※このお話は続き物です。
太陽と真紅の友情物語Act0をお読みになられてない方はご注意を。
「―――はたて、はたて? いるなら返事なさい」
すっかり日が落ちた夏の夜。
人里で一悶着がありつつも、疲れた身体に鞭を打ちながら、我が家には戻らず知り合いの家を鴉天狗である射命丸は訪ねていた。
「はーい。ちょっと待ってー。今開けるから」
木造で作られた家の扉を軽くノックしながら呼びかければ、中から家主の声が返ってくる。
鍵を開ける音が聞こえ、ドアノブを回して扉を開けた天狗は待ちかねていたかのように不敵な笑みを浮かべて射命丸を迎え入れた。
「おかえりー。散々だったみたいね?」
「ええ。全くよ」
開口一番、労いの言葉なのか意地悪のつもりで言ったのかわからない言葉を射命丸は聞きつつ、扉を開けた少女の横をすり抜けて家へと上がり込む。
服装は射命丸と同様のブラウスとミニスカートであったが、全体的に白黒で統一している射命丸に対抗してか、それとも被るのを避けてか派手な紫色に抑えるような黒色を混ぜ込んだ衣装だ。
栗色の髪を紫のリボンでツインテールに纏め、動く度に揺れるのを見て邪魔にならないのソレ? と心の中で思ったり思わなかったり。
彼女の名は、姫海棠はたてと言う。
「その口ぶりからすると、“私を念写してたんでしょ”?」
「文が戻ってくるまで他にすることがなかったんだもん。あ、でも細かな所は教えなさいよ? 折角合同で記事にする約束なんだから」
「メイド長の動向は?」
「動く気配は微塵もなかったわよ? 律儀すぎるというか、あれこそ従者の鏡っていうの? 主の命令は絶対って私達に通じる所あるわよねー」
真似出来そうなの椛ぐらいだろうけどさと可笑しそうに笑う姫海棠であるが、射命丸は口許に手を当てて思案気な顔になった。
「……はたての事はバレてはないと思うから、本当に自分で探すつもりはないようね。まぁ、それも当然でしょうけど」
「文に期待しているのが半分って所よね多分」
「半分も期待されてるなら上出来よ」
「そうなの?」
「そうよ。貴女も直接会ってみれば分かるわ。あのメイド長はメイド長なりに信頼する人に拘りがあるようだから」
紅魔館の瀟洒なメイド長、十六夜咲夜にお嬢様を探してほしいと依頼はされはしたものの、信用は恐らくされていない。
元々新聞絡みの間柄しかなく、レミリアが射命丸が発行している文々。新聞の購読者であるという繋がりしかなかったのだ。
「おかげ様で手掛かりを探すのに色んな事に巻き込まれ過ぎたわ」
「あぁ………接吻?」
「何でそこだけ抜き取った!?」
「え? いやだって、誰かに追い回されるのはいつもの事じゃん?」
「いつもの事だけど! あ、あれは私はしてないし、ギリギリセーフだったわよ!」
射命丸のセーフ発言に、姫海棠は首を傾げながら片手に握っていた携帯電話の液晶画面を凝視した。
「えー? んー……アングルが上からだからかなぁ? どう見てもこれアウトな気がするんだけど」
「セーフって言ったらセーフなのよ! とにかく! はたてには急いでやって貰う事があるんだからこの話は終わりよ終わり!」
首を傾げる姫海棠を睨みつつ、顔を赤くしながら咳払いすると、六畳間のスペースに胡坐を掻いて射命丸は座り込んだ。
畳の上には簡素な作業台と原稿用紙が並べられている程度だが、明かりについては上にぶら下げられた豆電球が人口の光を作り出している。
作業台を挟む形で姫海棠も射命丸の前に座ると、握っていた携帯電話を作業台に置き、射命丸もスカートのポケットからメモ帳に使用している黒い手帳を取り出した。
「まぁいいけど。で? “目星”は付いたの?」
「勿論よ。……逆にあっさり見つかって、何か嵌められている気がしなくもないけど」
それでも、裏を取れる方法で探す分には、これが正確で一番早い筈だと。
射命丸は、自分の探し方に疑問は感じていない。
「フラワーマスター、風見幽香の近辺を探るわよ。ここ2、3日の動向でいいから、念写お願いね」
疑問を感じているとすれば、レミリア・スカーレット本人が考えている事だ。
何故今になって屋敷を離れたのか。
フランドール・スカーレットが昔監禁されていたとはいえ、紅魔異変以後から屋敷の外に何度か外出しているのは確かなのだ。
(……本当に、フランドール・スカーレットの為だけに屋敷を離れたのかしら?)
今は憶測しか浮かびようがないが、真相を究明するのが記者の役割である。
その為ならば、あらゆる手段を用いよう。
「はいはい。それじゃあ風見幽香っと……」
射命丸の内心を知ってか知らずか、今回の件を合同で記事にしないかと射命丸が持ちかけた相手、姫海棠はたては己の能力を行使する。
天狗達の中でも稀有な能力であり、探すような一件ならば絶大な効果を発揮する、念写による過去の投影を―――。
■⑦
吸血鬼とは、幻想の中でも上位に立つ存在である。
多くの弱点を抱えながらも一時代を築き上げた最強の幻想種。
先ず立ち向かおうとは思わない。太陽が出ていない夜中となれば尚更であり、遭遇した場合は天災に見舞われるレベルと自覚するべし。
“食糧”である人間の視点から見た吸血鬼の危険度はそんなものだ。
「―――ふふっ。それじゃあ挨拶代わりにこれから行こうか!」
お互いに日傘を折り畳み、片手に持ちながら星空の中相対するも、先手を取ったのはレミリアが先であった。
「天罰!」
片腕を高らかに天に挙げ、練られた紅い魔力に対して悲鳴を上げるように空が震える。
「……ッッ!!」
まるで星々が呼応しているかのような光景に一瞬戦慄するも、下降するようにして回避行動に移る。
震えた空に紅い魔力が浸透すれば、狙い撃つように何十と光線がこちらへと放たれた。
(流石に、昼間の弾幕とは密度が違いすぎるわね!)
直接狙う光線に、先を読むかのように放たれる光線。
光の檻で囲むように放たれる光線の雨に、舌を巻きつつも下降していた体勢から急反転を行い上昇する。
光線の中を掻い潜りながらレミリアの懐に入るのは流石に無理だ。
「無理なら無理で、やり様はあるけれ、どッ!!」
浮上による急激なGが身体を襲うも躊躇わない。
横の回避では私の速度だと瞬く間に捕捉されてしまう。
上昇しながら日傘を持たない方の掌に魔力を掻き集め、レミリアの足元を狙うようにして解き放った。
「光符!」
マスタースパークではない。
スペルカードに関しては自前で強力なのはいくつかあれど、マスタースパークでは頭上から降り注ぐ光の弾幕を一掃するのは無理だ。
自前のスペルカードを見せ札として使う余裕もない。
そうなれば、他の者が使用していた者を参考にするしかないのだが。
「“アースライトレイ”!!」
その点で言えば、流用出来そうなスペルカードを使用する魔法使いを二人知っている。
下から顎を開くように、何十となって迫る光線の群れは、直接レミリアを狙わずに、幽香を狙う“スターオブダビデ”とぶつかり爆散していく。
白煙がレミリアの頭上に広がるも、下から放たれた光線の群れをレミリアは避けようともしなかった。
「随分と余裕があるじゃない?」
「言ったでしょう? 挨拶代りよ。これぐらいは簡単に返して貰わないと困るわ」
優雅に空に佇み、顔に微笑を張りつかせながらそう語るレミリアの態度にカチンと来る物があったが。
「なら、今度はこっちの番でいいわよね?」
日傘の先端に魔力を収束させ、矛先をレミリアに向ける。
眼には眼を。弾幕には弾幕を。
凄惨な笑みを浮かべながら日傘に集う魔力を解放する。
解き放たれる極光魔法。マスタースパークの輝きは、昼間の時よりも更に凶悪な光となってレミリアを蹂躙せんとする。
「ハッ」
レミリアは再び片手を挙げ、迫る極光に合わせるように振り下ろす。
それだけだった。回避をするわけでも、結界を張るわけでもなく。
光速で迫ったマスタースパークを―――五指による鉤爪で“ぶった斬る”。
「………はぁ!?」
その光景に対して正気を疑う声を上げてしまった。
挨拶代りに放ったと言っても手何て一切抜いていなかったのに。
レミリアは、マスタースパークを放った私を鼻で笑うようにしながら囁くように口にした。
「残念だけど、その手の魔法は見飽きているし、魔理沙の奴が月でソレを放って両断されたのを見ているものでね」
だから効かないわよソレと、小馬鹿にするように言い切られてしまえば、張り付かせた笑みは不愉快な物に変わってしまう。
(……あのお馬鹿。私のスペルカードパクっておいて簡単に打破されてんじゃないわよ……!)
ここには居ない黒白の魔女の醜態に憤りながらもしかし、考えている余裕はあまりなかった。
レミリアが、差していた日傘を手放すようにして投げ捨てたのを見た為に。
「さぁ、それじゃあお互い挨拶もした事だし―――そろそろ本気でやってもらうわよ? 幽香」
片腕に集らせていた先の魔力は、本当に挨拶代りだったのか。
“全身”から立ち昇らせた紅い魔力は、形を成さんと肥大化していった。
「……!」
肥大化する魔力を束ねるように形成されるは紅い鎖。
紅い鎖は、尖端を鋭利な槍へと変貌させ、蛇蝎の如く無軌道に星空を這い寄った。
(ッ、さっきの光線と同じ! どうせ自機狙いとばら撒きでしょ!!)
風切り音と共に迫る鎖を身体を捻るようにしてかわし、空を這い寄る他の鎖を掻い潜りながら上昇する。
密度は先ほどの弾幕の方が上。しかし、一撃でも直撃すればタダでは済まない。
「はぁぁッ!!」
下から迫る鎖を日傘で払い、動きながらこちらも弾幕を展開していく。
幸いにもここは私の領域。弾幕ならばいくらでも形成出来―――。
「ヅッ!?」
―――視界にノイズが走ったのと、身体に痛みが走ったのはほぼ同時だった。
痛みは背中から。上昇していた所を狙い撃たれたとしか思えない衝撃に、首を捻ってかわしてみれば。
「―――さっきと同じとでも思ったかしら?」
ケラケラと、愉快気に笑う蝙蝠が一匹―――。
「グ、アアアッッ!?」
噎せ返りそうになる喉元で吠え、返しとばかりに日傘を上段から薙ぎ払う。
しがみつくように鉤爪を私の背中に突き立てていたレミリアに、その一撃を避けられる筈もなく。
「―――」
ゴシャリと、西瓜を叩き割るような感触を感じ取った。
直後に舌打ちする。
(こいつ……!)
吹き飛ばした頭部はまるで霧のように四散したかと思えば、残りの身体はバラバラに弾けるように小さな黒い蝙蝠群へと変貌していく。
吸血鬼特有の変身能力。頭をかち割った感触は手に残れど、その身体は何もなかったのかように四散した蝙蝠は集い、“私の頭上”で再び形を成す。
「どうした幽香? どうしたフラワーマスター? その程度じゃ勝負にもなりはしないわよ―――」
形を成せば、再び蛇蝎の如く紅い鎖が私を刺殺さんと迫る。
腹立つ事に、嘲笑うレミリアのBGM付でだ。
「調子に―――」
迫る鎖を今度は避けず、動く度に痛みを訴える背中の傷すら無視して日傘を横薙ぎに払う。
払った日傘は鎖を弾き、あらぬ方向へ威力を殺しきれないまま落ちる鎖群。
その鎖の軌道は、私の横を通る物だったが。
「乗るなッッ!!」
弾いた鎖に見向きもせず、“鎖の上を滑るようにして迫るレミリアへと片腕を突き出した”。
先程の背中からの奇襲はこのせいだ。独特の移動法だが、単純に飛んで移動するよりも加速は付いている……!
迫るレミリアに向け、突き出した腕から発動するは二度の極光魔法。
「ハッ! だからそれは効かないわよッ!!」
轟音と共に放たれたマスタースパークを異に介さず、先と同様の方法で鉤爪を振るいぶった斬って見せたレミリアは、私の喉元を抉らんと背中に生やす黒い翼を羽ばたかせ、更に加速せんとした。
「―――誰が一発だなんて言ったかしら?」
切り裂き、星空の中突撃してくるレミリアを見ながら、そこでようやくほくそ笑む。
私の言葉に、不敵な笑みを浮かべていたレミリアは目を見開くも―――何もかも遅すぎる。
轟音が再び空を震わすように鳴り響く。レミリアの横合いからほぼ零距離で。
閃光が視界を焼いていく。私と瓜二つの“分身”によるマスタースパークを避けられず、白煙を纏いながら吸血鬼は向日葵畑に落ちていく。
「花符―――」
容赦はしない。するべきではない。
相手は最強の幻想種の一角。人に畏怖を与えんが為に生まれた化け物。
何十回と殺す手であろうときっと殺し切れない。
だからこそ“殺せる”タイミングで切り札を切るのは当たり前の思考だ。
「――――え?」
だからこそ―――“切り札”を引く事が出来ない。
愕然とする。掻き集めていた魔力が四散していく。
妨げる物は何もなく、明確な敵意と共にレミリアを討とうとしているというのに。
己の身に起きている異常が、理解出来ない。
(どういう、事なの……?)
倒せない、倒せない、倒せない。
身体が震える。生温い夏の風が頬を撫でていくも、それ以上の寒気が止まらない。
今ならば容赦なく、レミリアに追い打ちが出来るというのに。
“―――幽香、アンタいつからそんなに―――”
―――霊夢の放った言葉を思い出した時には、白煙を纏って向日葵畑へと落ちていたレミリアの姿は、いつの間にか星空に戻っていた。
その顔には笑みが張り付き、心底今の状況を楽しむように高らかな笑い声が上がった。
「アハハハハハハハハハッッ!! そうじゃなきゃ始まらないわ! 風見幽香! 危うく今ので私の方が終わる所だったわよ!」
保ち直した身体に傷は無く、着飾るドレスにすら汚れて一つとない。
満面の笑みで私の名を呼ぶレミリアに対し―――私は浮かべる笑みを忘れてしまう。
代わりに浮かぶは憤怒の類。レミリアにではなく、己に対して馬鹿なと罵しりたくなる程のあり得ない気持ち。
「……レミリア、一つだけ聞いていいかしら……?」
優しくなったと霊夢は口にしたが、明確に敵と定めた者すら倒せない今の状態は、優しさ以前の問題だ。
名を呼んだ私に対して、レミリアは笑みを崩さぬまま可愛らしく首を傾げて見せた。
「何かしら?」
「……貴女、私に何かした?」
射抜く瞳は、そうであって欲しいように訴える。
もし仮に、これがレミリアの仕業でないとしたら、とんだ心変わりも良い所だ。
自分で自分を殺したくなるぐらいには、今の状態に吐き気がする。
「……………」
レミリアは、直ぐには答えようとしなかった。
笑みは凍りつき、瞳を伏せたかと思えば、唇に手を当てるようにして私を見ると。
「そうね……何かしたかと言われれば。間接的にせよ、したでしょうね」
煮え切らない態度と言葉を提示した。
「……そう」
「何をしたか聞きたいかしら?」
「いいえ。今はいいわ」
それだけで充分だった。
日傘を持つ手が、今までより一層尚力強く握りしめられる。
何をしたかは、叩きのめしてから聞けば良いだけの事。
憎らしい原因がレミリアのせいだと分かってさえいれば、それでいい。
「無粋な事を聞いたわね」
不安材料は、“現状”で何処まで闘れるかだ。
マスタースパークを撃てた。分身は形成出来る。魔力も束ねられる。
出来ない事は、花の妖怪としての能力を駆使したスペルカードの発動だ。
(……ほんとに、何処までやれるかしら……?)
大概の相手ならばそこまで追い詰められる事もないが……眼前の吸血鬼を相手に、出し惜しみする余裕があるかと言われれば絶対に否。
それでも無様に負けるのだけは嫌だと。
覚悟を決めて笑みを象った。
「さぁ、再開と行きましょう? 貴女の苦手な朝日まで、まだまだ時間はあるのだから」
「…………」
そんな私を、レミリアは思案気な顔つきのままじっと見つめていた。
その態度に眉を寄せるも、気づいてしまう。
先程まで広がっていた筈の紅い魔力が感じられない事に。
それ所か、向けられていた殺気も鳴りを潜め、荒々しく騒がしくなっていた空気は静かな物へと変わっていた。
「………いいえ。残念だけど、これでおしまいよ」
「は?」
溜息が零れる。私からではなく、レミリアの口から。
白け切った表情で片目を閉じながら私を見れば、両手を上げる仕草を取った。
それが何を意味するか、何が何だかわからない私は、頭の上にクエスチョンマークを浮かべるばかりで。
「“私の負けよ。降参するわ”」
続けてレミリアが言い放った言葉を理解するのに―――いや、何時まで経っても私は理解する事なんて出来やしなかった。
▲行間 Ⅰ
変わらなければいけない。
フランがではない。私が変わらなければならない。
霊夢や魔理沙と出会ってから、フランは変わった。
縛られる事を嫌うようになり、外への興味は泉のように溢れるばかり。
その行動が間違っているなんて、どうして言えるだろうか。
私は紅魔館の当主として、フランドール・スカーレットの姉として、彼女を何百年もの間、屋敷の地下深くへ閉じ込めた。
それは、必要であったからした事だ。
今回も同じ事。フランが外に出たいと願うのならば、紅魔館の当主として、姉として選択しなければならない。
フランが、どうか健やかに暮らせるように。
□⑧
―――何が起きても日は昇る。世界は私を中心に回っていないからだ。
穏やかな暖かい空気に蝉の合唱が重なって、まだ夏が続いている事を教えてくれる気怠い空気。
「………今何時よ………」
返ってくる言葉も期待せず、ベッドから起き上がり、寝ぼけ眼を指で擦りながら欠伸を一つ掻いてみる。
「そろそろ六時よ。お早いお目覚めね。昨日の事を考えたらまだ寝足りないんじゃなくて?」
そんな私に、当たり前のように返してくる少女の声も一つ。
欠伸をしたままピタリと身体は停止する。
「…………」
「おはよう幽香。やっぱり夜に比べて暑くなるわね。一時間ぐらい前から日は昇り始めるし、困ったものだわ」
お手上げのポーズを私が眠るベッドの横で取る奴は、何故か当たり前のようにここに居る。
私は急激に走った頭痛を抑えるようにこめかみを手で抑えながらも、絞り出すように声を紡いだ。
「……何で、貴女がここに居るのかしら……?」
「あら? 昨日の夜の事なのにもう忘れてしまったの? それとも寝起きは酷い方かしら?」
もう、幽香ったらだらしがないわねと呆れた態度を取るレミリアを見て、本気で殴りたくなった。
忘れてはいない。忘れてはいないが―――正直な所、未だに理解出来ない。
「……勝手にアンタが勝負を仕掛けて来て、勝手にアンタが勝負を打ち切って、勝手にアンタが降参したのは覚えてるわ」
一先ず昨日の夜起きた事を口にするも、何でそうなったか全然理解出来ない。
だが、レミリアはきょとんとした顔をしたかと思えば、何処ぞの記者スマイルに負けず劣らずの満面な笑みで何度も頷いて見せる。
「何だ、ちゃんと覚えてるじゃない。それじゃあ改めて。おはよう幽香。今日も今日とで酷い真夏日和ね」
「………」
何だろう。嫌、本当に何なんだろう。
まるで話が噛み合っていないのにこの吸血鬼、ゴリ押す気満々だ。
ニコニコ顔で私が挨拶するのを待つレミリアだったが、生憎それに付き合う気分ではない。
ベッドから這い出て着ていたパジャマを脱ごうと、ボタンに手を掛け始める。
「ん、着替えるのならそこの籠に着ていた物は入れて頂戴。何を着るか分からなかったから用意してないけれど、リクエストがあればこっちで用意するわ」
だが、無視したら無視したで、甲斐甲斐しく何か目の前の吸血鬼が説明し始めやがった。
ボタンを外そうと弄っていた手を止めて胡乱気な瞳でレミリアを見れば、無い胸をえへんと張るようにして私、頑張りました! みたいな顔をしていた。
「勿論朝の支度も済んでいるわよ? 流石に無い物を創造するのは魔女の領分だから、ある物で代用したけれど」
「……ちょっと、待ちなさい」
本気で頭が痛くなってきた。何を言ってるのかしら? この蝙蝠は。
「朝の支度って、何を?」
「? 朝の支度って言ったら朝食に決まってるじゃない」
「……誰が支度を?」
「私以外に他にいるかしら? 咲夜程ではないにしろ、淑女の嗜みとして最低限のおもてなしは出来るから安心なさい」
いや、それも多少心配はあるけれど。
「……そもそも、どうして貴女がそんな事をしているのかしら?」
「……? だから言ったじゃない。尊厳を賭けて勝負をしましょうって。負けたからこうして貴女の身の回りのお世話をする事にしたのだけど、何か問題かしら?」
レミリアのその言葉に、ようやく少しは納得出来る部分を見出した。
確かに勝負をする際、互いの尊厳を賭けましょうとレミリアが言っていたのを思い出す。
「…………」
「光栄に思いなさい幽香。紅き幼い月、夜の王と謳われた私が貴女の従者をしてあげる事を」
どうやら冗談で言ってるわけではないようで、本気で言っている辺りがややこしい事この上ない。
「……ちなみに私が負けてたら、どうなっていたのかしら?」
「それは勿論、幽香が私の世話をしていたに決まっているじゃない」
何となく聞いてみれば、まだマシな状況だった事に余計に頭が痛くなった。
本当に、どうしてこうなった。
「……はぁ」
「……?? 溜息なんて付いて大丈夫? 昨日の傷は塞がっているかしら?」
「大丈夫よ。傷はもう塞がってるし痛くないから。そんなに私の世話をしたいのなら、ハーブティー淹れて置いて頂戴。朝はアレを飲まないと始まらないのよ」
溜息を吐く私に対し、本気で思案気な顔をするレミリアの姿があったが、視界にこのまま入れておくと何をしてしまうか分かったものではないので一先ず遠ざける。
「そう? ならいいわ。準備して置くから早く来なさい」
レミリアは私の言葉を真に受けてクルリと踵を返すと、優雅な足取りで寝室を後にした。
「……はぁ」
部屋から居なくなったのを確認しながら、外そうとして止めていたパジャマのボタンを外し始める。
降参を宣言したあの後、レミリアは帰らずに家まで付いてきたのは覚えているが、着替えてベッドに飛び込む所までの記憶が定かではない。
(思った以上に、背中のダメージが大きかったって事かしら)
パジャマを脱いでレミリアが指差した籠に入れつつ、下着姿でクローゼットの前まで歩くと、備え付けられた鏡面に対して背中を向ける。
昨日の勝負の最中、レミリアの鉤爪によって背中を刺された箇所には白い包帯が巻かれていた。
包帯を外してみれば、レミリアに言った通り、傷は塞がっている所かそこに傷があったかどうかも分からないぐらいに傷跡は小さな物になっていた。
(代謝機能は流石に落ちていないわね……)
その傷跡を見ながら内心ほっとしてしまう。
色々と心配事はあれど、妖怪としての能力が落ちたわけではないらしい。
問題が起きているのは霊夢にも指摘された通り、私の心の変容にある。
(……優しくなった、ね)
普段の私なら失笑して一蹴するような話だが、現実に起きた事を振り返えると笑えない話だ。
何度目になるか分からない溜息を吐きつつ、クローゼットからブラウスとスカートだけ手に取って着替え始める。
ベストやタイは後回し。どうせ直ぐには外に出ない。
何せ居間には、黙々と朝の支度をして待つ吸血鬼が待っているのだから。
□⑨
「正直意外だわ。貴女、料理も出来たのね」
朝の食事を終えての開口一番がそれであった。
意外というか、知らなかっただけなのだが。
居間に置かれたテーブルにはちゃんと朝の食事として軽めの食事が置かれてあった。
焼いたベーコンに目玉焼き。砂糖と卵を付けて焼いたハニートーストに、細かく手で千切った自家製野菜のサラダと言った料理。
味付けは全体的にお子様向けというか、レミリア好みな味付けだったが悪くはない。
ちゃんと淹れて置いてくれたハーブティーをカップで頂きつつ先程の感想を述べれば、レミリアは私の対面に座りながらにんまりと笑って見せた。
「淑女の嗜みよこれぐらい。お昼も何か用意するけれど、リクエストはあるかしら?」
「特にはないわ。……それよりも、聞いていいかしら?」
人心地付けば、寝起きの時よりは幾分か余裕が出来ていた。
レミリアは私から問いかけられるのは想定済みだったのか、両腕を組むようにして座っていた椅子にもたれかかる。
「答えられる範囲でいいのなら」
「そう。それじゃあ単刀直入に聞くけど、私に何をしたのかしら?」
「答えられないわね」
確実に、レミリアとあの夜出会う前の私だったらその解答にぶん殴っていた事だろう。
答えられないという解答に対して思いっきり不快気な顔をした私だが、レミリアは少し、申し訳なさそうな顔をして言葉を追加した。
「正確には、今幽香が思っている事が答えよ。私を殴りたいと思ったんじゃないかしら?」
「出来る事なら泣かして謝らせたいわ」
「けれど実行に移せない」
レミリアの言う通りだった。
意欲は湧くのに、行動に移せずにいる。
忌々しげにレミリアを睨みながらも、頭を手で掻くようにしながら頷く事しか出来なかった。
「……原因は何なのよ?」
「私がここを訪れたのが原因、としか言い様がないわ。それに関しては悪いと思っているわよ? あの時勝負を続けようとしなかったのは、こんな形で貴女を倒してしまうのは勿体ないと思ったからだし」
「治す方法はあるの?」
「……んんん」
そこで本気で悩ましい声を出さないで欲しかったのだが。
どうやらレミリアは初めから私をこんな風にするつもりはなかったようで、偶然巻き込まれたようだった。
(……偶然かしら?)
ふと、自分の考えに疑問を抱く。
レミリアについて、魔理沙や射命丸から話はいくつか聞いている。
何処まで正しいかわからないが、少なくとも行方を眩ませてここに来たのは事実だろう。
「……質問を変えるわ。どうして急にここを訪れたのかしら?」
直接その事を問い詰めても良かったが、先ずはここを訪れた理由から聞く。
太陽の畑で言葉を交わした通りなら、屋敷のメイド長がここの事を話して知った感じではあったが。
「別にここを目指して外に出たわけではないわ。妖怪達が住まう山や、山の上に現れた博麗神社とは違う神社にも足を運んだし、冥界や天界にも足を運んだわね」
「……? 幻想郷中を見て回ってるとでも言うつもり?」
冥界、天界となれば随分範囲は広い。
私の言葉にレミリアは驚いた顔をすると、胸中を吐露するように、胸に手を当てて言葉を続けた。
「正にその通りよ。幻想郷に来たのは随分昔だけど、あまり興味が沸かなかったし。沸いたとしても霊夢ぐらいにしか興味が沸かなかったわ」
だから、自分が今まで見なかった物を見ようと、レミリアは外へと飛び出したという。
私はレミリアの言葉に呆れつつも、半分関心を抱くように更に問いかけた。
「それで? 貴女にとって幻想郷を見て回るのは有意義だったかしら?」
「ええ、とっても! 今までどうして見に行かなかったのだろうって思う事がたくさんあったし、見方が変わった物もあるわ。……その中でも、一番心を動かされたのはここの向日葵畑。あの時も言ったけれど、私は向日葵があまり好きじゃなかったわ。太陽の名を冠している花だったから。咲夜から勧められていたけれど、それでも何処か意固地になって見に来ようとは思わなかった。でも、聞くのと見るのとでは大違いね。分かるかしら? 私がここに生える向日葵達にどれだけの感動を覚えたか! 彼等彼女等は逞しく生きている。あの憎たらしい夏の日差しを浴びながら、その光すら甘受するように生きているのよ? 尊敬の念すら抱いてもおかしくない偉業をあの子達はやり遂げ続けている。私はあの子達を育てた相手にも興味を持ったわ。そうしたら気持ち良い夏の夜に惹かれて、貴女が私の前に来てくれたのよ?」
捲くし立てる言葉はまるで機関銃だったが、その身体全体で感動を表すように並べた言葉は感謝の念で溢れ返っていた。
この感動に感謝を。この出会いに感謝を。それはまるで淡い告白のようでもあったし、甘い囁きにも似る何かであった。
「……そんなに気に入って貰えたなら光栄ね」
それに対し、ついこちらから笑みを零してしまったのは向日葵達が褒められたからだった。
自分が褒められる事よりも、あの子達を見て嬉しかったと言われるのは、何物にも代えがたい喜びだ。
微笑んだ私に対し、レミリアはそこでようやくハッとした顔になったかと思えば、被っていたナイトキャップを手で抑え、視線を逸らして咳払いなんてして見せた。
「勝手に盛り上がるなんて淑女のする事じゃないわね。……でも、感動したのは本当よ? こんなに花に固執するなんて事、今まで無かったわ」
「そう」
「“心境の変化”という物かしら。……だから、惜しくなってもう一度ここに来たわ。ここならきっと―――」
レミリアは、真面目な顔をして何かを口にするが―――最後までどうしてか聞こえない。聞こえなかった言葉が気になって、私は眉を寄せるようにして聞き直そうと口を開くが。
「とにかく! 私の事はもういいわ。幽香、あの子達のお世話をするのでしょう? 私も付き合っていいかしら?」
遮る様にそう口にされては、問い直す事も出来やしない。
私はあから様に疲れた溜息を吐いて見せ、テーブルに身を乗り出したレミリアの額を指で突ついてやると自分の席へと座らせた。
「別に構わないけれど。その前に朝食を片して頂戴。貴女が自分で従者になると言い出したのだから、最低限の事をするのが筋よ」
「む………それもそうね。それじゃあさっさと片してしまうから、支度して待ってなさいよ?」
素直に私の言った通りに動き始めたレミリアは、座らされた椅子から数秒も待たずに再び立ち上がると、急いで空になった皿を重ねて台所へと持って行く。
その後ろ姿は知らぬ者が見れば子供がはしゃいでるようにしか見えなくて何処か微笑ましくも見える。
勿論、事情を知る私はそんな後ろ姿を見ても微笑ましくも何ともないが。
(というか、向日葵の世話をするのなら、日向に出るって事よね……?)
太陽は吸血鬼にとって天敵じゃないのかと思うも、何か対策でもしてあるのだろう。
深く考えずに一度身支度を整える為に寝室へと戻ろうと、座っていた椅子から立ち上がった。
「―――ゆーぅーかーさーん―――!!」
―――立ち上がった途端、何か、妙な声が外から聞こえた気がしたが一先ず無視する。
「……? 幽香? 聞き覚えのある声が外から聞こえた気がしたけど」
「無視していいわよ。鴉が喚いてるだけだから」
台所から顔を出す形でレミリアが私に対して不思議な顔をしながら首を傾げるも、おとなしく従ってくれるみたいで、台所へと再び引っ込んだ。
そのまま寝室へと戻り、黄色いタイを締めてチェック柄のベストを羽織り、再び居間へと戻る。
「あ、おはようございます! 清く正しい射命丸文が朝の突撃取材に―――」
居間へと戻れば、何処から入ってきたか分からない鴉天狗が椅子に座ってくつろいでいたので、とりあえず片腕を伸ばしてその頭をワシッと掴んだ。
「え……ギャアアアアアア!?」
そのままアイアンクローの体勢に入り椅子から立ち上がらせると、頭を片手で掴んだまま骨の軋む音が響き始める。
「……? んー……弄るのは問題ないのかしら?」
「ちょっと何を言ってるかわか、わかりませんね!? というか弄るじゃないですよねこれ容赦の無い暴力ですよね!?」
「あらやだ。ちょっと頭を掴んで持ち上げてるだけじゃない。人聞きの悪い」
「骨が悲鳴をあげていますがッッ!!!」
容赦の無さに射命丸が悲鳴染みた訴えを上げるものの、私は私で転がり込んできた射命丸で試したい事が出来てしまった。
「………このまま殺せるのかしら?」
「ちょっ!? ま、ままま待って下さい! 謝ります! 謝りますからッ!? 勝手に家に入った事も窓を叩き割った事も謝りますからどうか許して下さい気が逸ってしまったんです!!」
「あら? 窓も壊したの貴女。本当に駄目な天狗ね」
あからさまに墓穴掘ったァ!? みたいな青ざめた表情をして足をばたつかせる射命丸だったが、私は私でとりあえずもう片方の手で拳を作り、魔力を掻き集める。
天狗と言えど、心臓を貫かれれば絶命だろう。
そのまま騒がしく喚く射命丸の胸目掛け、魔力を集めた拳を叩き込もうと腰を捻る、が。
「…………チッ。やっぱり駄目ね」
トスンッと。
集めていた魔力は勝手に四散し、勢いを付けていた筈の拳は射命丸の胸に当たる頃には失速していた。
その結果に舌打ちしながらようやく頭から手を離してやると、床に着地した射命丸はブルブルと首を横に振るようにして私を非難するような声を上げた。
「あ、あややや……い、いま、本気でしたよね? 絶対に殺す気でしたよね!?」
「死んでないのならいいじゃない。ヨカッタワネーワタシガヤサシクテー」
「露骨に嫌な顔して自分の事を優しいとか言い始めましたよこの人!?」
口調が多少砕けてるが、それも束の間の出来事だった。
射命丸は気を取り直すかのようにポケットから愛用の黒手帳を取り出し、もう片方の手にはペンを握りしめて私へともう一度詰め寄った。
「幽香さん、この状況はどういう事か、説明して頂けますかねぇ……?」
「かくかくしかじか」
「それで通じると本気で思っておられるのなら出るとこに出させて頂きますよ! どうしてレミリアさんが幽香さんのお家に居られるのか、一からご説明をお願いします!」
「面倒臭いわ」
「一言で切り捨てないで下さい!?」
レミリアの事があって多少鬱憤が溜まっていたのもあってか、射命丸をからかうように言葉を並べていくも、テンション高めの今のこの天狗にペースを合わせるのは面倒臭い事この上ない。
先程まで座っていた椅子に射命丸の横を通り過ぎて座り直し、テーブルに肩肘を吐いてから胡乱気な瞳を射命丸へと向けた。
「本人がここに居るのだから、本人に聞けばいいじゃない。生憎だけど私が誘ったわけじゃないのよ? レミリアの奴が勝手に押し掛けて来ただけで」
「……ほほう、そうですか。その割には……」
「? 何よ?」
しかし射命丸は反撃の糸口でも見つけたかのように含み笑いをして見せると、うっかりと私が滑らせた言葉を指摘する。
「その割には、名前を呼ぶ間柄になっているんですね?」
「!?」
「フフフ、これはまさかまさかの展開ですよ! 突然行方を眩ませた紅魔館の主、誰にも行き先を告げぬ理由とは! 天下のフラワーマスターとの仲睦まじ―――」
「じゃないわよ。文屋の」
私が頬を赤らめたのを見て、射命丸は裁判で勝訴を勝ち取ったかのように更に言葉を並べようとしたが、丁度射命丸から死角となっていたせいか、背後からの強襲に反応すら出来なかった。
朝食の片付けが終わったのか、射命丸にしがみつくように首筋に顔を埋めるレミリアの姿が見えた時には。
「へっ? ちょ、ひゃん!?」
可愛げな声を上げながら、萎れるようにレミリアにしがみつかれたまま床に倒れる射命丸。
「んっ、んぐ、んぐっ」
「何を、されるん、ですか……」
「ん? 栄養補給」
そのまま背後から抱き締められながら四つん這いになる射命丸と、射命丸の首筋から吸血行為を行うレミリアをテーブルに肘を付いたまま冷めた目で見ていたが。
「……床は汚さないようにしなさいよ」
「ん。わかったわ」
別に止める義理もなし。
むしろ涙目でこちらを見上げ、助けを請う射命丸にゾクゾクする自分が居て安心してしまった。
(……五月蝿い奴が増えたけど)
私の本質は何も変わっていない事に、心の底から安堵する。
□⑩
今日も今日とて酷い真夏日和と言ったレミリアの言葉は、概ね的を得ていた。
蝉の合唱に向日葵達の囁く声。広がる青空には入道雲が競い合うように伸びていき、輝く太陽は燦々と辺りを照らしている。
太陽の畑に咲く向日葵達の声はいつもとは違い、不思議な物を見るように私へと囁いたり、周りとヒソヒソ話をするように囁き合っている。
「―――ええ、ええ。大丈夫よ。この娘達は貴方達に何も悪さしないから、心配しなくて大丈夫よ。でも、こちらから襲っては駄目よ?」
そんな彼、彼女等を愛でるようにしながら囁くように聞こえてくる声に返す私だが―――その横を同様に、日傘を差して向日葵達を見上げ、息を大きく吸っては吐いてを繰り返して目を輝かせる吸血鬼と、両手で顔を覆いながらも、弱った足取りで付いて来る鴉天狗が一匹。
「んー、日向で見ると太陽っていうよりも金色の草原ね。香りも夜と違って凄いわ」
「……もうお嫁に行けません……」
あの後、暫くの合間射命丸が吸血されるのを見ていたが、それにも飽きて予定通り向日葵達の様子を見に太陽の畑を歩き回っている。
先ほどから太陽の下に居るというのに元気一杯に瞳を輝かせるレミリアだが、対照的に余程先ほどの不意打ちによる吸血が堪えたのか、テンションがただ下がりの射命丸である。向日葵達は、そんな二人を見ていつもより騒がしくしているが、多少の刺激はこの子達にとっても“都合”が良いのであまり気にしない。
「え? どうしてそっちの妖怪は落ち込んでいるかって? うふふ、それはね」
「……あの、本気で落ち込んでいるので傷口に塩を塗るような行為は止めて頂けないでしょうか……? 幽香さん?」
「無理やり初めてを奪われたのに、気持ち良かったから戸惑ってるのよ」
「しかもニュアンスが厭らしいですし!?」
「えっ。初めてだったの貴女? それは何だか、悪い事をしちゃったわね……」
「そこも悪ノリしないで下さい!? くっ、そんなに私をからかって楽しいですか!? こうなったら死なば諸共、閻魔様に白黒付けて頂くしか……!」
「裁判沙汰にする前に本気で死にそうね」
「というか気持ちよかったのは否定しないのね。オー、卑猥卑猥(棒)」
「それは私の真似ですかぁッッ!!」
テンションが下がっていた射命丸がようやくそこで吠えるように復帰したかと思えば、顔を真っ赤にしながらも、その手に手帳ではなく小型のカメラを握りレミリアを激写する。
「ん?」
「コホン。……改めて取材させて頂きますよ! レミリアさん、私はメイド長から貴女を連れ戻すように頼まれてもいますし。どうして今になって屋敷を飛び出したのか、詳しく教えて頂きましょうか!」
息を荒げて問う射命丸だが、レミリアは日傘をクルクルと回しながら考える仕草を取ったかと思えば。
「ちょっとした小旅行よ。他意はないわ。勿論、満足するまで帰る気もないわよ?」
私に話したように、幻想郷中を飛び回っていた事を射命丸に説明し始めた。
そのやり取りを尻目に、日傘を片手に他の向日葵達の様子を見ながら移動する。
(……その“旅行”の理由も、何なのかしらね)
言葉通りに捉えるならば、今更ながらに幻想郷自体に興味が湧いて、旅行気分に蝶よ花よと色んな物を愛でようと思ったという事になる。
それが人畜無害の聖人君主辺りの発言ならば多少は信じてやっても良かったのだが、生憎レミリアは吸血鬼だ。
生血を糧とする、生粋の魔なる者。
そんな奴が自身の天敵である太陽のお膝下の中、何の理由もなく動くとは思えない。
それを射命丸も薄々感じているからこそ、今回の件を引き受けたに違いないのだが。
(……ま、からかわれている間は尻尾を見せないでしょうし、私はその理由には興味ないし)
正直な所、レミリアから何かしらの影響を受けた自分の身体をどうにか出来ればあとはどうでもいいのが本音だ。
「……私が優しい筈がないのにね」
呟くように確認したのは、誰かに否定して欲しかったからか。
それとも、心の何処かで認めたくないだけなのか。
優しい風見幽香がいるかもしれない―――幻のような可能性を。
「―――幽香?」
「………ん。もう説明は終わったのかしら?」
蝉の合唱に紛れるように、私の名を呼んだレミリアに対し、向日葵達から視線を外して顔を向けた。
説明は終わったようだが、カメラを懐に戻して今度は手帳にペンを走らせる射命丸と、日傘を差す中で私を見上げるレミリアの姿が視界に映る。
「説明はしてやったんだけど……納得はしてくれないようね?」
「当たり前です! ……メイド長はかなりご心配されてましたよ? 外出するにしても、どうして私を供してくれなかったのですかとも」
「咲夜がいなくなったら誰が紅魔館を切り盛りするのよ」
「あら? それを言ったら貴女もそうじゃないの?」
レミリアはそろそろうんざりしてきたのか乱暴にそう言い捨てるも、射命丸に助け舟を出すわけではなかったが、つい口を挟んでしまった。
それが意外だったのか、レミリアは驚いたような表情で私に視線を向けるも、直ぐに首を横に振って見せる。
「私がいなくても心配ないわ。咲夜以外にもパチェや美鈴もいるし、何よりフランがいる。今のあの子なら、私何かよりも立派に当主として紅魔館に君臨出来るわ」
「……ふぅん?」
そう語るレミリアの言葉に、眉を顰めてしまったのはフランという名が出たからだ。
レミリアの唯一の妹。何百年もの間、屋敷の地下深くに閉じ込めていた存在。
それが今では、レミリアの代わりに紅魔館の留守を預かっている。
私はチラリと手帳にペンを走らせる射命丸に視線を送ったが、射命丸は私の視線に気づくと、困惑気な顔をしながらも、首を横に振って見せた。
フランドールが閉じ込められていた理由、あらゆるものを破壊する能力は、未だ制御に至っていない事をそれは意味していた。
「……まぁ、レミリアがそう言うのならそうなんでしょうね。そこの天狗とか魔理沙から聞いて初めて知ったけれど。レミリアに妹がいるだなんて」
「ええ―――私の大切な、自慢の妹よ―――」
私の言葉に、レミリアは誇るように口にする。
それ以上、言葉が続かない。
続く言葉があるように感じたが、燦々と地平の先まで照らす太陽の熱にでもやられたのだろうか。
私がむず痒い感覚に囚われていると、レミリアは何かを思い出したのか、指を鳴らすようにそうだ! と大きな声を出すと。
「そろそろお腹が空いてこないかしら? お弁当も作ってきたのよ」
満面の笑みで、肩に提げていた四角いバスケットを掲げて見せる。
「……なら、あそこで食べましょ。せめて日影で食べないと暑くて仕方がないわ」
私が自然と提案すれば、指差した方向に聳え立つ大樹に向かってレミリアは一目散に駆けて行く。
「ほら、文屋の! お裾分けしてやるから競争よ! 負けたら食後のディナーにまた血を頂くわ!」
「っと!? あ、あやややや……! それだけは断固として拒否させて頂きます! というか幻想郷最速の私に競争を挑むとは如何にレミリアさんだろうと笑止千万! ぶっち切って差し上げますよ―――」
その後ろを慌てて駆け出していく射命丸。
大樹まで直線距離で五百メートル程度。最速である事は認めるが、果たして先を取ったレミリアに射命丸がこの短距離で追い抜く事が出来るだろうか?
「………あ。これが所謂」
死亡フラグなのねと、何処かの風祝の巫女もどきが言っていた事は案の定、何かに躓き盛大に転んだ射命丸によって成就された―――。
☆ 行間 Ⅱ
青空が広がる夏の空。
入道雲が競い合うように伸びていき、一緒になって飛んでいればあっという間に夏に似合わない霧の湖畔へと辿り着く。
避暑地には持って来いかもしれないが、人間の姿は見かけない。
それもその筈、この周辺は妖怪達の出入りが激しいし、何より霧を超えた先には怖い怖い真紅の吸血鬼が住む紅い屋敷がある。
普通ならば近づかない。目的もなければ近寄らない。
辿り着いたら、食べられても文句の一つも言えなくなってしまうから。
「~~~♪♪」
―――そんな場所へ奇特にも鼻歌混じりに箒に乗って向かっている“黒白の魔法使い”は、自称普通の魔法使い。
白金のように輝く髪に洋風な顔立ちと相まって、着飾ればさぞや美人に見える事だろう。そんな容姿とは異なり、彼女の名は霧雨魔理沙と言う。
幻想郷に住まう人間達から恐れられる紅魔館に、何度も足を運ぶ数少ない人間。
「お、ようやく見えてきたぜ」
魔法の森から博麗神社へ、博麗神社から紅魔館へ箒を飛ばしてまだ一時間も経っていなかったが、それでも夏の日差しと自身が着る黒白のエプロンドレスや被る黒帽子のせいか流れる汗が止まらない。
屋敷の上空を旋回するようにして徐々に高度を落としながら眼下に広がる紅い屋敷を魔理沙は視界に入れる。
「んー………」
直ぐに降りようとしないのは、博麗神社を訪ねた際に霊夢から気になる事を聞いたからである。
曰く、他人に興味なさそうな幽香の奴が意外な奴の事で訪ねてきた。
曰く、他人を虐める事で喜びを得ていた幽香の奴が、他者に対して急に優しくなった。
曰く―――文もレミリアの事について何か嗅ぎまわっているらしい。
最後のは直接聞いたわけではなく、勘らしいが。
(“霊夢”の勘だからなぁ。何か起こってるのは間違いないと思うんだぜ)
博麗の巫女の勘は、最早予知能力に等しいわと、宴会の席で太鼓判を押したのは何処の誰だったか。
しかし、霊夢が動こうとしていないのを見ると、異変というレベルにまでは発展してはいないようだ。
それを踏まえた上で、ミイラ取りがミイラにならぬよう、細心の注意と大胆さの天秤を行ったり来たりしながら切り込んでいくのが魔理沙である。
視界に入ってきた紅い屋敷の風景はいつもと変わらない。
魔理沙は視線を屋敷にではなく屋敷の“門”の方へと移した。
「お?」
そこで、ちょっとした変化が起きている事に気づく。
鉄の格子で出来た大きな門。
辺り一帯は紅い煉瓦の壁で覆われ、飛べないのであれば屋敷に通じる唯一の出入り口。
その門に、いつも仁王立ちしながら寝ると言った、門番として機能しているのかどうかもわからない中華風の衣装を着る妖怪が居るのだが。
その門番が今は寝ずに―――明らかに上空を飛んでいる魔理沙を見上げていた。
「………これは、どうやらビンゴだな」
魔理沙は自分が“捕捉”されているのを知るや否や、箒の角度を完全に下に向けて急降下していく。
降りる位置は屋敷の外で、門番をしている中華娘―――紅美鈴の前だ。
風切りを響かせながら、突風に飛ばされぬよう被る黒帽子を片手で抑え、地面に直撃する寸前で軌道を変えて地面にふわりと降り立った。
「よう。今日は寝てないんだな」
「……色々ありまして。今日も図書室に用?」
地面に降り立ち、にこりと笑って魔理沙は箒片手に美鈴に手を挙げて見せる。
美鈴は、それに対して苦笑気味に硬い笑みを見せるものの、律儀に挨拶を返してきた。
それ以外は特に変わった様子はない。龍の文字が入った帽子に流れる紅い髪と、華人服とチャイナドレスを足して割ったような緑色で統一された衣装はいつもの物だ。
それでも美鈴が日中に起きている事が、紅魔異変を彷彿させるのは自分だからだろうか。
「うんにゃ。ちょっと私も色々あってな―――レミリアの奴は居るか?」
「……!」
何気なく問いかければ、明らかに美鈴の表情が驚いた物になるのが分かる。
魔理沙は僅かに苦笑すると、美鈴に対して言葉を続けた。
「ポーカーフェイスの咲夜程じゃないにしても、顔に出過ぎだぜ?」
「……お嬢様なら外出中よ」
「外出中? アイツ一人でか?」
言われて美鈴は魔理沙から視線を逸らしつつそう答えるが、事情を知らない魔理沙は首を傾げるばかり。
レミリアの名を出した途端、何処か悔いるように拳が震えている美鈴の態度に、尋常じゃない物は感じ取っていたが。
「……ええ」
「んー。それなら丁度良いし、フランの奴に会いに行くぜ。流石にフランの奴は―――」
屋敷にいるんだろ? と、言葉を続けようとしたが、フランンドールの名前を出した途端、懇願するような視線に気づく。
その視線は、美鈴からの物だった。
「……なんだぜ?」
何か、その視線に嫌な気配を感じた魔理沙だが。
美鈴は瞳を伏せると、笑って誤魔化すようにしながら何事もなかったかのように踵を返して格子状の門を開け始める。
「妹様ならご健在よ。きっと、貴女が来た事を知れば喜ぶわ」
開け放たれた門の先を見つめるも、陽炎に揺れる屋敷を外から眺めても、何か分かるというわけでもない。
魔理沙は帽子を被り直すと、美鈴の肩を叩いて開けられた門を潜った。
いつもなら箒に跨りそのままの勢いで屋敷へと突撃していくせいか、ちゃんと門を潜って屋敷へと向かう事自体に、何処かくすぐったさを覚える。
門から屋敷の入り口までの距離は二百メートル程度。
屋敷の外には噴水やら花壇やらが設けられており、その手入れをする為か、メイド服を着込んだ妖精達の姿が屋敷の入り口に辿り着くまで視界の端に何度か映る。
(……外の様子は、あんまり変わってないんだがな)
屋敷の入り口へと辿り着き、自身の背丈よりも二回り以上はある大きな扉のドアノブを捻り、中へと入っていく。
中へと入れば、日中に輝く紅い屋敷の外観と異なり、中は相変わらずの薄闇の帳を下ろしていた。
「……おーい、咲夜ー?」
後ろ手に閉まるドアの音を耳にしつつ、魔理沙は屋敷の玄関ホールでメイド長の名を呼んだ。
外とは打って変わっての暗さの中―――名を呼んだ数秒後に、件のメイド長の姿が薄闇の中から現れる。
「……今日は美鈴が起きている筈だけど?」
白と青を基調にした丈の短いメイド服を着込む完全で瀟洒な紅魔の犬。
短く切り添えられた銀の髪は薄闇の中でも輝いており、もみ上げの辺りからみつあみにしている髪の房がこちらに近づいてくる度に揺れ動く。
容姿は中世的な男女問わず好かれそうな顔立ちだが、魔理沙を見る表情は何処か険しかった。
「ああ。起きてたからちゃんと門を潜ってここに来たぜ?」
そんなメイド長の表情等異に解さず、普段通りの馴れ馴れしい笑顔で魔理沙は応えた。
メイド長―――“レミリア”の狗である十六夜咲夜は、魔理沙の言葉にこめかみを手で抑えるようにして溜息を吐き―――片手に握られていた幾重もの銀のナイフを手放したかと思えば、瞬きもしていないのに何処かに消えた。
「あの娘は、泥棒鼠とお客様の区別も付かないのかしら?」
「酷い言い草だぜ? 私は盗みなんて一度もした事がないっていうのに」
「……それをパチュリー様の前で言ってみなさいよ」
溜息を吐くものの、咲夜は顔を綻ばせるようにして笑みを作ると、魔理沙が来た事を歓迎するように姿勢を僅かに崩して言葉を紡ぐ。
「それで? 今日はどう言ったご用件かしら?」
「レミリアに何かあったのか?」
その態度も束の間だったが。
カマを掛けたつもりだったが、効果は絶大であり、いつもはどんな事があろうとポーカーフェイスを気取る咲夜の表情が驚き、目を見開いた。
その変化に魔理沙自身も内心驚くが―――薄闇の中で見えていなかったが、良く見てみれば、咲夜の目の下には隈が出来ていた。
「……何処かで話でも聞いたの?」
「霊夢の奴からちょっとな。文の奴がレミリアの事を嗅ぎ回ってるって聞かされたから、様子を見に来たんだぜ?」
魔理沙の言葉に納得したのか、咲夜は瞳を閉じてもう一度溜息を吐くと、小さく頷きながら腰に手を当てる。
「嗅ぎ回っているというよりも、探して貰ってるというのが正解よ。……お嬢様はお一人で外出中。留守の間は妹様が屋敷を預かる旨が書かれた書置きがあったわ」
「……! おいおい、ソレ、マジで言ってるのか?」
レミリアが外に出ている事は、先程美鈴から聞いた。
だが、留守の間フランドールが屋敷を預かるという話までは知らず、魔理沙は驚きを隠せないまま頭一つ分背丈が違う咲夜を見上げるようにしながらも詰め寄った。
「残念ながら本当よ。……安心なさい。私とパチュリー様で全面的にフォローはしているし、妹様もお嬢様に任されたせいか、外に行きたいとは一言も―――」
「当たり前だろうがッ!!」
詰め寄り、咲夜の言葉を遮るように声を上げた魔理沙だったが、様子が一変した魔理沙を見て、困惑気な表情を浮かべる咲夜の顔を見るや否や、ハッと我に返って後ろにたたらを踏んだ。
「……魔理沙?」
「わ、悪い。怒鳴る気はなかったんだけど、さ。……その、フランの奴はどうしてるんだぜ?」
咲夜に罰の悪い顔を見せたくなく、帽子を深く被り直して視線を逸らす。
そんな態度の魔理沙を咲夜は瞳を細め、訝しげに見ながらも言葉を続けた。
「妹様なら、今はお嬢様の私室に居るわよ」
「……会いに行ってもいいか?」
「ええ。貴女が訪ねれば、きっと妹様は喜ぶわ」
美鈴と似たような台詞を口にし、踵を返して咲夜は案内するように先を歩く。
「…………」
魔理沙は無言のまま、逸らしていた視線を戻して咲夜の後を付いて行く様に歩き出した。
屋敷の中は、外とは打って変わり静まり返っている。
元々日中は窓から注ぐ日の光を遮るためにカーテンを敷き、最低限の光源を得る為に魔法の光が廊下に灯される程度だ。
(……それでも外に妖精達がいて、中にいないのは配慮してるのかな)
咲夜の後を歩きながら、ぼんやりとそんな風に考えてしまうのは―――如何に今の状況が異常であるかを理解してしまったからだ。
何度か屋敷の地下の奥深くで交わした言葉が思い出される。
その言葉は、いつも“どちらか”の声色で魔理沙の耳を打っていた。
楽しげに笑う声か。
悲しげに鳴く声か。
そのどちらかだ。どちらとも、魔理沙は知っている。
「―――妹様。お客様をお連れしました」
咲夜の後を考えながら歩いていたせいか、そんな声が前方から聞こえれば、2階の奥まった部屋の扉を咲夜がゆっくりとノックしていた。
「…………お客様?」
扉越しに聞こえる声は少女の物。
弱々しく聞こえるその声に、魔理沙は咲夜が自分の名を言う前に声を上げた。
「私だぜ、フラン」
「……! 魔理沙……?」
扉越しに名を呼べば、直ぐに足音が扉に近づいてきた。
恐る恐る扉のドアノブが内側から回り、虹色に輝く羽根に、紅い瞳と輝く金色の髪が視界に入る。
しかし視界に入れれば―――魔理沙はどう声を掛けるべきか忘れてしまったかのように。扉を開けた少女、フランドール・スカーレットの泣き腫らした跡が残る顔を、暫く見ている事しか出来なかった。
□⑪
暑い熱い夏の日が、今日も夕日と共に沈んでいく。
一人で居る時よりも時間が流れるのが早く感じるのは、やかましい奴が二人も増えたせいか。
「幽香ー、文屋は寝かせて来たわよ」
昼を過ぎてからはあっという間。
天狗は案の定二度目の吸血をレミリアにされ、それでも必死に付いて行こうと血の抜けた身体で動き回ったせいか、貧血で倒れてベッドに寝かしつけた所だ。
空に浮かぶ月を見上げていた私は、レミリアの方には振り向かないまま、ご苦労様と小さく口にする。
「貴女はいいのかしら? 夜行性と言っても朝から起きてて辛いでしょうに」
「ん? あぁ。確かにちょっと眠いけれど、こんなに綺麗な月の夜だもの。眠るのは勿体ないわ」
日が落ちたからか、日傘を差さずに私の横に並ぶと、丸く満ちた月の夜を満喫するように、胸一杯に空気を吸って見せた。
「ん~~~~。はぁ………幽香もいいの? 今日一日向日葵達の世話をずっとしてて、疲れたんじゃないのかしら?」
「ふふ、好きでする事は疲れないものよ。それに、今日はあの子達もご機嫌だったから問題ないわ」
「そうなの?」
「そうよ」
実際良い刺激にはなってくれた。
普段なら妖精や妖怪、或いは騒霊によるコンサート等で向日葵達にも刺激になるものを招いたりしていたが、ここ最近はマンネリ気味で都合が良かったのは確かなのだ。
レミリアや射命丸には花の声も聞こえないし、いつもここに住んでいるわけじゃないから、そう言われても半信半疑かもしれなかったが。
「……ま、ここに住んでる幽香がそう言うのならそうよねきっと」
レミリアはそう言うと、暫くの間何も言わず、私の横で月を眺める。
静かな夜だった。ここ最近は雨も降る気配もなく、頬を撫でていく風は昼間の暑さを体験していれば心地良く感じてしまう。
(……何か聞くのなら、今のタイミングでしょうけど)
それはちょっと無粋かと思えるぐらいには、良い夜だった。
「………………幽香」
けれど、堪え切れなかったのは、どうやらレミリアの方だったらしい。
「……なぁに?」
「私がここに無理やり留まる理由、聞かないのかしら?」
私が聞きたい事の一つを口にするが―――瞳を伏せるようにして、分かってないわねと溜息を吐いて見せる。
「今聞くのは野暮でしょうに。こんなに良い月夜の中で聞いてもどうせ記憶に残らないわ」
「そうかしら?」
「そうよ」
再び、それで沈黙の帳が落ちる。
気まずい物とは違う、ちょっと五月蝿いから今は黙ってろという感じの空気。
それがどのぐらい続いたか分からなくなってきた頃。
「……今から喋るのは、独り言だから聞かなくていいわ」
そんなに聞いて欲しいのか。何処か遠くを見つめたまま、レミリアは言葉を紡ぐ。
「私には、大切な、大切な妹がいたわ」
それは聞いたわよと、心の中で一先ず突っ込み。
「大切すぎて、妹には……フランにはいつも幸せに生きて欲しいと、願ってきたわ」
どれだけ大事に想っているかのかも、昼間に聞いたと内心溜息を吐いて。
「でも、何があの娘にとって幸せなのか……私にはわからなくなってしまった」
―――それは聞いてないと、レミリアの方に顔を向ける。
レミリアは、顔を向けた私を見ずに、月をじっと見つめたまま心の内を吐露していく。
「屋敷の外に興味を持つようになって、フランの能力も、昔に比べれば幾分か制御出来るようになったわ。どうして制御出来るようになってきたか、フランを見ていれば赤子でも分かる事だった」
外に興味を持つようになったが、レミリアの許しがなければ出られない。
その原因は自分の能力のせいだ。
ならばどうすればいいか。外に興味を持ったフランドールがどうすればレミリアの許しを得られるか、必死に考えた結果が―――自己の強化だ。
おかしくなった。
狂ってしまった。
あの娘の心は、壊れてしまったのだと。
もう二度とそんな事を誰にも言わせない為に―――フランドールは己の心を鋼のように鍛え上げ始めた。
「私はその努力を、フランが変わった事を……認めてあげるべきだった」
しかし、それでも危惧したのはフランドールが心配だからだ。
屋敷の中ならば何も心配はない。瀟洒なメイド長が、七曜の魔女が、屋敷を守る門番が居てくれる。
彼女達が居れば、例え自分の身に何か起こっても問題ない。
けれどもし―――外でフランドールの身に何かが起こったら?
「過保護かもしれない。……フランに嫌われても、当然なのかもしれない。だけど私は、唯一の肉親であるあの娘を失うのだけは、絶対に嫌だった」
幻想郷は妖怪達の楽園だと、幻想郷の賢者は口にする。
しかし残酷だとも賢者は口にする。例外なく、残酷だと。
それはここに住まう人間達を指しているのか。
それとも妖怪達を差しているのか。
レミリアにはそれが分からない。
分からないままフランドールを認められず、分からない己を恥じるようになったのは、いつからだろう。
「変わるべきは私だった事に気が付けば、居てもたっても居られなくなったわ」
屋敷をフランドールに任せたのは、今のあの娘なら大丈夫だと思えるようになったから。仮に外に出たとしても、今のあの娘なら大丈夫だと。
「どうすればフランの“姉”としてあの娘を支えて上げられるか、切っ掛けが欲しかった私は幻想郷中を巡ったわ」
そして、ここに辿り着いたと。
レミリアは月から目を離して、私を見た。
「幽香、貴女の変化は私が願った……“運命を操る能力”に拠るものよ。元に戻す方法は私を倒す事でしょうね」
レミリアは、いつものように笑ってはいない。
じっと見つめる紅い瞳は何かを訴える物で、張り付く笑みは、何処か儚いものだった。
太陽の畑で最初に見た時の表情だ。
「……そう」
独り言とは何だったのか。
名を呼ばれて反射的に言葉を返してしまうも、原因が分かれば、拳を作らざる得ない。
レミリアの能力による影響ならば、レミリアを打ちのめしてやれば今の気持ちの悪い変化が元に戻るのは明白だ。
そう、分かっているのに。
「……どうして言う気になったのかしら?」
「……フェアじゃないから……ううん、違うわね」
聞かなくていい事をつい聞いてしまったのが、レミリアに手を出せなくなる詰めの一手だ。
自分自身の甘さに歯噛みする。儚げに笑うレミリアは、私に対してこう口にした。
「付き合ってみれば、“幽香が良い奴だったからよ”」
それが心を抉る決め手。
どうしようもない。私はきっと、レミリアにまともに拳を振り上げる事すらもう出来ない。
たかが一日でここまでしてやられては、諦めた様に溜息を吐かざる―――。
「―――やっぱり、ここだったぜ」
―――静かな夜を切り裂くように、そんな声が聞こえて来たのは頭上から。
星空の中、闇夜に紛れるように箒に跨り空を飛ぶは白黒の魔女。
「……? 魔理沙?」
視界に納め、こんな夜更けに何をしにきたんだと、声を掛けようとしたが。
「ッ!?」
肌を粟立つ魔力に、思わず総身が震えてしまう。
瞬く間に緩み切った意識が高揚していく。目の前の相手を倒せと血が騒ぐ。
魔力は“二つ”。魔理沙とレミリアから溢れるように出る魔力に、抑えが効かなくなりそうだ。
「……それは、私に喧嘩を売ってるつもりかしら? 魔理沙」
「ああ―――屋敷に顔を出しに行ったって言えばわかるだろ?」
そんな私を他所に、見下すように箒に横に跨りながら制止する魔理沙と、見上げるようにしながら瞳を細めるレミリア。
互いに言葉を交わせば、その一言で理解したかのように、レミリアの方が笑みを象り、口火を切った。
「フランに頼まれたって所かしら? ……残念だけど、お呼びじゃないわ。弾きたいのなら霊夢の所にでも弾きに行ったらどうかしら?」
「……心配じゃないのか」
「心配? 何をかしら?」
対して、魔理沙の表情は硬い。
何時の間にここまで力を付けたのか、見覚えのない厚い魔力の波に身体が歓喜に震えてしまう私を他所に言葉を続ける。
「フランの奴に会いに行ったら、泣いてたぜ?」
「…………」
「“お姉様がいなくなっちゃった”。“お姉様に捨てられた”って。……分かってた事じゃないのかよ。いきなりフランの奴に留守なんて任せてお前が一人で出て行けば、こうなるって分かってた事じゃないのかよッッ!!」
慟哭の言葉は他者の為に。
真っ当な、“魔理沙らしい”怒りにレミリアは瞳を細めたまま口を開く。
「それでも、私は変わる必要がある。……お前の怒りは尤もだ。魔理沙。だが私は答えを得るまでは帰らないし―――連れ戻すつもりなら容赦はしない」
紅い魔力は形を成す。
それは私の時に見せた物とは違う、禍々しくも神々しくも見える一つの紅い槍。
片手に握ればレミリアの背丈よりも二倍はあろうかという槍の矛先は、頭上に飛ぶ魔理沙に向けられる。
「霊夢の“腰巾着”が私を相手に何処まで闘れるか試して御覧なさい。……あんまりにも弱かったら、命の保証はしないけど」
「……ハッ」
向けられた槍を見ながらも、魔理沙は懐から愛用している八卦炉を取り出しニヤリと笑う。
「いつまでもそんな風に思ってるのなら―――お前、負けるぜ?」
凄惨な笑みは見た事がない物だった。
嗚呼、本当にゾクゾクしてしまう。
虐めてやりたい、歪ませてやりたい―――殺したい。
前触れもなく、見上げていた吸血鬼と、見下ろしていた魔女は示し合わせるように飛び出した。
「―――え?」
その二人を見ていた私は、自分の身体にスイッチが入ってしまったのは自覚していたが―――自分が起こした行動を理解出来なかった。
飛び出した二人は衝突覚悟の一撃で、先ずは狼煙を上げるつもりだったのだろう。
そこに介入する余地はなく、介入する理由もない筈だった。
―――ゴシャリと、骨が砕けるような音が身体に響く。
「ゴ、フッ……?」
喉から競り上がってくるものに逆らえず、鮮血が空を舞った。
何が起きているのだろうか。私は一体、“何をしているのだろうか”?
焼き鏝を押されるような痛みは腹部と肩から走っている。
魔理沙とレミリアの驚くような表情が近くにあり、私を挟むようにして何か言っている気がするが、聞こえない。
「……ア、ァ」
ブツン、ブツンと視界が砂嵐になって真っ暗になれば、堕ちるような感覚だけを覚えて意識は遠のいていく。
闇から闇へ、深淵へと堕ちていくように。
(………何、してんのかしら……私は……)
意識を手放すまで―――二人を止めようとした自分が、理解出来なかった。
色々と伏線らしきものがあり、本当に先が気になってしょうがないです。
あと、個人的には10日でこの分量なら十分だと思うので、焦らずがんばって下さい。
今はいいもの読ませてもらいましたの一言で勘弁させて下さい
この作品のレミリアは自身で気づき、自身の意思で変わろうと思い
その為に旅に出たと言うのに、それすら理解されないと言うか…上手く言葉に出来ませんが
決して悪い意味でもなく、純粋に不憫に思えたと言うか
語彙が少なくてすみません
ただこう言うレミリアは決して嫌いじゃないです
今後もどうなるか楽しみです
よし続きへ。