Coolier - 新生・東方創想話

存在の証明

2012/08/18 20:51:30
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 人里から少し離れた場所に建てられている、とある掘っ立て小屋。夜の帳が落ち、月明かりが辺り一帯を煌々と照らす。本日は特に小五月蝿い妖怪も幅を効かせておらず、幻想郷という世界にしては比較的静かな夜である。

 木が擦れる乾いた音と、古くなり所々が錆付いた金属の軋む音とが響き合い、掘っ立て小屋の戸が開いた。異様な帽子を被った銀髪の女性が外へと足を運ぶ。年は人間でいうと二十代半ば程度。端正な顔をし、充分美人で通用する容姿だろう。彼女はポケットから煙草の箱を取り出し、一本取り出すと燐寸を吸って火を付けた。一瞬だけ燐の鼻に付く臭いが彼女の周りを支配する。深く煙を吸い込むと一気に吐き出す。紫煙は大気と混じり合いやがて消えていった。

 良い夜だ──彼女、上白沢慧音はそう思う。

 朝はほとんど日の出と共に目を覚まし、軽い雑務を終えた後、自分の為に命を捧げてくれた生命に感謝し、朝食を取る。朝食を取った後は後片付けをし、人里へ赴き寺子屋で人間の子供に勉強を教えたり、稗田家の歴史編纂作業の手伝いなどをして、陽が暮れる頃にこの掘っ立て小屋へと帰ってくる。夜は夕食の後、読書をしたり、再び生徒の宿題の添削などの雑務をし、妖怪達が騒がしくなる日と日の境の前には床に着く。そんな生活を毎日送っていた。

 只、今日のように雑務が溜まっていたり、思うように眠る事が出来ない日は、家から出て酒を呑んだり煙草を吸ったりして物思いに耽る。時々寝不足で次の日の行動に支障をきたす事もあるが、慧音は結構この時間が好きだった。誰にも邪魔される事のない穏やかな時間。日々の喧騒を忘れ、思考の渦に溺れる事の出来る大切な時間。

 もう一度煙草を口に咥え息を吐き出すと、慧音は地面に座り込み、思考を始めた。
 

 

 ──歴史は繰り返される。この幻想郷が誕生し、一体どれ程の命が生まれ、そして死んでいったのだろうか。


 


 慧音は後天性の獣人である。普通の人間に比べれば多少寿命は長いとはいえ、まだ何百年も生きている訳では無いし、実際そこまで生きる事は出来ない。自分が実際に自分の目で見て知る事が出来る歴史は精精百数十年だろう。
 
 その限られた時間で一体どれだけの命──妖怪人間鬼その他諸々──がこの世に生を受け、やがて消えていくのだろうか。想像するにも想像の仕様がない。一体この幻想郷には、何匹の生物が住んでいるのだろう。そして、その中で何匹の生物が歴史として後世まで語り継がれるのだろう。

 それを知りたい。出来る限り、この命ある限り知りたい。慧音はどんどん知識の坩堝に嵌っていった。

「あ! またそんなもん吸ってる!」

 慧音が思考の湖(幻想郷には海がない)で泳いでいると、突如後ろから女性の声が響いてきた。彼女が振り返るとそこにはモンペを身に纏い、彼女と同じ銀髪をリボンで纏めた少女が立っていた。年は彼女と比べると些か若く見え、十代の後半くらいといったところだろう。幼さの残る可愛らしさと、大人っぽさを感じさせる美少女独特の顔立ちをしていた。

「妹紅じゃないか。こんな時間にどうしたんだ?」

「別に何だっていいでしょ。ほら、早くその口に咥えてるものをよこしなさい!」

 言うが早いか、妹紅は慧音が咥えている煙草を掴み取ろうと体を動かし、手を出した。しかし、慧音の口元の近くで彼女の腕は空を切った。彼女が煙草に触れる瞬間、慧音が体を軽く後ろに反らしたのである。

「ちょっと! 避けないでよ!」

 何度も何度も煙草を取ろうと繰り返すが、その度に慧音の絶妙な回避によって上手く掴む事が出来なかった。徐々に煙草も紙から灰になり短くなっていく。

「どうした妹紅。もうそろそろこの煙草も吸い切ってしまうぞ。二本目に望みをかけるか?」

「もう一本吸うつもりなの!? そんなこと、私がさせるわけないでしょ!」

 追われるものと追うもの。笑うものと怒れるもの。傍から見ていると、じゃれている小猫か子犬の様にしか見えない二人の少女。見る者によっては仲の良い姉妹に見えるかもしれない。しかし、両者は互いに体内に人ならざぬものを飼っていた。自分の力ではどうしようも出来ず、ただ与えられた運命に従うしかない定め。

 半獣半人という業と不死という業を……。








※※※








「はあ。はあ……もう、駄目……動けない」

「体力がないな。それでも竹薮で人間を案内している身か? あそこの竹林は猫の額ほどの広さしかないんだな」

「違うわよ。昼間からさっきまでずっと人を案内させたり、輝夜のアホンダラの世話をしていたせいで既にクタクタだったの。いつもだったらこんなにすぐばてないわ」

「どうだかな」

 結局、十分以上続いた攻防は慧音の圧勝で終わった。妹紅は彼女の煙草を奪う事が出来ず、また彼女の健康を害させてしまった。それに加え、彼女に必要以上にあしらわれ、無駄に動いたせいか、かなりの体力を消耗していた。今は近くの草むらの上に寝そべり、満点の星が輝く夜空を見上げながら体力の回復をしていた。

 慧音は妹紅のすぐ脇に腰を下ろし、帽子を脱ぐと二本目の煙草に火を点けた。すぐに口一杯に心地好い苦味が広がっていく。すると、彼女の目の前に手が差し出された。

「ん」

「何だ?」

 慧音が首を横に向けると妹紅が夜空を見上げたまま、腕を慧音の目の前に差し出していた。一瞬何の事だか分からなかったが、すぐに妹紅の行動を理解した。

「ん。んって言ったら、ん」

「……人には禁煙しろって言うくせに、時々私に煙草を求めるよな、妹紅は」

「私は不死身だから大丈夫なの。さ、早くちょうだいよ」

 特に悪びれる風もなく、手だけをくいくいと曲げる妹紅の様子を見て慧音は観念した。懐から煙草の入った箱を取り出すと、一本だけ引き抜き、燐寸と共に物欲しそうな手にそっと乗せた。

「ありがと」

 妹紅は上体を起こすと燐寸を擦り、咥えた煙草に火を点けた。疲れた体を癒すかのように煙を吸い込むと、美味しそうに吐き出した。

「はー、たまに吸う煙草は美味しいわね! 今日の疲れが月まで吹っ飛ぶみたい」

「たまに煙草を吸うっていうのはどういう感性なんだ。吸いたいって気持ちを我慢出来るものなのか」

「いや、そんなにいつもいつも吸いたいって思う? 煙草吸うと眠くなるし、体もだるくならない? 私だけ?」

「分かるぞ。煙草の煙を吸うと脳の血液が一時的に欠乏するから頭がぼーっとする。だから眠くなると感じるのだろう。そうは言うが、眠さよりニコチンの欠如による精神不安の方が辛く感じないのか? 私なんて煙草が切れてしまって何も手に付かない事があるぞ」

「え。それって俗に言うニコチン中毒。ニコ中じゃないの? こわっ。私にはちょっと理解出来ないかな」

 他愛ない話を続けながら同じように煙草を吸う慧音と妹紅。互いに煙草を吸い終えた後も特に内容のない会話を繰り返す。寺子屋にはこんな生徒が居る。今日もあの大きな館に行ってお姫様と一騒動起こしてきた。人里では最近空き巣が多発しており、里の人間達が自警団を結成している。ここ何日か竹の成長の早さが著しい、など。住む場所が微妙に異なる二人にとって、互いの話は新鮮で、面白い。更に相手が実に楽しそうに話をするため聞いている方も心地が良いのだ。

 このように、慧音と妹紅は時々、二人で会って互いの近況を報告したり、食事を共にしたりしていた。互いが互いをあまり気兼ねしなくても良い相手と認めているため、一度集まると朝方近くまで会話が続く事が多かった。

 慧音は頭の片隅で、今日も妹紅との会話が朝日の昇る時間まで続くと思っていた。次の日も朝早くから寺子屋に通う児童達の面倒を見なくてはいけないので、あまり夜更かしはしたくないという心情と、妹紅と会話に興じる事が出来るという心情が混ぜこぜになっていた。

 しかし、会話をしているうちに、徐々に妹紅の様子が変化していった。最初は嬉々として自分の周りで起きた出来事を話していたのだが、段々と声のトーンが落ち始め、沈黙の時間が増えていった。それに比例するかのように、どこか落ち着かない様子でそわそわと辺りを見渡し始めた。

 彼女は体調でも悪いのだろうかと危惧し、不思議に思った慧音は妹紅に尋ねる事とした。

「どうした妹紅。落ち着きがないぞ。腹でも痛いのか?」

「う、うん。ちょっとね」

「大丈夫か? 何処が痛いんだ? ちょっと待っていろ、今薬を持ってきて──」

 慧音が立ち上がろうとした瞬間、妹紅の左手が彼女の体を引っ張った。何事かと思い、彼女が振り向くと、妹紅がうつむいたまま唇を噛み締めていた。

「妹紅……」

「座って……別にお腹が痛いわけじゃないの……ちょっと聞いて欲しい事があって……」

 いつもと少し様子が違うようだが、特に震えているわけでもないし、何か混乱しているようにも見えない。そう判断した慧音は素直に妹紅の申し出を聞き入れることにした。妹紅に引っ張られる形で静かに腰を下ろす。

 妹紅は煙草を揉み消し、一度大きな深呼吸し、呼吸を整えると、ぽつぽつと言葉を発し始めた。

「これから私が言う事、笑わないって約束してくれる? 慧音にとったら馬鹿馬鹿しい話題かもしれないけれど、真面目に聞いてくれる?」

「勿論だ。誓おう」

 慧音は強く頷いた。

「本当に?」

「本当だ」

 もう一度強く頷いた。

「そう……分かった」

 妹紅が分かったと頷いてから少しばかりの時間が経過した。それはたったの十秒ほど時間だったのか、数分ほどの時間だったのか、半刻ほどの時間だったのか、計り得る事は出来ない。本人達にとって一体どれほどの時が流れたかは想像に任せるしかないからだ。一瞬とも無限とも思える時間の後、妹紅が重い口を開いた。





「私って一体誰なんだろ? 何でここに居るんだろ?」





「……」

「時々考える事があるの。この私は一体何処から来て、何処へ行くんだろう、そして本当にこの私は今ここに居るのか? ってね。生物が死んだらそれで終わり、後は何にも残らないって人も居るし、魂だけがこの世とは別の世界に旅立って様々な試練を乗り越えた後、もう一回この世界に戻ってくるって言う人も居る。あ、でも死んだらやっぱりあの閻魔様の所に行くのかな。って事は死んで終わりって事はないよね。もう一回ここに戻ってくる事が出来るのかも」

「……」

「生物は死んだ後、やがて肉体が朽ち、土に還ってしまう。そうするとその人が生きていたっていう証明は、目ではなく心でするしかないよね。でも、それは本当にその人なの? ただの脳の記憶の一部分でしかないものを、その人って呼んでもいいの?」

「……厳密に言えば、その人じゃないと言える。しかし、肉体がなくなったからって、過去の思い出だけになったからってその人が居なかった事にはならない。それに今は写真というものがある。目で見ることが不可能というわけではないぞ」

「でも、その人は本当にその人なの? 写真に残っているのは本人なの? あんなのただの紙に液体を染み込ませた物だよ?」

「……」

「……質問が悪かったね。ちょっと変えるよ。肉体がなくても他人の記憶の中にその人が居たっていうのが残っていたら、存在の証明が成り立つとする。他人の記憶の中ではその人はいつまでも生きているんだから。ここまではいいよね?」

「特に問題ないと思うが」

「ってことは逆に、誰にも覚えられていない人は、例え肉体が生きていても死んでるって事にならない?」

 まさか妹紅がこんなややこしくて哲学的な事を聞いてくるとは。慧音は内心複雑な気持ちだった。元々知識欲が旺盛であり、歴史を纏める作業を請け負っている自身の役割も相まって、終わりの見えない問答や、小難しい会話をするのは苦痛ではないし、むしろ好きな方であった。しかし、大体そのような話を持ちかけてくる相手というのは人里に住んでいる年配の人間か、寺子屋に居る同年代の人間より少々ませている子供くらいしか居なかった。時々ふらりと遊びに来て、一緒に食事を取り、他愛もない会話に興じる事が常であった妹紅がこのような事を聞いてくるとは全く予想していなかった。

 とまどいながらも、元来持ち合わせている好奇心が騒ぎ、慧音は心の奥底でわくわくしていた。もう深夜だが、少々寝ぼけた頭をフル回転させ、妹紅の問いに、歴史家の人物の理論と自論を混ぜて答える事にした。

「昔、外の世界に【デカルト】とかいう哲学者が居たそうだ。彼は自分の今居る世界の全てが嘘だとしても、この世界の存在を疑っている自分自身は紛れもなく存在している、という理論を提唱したんだ。この理論を応用すれば、その人の事を知っている人、覚えている人が居なくても、その人自身が自分の存在を疑っていれば、その疑っている本人は紛れもなく存在しているということにならないか?」

「他者から認識されてなくても、その人が自分の存在を疑っていれば、その人は確かに生きているってこと?」

「まぁ、そういうことだな。彼はこれを【コギト・エルゴ・スム】、【我思う、故に我あり】と命名したんだ」

 慧音はそう言って笑った。全部香霖堂で見つけた本の知識だけどな。という言葉は飲み込む事とした。

 我思う、故に我ありね。とぽつりと呟いた後、妹紅は顎に手を当てたまま黙ってしまった。眉間に皴を寄せ、あまり納得のいかない表情を浮かべていた。

「まぁ、分からなくはないわね。納得は出来ないけど。誰からも認知されてないのに存在してないっていうのは、存在していないと一緒じゃない」

「私はそうは思わないけどな。別に他人に認知されてなくても、自分が生きていた軌跡を残していれば、確かにその人は存在していた事になると思うぞ。もしかしたら進行形で気付かれる事はないかもしれない。けれど、その人の残滓を他人が発見出来れば、その瞬間から他人に認識され、その人が存在していたっていう証明になるんだ」

「そういうものかしら」

「例えばさ、妹紅が私の家に遊びに来たとする。お前は勝手に家に上がりこみ、勝手に茶の間に座り込んでお茶を飲み始める。私はその時点ではお前が居る事は気付いていない。それから少しして、私が茶の間に戻ってくる。するといつの間にかお前が勝手にお茶を飲んでいる。私はきっとこう聞くだろう。「お前、いつから居たんだ?」って。そうすると、お前は多分こう答える。「ずっと前から居たわよ」。私にとってお前が茶の間に居たことはつい数秒前に知った事だ。しかし、本当は何分も前からお前は茶の間に居た。お前のずっと前から居た発言によってそれを知る事が出来、過去にお前が居たという過程を知る事が出来るってわけさ。これを少々大規模したものというだけではないのか?」

「何となく分かった気がする。何となくだけどね」

「何となくでいいんだよ。そもそも答えの出るような会話じゃないからな」

 そう言って慧音は煙草の箱から煙草を取り出し、再度吸い始めた。その様子を見ていた妹紅は少々頭を使って疲労してしまったのか、ゆっくりと上体を下ろし、地面にねそべり、星々が瞬く夜空を眺め始めた。

 煙草を吸いながら、慧音は思案する。何故いきなり妹紅はこのような話をし始めたのだろうか。普段の妹紅は口調さえ女性らしいが、あまり細かい事を気にせず、大らかで大胆な性格をしている。以前は人間に対して少しばかりの警戒心を持っていたが、最近はそれも成りを潜め、迷いの竹林を案内する際も気さくに会話に興じる事が出来ると言っていたのを耳にしたことがある。大らかな人物が全く迷わないわけでもないが、慧音はどこか違和感を感じていた。

 正直に聞いてみて良いものだろうか。もしかしたら妹紅は腹の中に言い難い一物を抱えているのではないか。そこに自分が土足で踏み込んでも彼女は傷つかないだろうか。慧音は自問自答を繰り返した。

「私の特異な体質は今更言わなくても知ってるよね?」

 思考の湖で溺れている慧音を再び地面へと呼び戻させたのは妹紅だった。慧音がどうやって話を切り出そうか考えている最中、妹紅の方から話を切り出してきたのだ。

 妹紅の持つ特異体質。それは決して死ぬ事を許されない不死身の体を持っているという事実。父親の恨みを晴らす為、彼女は禁忌とされている蓬莱の薬を奪い、それを口にした。その瞬間から彼女の時間は止まってしまった。

 永遠に動き出す事のない自らの時間。それは生きているのに死んでいる事と同義だった。

 永遠に成長しない人間が普通の人間として生活できるわけもなく、彼女は人間界を追われ、やがて幻想郷へと流れ着いた。そこでも彼女に安定という生活が訪れる事はない。何百年もの間、誰とも関わらず一人孤独な生活をしていた時期もあった。何百年もの間、自分が不死身なのを良い事に、殺戮を繰り返し、数え切れないほどの妖怪を彼岸へ送った事もあった。感情を何処かへ忘れてきてしまったように、彼女は徐々に何も感じなくなってきた。自分の存在でさえ、分からなくなってきた。

 しかし、そんな妹紅に転機が訪れる。てっきり月へ帰っていたと思っていた輝夜が自分の住む幻想郷で生きている事を知る。父親を虚仮にした張本人。自分をこの体にした全ての元凶。当然のように体の奥底から煮え滾る様な怒りがふつふつと湧いてくる。ただ、同時に湧いてきた感情に妹紅は自分の感性を疑った。

 輝夜が生きていた事に喜んでいる自分が居る。自分に生きる意味を見出してくれそうな人間が見つかった事に。

 その後繰り返される輝夜との命のやり取りは、妹紅の中に一筋の光を差し込ませてくれた。殺し合いを通じて生きている事を実感する。とてもじゃないが論理が一貫しておらず、明らかに矛盾する事のように感じるが、妹紅にとってはそれが生そのものだった。

 そしてまた数百年の月日が流れ……遂に、妹紅は慧音との出会いを果たす。

 それからというもの、妹紅の人生はがらりと変貌する。妹紅にとって輝夜の存在が一筋の光だとしたら、慧音は太陽そのものだった。慧音のおかげで人里に住む人間と会話をする事も出来るようになったし、迷いの竹林の案内役という立派な定職に付く事が出来た。内向的だった性格も多少外交的になったし、それ以上に笑うという行動を再び思い出す事が出来た。
 
 慧音と会話に興じていると心が躍る。慧音と一緒に食事をすると更に旨味が増す。慧音の近くに居ると何故かほっとする。少しずつ、妹紅の心の中は慧音で埋め尽くされ、やがて、妹紅にとって慧音が全ての支えとなった。

「私ね、輝夜に会う前までは自分が生きているのか死んでいるのか分からなかったの。輝夜と殺し合いをするようになってから、私は生きていると実感するようになった。殺し合いで生きているのを実感って何かおかしいけどね。
 そして、慧音と出会って生きるのが楽しいって思えるようになった。毎日が楽しくって刺激的で、一日の最後寝る前に「あぁ、今日も幸せだった!」って言ってから目を瞑る。そんな日が来るなんて数百年前は思ってもみなかった」

 妹紅は地面の草を弄びながら言葉を発し続ける。時々その草をむしっては空へ投げ、緑色をした季節はずれの雪を降らせていた。

「普通人間なんて生きられてせいぜい百年。半獣の慧音だって五百年は生きられないし、妖怪や吸血鬼だっていずれ死ぬわ。本当、生物なんて脆いもんだよね」

 慧音はちらりと妹紅を振り返る。よく見ると、草を千切り、空へと投げつけている妹紅の腕は少々震えていた。慧音は寒いのだろうかと思ったが、今の季節はそこまで冷え込む事はない。ならば風邪でも引いているのか。しかし、慧音の予想は悉く外れる事となる。

「でも、私は死なない。死なないというより死ねない。いつまでも、永遠に、決して。この幻想郷が滅びても、月がなくなろうとも、宇宙が消滅しようとも私は生き続けなければならない」

 妹紅の声がまるで水の中で声を発しているように震え始めたのだ。少しずつだが、その震えは強くなり、言葉を聞き取るのも難しくなってきた。

「ひろーい宇宙に独りぼっち。周りに私を知っている生物は誰も居ない。もしかしたら宇宙すらなくなってるかもしれない。そんなこと想像したくないけど……でもいずれ必ず訪れる……ことなんだよね……ねぇ、慧音」

 今度は妹紅が慧音の方に振り向き、体を起こした。その整った顔からは涙が流れ、少しばかり歪んでいた。堪え切れず、とめど無く溢れ続ける涙。声を押し殺し、妹紅は一番言いたかった事を伝えるべく、声を張った。





「みーんな死んじゃったら誰が私を認識してくれるの? 誰も認識しなくなった私は本当に生きているって言えるの? 慧音が死んだら私は……私は一体どうすればいいの?」
 




 慧音から見た妹紅の目は流れる涙の効果も相乗され、とても綺麗な水晶玉のように見えた。月明かりが反射し、透き通った瞳は遠くまで見渡せそうな輝きを纏っていた。同時に内包されている意志の強さから、彼女は妹紅の覚悟を読み取った。きっと、妹紅は生半可な気持ちで私にこの事を打ち明けたのでないのだと。

 慧音は慎重に言葉を選んだ。ここで下手な事を言ってしまったら妹紅はきっと更に塞ぎ込んでしまう。折角外交的な性格になった妹紅を屈折させてしまってはダメだ。今、慧音の掌は汗で濡れていた。
 さぁ、何を言おうか、日付はとっくに変わり、既に多くの事を考えた脳の回転率は相当低いものだったが、半獣半人の力を総動員させ、慧音は自らの言葉を選び出す。

 ──初めて寺子屋で授業をしたときよりも緊張しているかもしれないぞ……

「妹紅、落ち着いて聞いてくれよ。私は……私はいずれ必ず死ぬ。それは変えられない運命なんだ。分かってくれるな?」

 妹紅は静かに頷いた。理解はしているが納得はしていないという様子がありありと見えた。

「だけど、私が死んでも別にお前の事を忘れる人が居なくなるわけじゃない。人里の人間だって居る。幻想郷に住む妖怪だってそうだ。それに、お屋敷に住むお姫様とお医者様は決してお前の事を忘れないだろう。彼女達も決して死ぬことはない。つまりお前が彼女達に忘れられる事は永遠にないのではないか」

「そうだけど……でも……でも、慧音はいつか必ず死んじゃうんだよ。そうしたら慧音は私の事を忘れちゃうんじゃないの? そんなの私耐えられない……」

 妹紅はそこまで言うと耐え切れなくなってしまったのか、再度俯き、しゃくり声をあげて泣き始めた。慧音は彼女を納得させるのはなかなか難しいと思いつつも、どうにか根気強く彼女の説得を試みた。しかし、彼女はなかなか首を縦に振らない。意固地になった心を氷解させる事は容易ではなかったのである。その都度、妹紅はしくしくと涙を流し、嗚咽を漏らしていた。

 慧音は自分の不甲斐無さを痛烈に感じながらも、同時に千年以上もの年を重ねているのにも関わらず、身なりも精神も子供のままな妹紅の身を案じた。彼女の時は蓬莱の薬を飲んだ時点から凍結したままなのだろう。彼女の持つ不死鳥の如き業火でも溶かす事の出来ない分厚い氷塊。氷精が何万人集まっても作る事の出来ない長い年月をかけ形成されていった心の氷を溶かすには、ただの正論だけでは駄目だ。そう判断した慧音は最後の手段に出る事を決意した。しかし、同時にそれは妹紅に嘘を付くことにもなる。本当は最後の手段なんて愚行はやらない方がいいに決まっている。だが、もうこれしか方法は残っていない。慧音は遂に覚悟を決めた。妹紅が自分に悩みを打ち明けてくれたのと同様の覚悟を。

 慧音は妹紅の方に体を向けた。相も変わらず泣く事を止めない彼女は慧音が見ている事に気が付いていないようだ。慧音は一度唾を飲み込み、心を落ち着かせる。大して暑くもないのに体中から汗が噴出してきた。また風呂に入らなくてはいけないな、なんて事を考えながらも慧音はついに行動に移した。

「妹紅」

「……なに──」

 慧音が急に妹紅に抱きついた事によって、妹紅の言葉は絶たれる事となる。勢い良く妹紅に飛びついた彼女の勢いはそのまま妹紅を押し倒すほどであった。一瞬何が起こったのか分からず混乱した妹紅だが、すぐに脳が状況を整理し、理解する事が出来た。あ、私慧音に押し倒されてるんだと。

「ちょッ! 何やってんの慧音!? いきなり、いきなり私を押し倒すなんて何考えてるの? 物事には順序ってもんがある──」

「違うんだ! 誤解しないでくれ! 別に妙な事をしようなんてこれぽっちも思っていない。幻想郷にいる八百万の神に誓う。頼むからこのままじっとしていてくれ」

 切られた蜥蜴の尻尾のようにばたばたと暴れる妹紅だったが、慧音の想像以上に強い力に抑え込まれ、思うように身動きが取れなかった。徐々に暴れる力は弱くなり、やがて観念したのか慧音の腕の中で大人しくなった。

「……」

 呼吸を整え、慧音の腕の中に居ると妹紅は何だか暖かい気持ちに包まれた。久しく味わっていない安らかな感覚。慧音のやや早めだが規則的な心拍音が妹紅の心を落ち着かせた。
「落ち着いたか?」

「う、うん」

 妹紅が頷くと、慧音は体をすっと上げ体を起こした。もう少し慧音の体温や心音を感じていたかったのだが、そのような気恥ずかしい事を言える筈もなく、自分も上体を起こす事にした。

「急に妙な事をしてすまない。驚いただろ?」

「正直言うと、びっくりした」

「ふふ、私も自分が一体何をしているのか一瞬分からなくなったよ……なぁ、妹紅」

 少々恥ずかしそうにはにかんだ後、慧音は妹紅の方を振り向き、顔をじっと見つめた。整った慧音の顔はまるで洗練された人形のようでいて、人間味と野性味を感じさせる不思議な造詣をしていた。ずっと見ていても飽きない。いつまでも見ていたい。そんな思いを自然に思い起こさせる顔立ちだった。
「何?」

「もう一度言うぞ……私は……私は、いつか必ず死ぬ。半獣という性質上、普通の人間よりは長生きできるかもしれん。それでもせいぜい百五十年が限度だろ。そうしたら、私の肉体は腐り、朽ち果て、やがて土へ還る……だけどな──それは私が消える、というわけじゃない」

 消えるわけじゃない? どうにも理解が出来ず、首を傾げる妹紅。更に慧音は続ける。





「肉体は消えるが、私の精神が消える事はない。お前が私の事を忘れなければ、私はお前の思い出の中でいくらでも生き続ける事が出来る。そうすれば、私は決して、お前の事を忘れない。死んでも忘れないと誓う!」





 自分が思ったより大きな声が出てしまったためか、慧音の顔が一瞬のうちに茹でられた蛸のように変貌した。最初は目を丸くし、きょとんとしていた妹紅だが、慧音の余りの狼狽振りに思わず笑みがこぼれてしまった。

「ち、違うんだ。思ったより声が出てしまって恥ずかしいなんて事はだな──」

「く……ふふ……ふふふ。そうだね、私が慧音の事を忘れなきゃいいんだもんね。そんな事も気が付かなかったなんて……」

 ひとしきり笑うと、妹紅はまた地面に倒れこんだ。足をばたつかせて息を思い切り吐いた。

「はー。何かちっぽけな事で悩んでた自分が馬鹿みたいだよ」

「別にちっぽけな事だとは思わないぞ。そのような事は誰もが人生において考える事だ」

 慧音は動揺した自らの心を落ち着かせる為本日5本目となる煙草に火をつけた。口に咥え、ぱくぱくと上下に動かして弄んでいると急に何処からか手が伸びてきてその煙草を奪っていった。

「あのなぁ。妹紅……」

「今度は私の勝ちだねー」

 慧音が落胆した表所を浮かべていると、妹紅は彼女から奪い取った煙草を美味しそうに吸い始めた。彼女は頭をぽりぽりと掻くと、少しだけ、ほんの一瞬だけ笑った。

「私の煙草を……返せええええ!!」

「きゃああああ!」

 かくして、幻想郷第二回ちきちき煙草争奪合戦の火蓋が切って落とされる事となった。そろそろ陽も明けようかという時分まで戦いは続き、二人の少女は時間の経つのも忘れて競い合っていた。

 百数十年分の一日と、永遠分の一日が、今終了の鐘を鳴らした。




  ※※※





 彼女は夢を見た。

 何も見えない漆黒の闇の中、自分だけがぽつんと立っている。空間には上下左右の感覚がなく、奥行きも感じない。自らの手足を動かそうにも思うように体が動かず、首を回して辺りを見渡すのが精一杯だった。水を打つ音さえも聞こえず、自らの心音だけがうるさく鳴り響き精神を掻き乱す。

 何処を見渡しても何も見えない。煌く星の光さえない。生物の気配を感じる事もない。完全な無の世界が其処にはあった。

 彼女はとてつもない空虚な気持ちに苛まれ、力いっぱい叫び、己の存在を誇示する。誰でも良い。知らない者でも良い。なんなら人間でなくても良い。とにかく、何かの存在を感じて居たかった。このままでは周りを覆うように存在している暗闇に押し潰され、飲み込まれてしまいそうだった。しかし彼女の願い虚しく、いくら声を張ろうとも誰も返事をしてくれなかった。自らの叫び声でさえも暗闇に吸い込まれていく。

 何もない真っ暗闇の空間、自分の周りにはただ黒々とした実体のない何かが永遠と漂っている。彼女は余りの寂しさと虚しさにその場に腰を下ろし、大声をあげて泣き叫びたかった。しかし、体が思うように動かない。しゃがむ事さえままならないのである。彼女は叫び泣き狂った。慟哭した。暗闇の中での圧迫感と思い通りにいかない自分の体に対する嫌悪感で彼女の精神は既に壊れかかっていた。

 叫ぶ叫ぶ。声が嗄れても叫ぶ。喉から血が出ても叫び続ける。その程度の事でしか己の存在を示す事は出来なかった。

 永遠とも思える一瞬。時間の流れが完全に狂い、一体どれだけの時間この空間に居るのか全く分からなくなっていた。一秒かもしれないし、一時間かもしれない。もしかしたら一日、一ヶ月一年……何一つ確実なものはなく、何も証明できない。もしかして自分は狂っているのではないかという考えさえ浮かんでくる。

 彼女の喉から血が溢れ、叫ぶこともままならなくなったその時、彼女はあることを悟った。

 ──これが……この世界にたった一人になったものの悲しみなんだ。

 ──これが……誰からも認識されなくなったものの苦しみなんだ。

 彼女は薄れていく意識の中、突如目を覚ました。







 ※※※






 慧音は東から昇る太陽の光で目を覚ました。幻想郷の生きとし生けるもの全てに平等に降り注ぐ光は、長い間眠りについていた彼女の網膜を容赦なく刺激する。耐え切れず彼女は目を薄目にし、頭をぽりぽりと掻いた。

 浄化されてしまいそうな光だ……慧音がそんな事を思っていると、膝に重量を感じた。不思議に思って膝の辺りを見てみると、妹紅が寝息を立てていた。どうやら、二人でじゃれている間に眠ってしまい、いつの間にか朝になっていたらしい。

「んー……暗いよー怖いよー。けいねぇーどこぉー」

 嫌な夢でも見ているのか、何か寝言を言っている。そういえば、自分も何か夢を見たような気がするが、あまり鮮明に思い出す事が出来ない。夢というのはとかく曖昧で、忘れがちなものである。

 ──今、一体何時だろうか。陽の昇り方と今の季節を考えると卯の刻くらいか?

 冴えない頭をどうにか回転させ、慧音は自らがすべき事を思案する。まずやらねばならぬ事は風呂に入って体を清める事だ。次は朝食の準備。辰の刻くらいには全ての準備を整え、家を出なければならない。寺子屋で慧音が来るのを待っている子供達が居る。

 とりあえず、この膝で寝ている妹紅をどうにかしなければ。そう思った慧音は彼女を起こさないようにそっと頭を持ち、地面に置く事にした。眠っている妹紅の顔はとても穏やかで、一晩を通して笑い、泣き叫び、大騒ぎをした時は全く違う表情を浮かべていた。慧音はいつまでもその顔を眺めて居たかったが、あまり時間もないので家へ戻る事にした。

 慧音が帽子を持って立ち上がろうとすると、妹紅が何やらうわ言を言っていた。

「私を一人にしないで慧音……一人ぼっちは嫌だよ……」

「……」

 もう少しこの場に留まる事を決めた。箱から煙草を一本取り出すと、火をつけた。朝起きてすぐ吸う煙草もまた違った味がする。早朝独特の冷たい風に攫われて、吐いた紫煙は何処か遠くへ行ってしまった。

 妹紅に嘘をついてしまったという猜疑心に慧音は苛まれていた。本当に人間が死んだ後、肉体だけが朽ち、精神だけが残るのだろうか。その答えを出す事は、幻想郷を知り尽くした八雲紫か、彼岸の番人四季映姫くらいにしか出来ないのではないか。西行寺幽々子などといった特異な例もあるが、果たして自分がその特異な例に合致するのだろうか。全てが曖昧模糊のまま、彼女に答えを出してしまった。完全に言い切ってしまったのである。

 きっと、妹紅は私の言葉を信じ、これから心の支えにしていく事だろう。そんな妹紅の覚悟を半ば踏みにじる結果になってしまった事に慧音は悔やんだ。その場しのぎの安心を与えるため、虚偽で固めた回答をしてしまったのだ。ところで、何故今日の煙草はこんなにも不味いのだろうか。

 かくなるうえは、と慧音はある思いを抱く。

 ──嘘を本当にするんだ。自分から出た膿は私が治療しなければ。

「私は歴史を司る半獣半人だ……歴史は書物や口述によっていくらでも後世へと受け継がれる。私の生きた証を残すんだ……妹紅の精神に、私という存在が永遠に残るようにするんだ。そうすれば……」

 そう呟くと、慧音はまだ半分以上残った煙草を揉み消した。

 ──幸い、まだ私の寿命は十分にある。いくらでも方法は見つけられる筈だ。

 慧音はそう決心すると、朝食の準備、更に、ここで眠りこけている一人の少女が風邪を引かないよう、毛布を取りに改めて家に戻る事とした。

 命尽き果てるまで守っていこうと決めた一人の少女の為に。




                                      (了)
 公務員試験に追われ、実に8ヶ月ぶりの投稿です。


 前々から書きたかった妹紅と慧音の寿命差カップリング。この手の物は基本的にハッピーエンドを迎える事が困難なので、最後のシーンはあえて書かないことにしました。

 読んでくださった皆さんのご想像にお任せいたします。

 途中で挟まれているデカルトの懐疑論は岩波文庫から出版されている「方法序説」をサラッと読んで、後はウィキ=ペディアさんの力を借りたので、所々おかしい所があるかもしれません。

 哲学の勉強をされている方から見れば「何だこれはッ! そもそも懐疑論と言うのはな」と怒りを覚える方もいらっしゃるかもしれませんが、レポートじゃないので大目に見てもらえると嬉しいです。

 フィリップ・K・ディックの作品なんかを読んだりしていると「今の私は本当に私なのか?」という命題ばっかり出てきて「あれ? 今考えてるオレは本当にオレなのか? もしかして塩水に浮かべられて電極刺されてるだけのただの脳みそなんじゃねぇの? あうあうあー^p^」という考えに苛まれます。

 そういう思いを文章にしたくて生まれた作品です。










 久々に小説を書いたけど、やっぱり楽しいな!
ユッチー
https://twitter.com/yucchi178
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コメント



0.340簡易評価
6.80ヒトラーの火消し屋削除
序盤の妹紅のセリフ中、「理会」→「理解」の訂正お願いします。
個人的にシリアス成分のある話が好きなので、楽しく読ませていただきました。
7.100名前が無い程度の能力削除
シリアスですが、何処となく暖かい雰囲気で良かったです
9.無評価ユッチー削除
>>ヒトラーの火消し屋さん

 訂正いたしました。ご報告ありがとうございます。