チリンチリンと風鈴の音が響きわたった。頬を柔らかい風が撫でていく。縁側で本を読んでいたパチュリーは、その風の中に秋の香りを感じた。香りといっても、栗や銀杏のような、秋そのものの香りを感じたわけではない。夏の香りが薄くなったように感じただけだ。
風鈴の音を聞くと、秋が近づいた気がするのよね。
そう言ったのは、パチュリーの膝に頭を乗せて、腰に腕をからませて抱きつくように眠っている霊夢だ。霊夢が言うには、夏真っ盛りでは、暑すぎで風鈴の音など聞く余裕がないらしい。言われた時には、ピンと来なかったが、今になって実感する。たしかに、この夏は博麗神社によく来たが、風鈴の音を聞いた記憶などなかった。いくら夏が暑いと言えども、一度も風鈴が鳴っていないということはありえないだろう。
「もう夏も終わりね……」
パチュリーが誰に向けてでもなく呟いた言葉は、もうすぐ夕方を迎えようとしている空へと上っていく。
夏の終わり……。パチュリーの胸がチクリと痛んだ。少し息が荒くなり、軽い焦燥感に襲われる。
霊夢と出会ったのは去年の夏。それ以来、パチュリーは霊夢のことを思い続けてきた。最初は、霊夢は誰にも興味がないという噂を聞いていたので、博麗神社に行っても相手にしてもらえないと思っていたが、霊夢は丁寧に話を聞いてくれた。
夢中になってしまい自分の話ばかりをしてしまったこともあるが、それでも霊夢は楽しそうに相づちをうってくれた。
冷たいと言われている霊夢が、自分の話を聞いてくれている。もしかしたら霊夢も……。
そんな思いを抱きはじめたころ、霊夢は誰にでもそういう態度を取ることを、魔理沙から聞かされた。その瞬間は目の前が真っ暗になった。けれども、思いを捨て去ることはできなかった。
自分は魔法使いだ。手に入れたいものは、どんな方法を使っても手に入れる。
それからは、今まで以上に霊夢を手に入れるための努力をした。
週にニ回以上は博麗神社に行くようにしたし、何回も霊夢を図書館に招待した。霊夢が、図書館の赤いソファーを気に入ったみたいだったので、同じソファーの新品を買って、霊夢専用にした。たまに自分で使うときもあるが、そのときは霊夢の残り香を感じてしまって、あまり読書にならない。
一度霊夢を図書館に監禁してしまおうと思ったこともあったが、結局やらなかった。それは、博麗の巫女などとは関係がなく、純粋に霊夢に嫌われたくないから。
いらなかった食事も、霊夢といる時は食べるようにした。苦手だった緑茶も克服して、箸も使えるようになった。食べ物の苦手も減らすようにしたけど、相変わらずピーマンは食べられない。どうしてあんな苦いものを食べなくてはならないのだろう?
そんなことをしているうちに、少しずつ霊夢との関係が変化を始めた。自惚れていいのならば、自分が願っている方向に。
最初の霊夢は、なんとなくピリピリしていた。おそらく、自分が魔法使いだから。いつ襲われても反撃できるように、警戒していたのだろう。
それが、すこしずつ薄くなっていた。最初は間にお盆を置いていた縁側での座り方も、今ではぴったりと寄り添って座っている。たまに霊夢がウトウトして頭をこちらの肩に乗せてくるのだが、その時は甘い香りにドキリとする。
「そろそろ次の……」
「次の何ですか?」
「ひゃあ!」
突然、美鈴のイタズラっぽい顔が目の前にあった。
「そんな悲鳴を上げたら霊夢さんが起きてしまいますよ?」
「美鈴が悪いんじゃない」
「パチュリー様が飛んでいたので」
「ちょっと考えごとをしてただけよ」
霊夢のことを考えてたなんて、言えないけれど。幸いにも霊夢は、すこし抱きつく力を強めただけで、起きていなかった。そのことに安堵して、小さくため息をつく。
「美鈴一人?」
「まだかなり早いですからね」
実は、今夜は博麗神社で宴会をすることになっている。いつも通りに、魔理沙が企画した宴会で、一応納涼のためのものだ。結局、なにか理由をつけて飲みたいだけだと思うけど。美鈴は、楽しみを押さえきれないのか、二時間も早く来ていた。
「もう準備は終わってるけどね」
「さすが霊夢さんは慣れてますよね」
「でしょ。霊夢、しっかりしてるから」
境内には、ゴザや座卓が用意され、あとは料理を待つだけの状態になっている。今日の料理の担当は咲夜と妖夢なので、霊夢は眠っていても問題ない。
「パチュリー様、嬉しそうですね」
「なにが?」
「『でしょ』って。よくできた妻を自慢する夫みたいじゃないですか」
「べっ、別に、わたしと霊夢はそんな関係じゃない!」
「あら? わたしに霊夢さんと同じ身長になるように魔法をかけて、巫女服まで着せて告白の練習をしていたのは、どこのどなたでしたっけ?」
「うっ!」
「早くしないと、夏が終わってしまいますよ? 霊夢さんと出会った運命の夏が」
「だって、なかなか機会がないんだもん」
「たくさんあったじゃないですか。お祭りで二人きりになったときとか」
「それはそうだけど……。難しいじゃない」
告白というのは、そんなに簡単ではない。はっきりと「好き」と告げなくてはならないのだ。
霊夢に真っ正面から向き合って「好き」と告げる。
……。
……。
……。
考えるだけで顔に血が上るし、同時に不安になる。「好き」と言うこと自体がそもそも無理だし、仮に言ったとしても、断られたら数ヶ月は立ち直れないだろう。
「もう……。それだと、いつまでも今のままですよ。ちょっと、持ってきた桃を剥いてきますね」
顔からわたしが考えていることを察したのだろう。美鈴は持ってきた包みを持って調理場に向かってしまった。
「はぁ……」
ため息をついて、霊夢の髪を軽く撫でる。もともと質が良いのか、まったく指にひっかかることはない。そのまま頬から顎へと指を滑らせると、霊夢はくすぐったそうに身を強ばらせた。
「どうしたらいいんだろう……」
やわらかい風が吹き抜けて、パチュリーの言葉を遠くに運んでいく。またしても風鈴の音がチリンチリンとパチュリーの耳にまで届いて、たしかに秋が近づいていることを実感する。
こんなに悩んでいる自分は、霊夢にふさわしくないのかもしれない。パチュリーは思った。霊夢は何でも割り切りができるし、自分のように悩んだりもしないだろう。そんな霊夢が、一年たっても何もしてこないのだから、霊夢は自分のことを、そういう対象としてみていないのかもしれない。
なら、どうして霊夢はしょっちゅう図書館に来てくれるのだろうか?
今、わたしに抱きついて寝ているのは?
これは、わたしに対する慰め? それとも、たちの悪い嫌がらせ?
ああもう。こんな汚いことを考えるなんて。霊夢がそんな汚いことを考えるはずがない。霊夢は、いつでもまっすぐで、正直だ。
自分はますます霊夢にふさわしくない。考えるのをやめたくなる。
今のままでも幸せだし、このままでもいいか。
もっとも汚い結論が頭の中に浮かびあがった。わかっていて、霊夢の好意を甘受するなんて。
パチュリーは今までで一番自分を嫌いになった。
風鈴はパチュリーを急かすようにチリンチリンとなり続ける。
「恋に悩む少女と、鳴り響く風鈴。なかなか絵になってるわね」
自己嫌悪の渦の中にいるパチュリーに、不意に上品なソプラノの声が届いた。
視線を上げると、白玉楼の亡霊少女、西行寺幽々子がたたずんでいた。
☆☆☆。
パチュリーの話を聞き終わった幽々子は、無言で桃を食べた。美鈴は、パチュリーが先ほどまで読んでいた本を開いている。たぶんそれは、わたしのことは気にしないでください、の合図。なぜなら、美鈴が読めるはずもない本だから。
パチュリーは、霊夢に対する思いを全て幽々子に話してしまった。どうして話をしてしまったのか、わからない。けれども、どうしても誰かに聞いてもらいたかった。このままだと、自分で自分がわからなくなってしまいそうだから。
「ごめんなさい。勝手に自分のことばかり話してしまって」
沈黙に耐えきれず、パチュリーは言った。
「いいのよ、人の恋話は好きだから。それにしても、パチュリーはいい恋をしてるわね」
いい恋? わたしが?
幽々子の言葉に、パチュリーは軽く目を見開いた。
「ちゃんと、恋の酸っぱいところまで味わえている。上手くいっている恋で、そこまで味わえるのは貴重よ?」
上手くいっている、というのもよく分からない。そもそも上手くいっている恋って? 上手くいっているなら、こんなに苦しくないと思う。
「今のパチュリーは、軸が完全に霊夢の方に行ってしまっている状態。だから、霊夢は綺麗に見えるし、自分のことはこの上なく汚く見える。けれどもね」
そこで幽々子は言葉を切って、美鈴が切った桃を口に運ぶ。さらにパチュリーにも、目で促した。
パチュリーはうなずいて、まだ少し固さの残る桃を一切れ口に入れる。見た目通り少し若くて酸味が残っている。完熟になり、甘くなるにはもう少し時間がかかりそうだ。
お互いに桃を一切れずつ食べ終えたところで、幽々子が目を細めて少し表情を堅くする。その様子に、パチュリーは手に汗がにじむのを感じた。
「どういう結果になっても、あなたの場合はちゃんと告白した方がいいわ。そうしないと、霊夢を不幸にする可能性があるから」
「えっ!?」
霊夢を不幸に……。自分がそんなことをするなんて。
幽々子の言葉は、予想の斜め上だった。動揺するパチュリーを後目に、幽々子は話を続ける。
「あなたは今のままでいいかもしれない。けれども霊夢は? もし、霊夢が他の人に恋をしたとき、パチュリーは我慢できるの?」
パチュリーは、何も話すことができなかった。自分がどういう表情をしているのかもわからない。けれどもおそらく、いや確実に、霊夢が自分以外の恋人を作ったら、我慢できないだろう。
「それが、今のあなたの気持ち」
幽々子がパチュリーの頭を優しく撫でる。思わず顔をあげると、微かにかすんで幽々子の柔らかい表情が見えた。
「ほら、そんな泣きそうな顔しないの。わたしが泣かせたみたいじゃない。今、霊夢が起きたら、わたしが退治されてしまうわ」
クスクスっと、袖で口を隠して幽々子は笑った。
「昔からね、恋に破れて相手を呪殺するなんて、物語だけでたくさんあるわ。だから、実際にはそれよりもはるかに多くあるはず」
諭すように、幽々子はゆっくりと話す。
「けれども、幸せな恋をしているあなたに、そんな結末にはなってもらいたくない。だから、真っ直ぐに自分の思いを伝えなさいな。そうすれば、どんな結果になっても、今のあなたなら悔いはないはずよ。もっとも、今のあなた達が失敗するとは思わないけど」
もしあなたが失恋したら、お詫びに妖夢に懐石をつくらせるわ、と加えて、幽々子は桃を口に運ぶ。二つ三つと、次々に口に入れていく様子は、これでお説教は終わりという意味らしい。
パチュリーは目を袖でこすって、数回瞬きをした。
答えは出たのだ。
霊夢に告白すると。
もう、迷っている暇はない。
「さてと、お邪魔虫は退散しますかね」
本を読んでいた美鈴が、突然言った。
「あら、まだ宴会まで時間はあるわよ?」
「霊夢さんの気が乱れているので。そろそろ起きそうですから」
「なるほどね。人の恋路を邪魔したら、馬に蹴られるものね」
「こんな甘酸っぱい恋をしているお二人の邪魔をするのは気が引けますし」
「ふふふ、まるでこの桃のようにね。あ、でもこの二人はまだ一年か」
「一年でも実る桃もありますよ。このお二人の場合はもうすぐ完熟ですけど」
「わたしからして見れば、もう甘ったるくて、ご馳走様だけどね」
「それじゃあ、退散しましょうか? 幽々子さん」
「そうね」
「待って」
そそくさと立ち去ろうとする二人を、パチュリーは引き留めた。これだけは、伝えなくてはいけないと思ったから。
「ありがとうね。わたしの自分勝手な言葉を聞いてくれて」
パチュリーの言葉に、幽々子と美鈴はお互いに目を見合わせた。パチパチと数回瞬きをする。その様子に、パチュリーは逆に驚いてしまった。
わたしがお礼を言うことが、そんなに珍しいだろうか? もしそうなら、霊夢の隣にいられるように改善しなくてはならないかもしれない。
「パチュリー様も頑張ってくださいね」
「わたしも楽しかったわ」
「うん。ありがと」
「それにしても、パチュリー様を虜にするなんて、霊夢さんも隅におけないですね」
「ホントよ。あんないい魔女を彼氏にするなんて、あのぐーたら巫女にはもったいないわ。ウチの妖夢の婿にしたいくらいよ」
「嫁じゃないんですか?」
「うーん。妖夢は剣士だから、妖夢が婿かもねー」
美鈴と幽々子が境内につながる階段を降りていく。神社には、パチュリーと霊夢だけが残された。
二人きりの神社で、パチュリーは空を見上げる。
高い空には、入道雲が浮かび、その雲が夕焼けによって赤く染まっていた。気がつくと風も凪いでいて、風鈴もその時を待つかのように黙っている。
そして、その時はすぐにやってくる。
「うーん……」
パチュリーの膝で眠っていた眠り姫が目を覚ました。霊夢に一度強く抱きしめられ、その力が次第に抜けていく。
「おはよう。霊夢」
パチュリーは必死に声を押さえて言った。
「おはよう……。パチュリー」
霊夢は目を擦りながら起きあがると、パチュリーの顔を怪訝そうに見つめた。不意に霊夢の目と視線がぶつかる。
「パチュリー、あんた泣いた?」
霊夢はパチュリーの瞳を覗きこみながら、数回瞬きを繰り返す。
パチュリーは、「泣いてない」と言おうとして、言葉を飲み込んだ。自分はこれから霊夢に告白するのだ。ならば、霊夢のように素直にならなくてはならない。
「泣いた」
「どうして?」
ぶっきらぼうに聞いてくる霊夢。
自分が泣いた理由?
それは、一つしかない。
「霊夢が好きすぎて」
言った瞬間、体が沸騰するのを感じた。夕暮れの時間で本当に良かったと思う。夕日が隠してくれなければ、霊夢に顔が赤くなっていることを悟られてしまっていただろう。
「やっと言ってくれたのね」
霊夢がうつむきながら言った。陰になってしまい、霊夢の表情は見えない。けれども言葉の意味は、はっきりと理解できた。
霊夢は、自分のことを好きだと言ってくれたのだ。
なら、そのことをちゃんと言ってもらいたい。
「ねぇ霊夢、霊夢もちゃんと好きって言ってよ」
「今答えたじゃない」
「ちゃんとわたしの目を見て」
必死に顔を背けようとする霊夢の頬を両側から押さえつける。霊夢の頬はこれ以上赤くなれないと思うほど赤くなり、目も涙目になっていた。こんな霊夢を知っているのは、わたしの他に誰もいない。
「パチュリー?」
「なに?」
霊夢は、一度目を閉じて深呼吸したあと、まっすぐにパチュリーの目を見て、ふるえる声で言った。
「大好き」
霊夢はその四文字だけ言うと、あっと言う間に縁側を走り去ってしまった。
でも霊夢は、はっきりと「好き」と言ってくれた。それも大好きと。
そのことは紛れもない事実だ。
さて、取り残されたパチュリーには、新たな課題が提示された
次霊夢に会うときには、何と言ったらいいのだろうか?
まさか、好きと言うわけにはいかないし、こんばんはと言うのもおかしい。
「まったく、一難去ってまた一難ね」
パチュリーは残された桃を食べながら、幸せな悩みを考えるのだった。
それはさておき、病院の待合室で読んでたからにやける顔を引き締めるために舌をギリギリと噛んでましたw膝枕ってイイヨネ!!