*
一つ風が吹いて、私は目を見張った。
それは、舞い上がったクヌギとモミジ、その茶と紅の間に、あるはずのない存在を見たから。
「どうして」
自然と口から出た問いかけに、彼女は薄く笑った。
その小さな体躯は、あの私たちが別れた日と同じ、今にも消え入りそうな儚さで。
彼女が此処に居る景色は、何一つ不自然な事ではなかった。
秋色に燃える森に、紅葉を司る神。その組み合わせに是非を論じる必要はない。
にも関わらず「あるはずのない存在」という表現は間違いではなかった筈だ。
何故なら。
「紅葉の神よ、貴女は、「此方には来ない」と、約束したではありませんか…!」
絞るように出した声。
私と彼女が交わした、そう遠くない日の約束。
私が幻想の此の地に現出する事と、彼女が幻想の外のかの地に残る事を決めた、袂を分けた日。
あの時切った小指の感覚を忘れた日は無かった。二度と無い逢瀬だと思っていたから。
某然と立ち尽くす私に、彼女は言う。
あの、凛とした透明な声で。
「久しいわ、豊穣の神。二度と会うことは無いと思っていたけれど。
会えて嬉しいという言葉がこれほど皮肉な邂逅もあるまい」
そして、淋しげな笑顔のまま、彼女は言葉を崩して、私を呼んだ。
「ごめんなさいね、穣子。顔をあげて?
貴女は、何も悪くないのだから」
また一つ風が吹いて、彼女の頭の髪飾りを揺らした。
金と言うよりは色付いた銀杏のような黄色い髪が棚引く。
「外の世界は、貴女すら…燃えるような秋の色すら忘れてしまったというのですか…?」
私が忘れられたのと同じように。
人間達が如何なる天候でも屋内で作物を栽培し、その手で豊穣を当たり前にし、その神の意味を剥奪したように。
人々はあの紅色を、黄金色を、枯葉色を忘れてしまったというのか。
しかし、紅葉の神は小さくかぶりを振る。
「穣子、そうではないの。人々は秋の色を愛する心を忘れたわけではないわ」
「ならば何故…」
「秋の色を愛する心は変わらない。けれど、私の手を借りずとも色取り取りの彩りを、景色を、如何なる時も作り出せるようになった、それだけのことなの」
「それは」
私の声を遮るように彼女の声が響く。その言動すら先回りして。
「詭弁、というのでしょうね。けれど」
切った言葉の間に、どれだけの想いがあるのだろう。
彼女は続ける。
「四季折々を愛する心が人々の中に継承されていること、それだけで私は存在した意味があったと思うの」
声を失った。
それこそ詭弁に違いないだろう。
仮にその言葉が本当だとしても、その「四季を愛する心」すら忘れ得ぬことではないのだから。
継承されて「きた」ことは、されて「ゆく」ことでは、ない。
けれど、声を失ったのはその言葉の無意味さにではなかった。
彼女が、あまりに悲痛に。
自らの言葉が刺す、明確な痛みに耐えているのに。
笑っていたから。
彼女は気付いていただろうか。
語り口を崩した時から、その言葉が震えていることに。
言葉以上に、その小さな身体が震えていたことに。
それでも、笑っていたのだ。
心を偽り、言葉を繕い、身体の震えを抑えてまで。
強い人だと思っていた。
私を彼方で「看取った」あの時ですら、儚くてもその笑みを絶やすことはなかったから。
けれど、目の前にいるその人は。
今にも崩れ落ちそうなその人は。
消えてしまいそうだった。
だから、私は地を蹴った。
赤の絨毯がめくれ、木の葉が舞い上がる。
私たちは、一度死んだ。
けれど。
けれど、二度死ぬ道理など、ない。
そうあった訳ではない私達の距離は直ぐになくなったけれど、私は勢いを落とさなかった。
広げた手で彼女を抱きしめて、そのまま柔らかい地面に二人で倒れこむ。
見た目通りの細い身体。
抱きしめても尚、その震えは止まることはなかった。
それでもこの人は。
驚いた顔を直ぐに消して、その手で私の頭をそっと撫でるこの人は。
殺させない。
消えさせない。
死なさない。
私たちは一度死んだ。
それでも。
それでも、此処でもう一度生きてもいいと。
そう思う程度の我儘なら、許されてもいいのではないだろうか。
言葉を絞る。
「…契りを」
震えながらも尚、私の頭を撫でようとする優しい貴女が。
未来永劫、消えないように。
共に生きていけるように在るための、約束を。
「此処に、契りを交わしましょう。紅葉の神」
これは、私たちの。
秋の名を冠す、一度は死んだ私たちの。
二度目の生の始まり。
この幻想郷に、秋が生まれた日。
*
死に場所を探していた。
この世界に未練ならあった。だが、この世界に生きる必然性がなくなってしまった。
ふらふらとした足取りで、私は当て所無く歩いていた。
一歩進む度に、ついさっき言われたばかりの言葉を思い出す。
「秋様。ああ、秋様。どうか…どうかお許し下さい」
そう言って背中を丸めた老婆を、咎めたてる事なんてあるわけもなかった。
許す。そう、存在を許されてるのは私の方なのだから。
彼らが「其処に居る」と信じてくれなければ、私は此処に生まれなかったのだから。
それでも彼女、小さな村の長である老婆は頭を下げ続けた。
「若い衆が、今年の収穫祭は必要ないと。今や神に収穫の多寡を左右される時代ではないのだと。これまで秋様を信望しておきながら猜疑的になる者もいる始末で…」
それは、紛うことなき事実だった。
一年を通して気温の変化が乏しくなり、四季の境界が曖昧となった世界で、私の力は明らかな減衰を見せていた。
国単位で現せた力は村単位になり。
村単位で表せた力は集落単位になり。
今では精々がまだ私を奉ろうとしている家の畑の豊穣を約束出来る程度だった。
我ながら、こんな神を信奉する者など、居なくて当然だと思う。
だから、私は言った。
「面を上げなさい。お前達には何一つ気負うことなどないのだから」
今更、こんなとってつけたような「神らしい」言い回しなど必要はないのは知っていた。
それでも、ほんの僅かの矜恃と、せめてこの人間の前では神であろうという気持ちがあった。
「何卒、何卒…」と頭を上げない老婆に私は言った。なるべく笑顔に見える表情を作りながら。
「私は、この地を離れる。彼方から、今も私を神と称してくれる、お前達の豊穣を祈るとしよう」
老婆は顔を上げた。悲痛な顔が覗く。それは、と彼女は呟いた。
そう、それは。
それは、死ぬということ。
元々、最期の地として、まだ秋の信奉が残るこの地に遣って来たのだ。もう行く先などなかった。
だが、目の前の人間の生活を脅かす位なら、死を選ぶのは自然な事だ。
もしこのまま目の前の人間が私という神などという存在に縛られ続ければ、恐らく彼女は異端として扱われるのだろう。所謂村八分というものだ。
そうなれば、彼女は今や人間達が自らの手で創り出せるようになった豊穣の恩恵を受けられなくなる事も考え得る。
私を信じる者を殺すのなら、その信奉に殉じるべきなのは私だ。
故に、私はこの地を離れなくてはならない。
受け入れてくれるのが、目覚めることのない眠りしかなかったとしても。
それが、神という存在なのだから。
この地を離れるという事の意味を知る老婆は、しかし、引きとめる事はしなかった。私の意を汲んだのだろう。
彼女もまた、小さくても一つの組織体を纏めてきた長だった。
「…ならば、一つだけ。真偽は定かではありませぬが、ここより北の地に秋の残る地があると聞きます。其処は、小さな林に燃えるような秋が咲いている場所だと。まだ残っているかは分かりませぬが、其処ならば、秋様も…」
紅葉の残る地。それは、風の噂で私の耳にも入っていた。
だが、それも遥か昔の話だ。いつでも好きな場所に好きな景色を投影出来る様になった現代に於いて、紅葉もまた豊穣と同様に消えていくものだったのだから。
老婆も幼子の時分に聞いた記憶を掘り返しているだけだろう。別れの際の、せめてもの気遣いとして。
もちろん、そんな事は顔に出さず、私は告げた。
「有難い。参考にさせてもらうとしよう」
では、と私は続ける。
神としての、最期の言葉を。
「お前達の生が、稔り豊かであらんことを」
一つ、心からの礼をして。
老婆はまた頭を垂れて。
私は踵を返した。
静かな眠りにつける場所へ。
足は自然に北を向いた。
当て所無い旅ならば、風の噂に頼るのも悪くない。
何より、何か目標がなければ、今にも存在が消えてしまいそうだった。
だから、北へ。
一つ歩む度に思い返していたのは、その記憶だけではなかった。
右足を踏み出しては、『冬』の顔が浮かんだ。
「豊かさを口にして、誰もが枯れたような顔をする。
暖かい部屋で、心に隙間風を吹かしながらね」
皮肉げに、そう彼女は言っていた。
左足を踏み出しては、『春』の顔が浮かんだ。
「告げるべきものが無くなった世界には居られませんから。
でも、この世界の『終わり』を告げるのは、誰なんでしょうね」
淋しげに、そう彼女は呟いていた。
ざっ、ざっ、と力なく足を前に出す。
私を信仰した者も、しなかった者も。
仲の良かった者も、反りの合わなかった者も。
色々な顔が浮かんでは、消えていった。
沢山の記憶があるのに、私は今一人で。
それはとりもなおさず、記憶の数だけさよならがあったということで。
そして、それはまだ、私一人分のさよならが残っているということで。
誰に?多分、この世界に。
そうだ、これは。
これは、私が世界にさよならを告げる。
その番が、回ってきたというだけのことなのだ。
だから、私は死に場所を探していた。
北。秋の残る地へ。
辿り着けなければ、それがさよならの時で。
辿り着けたのなら、そこがさよならの地で。
ああ。私は。
私は、この世界が好きだ。
一人分のさよならを、未練がましく抱えてる理由なんて、それしかないじゃないか。
死にたくないなぁ。
こんな格好悪い神様だから、信仰されなくなっちゃうんだろうなぁ。
でも、まぁいいか。
少なくても、私を信じてた者も居て。
少なくとも、私が守りたい者も居て。
それなりに、悪くない、世界だった。
そんな、少しだけ恥ずかしい事も考えて。
もう、思い出せる顔も少なくなってきた時。
それは、私の目に飛び込んできた。
*
「…本当に、在ったんだ」
目の前に広がっていたのは、燃えるような紅。
地を埋め尽くすのは茶。
風に揺れているのは黄。
久しく見ることのなかった暖色のコントラスト。
秋が、咲く場所。
明確な秋の存在に、自分の存在を少し思い出して。
疲れていた足は少しだけ軽くなって。
その、森というには少し小さい林に向かって、私は駆け出した。
近づいても蜃気楼にように消える事はなかった。
落ちてきたイチョウの葉が、私の頬をくすぐっていった。
大声を出して笑おうとして、ずっと使うことの無かった喉は上手く震えてくれなくて。
それすらも嬉しくて、息を切らして、大きなクヌギの樹にもたれかかった時。
私は、気付いた。
いや、知っていた。
これだけの秋が咲く場所には、人外の何かが居る事。
そして、それは恐らく、私と同じ。
「初めまして」
決して大きくはない声。けれど、木々の間に澄み渡る凛とした声。
決して大きくはない体躯。けれど、毅然とした態度。
声は、続けた。
「秋の名を関する、我が半身。豊穣を司る者よ」
司るものが違う以上、半身という言葉はそぐわないものだ。
私たちは、別個の存在だったから。
けれど、その半身という言葉は、紛れもなく私に力を与えていた。
これだけの秋を燃やす存在。その存在が同じ秋の名を冠する者として、私を半身と呼ぶ。
その信仰にも似た感覚に、私は自分が秋の神であるという輪郭を思い出す。
そして、それは紛れもなく、彼女の優しさだった。
だから、膝を付いた。
「お初に。お目に掛かります、紅葉の神」
そして、それ以上の言葉は必要無かった。
私たちは、同じ季節から生まれたのだから。
少しの沈黙の後、私たちは顔を見合わせた。
そして、
「ふふっ…っはははっ!」
「あははははは!」
どちらともなく、笑い合う。
彼女は上品な笑い方で。私は爛漫と。
会う前には、会った時には、私達は互いを知らなかったとしても。
在る前から、在った時から、私達は互いを知っていたようなものなのだから。
しばらく可笑しげな声を響かせた私達は、目尻に涙を浮かべながら初めての自己紹介をする。
「秋 静葉。静葉でいいわ」
「秋 穣子。穣子と」
同じ名前を名乗ったのが奇妙で、私達はまた笑い転げた。
神然とした言葉はもう、必要なくて。
そして、彼女は言った。
「ゆっくりとして行くと良いわ。穣子」
「ええ、そうさせて頂けると。静葉さん」
ゆっくりした、その後は。
彼女はそこまで気付いていて、私にそう言った。
優しい人だった。
私は見つけたのだ。
この世界に、さよならを告げる場所と。
そして、さよならを告げるべき人を。
*
「どうして此処には秋が残ってるんです?」
「そうね…穣子が居た地と同じように、秋を信奉する集落が近くにある事もあるけれど」
「けれど?」
手を伸ばした彼女に、チチチ、と一羽の小さな鳥が止まる。
「この子達が、紅葉を望んでくれるから、かしらね」
「ああ。成程」
「人間が作り出せる紅葉は、まだ視覚的な部分に特化しているからかしらね。この子達は秋の『匂い』がないのが気に入らないみたい。…と」
「?」
「いえ、ごめんなさい。豊穣の方は、動物達も人間が作ったものに依る様になってしまったから…」
「ああ、それは。仕方のない事ですから。彼らも、生きるために選んだのですもの」
「そうね…でも、ごめんなさい」
「お気遣いなく」
彼女は、いつも儚げに笑った。
その笑顔に見送られるなら、それは意味のある生だったと。
そう、思えた。
そして、その日は訪れる。
*
目が覚めて、直ぐに分かった。
先ず、身体の感覚が鈍かった。神なのだから身体自体大した意味もないのだが。
身体の感覚が鈍いのは、自分という輪郭がぼやけているということで。
それは世界と個を分ける境界線が、消えかけているということだった。
むしろ、よく起きれたものだ、と感心する。
それくらい、いつ消えてもおかしくない状態だった。
でも、目が覚めたという事は。
心に決めた終わり方で、さよならをしなくちゃいけないという事なのだろう。
だから、私は覚束無い足取りで彼女の元へ。何処に行けば良いかはなんとなく分かっていて。
初めて彼女と出会った、クヌギの木の下。そこに彼女は居た。
そして、ひと目で全てを理解してくれた。
「…何か、して欲しい事はある?」
いつものように、儚げな笑顔。
それが、嬉しかった。
「我侭を言っても?」
「もちろん」
「膝枕とかは?」
「気恥ずかしいけれど、我慢するわ」
本当は、その笑顔を、最期の時まで絶やさないで下さいと言いたかったのだけれど。
それは、やっぱり恥ずかしくて。
だから、その笑顔が一番近くに見える場所で。
そこは、暖かかった。
「ねぇ、静葉さん」
「うん?」
「死ぬってどんな感じかな」
「死ぬわけじゃないわ。この世界に居られなくなるだけ」
「それは、死じゃないかしら」
「…そうね。けれど、彼の地でまた生きていけるわ」
「彼の地?」
「幻想の地。忘れられたものが集う場所。穣子はそこに行くの」
「…それは生なのかしら」
「どうかしらね。私たちはいつだって誰かに許されなければ生きていけなかったから」
「じゃあ、やっぱりこれは死なのね」
「そうかもしれないね。ねぇ、穣子」
「何?」
「この世界は、好き?」
「…はい。静葉さんは?」
「私も、大好きよ。この世界も、貴女も」
「じゃあ、私と一緒だ。ねぇ、静葉さん」
「うん」
「お願いがあるの」
「どうぞ」
「静葉さんは、消えないで」
「どうして?」
「この世界が、好きだと思えた。それは、幸せなことだったから。
静葉さんが居る、私が大好きなこの世界は、消えて欲しくない」
「…分かったわ。だから、穣子、目を開けて」
「ああ、ごめんなさい。少しだけ眠たくて」
「よく聞いていてね」
「うん」
「秋の名を冠す、豊穣の神よ。秋の名を冠す、紅葉の神は此処に誓う。
この世界から豊穣が消えたとしても、貴女が愛した秋と、この世界は消える事は無いと。
共に同じ世界を歩む事はなくても、その想いは一に在るものだと」
「…ありがとう」
「いえいえ。これで私はあっちに行けなくなっちゃったわ」
「ごめんなさい」
「お気遣い無く」
「じゃあ、よく聞いていてね」
「うん」
「…さよなら」
小さな光が朝焼けの空に消えて、残された小さな体躯の神は呟いた。
「上手に、言えたね」
結んでいた小指は、残された方だけそのままの形で。
もう、笑い顔を作る必要は無かったから。
彼女は、静かに涙を溢した。
*
「紅葉の神よ、貴女は、「此方には来ない」と、約束したではありませんか…!」
目の前の少女は、悲痛そうに私に告げた。
「久しいわ、豊穣の神。二度と会うことは無いと思っていたけれど。
会えて嬉しいという言葉がこれほど皮肉な邂逅もあるまい」
神らしい言葉で、それに応える。
でも、私たちは。私たちにはそんな言葉は似つかわしくなかったから。
だから、言葉を崩した。
「ごめんなさいね、穣子。顔をあげて?
貴女は、何も悪くないのだから」
また一つ風が吹いて、私達の間を駆けていく。
帽子からはみ出た、可愛らしい彼女の髪を揺らした。
「外の世界は、貴女すら…燃えるような秋の色すら忘れてしまったというのですか…?」
貴女を看取ってから、私は空虚な人形の様だった。
だから、これは私の我侭。
「穣子、そうではないの。人々は秋の色を愛する心を忘れたわけではないわ」
「ならば何故…」
「秋の色を愛する心は変わらない。けれど、私の手を借りずとも色取り取りの彩りを、景色を、如何なる時も作り出せるようになった、それだけのことなの」
「それは」
詭弁だった。
確かに人間たちは動物達ですら見分けがつかない程の、秋の『匂い』すら作り出せるようになった。
けれど、それ以上に。私が愛した世界は。
「詭弁、というのでしょうね。けれど」
貴女が。穣子が居る世界だったから。
「四季折々を愛する心が人々の中に継承されていること、それだけで私は存在した意味があったと思うの」
私が秋の神として存在した証は、あっちの世界に置いてきたから。
だから、貴女が居る世界に。
けれど。
こんな我儘な私を、貴女は嫌うだろうか。
約束を破った理由を、人々の心に転嫁するような私を、嫌うだろうか。
それが、怖かった。
だから、言葉が震えているのが分かっても、止めることが出来なかった。
言葉以上に、身体が震えているのが分かっても、止めることが出来なかった。
それでも、笑わなくちゃ。
穣子は、笑ってる私を好きと言ってくれたのだから。
彼女を「看取った」時でさえ、笑えていたのだから。
笑え。
私たちが愛した世界は、一度死んだ。
けれど。
けれど、二度死ぬ道理など、ない。
だから、笑え…!
私たちが愛すべき世界は、顔を見合わせれば笑い合う、そんな世界なのだから…!
突然、目の前の彼女が地を蹴った。
赤の絨毯がめくれ、木の葉が舞い上がる。
そうあった訳ではない私達の距離は直ぐになくなる。
彼女が広げた手は私を包んで、そのまま柔らかい地面に二人で倒れこんだ。
あの日は私が上から彼女を見ていたが、今度は逆。
彼女の頭が私の上にあった。
私は、訳も分からないまま、それでも彼女の頭を撫でる。
こうすれば、彼女が落ち着くのを知っていたから。
「…契りを」
優しい彼女の声が響く。
「此処に、契りを交わしましょう。紅葉の神」
「契り…?」
「秋の名を冠す、紅葉の神よ。秋の名を冠す、豊穣の神は此処に契る。
この世界から紅葉が消えたとしても、私が愛した『秋』と、この世界は消える事は無いと。
共に同じ世界を歩み、その想いは一に在るものだと」
「…それは?」
「姉妹の契りを。どちらが欠けることなどなく、この世界に秋を咲かせる一つの存在になりましょう」
司るものが違う以上、一つの存在という言葉はそぐわないものだ。
私たちは、別個の存在だったから。
けれど、その姉妹という言葉は、紛れもなく私に力を与えていた。
私が愛する存在。その存在が同じ秋の名を冠する者として、私を姉妹と呼ぶ。
これほど嬉しいことが、あるだろうか。
「秋 穣子。穣子と」
彼女は名乗った。
在る前には、在った時には、私達は互いを知っていたようなものだったとしても。
会う前から、会った時から、私達は互いを知っていくのだから。
だから、私達は目尻に涙を浮かべながら、二度目の自己紹介をする。
「秋 静葉。静葉でいいわ」
どちらともなく、笑い合う。
彼女は爛漫と。私はなるべく上品に聞こえるように。
「ゆっくりやっていけば良いよね。静葉姉さん」
「ええ、そうさせて貰うわ。穣子…私が姉でいいの?先にこっちに来たのは貴女なのに」
「だって、私より姉さんのほうが姉、って感じじゃない」
「確かに、穣子は姉さんって感じじゃないわね」
少しの沈黙の後、私たちは顔を見合わせた。
そして、
「ふふっ…っはははっ!」
「あははははは!」
これは、私たちの。
秋の名を冠す、一度は死んだ私たちの。
二度目の生の始まり。
この幻想郷に、秋が生まれた日。
素敵な想像力です。