この作品は後編となっております。前編が作品集165にございますので未読の方はどうかお先にそちらをお読みください。
前編http://coolier-new.sytes.net:8080/sosowa/ssw_l/?mode=read&key=1332963115&log=165
PM2:00
何かが、おかしい。その違和感は本当にかすかだったけれど、異変の時に感じるような頭の中で何かがチリチリいう感覚を霊夢は味わっていた。目の前には妖怪の山が迫っている。レティが言っていたのは、レティが冬の管理者ではないと知った時の、静葉の絶望した表情。霊夢の死角で思い詰めたような表情をしていたらしい。思い過ごしかも知れない、レティはそう言った。しかし、霊夢は紫の所での静葉の言動を思い出すととてもそうは思えなかった。あの子はきっとまだ私に何か隠していたのだ。霊夢は出せる限りの早さで飛びながら、眼下に目を凝らした。
少しだけ肌寒い昼下がり、風が強くなってきていた。あまり高く飛んでいない霊夢の所までも落ち葉が巻き上げられてくる。うっとうしいと払いのけた霊夢は木々の間に妙な物を見つけた。
「狐かしら。怪我しているようだけど」
そこには、ふらふらと歩いていく体に所々血がこびりついた一匹の狐。多分イヌワシにでも襲われたのだろう。爪痕が痛々しい。しかし、自分の体を労る様子は見えず、逆に体を引きずるように進んでいく。
霊夢は地面におりてよく見ようと高度を下げた。すると、さらに異質な物が目に入った。狐の前方五十歩行ったところだろうか、小熊が一匹同じ方向を向いて歩いている。生後数週間と見られるその小さな小さな熊は母親を探すように首を振り、声を上げながら幼い足取りで歩いている。その光景は霊夢の表情を歪ませるのに十分だった。この子熊は捨てられたのだろう。本来熊の出産時期はもっと後だ。冬眠のために脂肪を十分に蓄えた母熊だけが、一月の半ばに穴の中で子供を産むのだ。しかし、自然はそのルールを狂わせる事もある。生まれてしまったこの子は生きる術を持たない。母熊もそれを知ってこの子を手放したのだろうが、出産という多大なカロリー消費をしてしまった母熊も冬を越えるのは難しいだろう。小熊に追いついて降り立った霊夢だったが、小熊は意に関せずというように歩いていく。どうしようもない事はわかっていても霊夢はしばらく熊の後ろを歩いていく。しばらくすると霊夢の後ろから地響きが聞こえてきた。
「ブフォオオオ」
驚いた霊夢が振り返ると、後ろから巨大な猪が迫っていた。小熊を狙っているのかと思い霊夢は身構える。助ける事などできなくとも目の前で食い散らかされるのは嫌だ。それがただのエゴだとわかっていても、だ。しかし、霊夢の目はまたも意外な物を捉えることとなった。猪の瞳は濁り、進行方向の木に何度も体をぶつけていた。
「目が見えていないのね」
猪は霊夢の横を通り過ぎると一直線に走り去った。体を削りながらもスピードは緩めない。その先には何かがあると言わんばかりだった。
さすがに妙だ。自然界の森で死にかけの動物にあうことはまずない。自然の淘汰という物はそれだけ厳しいし、死にかけの者達ほど警戒心が強いものだ。しかも、三者は同様に同じ方向を目指している。霊夢は胸騒ぎがするのを抑えもう一度地面を蹴って飛んだ。その道を追うと、霊夢は同じような光景に何度も出会う。胸が痛くなってきた頃その先の木が少し開けた場所で、霊夢の疑念は確信にかわった。
「……静葉ちゃん、家に帰ったんじゃなかったの?」
そこに静葉は先ほどと変わらない姿で立っていた。肩には、助からないと簡単に見て取れるほどひどく翼の折れたカラスがとまっている。カラスは静葉に寄り添うように頭を乗せ、振り返った静葉はその翼を優しくなでている。
「霊夢さん」
振り向きそう言って悲しそうに呟く静葉。頬には先ほどの涙の跡が残っているのがわかった。霊夢はこれがただ事ではないと理解し、体に緊張をいき渡らせる。
「何してんのって聞いてんのよ」
霊夢は問う。返事によっては容赦しない。足下で、カマキリがこちらに鎌を振り上げていた。
「私ですか?残った秋を探しているところです。ほら、みてください。そうだ、霊夢さんも手伝ってくれますか?」
そう言って後ろ手に持っていた籠を霊夢に見せる。しかし、今この場でその中身を確認する気にもなれなかった。すると静葉は穏やかに言った。
「霊夢さんが気にしているのはこの子達でしょう?この子達は、みんな私の子です。冬を迎えられず、散ってゆく者達。この子達を安らかに送る事も私の仕事です」
確かに彼女に続く生き物達はみな穏やかで、たとえ捕食者が近づこうと何も動じていなかった。現に、何の抵抗もせずあの猪は道の途中で元気な野犬の群れに飲まれていった。猪はそれまでの突進を止めそれを受け入れるかのように身じろぎもしなかった。
「そうかもしれない。でも、これは違う。異常だわ。ここのものには確かにもう生は残されていないのかもしれない。けれど」
「彼らはとってもいい子ですよ。人生の最後に少しだけ私の手伝いを頼んでいるだけ。あ、人じゃないから人生じゃないか」
そう言って静葉は笑った。その笑みに霊夢は思わず気圧される。雲がでたのだろうか。気がつけば彼女のいるところだけが暗かった。
「穣子をどうするつもり?」
「……穣子をどうする?私が妹に何かすると思うんですか?霊夢さん、あはは。おかしい」
語気を強めた霊夢に対し静葉は口を開けてけらけらと笑い出す。霊夢はぞっとした。目の前の静葉はどう見ても正常ではなかった。眼に影を落として笑う彼女は後ろに誰かがいて操っているかのように不自然だ。
「ふふ、おかしい、穣子を傷つけるような事私がする訳ないじゃないですか。私は世界で一番あの子の事を想っているんですよ?」
危ない、霊夢はそう感じた。身構える霊夢だったが、静葉は突然糸が切れたように笑うのをやめた。手に持っていた籠が転がり、小さな粒がこぼれる。彼女を慰めるかのように動物達が彼女に寄った。
「あんた、どうしたいのよ?私にはさっぱりだわ。顔をあげなさい。話を聞かせて」
慎重に彼女に近寄り、声をかける。近づくと彼女の声を耳が拾った。
「私だってこんな事をしたくはなかったんです。別に理由があるのだと信じたい」
「静葉?」
「ただ、もうこれしかないんです。そう、これしかない。そう、そうよ。私は間違ってなんかいない!もし、手遅れになるわけにいかないんだから!」
やはり予想通りだったか、と霊夢は思った。静葉はもう穣子を弱らせている物の原因をわかっているのだろう。霊夢は刺激しないよう注意してその答えを促した。
「静葉ちゃん。穣子ちゃんが弱っている本当の理由は何なの?」
静葉の目は霊夢と決して合わせられる事はなく、虚ろなまま、ただ涙を流していた。足下の落ち葉が色を変えた気がした。
PM2:00
「秋穣子か」
その低く重い声に思わず気圧されてしまう。部屋の中は薄暗く、中央には神具のような物がおかれている。その前でこちらに背を向けて座っているのは山の神、八坂神奈子だ。宴会の時とは明らかに違うオーラは自分など吹けば飛ぶのだと言っている気がする。怖い、しかし私も神の端くれなのだ、という誇りがそれを見せることを拒否した。精一杯の皮肉を込めて言う。
「はい、秋の神が一柱、秋穣子でございます。本日は誠に丁重なお招き感謝いたします。山の大神が何の御用でしょうか」
ここは、きっと賽銭箱の奥の部屋なのだろうな、と予想できた。私たちは小さな祠しか持っていないからすごいな、とは思うけど神の価値はそんなことだけじゃ決まらない。信仰の減っていっている私の言えることじゃないけどなめられてちゃ駄目だ。
「穣子、お前諏訪子をどうするつもりだ?」
振り返ってこちらを見据える眼光はまさに蛇のそれ。注連縄こそ背負っていないが、彼女が本気で怒っていることは簡単に知れた。ついでに言うとその注連縄も奥の祭壇に飾ってある。
「諏訪子様ですか?私は何も知りません。もし関わっていることがあるとしても私は存じておりません。八坂様は何にそんなに腹を立てていらっしゃるのですか?」
そう言って薄く笑いかける。本当は頭も痛いし、怖いし、余裕なんて少しもないけれど。
「下賎な。そなたが何も知らないと言うなら厄神に聞くだけの事」
神奈子様は何をそんなにも知りたがっているのだろう。諏訪子様の心配をしているようだけど。雛が何かしたのだろうか。
「雛が何をしたというのですか?雛を侮辱するというなら八坂様と言えど黙ってはいないですよ」
あぁ頭が痛い。なんだろうここに来てから頭痛がひどくなった気がする。
「どの口で!諏訪子を祟り神に落とそうなどどこの悪魔が考えることか、神の行為ではないぞ。まるで、卑しき人間ではないか!」
どこで引き金を引いたのか突然神奈子様は声を荒げた。訳が分からない。諏訪神である諏訪子様は元から祟り神ではないのか。第一そこで呼ばれるのが何故私なのか。思わず頭に血が上る。
「うるさい、訳が分からないことを言うな!雛がそんなことするわけない!」
「この小娘が! 」
空気が沸騰した気がした。やばい、私ここまでかもしれない。本気でそう覚悟して、目をつむる。しかし、いつまでたっても次の言葉がぶつかる事はない。どうしてだろう。薄く目を開けると部屋の空気が変わっていた。
「おやめよ」
声は水面に針を落とすようにすっと入ってきた。神奈子様の目線の元をたどれば、そこには早苗に支えられた諏訪子様の姿があった。
「この子は本当に何も知らないんだ。それにこのことを私は攻めるつもりはない。そう言っただろう?」
「駄目だ、そんな事は認められない」
神奈子様は明らかに動揺している。膝を握る手に力が入っているのが見て取れた。
「神奈子……。そう思ってくれるのは嬉しいけどね、私だってこの子に消えてもらいたくないのさ」
「諏訪子様どういう事なのですか?穣子様はお客様ではなかったのですか?」
諏訪子の肩を支える早苗も私と同じく状況をつかめていないらしい。神奈子様は苦虫をかみつぶしたような顔をしているが、先ほどまでの迫力はなく、諏訪子様をみる目は今朝にとりや、雛が私に向けたものと同じだった。
「ふぅ。神奈子、構わないだろう?早苗、お前もそこに座りなさい。私たちの事いろいろと教えてあげるから」
「ふん、穣子。知った後で謝っても遅いぞ」
神奈子はそう言って部屋から出て行ってしまった。最後にもう一度私をにらんでいく。諏訪子様はやれやれ、とため息をついて帽子を外す。帽子を外すとその吸い込まれそうな深い色の瞳がよく目立った。私は諏訪子様がこんな綺麗な目をしている事を初めて知った。
「さて、すまなかった。あの人は血の気が多くて駄目だね。どこから話すか。……まず穣子、あんたこのままじゃ次の春を迎えられない事は気づいているね?」
「…………はい」
心当たりはないけど、ただなんとなく諏訪子様なら知っている気がしていた。しかし、その次の言葉は完全に予想外だった。
「時間がないから簡潔に言おう。それはね、私のせいなのさ」
「えっ……?……いや、そんなはず」
うまく言葉が続かない。隣で早苗も言葉を失っている。とりあえずなんとか思う事を声にして絞り出す。
「諏訪子様、それはきっと勘違いです。私が消えるのは信仰が減ってしまったからで……」
「穣子。それはお前のせいじゃないのさ。こういえばわかるかい?私も豊穣神なんだ。お前の信仰が減っているのは、お前の信仰を私が吸収してしまっていたからなんだよ」
ひとつ頷いてそう言う諏訪子様。それに言い返そうと早苗が口を開くが諏訪子様はそれを手で制しさらに続ける。
「私の二つ名は土着神の頂点。わかりにくいもんだろう?これじゃ何を司っているのかさっぱりだ。弾幕の時はミシャグジ様を使うからね、私の事を祟り神と思っている奴も少なくない。確かにミシャグジ様を従え、共に居るのも私の役目だ。でもね、私の本質は大地の神。土着神ってのはそう言う意味なのさ。あんたにも少しはわかるだろうけど長いこと神様をしているとね、いろんなことがある。ある時私は一国の王となった。そのころは無茶をしたもんさ。一神教の神様になったようなもんでね、そのうちに豊穣、軍事、他の神を吸収しては挙げ句の果てに生命なんてものまで司るようになった。神奈子に負けて、外の世界では忘れられ今じゃずいぶん力も弱くなったけれどね」
諏訪子様の翠の瞳がその頃を少しだけ懐かしむように細められた。幻想郷に守矢神社がやってきてからもしばらくは表に出てこなかった諏訪子様。お姉ちゃんと二人で諏訪子様に初めて会った時、諏訪子様はなんと言っただろう。そんなに昔の事ではないはずなのにさっぱり思い出せなかった。
「でも、ここに来てからまた少しずつ力が戻ってきたんだ。早苗はよく信仰を集めてきてくれるし、ここじゃ、私たちが表に立てる分ずっと楽だ。簡単すぎるくらいだったよ。でも、そのうちに気がついた。あんたの存在にね」
「豊穣の神、ですか」
私たちは確かに守矢神社ほど熱心に信仰を集めようとしていなかった。山道に祠が一つあるだけだ。それでも、収穫祭に呼ばれるほどこの幻想郷では里と神の距離は近かった。それでも、それは他に頼る神がいなかったからだけなのだろうか、そう思うと裏切られた気分になる。理不尽だと叫ぶ自分と、不思議に納得してしまっている自分が私の中で争っている。
「最初は何にも思っちゃいなかったさ。他の神を吸収したりなんて事は外の世界じゃよくあった事だ。でも、ここに住むうちにここじゃそれは違うって気づいた。忘れ去られた神々がここでさえ生きていけないなんてそんなおかしい話はないだろう。あんたは消えちゃいけない。そう思っていたら、案の定あんたが体を崩した」
「それは、私達が頑張ってなかったからで諏訪子様のせいじゃ」
「いや、それは違う。あんたがどれだけ人を憂い、不作を嘆き、努力していたかよく見てきたから言っているんだ。悪いのは何も考えずただ信仰を募っていた私たちだよ」
「それじゃ、私のせいで」
それまで不安そうな顔で話を聞いていた早苗が顔をぱっと上げて言う。諏訪子様は彼女にやわらかな笑みを向ける。
「早苗はこれからこういう事を少しずつ学んでいけばいい。私だってわかっていなかったんだ。早苗は何も悪くないさ」
肩を落とす早苗、諏訪子様は顔を暗くしてそのまま言葉を続けた。
「でも、遅すぎたんだね。問題は昨日の夜さ。この神社の裏、ミシャグジ様の祠に大量の厄が供えられた。早苗、あんたは見に行かない方がいいよ。死と悪意、そんな所さ。ミシャグジ様は正真正銘の祟り神だ。そこに厄を供えるなんてのはね、ネズミに餌をくれてやるようなもんさ。あっという間に全てを食らい尽くして、あれは膨れ上がったよ。このままじゃ直に抑えきれなくなって私は飲み込まれて祟り神になるだろう。そのせいで、私はこの有様さ。見事なもんだ」
「諏訪子様!?」
淡々と告げられたその事実はあまりにショッキングだった。私を助けるために目の前のこのお方を祟り神に堕とそうとしている人がいる。早苗が信じられない、と言った顔で何か声を発し詰め寄るが、諏訪子様は動じる様子はない。
「早苗、その話は後だ。穣子、そしてそこにあった物の一つがこれだ」
諏訪子様がどこからか見慣れない黒い物を取り出す。それは、正月の注連縄飾りのような円を描いた注連縄の中に一対の紙人形が収められている物だった。ただ、その注連縄は黒ずみ、片方の人形は首がなかった。早苗が隣で息をのむ。私も胸がどくん、となるのがわかった。不安が胸を押しつぶしそうだ。
「これはね、流し雛さ。人里で春先に行われる神事でね。自分に降り掛かる災厄とかそういう物をこいつに引き受けてもらって流すのさ。ずいぶんと季節外れだけどね、けったいな厄を吸い込んだものさ。私が何を言いたいのかわかるだろう?」
「厄神様が?」
鼻をすすり上げ、早苗が震える声で聞く。私の頭には今朝部屋を出て行ったときの真剣な表情の雛がフラッシュバックする。雛がわたしのために?今日の朝の平和の裏に諏訪子様を呪う顔を隠していたのだろうか。そんなこと私には信じられない。
「で、でも雛は昨日の夜からうちに泊まっていたって……」
「…………」
言い返し顔を上げて、黙っている諏訪子様のその眼を見た瞬間、時間が止まった気がした。その静かな瞳は声に出さずとも私に残酷な事実を悟らせる。雛じゃない。雛なわけないじゃないか。私の事を誰よりも大事に、そして消えようとしている私を救おうと願っているのは。
「天狗と神奈子はまだ何も知らない。ただ、穣子に関係ありそうだとだけ言ってあんたに来てもらった。厄神が捕まる事はないだろうからね。あいつらはまだ気づいてないよ。でも、私にもわかる。……静葉だろう?」
私を気遣うようにゆっくりとその言葉を紡いだ。その声を最後まで顔を上げて聞く事はとてもできなかった。あふれてくる嗚咽に顔を手で覆っても胸の中に鉛を感じるだけで、涙すらついてこない。お姉ちゃん。浮かんでくる記憶の中、明日はいっしょにいられなくてごめんね、と私の手を握った姉は触れたら壊れてしまいそうな表情をしていた。
PM3;00
「私にはこうする事しかできないんです」
静葉は自分の言葉を何度聞いたかわからないその言葉で締めくくった。知らぬ間に周りの動物達は消え失せ、二人には斜陽の影が落ちている。もう霊夢には静葉の表情も見えなかった。何も言葉を発せずにいると、静葉はもう一度震えた声を出す。
「諏訪子様は、私たちよりもずっとお強い。きっと祟り神としてだって生きていける。でも、穣子は違います。穣子は、妹は……」
それ以上は言葉が続かなかった。声はただの音にかわる。霊夢は理不尽な怒りが腹の底で渦巻くのを感じた。
「どうしてっ、どうして私に何も言わなかったの!私だけじゃない!紫だって諏訪子だって事情を話せばわかってくれたかもしれないじゃない!」
言いながら、自分がどれだけ静葉の力になっただろうかと自問する。たった今日一日の付き合いで静葉はどれだけ私の事を信頼できるというのだろうか。何も気付かなかった自分の歯がぎりり、と鳴ったのがわかった。
「どうでしょうか、私たちに他に道はあったのでしょうか。もしかしたら、これは私の早とちりなのかもしれません。それは、今となってはもうわかりません」
「わざわざ早苗じゃなくて私の所まで来たのは最初からそういうつもりだったわけ、ね」
「ごめんなさい、霊夢さん」
今日一日だけで今まで何度も彼女に謝られてきたが、この時ほどその重さを感じる事はなかった。霊夢は思わず顔を上げて彼女を見る。その目は、もはや何の色も宿していないように感じた。こみ上げてくる哀しさを心の内で遮断して、霊夢はこの場をどうするかを考える。
「残念だけど、こうなった以上見逃す訳にはいかないわ。祟り神が暴走すれば、大変な事になる」
「そうですか……」
静かにそう言って静葉は頭を垂れた。力つきたようにその場から動かない静葉に霊夢は近づき、その肩に手をかけた。
「静葉ちゃん……!?」
しかし、霊夢の手が静葉の肩をつかむ事はなかった。空を掴む右手、手に残るそれが落ち葉だと気づいた瞬間静葉だと思っていた物は崩れ落ちる。風に吹き上げられたそれにつられるようにふりかえると霊夢の視界は急に影に覆われた。
「本当に、ごめんなさい」
首に後ろから鈍い衝撃が走る。いけない、と思った時にはすでに霊夢の意識は揺らいでいた。暗転する視界の中、崩れる落ちる霊夢を彼女はただ無表情に見つめていた。
PM3:00
諏訪子様の長い話が終わると、部屋は、すすり泣く声が響くだけになった。
「辛い思いをさせるね。私は元から祟り神に近い身だ。忘れられていた所を第二の人生を与えられたんだ、こんな事構いやしないよ」
そう言う諏訪子様は、言葉とは逆にとっても辛そうで、そして神々しかった。
「諏訪子様は、祟り神になられたらどうなるのですか?」
そう聞く早苗の顔もぐしゃぐしゃだ。祟り神と人間は近くにいられない。ずっとそばにいた二人の絆をもまた、私たちは切ろうとしているのだ。
「私も長いことミシャグジ様と一緒にいるからね、ひどいことにはならないだろうさ」
「ごめんなさい!本当にごめんなさい!私が代われば諏訪子様は……」
「穣子が謝る事じゃないよ。元からここにいたのはあんただ。静葉の気持ちも十分にわかる。それに、あんたじゃ祟り神を抑えられない、ただの呪い吐きになっちまうよ?それこそ本末転倒だ」
「そんな……」
涙と鼻水のどう混じったのかもわからないしょっぱい水を飲み込んで歯を噛み締める。神奈子様に何をされてもしょうがなかった、今になってそう思った。
「早苗、こういうことは珍しい訳じゃない。大体私は神奈子に負けた時に消えてもおかしくなかったんだ。神っていうのはそういうものなのさ。こういうことをこれからお前はたくさん乗り越えていかないといけないんだから」
「嫌です!諏訪子様、私はここに来るまで諏訪子様の事をよく知ろうともせず生きてきました。やっと幻想郷に来て諏訪子様の事を知る事ができたのに……こんなの……あんまりです」
早苗が枯れた声で言う。諏訪子様は答えずともそのうつむく肩もまた、震えていた。
「話は終わったかい」
しばらくして音を立てて神奈子様が部屋に戻ってきた。その表情は厳しいまでで、その思いを知った今穣子はその視線に耐える自信がなかった。一瞬目のあった神奈子はしかし何も言わず、しばらく部屋の中を見渡して黙り込む。その目は部屋をぐるり回り、流し雛でとまる。空気を黒く塗ったような沈黙の後、一つのため息とともに神奈子は呟いた。
「はぁ……そういうわけかい、諏訪子」
早苗の肩を抱く諏訪子様は神奈子様をしっかりと見つめながらも、何も言わなかった。黙ったまま見つめ合う二神。一瞬、神奈子様の姿が爆発するように大きく見え、そして長い吐息と共にゆっくりとそれは吐き出された。しっかりと目を見据えたまま落ち着いた声で諏訪子様が言う。
「神奈子……あんたならわかるだろう?」
「…………」
「…………………」
「……どうにもなんないのかい」
「……すまないね」
「くそっ……あああああああああああああっ!この馬鹿ガエル!!すきにおしよ!私は……私は邪魔するからねっ!」
諏訪子様の問いに神奈子様は背を向け、髪をわしゃわしゃと掻き天を仰ぐ。穣子は言葉を吐き捨ててそのままどしどしと足音をたてて出て行った神奈子様を見つめる諏訪子様の瞳がついに濡れるのを見た。
「あら?あらら……情けない。我慢するつもりだったんだけれどね。見なかったことにしておくれ」
穣子の目線に気づいた諏訪子は目元を袖で拭うとまた真剣なまなざしをこちらに向けた。空気が変わる。諏訪子様の言いたいことはわかっていた。
「さて、私の話はこれで終わりだ。それじゃあ……これからの話をしようか穣子、早苗。」
「…………はい」
わかってはいても、それが事実として穣子の肩に重くのしかかる。早苗も神職に仕える身故に予想はできていたのだろう。泣き腫らした目をまっすぐに返す。
「人を呪わば穴二つ。神を呪うのにあの子はいくつ穴を掘ったんだろうね。あの子に関しては私にもどうなるかさっぱりわからないよ。ミシャグジ様は私がなんとかするから穣子は神奈子と一緒に静葉を止めておくれ」
あごを上げ、目をごしごしとこすって力強く頷いた。お姉ちゃんは、今どうなっているのだろうか。許されないこと、しかしお姉ちゃんを憎むことなんてできない。私に止めることはできるだろうか。その悩みに答えが出る間もなく、外が騒がしくなるのが聞こえた。
「さて、向こうもお出ましのようだよ。早苗、手を貸してくれるかい」
早苗に手を借りて諏訪子様は立ち上がり、ふすまを開ける。現れる息をのむような夕暮れ、そのコントラストがいつもより濃いことに、部屋の誰もが気づいていた。
PM12:30
目が覚めてどれくらい経っただろうか。今は何時なのだろうか。霊夢はうずたかく積まれた、いや積み重なるように倒れていった動物達の下で身動きが取れなくなっていた。全てが死んでいる訳ではない。しかし、力つきるように眠り込む者達が目を覚ますとも思えなかった。きっとここで緩慢に死を迎えるのだろう。周囲には霊夢でも見たことがないくらいの厄が立ちこめ、自分の身を守る結界を張るので精一杯。霊夢と言えど脱出まで手が回らない。
「まったくありえないわ。静葉の奴、ぶっとばすじゃ済まさないわよ。あぁ重い!何なの!紫もこーゆー時に仕事しなさいよ。あーもう誰かたすけてー」
何時間助けを求めても、やってくるのは死にゆく者達ばかり。驚いたことにそこには、河童や天狗、妖怪どもまで含まれた。もう何度目になるだろうか。むこうからの足音に霊夢は声をかける。
「そこ!死ぬのはまだ早いわ。考え直しましょう!ほら、どうしてもって言うならここにいる私を助けてからにしなさい。そしたら人生もっと先があるって一緒に考えてあげるから!人生だか妖生だか天狗生だか知らないけどそんな簡単にあきらめんなーってのー!!」
半ば投げやりに投げた言葉。しかし、霊夢の予想を裏切りその足音は声に反応するように急速に霊夢の方に近づいてきた。一瞬、静葉が帰ってきたのかと身を硬くし、自分を挟んでいる毛皮に潜り込もうかと考えたが、すぐにそれはあきらめた。なるようになる。霊夢は自分がこの静かすぎる死の真ん中で妙に達観した感覚に陥っているのを感じていた。足音が近づいてくる。この瘴気のような空気を平気でかき分けてこられる者がどれだけいるだろうか。
「やっぱりあなたでしたか。博麗の巫女さん。遅くなりましたわ。大丈夫ですか?私としたことが、ここまで厄が大きくなるまで気がつかず、申し訳ない限りです」
流水のような美しい翠の髪に大きなリボン。少し息を辛そうにする程度で彼女、鍵山雛は結界も張らずに霊夢の顔を覗き込んでいた。
「霊夢でいいわ。厄神っていうのは本当みたいね。あの時はこんなのがと思ったけど」
「あらあら、あの時だって先に進もうとするあなた達に忠告しようとしただけでしたのに……」
そういってこの状況にもかかわらず雛はクスリと笑った。その笑みを見て霊夢は何十年ぶりかに生者にあったかのような実感を得る。体に力が入るのがわかった。やはり、ここにいて霊夢も生気を抜かれていたようだ。
「んしょ。じゃあ悪いけど手伝ってくれる?」
「はい。お手伝いいたしますわ」
なんとか動物達のサンドイッチからはい出した霊夢は雛と共に祠の前に立った。体中についた木の枝や、何のかもわからない毛を払いながら霊夢は雛に状況を尋ねる。
「これ、全部静葉ちゃんが?」
「静葉さん……あぁやはり、そうでしたか。……えぇ彼女の能力の考えうる限り最悪の使い方でしょうね」
雛はため息とともにそう言った。霊夢はいつだったか静葉から彼女の名前を聞いたことを思い出し、また胸が痛んだ。
「寂しさと終焉、ね。こんな風には考えたこともなかったわ。おそろしい。正直ただの子供だと思っていたのに」
霊夢には今でも静葉のしたことを信じることができていなかった。最後にあった時、感じた違和感は何だったのか。彼女がこれを引き起こしたとしても、それに対する彼女の反応はどこか不自然だった。
「それで?この厄、どうにかできるの?」
「正直、これは私の限界を超えていますわ。私の家から持ち出した流し雛を媒体にはしているようですからこの厄に拒絶されることはないでしょうけど。続々と集まっている今、吸い込んでも意味はないでしょうし、これ以上近づくこともできない今私は少しでもこれから増える厄を小さくすることしかできません」
確かに、結界を張っている霊夢にもわかるくらい禍々しい空気が祠には流れていた。手を伸ばすと結界に触れる空気が音を立てた。周りの木々がざわざわと揺れている。日がささないだけではない暗さに霊夢は胸が急き立てられる。
「困ったわ。雛、だったわよね。悪いけれどここを任せてもいい?私は紫に会いにいく」
「わかりました。できるだけ早く戻ってきて下さい、ここがこの後どうなるのか予想もつきませんから」
霊夢は少し息を吸うと、服を整えた。ここから八雲家までの最短距離をイメージする。とんっと爪先で跳ねたところを雛に突然呼び止められた。
「霊夢さん。すこし待っていただけます?」
その手には見覚えのある流し雛。それを霊夢に手渡すと、雛が何かを呟き、くるりと回る。ぱっと淀んだ空気がそこだけ晴れた。彼女の手足が幻想的なほど白いことに霊夢は気付いた。見とれていると体がふっと軽くなるのを感じた、とみるみる人形が黒ずんでいく。驚いた霊夢に雛はにっこりと笑いかけた。
「え?え?なによこれ?」
「あなたに憑いている厄を少しだけもらいましたわ。少し厄にあたりすぎていたようですから。途中でその人形を川に流して下さい。流れゆく水が浄化してくださいます」
「へぇ。今度ゆっくりその仕組みについて聞きたいところね。ありがとう、助かった。行ってくるわ」
「いってらっしゃいませ」
霊夢が飛去った後、雛は一人祠に向き直る。祠の中に何かの気配が生まれつつあるのに雛は気がついていた。
「厄い厄い。こんなにたくさん厄を溜め込むあなたは誰なのかしら。私の仲間だったらごめんなさいね。今は静葉さんを止めたいの。急ぎのところ悪いのだけれど、すこしだけ私に付き合って下さいな」
スカートの端を持ち上げ、芝居がかった礼をすると雛は舞姫のようにターンする。大気に彼女を中心に渦が生まれるのを感じた。彼女の慣れ親しんだ、黒い瘴気を抱きしめて彼女はもう一度、地面を蹴った。
PM3: 30
「お姉ちゃん!」
「待て穣子!!」
境内の森の奥から現れたお姉ちゃんに思わず駆け出そうとすると、その肩を神奈子様に強い力で引き戻された。唇を一文字に結び、諏訪子様がいる後ろの部屋を守るように立つ神奈子様は既にいつもの注連縄を背負っている。静葉の異変は明らかだった。彼女の通ってきた道に沿った全ての木の葉が落ちている。日が沈む方向とは違うはずなのに、姉のいるところの周りだけが切り取ったように暗い。周りに浮かんでいる天狗達もその異様な雰囲気に手を出せずにいた。
「秋静葉」
神奈子様が低い声で呼ぶと、お姉ちゃんの顔があがった。その目を見て、私は息が止まる。その目を見たことがあった。お姉ちゃんが、いつも秋の最後に涙を流しながら行う仕事。お姉ちゃんの後ろについてどこかに行く人たちの中にあんな暗い瞳をしたモノたちがいた。
「お姉ちゃん?ねぇ!お姉ちゃん!」
真っ黒く塗りつぶしたその瞳は私に反応してくれない。睨むでもなくただ、無表情に神奈子を見つめている。
「あんた、しゃべれるのかい?」
神奈子様が言う。静葉は、お姉ちゃんは全く表情をかえず、その口を開いた。
「洩矢……洩矢諏訪子を出せ……」
言葉と一緒に嫌な何かが、口から漏れているのを感じた。思っていた通りらしい。今の姉は自分の意志よりもただ、呪いに突き動かされているようだ。
「話は通じないのかい……それじゃ、仕様がないね」
神奈子様が、組んでいた腕をほどく。石段へと続く石畳に折り、腕を上げると一陣の風が吹いた。ゴウッと音を立てた空気の固まりが、姉に向かっていく。彼女を簡単に吹き飛ばすであろうその質量は、しかし静葉の元に届きはしなかった。静葉の後ろの森からも、風が吹き始めたからだ。その風に舞い上がる葉が、黒く染まっている。遥かに神奈子様が起こした風には及ばないように見えるそれは、しかし確かに静葉を支えていた。
「……風神に、風で挑むか」
爆発のような風の衝突。びりびりと社が揺れ、天狗達が必死に耐えている。神奈子様はぐっとさらに手に力を込める。しかし、静葉の周りを渦巻くように流れる風はそれを受け流す。後ろの木々が嫌な音を立てはじめたころ、業を煮やした神奈子様が声を上げた。
「文、行けるかい?」
「はい!」
神奈子様がそう声をかけると、どこからか射命丸文が飛び出してくる。手には大きな羽団扇。飛ばされそうになっている他の天狗とは一線を画す動きで、一直線に飛び込んでいく。目で追うのも辛いほどのスピードに姉は全く反応できていないように見えた。
しかし、文が彼女に触れた瞬間異変が起きた。
「……え!?きゃあああああ」
姉に触れた文に指先から何か黒い物が這い上がる。それは一瞬で腕を駆け上り、肩口まで達したように見えた。それと同時に文は、上からの突風により地面に叩き付けられた。何か嫌な音をして落ちた文が苦痛の叫びを上げる。
「つっああああああああああああああ」
「文さん!!」
私の横に付いていてくれた椛がそれを見た瞬間に駆け出した。先ほどの文のように飛ぶことはできないらしく盾をかざし、懸命に進んでいく。姉はそれを見ようともせずに神奈子様を見ている。
「くそっ。気に入らない目だ」
神奈子様はそう言うと懐から、一枚の札を取り出した。
「幻想郷らしく弾幕勝負と行こうじゃないか、秋の神」
姉は何も答えない。その背からは変わらず叩き付けるような風が吹いているが、彼女は何も変化を見せていない。
「答えないなら知らないよ。神祭『エクスパンデットオンバシラ』」
札を掲げると、注連縄に付いていた大きな柱が彼女を挟むように勢い良く二本飛んで。いく。姉はそれをさけるように飛び上がった。その為に乱れた風を神奈子様は見逃さない。
「付き合ってもらうよ」
風が下から思い切り吹き上げられた。小柄な姉の体は思い切り上に吹き飛び、上空で体勢を立て直す。黒い葉が彼女を包むように渦巻いた。神奈子様もそれに続き、地面を蹴る。
「穣子、そこは任せる」
「え、あ、はい!」
返事をしたのはいいけれど自分に何ができるのか、さっぱりわからない。今のお姉ちゃんはただ怖くて。上空で相対する二人を見ながら、私は何もできない。
「文さん!!」
椛の声に意識を戻すと、倒れていた文に椛がたどり着いていた。文は気を失っているのか何も反応を返さない。椛が驚いた声を上げ、彼女を担ぎ、こちらに飛んでくる。他の天狗も二人が上に行ったことにより動きを取り戻したらしく駆け寄ってくる。
戻ってきた文の姿はひどい物だった。彼女の象徴である羽は無惨に折れ曲がり、そして、体の半分が黒く染まっていた。そして、誰の目にも明らかにそれは、彼女を担いだ椛にもまとわりついていた。
「文さん、起きて下さい!」
周りの声にうっすらと目を開ける文。痛みに顔を引きつらせながらも、すぐに状況を把握すると、急に声を出した。
「椛!?馬鹿!!」
「えぇ、すみません文さん。なんだか、触ったらいけない類の物だったようですね」
平気そうな台詞を吐いているが、気がつけば椛の顔も痛みを耐えているように見える。泥に腕を突っ込んだときのようにべったりとその黒い物は腕を覆っている。しみ込んでいくように広がるそれは文の細い体などすぐに覆い隠してしまいそうだ。
私は後ろの障子を開け、諏訪子様に叫ぶ。
「諏訪子様、どうしたら!」
「私に任せて!」
予想外に、そう声を出したのは、部屋の奥にいた三人目の人物、ついさっきまで隣の部屋で爆睡していた河童だった。顔色を真っ白にしながらも自信を持って言い切るにとり。なんでにとりが。部屋にいた諏訪子様も返事をする前に口を出してきたにとりをきょとんとした顔で見つめている。
「なにが起きてるか知らないけどさ、それ雛のでしょ?それなら私の力で少しはなんとかなる!」
そう言うと、にとりは部屋から出てきて二人の前にかがむ。と、同時に椛が立っていられなくなったらしく膝をついて倒れ込む。
「清めの水、きて」
そう言ってにとりが、手を合わせると、どこからか、私の頭くらいの大きさの水の玉がいくつも浮かび上がった。中で透き通る水が踊っているそれは微かに発光しているようにも見える。それは、まるでおとぎ話のような光景で、私は思わず息をのんだ。
「ごめんね、ちょっと痛いかも」
そう言うとにとりはちょっと二人に笑いかける。その幻想的な風景にあっけにとられていた二人はこくこくと頷いた。
「水苻『河童のポロロッカ』」
そう言うと、水の玉は、次々と二人に向かって落下し始めた。……いや、それ弾幕じゃ。水風船がはじけるように二人に当たった水球ははじけて二人を濡らす。先ほどの流麗さはどこへやら、振ってくる水弾に、二人は声を上げる。
「ひょわああ。冷たい!にとり、冷たいよ!」
「羽が、羽が濡れちゃう!」
慌てふためく二人。しかし、その玉の雨が終わった後、確かに彼女達にまとわりついていた物は薄くなっていた。文が自分の体を見渡し、チェックするように腕を振る。
「あ……消えた」
「あ!文さん動いちゃ駄目ですよ!羽が折れているのに変わりはないんですから」
「いい、大丈夫。にとり、びっくりするほど楽になったわ。ありがとう」
「ん、でも後でちゃんとお清め受けなきゃ駄目だよ。それじゃまだ足りないから」
そこに後ろから諏訪子様が声をかける。
「おどろいたよ。にとり、それであの厄を払えたりはできないのかい?」
「それは無理だよ。私はほんのすこし水の力を借りられるだけ。とてもあれはおっきすぎて無理。それにしても、ひどいことになってるね。うわぁ、あっちまでずっと。何がどうなってんのさ」
そっか。にとりはまだ何も知らないんだ。黒く染まった森を見ているにとりに上を指差す。
「えっとね……お姉ちゃんが…………」
けれど、言葉を出そうとした瞬間、上を見て、お姉ちゃんの姿を見た瞬間、駄目になった。全てがあふれてしまった。頭でも何が起きているのかわからないまま涙と嗚咽がいつまでも湧いてくる。
「お姉ちゃんがね……お姉ちゃんが……ぐすっ…うぅうわああああああああんおねえちゃあああん」
もう、この声は届かないのかな。嫌だよ、私だけ残っても何の意味もないよお姉ちゃん。諏訪子様のこととか、祟り神のこととか、他のことに気を回して考えないようにしていたけれど、もう無理だ。お姉ちゃんがいなくなったら私どうするのさ。
「う、ぐす、お姉ちゃん!ねぇ!返事してよ!何、馬鹿なことしてんのよ!馬鹿静葉!……馬鹿お姉ちゃん!!」
上にいる姉に叫び散らしていると、後ろから急に誰かに抱きしめられる。ぴたっという冷たい感触。すぐににとりだとわかった。
「大丈夫だよ、穣子。きっと、大丈夫」
頭をなでられながら耳元でそうささやかれる。
「でもっ。このままだとお姉ちゃんが!」
「大丈夫。みんな協力してくれる。私だってどうすればいいかわからないけど、穣子があきらめちゃ駄目。そうすれば絶対大丈夫だよ」
きっとにとりはどういう状況なのかもよくわかっていないんだろうけど、にとりの優しい言葉は、その言葉は私のめちゃくちゃだった頭に、すっと入ってきた。何にもわかってないくせに、なんでこんなに力が出るんだろう。
「でもっ」
「「大丈夫ですよ!!」」
そう言ったのは、早苗と椛。お互い目を合わせた後、もう一度そう言った。
「大丈夫!この幻想郷に何人の化け物がいると思ってるんですか。静葉さんを止められる人だって絶対どこかにいますよ」
「早苗さん、その言い方はどうなん……」
「ふふっ」
早苗が拳を握ってどこかずれた事を語るのも、今はありがたい。涙をこらえて、笑ってみせる。
「そのために、今は神奈子に頑張ってもらわないとねぇ」
後ろで諏訪子様が、そう呟くと、自然とみんなの目線は再び上に向いた。
二人はいくつもの弾幕を放ち、風をぶつけ合っている。上空から、木の葉や木片が風に混じって降ってきてた。
「水を差すようで悪いけどねぇ、穣子。なんだかさっきから胸騒ぎがするんだよ。これ以上嫌な事にならなければいいんだけれど」
諏訪子様は胸の前に片手をおいて言った。その目はじっと神奈子様に注がれている。
「邪魔をするな!」
静葉が声を発し、風がそれに答えるように勢いを増す。しかし、それはやはり、神奈子様の風には遠く及ばない。最初こそ均衡していたものの、先ほどから神奈子様は全く動かずにただ風を操っているのに対し、その周りを飛び回る静葉は確実にその衰えを見せていた。彼女を取り巻く木の葉が数を減らしている。
「ふん、開けてみれば他愛もなかったね。秋の神。悪い事は言わないからちゃんと腰を据えて話そうじゃないか」
「うるさい!!」
風の固まりに突っ込んでいく静葉。しかし、ついに力つきたのか、きりもみするようにその体は力なく落ちていき、黒い瘴気がそれを追うようにまた降りていく。さっき文達が受けた物をずっと体にまとっているとしたらお姉ちゃんは大丈夫なのだろうか。倒れた姉の様子をうかがおうとしたが、それを目で神奈子様に止められた。ゆっくりと降りてくる神奈子様。
「なぁ、静葉。なんで、そんなに思い詰めてしまったのさ。私たちだって知らない顔じゃなかっただろうに。そりゃあ私だってさっきまで頭に血が上ってたさ。でも、風を見てわかった。あんたの風は憎むには悲しすぎるよ」
「わかったような口をきくな!突然やってきて何もかも、何もかも奪っていって!!」
「お姉ちゃん!!聞いて!!」
たまらずに声を出すと、お姉ちゃんの顔がぱっとこっちを見た。さっきまでの無表情とは全く違う驚きの表情がそこに映し出される。みれば、神奈子様の押し付けるような突風のせいか、黒い風が少しお姉ちゃんからはがれるように散っている。だからだろうか、頬にも少し血色が戻ったように見えた。わからないけれど、お姉ちゃんがこっちに気付いてくれた事に胸が踊る。声は自然と出て来た。
「穣子!!なんでここに!?なんで洩矢諏訪子と一緒にいる!?」
「聞いて!私はまだ元気だよ!まだ時間はある!諏訪子様も私も両方うまくやっていく方法がきっとあるよ!」
「そいつらに何を吹き込まれたの!そいつらはどうせ自分たちの信仰の事しか考えていない!言う事を聞いたら駄目!!」
「違う!お姉ちゃんだってほんとはわかってるんでしょ?この人たちが悪い神様じゃないって!」
「…………私は間違ってない」
「間違ってるよ!!こんなことやめてよ。お姉ちゃん。まだなんとかなるから、なんとかするから!」
そう言うとお姉ちゃんと目が合った。いつもの、いつも通りのお姉ちゃんの目。私の事をいつも心配して、気遣ってくれる優しい目。もう怖いなんて思うはずもなかった。何秒経っただろう。お姉ちゃんは目を閉じると、静かに首を振った。
「……ごめんね。お姉ちゃん、また失敗しちゃったね。穣子がこんなことしたら、絶対私だって嫌だってわかってたはずなのにな……」
「お姉ちゃん……」
なんて言えばいいんだろう。私だって同じ立場だったら同じぐらい焦って悩んで、きっと同じ事をしただろう。だったら、私には何も言えない。何も言えないけど、するべき事はわかっていた。ずっとずっと、動いてくれなかった私の足を前に出す。神奈子様の風が背中を押してくれるのがわかった。その勢いに乗って、私は駆け出した。驚いたお姉ちゃんが反応する前に飛びつく。
「きゃっ!!穣子だめっ!私に触ったら!!」
「大丈夫!大丈夫だよ、お姉ちゃん」
にとりにもらった優しさが、少しでも伝えられますように。ぎゅっと、お姉ちゃんの細い体を私の細い腕で抱きしめる。
「大丈夫、私はお姉ちゃんをおいていなくなったりしないよ」
「だめ!穣子まで呪われちゃう」
「だーめ。絶対はなしてあげない。……ほら、落ち着くでしょ?」
正直、意識が飛びそうだ。少なくなったといっても、お姉ちゃんの中から出ているような黒い物は、触った瞬間焼けるような痛みでさしてくる。しかも、それが体の中に食い込んでくるのだ。お姉ちゃんはずっとこんなのに耐えていたのだろうか。誰かを呪うってこんなに怖い事なのか。背筋が震えた。
「ん…………穣子。ごめんね、私取り返しのつかない事しちゃった」
「いいのさ、秋の神。手遅れにはさせないよ。呪いだって必ずなんとかする方法を見つけるさ。にとり、この子達のも頼めるかい」
神奈子様がそう言いながらこちらに歩いてくる。呼ばれたにとりがこちらに駆け寄ってくる。
「全く二人とも無茶しすぎだよー」
その時、全身の毛が逆立つのを感じた。
「あっ……穣子……駄目……」
それは幻聴だったのかもしれない。その小さな声を確認しようと姉の顔を覗き込もうとした瞬間後ろから聞こえた誰が叫んだかもわからない悲鳴がした。
「神奈子様あああ!」
振り向いた先にいた早苗の腕の中で、諏訪子様が倒れているのをみる。同時に自分の腕の中が燃え上がったかのように熱くなった。突き飛ばされる感覚、どす黒い尾を引いて飛び去っていくお姉ちゃん。森から、木々が折れ、倒れる音が響いている。頭が割れそうで、もう、誰が何を叫んでいるのかもわからない。ただ、みんなが真っ青な顔で見つめる視線の先をたどった。呆然とした文が呟いている。
「……うそ……こんなの」
そこにいたのが、なんだかすぐにはわからなかった。どこから続いているのかも見えぬ巨大な体。森を押しのけて現れたその大樹のような体を見上げたそこに在ったのは蛇の頭だった。そこにいたのは、一瞬前まで神奈子様がいた場所からこちらを見下ろすのは見た事もない、しかし誰だろうが見た瞬間にその禍々しさを理解するほどの怖気をまとった白い蛇だった。
体が動かない、その目を見た瞬間体の震えすらとまってしまう。真っ黒な目に、口から覗く真っ赤な舌、春先の道ばたに残る雪のように汚れた白い体。見覚えのある注連縄を吐き出し、神社を見下ろすソレから、目を離す事すらできない。体を絶望が包んでいく。後ろで、誰かが叫んでいる。誰かが、私の手を掴み引っ張っていく。体が動いている感覚すらない。
「穣子!しっかり!」
耳元で、叫ばれる。あぁ、にとりだったのか。その顔を見ても、何の感情も浮かばなかった。お姉ちゃんが、行ってしまった。他にもう、何も浮かばなかった。
PM2:30
「だから!そんな事知ったこっちゃ無いって言ってんでしょ!」
目の前で難しい顔を続ける紫に、霊夢はもう感情を抑えられなかった。八雲の家に一日ぶりに戻ってからはや三十分が経とうとしている。だが、紫は、この異変に手を加える事に決して首を縦に振ろうとしなかった。
「だって、このままだと祟り神が暴れる事になるのよ。そしたらどれだけ犠牲が出るかわからない!どうして、これを異変だと認めないのよ!」
「だから、何度も言ったでしょう霊夢。私は幻想郷の管理者。幻想郷は全てを受け入れなくてはならないの」
「また、わけわかんない事言って。それなら今までの異変はどうなるのよ!」
わけがわからない。しかし、扇子で隠している口元は隠せても、その眉間のしわは隠せない。内心紫がこの異変に自分以上に心を痛めていることなんかとっくにわかっていた。こういう風にこいつは無理をする奴なのだ。でも、霊夢には何故紫がその理由を言わないのかがわからない、それに無性に腹が立った。
「いい?霊夢。神の覇権争いなんていう物はね。異変でも何でもないのよ。人の信仰が神を創る以上、それはさけられない事なの。神の成り立ちについては昨日少し聞いたでしょう?今日静葉がした事も同じ。あの子がしたのはただ、死ぬべき者たちを一カ所に導いただけ。そこには何の罪もないわ」
「でも、祟り神は違うでしょ!どんな物か知らないけどあそこの空気だけでも十分危険なのはわかる。これは幻想郷の平和に関わる問題よ」
「そうね、それはそう。あれが出たらそれを鎮める役目は確かに私たちにもあるわ。でもね、霊夢。それはソレが出てからの話だわ」
「どうして!!」
「考えてもみなさい。今までにあなたが異変を解決したときの事を。あなたの腰が重かったのもあったけれど、どれも異変を解決したのは何かが起きてからでしょう?」
「何か、ならもう起きてるじゃない!だいたい昨日も言ったけどなんで友達を助けるのに理由がいるのよ!!あんただって知らない間柄じゃないでしょ?」
そういうと、紫は露骨に顔をしかめた。深いため息をついて、語りかけるように話し始める。
「確かにそうね。あなたの言う事はとても良くわかるわ。でも、私に理由は要るのよ。何故なら私達は平等でいなくてはならないし、何より、守らなくてはいけないの。この幻想郷をね。そのために、私たちは受け入れなくてはいけないのよ。異変を受け入れてこそ、それを巫女が静めることで、秩序は保たれる。霊夢、あなたが手を出すのを止めはしないわ。でも、私は八雲紫、この幻想郷の境界を司る者として、見逃せる事に手を出す事はできないの」
「そんな……」
きっと今までもこんな事がいくつも在ったのだろう、そう言う紫の顔は見た事がないくらい辛そうで。面倒くさい、そう思う。でも、それを口にする事はできなかった。
「でも……そうね。できる事があるとしたら、閻魔のところに行きなさい」
うつむいた霊夢に紫が優しい声をかける。気を使われるのが癪で、見返してやると、彼女の目にくまができているのに気付いた。紫は私が気付くずっと前からこの事を知っていたのだろうか。いつか、穣子と諏訪子が相容れなくなる事も、静葉がその時どうするかも。それを聞く気にはなれなかったけれど、もしそうだとしたらやりきれない。
「どういう意味?」
「簡単な話よ、あの人ならその能力の通りこの問題にだって白黒つけられるわ。でも、彼女だって管理者の一人。そう簡単に手を出すとは思えないけれど」
「でもそれならあんたの境界を、っていうのでも何とかなるんでしょ?」
「どうかしらね、でも言ったでしょ。私は手を出せないし、出す気もないの。いい加減わかって。彼岸まで送ってあげるわ。それが私にできる限界。あとはうまくやりなさい」
そういって手をひらひらと振る紫。その目は真剣だ。これ以上霊夢はもう追求する気も起きさせなかった。
「……わかった、隙間を開けてくれる?」
「悪いけど入り口までしかいけないわよ。あれと顔を合わせたくないもの」
そう言いながら紫が指で空をなぞる。そうすると、すっと空間に切れ目が現れて、隙間が開いた。真っ黒な空間に、いくつもの目がこちらを覗くようにうごめいている。その遠く向こう側に見覚えのある赤い花が見える。
「相変わらず悪趣味ね」
「いいから、早く行きなさい。あの人が幻想郷の裁判官だということを忘れずにね」
「わかってるわよ。さっさと戻ってくるから、なんか食べるもん用意しときなさい。お腹が減って死にそうだわ」
「ふふ、まったく、こんな時になっても」
「しょうがないじゃない。腹が減ってはなんとやら、よ。じゃ、頼んだわよ」
「わかったわ。いってらっしゃい。…………ありがとね」
「いいわよ、気持ち悪い」
目をつむって目の前の隙間に飛び込む。お腹がひゅっとするような落下する時特有の気持ちを味わい、幾千もの目に見つめられる感覚を抜けた後、目を開ければそこはもう彼岸だった。いつの季節も変わらずに真っ赤な色が咲き乱れる岸に降り立つと、霊夢は肌寒さを感じた。
「うぅ、さむ。冥界といい此処といいなんでこんなに寒いのよ」
目の前に悠然と流れる川は安易に飛んで渡れるものではない。前回は異変で川が霊があふれていたから川に見逃されたようなものだ。流れにそって歩きながらどうしたものかと周りを見渡していると、幸運な事にすぐに見知った顔が顔をのぞかせた。
「あら?珍しいお客さんだね」
短くまとめた赤い髪に、身の丈を優に越す巨大な鎌、そして一度見たら忘れられない服からこぼれ落ちそうなほど豊かな胸。こちらに気付いて船を寄せてきたのは死神兼船頭の小野塚小町だった。
「ちょっとあんたの上司に用事なのよ。乗せてってもらえる?」
「またそんなお気楽にここに来ちゃって。ここはそんなに簡単にくるとこじゃないんだよ?まぁあたいはいいけどさ。何かあったのかい?四季様のとこには今朝もお客を通したとこだよっと、はい、そっから乗りな」
「客?それはわからないけど、何かあった?ってどういうこと?何も気付いてないの?」
地上はあんな事になっているのに、彼岸に何の影響もないはずはない。船に乗り込みながら聞くが、小町はのんきな顔をしている。
「うん?変わった事はとくにないけどねぇ。この時期は節目だから忙しくてねぇ。あたいといえど地上を覗いてる余裕もないのさ。何かあったのかい?」
「……そう。いや、なにもないわ」
そういうことか、彼岸から見れば別に何も変わった事が起きている訳ではない。紫が言っていた事はこういうことなのか。
「そんで?あんた何の用なんだい?一応あたいも聞いとかなきゃいけないからねぇ」
小町がこちらに背を向けたまま聞いてくる。その手はよどみなく船を操っている。ただ、声が少し硬くなったのがわかった。面倒な事を話したくもないと思って適当に答える事にした。
「ちょっと人生に迷っちゃってね、閻魔に相談でもしようと思って」
「ははは、楽園の巫女が閻魔様に人生相談か、おもしろいこともあるもんだね」
「うるさい、さっさと漕いで」
「へいへい、まーあたいは心配してないけど、四季様に心配かけさせないでおくれよ」
そう言うと小町はこちらを振り返り、ニッと笑う。その目は吸い込まれるような不思議な色をしていた。
「あんたも上司を気にかけたりするのね。いっつもさぼってばかりなのかと思ってたけど」
「そりゃ、四季様は理想の上司だったからね。今はこんな時期にしか仕事じゃ顔を合わせなくなっちゃってね。寂しいもんさ」
「でも、ずいぶん怒られてたじゃない」
「あれはあれでいいんだ。あたいはあーゆー人がすきだからね。かまってほしいのさ。あー四季様あああ」
「はぁ。そんなもんなの」
「なんせ死神と閻魔だからね。あんな異変でもなけりゃ一緒に宴会で飲んだりなんて事もなかったんだろうけどね。そんな意味ではあんたには感謝してるよ」
そんなことを言われても、霊夢ははぁ、としか返す事はできなかった。彼女の事を語る小町の顔が輝きすぎて辛い。その後も延々と四季様が、四季様がと繰り返す小町をみて、スイッチを入れてしまった事を後悔した霊夢だった。
そして、船は岸辺にたどり着く。
「さて、案外長くかかったね。私の話はここまでさ」
「はいはい、ほんとに長かったわ。ありがとね、助かったわ」
「まぁあたいもいい気分転換になったよ。辛気くさい霊とばかり話していたって気がまいるもんだからね」
そういうと、小町は置いてあった鎌を手に取り、くるりと回して肩におく。能天気そうなこいつが、案外いろいろ考えているのを初めて知った気がした。それが主に四季様の事だということも。
「それじゃ、そこの門をくぐっていきな。入ればすぐに案内されるだろうから」
「わかったわ。じゃあ、お仕事がんばりなさいよ」
「あいさー。……霊夢、あの人には私以上に嘘は通じないよ。悪い人じゃないけれど、厳しい人だからね。それをわかって行くもんだ。たかが人生相談だとしてもね」
「う……わ、わかったわよ。行ってくるわ」
一瞬息が詰まった霊夢に小町はウインクをするとさっと、船を返して去っていった。なんだか負けた気分だ。くやしい。
目を前に戻すとそこにはそびえ立つような大きなお屋敷。門にはよくわからない漢字で何か彫ってある。前に来たときはこの屋敷に入る前に閻魔の方から出て来たからここに入るのは初めてだ。権力を誇示するような建物は幻想郷にはまず無いからなんだか入るのに柄にもなく緊張した。
「博麗の巫女よ。四季映姫に用があって来たわ」
そう門番に言うと、すぐに奥の部屋に通される。しかし、今は先客が居るという事で一つ手前の部屋で、待たされる事になった。
「こちらでしばらくお待ちください」
「ありがとう」
机と椅子が並べてあるだけの殺風景の部屋。しかし、そこから見える庭はとても綺麗だった。苔と石だけの静かな庭。でも、きっとそれには庭師の見えない意思が詰まっているのだろう。
「んーおいし。久しぶりにもの食べた気分だわ」
お茶と一緒に出されたもちもちとした花びらの形のお菓子を口に運びながら、霊夢は久しぶりに自分の心が落ち着いていくのを感じていた。考えれば、昨日からずっと気を張りっぱなしだった。
「ふぅ……。どうしたものかしらね」
正直どう頼めば閻魔が動いてくれるのかイメージがなかった。今までを見る限り閻魔は簡単に話が通る人ではない。小町の言う通り根はいい人だろうし、酔っぱらったときは面白いのだが。
そう思っていると、奥の部屋から騒がしい音が聞こえるのに、気がついた。怒鳴り合うような声。そういえば、先客というのは誰なんだろう。川を渡った客、と言うからにはそれなりに力もあるはずだし、少し気になった。大体、今この瞬間も雛がどうなっているのかわからないのだ。霊夢はそう思うと、お茶の残りをぐっと流し込んで立ち上がる。よし、どうなるかは行ってみなくてはわからない。でも、とりあえず前に進もう。
奥の部屋からはまだ誰かの声がしている。その声に頭が反応するのを感じつつ、霊夢はその襖を開けた。
PM4: 00
「しっかりして!!」
目の前に居るはずのにとりの声が遠く感じる。頭が変に冷えてしまっている。なんだか変だ。お姉ちゃんはどこだろう。目を見渡しても姉の姿は見当たらなかった。気がつけば足が動くようになっている。自分でもわかるほどふらふらと、森に向かおうとすると、にとりに肩をつかまれる。
パンッ
「穣子!!」
頬を引っぱたかれた。ぼやぁっとしていた視点がにとりの顔に定まった。はっとして目を見渡すと、私が何をしようとしていたかわかった。私はお姉ちゃんが去った方角ではなく、あの蛇を向いて歩き出そうとしていたのだ。
「気をつけて。気を張ってないと、あれに寄せられるよ」
にとりはそう言うと蛇に向けて水弾を打ち出した。蛇は嫌がるように首を振ってそれを受ける。見れば、天狗達も一斉に風や、弾幕を放っている。それが、聞いている様子はないが、とりあえず今のところ蛇の動きはとまっているようだった。
「歩ける?とりあえず早苗達のところまで戻ろう。穣子の手当てもしなくちゃ」
「手当て?あ……」
自分の体を慌てて見下ろすと服は真っ黒に染まり、体はずきずきと痛む。それに今更気がついた。
「自分を責めちゃ駄目だよ。静葉にちゃんと穣子の声は届いてた」
にとりの肩を借りて歩きながら、その言葉に頷く。それは、わかっていた。お姉ちゃんはちゃんとわかってくれた。だからこそ、こうなってしまった今ここを離れたのだろう。
「うん。それはわかってる」
「###########!!!!」
耳をつんざくような叫び声。見れば、目を赤く燃やした蛇が咆哮しているところだった。同時にその体からあの黒い何かが煙のように立ち上る。そして、それは津波のようにこちらに迫って来た。
「あれは、やば!!穣子、私の後ろに!息止めて!!」
にとりが水を出すと私たちを包む大きな水泡を作り出した。突然すぎてにとりに腕を掴まれていなければ転んでいただろう。周りを黒い風が駆け抜ける。大きかった水泡はそれに触れるたびに少しずつ小さくなってくる。
「心配しないで」
その声は私をくるんでいる水泡から私を包むように優しく聞こえてきた。しばらくして、風が行くまで、その声は何度も聞こえた。
「やっと……はぁ……過ぎたよ」
風が去り、はじけるように水泡が消えると荒れた声でにとりが言った。見渡せば、天狗達はどこにも居なくなり、蛇が勝ち誇ったように鎌首を持ち上げている。
「にとり、大丈夫!?」
「うーん、大丈夫って言いたいけどちょっときついかも」
小さくなる水泡、二人分入るには狭すぎたのか、にとりもあれに触れていたらしい。
「ごめんなさい!!」
「いやぁ謝らないでよ穣子。ほら、肩貸して。まだおわってないよ」
蛇はずるずるとこちらに向かって這って来ているところだった。近くで見れば見るほどにチロチロと舌を出すその姿に嫌悪感がこみ上げてくる。鱗と思ったそれはよく見れば石でできているようだった。その隙間から絶え間なく死臭が漏れてくる。
「穣子様!!早くこっちに!」
早苗が飛び出してくる。神社の襖がしまっている事から、奥に諏訪子様や文達をおいて来たのだろう。その目からはおびえが隠せていない。しかし、その声は凛としていた。
「早苗、私はまだ動けるよ。にとりを運んで」
そう言って飛んで来た早苗ににとりを渡す。にとりは私だってまだ、と言いながらも抵抗せずに早苗に連れて行かれていく。にとりの水に触れたからだろうか、体がまた軽くなっていた。でも、心が重い。にとりまでいなくなって、ちっぽけな私に何ができるのだろう。戻って来た早苗に声をかける。
「早苗、ごめんね。私たちのせいでこんなことになっちゃって」
「そんなことないですよ。諏訪子様がさっき私に言ってくれました。私ならなんとかできるって。私はそれを信じます。神奈子様だって食べられて終わり、なんてキャラじゃないですから!」
その膝は震えていて、顔には涙の跡が消せていない。それでも立つ、人間の少女に、負けてはいられない、そう気持ちを奮い立たせる。勝てるとは思わない。心の半分くらいが死んでしまっているような気がした。あの蛇に食べられたらどうなるんだろう。私も祟り神の一部になっちゃうのかな。そしたら、諏訪子様は元気になるかもしれない。そんなことが、頭の中を巡る。
蛇が来た。鞭のように迫る首を飛び上がってよける。そのまま蛇を見下ろすように止まり、早苗と目を合わせる。どれだけ聞くのかわからないけれど、二人とも同じタイミングで札を取り出した。
「秋苻『秋の空と乙女の心』」
「秘法『九字刺し』です!」
早苗の札からは大量のレーザーが、私の札からは秋の空をイメージした大量の弾幕が降り注ぐ。蛇は声を上げ、暴れだす。しかし、土煙の去った後現れたその体にはやはり傷一つなかった。早苗が驚きの声を上げる。蛇は完全にこちらに狙いを付けたのか、体を低くしてこちらにシューシューとうなりをあげた。
「早苗、スペルカードはあといくつ?」
「い、今のが一番でかいので後は二枚しか……」
弾幕の腕は私より早苗の方が素直に上だろう。私の今のスペルカードは後一枚。私の能力はあんまり戦いには役に立たないし、この状況を打開する手段は思いつかない。それなら、私にできる事をするしかない。早苗まで傷つくのを見るのは嫌だった。
「わかった。私がおとりになるから、早苗は近づいて頭を狙って」
「でも、それじゃ穣子さんが」
「いいから、いくよ!」
蛇の首がこちらに飛ぶように突っ込んでくる。そのまわりを巻くように飛び込んで避け、すれ違い様に弾をばらまく。蛇は勢いを落とさずに反転する。このままだと、蛇のとぐろに巻かれる事になる。輪を書くようにして戻ってくる頭を潜るようにくぐり抜け、叫ぶ。
「早苗!!」
「はい!秘術『グレイソーマタージ』!!」
星形の大きな弾幕が私の上を通り過ぎた蛇の頭に綺麗に降り注ぐ。中空で弾幕を受けた蛇の頭が地面に叩き付けられる。よし、ひとまず。
「穣子様!!」
気がつけば半回転分のしなりをつけた蛇の尾が目の前に迫って来る。予想はしていた。しかし、その予想外のスピードに避けきれずその大木のような尾が避けきれず足に当たる。
視界が揺れるなんてもんじゃなかった。上も下もわからなくなるほどめちゃくちゃに吹っ飛んで、無様に転がったあげく木にぶつかってとまる。たぶん、いろいろ骨とかいった。息が止まった。体は信仰でできているようなものだから、肉体の怪我はそこまで命に影響する訳ではない。けれど、痛いものは痛い。
「う……うあ……」
蛇がこちらに近づいてくる。早苗が後ろから気を引こうと飛び回り、弾を放つが蛇はうざったい、とでも言うように早苗を首で弾く。早苗は紙のように吹っ飛んでいったが、空中でなんとか体制を立て直したのが見えた。よかった。
不思議と心は落ち着いていた。お姉ちゃんも、この祟り神も、私にはもうどうにもできない。でも、やれるだけの事はやった。たぶんもう、境界の賢者や、博麗の巫女達も気付いているだろう。私が消えるのがすこし早まっただけだ。目をつむり、体の力を抜いた。それでもやっぱり涙が出た。
「何死んだような顔してんのよ」
「え?」
その声は上から聞こえて来た。上にはもう、蛇の頭が迫って来ていたはず。蛇がしゃべったのかと、おかしく思い顔を上げる。
「まったく、姉妹そろってそう簡単にあきらめるの、悪い癖よ」
「……み、こさん?」
「霊夢さん、でいいわ」
見えたのは、蛇の頭を一枚の札でとめ、ぼろぼろの服をまとい、微笑む博麗の巫女の姿だった。脇に誰かを抱えている。
「ごめん、ほんとに遅くなったわ。ここは、私と早苗でなんとかする。動ける?」
「あ……」
返事がしたくても声が思ったようにでない。体が軋んで悲鳴を上げる。動きたかったけどそう簡単にいかないようだ。
「駄目、か。雛、おねがい!」
霊夢さんがそう言うと、抱えられていた人影がとさっと地面に落ちる。それが雛だと気がつくのに何秒かかかった。全身が、まるで今まで石炭掘ってましたといわんばかりに真っ黒だ。かわいかったリボンは見る影もなく服全体が朽ちかけたように見える。
「まったく、神……使いが、荒い……わ」
いつもの優雅な所作はまるでなく、幽鬼のようによろよろとこちらに来ると、私のそばに屈む。
「穣子、ごめんなさい。あれを止められなかった」
雛が私の体を起こしながらそう言う。どういうことだろう。でも、雛が私の知らないところで私の為に頑張ってくれていた事を知るには十分すぎた。
「ひな?……雛!!ケホッ。なんで!?」
「いいから、今は行って!静葉のところに!」
霊夢さんが、厳しい声を出す。蛇が動き出そうとしていた。霊夢さんのお札がぼろぼろと朽ちていく。
「説明しながら行くから、肩につかまって。行くよ、穣子」
雛の肩につかまって歩き出す。二人ともふらふらで木に手をつきながら前を目指す。お姉ちゃんは何処に居るんだろう。黒く染まった道を辿りながら、雛が話しだす。後ろで大きな音がしたが、振り返る余裕もなかった。
「私の厄、痛む?」
雛からはお姉ちゃんと同じ厄が体からにじみだしている。しかし、今の私はそれに全く痛みを感じなかった。体中が今にも崩れてしまいそうに痛いから、気がつかないのだろうか。
「ん……ううん。大丈夫」
「よかった。私もこれ以上抱えられなかったから。あのね、穣子。今は私がなんとか抑えてるから多分そこまで痛くないんだと思う。でも、あなたはこの厄とは相反する存在。あなたの力で厄を抑える事もできるのよ」
「どういう……ふぅ……どういうこと?」
「厄にも、いろいろあるのだけどね、この厄、静葉さんが生んだ厄は悪意から生まれたものじゃないの。死、という負の性質をもつものが集まったから生まれただけのもの。あの人が導いた子達は別に誰かを憎んでいた訳じゃないの。ただ、静葉さんの悪意にそれが共鳴しただけのもの」
「……よく……わからない」
声を出すのもおっくうだ。ただ、一つの事を思い出す。指が触れただけで動けなくなる程、染まってしまった文、それに対しお姉ちゃんの厄をあんなに全身で受けても、私は、にとりに言われるまで、自分が厄に触れた事すら忘れていた。
「あなたは豊穣の神。言ってみれば生を司る神の一柱よ。あなたなら、この厄は打ち消せる。静葉さんが悪意を捨てた今ならなおさらね」
「消せるの?お姉ちゃんの呪いを?」
「えぇ。あなたならできるわ。あなたにしかできないの」
雛はそう言うと、話すのをやめた。その真っ黒な服に、血と泥がにじんでいる。
「雛……ごめんね」
「いいのよ、これが私の仕事。やるべき事をしているだけだわ。それが、友達のためならなおさら、ね。あなたでもそうするでしょ?」
「…………うん」
雛はかっこいい。いつだってそうだ。綺麗でかわいくてかっこよくて、とてもかなわない。だから、力が出た。だから、こんな時だけど、気になる。隣の雛を見ないで聞く。
「ねぇ……なんで私は穣子で、お姉ちゃんは静葉さんなの?」
「…………ふふっ。妬いちゃった?」
「だって気になるじゃん」
「秘密。お姉さんに聞きなさい」
次の返事を返す前に雛が足を止めた。前を見ると、森が開けていた。真っ黒な森にそこだけ真っ赤な光が射している。その中心にお姉ちゃんは座っていた。私を待っていたのだろうか。その目は影になって見えないけれど、こちらを向いているのはわかった。
「ここから先はあなた一人。行ける?」
「うん。大丈夫だよ。ありがと」
体は動く。動かす。雛を木の根元に下ろし、一歩ずつ足を踏み出す。
「穣子」
「お姉ちゃん」
木々の葉が一斉に散っていく。黒く汚れたその姿が、真っ赤に染められて、蘇る。秋の終わり、最後の美が、静かに流れていく。
PM4:40
「それにしても、ほんとにでっかいですね、この蛇」
「ぷっ。たしかにそうね。こんなに大きな蛇初めて見たわ」
大蛇の頭を挟むように浮かぶ緑と赤の巫女。ゆらゆらと頭を振るそれは疲れの色を見せない。内心焦りを感じながらも、どちらの巫女もそれを表にはださない。
「あ、でも神奈子様が出す蛇もこれくらい大きかったですよ」
「あーあの宴会芸?でもこっちの方が白い分強そうよね」
弾をぶつけ、頭を避け、尻尾を交わしながら集中が途切れないように言葉を交わす。
「えー普通白い方がアルビノって言って弱いんですよー」
「神の使いがそんなこと言ってて……くっどうすんのよ!!」
ちょこまかと飛び回る二人に業を煮やしたのか、蛇の体から再び厄が噴き出す。
「あら、こいつはやばいわね。早苗!結界は?」
「無理です!入れてください!!」
返事を待たずに早苗の襟首をひっつかんで引き寄せる。すかさずもう片方の手で札を取出し唱える。
「夢苻『二重結界』!!」
その瞬間赤い結界が二人を包む。結界に触れた厄がバチバチと音を立てて弾けるのを見ながら、霊夢は聞いた。
「そういや、その神奈子はどこよ」
「えっと……あれに食べられちゃいました!」
「はぁ!?」
早苗は目を泳がせながらもはっきりとそう言った。ならば、なんで今こんなにこいつは落ちついているのか。
「あんた、なんで」
「神奈子様は大丈夫です。それくらいわかります!!」
さえぎられた強い言葉に自信があるのかどうか、霊夢にはわからなかった。しかし、その毅然とした強い口調に、それ以上突っ込む事もできなかった。。
「そう……。じゃあ紫を待っているわけにいかないわね」
「消化されちゃったら困りますもんね!!」
まったくこの子は。どこまでが本気かわからないんだから。張っていた結界をそのまま祟り神に向かって投げつける。だいぶすり減っていたからあまりダメージは無いかもしれないが、無いよりはましだ。
「それとっ霊夢さん!私、あの蛇どっかで見たことある気がするんですよね」
「へ?どういうこと?」
陰陽玉を展開させ、針を飛ばす。しかしその針は石の鱗にはじかれて落ちた。つい舌打ちが出る。
「確かに怖いんですけど、どっか懐かしいっていうか」
「なによそれ。夢で見た、とでもいうつもり?」
早苗に迫っていた尻尾に、陰陽玉をぶつけてコースをずらす。蛇は退かない霊夢達にいらだっているのか、動きが大雑把になって来ているのがわかった。
「うわっと!……はい、そんな感じです!」
「あー……。あるんじゃない?あんた諏訪子の子孫なんでしょ!?」
蛇と目が合う。正直一人でも最初は勝てる相手かと思った。しかし、手応えがない。今はまだ大丈夫だ。しかし、これが後何時間続くのだろう。疲れを見せない相手に霊夢は嫌な汗が出てくるのを感じた。嫌でも諏訪子と弾幕勝負をした時の事を思い出される。
「霊夢さん!また来ます!!」
「まったく、しょうがないわね!ちょっと黙ってなさい!神技『八方龍殺陣』!!」
残りの札も無限にある訳ではない。霊夢は自分が万全ではない事もわかっていた。ここで時間を取らなくては。大量の札で金色と赤の結界を今度は空間ごと固定し蛇に張る。結界に蛇が当たる凄まじい金属音。これで何分持つだろうか。霊夢は早苗を引き寄せて、地面に降りた。
「キリがないですね。どうします?」
「一つ仮説を立てたわ。あんたならあれを鎮められるかもしれない」
「どういう意味です?諏訪子様にも同じことを言われました」
やっぱりか。あの蛙神なんで最後まで説明しないんだか。そう思って早苗を見やって驚いた。遠くからではわからなかったが、ひどい顔をしている。腫れ上がって赤くなった目、涙と泥で薄くした化粧はドロドロになっている。先ほどのひょうきんな台詞とは似ても似つかない。今の早苗がどんな気持ちでいるのか、垣間見えた気がした。この子は強い。
「霊夢さん?どうしたんです?」
「いや……なんでもないわ。あんたに賭けるわよ」
早苗は少し戸惑った顔をした後、すぐに大きく頷いた。
「私が動きを止める。あんたの、一番でっかいのを叩き込みなさい。あんたをあれの主人だってわからせてやるの」
「主人ですか……?あ!」
「そう、閻魔があんたと一緒に戦えばわかるって言ってたからきっと間違ってないわ。あんたはあれを従える才があるはず」
「でも、そしたら諏訪子様がどうなるのか……」
「大丈夫。あれは祟り神一つで消えるようなタマじゃないわよ。だから穣子が困ったようなもんなんだから」
「……わかりました」
「一発で決めるわよ」
体の中から力を振り絞る。頭の中で閻魔の声が再生される。
「博麗霊夢、あなたにこの異変を解決する力はありません」
四季映姫は霊夢へ開口一番そう言った。偉そうにそう言う姿が目に浮かぶ。あの後、その説明と称したご高説と説教に時間をどれだけとられた事か。山に帰って来て雛が倒れているのを目にした時には本気で閻魔を恨みかけた。しかし、閻魔や紫の言う事が少しだけ今ならわかる。
「私は部外者ってわけね」
自重するように笑う。でも、もう首を突っ込んだものは仕方がない。静葉に首を突っ込まされた以上私も関係者だ。赤から黒へと移ろいゆく空を見上げ、ため息を一つつく。最後の札を取り出して、蛇の元へと進む。
「あんたも大変ね。勝手に呼び出されて封印されるだけってのも」
龍をも縛る陣、強度に自信はあったのだけれど、幾枚も重ねた札は既に、はがれ落ちようとしていた。結界の向こうの蛇と目が合う。案外つぶらな瞳じゃない。同じ蛇でもいつも何を企んでいるかわからない神奈子よりましかもしれない、そんな事を考える。
最後の札がはがれ落ちた。結界が、割れる音がする。霊夢は一つ息を吸い、腹に力を込める。
「さて、じゃあ片を付けましょうか」
PM4:40
陽が沈んだ。お姉ちゃんも私も、何も言わずにそれを見送っていた。世界が闇に沈んでいく。秋の少し冷たくなった風が私の熱くなった体を冷やす。お互い目を合わせられなかった。秋の闇は深い。その前に話したかった。でも、声を出したらこの瞬間が壊れてしまいそうだ、と感じる。
「穣子?」
問いかけは向こうから来た。お姉ちゃんの顔は逆光でよく見えない。ただ、その声はいつも通りのお姉ちゃんの声だった。
「ここにいるよ」
「……ごめんね」
「うん」
「……大丈夫?」
「うん」
「……………………」
「……………お姉ちゃん?」
「ん……なに?」
「手、貸して?」
お姉ちゃんの手をとると、一気にいろんなものが流れ込んでくるのがわかった。それは、血の吹き出るような記憶の破片。痛くないなんて嘘だった。つながった手から何本も釘を打ち込まれているような気分だ。でも、つないだ手を絶対に離さない。絶対だ。全部受け止めて、駄目だったなら、二人で呪われよう。私たちは二人で一つだ。
生を操るなんてそんな事ができるわけじゃない。私ができるのはほんの少し、力を増やしてあげる事だけ。死んだ種を咲かせる事はできない。0は1にはできない。確かめるのが、たまらなく怖かった。
「お姉ちゃん、ここに来た時の事、覚えてる?」
「……うん。覚えてるよ」
甘いものが大好きなお姉ちゃんと、綺麗なものが大好きな私。ここに来たときもちろん私は紅葉の神様をするつもりだった。でも、お姉ちゃんは絶対駄目だと言って聞かなかった。今でこそ気に入っているがあの時、私はお姉ちゃんが意地悪をしたくてあんな事を言ってるんだと本気で恨んでひどいことをたくさん言った。
「ごめんね、ひどいこと言って」
お姉ちゃんの仕事が何なのか、私はわかっていなかった。華々しく秋を始め、収穫祭で感謝されるのはいつも私。寂しさの中で、秋を閉じ、冬を迎えるのがどれだけ辛い仕事だったのか、私はぜんぜんわかっていなかった。
「ううん、私こそ、穣子がこんな風になるんだったら」
つないだ手を揚げ、お互いの目を見る。もう、言葉は要らなかった。お姉ちゃんの中からあふれてくる厄という名の死の塊。それに、少しだけ私の力を注ぐ。水の出ている蛇口から水を入れようとするような無茶な行為。
反応は、なかった。ただ、反発にあった私の手が激痛に震える。
「痛っ。なんで……」
もう一回。もっと強く。
「嫌っ!」
もう一回。もっと強く。
もう一回。もっと。
もう、一回。
「…………………」
「…………穣子、もう手遅れよ」
反応は、なかった。つないだ右手に姉の手が重ねられる。もう右手は感覚がない。痛覚だけが、刺すように存在を訴えかけてくる。
いや、風が吹き始めた。暗くなってよく見えないけれど、私を拒絶するような風が姉を守るように吹き始める。
「嫌!!なんで!!」
つないだ手を引き裂こうとするように吹き荒れる風。全身を切り刻まれるような錯覚を起こすほど、厄をはらんだ木の葉は私を傷つける。
「手を離しなさい。穣子」
私の力が届かないのか、それとももうお姉ちゃんの中に生きる力はないのか、それとも最初から雛が間違っていたのか。どうして、どうしてなの。
呪いは自分にも還るのだ。風にふれたお姉ちゃんもまた苦悶の表情を浮かべる。
「嫌だ。絶対離さない」
「駄目、お姉ちゃんの言う事を聞いてちょうだい」
「やだ!!絶対、絶対この手は離さない」
「手を離しなさい!!」
「いやだ!!!」
手が、腕が、黒に飲まれて見えなくなっていく。穣子は自分の意識が遠のくがわかった。ただ絶対手を放さまいと力を込める。全身の力が抜けていく。それでも、右手だけは離さない。お姉ちゃんを一人にはさせない。
木の葉が二人を隠すように、高くまで積もった時、風はやんだ。
「…………………」
薄れていく意識の最後に誰かの声を聞いた気がした。
PM6:00
余計なものは要らない。ただ、なじみ深い詠唱と印を心の中で結ぶだけ。霊夢はこの世界から浮き上がる。自分の周りに浮かぶ七つの珠に、意思を乗せ、あとは一言呟くだけで良かった。数えきれないほど繰り返して来た最強のカードを今、切る。
「夢想封印」
祟り神は、身動きもできなかった。光の珠は蛇を囲むように広がり、ぶつかってゆく。それを、どこか冷えた気持ちで霊夢は眺めていた。
幻想は巡り、それを受け入れる。私が今回何も関わらなかったとしたら、結果は変わらなかったのだろうか。吸血鬼あたりに聞いてみたいと思った。しかし今はなんにしろ、
「私の仕事は終わり」
そう呟くと頭の上で、早苗が叫ぶ。
「大奇跡『八坂の神風』!!」
凄まじい風が吹いた。人が飛ぶどころの話ではない。土をひっくり返して森をひっぺがしてしまうんじゃないかと思うほどの強風。目に見える台風が、早苗を中心に展開される。霊夢は飛ばされないように、とっさに結界を一つ張った。
「はぁ……はぁ……どうですか!!」
息を切らして早苗が声を上げる。弾幕ではない、正真正銘の神力。現人神と言えどその行使がどれだけの負担を強いるのか。雨あられと降り注ぐ神の力になす術もなく蛇の体は地に伏した。鱗はぼろぼろになり、白い体はどす黒く染まる。
早苗が地上に降り立ち、蛇に近づいていく。神社の境内を破壊し、神奈子をのみこんだそれは、身動き一つしない。早苗は自分の体より大きいその頭にたどり着くと、叫んだ。
「私の勝ちです!!」
その叫びに蛇が呼応するように、目を開く。追いつめられた獣の目。霊夢は鳥肌が立った。早苗は気付かずに進んでいく。
「駄目よ!!」
スローモーションを見ているようだった。早苗の身長よりも大きな口を開ける蛇。放たれた矢の様に迫る蛇に早苗は全く反応できない。思わず目をつむった霊夢の頭に早苗の怯えた表情が焼き付く。今から何をしても届かない。
「#############!!!」
あがったのは早苗の悲鳴ではなく、蛇の声。目を開けると今まさに、早苗に触れそうになっている蛇の喉が、大きく膨れ上がっていた。体の中で爆発が起きているかのように、体のあちこちが盛り上がっては蛇が苦しそうにのたうつ。
蛇は自分の体を地面に打ち付けるように何度も体をくねらせた後、一度、大きく震えた。天を仰ぐように上げられた蛇の頭。そして、ついに影が一つその口から飛び出してくる。
「あああああああああああああああああ!!!!!」
真っすぐに上に突き抜けるように、その神は迷いなく飛び出して来た。太陽が昇ったかのような後光をまといぼろぼろの体で片手を掲げ、声高に宣言する。
「マウンテン・オブ・フェイス!!!!!」
天地が割れる音がした。風が吠え、雷が注ぐ。乾を操る風神の怒りの体現が一匹の祟り神に注がれる。黒く染まっていた神奈子の姿が雨に洗われるように、露になっていく。その目は怒りに燃え、その体は雷に照らされ神々しさを携える。永遠にも思える地獄のような光景のあと、黒こげになった蛇はぴくりとも動かなくなった。
神奈子が、ゆっくりと降りてくると早苗が突っ込んでいく。
「神奈子様!!神奈子様ああああああ」
「はいはい、よしよし。早苗、よく頑張ったね」
早苗を正面から抱きとめると、神奈子は霊夢が聞いた事のないほど優しい声で、そう言った。顔を上げた神奈子と視線が合う。
「あんたも、助かったよ」
「仕事よ仕事。あんたもよく生きてるもんね。祟り神なんでしょ?あの蛇」
「あぁ。油断するってのは怖いもんだね」
笑いながらひょうひょうとそう言ってのける神奈子は、本当に動揺した気配がなくてなんだか腹が立った。
「さて、と。じゃあこれの片付けをしないとねぇ」
そう神奈子が言うと神社の中が騒がしくなった。見ると、襖が空いてにとりに肩を支えられた諏訪子が出てくる。その表情は泣きそうに笑っている。
「聞いたよ、神奈子あんたあれに飲まれてたんだって?全く情けないね」
「何言ってんだいこの馬鹿蛙が。あんたの眷属なんかに私がひけをとるわけないじゃないか」
「よく言うよ。こんなに早苗に心配をかけて……。早苗、がんばったね」
「はい!はい!!諏訪子様、もう動いて大丈夫なんですか?」
「うん、だいぶ楽になった。ありがとう。……神奈子、あんたもね」
「気に入らないからね。あの日から守矢の蛇は私。そうだろう?」
神奈子はすねたようにそう言って、諏訪子をにらむ。それを聞くと諏訪子は疲れた顔で穏やかに微笑んだ。
「まったく、いちゃついてなさい」
付き合うのも面倒で、霊夢は三人に背を向けた。私のやる事は終わった。けれど、見届けるものがまだ残っている。彼女はうまくやっただろうか。ここだけ禿げ山になったような大地を踏みしめて、霊夢は歩き出した。
PM6:00
「…………………」
「…………?」
意識が戻ったのはいつからだろう。目は開かず、体はピクリとも動かない。つないだ右手だけをかろうじて感じている。しかし、何かが起きているのがわかった。
「穣子ちゃん、穣子」
誰かが私を呼ぶ声が聞こえる。お姉ちゃんだろうか。いや、違う。雛とも違う、でも聞き覚えのある声。遠い昔に聞いたようなその声にひどく懐かしさを感じた。
「穣子、起きなさい」
背中から、誰かに揺さぶられるような振動があった。そこで、なにか、重い物に押さえつけられているような感覚に初めて気付く。
落ち葉が私たちに大量に振って来たのは覚えている。しかし、それだけとは思えない重さが肩にのっている。
息が苦しい。そう思った瞬間ひどい寒気を感じた。寒い。まるで冷蔵庫にぶち込まれたようだ。何がどうなっているのだろう。全身の力を込めて、目蓋を押し上げる。
「…………え?」
そこに広がるのは一面の銀世界だった。あんなに真っ黒だった視界が真っ白に塗りつぶされている。自分を見ると、肩にのしかかるのも、寒気の正体もすぐにわかった。
「雪……?なんで?」
空から絶え間なく降り注ぐ白いそれは、柔らかく綺麗だった。雪なんて大嫌いで、見るのも嫌だったはずなのに。体の芯から凍えていてさえも今この冷たさに抱かれているのは心地よくすらあった。
「よかった。起きたのね」
「あなたは?」
突然の声。そこにいたのは柔らかに微笑むマフラーを巻いた少女。私よりは年上に見える彼女の青みがかった服に透けて見える肌はこの景色に溶けてしまいそうなほどに白く、そのウェーブのかかった髪に隠れた瞳の色を知っている気がした。
「姉妹そろって覚えていないのね。悲しいわ、穣子ちゃん」
降り積もる雪を手に受けながらそう言う彼女の姿に遠い記憶がフラッシュバックした。秋の終わり、それにつれて回る記憶達。冬そのものを体現するような少女を穣子は知っている事に気がついた。
「冬の……神?」
「そう。思い出してくれて嬉しいわ。久しぶりね。でも、ここではレティって呼んでちょうだい」
しかし、その表情は記憶の中の冬の神とは全然違う柔和なものだった。
「でも……なんであなたが?」
「いいのよそれは。動ける?っと無理か」
そう言うと彼女は私とお姉ちゃんの雪を手で払いはじめた。
「寒いのは我慢してね。私の体温じゃどうせ暖めてもあげられないから」
「うん……」
そういえば、あの大量の落ち葉、厄を吸って真っ黒になったものたちはどこに消えたのだろうか。そんな事を気にしながら、されるがままになっていると、雪が払われお姉ちゃんの顔がはっきりと見えるようになった。その目は閉じられたままで、つないだ手からはすこしも暖かさを感じなかった。
「お姉ちゃん?お姉ちゃん!」
「大丈夫。弱ってはいるけれど心配ないわ。大丈夫。もう全部、心配ないわ」
そう言うと、レティは私たちのつないだ手にそっと手を重ねた。その手は凍えた手を優しく包みながらも川に手を突っ込んだような冷たさを伝えてくる。
「レティ。どうして、あの黒いのはどこに行ったの?」
そう言うと彼女に正面から顔を覗かれる。長いまつげを震わせるその目蓋がパチパチとした後、彼女はこう言った。
「秋に散った落ち葉達。一年中積もっているわけじゃないわよね。どうなるかは知っているでしょ?」
「えっと……うん」
「雪ノ下で少しずつ落ち葉は再び山に戻る。暖かい春のめざめのためにね。あの落ち葉だって、この子から出ていたものだって同じ。全ては季節の下で巡るのよ。厄神がこの世全ての厄を吸うなんてできる事じゃないわ。世界は循環している。そしてそれを手伝うのが、私たちの役目よ」
「じゃあ、お姉ちゃんのは?」
「それは別。冬がくる度にあなた達がどうなるか思い出して。今は、彼女の力を抑えているだけ。冬の力で無理矢理ね。だからここから先はあなたの仕事。お姉ちゃんを助けてあげなさい」
そう言うとレティは私の手においた手に力を込めた。
「……うん、わかった」
力はもう微塵も湧いてこない。お姉ちゃんと同じように私だって秋じゃないと力なんて出ないんだから。でも、大丈夫。
目を閉じて、体に残っているものをかき集める。目蓋の裏にはお姉ちゃんの姿が浮かんで来た。いつも喧嘩ばかりで、でもいつも守ってくれて、いつも大好きなお姉ちゃん。これが終わったら二人でみんなに謝りにいこう。諏訪子様と話し合って、これからは信仰集めももうちょっとがんばろう。たとえ、うまくいかなくて妖怪になってしまっても構わない。お姉ちゃんと二人でやっていくんだ。
「お姉ちゃん……起きて」
つないだ手から力が流れ込んでいく。さっきのような抵抗は感じなかった。お姉ちゃんの命を手のひらに感じる。よかった。
「よかった……ぐすっ。よかったよぉ。」
安堵が波となって押し寄せる。体が熱くなって涙があふれてくる。涙の熱すら伝えたくて手に顔を押し付けて泣いた。
1を2に、2を3に。私の力はほんの小さなものだけど、お姉ちゃんを救える。お姉ちゃんを救うんだ。
体温が戻ってくるのがわかった。雪が溶けていく。隣でレティが肩の力を抜いたのがわかった。
「起きて、お姉ちゃん。もう大丈夫だよ」
しばらくして目をつむったままの姉の耳元でそうささやくと、確かな反応があった。首を少し震わせた後、その目が開かれる。焦点を合わせるように目をしばたかせるその首にぎゅっと抱きついた。
「……ん……穣子?……穣子!」
「うん!うん!お姉ちゃん!」
「穣子!!穣子ぉ!!」
もう、今何もいらない。見守っていたレティが声をかけるまでただ、二人で抱き合って涙を流した。
「静葉、穣子。よく耐えたわね」
「レティ、私……」
「もう大丈夫よ。残りの厄はあなたでも何とかなる。それに」
「私もそばに居るから」
そう言って現れた雛が彼女の手を握った。相変わらず彼女は黒点のように真っ黒で歩くのもやっとのように見える。しかし、その目は輝いていた。
「雛……ごめんなさい」
お姉ちゃんが言うのに雛は静かに首を振る。
「謝ってばかりじゃない、もういいんです。無事だったんですから」
「でも、私……」
「静葉さん。これからの事はこれからみんなでかんがえましょう」
「今はひとまず、ここまでよ」
レティがそう言うと同時に壮絶な眠気を感じた。気が抜けたのだろうか、意識が飛びそうだ。そして寒い。
「っくしゅ!」
「あらあら、ほら手伝ってあげるから暖かいところに行きましょ。このままだと風邪じゃすまないわよ」
そう言われると確かにこんなずぶぬれで雪の上で寝たりしたら大変な事になる。動かない体を支えてもらいお姉ちゃんと一緒に立ち上がる。どうやらこんなに雪が降っているのはこの広場だけのようだ。レティのしわざだろう。ゆっくりと一歩ずつ足を前に運ぶ。
霊夢さん達はどうなっただろうか。でも、きっと大丈夫だ。笑えるほどに、何の心配もなく思えた。灰色の空を見上げながらぼんやりとそんな事を思った。
PM3:00
Epilogue
久しぶりに静かな昼下がりだった。霊夢はふすまを開けて、こたつから外をぼんやりと眺めていた。延々と降り続ける雪は雪かきをする気も失せさせ今日は一日家にこもっている。積み重なったみかんの皮だけが経過した時間を教えてくれていた。
「ふぅ……静かね……」
そう呟いてもう一つみかんを口に運ぶ。霊夢はこの時間がたまらなく好きだ。そして、その話をした時の事を頭に浮かべた。
あれから四ヶ月あまりが経った。守屋神社は修復され、諏訪子は再び元気になった。冬眠もせずに毎日チルノとじゃれているらしい。神の威厳なんてものはないのだろうか。
祟り神は早苗と二人で管理する事にしたとのことだ。早苗は気持ち悪がる事もせずに、「ついに私も本格的に現人神ですね」なんて喜んでいた。「神話でも作ってやろうかねぇ」なんて言う神奈子は本気か否か。別に興味もないけれど、あの早苗の事だから変な神話になりそうだ。
何にしろ、霊夢は感謝している。何故なら、あの後世話をかけたと言って一冬過ごせるだけの大量の食べ物を貰ったからだ。例年なら毎日生きるか死ぬか、と言った年末をおかげで無事に過ごす事ができた。異変の解決なんかより、よっぽど感謝された気がする。まぁ実際霊夢にとっては異変だったわけだが。
「霊夢?いるかしら?」
誰かの声に過去から引き戻される。久しぶりに聞く声。あの時、一番霊夢が感謝した相手だった。噂をすれば、というやつだろう。
「いるわよー」
そう言うか言わないかのうちに彼女が顔を出す。相変わらず柔らかな表情を浮かべ、にこにことしているその姿はあの時と何一つ変わらなかった。
「久しぶりね、レティ」
「ええ、もうすぐ冬も終わってしまうから」
「そうかしら?その割にまだまだ真っ白よ?」
「そうね、ちょっとがんばりすぎたかしら、ふふ」
そう言ってレティは空を見上げた。そのまましばらく沈黙が続く。あれから何度か彼女には会っているがやはりその度に思い出すものがある。それをお互いわかっているからこそ、何も言葉が出てこないのだろう。
「……あれから、彼女達には会った?」
レティが聞く。それに頷き返すともう一度あの日の事思い出す。
霊夢が閻魔の元へ行った時にいた先客はレティだった。紫と同じく異変へと関わろうとしない閻魔を何時間にも渡り説得し続けてくれていたのだ。レティに負い目を感じていた、ということもあるのだろう。霊夢が到着してしばらくして、ついに彼女は首を縦に振った。
「まさか、幻想郷はたった今から冬!……だなんてねぇ」
そう口から漏らすと隣に来たレティが微笑む。
「びっくりよね、まさか私に仕事がまわって来るとは思わなかったわ」
曖昧な季節の境目。それを白黒つけることは普通なら大して意味もない事だ。しかし、あの局面暴走する静葉をレティの力で抑えるにはそれしかなかったのだ。それだけではない、穣子が回復し、これからのあり方を諏訪子と話し合っていくまでの間、二人の信仰に白黒つけてくれたのも、彼女だった。
「感謝してるわ」
「映姫様に?それとも私に?」
「どっちもよ」
「ふふ、ありがと」
いいながらこたつの中に足を突っ込んでくる。こたつの中の温度がすっと下がるのがわかった。
「ねぇちょっと。寒いわ、あんたは暖まる必要ないでしょ」
「気分よ気分。それより霊夢、いいものがあるんだけれど」
そう言ってレティは後ろから何やら白い箱を取り出す。
「なによそれ」
「あの子達から。お供え物、だそうよ」
そう言ってレティは恥ずかしそうな笑みを浮かべる。あぁ、そういうことか。胸に嬉しさがこみ上げてくる。平静を装って、興味ない振りをしてしまいながら霊夢は笑い出したいのをこらえていた。
「ふーん。なに?」
「なんだかお菓子みたいよ?あの子達、いろいろ始めたらしくて。がんばってるみたいよ?」
信仰は秋の空のように移ろいゆくもの。映姫が定めた境界も、永遠に続くものではないのだろう。これからのあり方を求め、神もまた変わっていくのだろう。
箱を開けるとそこには可愛らしい砂糖とチョコレートの装飾に包まれた見事な洋菓子が顔をのぞかせた。思わず身を乗り出して覗き込む。人里で見かけた事はあったけれどお金のない霊夢には縁のないものだと思っていた。
「うわぁ、すごい。なにこれ?」
「なんだか長ったらしい名前でね、覚えてないわ。でも、本当おいしそう。霊夢、お皿出してくれる?」
わかった、と返事をして霊夢は重い腰を上げた。台所に足を向けたところでレティが声をあげる。
「あ、霊夢。見て」
指差す先、雪の降り続く庭に一筋の光が差していた。雲が晴れたのか。雪が光を反射してきらきらと輝く。
「あら、すごいわね」
「きれいでしょ?冬も」
思わず声を上げて笑ってしまった。その顔が秋をほめたときの静葉と全く同じだったから。
「もう、なによ」
頬を膨らますレティをおいて台所に今度こそ向かう。
近いうち、あの子にあいにいこう。そんなことを頭に浮かべながら。
次回作たのしみにしています。
一点気になったのは霊夢が映姫さまとの問答を回想する場面。
それらしい区切りが欲しかったです。
「―――」を入れるなり行間を気持ち増やすなり。
ちょっとしか出番ないのは寂しい :(
神の解釈を物語りに上手くいかせてていいね