終章 そして、いつかの約束
こうして、後に幻想郷に於いて、牛乳大戦争と呼ばれる事になる、異変は幕を閉じました。
それから何季か経ち、大分、幻想郷は落ち着きました。
いつも通りの、騒がしくも楽しい、皆の愛した幻想郷、その姿を取り戻したのです。
幻想郷の存続を掛けた大規模な戦いだった割に、たいした怪我人も無く、それぞれ、いつも通りの日常に戻って行きました。
幽香さんだけはミノタウロスと激戦を繰り広げた結果、しばらくの間、永遠亭に入院していましたが、一週間後に傷も完治し、退院しました。
ただ、魔理沙さんと、レミリアさんだけは、今までの様にとは、行かなかったのです。
魔法使いとして、己の限界を悟った魔理沙さんは、魔法使いの先輩である白蓮さんの元へと向いました。
そして、魔法の修業を積む傍ら、命蓮寺で鍛練を積み、何やら大切な魔法を身に付けようと奮闘している様です。
紅魔館は、あの日の事を決して忘れない様にと、まだ壊れた箇所の修復を行っていません。
そして、レミリアさんは、あの騒動の後から、良く宴を開催する様になりました。
何かにつけては酒を呑み、騒ごうとするのですが、それが却って咲夜さんとパチュリーさんの不在を埋める為の代償行為に思えてならないのです。
まぁ、それは、この私、稗田阿求の主観であって、本当に騒ぎたいだけなのかも知れません。
ただ、それが二人を忘れないと言う、彼女達なりの方法であるのなら、私はそれに付き合い続けようと、切にそう思うのです。
この命が尽きる、その日まで、ずっと。
「ね、何の参考にもならないでしょう?」
先程拾った、紙切れを渡しながら少女は訊ねる。
「――うん、そうだな、何だこれ、メモ帳の切れ端か何かかな?」
渡された紙切れを眺めながら、少女は言った。
「まぁ、いいや、何かの役には立つかもしれない、向こう側の世界を探す私達には、な」
その紙切れを丁寧に畳んで、鞄に仕舞うと、少女は煙草を銜えた。
そして、すっと燐寸を擦ると、ぼうっと、深い森がその表情を垣間見せた。
「ねぇ、蓮子、こんなところで煙草吸うの止めてよ、山火事になったらどうするのよ」
「大丈夫」
そう言って、蓮子と呼ばれた少女は懐中時計型の携帯灰皿を、これ見よがしに掲げて見せた。
「はぁ」
と、溜息を吐いたのは、私、マエリベリー・ハーン、友達からはメリーと呼ばれてるわ。
そして隣を歩いているのは、宇佐見蓮子、私の親友で、同じ大学に通う、花の女子大生。
頭には、魔法使いみたいな黒い帽子をいつも被っている。
縫い付けられてる、蛙のキャラクターが何だかお気に入りなんだって。
大学内でも、名物の変わり者の二人だわ。
けれど、私達が今いるのは、大学では無く、衛星を模したお洒落なカフェテラスでも無く、色気も素っ気も無い、ある東北地方の山の中。
しかも時刻は深更、草木も徐々に夢を見始める頃だわ。
何で、こんな時間に、こんな場所にいるのかと言えば、まぁサークル活動の一環。
世界中に封じられた秘密を暴くなんて大義名分の下に、私達が立ち上げたサークル〈秘封倶楽部〉。
最初は単なる奇術を披露したり、蓮子のナイフ芸を披露したりする手品同好会だったんだけど、いつの間にか蓮子の探偵趣味が高じて、今では立派な、オカルトサークルなんだわ。
そして、その私達が現在探しているのが、博麗神社と呼ばれる、この世界とは別に存在すると言われる、もう一つの世界への入口となる場所。
去年の秋には、彼岸花が群生してるお墓が入口だ、何て言って、蓮子に付いて行ったんだけど、結局空振り。
それからも、根気良く情報を探して、やっと目ぼしい情報を掴んだのが、丁度夏休み前の、試験が終わると同時。
この鄙びた村さえ無い、山の中に在ると言う情報を蓮子がどこからか仕入れて来たものだから、貴重な夏休みを削って、京都からヒロシゲに揺られて、ここまで来たと言う訳。
私達にしたところで、何でこんなに向こう側の世界、入口となる博麗神社に惹かれるのか分からないけど、もしかしたら、前世は向こうの住人だったんじゃないかと、冗談交じりにいつも、そう言っているわ。
でも、それだって、まるっきり信憑性の無い事じゃないのよ。
私は、物事の境界線が視えるの。
だから、別の世界が本当に在ると言うのなら、私にはその境目が視える筈なの。
まぁ、視えるだけで、それで何が出来るって訳でも無いんだけどね。
どうせなら、境界を越えられる、ぐらいの派手なものだったら良かったのに、なんて思うわ。
でも、この能力が、〈秘封倶楽部〉の活動に一躍買ってるのは、間違い無いわ。
蓮子は、この能力を持つ私を、畏怖半分、からかい半分で、魔術師メリーなんて呼ぶわ。
気味が悪いといじわる言うけど、見えてしまうんだから、不可抗力よね、私が悪い訳じゃ無いわ。
ね、もしかしたらこんな能力を持っている私は、向こうの世界では、本物の魔法使いだったかも知れないでしょう。
それに、私の眼を薄気味悪いと言う蓮子だって、人の事言えないのよ。
彼女の眼は、星の位置だけで時間が分かって、月の位置だけで場所が特定出来るの。
何でも、星と、月が、導いてくれるんですって、便利な物よね。
彼女はその能力を勝手に〈月時計〉、と名付けて呼んでいるわ。
微妙なセンス、でもシンプルで悪くは無いわ。
その能力が、〈秘封倶楽部〉、にどれだけ貢献しているか、正直疑問だけど、重度の方向音痴な私にとっては、何よりも、誰よりも心強いの、蓮子の存在はね。
だって、彼女が一緒にいてさえくれれば、私は絶対に迷わないもの。
「ほら、大丈夫か、メリー、もう少しだぞ」
そう言って、蓮子が伸ばした手を、しっかりとメリーは掴む。
「暗いからな、足元気を付けろよ」
メリーの足許を、頼り無下げな懐中電灯で照らす。
「大丈夫よ、貴女こそ、前、気を付けてね」
「これぐらい平気さ」
応えて、生い茂る木々の葉を、メリーが歩き易い様に丁寧に払って、蓮子は進む。
そして、前方に僅か開けた場所に出ると、唐突に止まった。
急な停止に、手を引かれていたメリーは、蓮子の背中にぶつかってしまった。
嗅ぎ慣れた、煙草の匂いがした。
「どうしたの?」
――これ、と蓮子が懐中電灯の明かりで示した先に在ったのは、神寂びた鳥居。
苔生した長い階段の横には、おそらく狛犬だったであろうものが、崩れている。
木製の鳥居は、すでに朽ちて、注連縄の残骸が、何とかぶら下がっていると、言う情景である。
「これが、博麗神社、なの?」
「――廃墟だったとはな」
メリーに、応えた蓮子の声は、少し湿っていた。
「何か、視えるか、メリー?」
「ううん、ここからじゃ何も、とにかく、折角ここまで来たんだから登って見ましょうよ、境内まで行けば、何か視えるかも知れないし」
そうだな、と蓮子は応え、一度、天の星と月に祈る様な視線を送ると、再びメリーの手を取って、長い階段を登り始めた。
拝殿はすでに朽ち果て、木の骨組みだけ残して、その意味を失っていた。
本殿は、その形を何とか保っていたが、祀られた何かがあったとすれば、とっくに解き放たれているだろう。
「駄目か?」
「うん、ごめん、何も視えない」
蓮子は、気にするなと言って、再び煙草を銜えた。
そして、裏手に回ってみようと告げて、歩き出した。
博麗神社の裏手からは、この広大な森が見渡せた。
星と月が照らす、その雄大な森と山。
呆けた様に立ち尽くす二人の頬を、涼しい風が、一陣過ぎて行った。
「ごめんな、メリー、また空振りだったみたいだ」
「別に謝らなくてもいいわよ、私だって、結構楽しんでるしね、また探しましょう」
――あぁ、そうだなと呟いた、二人の視線の先に、夜空を引き攣れて、尾を引く星が、一筋流れた。
「こんばんは」
突然の声に、振り返った二人の先に、見知らぬ少女が立っていた。
――時刻は02:27:41
「お二人の、幻想を葬りに参りました」
少女は告げた。
「き、君は?」
「こぁくぅま、と申します」
しゃなり、と膝を折り、瀟洒に挨拶してみせる。
「コカコーラ、だって?」
そう、ふざけて応えた蓮子の後頭部に、メリーはチョップを炸裂させる。
「い、痛いなぁ、何するんだよッ」
「そんな訳無いでしょ、失礼だわ」
そんなやり取りを交わす二人を、小悪魔は笑みを湛えて見ている。
「魔理沙さんの言っていた通りのお二人ですね、これならわざわざ目印を聞かなくても簡単に見付けられましたよ」
「ん、魔理沙だって? 何かどこかで見覚えが在る様な、無い様な」
蓮子は首を僅かばかり捻って、何やら考える。
「私を召喚して下さった、魔法使いです、ですがこれからは、お二人に付き従う様にと言われておりますので、どうか宜しくお願い致します」
「――何を、宜しくすれば良いのかしら?」
メリーは当然の疑問を口にする。
「先程、申し上げました通り、お二人の幻想を葬らせて頂きます」
「えっ、葬るって、それって、もしかしなくても、私達を殺すって事?」
蓮子は物騒な事を確認する。
いえいえ、そんな事しませんよ、と小悪魔は応える。
「お二人が、本来在るべき場所へと帰ってもらおうと、そう言う事なのです――」
覚えておられませんか、と言って、小悪魔は夏だと言うのに大事そうに身に付けていた、マフラーを外して見せた。
その小柄な身体には不釣り合いな、とても長いマフラーである。
そして、受け取ったマフラーに刺繍された紅魔館と言う文字が眼に入ると同時に、心臓がドクンと強く脈打つのを、メリーは感じた。
それは、どうやら蓮子も同じ様であった、一心不乱に見つめている。
「これはかつて、お二人が私にプレゼントして下さったのです、私の宝物です」
またそれを巻き直すと、小悪魔は続けた。
「私はこちらの世界で生まれた自動販売機と呼ばれる存在だったのですが、いろいろあって、爆発したんです」
「爆発ッ!?」
蓮子とメリーは失礼とは分かっていたものの、あまりに唐突な言葉に思わず吹き出してしまった。
「はい、ですが残った破片を媒体にし、魔理沙さんが、私を使い魔として、甦らせてくれたのです。もともとこちらの世界の住人でしたので、こうして境界を越えてお二人を迎えに来られたと言う訳なのです」
「それで、私達も、その、ようするに本当は向こうの世界の住人だから、迎えに来たって事か?」
煙草に火を点けて、蓮子は問う。
「えぇ、ですからこちらの世界は本来、お二人にとっては幻想なのです」
「――どう、思う」
と、旨そうに煙を吐き出すと、そうメリーに訊ねた。
「俄かには信じられないけど、まぁ、そう言われればそんな気がしなくも無い、それに、この訳の分からない能力の説明も付くんじゃないかしら」
「どうしたもんかなぁ」
難しい顔で、蓮子は煙草を吹かす。
「取り敢えず、一度私と一緒に来て、境界を越えて見たらどうでしょう、向こうの世界に行けば、全て思い出す筈ですよ」
その小悪魔の提案に、メリーは蓮子の手を取って、一歩前へと進み出た。
「行きましょうよ、蓮子、こんなチャンス滅多に無いわ、それにこれは私達が探し続けた来た事じゃ無い、今日、この日の為に秘封倶楽部は結成されたのよ、ここで怖気付いては、秘封倶楽部の名が泣くわッ!」
「それも、そうだな、どうせ互いに帰りを待つ奴もいないし」
携帯灰皿に吸い殻を押し込むと、蓮子は告げた。
「もし勘違いだったら、戻ってくれば良いしな」
「うん、私は蓮子が一緒なら、どこだって大丈夫よ」
繋いだ手をぎゅっと、メリーは握りしめる。
「あぁ、小悪魔ちゃん、向こうの世界には、煙草は在るよな」
「はい、在ります」
と、小悪魔は大きく頷くと、そっと手を差し伸べた。
「良し、決まりだ」
そう言って、メリーの手を引いて、蓮子は小悪魔の手を取った。
そして、そのまま、三人は空を飛んだ。
初めての経験なのに、何故か驚きは無く、何だかとても懐かしい感覚を、メリーと蓮子は感じていた。
小悪魔は、二人の手をしっかりと結び、縦横無尽に、星と月を背に、夜空を駆け抜けて行く。
――時刻は02:29:59
メリーと蓮子の幻想は葬り去られ、帰るべき幻想へと、新たな境界を越えた。
とても大きな、でも所々崩れた、紅い館。
おずおずと、辺りを見渡しながら、二人はその館の門をくぐり、扉を開けて進んだ。
そして、二人を迎えたのは、悠に百は超えようかと言う、少女達。
笑顔で迎える者、涙を溜めている者、気にせず騒ぐ者、べろんべろんに酔ってる者。
「運命だよ、これが運命だッ、はっはっは! 運命に乾杯をッ、運命に祝福をッ、惜しみない喝采をッ」
他より、ひと際大きく騒いでいるのは、牙みたいな八重歯を見せて笑う少女。
その隣には、虹色の宝石の様なものを、翼の様なものに下げた少女と、共に抱き合い涙を流している、中華ドレスに身を包んだ、綺麗な少女。
八重歯の少女が、何か名前の様なものを口にしながら、訪れた二人に手を差し伸べた。
その少女の言葉に、館を埋め尽くそうかと言う、割れんばかりの拍手が、一斉に響き渡る。
初めて聞く名なのに、何故か違和感は無く、何だかとても懐かしい響きを伴っていた。
ここが、二人の帰るべき場所。
そして、いつかの、約束の地。
「おかえりなさい」
紅白の巫女の様な衣装に身を包んだ少女が、二人に告げた。
その台詞に、蓮子とメリーの、在るべき記憶と想いが、堰を切った様に溢れ出した。
二人に次々と芽吹いては花を咲かす、感情の摩天楼。
ぽろり、ぽろり、と涙を流し、嗚咽に戸惑う二人。
金色の髪に、白黒の衣装が良く映えた少女が、ハンカチを、そっと差し出す。
私はそれを受け取ると、涙を拭い、顔を上げる。
そして告げた――私達が伝えるべき、その言葉を。
完
重要な伏線が多々ありました。
ミノタウロスの話がここまで重要だったとは…
中盤からの流れがとても素晴らしかったです。
全員の満遍ない活躍が強く印象に残りました。皆格好良かったです。
本当に、この中に入ってみたいと思うほどに。
雲山と、おばちゃんと天魔様のコンビが好きです。
キャラが、らしくないという批判はあると思いますが、私は良かったと思います。
とても素晴らしい幻想郷でした。
大作お疲れ様でした
違和感が気になる、という方もいるとは思いますがそれ以上に素晴らしいものでした。
ラストもいい意味で想像を裏切るものでした。次回作を楽しみにしています。お疲れさまでした。
でも、読んでて面白かったのでこの点でw
咲夜さんの男言葉だけは最後まで違和感ありましたが…
勢いに飲まれて割となにがなんだかわからなかったが、アツい戦いだったのは間違いないだろう。
サイコーだったわ。マジで。
初めはあれだけ大笑いしながら読んでたってのに、何で泣いてるんだろうな、私は。
こんなにも広くて狭くて色濃い世界に出会えたことに感謝を。
すばらしいです。
でもむちゃくちゃ面白かった。
雲山イケメソw
女子会をする咲夜や雛達の様子や、秘封倶楽部の二人の意外な正体などなど…とても新鮮だった。あなたの世界観を堪能させていただきました。ありがとう。