Ⅰ
あらかじめ断っておきます。これは夢です。
私は、お嬢様の手を握っていました。
お嬢様はベッドに仰向けになり、目をつむっています。
私は、そんなお嬢様を見て泣いていました。
死の影が間近に迫っていたからです。
吸血鬼【ヴァンパイア】は不死ではありません。食事を抜くと死にます。聖水を浴びれば死にます。日光に当たれば死にます。銀が混入すれば死にます。棺桶越しに杭を打たれれば死にます。焼かれれば死にます。
そして、お嬢様の死には食事が抜かれるという方法が選ばれたようでした。もうここ【幻想郷】には人間がいなくなってしまったので、お嬢様が生きながらえる方法はありません。
私はお嬢様の冷たい手を握り、ひたすら叫んでいました。
「お嬢様、お嬢様」
夢だからか、涙のせいか、私の視界はぐちゃぐちゃでした。
それでも突然、何日かぶりに、お嬢様はまぶたを開いたのが分かりました。紅く美しい目でした。
その紅い目は、私が持つ手を見ます。
お嬢様は、わなわなと震える手で、私の手を口元に引き寄せます。
そして、私の手の甲に接吻【キス】して、その生涯に宿る全ての力を抜きました。
私は顔の筋肉を引き攣らせながら無理矢理笑顔を作り、お嬢様の手を組ませました。
私は、その様子を見てある種の満足感を得ていました。
私の生涯もここで終わるから、お嬢様と永遠に隣合えるから。
懐中時計【ポケット・ウォッチ】を取り出し、裏蓋を開けます。
今まで、星のない宇宙のように黒かったその部分が、香箱【ゼンマイ】と二番車と三番車と四番車と脱進機【アンクル、ガンギ車、振り石】と調速機【テンプ】を、時計の中心部【私の心臓】だけをあらわにしました。
これがあなたの心臓です。
さあ、いつでも死ねますよ。
そう言われているようでした。
そして私は、肌に刺さった針を抜くように、あっさりと脱進機【アンクル、ガンギ車、振り石】と調速機【テンプ】をもぎ取りました。
リズムを制御する装置がなくなったことで、香箱【ゼンマイ】が、歯車【ギア】という歯車【ギア】が、勢い良く回り始めます。そして、残存動力表示【パワーリザーブ・インジケーター】が、あっという間にゼロになりました。
さようなら、私の心臓【さよなら、もう用はありません】。
さようなら、私の生涯【さよなら、もう用はありません】。
そして、お嬢様。
私は、ずっと側にいます。
Ⅱ
電磁石【コイル】が回路【サーキット】を繋ぐ音と、次いで鎚【ハンマー】が鐘【ベル】を叩く音で目が覚めました。
立ち上がって、水晶時計【クォーツ時計】の目覚まし機能【モーニング・コール】を止めます。どうやらその行動で時計は満足してくれたようで、喧しい音が部屋に鳴り響くことはなくなりました。
目覚まし機能【モーニング・コール】を止めてから、私はしばらくぼんやりしていました。夢のことを思い出していたのです。しかし、所詮は夢。どんどん思い出せなくなっていきます。一分二〇秒もしないうちに、私は目尻の涙を拭って、夢について考えるのをやめました。
普段通りの行動に戻ります。
カーテンを開けると、予想通り夕暮れが迫っていました。私はカーテンを閉めて、寝間着【パジャマ】から給仕服【メイド服】に着替えます。
着替え終わると、私は時計鑑賞台【ウォッチ・スタンド】にかけておいた懐中時計【ポケット・ウォッチ】の鎖【チェーン】を給仕服につなぎ、つまみ【リューズ】を回します。
右回転、左回転、右回転、左回転。
三度目の右回転をしようとしたところで、つまみ【リューズ】はそれ以上動かなくなりました。残存動力表示【パワーリザーブインジケーター】が29.5日に戻ります。もう巻かなくていいよ。そんな声が聴こえるようです。
次に、真っ白な文字盤【ダイアル】に触れて機能を選択します。いくつかの機能候補の中から、まずは万年暦【パーペチュアル・カレンダー】と万年月齢表示【パーペチュアル・ムーンフェイズ】を同時に選択。今日の日付と月齢が現れました。今日は三日月。月の力が弱いので、今日のお嬢様はそんなにわんぱく【わがまま】にはならないでしょう。
続いてつまみ【リューズ】の左隣にあるボタン【スタート/ストップボタン】を押し、二対象物対応記秒機能【スプリットセコンド】を起動すると、矢印型秒針【クロノグラフ針&スプリットセコンド針】が現れました。
もう一度、今度は右隣のボタン【リセットボタン】と左隣のボタン【スタート/ストップボタン】を同時に押すと、第一対象物記秒針【クロノグラフ針】と矢印型の第二対象物記秒針【スプリットセコンド針】が同時に動き出し、対照的に時間の流れが止まりました。咲夜の世界【ザ・ワールド】の発動です。時間が止まった代わりに、残存動力表示【パワーリザーブインジケーター】がみるみる減っていきます。
やや駆け足で食堂へ向かいます。早歩きしている間の揺れでゼンマイ自動巻機能【オートマチック】がゼンマイを巻き、残存動力【パワーリザーブ】の消費を抑えます。
談笑中のメイド妖精たちをすり抜けすり抜け、私は厨房に着きました。リューズの右隣にあるボタン【リセットボタン】を押して、咲夜の世界【ザ・ワールド】を解除します。小文字盤【インダイアル】によると、部屋から厨房までにかかった時間は四分二七秒。動力消費、十三時間二一分。平均です。
銅のヤカンに水を注ぎ、大きめのフライパンに油を敷いて点火。トーストに食パンを三枚放り込みます。再び二対象物記秒機能【スプリットセコンド】を作動。こればかりは火が絡むので、体感時間加速【クロックアップ】を使うわけにはいきません。卵を三つ割って、ベーコンエッグができるのを待っている間に私はつまみ【リューズ】を巻いておきます。つまみ【リューズ】がガッチリと固まって残存動力【パワーリザーブ】が29.5日に戻ると同時に、ヤカンの中身が沸騰しました。
ベーコンエッグに警戒しつつ、温水で温めておいた銀のポットに茶葉を入れ、お湯を注ぎます。茶葉が流動するようにゆっくりと。お湯を入れ終えて、左隣のボタン【スタート/ストップボタン】で第一対象物記秒針【クロノグラフ針】を止めると、今度はベーコンエッグが完成。お皿に移して、ナイフで三つに切り分けます。
三つのお皿にレタスとトマトを並べ、切り分けたベーコンエッグを添えます。第二対象物記秒針【スプリットセコンド針】に目をやると、まだ時間に余裕があります。ベーコンエッグに蓋をして台車に載せて終えると、残り時間が五秒もあります。トーストの扉に手を添えて秒読み【カウントダウン】。
四、三、二、一、〇。
トーストの扉を開け、すかさずお皿に載せて、蓋をします。バターとジャムの所在を確認【チェック】。台車の上。三つのお皿も台車の仲間に加えると、作戦完了【ミッションコンプリート】まであと僅か。
台車を食堂に運びます。途中で第二対象物記秒針【スプリットセコンド針】を見ることも忘れません。食堂につくと、もう茶葉を取り出してもいい頃合いでした。もう二対象物記秒機能【スプリットセコンド】を使うことはないと思うので、右隣のボタン【リセットボタン】を押して機能を停止します。矢印型秒針【クロノグラフ針&スプリットセコンド針】も、すうっと消えていきました。
テーブルに一人前の料理と食器類を並べ、再び咲夜の世界【ザ・ワールド】を発動します。いよいよ本日の至福の時間がやってきました。
私はその部屋の前に立ち、咲夜の世界【ザ・ワールド】を解除します。一度肺の空気を全て吐き出し、今度は大きく吸います。リラックスしてドアをノック。返事はありません。ドアを開けます。
ああ、やはり。今日も麗しい寝顔です。すうすうと音を立ててベッドに横になるさまは、まるでお伽話の中の天使【エンジェル】のよう。ついつい咲夜の世界【ザ・ワールド】を発動してあらゆる角度から眺め回したいほどです。でも超えてはならない一線というものも存在します。私は懐中時計【ポケット・ウォッチ】を手放して、お嬢様の肩をゆすりました。
「お嬢様、夜ですよ」
「んん……咲夜」
「おはようございます」
「おはよう」
お嬢様はうっすらと目をあけて、目元を拭いました。その仕草のなんて可愛らしいこと!
私は口元の緩みを悟られないように体の向きを変え、クローゼットに向かいました。
お嬢様の指示を受け、今日の服装を選びます。今日は蒼いワンピース。それほど気分が上向きではないようです。
「何か変わったことはあったか」
「特に耳にしておりません」
「そう」
そのまま食堂へ案内します。途中、私はお嬢様の異変に気付きました。いつものお嬢様はこうして連れ立って歩いている時に、何か話題を振ってくるのですが、今日は何も喋りません。夢見が悪かったのでしょうか。だとしたら、どんな夢を見たのでしょうか。
妹様とパチュリー様に食事を運んで帰ってきても、食事をしている間も、紅茶を飲んでいる間も、デザートのフルーツを食べている間も、お嬢様はああ、とかうん、といった相槌をうつだけで、元気がなさそうです。
私はとうとうこらえきれずに、お嬢様に訊ねました。
「お嬢様、どうなされましたか」
「何が?」
お嬢様は明らからにしらを切っています。証拠に、私から目線を逸らしません。お嬢様の癖は、気まずいとき、嘘をつく時に目線を固定してしまうことなのです。
「今日のお嬢様は変です」
「そうかな」
「そうです。悪い夢でも見ましたか」
お嬢様が沈黙してしまいました。どうやら図星だったようです。
しばらく見つめ合っていると、お嬢様がふう、と息を吐き出しました。
そして、私にたずねます。
「咲夜、時計を見せて欲しい」
「時計ですか。どうぞ」
言われるがままに、私は懐中時計【ポケット・ウォッチ】を渡します。取り外すのが煩わしかったので、鎖【チェーン】はつないだままですが。
お嬢様は両手で懐中時計【ポケット・ウォッチ】を持ち、しばらくじっと見つめていました。
数十秒経って、私を見て訊きます。
「これが、咲夜の命なんだよな」
「はい、そうです」
私の命は、この懐中時計の残存動力【パワーリザーブ】がゼロにならない限り続きます。歳も取りません。
何度か残存動力【パワーリザーブ】がゼロになったこともあったのですが、周りにいた誰か【誰だったかはもう忘れてしまいました】が懐中時計【ポケット・ウォッチ】のつまみ【リューズ】を巻くと、私は息を吹き返したそうです。
それ以降、パチュリー様に、「残存動力【パワーリザーブ】が一時間を切ると、一度だけなら自動でゼンマイを巻いてくれる魔法」をかけてもらっています。いわゆる心臓マッサージ【AED】です。
といっても、残存動力【パワーリザーブ】が29.5日もありますし、ゼロに漸近するような経験は十指に入りません。
それでも、脱進機【アンクル、ガンギ車、振り石】と調速機【テンプ】を抜いてしまえば、香箱【ゼンマイ】と歯車【ギア】が高速で回り、残存動力【パワーリザーブ】がゼロになれば私の時は止まります。そして脱進機【アンクル、ガンギ車、振り石】と調速機【テンプ】が抜けている限り、何度つまみ【リューズ】を巻いてもすぐ歯車【ギア】が高速で回ってしまうため、私の時は一瞬で止まります。
つまり、脱進機【アンクル、ガンギ車、振り石】と調速機【テンプ】を抜き取れば、私は死ぬのです。
「今日、咲夜が死ぬ夢を見た」
「私がですか」
私は少々驚きました。私もお嬢様が死んでしまう夢を見ていたからです。
「何を血迷ったのか、ベッドの前で泣いていたかと思うと突然バネみたいなの【テンプだと思われる】を抜いてさ。バタって倒れて。ああ死んだな、って思ったら咲夜に起こされた」
「それは、不思議な夢ですね」
「だろう」
なぜかお嬢様は胸を反らせます。なんて愛らしい。
「で、だ。咲夜」
「はい」
「私も、時計が欲しい」
しばらくの後、紅魔館に時計塔の鐘【ベル】の音が響きました。
Ⅲ
曰く、従者が時計を持っているのに主が持っていないのはおかしい。
曰く、咲夜の日々を少しでも体験したい。
曰く、咲夜がデザインするように。
おおむねそういったことを言っていました。
今日はあまりそういったこと【思いつき】を言われるとは思っていませんでしたので、ちょっと不意打ち【サプライズ】です。
とはいえ、お嬢様の依頼。それも今までにない重大なものです。
時計は、ものによっては一生を刻むもの。
ゆっくり、時間をかける必要があります。
まずは、お嬢様のお部屋に戻って手首の太さを測定。測ってみるとやはり細かったので、もし腕時計を作るとしたら時計の容器の直径【ケース経】を小さくしなければなりません。
次に、お嬢様には一張羅【いつもの淡いピンクの服装】に着替えてもらいました。時計を作る際、時計を着用するシーンに合わせた服装にしなければ、その方に合った時計を作ることはできません。ここぞとばかりに写真撮影も欠かしません。
測っている間も、着替えている間も、写真を撮っている間も、お嬢様の表情は真剣そのものでした。大変に、嬉しいことです。そんなことをされれば、こちらもやる気が出るというもの。そのまま「よくできました」と言って頭を撫でたい衝動をぐっとこらえ、私は訊ねました。
「お嬢様、時計の作成に半年の猶予を下さい」
「半年でいいのか」
「大丈夫だと思います。ここ【幻想郷】には時計界の神様【ブレゲさん】がいらっしゃいますし。その神様も多分暇を持て余しているでしょう」
「分かった。期待してるよ」
お嬢様はふっと微笑みました。
お嬢様の可愛らしい笑みを忘れないまま、私は獅子奮迅の勢いで図書館へ向かいます。
上機嫌な私を妖精メイドたちが訝しんでいましたが、気にもなりませんでした。
図書館に入ると、パチュリー様は熱心に読書に勤しんでいて、小悪魔は、
「咲夜さん、どうしたんですか。すっごく嬉しそうですよ」
と聞いてきました。私はことのあらましを説明すると、小悪魔は「不思議なこともあるものですね」と言って仕事に戻って行きました。本を抱える左腕の腕時計は、容器【ケース】が楕円形【オーバル型】でイエローゴールド【YG】で鋲模様細工【ピラミッド状の格子模様/クルー・ド・パリ】が施されていて、文字盤【ダイアル】が白い琺瑯【ほうろう/エナメル】で目盛【インデックス】がローマ数字【ローマンインデックス】、針は黒い直線針【バーハンド】。帯【バンド】は子牛の皮【カーフ】。小悪魔らしい選択です。
そういえば、と私は足を止めて懐中時計【ポケット・ウォッチ】を取り出します。受付【カウンター】の奥にある振り子時計【ペンディラム・クロック】との誤差を確認。日差+三秒。高精度時計【クロノメーター】の範囲内、点検は不要のようです。
図書館の奥に進み、パチュリー様の研究室の横にある扉。その前に立って、鍵を挿します。
鍵をまわすとガコン、と大きな音がして、扉が奥に開きました。入ってすぐに閉めます。特にこれといった秘密があるわけではないのですが、一応趣味の部屋なので。
明かりをつけると、そこは時計の幻想世界【ファンタスマゴリア】でした。
競走時計【レース・ウォッチ】が、
記秒時計【ストップ・ウォッチ】が、
戦闘時計【ミリタリー・ウォッチ】が、
宝石時計【ジュエリー・ウォッチ】が、
透明時計【スケルトン・ウォッチ】が、
耐衝撃時計【タフネス・ウォッチ】が、
鉄道時計【レイルロード・ウォッチ】が、
航海時計【マリン・クロノメーター】が、
潜水士時計【ダイバーズ・ウォッチ】が、
航空士時計【パイロット・ウォッチ】が、
そこにはありました。
私は毎日ここで時計のゼンマイを巻き上げています。時々、咲夜の世界【ザ・ワールド】を使って全ての時計の日差を確認したりもしますが、今日は巻き上げるだけでした。
そして、本当の目的に移ります。
お嬢様にぴったりな時計のデザインを作るために、あれこれ吟味するのです。
さて、どうしましょうか。
まず、航海時計【マリン・クロノメーター】を除外します。その正確性と苦難を乗り越えた歴史には喝采を送らざるを得ませんが、何しろ幻想郷には海がありませんし、船に乗る機会もありません。
次に、潜水士時計【ダイバーズ・ウォッチ】と耐衝撃時計【タフネス・ウォッチ】。これはちょっとゴテゴテしすぎていて、お嬢様に似合いそうもありません。それにお嬢様は泳げないので、潜水とは無縁です。耐衝撃時計【タフネス・ウォッチ】は……外装もそうですが、美鈴が使っているのがこれなので除外します。お嬢様は部下と同じ時計はつけたがらないでしょう。
余談ですが、美鈴は最近なにやらボディーガードが出てくるドラマ【-SP-警視庁警備部警護課第四係】にはまっているようで、そのボディーガードたちが仕事中につけている時計が耐衝撃時計【G-SHOCK】だったようです。時計を選ぶ際に、その影響もあったのかもしれません。運動もするようですし、美鈴にはよく似合っていると思います。
閑話休題。選定作業に戻ります。
次に航空士時計【パイロット・ウォッチ】を外します。これはパチュリー様が使っています。
なぜパチュリー様が航空士時計【パイロット・ウォッチ】を、と疑問に思う方も多いでしょう。実は航空士時計【パイロット・ウォッチ】は、計算や記秒面で大変に優れているため、魔法の実験に重宝するようです。
魔法使いが機械の塊を使うなんて、という声も聴こえる気がしますが、便利なものは仕方がありません。回転計算尺を使うことによって、二桁掛ける二桁の計算も多少楽にできてしまうというのは、とても魅力的です。
ですが、お嬢様の生活において、そういった計算をすることはありません。以前はお嬢様は自分で紅茶を淹れていましたが、私が記秒機能【クロノグラフ】を使ってほぼ完璧な味を出してしまうと「……もう紅茶は淹れない」と拗ねてしまった【そんなお嬢様を見てちょっと胸がときめいた】経験があるので、記秒機能【クロノグラフ】はつけない方がよさそうです。
そんなこんなで選定作業は進み、大分構想は固まって来ました。
まず、「活動的【アクティブ】かつ高貴【ノーブル】かつ可憐【プリティ】な時計」を主題【テーマ】にすることにしました。普段のお嬢様は優雅な生活【紅茶とお菓子の生活】ですが、時々すごくわんぱく【わがまま】になることがあります。そんなお嬢様の一面を切り取ったような時計が腕に巻かれているとなると、その時計【そして私】はどんなに幸せでしょうか。
そして、超複雑時計【グランド・コンプリケーション・ウォッチ】であること。機能をあれこれ取捨選択してみましたが、どうも一般に使われている機能は似合いそうにありませんでした。お嬢様にはやっぱり究極【ハイエンド】の機能がふさわしいです。
とはいえ、複雑機構【コンプリケーション】を複数搭載する時計【グランド・コンプリケーション・ウォッチ】を作るのは時計界の神様【ブレゲさん】でも面倒な仕事。それに複数機構【コンプリケーション】の中でも二対象物記秒機能【スプリットセコンド】を入れるわけにはいかないとなると、さてどうしたものでしょう。
動力【ムーブメント】は手巻き【手で巻く】か自動巻き【動けば自動で巻かれる】か、はたまた水晶【クォーツ】か意表をついてゼンマイ水晶混合【スプリングドライブ】か。
容器【ケース】は丸型【ラウンド型】か正方形【スクエア型】か長方形【レクタンギュラー型】か楕円型【オーバル型】か樽型【トノー型】か。また色はイエローゴールド【YG】かピンクゴールド【PG】かローズゴールド【RG】かホワイトゴールド【WG】かプラチナ【Pt】か。
帯【バンド】はステンレススチール【SS】かチタンか陶磁器【セラミックス】か金系統【ゴールド系統】か馬【コードバン】か仔牛【カーフ】か鰐革【クロコダイル/アリゲーター】かダチョウ【オートスリッチ】か蛇【バイソン】か。
針【ハンド】は鉛筆型針【ペンシルハンド】か直線針【バーハンド】か矢型針【アローハンド】かブレゲ針【先端のやや手前に丸がある針/ブレゲハンド】か葉型針【リーフハンド】かコブラ型針【メルセデスハンド】か。
文字盤【ダイアル】は炭素【カーボン】か真珠母貝【マザー・オブ・パール】か微細な凸凹模様【ギョーシェ彫】か琺瑯【ほうろう/エナメル】か地球外物質【格子状の模様が入った隕鉄/メテオライト】か。
目盛【インデックス】はアラビアインデックス【1,2,3……】かローマンインデックス【Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ……】かポイントインデックス【◯】かトライアングルインデックス【▽】かバーインデックス【棒状】か。
これから数週間はスケッチブックと専門書と、にらめっこが続きそうです。
Ⅳ
お嬢様の身体測定と写真撮影が終わって、早三週間。
あの日からアトリエに出入りすることが増えたため、少し睡眠時間が減りましたが、おかげでデザインの方はだいぶ固まりました。
今日お嬢様達にそれを披露する日です。
皆さんがアトリエに入る前に、スケッチブックにカーテンをかけると、俄然緊張が高まってきました。私が紅魔館の中で時計に一番詳しいとはいえ、私がこんなこと【時計をデザインすること】は、一度もありませんでした。しかもパチュリー様や小悪魔や妹様ならともかく、美鈴までもが仕事をサボタージュして見学に来ているではありませんか。後ほど少々お仕置きが必要なようです。
懐中時計に目をやり、ノブに手をかけます。
秒読み【カウントダウン】開始。
三、二、一、〇。
「どうぞ」
ノブを回して皆さんに伝えます。するとどうしたことでしょう、お嬢様達だけでなく妖精メイドたちまでもが来ているではありませんか。ああ、こんなに注目されるなんて思ってもみませんでした。これでお嬢様のお気に召さなかったら一体どうすれば。
そんな私の心中も鑑みず、どやどやとみなさんがアトリエに入ってきます。
そして、あっという間にアトリエの観客席【ほぼ立見席】が満員になりました。
多少想定外のことがあったとはいえ、発表しなければいけないことに変わりはありません。
予定通りことを進めます。
「皆様、本日はお嬢様の腕時計のデザイン案披露会にお集まりいただきありがとうございます」
拍手。
「私は時計職人ではないため、これがお嬢様にぴったりな時計かどうかは分かりません。でも、全力を尽くしました」
今度は静聴。なんだか奇術【マジック】を披露している時みたいだな、と思いましたが、今回は努力に合った評価が得られる保証がないので怖いです。早めに終わらせましょう。
「では、いきます」
そうして私は、カーテンの両端を持つと、一気に引き上げました。
みなさんの目が見開かれます。「おお」とか「わあ」といったような声が聞こえました。
真っ先に口を開いたのは、妹様でした
「ねーねー咲夜、真ん中にあるのは何?」
やはり、見慣れないものだったようです。そうですよね、この機能を入れるだけで日本円だと五〇〇万円はします。見る機会すらほとんどない機能です。
「これですか、これはですね」
「待て、咲夜」
お嬢様が制します。一体なんでしょう。
「機能の説明は、後だ。お前に任せたのは本当に正解だった。ひと目で気に入ったよ。一秒でも早く欲しいから、すぐ製作に入ってくれ」
会場全体から安堵の声が上がり、私もまたそれにならいました。妹様には後でこっそり教えておくことにしましょう。パチュリー様と小悪魔はおおよそのことを見透かしたようで満足そうに頷いていました。美鈴は……「何が何だかわかりませんがなんだかすごいのは分かりました」といった表情。どうしてくれようこの門番。
そんなこんなで披露会は終わり、私はすぐに出発の支度を整えました。
Ⅴ
道中、体感時間加速【クロックアップ】を使うかどうか悩みましたが、野良妖精を薙ぎ払う時だけに留めました。これから部品【パーツ】を削り出して組み上げるのには相当な時間【世界で十指に入る時計師がこのスケッチブックを元にするなら、五年から十年】がかかります。道中で急ぐというのも少々ばかげた話です。とはいえ時計界の神様【ブレゲさん】だと半年もかからないそうなので、恐るべし、です。
さて、妖怪の山の入り口に着きました。
ここからの手順は少々面倒です。まずは手近な哨戒天狗に手を振って呼び寄せなければいけません。狼だか犬だかの天狗が降りてくると「要件は」とぶっきらぼうに訊かれるので、「河童工房の時計神【ブレゲさん】に用事です。時計製作の依頼です」と答えます。次に「名前は」と訊かれるので「十六夜咲夜です」と答えます。
するとなにやら黒い箱を持って「こちら哨戒1、河童工房への立ち入り案内、ホストは時計神、マルタイは1341です。どうぞ」と話しかけています。すると箱が「了解。五分待機せよ、どうぞ」と返してきます。「五分待機せよ」はだいたいどういう意味なのか分かりますが、その他の言葉が一体どういう意味なのか、私には検討もつきません。
暇なので、彼女の時計に目をやってみます。
容器【ケース】はステンレススチール【SS】で文字盤【ダイアル】は……白色でめっきされた真鍮【ブラス】でしょうか。文字【インデックス】は浮き出た棒型【アップライト・バーインデックス】。六時方向に日付表示【デイト】があり、針【ハンド】は鉛筆型【ペンシルハンド】。帯【バンド】は馬革【コードバン】。なんというか、シンプルすぎます。
ああ、そうでした。天狗は社会性に重きを置いた種族です。おそらく上司より高級な時計を使うのは雰囲気【アトモスフィア】が許さないのでしょう。そう思うと、ちょっとだけ可哀想になってきました。
そうして頭の中で暇つぶしをしながら二対象物記秒機能【スプリットセコンド】を起動させて待っていると、他の女性の天狗が四人やってきました。所要時間は六分八秒。一分八秒というのは、大変嘆かわしい誤差です。
次にスケッチブックを取り上げられて見分され、金属を全てカゴの中に入れた上で危険物等がないかを検査されます。ここでナイフが全て没収され、妖怪の山を出るまで所持することができなくなります。一度ナイフが回収されるのに苛立って哨戒天狗を全員蹴散らしたことがあったのですが、どういうわけか天狗がわらわら湧いてきたために花火大会【弾幕ごっこ】を開く羽目になったことがありました。とはいえそれも昔の話。つまみ【リューズ】を巻きながら花火【弾幕】を打ち上げる【ばら撒く】のは大変面倒なことです。
所持品検査が終わり、天狗四人に前後左右を囲まれて案内されます。ここで天狗に話題を振ったこともあるのですが、相槌をうたれるだけなので次第に話すのをやめてしまいました。天狗というのは全員こういう性格なんでしょうか。新聞記者はだいぶ朗らかなんですが。
さて、移動している間に、時計神【ブレゲさん】のことをざっくり説明しておきましょう。
時計神【ブレゲさん】は、その名の通り時計界の神様です。「時計界の寿命を二〇〇年縮めた」「現在の機械式時計の機構の七割以上を彼が作った」と言われており、生きていた当時はルイ十六世やナポレオン、マリー・アントワネットといった、フランス革命の超大御所の時計を手がけていました。
外の世界では残念ながらお亡くなりになってしまい、死んでしまった以上幽霊になって弟子たちを脅かすわけにもいかず、かといって時計は作りたかったので世界をうろついていたところ、日本は何の領域でも神様になることができる【いわゆる八百万の神】と聞いて日本に飛んできて、そのまま神様になって幻想郷で時計作りを再開したようです。
私の懐中時計【ポケット・ウォッチ】と命との関係を解明したのも時計神【ブレゲさん】でした。どうやら私の懐中時計【ポケット・ウォッチ】は地球外物質【メテオライト】でできているようで、更に普通の人間が解体したり操ったりしたりすることはできないようです【私はできます】。この話を聞いて、私はこの時計の不思議な文字盤【ダイアル】を月文字盤【ルナ・ダイアル】と呼ぶことにしました。なんだか神秘的でしょう?
さて、ようやく時計神【ブレゲさん】の工房が見えてきました。外見は地上から見ると巨大な白い立方体のようですが、空中から見ると正方形型【スクエア型】の時計をしているのが分かります。時計神【ブレゲさん】曰く「暇だから作った」そうです。
天狗が工房のドアをノックすると、ドアの上にある鐘【ベル】がカーン、と鳴りました。これが「入っていいよ」という合図なのです。
天狗に囲まれながら入ると、壁に受付を打ち付けたような部屋がお出迎えしてくれます。ほどなくすると壁の色紙大くらいの面積が扉のように空き、工房の内部が見えるようになります。
とはいえ、たいてい時計神【ブレゲさん】の二つの眼【レンズ】がその扉を占領してしまうので、中はほとんど見えません。
色紙大の扉の横、白いもう一つの色紙大の壁が、ブレゲさんの口の代わりになり言葉を表示します。
『お久しぶり。何の用だい』
他の壁とは違って、ここだけ何か光が強いような感じがしますが、一体どういう原理で文字を浮き上がらせているのでしょうか。大変不思議ですが、多分天狗は教えてくれないでしょう。
「私のデザインを元にした時計を作って欲しいのです」
『なるほど。スケッチは』
「こちらです」
受付のようなテーブルにスケッチブックを置き、二秒おきにページをめくります。その間、時計神【ブレゲさん】の眼【レンズ】はジー、ジーという音を繰り返したり、新聞記者の持つカメラのように伸びたり縮んだりします。時計神【ブレゲさん】は肉体を改造して、腕以外の体を全て機械にしているそうです。「人間の肉体が生みだしてしまう振動が、時計作り邪魔なんだ」という理由は、時計作りに対する凄まじさをあらわしています。
最後のページまでめくると、時計神【ブレゲさん】は年老いた指でスケッチ示し、
『これは興味深い。君が生み出したデザインなのかい?』
と表示しました。その質問に、私はちょっと首をかしげました。
「はい、私が考えました。それが何か?」
『そうなのかい。それはすごいことだ。これはAHCI【Horologival Acade my of independent Creators/独立時計師創作家協会】のベアト・ハルディマンの時計とよく似ている。あと、外のブランド【時計メーカー】のΩ【オメガ】も似たようなのを出していた気がするよ』
ああ、なんてこと。とすると、このデザインは没でしょうか。せっかくお嬢様のお気に召したというのに。
私がしゅんとしていると、時計神【ブレゲさん】は再び言葉を表示させます。
『いやいや、落ち込むことはない。あれらの時計は複雑時計【コンプリケーション・ウォッチ】であって、複雑機構【コンプリケーション】を複数備えた超複雑時計【グランド・コンプリケーション・ウォッチ】じゃないんだ。このデザインでこの機能の時計は、外の世界の技術でも作れないことはないだろうが、年単位で時間がかかるだろう。でも私だったら二、三ヶ月くらいでできそうだ』
一気に表示されたので読むのに苦労しましたが、これを見て私はとても喜びました。二、三ヶ月という短期間であることにも驚きを隠せません。
私は感謝の念をこめて頭を下げました。
「ありがとうございます」
『その代わり、ちょっと無粋な話になって申し訳ないんだが』
「なんでしょう」
『最近工房で金【ゴールド】と紅玉【ルビー】が少なくなってきているんだ。しかもここ【妖怪の山】では旧地獄に誰も足を踏み入れようとしない。あそこは鬼の領域だからね。代金がわりに旧地獄から金【ゴールド】と紅玉【ルビー】を持ってきてくれないか。それぞれほんの十五kg【キログラム】でいい』
「お安い御用です」
『ありがとう。頼んだよ』
「はい。材料といえば、これを材料にお使いください」
そう言って、私はとっておきの部品が入った箱を置きます。
箱を開けたブレゲさんが、驚きの反応【リアクション】をします。
『これは、本当にいいのかい』
「構いません」
『そうか……まあ確かにこれがないとできそうもないが……わかった』
「こちらからもひとつ、いいですか」
『どうぞ』
「時計は、私がクライアント【お嬢様】に直接渡します。ちょっとした不意打ち【サプライズ】もあるので、受領のサインは私のもの【十六夜咲夜】になりますが、よろしいですか」
『ほう、珍しい注文もあったものだ。私【ブレゲ】にそんな申し立てをするなんて。No.160【マリー・アントワネット】の注文を思い出すな。まあいいけど。突然死なないでおくれよ』
その表示を最後に、時計神【ブレゲさん】は扉を閉じました。自嘲のような台詞でしたが、心のどこかでは苦みを噛み殺していたのかもしれません。No.160【マリー・アントワネット】には、まだ彼自身複雑な思い【フランス革命時の葛藤】を抱いているようです。
いつか悩みを聞いてあげようかな、と思いつつ、私は妖怪の山を去りました。
Ⅵ
昔、まだ時計が高級品だった頃、受領のサインは受け取る本人しか認められませんでした。依頼人の顔を見たい、という時計職人の性もあったでしょう。
今は、それほどサインは重要視されていません。少なくとも、私の知る範囲では。
なにしろここ【幻想郷】は、時計それ自体の価値もほとんどなく、時計職人もほとんどいません。
ことの発端は皮肉にも外の世界の日本。セイコー社が安価で非常に正確な水晶時計【クォーツ時計】を量産するようになって、不要になった【とみなされた】機械式時計が大量に幻想入りしました。しかし、幻想郷では時計自体がそれほど普及していません。なにしろ鉄道が走りだす前の田舎がそのまま隔離されたような世界ですから。
時計それ自体は、あるといえばあるのですが、人里にある時計は和時計か、「どういう原理か分からないが動くアクセサリー」として売られている腕時計で、その真価に気づいているのは天狗か河童か数少ない時計職人だけという始末。そんな時計の価値そのものが分からない世界でサインを求めても、時計職人にとっては時計の先行きが不安になるか、虚しくなるかのどちらかというものです。
そんな中でも、時計神【ブレゲさん】はサインを書かせるのをやめませんでした。生きていた時代というのもあるでしょうが、立地が妖怪の山【天狗や河童といった科学に恵まれて、時間の管理に忙しくなった者たち】というのが大きかったのでしょう。確かに、あそこなら時計の価値は色褪せないと思います。きっと受け取る人も、時計神【ブレゲさん】も笑顔になっていることでしょう。
だからこそ、時計神【ブレゲさん】には、ちょっと悪いことをしたかもしれません。私はお嬢様のことを「クライアント」としか言いませんでしたが、時計神【ブレゲさん】はスケッチブックに書かれた手首の太さを見て、お嬢様のおおよその身長に気づいているはずです。お嬢様があの工房に赴けば、時計神【ブレゲさん】は孫の顔を見るように喜んだでしょう。しかし彼はそれをしなかった。私が伏せていたかったから。どこまでも偉大な時計職人です。
気を取り直します。
お嬢様に暇も頂き、食料も充分調達したので、旧地獄に行きます。
霊夢さんに教えてもらった間欠泉から、地下へ地下へと降りていきます。どんな妖怪が出てくるのか分からないため、今日は特製の勝負ジャケットを羽織って【本気で警戒して】臨みます。
一匹目が出てきました。釣瓶落としでしょうか。
切り刻むまで三〇秒とかからなかったので、正体が掴めませんでした。
二匹目。「地底は誰でも大歓迎よ~」という土蜘蛛。
三分。いい運動になりました。
視界が開け、橋に差し掛かったところで三匹目。なにやら「妬ましい」と連呼する橋姫。
分身した時は少々焦りましたが、咲夜の世界【ザ・ワールド】を使って急接近し、首をさっくりすると黙りこみました。おそらく、肺と声帯が繋がらなくなってしまったのでしょう。流石に可哀想だったのでくっつけてあげると、奥の方へすたこらさっさと逃げてしまいました。
どうやら、地底の妖怪とはいえ、弾幕ごっこのレベルはそれほど変わらないようです。
橋を渡ると、だんだん空気が不快なものになってきました。
地底だからか、換気ができないのでしょうか。すごくじめじめしています。それになんだか不純物が混じっている気がします。食料を沢山持ってきておいて正解でした。こんなところで育てられた植物を食べるのかと思うとぞっとします。ジョン・ハリスンさん【航海時計〈マリン・クロノメーター〉において偉大な功績を上げた時計師】がいたロンドンも、こんな空気だったのでしょうか。
好奇の目を向けてくる妖怪を無視しながら進んでいると、急に視界が開けました、そして、奥から何やらずかずかと歩いてくるものがいます。
すごい、道の真中を堂々と。まばらに歩いていた妖怪たちも道の端に寄り、その者とは距離を置きました。そして、その者はこちらをまっすぐ見据えています。どうやら私は逃げることができないようです。
案の定、その者は私の前で止まりました。
なんでしょう、この服装。どこかで見たことがあるような。確か、ええと、外の世界の、学生が使う運動服。
そんなことを考えていると、その者は声をあげました。
「あんたかい、うちのパルスィに手を出したよそ者は」
はて、なんのことでしょう。
考えあぐねていると、先ほど首をさっくりとしてしまった妖怪が、その者の服を掴んで後ろに立ち、こちらをじっと見つめているではありませんか。なるほど。この者は地底でそれなりに権力を握っているようです。
「出したのは、手ではなくナイフです」
その者は、私が先ほど考えあぐねたように、何を言っているのか分からないといった様子でした。
三秒して、その者が言います。
「要するに手を出したんだろう」
「はい」
その者はとても面倒くさそうなものを見る目で私を見ました。
「私は星熊勇儀。鬼だ。地底ではそれなりに名が通ってる。あんたは?」
「地上から来ました十六夜咲夜です」
「ふうん、目的は」
「時計職人の方から、金【ゴールド】と紅玉【ルビー】を取ってくるように頼まれました」
「ほう」
勇儀さんの顔色が変わりました。面倒くさそうなものを見る目から面白そうなものを見る目へ。
しばらく口元に当てられた手を解いて、星熊勇儀さんは言いました。
「そういうものが出る場所は地底でも限られていて、ある場所で取れる。で、私が頼みでもしなければタダではもらえないだろう。で、あんたはそこがどこか知っていて、繋がり【コネ】を持っているかい」
「残念ながら、どちらもありません」
「そうかい。ならあんたが持ちうる選択肢は二つだ。
一つ。私と飲み明かして口を割ってもらう。
二つ。弾幕ごっこで私を満足させる。
さあ、どちらを選ぶ?」
あらあら。
選ぶも何も。勇儀さん、さっきから指をパキパキ鳴らせていますよ。
まあ、私もつまみ【リューズ】をキリキリと巻いているんですが。
「二番目でお願いします」
「オーケー!」
なにやらどよめきが聞こえます。そういえば、ギャラリーがいたんでした。さっきの妬み妖怪も、いつの間にか勇儀さんの側から離れています。
存分に暴れまわってもいいということですね。望む所です。私もナイフの新しい運用方法を編み出したところなので、いい腕試しになるでしょう。
「ただし、手加減として特別ルールだ! 私が今持っている杯【星熊盃】から、一滴でも酒をこぼせばあんたの勝ちだ! いいね!」
「わかりました。ところで、どなたか試合開始の合図をお願いします」
ガチ、という硬い感触がして、つまみ【リューズ】の巻き上げが終わりました。
残存動力表示【パワーリザーブインジケーター】の最終確認。29.5日。異常ありません。
私の思考回路は秒読み【カウントダウン】を始めます。
戦闘思考回路形成開始。
三。
誰かが名乗りでて、手を振り上げます。
二。
「用意!」
一。
「始め!!」
〇。
Ⅶ
戦闘思考回路形成完了。
戦闘開始。
敵、移動開始。
歩速。
敵移動速度は咲夜の世界【ザ・ワールド】緊急発動速度の範囲外。
健康確認開始。
完了。
全確認項目異常なし【オールグリーン】。
戦闘形態は通常状態。
戦術は第二作戦【タスク02】を一時放棄し、第三作戦【タスク03】を使用。
戦闘情報収集思考回路準備完了。
行動開始。
ジャケット内の第一から第一八〇ナイフの拘束具を除去、ナイフを空中に展開。
二、一、〇。展開終了。
展開済ナイフのうち一〇〇を五つの輪に分割。
自身を囲うように円形配置、残りは浮遊。
配置完了。
配置済みナイフを、自身を軸として回転開始。
該当輪転ナイフ群の全速輪転【フルドライブ】まで残り1.3秒。
敵、使い魔を召喚。
使い魔に浮遊ナイフを三本投擲。
全弾命中。
使い魔を三匹撃破。
撃破による打ち返し【カウンター】は確認できず。
全該当ナイフの全速輪転【フルドライブ】完了。
ナイフ回収開始。
一、〇。完了。
敵使い魔、レーザーを発射。
二時方向上空へ移動。
全レーザーの回避を確認。
敵、輪転ナイフ群の高確率命中範囲内【リーチ】に突入。
第一輪転ナイフ群、発射。
使い魔の半壊を確認。
敵の移動停止を確認。
敵、右腕で防御【ガード】を開始。
第一輪転ナイフ群の敵右腕への命中を確認。
回転続行中。
ナイフによる敵の損傷【ダメージ】、確認できず。
追撃開始。
体感時間加速【クロックアップ】を第一輪転ナイフ群に適用。
第一輪転ナイフ群の超高速輪転【オーバードライブ】を開始。
火花により敵の損傷【ダメージ】不明。
第二輪転ナイフ群、発射。
敵右腕に命中。
体感時間加速【クロックアップ】を第二輪転ナイフ群に適用。
第一及び第二輪転ナイフ群の攻撃終了まで四秒とする。
第一及び第二輪転ナイフ群、回収まで三、二、一、〇。
第一及び第二輪転ナイフ群に使用中のナイフを回収開始。
全体感時間加速【クロックアップ】解除。
ナイフ回収完了。
敵の反撃【カウンター】は確認できず。
回収したナイフを二つに分け円形配置。
配置完了。
該当輪転ナイフ群の全速回転【フルドライブ】まで残り1.3秒。
敵の損傷【ダメージ】を確認。
損傷痕は、軽いやけどとみられる。
敵スペルカード、発光開始。
後方へ退避。
該当輪転ナイフ群の全速回転【フルドライブ】完了。
「鬼符『怪力乱神』!!」
敵の弾幕発生を確認。
弾幕の硬直を確認。
弾幕の起動を確認。
ボム発動。
咲夜の世界【ザ・ワールド】。
全弾道を計算開始。完了まで九秒。
八、七、六、五、四、三、二、一、〇。
計算完了。
咲夜の世界【ザ・ワールド】解除。
七時方向の安置へ移動開始。
移動完了。
第一から第五輪転ナイフ群を一斉発射。
全輪転ナイフ群、敵に命中。
体感時間加速【クロックアップ】を第一から第五輪転ナイフ群に適用。
猶予を一〇秒とする。
九、八、七、六、五、四、三、
スペルカードの撃破【ブレイク】を確認。
追撃として輪転を続行。
二、一、〇。
全輪転ナイフ群を回収開始。三秒。
二、
敵、使い魔を召喚。
敵、弾幕を展開。
ナイフ回収中のため、全残存ナイフを反撃に投入。
スペルカードルールに則り、スペルカード名詠唱開始。
「奇術『エターナルミーク』」
一、
自身に体感時間加速【クロックアップ】を適用。
全ナイフ投擲開始。
使い魔の半壊を確認。
残存使い魔、レーザーを発射。
スペルカード使用中のため回避不能。
〇。
被弾。
左腕損傷。
体感時間加速【クロックアップ】を左腕に集中。
治癒まで二秒。
一、
全ての使い魔の壊滅を確認。
敵のダメージを解析。
不明。
一〇時方向より敵の弾の接近を確認。
スペルカード使用中のため回避不能。
〇。
被弾。
右脚損傷。
スペルカードルールに則り、「エターナルミーク」が強制終了。
エターナルミークで消費した第一〇一から第一八〇ナイフの回収を開始。四秒。
体感時間加速【クロックアップ】の対象を右脚に転移。
右脚治癒まで三秒。
三、
敵スペルカード発動の予備動作を確認。
態勢を緊急事態方式【エマージェンシーモード】へ。
懐中時計【ポケット・ウォッチ】の脱進機【アンクル、ガンギ車、振り石】と調速機【テンプ】を強制排除【パージ】、香箱【ゼンマイ】及び周辺歯車【ギア】を超高速回転【オーバードライブ】。
体感時間加速第二段階【ハイパークロックアップ】開始。
右脚の治癒を確認。
体感時間加速【クロックアップ】の対象にナイフ回収を適用。一秒。
〇。
「力業『大江山嵐』!!」
全ナイフの回収完了。
脱進機【アンクル、ガンギ車、振り石】と調速機【テンプ】を懐中時計【ポケット・ウォッチ】内に設置。
体感時間加速【クロックアップ】を解除。
二時方向からの弾幕を確認。
即興【アドリブ】回避行動開始。
全ナイフを九つに分け円形配置。
輪転配置完了次第順次発射開始。
第一輪転ナイフ群命中。体感時間加速【クロックアップ】を適用。
第二輪転ナイフ群命中。体感時間加速【クロックアップ】を適用。
スペルカードブレイクまで二秒。
第三、第四輪転ナイフ群命中。体感時間加速【クロックアップ】を適用。
一、
右目盲点方向より回避不可能弾幕の急速接近を左目が確認。
緊急事態【エマージェンシー】。
対策思案開始。
完了。
脱進機【アンクル、ガンギ車、振り石】と調速機【テンプ】を懐中時計【ポケット・ウォッチ】内より強制排除【パージ】。
ゼンマイの超高速回転【オーバードライブ】を開始。
体感時間加速第二段階【ハイパークロックアップ】開始、全攻撃中ナイフで超高速攻撃。
第五、第六輪転ナイフ群命中。体感時間加速【クロックアップ】を適用。
〇。
スペルカードブレイク。
かすり【グレイズ】確認。
自身の損傷なし。
第七輪転ナイフ群命中。体感時間加速【クロックアップ】を適用。
懐中時計【ポケット・ウォッチ】より、ソ音の警告音【アラート】。
残存動力【パワーリザーブ】、2.9日分。
通常思考回路内における動揺を確認。
戦闘思考回路に復帰せよ。
戦闘思考回路再形成完了。
懐中時計【ポケット・ウォッチ】内に脱進機【アンクル、ガンギ車、振り石】と調速機【テンプ】を設置、体感時間加速【クロックアップ】を解除。
第八輪転ナイフ群命中。
輪転速度は通常を維持。
推定残存戦闘時間計算。
猶予ゼロ。
戦闘中につまみ【リューズ】巻き上げるべきか。
いいえ【ノー】。
戦闘終了まで僅か。勝負に出る。
残存ボム量計算。完了まで三秒。
二、
敵、スペルカード名を詠唱。
「四天王奥義『三歩必殺』!!!」
敵、前進を開始。
一、
一歩。
敵の弾幕発生を確認。
弾幕の硬直を確認。
第九輪転ナイフ群命中。輪転速度は通常を維持。
〇。
使用可能ボム数計算完了。一ボム。
敵、前進。
二歩。
敵の弾幕の発生を確認。
弾幕の硬直を確認。
敵、前進。
三歩。
緊急事態【エマージェンシー】。
回避不能。
全方位に弾幕を確認。
弾幕、移動を開始。
ボム。
スペルカードルールに則り、スペルカード名詠唱。
「幻符『殺人ドール』」
全ナイフ、活動停止。
及び、方向転換可能状態を維持。
周囲の弾幕の消滅を確認。
ボムの無敵時間有効期限まで三秒。
緊急通常思考開始。
二、
殺人ドールでナイフの攻撃方向を全て盃に集中させれば、盃から一滴、酒が溢れるかもしれない。
その可能性に掛けるべきか。
一、
否。
しょせん弾幕ごっこである。
負けても酒を飲めばよろしい。
〇。
戦闘思考回路再形成完了。
全ナイフの方向を決定。
全ナイフで敵を包囲。
全輪転ナイフ群の攻撃方向を外側から内側へ変更。
攻撃再開。
球転攻撃開始。
残存ボム、ゼロ。
スペルカードブレイクまで、推定約八秒。
秒読み【カウントダウン】開始。
七、
敵、第二波攻撃を開始。
敵、前進。
六、
一歩。
弾幕の発生を確認。
弾幕の硬直を確認。
五、
敵、前進。
二歩。
弾幕の発生を確認。
弾幕の硬直を確認。
自身を十二時方向に前進。
四、
敵、前進
三歩。
弾幕の発生を確認。
弾幕の硬直を確認。
弾幕、移動開始。
三、
弾幕の移動に応じ後退。
間隙を捜索。
スキマ確認不能。
緊急事態【エマージェンシー】。
選択肢を厳選開始。
完了。
弾幕の前進に合わせ後退を開始。
二、
壁に衝突。
後退不能。
賭け【ギャンブル】。
十一時方向に緊急回避【嘘避け】。
対ショック態勢。
一、
スペルカードブレイク音確認。
〇。
対ショック態勢解除。
敵を視認。
両手を上げている。
戦闘の勝利を確認。
残存動力【パワーリザーブ】確認。六時間分。
戦闘思考回路解除。
通常思考回路に移行。
三、二、一、〇。
Ⅷ
「いやー、あんた強いね」
「それほどでも」
つまみ【リューズ】を巻きながら、私は平然とした顔で答えていました。
しかし内心、穴にあったら入りたい気分でした。
これほど焦った弾幕ごっこはありません。
いくらなんでも弾幕ごっこ一度に一ヶ月分の動力【パワー】を使うのはひどすぎます。
どうやら輪転ナイフ群一つに対して一対象物分の体感時間加速【クロックアップ】を使ったのがまずかったようです。気づかぬうちに香箱【ゼンマイ】やその他もろもろの歯車【ギア】が高速で回転しているとは、なんたる失態。とにかく、輪転ナイフ群はもう二度と使いません。
でもナイフで囲って球転攻撃を加えるというのは、ちょっとアリかも。
「どうだい、せっかくだし一杯飲んでかないかい」
「お断りします」
何を言っているんですかこの鬼は。
飲まないために弾幕ごっこをしたんでしょう。
「つれないねえ」
「私はそういう人なんです。それに、彼女の前で他の女性を誘うのはどうかと思いますよ」
私は勇儀さんの背後を指さしました。
その女性はとても妬ましそうな視線を私に向けています。
「いや、パルスィ、これはそういう意味で言ったんじゃ」
「どうせ私は弱くて戦い甲斐も飲み甲斐も無い相手よ」
「いやだから違うんだって」
「その言い訳、何度目よ……妬ましい」
その後の痴話喧嘩【いちゃこら】は省略します。
結局勇儀さんはパルスィさんに口喧嘩で勝つことはできず、金【ゴールド】と紅玉【ルビー】の交渉をしにとぼとぼと去って行きました。
成り行きで二人で飲み始めます。
鬼とふたりきりで飲むような、危険な事態にはならないでしょう。
「あんたは、なんで地底になんか来たの」
「時計を注文したら、代わりに金とルビーを持ってくるように頼まれました」
「時計」
「そうです、時計です」
「たかが時計にしては、随分な対価ね」
「時計の世界は奥が深いのです。私が頼んだのは特殊な機能を持った時計でして、作るには家が二、三件建つくらいのお金が必要なんです」
「……すごいわね。私達の世界とは大違い」
そう言って、パルスィさんは懐中時計【ポケット・ウォッチ】を机の上に置きました。
銀色【シルバー】の、シンプルなデザインの時計です。この外装はステンレススチール【SS】でしょうか。懐中時計としてはやや大ぶりで、テニスボールくらいの直径です。
「触ってもよろしいですか」
「どうぞ」
リューズの上のボタンを押し、蓋【カバー】を開きます。
「あら」
意外なことに、文字盤【ダイアル】は真っ黒な炭素【カーボン】でできていました。文字【インデックス】は棒状【バー】で針【ハンド】はコブラ型針【メルセデスハンド】、そしてそれぞれに夜光塗料が塗ってあります。それもトリチウム夜光【放射性物質トリチウムを使った夜光塗料で、蓄光の必要がない】。懐中時計【ポケット・ウォッチ】にこういう趣向が凝らされているのは珍しいことです。
さらに驚くべきことに、十二時方向に月齢表示【ムーンフェイズ】まであります。月には彫刻がなされ、まるで月のミニチュアを見ているよう。なんとこれも光っています。
「不思議な時計ですね」
「そう?」
「暦【カレンダー】や日付表示【デイト】がないのに月齢表示【ムーンフェイズ】がついているというのは、地上ではほとんど見ませんね」
「そうなの。こっちじゃ月齢表示【ムーンフェイズ】があるのが普通なんだけど」
「どうしてですか?」
「月が見えないから。月が見える地上の人間と妖怪が妬ましいから」
えーと。
こういう時、どう声をかければいいのでしょう。
困った顔をしていると、パルスィさんが言葉を続けます。
「ああ、そんなに重大【シリアス】に捉えなくていいわよ。月の力は地底まで効果あるし、ただ見えないってだけだから。太陽と天候はなんとかなるんだけど、『月を作る』ってのは高尚すぎて、みんな手を出しづらくて作ろうとしないの。だからみんな、作っても大丈夫そうな、小さな月を手元に置いておきたくなるのよ。月が彫刻なのも、少しでも現実感【リアリティ】が欲しいから」
「なるほど。地底ならではの屈託なんですね。ところで、どうして腕時計ではなく懐中時計【ポケット・ウォッチ】を使っているんですか?」
「腕時計は小さすぎてここ【地底】で動かすには向かないのよ。ここ【地底】、空気汚いでしょ。少しでも大きい懐中時計【ポケット・ウォッチ】にした方が故障しにくいし、解体洗浄【オーバーホール】もしやすいの」
「なるほど。文字盤【ダイアル】が炭素【カーボン】で夜光塗料を使っているのは、暗いからですか。この文字盤【ダイアル】で文字【インデックス】と針【ハンド】に夜光塗料が塗られていると、とても見やすいです」
「そう。太陽を出そうと思えば出せるんだけど、暑いからめったに出てこないわ」
その後、地上と地底の世間話をしていると、勇儀さんが金【ゴールド】と紅玉【ルビー】、それからおみやげ用の焼酎を持ってきてくれました。
直後、私は別れの挨拶をして地底を後にしました【鬼と飲むのは御免なので】。
今度、地底用の巨大な月齢表示【ムーンフェイズ】がある時計塔でも提案してみましょうか、と思いながら。
Ⅸ
金【ゴールド】と紅玉【ルビー】を届けると、あとは完成を待つのみです。
お嬢様のわんぱく【わがまま】に付き合い、時計たちの誤差を修正し、パチュリー様の実験の後始末をし、小悪魔を手伝い、美鈴を叩き起こし、妹様にお茶菓子を提供するという忙しない日々を過ごしていると、三ヶ月というのはあっという間に過ぎて行きました。
今まで郵便受けに手紙が届くことはほとんどありませんでしたが、材料を届けて以来、郵便受けを見るのが日課になっていました。
そしてある日、とうとう私宛の封筒が届いていました。見なくても分かります、例の件です。
その場で開けると、時計が完成した、という旨のメッセージが入っていました。
すぐさまお嬢様にお暇をもらい、妖怪の山に向かいます。面倒なチェックに少し苛立ちながら、私は時計神【ブレゲさん】の工房に着きました。
鐘【ベル】が鳴り、私は工房に入って、
二つのサインを書き、
二つの箱を受け取ります。
その場で開けて、中身を確認。
うん、流石の出来です。
「ありがとうございます。大変だったでしょう」
『いやいや、楽しいひとときだったよ』
「それはよかったです」
『クライアントにもよろしく伝えておいてくれ。不意打ち【サプライズ】の成功を祈る。ああそれと』
「なんでしょう」
『君の懐中時計【ポケット・ウォッチ】に使われている材料がわかったよ』
「えっ」
驚きました。あまりにも唐突です。
時計神【ブレゲさん】の言葉を待ちます。
『外の世界の人類が持ち帰ってきた月の石が持つ振動──いや、魔力と言ったほうが分かりやすいかな──と、君の時計の発するものが一致した。多分その時計は月製だ』
「月……」
動揺を隠せません。
「月の時計」だと分かったことはもちろん、文字盤【ダイアル】を「月文字盤【ルナ・ダイアル】」と名付けたこととも、今では空恐ろしく思えます。
時計神【ブレゲさん】が続けます。
『君は歳を取らないようだし、もしかしたら月の住人が作った人造人間【アンドロイド】かもしれない』
「構いませんよ」
即答したことに、時計神【ブレゲさん】は少々驚いたようでした。
人造人間【アンドロイド】だって、構いません。
だって、人造人間でも、お嬢様の側にいることができるじゃありませんか。
「生きることも死ぬことも、よく分かっていますから」
返事は表示されませんでした。
お辞儀をして、扉が閉まる音を確認すると、私はすぐさま紅魔館に戻りました。
紅魔館に戻ってすぐ、私はお嬢様の部屋に向かいます。
一分一秒が惜しかったので、咲夜の世界【ザ・ワールド】を使って部屋の前まで向かいいました。
一度肺の空気を全て吐き出し、今度は大きく吸います。リラックスしてドアをノック。
「入れ」
「失礼します」
ドアを開けます。お嬢様は、ベッドに横になって漫画を読んでいました。
部屋に入る私を見て、驚きます。
「それは」
「この前の腕時計です。完成しました」
「ほう」
「つけてもらってもよろしいですか」
「ああ」
そう言うと、お嬢様はベッドに座り、姿勢を正しました。心なしか、お互いの顔に緊張が走った気がします。
私はお嬢様の前で跪き、箱を開けます。
お嬢様は左腕を差し出し、私はその細く可愛らしい腕に帯【ベルト】を巻き付けます。
巻きつけている間の二人の静寂に、チキチキという時計の高速振動音【ハイビート】が響きます。
「鏡の前にどうぞ」
「ん」
二人で、吸血鬼用の鏡の前に移動します。
私はお嬢様の後ろに立ち、その姿を凝視します。
やはり、似合っていました。
そこには、容器【ケース】は丸型【ラウンド型】のホワイトゴールド【WG】で、帯【バンド】は桜色【ピンク】の鰐革【アリゲーター】で、文字盤【ダイアル】は白い地球外物質【格子状の模様が入った隕鉄/メテオライト】で、目盛【インデックス】は浮き出た【アップライト】ピンクゴールド【PG】のローマ数字【ローマンインデックス】で、針【ハンド】もピンクゴールド【PG】のブレゲ針【先端のやや手前に丸がある針/ブレゲハンド】で、中央に機械式時計用重力誤差均等化装置【トゥールビヨン】が設置された腕時計を巻いているお嬢様がいました。
機械式時計用重力誤差均等化装置【トゥールビヨン】の、心臓の鼓動のようなダイナミックな回転を見て、お嬢様が呟きます。
「大義だった」
「ありがとうございます」
「ところで、気になることがあるんだけど」
「何でしょうか」
「どうして、こういうデザインにしようと思ったんだ」
うふふ。
それを聞かれるのを待っていました。
「はい。この中央設置型機械式時計用重力誤差均等化装置【センタートゥールビヨン】というデザインは、製作に当たって多大な労力を必要とします。ただでさえ最高峰の技術を必要とする機械式時計用重力誤差均等化装置【トゥールビヨン】を中央に入れるとなると、他に複雑機能【コンプリケーション】を入れるのが難しくなります」
「ふぅん」
「ですが、この時計は違います。お嬢様にふさわしい、複雑機能【コンプリケーション】が二つ備わった、世界に一つしかない超複雑時計【グランド・コンプリケーション】なのです。
九時方向のレバーを動かしてみて下さい」
「ん」
言われるがままに、お嬢様はレバーを動かします。
そして、腕時計内部の、一センチに満たない鎚【ハンマー】が鐘【ベル】を鳴らします。
ソ音が七回鳴り、ソ音とシ音が同時に二回鳴り、シ音が三回鳴りました。
「なんだ、これ」
「これは、複雑機能【コンプリケーション】の一つ、時刻反復音響装置【ミニッツリピーター】です」
「ミニッツリピーター」
「はい。最初のソ音が一時間単位、シ音とソ音が同時に鳴ると一五分単位、シ音が一分単位で時を知らせます」
「……なんでこの時計にこれを」
私は、少し屈んで、口元をお嬢様の耳に近づけました。お嬢様は一瞬身を反らしましたが、私がお嬢様の両手を持つと、反らせるのをやめました。
「お嬢様、私は日頃から、お嬢様の呼び出しにもっと早く反応したいと思っていました」
あの夢を見て、私は、もっとお嬢様と過ごす時間を増やしたいと思っていました。
あの夢を見て、私は、死をもってお嬢様と隣合うのは嫌だと思いました。
そういう言葉は、飲み込みました。
「そのために、遠く離れていても、すぐに駆けつけられるようにしました」
両手を離し、私は自分の左手首を右手で覆います。
そして、右手を離すと、私の左腕には、帯【バンド】が紺色【インディゴ】の鰐革【アリゲーター】で、容器【ケース】が丸型【ラウンド型】のステンレススチール【SS】で、文字盤【ダイアル】は銀【シルバー】で、針【ハンド】は白い葉型針【リーフハンド】で、二対象物記秒針【スプリットセコンド針&クロノグラフ針】は青い棒型針【バーハンド】で、目盛【インデックス】には申し訳程度にローマ数字【ローマンインデックス】が使われていて、十二時方向に永久月齢表示【エターナルムーンフェイズ】と、九時方向に小文字盤【インダイアル】を使った永久暦【エターナルカレンダー】と、六時方向に曜日表示【デイ】と秒目盛【スモールセコンド】を兼ねた少文字盤【インダイアル】、三時方向に二対象物対応記秒機能【スプリットセコンド】用の小文字盤【インダイアル】が表示された腕時計が巻かれていました。
この時計は、お嬢様のものにはない機能しか備わっていません。そして、搭載されている二つの複雑機能【コンプリケーション】、永久暦【エターナルカレンダー】と二対象物記秒機能【スプリットセコンド】。私のこの時計もまた、超複雑時計【グランド・コンプリケーション】。そして、二つ【ふたり】合わせて、全ての複雑機能【コンプリケーション】を備えた時計、完全で瀟洒な超複雑時計【パーフェクト・コンプリケーション】になるのです
私は何も言わず、お嬢様の時計の時刻反復音響装置【ミニッツリピーター】を鳴らします。
再び奏でられるソ音とシ音。
そして、同時に私の時計がブルブルと振動します。
お嬢様は、何を言いたいのか察したようでした。
それでも言います。
「お嬢様」
「うん」
「私が必要になったら、時刻反復音響装置【ミニッツリピーター】を使ってください。いつでも駆けつけます」
この時計のこの機能【お嬢様の時計が、私の時計を動かす機能】がどんな原理で動いているのか、私にはわかりません。神の領域でないと、おそらく理解できないでしょう。
私はこの機能を、運命の輪【ホイール・オブ・フォーチュン】と呼ぶことにしました。
今はまだ、秘密ですが。
ただ、ひとつ。この機能を作るにあたって、私は、私の懐中時計【ポケット・ウォッチ】の一部を使いました。
具体的には、
脱進機【アンクル、ガンギ車、振り石】を、私の時計に。
調速機【テンプ】を、お嬢様の時計に。
つまり、
【私の心臓】
を、この機能【お嬢様と過ごす時間】に捧げました。
この機能を作るにあたって、私は命綱のない綱渡りをしました。
具体的には、私の懐中時計【ポケット・ウォッチ】から脱進機【アンクル、ガンギ車、振り石】と調速機【テンプ】を取り出し、他の時計から私の懐中時計【ポケット・ウォッチ】にそれらを移植しました。
なぜ、そこまで【命を懸けてまで移植】するのかって?
簡単です。
私の一部が、いつでもお嬢様の近くにいられるというのは、最高じゃないですか。
お嬢様が、くっくと笑います。
「この時計じゃ、場所までは分からないだろ」
「なんとか探します」
「中途半端に原始的【プリミティブ】だな」
「すみません」
私も、お嬢様も、くすくすと笑いました。
さようなら、私の心臓【行ってらっしゃい、私の心臓】。
さようなら、私の生涯【ようこそ、第二の人生】。
そして、お嬢様。
私は、ずっと側にいます。
「咲夜」
「はい」
「ご苦労だったな」
「大したことではありません」
「褒美を遣わす。目を瞑れ」
「はい」
跪いて、それでも顔を上げた姿勢で、私は目を瞑ります。
ご褒美は冷たくも、温かい感触でした。
Ⅹ
それから、鐘【ベル】が鳴ることが多くなり、私の日常は少し忙しくなりました。
でも、それもどこか気持ちのいいものです。
それよりも、懸案事項が一つ。
時折、妹様が、お嬢様の時計を羨ましそうに眺めているのです。
さて、どうしましょうか。
また、スケッチブックと格闘することになるかもしれません。
fin
そんな状態で面白かったと言って良いのか解らないのですが、倒錯した【正直な】咲夜さんが可愛い【可愛い】かったです。
【】内の専門用語は、時計用語か、引いても咲夜さんの台詞(地の文)ぐらいに留めて欲しかったかなとおもいます。
折角面白く活用しているところも多々見受けられるのに、全体でクドすぎるために作者が自分で持ち味を殺している状態でした。