれました』
そんな文面の手紙が家の郵便受けに入っていたら、まず燃やすべきだろう。
笑い飛ばして、話のタネにするのもいいかもしれない。腹立たしさにまかせて破り捨ててもいいし、悪質ないたずらの証拠として保管しておくのも悪くない。
しかし、霧雨魔理沙にはそのいずれをなすことも叶わなかった。
もちろん、魔理沙がこのメッセージを疑いもせずに、文面のまま受け取ったわけではない。
たしかに彼女は、今までの人生で一歩一歩かたちづくってきたその身に、誇りと自信を持っていた。だがそれは、自分こそ偉大な存在なのだという愚かな思い上がりとはまったく無縁のものだ。あなたの知る通り、彼女は聡明な少女なのだから。
では、なぜ魔理沙はこのメッセージに対して行動を起こせなかったのか。
これには次のような事情があった。
そのメッセージが届けられたとき、魔理沙はちょうど、揚げたてのドーナツを早めの昼食としてつまんでいた。
金色に揚がったドーナツは、油を切るために敷かれた褐色の包装紙の上で、美味しそうに輝いていた。魔理沙は、その小山となったドーナツのひとつをつまみ、ちいさな口をいっぱいに開いて食べ始めた。
揚げ油の香ばしい熱っぽさとグラニュー糖の甘みが、魔理沙の口の中でいっぺんに広がった。ドーナツをつまむ指は、その味わいに夢中になり、彼女に噛みしめる間も与えないまま、ぐいぐいと唇の隙間に押し迫った。
ひとつ分のドーナツをまるまる口に押しこまれ、ふっくらとした赤いほっぺがまるく膨らんだ。そのまま、なんとか飲み込もうと、彼女は口をもごもご動かした。
そのときだった。
魔理沙はとつぜん、なんとも言えぬ息苦しさのようなものを感じた。
喉につまったか。魔理沙はとっさにそう考えたが、すでにドーナツは食道を抜けて、胃に落ちていた。その事実を知って、ようやく強い刺激がどこからやってくるのかを理解した。
それというのも、あるひとつの言葉が、魔理沙の頭の中を執拗に駆けめぐっていたのである。
『あなたは神様に選ばれました』
裏返した頭の上で、何者かがそうささやいているかのようだった。
目や耳を介さないこのメッセージの襲来に、魔理沙は思わず首をかしげた。
内容こそ陳腐なものだ。そのメッセージが、霧雨邸の郵便受けに届けられたのであれば、彼女も破り捨てるなり、燃やすなりできただろう。だが、頭のやわらかな部分に直接寄こされたとなると、黙って受け取るしかない。
魔理沙もその例にもれず、なんとも怪しげなメッセージについて頭をめぐらせようとした。
ところが魔理沙の目は、思考の底に沈みつく前に、急に輝きを取り戻して浮き上がった。その瞳は、絹のようなきらめきを放つ、自分の指に向けられていた。ドーナツについていたグラニュー糖が、彼女のか細い指に残っていたのだ。
魔理沙は人差し指と親指を口元に近づけ、真っ赤な舌で舐めとった。舌の上で幸福がふつふつと湧きだし、そのまま彼女の唇にも宿った。
それから、まだお腹がずいぶんと軽いことを思い出し、魔理沙はあらためてドーナツのすてきな味わいに心を躍らせることにしたのだった。そして、たっぷりとお腹に昼食をつめこんだ頃には、もうメッセージのことなどすっかり忘れてしまっていた。
風変わりな伝言をただのイタズラかなにかとしか思っていなかったのだ。そんな、好奇の目を潤さないようなものを長々と居座らせるほど、魔理沙は脳を無駄にさせてはいなかった。
およそただの女の子には似つかわしくない、知性と魅力を持っている。そして、それらを右手と左手のように扱うのが魔理沙という少女だった。
このような経緯から、魔理沙はメッセージを受け取っていながら、なんら行動を起こさなかった。
起こせなかったと言ってもいいが、意味はない。どちらにせよ、魔理沙は奇妙なささやきのことなど頭の中から追い出してしまっていたのだ。
しかし、当然のことながらそのメッセージが示した事実までもが消えてしまったわけではない。
霧雨魔理沙は、紛れもなく神となった。
だが、魔理沙自身がそのことを知るのはそれから大分後のことになる。
理由はいくつか挙げられるが、その一番大きなところはやはり、魔理沙の交友関係が妖怪側に偏っていたことだろう。それに、彼女はあのメッセージを受け取ってから、人里に行かなければならない用事がなかったし、行こうという気分にもなれなかった。里の外で人間に偶然出会わなかったということも手伝った。おそらく、彼女が人里にさえ行けば、すぐに自分がどういう身であるか知ることができただろう。
魔理沙を信仰する者のほとんどは、人間なのだから。それはあなたもよくご存知のはずだ。
もちろん、魔理沙が知る日はやってくる。猫のように気まぐれな彼女が、いつまでも人里に寄らないわけがなかった。
その日、彼女の足はたまたま人里の方に向いたのだ。
魔理沙は里の往来を一人で歩いていた。誰かに会おうとか、あれをしようとか、そういう風を切るような足取りではなかった。どちらかというと、なにかにぶつかることを期待してさまようような、ゆっくりとした歩みだった。
そんな魔理沙の期待に、道行く一人の男がこたえた。
「魔理沙様、お目にかかれて光栄です」
魔理沙はあいさつを返そうと口を開きかけたが、そこからなにか言葉が出ることはなかった。彼女の頭の中で、ふたつの疑問が喋るべき言葉を押しのけてしまったからだ。
魔理沙は考える。こいつはいったい誰だろう、と。少なくとも彼女は、この若い男のことを知らなかった。
だが、これは大した問題ではない。やせていて目の細いこの男と以前どこかで知り合い、それをうっかり忘れてしまっているだけなのかもしれない。それにたとえ、初対面だったとしても、声をかければその時点で知り合いなのだ。
こいつが自分に声をかけてきたのは、まるっきりおかしいことじゃない、そうだろう。魔理沙は胸のうちで大きくうなずいた。
だが、次の問題を前にして、魔理沙は首を振るばかりだった。そんな彼女に、男はまたしてもその難題を振りかざした。
「いかがです? もしよろしければ、お食事でも。魔理沙様にご馳走させて頂けるとなれば、私もまたこのちっぽけな心を満たせるというものです」
やせた男は歯を見せずに笑った。その態度には、祈るような清潔さがあった。
単なる冗談などではない、と魔理沙は理解した。そして探るような目を、ちらりと男に注いだ。
「他人の財布で食べる食事も悪くはないな」
とたんに、男は上気したような熱っぽい笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」
「変な奴だな。礼を言うのはこっちだぜ」
「まさか! ああ、いえ、そのような……魔理沙様にそのようなことなど……恐れ多く……」
若い男の浮かべていた笑みはどこか苦しいものになり、口調もそれに続くようになった。しまいには、見ていてかわいそうになるほど狼狽し出した。身の程にあわない施しを受けて、手を突き出すことも引っ込めることもできずにいる善良な小心者のように。
魔理沙はもう我慢ならないと、ちいさな拳を硬くにぎった。
「あんた、私のことを知ってるのか。あんたになにかしてやったか。なあ、誰にでもそんな喋り方なのか、ん?」
そのミルク色の肌をなでていたとき、とつぜん棘があなたを突きさせば、ぎょっとするかもしれない。
問い詰められた男も当然、飛び上がった。
「はっ、あ、あ、いえ、その……あ、ああ! か、神よ……」
男の声はほとんど悲鳴に近かった。
自分よりも大きな男をすっかり打ちのめしてしまった事実を前に、魔理沙の怒りは徐々にしぼんだ。叩きつけるための拳は、なにかを手放すようにゆっくりと指を伸ばしていった。
その瞬間、魔理沙の目は雷光のように白く染まった。目蓋の裏でなにかが弾けた。
彼女の指は、突如として手のひらに吸い込まれていった。拳はふたたび硬くにぎられた。
魔理沙がなにを捕まえたのか、あなたにもわかるだろう。その拳の中には、彼女の頭を追い出されてからふわふわと周囲を漂っていた、あの奇妙なメッセージが閉じ込められているのだ。
『あなたは神様に選ばれました』
魔理沙は声に出さずに、自分に言ってみた。
すると、どうだろう。超然とした得体の知れない動力が血管を流れ、感覚が次元をまたいでどこまでも広がる。視点がひとつ上の段をのぼり、すべてを見下ろすことのできる世界が現れる。
そこまで想像して、魔理沙は息をはいた。変化はなにもなかった。
なんとも胡散臭い話じゃないか。魔理沙はどんよりとした暗い目つきで、ひざまずく男を見下ろした。
それでも、まるっきり信じられないという気にもなれなかった。男の態度が、魔理沙にそうさせたのだった。
「ちょっと聞きたいんだが」
「お、お、お怒りに……どうか、どうか……」
魔理沙はなるべくわかりやすいように、優しい声をかけた。
「ああ、ちがう、ちがう。そうじゃないんだ。私はべつに、なぁんにも怒っちゃいないんだから」
男は魔理沙の言葉を聞いて、いくらか口を開いたが、混じり気のない恐怖が声をあえがせていた。
魔理沙は男の言うことがまったく聞き取れなかった。謝っているかなにかしているのだろう。そう当たりをつけて、彼女は話を続けた。
「うん、そう。ほんと、ほんと。怒ってないよ。だから話してくれ。お前の知ってること、ぜんぶ教えてくれるよな?」
言って、魔理沙は微笑んだ。
男は眩しいものを見るように目を細めた。そして、言葉を返そうと口を開いたが、その声は放心の色を帯びていて、ほとんどかすれたような音しか出なかった。
男はもう一度、消え入りそうな声で言った。
「ええ、もちろん……もちろんですとも。仰せのままに、魔理沙様」
それからの魔理沙には、紐でしっかりとくくりつけたかのように、常に喜びがついてまわった。
先日の、すばらしいキノコの料理を食べながら聞いた男の言葉は、魔理沙に自分の立ち位置をはっきりと理解させた。
男だけではない。道行く老人は、彼女に手をあわせた。通りを走り回る子どもが、きらきらと輝く瞳を向けた。店先で品物を吟味する女は、ひとたび彼女を見つければ声をかけた。路地にひそむ浮浪者すら、遠くから熱烈な視線を送った。
年頃の少女にとって、周囲に紛れても見失われてしまうことがないということがどれほど愉快であるか、あなたには想像できるだろうか。
さっと視線が注ぎ、その肌をくすぐる関心でいつまでも心を温められる。名誉や実力といった大それたものがなくても、相手の意識を自分のものにできる。特別の扱いを受けているという自覚は、胸のうちにあるやわらかな部分を、実に気持ち良くくすぐってくれるのだ。
しかし、その幸福な毎日にひびのような細い影が走ることもあった。
魔理沙には、妙なことだとずっと引っかかっていることがあったのだ。信仰の理由、そして友人たちの態度のことだった。
なぜ、自分への信仰がとつぜん始まったのか。信者たちの言うところはもっともらしい――妖怪退治ができる力の持ち主だからとか、命名決闘法案のプロのプレイヤーだからだとか、単純に容姿や性格が人気の集まるものだったからとか――納得のできるものだった。
だが、それは今に始まったことではない。最近になって信仰するものがとつぜん、それも人間ばかりとはいえ大勢出てきたこと、これが魔理沙にとって不思議で仕方なかったのだ。
自分のことだからわからないのかもしれない、と魔理沙は首を振った。
だったら教えてもらえばいい。彼女の頭はすぐに次の一手を浮かべた。
そして、そのまま人里へと向かった。そこにある大きな屋敷には彼女のお目当ての友人がいるのだ。
「そうですねぇ。神が数多くある経典などの創作物に引用されるように、あなたもそういった対象にされたからかもしれません」
同じ人間である稗田阿求は少し考えてから、思いついたことをそのままといった調子で言った。
持つべきものは賢い友人だと、魔理沙はほくそ笑んだ。
「経典ね。私の伝説でも書かれてるのか?」
「あるんじゃないですか? 魔理沙さんの武勇がどこかで持てはやされたとか」
「いろんなところに顔を出してるつもりだけど……そんな話は聞いたことがないな」
「この地だけの話ではないかもしれません。たとえば、外界ということも考えられます。こちらに迷い込んで、それから無事に帰っていったという人も多くはないですけど、いますからね。外の信仰の変化が、こちらにも影響しているのではないでしょうか」
そこで魔理沙のひとつの疑問は、解決の形を見せた。
しかし、その間にも次の難問が見え隠れしていた。魔理沙は、それとなく切り出した。
「阿求はさ、どう思ってるんだ?」
「なにがですか」
「いや、ほら……魔理沙さんは神様になったんだぜ?」
「そうですねぇ」
魔理沙はしばらく押し黙った。阿求の返事の続きを待っているのだ。
だが、阿求が言葉を継ぐことはなかった。渋いお茶で舌をぬらし、手元にある資料に目を通している。
まただ、と魔理沙はそっと舌打ちした。
彼女は自分の役目を知ってから、神様になったのだと友人たちに言って回った時期があった。だが、彼女が期待していた反応は、誰からも得られなかったのである。
どの友人にしても、阿求と同じような驚きとは縁遠い表情で、礼を失しない程度の、しかし興味がないのだとはっきりわかる類の言葉が返ってくるのだ。
決して友人たちが魔理沙のことを悪く思っているわけではなかった。その話題から離れれば、友人たちは以前と同様に魔理沙を快く歓迎し、楽しい時間を共有しあった。
その態度の変化はあまりにわかりやすく、魔理沙はなにか自分が悪いことをしでかしてしまったのではないかとも考えた。だが、友人たちにたずねても、そうだと言われたことはなかった。
魔理沙はそれがどうにも気がかりで、信者のひとりに何気なく話したこともあった。
「それは彼女たちが魔理沙様を信仰していないからでしょう」
信者の女は言った。三十を過ぎてやや崩れた体型を、なんとか男の目に留まるようにしている女だった。
「私たちと彼女たちのちがいは、結局のところそれだけなのです。その中心に魔理沙様がいらっしゃる、これでつりあいが取れるというものですよ」
「あんたらにとって私は神様。で、あいつらにとってはいつもの私ってことか?」
「ええ、そう信じています」
「え?」
女の声がとつぜん熟したように感じて、魔理沙は知らず聞き返した。
「どうかされましたか」
耳元に吸い込まれるその声に、魔理沙はなんら感じるところはなかった。
気のせいか。いや、どうかしていたな。
彼女はかぶりを振り、なんでもないと重々しく言ってみせた。崩れた感じの女は恭しく、頭を下げた。
魔理沙が抱えるふたつの問題は、どちらもこうして解決の体裁をなした。
それだけに、魔理沙がいよいよ事態に選択の余地がなくなるまで進んでしまったのは、仕方のないことだったのかもしれない。
それでも機会はあった。
口中に際限なく唾を湧かせる金色のドーナツがいつしか霧雨邸の食卓にのぼることはなくなったこと。そして、彼女の住む森で採れるキノコがその代わりを務めるようになったこと。あるいは、魔理沙の広い交友関係に、お気に入りの枠組みができたこと。日に日に過剰になっていく、信仰する者たちの魔理沙への態度。ほかにもある。いくらでも。
しかし、気付いたところでおそらく、どうにもならなかっただろう。
偉大なる信仰の力の前では、どうすることも……。
その日、魔理沙は里を訪れていた。
そこに来ること自体が彼女の目的だった。過激とすら言える信者たちの言動を見張るために。
魔理沙は通りを歩きながら、右に視線をやり、次に左に、それからまた右にといった具合に、まるく大きな目を忙しなく走らせた。道行く人々が足を止め、手を合わせた。ひざまずく者もいた。魔理沙が砂やほこりで汚れた足を差し出せば、喜んで靴を舐めただろう。
魔理沙の意識が視界の両端を行き来した。そのためだろう。彼女は正面から迫るちいさな影が見えていなかった。
「わっ、と」
影がいよいよ大きくなったところで、魔理沙はようやく気付いて足を止めた。まだ幼い女の子が、彼女のすぐそばに立って、深々とおじぎをしていた。
女の子は少しでも近くで礼をすることで、魔理沙に信仰の強さを見せたかったのだ。
そこに、年老いた男が杖を持って歩み寄った。老人は女の子に近づくと、杖を頭上に高くかざし、それから渾身の力をこめて、振り下ろした。
ぎゃっ、と女の子は肩をおさえて叫んだ。
「おい! なにやってるんだ!」
魔理沙は怒鳴り、女の子に駆け寄ろうとした。
だが、それよりも早く、女の子は周囲にいる信者たちに囲まれ、そのままどこかに連れていかれた。魔理沙はなおも追いすがろうとしたが、老人がその行く手を阻んだ。
「どうか、お待ちください」
その声はひどく落ち着いていた。
こんなにも興奮してるこっちがおかしいんじゃないかと、魔理沙は奇妙な感覚に襲われた。
「あんた、いったいなんてことを」
「どうか、お気を確かに。魔理沙様。あの娘は、魔理沙様のお足をわずらわせました。ですから」
「気でも狂ったのか!」
魔理沙は怒りにまかせて、老人の両肩をつかんではげしくゆさぶった。
「おがくずでも詰まってんのか、その頭は! 私以外の奴らは人形だとでも思ってるのかよ!」
そこまで叫んで、魔理沙は老人の顔色が真っ青になっていることに気がついた。彼女はとっさに爪を立てていた両手を開く。
老人はその場に崩れ落ちた。老いた男はしばらく息を切らせていたが、そのうちなんとか呼吸を落ち着かせる。それから、おそるおそるといった調子で口をあけた。
「申し訳ございません。どうか、どうかお許しを」
「ああ、そうだ。それでいいんだよ。これからは」
「あの娘を今すぐに始末して参ります。ですから、ど、どうかお慈悲を」
老人は震えながら魔理沙に乞うた。
だが、魔理沙には聞こえていなかった。気持ちのいい青空が急に降りてきて、自分を押しつぶそうとしているように感じ、老人の声は耳の穴をずたずたに引き裂きながら頭痛を起こす波になった。
彼女は頭を垂れ、目を閉じて、喉もとにこみ上げてくる黒い感情と戦っていた。そして、不快感が食道の最後尾からぐんと押し上げ、彼女はあっさり負けてしまった。
「やめる」
魔理沙はぽつりと言った。
「もうやめる」
「やめる、とは。魔理沙様?」
「嫌なんだ。もうだめだ。あんたらの神様は」
魔理沙は、体全体にたまらない疲労の重みを感じた。
それは彼女にのしかかる信仰にほかならない。輝かしいきらめきを放つ意思の力が、そのちいさな背にはりついている。
「……どうすればいいんだ。教えてくれ」
そう言っておきながら、魔理沙はなにも期待していなかった。信仰している神が自分たちを見捨てると言っているのだ。裏切りの神に信者が従うはずがない。
だが、彼女の予想とは裏腹に、老人は豚のように目を細め、にこやかに笑いかけた。
「ええ、お教えいたしますとも。魔理沙様の仰せのままに」
「いいのか、本当に。あんたらを見捨てるんだぞ?」
「魔理沙様は我々に信仰する自由を与えて下さったのです。受け入れた信仰をどうするかは、魔理沙様のご意思次第でございましょう。その聖域にどうして我々が手だしできるとお思いですか」
老いた男は変わらず微笑んでいる。
魔理沙はその笑みがどんどん歪んでいくように見えた。唇の端がねじれ、渦巻き、顔のあらゆるでっぱりが集まり……。彼女は頭をゆすり、目をしばたたかせた。
老いた男は変わらず微笑んでいる。
「魔理沙様のなすべきことはただひとつ、信仰を減らすことです」
「減らす?」
「すなわち、信者をある程度にまで滅ぼせば良いのです。意思の源をつぶせば、思想の川は枯れ果てます。流れ出るものなどなくなるのが道理でございましょう」
老人の言葉を聞いて、魔理沙はがっくりとうなだれた。
この男はやはり気狂いなのだ。滅ぼせばいいと言った。だが、自分にも理性が残っているのか自信がなかった。知らずに、信者を消し炭にする算段をしていたのだから。
「ああ、それとご心配には及びません。魔理沙様は神であらせられます。我々が自由に魔理沙様を信仰するように、魔理沙様が我々をどうしようと誰がとがめることができましょうか」
老人は魔理沙の葛藤を察して、とどめの一撃を放った。
それで終わりだった。魔理沙の頭上をぐるぐると回っていたすべての思慮は、すぐに消えてなくなった。
「ですが、我々をすべて片づけたところで意味はないでしょう」
ふところに入れていた魔理沙の手がぴたりと固まった。
「どういうことだ」
「ご存じかもしれませんが、魔理沙様の信仰はこの土地から生まれたものではありません。とおい、外の世界からその香気を漂わせ、我々はそれにくすぐられたのです。影響力で言えば、我々とは段違いでしょう」
魔理沙の背中に冷たい汗が広がった。訳も分からず、彼女は叫んだ。
「外? おい、どうしろって言うんだ。おい! 外界なんてたやすく行けるものじゃない。そして、あんたらをすべて潰してもまったく足りないときてる。私、私は……!」
「どうか、どうかお気を確かに。魔理沙様……魔理沙様があちらへ行かれる必要などございません」
「……なんだって」
「確かにとおい、離れた場所ではありますが、彼らも魔理沙様の信者なのです。目に見えないだけで、魔理沙様のお近くで息づいているのでしょう。こちらへ来いと魔理沙様が望めば、彼らは喜んで参るでしょう」
老人はまっすぐに魔理沙を見つめたまま、そう言った。目線をそらすことは一瞬もなかった。
魔理沙はそれでも、その老いた男と目を合わせ続けた。そのうち、なんの前触れもなく彼女は視線を宙に漂わせた。
「来い」
そして、魔理沙はあなたに言った。
そこであなたは……どうしたのです。口をあけて、なにをぽかんとしているのですか。
魔理沙様のお望みですよ。呆けている暇などありません。
まさか……いえ、まさかとは思いますが、あなたは魔理沙様を信仰していないなどとのたまうつもりではないでしょうね?
あなたは霧雨魔理沙様にひかれて、ここにいるはずです。嘘はいけません。きちんと、魔理沙様の名は記しておいたのですからね。
目覚めが悪かったのですか。どうか気を確かに!
あなたは本当は熱烈な信者なのでしょう。なに、謙遜することはありません。
あなたの信仰といえば、創作行為といえば実にすばらしい!
魔理沙様の愛らしい様子を描いたのでしょう。その信仰あって、魔理沙様はいつもお美しいのです。
魔理沙様とそのご友人の触れ合いを書いたのでしょう。その信仰あって、魔理沙様は特に一部のご友人と親しくなられました。
またそれらの経典を見たり読んだりして想像を働かせ、こうすればああなればと輝かしい未来を思い描いたのでしょう。その信仰あって、魔理沙様は常に笑っておられます。
魔理沙様に近付きたく、その容姿や服装、言動を真似ましたか。その信仰が、魔理沙様の印象を人々に強く残すのです。
そしてこれらの信仰を受けて、ここがいい、ここがだめだと意見を交わしましたか。その信仰が、魔理沙様をいつまでも発展させるのです。
もちろん、あなたにもほかの楽しみはあるでしょう。その幸福をこれからもずっと味わいたいのでしょう。
ですが、それは叶わぬ夢です。
あなたはこれから、焼かれて消し炭にされるためだけに魔理沙様のもとへ行かなければなりません。
なぜかですって。あなたが魔理沙様を信仰する者である限り、その望むべくところを行うのは当然のことではありませんか!
さあ、準備はできましたか。
身を乗り出して、手を前に突き出しなさい。
するべきことをするのです。言うべきことを言うのです。
なにを言うべきかわからない?
ご冗談を。あなたはそれをよくご存じのはずだ。確かに見ているはずですよ。最初に書いておきましたからね。
あまり魔理沙様をお待たせしてはいけません。おわかりでしょうが、これはあなたの悲願なのですよ。
魔理沙様を喜ばせるために、あなたはその身をなげうつことができるのですから。
大丈夫。痛みは一瞬で済みますよ。なんといっても、魔理沙様は慈悲深い。
安心して、飛び込むことです。
あなたはまばゆい画面に向かって、手を前に突き出した。
それから口を開き、静かに言った。
「仰せのままに、魔理沙様」
そんな文面の手紙が家の郵便受けに入っていたら、まず燃やすべきだろう。
笑い飛ばして、話のタネにするのもいいかもしれない。腹立たしさにまかせて破り捨ててもいいし、悪質ないたずらの証拠として保管しておくのも悪くない。
しかし、霧雨魔理沙にはそのいずれをなすことも叶わなかった。
もちろん、魔理沙がこのメッセージを疑いもせずに、文面のまま受け取ったわけではない。
たしかに彼女は、今までの人生で一歩一歩かたちづくってきたその身に、誇りと自信を持っていた。だがそれは、自分こそ偉大な存在なのだという愚かな思い上がりとはまったく無縁のものだ。あなたの知る通り、彼女は聡明な少女なのだから。
では、なぜ魔理沙はこのメッセージに対して行動を起こせなかったのか。
これには次のような事情があった。
そのメッセージが届けられたとき、魔理沙はちょうど、揚げたてのドーナツを早めの昼食としてつまんでいた。
金色に揚がったドーナツは、油を切るために敷かれた褐色の包装紙の上で、美味しそうに輝いていた。魔理沙は、その小山となったドーナツのひとつをつまみ、ちいさな口をいっぱいに開いて食べ始めた。
揚げ油の香ばしい熱っぽさとグラニュー糖の甘みが、魔理沙の口の中でいっぺんに広がった。ドーナツをつまむ指は、その味わいに夢中になり、彼女に噛みしめる間も与えないまま、ぐいぐいと唇の隙間に押し迫った。
ひとつ分のドーナツをまるまる口に押しこまれ、ふっくらとした赤いほっぺがまるく膨らんだ。そのまま、なんとか飲み込もうと、彼女は口をもごもご動かした。
そのときだった。
魔理沙はとつぜん、なんとも言えぬ息苦しさのようなものを感じた。
喉につまったか。魔理沙はとっさにそう考えたが、すでにドーナツは食道を抜けて、胃に落ちていた。その事実を知って、ようやく強い刺激がどこからやってくるのかを理解した。
それというのも、あるひとつの言葉が、魔理沙の頭の中を執拗に駆けめぐっていたのである。
『あなたは神様に選ばれました』
裏返した頭の上で、何者かがそうささやいているかのようだった。
目や耳を介さないこのメッセージの襲来に、魔理沙は思わず首をかしげた。
内容こそ陳腐なものだ。そのメッセージが、霧雨邸の郵便受けに届けられたのであれば、彼女も破り捨てるなり、燃やすなりできただろう。だが、頭のやわらかな部分に直接寄こされたとなると、黙って受け取るしかない。
魔理沙もその例にもれず、なんとも怪しげなメッセージについて頭をめぐらせようとした。
ところが魔理沙の目は、思考の底に沈みつく前に、急に輝きを取り戻して浮き上がった。その瞳は、絹のようなきらめきを放つ、自分の指に向けられていた。ドーナツについていたグラニュー糖が、彼女のか細い指に残っていたのだ。
魔理沙は人差し指と親指を口元に近づけ、真っ赤な舌で舐めとった。舌の上で幸福がふつふつと湧きだし、そのまま彼女の唇にも宿った。
それから、まだお腹がずいぶんと軽いことを思い出し、魔理沙はあらためてドーナツのすてきな味わいに心を躍らせることにしたのだった。そして、たっぷりとお腹に昼食をつめこんだ頃には、もうメッセージのことなどすっかり忘れてしまっていた。
風変わりな伝言をただのイタズラかなにかとしか思っていなかったのだ。そんな、好奇の目を潤さないようなものを長々と居座らせるほど、魔理沙は脳を無駄にさせてはいなかった。
およそただの女の子には似つかわしくない、知性と魅力を持っている。そして、それらを右手と左手のように扱うのが魔理沙という少女だった。
このような経緯から、魔理沙はメッセージを受け取っていながら、なんら行動を起こさなかった。
起こせなかったと言ってもいいが、意味はない。どちらにせよ、魔理沙は奇妙なささやきのことなど頭の中から追い出してしまっていたのだ。
しかし、当然のことながらそのメッセージが示した事実までもが消えてしまったわけではない。
霧雨魔理沙は、紛れもなく神となった。
だが、魔理沙自身がそのことを知るのはそれから大分後のことになる。
理由はいくつか挙げられるが、その一番大きなところはやはり、魔理沙の交友関係が妖怪側に偏っていたことだろう。それに、彼女はあのメッセージを受け取ってから、人里に行かなければならない用事がなかったし、行こうという気分にもなれなかった。里の外で人間に偶然出会わなかったということも手伝った。おそらく、彼女が人里にさえ行けば、すぐに自分がどういう身であるか知ることができただろう。
魔理沙を信仰する者のほとんどは、人間なのだから。それはあなたもよくご存知のはずだ。
もちろん、魔理沙が知る日はやってくる。猫のように気まぐれな彼女が、いつまでも人里に寄らないわけがなかった。
その日、彼女の足はたまたま人里の方に向いたのだ。
魔理沙は里の往来を一人で歩いていた。誰かに会おうとか、あれをしようとか、そういう風を切るような足取りではなかった。どちらかというと、なにかにぶつかることを期待してさまようような、ゆっくりとした歩みだった。
そんな魔理沙の期待に、道行く一人の男がこたえた。
「魔理沙様、お目にかかれて光栄です」
魔理沙はあいさつを返そうと口を開きかけたが、そこからなにか言葉が出ることはなかった。彼女の頭の中で、ふたつの疑問が喋るべき言葉を押しのけてしまったからだ。
魔理沙は考える。こいつはいったい誰だろう、と。少なくとも彼女は、この若い男のことを知らなかった。
だが、これは大した問題ではない。やせていて目の細いこの男と以前どこかで知り合い、それをうっかり忘れてしまっているだけなのかもしれない。それにたとえ、初対面だったとしても、声をかければその時点で知り合いなのだ。
こいつが自分に声をかけてきたのは、まるっきりおかしいことじゃない、そうだろう。魔理沙は胸のうちで大きくうなずいた。
だが、次の問題を前にして、魔理沙は首を振るばかりだった。そんな彼女に、男はまたしてもその難題を振りかざした。
「いかがです? もしよろしければ、お食事でも。魔理沙様にご馳走させて頂けるとなれば、私もまたこのちっぽけな心を満たせるというものです」
やせた男は歯を見せずに笑った。その態度には、祈るような清潔さがあった。
単なる冗談などではない、と魔理沙は理解した。そして探るような目を、ちらりと男に注いだ。
「他人の財布で食べる食事も悪くはないな」
とたんに、男は上気したような熱っぽい笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」
「変な奴だな。礼を言うのはこっちだぜ」
「まさか! ああ、いえ、そのような……魔理沙様にそのようなことなど……恐れ多く……」
若い男の浮かべていた笑みはどこか苦しいものになり、口調もそれに続くようになった。しまいには、見ていてかわいそうになるほど狼狽し出した。身の程にあわない施しを受けて、手を突き出すことも引っ込めることもできずにいる善良な小心者のように。
魔理沙はもう我慢ならないと、ちいさな拳を硬くにぎった。
「あんた、私のことを知ってるのか。あんたになにかしてやったか。なあ、誰にでもそんな喋り方なのか、ん?」
そのミルク色の肌をなでていたとき、とつぜん棘があなたを突きさせば、ぎょっとするかもしれない。
問い詰められた男も当然、飛び上がった。
「はっ、あ、あ、いえ、その……あ、ああ! か、神よ……」
男の声はほとんど悲鳴に近かった。
自分よりも大きな男をすっかり打ちのめしてしまった事実を前に、魔理沙の怒りは徐々にしぼんだ。叩きつけるための拳は、なにかを手放すようにゆっくりと指を伸ばしていった。
その瞬間、魔理沙の目は雷光のように白く染まった。目蓋の裏でなにかが弾けた。
彼女の指は、突如として手のひらに吸い込まれていった。拳はふたたび硬くにぎられた。
魔理沙がなにを捕まえたのか、あなたにもわかるだろう。その拳の中には、彼女の頭を追い出されてからふわふわと周囲を漂っていた、あの奇妙なメッセージが閉じ込められているのだ。
『あなたは神様に選ばれました』
魔理沙は声に出さずに、自分に言ってみた。
すると、どうだろう。超然とした得体の知れない動力が血管を流れ、感覚が次元をまたいでどこまでも広がる。視点がひとつ上の段をのぼり、すべてを見下ろすことのできる世界が現れる。
そこまで想像して、魔理沙は息をはいた。変化はなにもなかった。
なんとも胡散臭い話じゃないか。魔理沙はどんよりとした暗い目つきで、ひざまずく男を見下ろした。
それでも、まるっきり信じられないという気にもなれなかった。男の態度が、魔理沙にそうさせたのだった。
「ちょっと聞きたいんだが」
「お、お、お怒りに……どうか、どうか……」
魔理沙はなるべくわかりやすいように、優しい声をかけた。
「ああ、ちがう、ちがう。そうじゃないんだ。私はべつに、なぁんにも怒っちゃいないんだから」
男は魔理沙の言葉を聞いて、いくらか口を開いたが、混じり気のない恐怖が声をあえがせていた。
魔理沙は男の言うことがまったく聞き取れなかった。謝っているかなにかしているのだろう。そう当たりをつけて、彼女は話を続けた。
「うん、そう。ほんと、ほんと。怒ってないよ。だから話してくれ。お前の知ってること、ぜんぶ教えてくれるよな?」
言って、魔理沙は微笑んだ。
男は眩しいものを見るように目を細めた。そして、言葉を返そうと口を開いたが、その声は放心の色を帯びていて、ほとんどかすれたような音しか出なかった。
男はもう一度、消え入りそうな声で言った。
「ええ、もちろん……もちろんですとも。仰せのままに、魔理沙様」
それからの魔理沙には、紐でしっかりとくくりつけたかのように、常に喜びがついてまわった。
先日の、すばらしいキノコの料理を食べながら聞いた男の言葉は、魔理沙に自分の立ち位置をはっきりと理解させた。
男だけではない。道行く老人は、彼女に手をあわせた。通りを走り回る子どもが、きらきらと輝く瞳を向けた。店先で品物を吟味する女は、ひとたび彼女を見つければ声をかけた。路地にひそむ浮浪者すら、遠くから熱烈な視線を送った。
年頃の少女にとって、周囲に紛れても見失われてしまうことがないということがどれほど愉快であるか、あなたには想像できるだろうか。
さっと視線が注ぎ、その肌をくすぐる関心でいつまでも心を温められる。名誉や実力といった大それたものがなくても、相手の意識を自分のものにできる。特別の扱いを受けているという自覚は、胸のうちにあるやわらかな部分を、実に気持ち良くくすぐってくれるのだ。
しかし、その幸福な毎日にひびのような細い影が走ることもあった。
魔理沙には、妙なことだとずっと引っかかっていることがあったのだ。信仰の理由、そして友人たちの態度のことだった。
なぜ、自分への信仰がとつぜん始まったのか。信者たちの言うところはもっともらしい――妖怪退治ができる力の持ち主だからとか、命名決闘法案のプロのプレイヤーだからだとか、単純に容姿や性格が人気の集まるものだったからとか――納得のできるものだった。
だが、それは今に始まったことではない。最近になって信仰するものがとつぜん、それも人間ばかりとはいえ大勢出てきたこと、これが魔理沙にとって不思議で仕方なかったのだ。
自分のことだからわからないのかもしれない、と魔理沙は首を振った。
だったら教えてもらえばいい。彼女の頭はすぐに次の一手を浮かべた。
そして、そのまま人里へと向かった。そこにある大きな屋敷には彼女のお目当ての友人がいるのだ。
「そうですねぇ。神が数多くある経典などの創作物に引用されるように、あなたもそういった対象にされたからかもしれません」
同じ人間である稗田阿求は少し考えてから、思いついたことをそのままといった調子で言った。
持つべきものは賢い友人だと、魔理沙はほくそ笑んだ。
「経典ね。私の伝説でも書かれてるのか?」
「あるんじゃないですか? 魔理沙さんの武勇がどこかで持てはやされたとか」
「いろんなところに顔を出してるつもりだけど……そんな話は聞いたことがないな」
「この地だけの話ではないかもしれません。たとえば、外界ということも考えられます。こちらに迷い込んで、それから無事に帰っていったという人も多くはないですけど、いますからね。外の信仰の変化が、こちらにも影響しているのではないでしょうか」
そこで魔理沙のひとつの疑問は、解決の形を見せた。
しかし、その間にも次の難問が見え隠れしていた。魔理沙は、それとなく切り出した。
「阿求はさ、どう思ってるんだ?」
「なにがですか」
「いや、ほら……魔理沙さんは神様になったんだぜ?」
「そうですねぇ」
魔理沙はしばらく押し黙った。阿求の返事の続きを待っているのだ。
だが、阿求が言葉を継ぐことはなかった。渋いお茶で舌をぬらし、手元にある資料に目を通している。
まただ、と魔理沙はそっと舌打ちした。
彼女は自分の役目を知ってから、神様になったのだと友人たちに言って回った時期があった。だが、彼女が期待していた反応は、誰からも得られなかったのである。
どの友人にしても、阿求と同じような驚きとは縁遠い表情で、礼を失しない程度の、しかし興味がないのだとはっきりわかる類の言葉が返ってくるのだ。
決して友人たちが魔理沙のことを悪く思っているわけではなかった。その話題から離れれば、友人たちは以前と同様に魔理沙を快く歓迎し、楽しい時間を共有しあった。
その態度の変化はあまりにわかりやすく、魔理沙はなにか自分が悪いことをしでかしてしまったのではないかとも考えた。だが、友人たちにたずねても、そうだと言われたことはなかった。
魔理沙はそれがどうにも気がかりで、信者のひとりに何気なく話したこともあった。
「それは彼女たちが魔理沙様を信仰していないからでしょう」
信者の女は言った。三十を過ぎてやや崩れた体型を、なんとか男の目に留まるようにしている女だった。
「私たちと彼女たちのちがいは、結局のところそれだけなのです。その中心に魔理沙様がいらっしゃる、これでつりあいが取れるというものですよ」
「あんたらにとって私は神様。で、あいつらにとってはいつもの私ってことか?」
「ええ、そう信じています」
「え?」
女の声がとつぜん熟したように感じて、魔理沙は知らず聞き返した。
「どうかされましたか」
耳元に吸い込まれるその声に、魔理沙はなんら感じるところはなかった。
気のせいか。いや、どうかしていたな。
彼女はかぶりを振り、なんでもないと重々しく言ってみせた。崩れた感じの女は恭しく、頭を下げた。
魔理沙が抱えるふたつの問題は、どちらもこうして解決の体裁をなした。
それだけに、魔理沙がいよいよ事態に選択の余地がなくなるまで進んでしまったのは、仕方のないことだったのかもしれない。
それでも機会はあった。
口中に際限なく唾を湧かせる金色のドーナツがいつしか霧雨邸の食卓にのぼることはなくなったこと。そして、彼女の住む森で採れるキノコがその代わりを務めるようになったこと。あるいは、魔理沙の広い交友関係に、お気に入りの枠組みができたこと。日に日に過剰になっていく、信仰する者たちの魔理沙への態度。ほかにもある。いくらでも。
しかし、気付いたところでおそらく、どうにもならなかっただろう。
偉大なる信仰の力の前では、どうすることも……。
その日、魔理沙は里を訪れていた。
そこに来ること自体が彼女の目的だった。過激とすら言える信者たちの言動を見張るために。
魔理沙は通りを歩きながら、右に視線をやり、次に左に、それからまた右にといった具合に、まるく大きな目を忙しなく走らせた。道行く人々が足を止め、手を合わせた。ひざまずく者もいた。魔理沙が砂やほこりで汚れた足を差し出せば、喜んで靴を舐めただろう。
魔理沙の意識が視界の両端を行き来した。そのためだろう。彼女は正面から迫るちいさな影が見えていなかった。
「わっ、と」
影がいよいよ大きくなったところで、魔理沙はようやく気付いて足を止めた。まだ幼い女の子が、彼女のすぐそばに立って、深々とおじぎをしていた。
女の子は少しでも近くで礼をすることで、魔理沙に信仰の強さを見せたかったのだ。
そこに、年老いた男が杖を持って歩み寄った。老人は女の子に近づくと、杖を頭上に高くかざし、それから渾身の力をこめて、振り下ろした。
ぎゃっ、と女の子は肩をおさえて叫んだ。
「おい! なにやってるんだ!」
魔理沙は怒鳴り、女の子に駆け寄ろうとした。
だが、それよりも早く、女の子は周囲にいる信者たちに囲まれ、そのままどこかに連れていかれた。魔理沙はなおも追いすがろうとしたが、老人がその行く手を阻んだ。
「どうか、お待ちください」
その声はひどく落ち着いていた。
こんなにも興奮してるこっちがおかしいんじゃないかと、魔理沙は奇妙な感覚に襲われた。
「あんた、いったいなんてことを」
「どうか、お気を確かに。魔理沙様。あの娘は、魔理沙様のお足をわずらわせました。ですから」
「気でも狂ったのか!」
魔理沙は怒りにまかせて、老人の両肩をつかんではげしくゆさぶった。
「おがくずでも詰まってんのか、その頭は! 私以外の奴らは人形だとでも思ってるのかよ!」
そこまで叫んで、魔理沙は老人の顔色が真っ青になっていることに気がついた。彼女はとっさに爪を立てていた両手を開く。
老人はその場に崩れ落ちた。老いた男はしばらく息を切らせていたが、そのうちなんとか呼吸を落ち着かせる。それから、おそるおそるといった調子で口をあけた。
「申し訳ございません。どうか、どうかお許しを」
「ああ、そうだ。それでいいんだよ。これからは」
「あの娘を今すぐに始末して参ります。ですから、ど、どうかお慈悲を」
老人は震えながら魔理沙に乞うた。
だが、魔理沙には聞こえていなかった。気持ちのいい青空が急に降りてきて、自分を押しつぶそうとしているように感じ、老人の声は耳の穴をずたずたに引き裂きながら頭痛を起こす波になった。
彼女は頭を垂れ、目を閉じて、喉もとにこみ上げてくる黒い感情と戦っていた。そして、不快感が食道の最後尾からぐんと押し上げ、彼女はあっさり負けてしまった。
「やめる」
魔理沙はぽつりと言った。
「もうやめる」
「やめる、とは。魔理沙様?」
「嫌なんだ。もうだめだ。あんたらの神様は」
魔理沙は、体全体にたまらない疲労の重みを感じた。
それは彼女にのしかかる信仰にほかならない。輝かしいきらめきを放つ意思の力が、そのちいさな背にはりついている。
「……どうすればいいんだ。教えてくれ」
そう言っておきながら、魔理沙はなにも期待していなかった。信仰している神が自分たちを見捨てると言っているのだ。裏切りの神に信者が従うはずがない。
だが、彼女の予想とは裏腹に、老人は豚のように目を細め、にこやかに笑いかけた。
「ええ、お教えいたしますとも。魔理沙様の仰せのままに」
「いいのか、本当に。あんたらを見捨てるんだぞ?」
「魔理沙様は我々に信仰する自由を与えて下さったのです。受け入れた信仰をどうするかは、魔理沙様のご意思次第でございましょう。その聖域にどうして我々が手だしできるとお思いですか」
老いた男は変わらず微笑んでいる。
魔理沙はその笑みがどんどん歪んでいくように見えた。唇の端がねじれ、渦巻き、顔のあらゆるでっぱりが集まり……。彼女は頭をゆすり、目をしばたたかせた。
老いた男は変わらず微笑んでいる。
「魔理沙様のなすべきことはただひとつ、信仰を減らすことです」
「減らす?」
「すなわち、信者をある程度にまで滅ぼせば良いのです。意思の源をつぶせば、思想の川は枯れ果てます。流れ出るものなどなくなるのが道理でございましょう」
老人の言葉を聞いて、魔理沙はがっくりとうなだれた。
この男はやはり気狂いなのだ。滅ぼせばいいと言った。だが、自分にも理性が残っているのか自信がなかった。知らずに、信者を消し炭にする算段をしていたのだから。
「ああ、それとご心配には及びません。魔理沙様は神であらせられます。我々が自由に魔理沙様を信仰するように、魔理沙様が我々をどうしようと誰がとがめることができましょうか」
老人は魔理沙の葛藤を察して、とどめの一撃を放った。
それで終わりだった。魔理沙の頭上をぐるぐると回っていたすべての思慮は、すぐに消えてなくなった。
「ですが、我々をすべて片づけたところで意味はないでしょう」
ふところに入れていた魔理沙の手がぴたりと固まった。
「どういうことだ」
「ご存じかもしれませんが、魔理沙様の信仰はこの土地から生まれたものではありません。とおい、外の世界からその香気を漂わせ、我々はそれにくすぐられたのです。影響力で言えば、我々とは段違いでしょう」
魔理沙の背中に冷たい汗が広がった。訳も分からず、彼女は叫んだ。
「外? おい、どうしろって言うんだ。おい! 外界なんてたやすく行けるものじゃない。そして、あんたらをすべて潰してもまったく足りないときてる。私、私は……!」
「どうか、どうかお気を確かに。魔理沙様……魔理沙様があちらへ行かれる必要などございません」
「……なんだって」
「確かにとおい、離れた場所ではありますが、彼らも魔理沙様の信者なのです。目に見えないだけで、魔理沙様のお近くで息づいているのでしょう。こちらへ来いと魔理沙様が望めば、彼らは喜んで参るでしょう」
老人はまっすぐに魔理沙を見つめたまま、そう言った。目線をそらすことは一瞬もなかった。
魔理沙はそれでも、その老いた男と目を合わせ続けた。そのうち、なんの前触れもなく彼女は視線を宙に漂わせた。
「来い」
そして、魔理沙はあなたに言った。
そこであなたは……どうしたのです。口をあけて、なにをぽかんとしているのですか。
魔理沙様のお望みですよ。呆けている暇などありません。
まさか……いえ、まさかとは思いますが、あなたは魔理沙様を信仰していないなどとのたまうつもりではないでしょうね?
あなたは霧雨魔理沙様にひかれて、ここにいるはずです。嘘はいけません。きちんと、魔理沙様の名は記しておいたのですからね。
目覚めが悪かったのですか。どうか気を確かに!
あなたは本当は熱烈な信者なのでしょう。なに、謙遜することはありません。
あなたの信仰といえば、創作行為といえば実にすばらしい!
魔理沙様の愛らしい様子を描いたのでしょう。その信仰あって、魔理沙様はいつもお美しいのです。
魔理沙様とそのご友人の触れ合いを書いたのでしょう。その信仰あって、魔理沙様は特に一部のご友人と親しくなられました。
またそれらの経典を見たり読んだりして想像を働かせ、こうすればああなればと輝かしい未来を思い描いたのでしょう。その信仰あって、魔理沙様は常に笑っておられます。
魔理沙様に近付きたく、その容姿や服装、言動を真似ましたか。その信仰が、魔理沙様の印象を人々に強く残すのです。
そしてこれらの信仰を受けて、ここがいい、ここがだめだと意見を交わしましたか。その信仰が、魔理沙様をいつまでも発展させるのです。
もちろん、あなたにもほかの楽しみはあるでしょう。その幸福をこれからもずっと味わいたいのでしょう。
ですが、それは叶わぬ夢です。
あなたはこれから、焼かれて消し炭にされるためだけに魔理沙様のもとへ行かなければなりません。
なぜかですって。あなたが魔理沙様を信仰する者である限り、その望むべくところを行うのは当然のことではありませんか!
さあ、準備はできましたか。
身を乗り出して、手を前に突き出しなさい。
するべきことをするのです。言うべきことを言うのです。
なにを言うべきかわからない?
ご冗談を。あなたはそれをよくご存じのはずだ。確かに見ているはずですよ。最初に書いておきましたからね。
あまり魔理沙様をお待たせしてはいけません。おわかりでしょうが、これはあなたの悲願なのですよ。
魔理沙様を喜ばせるために、あなたはその身をなげうつことができるのですから。
大丈夫。痛みは一瞬で済みますよ。なんといっても、魔理沙様は慈悲深い。
安心して、飛び込むことです。
あなたはまばゆい画面に向かって、手を前に突き出した。
それから口を開き、静かに言った。
「仰せのままに、魔理沙様」
しかし、これはどこに着地したものかな。なんとなくだけど、宇宙の旅シリーズを思い出しましたわ。SFっぽい。
あの時の感動とは性質が違うけど
仰せのままに、魔理沙様。
なんてこったい
仰せのままに
最強系とかはさすがにあれですが、多かれ少なかれ誰しも好きなキャラが活躍する話を読みたい(人によっては書きたい)ってのはあるでしょうし、それに対して「気狂いに持ち上げられるのは嫌なんだよ、さあ消えろ」って特定のキャラに言わせるのはちょっと……
ごめんなさい、老人の語りで軽くめまいを感じたので。
自分も含めて、たかがゲームの二次創作如きに熱くなる奴は
おかしいのかもしれない。そんな事に時間使ってていいの?って
思う時がある。
だから、そういう疑問をズバッと切り捨て、私を罵るSSは読んでいて
心地いい。
どうか東方Pro.にはまってしまった私めを、どうかお許しください!
もっと罵って!!!
こいしちゃん以外の為に死にたくないです
それらは全て魔理沙の為に費やした時間です
ひとつ分のドーナツをまるまる口に押しこまれ、ふっくらとした赤いほっぺがまるく膨らんだ。そのまま、なんとか飲み込もうと、彼女は口をもごもご動かした。
>唇の端がねじれ、渦巻き、顔のあらゆるでっぱりが集まり……。彼女は頭をゆすり、目をしばたたかせた。
老いた男は変わらず微笑んでいる。
別の作品でも感じましたが作者さんの文章は主に肉体感覚に偏り過ぎで、特にこの取り上げた例に至ってはどんなに美しい人でもマイクロスコープで肌を見ればクレーターだらけに見えるんだぞとでもいうような露悪趣味に満ち満ちている。
他の作品でもそうですが特に口内や排泄器官などに執着があるのはなぜなんでしょう。
そういう部分も嫌悪感を催させる遠因なのかな。
キャラも東方という舞台設定もただ閲覧者が多くコメントや評価も付く場に投稿するための通行証というくらいの意味でしかなく、意味のない性癖や思想を見せつけられるだけの気味の悪さが全編通してありオチは結局オチてない。
長々と書きましたが、結局のところ作品を読んでみて最初に頭に浮かんだ感想が”気持ち悪い”だったのが全てでした。
その一言で済ましても良かったのですが曲がりなりにも時間をかけて作られた作品にそれは失礼だと思ったので。