ずるり。べちゃ。
「へぶ」
泥の中へと、頭から突っ込んだ。
連日続いた長雨のせいだと、自分が転んだ泥音を聞きながら、ルナチャイルドは思った。思いながら、自分の白い服が盛大に汚れるのが、嫌でも視界の端に見えていた。
そのまま、自身の身長分ほど、泥の上を滑る。
慣性の法則に従ってゆっくりと止まった時、泣きたくなるほどの惨めさを、ルナは感じていた。
「えう」
口の中に、苦味が広がる。
含んでしまった泥や砂を吐き出しながら、ルナは身体を起こそうとした。
「えぶ」
たぶん、力の入れ具合が悪かったのだろう。
腕が滑ってしまい、ルナの顔は、またもや泥へと突っ込んだ。
「えう」
最早、起き上がる気力すら沸かなかった。
ねちゃねちゃと、泥の上を転がるようにして、うつ伏せから仰向けへと姿勢を変える。ぬかるんだ地面が嘘のような、晴天が広がっていた。涙が滲んだ目で精一杯睨んだが、その青さが薄れることはなかった。
まず、連日続いた長雨を、ルナは恨んだ。
次に、久々に晴れたからと悪戯を持ち掛けた、同居妖精二人を恨んだ。
最後に、こうして自分が無様に転ぶ要因を作った、人間を恨んだ。
「うう」
鼻の頭を汚している泥を拭うつもりで、指を這わせた。何度も試みたが、余計に泥が付いただけだった。見ると、手のひらどころか、袖から肘に掛けての部分にも、べったりと泥が付着していた。
帽子を取り、泥の付いていない内側で、顔を拭った。
惨めさから溢れた涙も一緒に拭えたことは、不幸中の幸いだった。
「起きなよ」
視界に入った影が、それだけを言った。
無遠慮な力で、泥の中から引っ張り出された。
「転んだね」
陽に焼けた、浅黒い顔の男が、ルナを見ていた。
手短に喋るたびに、白い歯がちらちらと覗いている。精悍な顔立ちには、女性ならばそれとなく意識せずには要られない、躍動感とあどけなさとが同居していた。ルナへと向けられたその笑みにも、色香のような男臭さが滲んでいる。これが花も恥らう乙女であったなら、早鐘を打った心音に戸惑ったことだろう。
もっとも、吊るされるように首根っこを掴まれたルナにとって、そんな乙女心など露ほども沸かなかった。
半分ほど瞼を閉じ、泥の散った顔を不機嫌に歪める。
「本当、盛大に転んだ」
それでも男は、あっけらかんと笑った。
ルナの、眉間の皺が一層深くなる。
笑われたことも悔しかったが、それ以上の原因があって、ルナは益々不機嫌になった。そもそも、ルナが泥へと突っ伏す要因となったのは、他でもない。
目の前の男が、ルナを追い駆けたからだった。
「結果、君はこうして泥だらけだ」
「私が悪いみたいじゃない」
「自業自得でしょうが」
「あなたに追いかけられたのが原因よ」
「それは違うよ」
また、男は笑った。
笑ってから、いきなりその笑みを引っ込めて、ルナの顔に迫った。
「君が盗みをしたからだ」
一変した、真剣な顔だった。
ルナの目を覗き込むように、男の視線が向けられている。浅黒い顔に、白目の部分がやたらと際立っていることが、ルナには印象深く映った。
「君は、店から盗みをした」
「未遂に、終わったわよ」
間近に迫った顔から、ルナは視線を逸らした。
泳いだ茜色の瞳には、子供特有のあどけない気まずさが、滲んでいた。
「だって、私は盗めなかったじゃない。今だって、何も持っていないわよ。だと言うのに、あれだけ追いかけられるのは可笑しいわ」
「盗っていないから可笑しいと、君は言う訳だ」
「そうよ。盗もうとして、でも結局は未遂に終わったじゃない。これだけ追い駆けられて、あまつさえ泥の中に突っ込む羽目になるなんて、納得いかないわ」
「なるほど」
男は片時も、ルナから視線を逸らさなかった。
「盗みをしようとしたのは、認めるんだね」
「でも、未遂よ」
「盗みをしようと思ったのなら、同じことだ」
「じゃあ訂正! 盗もうと思ったけど直前で思わなくなった、これでどう!」
「いや遅いって」
「思わなくなった! 思わなくなったのよ!」
じたばたと、手足をバタつかせてルナは抗議した。
すでに乾き始めていた泥は、飛び散ることはなかった。男の服があまり汚れていないことに気付いて、ルナは密かに腹を立てた。
「君さ」
溜め息をつくように、男は言った。
「自分の責任とか、感じない?」
「全然」
「だろうね」
「大体、あんなに沢山あるなら、少しくらい盗ろうと思うのが礼儀じゃない」
「どうして、そういう考えになるのかなあ」
「腐っても妖精だもの、悪戯に命を賭けるのが妖精よ。勿論、命を払うのは御免被るけどね、例え一回休みでも」
「なるほど、腐っているようなやましさを持つから、妖精って訳ね」
「私は腐ってない!」
「怒るとこ、そこ?」
首根っこを掴む手を解こうと、ルナはなおも手足をバタつかせている。
悲しいことに、ルナの能力はこういった場を凌ぐのには、向いていなかった。サニーの能力の方が、よっぽど適任だっただろう。自分を満たしたいだけの悪戯には引っ張ってくる癖に、ルナの誘いには耳を貸そうともしなかった。今頃は、スターとともに自宅で、のんびりと午後のお茶を貪っていることだろう。そんな、同居人ならぬ同居妖精たちに、ルナは心の中だけで叫んだ。
役立たずと、思いっ切り。
「兎に角さ」
言いながら、男は踵を返した。
ルナを引っ掴む手は、当然のように離さなかった。
「来てもらうよ」
「なんでよ、正直に話したじゃない」
「署まで御同行願います」
「署ってなによ」
「ニュアンスだよ」
動物のように扱われながら、ルナは男を睨んだ。
こんな時、自分の軽い身体が恨めしかった。
「蓄音機、役に立ったなあ」
「しっかり音を消して近寄ったのに」
「でも、やっぱ高かったよなあ」
「あんなの、用意しているなんてずるい」
「盗られるのは、それ以上に腹立たしいんだけど」
「沢山ある内のちょっとだけよ、狙ったのは」
「豆は商売道具なんだ」
「沢山あるじゃない」
「沢山あっても、その中のちょっとだけでも、盗みは盗みだ」
「融通利かないのね、人間って」
「常識の腐っている、妖精には言われたくない」
「私は腐ってない!」
「あ、やっぱりそこは怒るんだ」
諦め切れず、ルナは吊るされながら手足をバタつかせる。それでも男の手を引き剥がすのには至らず、呆れたような溜め息をつかせるのが、精一杯だった。
茜色の瞳を、恨めしげに細める。
それもこれも、自分以外が悪いのだ。連日の長雨のせいで、泥だらけになってしまった。悪戯に誘っておきながら、ルナの提案には手のひらを返すように帰ってしまったサニーとスターのせいで、上手くいかなかった。蓄音機までルナへの対策に用意し、しつこく追い駆けてきたこの人間のせいで、盗っ人として捕まってしまった。
全部、自分以外が悪いのだ。
「私は悪くないのに」
仰いだ青空へと毒づいて、ルナは膨れっ面となった。
男の大きな溜め息が、また聞こえた。
結局、ルナは自分の非を認めなかった。
残酷なくらい、傍から見て鈍臭いと思えてしまうくらい、認めようとはしなかった。
◆◆◆
通された店内に、ルナ以外の人影はなかった。
木造の、質素ながらも上品にニスの塗られた机と椅子に、客は一人も居なかった。カウンターも同様である。閑古鳥が鳴くとは、こういう状況を言うのだろう。誰も居ないカフェテリアを見渡しながら、ルナは仕返しとばかりに思ってやった。
「今日は、もう店仕舞い」
何かを抱えた男が、何でもないように言った。
内心を見透かされたようなその言葉に、ルナは口をへの字に曲げた。
「妖精に盗られてばかりだと、商売上がったりなんでね」
「そんなに多くは盗んでいないわ」
「積み重なれば、それも馬鹿には出来ない」
抱えた物を、男は押し付けるように手渡してきた。
意地でも受け取るまいと思っていたルナだったが、柔らかな質感のそれを見て、かすかに目を剥いた。
綺麗に折り畳まれた、服だった。
「着替えには、奥の部屋を使えばいい」
「なんで?」
「君は泥だらけだ」
当たり前のように淡々と、男は言った。
「ついでに、奥のシャワーでも使えばいい。君が希望するなら、その服も洗濯しておこう」
「どういうこと?」
「そんな格好で、店内でも店外でもうろつかれるのは、嫌なんだ」
さも困ったように、男は後頭部を掻いた。
「寝覚めが悪いだろう」
「なにが?」
「まさか、あんな勢いで泥に突っ込まれるとは、思わなかったんだよ」
バツが悪そうに、男は続ける。
「おかげで、その白いお洋服も台無しだ。随分と汚れてしまっているけど、今ならまだ間に合うだろうね。今すぐ洗濯しておけば、汚れだって落ちる。だから、早くシャワーを浴びて、着替えてくれないかな」
「え? ええ?」
「いかがわしい考えなんて、君みたいな小さな妖精には、これっぽっちも抱いていないよ。とは言っても、それで安心してくれないよなあ。まったく、厳しい時代になったもんだよ。シャワー浴びてって言っただけで、これだからなあ」
浅黒い顔が、さも面倒臭そうに歪んだ。
男が何を言っているのか、ルナにはよく分からなかった。自分の言葉をいかがわしいと表現した理由も分からなかったが、それ以上に、理解に困った言葉があった。
盗みをしようとしたルナを、男は捕まえた。
だと言うのに、シャワーを浴びればいいと、親切なことを言ってきた。
そこへと至る道筋が、ルナにはよく分からなかった。
「はいはいはいはい。まあ、君がいかがわしいって思うのは、よおく分かったから」
肩に手が置かれ、くるりと身体の向きを変えられる。
奥への扉が目に入った。
「シャワー、浴びてきて。服だけじゃなく、髪や顔まで、君は泥だらけだ」
促されるままに、扉を開けた。その先は、確かに洗面所だった。奥にはバスルームらしき部屋が覗いている。
扉を閉めようとした時、男と目が合った。
何故か、苦笑いとともに手を振られたので、ルナはいよいよ分からなくなった。
シャワーは気持ちよかった。
泥のこびり付いた、髪や顔はそれだけで煩わしかった。加えて、サニーとスターとの三人で悪戯に興じた際、汗もかいていた。それらを一息に洗い流すのは、ただそれだけで清々しかった。
手渡された服は、ルナには少々大きいものだった。
男物の服は着辛かったが、それでも袖を通した。泥に汚れた洋服を、再び着たいとは思わなかった。
「やっぱ、大きかったかな」
首に掛けたタオルで、髪の水分を絞りながら、扉を開けた。
カウンターの向こうから、浅黒い顔が覗いていた。
「昔の、ガキの頃の服でね。それくらいしかなかったんだ、すまないね。汚れた服は、どうする? 持って帰るかい?」
「ん」
なおも戸惑いは感じていたが、それでもルナは汚れた洋服を差し出した。
駄目にするには惜しい、一張羅だった。
「洗濯、お願いするわ」
「了解」
男の声は朗らかだった。浅黒い顔を、どこか面白おかしそうに微笑ませながら、汚れた服を受け取っていた。
不穏な予感が、心中をよぎった。
もしや、この男。
「蓄音機は」
裾に足を引っ掛けないよう注意しながら、ルナは一歩、後ずさった。
「蓄音機は、何処で買ったの?」
「香霖堂、だったかな。そんな店名だったと思う」
カウンターの端に、蓄音機は重々しく鎮座していた。
瀟洒な音楽をささやかに垂れ流すその横から、男は顔を出した。
「霧雨商店で聞いたら、そこが良い品を扱っていると聞いたんでね。値は張ったし、運ぶのにも苦労したけど、おかげで曲は聞き放題だ。今では、これ目当てで来るお客さんも居る。稗田のお嬢さんも、ひどく気に入ってくれてね」
稗田!
ルナを包む緊張が、一挙に高まった。稗田でお嬢さんと言えば、間違いなくあの九代目のことである。
稗田阿求。
妖精の間では、悪名高いものとして、畏怖とともにその名は語り継がれている。情報に聡い妖精にとって、稗田阿求とは即ち、妖精を貶めることにこそ心血を注ぐ人間であるとの認識が強かった。もっとも、情報に聡い妖精と言うのは、このルナチャイルドを置いて他には居ない。同居するサニーやスターなど、恐らくは稗田阿求という名前すら記憶にないだろう。そこの事情から見ても、ルナは他の妖精とは一線を画しているという自負があった。
自負があるからこそ、男の言葉に肝が冷えた。
鬱憤を晴らす。
稗田阿求は自身の書物に、妖精に対する処遇として、この言葉を多用していた。鬱憤を晴らすために、自身の書物に妖精への対策を、事細かに記載していた。記憶が確かなら、ルナへの対策として音を垂れ流すことを挙げていたのも、稗田阿求だった。
鬱憤を晴らす。
この男は、盗みを働いたとして、ルナを捕らえた。
にもかかわらず、いっそ親切なほどに扱っている。不自然なほどに親切なのである。それが油断させるための罠である事実に、ルナはようやく気が付いた。
鬱憤を、晴らされる!
「どうかしたかい?」
びくりと、ルナは更に一歩、後ずさった。
怪訝な顔をしながら、男はルナへと近寄ろうとしていた。
騙されるな、怪訝な顔の裏では、鬱憤を晴らしてやろうとほくそ笑んでいるに違いない。近寄ろうとしているのが、なによりの証拠だった。
近寄られる。
近寄られたら、鬱憤を晴らされる!
「ひゃ」
「ん?」
「ひゃいいいいいいいいいい!」
最早、体裁を取り繕っている場合ではなかった。
意表をつく叫びで、ルナは威嚇した。威嚇しながら、逃げ出そうと試みた。あまりの恐怖に、情けなく裏返った叫び声となってしまったことは、気にしている場合ではなかった。
ずるり。
「い?」
しかし、服の裾を踏ん付けないようにするのには、気をつけるべきだった。
べちゃ。
「へぶ」
カフェの床へと、頭から突っ伏した。
そのまま声もなく、転んだ姿勢で居続ける。別に、気まずさなどを感じた訳ではない。鼻へと広がった鈍痛で、ルナは声も出せず、起き上がることも出来なかった。痛い、物凄く痛かった。
よろよろと、たっぷり数秒ほどを使って、何とか上半身だけを起き上がらせる。
「えう」
あひる座りの姿勢で、それだけを言った。
あまりの痛みに、それだけしか言えなかった。
「えうう」
鼻へとじんわり広がった鈍痛を伝うように、生暖かな感触が鼻から垂れた。そっと指で触れて、生暖かいその液体をすくい取る。
予想どおり、鼻血が垂れていた。見た途端に視界がぼやけた。
痛みで、涙と鼻水とが、溢れてしまいそうになった。
「はいはい、ほらほら」
「えぷ」
「じっとしててね」
柔らかい質感が、ルナの顔を覆った。
「鼻血って、どうだったっけなあ。顔を上げるのは、逆に駄目だったかなあ」
「ふあ?」
「ああ、じっとしててね。ほら、持って。離さないでよ」
言われるままに、顔を覆ったものを掴んだ。
それがタオルだと分かった時には、ルナの身体は宙へと浮いた。両脇の下に、掴まれている感触があった。抱きかかえられているのだと理解したのは、床ではない別の硬さを、尻に敷いた時だった。
足がぶら下がり、宙ぶらりんとなる。
椅子に腰掛けられたというのは、すぐに分かった。
「とりあえず、落ち着くまで、そうしてな」
遠くで、男の声は聞こえた。
涙を拭い、タオルから覗いた。鼻はなおも生暖かいものを感じたので、覆ったままにしておいた。
店の一角、その椅子に自分は座らされていた。
カウンターの向こうに、男は立っていた。俯きながら、真剣な目付きで何か作業をしている。そういう表情をしていると、浅黒い顔の中で白目の部分が、やはり際立って見えた。
蓄音機からは、姦しくない程度の音楽が流れている。
自分の能力を邪魔する、憎らしい輩だという認識しか、ルナにはなかった。だと言うのに、男が作業している小さな音以外、何も聞こえない空間を彩るその音楽は、不思議とルナの気持ちを落ち着かせた。
宙ぶらりんで揺れる足が、新鮮だった。住居に用意してある椅子は、妖精に合わせて高さが調整してある。人間用の物であるはずの椅子では、一回りほども大きかった。自分が場違いのようであり、だからこそ好奇心が芽生えた。ルナは、改めてゆっくりと店内を見渡した。
人里に来るのは、はじめてではない。
しかし、来るのはいつも、悪戯のためだった。こんな風に、客のようにカフェへと入ったことなど、一度もなかった。金銭を払ってまで、馬鹿らしい。サニーやスターを含む、他の妖精たちが酒の席で話していたことが、耳に甦った。
甦った先から、瀟洒な音楽に流された。
姦しくない空間に、ルナは奇妙な居心地の良さを、感じていた。
「はい、お待たせ」
男はなおも、作業をしていた。
カウンターの向こう側は、ルナからは見えなかった。立ち昇った湯気と、花よりも芳しい香りが漂ってきてから、はじめて男が何をしているのかを理解した。
「風呂上りには、ホットが最適さ」
おどけて見せるように、男は笑った。
手に持ったカップを慎重に、しかし遅過ぎない程度の滑らかな動きで、ルナの元へと運んできた。
一層、濃くなった香りを嗅いで、ルナは目を見張った。
すでに鼻血が止まっていることに気付いたのは、自分の前にカップが置かれた時だった。湯気を上げる黒い液体は、澄み切ったように美しかった。
「見てのとおり、珈琲でございます」
茶目っ気を笑みに滲ませながら、男は恭しく告げた。
カップを持っていたその手付きは、男臭さに溢れた浅黒い顔に似合わず、繊細だった。
おずおずと、鼻を覆ったタオルを外す。
さらに香りが広がったので、ルナは茜色の目を、皿のように見開いた。
自分が淹れる珈琲より、ずっと香りが強かった。
「……飲まないの?」
男の言葉に、ルナは勢いよく向き直り、ぶんぶんと首を横に振った。
「ああ、駄目だよ、そんなに首振ったら、また鼻血が」
大きな手で、しっかりと首の動きを、押し止められた。
「分かった分かった、君が飲みたいのは分かったから」
白い歯が、男の口から覗いた。
「落ち着いて、ね? 大丈夫、そんなにすぐには冷めないよ」
離された男の手は、かすかに濡れていた。
ルナは、そこで自分の髪がまだ乾き切っていないことに、ようやく気が付いた。鼻を覆っていたタオルで、髪の水分を絞り取った。勿論、鼻血の付着していない部分を見繕って拭った。それくらいには、落ち着いているつもりだった。
それでも、早鐘を打った心臓の音は、耳の奥で響いていた。
髪の水気も粗方取れたので、ルナはタオルを膝の上に置いた。
珈琲は、なおも芳しい湯気を上げている。男は、そんなルナの傍らに立ちながら、黙って見下ろしていた。
「砂糖とミルク」
突然、それだけを言われたので、ルナはまた勢いよく向き直った。
「要る?」
「うん」
こくりと、ルナは頷いた。
「両方、欲しい」
「幾つ?」
「砂糖は、二つ」
「了解」
鷹揚に、男は頷いた。
程なくして、手元には角砂糖二つと、ミルク容れに入れられたミルクとが、用意された。
ぽとぽとと、角砂糖を入れた。
次いで、ミルクを注ぐ。注がれたミルクは、カップの底に一旦沈み、そこから珈琲の表面へゆんなりと浮かび上がった。普段は何気なく見過ごす、カップの中身のそんな流れが、とても綺麗なものに見えた。
慎重に、なるべく波立たないようゆっくりと、スプーンで混ぜる。
瞬く間に白くなった珈琲は、それでも沸き立つ香りは損なわれていなかった。
「えっと」
緊張で、若干、声が震えてしまった。
「これで良いの?」
「何が?」
「混ぜ方とか、そんなの気にしたこと、なくて」
「ああ、いいのいいの」
白い歯を覗かせながら、男は大仰に手を振った。
「んな堅苦しいの、気にしなくていいって。第一、正解なんてないよ」
「そう、なの?」
「厳密に言えば、そりゃあ、あるかも知れないけどね。気にしたこともなかったなあ。ま、人によってはこだわりもあるよ。でも、そういうのは、守るべきマナーとか、破っちゃいけない決まりごととか、そんな訳じゃないでしょ? その人その人の、譲れない頑固なこだわり、みたいな? まあ要するに、君は気にしなくていいってことだ」
指を綺麗に揃えた手が、カップに向けて差し出された。
顔と同じく、浅黒く日焼けした手だった。
お世辞にも、これだけの香りを沸き立たせる珈琲を淹れる手とは、到底思えなかった。
「どうぞ」
誘うような仕草で、男は小さく頷いた。
「召し上がれ」
野太くて、優しい声だった。
おずおずとカップを手に取る。腕力に自信のないルナには、多少重くも感じたので、両手で支えるように持った。これでもかと香りを匂わせる湯気が、鼻と目をくすぐった。
唇を縁に触れ、中身をほんの少し、含む。
ほわりと、口の中が彩られた。
信じられなかった。ある程度、覚悟のような予想はしていたが、それでも信じ切れなかった。湯気のように沸き立った驚愕に、ルナは目を見開いていた。
美味しかった。
自分が淹れる物よりも、遥かに美味しい珈琲だった。
「美味しい?」
「ん」
珈琲を嚥下している最中だったので、それだけしか返事は出来なかった。
だから、美味しいということを表現するために、ルナは男に向けて、大きく頷いた。一度だけでなく何度も、ぶんぶんと振り回すような勢いで、頷いた。
大きな手に、またもやその動きを押しとめられる。
吹き出したように、男は笑った。
「気に入ってくれたのなら、嬉しいなあ」
男は椅子へと腰掛ける。
丁度、テーブルを挟んで、ルナの反対側に座った。
「妖精にも認められたのなら、やっぱり嬉しい」
「え?」
「稗田のお嬢さんが書いた本でね、読んだんだよ。妖精は、子供の味覚と変わらない。だから、珈琲みたいな苦味のある物は苦手だって。そう、読んだんだ」
人差し指を立てながら、男は続けた。
「ま、君はそんな妖精の中でも珍しいって、書かれてあったんだけどね」
「やっぱり、稗田の本だったんだ」
「蓄音機もそれで買った。まあ、今となっては、趣味や商売のためってのが近いかもね。さっきも言ったけど、こいつを目当てにしているお客さんも居るんだ。俺自身、こいつのおかげで趣味が増えたよ。出費も掛かるが、まあそれも、必要経費ってとこかな」
ちびりちびりと、ルナは珈琲を飲んでいた。
ふと、そこで気が付く。
男は自分のことを『俺』と言っていた。そういえば、さっきまで一人称を聞いていなかったなと、ルナはなんとはなしに思っていた。
「そんな訳で、君のことは知っていたんだ。豆泥棒のルナチャイルドさん」
「……失礼な言い方だわ、それ」
「だろうね。実際、泥棒なんて言えないよなあ、君は」
「誉めているのか貶しているのか、分からない言い方ね」
「馬鹿にしている、ってのが一番正しいかな」
「うわ、ひどい」
瞼を半分閉じて、男を睨んだ。
美味しい珈琲を出してもらっていたので、あまり強くは睨めなかった。
「妖精だからって、馬鹿にするのはよくないわ」
「とは言っても、あの鈍臭さには驚かされた。泥に転ぶは、床に転ぶは、あれじゃあ泥棒とは呼べないねえ、どうあっても。怒る気力も失せるって、稗田のお嬢さんの言葉も、よおく分かったよ」
「……馬鹿にしないでよ」
カップを持ちながら、ルナはぷいっとそっぽを向いた。
「好きで転んでいる訳じゃないの。転びたくて転ぶほど、私だって馬鹿じゃない」
「まあ、それも当然かな。珈琲を飲むような変わった妖精でも、転びたいとは思う訳ないもんなあ」
「珈琲を飲むのが、そんなにいけない?」
「いいや、大いにありがたいことだ。君が、珈琲豆を盗もうと思わない限りは、ね」
咎めるような内容とは裏腹に、男の声は朗らかだった。
「悪魔のように黒く、地獄のように熱く」
「えっ?」
「天使のように純粋で、愛のように甘い」
「なに? えっ? ええっ?」
歯の浮くような台詞を、男はルナを見つめながら、呟いた。
悪戯っぽく、白い歯が覗いた。
「えっと、どうしたの、急に」
「珈琲について、著名な人が表現したらしい。なんとなくね、憶えていたんだ」
あっけらかんと、男は続けた。
「よくもまあ、これだけ言えたものだよ」
「なんだか、こそばゆい言葉ね」
「同感」
「悪魔は幻想郷にも居るけど、こんなに黒くないわ。むしろ紅い」
「それじゃあ、地獄はさながら、稗田さんの本に載ってた旧地獄ってとこかなあ。すんごく熱いらしいね。天使や愛は、ちょっと思い付かないかな」
「霊夢から、天界のことは聞いたかな。天使とはちょっと違うけど。純粋なくらいに迷惑な奴だったって、面倒臭そうに話していたわ」
「博麗神社の巫女さんかあ。店に来てくれたことは、なかったかな」
記憶を探るかのように、男は天井を仰いだ。
「稗田のお嬢さんから、どんな人なのかは聞いているんだけどね」
「ここには、どんな人間が来るの?」
「稗田のお嬢さんとか、霧雨店の店主さんかな、よく来るのは。稗田さんは紅茶、霧雨さんは珈琲を注文されるねえ。珍しいところだと、竹林の護衛さんとかかな。たまに来ると、いつもカウンターに座るんだ。最初は無愛想な感じもしたけど、いざ話してみると、これが気さくな人でね。一度カウンターに座ると、その日はずっと座ってるんだ。何杯もお替りしてくれるから、店としては上客の一人だよ。もっとも、来てくれるようなお客さんっていうのは、皆等しく上客だけどね」
椅子から、男は立ち上がった。
入り口近くの棚から、幾つか新聞を取ってきた。
「勿論、人間だけじゃなく、妖怪のお客さんも来る。一番多いのは、やっぱり鴉天狗かな。こうやって新聞を置く代わりに、ご贔屓にしてもらっている」
「あ、文さんの新聞」
「射命丸さんには、特に贔屓にしてもらっていてね。最近だと、姫海棠さんの来店も多い。ありがたいことに、ウチには人間とか妖怪とかに関わらず、女性のお客さんが多くてね。こういうのは、あんまり思わないほうが良いんだろうけど。やっぱり店内が華やかになるのは、俺も嬉しいからなあ。まあ、悲しい男の性って奴だよ」
おどけるように、男は笑った。
気取った様子はない。だと言うのに、浅黒いその顔には精悍な薫りが、これ見よがしに滲んでいた。なんとなく、女性の客が多いという理由も、納得してしまった。誰も彼も現金なものだと、ルナは思った。
思いながら、出された珈琲を口に含んだ。
当然のように美味しかった。
「鴉天狗の他には、そうだなあ。やっぱり千差万別かな。稗田さんの書物に載るような妖怪諸々も来るけど、あんまり頻繁ではないね。最近だと、命蓮寺の方々とか、守矢神社の方々とか。後は、尸解仙って言ったかな。そういった方々が、思い出したように来るくらいだ。妖怪で一番多いのは、やっぱり鴉天狗だね」
「なんだか、それだけ聞くと、凄く物騒に感じる」
「ついでに言うと、妖精のお客さんは、今まで一度も来たことないよ」
「えっ、それじゃあ」
「妖精では、君がはじめてのお客さんだ」
男は、テーブルに肘を置き、事も無げに言った。
「紅茶や珈琲は、やっぱり妖精には不人気みたいだ。ウチで扱っているのは、甘味よりも苦味の強いものばかりだからねえ。君以外で、盗みを働いた妖精は、嬉しいことに一人も居ない。さっきも言ったけど、ウチには人間ばかりでなく、妖怪のお客さんも来る。そんな店だからこそ、妖精にとっては悪戯の対象としても、あんまり向いていないんだろうねえ。そこんところも、俺にとってはありがたい限りだよ」
その言葉には答えず、カップに口を付けた。
何と答えれば良いのか、ルナには分からなかった。
男は気にした様子もなく、続けた。
「だから、そんな妖精には見向きもされない店だからこそ、余計に君は目立ったって訳だ。実際、そうやって美味しそうに飲むのを見るまでは、半信半疑だったよ」
「私を試したってこと?」
「まあ、それもあるかな」
わずかに、浅黒い顔が近付いた。
「美味しいかい?」
「そりゃあ、美味しいわよ。美味しくなかったら飲まないもの」
「君が、自分で淹れる物と比べて、どう?」
「どうって」
男は笑みを浮かべている。
しかし、ルナを見つめるその視線は、真剣そのものだった。いっそ、剣呑と言っても良いほどに、鋭かった。
下手なことは、言わない方が賢明だろう。
カップを持つ手に、すがるようにわずかに力を込めながら、たどたどしく口を開いた。
「全然、違うわ。あなたが淹れた珈琲の方が、断然香りも良いし、何より美味しい。苦味も強いけど、それ以上に美味しいって、言えばいいのかな。口の中で、ふわっと広がって、吃驚したもの」
正直に、ルナは言った。
「あなたが淹れた方が、ずっと美味しかった」
「嬉しい言葉だなあ、ありがとう」
「えっと、どういたしまして」
「嬉しい言葉だけど、それを聞く限りでは、君に豆を盗られそうになったのは、やっぱり腹立たしいね」
思わぬ言葉に、ルナはぴくりと肩を震わせて、男の顔色を窺った。
背もたれに身体を預けながら、男は肩をすくめた。言葉とは裏腹に、怒っている様子はなかった。
「珈琲豆は商売道具だ。けど、それ以上に俺にとっては、美味い珈琲を淹れるための材料なんだ。必要不可欠な、勝負道具とも言える。それに、こんな商売をしている程度には、珈琲を淹れる腕にも自信はあってね。ああ、念のために言っておくけど、紅茶を淹れるのにも勿論、自信はあるよ。そのために、珈琲豆や茶葉、それ自体にも気を付けている。良い材料を揃えておけば、その分、良い飲物を淹れなければって、自分を鼓舞できるんでね」
人差し指を、男は立てた。
「言わば、真剣勝負なんだ。俺にとって、良い珈琲を淹れるってのは」
「勝負?」
「商売して、お客さんに金を払って貰ってるんだ。より良い物をと望んで、淹れることに臨んでいる。真剣勝負なんだよ、俺にとってはね」
「よく、分からないかな」
「分からないなら、それで構わない。重要なのは、そんな大事な勝負道具を、君は沢山あるからと盗んで行ったことだ」
「沢山あるのは、事実じゃない」
「君は、俺が淹れた珈琲を美味しいと言った。自分が淹れた物より美味しいと言った。それも事実だなあ」
「それが、なんなのよ」
「ムカつくんだよ」
矢文のような言葉が、飛んできた。
「俺は、良い豆を用意した。それで、美味い珈琲を淹れたかった。だと言うのに、豆を盗んだ君は、あろうことか俺よりも美味くない珈琲を淹れていた。無駄にされたって、どうしても思うんだよ。だから俺には、豆を盗られたこと自体よりも、そっちの方こそが、ムカついて仕方ない」
飄々とした物言いに、激昂した様子は微塵もない。むしろ、男の柔和な態度そのものは、いっそ友好的と言っても良いほどだった。あっけらかんとした調子を、男は崩さなかった。
しかし、ルナは蛇に睨まれた蛙のように、緊張感に縛られていた。
浅黒い顔の中で、白目が際立って見えるその目が、じっとルナを見つめていた。
静かな視線は、底冷えするほどに冷たかった。
「ま、だから俺は、腹立たしいと思った訳だ」
不意に、その冷たさが消えた。
「まあ、おあいこみたいなものだけどねえ。君も結構、散々な目にあったし。泥に向かってダイブするわ、床にすっ転んで鼻血を垂らすわ。見ているこっちまで、気の毒に感じるほどだったよ」
「……別に、同情されたくて転んだ訳じゃないわ」
茜色の瞳を細めながら、ルナは珈琲を飲んだ。
かすかに、カップを持つ手が震えてしまったのは、内緒である。
「もしかして、この珈琲も、同情のつもりじゃないでしょうね?」
「大いに同情のつもりだよ」
「同情なんて要らない」
「それならむしろ金をくれ、ってか」
「なにそれ?」
「分からないかあ。同情するなら金をくれ、一時流行った言葉なんだけどなあ」
「知らないわよ、そんな言葉」
「それは残念。でも、一概に同情ばかりでもないんだな、これが」
気を取り直すかのように、男は被りを振った。
「また飲みたくない?」
「珈琲のこと?」
「俺が淹れた、珈琲のことだよ」
一瞬、ルナは言葉に詰まった。
思わず、飲みたいと言ってしまいそうになった口を、寸でのところで噤んだ。
「見てのとおり、俺は商売で珈琲を淹れている。今回のはサービスだけど、もう一杯となると、さすがにそうはいかない。相応の対価が必要でね、こっちも慈善事業じゃあないんだ」
「豆は、沢山あるのに」
「金銭を貰うから真剣になる。真剣になるから金銭を貰う。表裏一体って奴さ」
くるりと、男は蛇口を捻るような指を作って、手を翻した。
「だから、もう一杯が欲しいのなら、君には対価を支払ってもらう必要がある」
「お金なんて」
「持ってないだろうね」
さも当然と言わんばかりの言葉だった。
口をへの字に曲げたが、男の言ったことは事実に変わりなかったので、ルナはそのまま押し黙った。言い返せなかったのは、ちょっと悔しかった。
「代わりに、何かを支払うっていうのなら考えるよ」
「もう飲まないって選択肢もあるわ」
「あら、もう飲みたくなかった?」
「それは」
ルナの眉間に、深々と皺が寄る。
カップの中身は、もう残り少ない。正直、もう一杯だけ飲みたかった。さらに正直に言えば、何杯でも飲みたいと思えるくらい、男の淹れる珈琲は美味しかった。
への字に曲がった口に、益々、力が入る。
精一杯の恨めしさを込めて、茜色の瞳を細めてみるが、功を奏した様子はなかった。
「……飲みたい」
「もっと飲みたいんだね」
「飲みたいわよ、だって美味しいんだもの。いけない? 駄目かしら?」
「いいや。むしろ、嬉しい言葉だねえ。でも、それには」
「支払う物が必要なんでしょ! 分かってるわよ、それくらい」
半ば叫ぶように言ってから、勢いよくカップを傾けた。
中身の珈琲は、それで無くなってしまった。そのことに、ルナはさらに苛立った。
「でも、お金なんてないもの」
「何か支払える物とか、持ってないのかい?」
「ちょっと待ってなさい。えっと」
金銭など、所詮は人間が物々交換の代わりとして、編み出したものなのだ。妖精には必要もないが、だからと言って、妖精には物々交換すら出来ないと思われるのは癪である。今に見ていろよと、ルナは茜色に闘志を燃やして、男を見据えた。
自分の部屋を、思い浮かべてみる。
ベット、机、椅子、眼鏡、読み終えた新聞、香の物。
精々、漬けておいた香の物くらいしか、目ぼしいものはなかった。
瀟洒な音楽が蓄音機から流れているこの空間とは、何処までもミスマッチな代物だった。何とか他にはないかと考えを巡らすが、そうやって自分の部屋を思い描くたびに、何故だか惨めな気持ちに襲われた。
苛立ちが、しおしおと消え失せた。
眉間に寄った皺が薄れ、変わりに眉が八の字を描く。
「……えっと」
背の羽まで、枯れた花のように萎んでいる。
一縷の望みさえ抱くことなく、ルナはぽそぽそと、力無く言った。
「漬けている、香の物くらいしか、ない」
「なら、それと交換だ」
耳を疑った。
目を見開いただけでなく、口さえもぽかんと開けながら、ルナは男を凝視した。
「……え?」
「君が漬けた香の物。それを持って来たら、珈琲を淹れてあげるよ」
「えっ? ええっ?」
「嫌かな?」
「そ、そんなこと、ないけど」
目を白黒させながら、ルナは呟くように問い質した。
「良いの? 私が漬けた、香の物なんかで」
「その香の物は、美味しくないの?」
「お、美味しいわよ。なんたって、私が漬けた物だもの」
「じゃあ、俺は一向に構わないねえ」
「でも」
「ん?」
「カフェに香の物って、変な感じ」
「別に良いんじゃない? 俺だって、基本は和食だし」
「そうなの、なんか意外」
「カフェで商売してるからって、洋食ばっかり食ってる訳でも、況してや珈琲や紅茶だけで生活している訳でもないよ。仙人みたいに霞ばっかり食んでる訳じゃない。ここは日本だし、俺だって日本育ちだ。気軽につまめる香の物は、大歓迎だねえ」
口元へと手を添えながら、男は目を細めた。
頬をもごもごと動かしているのが、ルナからも見えていた。
「香の物、最近食ってないなあ。にしても、面白いことしてるんだね、妖精って」
「茸の盆栽に比べれば、面白くもなんともないわよ」
「そんなことも、君はしているのかあ」
「私じゃないわよ。私の、知り合いがやっているだけ」
「面白いなあ、妖精って」
朗らかに男は笑った。覗いた白い歯が、ひどく目立っていた。
「んじゃあ、それで決まりだ」
空となったカップを手に取りながら、男は立ち上がった。
「そうと決まれば、もう一杯、どう?」
「えっ?」
「珈琲、美味いんでしょう?」
「えっと」
誘われるように、ルナは考え込む仕草をした。その実、答えは決まっていた。
「お願い、しようかな」
この店から、自分が珈琲豆を盗もうとしていたことなど、ルナの頭からは、すっかり消え失せていた。そういった意味では、ルナは残酷だった。
への字に曲げた口の端を、ほんの少し、柔らかく下げる。
「もう一杯、欲しい」
「かしこまりました」
恭しく頭を上げた男の顔は、おどけたように笑っていた。
カウンターの向こうへと消えてしまい、何かを作業する小さな音が、聞こえてくる。瀟洒な音楽と相まって、ルナの鼓膜を和やかに彩ってくれた。
変なことになったなと、ルナは思った。
そんな思いも、やがて漂ってきた珈琲の豊かな香りによって、即座に忘れ去ってしまった。
◆◆◆
あまりに、とんとん拍子に話が進んでいると、後になってルナは疑った。妖精であるルナチャイルドにとっても、それくらいに物事を深く考えることは、出来ない訳ではなかった。
しかし、そんな疑いも、実際に何度か足を運んだことで、杞憂に終わった。
「はい、珈琲」
運ばれてきた珈琲は、いつもと同じく、香り高い湯気を上げていた。ついでに、角砂糖が二つとミルク、それに加えて小さなクッキーが二つ、運ばれてきた。
ぺこりと、ルナは小さく頭を下げた。
やや無愛想なものではあったが、それでも男は朗らかに笑って、カウンターへと戻って行った。
腰掛けた椅子は、やはりルナの身体には大きかった。
宙ぶらりんの足を、椅子の足に添わせるようにして固定した。角砂糖やミルクを注ぐ際、身体が不安定になるのは落ち着かなかった。へばり付くように、揺れないよう椅子へと腰掛けながら、珈琲を混ぜる。
カップを両手で持ち、足を再び宙ぶらりんへと戻してから、珈琲を飲んだ。
香りが、広がった。
「はう」
この瞬間が、ここ最近では一番の楽しみだった。
背もたれに一層深くもたれ掛かり、ぷらぷらと足を揺らす。柔らかなルナの頬が、湯気のように綻んだ。
香の物と交換して、珈琲を貰う。
そんな約束を交わしてから、数日が経っていた。
以来、ルナは毎日のように、この店へと足を運んでいた。住まいには、すでに珈琲豆のストックは無い。あの日、帰ってから試しに自分でも淹れてみたが、男の珈琲を味わったルナにとっては、とても満足できるような出来栄えではなかった。貯めていた豆は、二度目に訪れた際、男に全て渡してしまった。おかげで、家ではもっぱら、紅茶を飲むようになっていた。サニーとスターには変な顔をされたが、ルナはあまり気にしないことにしていた。
手渡す香の物の種類や分量は、特に決めていなかった。家を出る際、適当に見繕っては持って来ていた。多いとか、逆に少ないなどの指摘を、男から言われたことはない。ならば、これで良いのだろうと、ルナは思っていた。
一息つき、茜色の瞳を細めながら、店内を見渡した。
当たり前のことだが、店には他にも客が居た。
ルナ一人だけだったのは、最初に連れて来られた時だけだった。繁盛しているかどうかは、店に漂う気配からは分からなかった。それだけ、静かな空間だった。
顔見知りと会ったことは、一度もない。
客のほとんどが人間だった。男が言ったとおり、女性の客が多かった。
カウンターに座っているのは、白髪を腰まで伸ばしている女性だった。紅いもんぺを穿いており、いかにも只者ではない風体だった。カウンターから笑顔で話しかける店主に対しても、淡々と返事をしているだけである。それでも、時折その女性からも、小さな笑い声は聞こえた。
カウンターに居るのは、白髪の女性だけだった。
テーブル席には、ルナの他に、天狗らしき女性が小さな物体を弄くっていた。眠たげに目を細め、行儀悪くスプーンをくわえながら、忙しなく指を動かしている。特徴的なツインテールが目を惹いた。知り合いの鴉天狗と、よく似た服装だった。天狗だと思ったのも、それが理由だった。
他には、二人連れの女性が二組、それと男性が一人、居た。
計四人の女性は、はじめて見る顔だった。背格好から察するに、たぶん里の人間だろう。それぞれ、小さくも姦しい会話を繰り広げている。
一方、一人だけでテーブル席に腰掛ける男性には、見覚えがあった。
薄くなった髪は、すでに大半が白くなっている。じっと外を見つめる横顔は、草臥れた外套を思わせた。こんなカフェに来るような人間には見えず、だからこそ妖精であるルナの記憶にも、残っていた。
確か、三度目の来店で、見掛けたはずである。
今日と同じように、ぼんやりと物思いに耽るかのように、外を見つめていた。
時折、思い出したようにカップを手にとって口に運び、そしてまた外へと視線を注いでいる。紅茶と違い、カップだけしか置かれておらず、だからこそ飲んでいるのは珈琲なのだと、ルナにも分かった。
外を眺める視線は、どこか遠い。
店内を瀟洒に彩る音楽にも、姦しく彩る他の女性客にも、耳を傾けた様子はなかった。
変わった人間だと、ルナは思った。
妖精の癖に、人里のカフェに入り浸っている自分のことは棚に上げて、無遠慮にそれだけを思った。
不意に、その人間の顔が、ルナへと向いた。
思慮深いものではなかった。何も考えていないような、呆けた視線だった。老人特有の、眠たげに細まった瞳だった。
咄嗟に視線を横に流して、カップを手に取った。
見咎めていたと勘繰られて、変ないちゃもんを付けられるのは御免だった。ただでさえ、ルナは妖精である。人里の人間から、あまり良い思いを抱かれていないことは、容易に想像がついた。幸い、これまで店に足を運んだ中で、トラブルに見舞われたことはなかったが、それでも注意しておくに越したことはない。
カップの縁に口を付け、味わうように俯く。
じっと、眺めるようなぼんやりとした視線が、注がれているのを感じた。早く逸れてくれないかなと、蚊を払うような心持ちで、ルナは思った。
程なくして、視線は失せた。
俯きながら、茜色の瞳だけを動かして、老人を見た。
痛んだ木像のように、外を見つめる横顔があった。眺めるように外を見るその顔は、やっぱり草臥れた外套を思わせるほどに、覇気のないものだった。
人間の、老人。
顔立ちだけでなく、心の中まで老いに染まり切ったかのような、人間だった。
そう理解した途端、ルナの興味は瞬く間に溶けて消えた。
再び、店内の瀟洒な音楽に耳を傾けながら、珈琲を口に含んだ。茜色の瞳で、店内を姦しく彩る他の客たちを、うっそりと見渡す。
老人へと視線を移すことは、もうなかった。
「ありがとうございました」
空となったカップを置き、小さなクッキーを口へと放り込みながら、ルナは立ち上がった。約束の香の物は、来店した際に手渡していた。
カウンターの向こうから、浅黒い顔が頭を下げてきた。白い歯が、鮮やかに覗いていた。
ぺこりと、軽く頭を下げた。
今日の珈琲も、当たり前のように美味しかった。
店を後にすれば、住まいへと一直線に帰るだけである。このカフェ以外に、人里でルナが立ち寄る場所など、ひとつもなかった。サニーやスターと一緒ともなれば、悪戯のために寄る場所など幾らでもある。しかし、一人きりでほいほいと近付く場所などは、精々、このカフェぐらいだった。
数日前までは、珈琲豆を盗むため。
そして今は、香の物との交換で、珈琲を飲むため。
思えば、悪戯以外で人里に立ち寄るなど、妖精ではルナ以外には一人も思い浮かばなかった。自由と気ままを、奔放に謳歌するのが妖精である。人里での行動は、ただそれだけでも妖精とは結び付かず、何よりも縁遠い。
自分は、やっぱり変わり者なのだなと、ルナは歩きながら思った。
変わり者ではなく、特別なのだと考えると、ちょっと頬が緩くなった。
門を潜ると、舗装されていない道が続いていた。
人里を抜ければ、後は道なりに進んで行けば良い。目的地である博麗神社には、程なくして到着するだろう。博麗霊夢の通り道でもあるこの道は、それを危惧してなのか、妖怪が出歩くことは少ない。妖精であるルナにとっては、ありがたい限りだった。
飛ぶでもなく、ゆったりと歩きながら、飲んだ珈琲を思い出す。
口内には、今も珈琲の風味が、色濃く残っていた。呼吸のたびに、苦味とも旨味とも取れない香りが、ルナの喉を彩ってくる。
こっそり懐に入れていた、最後のクッキーを放り込んだ。
噛むたびに、口の中ではクッキーの香ばしさと珈琲の香りが、一緒くたとなって踊り弾ける。
「ふむん」
鼻から空気が抜けて、変な音が鳴った。
「むふん」
噛み砕いたクッキーを飲み込んで、ルナの頬は、また一段と緩くなった。
「むふふふ」
「ルナ、その笑い方は気持ち悪いわよ」
「ふあ?」
聞き覚えのある声が、横手の茂みから聞こえた。
蜂蜜色の髪が覗いていた。
「もう、サニーったら急に能力を解かないでよ」
これまた、聞き覚えのある声が、蜂蜜色の傍らから聞こえた。
青いリボンを備えた黒髪が、覗いていた。
サニーミルクとスターサファイアは、人里からも程近い、茂みの中から姿を現した。この二人と、こんなにも人里から近い場所で出くわすのは、珍しかった。
着けられていたかな。
若干、茜色の瞳を細めながら、ルナは思った。
同居妖精でもあるこの二人には、カフェのことは秘密にしていた。
ただでさえ、珈琲などの苦いものには縁遠い妖精である。加えて、人里のカフェでの静かな一時などにも、勿論ながら縁遠かった。サニーとスターも、そんな例に漏れず、妖精らしい性格をしている。話したところで、奇異の目で見られるだけである。話す気にもならなかった。
「珍しいわね、二人がこんな所に居るなんて」
「今日は少し趣向を変えようと思ってね」
蜂蜜色の髪を威勢よく揺らしながら、サニーは快活に笑った。
「いつも霊夢だけでは味気がないでしょうって、サニーの提案でね。だから、こうして人里の近くまでやって来たのよ」
長い黒髪を景気よく揺らしながら、スターは口元に手を添えて笑った。
二人の言葉に、嘘はなさそうだった。
着けられた訳ではないことが分かって、ルナは気のない顔を装いながら、安堵の溜め息をついた。
考えてみれば、ルナがカフェを後にして、そろそろ半刻が過ぎようとしていた。妖精の中でも我慢の弱いサニーに、妖精らしく我慢が出来ないスターの、二人組である。仮に、ルナの後を着けていたならば、カフェに乗り込んでくる方が、よっぽど自然に思えた。
ばれてなくて良かった。
内心の安堵感を、なるべく声に出してしまわないよう注意しながら、ルナは口を開いた。
「それで、ここまで来ていたのね」
「私たちだけでも良かったんだけどね。スターが、悪戯にはルナも必要だって言ってくるから、探していたのよ」
「丁度、ルナを見つけられて良かったわ。どうせ、その様子だと、いつもの珈琲豆盗みは失敗に終わったみたいだし。それなら安心だわ、いざとなれば囮になるルナが居てくれないのは、困るもの」
事も無げに、スターは笑っている。
上品ぶったその笑いに癪も障ったが、いつものことでもあったので、ルナは聞き流した。未だに、珈琲豆を盗むという発想しか浮かべられないスターへと、内心で馬鹿にしておくだけに、留めておいた。
「囮は余計よ、囮は。それより、今回はどうするのよ?」
「発案はサニーよ、だからサニーに聞いて頂戴」
「で、どうなの。サニー」
「ずばり、竹林をうろつく人間よ!」
腰に手を当てて、サニーは声高らかに宣言した。
「竹林の人間に、悪戯を仕掛けてやるのよ!」
「また、あの妖怪兎に出会っちゃったらどうするのよ」
お前は何を言っているんだ。
湧き出た内心を、惜し気もなく表情へと醸し出しながら、ルナは溜め息をついた。
「サニー。あなた、あの妖怪兎に見つかったこと、忘れた訳じゃないわよね。スターもスターよ、見えない見えないって一番慌てていたのは、あなただったじゃない。あれだけの危険地帯に、また乗り込む気なのかしら」
「ルナは鈍臭いなあ。別に、私はあの妖怪兎に会うって言っている訳ではないわよ」
「サニーの言うとおりよ。ルナは本当、鈍臭いわね。あの妖怪兎は、人里で薬を売り歩いていることが多いのよ。あの日、出会ってしまったのは謂わば偶然よ、偶然が成し上げた不幸ってこと。会わないように注意していれば、会うこともないわ」
妖精特有の、根拠もない自信が、二人からは漂っていた。
したり顔で鈍臭いと言われたことにも腹が立ったが、それ以上に二人の言動に突き抜けたものを感じて、ルナは溜め息をついた。
無論、止めようとは思わなかった。
妖精であるルナにとって、悪戯を躊躇する理由など、微塵もなかった。
「竹林の人間って言うけれど、それじゃあ、どの人間を狙うの? まさか、巷で噂されている、護衛役の人間じゃないでしょうね」
「まさか。そんな物騒な輩だと、後でどんな仕返しをされるか、分かったものじゃないわ。もっとも、仕返しをされるのは、もっぱら鈍臭いルナの役目だけどね」
「うるさい。鈍臭い鈍臭いって、サニーが言えた口じゃないわよ。私が転んであげなかったら、鬱憤を晴らされるのは、もっぱらサニーに決まっているわ。大体、サボタージュに一番耽りやすいのは、サニーじゃない」
「鈍臭いルナには、言われたくないわね」
「私だって、サボりやすいサニーには言われたくない」
「なにを」
「この」
「はいはい、喧嘩は他所でやって頂戴ね」
取っ組み合いをはじめた二人に、スターが割って入った。
普段と何ら変わりない、姦しい空気が三人を取り巻きはじめている。人里で珈琲を飲んだことなど、ルナはすっかり忘れてしまっていた。
「それじゃあ、鈍臭いルナも加わったことだし」
腰に手を当てながら、サニーは言った。
反論することは、すでに諦めていた。
「いざ、竹林へ!」
「おー!」
高々と手を上げて宣言したサニーに、スターが続く。
「おー!」
妖精に、悪戯を躊躇する理由などない。
二人に続いて、ルナも高々と手を上げながら、威勢よく声を上げた。
口内の珈琲の香りは、跡形もなく消えていた。
その事実に、ルナは思い至ることすらなかった。
◆◆◆
藪の高い竹林は、かすかな風に揺られて、さらさらとさざめいていた。
背の低い妖精にとって、身を隠すのには絶好の環境だった。能力を発揮せずとも、容易に人間へと近寄れる。念のため、周囲の音を消し去りながら、ルナは意気揚々と歩いていた。
サニーとスターも、同様である。
悪戯のためとは言え、徒に歩き回っている訳ではない。スターが、竹林をうろつく人間の気配を捉えていた。都合の良いことに、一人でうろついているらしい。
珍しいとも思ったが、怪しいとは思わなかった。
サニーが悪戯の敢行を切り出したのは、今しがたのことである。妖精の気まぐれな思い付きを、目ざとく勘繰るような輩が居るとは、ルナには到底思えなかった。サニーとスターも同様であるらしく、一人でうろつく人間が居ると分かるや、その顔を喜色に緩ませていた。
無論、ルナとて同じだった。
竹林を一人でうろつくなど、悪戯して下さいと言っているようなものである。
今回のターゲットと定めた人間に向かって、三人は意気揚々と、しかしながら抜き足差し足忍び足だけは欠かさずに、近寄って行った。
麦藁帽子を被った、後ろ姿を発見した。
背負った籠に、採った山菜か何かを放り込んでいるらしい。一心不乱に作業している後ろ姿には、音もなく忍び寄った三人へと気付いた様子は、少しもなかった。
ルナは、二人の顔を窺う。
示し合わせたように、三人は顔を合わせて、ほくそ笑んだ。
「ちょっと、消してやるかな」
サニーが手を掲げて、目を細める。
丁度、麦藁帽子を被った人影、そこから数歩先にあった段差が、姿を変えた。三メートルほどの段差は、塗りつぶされるようにして、なだらかな草地となる。サニーが、光の屈折を利用して模った、虚像だった。
人影に、気付いた様子はない。
音の消えた中で、サニーは得意げに鼻を鳴らした。
「楽勝」
準備はこれで終わりである。
後は、適当に見渡せる場所から、見物を洒落込めば良い。
ルナが音を消し、スターが近寄る気配がないかを確かめながら、足早にその場を後にする。
見物のための小高い岩は、程なくして見つかった。
よじ登り、その時を待つ。
人影はこちらを見ようともしていなかった。
鈍臭い人間だと、ルナは思った。
後、三歩。
地面へと向いた顔は、麦藁帽子に遮られて見えない。
後、二歩。
緩慢な動きで、山菜を籠へと放り込む。早く歩けと、心の中だけでルナは急かした。
後、一歩。
腰を揉むように両手で押さえながら、人影は足を止めた。逸るようなもどかしさも感じたが、それもまた、悪戯の醍醐味だった。
三人揃って、固唾を呑む。
人影は、最後の一歩を踏んだ。
たちまち、サニーの作り出した虚像はゆらりと消えて、崖のような段差が現れた。足を踏み外した人影は、転がるように落ちていった。その際、脱げた麦藁帽子が、一拍遅れて後を追うように、落ちていった。
落下する瞬間、人影の顔が、三人からも見えていた。
驚きによって、目や口を大きく開いた、男の顔だった。
三人は、一斉に笑った。
「大成功!」
サニーの歓声が響き渡った。続いて、スターとルナも歓声を上げた。
確かに、大成功だった。
惨めないくらいに情けない顔で、男は落ちて行った。サニーもスターも、腹を抱えて涙目となり、笑っている。勿論、ルナも同じように笑っていた。いかにも妖精らしい、辺りを憚らないほど大きな声で、三人は笑い続けた。
「やったわね。あの人間の顔、見た?」
息も絶え絶えに、サニーは言った。
抑え切れていない笑いの発作が、声に滲んでいた。
「本当、可笑しい顔だったわね。それに、ルナみたいに鈍臭いんだもの」
目尻の涙を拭いながら、スターは言った。
サニーと同じく、未だに笑いの収まっていない声だった。
「私みたいと言うのは余計よ。でも確かに、鈍臭かった」
ともすれば、笑いの沸き立ちそうになる腹を、ルナは必死に押さえていた。
「久々に、サニーの落とし穴も成功したし。これくらい、シンプルな方が良いんじゃないかな。あんまり凝り過ぎると、逆に目立っちゃう気がするもの」
「鈍臭いルナにしては、慧眼な言葉ね。霊夢とかだと、あんなに見事には嵌ってくれないもの。これからしばらくは、神社ではなく人里なんかを、悪戯の対象にするのも悪くないかもね。ほとぼりが冷めるまで、ってところかしら」
「スター、ルナを誉めるくらいなら私を誉めなさいよ。最初に、この竹林での悪戯を提案したのは、何を隠そう、この私よ」
「あら、それじゃあ、そんなサニーの提案に応じた私も、誉められて当然なんじゃないかしら。そこから考えると、ルナを誉めてしまったのは、お門違いだったわね」
「鈍臭いを交えている時点で、誉めているとは思えないのだけど」
「だって、ルナが鈍臭いのは事実じゃん」
「サニーに同意。鈍臭いのは事実よね」
「落ちた人間ほど、鈍臭くない」
ルナの言葉に、二人はまた大きく笑いはじめていた。
さすがに、その笑いには同調できなかったので、ルナはぷいっとそっぽを向いた。
落ちた先から、叫び声などは聞こえて来なかった。
恐らく、気絶でもしているのだろう。騒がれないのは、即ち、追い掛けられるリスクも大きく減るので、ありがたかった。そういった意味でも、この悪戯は大成功だった。
男の落ちた、崖を見つめる。
麦藁帽子が脱げて、驚いた顔が思い起こされる。
ふと、引っ掛かった。
落下した男に、見覚えがあるような気がした。
「何しているのよ、ルナ」
「サニー、能力を忘れないでね。ルナ、行きましょう。誰かに見られたら、厄介だわ」
サニーとスターは、すでに岩から降りていた。
慌てて、ルナも岩から降りようとする。
「うわっ」
足が滑った。
「へぷ」
岩から、真っ逆さまに落ちた。
幸い、落下したのは藪の中だったので、大事には至らなかった。
「なにやってるのよ、ルナは本当、鈍臭いなあ」
「サニーに同意。本当、ルナは鈍臭いわねえ」
起き上がった途端に、これだった。
二人の同情の欠片もない言葉に、ルナは口をへの字に曲げた。
また、引っ掛かった。
同情の欠片などないのは、いつものことである。サニーとスターが、ルナが転んだことに気を掛けたことなど、今まで一度もなかった。むしろ、転んだルナなど放置して、我先にと逃げ出すのが、この二人である。同情どころか容赦の欠片もないのが、サニーとスターだった。
だと言うのに、自分は同情くらい良いじゃないかと思った。
今までにないことを、自分が期待してしまったことに、ルナは束の間、戸惑った。
「あ、待って」
足早に、この場から去ろうとする二人の後ろ姿を見て、ルナは駆け出した。
藪が高いのは、身を隠すのには絶好の環境だったが、逃げ出すのには面倒だった。ルナの背よりも高い草々が、視界を遮り、足を邪魔してくる。再び、こけてしまわぬよう注意しながら、それでもルナは足を速めた。
天高く伸びた竹が、風に揺られてさわさわと鳴いている。
周囲の音を消してもいないのに、竹林は静かだった。竹のさざめき以外に聞こえるのは、三人が茂みを掻き分ける音だけだった。
三度目の、引っ掛かりを覚えた。
男の顔には見覚えがあった。
転んで同情されると何故か思った。
静けさに包まれた空間がひどく心地良かった。
なにか、忘れているような気がした。
ぼんやりと、忘れたものを思い出そうとして、ルナは思考に埋没した。
かくんと、身体が揺れた。
「えっ」
引っ掛かった。
四度目は、思考の中ではなく、茂った草に足を取られていた。
「うわっ」
身体が、宙に浮く。
「へぶ」
踏ん張る暇もなく、ルナは茂みの中へと転んでいた。
幸い、先程と同じく藪の中であり、痛みなどはなかった。
「えう」
変わりに、足元の草が口に入ってしまった。
食んでしまった生の雑草は、お世辞にも美味だとは言えなかった。
「えう」
青臭さが、口の中どころか、鼻や喉にまで広がった。涎と一緒に、即座に雑草は吐き出したが、それでも臭いは消えなかった。
差し伸べてくれる手はない。
先を急ぐように、茂みを掻き分ける音が、遠退いていく。
よろよろと、起き上がった。
薄情者。
声に出さずに呟いてから、それでも二人の後を、ルナは追い駆けはじめた。
誰かが追ってくる音は、聞こえなかった。
◆◆◆
悪戯に成功した日は、宴会をして夜を過ごす。
いつからだったか、三人の間ではそれが決まりだった。もしかしたら、三人で同居しはじめた際に、そんな取り決めを作ったかも知れない。或いは、自然とそうなっていったのかも知れなかった。どちらにしろ、宴会は嫌いではなかったので、止めることはなかった。
いつから三人で暮らすようになったのかを、ルナは憶えていなかった。
恐らく、サニーやスターも、同じように憶えていないだろう。かなり昔のことだったようにも思えば、それとは逆に、極々最近になってから暮らしはじめたようにも思えた。
どちらであれ、関係ないのである。
現在を生きるのが妖精だった。変わり者と称されるルナとて、例外ではなかった。
今を生きているのであり、過去にこだわることはない。
第一、ひとつのことに意識を向ければ、その他のことは即座に忘れてしまうほど、妖精は忘れっぽいのである。過去にこだわりを抱くどころか、そもそも憶えてすらいないのが妖精だった。
だからこそ、宴会の切欠など、思い出すだけ無駄だった。
楽しいから続けている。
ルナにとっては、それで充分だった。
昨日、悪戯に成功した後の宴会も、やはり楽しかった。ルナも飲んだし、サニーやスターも飲んでいた。翌日のことなど気にすることもなく、呑まれるくらいに酒を飲んだ。
その結果、普段となんら変わりなく、一番に起床したのはルナだった。
宴会の片付けを終えた今も、サニーは勿論、スターでさえ起きていなかった。しっかり者と思われがちのスターではあるが、彼女とて妖精である。飲み過ぎて寝潰れてしまうことも、度々あった。
サニーについては、言わずもがなである。普段から寝ぼすけの彼女に、人並みの起床を期待したことはなかった。宴会の翌日ともなれば、尚更である。
だから、宴会の片付けを押し付けられたことにも、ルナは腹を立ててはいなかった。
立てるだけ無駄だと、悟っていた。
適当に、香の物を見繕って、住まいである大木を後にした。
今日も人里に、珈琲を飲みに行くつもりだった。
珈琲が飲みたくなり、部屋で豆を探した。しかし一向に豆は見つからず、そこでようやく人里のカフェに、全て渡してしまったことを思い出した。多少面倒だとも思ったが、それでも美味い珈琲が飲めることを思えば、我慢も出来た。
それくらいに、カフェでの珈琲が美味しかったことを、ルナはようやく思い出していた。
神社の横を通り過ぎ、道なりに歩く。
飛ぶのも悪くはなかったが、先日、見事に悪戯が成功したのである。胸を張って、堂々と歩きたかった。
人里入り口の門を潜り、大通りを歩いていく。
カフェは、少し脇道に逸れた所にあった。記憶は曖昧だったが、足が憶えていた。見覚えのある店を見つけて、ルナは意気揚々と駆けた。途中で転びそうにもなったが、なんとか踏み止まった。
店の前まで行き、扉の蝶番を握り締める。
「えっ?」
開かなかった。
がちゃがちゃと強めに引っ張ってみたが、それでも開かなかった。
扉には〝CLOSED〟と書かれた看板が、掛けられていた。これまで来た時には、掛けられていなかった。不審に思い、窓から中の様子を窺おうとも思ったが、カーテンのような物で遮られており、見ることは叶わなかった。
定休日なのだろうか。
先日、店を去る際には、そのようなことは伝えられなかった。
妖精と舐められたのかも知れない。
妖精には、定休日を教える必要もないと見くびられたのかも知れない。
あまり嬉しくはない想像に、ルナは口をへの字に曲げた。
もう一度、開けてみようと思い至って、扉の前まで歩み寄る。
急に、扉が勝手に開いた。
「へぷ」
扉の前に立ったのが、いけなかった。
あまり強い勢いではなかったが、それでもおでこと鼻を強かに打って、ルナはつんのめった。特に、鼻を打たれたのが効いた。二、三歩ほど、よろよろと後ずさってから、尻餅をついた。
鈍痛の広がる鼻を押さえながら、ルナは扉を睨んだ。
より正確には、扉の向こう側から覗いている、浅黒い男の顔を睨んだ。
目尻に浮かんだ涙を、服の袖で強く拭ってから、跳ねるように立ち上がった。幸い、数日前のように鼻血が垂れることはなかった。
「痛いじゃないの」
「ああ、ごめん」
尻の土埃を払い落として、口をへの字に曲げる。
男は、無表情だった。
取り繕うような笑みを露ほども浮かべてはいないことに、ルナはかすかな違和感を覚えた。じっと見下ろしてくるその目は、浅黒い顔の中では、やはり白目の部分が際立っていた。
「定休日なの?」
「いや、ちょっと閉めていただけさ。君の姿を見たんで、こうして開けた」
「もしかして、わざと私にぶつけた?」
「どうだろうねえ」
飄々とした物言いは、これまでに会った時と変わらない。
しかし、その口調に確かな硬さを感じて、ルナの違和感は益々膨れ上がった。
「入りなよ」
「いいの?」
「君を見掛けたから、こうして開けたんだ」
招かれるように、扉が開かれた。
湧き上がった違和感もそのままに、ルナは店内へと足を踏み入れた。
普段なら、そこで瀟洒な音楽が出迎えてくれるはずだった。或いは、女性特有の姦しい会話が、耳朶を打つはずだった。
その、どちらもなかった。
さざめいていた竹林よりも更に、店内は静けさに満ち溢れていた。
圧迫感のようなものに、ルナの歩みは自然と止まる。夜は歩き慣れているルナにとっても、この静けさには居心地の悪さを覚えた。鼓膜が、引っ張られて痛くなるような感覚に、襲われる。妖精には遥かに縁遠い、緊張感がルナを絞め付けていた。
堪らなくなり、男へと振り返る。
背後に立った男の顔は、先と変わらず、無表情だった。白目の際立つ視線で、ルナをじっとりと見下ろしていた。
ちくりと、かすかに痛んだ。
男の冷たい視線に、ルナは言いようのない痛みを感じた。
「席はね」
「え」
「ひとつしか、空いていないんだ」
そんなはずはない。
冗談だと笑い飛ばしてやろうと試みたが、失敗に終わった。
笑うことに失敗した、変な顔しか浮かべられなかった。
音楽はおろか、会話すらも聞こえてこないのに、空いた席がひとつだけであるはずがないのだ。ルナの専門は、もっぱら音に関することである。スターのように、気配のことは分からない。それでも、今この店内に、誰かが居る気配は皆無だった。
男が一歩、歩み寄った。
ルナは一歩、後ずさった。
身体が後ろに大きく動き、結果として店内へと足を踏み入れることになった。入り口近くの棚によって、遮られていた店内の様子が、一望出来るようになっていた。
一人、男の客が居た。
端のテーブル席に、外を眺めている客が、一人。
薄くなった頭髪は、大半が白く染まっている。ぼんやりと外を眺める横顔は、草臥れた外套を思わせるほどに、老けていた。
思い出した。
カフェで見るのは、三度目だった。
カフェ以外で見ることも含めるなら、四度目だった。
竹林のさざめきが、耳の奥で反響する。
固唾を呑みながら、今か今かと、悪戯に引っ掛かるのを待っていた。
崖へと落ちる、その瞬間を待っていた。
麦藁帽子。
あの麦藁帽子が、テーブルの片隅に置かれていた。
客が、ルナを見た。
「あっ」
掠れた声が自分のものだと、ルナはすぐには気付けなかった。
目が合ったのは、老人だった。
落下する瞬間、驚きに目も口も大きく開いたその顔と、重なった。
咄嗟に、踵を返した。
抱かれるようにして、浅黒いその腕に、逃げ道を塞がれた。
「駄目だよ」
硬い声が、耳元で聞こえた。
暴れようとする気力を奪うのには、それだけでも充分だった。
「君は、君の行いを、反省しなきゃいけない」
肝が冷えるとは、こういうことを言うのだろう。
胸の奥、鳩尾の辺りを、痛みのような冷たさが覆った。
悪戯をすることには慣れていた。その後、悪戯をした人間に懲らしめられることにも、慣れているつもりだった。霊夢や魔理沙なら、姦しいその声で叱られ、或いは蹴られたり殴られたりして、それで終わりだった。実際、霊夢には何度か蹴られたこともあった。それで済むものなんだと、半ば思っていた。
しかし、今は違った。
これから懲らしめられることは、充分、理解していた。
悪戯によって被害を受けた人間が、そこに居るのだ。叱られる、鬱憤を晴らされるなどのことは、明らかだった。
しかし、これまでとは違っていた。
霊夢や魔理沙とは違うのだと、ルナは絞め付けられるように、思った。
こんなに居心地の悪い思いは、はじめてだった。
こんなに硬い声で叱られるのは、はじめてだった。
こんなに強い力で引き止められるのは、はじめてだった。
霊夢や魔理沙とて、大人ではない。妖精から見れば大きいことに変わりはないが、それでも二人は大人ではない。
今、自分は大人に、本気で懲らしめられようとしている。
その事実に、ルナは心の底から慄いていた。
「座りなよ」
有無を言わせぬ力で、抱き上げられた。
テーブルを挟んだ、老人の反対側に座らされた。
「香の物、預かっておくよ。いつもどおり、珈琲は淹れよう」
要らなかった。
しかし、言えなかった。
出来ることなら、この場から今すぐ逃げ出したかった。こんな状況で珈琲を美味しく飲めるなど、到底思えなかった。もとより、これから懲らしめられることが、目に見えているのである。席を立ち、駆け出し、サニーとスターの居る家に、一刻も早く帰りたかった。
老人の視線が、それをさせなかった。
眠たげに細めた瞳は、じいっとルナに注がれている。覇気などなく、妖精の力でも凌げると思えてしまうほどに、草臥れた視線だった。
しかし、それでもルナは縛られていた。
熱くもなく冷たくもないその視線は、頑丈な鎖のように、ルナの心身を縛り上げていた。
唾を、飲み込む。
鳥肌が立ち、肩が奇妙に重くなる。
老人の視線から目を逸らすことが、ルナには出来そうにもなかった。
「あんた」
しわがれた声が、届いた。
老人のものだと気付いたのは、次の言葉が発せられてからだった。
「俺を、崖に落としたんだってな」
穏やかな声だった。
老人特有のだみ声だったが、荒っぽくはなかった。奇妙に耳にこびり付く、低い声だった。
「おかげで、頭を打ってな。気絶しちまったよ」
薄い白髪を、撫でる。
大きなガーゼが貼られていることに、ルナはようやく気が付いた。
「竹林を見回ってる、お嬢ちゃんが居てな。その子のおかげで、医者にも診てもらえた。大事には至らんかったが、発見が遅れていたら、危なかったらしい」
老人に、激昂した様子はなかった。
「俺は、ただ寝るみたいに、気絶していただけなんだがな」
答える言葉は、浮かばなかった。
むしろ、答えるべきかどうかなのかも、ルナには分からなかった。
「気絶していた、それだけだったんだよなあ」
老人は、ルナから窓へと視線を移した。
「それだけだった。寝ていたような、そんな感じだった」
ルナは、老人の視線を追えなかった。
動けなかったと言った方が、正しいかも知れない。堪らなくなり、膝の上に置いた手で、ぎゅうっと握り拳を作った。
頭が痛かった。
目尻が、絞られるように痛くなった。
「寝ている時にな」
ルナを見ずに、老人は続けた。
「婆さんに、会った」
眩しいものでも見るかのように、眠たげな瞳が、更に細められた。
「死んだ婆さんに、出会った」
穏やかに、告げられた。
穏やかな老人の声に、ルナは殴り付けられたかのような眩暈に襲われた。
鳩尾の、痛みのような冷たさが、一層強くなった。
「先に逝かれた婆さんに、寝ている中で、出会ったよ」
夢でも見ているかのように、老人の横顔は静かだった。
草臥れた外套が、今は亡き持ち主を偲んでいるかのように、風もなく揺れている。見たこともないはずの情景が、ルナの脳裏によぎった。
「あんたに落とされて、頭を打って気絶して、そこで出会った」
ゆっくりと、老人は瞼を閉じ、そして開いた。
「死んだ婆さんに、出会ったんだよなあ」
身体ごと、ルナへと向き直る。
正面から見た老人の目は、やはり眠たげに細められていた。覇気どころか、気力すら見られないほどに、静謐だった。熱さや冷たさなどの、子供が抱くどころか、大人でさえ抱くような色合いが、すっぽりと抜け落ちているように思えた。
握り拳の中で、じわじわと汗が広がった。
こんな視線を向けられたのは、はじめてだった。
陽の光でも、月の光でも、況してや星の光などでもない。そんな姦しい光ではなく、老いた人間の静かな光が、ルナへと注がれている。
雑多な色の含まれない視線が、ルナの心を冷やし、縛り付けていた。
「会わせて、くれないかなあ」
老人の目は、片時もルナから逸れなかった。
「死んだ婆さんに、また会いたい」
喉首を、掴まれたかのような感覚に襲われた。
ひくりと、喉から漏れた息が鳴った。
「死に掛けなければ、たぶん、会えないんだろうなあ」
自ずと、唇を噛んでいた。
老人の言葉は、どんな脅迫や叱咤よりも遥かに鋭く、ルナへと突き刺さった。
「死に掛けなければ会えない。うん、うん。たぶん、そうなんだろう」
頭に貼られた、大きなガーゼが目に付いた。
「死んだ婆さんには、やっぱり、死に掛けなければ会えないんだろう」
老人の目は、ルナの顔を覗き込んでいる。
絞られるように視界が狭くなった。老人の顔しか、ルナには見えなかった。
逸らしたかった。
しかし、出来なかった。
「あんた」
老人の口が動いた。
「また、やってくれないかなあ」
眠たげな視線は、ルナを見続けている。
「また、死んだ婆さんに会いたい」
声が届くたび、自分の身体が小さく震えていることに、ルナはようやく気が付いた。
「死に掛けて、死んだ婆さんに、また会いたい」
唾を、飲み込もうとした。
「あんた、俺を崖に、落としたんだよなあ」
口の中は、からからに乾いていた。
「また、やってくれないかなあ」
老人の顔が、ほんの少しだけ、ルナへと近付いた。
「また俺を、死に掛けに、してくれないかなあ」
「あ……」
限界だった。
鳩尾の冷たさが、胸にまでせり上がり、そのまま言葉となった。
「ごめん、なさい」
言った途端、視界がぼやけた。
自分が涙を流したのだと分かって、ルナは嗚咽を上げた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
何に謝っているのかは、ルナにも分からなかった。
老人に謝っているのかも、カフェの男に謝っているのかも。或いは、自分に向けて謝っているのかも、ルナにはよく分からなかった。
それでも、謝罪の言葉は止めなかった。
止められなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
嗚咽と一緒くたに、むせ掛けながらも言い続けた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめん、なさい」
暖かい感触が頬を伝う。
垂れてくるものに鼻をすする。
涙と鼻水で、顔をくしゃくしゃにしながら、ルナは謝り続ける。
「ごめんなさい、ごめ、んなさ、い」
堪え切れなくなって目をつぶった。
溜まっていた涙が、一斉に溢れ出た。
「ごめんなさい」
老人の表情は変わらなかった。
嗚咽を上げるルナなど、目に入っていないかのように、静かだった。
「そうか、ごめんなさい、か」
老人は、視線を窓へと移した。
遠くを見据えるように、その目が一層、細められた。
「死んだ婆さん、か」
黙っていることしか、ルナには出来なかった。
嗚咽を止めることも、ルナには出来なかった。
老人が次に何を言うのかを待っていることしか、今のルナには出来なかった。
不意に、老人はルナへと向き直った。
「なあんてな」
眠たげな瞳の中に、悪戯のような光が瞬いたのを、ルナは見逃さなかった。
「……えっ?」
嗚咽がぴたりと止まった。
涙も鼻水も、拭うことすら出来ないまま、ルナは老人の顔を凝視した。
「んじゃ、また」
そんな哀れな妖精を他所に、老人は立ち上がった。
カウンターの向こうへと、意外と颯爽とした動きで手を上げてから、そそくさと出て行ってしまった。
店内には、泣き腫らしてぐちゃぐちゃとなった顔の、ルナだけが取り残される。茜色の瞳も、可愛らしい口元も、ぽかんと開けたままの状態で、取り残されていた。
唐突に、瀟洒な音楽が流れてくる。
浅黒い顔の男が、店の外へと出て行き、すぐに戻って来た。手には、あの〝CLOSED〟と書かれた小さな看板が、握られていた。
訳が分からず、ルナはそれを、視線だけで追った。
カウンターの向こうから、男が近寄ってくる。手には、湯気を上げるカップが持たれていた。いつもと変わらない、足早ながらも流れるような動きで、ルナの前へと置かれる。中身は、当然のように珈琲だった。
垂れた鼻水のせいで、香りはほとんど分からなかった。
「あの爺さんの、奥さんね」
堪え切れない様子で、男は微笑んでいた。
「御健在だよ」
「えっ?」
「健康そのもの。気絶から覚めた時には、人様に迷惑を掛けるなと、こっぴどく叱られたらしい。あの爺さん、来て早々、俺に愚痴っていたよ」
「えっ? ええっ?」
「敵わないなあ」
涙も鼻水も拭わずに、ルナは目を白黒させた。
男の顔が、ルナを見下ろした。白い歯が覗いた。
「悪戯さ」
「悪戯?」
「目には目を、妖精には悪戯を。あの爺さんの言葉だよ」
カウンターの向こう側へと男は消えた。
ややあって、声だけが届いた。
「今日は、君もブラックが良いだろうねえ」
まさかと思った。
弾かれるような勢いで、ルナは入り口へと、身体ごと振り向いた。
「まんまと、騙されたって訳だ」
嵌められた。
ようやく、その考えに思い至って、ルナは椅子から立ち上がった。もつれる足を寸でのところで踏み止まらせながら、入り口へと駆け寄り、外へと飛び出す。
ずるり。
「へ?」
人里の舗装された道は、靴底が滑るのには最適だった。
べちゃ。
「へぷ」
駆け出した勢いもそのままに、ルナは道へと転んだ。
痛みが顔や膝を中心に広がるが、それを我慢しながら起き上がり、辺りを見回した。
老人の姿は、どこにもなかった。
崖に落ちるよりも遥かに鮮やかに、老人は姿をくらましていた。
悔しさが、痛みとともに広がる。
妖精は、悪戯をするからこそ妖精なのである。そんな自分が、よもや人間などの悪戯に振り回されるのは、我慢ならなかった。専売特許、所謂、お株を奪われたような気がした。
涙と鼻水に、更には砂によって汚れてしまった顔で、空を仰ぐ。
「なあんてな」
耳の奥で、老人のだみ声が反響した。
してやられた。
それだけを、ルナは思った。
自分が、意外と苛立っていないこと、老人の手並みに感嘆すらしていることに、ルナ本人が気付くことは、遂になかった。
◆◆◆
稗田阿求には、お気に入りの場所がある。
候補は幾つもあるのだが、そのほとんどが、一人で簡単に出歩ける場所ではなかった。屋敷の人間を伴わなければ行けないのは、お気に入りの場所とは言え、やはり面倒だった。
人里の一角にあるカフェテリアは、そういった面倒さに縛られない、貴重な場所だった。
「いらっしゃいませ、稗田さん」
扉を潜ると、浅黒い精悍な顔が、笑顔で出迎えてくれた。
所謂、イケメン店主である。
花も恥らう乙女である阿求にとって、迎えてくれる男性は、やはりこういったイケメンである方が嬉しかった。男性なら美女や美少女、女性なら美男や渋面、これに惹かれるのは当然であると、阿求は思っている。
もっとも、阿求は美少女である。イケメンである店主にとっても、悪い気はしないことだろう。
持ちつ持たれつである。
そんな根拠のない自信を、阿求は、そのお淑やかな胸に秘めていた。
「こんにちは。今日も紅茶を、温かいのでお願いします」
「茶葉は、どうされますか」
「ダージリンで。ストレートが飲みたいです」
「かしこまりました」
恭しい声とともに、男の顔から白い歯が覗いた。
カウンターに腰掛けて、一息つく。
店主がイケメンであることも大きかったが、それ以上に、珈琲や紅茶へのこだわりが強いことが、阿求がこのカフェを気に入っている理由だった。値段は、相場と比べるとやや割高だったが、それもまた必要経費と割り切れるほどに、出される紅茶はどれも美味しかった。
こだわりの強さは、妖怪にも受けが良かった。
入り口付近の棚には、鴉天狗の新聞が、何部も備えられていた。実際に、射命丸などの顔見知りに出くわしたこともある。店主から聞いた話では、あの命蓮寺や尸解仙の連中も、時折ではあるが通っているらしい。
下を向き、真剣な表情で作業をしている、店主の顔を見る。
客に女性が多いのは、たぶん、そういう理由なのだろう。
誰も彼も現金なものだと、阿求は自分のことは棚に上げながら、思った。
蓄音機から流れる音楽に、しばし身を委ねる。
妖精に、珈琲豆を盗られて困っているとの相談を受けたのが、このカフェを知る切欠となった。対策として、蓄音機で音楽を流し続けることを提案すると、店主は早速、実行してくれた。今では、妖精への対策などではなく、もっぱら客の耳を楽しませるために、音楽は流されている。
これもまた、阿求のお気に入りだった。
幺樂とは違う、瀟洒な曲によって物静かに彩られるのも、悪くなかった。美味しい紅茶で舌を楽しませ、流れる音楽で耳を楽しませる。豊かな時間とは、決して姦しいものばかりではないのだと、阿求は沁みるように思った。
漂ってきた紅茶の香りが、小鼻を優しく覆ってくる。
阿求は、柔らかな頬をだらしなく緩ませながら、静かに目を閉じた。
「負けたなんて思ってないのよ! 私は!」
姦しさ満載の声は、そんな阿求の乙女心をぶち破るのには、充分な代物だった。
目を見開き、眉間に深々と皺を寄せながら、振り返った。
記憶が正しいなら、声には聞き覚えがあった。さらに記憶が正しいならば、その声の主は、この場には最も相応しくない輩のはずだった。加えて、阿求は自分の頭脳の明晰さには自信があった。記憶にも、人並み以上の自信を抱いていた。
果たして、端のテーブル席に、小さな影を見つけた。
背中には薄い羽が備えられており、繊細な色合いの金髪は、生意気なことに美しい縦巻きで整えられている。背中しか見えなかったが、前述した特徴に加えて、その身体が人間用の椅子より一回りほども小さかったことから、その正体を察するのは容易だった。
ルナチャイルド。
このカフェから珈琲豆を盗んでいる、ふてぶてしい妖精だった。
その妖精が、何故ここに居るのか。
どうして店内で、悠々自適に過ごしているのか。
盗っ人猛々しい。
それだけをまず思ってから、阿求はカウンターを挟んで、男に話し掛けた。
「すみません」
「どうかしましたか、稗田さん」
「なんで、あれが居るんです?」
顎だけで、ルナチャイルドを指した。
「あの妖精。私の記憶が正しいなら、このお店の珈琲豆を、盗んでいたはずですよね?」
「仰るとおりです。現に、数日前に盗もうとした時に、追っ駆けて捕まえましたよ」
「はあ、やっぱりそうでしたか。私、安心しましたよ。自分の記憶違いじゃなかったかと、それはそれは心配になりました。豆を盗んだことは、確かなのですね」
「ええ、確かです」
「……すみません。もう一度、聞きますね」
人差し指を立てて、阿求は続けた。
「なんで、あれが居るんです?」
「大体、ああやって騙すなんて卑怯じゃないの! 人間なら、もっと真正面から堂々とやりなさいよ、堂々と!」
「堂々としちまったら、そいつはもう、悪戯じゃあないねえ」
「なら、心の問題よ! 心の! 言っておくけど、私たち妖精は、悪戯には命賭けてるんだからね!」
「ははあ、偉いもんだ。命を賭けるなんて、おいそれと言えたもんじゃない。でもねえ、それ、本当?」
「……いや、さすがに本当かと聞かれたら、微妙だけど」
店主の答えを待たずに、阿求は振り返った。
端のテーブルには、ルナとは反対側の椅子に、老人が座っていた。
どうやら、ルナチャイルドが何事かを喧しく叫び、それを老人がのらりくらりとかわしているらしい。眠たげに目を細めた老人にも、阿求は見覚えがあった。ルナチャイルドの仲間である、サニーミルクについての話しを聞いた、自称筍採りの老人だった。
益々、眉間の皺が深くなる。
筍採りの老人と、豆泥棒の妖精。
どう考えても、接点があるようには思えなかった。
「ここ最近、ずっとあの調子なんですよ」
「はあ」
「爺さん、あの子のこと、よっぽど気に入ったんだろうなあ」
「ははあ」
「店に来るたびに、ああやって言い争っている始末です」
なにがそんな面白いのだろうか。
男の朗らかな笑みに、阿求は呆れ半分の心持ちで、気のない相槌を打った。
「数日前、あの子、ルナチャイルドをとっ捕まえましてね。試しにと、珈琲を淹れてみたんですが、それはもう美味しそうに飲んでくれまして」
「はあ、妖精に珈琲とは、なんとも」
「提案したんです。何かを渡してくれたら、代わりに珈琲を淹れてやるって」
「魔理沙さんみたいな発想ですね。で、あなたは何を貰ったんですか?」
「香の物です。あの子、家で香の物を漬けているらしくって。妖精の漬けたものですから、まあ興味本位で、提案してみたんですよ。しかし、これが食べてみると、意外と美味いんですよ。いやはや、驚きました」
小振りなパックを、男は差し出した。
受け取り、中身を確認してみる。様々な種類の香の物が、所狭しと詰められていた。白米の欲しくなる香りは、瀟洒な音楽の流れるこの空間には、とことんミスマッチだった。
さすがに手は付けずに、パックを返す。
紅茶を前にして、香の物を食べたいとは思わなかった。
「驚きました」
「結構、しっかりした香の物でしょう?」
「それにも驚きましたが、私が驚いたのは別のことです」
「あの爺さんとの関係ですか? まあ、成り行きと言ったところですね」
「成り行きという言葉で片付けられたことも驚きですが、私が驚いたのは、更に別のことです」
「と、言いますと?」
「ずばりですね」
意地の悪い笑みを、阿求は浮かべた。
細めた瞳に、冷めたような感情を含んでしまうのは、どうしても抑え切れなかった。
「店主さんが、妖精好きな変態さんという事実に、驚きました」
「……すみません、どういうことでしょう?」
「普通、盗みをするような妖精に、わざわざ珈琲なんてご馳走しません」
「いやそれは、流れみたいなものでしてね」
「そもそも、親しげにあの子と読んでいる時点で、いかがわしい香りがプンプンします」
「あの子以外に、言い様がないでしょう?」
「でも盗っ人ですよね。確かに、香の物は中々の出来栄えでしたが、それでも香の物と珈琲とでは、接点らしきものなど何ひとつありません。交換など提案し、あまつさえ承諾するなど、やはり何か、いかがわしい匂いがします」
「いやいや、ちょっと待って下さいって。そもそもですね、あの子、追っ駆けている途中で、それはもう見事に泥へと突っ込んでしまいましてね。洋服とか、泥だらけになってしまって、あまりにも可哀想に思えて」
「憐憫を覚えたと。おお、卑猥、卑猥」
「だから」
さも面倒臭そうに、店主は言った。
浅黒いその顔が、こんなにも憔悴したような表情を浮かべたのを、阿求ははじめて見た。
「なんで、そうなるかなあ」
「あくまで、私がそう邪推しただけですよ。そんなに慌てることもないでしょうに」
「常連さんに、変な勘繰りをされるのは勘弁願いたいですよ」
「でも、何か思うところがなければ、そんなに慌てないですよね?」
「勘弁して下さいって、本当」
「まあこれは、私と店主さんだけの秘密にしておきましょう。ぐふふふふ」
「だから、なんで」
カウンターに手を付いて、店主はがっくりとうな垂れた。
「なんで、そうなるかなあ」
「うふふふふ」
阿礼乙女の九代目、カフェテリアイケメン店主の、いかがわしい性癖を握る。
鴉天狗の新聞の見出しのような煽り文が、即興で脳裏に浮かんだ。
「ほらほら、余所見をしてはいけませんよ。いくら、あの妖精が気になるからって、仕事で手を抜いてはいけません」
「あのですね」
「余所見は駄目ですよ、ぐふふふふ」
「……かしこまりました」
男の顔が、カウンターの向こうへと消える。
一頻りからかって満足したので、阿求は改めて店内へと耳を傾けた。
老人と妖精、この二人が何を話しているのかが、ほんの少し、気になった。
「ルナ」
「呼び捨てにしないでよ」
「茶、要るど?」
「……はあ?」
馬鹿にし切った妖精の声が、腹立たしいくらいによく聞こえた。
振り返ると、ルナチャイルドの手元には、湯気を上げるカップが備えられていた。
「何言ってるのよ、私にはこのとおり、珈琲があるわ」
「ルナ」
「だから呼び捨てにするなって」
「茶、要るど?」
「……あなたねぇ」
背中しか見えないルナチャイルドの表情は、阿求からは見えない。
それでも声の調子から、不機嫌に顔をゆがめているであろうことは、容易に想像がついた。
「さっきから、言ってるでしょう。呼び捨てにするな、私には珈琲があるって」
「ルナ、茶、要るど?」
「しつこいわよ、私にはもう」
「ルナ、茶、要るど?」
「ああああああ! 好い加減にしなさいよ! この糞ジジイ!」
上品な縦巻きロールが、左右に激しく揺れた。
「耄碌した? ねえ、いきなり耄碌しちゃったの?」
「ルナ茶要るど?」
「さすがに怒るわよ! いくら私が、妖精の中でも格別気が長いと言っても限度が」
「ルナ茶要るど?」
「あああああああああああああ!」
縦巻きロールが、一層激しく、上下左右に揺れた。
椅子から立ち上がるどころか、ルナチャイルドは椅子の上に立ち上がっていた。被っていた帽子を机へと叩き付けながら、店の外にまで響きそうな大声で叫ぶ。
「もう怒った! 本気で怒った! 妖精だからって見くびると!」
「ルナちゃいるど?」
「まだ言うか! 今日こそは、ぎったんぎたんに!」
「ルナチャイルド」
「……へっ?」
冷水を、頭から浴びせられたかのようだった。
椅子の上に立ち上がり、今にも老人へ飛び掛らんとしていた姿勢で、ルナチャイルドは固まっていた。
老人は、静かな顔のまま続ける。
「ルナ、茶、要るど? ルナチャイルド」
ふわりと、その顔が笑った。
草臥れた外套が、生来の主に着られるかのように翻った情景を、阿求は思い起こした。
「なあんてな」
眠たげな瞳が、悪戯っぽく光った。
店内に響いたルナチャイルドの雄叫びは、これまでの比ではなかった。
椅子の上で地団駄を踏もうとし、そのまま足を滑らせて、真っ逆さまに落下した。中々、大きな音がした。うつ伏せの状態で、ルナチャイルドはカフェの床に突っ伏していた。
カウンターから、店主が駆け寄る。
優しくルナチャイルドを抱き起こすと、持参したタオルでその顔を覆った。茜色の瞳に涙が滲んでいたのが、阿求からも垣間見えた。
どうやら、鼻血が垂れたらしい。
老人も席から立ち、ルナチャイルドの元へと屈み込む。自分の頭に貼られたガーゼを撫でながら、もう片方の手で、ルナチャイルドの頭を撫でていた。すまんすまんと言っているのが、阿求には聞こえていた。
茜色の瞳は、恨めしげに細められている。
それでも素直にタオルを受け取り、素直に頭を撫でられているところが、なんだか微笑ましかった。
静かになった店内へと、耳を傾ける。
妖精退治にも、色々あるんだなあ。
阿求はそれだけを思い、紅茶が来るのを待った。
「へぶ」
泥の中へと、頭から突っ込んだ。
連日続いた長雨のせいだと、自分が転んだ泥音を聞きながら、ルナチャイルドは思った。思いながら、自分の白い服が盛大に汚れるのが、嫌でも視界の端に見えていた。
そのまま、自身の身長分ほど、泥の上を滑る。
慣性の法則に従ってゆっくりと止まった時、泣きたくなるほどの惨めさを、ルナは感じていた。
「えう」
口の中に、苦味が広がる。
含んでしまった泥や砂を吐き出しながら、ルナは身体を起こそうとした。
「えぶ」
たぶん、力の入れ具合が悪かったのだろう。
腕が滑ってしまい、ルナの顔は、またもや泥へと突っ込んだ。
「えう」
最早、起き上がる気力すら沸かなかった。
ねちゃねちゃと、泥の上を転がるようにして、うつ伏せから仰向けへと姿勢を変える。ぬかるんだ地面が嘘のような、晴天が広がっていた。涙が滲んだ目で精一杯睨んだが、その青さが薄れることはなかった。
まず、連日続いた長雨を、ルナは恨んだ。
次に、久々に晴れたからと悪戯を持ち掛けた、同居妖精二人を恨んだ。
最後に、こうして自分が無様に転ぶ要因を作った、人間を恨んだ。
「うう」
鼻の頭を汚している泥を拭うつもりで、指を這わせた。何度も試みたが、余計に泥が付いただけだった。見ると、手のひらどころか、袖から肘に掛けての部分にも、べったりと泥が付着していた。
帽子を取り、泥の付いていない内側で、顔を拭った。
惨めさから溢れた涙も一緒に拭えたことは、不幸中の幸いだった。
「起きなよ」
視界に入った影が、それだけを言った。
無遠慮な力で、泥の中から引っ張り出された。
「転んだね」
陽に焼けた、浅黒い顔の男が、ルナを見ていた。
手短に喋るたびに、白い歯がちらちらと覗いている。精悍な顔立ちには、女性ならばそれとなく意識せずには要られない、躍動感とあどけなさとが同居していた。ルナへと向けられたその笑みにも、色香のような男臭さが滲んでいる。これが花も恥らう乙女であったなら、早鐘を打った心音に戸惑ったことだろう。
もっとも、吊るされるように首根っこを掴まれたルナにとって、そんな乙女心など露ほども沸かなかった。
半分ほど瞼を閉じ、泥の散った顔を不機嫌に歪める。
「本当、盛大に転んだ」
それでも男は、あっけらかんと笑った。
ルナの、眉間の皺が一層深くなる。
笑われたことも悔しかったが、それ以上の原因があって、ルナは益々不機嫌になった。そもそも、ルナが泥へと突っ伏す要因となったのは、他でもない。
目の前の男が、ルナを追い駆けたからだった。
「結果、君はこうして泥だらけだ」
「私が悪いみたいじゃない」
「自業自得でしょうが」
「あなたに追いかけられたのが原因よ」
「それは違うよ」
また、男は笑った。
笑ってから、いきなりその笑みを引っ込めて、ルナの顔に迫った。
「君が盗みをしたからだ」
一変した、真剣な顔だった。
ルナの目を覗き込むように、男の視線が向けられている。浅黒い顔に、白目の部分がやたらと際立っていることが、ルナには印象深く映った。
「君は、店から盗みをした」
「未遂に、終わったわよ」
間近に迫った顔から、ルナは視線を逸らした。
泳いだ茜色の瞳には、子供特有のあどけない気まずさが、滲んでいた。
「だって、私は盗めなかったじゃない。今だって、何も持っていないわよ。だと言うのに、あれだけ追いかけられるのは可笑しいわ」
「盗っていないから可笑しいと、君は言う訳だ」
「そうよ。盗もうとして、でも結局は未遂に終わったじゃない。これだけ追い駆けられて、あまつさえ泥の中に突っ込む羽目になるなんて、納得いかないわ」
「なるほど」
男は片時も、ルナから視線を逸らさなかった。
「盗みをしようとしたのは、認めるんだね」
「でも、未遂よ」
「盗みをしようと思ったのなら、同じことだ」
「じゃあ訂正! 盗もうと思ったけど直前で思わなくなった、これでどう!」
「いや遅いって」
「思わなくなった! 思わなくなったのよ!」
じたばたと、手足をバタつかせてルナは抗議した。
すでに乾き始めていた泥は、飛び散ることはなかった。男の服があまり汚れていないことに気付いて、ルナは密かに腹を立てた。
「君さ」
溜め息をつくように、男は言った。
「自分の責任とか、感じない?」
「全然」
「だろうね」
「大体、あんなに沢山あるなら、少しくらい盗ろうと思うのが礼儀じゃない」
「どうして、そういう考えになるのかなあ」
「腐っても妖精だもの、悪戯に命を賭けるのが妖精よ。勿論、命を払うのは御免被るけどね、例え一回休みでも」
「なるほど、腐っているようなやましさを持つから、妖精って訳ね」
「私は腐ってない!」
「怒るとこ、そこ?」
首根っこを掴む手を解こうと、ルナはなおも手足をバタつかせている。
悲しいことに、ルナの能力はこういった場を凌ぐのには、向いていなかった。サニーの能力の方が、よっぽど適任だっただろう。自分を満たしたいだけの悪戯には引っ張ってくる癖に、ルナの誘いには耳を貸そうともしなかった。今頃は、スターとともに自宅で、のんびりと午後のお茶を貪っていることだろう。そんな、同居人ならぬ同居妖精たちに、ルナは心の中だけで叫んだ。
役立たずと、思いっ切り。
「兎に角さ」
言いながら、男は踵を返した。
ルナを引っ掴む手は、当然のように離さなかった。
「来てもらうよ」
「なんでよ、正直に話したじゃない」
「署まで御同行願います」
「署ってなによ」
「ニュアンスだよ」
動物のように扱われながら、ルナは男を睨んだ。
こんな時、自分の軽い身体が恨めしかった。
「蓄音機、役に立ったなあ」
「しっかり音を消して近寄ったのに」
「でも、やっぱ高かったよなあ」
「あんなの、用意しているなんてずるい」
「盗られるのは、それ以上に腹立たしいんだけど」
「沢山ある内のちょっとだけよ、狙ったのは」
「豆は商売道具なんだ」
「沢山あるじゃない」
「沢山あっても、その中のちょっとだけでも、盗みは盗みだ」
「融通利かないのね、人間って」
「常識の腐っている、妖精には言われたくない」
「私は腐ってない!」
「あ、やっぱりそこは怒るんだ」
諦め切れず、ルナは吊るされながら手足をバタつかせる。それでも男の手を引き剥がすのには至らず、呆れたような溜め息をつかせるのが、精一杯だった。
茜色の瞳を、恨めしげに細める。
それもこれも、自分以外が悪いのだ。連日の長雨のせいで、泥だらけになってしまった。悪戯に誘っておきながら、ルナの提案には手のひらを返すように帰ってしまったサニーとスターのせいで、上手くいかなかった。蓄音機までルナへの対策に用意し、しつこく追い駆けてきたこの人間のせいで、盗っ人として捕まってしまった。
全部、自分以外が悪いのだ。
「私は悪くないのに」
仰いだ青空へと毒づいて、ルナは膨れっ面となった。
男の大きな溜め息が、また聞こえた。
結局、ルナは自分の非を認めなかった。
残酷なくらい、傍から見て鈍臭いと思えてしまうくらい、認めようとはしなかった。
◆◆◆
通された店内に、ルナ以外の人影はなかった。
木造の、質素ながらも上品にニスの塗られた机と椅子に、客は一人も居なかった。カウンターも同様である。閑古鳥が鳴くとは、こういう状況を言うのだろう。誰も居ないカフェテリアを見渡しながら、ルナは仕返しとばかりに思ってやった。
「今日は、もう店仕舞い」
何かを抱えた男が、何でもないように言った。
内心を見透かされたようなその言葉に、ルナは口をへの字に曲げた。
「妖精に盗られてばかりだと、商売上がったりなんでね」
「そんなに多くは盗んでいないわ」
「積み重なれば、それも馬鹿には出来ない」
抱えた物を、男は押し付けるように手渡してきた。
意地でも受け取るまいと思っていたルナだったが、柔らかな質感のそれを見て、かすかに目を剥いた。
綺麗に折り畳まれた、服だった。
「着替えには、奥の部屋を使えばいい」
「なんで?」
「君は泥だらけだ」
当たり前のように淡々と、男は言った。
「ついでに、奥のシャワーでも使えばいい。君が希望するなら、その服も洗濯しておこう」
「どういうこと?」
「そんな格好で、店内でも店外でもうろつかれるのは、嫌なんだ」
さも困ったように、男は後頭部を掻いた。
「寝覚めが悪いだろう」
「なにが?」
「まさか、あんな勢いで泥に突っ込まれるとは、思わなかったんだよ」
バツが悪そうに、男は続ける。
「おかげで、その白いお洋服も台無しだ。随分と汚れてしまっているけど、今ならまだ間に合うだろうね。今すぐ洗濯しておけば、汚れだって落ちる。だから、早くシャワーを浴びて、着替えてくれないかな」
「え? ええ?」
「いかがわしい考えなんて、君みたいな小さな妖精には、これっぽっちも抱いていないよ。とは言っても、それで安心してくれないよなあ。まったく、厳しい時代になったもんだよ。シャワー浴びてって言っただけで、これだからなあ」
浅黒い顔が、さも面倒臭そうに歪んだ。
男が何を言っているのか、ルナにはよく分からなかった。自分の言葉をいかがわしいと表現した理由も分からなかったが、それ以上に、理解に困った言葉があった。
盗みをしようとしたルナを、男は捕まえた。
だと言うのに、シャワーを浴びればいいと、親切なことを言ってきた。
そこへと至る道筋が、ルナにはよく分からなかった。
「はいはいはいはい。まあ、君がいかがわしいって思うのは、よおく分かったから」
肩に手が置かれ、くるりと身体の向きを変えられる。
奥への扉が目に入った。
「シャワー、浴びてきて。服だけじゃなく、髪や顔まで、君は泥だらけだ」
促されるままに、扉を開けた。その先は、確かに洗面所だった。奥にはバスルームらしき部屋が覗いている。
扉を閉めようとした時、男と目が合った。
何故か、苦笑いとともに手を振られたので、ルナはいよいよ分からなくなった。
シャワーは気持ちよかった。
泥のこびり付いた、髪や顔はそれだけで煩わしかった。加えて、サニーとスターとの三人で悪戯に興じた際、汗もかいていた。それらを一息に洗い流すのは、ただそれだけで清々しかった。
手渡された服は、ルナには少々大きいものだった。
男物の服は着辛かったが、それでも袖を通した。泥に汚れた洋服を、再び着たいとは思わなかった。
「やっぱ、大きかったかな」
首に掛けたタオルで、髪の水分を絞りながら、扉を開けた。
カウンターの向こうから、浅黒い顔が覗いていた。
「昔の、ガキの頃の服でね。それくらいしかなかったんだ、すまないね。汚れた服は、どうする? 持って帰るかい?」
「ん」
なおも戸惑いは感じていたが、それでもルナは汚れた洋服を差し出した。
駄目にするには惜しい、一張羅だった。
「洗濯、お願いするわ」
「了解」
男の声は朗らかだった。浅黒い顔を、どこか面白おかしそうに微笑ませながら、汚れた服を受け取っていた。
不穏な予感が、心中をよぎった。
もしや、この男。
「蓄音機は」
裾に足を引っ掛けないよう注意しながら、ルナは一歩、後ずさった。
「蓄音機は、何処で買ったの?」
「香霖堂、だったかな。そんな店名だったと思う」
カウンターの端に、蓄音機は重々しく鎮座していた。
瀟洒な音楽をささやかに垂れ流すその横から、男は顔を出した。
「霧雨商店で聞いたら、そこが良い品を扱っていると聞いたんでね。値は張ったし、運ぶのにも苦労したけど、おかげで曲は聞き放題だ。今では、これ目当てで来るお客さんも居る。稗田のお嬢さんも、ひどく気に入ってくれてね」
稗田!
ルナを包む緊張が、一挙に高まった。稗田でお嬢さんと言えば、間違いなくあの九代目のことである。
稗田阿求。
妖精の間では、悪名高いものとして、畏怖とともにその名は語り継がれている。情報に聡い妖精にとって、稗田阿求とは即ち、妖精を貶めることにこそ心血を注ぐ人間であるとの認識が強かった。もっとも、情報に聡い妖精と言うのは、このルナチャイルドを置いて他には居ない。同居するサニーやスターなど、恐らくは稗田阿求という名前すら記憶にないだろう。そこの事情から見ても、ルナは他の妖精とは一線を画しているという自負があった。
自負があるからこそ、男の言葉に肝が冷えた。
鬱憤を晴らす。
稗田阿求は自身の書物に、妖精に対する処遇として、この言葉を多用していた。鬱憤を晴らすために、自身の書物に妖精への対策を、事細かに記載していた。記憶が確かなら、ルナへの対策として音を垂れ流すことを挙げていたのも、稗田阿求だった。
鬱憤を晴らす。
この男は、盗みを働いたとして、ルナを捕らえた。
にもかかわらず、いっそ親切なほどに扱っている。不自然なほどに親切なのである。それが油断させるための罠である事実に、ルナはようやく気が付いた。
鬱憤を、晴らされる!
「どうかしたかい?」
びくりと、ルナは更に一歩、後ずさった。
怪訝な顔をしながら、男はルナへと近寄ろうとしていた。
騙されるな、怪訝な顔の裏では、鬱憤を晴らしてやろうとほくそ笑んでいるに違いない。近寄ろうとしているのが、なによりの証拠だった。
近寄られる。
近寄られたら、鬱憤を晴らされる!
「ひゃ」
「ん?」
「ひゃいいいいいいいいいい!」
最早、体裁を取り繕っている場合ではなかった。
意表をつく叫びで、ルナは威嚇した。威嚇しながら、逃げ出そうと試みた。あまりの恐怖に、情けなく裏返った叫び声となってしまったことは、気にしている場合ではなかった。
ずるり。
「い?」
しかし、服の裾を踏ん付けないようにするのには、気をつけるべきだった。
べちゃ。
「へぶ」
カフェの床へと、頭から突っ伏した。
そのまま声もなく、転んだ姿勢で居続ける。別に、気まずさなどを感じた訳ではない。鼻へと広がった鈍痛で、ルナは声も出せず、起き上がることも出来なかった。痛い、物凄く痛かった。
よろよろと、たっぷり数秒ほどを使って、何とか上半身だけを起き上がらせる。
「えう」
あひる座りの姿勢で、それだけを言った。
あまりの痛みに、それだけしか言えなかった。
「えうう」
鼻へとじんわり広がった鈍痛を伝うように、生暖かな感触が鼻から垂れた。そっと指で触れて、生暖かいその液体をすくい取る。
予想どおり、鼻血が垂れていた。見た途端に視界がぼやけた。
痛みで、涙と鼻水とが、溢れてしまいそうになった。
「はいはい、ほらほら」
「えぷ」
「じっとしててね」
柔らかい質感が、ルナの顔を覆った。
「鼻血って、どうだったっけなあ。顔を上げるのは、逆に駄目だったかなあ」
「ふあ?」
「ああ、じっとしててね。ほら、持って。離さないでよ」
言われるままに、顔を覆ったものを掴んだ。
それがタオルだと分かった時には、ルナの身体は宙へと浮いた。両脇の下に、掴まれている感触があった。抱きかかえられているのだと理解したのは、床ではない別の硬さを、尻に敷いた時だった。
足がぶら下がり、宙ぶらりんとなる。
椅子に腰掛けられたというのは、すぐに分かった。
「とりあえず、落ち着くまで、そうしてな」
遠くで、男の声は聞こえた。
涙を拭い、タオルから覗いた。鼻はなおも生暖かいものを感じたので、覆ったままにしておいた。
店の一角、その椅子に自分は座らされていた。
カウンターの向こうに、男は立っていた。俯きながら、真剣な目付きで何か作業をしている。そういう表情をしていると、浅黒い顔の中で白目の部分が、やはり際立って見えた。
蓄音機からは、姦しくない程度の音楽が流れている。
自分の能力を邪魔する、憎らしい輩だという認識しか、ルナにはなかった。だと言うのに、男が作業している小さな音以外、何も聞こえない空間を彩るその音楽は、不思議とルナの気持ちを落ち着かせた。
宙ぶらりんで揺れる足が、新鮮だった。住居に用意してある椅子は、妖精に合わせて高さが調整してある。人間用の物であるはずの椅子では、一回りほども大きかった。自分が場違いのようであり、だからこそ好奇心が芽生えた。ルナは、改めてゆっくりと店内を見渡した。
人里に来るのは、はじめてではない。
しかし、来るのはいつも、悪戯のためだった。こんな風に、客のようにカフェへと入ったことなど、一度もなかった。金銭を払ってまで、馬鹿らしい。サニーやスターを含む、他の妖精たちが酒の席で話していたことが、耳に甦った。
甦った先から、瀟洒な音楽に流された。
姦しくない空間に、ルナは奇妙な居心地の良さを、感じていた。
「はい、お待たせ」
男はなおも、作業をしていた。
カウンターの向こう側は、ルナからは見えなかった。立ち昇った湯気と、花よりも芳しい香りが漂ってきてから、はじめて男が何をしているのかを理解した。
「風呂上りには、ホットが最適さ」
おどけて見せるように、男は笑った。
手に持ったカップを慎重に、しかし遅過ぎない程度の滑らかな動きで、ルナの元へと運んできた。
一層、濃くなった香りを嗅いで、ルナは目を見張った。
すでに鼻血が止まっていることに気付いたのは、自分の前にカップが置かれた時だった。湯気を上げる黒い液体は、澄み切ったように美しかった。
「見てのとおり、珈琲でございます」
茶目っ気を笑みに滲ませながら、男は恭しく告げた。
カップを持っていたその手付きは、男臭さに溢れた浅黒い顔に似合わず、繊細だった。
おずおずと、鼻を覆ったタオルを外す。
さらに香りが広がったので、ルナは茜色の目を、皿のように見開いた。
自分が淹れる珈琲より、ずっと香りが強かった。
「……飲まないの?」
男の言葉に、ルナは勢いよく向き直り、ぶんぶんと首を横に振った。
「ああ、駄目だよ、そんなに首振ったら、また鼻血が」
大きな手で、しっかりと首の動きを、押し止められた。
「分かった分かった、君が飲みたいのは分かったから」
白い歯が、男の口から覗いた。
「落ち着いて、ね? 大丈夫、そんなにすぐには冷めないよ」
離された男の手は、かすかに濡れていた。
ルナは、そこで自分の髪がまだ乾き切っていないことに、ようやく気が付いた。鼻を覆っていたタオルで、髪の水分を絞り取った。勿論、鼻血の付着していない部分を見繕って拭った。それくらいには、落ち着いているつもりだった。
それでも、早鐘を打った心臓の音は、耳の奥で響いていた。
髪の水気も粗方取れたので、ルナはタオルを膝の上に置いた。
珈琲は、なおも芳しい湯気を上げている。男は、そんなルナの傍らに立ちながら、黙って見下ろしていた。
「砂糖とミルク」
突然、それだけを言われたので、ルナはまた勢いよく向き直った。
「要る?」
「うん」
こくりと、ルナは頷いた。
「両方、欲しい」
「幾つ?」
「砂糖は、二つ」
「了解」
鷹揚に、男は頷いた。
程なくして、手元には角砂糖二つと、ミルク容れに入れられたミルクとが、用意された。
ぽとぽとと、角砂糖を入れた。
次いで、ミルクを注ぐ。注がれたミルクは、カップの底に一旦沈み、そこから珈琲の表面へゆんなりと浮かび上がった。普段は何気なく見過ごす、カップの中身のそんな流れが、とても綺麗なものに見えた。
慎重に、なるべく波立たないようゆっくりと、スプーンで混ぜる。
瞬く間に白くなった珈琲は、それでも沸き立つ香りは損なわれていなかった。
「えっと」
緊張で、若干、声が震えてしまった。
「これで良いの?」
「何が?」
「混ぜ方とか、そんなの気にしたこと、なくて」
「ああ、いいのいいの」
白い歯を覗かせながら、男は大仰に手を振った。
「んな堅苦しいの、気にしなくていいって。第一、正解なんてないよ」
「そう、なの?」
「厳密に言えば、そりゃあ、あるかも知れないけどね。気にしたこともなかったなあ。ま、人によってはこだわりもあるよ。でも、そういうのは、守るべきマナーとか、破っちゃいけない決まりごととか、そんな訳じゃないでしょ? その人その人の、譲れない頑固なこだわり、みたいな? まあ要するに、君は気にしなくていいってことだ」
指を綺麗に揃えた手が、カップに向けて差し出された。
顔と同じく、浅黒く日焼けした手だった。
お世辞にも、これだけの香りを沸き立たせる珈琲を淹れる手とは、到底思えなかった。
「どうぞ」
誘うような仕草で、男は小さく頷いた。
「召し上がれ」
野太くて、優しい声だった。
おずおずとカップを手に取る。腕力に自信のないルナには、多少重くも感じたので、両手で支えるように持った。これでもかと香りを匂わせる湯気が、鼻と目をくすぐった。
唇を縁に触れ、中身をほんの少し、含む。
ほわりと、口の中が彩られた。
信じられなかった。ある程度、覚悟のような予想はしていたが、それでも信じ切れなかった。湯気のように沸き立った驚愕に、ルナは目を見開いていた。
美味しかった。
自分が淹れる物よりも、遥かに美味しい珈琲だった。
「美味しい?」
「ん」
珈琲を嚥下している最中だったので、それだけしか返事は出来なかった。
だから、美味しいということを表現するために、ルナは男に向けて、大きく頷いた。一度だけでなく何度も、ぶんぶんと振り回すような勢いで、頷いた。
大きな手に、またもやその動きを押しとめられる。
吹き出したように、男は笑った。
「気に入ってくれたのなら、嬉しいなあ」
男は椅子へと腰掛ける。
丁度、テーブルを挟んで、ルナの反対側に座った。
「妖精にも認められたのなら、やっぱり嬉しい」
「え?」
「稗田のお嬢さんが書いた本でね、読んだんだよ。妖精は、子供の味覚と変わらない。だから、珈琲みたいな苦味のある物は苦手だって。そう、読んだんだ」
人差し指を立てながら、男は続けた。
「ま、君はそんな妖精の中でも珍しいって、書かれてあったんだけどね」
「やっぱり、稗田の本だったんだ」
「蓄音機もそれで買った。まあ、今となっては、趣味や商売のためってのが近いかもね。さっきも言ったけど、こいつを目当てにしているお客さんも居るんだ。俺自身、こいつのおかげで趣味が増えたよ。出費も掛かるが、まあそれも、必要経費ってとこかな」
ちびりちびりと、ルナは珈琲を飲んでいた。
ふと、そこで気が付く。
男は自分のことを『俺』と言っていた。そういえば、さっきまで一人称を聞いていなかったなと、ルナはなんとはなしに思っていた。
「そんな訳で、君のことは知っていたんだ。豆泥棒のルナチャイルドさん」
「……失礼な言い方だわ、それ」
「だろうね。実際、泥棒なんて言えないよなあ、君は」
「誉めているのか貶しているのか、分からない言い方ね」
「馬鹿にしている、ってのが一番正しいかな」
「うわ、ひどい」
瞼を半分閉じて、男を睨んだ。
美味しい珈琲を出してもらっていたので、あまり強くは睨めなかった。
「妖精だからって、馬鹿にするのはよくないわ」
「とは言っても、あの鈍臭さには驚かされた。泥に転ぶは、床に転ぶは、あれじゃあ泥棒とは呼べないねえ、どうあっても。怒る気力も失せるって、稗田のお嬢さんの言葉も、よおく分かったよ」
「……馬鹿にしないでよ」
カップを持ちながら、ルナはぷいっとそっぽを向いた。
「好きで転んでいる訳じゃないの。転びたくて転ぶほど、私だって馬鹿じゃない」
「まあ、それも当然かな。珈琲を飲むような変わった妖精でも、転びたいとは思う訳ないもんなあ」
「珈琲を飲むのが、そんなにいけない?」
「いいや、大いにありがたいことだ。君が、珈琲豆を盗もうと思わない限りは、ね」
咎めるような内容とは裏腹に、男の声は朗らかだった。
「悪魔のように黒く、地獄のように熱く」
「えっ?」
「天使のように純粋で、愛のように甘い」
「なに? えっ? ええっ?」
歯の浮くような台詞を、男はルナを見つめながら、呟いた。
悪戯っぽく、白い歯が覗いた。
「えっと、どうしたの、急に」
「珈琲について、著名な人が表現したらしい。なんとなくね、憶えていたんだ」
あっけらかんと、男は続けた。
「よくもまあ、これだけ言えたものだよ」
「なんだか、こそばゆい言葉ね」
「同感」
「悪魔は幻想郷にも居るけど、こんなに黒くないわ。むしろ紅い」
「それじゃあ、地獄はさながら、稗田さんの本に載ってた旧地獄ってとこかなあ。すんごく熱いらしいね。天使や愛は、ちょっと思い付かないかな」
「霊夢から、天界のことは聞いたかな。天使とはちょっと違うけど。純粋なくらいに迷惑な奴だったって、面倒臭そうに話していたわ」
「博麗神社の巫女さんかあ。店に来てくれたことは、なかったかな」
記憶を探るかのように、男は天井を仰いだ。
「稗田のお嬢さんから、どんな人なのかは聞いているんだけどね」
「ここには、どんな人間が来るの?」
「稗田のお嬢さんとか、霧雨店の店主さんかな、よく来るのは。稗田さんは紅茶、霧雨さんは珈琲を注文されるねえ。珍しいところだと、竹林の護衛さんとかかな。たまに来ると、いつもカウンターに座るんだ。最初は無愛想な感じもしたけど、いざ話してみると、これが気さくな人でね。一度カウンターに座ると、その日はずっと座ってるんだ。何杯もお替りしてくれるから、店としては上客の一人だよ。もっとも、来てくれるようなお客さんっていうのは、皆等しく上客だけどね」
椅子から、男は立ち上がった。
入り口近くの棚から、幾つか新聞を取ってきた。
「勿論、人間だけじゃなく、妖怪のお客さんも来る。一番多いのは、やっぱり鴉天狗かな。こうやって新聞を置く代わりに、ご贔屓にしてもらっている」
「あ、文さんの新聞」
「射命丸さんには、特に贔屓にしてもらっていてね。最近だと、姫海棠さんの来店も多い。ありがたいことに、ウチには人間とか妖怪とかに関わらず、女性のお客さんが多くてね。こういうのは、あんまり思わないほうが良いんだろうけど。やっぱり店内が華やかになるのは、俺も嬉しいからなあ。まあ、悲しい男の性って奴だよ」
おどけるように、男は笑った。
気取った様子はない。だと言うのに、浅黒いその顔には精悍な薫りが、これ見よがしに滲んでいた。なんとなく、女性の客が多いという理由も、納得してしまった。誰も彼も現金なものだと、ルナは思った。
思いながら、出された珈琲を口に含んだ。
当然のように美味しかった。
「鴉天狗の他には、そうだなあ。やっぱり千差万別かな。稗田さんの書物に載るような妖怪諸々も来るけど、あんまり頻繁ではないね。最近だと、命蓮寺の方々とか、守矢神社の方々とか。後は、尸解仙って言ったかな。そういった方々が、思い出したように来るくらいだ。妖怪で一番多いのは、やっぱり鴉天狗だね」
「なんだか、それだけ聞くと、凄く物騒に感じる」
「ついでに言うと、妖精のお客さんは、今まで一度も来たことないよ」
「えっ、それじゃあ」
「妖精では、君がはじめてのお客さんだ」
男は、テーブルに肘を置き、事も無げに言った。
「紅茶や珈琲は、やっぱり妖精には不人気みたいだ。ウチで扱っているのは、甘味よりも苦味の強いものばかりだからねえ。君以外で、盗みを働いた妖精は、嬉しいことに一人も居ない。さっきも言ったけど、ウチには人間ばかりでなく、妖怪のお客さんも来る。そんな店だからこそ、妖精にとっては悪戯の対象としても、あんまり向いていないんだろうねえ。そこんところも、俺にとってはありがたい限りだよ」
その言葉には答えず、カップに口を付けた。
何と答えれば良いのか、ルナには分からなかった。
男は気にした様子もなく、続けた。
「だから、そんな妖精には見向きもされない店だからこそ、余計に君は目立ったって訳だ。実際、そうやって美味しそうに飲むのを見るまでは、半信半疑だったよ」
「私を試したってこと?」
「まあ、それもあるかな」
わずかに、浅黒い顔が近付いた。
「美味しいかい?」
「そりゃあ、美味しいわよ。美味しくなかったら飲まないもの」
「君が、自分で淹れる物と比べて、どう?」
「どうって」
男は笑みを浮かべている。
しかし、ルナを見つめるその視線は、真剣そのものだった。いっそ、剣呑と言っても良いほどに、鋭かった。
下手なことは、言わない方が賢明だろう。
カップを持つ手に、すがるようにわずかに力を込めながら、たどたどしく口を開いた。
「全然、違うわ。あなたが淹れた珈琲の方が、断然香りも良いし、何より美味しい。苦味も強いけど、それ以上に美味しいって、言えばいいのかな。口の中で、ふわっと広がって、吃驚したもの」
正直に、ルナは言った。
「あなたが淹れた方が、ずっと美味しかった」
「嬉しい言葉だなあ、ありがとう」
「えっと、どういたしまして」
「嬉しい言葉だけど、それを聞く限りでは、君に豆を盗られそうになったのは、やっぱり腹立たしいね」
思わぬ言葉に、ルナはぴくりと肩を震わせて、男の顔色を窺った。
背もたれに身体を預けながら、男は肩をすくめた。言葉とは裏腹に、怒っている様子はなかった。
「珈琲豆は商売道具だ。けど、それ以上に俺にとっては、美味い珈琲を淹れるための材料なんだ。必要不可欠な、勝負道具とも言える。それに、こんな商売をしている程度には、珈琲を淹れる腕にも自信はあってね。ああ、念のために言っておくけど、紅茶を淹れるのにも勿論、自信はあるよ。そのために、珈琲豆や茶葉、それ自体にも気を付けている。良い材料を揃えておけば、その分、良い飲物を淹れなければって、自分を鼓舞できるんでね」
人差し指を、男は立てた。
「言わば、真剣勝負なんだ。俺にとって、良い珈琲を淹れるってのは」
「勝負?」
「商売して、お客さんに金を払って貰ってるんだ。より良い物をと望んで、淹れることに臨んでいる。真剣勝負なんだよ、俺にとってはね」
「よく、分からないかな」
「分からないなら、それで構わない。重要なのは、そんな大事な勝負道具を、君は沢山あるからと盗んで行ったことだ」
「沢山あるのは、事実じゃない」
「君は、俺が淹れた珈琲を美味しいと言った。自分が淹れた物より美味しいと言った。それも事実だなあ」
「それが、なんなのよ」
「ムカつくんだよ」
矢文のような言葉が、飛んできた。
「俺は、良い豆を用意した。それで、美味い珈琲を淹れたかった。だと言うのに、豆を盗んだ君は、あろうことか俺よりも美味くない珈琲を淹れていた。無駄にされたって、どうしても思うんだよ。だから俺には、豆を盗られたこと自体よりも、そっちの方こそが、ムカついて仕方ない」
飄々とした物言いに、激昂した様子は微塵もない。むしろ、男の柔和な態度そのものは、いっそ友好的と言っても良いほどだった。あっけらかんとした調子を、男は崩さなかった。
しかし、ルナは蛇に睨まれた蛙のように、緊張感に縛られていた。
浅黒い顔の中で、白目が際立って見えるその目が、じっとルナを見つめていた。
静かな視線は、底冷えするほどに冷たかった。
「ま、だから俺は、腹立たしいと思った訳だ」
不意に、その冷たさが消えた。
「まあ、おあいこみたいなものだけどねえ。君も結構、散々な目にあったし。泥に向かってダイブするわ、床にすっ転んで鼻血を垂らすわ。見ているこっちまで、気の毒に感じるほどだったよ」
「……別に、同情されたくて転んだ訳じゃないわ」
茜色の瞳を細めながら、ルナは珈琲を飲んだ。
かすかに、カップを持つ手が震えてしまったのは、内緒である。
「もしかして、この珈琲も、同情のつもりじゃないでしょうね?」
「大いに同情のつもりだよ」
「同情なんて要らない」
「それならむしろ金をくれ、ってか」
「なにそれ?」
「分からないかあ。同情するなら金をくれ、一時流行った言葉なんだけどなあ」
「知らないわよ、そんな言葉」
「それは残念。でも、一概に同情ばかりでもないんだな、これが」
気を取り直すかのように、男は被りを振った。
「また飲みたくない?」
「珈琲のこと?」
「俺が淹れた、珈琲のことだよ」
一瞬、ルナは言葉に詰まった。
思わず、飲みたいと言ってしまいそうになった口を、寸でのところで噤んだ。
「見てのとおり、俺は商売で珈琲を淹れている。今回のはサービスだけど、もう一杯となると、さすがにそうはいかない。相応の対価が必要でね、こっちも慈善事業じゃあないんだ」
「豆は、沢山あるのに」
「金銭を貰うから真剣になる。真剣になるから金銭を貰う。表裏一体って奴さ」
くるりと、男は蛇口を捻るような指を作って、手を翻した。
「だから、もう一杯が欲しいのなら、君には対価を支払ってもらう必要がある」
「お金なんて」
「持ってないだろうね」
さも当然と言わんばかりの言葉だった。
口をへの字に曲げたが、男の言ったことは事実に変わりなかったので、ルナはそのまま押し黙った。言い返せなかったのは、ちょっと悔しかった。
「代わりに、何かを支払うっていうのなら考えるよ」
「もう飲まないって選択肢もあるわ」
「あら、もう飲みたくなかった?」
「それは」
ルナの眉間に、深々と皺が寄る。
カップの中身は、もう残り少ない。正直、もう一杯だけ飲みたかった。さらに正直に言えば、何杯でも飲みたいと思えるくらい、男の淹れる珈琲は美味しかった。
への字に曲がった口に、益々、力が入る。
精一杯の恨めしさを込めて、茜色の瞳を細めてみるが、功を奏した様子はなかった。
「……飲みたい」
「もっと飲みたいんだね」
「飲みたいわよ、だって美味しいんだもの。いけない? 駄目かしら?」
「いいや。むしろ、嬉しい言葉だねえ。でも、それには」
「支払う物が必要なんでしょ! 分かってるわよ、それくらい」
半ば叫ぶように言ってから、勢いよくカップを傾けた。
中身の珈琲は、それで無くなってしまった。そのことに、ルナはさらに苛立った。
「でも、お金なんてないもの」
「何か支払える物とか、持ってないのかい?」
「ちょっと待ってなさい。えっと」
金銭など、所詮は人間が物々交換の代わりとして、編み出したものなのだ。妖精には必要もないが、だからと言って、妖精には物々交換すら出来ないと思われるのは癪である。今に見ていろよと、ルナは茜色に闘志を燃やして、男を見据えた。
自分の部屋を、思い浮かべてみる。
ベット、机、椅子、眼鏡、読み終えた新聞、香の物。
精々、漬けておいた香の物くらいしか、目ぼしいものはなかった。
瀟洒な音楽が蓄音機から流れているこの空間とは、何処までもミスマッチな代物だった。何とか他にはないかと考えを巡らすが、そうやって自分の部屋を思い描くたびに、何故だか惨めな気持ちに襲われた。
苛立ちが、しおしおと消え失せた。
眉間に寄った皺が薄れ、変わりに眉が八の字を描く。
「……えっと」
背の羽まで、枯れた花のように萎んでいる。
一縷の望みさえ抱くことなく、ルナはぽそぽそと、力無く言った。
「漬けている、香の物くらいしか、ない」
「なら、それと交換だ」
耳を疑った。
目を見開いただけでなく、口さえもぽかんと開けながら、ルナは男を凝視した。
「……え?」
「君が漬けた香の物。それを持って来たら、珈琲を淹れてあげるよ」
「えっ? ええっ?」
「嫌かな?」
「そ、そんなこと、ないけど」
目を白黒させながら、ルナは呟くように問い質した。
「良いの? 私が漬けた、香の物なんかで」
「その香の物は、美味しくないの?」
「お、美味しいわよ。なんたって、私が漬けた物だもの」
「じゃあ、俺は一向に構わないねえ」
「でも」
「ん?」
「カフェに香の物って、変な感じ」
「別に良いんじゃない? 俺だって、基本は和食だし」
「そうなの、なんか意外」
「カフェで商売してるからって、洋食ばっかり食ってる訳でも、況してや珈琲や紅茶だけで生活している訳でもないよ。仙人みたいに霞ばっかり食んでる訳じゃない。ここは日本だし、俺だって日本育ちだ。気軽につまめる香の物は、大歓迎だねえ」
口元へと手を添えながら、男は目を細めた。
頬をもごもごと動かしているのが、ルナからも見えていた。
「香の物、最近食ってないなあ。にしても、面白いことしてるんだね、妖精って」
「茸の盆栽に比べれば、面白くもなんともないわよ」
「そんなことも、君はしているのかあ」
「私じゃないわよ。私の、知り合いがやっているだけ」
「面白いなあ、妖精って」
朗らかに男は笑った。覗いた白い歯が、ひどく目立っていた。
「んじゃあ、それで決まりだ」
空となったカップを手に取りながら、男は立ち上がった。
「そうと決まれば、もう一杯、どう?」
「えっ?」
「珈琲、美味いんでしょう?」
「えっと」
誘われるように、ルナは考え込む仕草をした。その実、答えは決まっていた。
「お願い、しようかな」
この店から、自分が珈琲豆を盗もうとしていたことなど、ルナの頭からは、すっかり消え失せていた。そういった意味では、ルナは残酷だった。
への字に曲げた口の端を、ほんの少し、柔らかく下げる。
「もう一杯、欲しい」
「かしこまりました」
恭しく頭を上げた男の顔は、おどけたように笑っていた。
カウンターの向こうへと消えてしまい、何かを作業する小さな音が、聞こえてくる。瀟洒な音楽と相まって、ルナの鼓膜を和やかに彩ってくれた。
変なことになったなと、ルナは思った。
そんな思いも、やがて漂ってきた珈琲の豊かな香りによって、即座に忘れ去ってしまった。
◆◆◆
あまりに、とんとん拍子に話が進んでいると、後になってルナは疑った。妖精であるルナチャイルドにとっても、それくらいに物事を深く考えることは、出来ない訳ではなかった。
しかし、そんな疑いも、実際に何度か足を運んだことで、杞憂に終わった。
「はい、珈琲」
運ばれてきた珈琲は、いつもと同じく、香り高い湯気を上げていた。ついでに、角砂糖が二つとミルク、それに加えて小さなクッキーが二つ、運ばれてきた。
ぺこりと、ルナは小さく頭を下げた。
やや無愛想なものではあったが、それでも男は朗らかに笑って、カウンターへと戻って行った。
腰掛けた椅子は、やはりルナの身体には大きかった。
宙ぶらりんの足を、椅子の足に添わせるようにして固定した。角砂糖やミルクを注ぐ際、身体が不安定になるのは落ち着かなかった。へばり付くように、揺れないよう椅子へと腰掛けながら、珈琲を混ぜる。
カップを両手で持ち、足を再び宙ぶらりんへと戻してから、珈琲を飲んだ。
香りが、広がった。
「はう」
この瞬間が、ここ最近では一番の楽しみだった。
背もたれに一層深くもたれ掛かり、ぷらぷらと足を揺らす。柔らかなルナの頬が、湯気のように綻んだ。
香の物と交換して、珈琲を貰う。
そんな約束を交わしてから、数日が経っていた。
以来、ルナは毎日のように、この店へと足を運んでいた。住まいには、すでに珈琲豆のストックは無い。あの日、帰ってから試しに自分でも淹れてみたが、男の珈琲を味わったルナにとっては、とても満足できるような出来栄えではなかった。貯めていた豆は、二度目に訪れた際、男に全て渡してしまった。おかげで、家ではもっぱら、紅茶を飲むようになっていた。サニーとスターには変な顔をされたが、ルナはあまり気にしないことにしていた。
手渡す香の物の種類や分量は、特に決めていなかった。家を出る際、適当に見繕っては持って来ていた。多いとか、逆に少ないなどの指摘を、男から言われたことはない。ならば、これで良いのだろうと、ルナは思っていた。
一息つき、茜色の瞳を細めながら、店内を見渡した。
当たり前のことだが、店には他にも客が居た。
ルナ一人だけだったのは、最初に連れて来られた時だけだった。繁盛しているかどうかは、店に漂う気配からは分からなかった。それだけ、静かな空間だった。
顔見知りと会ったことは、一度もない。
客のほとんどが人間だった。男が言ったとおり、女性の客が多かった。
カウンターに座っているのは、白髪を腰まで伸ばしている女性だった。紅いもんぺを穿いており、いかにも只者ではない風体だった。カウンターから笑顔で話しかける店主に対しても、淡々と返事をしているだけである。それでも、時折その女性からも、小さな笑い声は聞こえた。
カウンターに居るのは、白髪の女性だけだった。
テーブル席には、ルナの他に、天狗らしき女性が小さな物体を弄くっていた。眠たげに目を細め、行儀悪くスプーンをくわえながら、忙しなく指を動かしている。特徴的なツインテールが目を惹いた。知り合いの鴉天狗と、よく似た服装だった。天狗だと思ったのも、それが理由だった。
他には、二人連れの女性が二組、それと男性が一人、居た。
計四人の女性は、はじめて見る顔だった。背格好から察するに、たぶん里の人間だろう。それぞれ、小さくも姦しい会話を繰り広げている。
一方、一人だけでテーブル席に腰掛ける男性には、見覚えがあった。
薄くなった髪は、すでに大半が白くなっている。じっと外を見つめる横顔は、草臥れた外套を思わせた。こんなカフェに来るような人間には見えず、だからこそ妖精であるルナの記憶にも、残っていた。
確か、三度目の来店で、見掛けたはずである。
今日と同じように、ぼんやりと物思いに耽るかのように、外を見つめていた。
時折、思い出したようにカップを手にとって口に運び、そしてまた外へと視線を注いでいる。紅茶と違い、カップだけしか置かれておらず、だからこそ飲んでいるのは珈琲なのだと、ルナにも分かった。
外を眺める視線は、どこか遠い。
店内を瀟洒に彩る音楽にも、姦しく彩る他の女性客にも、耳を傾けた様子はなかった。
変わった人間だと、ルナは思った。
妖精の癖に、人里のカフェに入り浸っている自分のことは棚に上げて、無遠慮にそれだけを思った。
不意に、その人間の顔が、ルナへと向いた。
思慮深いものではなかった。何も考えていないような、呆けた視線だった。老人特有の、眠たげに細まった瞳だった。
咄嗟に視線を横に流して、カップを手に取った。
見咎めていたと勘繰られて、変ないちゃもんを付けられるのは御免だった。ただでさえ、ルナは妖精である。人里の人間から、あまり良い思いを抱かれていないことは、容易に想像がついた。幸い、これまで店に足を運んだ中で、トラブルに見舞われたことはなかったが、それでも注意しておくに越したことはない。
カップの縁に口を付け、味わうように俯く。
じっと、眺めるようなぼんやりとした視線が、注がれているのを感じた。早く逸れてくれないかなと、蚊を払うような心持ちで、ルナは思った。
程なくして、視線は失せた。
俯きながら、茜色の瞳だけを動かして、老人を見た。
痛んだ木像のように、外を見つめる横顔があった。眺めるように外を見るその顔は、やっぱり草臥れた外套を思わせるほどに、覇気のないものだった。
人間の、老人。
顔立ちだけでなく、心の中まで老いに染まり切ったかのような、人間だった。
そう理解した途端、ルナの興味は瞬く間に溶けて消えた。
再び、店内の瀟洒な音楽に耳を傾けながら、珈琲を口に含んだ。茜色の瞳で、店内を姦しく彩る他の客たちを、うっそりと見渡す。
老人へと視線を移すことは、もうなかった。
「ありがとうございました」
空となったカップを置き、小さなクッキーを口へと放り込みながら、ルナは立ち上がった。約束の香の物は、来店した際に手渡していた。
カウンターの向こうから、浅黒い顔が頭を下げてきた。白い歯が、鮮やかに覗いていた。
ぺこりと、軽く頭を下げた。
今日の珈琲も、当たり前のように美味しかった。
店を後にすれば、住まいへと一直線に帰るだけである。このカフェ以外に、人里でルナが立ち寄る場所など、ひとつもなかった。サニーやスターと一緒ともなれば、悪戯のために寄る場所など幾らでもある。しかし、一人きりでほいほいと近付く場所などは、精々、このカフェぐらいだった。
数日前までは、珈琲豆を盗むため。
そして今は、香の物との交換で、珈琲を飲むため。
思えば、悪戯以外で人里に立ち寄るなど、妖精ではルナ以外には一人も思い浮かばなかった。自由と気ままを、奔放に謳歌するのが妖精である。人里での行動は、ただそれだけでも妖精とは結び付かず、何よりも縁遠い。
自分は、やっぱり変わり者なのだなと、ルナは歩きながら思った。
変わり者ではなく、特別なのだと考えると、ちょっと頬が緩くなった。
門を潜ると、舗装されていない道が続いていた。
人里を抜ければ、後は道なりに進んで行けば良い。目的地である博麗神社には、程なくして到着するだろう。博麗霊夢の通り道でもあるこの道は、それを危惧してなのか、妖怪が出歩くことは少ない。妖精であるルナにとっては、ありがたい限りだった。
飛ぶでもなく、ゆったりと歩きながら、飲んだ珈琲を思い出す。
口内には、今も珈琲の風味が、色濃く残っていた。呼吸のたびに、苦味とも旨味とも取れない香りが、ルナの喉を彩ってくる。
こっそり懐に入れていた、最後のクッキーを放り込んだ。
噛むたびに、口の中ではクッキーの香ばしさと珈琲の香りが、一緒くたとなって踊り弾ける。
「ふむん」
鼻から空気が抜けて、変な音が鳴った。
「むふん」
噛み砕いたクッキーを飲み込んで、ルナの頬は、また一段と緩くなった。
「むふふふ」
「ルナ、その笑い方は気持ち悪いわよ」
「ふあ?」
聞き覚えのある声が、横手の茂みから聞こえた。
蜂蜜色の髪が覗いていた。
「もう、サニーったら急に能力を解かないでよ」
これまた、聞き覚えのある声が、蜂蜜色の傍らから聞こえた。
青いリボンを備えた黒髪が、覗いていた。
サニーミルクとスターサファイアは、人里からも程近い、茂みの中から姿を現した。この二人と、こんなにも人里から近い場所で出くわすのは、珍しかった。
着けられていたかな。
若干、茜色の瞳を細めながら、ルナは思った。
同居妖精でもあるこの二人には、カフェのことは秘密にしていた。
ただでさえ、珈琲などの苦いものには縁遠い妖精である。加えて、人里のカフェでの静かな一時などにも、勿論ながら縁遠かった。サニーとスターも、そんな例に漏れず、妖精らしい性格をしている。話したところで、奇異の目で見られるだけである。話す気にもならなかった。
「珍しいわね、二人がこんな所に居るなんて」
「今日は少し趣向を変えようと思ってね」
蜂蜜色の髪を威勢よく揺らしながら、サニーは快活に笑った。
「いつも霊夢だけでは味気がないでしょうって、サニーの提案でね。だから、こうして人里の近くまでやって来たのよ」
長い黒髪を景気よく揺らしながら、スターは口元に手を添えて笑った。
二人の言葉に、嘘はなさそうだった。
着けられた訳ではないことが分かって、ルナは気のない顔を装いながら、安堵の溜め息をついた。
考えてみれば、ルナがカフェを後にして、そろそろ半刻が過ぎようとしていた。妖精の中でも我慢の弱いサニーに、妖精らしく我慢が出来ないスターの、二人組である。仮に、ルナの後を着けていたならば、カフェに乗り込んでくる方が、よっぽど自然に思えた。
ばれてなくて良かった。
内心の安堵感を、なるべく声に出してしまわないよう注意しながら、ルナは口を開いた。
「それで、ここまで来ていたのね」
「私たちだけでも良かったんだけどね。スターが、悪戯にはルナも必要だって言ってくるから、探していたのよ」
「丁度、ルナを見つけられて良かったわ。どうせ、その様子だと、いつもの珈琲豆盗みは失敗に終わったみたいだし。それなら安心だわ、いざとなれば囮になるルナが居てくれないのは、困るもの」
事も無げに、スターは笑っている。
上品ぶったその笑いに癪も障ったが、いつものことでもあったので、ルナは聞き流した。未だに、珈琲豆を盗むという発想しか浮かべられないスターへと、内心で馬鹿にしておくだけに、留めておいた。
「囮は余計よ、囮は。それより、今回はどうするのよ?」
「発案はサニーよ、だからサニーに聞いて頂戴」
「で、どうなの。サニー」
「ずばり、竹林をうろつく人間よ!」
腰に手を当てて、サニーは声高らかに宣言した。
「竹林の人間に、悪戯を仕掛けてやるのよ!」
「また、あの妖怪兎に出会っちゃったらどうするのよ」
お前は何を言っているんだ。
湧き出た内心を、惜し気もなく表情へと醸し出しながら、ルナは溜め息をついた。
「サニー。あなた、あの妖怪兎に見つかったこと、忘れた訳じゃないわよね。スターもスターよ、見えない見えないって一番慌てていたのは、あなただったじゃない。あれだけの危険地帯に、また乗り込む気なのかしら」
「ルナは鈍臭いなあ。別に、私はあの妖怪兎に会うって言っている訳ではないわよ」
「サニーの言うとおりよ。ルナは本当、鈍臭いわね。あの妖怪兎は、人里で薬を売り歩いていることが多いのよ。あの日、出会ってしまったのは謂わば偶然よ、偶然が成し上げた不幸ってこと。会わないように注意していれば、会うこともないわ」
妖精特有の、根拠もない自信が、二人からは漂っていた。
したり顔で鈍臭いと言われたことにも腹が立ったが、それ以上に二人の言動に突き抜けたものを感じて、ルナは溜め息をついた。
無論、止めようとは思わなかった。
妖精であるルナにとって、悪戯を躊躇する理由など、微塵もなかった。
「竹林の人間って言うけれど、それじゃあ、どの人間を狙うの? まさか、巷で噂されている、護衛役の人間じゃないでしょうね」
「まさか。そんな物騒な輩だと、後でどんな仕返しをされるか、分かったものじゃないわ。もっとも、仕返しをされるのは、もっぱら鈍臭いルナの役目だけどね」
「うるさい。鈍臭い鈍臭いって、サニーが言えた口じゃないわよ。私が転んであげなかったら、鬱憤を晴らされるのは、もっぱらサニーに決まっているわ。大体、サボタージュに一番耽りやすいのは、サニーじゃない」
「鈍臭いルナには、言われたくないわね」
「私だって、サボりやすいサニーには言われたくない」
「なにを」
「この」
「はいはい、喧嘩は他所でやって頂戴ね」
取っ組み合いをはじめた二人に、スターが割って入った。
普段と何ら変わりない、姦しい空気が三人を取り巻きはじめている。人里で珈琲を飲んだことなど、ルナはすっかり忘れてしまっていた。
「それじゃあ、鈍臭いルナも加わったことだし」
腰に手を当てながら、サニーは言った。
反論することは、すでに諦めていた。
「いざ、竹林へ!」
「おー!」
高々と手を上げて宣言したサニーに、スターが続く。
「おー!」
妖精に、悪戯を躊躇する理由などない。
二人に続いて、ルナも高々と手を上げながら、威勢よく声を上げた。
口内の珈琲の香りは、跡形もなく消えていた。
その事実に、ルナは思い至ることすらなかった。
◆◆◆
藪の高い竹林は、かすかな風に揺られて、さらさらとさざめいていた。
背の低い妖精にとって、身を隠すのには絶好の環境だった。能力を発揮せずとも、容易に人間へと近寄れる。念のため、周囲の音を消し去りながら、ルナは意気揚々と歩いていた。
サニーとスターも、同様である。
悪戯のためとは言え、徒に歩き回っている訳ではない。スターが、竹林をうろつく人間の気配を捉えていた。都合の良いことに、一人でうろついているらしい。
珍しいとも思ったが、怪しいとは思わなかった。
サニーが悪戯の敢行を切り出したのは、今しがたのことである。妖精の気まぐれな思い付きを、目ざとく勘繰るような輩が居るとは、ルナには到底思えなかった。サニーとスターも同様であるらしく、一人でうろつく人間が居ると分かるや、その顔を喜色に緩ませていた。
無論、ルナとて同じだった。
竹林を一人でうろつくなど、悪戯して下さいと言っているようなものである。
今回のターゲットと定めた人間に向かって、三人は意気揚々と、しかしながら抜き足差し足忍び足だけは欠かさずに、近寄って行った。
麦藁帽子を被った、後ろ姿を発見した。
背負った籠に、採った山菜か何かを放り込んでいるらしい。一心不乱に作業している後ろ姿には、音もなく忍び寄った三人へと気付いた様子は、少しもなかった。
ルナは、二人の顔を窺う。
示し合わせたように、三人は顔を合わせて、ほくそ笑んだ。
「ちょっと、消してやるかな」
サニーが手を掲げて、目を細める。
丁度、麦藁帽子を被った人影、そこから数歩先にあった段差が、姿を変えた。三メートルほどの段差は、塗りつぶされるようにして、なだらかな草地となる。サニーが、光の屈折を利用して模った、虚像だった。
人影に、気付いた様子はない。
音の消えた中で、サニーは得意げに鼻を鳴らした。
「楽勝」
準備はこれで終わりである。
後は、適当に見渡せる場所から、見物を洒落込めば良い。
ルナが音を消し、スターが近寄る気配がないかを確かめながら、足早にその場を後にする。
見物のための小高い岩は、程なくして見つかった。
よじ登り、その時を待つ。
人影はこちらを見ようともしていなかった。
鈍臭い人間だと、ルナは思った。
後、三歩。
地面へと向いた顔は、麦藁帽子に遮られて見えない。
後、二歩。
緩慢な動きで、山菜を籠へと放り込む。早く歩けと、心の中だけでルナは急かした。
後、一歩。
腰を揉むように両手で押さえながら、人影は足を止めた。逸るようなもどかしさも感じたが、それもまた、悪戯の醍醐味だった。
三人揃って、固唾を呑む。
人影は、最後の一歩を踏んだ。
たちまち、サニーの作り出した虚像はゆらりと消えて、崖のような段差が現れた。足を踏み外した人影は、転がるように落ちていった。その際、脱げた麦藁帽子が、一拍遅れて後を追うように、落ちていった。
落下する瞬間、人影の顔が、三人からも見えていた。
驚きによって、目や口を大きく開いた、男の顔だった。
三人は、一斉に笑った。
「大成功!」
サニーの歓声が響き渡った。続いて、スターとルナも歓声を上げた。
確かに、大成功だった。
惨めないくらいに情けない顔で、男は落ちて行った。サニーもスターも、腹を抱えて涙目となり、笑っている。勿論、ルナも同じように笑っていた。いかにも妖精らしい、辺りを憚らないほど大きな声で、三人は笑い続けた。
「やったわね。あの人間の顔、見た?」
息も絶え絶えに、サニーは言った。
抑え切れていない笑いの発作が、声に滲んでいた。
「本当、可笑しい顔だったわね。それに、ルナみたいに鈍臭いんだもの」
目尻の涙を拭いながら、スターは言った。
サニーと同じく、未だに笑いの収まっていない声だった。
「私みたいと言うのは余計よ。でも確かに、鈍臭かった」
ともすれば、笑いの沸き立ちそうになる腹を、ルナは必死に押さえていた。
「久々に、サニーの落とし穴も成功したし。これくらい、シンプルな方が良いんじゃないかな。あんまり凝り過ぎると、逆に目立っちゃう気がするもの」
「鈍臭いルナにしては、慧眼な言葉ね。霊夢とかだと、あんなに見事には嵌ってくれないもの。これからしばらくは、神社ではなく人里なんかを、悪戯の対象にするのも悪くないかもね。ほとぼりが冷めるまで、ってところかしら」
「スター、ルナを誉めるくらいなら私を誉めなさいよ。最初に、この竹林での悪戯を提案したのは、何を隠そう、この私よ」
「あら、それじゃあ、そんなサニーの提案に応じた私も、誉められて当然なんじゃないかしら。そこから考えると、ルナを誉めてしまったのは、お門違いだったわね」
「鈍臭いを交えている時点で、誉めているとは思えないのだけど」
「だって、ルナが鈍臭いのは事実じゃん」
「サニーに同意。鈍臭いのは事実よね」
「落ちた人間ほど、鈍臭くない」
ルナの言葉に、二人はまた大きく笑いはじめていた。
さすがに、その笑いには同調できなかったので、ルナはぷいっとそっぽを向いた。
落ちた先から、叫び声などは聞こえて来なかった。
恐らく、気絶でもしているのだろう。騒がれないのは、即ち、追い掛けられるリスクも大きく減るので、ありがたかった。そういった意味でも、この悪戯は大成功だった。
男の落ちた、崖を見つめる。
麦藁帽子が脱げて、驚いた顔が思い起こされる。
ふと、引っ掛かった。
落下した男に、見覚えがあるような気がした。
「何しているのよ、ルナ」
「サニー、能力を忘れないでね。ルナ、行きましょう。誰かに見られたら、厄介だわ」
サニーとスターは、すでに岩から降りていた。
慌てて、ルナも岩から降りようとする。
「うわっ」
足が滑った。
「へぷ」
岩から、真っ逆さまに落ちた。
幸い、落下したのは藪の中だったので、大事には至らなかった。
「なにやってるのよ、ルナは本当、鈍臭いなあ」
「サニーに同意。本当、ルナは鈍臭いわねえ」
起き上がった途端に、これだった。
二人の同情の欠片もない言葉に、ルナは口をへの字に曲げた。
また、引っ掛かった。
同情の欠片などないのは、いつものことである。サニーとスターが、ルナが転んだことに気を掛けたことなど、今まで一度もなかった。むしろ、転んだルナなど放置して、我先にと逃げ出すのが、この二人である。同情どころか容赦の欠片もないのが、サニーとスターだった。
だと言うのに、自分は同情くらい良いじゃないかと思った。
今までにないことを、自分が期待してしまったことに、ルナは束の間、戸惑った。
「あ、待って」
足早に、この場から去ろうとする二人の後ろ姿を見て、ルナは駆け出した。
藪が高いのは、身を隠すのには絶好の環境だったが、逃げ出すのには面倒だった。ルナの背よりも高い草々が、視界を遮り、足を邪魔してくる。再び、こけてしまわぬよう注意しながら、それでもルナは足を速めた。
天高く伸びた竹が、風に揺られてさわさわと鳴いている。
周囲の音を消してもいないのに、竹林は静かだった。竹のさざめき以外に聞こえるのは、三人が茂みを掻き分ける音だけだった。
三度目の、引っ掛かりを覚えた。
男の顔には見覚えがあった。
転んで同情されると何故か思った。
静けさに包まれた空間がひどく心地良かった。
なにか、忘れているような気がした。
ぼんやりと、忘れたものを思い出そうとして、ルナは思考に埋没した。
かくんと、身体が揺れた。
「えっ」
引っ掛かった。
四度目は、思考の中ではなく、茂った草に足を取られていた。
「うわっ」
身体が、宙に浮く。
「へぶ」
踏ん張る暇もなく、ルナは茂みの中へと転んでいた。
幸い、先程と同じく藪の中であり、痛みなどはなかった。
「えう」
変わりに、足元の草が口に入ってしまった。
食んでしまった生の雑草は、お世辞にも美味だとは言えなかった。
「えう」
青臭さが、口の中どころか、鼻や喉にまで広がった。涎と一緒に、即座に雑草は吐き出したが、それでも臭いは消えなかった。
差し伸べてくれる手はない。
先を急ぐように、茂みを掻き分ける音が、遠退いていく。
よろよろと、起き上がった。
薄情者。
声に出さずに呟いてから、それでも二人の後を、ルナは追い駆けはじめた。
誰かが追ってくる音は、聞こえなかった。
◆◆◆
悪戯に成功した日は、宴会をして夜を過ごす。
いつからだったか、三人の間ではそれが決まりだった。もしかしたら、三人で同居しはじめた際に、そんな取り決めを作ったかも知れない。或いは、自然とそうなっていったのかも知れなかった。どちらにしろ、宴会は嫌いではなかったので、止めることはなかった。
いつから三人で暮らすようになったのかを、ルナは憶えていなかった。
恐らく、サニーやスターも、同じように憶えていないだろう。かなり昔のことだったようにも思えば、それとは逆に、極々最近になってから暮らしはじめたようにも思えた。
どちらであれ、関係ないのである。
現在を生きるのが妖精だった。変わり者と称されるルナとて、例外ではなかった。
今を生きているのであり、過去にこだわることはない。
第一、ひとつのことに意識を向ければ、その他のことは即座に忘れてしまうほど、妖精は忘れっぽいのである。過去にこだわりを抱くどころか、そもそも憶えてすらいないのが妖精だった。
だからこそ、宴会の切欠など、思い出すだけ無駄だった。
楽しいから続けている。
ルナにとっては、それで充分だった。
昨日、悪戯に成功した後の宴会も、やはり楽しかった。ルナも飲んだし、サニーやスターも飲んでいた。翌日のことなど気にすることもなく、呑まれるくらいに酒を飲んだ。
その結果、普段となんら変わりなく、一番に起床したのはルナだった。
宴会の片付けを終えた今も、サニーは勿論、スターでさえ起きていなかった。しっかり者と思われがちのスターではあるが、彼女とて妖精である。飲み過ぎて寝潰れてしまうことも、度々あった。
サニーについては、言わずもがなである。普段から寝ぼすけの彼女に、人並みの起床を期待したことはなかった。宴会の翌日ともなれば、尚更である。
だから、宴会の片付けを押し付けられたことにも、ルナは腹を立ててはいなかった。
立てるだけ無駄だと、悟っていた。
適当に、香の物を見繕って、住まいである大木を後にした。
今日も人里に、珈琲を飲みに行くつもりだった。
珈琲が飲みたくなり、部屋で豆を探した。しかし一向に豆は見つからず、そこでようやく人里のカフェに、全て渡してしまったことを思い出した。多少面倒だとも思ったが、それでも美味い珈琲が飲めることを思えば、我慢も出来た。
それくらいに、カフェでの珈琲が美味しかったことを、ルナはようやく思い出していた。
神社の横を通り過ぎ、道なりに歩く。
飛ぶのも悪くはなかったが、先日、見事に悪戯が成功したのである。胸を張って、堂々と歩きたかった。
人里入り口の門を潜り、大通りを歩いていく。
カフェは、少し脇道に逸れた所にあった。記憶は曖昧だったが、足が憶えていた。見覚えのある店を見つけて、ルナは意気揚々と駆けた。途中で転びそうにもなったが、なんとか踏み止まった。
店の前まで行き、扉の蝶番を握り締める。
「えっ?」
開かなかった。
がちゃがちゃと強めに引っ張ってみたが、それでも開かなかった。
扉には〝CLOSED〟と書かれた看板が、掛けられていた。これまで来た時には、掛けられていなかった。不審に思い、窓から中の様子を窺おうとも思ったが、カーテンのような物で遮られており、見ることは叶わなかった。
定休日なのだろうか。
先日、店を去る際には、そのようなことは伝えられなかった。
妖精と舐められたのかも知れない。
妖精には、定休日を教える必要もないと見くびられたのかも知れない。
あまり嬉しくはない想像に、ルナは口をへの字に曲げた。
もう一度、開けてみようと思い至って、扉の前まで歩み寄る。
急に、扉が勝手に開いた。
「へぷ」
扉の前に立ったのが、いけなかった。
あまり強い勢いではなかったが、それでもおでこと鼻を強かに打って、ルナはつんのめった。特に、鼻を打たれたのが効いた。二、三歩ほど、よろよろと後ずさってから、尻餅をついた。
鈍痛の広がる鼻を押さえながら、ルナは扉を睨んだ。
より正確には、扉の向こう側から覗いている、浅黒い男の顔を睨んだ。
目尻に浮かんだ涙を、服の袖で強く拭ってから、跳ねるように立ち上がった。幸い、数日前のように鼻血が垂れることはなかった。
「痛いじゃないの」
「ああ、ごめん」
尻の土埃を払い落として、口をへの字に曲げる。
男は、無表情だった。
取り繕うような笑みを露ほども浮かべてはいないことに、ルナはかすかな違和感を覚えた。じっと見下ろしてくるその目は、浅黒い顔の中では、やはり白目の部分が際立っていた。
「定休日なの?」
「いや、ちょっと閉めていただけさ。君の姿を見たんで、こうして開けた」
「もしかして、わざと私にぶつけた?」
「どうだろうねえ」
飄々とした物言いは、これまでに会った時と変わらない。
しかし、その口調に確かな硬さを感じて、ルナの違和感は益々膨れ上がった。
「入りなよ」
「いいの?」
「君を見掛けたから、こうして開けたんだ」
招かれるように、扉が開かれた。
湧き上がった違和感もそのままに、ルナは店内へと足を踏み入れた。
普段なら、そこで瀟洒な音楽が出迎えてくれるはずだった。或いは、女性特有の姦しい会話が、耳朶を打つはずだった。
その、どちらもなかった。
さざめいていた竹林よりも更に、店内は静けさに満ち溢れていた。
圧迫感のようなものに、ルナの歩みは自然と止まる。夜は歩き慣れているルナにとっても、この静けさには居心地の悪さを覚えた。鼓膜が、引っ張られて痛くなるような感覚に、襲われる。妖精には遥かに縁遠い、緊張感がルナを絞め付けていた。
堪らなくなり、男へと振り返る。
背後に立った男の顔は、先と変わらず、無表情だった。白目の際立つ視線で、ルナをじっとりと見下ろしていた。
ちくりと、かすかに痛んだ。
男の冷たい視線に、ルナは言いようのない痛みを感じた。
「席はね」
「え」
「ひとつしか、空いていないんだ」
そんなはずはない。
冗談だと笑い飛ばしてやろうと試みたが、失敗に終わった。
笑うことに失敗した、変な顔しか浮かべられなかった。
音楽はおろか、会話すらも聞こえてこないのに、空いた席がひとつだけであるはずがないのだ。ルナの専門は、もっぱら音に関することである。スターのように、気配のことは分からない。それでも、今この店内に、誰かが居る気配は皆無だった。
男が一歩、歩み寄った。
ルナは一歩、後ずさった。
身体が後ろに大きく動き、結果として店内へと足を踏み入れることになった。入り口近くの棚によって、遮られていた店内の様子が、一望出来るようになっていた。
一人、男の客が居た。
端のテーブル席に、外を眺めている客が、一人。
薄くなった頭髪は、大半が白く染まっている。ぼんやりと外を眺める横顔は、草臥れた外套を思わせるほどに、老けていた。
思い出した。
カフェで見るのは、三度目だった。
カフェ以外で見ることも含めるなら、四度目だった。
竹林のさざめきが、耳の奥で反響する。
固唾を呑みながら、今か今かと、悪戯に引っ掛かるのを待っていた。
崖へと落ちる、その瞬間を待っていた。
麦藁帽子。
あの麦藁帽子が、テーブルの片隅に置かれていた。
客が、ルナを見た。
「あっ」
掠れた声が自分のものだと、ルナはすぐには気付けなかった。
目が合ったのは、老人だった。
落下する瞬間、驚きに目も口も大きく開いたその顔と、重なった。
咄嗟に、踵を返した。
抱かれるようにして、浅黒いその腕に、逃げ道を塞がれた。
「駄目だよ」
硬い声が、耳元で聞こえた。
暴れようとする気力を奪うのには、それだけでも充分だった。
「君は、君の行いを、反省しなきゃいけない」
肝が冷えるとは、こういうことを言うのだろう。
胸の奥、鳩尾の辺りを、痛みのような冷たさが覆った。
悪戯をすることには慣れていた。その後、悪戯をした人間に懲らしめられることにも、慣れているつもりだった。霊夢や魔理沙なら、姦しいその声で叱られ、或いは蹴られたり殴られたりして、それで終わりだった。実際、霊夢には何度か蹴られたこともあった。それで済むものなんだと、半ば思っていた。
しかし、今は違った。
これから懲らしめられることは、充分、理解していた。
悪戯によって被害を受けた人間が、そこに居るのだ。叱られる、鬱憤を晴らされるなどのことは、明らかだった。
しかし、これまでとは違っていた。
霊夢や魔理沙とは違うのだと、ルナは絞め付けられるように、思った。
こんなに居心地の悪い思いは、はじめてだった。
こんなに硬い声で叱られるのは、はじめてだった。
こんなに強い力で引き止められるのは、はじめてだった。
霊夢や魔理沙とて、大人ではない。妖精から見れば大きいことに変わりはないが、それでも二人は大人ではない。
今、自分は大人に、本気で懲らしめられようとしている。
その事実に、ルナは心の底から慄いていた。
「座りなよ」
有無を言わせぬ力で、抱き上げられた。
テーブルを挟んだ、老人の反対側に座らされた。
「香の物、預かっておくよ。いつもどおり、珈琲は淹れよう」
要らなかった。
しかし、言えなかった。
出来ることなら、この場から今すぐ逃げ出したかった。こんな状況で珈琲を美味しく飲めるなど、到底思えなかった。もとより、これから懲らしめられることが、目に見えているのである。席を立ち、駆け出し、サニーとスターの居る家に、一刻も早く帰りたかった。
老人の視線が、それをさせなかった。
眠たげに細めた瞳は、じいっとルナに注がれている。覇気などなく、妖精の力でも凌げると思えてしまうほどに、草臥れた視線だった。
しかし、それでもルナは縛られていた。
熱くもなく冷たくもないその視線は、頑丈な鎖のように、ルナの心身を縛り上げていた。
唾を、飲み込む。
鳥肌が立ち、肩が奇妙に重くなる。
老人の視線から目を逸らすことが、ルナには出来そうにもなかった。
「あんた」
しわがれた声が、届いた。
老人のものだと気付いたのは、次の言葉が発せられてからだった。
「俺を、崖に落としたんだってな」
穏やかな声だった。
老人特有のだみ声だったが、荒っぽくはなかった。奇妙に耳にこびり付く、低い声だった。
「おかげで、頭を打ってな。気絶しちまったよ」
薄い白髪を、撫でる。
大きなガーゼが貼られていることに、ルナはようやく気が付いた。
「竹林を見回ってる、お嬢ちゃんが居てな。その子のおかげで、医者にも診てもらえた。大事には至らんかったが、発見が遅れていたら、危なかったらしい」
老人に、激昂した様子はなかった。
「俺は、ただ寝るみたいに、気絶していただけなんだがな」
答える言葉は、浮かばなかった。
むしろ、答えるべきかどうかなのかも、ルナには分からなかった。
「気絶していた、それだけだったんだよなあ」
老人は、ルナから窓へと視線を移した。
「それだけだった。寝ていたような、そんな感じだった」
ルナは、老人の視線を追えなかった。
動けなかったと言った方が、正しいかも知れない。堪らなくなり、膝の上に置いた手で、ぎゅうっと握り拳を作った。
頭が痛かった。
目尻が、絞られるように痛くなった。
「寝ている時にな」
ルナを見ずに、老人は続けた。
「婆さんに、会った」
眩しいものでも見るかのように、眠たげな瞳が、更に細められた。
「死んだ婆さんに、出会った」
穏やかに、告げられた。
穏やかな老人の声に、ルナは殴り付けられたかのような眩暈に襲われた。
鳩尾の、痛みのような冷たさが、一層強くなった。
「先に逝かれた婆さんに、寝ている中で、出会ったよ」
夢でも見ているかのように、老人の横顔は静かだった。
草臥れた外套が、今は亡き持ち主を偲んでいるかのように、風もなく揺れている。見たこともないはずの情景が、ルナの脳裏によぎった。
「あんたに落とされて、頭を打って気絶して、そこで出会った」
ゆっくりと、老人は瞼を閉じ、そして開いた。
「死んだ婆さんに、出会ったんだよなあ」
身体ごと、ルナへと向き直る。
正面から見た老人の目は、やはり眠たげに細められていた。覇気どころか、気力すら見られないほどに、静謐だった。熱さや冷たさなどの、子供が抱くどころか、大人でさえ抱くような色合いが、すっぽりと抜け落ちているように思えた。
握り拳の中で、じわじわと汗が広がった。
こんな視線を向けられたのは、はじめてだった。
陽の光でも、月の光でも、況してや星の光などでもない。そんな姦しい光ではなく、老いた人間の静かな光が、ルナへと注がれている。
雑多な色の含まれない視線が、ルナの心を冷やし、縛り付けていた。
「会わせて、くれないかなあ」
老人の目は、片時もルナから逸れなかった。
「死んだ婆さんに、また会いたい」
喉首を、掴まれたかのような感覚に襲われた。
ひくりと、喉から漏れた息が鳴った。
「死に掛けなければ、たぶん、会えないんだろうなあ」
自ずと、唇を噛んでいた。
老人の言葉は、どんな脅迫や叱咤よりも遥かに鋭く、ルナへと突き刺さった。
「死に掛けなければ会えない。うん、うん。たぶん、そうなんだろう」
頭に貼られた、大きなガーゼが目に付いた。
「死んだ婆さんには、やっぱり、死に掛けなければ会えないんだろう」
老人の目は、ルナの顔を覗き込んでいる。
絞られるように視界が狭くなった。老人の顔しか、ルナには見えなかった。
逸らしたかった。
しかし、出来なかった。
「あんた」
老人の口が動いた。
「また、やってくれないかなあ」
眠たげな視線は、ルナを見続けている。
「また、死んだ婆さんに会いたい」
声が届くたび、自分の身体が小さく震えていることに、ルナはようやく気が付いた。
「死に掛けて、死んだ婆さんに、また会いたい」
唾を、飲み込もうとした。
「あんた、俺を崖に、落としたんだよなあ」
口の中は、からからに乾いていた。
「また、やってくれないかなあ」
老人の顔が、ほんの少しだけ、ルナへと近付いた。
「また俺を、死に掛けに、してくれないかなあ」
「あ……」
限界だった。
鳩尾の冷たさが、胸にまでせり上がり、そのまま言葉となった。
「ごめん、なさい」
言った途端、視界がぼやけた。
自分が涙を流したのだと分かって、ルナは嗚咽を上げた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
何に謝っているのかは、ルナにも分からなかった。
老人に謝っているのかも、カフェの男に謝っているのかも。或いは、自分に向けて謝っているのかも、ルナにはよく分からなかった。
それでも、謝罪の言葉は止めなかった。
止められなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
嗚咽と一緒くたに、むせ掛けながらも言い続けた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめん、なさい」
暖かい感触が頬を伝う。
垂れてくるものに鼻をすする。
涙と鼻水で、顔をくしゃくしゃにしながら、ルナは謝り続ける。
「ごめんなさい、ごめ、んなさ、い」
堪え切れなくなって目をつぶった。
溜まっていた涙が、一斉に溢れ出た。
「ごめんなさい」
老人の表情は変わらなかった。
嗚咽を上げるルナなど、目に入っていないかのように、静かだった。
「そうか、ごめんなさい、か」
老人は、視線を窓へと移した。
遠くを見据えるように、その目が一層、細められた。
「死んだ婆さん、か」
黙っていることしか、ルナには出来なかった。
嗚咽を止めることも、ルナには出来なかった。
老人が次に何を言うのかを待っていることしか、今のルナには出来なかった。
不意に、老人はルナへと向き直った。
「なあんてな」
眠たげな瞳の中に、悪戯のような光が瞬いたのを、ルナは見逃さなかった。
「……えっ?」
嗚咽がぴたりと止まった。
涙も鼻水も、拭うことすら出来ないまま、ルナは老人の顔を凝視した。
「んじゃ、また」
そんな哀れな妖精を他所に、老人は立ち上がった。
カウンターの向こうへと、意外と颯爽とした動きで手を上げてから、そそくさと出て行ってしまった。
店内には、泣き腫らしてぐちゃぐちゃとなった顔の、ルナだけが取り残される。茜色の瞳も、可愛らしい口元も、ぽかんと開けたままの状態で、取り残されていた。
唐突に、瀟洒な音楽が流れてくる。
浅黒い顔の男が、店の外へと出て行き、すぐに戻って来た。手には、あの〝CLOSED〟と書かれた小さな看板が、握られていた。
訳が分からず、ルナはそれを、視線だけで追った。
カウンターの向こうから、男が近寄ってくる。手には、湯気を上げるカップが持たれていた。いつもと変わらない、足早ながらも流れるような動きで、ルナの前へと置かれる。中身は、当然のように珈琲だった。
垂れた鼻水のせいで、香りはほとんど分からなかった。
「あの爺さんの、奥さんね」
堪え切れない様子で、男は微笑んでいた。
「御健在だよ」
「えっ?」
「健康そのもの。気絶から覚めた時には、人様に迷惑を掛けるなと、こっぴどく叱られたらしい。あの爺さん、来て早々、俺に愚痴っていたよ」
「えっ? ええっ?」
「敵わないなあ」
涙も鼻水も拭わずに、ルナは目を白黒させた。
男の顔が、ルナを見下ろした。白い歯が覗いた。
「悪戯さ」
「悪戯?」
「目には目を、妖精には悪戯を。あの爺さんの言葉だよ」
カウンターの向こう側へと男は消えた。
ややあって、声だけが届いた。
「今日は、君もブラックが良いだろうねえ」
まさかと思った。
弾かれるような勢いで、ルナは入り口へと、身体ごと振り向いた。
「まんまと、騙されたって訳だ」
嵌められた。
ようやく、その考えに思い至って、ルナは椅子から立ち上がった。もつれる足を寸でのところで踏み止まらせながら、入り口へと駆け寄り、外へと飛び出す。
ずるり。
「へ?」
人里の舗装された道は、靴底が滑るのには最適だった。
べちゃ。
「へぷ」
駆け出した勢いもそのままに、ルナは道へと転んだ。
痛みが顔や膝を中心に広がるが、それを我慢しながら起き上がり、辺りを見回した。
老人の姿は、どこにもなかった。
崖に落ちるよりも遥かに鮮やかに、老人は姿をくらましていた。
悔しさが、痛みとともに広がる。
妖精は、悪戯をするからこそ妖精なのである。そんな自分が、よもや人間などの悪戯に振り回されるのは、我慢ならなかった。専売特許、所謂、お株を奪われたような気がした。
涙と鼻水に、更には砂によって汚れてしまった顔で、空を仰ぐ。
「なあんてな」
耳の奥で、老人のだみ声が反響した。
してやられた。
それだけを、ルナは思った。
自分が、意外と苛立っていないこと、老人の手並みに感嘆すらしていることに、ルナ本人が気付くことは、遂になかった。
◆◆◆
稗田阿求には、お気に入りの場所がある。
候補は幾つもあるのだが、そのほとんどが、一人で簡単に出歩ける場所ではなかった。屋敷の人間を伴わなければ行けないのは、お気に入りの場所とは言え、やはり面倒だった。
人里の一角にあるカフェテリアは、そういった面倒さに縛られない、貴重な場所だった。
「いらっしゃいませ、稗田さん」
扉を潜ると、浅黒い精悍な顔が、笑顔で出迎えてくれた。
所謂、イケメン店主である。
花も恥らう乙女である阿求にとって、迎えてくれる男性は、やはりこういったイケメンである方が嬉しかった。男性なら美女や美少女、女性なら美男や渋面、これに惹かれるのは当然であると、阿求は思っている。
もっとも、阿求は美少女である。イケメンである店主にとっても、悪い気はしないことだろう。
持ちつ持たれつである。
そんな根拠のない自信を、阿求は、そのお淑やかな胸に秘めていた。
「こんにちは。今日も紅茶を、温かいのでお願いします」
「茶葉は、どうされますか」
「ダージリンで。ストレートが飲みたいです」
「かしこまりました」
恭しい声とともに、男の顔から白い歯が覗いた。
カウンターに腰掛けて、一息つく。
店主がイケメンであることも大きかったが、それ以上に、珈琲や紅茶へのこだわりが強いことが、阿求がこのカフェを気に入っている理由だった。値段は、相場と比べるとやや割高だったが、それもまた必要経費と割り切れるほどに、出される紅茶はどれも美味しかった。
こだわりの強さは、妖怪にも受けが良かった。
入り口付近の棚には、鴉天狗の新聞が、何部も備えられていた。実際に、射命丸などの顔見知りに出くわしたこともある。店主から聞いた話では、あの命蓮寺や尸解仙の連中も、時折ではあるが通っているらしい。
下を向き、真剣な表情で作業をしている、店主の顔を見る。
客に女性が多いのは、たぶん、そういう理由なのだろう。
誰も彼も現金なものだと、阿求は自分のことは棚に上げながら、思った。
蓄音機から流れる音楽に、しばし身を委ねる。
妖精に、珈琲豆を盗られて困っているとの相談を受けたのが、このカフェを知る切欠となった。対策として、蓄音機で音楽を流し続けることを提案すると、店主は早速、実行してくれた。今では、妖精への対策などではなく、もっぱら客の耳を楽しませるために、音楽は流されている。
これもまた、阿求のお気に入りだった。
幺樂とは違う、瀟洒な曲によって物静かに彩られるのも、悪くなかった。美味しい紅茶で舌を楽しませ、流れる音楽で耳を楽しませる。豊かな時間とは、決して姦しいものばかりではないのだと、阿求は沁みるように思った。
漂ってきた紅茶の香りが、小鼻を優しく覆ってくる。
阿求は、柔らかな頬をだらしなく緩ませながら、静かに目を閉じた。
「負けたなんて思ってないのよ! 私は!」
姦しさ満載の声は、そんな阿求の乙女心をぶち破るのには、充分な代物だった。
目を見開き、眉間に深々と皺を寄せながら、振り返った。
記憶が正しいなら、声には聞き覚えがあった。さらに記憶が正しいならば、その声の主は、この場には最も相応しくない輩のはずだった。加えて、阿求は自分の頭脳の明晰さには自信があった。記憶にも、人並み以上の自信を抱いていた。
果たして、端のテーブル席に、小さな影を見つけた。
背中には薄い羽が備えられており、繊細な色合いの金髪は、生意気なことに美しい縦巻きで整えられている。背中しか見えなかったが、前述した特徴に加えて、その身体が人間用の椅子より一回りほども小さかったことから、その正体を察するのは容易だった。
ルナチャイルド。
このカフェから珈琲豆を盗んでいる、ふてぶてしい妖精だった。
その妖精が、何故ここに居るのか。
どうして店内で、悠々自適に過ごしているのか。
盗っ人猛々しい。
それだけをまず思ってから、阿求はカウンターを挟んで、男に話し掛けた。
「すみません」
「どうかしましたか、稗田さん」
「なんで、あれが居るんです?」
顎だけで、ルナチャイルドを指した。
「あの妖精。私の記憶が正しいなら、このお店の珈琲豆を、盗んでいたはずですよね?」
「仰るとおりです。現に、数日前に盗もうとした時に、追っ駆けて捕まえましたよ」
「はあ、やっぱりそうでしたか。私、安心しましたよ。自分の記憶違いじゃなかったかと、それはそれは心配になりました。豆を盗んだことは、確かなのですね」
「ええ、確かです」
「……すみません。もう一度、聞きますね」
人差し指を立てて、阿求は続けた。
「なんで、あれが居るんです?」
「大体、ああやって騙すなんて卑怯じゃないの! 人間なら、もっと真正面から堂々とやりなさいよ、堂々と!」
「堂々としちまったら、そいつはもう、悪戯じゃあないねえ」
「なら、心の問題よ! 心の! 言っておくけど、私たち妖精は、悪戯には命賭けてるんだからね!」
「ははあ、偉いもんだ。命を賭けるなんて、おいそれと言えたもんじゃない。でもねえ、それ、本当?」
「……いや、さすがに本当かと聞かれたら、微妙だけど」
店主の答えを待たずに、阿求は振り返った。
端のテーブルには、ルナとは反対側の椅子に、老人が座っていた。
どうやら、ルナチャイルドが何事かを喧しく叫び、それを老人がのらりくらりとかわしているらしい。眠たげに目を細めた老人にも、阿求は見覚えがあった。ルナチャイルドの仲間である、サニーミルクについての話しを聞いた、自称筍採りの老人だった。
益々、眉間の皺が深くなる。
筍採りの老人と、豆泥棒の妖精。
どう考えても、接点があるようには思えなかった。
「ここ最近、ずっとあの調子なんですよ」
「はあ」
「爺さん、あの子のこと、よっぽど気に入ったんだろうなあ」
「ははあ」
「店に来るたびに、ああやって言い争っている始末です」
なにがそんな面白いのだろうか。
男の朗らかな笑みに、阿求は呆れ半分の心持ちで、気のない相槌を打った。
「数日前、あの子、ルナチャイルドをとっ捕まえましてね。試しにと、珈琲を淹れてみたんですが、それはもう美味しそうに飲んでくれまして」
「はあ、妖精に珈琲とは、なんとも」
「提案したんです。何かを渡してくれたら、代わりに珈琲を淹れてやるって」
「魔理沙さんみたいな発想ですね。で、あなたは何を貰ったんですか?」
「香の物です。あの子、家で香の物を漬けているらしくって。妖精の漬けたものですから、まあ興味本位で、提案してみたんですよ。しかし、これが食べてみると、意外と美味いんですよ。いやはや、驚きました」
小振りなパックを、男は差し出した。
受け取り、中身を確認してみる。様々な種類の香の物が、所狭しと詰められていた。白米の欲しくなる香りは、瀟洒な音楽の流れるこの空間には、とことんミスマッチだった。
さすがに手は付けずに、パックを返す。
紅茶を前にして、香の物を食べたいとは思わなかった。
「驚きました」
「結構、しっかりした香の物でしょう?」
「それにも驚きましたが、私が驚いたのは別のことです」
「あの爺さんとの関係ですか? まあ、成り行きと言ったところですね」
「成り行きという言葉で片付けられたことも驚きですが、私が驚いたのは、更に別のことです」
「と、言いますと?」
「ずばりですね」
意地の悪い笑みを、阿求は浮かべた。
細めた瞳に、冷めたような感情を含んでしまうのは、どうしても抑え切れなかった。
「店主さんが、妖精好きな変態さんという事実に、驚きました」
「……すみません、どういうことでしょう?」
「普通、盗みをするような妖精に、わざわざ珈琲なんてご馳走しません」
「いやそれは、流れみたいなものでしてね」
「そもそも、親しげにあの子と読んでいる時点で、いかがわしい香りがプンプンします」
「あの子以外に、言い様がないでしょう?」
「でも盗っ人ですよね。確かに、香の物は中々の出来栄えでしたが、それでも香の物と珈琲とでは、接点らしきものなど何ひとつありません。交換など提案し、あまつさえ承諾するなど、やはり何か、いかがわしい匂いがします」
「いやいや、ちょっと待って下さいって。そもそもですね、あの子、追っ駆けている途中で、それはもう見事に泥へと突っ込んでしまいましてね。洋服とか、泥だらけになってしまって、あまりにも可哀想に思えて」
「憐憫を覚えたと。おお、卑猥、卑猥」
「だから」
さも面倒臭そうに、店主は言った。
浅黒いその顔が、こんなにも憔悴したような表情を浮かべたのを、阿求ははじめて見た。
「なんで、そうなるかなあ」
「あくまで、私がそう邪推しただけですよ。そんなに慌てることもないでしょうに」
「常連さんに、変な勘繰りをされるのは勘弁願いたいですよ」
「でも、何か思うところがなければ、そんなに慌てないですよね?」
「勘弁して下さいって、本当」
「まあこれは、私と店主さんだけの秘密にしておきましょう。ぐふふふふ」
「だから、なんで」
カウンターに手を付いて、店主はがっくりとうな垂れた。
「なんで、そうなるかなあ」
「うふふふふ」
阿礼乙女の九代目、カフェテリアイケメン店主の、いかがわしい性癖を握る。
鴉天狗の新聞の見出しのような煽り文が、即興で脳裏に浮かんだ。
「ほらほら、余所見をしてはいけませんよ。いくら、あの妖精が気になるからって、仕事で手を抜いてはいけません」
「あのですね」
「余所見は駄目ですよ、ぐふふふふ」
「……かしこまりました」
男の顔が、カウンターの向こうへと消える。
一頻りからかって満足したので、阿求は改めて店内へと耳を傾けた。
老人と妖精、この二人が何を話しているのかが、ほんの少し、気になった。
「ルナ」
「呼び捨てにしないでよ」
「茶、要るど?」
「……はあ?」
馬鹿にし切った妖精の声が、腹立たしいくらいによく聞こえた。
振り返ると、ルナチャイルドの手元には、湯気を上げるカップが備えられていた。
「何言ってるのよ、私にはこのとおり、珈琲があるわ」
「ルナ」
「だから呼び捨てにするなって」
「茶、要るど?」
「……あなたねぇ」
背中しか見えないルナチャイルドの表情は、阿求からは見えない。
それでも声の調子から、不機嫌に顔をゆがめているであろうことは、容易に想像がついた。
「さっきから、言ってるでしょう。呼び捨てにするな、私には珈琲があるって」
「ルナ、茶、要るど?」
「しつこいわよ、私にはもう」
「ルナ、茶、要るど?」
「ああああああ! 好い加減にしなさいよ! この糞ジジイ!」
上品な縦巻きロールが、左右に激しく揺れた。
「耄碌した? ねえ、いきなり耄碌しちゃったの?」
「ルナ茶要るど?」
「さすがに怒るわよ! いくら私が、妖精の中でも格別気が長いと言っても限度が」
「ルナ茶要るど?」
「あああああああああああああ!」
縦巻きロールが、一層激しく、上下左右に揺れた。
椅子から立ち上がるどころか、ルナチャイルドは椅子の上に立ち上がっていた。被っていた帽子を机へと叩き付けながら、店の外にまで響きそうな大声で叫ぶ。
「もう怒った! 本気で怒った! 妖精だからって見くびると!」
「ルナちゃいるど?」
「まだ言うか! 今日こそは、ぎったんぎたんに!」
「ルナチャイルド」
「……へっ?」
冷水を、頭から浴びせられたかのようだった。
椅子の上に立ち上がり、今にも老人へ飛び掛らんとしていた姿勢で、ルナチャイルドは固まっていた。
老人は、静かな顔のまま続ける。
「ルナ、茶、要るど? ルナチャイルド」
ふわりと、その顔が笑った。
草臥れた外套が、生来の主に着られるかのように翻った情景を、阿求は思い起こした。
「なあんてな」
眠たげな瞳が、悪戯っぽく光った。
店内に響いたルナチャイルドの雄叫びは、これまでの比ではなかった。
椅子の上で地団駄を踏もうとし、そのまま足を滑らせて、真っ逆さまに落下した。中々、大きな音がした。うつ伏せの状態で、ルナチャイルドはカフェの床に突っ伏していた。
カウンターから、店主が駆け寄る。
優しくルナチャイルドを抱き起こすと、持参したタオルでその顔を覆った。茜色の瞳に涙が滲んでいたのが、阿求からも垣間見えた。
どうやら、鼻血が垂れたらしい。
老人も席から立ち、ルナチャイルドの元へと屈み込む。自分の頭に貼られたガーゼを撫でながら、もう片方の手で、ルナチャイルドの頭を撫でていた。すまんすまんと言っているのが、阿求には聞こえていた。
茜色の瞳は、恨めしげに細められている。
それでも素直にタオルを受け取り、素直に頭を撫でられているところが、なんだか微笑ましかった。
静かになった店内へと、耳を傾ける。
妖精退治にも、色々あるんだなあ。
阿求はそれだけを思い、紅茶が来るのを待った。
場面のイメージが出来る表現が上手に決まっている。特にはじまってから、二人の掛け合いによる状況説明までの間は気に入った。
中後半の辺はもう少しがんばれそうなところがあったかもしれない。しかし掴みは重要だからしっかり書く→後は飽きないようにさっくり書く、ってのは十分ありなのでなんとも言えない。
店主のこだわりとか、おじいさんの人柄もきちんと練られていて読んで良かったと思える作品。
愛らしいルナチャが楽しめました。
…老人との絡みがアレな方向に行かなくて本当に良かった
何かが始まりそうで始まらない、でも確かに何かが変わりつつある感じがとても好みです。
ただ、自分の好みから言えば、妖精感が違うなぁと思ったり。漫画とかを読むに、ルナチャは、そんなにどんくさいとは言われていなかったように思うんですよね。それと、妖精は、妖精という種族で、子供とはまた異なる存在だよなぁとか思ったり。
その辺でちょっと、違和感は感じましたが、それを考慮に入れても、面白い物語でした。
爪影さんの作品は初めて読んだんですが、他の作品も後で読んでみたいと思います。
中くらいの話が1.8話位だと思うとそう長くも無い気がする
マスターがイケメンでたまらんです。この人は外の世界から来た人なのかな。
→じーっとしている
幻想郷のおじいさんにほれました。
このゆったりとした空気ってなかなか出せないからなぁ
「バーテンダー」とか「コンシェルジュ」とかあれ系の空気が好きな人間にはたまらんね