気晴らしにと思って窓を開けたら、
「やあ茨華仙。素敵な夜をいかがお過ごしで」
死神がそこにいた。
「……なんの用です」
茨木華扇がこめかみに手を当てて問うた。
頭が痛い。午後をぶっ続けで経典の写経に費やして、気分転換にと覗いた先がこれだ。
「おや酷い。定時上がりで知った顔を覗きに来てあげたあたいになんていう言い草だ」
「こちとら覗く気皆無でしたからね」
「どうやらお疲れのようだね。ここらで一服でもしないかい? 邪魔はしないといったが、労うなら断る理由はないだろ、ないね。なぁにブツは用意してある、ほれほれ」
ケタケタと笑いながら、小野塚小町は右手に下げていたひょうたんを掲げる。
中身はおそらく酒だろう。定時上がりで晩酌とはいい身分だ。これだから公務員なんて、と後ろ指を指されるのだ。
「勝手に話を進めるのはどうかと思いますが。というより、一服で晩酌とか何を考えているのかしら」
「仙人様だろ? 仙酒なんていう言葉あるくらいだし、酒には強いに違いないと」
「偏見ですね」
「へぇ、んじゃ実際は」
「可も無く不可もなく」
「ツマラナイ答えだ」
小町が鼻で笑う。小馬鹿にしたような笑みだ。華扇はこの程度の挑発にかかるほど愚かではない。愚かではない、がそれも場所と相手による。
「……まぁ、いいでしょう」
「お、そうこなくちゃ」
そう言って、小町は窓の枠へと両肘を乗っけて身体を預ける。窓の外に欄干はあるが、腰を下ろせるほどの幅は無い。必然小町は宙に浮いている。霊力の無駄遣い。
「別に、家に上げないとは言ってないですよ」
「この場所が落ち着くんだ。まあ、通う内に慣れたとでもしておこうか。それに、こーゆうやんちゃは心が躍らないかねぇ。あたいは楽しいんだがね? のんびりできるよ」
「……そーですか」
別に、誘いを断られたことに思うところはない。しかし、このような子供っぽさには毎度ながら呆れる。小町はもうちょっと落ち着いた所作を心掛ければ、長身もあいまって凛々しさも増すだろう。仙人としての威厳に乏しい身体の自分からしてみれば、長身なんていう生まれながらの産物は正直羨ましい。
「あ、お猪口くらいはそっちで用意してくんな」
本当に、この図々しさがなければ。
本日の写経はひとまず終了だ。酒の入った身で修行など甚だしいにもほどがある。目の前の馬鹿でもない限り、そんな愚考は誰もがしないだろう。
「失敬な。あたいは仕事と私事の区別くらいつけるよ」
「あら、そうなの? よくサボっているらしいからそんな印象はまったくしなかったわね」
「その噂を垂れ流したやつを教えておくれよ」
「うちの鳥」
「丁度いい。焼き鳥にして食っちまおう」
「握りつぶすわよ」
「まあまて」
小町が持ち込んだ酒はどこにでもあるような安酒だ。正直味は二の次で、安さだけを武器に安月給の死神や死んで魂となった人間など、中有の道あたりの低収入層に幅広く支持を受けている。
ただし、小町が持ち込んだひょうたんが少々特殊であった。冷熱調整可能な一品、いわゆる魔法瓶仕様のひょうたんであった。おかげで常時冷めぬ熱燗状態だ。冷より熱さが好みの華扇にとってこれは嬉しかった。
「河童の暇つぶしの産物らしいね。作られたのがこの試作品だけらしくて、こないだ中有の道の福引きで当たった」
「どんな流通ルートですかそれ。にしても便利ね」
「やろうと思えば自前の霊力調整でもなんとかなるけどね。まぁ、下手すると蒸発したりしちまうんだよねぇ。イチイチ気を張るのが面倒すぎる」
「霊夢が得意そうね、そういう細かい作業」
「博霊の巫女? は、面倒だって言ってきっとやらない」
「ふふっ、そうね」
自然と笑みがこぼれた。所詮は安酒だ。味なんてたかが知れている。
だが、どうにも気持ちの良い酔い方だ。こぼれた笑いがその証拠。小さなおちょこを口に運び、唇を湿らせるようにして液体を口に含む。舌全体に行き渡らせるように転がし、喉元へと嚥下した。
ああ、悪くない。
「おいし……」
思わずこぼれた独り言が、小町の耳に届いた。
「なんだい、最初は乗り気じゃなかったのが、存外にいい感じじゃないかい」
「だって、お酒は美味しいものよぉ」
「おやおや、仙人様は見掛け倒しだったのかね。あんな事を言っていた割に酒が強いわけじゃない、と」
「ふん……どうとでも言いなさい。好きと強いは別物よ……」
「くくっ、そんな眠そうな顔でいわれちゃ、納得しないわけにはいかないね。さぁて、仙人様がそんなだから、そろそろ帰ろうか」
「なによ、もう終わりなのぉ……?」
「もうとっとと寝な。あたいが寝床まで運ぶ面倒が減るからね」
「運びなさいよぉ……」
「やだね。さぁ、半分自営業の仙人様と違ってあたいは明日もお仕事だ。飲酒運船で免停とかまっぴらさ」
そういって、小町は先ほどまで寄りかかっていた窓枠へと自分のお猪口を置く。
そして、さっと背を向けて華扇を一瞥した。
「じゃあ、よき眠りを」
どこか芝居がかったそんな台詞を残して、小町は夜の空を飛んでいった。
「しゃれにならないってのぉ……」
あんたが眠れとか言うと。という台詞は、言葉にならず後半部分だけが口からこぼれた。独り言だ。もう小町は帰ってしまっているのだから。
眠たげな瞳で、窓際に視線を下ろす。先ほどまで小町の上半身があったその場には、お猪口が二つ取り残されているだけ。一瞬だけ小町の笑い顔がデジャブするが、それがどうした。晩酌はもう終わっている。
取り残されたお猪口を片付けようと手を伸ばして摘む。両手に一つずつのお猪口が摘まれたが、どうやら片方に揺れる水面を華扇は見つけた。
さて、どっちが自分のだったか。
「……どっちでもいいわ」
些細な事だ。くっと一息に飲み干す。
自分があの死神の飲み掛けを飲んだところで、だからどうした。
「ったく……あの死神めぇ」
酔いが回った頭から、独り言がこぼれるこぼれる。
自分を抑える理性は、いまやアルコールなんていうものに敗北を喫した。良い良い、誰と何に対して不満を愚痴ろうが、聞く相手など今は誰もいないのだ。存分に言ってやれ。
例えそれがどんなに、
「まぁた、窓で済ませて帰ってぇ……」
些細な事だろうが。
「やあ茨華仙。素敵な夜をいかがお過ごしで」
死神がそこにいた。
「……なんの用です」
茨木華扇がこめかみに手を当てて問うた。
頭が痛い。午後をぶっ続けで経典の写経に費やして、気分転換にと覗いた先がこれだ。
「おや酷い。定時上がりで知った顔を覗きに来てあげたあたいになんていう言い草だ」
「こちとら覗く気皆無でしたからね」
「どうやらお疲れのようだね。ここらで一服でもしないかい? 邪魔はしないといったが、労うなら断る理由はないだろ、ないね。なぁにブツは用意してある、ほれほれ」
ケタケタと笑いながら、小野塚小町は右手に下げていたひょうたんを掲げる。
中身はおそらく酒だろう。定時上がりで晩酌とはいい身分だ。これだから公務員なんて、と後ろ指を指されるのだ。
「勝手に話を進めるのはどうかと思いますが。というより、一服で晩酌とか何を考えているのかしら」
「仙人様だろ? 仙酒なんていう言葉あるくらいだし、酒には強いに違いないと」
「偏見ですね」
「へぇ、んじゃ実際は」
「可も無く不可もなく」
「ツマラナイ答えだ」
小町が鼻で笑う。小馬鹿にしたような笑みだ。華扇はこの程度の挑発にかかるほど愚かではない。愚かではない、がそれも場所と相手による。
「……まぁ、いいでしょう」
「お、そうこなくちゃ」
そう言って、小町は窓の枠へと両肘を乗っけて身体を預ける。窓の外に欄干はあるが、腰を下ろせるほどの幅は無い。必然小町は宙に浮いている。霊力の無駄遣い。
「別に、家に上げないとは言ってないですよ」
「この場所が落ち着くんだ。まあ、通う内に慣れたとでもしておこうか。それに、こーゆうやんちゃは心が躍らないかねぇ。あたいは楽しいんだがね? のんびりできるよ」
「……そーですか」
別に、誘いを断られたことに思うところはない。しかし、このような子供っぽさには毎度ながら呆れる。小町はもうちょっと落ち着いた所作を心掛ければ、長身もあいまって凛々しさも増すだろう。仙人としての威厳に乏しい身体の自分からしてみれば、長身なんていう生まれながらの産物は正直羨ましい。
「あ、お猪口くらいはそっちで用意してくんな」
本当に、この図々しさがなければ。
本日の写経はひとまず終了だ。酒の入った身で修行など甚だしいにもほどがある。目の前の馬鹿でもない限り、そんな愚考は誰もがしないだろう。
「失敬な。あたいは仕事と私事の区別くらいつけるよ」
「あら、そうなの? よくサボっているらしいからそんな印象はまったくしなかったわね」
「その噂を垂れ流したやつを教えておくれよ」
「うちの鳥」
「丁度いい。焼き鳥にして食っちまおう」
「握りつぶすわよ」
「まあまて」
小町が持ち込んだ酒はどこにでもあるような安酒だ。正直味は二の次で、安さだけを武器に安月給の死神や死んで魂となった人間など、中有の道あたりの低収入層に幅広く支持を受けている。
ただし、小町が持ち込んだひょうたんが少々特殊であった。冷熱調整可能な一品、いわゆる魔法瓶仕様のひょうたんであった。おかげで常時冷めぬ熱燗状態だ。冷より熱さが好みの華扇にとってこれは嬉しかった。
「河童の暇つぶしの産物らしいね。作られたのがこの試作品だけらしくて、こないだ中有の道の福引きで当たった」
「どんな流通ルートですかそれ。にしても便利ね」
「やろうと思えば自前の霊力調整でもなんとかなるけどね。まぁ、下手すると蒸発したりしちまうんだよねぇ。イチイチ気を張るのが面倒すぎる」
「霊夢が得意そうね、そういう細かい作業」
「博霊の巫女? は、面倒だって言ってきっとやらない」
「ふふっ、そうね」
自然と笑みがこぼれた。所詮は安酒だ。味なんてたかが知れている。
だが、どうにも気持ちの良い酔い方だ。こぼれた笑いがその証拠。小さなおちょこを口に運び、唇を湿らせるようにして液体を口に含む。舌全体に行き渡らせるように転がし、喉元へと嚥下した。
ああ、悪くない。
「おいし……」
思わずこぼれた独り言が、小町の耳に届いた。
「なんだい、最初は乗り気じゃなかったのが、存外にいい感じじゃないかい」
「だって、お酒は美味しいものよぉ」
「おやおや、仙人様は見掛け倒しだったのかね。あんな事を言っていた割に酒が強いわけじゃない、と」
「ふん……どうとでも言いなさい。好きと強いは別物よ……」
「くくっ、そんな眠そうな顔でいわれちゃ、納得しないわけにはいかないね。さぁて、仙人様がそんなだから、そろそろ帰ろうか」
「なによ、もう終わりなのぉ……?」
「もうとっとと寝な。あたいが寝床まで運ぶ面倒が減るからね」
「運びなさいよぉ……」
「やだね。さぁ、半分自営業の仙人様と違ってあたいは明日もお仕事だ。飲酒運船で免停とかまっぴらさ」
そういって、小町は先ほどまで寄りかかっていた窓枠へと自分のお猪口を置く。
そして、さっと背を向けて華扇を一瞥した。
「じゃあ、よき眠りを」
どこか芝居がかったそんな台詞を残して、小町は夜の空を飛んでいった。
「しゃれにならないってのぉ……」
あんたが眠れとか言うと。という台詞は、言葉にならず後半部分だけが口からこぼれた。独り言だ。もう小町は帰ってしまっているのだから。
眠たげな瞳で、窓際に視線を下ろす。先ほどまで小町の上半身があったその場には、お猪口が二つ取り残されているだけ。一瞬だけ小町の笑い顔がデジャブするが、それがどうした。晩酌はもう終わっている。
取り残されたお猪口を片付けようと手を伸ばして摘む。両手に一つずつのお猪口が摘まれたが、どうやら片方に揺れる水面を華扇は見つけた。
さて、どっちが自分のだったか。
「……どっちでもいいわ」
些細な事だ。くっと一息に飲み干す。
自分があの死神の飲み掛けを飲んだところで、だからどうした。
「ったく……あの死神めぇ」
酔いが回った頭から、独り言がこぼれるこぼれる。
自分を抑える理性は、いまやアルコールなんていうものに敗北を喫した。良い良い、誰と何に対して不満を愚痴ろうが、聞く相手など今は誰もいないのだ。存分に言ってやれ。
例えそれがどんなに、
「まぁた、窓で済ませて帰ってぇ……」
些細な事だろうが。
取りあえず酔いの回った華扇ちゃんがすこぶる可愛かったです
いい雰囲気でした。
さあ次も書くべきそうすべき
図々しく懐まで詰め寄られて、引きとどめようとしたらするりと退かれて。
それにしても酔っぱらった華扇ちゃんは可愛い。