過ぎ去った季節のことを覚えている。微睡みの中の夢のように、ぼんやりと、遠い過去のこととして思い出すことができる。
夕闇の中ひっそりと私達は寄り添っている。通り過ぎた太陽の熱はまだたっぷりと地面に残っている。けれど吹く風がその暑さを和らげ、柔らかく感じさせていた。肌にふわりと汗を感じる程度の熱気が、むしろ心地よい。
「早苗」
霊夢さんが私の名前を呼んでいる。霊夢さんが私の声を呼ぶ時、どうしてか遠く、ぼうっとして聞こえるのだ。どうしてだろう? まるで意識が未だ、覚醒を見ていないかのように。
「早苗」
霊夢さんが私を呼んでいるのだと認識すると、声ははっきりと戻ってくる。はい、と応え、隣にいる、その存在の甘美さにゆったりと微笑む。霊夢さんが見える。浴衣姿で、伸ばした髪を一つにまとめて、肩の辺りに流している。霊夢さんは人の前に出る時でなければ、服装に気を遣うことはない。霊夢さんのその気楽さが愛おしい。
「はい。何ですか、霊夢さん」
顔が熱い。熱気のせいだけではないはずだ。微笑みを見せると、霊夢さんは顔をそらした。
「……聞こえてるんなら返事くらいしてよ」
「ごめんなさい、霊夢さんが可愛くて」
「馬鹿、酔ってるんじゃないの」
酔ってる。ああ、そうかもしれない。遠くで祭り囃子が聞こえている。今日は里で祭がある。祭の前から、皆集まって、昼から酒盛りになった。霊夢さんも飲んでいたはずなのに、そんな風には見えない。少し頬が赤い他には。
私も霊夢さんも、神社に残っている。蚊取り線香の匂いが辺りに満ちている。
「ねえ早苗、私達が初めて会ったのっていつのことだったかしら」
「そうですねえ、もう4、5年前? 随分変わりましたよね、あの頃からじゃ考えられないくらい」
霊夢さんも大きくなった、と思う。霊夢さんの正確な年齢は聞いたことがないけれど、そろそろ20に重なるくらい。背が伸び、足もすらりと伸びた。飲みながら動き回ったせいで、浴衣の裾がはだけている。可愛らしいくるぶしが、サンダルの上に乗っている。昔ほど色んな人にうるさく言われなくなった霊夢さんは、前よりも髪をずっと伸ばしっぱなしにするようになった。身体のあちこちも大きくなって。今、服で隠されてる部分は、昔は知らないけれど。
「ちょっと、どこ見てるのよ」
「いやいや、大きくなったなあと思いまして」
「早苗、あんたそんな奴だった? 魔理沙みたいよ。親父臭い」
「褒めてるんですよ」
「どうだか。……それにしたって、あんたの方が大きいじゃない」
確かに、背は私の方が高い。
「ずるい」
「小さい方が可愛らしくていいですよ」
「ずるい。ずーるーい」
「あーかわいい。かわいいかわいい。いつまでも私の小っちゃい霊夢さんでいて下さいねー」
霊夢さんに引っ付いて、頭を抱き寄せて髪をくしゃくしゃ。拳が飛んでくる。
「止めなさい」
「そうですねー、夜にでも」
「今日はまた宴会になるだろうから我慢しなさい」
「ちぇー」
私達は随分素直になった、と思う。前はもっと互いに、自分にないものを羨んで、意固地だった、と思う。私は霊夢さんの、生まれもって与えられていたかのような力に。霊夢さんは、神奈子さまと諏訪子さま、それから私がかつて持っていた現実と友人に。
霊夢さんには家族がいない。紫様という方は、私から見ても、良く分からない。少なくとも、家族ではないようだった。霊夢さんが、紫様のことをどう思っていたかは、私には分からない。はっきりとしない。
私は、力がなかった。少なくとも霊夢さんとは比べ物にならなかった。それさえ、毎日の修行と鍛錬で保っていたのに、霊夢さんには追いつくこともできなかった。毎日、だらだらと暮らしているのに。妬ましくて、仕方なかった。霊夢さんがその力を持っていることを喜んでいないということさえ、慰めにはならなかった。
私は、力がないということよりも、そうして妬んでしまう自分自身が嫌だった。それを霊夢さんにぶつけてしまうことが、嫌だった。霊夢さんも私を嫌っていると思った。私は霊夢さんを嫌ってなんていないのに。こんな風に思っていれば嫌っているのも同じだ。私は霊夢さんと同じものにはなれないのだ。そう思い込んだ。
霊夢さんは、私の、初めての友達になってくれるかもしれない。
私は霊夢さんに初めて会った時、そう直感したのだ。学生としての、普通の生活を捨て。幻想郷の巫女として生きる。私に、本当の友達はいなかった。本当の私を知ってくれる人はいなかった。
霊夢さんは、本当の私を見て、私と同じ立場にいてくれる。そう直感したのに。霊夢さんは、やっぱり私とは違った。
「何。何見てるの、早苗」
「ううん。別に、霊夢さん」
霊夢さんも私を羨んでいるのだと知ったとき、私はつまらないことだと思った。霊夢さんの家族がいないことが下らなく思ったのではなく、神奈子さまや諏訪子さまがいてくれることを下らないと思った訳でもない。ただ、自分自身が、ひどくつまらないものに思えたのだ。霊夢さんも同じものだった。超然として悩みがないように見えても、何かを欲しているんだ。私はひどく安堵した。
今となっては。
「霊夢さん」
「あによ」
「ちゅーしましょう」
「……はいはい。ほんとに酔ってるんならお茶飲みなさいよ」
「麦茶よりも今は霊夢さんの唇が」
「うるさい。そういうのは酔ってない時に言って。全然信じられない」
「えー、じゃあ見本見せて下さいよ。霊夢さん酔ってないんでしょ」
「うるさいわねー……」
「みーほーん、みーほーんー」
どったんばったん。霊夢さんってば大きくなっても好き放題で、ますます愛おしくなる。私が博麗神社に通い妻(霊夢さんはそういうと恥ずかしがって、怒る)をするようになって長くなるけれど、そうした姿を、霊夢さんが他人に見せるのを見たことがない。霊夢さんも大人になったのだ。昔のように、誰に対しても失礼な態度を取ることも、少なくなった。
私の前でだけ変わらずにいてくれる。
遠い、昔の頃のように、私を呼んでくれる。
「いい、早苗。一回だけよ」
「早くー」
「ちょっとは真面目に聞きなさいよ……」
「はい。真面目になりましたから、ささ、どうぞ愛の告白を」
「やりにくいのよ。……ううん。こほん。……愛してるわ、早苗」
きゃー、きゃー。殊更に喚いて恥ずかしそうにしてみせると、霊夢さんは恥ずかしそうに私を叩いた。
互いにないものを求め合って…っていうのはいいですよね。
と言いつつ同じものを共有できる関係も好きなんですけどw
とても好みでした
レイサナでBADENDは凄まじい破滅臭がするが・・・確かに見たくなるw
BEDENDなら見たいかな!
素晴らしいです