私は村の入り口にいちばん近い家で暮らしていた。お母さんは大好きだったけど、お父さんは大嫌いだった。いつも怒っていて、お母さんや私をすぐに怒鳴りつけていた。とくに、お酒を飲んだ時はひどかった。何を言っているのかもわからず、殴られたこともある。
でも、お母さんは優しかった。私をいろんな所へ連れて行ってくれたし、毎日お気に入りのリボンを頭につけてくれた。妖精のお話をたくさんしてくれた。夜の森は危ないから近づいたらダメとも教えてくれた。お母さんの作るお菓子は私の大好物だった。いつも食べ散らかして怒られていたけど。
私は、森が好きだ。森に入ると、いろんな音が聞こえてくる。風の音、水の音、木の音、鳥の声、みんな好きだった。その中に、私にあそぼうよって話しかけてくる声が聞こえる時がある。お母さんは妖精の声だって教えてくれた。
すっかり遅くなっちゃった。
私はお使いに行っていた。今日は私の誕生日。空には厚い雲がかかっているのが残念だけど、家ではお母さんがケーキを焼いて待っている。お父さんが帰ってくるまでは、お母さんと二人きりの時間が過ごせる。今日は、妖精のお話の続きを聞こう。さあ、早く帰らないと。お母さんが待っている。晩御飯はごちそうだ。
家に帰ったら、信じられないものを見た。まず、床に転がったたくさんのビン。今は仕事でいないはずのお父さんに……。そして、床に倒れて、お父さんに踏みつけられている……
お母さん!
お父さんが私に気付いた。何か怒鳴りながらゆっくりとこっちに歩いてくる。嫌、来ないで。逃げたかったけど、私は動けなかった。
ああ、きっとこれは悪い夢なんだ。もうすぐ目が覚める。そして楽しい誕生日が始まるんだ。そう思ったけど、むせ返るようなお酒のにおいはひどく現実だった。
私が我に返ったのはお父さんが転んだからだった。お母さんがお父さんの足をつかんでいた。何度も蹴られながら、私に何かを伝えようとしている。言葉にはなっていなかったけどはっきりと伝わった。
逃げて
金縛りにあったようだった体がようやく動いた。部屋を飛び出し、廊下をかけて、家を出て、森に入った。夜の森は危ないって聞いていたけど、それどころじゃなかった。とにかく隠れられるところ、見つからない場所を探して奥へ奥へと進んでいく。そうして、気が付くと真っ暗だった。
目を開けていても閉じていても変わらないほどの闇。それは見慣れた森とはまるで違っていた。怖い。でも、一番怖いものから逃げるために、私は走った。転んで、木にぶつかって、それでも進んで、あちこち擦りむいて、私は大きな木のうろにたどり着いた。中に入って息をひそめる。
暗闇は嫌いだ。真っ暗で、何も見えなくて、すぐ目の前に怖い怪物が大きな口を開けて待っていそうで、今にも私を捕まえようと闇の中から手が伸びてきそうで。目の前にお父さんが現れそうで。早く明るくなってほしい。その時だった。
どうしたの?
声が聞こえた。森の中で聞こえてきたあの声に似ていて、でも、初めて聞く声。
あなたは誰?妖精?
ちがう。その前のものかな。
真っ暗で何も見えないよ。
私にはあなたがよく見えるよ。悲しい顔をしてる。
お父さんが追っかけてきて怖いの。あなた、見た?
うん。森の中にいる。私は真っ暗なら離れていても見えるんだ。
いいな。私も見えたら、お母さんのところまで戻れるのに。
見せてあげようか?
できるの?
うん。私の目を貸してあげる。
ありがとう。でも、あなたは誰?
雲の切れ間から月明かりが差し込んだ。
私もわかんない。
ほのかな光が一瞬だけ照らしたその子は黒いもやのようだった。私はその子に包まれた。
その子の目は、役に立った。真っ暗でも見えるようになって、木にぶつかりにくくなった(なくなりはしなかった)。びっくりしたのは、森の中の生き物たちの居場所がわかるようになったことだ。目には映っていないのに感じることができる。タヌキやヤマイヌ、フクロウ、お父さんがどこにいるのかもわかったから、避けて家に帰った。
家は真っ暗だった。でも、私は家に入らなかった。生き物の気配は分かるはずなのに、お母さんの気配は家の中にはいなかった。それどころか、村中を回っても見つからなかった。
いや、最初にお母さんの気配がしなかったのはきっと気のせいだ。まだこの目に慣れていないから気が付かなかったんだ。覚悟を決めて家の中に入った。
ただいま
返事はなくて、冷たくなった大好きだったものが見えた。
お父さんのせいだ!お父さんのせいでお母さんは……。今まではただ怖がって、逃げていた。でも、今は違う。もう恐怖はない。初めて私はお父さんに怒りを覚えた。嫌、この気持ちは怒りでもない。憎しみでもなく、そう、これは……
どうしたいの?
お父さんを、お母さんよりももっとひどい目に合わせたい。殺したい。
できるの?
できない。力が足りない。あなたの力がもっと、全部貸してほしい。
いいよ。貸すんじゃなくて全部あげる。でも……
何?どうしたの?
それを受け取ったらあなたは人でなくなるよ?それでもいい?
私は笑った。そんなことはどうでもいい。もう人である必要もない。だって……
だって、もうお母さんがいないんだもん。
その日、私の誕生日に私はもう一度生まれた。
「お腹空いた」
そして、あたり一帯が一切の光を許さない真の闇に包まれた。
彼女の故郷だった村が全滅しているのが見つかったのは、ひと月後のことである。
発見者によると村人たちはバラバラに食い散らかされ、ひどいありさまだったらしい。獣でももっと上品に食べるだろうと、発見者は語った。ただ、村の入り口に最も近い家の前に小さな墓が一つ作られていたという。
あれから何年たっただろう。私はさまよい続けていた。森を歩き、街を訪れ、街道を行き、山を越え、村に立ち寄って、さらにさまよった。お腹が空いた時はそこら辺のものを食べた。木の実、鳥、キノコ、シカ、魚、クマ、山菜に、それから人も。とくに人は捕まえやすかった。力も弱いうえに暗闇を使うと何もできない。簡単に捕まえられて、集団でいる。味もおいしい。私は人が大好きだ。村や町にしばらく留まったりもした。ボロボロになった服を買い替えたりもした。それでも、お母さんのリボンだけは取り替えなかった。まあ、食べ物がなくなったらまたどこかへ行くんだけど。
そんな生活を続けていると、私に退治しに来る人もちらほら現れた。そういう人たちは不思議な味がした。おいしい人もいれば、嫌いなお薬の味がする人もいた。中には私と同じような人じゃない人もいて、いい箸休めになった。そして、あの人と出会った。
その夜、私はとてもお腹が空いていた。最後に食事をしてから数日間、まともなものを食べていない。さらにどこからともなくいい香りがしてきて、食欲を刺激していた。それは今まで嗅いだことのない香り。私は迷わずその香りのもとへと森を進んだ。
1人の女性が焚火にあたっていた。この地域の人のものと似ているようで違う青い服。透き通るほどに薄い布を肩にかけている。青い髪を頭の後ろで2つの輪にして、長い棒で止めていた。
「あら。こんばんは、お嬢さん。こっちに来て話さない?」
こんばんは、おねえさん。なんで、いい香りがするの?
「それはあなたが妖怪だから。そして私が仙人だから」
食べてもいい?
「我慢してくれない?まだ聞きたいことがあるから」
それが終わったら食べても?
「食いしん坊ね」
だって、すごくお腹が空いているんだもん。
「最後に食事をしたのはいつ?」
何日も前。向こうの村で。
「あの村には誰もいなかったわよ」
食べちゃった。
「全員?」
うん。
「ずいぶん残っていたわよ。もっとお行儀よく食べなさい。そうすれば半分くらいは生き延びたでしょうに……」
いいじゃない。まだたくさんいるし。
「……村からここまでにあった死体たちは?ほとんど手付かずだったけど……」
私を退治しに来たやつら?少し齧ったけどまずかったの。何あれ?お薬よりもにっがいの!食べられたもんじゃない!
「あなたは……。いえ、何を言っても無駄ね。これだから妖怪は……」
もういい?ううん、もういいや。我慢できない、食べちゃおう。
「そう、私もあなたと話して決めた。あなたを退治してあげる。私の名は霍青娥。あえて言っておくけど、あなたはもっと命を大切にしなさい!」
そしてあたりは闇に包まれた。
ああもう!また!!
私は木にぶつかっていた。もう何回目だろうか。あの霍青娥という仙人としていることは簡単に言えば追いかけっこだった。暗闇が広がる中、逃げる彼女を私が追いかけている。彼女には暗闇が効いていない。しかも捕まりそうになる時は木に穴をあけて向こう側へ逃げてしまう。穴はすぐに閉じてしまい、勢い付いた私がぶつかるのだ。
「ふふっ。鬼さんこちらってね」
逃げてばっかりのくせに!!なんで見えてるの!?
「こんなもの、ちょっとした術でどうにでもなるわ。草木の声に耳を貸すのよ」
そんなのずるい!
「ずるくなんてないわ。あなたに暗闇があるのと同じように、私にはせんじゅつがあるだけ。もっと頭を使いなさい」
私は考えた。そして、思い出した。
「なっ」
驚くのも無理はない。急に目の前に現れたんだから。ふだんは使う機会がないから私もさっきまで忘れていた。残念ながら、伸ばした手はもう少しのところで空を切った。
「ふう、危ない危ない。暗闇間の瞬間移動とは驚いた。少し距離を置かせてもらうわよ」
彼女は地面に穴をあけてどこかへ行ってしまった。
でも、暗闇の中は私の縄張り。逃げられないわ。
どこに逃げたかなんてすぐに分かる。あっという間に見つけ、瞬間移動した。場所は気付かれにくい真上。一気に飛びかかろうとしたその時、私はさらに上から押さえつけられた。
「せーがー、捕まえたぞー」
「お疲れ様。さすが私の可愛い芳香と死体たちね」
「えへへ~」
うっ動けない……
見ると、たくさんの死体に全身が押さえつけられていた。こいつらはこの前の……
「そう、あなたが食べ残したにっが~い妖怪退治屋たち。欠損が少なかったから腐るまで使うことにしたの。そして哀れな村人たちの魂は私のかわいい芳香の力になってもらったわ」
「なかなか美味かったぞ~」
罠だったの……?
そう、最初はあなたをここまで誘導するつもりだったんだけど、探知と瞬間移動ができるならゴールで待っててもいいかなって。最初に暗闇を広げた時に薪を取ってきて近くにいた芳香に気付かなかったから生きていない者の探知は苦手かできないってわかったの。あとは木の上で待機させてちょいちょいと。
ずるい……
「ずるくない。言ったでしょ、私には戦術があるって。さて……」
「せーがー……」
「……そんな顔しないの、芳香は優しい子ね。大丈夫、命はとらないわ」
「! せーが~!」
「よしよし。さて、それでは……」
そういうと彼女は私の頭に手を伸ばし、リボンを取った!
っ!!返して!!それはお母さんの大事なリボンなの!!
「そうはいっても、ボロボロじゃない。何年使ってるの?」
ボロボロじゃないもん!!返してよ!!
「うわっ動くなー」
返して!返してえ!!
それから私は夜が明けるまで泣き叫んだ。
いつの間にか暗闇も消えていた。涙も出尽くした。
「聞かせてくれる?このリボンと、あなたのお母さんについて」
私は話した。全部話した。お母さんがどれだけ優しかったか。何年、何十年ひょっとすると何百年も前のことだけど、鮮明に覚えていた。そしてあの日のことも。
全部聞いた青蛾は、
「1日だけ待って、直してあげる」
翌日、リボンはきれいに直っていた。でも、なんか違うような……。
「そのリボンにはある封術をかけてあるわ。あなたの力は強く、並大抵の妖怪なら容易に倒せるでしょう。しかし、その特殊な生い立ちのせいか精神面での成長が遅く、まだ幼い。リボンの術はあなたが立派な妖怪として成長するまで、力を抑える働きをもっている。ただ、つけるとしばらく外せなくなるわ」
よくわからない。でもそのリボン、お母さんって感じがすごくする。つけて。
「わかったわ。それと、もう1つ。お誕生日おめでとう」
「おめでーとう~」
こうして私は再び生まれたのだ。
でも、お母さんは優しかった。私をいろんな所へ連れて行ってくれたし、毎日お気に入りのリボンを頭につけてくれた。妖精のお話をたくさんしてくれた。夜の森は危ないから近づいたらダメとも教えてくれた。お母さんの作るお菓子は私の大好物だった。いつも食べ散らかして怒られていたけど。
私は、森が好きだ。森に入ると、いろんな音が聞こえてくる。風の音、水の音、木の音、鳥の声、みんな好きだった。その中に、私にあそぼうよって話しかけてくる声が聞こえる時がある。お母さんは妖精の声だって教えてくれた。
すっかり遅くなっちゃった。
私はお使いに行っていた。今日は私の誕生日。空には厚い雲がかかっているのが残念だけど、家ではお母さんがケーキを焼いて待っている。お父さんが帰ってくるまでは、お母さんと二人きりの時間が過ごせる。今日は、妖精のお話の続きを聞こう。さあ、早く帰らないと。お母さんが待っている。晩御飯はごちそうだ。
家に帰ったら、信じられないものを見た。まず、床に転がったたくさんのビン。今は仕事でいないはずのお父さんに……。そして、床に倒れて、お父さんに踏みつけられている……
お母さん!
お父さんが私に気付いた。何か怒鳴りながらゆっくりとこっちに歩いてくる。嫌、来ないで。逃げたかったけど、私は動けなかった。
ああ、きっとこれは悪い夢なんだ。もうすぐ目が覚める。そして楽しい誕生日が始まるんだ。そう思ったけど、むせ返るようなお酒のにおいはひどく現実だった。
私が我に返ったのはお父さんが転んだからだった。お母さんがお父さんの足をつかんでいた。何度も蹴られながら、私に何かを伝えようとしている。言葉にはなっていなかったけどはっきりと伝わった。
逃げて
金縛りにあったようだった体がようやく動いた。部屋を飛び出し、廊下をかけて、家を出て、森に入った。夜の森は危ないって聞いていたけど、それどころじゃなかった。とにかく隠れられるところ、見つからない場所を探して奥へ奥へと進んでいく。そうして、気が付くと真っ暗だった。
目を開けていても閉じていても変わらないほどの闇。それは見慣れた森とはまるで違っていた。怖い。でも、一番怖いものから逃げるために、私は走った。転んで、木にぶつかって、それでも進んで、あちこち擦りむいて、私は大きな木のうろにたどり着いた。中に入って息をひそめる。
暗闇は嫌いだ。真っ暗で、何も見えなくて、すぐ目の前に怖い怪物が大きな口を開けて待っていそうで、今にも私を捕まえようと闇の中から手が伸びてきそうで。目の前にお父さんが現れそうで。早く明るくなってほしい。その時だった。
どうしたの?
声が聞こえた。森の中で聞こえてきたあの声に似ていて、でも、初めて聞く声。
あなたは誰?妖精?
ちがう。その前のものかな。
真っ暗で何も見えないよ。
私にはあなたがよく見えるよ。悲しい顔をしてる。
お父さんが追っかけてきて怖いの。あなた、見た?
うん。森の中にいる。私は真っ暗なら離れていても見えるんだ。
いいな。私も見えたら、お母さんのところまで戻れるのに。
見せてあげようか?
できるの?
うん。私の目を貸してあげる。
ありがとう。でも、あなたは誰?
雲の切れ間から月明かりが差し込んだ。
私もわかんない。
ほのかな光が一瞬だけ照らしたその子は黒いもやのようだった。私はその子に包まれた。
その子の目は、役に立った。真っ暗でも見えるようになって、木にぶつかりにくくなった(なくなりはしなかった)。びっくりしたのは、森の中の生き物たちの居場所がわかるようになったことだ。目には映っていないのに感じることができる。タヌキやヤマイヌ、フクロウ、お父さんがどこにいるのかもわかったから、避けて家に帰った。
家は真っ暗だった。でも、私は家に入らなかった。生き物の気配は分かるはずなのに、お母さんの気配は家の中にはいなかった。それどころか、村中を回っても見つからなかった。
いや、最初にお母さんの気配がしなかったのはきっと気のせいだ。まだこの目に慣れていないから気が付かなかったんだ。覚悟を決めて家の中に入った。
ただいま
返事はなくて、冷たくなった大好きだったものが見えた。
お父さんのせいだ!お父さんのせいでお母さんは……。今まではただ怖がって、逃げていた。でも、今は違う。もう恐怖はない。初めて私はお父さんに怒りを覚えた。嫌、この気持ちは怒りでもない。憎しみでもなく、そう、これは……
どうしたいの?
お父さんを、お母さんよりももっとひどい目に合わせたい。殺したい。
できるの?
できない。力が足りない。あなたの力がもっと、全部貸してほしい。
いいよ。貸すんじゃなくて全部あげる。でも……
何?どうしたの?
それを受け取ったらあなたは人でなくなるよ?それでもいい?
私は笑った。そんなことはどうでもいい。もう人である必要もない。だって……
だって、もうお母さんがいないんだもん。
その日、私の誕生日に私はもう一度生まれた。
「お腹空いた」
そして、あたり一帯が一切の光を許さない真の闇に包まれた。
彼女の故郷だった村が全滅しているのが見つかったのは、ひと月後のことである。
発見者によると村人たちはバラバラに食い散らかされ、ひどいありさまだったらしい。獣でももっと上品に食べるだろうと、発見者は語った。ただ、村の入り口に最も近い家の前に小さな墓が一つ作られていたという。
あれから何年たっただろう。私はさまよい続けていた。森を歩き、街を訪れ、街道を行き、山を越え、村に立ち寄って、さらにさまよった。お腹が空いた時はそこら辺のものを食べた。木の実、鳥、キノコ、シカ、魚、クマ、山菜に、それから人も。とくに人は捕まえやすかった。力も弱いうえに暗闇を使うと何もできない。簡単に捕まえられて、集団でいる。味もおいしい。私は人が大好きだ。村や町にしばらく留まったりもした。ボロボロになった服を買い替えたりもした。それでも、お母さんのリボンだけは取り替えなかった。まあ、食べ物がなくなったらまたどこかへ行くんだけど。
そんな生活を続けていると、私に退治しに来る人もちらほら現れた。そういう人たちは不思議な味がした。おいしい人もいれば、嫌いなお薬の味がする人もいた。中には私と同じような人じゃない人もいて、いい箸休めになった。そして、あの人と出会った。
その夜、私はとてもお腹が空いていた。最後に食事をしてから数日間、まともなものを食べていない。さらにどこからともなくいい香りがしてきて、食欲を刺激していた。それは今まで嗅いだことのない香り。私は迷わずその香りのもとへと森を進んだ。
1人の女性が焚火にあたっていた。この地域の人のものと似ているようで違う青い服。透き通るほどに薄い布を肩にかけている。青い髪を頭の後ろで2つの輪にして、長い棒で止めていた。
「あら。こんばんは、お嬢さん。こっちに来て話さない?」
こんばんは、おねえさん。なんで、いい香りがするの?
「それはあなたが妖怪だから。そして私が仙人だから」
食べてもいい?
「我慢してくれない?まだ聞きたいことがあるから」
それが終わったら食べても?
「食いしん坊ね」
だって、すごくお腹が空いているんだもん。
「最後に食事をしたのはいつ?」
何日も前。向こうの村で。
「あの村には誰もいなかったわよ」
食べちゃった。
「全員?」
うん。
「ずいぶん残っていたわよ。もっとお行儀よく食べなさい。そうすれば半分くらいは生き延びたでしょうに……」
いいじゃない。まだたくさんいるし。
「……村からここまでにあった死体たちは?ほとんど手付かずだったけど……」
私を退治しに来たやつら?少し齧ったけどまずかったの。何あれ?お薬よりもにっがいの!食べられたもんじゃない!
「あなたは……。いえ、何を言っても無駄ね。これだから妖怪は……」
もういい?ううん、もういいや。我慢できない、食べちゃおう。
「そう、私もあなたと話して決めた。あなたを退治してあげる。私の名は霍青娥。あえて言っておくけど、あなたはもっと命を大切にしなさい!」
そしてあたりは闇に包まれた。
ああもう!また!!
私は木にぶつかっていた。もう何回目だろうか。あの霍青娥という仙人としていることは簡単に言えば追いかけっこだった。暗闇が広がる中、逃げる彼女を私が追いかけている。彼女には暗闇が効いていない。しかも捕まりそうになる時は木に穴をあけて向こう側へ逃げてしまう。穴はすぐに閉じてしまい、勢い付いた私がぶつかるのだ。
「ふふっ。鬼さんこちらってね」
逃げてばっかりのくせに!!なんで見えてるの!?
「こんなもの、ちょっとした術でどうにでもなるわ。草木の声に耳を貸すのよ」
そんなのずるい!
「ずるくなんてないわ。あなたに暗闇があるのと同じように、私にはせんじゅつがあるだけ。もっと頭を使いなさい」
私は考えた。そして、思い出した。
「なっ」
驚くのも無理はない。急に目の前に現れたんだから。ふだんは使う機会がないから私もさっきまで忘れていた。残念ながら、伸ばした手はもう少しのところで空を切った。
「ふう、危ない危ない。暗闇間の瞬間移動とは驚いた。少し距離を置かせてもらうわよ」
彼女は地面に穴をあけてどこかへ行ってしまった。
でも、暗闇の中は私の縄張り。逃げられないわ。
どこに逃げたかなんてすぐに分かる。あっという間に見つけ、瞬間移動した。場所は気付かれにくい真上。一気に飛びかかろうとしたその時、私はさらに上から押さえつけられた。
「せーがー、捕まえたぞー」
「お疲れ様。さすが私の可愛い芳香と死体たちね」
「えへへ~」
うっ動けない……
見ると、たくさんの死体に全身が押さえつけられていた。こいつらはこの前の……
「そう、あなたが食べ残したにっが~い妖怪退治屋たち。欠損が少なかったから腐るまで使うことにしたの。そして哀れな村人たちの魂は私のかわいい芳香の力になってもらったわ」
「なかなか美味かったぞ~」
罠だったの……?
そう、最初はあなたをここまで誘導するつもりだったんだけど、探知と瞬間移動ができるならゴールで待っててもいいかなって。最初に暗闇を広げた時に薪を取ってきて近くにいた芳香に気付かなかったから生きていない者の探知は苦手かできないってわかったの。あとは木の上で待機させてちょいちょいと。
ずるい……
「ずるくない。言ったでしょ、私には戦術があるって。さて……」
「せーがー……」
「……そんな顔しないの、芳香は優しい子ね。大丈夫、命はとらないわ」
「! せーが~!」
「よしよし。さて、それでは……」
そういうと彼女は私の頭に手を伸ばし、リボンを取った!
っ!!返して!!それはお母さんの大事なリボンなの!!
「そうはいっても、ボロボロじゃない。何年使ってるの?」
ボロボロじゃないもん!!返してよ!!
「うわっ動くなー」
返して!返してえ!!
それから私は夜が明けるまで泣き叫んだ。
いつの間にか暗闇も消えていた。涙も出尽くした。
「聞かせてくれる?このリボンと、あなたのお母さんについて」
私は話した。全部話した。お母さんがどれだけ優しかったか。何年、何十年ひょっとすると何百年も前のことだけど、鮮明に覚えていた。そしてあの日のことも。
全部聞いた青蛾は、
「1日だけ待って、直してあげる」
翌日、リボンはきれいに直っていた。でも、なんか違うような……。
「そのリボンにはある封術をかけてあるわ。あなたの力は強く、並大抵の妖怪なら容易に倒せるでしょう。しかし、その特殊な生い立ちのせいか精神面での成長が遅く、まだ幼い。リボンの術はあなたが立派な妖怪として成長するまで、力を抑える働きをもっている。ただ、つけるとしばらく外せなくなるわ」
よくわからない。でもそのリボン、お母さんって感じがすごくする。つけて。
「わかったわ。それと、もう1つ。お誕生日おめでとう」
「おめでーとう~」
こうして私は再び生まれたのだ。
しかし、きれいな青娥も良いものですね。
こういう話を短く纏めるときは三人称の方がよかった気がする