※キャラクター崩壊の恐れがあります。ご注意を。
一.命蓮寺の場合
突き刺すような陽の光が降りる午後。
いつにも増して、命蓮寺は賑やかだった。
カツン、カツンと打ち鳴らされる木のやんわりとした硬質な音が、離れの庭先で響いていた。
といっても、庭先に見受けられるのは、二人。
そこでは柄杓対竹箒のちゃんばらが子供のお遊戯クラスで繰り広げられていた。
けれどもそれを彩るものは、お遊戯と言うよりは芸に近いのかもしれない。
村紗水蜜はやたら元気に水をぶちまけながら柄杓を振るい、幽谷響子が声の振動でもってそれを空中ではざす。
そうして、干されたままの洗濯物のことも気にせずに、水芸さながらの水撒きは繰り広げられていた。
二人は打ち水の後には決まって、接近してお遊戯ちゃんばらごっこを展開し、離れては再び水を打つ。
お陰で、庭先は濡れ、陽光からの熱も少しは和らいでいるようだ。
蒸発していく水分が、もわりと沸き立つものの、新しく撒かれる水しぶきに掻き消される。
派手に動き回る二人から発せられるのは水だけではなく、空気も然り。
体動によって動かされた空気は、水滴とは異なり緩やかに縁側から屋内へと流れていく。
よくよく見れば、縁側には素足が四本伸び、そうした空気と打ち水のお零れにあずかっているようである。
だらしなく足を伸ばして、さも愉快そうに外の二人を眺めるのは、二ッ岩マミゾウだった。
真昼間から相棒のような徳利を片手に呑みに呑む。
それを横目に、少し距離を置いて行儀良く座るのは雲居一輪。
時折、陽光、いや、風物詩とも取れる入道雲を仰ぎ見ては、眩しそうに目を細めていた。
一輪はそうして、その後は、ゆっくりと屋内を見やる。
外から眺める室内はなんとも穏やかだ。
動きまわる外の様子など逆光で見ることができないからかもしれない。
だからだろうか。
内部でチャブ台を前にしんと正座をする聖白蓮は、目を閉じているばかりだった。
日が届かぬ室内はなんとも涼し気に映る。
庭先とは全く異なる空気が漂っているのは確かだろう。けれど、やはり空気の中に暑さが内包されていた。
涼し気な表情で佇んでいた白蓮の額から、だんだんと汗が滲み、やがて一滴が頬を伝って落ちていった。
「…………ふぅ」
その感覚を持って、彼女はようやく息を吐いて、わずかに背を丸めた。
脱力した表情からは、どこか嫌気のようなものが滲んでいる感すらある。
けれど、瞳は閉じたまま、ぼんやりと彼女は屋内の日陰に寄り添っていた。
「……おやおや、この暑さは、さすがの白蓮殿も参るのかのぉ」
いつの間にか屋内へと向き直っていたマミゾウは、徳利を掲げ、くいと一口つけてから、口を開いた。
どこか愉快そうな様子に、白蓮は恨めしそうに瞳を投げかける。
「えぇ、最近の暑さにはもう本当に参りました。こうして、水を撒いていてくれるのは大変助かりますけど、なかなかどうして……」
「そんなに言うのなら、法衣なんて脱いだらどうじゃな?見ているこっちまで暑くなってくる」
「いえ、流石にそういうわけにはいきませんから」
「……バテて言う、人のことはわからんなぁ」
マミゾウは呆れたような表情を一つ浮かべて、再び酒を煽った。
夏の熱気など微塵も感じさせないひょうひょうとした態度はいかにも涼しげだった。
それに加えて、涼し気な服装なのだから、白蓮はやはりわずか恨めしそうな視線を送りながら苦笑いしていた。
「まぁ、姐さんが法衣を脱いでしまっては、何がなにやらわかりませんしね」
そこへ、今度は涼し気な声が飛ぶ。
マミゾウと交代したように一輪が振り返ると、やんわりと微笑んでみせた。
「ねぇ、姐さん」
「そうですね。身だしなみから、生活は来るといいますし」
「…………それは、ちょっと違う気がするけれど」
「え?」
白蓮は一輪の問に見当違いに返答を返すと、今度こそチャブ台に伸びるように身体を預けた。
伸びをした猫のように、「うーん」と身体を引き伸ばすと、そのまま脱力。
思いもよらず、チャブ台がひんやりとしていたのだろう。
そのまま、わずかに頬を緩めていた。
こんな様子はとても珍しいことだった。
「しかし、聖殿がこのようになるなんてのう」
「えぇ……、最近は食も減っているようだし、夏バテというものが来ているかもしれないわね」
夏だからといって、毎年こんな風になるような彼女ではない。
心頭滅却すれば火もいや、日もまた涼し、なんて言ってのけそうだが、そんなこと彼女は言ったことはなかった。
傍から見れば、身体に関する魔法を得意としているのだから、冷却とまではいかないまでも、暑さを和らげる方法はいくらでもあると思われる。
けれど、どうしてか彼女はその方法は取らず、猫のように伸びているのだった。
――――カツン。
獅子威しにも劣らぬ勢いの柄杓と竹箒がぶつかる高音が響いても、やはり彼女はそうしていた。
「…………これは本当になんとかしないといけないかもね」
「と、言うと?」
「何としてでも、夏バテを解消してもらわないと…………」
「もらわないと?」
「料理当番が増えてしまうわ」
「…………え?」
一輪は涼し気に言ってのけた。
庭先に視線を戻して、やれやれといった感じである。
拍子抜けしたマミゾウは、軽く膝を抜かれたようにバランスを崩して手をついた。
「そ、それだけかの?」
「えぇ、一週間の料理当番が五日くらい私になるのは、避けたいでしょう」
本音で言うようにして一輪は笑った。
笑ってみせたから、余計に本音なのか疑問であったが、マミゾウはそんな考えをあっさりとやめて、「そうじゃな~」なんて言っていた。
「そういうわけですから、姐さん。鰻、出前しましょう」
「……お前さん、そっちが目的なのではないのか」
「いいえ、鰻は栄養価が高いですから、夏バテにはうってつけなのよ」
「…………怖い女娘じゃな」
妙なやり取りを経て、二人は白蓮に向き直った。
しかし、伸びに伸びきった彼女は、猫のようにゴロゴロとチャブ台に左右の頬を当てるばかりだった。
「…………………にゃ~」
仕舞いには、猫のように鳴いてしまっていた。
「…………」
「…………夏、だのう」
「…………夏ですね」
「――――――――聖ぃ」
ポツリと二人が呟いたところで、後方から声がやってきた。
視線を投げかければ、先程まで二人でちゃんばらを繰り広げていた村紗と響子がびしょ濡れになって佇んでいた。
水も滴るなんとやらといった感じではあるが、船幽霊がそれでは、どうしようもなく冗談ではない。
外の二人は内の三人の様子を眺めると、疑問符を浮かべて見つめていた。
「村紗、現在、姐さんはあんな感じだけれど。一体どうかした?」
「んー、壊れた」
「うん?」
「柄杓、壊れた」
「あ、竹箒もです」
両者が掲げた両手には、見事に柄と先端が分離している一つだった道具が、途方もなくぶら下がっていた。
「…………」
柄杓はわかるとして、竹箒……そんな疑問を抱きながら、それでも一輪はため息混じりに、
「本日も水撒きご苦労様」
労いの言葉を一つ述べておいた。
「……どうするかのう」
「……さぁ」
「…………酒も切れてしまったし」
「…………さぁ」
このどうしようもない夏季をどうするべきか、五人は思考もバラバラに考えてもいなかった。
「――――そういえばさぁ」
そんな中、急に村紗が口を開いた。
「……うん?」
「星とかナズーリンとかぬえとかどこ行ったの?」
「あぁ、確か……」
一輪も思い出したかのように宙を見やった。
人指し指を口元に当て、三人の行き先を振り返ってみる。
三人の姿は今朝方から見えなかった。
寅丸星とナズーリンは慌てるように飛んでいったけれど、封獣ぬえはといったら……。
「あ、ぬえさんは、守矢神社の緑の人に呼ばれて行きましたよ」
響子の声に思考を遮られ、一輪は視線を戻した。
「なんで、そんなところに?」
「なんでも、今度こそUFOの謎をうんぬんって言ってましたけど」
「あ、なるほどね」
どこか納得したように、村紗は面倒くさそうに一つ声を上げていた。
「…………」
こうしてみる命蓮寺の面々は本当にバラバラのようだった。
よくもまぁ、こんな者たちが集まったものだ。
そんな風に誰かは思った。
そうして。
「あー」「あー」「あー」「あー」「あー」
それぞれ声音も高さも違う声で、扇風機もないのに唸っていた。
日は高く、うだるような暑さは一向に引きそうにもない。
ぼんやりと佇んでいた五人は適度にパラパラと別れると行動を開始した。
「……………………にゃ~」
恐らく一名は、そのまま寝てしまったけれど。
ニ.響子の場合
「……よ、いっ、っしょっ……と、うん、っしょ」
ぎこちない速度で襖が開かれると、入室してきたのは響子だった。
身の丈よりもやや長い立派な竹を抱えて、入ってきた響子はそのまま襖に向き直ると足先で襖を閉じる。
ぎこちない動きはそのせいだったようで、開いたときと同じように襖は閉じていった。
「……はぁ」
響子は改まって息を吐き出すと、どこに竹を置いたものかと視線を巡らせる。
背後の壁に立てかけることも考えてはみたが、すぐに倒れるだろうと判断すると、置き場は縁側にしかなかった。
「……誰もいないですし」
誰か居たからといって、手伝ってくれる補償はどこにも無い。
けれど、響子はポツリとつぶやきを漏らしていた。
彼女は気を取り直して、もう一度竹を抱え直すと、それを持って移動した。
縁側まで行くと、なぜだか再び立てかけることを考慮したものの、寝かすように置く。
そうして、縁側に立って、
「う~ん」
自由になった両腕を目一杯上空へと伸ばした。
わずかに見上げてみれば、午後の空はどこまでも青く、遠くの雲も追いつけないように広がっていた。
じんわりと差す陽光を浴び、響子は伸びをやめるといつの間にか滲んでいた額の汗を拭っていく。
夏も終わりに近づいているというのにこの暑さだ。
堪らないなぁ、などと内心思いながら響子は視線を空から落とした。
「あ」
視線が下がって気が付いたのは、庭先に干されたままの洗濯物だった。
わずかな風になびく洗濯物たちは、午前中の水撒きの被害に遭ったもののすっかり乾いているようだ。
この日差しならば、数刻無く乾くのは当然だろう。
響子はいそいそと洗濯物を取り込むために縁側を降りた。
洗濯物に手を掛けたところで、ちらりと室内を確認した。
「――――よしっ」
そうして、短く一言。
誰もいないのをいいことに、響子はぽいっと取り外したものを縁側へと投げ入れはじめた。
わずかに外れた鼻歌を浮かべながら、大量の洗濯物は見る見るうちに室内へと消えていく。
「終わりっ」
彼女は最後のものだけは抱えて戻ると、草履も脱がずに山になった洗濯物に飛び込んだ。
ぼふっと音を立てて、圧迫された洗濯物は飛び込んできた者を受け止めて、そのまま停止。
飛び込んだ響子は、
「……あっつ~い」
日差しの熱を帯びた布中から、のそのそと身を起こしていった。
「あ、あれ?」
身体を起こした響子の視界に飛び込んできたのは、頭巾の乗せられたザルだった。
響子は手を伸ばしてわずかに頭巾を上げるとそれを確認してみる。
「……そうめん?」
姿を現した山盛りになったそうめんを見やるが、なぜ頭巾をかぶっていたのか、はたまたこんな時間になぜこんなところに置きっぱなしにされているのか理解できなかった。
首を傾げたまま、今度こそ身体を起こし、入室すると、
「――――あ、あれれ?」
今度はチャブ台に伏して聖がいることにようやく気が付いた。
チャブ台の横を通ってきたはずなのに、どうして気が付かなかったのかと目をぱちくりさせたものの、彼女は聖の元へと向かった。
少し離れた位置から見た聖は、止まってしまっているかのように見えたのだ。
しかし、近づいてみて、響子はほっとしたように息を吐いた。
「なんだ、ちゃんと寝ていました」
誰に言うでもなくつぶやくと、もう一度ぐるりと視界を巡らせる。
縁側に置いた竹が視界に入ると、なぜだか彼女は楽しげな表情を浮かべていた。
「……竹林では迷いましたけど、なんだかカッコいい人に助けていただけましたよ」
それだけ言うと、響子は再び聖を見やった。
よだれでも垂らしてしまいそうな幸せそうな表情のまま、彼女はすやすやと眠ったままだった。
あれだけ鼻歌を歌ったり、声を出していたのに起きなかったのだから、もうしばらくは起きないだろう。お暇を頂いたと思って……。
そんな風に響子は勝手に思って、もう一度伸びをした。
「……しょうがないですね~」
竹箒は壊れたまま。しかも、貰ってきた竹は竹箒になんかなりはしないだろう。
響子は身体を伸ばしたまま、伸び伸びと言って、竹を手に取ると室内を後にしていった。
三.寅丸星とナズーリンの場合
「……た、ただいま戻りました」
襖をのそのそと開けたのは、撫で肩みたいになりきった姿勢の寅丸星だった。
言葉に力が無かったが、その様子にもどこか力は無い。
そんな様子のまま、彼女はとぼとぼと入室していく。
室内へと足を踏み入れると、わずかに吹き込んできた風が彼女を迎え入れているようだった。
彼女もまた、その心地よさに表情までも弛緩させて、だらりとその場で立ち止まる。
すると、
「ご主人、そんなところで立ち止まらないでくれ」
「あ、あぁ、すまない」
後続からの声に、星は慌てて足だけを動かして、奥へと進んだ。
「よいっしょと」
星の後ろから、星とは違いぴしりとした姿勢で入室してきたのはナズーリンだった。
溢れんばかりに荷物を抱えている様子は、どこか愛らしさが感じられるが、厳しそうな瞳はいつものように表情に浮かべてる。
「ナズーリン、半分持とうか?」
「いいや、ご主人が触れただけで失せ物になる可能性が高まるので遠慮するよ」
両手で抱えられた、新聞紙に包まれた大量の物を持っているナズーリンに、星は心配そうに声をかけたが、それを口調だけはやんわりとしかし、手厳しく断わられてしまった。
「そ、そんな風に言わなくても……」
指の先をツンツンさせながら、威厳もへったくれもなく星は抗議の声を上げるが、それもナズーリンは走らせた視線だけで一蹴してみせる。
彼女は途中で立ち止まっていた星を抜き去ってチャブ台まで到達すると、星に視線を合わせながらチャブ台の上に荷物を下ろした。
「…………ご主人」
姿勢を直して、星に向き直るとナズーリンは静かに言った。
「は、はいっ」
「そもそも、こんな暑い中、朝から動かなければならなかったのは誰のせいだと思っているだろうか?」
「え、えっと、それは……」
「ご主人、この夏は特にひどいぞ。宝塔がないというのはもちろんのこととして、やれ服がない、やれ靴がない、やれ髪飾りがない……おまけに筆などなど仕事道具も無くすし。更に更に言えば、夏前から借りっぱなしの物をどうしたかという記憶まで無くす次第……」
「……うぅ」
「そして、ガラスの器だったことを思い出したはいいが、結局頂き物だったことを忘れて、結局返却させられるなんて、無駄足もいいとこ――――」
言い終わる前にナズーリンは声を止めた。
星が俯いたまま、あまりに意気消沈と立ちすくんでいたことに気が付いたからだ。
「…………まったく」
もちろん、ナズーリンも星に悪気があってしたことではないと理解はしている。
忘れてたり落としたりしてもらっては困るものは幾つもあるが、その星の様があまりにも小さく見えてしょうがなかった。
ナズーリンは短く息を吐き出して、目を閉じた。
「……………………宝塔だけは、無くさないように」
一言告げると、彼女はもう一つ息を吐き出した。
「――――にゃ~」
しかし、妙な鳴き声の返事らしきものに、ナズーリンはピタリと動きを止めて目を開いた。
少し座った瞳で、星を見やる。
射抜かれるようになった星は、ぴっと姿勢を正したが、オロオロとした様子で視線を受け止めるばかりだった。
「……ご主人、本当にわかったのだろうか?」
「え、あ、あぁ、わ、わかっている……います」
怒気の混じった低い声に星はおどおどと返事をする。
「……では、今の『にゃ~』とは、一体なんだろうか?」
「い、いくら寅がネコ科だったとして、わ、私が言うわけないだろう」
「…………では、他に誰が言」
「にゃ~」
ジリジリとした緊張感の中、ナズーリンの声を遮ったのは、やはり猫のような鳴き声だった。
ナズーリンは真後ろ下側からの鳴き声に、一瞬で身構えると無言で星に視線を送った。
「…………」
「…………」
二人は瞬きもせずに、そろそろと声の方向を見やった。
ゆっくりとナズーリンの背後――――チャブ台の上を視認してみると、そこにはべったりと寝そべった聖の姿がぽつりとあった。
「…………えっと」
「…………えぇっと」
二人は肩の力を一気に抜くと、目をぱちくりとさせる。
「……いつから?」
「……ですかね?」
極々、自然に部屋にやってきてから、全くもって気が付かなかった二人は、呆気に取られて、佇んでいた。
「い、いや、しかし、猫の鳴き声とは関係がないだ……」
「にゃ~」
今度は星の言葉を遮って、聖は猫のように鳴いてみせた。
ナズーリンは聖の表情を覗きこむようにして、ツンツンと頬をつついてみた。
ぷにぷにと弾力を感じさせる動きを見せながら頬は凹凸を見せるが、されている本人はぴくりとも反応を示さなかった。
「……寝てる」
「…………」
星もナズーリンの傍にやってくると聖の顔をのぞき込んだ。
そこにはもうこれでもかと言うくらい、穏やかな表情をした聖が静かに寝息を立てているのだった。
「…………」
「…………」
二人は姿勢を戻して向き合うと、
「…………しょうがない」
呆れ顔で呟いた。
四.ぬえの場合
「…………ただいま」
小さく言いながら、封獣ぬえはそろりと足を忍ばせて、帰宅をした。
ほのかに赤い顔をしながら、両手で器いっぱいに盛られたそうめんを手に、抜き足差し足でそろりそろりと入室をしていく。
さながら叱られることをした子供のような動きだった。
しかし、庭先の望める室内は、至って静かだったことに彼女はぴたりと動きを止めた。
いつもは縁側や外に出て騒いでいる人物が居座る時間だが、誰もいないことに安堵の息を吐き出すと、チャブ台へと足を向け、
「うわぁっ」
聖が寝ていることに驚いて声を上げた。
持ち上げるようにしたそうめんの器と片足がなんとも寂しい。
ぬえはまた少し赤くなって姿勢を戻すと、今度は行く宛をキョロキョロと探していた。
やがて、大きな溜息を音もなく吐き出すと縁側の端の方に腰を下ろした。
ブラブラと足を揺り動かして、ぼんやりと上空を眺める。
青々とした空の下方には陰影のついた入道雲が並び、空を埋め尽くさんばかり広がっていた。
代わりに青は上空に逃げるように広がって、どこまでも混じり気無く青かった。
「…………あ」
大事そうに抱えたままのそうめんを思い出し、彼女は視線を下ろした。
雲に比べればなんとも小さな白いそうめんの塊が群がっている次第である。
少し呆けたように眺めていたぬえであるが、結局面倒くさそうに、けれどそっと器を自分の隣へと置いた。
「…………あ~、暑い」
視線を戻してつぶやくのは、そんな言葉だけだった。
「………………まったく、あの緑の巫女は……。それに、なんかあの神様二人もなんか微妙に生暖かい目で観ていたような気が…………」
戻したはずの視界を再度、宙に投げて、ぬえはぼやいた。
満更でもないような、微妙な表情を浮かべたところで、彼女は首をブンブンと振ると、入室時と同様に頬を、いや首筋までも紅くさせていた。
「だぁ~、かゆっ!」
器用に羽根を使って身体を掻くようにしてぬえはわずかに悶えていた。
「…………あ、そうだ」
しかし、聖が眠っていることを思い出して振り返ると、これまた面倒くさそうに息をついた。
「…………」
先ほどとは打って変わって言葉の無くなった空間は、ただただ日陰が占拠しているように見えなくもない。
そんなことも気にせずに、ぬえは聖を視界に収めてぼんやりと眺めたままでいた。
縁側から出た足だけがブラブラと揺れる。
そうして、晴天の空の下、風がふわりと縁側を撫でると、吊る下げられた風鈴が、涼し気に一つ鳴いてみせた。
けれど、それだけですぐに音は無くなる。
強い日差しが全てに浸透しているかのように、室内も縁側も庭先でさえもひっそりと静かに陽炎のように揺らいでいるようになっていた。
やがて、ぬえは小さく息を吐き出して、
「……しょうがないか」
特に動きのない、穏やかな室内を音もなく縁側から飛び立っていった。
五.一輪とマミゾウと村紗の場合
「ただいま戻った」
「あぁ、お帰り」
マミゾウが襖を開けると、縁側で足を伸ばしていた一輪が声を返した。
「おや、一輪殿も帰っていたのか」
「えぇ、まぁ、何やらあったけれど」
「何やら?」
マミゾウは首を傾げながら、縁側へと向かった。
一輪の隣に腰を下ろそうとして、置かれている山盛りのそうめんを見るや、更に首を捻る。
「なんじゃ、この……山盛りのそうめんは?」
「さぁ、私が来た時には、すでにあったから」
「う~む、誰かが持ってきたとしても昼にするにしては、ちと過ぎてしまっているしのう」
「ぬえか星だとは思うけれどね」
「ふむ、それにしても――――ほっ」
マミゾウは掛け声を一つ入れると、一輪から頭巾を奪い取った。
一輪は、驚きもせずにマミゾウに顔を向けると、彼女はおどけるように笑っていた。
「まぁ、まだ使っていないものだからいいけれどね」
行動の意図がわかると、一輪はふっと息を吐いて返事をした。
一方のマミゾウは、その返事の間にすでに頭巾をそうめんに被せている状態だった。
そのまま置いてあるのはどうかと一輪も思っていたところなので、そこはなにも言わない。
ただ、まだ未使用の頭巾を持っていたことが幸いしたと少なからず思うばかりだった。
「ん?それらは?」
一度、視線を外した一輪は、マミゾウの問に再び目を向けた。
マミゾウの見ている視線の先を追いかけると、そこには自分のとなり。小さなザルに入れられていたネギにミョウガを指しているようだった。
「あぁ、これは、出かけ先で奇妙なことに頂いたの」
「ほほぅ、それはそれは」
一輪の返答にマミゾウはにこやかに笑って返すと、徳利の栓をぬいた。
「儂も、出かけ先で奇妙なことはあったが、こうして酒が手に入ったのでな」
そう言って、一口つけると、
「――――ぶはぁっっ」
勢いよく吹き出した。
「…………」
「……な、なんじゃ、これは」
「…………」
霧のように吐き出された水分は、風に乗ると見事に一輪に直撃をしていた。
目を白黒させているマミゾウは、そのことに気がつくこともなく、徳利とその中身を覗き込んでいるままだった。
一輪は、無言のまま袖で顔を拭いて、ただただじっと、どんよりとした空気のまま横目でマミゾウを眺めていた。
「……さては、あの狐め、最後の最後で馬鹿しおったな……」
忌々しそうにマミゾウは言うと、徳利を強かに置いてからあぐらをかいた。
「まったく、同類に知恵比べなんぞ申し込むといいことがないわ」
仏頂面でいるマミゾウに一輪はやはり視線を向けていた。
「……結局、なんだったのかしら」
「うん?あぁ、中身はだのう……」
「ほぉい、ただいま~っ」
二人の間を割って、少し間の抜けた声が響いた。
声は後ろからではなく、二人の上空から降ってきた。それから声の主もゆるゆると上から沈むように姿を見せる。
現れたのは、なんだか眠そうな表情をした村紗だった。
彼女は漂うように宙を浮いたまま、逆さまになって二人の前で停滞した。
「あぁ、なんだ村紗か」
「その様子では、柄杓は手に入らんかったのか?」
活発さの抜かれた様子に一輪もマミゾウも揃ったように口を出した。
村紗の様子といったら、午前中に柄杓が壊れたと肩を落としていた姿とどこか似た雰囲気だったのだ。
「ん~?新しいの買ったよ~、柄杓」
村紗は新品の柄杓を取り出して見せたが、やはりその様子はどこか力が無い。
というよりも、ヤル気が抜かれているような様だった。
「では、何かあったのか?村紗」
「ん~、最初にお墓に行ってたんだけどね~、なんだか面倒くさいヤツとか多くってさ~」
村紗はぼやいて、ようやく地に足を付けた。
「まぁ、暑かったしね。そりゃ、腐るって」
彼女は堪らなそうにぼやくと、体制を整え、
「う~ん、とりゃーっと」
言うが早いか、彼女は柄杓を振った。
それはもう、溜まった鬱憤を晴らすように柄杓は振られ、庭先に派手に水しぶきを飛ばしていく。
飛沫が半円を描いて落ちていくと、瞬間的に庭先に涼しさと、七色の錯覚を産んで消えていった。
びしょびしょになった庭先を前に、村紗は大きく伸びをすると、勢いをつけて振り返った。
「という感じ」
「……どういう感じかはわからないけれど、まぁ、柄杓が手に入って何よりね」
「そそ、そういうこと」
村紗はにっと歯をむき出しにして笑ってみせた。
そうして、マミゾウの手からひょいと徳利を抜き取ると、「貰い」なんて口を付けた。
「あ、待っ」
「――――ぶっ」
マミゾウが静止する前に村紗はものすごい勢いで含んだ液体を吹き出した。
ごほごほっとむせながら、村紗は涙目で徳利を引き離して、確認するように中身を覗きこんだ。
「こ、これっ、お酒じゃないっ」
「……だから、止めようとしたんじゃが」
「手癖の悪さがみんなにうつっているのかもしれないな」
「でも、ツユを入れることないと思うだけど」
「いや、入れたのは儂ではなくての」
「……あぁ、入っていたのはツユだったのか」
会話の合間に、一輪は一言ずつ突っ込むと一人納得して頷いていた。
その様子に村紗は目を向ける。するとやはり隣に置かれたネギやらミョウガやらに行き着いたらしい。
「……ねぇ、なんでこんなにアレやるつもりなの?」
村紗の問に二人は疑問符を浮かべた。
同じような表情で質問者を見やるが、当の村紗もその表情を見てポリポリと頬を掻いてしまった。
「だってさ、そうめんにツユにネギにミョウガって、全部揃ってるじゃん」
「あぁ、言われてみれば」
「そういえば、そこで寝ている姐さんのところにガラスの器もあったな」
「えっ、ていうか聖居たのっ!?」
「えぇ、ずっと、そこに」
「……儂、気がつかんかったわ」
「あぁ、私も始めは気が付かなかったわ、ぼんやり眺めていたらそういえば居た感じでね」
三人は一斉に室内へと目を向けた。
するとそこには本当に聖が、午前中のようにチャブ台に伏して寝ている姿があった。
「……ずっと、寝てたのかな」
「……恐らく、だけれどね」
「……ぴくりとも動いてなさそうだしのう」
三人は同時に溜息をついて顔を合わせた。
「……まぁ、何にしても、これで、そうめん大会に決定ってところじゃない?」
「なにが大会なんだ?」
「まぁまぁ。それでさ、ここに後……アレがあったら完成だね」
「アレ?」
「そ、アレ……あの、響子が、さ。と、柄杓もあるし」
「?」
一輪はなんとなくわかったような様子で、二人を見ていた。
マミゾウは首を傾けるばかりだし、村紗はアレということの単語が出てこないようである。
そんな様子を眺めつつ、一輪は再び聖を見やった。
見ればみるほど、どうして気が付かなかったというように眠る彼女はやはり微動だにすることはない。
静かに一定に寝息を立てて、寝ているばかりだった。
「あぁ、そういえば、今日の夕飯の当番は聖だったな……」
ポツリと一輪がつぶやくと、残った二人も動きを止めて聖を見やった。
彼女はそんな視線にも気がつくことはなく、いつまでも寝てしまいそうだった。
こんな三人のやり取りにも反応をすることはなく、眠っているのだ。
いずれは起きるだろうが、いつになるかは見当もつかない状態だった。
三人は顔を見合わせると、少し意地の悪そうな笑みを浮かべて、
「――――しょうがないなぁ」
音を立てずに、周囲の物品を持ちだした。
聖の場合
「……う~ん」
聖が目を覚ましたのは、昼間の日差しに夜の涼やかしさが混じり始めた頃合いだった。
汗ばんだ首筋が空気に触れ、一度、小さく身震いをしてから彼女はチャブ台から身体を引き剥がした。
「……えっと」
ぼんやりと庭先から外へ視線を向けてみれば、遠くの空はやんわりとしたオレンジ色と濃い紫色で彩られている。
どれくらい寝ていたのかを考えながら、そのまま視線を巡らせていくが、どこもかしこも散らかっているばかりで、けれど、それをしたであろう人物たちはどこにもいなかった。
濡れ跡がわずかに残る土に、放り出された草履に下駄、畳まれずに放り入れられただけの服や頭巾やら、折れた木片までが打ちひしがれているように転がっていた。
夕焼けでどこか黄昏れているように見えるそれらは、どこか残された寂しさが滲んでいるように見えなくもなかった。
吊るされた風鈴が一度鳴いても、どこかから聞こえる蝉の声も極わずかではそれに賑わいを与えることもできないでいる。
「…………」
聖は言葉もなく、更に視線を巡らせていく。
ぼんやり、ぼんやりとした光景は落ちる夕日のようにすぐに暮れてしまうのかもしれない。
見る者に、そんな心細さを与えさせる情景だった。
そうして最後に辿り着いたのは、チャブ台だけのどうしようもなく広がる室内でしかなかった。
外部から赤い光を取り入れた室内は、濃い陰影を付けていつもどおりに広がるばかりだ。
吹き込んでくる緩やかな湿気の混じった風を頬に受け、聖はそのままぼんやりと座ったまま、情景を焼き付けるように見つめていた。
「…………今年も、終わり……ですね」
小さくぼやく。
何回目かもしれない季節の終幕はもう、すぐそこまで近づいて来ているのだとしみじみ思った。
「?」
ふと、縁側の端に置かれたものに目が止まった。
逆光でその姿はよく見ることができなかったが、それはこんもりと器に盛られた何かであることはすぐに分かった。
しかし、その横に置かれた身の丈程ある竹らしきものまで見えると、組み合わせ事態が不可思議でしょうがない。
聖は首を傾げて、ようやく立ち上がると、
「…………足、痺れましたね」
痺れが収まるのをそのまま待ってから、縁側へと近づいた。
縁側へと辿り着いた聖は、短い吐息混じりに「よっ」と呟いてしゃがみこんでみる。
近距離になってみれば、それらは半分に割られた竹と山盛りになったそうめんであることが見て取れた。
そして、それだけは放り出されたような侘しさではなく、先ほどの彼女のように何かを思って遠くの彼方を向いているように見えなくもなかった。
「……誰が置いていったのでしょうね」
彼女は無意識にくすっと微笑を浮かべた。
そうして、彼女はそのまま並ぶようになって、広がる景色を眺めていた。
思ったよりも高かった夕焼けの空は、なかなか落ちない。
けれど、ゆっくりと沈んでいくことは当然で、必然だった。
聖は、待ち遠しいような、終わらないでほしいような相反する感情を抱きながら、それらが器用に弧を描いて鼓動を動かしていることを染み染みと感じていた。
「――――」
ふと、聖は鼻歌を浮かべた。
昔々の懐かしさを抱きながら、彼女はゆったりと誰に合わせるでもなく合わせるように歌っていた。
縁側の不可思議な三つの影が、長く伸びて室内へ差す。
寄り添うような可笑しな影はただただぼんやりと浮かび上がっているのだった。
「――――ひ~じり~っ」
「?」
間延びした呼び声に聖は鼻歌を止めて、振り返った。
室内には廊下を駆ける足音が響き、それはだんだんと大きくなっていく。
「聖っ」
そうして、バンッと勢いをつけて襖が開け放たれて、村紗が滑りこむようにやってきた。
「えぇ、ここですよ。どうしました?」
村紗は聖の落ち着いた様子に軽くうなだれてみせると、それを取り戻す勢いで彼女の元へと大股で近づいていった。
「どうしましたじゃないでしょ、聖がいつまでも寝てるから、始められないのっ!!」
「え?え、えっと?」
「ほいっ、そうめん持って!私は竹持ってっと」
村紗は説明する間もなく、竹と聖の肘を取って、庭先へと飛び降りた。
そのまま、やはり勢い良く、ぐるっと外へ回りこんで中庭へと向かっていく。
「はいは~い、一名様ご案内~」
中庭にたどり着くと、村紗は調子良く言って、ようやく聖を開放した。
そうめんを抱きかかえるように持っていた聖であるが、強引な力から開放されて視界が開けると、ぽかんと呆気に取られてしまった。
「姐さん、遅かったですね」
「全く、そういう役目はご主人だけで充分だと言うのに……」
「えっと、ナズ?それは、私にあんまりじゃ……」
「器を探すのだけで、人里まで足を伸ばさなければならなかったわけだしのう」
「い、いや、それは、その……」
「ま、いいじゃん。それよりも村紗~、竹、セットしてくれ~」
「はい、そうめんも受け取りますよ」
中庭には、いつもの面々が揃いも揃っている状態だった。
一斉に話声が広がったお陰で、困惑の色を見せる聖であったが、それ以上に全員が作業をしていた光景に驚かされていた。
いつもの中庭は、いつもとは思えないほど綺麗にされ、椅子やら机やらが設置されていた。
そこに、ぬえと響子が、受け取っていったそうめんと竹を取り付けると、あっという間に目的のものが見えてきた。
「さぁ、聖、流しそうめんやるよっ」
呆気に取られたままの聖の背中を村紗はポンと叩いて促す。
一歩踏み出せば、そこはもう黄昏時の寂しさもなく、賑やかな光景が広がっていた。
「…………」
いつもと変わらぬ賑やかさに、聖は思わず笑みを浮かべた。
「ん、どったの?」
「い、いえ、だって、夕方に流しそうめんって可笑しくないですか?」
「んー、そう?別に」
「なんたって、この後、花火をやるって子供みたいに息巻いてたもんな~、村紗は」
「ぬ、ぬえ、子供みたいってなによっ」
「別に、本当のことだろ?」
「アンタね、そうめん貰ってきたって話をしていた時は、真っ赤になってたくせにっ!どうせ、恥ずかしくって、お礼もろくに言えてないんじゃない」
「な、なな、別にそんなこと」
「…………くすくす」
二人のやり取りも、後方でわいわいと騒ぐ全員も聖の漏らした笑いに動きを止めた。
そうして、全員、合わせたように一緒に笑った。
何が可笑しくてではなく、何があったからではないのに、ただなんとなく、笑えて仕方がないといった様子で笑い合っていた。
そうして、一しきり笑った後、再び村紗は勢い良く告げた。
「さぁ、じゃあ、流しそうめん、食べよっ」
一斉に動き始めると再び場は賑やかで、和やかに空間へと変化していた。
村紗を除く一同に箸と、汁が満ち薬味の浮かぶ器が行き渡った後、それぞれが場所を取る。
なんだかわかりやすい配置に各々が着くと、村紗は水とそうめんを竹の口へ送ろうとして、
「あ」
思い出したように手を止めた。
そうして、満面の笑みを浮かべ、さっと手を合わせる。
「いっただっきまーす」
バラバラにけれどどこか揃うようになって、食事は開始されたのだった。
「「――――は、はやっ!!」」
わずかに暗くなった明かりの中、通常弾幕よろしくの速度でそうめんが流れていく。
「くっ、村紗がそう来るなら、こっちだって手加減なしだっ」
いち早く反応を示した星は、ムキになってそうめんを迎え撃つが、その勝率は五分といったところだろうか。
「はいはい、んで、私はそこから、そうめんをいただくっと」
「あ、ぬえ、私の器から取るのはなしだろう!」
「べぇ~、油断してるヤツが悪いんだ」
「そんなことよりご主人、狭いのに暴れないでくれ」
「わ、私も……あ、え、あ、どどどど、どっちを向けばいいんですかっ、これ!!」
ぬえの行動に星はあたふたと、それに邪魔されてナズーリンは押しのけるようにそうめんに箸を伸ばしていた。また、響子は逃れていったそうめんに翻弄され、狭い範囲を行ったりきたりを繰り返すばかり。
「まったく、まともに食事もできんのかのう、お前さんたちは」
「えぇ、まったく」
前者たちの行動を眺めながら、マミゾウ、一輪は対面して静かにしかし、獲物を狙いすまして箸を構えていた。どちらが、先にそうめんを取れるか、それだけが問題というように、二人は見えない火花を散らしていた。
――――そこへ、すっとそうめんが駆け抜けようとした瞬間、
「――――せいっ」「――――ふっ」
気を内包した短い呼気とともに二人の箸が交差を繰り返した。
「ふふふっ、こうした食事はやっぱり楽しいわね。あ、村紗~、追加をお願いね~」
「はいよっ、任せとけっ」
最高尾についた聖は、みんなの様子を眺めながら、呑気に村紗に声をかけていた。彼女はおっとりとした言葉とは裏腹に、最高速度まで達して目にも留まら無いほどになったそうめんを、残すことなく救い上げては器へと移していく。
そうやって、ただ食事を取り合う風景は本当に賑やかで、さながらお祭りのようだった。
提灯の代わりに会場を照らすのは、もう残りわずかになった夕日だ。
ぼんやりとなりつつある景色は、次第に夕日が消えることを教えてくれている。
けれど、その全てが落ちきるまでは赤いキラキラとした光を放ったままでいてくれるだろう。
それは濃く、淡く全てのものを照らしてくれているようだった。
「…………」
「どうかした?」
そんな中、ふと、手の止まった聖に誰かが言った。
聖は深々と考えこむようにして、ぽつりと。
「……薬味、足りてないですね」
そう言って、とても楽しげに笑みを浮かべて、一味欠けたそうめんを美味しそうにすすっていった。
終
一.命蓮寺の場合
突き刺すような陽の光が降りる午後。
いつにも増して、命蓮寺は賑やかだった。
カツン、カツンと打ち鳴らされる木のやんわりとした硬質な音が、離れの庭先で響いていた。
といっても、庭先に見受けられるのは、二人。
そこでは柄杓対竹箒のちゃんばらが子供のお遊戯クラスで繰り広げられていた。
けれどもそれを彩るものは、お遊戯と言うよりは芸に近いのかもしれない。
村紗水蜜はやたら元気に水をぶちまけながら柄杓を振るい、幽谷響子が声の振動でもってそれを空中ではざす。
そうして、干されたままの洗濯物のことも気にせずに、水芸さながらの水撒きは繰り広げられていた。
二人は打ち水の後には決まって、接近してお遊戯ちゃんばらごっこを展開し、離れては再び水を打つ。
お陰で、庭先は濡れ、陽光からの熱も少しは和らいでいるようだ。
蒸発していく水分が、もわりと沸き立つものの、新しく撒かれる水しぶきに掻き消される。
派手に動き回る二人から発せられるのは水だけではなく、空気も然り。
体動によって動かされた空気は、水滴とは異なり緩やかに縁側から屋内へと流れていく。
よくよく見れば、縁側には素足が四本伸び、そうした空気と打ち水のお零れにあずかっているようである。
だらしなく足を伸ばして、さも愉快そうに外の二人を眺めるのは、二ッ岩マミゾウだった。
真昼間から相棒のような徳利を片手に呑みに呑む。
それを横目に、少し距離を置いて行儀良く座るのは雲居一輪。
時折、陽光、いや、風物詩とも取れる入道雲を仰ぎ見ては、眩しそうに目を細めていた。
一輪はそうして、その後は、ゆっくりと屋内を見やる。
外から眺める室内はなんとも穏やかだ。
動きまわる外の様子など逆光で見ることができないからかもしれない。
だからだろうか。
内部でチャブ台を前にしんと正座をする聖白蓮は、目を閉じているばかりだった。
日が届かぬ室内はなんとも涼し気に映る。
庭先とは全く異なる空気が漂っているのは確かだろう。けれど、やはり空気の中に暑さが内包されていた。
涼し気な表情で佇んでいた白蓮の額から、だんだんと汗が滲み、やがて一滴が頬を伝って落ちていった。
「…………ふぅ」
その感覚を持って、彼女はようやく息を吐いて、わずかに背を丸めた。
脱力した表情からは、どこか嫌気のようなものが滲んでいる感すらある。
けれど、瞳は閉じたまま、ぼんやりと彼女は屋内の日陰に寄り添っていた。
「……おやおや、この暑さは、さすがの白蓮殿も参るのかのぉ」
いつの間にか屋内へと向き直っていたマミゾウは、徳利を掲げ、くいと一口つけてから、口を開いた。
どこか愉快そうな様子に、白蓮は恨めしそうに瞳を投げかける。
「えぇ、最近の暑さにはもう本当に参りました。こうして、水を撒いていてくれるのは大変助かりますけど、なかなかどうして……」
「そんなに言うのなら、法衣なんて脱いだらどうじゃな?見ているこっちまで暑くなってくる」
「いえ、流石にそういうわけにはいきませんから」
「……バテて言う、人のことはわからんなぁ」
マミゾウは呆れたような表情を一つ浮かべて、再び酒を煽った。
夏の熱気など微塵も感じさせないひょうひょうとした態度はいかにも涼しげだった。
それに加えて、涼し気な服装なのだから、白蓮はやはりわずか恨めしそうな視線を送りながら苦笑いしていた。
「まぁ、姐さんが法衣を脱いでしまっては、何がなにやらわかりませんしね」
そこへ、今度は涼し気な声が飛ぶ。
マミゾウと交代したように一輪が振り返ると、やんわりと微笑んでみせた。
「ねぇ、姐さん」
「そうですね。身だしなみから、生活は来るといいますし」
「…………それは、ちょっと違う気がするけれど」
「え?」
白蓮は一輪の問に見当違いに返答を返すと、今度こそチャブ台に伸びるように身体を預けた。
伸びをした猫のように、「うーん」と身体を引き伸ばすと、そのまま脱力。
思いもよらず、チャブ台がひんやりとしていたのだろう。
そのまま、わずかに頬を緩めていた。
こんな様子はとても珍しいことだった。
「しかし、聖殿がこのようになるなんてのう」
「えぇ……、最近は食も減っているようだし、夏バテというものが来ているかもしれないわね」
夏だからといって、毎年こんな風になるような彼女ではない。
心頭滅却すれば火もいや、日もまた涼し、なんて言ってのけそうだが、そんなこと彼女は言ったことはなかった。
傍から見れば、身体に関する魔法を得意としているのだから、冷却とまではいかないまでも、暑さを和らげる方法はいくらでもあると思われる。
けれど、どうしてか彼女はその方法は取らず、猫のように伸びているのだった。
――――カツン。
獅子威しにも劣らぬ勢いの柄杓と竹箒がぶつかる高音が響いても、やはり彼女はそうしていた。
「…………これは本当になんとかしないといけないかもね」
「と、言うと?」
「何としてでも、夏バテを解消してもらわないと…………」
「もらわないと?」
「料理当番が増えてしまうわ」
「…………え?」
一輪は涼し気に言ってのけた。
庭先に視線を戻して、やれやれといった感じである。
拍子抜けしたマミゾウは、軽く膝を抜かれたようにバランスを崩して手をついた。
「そ、それだけかの?」
「えぇ、一週間の料理当番が五日くらい私になるのは、避けたいでしょう」
本音で言うようにして一輪は笑った。
笑ってみせたから、余計に本音なのか疑問であったが、マミゾウはそんな考えをあっさりとやめて、「そうじゃな~」なんて言っていた。
「そういうわけですから、姐さん。鰻、出前しましょう」
「……お前さん、そっちが目的なのではないのか」
「いいえ、鰻は栄養価が高いですから、夏バテにはうってつけなのよ」
「…………怖い女娘じゃな」
妙なやり取りを経て、二人は白蓮に向き直った。
しかし、伸びに伸びきった彼女は、猫のようにゴロゴロとチャブ台に左右の頬を当てるばかりだった。
「…………………にゃ~」
仕舞いには、猫のように鳴いてしまっていた。
「…………」
「…………夏、だのう」
「…………夏ですね」
「――――――――聖ぃ」
ポツリと二人が呟いたところで、後方から声がやってきた。
視線を投げかければ、先程まで二人でちゃんばらを繰り広げていた村紗と響子がびしょ濡れになって佇んでいた。
水も滴るなんとやらといった感じではあるが、船幽霊がそれでは、どうしようもなく冗談ではない。
外の二人は内の三人の様子を眺めると、疑問符を浮かべて見つめていた。
「村紗、現在、姐さんはあんな感じだけれど。一体どうかした?」
「んー、壊れた」
「うん?」
「柄杓、壊れた」
「あ、竹箒もです」
両者が掲げた両手には、見事に柄と先端が分離している一つだった道具が、途方もなくぶら下がっていた。
「…………」
柄杓はわかるとして、竹箒……そんな疑問を抱きながら、それでも一輪はため息混じりに、
「本日も水撒きご苦労様」
労いの言葉を一つ述べておいた。
「……どうするかのう」
「……さぁ」
「…………酒も切れてしまったし」
「…………さぁ」
このどうしようもない夏季をどうするべきか、五人は思考もバラバラに考えてもいなかった。
「――――そういえばさぁ」
そんな中、急に村紗が口を開いた。
「……うん?」
「星とかナズーリンとかぬえとかどこ行ったの?」
「あぁ、確か……」
一輪も思い出したかのように宙を見やった。
人指し指を口元に当て、三人の行き先を振り返ってみる。
三人の姿は今朝方から見えなかった。
寅丸星とナズーリンは慌てるように飛んでいったけれど、封獣ぬえはといったら……。
「あ、ぬえさんは、守矢神社の緑の人に呼ばれて行きましたよ」
響子の声に思考を遮られ、一輪は視線を戻した。
「なんで、そんなところに?」
「なんでも、今度こそUFOの謎をうんぬんって言ってましたけど」
「あ、なるほどね」
どこか納得したように、村紗は面倒くさそうに一つ声を上げていた。
「…………」
こうしてみる命蓮寺の面々は本当にバラバラのようだった。
よくもまぁ、こんな者たちが集まったものだ。
そんな風に誰かは思った。
そうして。
「あー」「あー」「あー」「あー」「あー」
それぞれ声音も高さも違う声で、扇風機もないのに唸っていた。
日は高く、うだるような暑さは一向に引きそうにもない。
ぼんやりと佇んでいた五人は適度にパラパラと別れると行動を開始した。
「……………………にゃ~」
恐らく一名は、そのまま寝てしまったけれど。
ニ.響子の場合
「……よ、いっ、っしょっ……と、うん、っしょ」
ぎこちない速度で襖が開かれると、入室してきたのは響子だった。
身の丈よりもやや長い立派な竹を抱えて、入ってきた響子はそのまま襖に向き直ると足先で襖を閉じる。
ぎこちない動きはそのせいだったようで、開いたときと同じように襖は閉じていった。
「……はぁ」
響子は改まって息を吐き出すと、どこに竹を置いたものかと視線を巡らせる。
背後の壁に立てかけることも考えてはみたが、すぐに倒れるだろうと判断すると、置き場は縁側にしかなかった。
「……誰もいないですし」
誰か居たからといって、手伝ってくれる補償はどこにも無い。
けれど、響子はポツリとつぶやきを漏らしていた。
彼女は気を取り直して、もう一度竹を抱え直すと、それを持って移動した。
縁側まで行くと、なぜだか再び立てかけることを考慮したものの、寝かすように置く。
そうして、縁側に立って、
「う~ん」
自由になった両腕を目一杯上空へと伸ばした。
わずかに見上げてみれば、午後の空はどこまでも青く、遠くの雲も追いつけないように広がっていた。
じんわりと差す陽光を浴び、響子は伸びをやめるといつの間にか滲んでいた額の汗を拭っていく。
夏も終わりに近づいているというのにこの暑さだ。
堪らないなぁ、などと内心思いながら響子は視線を空から落とした。
「あ」
視線が下がって気が付いたのは、庭先に干されたままの洗濯物だった。
わずかな風になびく洗濯物たちは、午前中の水撒きの被害に遭ったもののすっかり乾いているようだ。
この日差しならば、数刻無く乾くのは当然だろう。
響子はいそいそと洗濯物を取り込むために縁側を降りた。
洗濯物に手を掛けたところで、ちらりと室内を確認した。
「――――よしっ」
そうして、短く一言。
誰もいないのをいいことに、響子はぽいっと取り外したものを縁側へと投げ入れはじめた。
わずかに外れた鼻歌を浮かべながら、大量の洗濯物は見る見るうちに室内へと消えていく。
「終わりっ」
彼女は最後のものだけは抱えて戻ると、草履も脱がずに山になった洗濯物に飛び込んだ。
ぼふっと音を立てて、圧迫された洗濯物は飛び込んできた者を受け止めて、そのまま停止。
飛び込んだ響子は、
「……あっつ~い」
日差しの熱を帯びた布中から、のそのそと身を起こしていった。
「あ、あれ?」
身体を起こした響子の視界に飛び込んできたのは、頭巾の乗せられたザルだった。
響子は手を伸ばしてわずかに頭巾を上げるとそれを確認してみる。
「……そうめん?」
姿を現した山盛りになったそうめんを見やるが、なぜ頭巾をかぶっていたのか、はたまたこんな時間になぜこんなところに置きっぱなしにされているのか理解できなかった。
首を傾げたまま、今度こそ身体を起こし、入室すると、
「――――あ、あれれ?」
今度はチャブ台に伏して聖がいることにようやく気が付いた。
チャブ台の横を通ってきたはずなのに、どうして気が付かなかったのかと目をぱちくりさせたものの、彼女は聖の元へと向かった。
少し離れた位置から見た聖は、止まってしまっているかのように見えたのだ。
しかし、近づいてみて、響子はほっとしたように息を吐いた。
「なんだ、ちゃんと寝ていました」
誰に言うでもなくつぶやくと、もう一度ぐるりと視界を巡らせる。
縁側に置いた竹が視界に入ると、なぜだか彼女は楽しげな表情を浮かべていた。
「……竹林では迷いましたけど、なんだかカッコいい人に助けていただけましたよ」
それだけ言うと、響子は再び聖を見やった。
よだれでも垂らしてしまいそうな幸せそうな表情のまま、彼女はすやすやと眠ったままだった。
あれだけ鼻歌を歌ったり、声を出していたのに起きなかったのだから、もうしばらくは起きないだろう。お暇を頂いたと思って……。
そんな風に響子は勝手に思って、もう一度伸びをした。
「……しょうがないですね~」
竹箒は壊れたまま。しかも、貰ってきた竹は竹箒になんかなりはしないだろう。
響子は身体を伸ばしたまま、伸び伸びと言って、竹を手に取ると室内を後にしていった。
三.寅丸星とナズーリンの場合
「……た、ただいま戻りました」
襖をのそのそと開けたのは、撫で肩みたいになりきった姿勢の寅丸星だった。
言葉に力が無かったが、その様子にもどこか力は無い。
そんな様子のまま、彼女はとぼとぼと入室していく。
室内へと足を踏み入れると、わずかに吹き込んできた風が彼女を迎え入れているようだった。
彼女もまた、その心地よさに表情までも弛緩させて、だらりとその場で立ち止まる。
すると、
「ご主人、そんなところで立ち止まらないでくれ」
「あ、あぁ、すまない」
後続からの声に、星は慌てて足だけを動かして、奥へと進んだ。
「よいっしょと」
星の後ろから、星とは違いぴしりとした姿勢で入室してきたのはナズーリンだった。
溢れんばかりに荷物を抱えている様子は、どこか愛らしさが感じられるが、厳しそうな瞳はいつものように表情に浮かべてる。
「ナズーリン、半分持とうか?」
「いいや、ご主人が触れただけで失せ物になる可能性が高まるので遠慮するよ」
両手で抱えられた、新聞紙に包まれた大量の物を持っているナズーリンに、星は心配そうに声をかけたが、それを口調だけはやんわりとしかし、手厳しく断わられてしまった。
「そ、そんな風に言わなくても……」
指の先をツンツンさせながら、威厳もへったくれもなく星は抗議の声を上げるが、それもナズーリンは走らせた視線だけで一蹴してみせる。
彼女は途中で立ち止まっていた星を抜き去ってチャブ台まで到達すると、星に視線を合わせながらチャブ台の上に荷物を下ろした。
「…………ご主人」
姿勢を直して、星に向き直るとナズーリンは静かに言った。
「は、はいっ」
「そもそも、こんな暑い中、朝から動かなければならなかったのは誰のせいだと思っているだろうか?」
「え、えっと、それは……」
「ご主人、この夏は特にひどいぞ。宝塔がないというのはもちろんのこととして、やれ服がない、やれ靴がない、やれ髪飾りがない……おまけに筆などなど仕事道具も無くすし。更に更に言えば、夏前から借りっぱなしの物をどうしたかという記憶まで無くす次第……」
「……うぅ」
「そして、ガラスの器だったことを思い出したはいいが、結局頂き物だったことを忘れて、結局返却させられるなんて、無駄足もいいとこ――――」
言い終わる前にナズーリンは声を止めた。
星が俯いたまま、あまりに意気消沈と立ちすくんでいたことに気が付いたからだ。
「…………まったく」
もちろん、ナズーリンも星に悪気があってしたことではないと理解はしている。
忘れてたり落としたりしてもらっては困るものは幾つもあるが、その星の様があまりにも小さく見えてしょうがなかった。
ナズーリンは短く息を吐き出して、目を閉じた。
「……………………宝塔だけは、無くさないように」
一言告げると、彼女はもう一つ息を吐き出した。
「――――にゃ~」
しかし、妙な鳴き声の返事らしきものに、ナズーリンはピタリと動きを止めて目を開いた。
少し座った瞳で、星を見やる。
射抜かれるようになった星は、ぴっと姿勢を正したが、オロオロとした様子で視線を受け止めるばかりだった。
「……ご主人、本当にわかったのだろうか?」
「え、あ、あぁ、わ、わかっている……います」
怒気の混じった低い声に星はおどおどと返事をする。
「……では、今の『にゃ~』とは、一体なんだろうか?」
「い、いくら寅がネコ科だったとして、わ、私が言うわけないだろう」
「…………では、他に誰が言」
「にゃ~」
ジリジリとした緊張感の中、ナズーリンの声を遮ったのは、やはり猫のような鳴き声だった。
ナズーリンは真後ろ下側からの鳴き声に、一瞬で身構えると無言で星に視線を送った。
「…………」
「…………」
二人は瞬きもせずに、そろそろと声の方向を見やった。
ゆっくりとナズーリンの背後――――チャブ台の上を視認してみると、そこにはべったりと寝そべった聖の姿がぽつりとあった。
「…………えっと」
「…………えぇっと」
二人は肩の力を一気に抜くと、目をぱちくりとさせる。
「……いつから?」
「……ですかね?」
極々、自然に部屋にやってきてから、全くもって気が付かなかった二人は、呆気に取られて、佇んでいた。
「い、いや、しかし、猫の鳴き声とは関係がないだ……」
「にゃ~」
今度は星の言葉を遮って、聖は猫のように鳴いてみせた。
ナズーリンは聖の表情を覗きこむようにして、ツンツンと頬をつついてみた。
ぷにぷにと弾力を感じさせる動きを見せながら頬は凹凸を見せるが、されている本人はぴくりとも反応を示さなかった。
「……寝てる」
「…………」
星もナズーリンの傍にやってくると聖の顔をのぞき込んだ。
そこにはもうこれでもかと言うくらい、穏やかな表情をした聖が静かに寝息を立てているのだった。
「…………」
「…………」
二人は姿勢を戻して向き合うと、
「…………しょうがない」
呆れ顔で呟いた。
四.ぬえの場合
「…………ただいま」
小さく言いながら、封獣ぬえはそろりと足を忍ばせて、帰宅をした。
ほのかに赤い顔をしながら、両手で器いっぱいに盛られたそうめんを手に、抜き足差し足でそろりそろりと入室をしていく。
さながら叱られることをした子供のような動きだった。
しかし、庭先の望める室内は、至って静かだったことに彼女はぴたりと動きを止めた。
いつもは縁側や外に出て騒いでいる人物が居座る時間だが、誰もいないことに安堵の息を吐き出すと、チャブ台へと足を向け、
「うわぁっ」
聖が寝ていることに驚いて声を上げた。
持ち上げるようにしたそうめんの器と片足がなんとも寂しい。
ぬえはまた少し赤くなって姿勢を戻すと、今度は行く宛をキョロキョロと探していた。
やがて、大きな溜息を音もなく吐き出すと縁側の端の方に腰を下ろした。
ブラブラと足を揺り動かして、ぼんやりと上空を眺める。
青々とした空の下方には陰影のついた入道雲が並び、空を埋め尽くさんばかり広がっていた。
代わりに青は上空に逃げるように広がって、どこまでも混じり気無く青かった。
「…………あ」
大事そうに抱えたままのそうめんを思い出し、彼女は視線を下ろした。
雲に比べればなんとも小さな白いそうめんの塊が群がっている次第である。
少し呆けたように眺めていたぬえであるが、結局面倒くさそうに、けれどそっと器を自分の隣へと置いた。
「…………あ~、暑い」
視線を戻してつぶやくのは、そんな言葉だけだった。
「………………まったく、あの緑の巫女は……。それに、なんかあの神様二人もなんか微妙に生暖かい目で観ていたような気が…………」
戻したはずの視界を再度、宙に投げて、ぬえはぼやいた。
満更でもないような、微妙な表情を浮かべたところで、彼女は首をブンブンと振ると、入室時と同様に頬を、いや首筋までも紅くさせていた。
「だぁ~、かゆっ!」
器用に羽根を使って身体を掻くようにしてぬえはわずかに悶えていた。
「…………あ、そうだ」
しかし、聖が眠っていることを思い出して振り返ると、これまた面倒くさそうに息をついた。
「…………」
先ほどとは打って変わって言葉の無くなった空間は、ただただ日陰が占拠しているように見えなくもない。
そんなことも気にせずに、ぬえは聖を視界に収めてぼんやりと眺めたままでいた。
縁側から出た足だけがブラブラと揺れる。
そうして、晴天の空の下、風がふわりと縁側を撫でると、吊る下げられた風鈴が、涼し気に一つ鳴いてみせた。
けれど、それだけですぐに音は無くなる。
強い日差しが全てに浸透しているかのように、室内も縁側も庭先でさえもひっそりと静かに陽炎のように揺らいでいるようになっていた。
やがて、ぬえは小さく息を吐き出して、
「……しょうがないか」
特に動きのない、穏やかな室内を音もなく縁側から飛び立っていった。
五.一輪とマミゾウと村紗の場合
「ただいま戻った」
「あぁ、お帰り」
マミゾウが襖を開けると、縁側で足を伸ばしていた一輪が声を返した。
「おや、一輪殿も帰っていたのか」
「えぇ、まぁ、何やらあったけれど」
「何やら?」
マミゾウは首を傾げながら、縁側へと向かった。
一輪の隣に腰を下ろそうとして、置かれている山盛りのそうめんを見るや、更に首を捻る。
「なんじゃ、この……山盛りのそうめんは?」
「さぁ、私が来た時には、すでにあったから」
「う~む、誰かが持ってきたとしても昼にするにしては、ちと過ぎてしまっているしのう」
「ぬえか星だとは思うけれどね」
「ふむ、それにしても――――ほっ」
マミゾウは掛け声を一つ入れると、一輪から頭巾を奪い取った。
一輪は、驚きもせずにマミゾウに顔を向けると、彼女はおどけるように笑っていた。
「まぁ、まだ使っていないものだからいいけれどね」
行動の意図がわかると、一輪はふっと息を吐いて返事をした。
一方のマミゾウは、その返事の間にすでに頭巾をそうめんに被せている状態だった。
そのまま置いてあるのはどうかと一輪も思っていたところなので、そこはなにも言わない。
ただ、まだ未使用の頭巾を持っていたことが幸いしたと少なからず思うばかりだった。
「ん?それらは?」
一度、視線を外した一輪は、マミゾウの問に再び目を向けた。
マミゾウの見ている視線の先を追いかけると、そこには自分のとなり。小さなザルに入れられていたネギにミョウガを指しているようだった。
「あぁ、これは、出かけ先で奇妙なことに頂いたの」
「ほほぅ、それはそれは」
一輪の返答にマミゾウはにこやかに笑って返すと、徳利の栓をぬいた。
「儂も、出かけ先で奇妙なことはあったが、こうして酒が手に入ったのでな」
そう言って、一口つけると、
「――――ぶはぁっっ」
勢いよく吹き出した。
「…………」
「……な、なんじゃ、これは」
「…………」
霧のように吐き出された水分は、風に乗ると見事に一輪に直撃をしていた。
目を白黒させているマミゾウは、そのことに気がつくこともなく、徳利とその中身を覗き込んでいるままだった。
一輪は、無言のまま袖で顔を拭いて、ただただじっと、どんよりとした空気のまま横目でマミゾウを眺めていた。
「……さては、あの狐め、最後の最後で馬鹿しおったな……」
忌々しそうにマミゾウは言うと、徳利を強かに置いてからあぐらをかいた。
「まったく、同類に知恵比べなんぞ申し込むといいことがないわ」
仏頂面でいるマミゾウに一輪はやはり視線を向けていた。
「……結局、なんだったのかしら」
「うん?あぁ、中身はだのう……」
「ほぉい、ただいま~っ」
二人の間を割って、少し間の抜けた声が響いた。
声は後ろからではなく、二人の上空から降ってきた。それから声の主もゆるゆると上から沈むように姿を見せる。
現れたのは、なんだか眠そうな表情をした村紗だった。
彼女は漂うように宙を浮いたまま、逆さまになって二人の前で停滞した。
「あぁ、なんだ村紗か」
「その様子では、柄杓は手に入らんかったのか?」
活発さの抜かれた様子に一輪もマミゾウも揃ったように口を出した。
村紗の様子といったら、午前中に柄杓が壊れたと肩を落としていた姿とどこか似た雰囲気だったのだ。
「ん~?新しいの買ったよ~、柄杓」
村紗は新品の柄杓を取り出して見せたが、やはりその様子はどこか力が無い。
というよりも、ヤル気が抜かれているような様だった。
「では、何かあったのか?村紗」
「ん~、最初にお墓に行ってたんだけどね~、なんだか面倒くさいヤツとか多くってさ~」
村紗はぼやいて、ようやく地に足を付けた。
「まぁ、暑かったしね。そりゃ、腐るって」
彼女は堪らなそうにぼやくと、体制を整え、
「う~ん、とりゃーっと」
言うが早いか、彼女は柄杓を振った。
それはもう、溜まった鬱憤を晴らすように柄杓は振られ、庭先に派手に水しぶきを飛ばしていく。
飛沫が半円を描いて落ちていくと、瞬間的に庭先に涼しさと、七色の錯覚を産んで消えていった。
びしょびしょになった庭先を前に、村紗は大きく伸びをすると、勢いをつけて振り返った。
「という感じ」
「……どういう感じかはわからないけれど、まぁ、柄杓が手に入って何よりね」
「そそ、そういうこと」
村紗はにっと歯をむき出しにして笑ってみせた。
そうして、マミゾウの手からひょいと徳利を抜き取ると、「貰い」なんて口を付けた。
「あ、待っ」
「――――ぶっ」
マミゾウが静止する前に村紗はものすごい勢いで含んだ液体を吹き出した。
ごほごほっとむせながら、村紗は涙目で徳利を引き離して、確認するように中身を覗きこんだ。
「こ、これっ、お酒じゃないっ」
「……だから、止めようとしたんじゃが」
「手癖の悪さがみんなにうつっているのかもしれないな」
「でも、ツユを入れることないと思うだけど」
「いや、入れたのは儂ではなくての」
「……あぁ、入っていたのはツユだったのか」
会話の合間に、一輪は一言ずつ突っ込むと一人納得して頷いていた。
その様子に村紗は目を向ける。するとやはり隣に置かれたネギやらミョウガやらに行き着いたらしい。
「……ねぇ、なんでこんなにアレやるつもりなの?」
村紗の問に二人は疑問符を浮かべた。
同じような表情で質問者を見やるが、当の村紗もその表情を見てポリポリと頬を掻いてしまった。
「だってさ、そうめんにツユにネギにミョウガって、全部揃ってるじゃん」
「あぁ、言われてみれば」
「そういえば、そこで寝ている姐さんのところにガラスの器もあったな」
「えっ、ていうか聖居たのっ!?」
「えぇ、ずっと、そこに」
「……儂、気がつかんかったわ」
「あぁ、私も始めは気が付かなかったわ、ぼんやり眺めていたらそういえば居た感じでね」
三人は一斉に室内へと目を向けた。
するとそこには本当に聖が、午前中のようにチャブ台に伏して寝ている姿があった。
「……ずっと、寝てたのかな」
「……恐らく、だけれどね」
「……ぴくりとも動いてなさそうだしのう」
三人は同時に溜息をついて顔を合わせた。
「……まぁ、何にしても、これで、そうめん大会に決定ってところじゃない?」
「なにが大会なんだ?」
「まぁまぁ。それでさ、ここに後……アレがあったら完成だね」
「アレ?」
「そ、アレ……あの、響子が、さ。と、柄杓もあるし」
「?」
一輪はなんとなくわかったような様子で、二人を見ていた。
マミゾウは首を傾けるばかりだし、村紗はアレということの単語が出てこないようである。
そんな様子を眺めつつ、一輪は再び聖を見やった。
見ればみるほど、どうして気が付かなかったというように眠る彼女はやはり微動だにすることはない。
静かに一定に寝息を立てて、寝ているばかりだった。
「あぁ、そういえば、今日の夕飯の当番は聖だったな……」
ポツリと一輪がつぶやくと、残った二人も動きを止めて聖を見やった。
彼女はそんな視線にも気がつくことはなく、いつまでも寝てしまいそうだった。
こんな三人のやり取りにも反応をすることはなく、眠っているのだ。
いずれは起きるだろうが、いつになるかは見当もつかない状態だった。
三人は顔を見合わせると、少し意地の悪そうな笑みを浮かべて、
「――――しょうがないなぁ」
音を立てずに、周囲の物品を持ちだした。
聖の場合
「……う~ん」
聖が目を覚ましたのは、昼間の日差しに夜の涼やかしさが混じり始めた頃合いだった。
汗ばんだ首筋が空気に触れ、一度、小さく身震いをしてから彼女はチャブ台から身体を引き剥がした。
「……えっと」
ぼんやりと庭先から外へ視線を向けてみれば、遠くの空はやんわりとしたオレンジ色と濃い紫色で彩られている。
どれくらい寝ていたのかを考えながら、そのまま視線を巡らせていくが、どこもかしこも散らかっているばかりで、けれど、それをしたであろう人物たちはどこにもいなかった。
濡れ跡がわずかに残る土に、放り出された草履に下駄、畳まれずに放り入れられただけの服や頭巾やら、折れた木片までが打ちひしがれているように転がっていた。
夕焼けでどこか黄昏れているように見えるそれらは、どこか残された寂しさが滲んでいるように見えなくもなかった。
吊るされた風鈴が一度鳴いても、どこかから聞こえる蝉の声も極わずかではそれに賑わいを与えることもできないでいる。
「…………」
聖は言葉もなく、更に視線を巡らせていく。
ぼんやり、ぼんやりとした光景は落ちる夕日のようにすぐに暮れてしまうのかもしれない。
見る者に、そんな心細さを与えさせる情景だった。
そうして最後に辿り着いたのは、チャブ台だけのどうしようもなく広がる室内でしかなかった。
外部から赤い光を取り入れた室内は、濃い陰影を付けていつもどおりに広がるばかりだ。
吹き込んでくる緩やかな湿気の混じった風を頬に受け、聖はそのままぼんやりと座ったまま、情景を焼き付けるように見つめていた。
「…………今年も、終わり……ですね」
小さくぼやく。
何回目かもしれない季節の終幕はもう、すぐそこまで近づいて来ているのだとしみじみ思った。
「?」
ふと、縁側の端に置かれたものに目が止まった。
逆光でその姿はよく見ることができなかったが、それはこんもりと器に盛られた何かであることはすぐに分かった。
しかし、その横に置かれた身の丈程ある竹らしきものまで見えると、組み合わせ事態が不可思議でしょうがない。
聖は首を傾げて、ようやく立ち上がると、
「…………足、痺れましたね」
痺れが収まるのをそのまま待ってから、縁側へと近づいた。
縁側へと辿り着いた聖は、短い吐息混じりに「よっ」と呟いてしゃがみこんでみる。
近距離になってみれば、それらは半分に割られた竹と山盛りになったそうめんであることが見て取れた。
そして、それだけは放り出されたような侘しさではなく、先ほどの彼女のように何かを思って遠くの彼方を向いているように見えなくもなかった。
「……誰が置いていったのでしょうね」
彼女は無意識にくすっと微笑を浮かべた。
そうして、彼女はそのまま並ぶようになって、広がる景色を眺めていた。
思ったよりも高かった夕焼けの空は、なかなか落ちない。
けれど、ゆっくりと沈んでいくことは当然で、必然だった。
聖は、待ち遠しいような、終わらないでほしいような相反する感情を抱きながら、それらが器用に弧を描いて鼓動を動かしていることを染み染みと感じていた。
「――――」
ふと、聖は鼻歌を浮かべた。
昔々の懐かしさを抱きながら、彼女はゆったりと誰に合わせるでもなく合わせるように歌っていた。
縁側の不可思議な三つの影が、長く伸びて室内へ差す。
寄り添うような可笑しな影はただただぼんやりと浮かび上がっているのだった。
「――――ひ~じり~っ」
「?」
間延びした呼び声に聖は鼻歌を止めて、振り返った。
室内には廊下を駆ける足音が響き、それはだんだんと大きくなっていく。
「聖っ」
そうして、バンッと勢いをつけて襖が開け放たれて、村紗が滑りこむようにやってきた。
「えぇ、ここですよ。どうしました?」
村紗は聖の落ち着いた様子に軽くうなだれてみせると、それを取り戻す勢いで彼女の元へと大股で近づいていった。
「どうしましたじゃないでしょ、聖がいつまでも寝てるから、始められないのっ!!」
「え?え、えっと?」
「ほいっ、そうめん持って!私は竹持ってっと」
村紗は説明する間もなく、竹と聖の肘を取って、庭先へと飛び降りた。
そのまま、やはり勢い良く、ぐるっと外へ回りこんで中庭へと向かっていく。
「はいは~い、一名様ご案内~」
中庭にたどり着くと、村紗は調子良く言って、ようやく聖を開放した。
そうめんを抱きかかえるように持っていた聖であるが、強引な力から開放されて視界が開けると、ぽかんと呆気に取られてしまった。
「姐さん、遅かったですね」
「全く、そういう役目はご主人だけで充分だと言うのに……」
「えっと、ナズ?それは、私にあんまりじゃ……」
「器を探すのだけで、人里まで足を伸ばさなければならなかったわけだしのう」
「い、いや、それは、その……」
「ま、いいじゃん。それよりも村紗~、竹、セットしてくれ~」
「はい、そうめんも受け取りますよ」
中庭には、いつもの面々が揃いも揃っている状態だった。
一斉に話声が広がったお陰で、困惑の色を見せる聖であったが、それ以上に全員が作業をしていた光景に驚かされていた。
いつもの中庭は、いつもとは思えないほど綺麗にされ、椅子やら机やらが設置されていた。
そこに、ぬえと響子が、受け取っていったそうめんと竹を取り付けると、あっという間に目的のものが見えてきた。
「さぁ、聖、流しそうめんやるよっ」
呆気に取られたままの聖の背中を村紗はポンと叩いて促す。
一歩踏み出せば、そこはもう黄昏時の寂しさもなく、賑やかな光景が広がっていた。
「…………」
いつもと変わらぬ賑やかさに、聖は思わず笑みを浮かべた。
「ん、どったの?」
「い、いえ、だって、夕方に流しそうめんって可笑しくないですか?」
「んー、そう?別に」
「なんたって、この後、花火をやるって子供みたいに息巻いてたもんな~、村紗は」
「ぬ、ぬえ、子供みたいってなによっ」
「別に、本当のことだろ?」
「アンタね、そうめん貰ってきたって話をしていた時は、真っ赤になってたくせにっ!どうせ、恥ずかしくって、お礼もろくに言えてないんじゃない」
「な、なな、別にそんなこと」
「…………くすくす」
二人のやり取りも、後方でわいわいと騒ぐ全員も聖の漏らした笑いに動きを止めた。
そうして、全員、合わせたように一緒に笑った。
何が可笑しくてではなく、何があったからではないのに、ただなんとなく、笑えて仕方がないといった様子で笑い合っていた。
そうして、一しきり笑った後、再び村紗は勢い良く告げた。
「さぁ、じゃあ、流しそうめん、食べよっ」
一斉に動き始めると再び場は賑やかで、和やかに空間へと変化していた。
村紗を除く一同に箸と、汁が満ち薬味の浮かぶ器が行き渡った後、それぞれが場所を取る。
なんだかわかりやすい配置に各々が着くと、村紗は水とそうめんを竹の口へ送ろうとして、
「あ」
思い出したように手を止めた。
そうして、満面の笑みを浮かべ、さっと手を合わせる。
「いっただっきまーす」
バラバラにけれどどこか揃うようになって、食事は開始されたのだった。
「「――――は、はやっ!!」」
わずかに暗くなった明かりの中、通常弾幕よろしくの速度でそうめんが流れていく。
「くっ、村紗がそう来るなら、こっちだって手加減なしだっ」
いち早く反応を示した星は、ムキになってそうめんを迎え撃つが、その勝率は五分といったところだろうか。
「はいはい、んで、私はそこから、そうめんをいただくっと」
「あ、ぬえ、私の器から取るのはなしだろう!」
「べぇ~、油断してるヤツが悪いんだ」
「そんなことよりご主人、狭いのに暴れないでくれ」
「わ、私も……あ、え、あ、どどどど、どっちを向けばいいんですかっ、これ!!」
ぬえの行動に星はあたふたと、それに邪魔されてナズーリンは押しのけるようにそうめんに箸を伸ばしていた。また、響子は逃れていったそうめんに翻弄され、狭い範囲を行ったりきたりを繰り返すばかり。
「まったく、まともに食事もできんのかのう、お前さんたちは」
「えぇ、まったく」
前者たちの行動を眺めながら、マミゾウ、一輪は対面して静かにしかし、獲物を狙いすまして箸を構えていた。どちらが、先にそうめんを取れるか、それだけが問題というように、二人は見えない火花を散らしていた。
――――そこへ、すっとそうめんが駆け抜けようとした瞬間、
「――――せいっ」「――――ふっ」
気を内包した短い呼気とともに二人の箸が交差を繰り返した。
「ふふふっ、こうした食事はやっぱり楽しいわね。あ、村紗~、追加をお願いね~」
「はいよっ、任せとけっ」
最高尾についた聖は、みんなの様子を眺めながら、呑気に村紗に声をかけていた。彼女はおっとりとした言葉とは裏腹に、最高速度まで達して目にも留まら無いほどになったそうめんを、残すことなく救い上げては器へと移していく。
そうやって、ただ食事を取り合う風景は本当に賑やかで、さながらお祭りのようだった。
提灯の代わりに会場を照らすのは、もう残りわずかになった夕日だ。
ぼんやりとなりつつある景色は、次第に夕日が消えることを教えてくれている。
けれど、その全てが落ちきるまでは赤いキラキラとした光を放ったままでいてくれるだろう。
それは濃く、淡く全てのものを照らしてくれているようだった。
「…………」
「どうかした?」
そんな中、ふと、手の止まった聖に誰かが言った。
聖は深々と考えこむようにして、ぽつりと。
「……薬味、足りてないですね」
そう言って、とても楽しげに笑みを浮かべて、一味欠けたそうめんを美味しそうにすすっていった。
終
村紗は説明する間もなく、竹と聖の肘を取って、庭先へと飛び降りた。
「…………あ」
「さぁ、聖、流しそうめんやるよっ」
聖は深々と考えこむようにして、ぽつりと。
「……薬味、足りてないですね」
そう言って、とても楽しげに笑みを浮かべて、一味欠けたそうめんを美味しそうにすすっていった。
日常を切り取っただけの作品はそう好きでないんだがこれは俺の琴線を直撃した。
ただ流しそうめんの素材が集まるだけの話なのに夏の終わりを感じさせる作品に…
強い日差しにミンミンゼミ、日も傾いてツクツクホウシ、夕焼け空にヒグラシが。
、、、夏も、もう終わりですね
吊り下げられ ですかね
少し読みにくさを感じましたが、日常を切り取ったようで自分の嗜好に合いました
ごちそうさまでした
しかし、もう夏も終わりかぁ・・・