「地上は暑いわね。それで扇いでくれない?」
「開口一番にそれ? 他に言うことがあるんじゃなくて?」
扇を動かす腕を止めて、呆れたように言う紫。
まあ、いいじゃない、と返して私はその隣に腰掛ける。
まだまだ残暑厳しい幻想郷の夏。風は思い出したように時々吹くくらいだったが、日陰になった縁側と日向の庭では体感がまるで違った。
ぐいっと背伸びしてほっと一息つく。
「当たり前みたいにここに来るようになったわね、あなたは」
「だって暇潰すところなんてそんなに多くないし。たまには地上で過ごしたいの」
「なら、暑いことに文句いいなさんな」
「夏は暑いことに文句を言いながら過ごすものだって、霊夢が言ってた」
「間違ってはいないけどね」
そう言って、紫は広げていた扇をゆっくり閉じる。そして、扇を胸のあたりに当てながら続ける。
「少なくとも、この扇はあなたを涼ませるためのものじゃないわよ」
「じゃあ、何のためよ」
「そうねえ」
呟き、悩む素振りを見せる紫だったが、付き合いを重ねた私にはわかる。
間違いなく既に結論は出ている。悩む姿はただのポーズにすぎない。
何故そんなことをするのかと言えば、私をからかうため以外に理由はない。
どうせろくでもないことをするのだろうと、私は身構える。
「天子」
「なに、って……」
優しい声で私を呼んだ紫は、薄く微笑んでいた。ランプみたいに暖かい、ぬくもりに包まれそうな笑顔。
いつもの紫が浮かべる胡散臭い笑顔や、私をからかっているときの笑顔じゃない。
何を言うべきか迷う私に、紫はすっと扇を目前にまで持ち上げる。その動作から、何故か目が離せない。
扇がどんどん私に向かって迫る。比例して鼓動が早まっていく。
そして、扇が前髪に触れ――
「あたっ!?」
そのまま額に当たった。
「あら、ごめんなさい。つい手が震えてしまって」
「……あんたねえ! それは左扇なの!? ガード崩したいの!?」
「サーセン」
「やかましいわ! ったく、油断した私が馬鹿だったわ……」
ちくしょう、乙女の純情をからかいやがって……。いやべつに何か期待していたわけじゃないけどさ、ないけどさ!
紫は憤慨する私の髪を撫でながら、窘めるように言う。
「ま、文句を言うばっかりが夏じゃないわ。ラムネでも飲みましょうか」
「え、マジで! ラムネあるの!?」
「本当。冷えてるからおいしいと思うわ」
「可及的速やかに持ってきて!」
思わず正座待機の姿勢になる私。天界の酒に飲み飽きた身としては、ラムネは特級品にも等しい価値があるのだ。
早く早くと急かす私。はいはい、と呆れ交じりの紫は立ち上がると、台所に向かった。
その背中を見送っていると、
「なんだ、また来ていたのか」
「お邪魔させてもらってるわよ、藍」
かけられた声に振り返って応える。
空から庭に降り立った藍は、暑そうな九本の尻尾を揺らしながらこちらに歩を進め、私の隣に腰掛ける。
『しかし暑いな』と愚痴を漏らした彼女は、はたはたと取り出した扇で首元を扇いだ。
「暑い中見回りご苦労様ね。主人がぐーたらだと苦労するの?」
「否定はしない。ただ、その苦労に見合う価値があるとは思っている」
「へえ、ずいぶん慕っているのね」
「なんと言っても、妖怪の賢者と言われるだけの理由がある御方だからな。もう少し……いや、もっと『らしく』して欲しいのだけど」
「あー、それはそうね。さっきも私のことをからかって遊んでたのよあいつ」
妖怪の賢者なんて言われてるくせに、他人を困らせるのが得意だなんてろくでもないやつだ。
私がそう言うと、藍は苦笑しつつ応える。
「あの方は、気に入った相手はからかいたくてしょうがないのさ。そういう性分だから、あまり本気にしないほうがいいな」
ところで、からかわれたって具体的には?
質問を投げかける藍に、私は先程の出来事を話す。
暑いから扇いでくれと言ったら、そういうものじゃないと断られた。じゃあ、何に使うのかと訊けば、こう使うのだと。扇が髪に触れるまで近づいたかと思ったら、そのまま額を叩かれた。妙に綺麗な笑顔だったから油断した。ムカツク。
半ば愚痴混じりの回想を聞き終えた藍は、呆れ顔を隠そうともせず大きな溜息をついた。
「あー……それはこんな感じだったか?」
藍は扇を閉じると、その先端を私の前髪に触れさせる。私は頷き、肯定する。
紫のときは、そのまま叩かれたが。手が震えたなんて下手な言い訳しやがって。何か患ってるなら病院行けってんだ。
「まあ、そうだな。不治の病とも言えるな」
「え、なに? 更年期障害?」
「それは紫様が枕を濡らすことになるから、本人の前では言わないように」
そうじゃなくて、
「『扇を使って気持ちを表す』扇言葉というのがあるんだ。例えば、開いた扇で顔を隠すと『及びじゃない』っていう意味になる」
「ふぅん。じゃあ、額を叩くのはどういう意味なのよ」
「それはだなぁ……あー紫様って微妙にへたれだからなー。言わなくても、相手から寄ってくるタイプだったし……」
私の問いに答えず、不意に遠い目を始める藍。
いいからはやく教えて欲しい。その回答でこれからの行動が変わるんだから。
「ああ、すまん。まぁ、『扇で叩く』というのは叱咤の意味もあるが、この場合は違うな」
「じゃあ、なにさ。私を西瓜か何かと思っていたの?」
「それはない。紫様がやったのは『扇の先を前髪に当てる』だ。叩いたのは……照れ隠しだろう」
「はぁ? なんで照れるのよ」
「それは……ちょっとこっち来なさい」
微妙な顔をして手招きする藍に、首を傾げながらも私は近づく。
彼女に密着するくらいまで近づくと、藍は私の耳元に向かって囁いた。
「えっ?」
い、いや……ちょっと予想外というか期待通りというかえっとその……ええ?
それじゃあ、あの笑顔はからかっていたわけじゃなくて……?
「そういうことだ。じゃあ、私はこれで失礼する。しばらく帰らないから、二人で仲良くしているといい」
「ちょっ、藍!?」
矢継ぎ早に言い放つと、藍は立ち上がり空に飛び立つ。わずかに見えた表情は、凄まじく疲れ果てていた。
その姿が見えなくなっても、呆然と空を見上げていた私だったが、
「お待たせ。どこに仕舞ったのか忘れて時間かかちゃったわ」
「ひゃいっ!?」
かけられた声に我に返る。
「ど、どうかした? ぼうっとしていたけど」
「い、いやなんでもないって……なんでもないの」
「……? そう?」
誰が見てもなんでもなくは見えなかっただろうが、紫はそれ以上追求せずに私の隣に腰掛ける。
「あら、藍の扇じゃない。あの子、来ていたの?」
立ち去ることだけを考えていたせいか、縁側に置き去りにされた扇を紫は指差す。
その扇を見た瞬間、さっきの会話と紫の笑顔を思い出してしまい、体温が跳ね上がる。
やばいやばい……! 今絶対変な顔になってる……!
私は必死に視線を紫から逸らす。
「う、うん。すぐに行っちゃったけど」
「そうなの? 私に挨拶無しなんて珍しい」
「そうね、そうかもね」
「反抗期かしら」
「ええ、そうなの」
なんとか会話を続けようとするが、こんな状態でまともに続けられるわけもない。
案の定、俯いたままの私を不審に思った紫は、
「大丈夫? 熱でもあるのかしら?」
私の顔を覗き込み、
「――っ!」
不安そうに見つめる紫と視線を交わして、息と正常な思考が止まった私は、
「紫……」
「……?」
「ゆかりぃ!」
「っだ!?」
藍の扇で、前髪ごと紫の額を打ちぬいていた。ぴしゃん、と嫌味なくらいにいい音が響いた。
その音で正常な思考を取り戻した私は、恐る恐る紫の顔から扇をどける。
「……ねえ、天子。私、あなたに何かしたかしら? したなら謝るから。その上でお仕置きを考えるから」
いい笑顔だった。ところどころ引きつっていたり、叩かれた額が赤くなっていなければ。
その平身低頭せざるを得ないような怒気を漂わせる彼女に、私は怯みつつも応える。
「だって……先にやったのは紫でしょ。私は、その、返事をしただけよ……」
「返事って、そんな子どもみた……い……」
『返事』という単語から、紫は何かに思い至ったのか先ほどまでの勢いは鳴りを潜める。
代わりに、羞恥が顔を赤く染め上げた。
「……藍から聞いたのね」
「そうよ、このへたれ」
開き直った私は腹立ちまぎれにそう言ってみる。普段は平気な顔してからかうくせに、いざとなるとまどろっこしい手段に出る。これをへたれと言わずしてなんという。
「ま、返事はしたわよ。……私も、そういうことだから。だから、はっきり言って欲しい」
――『扇の先を前髪に当てる』のは、『あなたが好き』という意味だ――
本当にまどろっこしいやつだ。はっきり言ってくれれば、私だってちゃんと応えたのに。
私も紫のことは憎からず思っていたのに。わざわざ暑い所に来るのが苦にならないくらいにはそう思っていたのに。
こんなことをするから私もおかしな返事になってしまったじゃないか、まったくこのへたれ妖怪め。
ムカつき半分嬉しさ半分の胸中は、どうにもすっきりとしない。
これをすっきりさせることが出来るのは、目の前で黙りこくっている奴の言葉だけだ。
私は何も言わず、項垂れる紫からの言葉を待ち続ける。
遠くから聞こえる蝉と鳥の鳴き声だけが二人に間に響き、頬を伝う汗が増えていったとき、
「……天子」
紫は、重い口を開いた。
「……なに」
やっと、言ってくれるのか。
その瞬間を期待すると、無意識のうちに頬が緩む。
きっと、紫が見せてくれた暖かい笑顔にも負けない表情で、私は彼女の言葉を待つ。
「……私は」
「うん」
「あなたが……」
「……うん」
――最後の言葉を言ってくれたら、彼女を抱きしめよう。ありがとう、って。
「……やっぱ無理ぃいいいいいいいい!」
「あだぁ!?」
一閃。本日二度目の衝撃に私はひっくり返った。
「無理無理出来ない! 言えない! どうしても言えない!」
「このぉ……へたれがぁ!」
ぴしゃん。
「ひゃんっ! な、なにするのよ!」
「うっさい! その痛みは私の想いだと思え!」
「わ、私だって色々あるのよ!」
ぴしゃん。
「ったぁ!? やったわね!」
「それは私の伝えきれない想いだと思いなさい!」
「なにおう!」
ぴしゃん。
「はっ! あなたの想いはそんなものなの!」
「この程度じゃないわよ!」
ぴしゃん。
ぴしゃんぴしゃん。
ぴしゃんぴしゃんぴしゃん。
ぴしゃんぴしゃんぴしゃんぴしゃん。
ぴしゃんぴしゃんぴしゃんぴしゃんぴしゃん……。
「開口一番にそれ? 他に言うことがあるんじゃなくて?」
扇を動かす腕を止めて、呆れたように言う紫。
まあ、いいじゃない、と返して私はその隣に腰掛ける。
まだまだ残暑厳しい幻想郷の夏。風は思い出したように時々吹くくらいだったが、日陰になった縁側と日向の庭では体感がまるで違った。
ぐいっと背伸びしてほっと一息つく。
「当たり前みたいにここに来るようになったわね、あなたは」
「だって暇潰すところなんてそんなに多くないし。たまには地上で過ごしたいの」
「なら、暑いことに文句いいなさんな」
「夏は暑いことに文句を言いながら過ごすものだって、霊夢が言ってた」
「間違ってはいないけどね」
そう言って、紫は広げていた扇をゆっくり閉じる。そして、扇を胸のあたりに当てながら続ける。
「少なくとも、この扇はあなたを涼ませるためのものじゃないわよ」
「じゃあ、何のためよ」
「そうねえ」
呟き、悩む素振りを見せる紫だったが、付き合いを重ねた私にはわかる。
間違いなく既に結論は出ている。悩む姿はただのポーズにすぎない。
何故そんなことをするのかと言えば、私をからかうため以外に理由はない。
どうせろくでもないことをするのだろうと、私は身構える。
「天子」
「なに、って……」
優しい声で私を呼んだ紫は、薄く微笑んでいた。ランプみたいに暖かい、ぬくもりに包まれそうな笑顔。
いつもの紫が浮かべる胡散臭い笑顔や、私をからかっているときの笑顔じゃない。
何を言うべきか迷う私に、紫はすっと扇を目前にまで持ち上げる。その動作から、何故か目が離せない。
扇がどんどん私に向かって迫る。比例して鼓動が早まっていく。
そして、扇が前髪に触れ――
「あたっ!?」
そのまま額に当たった。
「あら、ごめんなさい。つい手が震えてしまって」
「……あんたねえ! それは左扇なの!? ガード崩したいの!?」
「サーセン」
「やかましいわ! ったく、油断した私が馬鹿だったわ……」
ちくしょう、乙女の純情をからかいやがって……。いやべつに何か期待していたわけじゃないけどさ、ないけどさ!
紫は憤慨する私の髪を撫でながら、窘めるように言う。
「ま、文句を言うばっかりが夏じゃないわ。ラムネでも飲みましょうか」
「え、マジで! ラムネあるの!?」
「本当。冷えてるからおいしいと思うわ」
「可及的速やかに持ってきて!」
思わず正座待機の姿勢になる私。天界の酒に飲み飽きた身としては、ラムネは特級品にも等しい価値があるのだ。
早く早くと急かす私。はいはい、と呆れ交じりの紫は立ち上がると、台所に向かった。
その背中を見送っていると、
「なんだ、また来ていたのか」
「お邪魔させてもらってるわよ、藍」
かけられた声に振り返って応える。
空から庭に降り立った藍は、暑そうな九本の尻尾を揺らしながらこちらに歩を進め、私の隣に腰掛ける。
『しかし暑いな』と愚痴を漏らした彼女は、はたはたと取り出した扇で首元を扇いだ。
「暑い中見回りご苦労様ね。主人がぐーたらだと苦労するの?」
「否定はしない。ただ、その苦労に見合う価値があるとは思っている」
「へえ、ずいぶん慕っているのね」
「なんと言っても、妖怪の賢者と言われるだけの理由がある御方だからな。もう少し……いや、もっと『らしく』して欲しいのだけど」
「あー、それはそうね。さっきも私のことをからかって遊んでたのよあいつ」
妖怪の賢者なんて言われてるくせに、他人を困らせるのが得意だなんてろくでもないやつだ。
私がそう言うと、藍は苦笑しつつ応える。
「あの方は、気に入った相手はからかいたくてしょうがないのさ。そういう性分だから、あまり本気にしないほうがいいな」
ところで、からかわれたって具体的には?
質問を投げかける藍に、私は先程の出来事を話す。
暑いから扇いでくれと言ったら、そういうものじゃないと断られた。じゃあ、何に使うのかと訊けば、こう使うのだと。扇が髪に触れるまで近づいたかと思ったら、そのまま額を叩かれた。妙に綺麗な笑顔だったから油断した。ムカツク。
半ば愚痴混じりの回想を聞き終えた藍は、呆れ顔を隠そうともせず大きな溜息をついた。
「あー……それはこんな感じだったか?」
藍は扇を閉じると、その先端を私の前髪に触れさせる。私は頷き、肯定する。
紫のときは、そのまま叩かれたが。手が震えたなんて下手な言い訳しやがって。何か患ってるなら病院行けってんだ。
「まあ、そうだな。不治の病とも言えるな」
「え、なに? 更年期障害?」
「それは紫様が枕を濡らすことになるから、本人の前では言わないように」
そうじゃなくて、
「『扇を使って気持ちを表す』扇言葉というのがあるんだ。例えば、開いた扇で顔を隠すと『及びじゃない』っていう意味になる」
「ふぅん。じゃあ、額を叩くのはどういう意味なのよ」
「それはだなぁ……あー紫様って微妙にへたれだからなー。言わなくても、相手から寄ってくるタイプだったし……」
私の問いに答えず、不意に遠い目を始める藍。
いいからはやく教えて欲しい。その回答でこれからの行動が変わるんだから。
「ああ、すまん。まぁ、『扇で叩く』というのは叱咤の意味もあるが、この場合は違うな」
「じゃあ、なにさ。私を西瓜か何かと思っていたの?」
「それはない。紫様がやったのは『扇の先を前髪に当てる』だ。叩いたのは……照れ隠しだろう」
「はぁ? なんで照れるのよ」
「それは……ちょっとこっち来なさい」
微妙な顔をして手招きする藍に、首を傾げながらも私は近づく。
彼女に密着するくらいまで近づくと、藍は私の耳元に向かって囁いた。
「えっ?」
い、いや……ちょっと予想外というか期待通りというかえっとその……ええ?
それじゃあ、あの笑顔はからかっていたわけじゃなくて……?
「そういうことだ。じゃあ、私はこれで失礼する。しばらく帰らないから、二人で仲良くしているといい」
「ちょっ、藍!?」
矢継ぎ早に言い放つと、藍は立ち上がり空に飛び立つ。わずかに見えた表情は、凄まじく疲れ果てていた。
その姿が見えなくなっても、呆然と空を見上げていた私だったが、
「お待たせ。どこに仕舞ったのか忘れて時間かかちゃったわ」
「ひゃいっ!?」
かけられた声に我に返る。
「ど、どうかした? ぼうっとしていたけど」
「い、いやなんでもないって……なんでもないの」
「……? そう?」
誰が見てもなんでもなくは見えなかっただろうが、紫はそれ以上追求せずに私の隣に腰掛ける。
「あら、藍の扇じゃない。あの子、来ていたの?」
立ち去ることだけを考えていたせいか、縁側に置き去りにされた扇を紫は指差す。
その扇を見た瞬間、さっきの会話と紫の笑顔を思い出してしまい、体温が跳ね上がる。
やばいやばい……! 今絶対変な顔になってる……!
私は必死に視線を紫から逸らす。
「う、うん。すぐに行っちゃったけど」
「そうなの? 私に挨拶無しなんて珍しい」
「そうね、そうかもね」
「反抗期かしら」
「ええ、そうなの」
なんとか会話を続けようとするが、こんな状態でまともに続けられるわけもない。
案の定、俯いたままの私を不審に思った紫は、
「大丈夫? 熱でもあるのかしら?」
私の顔を覗き込み、
「――っ!」
不安そうに見つめる紫と視線を交わして、息と正常な思考が止まった私は、
「紫……」
「……?」
「ゆかりぃ!」
「っだ!?」
藍の扇で、前髪ごと紫の額を打ちぬいていた。ぴしゃん、と嫌味なくらいにいい音が響いた。
その音で正常な思考を取り戻した私は、恐る恐る紫の顔から扇をどける。
「……ねえ、天子。私、あなたに何かしたかしら? したなら謝るから。その上でお仕置きを考えるから」
いい笑顔だった。ところどころ引きつっていたり、叩かれた額が赤くなっていなければ。
その平身低頭せざるを得ないような怒気を漂わせる彼女に、私は怯みつつも応える。
「だって……先にやったのは紫でしょ。私は、その、返事をしただけよ……」
「返事って、そんな子どもみた……い……」
『返事』という単語から、紫は何かに思い至ったのか先ほどまでの勢いは鳴りを潜める。
代わりに、羞恥が顔を赤く染め上げた。
「……藍から聞いたのね」
「そうよ、このへたれ」
開き直った私は腹立ちまぎれにそう言ってみる。普段は平気な顔してからかうくせに、いざとなるとまどろっこしい手段に出る。これをへたれと言わずしてなんという。
「ま、返事はしたわよ。……私も、そういうことだから。だから、はっきり言って欲しい」
――『扇の先を前髪に当てる』のは、『あなたが好き』という意味だ――
本当にまどろっこしいやつだ。はっきり言ってくれれば、私だってちゃんと応えたのに。
私も紫のことは憎からず思っていたのに。わざわざ暑い所に来るのが苦にならないくらいにはそう思っていたのに。
こんなことをするから私もおかしな返事になってしまったじゃないか、まったくこのへたれ妖怪め。
ムカつき半分嬉しさ半分の胸中は、どうにもすっきりとしない。
これをすっきりさせることが出来るのは、目の前で黙りこくっている奴の言葉だけだ。
私は何も言わず、項垂れる紫からの言葉を待ち続ける。
遠くから聞こえる蝉と鳥の鳴き声だけが二人に間に響き、頬を伝う汗が増えていったとき、
「……天子」
紫は、重い口を開いた。
「……なに」
やっと、言ってくれるのか。
その瞬間を期待すると、無意識のうちに頬が緩む。
きっと、紫が見せてくれた暖かい笑顔にも負けない表情で、私は彼女の言葉を待つ。
「……私は」
「うん」
「あなたが……」
「……うん」
――最後の言葉を言ってくれたら、彼女を抱きしめよう。ありがとう、って。
「……やっぱ無理ぃいいいいいいいい!」
「あだぁ!?」
一閃。本日二度目の衝撃に私はひっくり返った。
「無理無理出来ない! 言えない! どうしても言えない!」
「このぉ……へたれがぁ!」
ぴしゃん。
「ひゃんっ! な、なにするのよ!」
「うっさい! その痛みは私の想いだと思え!」
「わ、私だって色々あるのよ!」
ぴしゃん。
「ったぁ!? やったわね!」
「それは私の伝えきれない想いだと思いなさい!」
「なにおう!」
ぴしゃん。
「はっ! あなたの想いはそんなものなの!」
「この程度じゃないわよ!」
ぴしゃん。
ぴしゃんぴしゃん。
ぴしゃんぴしゃんぴしゃん。
ぴしゃんぴしゃんぴしゃんぴしゃん。
ぴしゃんぴしゃんぴしゃんぴしゃんぴしゃん……。
ゆかてん最高
扇言葉なんてあるんですねぇ。面白い。
やっぱりヘタレる紫がなんとも可愛いです。
このゆかてんなら、評価するしか無い。
甘酸っぱいなぁちくしょう、ゆかりんへたれかわいいよ!
大変よろしかったです、ごちそうさまでした
なんだか為になりました
へたれゆかりんも良いものですね
>「このぉ……へたれがぁ!」
これは夜勤病棟のセリフに見えてしまった私は病んでいるのでしょうか
扇言葉・・・何て素敵な物なんでしょうか・・・
色々東方同人界が捗りそうですね・・・秘封とかひふぅとか(ry