幻想郷に夏がやって来た。
陽光がギラギラと降り注ぎ、木々は青々と葉を茂らす。
今日も気温がぐんぐん上昇し、前日の暑さを易々と突破してしまった。
そしてその余波は、日が落ちてもここ命蓮寺にまで影響を及ぼしていた。
「……あついぃ」
「星。はしたないし、それ以上言わないで。余計に暑くなる」
「そんなこと言われても、暑いものは暑いですよぉ」
濃紺の作務衣を着て居間に大の字で寝っころがる星は、参りましたとばかりに愚痴った。
これには、Tシャツにホットパンツというラフな格好であぐらをかく村紗も複雑な表情をする。
だって、ここが蒸し暑いことに何の異論も無いからだ。
宵の口になり、昼間の様に肌に突き刺さる攻撃的な暑さはなくなった。
その代わり、じっとしていても汗がにじむ様なうっとうしい不快感が体と精神を蝕む。
戸や障子を全部開け放したり、打ち水をしたりと対策はしているが、まさに焼け石に水程度の効果しかない。
しかも今夜は風が無い。軒下の風鈴が開店休業状態なことも、暑さを実感するのに拍車をかける。
「……ねぇ、村紗。八雲さんが言っていた、クーラーとやらをつけましょうよ」
「あのね、このお寺は純和風建築で、欄間を通して全部屋の空気が循環する仕組みになっているのよ。
クーラー1台だけじゃ、冷房効率が悪すぎるの」
「えぇ……じゃ、全部屋に」
「そんなお金も電力もありません。あれで充分」
そう村紗は星の言い分をぴしゃりと跳ね除け、部屋の隅っこを顎でしゃくる。
そこには金属製三枚羽の扇風機が回っていて、村紗に応える様に首を振っている。
その前では、薄手のサマードレスのぬえと、半そでハーフパンツのパジャマを着た響子が左右に首振る扇風機に合わせて、自ら涼を獲得しに動き回っていた。
星が村紗に恨みがましい視線を向けていると、紅潮した頬を雲柄の扇子であおいで冷却する一輪が入ってきた。
頭巾は被っておらず、露出している髪の毛は濡れてウェーブしている。
「はぁー、お風呂上がったわよ。今夜も蒸すわねぇ」
扇子を畳んで胸元に挿した一輪は、淡い色合いの浴衣をはためかせて食卓にもなる長机の脇に座る。目的は、水滴がびっしょりついた麦茶の入れ物だ。
一輪はコップに麦茶を注ぐと、一気にあおって「ああぁ~」と美味そうに一息つく。
「姐さんも一杯どうです?」
「ええ、いただきましょう」
先程から柔和な笑みを浮かべて上座に鎮座していた聖は、一輪から麦茶をもらう。
ちなみに白蓮の衣装は、普段の法衣のままだ。暑くないのだろうか、と皆疑問に思っている。
「ちょっとぬえ、響子ちゃん。扇風機の前に陣取っていないで、こっちにも風を分けてよ」
「ええ~、一輪もこっち来て動けばいいじゃん」
「暑中回避的生存戦略です~」
「もう、首を振っている意味が無いじゃない」
一輪が文句を言い、火照った体で扇風機に近づく。
「うわっ、あつぅ! 熱気が来るから離れてよ」
「じゃあ素直にどきなさいよ!」
「ぎゃーてー! 内ゲバ勃発!」
本日も始まった場所取り合戦に、村紗は処置なし、と肩をすくめる。
そんな暑さで気分がささくれる一同を尻目に、星は悄然とつぶやく。
「何か、手軽で劇的に涼しくなれる方法は無いですかね……」
「ハッカ油を使えばええじゃろ」
え? と一同は虫の声が漏れ聞こえてくる縁側に目を向ける。
発言の主は、尻尾と同じストライプ柄のステテコにタンクトップ一丁で、冷酒をちびちびとやっていたマミゾウである。
半分あぐらで片足を外にぶらつかせるマミゾウの元に、響子が近寄った。
「おばあちゃん。ハッカ油ってなあに?」
「これのことじゃよ。これを体に塗ると涼しいんだぞい」
そう言うとマミゾウは懐から茶色い小瓶を取り出す。薬瓶の様な外観で、ラベルには無機質な『ハッカ油』の文字が書いてある。
「そんな薬みたいなので、本当に涼しくなるの?」
「ああ。正確には水で薄めたものを使うのじゃがな。
ほれ、ハッカは揮発性の高い物質じゃろ。こいつを肌に塗ると、気化熱を奪って涼しくなれるんじゃ。
まぁ他にもハッカは冷たさを感じる神経を刺激するとか、色々理屈があるようじゃがのう」
疑いの眼差しで尋ねる村紗に、マミゾウは根拠を示してやる。
原理は飲み込めたが、まだ皆は半信半疑だ。
「ははは、実際に使ってみた方が早いじゃろ。ちょっと準備してくれんかの」
こうしてマミゾウの指図で、部屋にぬるま湯を入れた洗面器といらなくなった手ぬぐいが用意された。
「何でいらない手ぬぐい?」
「それはな、これを抜栓してみれば分かる」
マミゾウは意味深にニヤリと笑うと、一輪にハッカ油を手渡した。
一輪は怪訝そうにねじ式の蓋に手をかける。皆は興味津々に近づいてその作業を見つめていた。
だが、蓋が開いた瞬間にそのことを後悔した。
「うわ! くっさ!」
「わあぁ! 湿布の臭いがするよう!」
「こんなのを体に塗るの?」
ハッカの、しかも濃縮された独特すぎる臭いに皆のけぞった。
その臭いたるや、想像できるメンソールやハッカドロップの比ではない。まるで爽快感の押し売りの様に鼻に突撃してくる。
特に嗅覚が鋭い星と響子に至っては、鼻を押さえて部屋の隅に待避してしまった。
「うぅ~。久々じゃから、ちいっとキツイのう。この臭いを新品の手ぬぐいにはつけたくなかろうて。
ささ、納得したところでさっさと垂らしてみい。ほんの少しでいいからの」
「言われなくても」
一輪は言いつけ通り、ごく少量洗面器に垂らして蓋を閉める。すると、あっという間に臭いが霧散しほっとする。
あとは簡単だ。手ぬぐいを使ってひと混ぜしたら完成だ。
「これをな、首筋や腕に塗るんじゃ。あ、顔はいかんぞ。目がやられる危険があるからな」
マミゾウは使い方の見本とばかりに、手ぬぐいを絞って腕に塗りつける。
するとそれの見よう見まねで、まず新しいモノ好きのぬえと村紗。次に白蓮と一輪。
最後は臭いにようやく慣れた星と響子が、恐る恐る手ぬぐいや手でぴちゃぴちゃとハッカ油の薄め液を塗りつけた。
全員試してみて、一輪はぬえに感想を問う。
「……どう?」
「うーん、何か肌がヒリヒリするような――!」
ぬえがイマイチな反応をした瞬間、その目が見開かれた。
「涼しくなってきた」
「ええ? っておおおっ!」
ぬえが信じられない様に呟き、ぶるりと身を震わせた。
村紗も遅れて効果が現れたのか、感動の声をあげる。
「何これ!? 塗ったところがむっちゃ冷たい!」
「暑いのに涼しーい!」
「へぇ! 不思議な感覚」
「本当。涼感が簡単に得られますねぇ」
一同はワイワイとハッカ油の実力を認める発言で盛り上がる。
そんな様子を、マミゾウは満足そうに見つめていた。
「なぁ、いいじゃろう。これで20~30分は涼しいままなんじゃよ」
「すごーい! おばあちゃん、どうしてこんな良い物を隠してたの?」
「いや、隠していたわけじゃないんじゃが……こーりん堂とかいう店で見かけてのう、つい懐かしくて買ったんじゃ」
そう小瓶を弄びながら響子に入手の経緯を語るマミゾウ。
だがそれよりも、皆はハッカ油の爽快感に夢中だ。
ちょっと臭いを我慢すれば、クーラーにも劣らないさっぱりとした涼しさを得られる。これは革命的な出来事であった。
特に星は余程暑さに辟易していたのか、作務衣の上着をはだけて胸元や背中にまでハッカ油を塗りたくっていた。
さっきまで臭い臭いと騒いでいた星の変節に、一同は現金だなぁ、と苦笑いだ。
ひとしきりハッカ油を体験したところで、聖が中座し、お盆を持って部屋に戻ってきた。
「皆さん。ハッカ油もいいですけれど、こちらもいかが?
檀家の方からの頂き物で、よーく冷えていますよ」
「わぁ、スイカですか」
「美味しそー」
お盆の上には、半月型に切ったスイカ。
濃い赤の色合いにぎゅっと締まった身が、その甘さと水分の多さを物語っている。
夏の定番に一同は大いに気分を昂ぶらせ、一斉にスイカに手を伸ばす。
氷室の氷で冷やしたスイカにハッカ油効果も合わさり、皆ご機嫌に暑苦しい夜を楽しんだ。
ところが、2個目のスイカを食べ始めた星が浮かない顔をする。
「どうしました? お塩をかけ過ぎちゃいましたか」
「いえ、肩口が普通の感触に戻ったような……」
「おや、もう終わったようじゃな。揮発性が高い分、効能はそんなに長続きしないんじゃよ」
「そういえば、あたし達も何となく普通の感覚に戻ったかしら」
一輪の言う通り、ほとんど同じタイミングで全員の納涼感が、文字通り霞の様にぼやけてしまった。
これには星も、ややがっかりとした顔つきになる。
「これは寝る直前につけるのが賢い使い方じゃな。いい気分で眠りに就けるからの」
「なるほど。じゃあ、皆で寝る前にもう一度使いましょうか」
聖の提案に、一同は頷く。しかし、星は違った。
「あのう、私はもう一回塗りたいのですが」
「あらあら。それは構いませんけど、またすぐ塗り直す様になっちゃいますよ」
「この暑さに比べれば、そんな手間は無いも同然です」
きっぱりと言い切る星に、マミゾウは愉快そうに笑った。
「ほっほっほ。星ちゃんはそんなにコイツを気に入ったか。
じゃあ、星ちゃんにはこれのもっと大胆な使い方を教えようかの」
そう言ってマミゾウは星にハッカ油を手渡す。
「これを湯船に直接垂らして浸かってごらん。さっきの感覚が全身で味わえるぞい」
「え!? それは大丈夫なのですか?」
「本来はそーやって使うもんなんじゃぞ、これは。まぁ、残り湯がハッカ臭くなるという欠点があるが……」
チラリ、とマミゾウは一輪に目配せする。星も懇願する様な目で見つめる。
一輪はふふっと苦笑交じりにこう代替案を出す。
「さっきスイカを冷やすのに使っていたタライが空いたから、それに残り湯を入れて使っていいわよ」
「じゃ、そうだ。ほれ、行ってきな」
「あ、ありがとうございます! じゃ、ちょっともう一回お風呂に行ってきますね」
そう星は礼を言うのももどかしいといった風情で、どたどたと奥に引っ込んでしまった。
そんな星の様子に、一同はクスクスと声を忍ばせて笑った。
――◇――
数分後、星は達成感に満ちた表情で戻ってきた。
マミゾウの言った通り、タライにハッカ油を入れて水浴びの様に塗布したのだろう。
だが星が部屋に入った途端、響子が顔をしかめた。
「星さん……ハッカ臭いですよう」
「ええ? そうですか?」
「どれどれ。うわ、結構臭う! 私でもわかるわよこれ。
星、アンタ鼻が馬鹿になっているんじゃないの?」
「そうですかねぇ。でも、これならもっと長く涼しく過ごせますよ」
くんくんと鼻を鳴らして同じく渋い顔をする村紗に、星は平然とした様子で扇風機の風に当たり始める。
すると、マミゾウが珍しく焦りとバツの悪さを混ぜた表情になって星に語りかける。
「しょ、星ちゃん。もしかして、ちょっとまずい事に」
「え? 何が……!」
その時扇風機の風が星の背後から通り抜け、星の口が止まった。
瞬間、星は肩をぎゅうっと自分で抱きしめる。
何が起こったか分からない一同を尻目に、マミゾウは額に手を当てた。
そして、星は一言。
「……さ」
「「「さ?」」」
「……寒い」
「はい?」
「寒い……寒い寒い寒い! こ、凍えそうです! あううう……」
星は真夏のこの時期にありえない状態を連呼し、畳に小さくうずくまる。
がたがたと震える肩を作務衣が乱れるほど手で擦り、歯の根はかちかちと噛み合っていない。
まるで一人だけ極低温下に放り出された様だ。
これには一同も狼狽する。
「ど、どうしたの!? 大丈夫?」
「寒いってなんで!?」
「マミゾウさん! 星に何が起こったの!?」
一輪は事情が分かっているらしいマミゾウに説明を求める。
するとマミゾウは星の作務衣のポケットに入っていたハッカ油の小瓶を取り出す。
そしてそれを明りにかざし、何かを確信したように頷いた。
「あちゃあ、やっぱり。これ、ハッカ油の使い過ぎじゃよ。
ハッカ油は本当に少量でも効果を発揮するのに、星ちゃんは効き目を長続きさせようとドバドバ入れたんじゃろう。
その結果がこれじゃ。体の熱が全身から一気に奪われておる。
ハッカ油の使い始めに、誰もがやる失敗じゃよ」
マミゾウは説明不足を反省しながら、小瓶をチャプチャプと振る。
新品同然だった中身のハッカ油は、今や半分ほどになっていた。
「それじゃ、どうすれば」
「ハッカ成分が全部揮発するまで待つしかないのう。さっきの薄め具合で20分じゃから、小1時間ってとこか」
「そんな……それまで、星はずっとあのままなの!?」
一輪が指差す先では、星が顔を青くしてぶるぶる震えていた。
聖が村紗に布団を持って来るよう指示し、ぬえと響子は必死に背中をさすってあげている。
だがその努力も追いつかないのか、星は今や寒苦しさに侵されていた。
「……まぁ、打つ手が無いわけじゃ、ない」
「ホント!? 早く教えて」
マミゾウが口ごもるようにそう言うと、一輪が急かした。
だが、なぜかマミゾウはしばし逡巡し、ついにこう答えた。
「ぎゅっと、抱きしめてやるんじゃ」
「……は?」
一輪が聞き間違いか、と言わんばかりの間抜けた声を出す。
それは皆も同様で、思わず介抱の手も止まる。
「……ああ、服は別に脱がんでええよ。雪山じゃなしに」
「いやいやいや! マミゾウさん! ふざけている場合じゃ」
「儂は大真面目じゃよ。
ええか、星ちゃんの体から熱が放射するのは止められん。じゃが抑えることはできる。
つまり、星ちゃんの症状を緩和するには人肌を重ねて、熱の逃げる面積を小さくしてやるのが最良なんじゃよ」
「そ、それなら布団をかぶせるとか」
「全身くまなくハッカ油を浴びとるんじゃぞ。簀巻きにして布団蒸しにする気か?
抱っこしてやるのが調節も簡単なんじゃよ。星ちゃんの為だと思って、なぁ」
「で……でも」
「やりましょう」
「聖!?」
凛とした声で宣言したのは、我らが大尼僧 聖白蓮その人である。
聖はさらに続ける。
「星はこの寺院のご本尊であり私の愛弟子。いえ、それ以前に家族同然の間柄です。
家族が苦しんでいるのに、手をこまねいて見ているわけにはいきません」
「聖……」
「一輪は奥ゆかしいですからね。でも、家族を抱きしめることはとても自然なことですよ」
あまりに母性に満ちたお言葉に、一輪は感動した。
身内しかいないのに、外聞を考えてしまった自分が恥ずかしい。そう、星を助けるのに何のためらいがあるのだ。
一輪だけでなく、その場の全員がそう決心した。
「そうと決まれば、村紗、布団を敷いてちょうだい」
「はい!」
村紗は持ってきた布団を、素早く部屋の真ん中に敷く。
すると、聖はその布団に体を横たえる。
体は横向きにして、両の手を誘うように前へ広げた。
「さぁ、いらっしゃい。たんと温めてあげるからね」
聖の優しい声に導かれ、星は猫背になりながらも聖の胸元に潜り込む。
まだ震えが止まらない星の体を抱き寄せ、豊かなおっぱいに星の顔を埋めさせる。
出来るだけ密着する様に、聖は星の背後に手をまわして抱きしめると同時に背中を按摩してやる。
すると星も寒さが和らいだのか、自ら体温を求める様に体を微かに揺らした。
「よしよし、よしよし……どう、寒くありませんか?」
「……背中……背中が冷たいです……」
「あらあら」
星の悲痛な訴えに、聖は困った顔をする。前方は今暖めの最中で、後方には腕しかまわせない。
聖が背後に移動したら、今度はお腹が冷えてしまう。
こんな時こそ、仲間に協力を仰ぐのが先決である。
「一輪。あなたに背後を任せます」
「わかりました。星、失礼するわよ」
一輪は浴衣を羽織りなおすと、星のたくましい背中にそっと自らの身を寄せる。
するとそれに息を合わせて、聖が星ごと一輪の背中へ手を伸ばす。
一輪もそれに倣い、星は聖と一輪の柔肌の間でサンドイッチになった。
「痛くない? 気持ちいい?」
「……はい……だいぶ、気持ちいいです」
「それは誠に僥倖。いいですね一輪。このまま頑張るのです」
「はい……でも、これ暑い……」
一輪が汗を垂らしてそう漏らすのも無理はない。
星の寒さはあくまで体感的なもの。部屋は平素の気温なのだから、3人でひっ付き合っていたらそりゃ暑くなる。
そう、こんな時こそ仲間に(以下同文)
「村紗。交代できる?」
「任せろ! 船長はバディーを見捨てないんだ!」
まるで特殊海難救助部隊の物言いで、村紗は一輪と交代する。
村紗は素早くキビキビと星にしがみつき、労わる様に星の肩をゆっくり揉みほぐす。
その間、響子はどっと汗をかいた一輪に扇風機の風を向け、麦茶を手渡すといった援護を行っていた。
「村紗、すみません……」
「謝るな! 全員が生きて帰ることを考えるんだ」
別に命に関わる事態ではないのだが、このテンションで体温が上がっている節もあるため、聖は関与しないことにした。
村紗は健康的に焦げた浅黒い肌をこれでもかと押し付け、逃げ場を求める熱を体を張って阻止する。
その間手透きの人員は、星の足を手でしごいて温めてやる。
特に打ち合わせすることもなく、見事な連係プレーで事に当たっていた。
「ひゅー、ひゅー……ヘイ! ぬえ、タッチ!」
「アイサーキャプテン」
村紗がバテると、今度はぬえが背中を暖める番だ。
摩擦した方が効率がいいだろうと、華奢な体全体で星の腰元からうなじまで擦り上げる。
しかし、その姿はうっすら汗ばむ白い肌とやや粗くなった吐息も含めて、やや艶めかしい。
「はぁはぁ……すごく暑くて、とろけそう……。聖は暑くないのぉ?」
そういえば、聖は一度も交代をしていない。蒸し風呂みたいなこの場所では、自殺行為に等しい。
しかし、聖は頬が桜色に上気していたが、相変わらず仏の様な微笑みは絶やしていない。
まるで苦行を黙々とこなす修験者だ。
「平気です。私は嬉しいのです。
魔界での時間。ともすればくじけそうな永い時間の節々で、私を慰めてくれたのは皆と過ごした日々の記憶でした。
そして星は私の為に懸命に働いて、封印を解いてくれました。
今私は同じように、星を守るために戦うことができるのです。
この戦いに勝って星の笑顔が取り戻せるなら、私は灼熱も極寒も厭いはしません」
「聖……聖ぃ、ありがとうございます……ありがとう……」
「泣いちゃだめよ、星。もう少し、もう少しだからね」
星は聖の慈愛に満ちた言葉に、喜びと今までの苦労が報われた感情がない交ぜになった涙が溢れる。
でも聖はその涙を唇で拭って、星を励ましてやる。
「そうだ、頑張れ! もうちょっとで揮発するぞ!」
「そうよ。あなたは寅でしょ。世界で一番強いのよ!」
「ハッカなんかに負けるな!」
「ぎゃーてーぎゃーてー!」
「「「がーんばれ! がーんばれ!」」」
いじらしい二人の姿に触発されたのか、残りの面々も少年野球の試合を応援するかのごとく、目じりに光る物を溜めて懸命に応援する。
「愛……か。一途じゃのう」
マミゾウには少し強すぎる光を見たのか、また縁側に腰掛ける。
さっき柱時計を見たら、もうそろそろ効果が切れてもいい時間だ。
彼女達なら、そこまで乗り切れるだろう。
マミゾウはそう確信し、ややぬるくなり始めた酒の杯を取り上げ、気づく。
(あ……風呂の湯でハッカ油を洗い流せば、それで済んだかな……)
今更思いついた当り前の対処法に、マミゾウは気まずい思いで後ろを振り向く。
だが、そこに広がる光景は
「大丈夫よ。大丈夫。だいだいだいじょじょじょ」
「わあぁ! 姐さんの顔が紫色に!」
「扇風機扇風機!」
「麦茶を注入! 熱を放出させるんだ!」
「星さん! まだですかぁ!」
「ええ、もうちょっと……聖……あったかい」
修羅場の渦中で、星が幸せそうにとろりと顔を溶かして、聖の豊満な姿態を堪能していた。
(……ま、教えなくてもいいか)
マミゾウがにししとぬえの様なイタズラっ子の笑みを浮かべて、視線を外に戻す。
ふと、大騒ぎの命蓮寺一家を癒す様に、一陣の風がマミゾウの横を通り抜け、屋内の温度を吹き下げる。
その余波でちりりん、と鳴った風鈴の音と心地よいこの空間を肴に、マミゾウは残りの酒をくっと飲み干したのであった。
【終】
陽光がギラギラと降り注ぎ、木々は青々と葉を茂らす。
今日も気温がぐんぐん上昇し、前日の暑さを易々と突破してしまった。
そしてその余波は、日が落ちてもここ命蓮寺にまで影響を及ぼしていた。
「……あついぃ」
「星。はしたないし、それ以上言わないで。余計に暑くなる」
「そんなこと言われても、暑いものは暑いですよぉ」
濃紺の作務衣を着て居間に大の字で寝っころがる星は、参りましたとばかりに愚痴った。
これには、Tシャツにホットパンツというラフな格好であぐらをかく村紗も複雑な表情をする。
だって、ここが蒸し暑いことに何の異論も無いからだ。
宵の口になり、昼間の様に肌に突き刺さる攻撃的な暑さはなくなった。
その代わり、じっとしていても汗がにじむ様なうっとうしい不快感が体と精神を蝕む。
戸や障子を全部開け放したり、打ち水をしたりと対策はしているが、まさに焼け石に水程度の効果しかない。
しかも今夜は風が無い。軒下の風鈴が開店休業状態なことも、暑さを実感するのに拍車をかける。
「……ねぇ、村紗。八雲さんが言っていた、クーラーとやらをつけましょうよ」
「あのね、このお寺は純和風建築で、欄間を通して全部屋の空気が循環する仕組みになっているのよ。
クーラー1台だけじゃ、冷房効率が悪すぎるの」
「えぇ……じゃ、全部屋に」
「そんなお金も電力もありません。あれで充分」
そう村紗は星の言い分をぴしゃりと跳ね除け、部屋の隅っこを顎でしゃくる。
そこには金属製三枚羽の扇風機が回っていて、村紗に応える様に首を振っている。
その前では、薄手のサマードレスのぬえと、半そでハーフパンツのパジャマを着た響子が左右に首振る扇風機に合わせて、自ら涼を獲得しに動き回っていた。
星が村紗に恨みがましい視線を向けていると、紅潮した頬を雲柄の扇子であおいで冷却する一輪が入ってきた。
頭巾は被っておらず、露出している髪の毛は濡れてウェーブしている。
「はぁー、お風呂上がったわよ。今夜も蒸すわねぇ」
扇子を畳んで胸元に挿した一輪は、淡い色合いの浴衣をはためかせて食卓にもなる長机の脇に座る。目的は、水滴がびっしょりついた麦茶の入れ物だ。
一輪はコップに麦茶を注ぐと、一気にあおって「ああぁ~」と美味そうに一息つく。
「姐さんも一杯どうです?」
「ええ、いただきましょう」
先程から柔和な笑みを浮かべて上座に鎮座していた聖は、一輪から麦茶をもらう。
ちなみに白蓮の衣装は、普段の法衣のままだ。暑くないのだろうか、と皆疑問に思っている。
「ちょっとぬえ、響子ちゃん。扇風機の前に陣取っていないで、こっちにも風を分けてよ」
「ええ~、一輪もこっち来て動けばいいじゃん」
「暑中回避的生存戦略です~」
「もう、首を振っている意味が無いじゃない」
一輪が文句を言い、火照った体で扇風機に近づく。
「うわっ、あつぅ! 熱気が来るから離れてよ」
「じゃあ素直にどきなさいよ!」
「ぎゃーてー! 内ゲバ勃発!」
本日も始まった場所取り合戦に、村紗は処置なし、と肩をすくめる。
そんな暑さで気分がささくれる一同を尻目に、星は悄然とつぶやく。
「何か、手軽で劇的に涼しくなれる方法は無いですかね……」
「ハッカ油を使えばええじゃろ」
え? と一同は虫の声が漏れ聞こえてくる縁側に目を向ける。
発言の主は、尻尾と同じストライプ柄のステテコにタンクトップ一丁で、冷酒をちびちびとやっていたマミゾウである。
半分あぐらで片足を外にぶらつかせるマミゾウの元に、響子が近寄った。
「おばあちゃん。ハッカ油ってなあに?」
「これのことじゃよ。これを体に塗ると涼しいんだぞい」
そう言うとマミゾウは懐から茶色い小瓶を取り出す。薬瓶の様な外観で、ラベルには無機質な『ハッカ油』の文字が書いてある。
「そんな薬みたいなので、本当に涼しくなるの?」
「ああ。正確には水で薄めたものを使うのじゃがな。
ほれ、ハッカは揮発性の高い物質じゃろ。こいつを肌に塗ると、気化熱を奪って涼しくなれるんじゃ。
まぁ他にもハッカは冷たさを感じる神経を刺激するとか、色々理屈があるようじゃがのう」
疑いの眼差しで尋ねる村紗に、マミゾウは根拠を示してやる。
原理は飲み込めたが、まだ皆は半信半疑だ。
「ははは、実際に使ってみた方が早いじゃろ。ちょっと準備してくれんかの」
こうしてマミゾウの指図で、部屋にぬるま湯を入れた洗面器といらなくなった手ぬぐいが用意された。
「何でいらない手ぬぐい?」
「それはな、これを抜栓してみれば分かる」
マミゾウは意味深にニヤリと笑うと、一輪にハッカ油を手渡した。
一輪は怪訝そうにねじ式の蓋に手をかける。皆は興味津々に近づいてその作業を見つめていた。
だが、蓋が開いた瞬間にそのことを後悔した。
「うわ! くっさ!」
「わあぁ! 湿布の臭いがするよう!」
「こんなのを体に塗るの?」
ハッカの、しかも濃縮された独特すぎる臭いに皆のけぞった。
その臭いたるや、想像できるメンソールやハッカドロップの比ではない。まるで爽快感の押し売りの様に鼻に突撃してくる。
特に嗅覚が鋭い星と響子に至っては、鼻を押さえて部屋の隅に待避してしまった。
「うぅ~。久々じゃから、ちいっとキツイのう。この臭いを新品の手ぬぐいにはつけたくなかろうて。
ささ、納得したところでさっさと垂らしてみい。ほんの少しでいいからの」
「言われなくても」
一輪は言いつけ通り、ごく少量洗面器に垂らして蓋を閉める。すると、あっという間に臭いが霧散しほっとする。
あとは簡単だ。手ぬぐいを使ってひと混ぜしたら完成だ。
「これをな、首筋や腕に塗るんじゃ。あ、顔はいかんぞ。目がやられる危険があるからな」
マミゾウは使い方の見本とばかりに、手ぬぐいを絞って腕に塗りつける。
するとそれの見よう見まねで、まず新しいモノ好きのぬえと村紗。次に白蓮と一輪。
最後は臭いにようやく慣れた星と響子が、恐る恐る手ぬぐいや手でぴちゃぴちゃとハッカ油の薄め液を塗りつけた。
全員試してみて、一輪はぬえに感想を問う。
「……どう?」
「うーん、何か肌がヒリヒリするような――!」
ぬえがイマイチな反応をした瞬間、その目が見開かれた。
「涼しくなってきた」
「ええ? っておおおっ!」
ぬえが信じられない様に呟き、ぶるりと身を震わせた。
村紗も遅れて効果が現れたのか、感動の声をあげる。
「何これ!? 塗ったところがむっちゃ冷たい!」
「暑いのに涼しーい!」
「へぇ! 不思議な感覚」
「本当。涼感が簡単に得られますねぇ」
一同はワイワイとハッカ油の実力を認める発言で盛り上がる。
そんな様子を、マミゾウは満足そうに見つめていた。
「なぁ、いいじゃろう。これで20~30分は涼しいままなんじゃよ」
「すごーい! おばあちゃん、どうしてこんな良い物を隠してたの?」
「いや、隠していたわけじゃないんじゃが……こーりん堂とかいう店で見かけてのう、つい懐かしくて買ったんじゃ」
そう小瓶を弄びながら響子に入手の経緯を語るマミゾウ。
だがそれよりも、皆はハッカ油の爽快感に夢中だ。
ちょっと臭いを我慢すれば、クーラーにも劣らないさっぱりとした涼しさを得られる。これは革命的な出来事であった。
特に星は余程暑さに辟易していたのか、作務衣の上着をはだけて胸元や背中にまでハッカ油を塗りたくっていた。
さっきまで臭い臭いと騒いでいた星の変節に、一同は現金だなぁ、と苦笑いだ。
ひとしきりハッカ油を体験したところで、聖が中座し、お盆を持って部屋に戻ってきた。
「皆さん。ハッカ油もいいですけれど、こちらもいかが?
檀家の方からの頂き物で、よーく冷えていますよ」
「わぁ、スイカですか」
「美味しそー」
お盆の上には、半月型に切ったスイカ。
濃い赤の色合いにぎゅっと締まった身が、その甘さと水分の多さを物語っている。
夏の定番に一同は大いに気分を昂ぶらせ、一斉にスイカに手を伸ばす。
氷室の氷で冷やしたスイカにハッカ油効果も合わさり、皆ご機嫌に暑苦しい夜を楽しんだ。
ところが、2個目のスイカを食べ始めた星が浮かない顔をする。
「どうしました? お塩をかけ過ぎちゃいましたか」
「いえ、肩口が普通の感触に戻ったような……」
「おや、もう終わったようじゃな。揮発性が高い分、効能はそんなに長続きしないんじゃよ」
「そういえば、あたし達も何となく普通の感覚に戻ったかしら」
一輪の言う通り、ほとんど同じタイミングで全員の納涼感が、文字通り霞の様にぼやけてしまった。
これには星も、ややがっかりとした顔つきになる。
「これは寝る直前につけるのが賢い使い方じゃな。いい気分で眠りに就けるからの」
「なるほど。じゃあ、皆で寝る前にもう一度使いましょうか」
聖の提案に、一同は頷く。しかし、星は違った。
「あのう、私はもう一回塗りたいのですが」
「あらあら。それは構いませんけど、またすぐ塗り直す様になっちゃいますよ」
「この暑さに比べれば、そんな手間は無いも同然です」
きっぱりと言い切る星に、マミゾウは愉快そうに笑った。
「ほっほっほ。星ちゃんはそんなにコイツを気に入ったか。
じゃあ、星ちゃんにはこれのもっと大胆な使い方を教えようかの」
そう言ってマミゾウは星にハッカ油を手渡す。
「これを湯船に直接垂らして浸かってごらん。さっきの感覚が全身で味わえるぞい」
「え!? それは大丈夫なのですか?」
「本来はそーやって使うもんなんじゃぞ、これは。まぁ、残り湯がハッカ臭くなるという欠点があるが……」
チラリ、とマミゾウは一輪に目配せする。星も懇願する様な目で見つめる。
一輪はふふっと苦笑交じりにこう代替案を出す。
「さっきスイカを冷やすのに使っていたタライが空いたから、それに残り湯を入れて使っていいわよ」
「じゃ、そうだ。ほれ、行ってきな」
「あ、ありがとうございます! じゃ、ちょっともう一回お風呂に行ってきますね」
そう星は礼を言うのももどかしいといった風情で、どたどたと奥に引っ込んでしまった。
そんな星の様子に、一同はクスクスと声を忍ばせて笑った。
――◇――
数分後、星は達成感に満ちた表情で戻ってきた。
マミゾウの言った通り、タライにハッカ油を入れて水浴びの様に塗布したのだろう。
だが星が部屋に入った途端、響子が顔をしかめた。
「星さん……ハッカ臭いですよう」
「ええ? そうですか?」
「どれどれ。うわ、結構臭う! 私でもわかるわよこれ。
星、アンタ鼻が馬鹿になっているんじゃないの?」
「そうですかねぇ。でも、これならもっと長く涼しく過ごせますよ」
くんくんと鼻を鳴らして同じく渋い顔をする村紗に、星は平然とした様子で扇風機の風に当たり始める。
すると、マミゾウが珍しく焦りとバツの悪さを混ぜた表情になって星に語りかける。
「しょ、星ちゃん。もしかして、ちょっとまずい事に」
「え? 何が……!」
その時扇風機の風が星の背後から通り抜け、星の口が止まった。
瞬間、星は肩をぎゅうっと自分で抱きしめる。
何が起こったか分からない一同を尻目に、マミゾウは額に手を当てた。
そして、星は一言。
「……さ」
「「「さ?」」」
「……寒い」
「はい?」
「寒い……寒い寒い寒い! こ、凍えそうです! あううう……」
星は真夏のこの時期にありえない状態を連呼し、畳に小さくうずくまる。
がたがたと震える肩を作務衣が乱れるほど手で擦り、歯の根はかちかちと噛み合っていない。
まるで一人だけ極低温下に放り出された様だ。
これには一同も狼狽する。
「ど、どうしたの!? 大丈夫?」
「寒いってなんで!?」
「マミゾウさん! 星に何が起こったの!?」
一輪は事情が分かっているらしいマミゾウに説明を求める。
するとマミゾウは星の作務衣のポケットに入っていたハッカ油の小瓶を取り出す。
そしてそれを明りにかざし、何かを確信したように頷いた。
「あちゃあ、やっぱり。これ、ハッカ油の使い過ぎじゃよ。
ハッカ油は本当に少量でも効果を発揮するのに、星ちゃんは効き目を長続きさせようとドバドバ入れたんじゃろう。
その結果がこれじゃ。体の熱が全身から一気に奪われておる。
ハッカ油の使い始めに、誰もがやる失敗じゃよ」
マミゾウは説明不足を反省しながら、小瓶をチャプチャプと振る。
新品同然だった中身のハッカ油は、今や半分ほどになっていた。
「それじゃ、どうすれば」
「ハッカ成分が全部揮発するまで待つしかないのう。さっきの薄め具合で20分じゃから、小1時間ってとこか」
「そんな……それまで、星はずっとあのままなの!?」
一輪が指差す先では、星が顔を青くしてぶるぶる震えていた。
聖が村紗に布団を持って来るよう指示し、ぬえと響子は必死に背中をさすってあげている。
だがその努力も追いつかないのか、星は今や寒苦しさに侵されていた。
「……まぁ、打つ手が無いわけじゃ、ない」
「ホント!? 早く教えて」
マミゾウが口ごもるようにそう言うと、一輪が急かした。
だが、なぜかマミゾウはしばし逡巡し、ついにこう答えた。
「ぎゅっと、抱きしめてやるんじゃ」
「……は?」
一輪が聞き間違いか、と言わんばかりの間抜けた声を出す。
それは皆も同様で、思わず介抱の手も止まる。
「……ああ、服は別に脱がんでええよ。雪山じゃなしに」
「いやいやいや! マミゾウさん! ふざけている場合じゃ」
「儂は大真面目じゃよ。
ええか、星ちゃんの体から熱が放射するのは止められん。じゃが抑えることはできる。
つまり、星ちゃんの症状を緩和するには人肌を重ねて、熱の逃げる面積を小さくしてやるのが最良なんじゃよ」
「そ、それなら布団をかぶせるとか」
「全身くまなくハッカ油を浴びとるんじゃぞ。簀巻きにして布団蒸しにする気か?
抱っこしてやるのが調節も簡単なんじゃよ。星ちゃんの為だと思って、なぁ」
「で……でも」
「やりましょう」
「聖!?」
凛とした声で宣言したのは、我らが大尼僧 聖白蓮その人である。
聖はさらに続ける。
「星はこの寺院のご本尊であり私の愛弟子。いえ、それ以前に家族同然の間柄です。
家族が苦しんでいるのに、手をこまねいて見ているわけにはいきません」
「聖……」
「一輪は奥ゆかしいですからね。でも、家族を抱きしめることはとても自然なことですよ」
あまりに母性に満ちたお言葉に、一輪は感動した。
身内しかいないのに、外聞を考えてしまった自分が恥ずかしい。そう、星を助けるのに何のためらいがあるのだ。
一輪だけでなく、その場の全員がそう決心した。
「そうと決まれば、村紗、布団を敷いてちょうだい」
「はい!」
村紗は持ってきた布団を、素早く部屋の真ん中に敷く。
すると、聖はその布団に体を横たえる。
体は横向きにして、両の手を誘うように前へ広げた。
「さぁ、いらっしゃい。たんと温めてあげるからね」
聖の優しい声に導かれ、星は猫背になりながらも聖の胸元に潜り込む。
まだ震えが止まらない星の体を抱き寄せ、豊かなおっぱいに星の顔を埋めさせる。
出来るだけ密着する様に、聖は星の背後に手をまわして抱きしめると同時に背中を按摩してやる。
すると星も寒さが和らいだのか、自ら体温を求める様に体を微かに揺らした。
「よしよし、よしよし……どう、寒くありませんか?」
「……背中……背中が冷たいです……」
「あらあら」
星の悲痛な訴えに、聖は困った顔をする。前方は今暖めの最中で、後方には腕しかまわせない。
聖が背後に移動したら、今度はお腹が冷えてしまう。
こんな時こそ、仲間に協力を仰ぐのが先決である。
「一輪。あなたに背後を任せます」
「わかりました。星、失礼するわよ」
一輪は浴衣を羽織りなおすと、星のたくましい背中にそっと自らの身を寄せる。
するとそれに息を合わせて、聖が星ごと一輪の背中へ手を伸ばす。
一輪もそれに倣い、星は聖と一輪の柔肌の間でサンドイッチになった。
「痛くない? 気持ちいい?」
「……はい……だいぶ、気持ちいいです」
「それは誠に僥倖。いいですね一輪。このまま頑張るのです」
「はい……でも、これ暑い……」
一輪が汗を垂らしてそう漏らすのも無理はない。
星の寒さはあくまで体感的なもの。部屋は平素の気温なのだから、3人でひっ付き合っていたらそりゃ暑くなる。
そう、こんな時こそ仲間に(以下同文)
「村紗。交代できる?」
「任せろ! 船長はバディーを見捨てないんだ!」
まるで特殊海難救助部隊の物言いで、村紗は一輪と交代する。
村紗は素早くキビキビと星にしがみつき、労わる様に星の肩をゆっくり揉みほぐす。
その間、響子はどっと汗をかいた一輪に扇風機の風を向け、麦茶を手渡すといった援護を行っていた。
「村紗、すみません……」
「謝るな! 全員が生きて帰ることを考えるんだ」
別に命に関わる事態ではないのだが、このテンションで体温が上がっている節もあるため、聖は関与しないことにした。
村紗は健康的に焦げた浅黒い肌をこれでもかと押し付け、逃げ場を求める熱を体を張って阻止する。
その間手透きの人員は、星の足を手でしごいて温めてやる。
特に打ち合わせすることもなく、見事な連係プレーで事に当たっていた。
「ひゅー、ひゅー……ヘイ! ぬえ、タッチ!」
「アイサーキャプテン」
村紗がバテると、今度はぬえが背中を暖める番だ。
摩擦した方が効率がいいだろうと、華奢な体全体で星の腰元からうなじまで擦り上げる。
しかし、その姿はうっすら汗ばむ白い肌とやや粗くなった吐息も含めて、やや艶めかしい。
「はぁはぁ……すごく暑くて、とろけそう……。聖は暑くないのぉ?」
そういえば、聖は一度も交代をしていない。蒸し風呂みたいなこの場所では、自殺行為に等しい。
しかし、聖は頬が桜色に上気していたが、相変わらず仏の様な微笑みは絶やしていない。
まるで苦行を黙々とこなす修験者だ。
「平気です。私は嬉しいのです。
魔界での時間。ともすればくじけそうな永い時間の節々で、私を慰めてくれたのは皆と過ごした日々の記憶でした。
そして星は私の為に懸命に働いて、封印を解いてくれました。
今私は同じように、星を守るために戦うことができるのです。
この戦いに勝って星の笑顔が取り戻せるなら、私は灼熱も極寒も厭いはしません」
「聖……聖ぃ、ありがとうございます……ありがとう……」
「泣いちゃだめよ、星。もう少し、もう少しだからね」
星は聖の慈愛に満ちた言葉に、喜びと今までの苦労が報われた感情がない交ぜになった涙が溢れる。
でも聖はその涙を唇で拭って、星を励ましてやる。
「そうだ、頑張れ! もうちょっとで揮発するぞ!」
「そうよ。あなたは寅でしょ。世界で一番強いのよ!」
「ハッカなんかに負けるな!」
「ぎゃーてーぎゃーてー!」
「「「がーんばれ! がーんばれ!」」」
いじらしい二人の姿に触発されたのか、残りの面々も少年野球の試合を応援するかのごとく、目じりに光る物を溜めて懸命に応援する。
「愛……か。一途じゃのう」
マミゾウには少し強すぎる光を見たのか、また縁側に腰掛ける。
さっき柱時計を見たら、もうそろそろ効果が切れてもいい時間だ。
彼女達なら、そこまで乗り切れるだろう。
マミゾウはそう確信し、ややぬるくなり始めた酒の杯を取り上げ、気づく。
(あ……風呂の湯でハッカ油を洗い流せば、それで済んだかな……)
今更思いついた当り前の対処法に、マミゾウは気まずい思いで後ろを振り向く。
だが、そこに広がる光景は
「大丈夫よ。大丈夫。だいだいだいじょじょじょ」
「わあぁ! 姐さんの顔が紫色に!」
「扇風機扇風機!」
「麦茶を注入! 熱を放出させるんだ!」
「星さん! まだですかぁ!」
「ええ、もうちょっと……聖……あったかい」
修羅場の渦中で、星が幸せそうにとろりと顔を溶かして、聖の豊満な姿態を堪能していた。
(……ま、教えなくてもいいか)
マミゾウがにししとぬえの様なイタズラっ子の笑みを浮かべて、視線を外に戻す。
ふと、大騒ぎの命蓮寺一家を癒す様に、一陣の風がマミゾウの横を通り抜け、屋内の温度を吹き下げる。
その余波でちりりん、と鳴った風鈴の音と心地よいこの空間を肴に、マミゾウは残りの酒をくっと飲み干したのであった。
【終】
なぜナズーリンが出てこない…
って思いながら読んでたら、あとがきに出てきてうれしくなった
ナズーリンは惜しかったですねぇw
ナズヤンデレワロタw
まぁ、北海道は涼しいですけどね。
某探偵番組で見て大笑いしたなあ……。
そしてあとがきw
…べ、別に同じ失敗を思いだしたなんて事は無いんだからねっ!
そしてあとがきのナズーリンw
節電の夏。頭を使って快適に乗り切りたいですね。
2番様
求聞口授にてナズーは寺に住んでいないと判明し、このような登場となりました。
ナズーと星ちゃんが別居状態だったとは……今年一番の衝撃でした。
奇声を発する程度の能力様
薬局等で千円もしないで購入できます。是非正しく慎重に使ってみてください(笑)
9番様
第三者が聞いたらこれほど不思議な話はないですね。ナズー……オチに使ってすまぬぇ。
10番様
そしてこれから毎年恒例となった(オイ)
11番様
たーんたん狸の……アウトォォ!!
15番様
でも命蓮寺一家は真っ直ぐだから大丈夫! これが、ナズーの貴重なヤンデレシーン……
17番様
北海道の方ですか、涼しい気候で羨ましい。私の地方は盆地なので、夏は地獄の窯底にいる気分です(汗)
20番様
待て! その前にまず私だ。
ワレモノ中尉様
今回の星ちゃんのイメージは、ほぼそれで完璧です。あとがきは、今回は結構会心の出来と自負しております(オイ)
元二等様
お盆に寒いと思ったら急に暑くなったり、くれぐれも体調にはお気を付けください。
26番様
第二条! その時は最優先でナズーリンを呼ぶこと!
29番様
>タイガーバーム
やだそれかっこいい名前(笑)。でも、その詰み状態だけは勘弁願いたいですね……
30番様
ええ、ええ、ワカッテイマスヨ(温かい目)。どうかお大事に。
31番様
あとがきも含めて今日も平和です(笑)
扇風機一個でも案外イケるよ! がま口でした。