その地では、満月の夜に幽霊列車が走るという。
1
まあるい月に背を向けて、靴音鳴らす影ふたつ。
枕木をコツコツ叩くその音は、時に重なり時にズレ、静夜の中をこだまする。
何処まで行くの、何時まで歩くの。後について歩く少女が心配そうに問いかける。
「あともう少し。歩きで十分くらいかな」
振り返り微笑む少女の名は、宇佐見蓮子。
視線の先は蓮子がメリーと呼ぶ同行者――マエリベリー・ハーンではなく、その後ろ。淡く黄色い月の輝きはそのメリーのブロンドを連想させる。
メリーはというと、月を眺める彼女の瞳をじっと覗き込む。相方の瞳に映る満月。蓮子は月を見て自らの位置を識ることができる。
「このカーブを越えた先。あの茂みの裏に、目的の駅がある」
ふと視線を下ろした蓮子とメリーの目が合う。メリーは慌てて目を逸らす――のは動揺が相手に伝わってしまうようで癪だと、じぃっと蓮子の瞳を見つめ続ける。
こうなると最早にらめっこ。折れて先に沈黙を破ったのは蓮子。
「どうしたの、ゴミに顔でもついてる?」
メリーはそれを聞いて吹き出した。
「さあね、私には遅刻に顔がついているように見えるけど」
「その話はお終いって、さっき言ったでしょー」
ふくれっ面の相方を差し置いて、メリーは枕木からレールの上へと移る。平均台を進むような、体の中心がブレない歩き。キャットウォークを行くモデルに蓮子はしばし見蕩れる。
月のスポットを浴びる気ままな猫は、我が舞台とでも言うように身軽に駆ける。
「さあ、蓮子も――」
差し出す手を取って、片側のレールへ乗り移る。体勢を崩しそうになるが、メリーと握り合う手に重心を寄せて立て直す。
結んだ手はそのままに二人はレールの上を行く。
二人を見守る月に、微かに薄雲がかかった。
2
関東某地区にある、廃線となったローカル路線。
怪奇の舞台は、その中のとある駅だった。
「まず、廃線になった経緯から説明しないとね」
田舎ならではの単線の路線。地元住民の貴重な足として親しまれていた。それが廃線となったのは、ひとつの事故がきっかけだった。
とある夏の日。連日続いた大雨で区域内の一部分の地盤が緩くなっていたが、その夜は小雨だったこともあり通常通りの運行がなされていた。
電車が通過する間に、地盤が限界を迎えていたのだろう。堰を切るように一気に地盤が崩れ、線路が宙吊りの状態になっていた。そこを車両が通り、脱線及び横転。
「不幸中の……いえ、亡くなってる人がいる時点でで幸いなんて言えないわね。利用者が少なかったから被害はそれほど多くはならなかった」
乗務員一名、乗客五名が死亡。生存者はなし。
夜雨による視界不良、運転手のコンディション、地盤調査の不足。人災と揶揄する声もあったが、ほとんどが地域外から寄せられた意見だった。
地元住民は「今までよく保ってくれた」と、労いの言葉をかけた。もうとっくに寿命となるべきときを迎えていた、そう感じていたのだろう。
もともと赤字で廃線が提言されていた路線だった。バス路線への転換の計画が進んでいたが、沿線の住民の希望により保留されていた。
事故後に残された課題を前にして、鉄道会社も、地元住民も廃線を受け入れざるを得なかった。
そして、肝心の話はそこから五十年も後のこと。
中学生のA氏は、祖母から何かにつけてその事故から廃線に至るまでの経緯を聞かされていた。祖母の夫、つまりA氏の祖父にあたる人物はその事故で亡くなっていた。幼い娘を残したままに。
しかし、その話をする祖母の表情からは怒りや恨みは感じられず、その電車との思い出を懐かしむように目を細めていた。愚痴が溢れるのは決まってその後、A氏の母親を女手ひとつで育てるにあたっての苦労話である。
祖母と祖父の思い出の電車がどのようなものだったのか、生まれてから都会暮らしのA氏には想像がつかなかった。
祖母は共働きの両親を支えるために実家を去り、A氏の家で共に暮らしていた。
里帰りは決まって父方の実家。里帰りと言っても地方都市の街並みでは自然を実感することはできなかった。
夏休みも中盤に差し掛かった頃、A氏は脱線事故の現場へ赴くことを決意した。
友達に口裏合わせを頼み、泊まり込みで勉強会だとバッグひとつで家を出る。
予め調べておいた経路で電車とバスを乗り継ぐ。ひとりで電車で遠出するのは初めてで、ちょっとした冒険気分でもあった。
そうして、廃線となった駅の一つに辿り着く。
駅は地元物産の即売や工芸品の展示を扱う催事場となっていた。すでに閉店して灯りが落ちている。辺りにある数本の電灯が貴重な光源である。
そのひとつに寄り添うようにバス停があった。
タブレットにメモをした内容と、バス停の名前と時刻表を見比べる。画面の灯りに寄って来た虫をスプレーで追い払う。
一時間に一本の路線バス。十分後に出る最終便を待ち、一人でベンチに腰掛ける。程なくして路線バスがやってくる。電気駆動の小型バスは虫の声に飲まれるくらいの微かな駆動音で、気付くと目の前で乗車口が開いていた。
前方から入ると、運転手と既に乗車していた二人がねっとりとねめつけるような視線を向けていた。
作り笑顔で挨拶をすると心なしか表情が和らいだように見えた。
事故現場の最寄りの停車場は、現場から数えてふたつ目の駅。降りるときもやはり、じとりと背中を撫でるような視線を感じた。
そこから先は徒歩で線路沿いに進むのが最短ルートとなる。長らく放置されたレールには一面に錆が浮かび、一部は草に覆われていた。
電灯は永い眠りの中にある。満月の灯りだけが頼りだったが、一本道の線路では迷う心配はない。そう信じて歩き続けた。
ようやく辿り着いた次の駅。事故現場はさらにその先にある。その前に休憩と、ホームに登りベンチで水分を補給する。
ふいに、聞こえるはずのない音が耳に入る。
――ガタン、ゴトン。
空耳だろう。駅の雰囲気がそれを想起させただけのことだ。着信のないはずの携帯電話を、振動していると錯覚してしまうような、認識の齟齬。
――ガタン、ガタン、ゴトン。
もう無理矢理自分を誤魔化すことはできない。確かに聞こえる。空耳ではない。旅客列車が途絶えた今でも貨物列車が行き来しているのだろうか。いやそれはない。長い間電車が通った痕跡がないことは自分の目で確認している。
――ガタン、ガタン、ゴトン。
音の出処の方向へ、恐る恐る目線を滑らせる。
目を射す光に思わず手をかざす。指の間から見えるのは記憶に新しい車体。画像検索で見た、あの車体そのものだ。
悲しい運命を辿った、悲劇の電車。
それが今、目の前に。
甲高いブレーキ音、プシューという空気圧による開閉音、開いたドアから見える車内、貼られた広告――すべてが鮮明で、まるでここだけ時間が当時まで巻き戻ったかのように……。
知らぬ間に立ち上がり、歩み寄っていた。
そこで、ようやく乗客の存在に気が付く。
五人いる中のひとりには、見覚えがある。
見覚えがあるどころではない。毎日、目に入っている。仏壇に飾られたその写真の顔。
おじいちゃん、と呼び掛けた。
声が届いている様子はない。届いていたとして、まさか呼び掛けているのが自分の孫だとは夢にも思わないだろう。
もう一度――声を掛けようとしたところでドアが閉まった。徐々に動き出す電車、もう止めることはできない。
徐々に小さくなる尾灯を、立ちん坊で見送る。
この電車はこれからどうなるのだろう。
今まで、どうしてきたのだろう。
もし、乗っていたら――
自分は、何処へ往ってしまっていたのだろう。
3
「この話は私の同級生が体験したことで、同窓会のときに話してくれたの。そのことを話すのは初めてで、ほかの誰にも話したことはない……そうよ」
「確かに、家族にも言えないわね。嘘を吐いて家を出たわけだし」
「かといって、友達に気軽に言えることじゃない。今では記憶も薄れてきて、そのときのことは夢だったんじゃないかと思うようになってきてるってさ」
だからこそ話せるようになったのだろうと、メリーは見当をつける。
「霊能力者の存在が認められているとはいえ、超常体験をした者は『まとも』には見られないから」
もしかしたら夢だったのかもしれない、いや恐らく夢だったのだ。そう誤魔化すことができる予防線を、無意識の内に張っていたのだろう。
このように、経験者が超常体験を隠しているケースでは、ネットなどメディアで取り上げられることはなく、オカルトサークル未踏の地となっている。
「廃墟マニアとか、鉄道マニアも来たりするけど、最初から怪奇現象を目当ての人はいないみたいね」
もし怪奇現象に遭遇し、蓮子が伝え聞いた話を立証することができればオカルトサークルとしての大きな功績となるだろう。
「たまにはオカルトサークルとして、記録にも残せることをしないと」
「蓮子がまともなこと言ってる……ロクなことが起こらない気がする」
「それは好都合。ロクでもないことならどんどん起こせるってことね」
呆れたと溜息を漏らしながらウェットティッシュでベンチを拭う。
「それで幽霊列車は本当に出るわけ?」
「だから、それを確かめるために来てるんでしょ」
「オカルトサークル未踏の地って言えば聞こえはいいけど、すべてが手探りなのは辛いわね」
いつでも現れるのか、夏だけなのか、満月の夜にだけなのか、事故当日の日付でないといけないのか、日時以外の条件が必要かどうかもわからない。
「私は満月が鍵だと思うけど。満月は人に非ざるモノを活発にさせる、幻想の触媒だもの。蓮子は?」
「満月の線が濃厚ね。だけど、幽霊列車が出るようになった背景には線路という空間も関係してるんじゃないかな」
「線路……そういえば聞いたことがある。線路の敷設はただ電車の通り道を敷くだけじゃないって」
山手線だっけ、メリーの問いに蓮子は頷く。
「円を描いて敷かれた山手線と、円を通る中央線。この二つで完成する太極は東京の気を高める結界として作用して……いた」
遷都を境にして気の流れも大きく変わり、東京はかつての栄華を失ったとされている。
「つまり線路は境界であり、結界を形作るものでもあるわけね」
「そういうこと。一方で、ルートの効率のために無遠慮に敷かれた線路が古来の境界を破り、結界を蹂躙したことも多かった」
山を貫き、森を刈り、橋をかけて強引に道を通す。
「線路はね、結界の創造と破壊の象徴なのよ」
「だとしたら――」
自分たちの目の前にあるコレは結界を創造した境界なのか、それとも結界を破壊した境界なのか。
――コレは、私たちに一体何を及ぼす?
「何が起こるかわからない。だからこそ、この目で確かめなくちゃならない。私たちはオカルトサークルだからね」
オカルトサークル。科学が発展して尚、証明不可能とされる世界の歪みを日々捜し求める道楽者。
彼女たちもそんなオカルトサークルのひとつ。
マエリベリー・ハーンと宇佐見蓮子の二人だけのオカルトサークル、秘封倶楽部。
彼女たちの時は今ひとたび動き出す。
「どうやらお迎えが来たみたいよ」
「何が――」
そう言いかけて、目を閉じる。
耳を澄ますと確かに聞こえるあの音。
茂みの隙間から漏れるヘッドライトの灯り。
カーブを曲がりながらのブレーキ音。
車両のおでこにある行先表示。
「本当に来ちゃったね、蓮子……蓮子?」
「ああ、うん」
「それでどうするの」
「どうするって、決まってるでしょ」
二両編成の列車はブレーキ音を響かせて、緩やかにホームに滑り込む。
「こんな不思議を前にして立ち止まってるわけにはいかないでしょう」
蓮子は開くドアを前にして微塵の迷いもない。
メリーは、観念したようにあとに続いた。
目の前に差し出される蓮子の右手。
「さあ、行きましょう。境界の向こう側まで」
踏み出す一歩に力を込めて、黄色い線の外側へ。
二人は既に、幻想の中――
もう、引き返すことはできない。
4
電車の中はドアに貼られた広告のシールから、中吊り広告、電光表示、手すり、吊革、椅子、そして乗客に至るまで全てが当時そのままの状況だった。無論、当時との比較は出来ないが、何一つとして欠けているものはない、そう思えた。
「問題はそこの……」
メリーは伏せていた顔を恐る恐る上げて、視線を横に向ける。ロングシートひとつあたりにひとり、散らばって座る五人の乗客。恐らく先頭車両には運転手もいるのだろう。
触れてはいけない気がした。いや、そもそも――
「さ……われるの、この人たち?」
「どうだかね……」
「蓮子試してみてよ」
「え、何で? 嫌なんだけど」
「ノリノリで電車に乗り込んでたでしょ。それにここに誘ったのは蓮子だし、責任取るのは当然」
「責任とか知らないし。こういうのは普通ジャンケンで決めるものでしょ……あ!」
蓮子はメリーの策略にまんまと嵌っていた。
提唱されて以来、未だ科学の力で証明することができないでいるが圧倒的多数に常識として刷り込まれている法則。
「言い出しっぺの法則……」
「いいでしょう、ジャンケンで決めるのね。蓮子がそう言うなら仕方ないわ」
「よくもそんないけしゃあしゃあと……」
「はい、最初はグー――」
「ちょ、まだ心の準備が――」
ジャンケンポン。
「はい。じゃあお願いね、蓮子」
「この恨み絶対忘れないからね……」
乗客五名のうち男性は三名、女性は二名。起きているのは男二人と女一人、先ほどの二人のやり取りへ反応を示さないところを見るにこちらの様子は見えていないらしい。
「聞こえてますかー? 見えてますかー?」
女性の目の前で手を振って見るが反応はない。
意を決して手を女性の肩へと伸ばしてゆく。
そろり、そろりと漸近線を描くように。
――ガタン。
急なカーブで車内が揺れる。蓮子の腕は女性の鎖骨あたりを貫通し、シートの上端を掴んでいた。
「ひっ……」
慌てて手を引き、手洗い後の水滴を切るように腕を払う。
隣からメリーがずいと隣から顔を寄せた。帽子を取り、女性の膝の上に落とす。帽子は膝を貫通し、ぼすっと小さく音を立てシートの上に落ちた。
「見たところ、私たちと私たちが身につけているモノが実体として触れることができるのは『電車』の一部に限られるようね。乗客は電車の一部ではないとみなされて触れることができないのかしら」
「だとしたら、どっちなのかね」
「どういうことよ蓮子」
「この電車にとってのイレギュラーはどっちかってこと。というより、この幽霊電車の正体のほうが問題かもね」
蓮子が語るには、今の状況は二つの可能性に絞られるという。
「ひとつは、この電車が字面通りの『幽霊列車』である可能性。霊体でありながら実体としての感触を持っている。強い怨念がそうさせているのか、そこのところまではわからないけどね」
「乗客も乗客で幽霊だけど、電車の霊とはまた別物だから触れられないということかしら」
「そんなところ。もうひとつはこの電車が正真正銘の、事故当時の車両という可能性」
「事故を起こした車両が現代に現れた、あるいは、私達が当時にタイムスリップした……」
メリーは電車に乗り込む以前の光景を思い出す。
電車がホームに入る前、ヘッドライトに照らされた線路には雑草が茂り蔦が這っていた。ホームも廃墟となり、時代の抜け殻と化していた。
自分たちがタイムスリップしたとしたら、電車に乗り込む直前かすぐ後ということになるだろう。
「まさかとは思うけど、現にこうしてリアルな体感があるわけだし」
「その場合イレギュラーなのは私たちのほう。乗客に触れられないのは、私たちが質量のない精神だけの存在だから」
「意識だけが過去に飛んで、夢として今の状況を見てる感じかな。それならどうして電車は通り抜けないのかが説明できないんだけど」
「でもどっちにしろ問題なんだけどね。問題といってもクエスチョンじゃなくてプロブレムのほう」
「そういう要らない解説はいいから」
「タイムスリップで過去に精神が飛んでるとしたら――こうして車体に物理的接触が可能なことを考えると、事故の瞬間横転する車体に体をぶつけてかなりのダメージを負うはず。それで意識が途絶えたら二度と起きれずに眠ったままになるかもしれない」
「確かに……でも、もしかしたら事故の直前に起きれるかもしれない。転落する夢で、地表に到達する直前に目が覚めるような感じね。夢の中での死を避けるための防衛反応」
「それを信じるしかないわね……」
そして、もう一つの可能性。
「この電車が『幽霊列車』だとしたら。事故現場を安全に通過してくれるかはわからない。通過したとしても、ちゃあんと各駅に停まってくれるのか、それとも冥府への直行便なのか……」
「考えても仕方ないか……蓮子、今はどのあたり、事故現場までどれくらい?」
蓮子ははっと我に返り窓に駆け寄る。星を見て時を察する、蓮子のもう一つの能力。
「今更だけど、発車時刻と当時のダイヤと同じね。乗車から五分五十三秒経過……」
身を乗り出して車体の後方にある月を覗く。
「事故現場までの距離は、この速さだとあと二分もないわね。窓も開かないし、緊急のドアの開閉装置も効かないかも……」
「もしかしたら――ここはオカルトサークル未踏の地なんかじゃなかったのかもね」
ずっとオカルトサークルの話題にならなかったのは、誰も行かなかったからではなく――誰も帰って来なかったから。
「これもひとつの可能性に過ぎないけど」
「とんでもないものに乗り合わせちゃったわね……メリー、その、ご――」
「オカルトサークルでやってく以上、危険は覚悟の上でしょ。悪魔に取り憑かれても、十三日の金曜日に斬り殺されても、木霊に誑かされても、霊場で神隠しに遭っても、幽霊に彼の世へ連れて行かれても――全ては自分の責任。それに、知ってて避けられたとしたら、蓮子は乗らなかった?」
「乗って……いたでしょうね。うん、ようやく思い出した、メリーのおかげで思い出せた。こういう幻想こそ、私達が求めていたもの。生と死の境界線を綱渡りするような、とびっきりの幻想」
蓮子は覚悟を決める。
「たとえここで朽ちるとしても、最後の瞬間まで見届けましょう。私たちはもう――」
幻想から、目を背けない。
「あと三十秒ってとこかしら」
目を閉じて深呼吸。
足の裏から伝わる鼓動。
泳いだ指先が何かに触れる。
絹のような柔肌が指の間に滑る。
繋ぐ手と手は命綱かタイトロープか。
目を開けると隣にいる相方と目が合った。
言葉がなくても互いに通じてる、繋がってる。
互いに、繋ぐ指先に力が籠る。その痛みだけが、今感じることができる唯一のリアルだった。
5
……。
…………。
………………。
……………………。
…………………………。
………………………………。
……………………………………。
…………………………………………。
………………………………………………。
「れ、んこ……今何時? ここはどこ?」
「電車が発車してから八分以上……場所は、事故現場からクォーターマイル離れたとこ」
事故現場は無事に通過したようである。
長い溜息を吐き出して、緊張した肩を解す。
しかし、まだ不安は完全に去ったわけではない。
「次の駅にちゃんと停まるの?」
「停まる、と思う。そのためにこの電車は走っているはずだから」
「やけに自信たっぷりね。さっきまではビビって震えてたのに」
「ともかく、これではっきりしたのは私たちはタイムスリップしたわけじゃないってことね。ホントはもっと早く気付くべきだった……」
「外には星も月も出てる。事故当時は雨だったから、過去に行ったとしたら星空なんて見えないはずね」
「まあ、そうね。たぶんこの電車は、事故で乗客を送り届けることができなかったのが心残りだったんでしょ。その強い念が形となり霊体となった」
電車の車両二台分まるごと実体化するほどの霊力。余程悔いの念が強かったのだろう。
「乗る前に話した、結界というのも関係してるかもね。結界によって実体化に充分なくらいに霊力が増大したとか。推測の域を出ないけど、こうした様々な要因が絡まって『幽霊列車』という怪奇現象となったんでしょう」
「ふうん」
「生前出来なかったことを、死後遂げるために実体化した。言わば地縛霊みたいなものかしら」
走る地縛霊というのも変な話だけどね、と蓮子は補足した。
「だからって停まるかはわからないけど……」
「だからこそ信じるのよ。そうすれば、電車だって応えてくれる」
「わかったわ」
――お願い、次の駅まで私たちを届けて。
祈りが通じたのか、もともとそうなる予定だったのか。ブレーキの音が響き、車体が揺れた。
メリーはバランスを崩して蓮子に抱きつく。足がもつれ、ぼすりとシートに倒れ込んだ。
「何はともあれ、ご到着みたいね……そこ、どいてくれない」
「うう、ごめん」
「気にしてないから。さ、降りましょう」
プシューというドアが開く音。二人を迎え入れるホームは、やはり時が凍りついた廃墟である。
黄色い線を踏み越えて、ようやく現実に帰還した。そんな気がした。
線を挟んで向こう側、幽霊列車は何事もなかったようにドアが閉まり、動き出す。
「ねえ、蓮子」
なあに、と蓮子はメリーの言葉を待つ。
「さっき蓮子はあの電車は地縛霊って言ってたけど、それは違うと思うの。確かに電車自体は霊体だけど、後悔の念だけだったらどこか悲しい、負のオーラをまとっていたんじゃないかしら」
「負のオーラが、なかった?」
「私が見た限りではね。だから、電車の気持ちだけじゃない。地元の人たちの電車への愛、感謝の気持ちも籠っていたんじゃないかしら」
「そうか、大切に使われたモノには霊力が宿り、神格化する……」
「私たちが出会ったのは電車の神様――付喪神だったのよ」
「電車と人の想いの結晶とも言えるかな……」
はあ、と蓮子はがっくり肩を落とす。
「駅に停まって行きたい場所に届けてくれる。当たり前すぎて感謝の気持ちなんて持ってなかったわ。本当は来てくれるだけでありがたいのに、人身事故だの信号トラブルだの遅延にいちいち腹を立てて……ちょっと反省」
「モノが自分たちに尽くすことが当たり前になって、モノへの感謝が薄れていってるのかもね。そういうのも、調べてみると面白そうね」
「そこは心理学部生のメリーさんにお任せするわ」
「それはそうと蓮子さん」
「ん?」
「この駅で降りたのには何か目的があったの?」
「何となくよ、何となく。行き当たりばったりの途中下車の旅」
「あっきれた……」
蓮子はメリーを置き去りにして改札へと向かう。
埃を被った自動改札機を通り抜けようとしたその瞬間――
――ガシャコン!
電源が通っていないはずの自動改札が突如作動し、蓮子はその勢いのまま引っ掛かり、前のめりになってコケた。
「アイタタタ……なにこれどうなってるの?」
改札横のフェンスの切れ目から外に出たメリーが涼しげに言った。
「どうやらその改札機は無賃乗車に余程恨みを持っていたようね」
蓮子は両膝をついて、服と帽子についた埃を払う。帽子を被り直した蓮子にメリーが手を差し出す。
「さあ、立って。これから何処へ行くの――」
――どんな幻想を見せてくれるの?
「さあね……」
蓮子はメリーの手を取って立ち上がる。
「でも、二人なら何処へだって行けるわ」
そう言って蓮子は月を見上げる。
メリーはクスリと笑ってその瞳を見つめる――
鏡写しの兎が、微笑んだ気がした。
<終>
ただ、最後のあとがきはいらなかったかなー。
でもこういう王道的な秘封倶楽部ストーリーは、後書きがたいてい後日談だと思ってたからちょっとびっくり。
怪奇現象なはずの自動改札の落ちもちょっと面白くて気に入りました。
秘封らしくて、とても良い雰囲気のお話でした。
2人とも根性あるなぁ……。
大好きですこういうの
文章も読み易かったです。
ちょっと食い足りない感もありますが、逆にこの位がいいのかも。
言い出しっぺの法則って、自分の周囲だけかと思ってましたが、わりと全国規模?だったんですね。
普段利用しているとそれが当たり前になっているのですが、時刻通りに人を運んでくれることはとてもありがたいことなんですよねぇ
感謝せねば
蓮刈でなく、秘封倶楽部
これもポイントが高い
秘封倶楽部に抱くイメージはそれぞれで、そのイメージにはいちゃもんは付けられないが僕の抱くイメージにぴったりだったのもあり、この作品、とても気に入りました。
そう、電車が時間通りに来るようにそそわにSSが投稿されるのが当たり前で、幾人かは上から目線で叩き評価すると言った風景も当たり前だった。だが、SSが投稿され読めると言う事を当然と取らずに作品を読める事に感謝して読む事も考えねばなるまい。私見だが。
実家に帰省する電車の中で読むのにピッタリなお話で、ちょっとノスタルジーに浸ってしまいました。
欲を言えば、ちょっと物足りないくらいするりと読めてしまいましたが、それもこの作品の良さなのではないかと思います。
素敵な秘封倶楽部をありがとうございました。
この二人だとありえるから困る。
それはさておき秘封にしては硬派で本格的な感じでとてもよかったです!
列車で紫を思い浮かべたのは自分だけではないと思いたい!
こういうの好きです