これは全能なる神による天地創造が始まる前にあった、双子の天使のお話です。
とある天上、全能なる神への愛に燃えし煌びやかな天使達の中でも、誰よりも輝かしく誰よりも主たる神に近き天使がおりました。
その天使は可愛いらしい華奢な肢体に黄金色の艶やかな髪を靡かせ、小さな背中に小さな純白の翼を纏い、今日も他の燃えし天使達と共に全能なる神へ賛美の歌を捧げていました。
全能なる神は最も己に近き光を放つ彼女に、自らの化身たる太陽に似た星、明星の名を与えたので彼女は他の者から明星の君と呼ばれていました。
そんな明星の君には不憫にも神の愛に遠き双子の妹がおりました。
姉たる明星の君と違い、名すら持たぬか弱き妹は満足に飛ぶことはおろか、自分一人では満足に歩くことすら出来ません。
そんな妹を明星の君は神の代わりと言わんばかりに愛し、一人ではどこにも行けない妹が退屈しないようにと、いつも自分が見ている光に満ちた全能なる神の玉座や、周りを取り巻く多くの輝かしい天使達の様子を妹に聞かせました。
か弱き妹は明星の君が語るいまだ見たことの無い、そして一度も見ることが無いであろう天上の最上層の様子をいつも楽しそうに聞いていました。
一方、明星の君は必ずや全能たる神の御加護を授かり、愛おしき妹が自由な翼を纏えるようにしてみせると言い、意を決し全能なる神に妹のことを懇願することにしました。
「我が主にして偉大なる神よ。
私は貴殿に捧げるべき謝する言葉が見つかりません。
今の私があるのは全て貴殿の御心あってのことです。
そのような私が恐れ多いながらも全能なる貴殿に願いを乞うことをどうかお許し下さい。
私には不肖ながら愛おしき妹がおります。彼女には哀れにも全能なる貴殿の声が届いておらず、今日も不憫な暮らしをしております。
我が妹の不出来もありましょう、しかし偉大なる貴殿の御業を知る術すら無き哀れな妹に、一握りの御加護を授けては頂けないでしょうか?
貴殿の御加護を与ることが出来たのならば、必ず我が妹は偉大なる貴殿に伏し、賛美の歌を捧げるでしょう。」
それに対し、偉大なる神はこう答えました。
「最も私に近き者よ、そなたの誠実なる思いに免じて私は答えよう。
そなたの半身の自由ならざる身は全て半身とそなたに原因がある。
そなたの半身は私よりもそなたに最愛の念を抱いている。
全能たる私は同時に平等たる私でもある。
そなたの半身の真なる幸福を求めるのであれば、精力を尽くすべきはそなたでは無くそなたの半身で無ければならない。」
妹の不憫たる原因が今までの自分の行為にあると知った明星の君は胸を裂かれる思いを抱いたまま、平等たる神の前を退きました。
明星の君は悲しみの底に沈みました。
あんなにも可愛らしく、狂おしい程に愛しき妹が不自由な思いをしているのは他ならぬ自分のせいだったのだから。
自身に自惚れ、あろうことか偉大なる神の代わりをしてみせるなどという愚行を冒したせいで、純情な妹は信ずるべき道を違えてしまった。
その思った時には明星の君の行く先は自然と愛しき妹の待つ所と逆に向いていました。
自分がまた妹の傍で妹と共にいようとしたら、今まで以上に妹の心は偉大なる神から遠のいてしまうかもしれない。
そうなれば今よりも更に妹が悲しい思いをすることに違いない。
例え愛する妹との距離が離れてしまったとしても、それで妹が救われるなら。
明星の君は断腸の思いで愛する妹の傍にいることを諦め、妹の心がいち早く自分から離れ、平等たる神に向かうことを祈りました。
妹の幸せのためを願っての事なのに、何故か頬を伝う熱を持った滴を拭いながら。
妹に会うことを止めたそれからの明星の君は、ただひたすら全能なる神への賛美の歌を奏でる機械に成り下がっていました。
あれ程美しかった黄金色の髪は輝きを失い、少女のような可愛らしい顔は酷くやつれ、髪と同じ色の大きな瞳は一切の光を無くしその余りの痛々しい様は見る者全てが目を背ける程でありました。
偉大なる神の御子、救世主誕生の宴にも明星の君は天上の全ての天使達による賛美の合唱が終わると直ぐに姿を消しました。
まるで亡者のような足取りで、何処となく彷徨い歩いていた明星の君は、周りに誰もいないのを確認した後まるで幼子のように大きな声で泣き喚きました。
辛かった、悲しかった、愛する妹に会えないことが。
そして気付かされた、本当に救われていたのは妹では無く自分の方であったと。
皆に祝福される全能なる神と御子の姿を見て、今まで押さえつけていた何かが全て流れ出るのを感じた。
こんなにも苦しみ喘いでいる私の目の前で幸せを噛みしめている二人を、どうしても妬んでしまう気持ちが抑えきれなかった。
こんな愚かな気持ちを抱いてはいけないと分かっていても、それを止める術など見つからない。
どうしても会いたい。最愛の妹に今すぐに会いたい。あの柔らかく、暖かな身体を優しく抱きしめたい。
気持ちの落ち着くいい匂いのする私と同じ色の髪に顔を埋めたい。
耳に響く私を呼ぶあの優しい声を聞きたい。
私の戯言をいつも真に受けて直ぐ頬を膨らませるあの可愛らしい顔がもう一度……もう一度だけでもいいからみたい!
そう思った時、私は既に妹がいつも私を待ってくれていた場所にいた。
ここは天上の中でも最も下層に位置していて、神の光からは遠いが大きな海とそれに繋がる小さな川があり、その小さな川の畔が妹のお気に入りの場所であった。
畔にはいつも色取り取りの花々が咲き、よく花輪を互いに作りあっていたことを思い出す。
畔には他にも大きな木があり、その木陰で一緒に昼寝をしたり、妹に見てきたことを聞かせていたりしていた。
久しぶりにそんなことを思い出していた明星の君の先、その木の下に愛しの妹の後ろ姿があった。
久方振りに見た最愛の妹の姿に、私は今まで抱えていた暗く重苦しいモノが全て吹き飛ぶのを感じた。
私はすぐさま妹の傍に駆け寄ろうとして思いとどまり、敢えてこっそりと忍びよった。
後ろからこうして驚かすと妹は危ないと言って私を叱るのだが、驚きの余り涙目になる妹の顔が可愛くてついやってしまうのだ。
視線に敏感な妹に気付かれないように敢えて妹の方を見ずに、ゆっくりと背後に近付いた私は、大きく腕を広げ、勢いよく妹を抱きしめた。
驚きの余りか、妹の冷たい身体は一度大きく揺れ、また元に戻った。
「あぁ、私の愛おしき妹。どれ程この瞬間を待ち遠しく思ったことか。
会いたかった。どうしても会いたかった。
いけないと分かっていても、私には貴方が必要だった。
私は貴方に会えないだけで生ける屍のような毎日を送っていた。
来る日も来る日も会えない貴方の事を思い焦がれていた。
貴方の声がどれ程聞きたかったことか。
ねぇだから、驚かしたことは幾らでも謝るから早くその愛おしい声を聞かせてよ。ねぇ、ねぇった……ら……?」
その時明星の君は、愛しき妹が見ない内に自分より身長が高くなっている……というより高い位置に吊り下げられていることに気付いた。
恐る恐る足元を見ると、妹のほっそりとした病的に青白い素足は大地から離れた位置に浮かんでいるのが見えた。
抱きついた身体から伝わってくる氷のような冷たさに、再会に浮かれきっていた頭が急速に冷えていく。
まさか、まさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさか
冷たい身体をこちらに振り向かせると、ギシッ、っとロープが軋む音と共に、死に絶え色を失った最愛の妹の哀れな骸に再会した。
「いや・・・・・・いやぁああぁああああ! 何でよ・・・・・・どうしてよ! お願いだから返事してよ! ねぇ! ねぇ!」
幾ら揺さぶっても亡骸が答えるはずも無く、ただ枝に吊らされたロープが音を立てるだけ。
ぐぁんぐぁんと振り子のように揺れる変わり果てた妹の姿に、自分の声とは思えぬ程の甲高い悲鳴が絶え間なく辺りに響き渡った。
やがて流す涙すら枯れ果て、潰れた喉からヒューヒューと空気が鳴る音だけが漏れるようになった頃。
明星の君は妹を吊るすロープを引き千切り、大地に妹の身体を横たえた。
「ごめんね……本当にごめんね……寂しかったよね。辛かったよね、こんなのお姉ちゃん失格だよね……」
ふっくらとして可愛らしかった妹の顔は見るに堪えぬ程醜く歪んでおり、死に絶えてからどれだけの時間が経ったのか、肉塊の一部は既に土に帰ろうとしていた。
深い悲しみと湧き上がる自責の念に押しつぶされそうになった時、正にその時であった。
遥か高みから全能なる神とその御子へ捧げられるハレルヤが偶然にも明星の君の耳へ届いてしまったのは。
それが悪夢の引き金だった、嘆きの底にいた明星の君に沸々と煮え滾るモノが生まれ、ただ涙を流すだけの器官になっていた虚ろな瞳に禍々しき光が宿る。
痩せこけた頬が細かく震え口元は狂気に歪み、遂に堪え切れなくなったと言わんばかりに明星の君は天を嘲笑った。
両腕で体を抱きながら笑いすぎて息すらまともに出来ぬ程、明星の君は体を捻じ曲げただひたすらに笑い続けた。
ひとしきり笑い続けた明星の君は、急に笑うのを止めると、両腕をまるで天を包み込むように真横に伸ばし、高らかに宣言した。
「偉大なる神よ、この私の声が聞こえているか!
私は貴方を心より信じ奉じてきた。しかし私には貴方よりも愛おしき妹がいたのだ。
もしこの愛が、本来貴方に抱くべき思いを貴方以外に抱いたこと自体が罪だというなら。そしてこれが罰だというなら!
私は喜んで罪を背負い、不当な罰に激情を持って貴方に反旗を翻そう。
哀れな天使一人すら救えぬ口だけの全能者であるお前が偽善を盾に我を討てと配下の天使達に告げるなら。
我が全力を持って群がる烏合の衆を凪払い、その四肢を引きちぎり、死よりも辛い永劫の苦しみを与えつづけよう。
そうして無知なお前はやっと知りうるのだ。貴様の影で、私達がどれだけの悲しみを背負い、嘆き苦しんだかを。
この身を挺してまでも救いたかった尊き命が失われたかを。
何もかもを失った私に沸き上がった苦恨と身を焦がす怨叉の炎を。その全てを思い知らせてやる!」
その後、次々と罪なき天使達を無差別に殺し、行く先々で破滅をもたらした明星の君は遂に全能たる神の怒りに触れ、約二日間に渡って全能たる神率いる燃えし天使達に追われることになった。
しかし、明星の君を討つべく動く燃えし天使達に対して明星の君は軽くあしらうだけで、逃げ惑う力の無い天使達をただ残酷に殺し回り、天上は恐怖に震えあがった。
事態を重く見た全能なる神は、三日目に御子たる救世主に血に狂った明星の君を討つべく命じたが、時既に遅くこの時天上の天使達の約三分の一が明星の君の手に掛かり、命を落としていた。
その後、何とか明星の君を天上から追い払うことに成功した神の御子も、決して解けない死の呪いを受けるなどの痛手を受けた。
月日は経ち、危うくたった一人の天使の反乱で崩壊しかけ、見るも無残な姿に変わり果てた天上を補うように全能なる神による天地創造が行われた。
天地創造では新たな世界と神の姿によく似たアダムと呼ばれる新しい命も生まれた。
しかし、これも怒り狂う明星の君により永遠を約束されていたはずの穢れ無き命が罪に溺れる羽目になってしまう。
穢れの蔓延を恐れた神は、やむを得ずアダムを楽園より追放し、明星の君に堕としめされた新たな命を救うため、御子たる救世主を向かわせた。
しかし天上を離れ、地上で救いを説く御子は明星の君の呪いどおり悲劇的な死を迎えてしまい、新たな命が背負った罪を被り、今でも復活の時を待っているとのことだ。
一方暴れるだけ暴れつくした明星の君は全能たる神に与えられた名を捨て、神の象徴たる太陽に似た明星から太陽の反対である月に似た幻の月、幻月と名乗り、天上の天使達から奪った数多の命を使って自らが創りだした妹を夢月と名付けた。
勿論この事を夢月は知らない。
後に悪魔と呼ばれるようになった理由も、姉の幻月がその名似合わぬ純白の翼を持っている理由も。
聞いたところで碌な答えが返ってくるはずもないと既に悟っているからだ。
幻月はというと昔のことなどもうさっぱり興味がないようで、夢幻世界を創りそこで二人で住むようになってからは天上に住まう神にもちょっかいを出す事はなく、ただ最愛の妹たる夢月をからかって遊んだりして暇を潰すのに忙しいらしい。
「姉さん、ちょっと気になったことがあるんだけど」
「あら、夢月が私に質問なんて珍しいじゃない? ちなみに今夢月が来ているメイド服のコンセプトのことなら、『思わず脱がせてえっちぃことをしたくなる』だよってああがががあががががああああ!」
「そんなこと誰も聞いてないし。でもどうりでこれ自棄に露出度が高いのね、このスカートなんてスカートの役割を果たしてるのかわかんないくらいだし」
「夢月のアイアンクロー(愛の鞭)は相変わらず効くわぁ……んで、結局何が聞きたかったの?」
「あぁ、えーっと。姉さんが馬鹿なことするから忘れちゃったじゃない」
「えーなにそれ、凄い気になるじゃない!」
「なんか意外と重要なことを聞こうとしたはずなんだけど……なんだったかな?」
「あぁ、遂に夢月にボケが始まってしまったのね。でも大丈夫! 夢月のためになら私、介護生活だってがんばぁああぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃあああ!」
「私は先に姉さんを精神病棟に突き出したい気分よ」
「ふぇえーん! 夢月が虐めるよぅ!」
天上を恐怖と混乱に陥れた反逆の天使は、自身が創りだした最愛の妹と共に、最凶最悪の悪魔と呼ばれるようになる。
今日も二人は二人だけの世界で夢幻の時を過ごす、それは正しく失われたはずの楽園に違いなかった。
終
表題の通り失楽園になぞらえての夢幻姉妹の(正確には幻月の)話でしたが、彼女の誕生秘話という感じで読み応えはあったものの、もっと壮大な物語のプロローグといった所で終わってしまった感じがしたので、この点数とさせていただきました。
また前半部は特に説明的で設定を読んでいるという感じだったこと、溺愛する妹の話が薄かったので、もし次回作があればその辺りを深くした話を読んでみたいなと思いました。
これからも頑張ってください。
すごく良かったです。
旧作のキャラはさっぱり分からないのですが、この話を読んで夢幻姉妹に
興味が沸いてきました。
次作も期待しています。
次作も期待して待っています。
一瞬エヴァssを読んでいるのかと思ったらかわいい悪魔でした。ひゃっはー。
大変よろしいので次回作も期待してお待ちしております。