花を愛でる。
弱者を弄る。
強者を虐める。
開いた指を一つずつ折るようにして日常をシンプルに振り返ればそんなものだ。
勿論、もっと細かく振り返って日常を見つめ直せば、両の指を折る程度では数え切れない。
花を愛でるといっても一つの花をずっと毎日のように愛でているわけでもないし。
弱者を弄るといっても泣き虫な蛍の妖怪や、頭が⑨な妖精だけを弄っているわけでもないし。
ましてや強者を虐めるとなれば……いや、まぁ、何処までを指して強者と指すべきなのかにもよるけれど。
兎にも角にも、日常を振り返って見たのは―――目の前の光景は、ここでは目にした事がなかったからだ。
「………」
朝から夕方にかけての噎せ返るような太陽の陽射しは鳴りを潜め、頭上には輝く月と満天の星空が、橋を架けるかのように広がっている。
心地良いそよ風は昼間の暑さを忘れさせ、星空の中、広がる向日葵畑の中を散歩したらさぞや気分は良いだろう。
誰だってそうする。私だってそうする。
流行りなのか、それとも死語になって流れ着いたのか分からないが、常識から外れた現人神が口ずさんでいたフレーズを同じように口ずさむぐらいには、私の気分は高揚していた。
それが……何といえばいいのかしら?
口にすると、その余りの接点の無さに首を傾げたくなるぐらいには、目の前でじっと向日葵を見る「吸血鬼」は、接点がなさすぎる。
そう、吸血鬼。
博麗神社の宴会で、顔を見かける程度の紅魔館の紅い吸血鬼が、私事、花の妖怪風見幽香のテリトリーで佇んでいた。
「御機嫌よう。ここで顔を合わせるなんて、初めてじゃないかしら?」
そう声を掛けたのは、振り返った日常に比例して、視界に入れてから五分以上は経った後だった。
頑なに向日葵を見ていたその身体がピクリと震える。
フリルをふんだんに誂えたピンクの日傘にフリルのドレス。被るナイトキャップにまでフリルが使われており、その出で立ちは華奢な西洋人形のようだ。
憂いを含む紅い瞳と短く切り添えられた蒼い髪は風に揺れ、向日葵をじっと見つめていたその姿は何処か、悲しんでいるようにも見えた。
「……あら? こんな所で会うなんて奇遇ね。花を愛でに貴女も夜のお散歩?」
しかし、それもこちらを振り返ってしまえば、何処か不敵に笑う吸血鬼様の顔にあっという間に変わっていく。
「愛でるも何も、ここは私のテリトリーよ。“太陽の畑”の噂は聞いた事がないのかしら? というか、アンタの所のメイドは来た事ある筈よ?」
可愛げもなく、カリスマ漂わせる幼き永遠の月ならぬ吸血鬼、レミリア・スカーレットは私の言葉に合わせるように、日傘を両手で握ったままうなずいて見せた。
「咲夜からとても綺麗な向日葵畑があるとは聞いていたわ。向日葵と聞いて、その時は興味が全く湧かなかったけれど」
「どうしてかしら?」
「“太陽”を冠しているからよ」
素直に成程と思ってしまったのは、吸血鬼の弱点を考えれば察しは付く。
だが、その割にはさっきまで向日葵をじっと見つめたまま動かないでいたが。
「そう……でも実際、この子達を視た感想はどうかしら?」
率直に、感想を聞いてしまったのは花の妖怪としての性か。
レミリアは私の問いかけにきょとんとした顔を一瞬したものの、直ぐに笑みを象り、じっと見つめていた向日葵を愛でるようにしながら答えた。
「悪くはないわ。大事に育てられたのね。この向日葵達は」
その笑みはとても優しげで、博麗神社の宴会の場等ではまず見ないような表情をしたもので、内心、毒気が抜かれてしまう。
そんな私の内面等気にせず、レミリアは言葉を続けた。
「喰わず嫌いはするものじゃないわね」
「……喰わず嫌いじゃなくて、興味が無かっただけでしょ。アンタは」
「そうかもしれないわね。……この子達は、何か改造でもしてるの?」
「そりゃあ勿論してるわよ。春夏秋冬咲き誇るわよ。この子達は」
「それは何だか勿体ないな」
「言ってなさい。季節が変われば、趣がまた違うのよ?」
他愛ない会話のやり取り。
毒気が抜かれてしまったからか、それとも珍しく花の話をしているからか。
今ここで、直ぐにでも殴り合いになるような自体にさせるのは、無粋かと思ってしまうぐらいの許容はあった。
本来なら会話すら成立しない“立場”である事も、あったのかもしれない。
「なら、もう少し涼しくなったらまた来てみようかしら」
「って、また来る気なの? アンタ」
「花の妖怪がそう言うんだ。実際趣が違うのも見てみたい。あと」
クルリと、優雅にその場で回って見せると、向日葵を愛でていた顔をこちらに向ける。
「アンタ、は無粋じゃないかしら?」
「………なに、名前で呼んでほしいの?」
「レミィと呼ぶのは許さないけれどね。普通は、名前を呼ぶものじゃないかしら?」
その顔に陰りが差したように見えた気もしたが、私はその陰りが差した顔から眼を逸らすようにして、両腕を組んで大きく息を吐いた。
毒気が抜かれるのも、話が成立しているのも妙な気分だったが、今度は名前を呼んで欲しいときた。
「……………生憎、私はどっかの黒白じゃないわ」
そこまでの許容が私にあるかと問われれば、勿論NO。
私の答えにレミリアは残念ねと、小さく笑ったがそれ以上の事は無かった。
……本当に、何もなかった。怒る素振りも、悲しむ素振りも見せず、唯渇いた笑みを浮かべただけ。
「……」
「そろそろ帰るわ。季節が変わった頃に見させて頂くよ。花の妖怪の」
そのまま帰る旨を口にして、優雅にドレスの裾を摘まんでお辞儀をする吸血鬼。
踵を返し、背に生える蝙蝠のような羽根を広げ、飛ぶ体勢に入った。
「……アンタも、名前で呼んでないじゃない」
後は見送れば、少なくとも次の季節まではこの吸血鬼は来ないんだろうなと。
そう思った時には、ついレミリアに聞こえるように口にしていた。
「ん。それもそうね」
引き止めるつもりはなかったが、翼を広げて飛ぶ体勢に入ったレミリアは、顔だけをこちらに向ける。
向けた顔は、微笑むような笑みになっていて。
「無粋だったわ。御免なさい。……風見幽香、だったわよね?」
フルネームで私の名をレミリアが確認した時には、嫌な予感を感じざるを得なかった。
□①
本日は青天なり、本日も晴天なり。
穏やかな熱気に蝉共の合唱で浅い夢からグッドモーニング。
「ふ、あぁぁぁ………」
軽い伸びをしながら腕を回しつつ、身体に掛けていたタオルケットを払ってベッドから立ち上がった。
「………寝足りないわねぇ」
立ち上がりながらも小さな欠伸が出てしまう。
寝足りない理由は分かっているが、口には出さない。
常識から外れた巫女から伝わった話だが、口にすると「フラグ」が建つと言われている。
自己暗示基い、意識しているという認識から、思いも寄らぬ破滅に向かうそうな、そんな話だ。
「………」
その理屈から行くと、頭の中で思ってしまってもフラグなるものが成立してそうだが、無言のまま寝間着の花柄模様のパジャマを脱ぎ捨てて、部屋の端に置かれたクローゼットへ。
クローゼットを開けて白のブラウスを、引き出しからチェック柄のフレアスカートを掴み、まだ目覚めたとは言えない頭で緩やかに着替えながら、ベストと黄色いタイを手に取って寝室から居間へ。
「おはよう」
居間の床や、机に置かれた花達に朝の挨拶をしつつそのまま台所に入ると、習慣通りに朝のハーブティーを作り始める。
思う所はあれど、先ずは寝ぼけた頭を醒ますのが先だった。
テキパキと思考と切り離した動きで、十分後には居間へと戻り、椅子に座ってハーブティーを堪能する。
「……んーっと」
堪能して、切り離していた思考を再度繋げ直せば―――兎にも角にも、今日の行動を決めないと。
(無視するのもいいけれど。……嫌な予感は、当たるものよねぇ)
昨日の深夜、バッタリ会ってしまった深紅の吸血鬼。
紅白の巫女の直感程ではないが、あの吸血鬼がここを訪れたのは、偶然ではないだろう。
何か切っ掛けがあってここを訪れたのは間違いない。では、その切っ掛けは何なのか?
「……分かるわけないわ。そんなの」
ハーブティーを堪能しながら、考えても仕方がない事を頭から振り払う。
あの吸血鬼、レミリア・スカーレットについての情報は、風の噂程度にしか知らないのだから。
強者を虐める基い、弄るのは趣味ではあるが、わざわざこっちから喧嘩を売りに行くような事は滅多にない。
あの吸血鬼は神社の宴会ぐらいでしか顔を会わせた事がないのもあって、接点なんて皆無に等しかった。
「んー。しょうがないわねぇ」
寝癖で立った自分の髪を指で弄りつつ、残っていたハーブティーを一息に飲み干してカップをテーブルに置く。
気にしすぎるのも癪なので、あの吸血鬼の根城である真っ赤な屋敷に行くのは避けたい。
そうなると―――妥当な所であの吸血鬼と“接点がある相手”に話を聞くぐらいだが。
(何か持参しなきゃいけないわね。手ぶらだと、嫌な顔しかしないし)
花より団子、団子よりお賽銭を寄越しなさいと言ってくるような相手の顔を思い浮かべ、少しばかり苦笑い。
二重の意味で。花の妖怪と吸血鬼の共通の接点が、人間なのは実際の所どうなのかしら―――
―――そんな苦笑いを浮かべていたのが、まぁ、大体二刻程前だろうか。
「急に訪ねて来たと思ったら何? 私の仕事増やす気?」
レミリアの話を切り出した開口一番の台詞がこれである。
……人選、もう少し考えた方がよかったかしら?
夏の栄華を成就するべく蝉共が合唱する中、古めかしい神社の縁側から足を伸ばす私と“紅白の巫女”。
この世界、幻想郷なら誰もがその名を知り、人間妖怪神問わず、異変を起こせば捻じ伏せられた経験があるであろう相手。
博麗霊夢と呼ばれる目の前の少女は、人間であり、巫女であり……私が知る中で、最高の相手。
「話ぐらいは聞いてくれたっていいんじゃないかしら?」
じと目で睨んでくる霊夢に対し、私はやんわりとそう口にする。
人差し指をピンと伸ばし、霊夢が手に持つ西瓜を指差しながら。
「む。これはこれ。それはそれよ」
「それが罷り通れば何処でも幅を効かせられそうね。駄目押しするけれど、貴女の素敵な賽銭箱にお賽銭も入れて置いてあげたわ」
「……むむむ」
何がむむむか分からないが、じと目な顔から一転、狼狽するその様子は見ていて楽しい。
霊夢が手に持つ西瓜は私の持参品であり、抜かりなく、博麗神社の賽銭箱にもお賽銭は入れた後であった。
それを察してか、それともニコニコ顔で私がそんな様子の霊夢を見ていたからか、私から顔を背けて庭の方へと視線を向けた霊夢は溜息と共に口を開いた。
「はぁ。……で? レミリアについて詳しく教えて欲しいって、どういう意味でよ? 私もそこまでレミリアの事詳しいわけじゃないんだから、話せる内容も限度があるわよ?」
「あら? それは意外。宴会の時にはいつもあの娘、貴女の傍に居るじゃない」
「勝手に好かれてるだけよ」
にべもなく、そう言い切った霊夢の表情に変化はない。
……あれ、本気で人選間違えたかしら。
「……まぁいいわ。教えて欲しいのはそうねぇ……最近何か聞いてないかしら?」
「? 何を?」
「あの吸血鬼の異変の類」
「あったら私が叩き潰しに出掛けてるわよ」
容赦の無い巫女の言葉にそれもそうねと相槌を打ってしまう。
しかし、あれが異変でないならば何なのか。
本気で花を愛でに来ただけじゃないだろうし、何か絶対にありそうな気がするのだが。
「うーん。それじゃあ何か変わった事とかはなかったかしら?」
「知らないわよ。前の宴会の時には気持ちよくお酒飲んでたし、酔い潰れるかどうかって所で咲夜が連れて帰ったし」
「前の宴会って、何時だったかしら?」
「一週間前よ。幽香も居たじゃない。魔理沙が珍しく紫に絡んで、神社の上で弾幕勝負してた日よ」
「あー……」
霊夢の言葉に思い出した回想は、それなりに鮮明な形で残ってくれていた。
黒白の普通の魔法使いと、八雲の名を冠する大妖との弾幕勝負。
鮮明な形で記憶に残っていたのは、黒白の魔法使いが思っていた以上に善戦したからか。
「それじゃあ、大分時間が経ってるわね」
これは完璧に人選を間違えたかと、心の底から落胆の溜息を吐いて見せる。
「何よ、そのあからさまにこいつ使えないって溜息は」
「あら? わかる?」
「わかるわよ。……紅魔館の連中に直接話を聞くのは駄目なの? 咲夜辺りなら時間を見計らって人里に行けば会えそうだけど」
「あのメイドは駄目よ。多分話を振ろうものなら、“話にならないわ”」
一度戦り合った覚えはあるが、あの瀟洒なメイドと私とでは相性が悪すぎる。主に精神的な意味で。
にべもなく私に却下された提案に霊夢は眉を寄せるも、ワンカットされた西瓜を食べる手は止まらず、平らげてから一息吐いた。
「ふぅ………なら、魔理沙にでも聞いてみるしかないわね。屋敷の人間以外であそこに通ってる物好きなんて他にいないし」
一息吐いたかと思えば、西瓜分と賽銭分の話は終わりとでも言うかのように縁側から立ち上がり、踵を返して居間へと戻っていく。
「もう話は終わりかしら?」
「結論は出たでしょ。私もこれから人里に行くから、咲夜に会ったらそれとなく聞いてあげるわよ」
その立ち去ろうとする背に言葉を投げかけたものの、顔も向けずに言い捨てる霊夢の言葉に食い下がる理由もない。
霊夢が知らないなら他の知ってそうな奴に会いに行くか、帰ってせっせと元気が無くなり始めた一部の向日葵の世話をするかだ。
(まぁ、あの背中に思いっきり殴りかかってもいいんだけど)
というか、殴りかかりたい。殴ってその気になってくれれば私としては実に楽しい展開だ。
そんな邪な感情を抱きつつ―――縁側に置いてあった日傘を掴んで立ち上がる。
「邪魔したわ」
素っ気なくそう言って、日傘を差してふわりと空へ飛翔する私。
向かう先は薄霧が掛かる魔法の森。多分居るであろう昔の縁。
思えば、私はここで気づくべきだったのかもしれない。
「……居るといいのだけど。いなかったらアリスでもからかいに行こうかしら?」
感情とは別に、“何か”に自分の行動が動かされている事に。
□②
霧雨魔理沙という人間の少女が住む場所は、いつも薄霧が立ち込めるような、じめじめとした魔法の森の中。
未だ人間でありながら魔法使いを名乗り、周りからは黒白の魔法使いと呼ばれ、名乗るときには“普通”の魔法使いと名乗る少女。
私とは、浅からぬ縁もあるにはあるが……アレを友人の数に入れていいか、正直な所、微妙な話だ。
(……ここに来るのも、久しぶりね)
魔法の森の中を歩くのは流石に時間が惜しく、空から魔理沙の家の前まで向かう事にしたが、前に来た時に比べてちょっと様変わりしていた。
「いや、ちょっとじゃないわね。“あんな物”は前にはなかったし」
煉瓦作りの昔ながらの西洋風な家に対し、その横に景観や哀愁なんて言葉を吹き飛ばすような竹で囲んだ温泉が設置されていた。
空にまで立ち上る湯気が目印となって見つけやすかったが、それにしたって大雑把に作りすぎだろう。
「……というか、竹で囲んでもこれじゃあ空から覗かれ放題じゃないの」
人間が魔法の森に滅多に来る事はないにせよ、代わりに幻想郷中を飛び交ってるのはネタに必死に奔走する記者達、鴉天狗の妖怪共。
その代表とも呼べるような奴の顔を思い出して―――回想を振り返れば、涙目の天狗の顔がそれなりに面白かったので、ニヤリと笑ってしまう。
「ま、私が気にする事じゃないわね。魔理沙の裸体が暴かれようと記事になろうと」
喜びそうなのは特殊な性癖がある奴だけか、魔法の森の入口に店を構える青年ぐらいか。
内側に蔓延る感情をキリの良い所で切り捨てて、差していた日傘を畳み、家の入口である扉を手の甲で軽くノックする。
トントンと。居間でお茶でも飲んでいれば聞こえるであろう音に対してさて、魔理沙の反応は。
「……ん?」
反応はなかったが、代わりに閉まっていた家の窓が大きく開かれた。
扉を開けずに窓から顔を出すつもりかしら? と、扉の前で止まっていた足はそちらに歩き始めようとしたが。
直後に起きた事態に、私は足を止めざる得なかった。
「ッ!?」
爆発と轟音、同時に窓の外へと流れていく刺激臭。
「だぁぁぁ!?」
次いで聞こえた叫び声に、顔を出す所か身体毎吹き飛ばされる形で地面に転がる白黒の少女が一人。
衝撃が余程あったのか、地面を転がり続けながら叫び声を上げるソレは、森の大樹の一つに頭をぶつけるまで止まらなかった。
「ぜぇ!?」
「…………何してんのよ、アンタは」
ゴツンッと鈍い音が聞こえたが、心配もせずに呆れた顔をして溜息を吐いてしまう。
湯気とは違う白煙がもくもくと空へと昇る窓から離れ、後頭部を両手で押さえながら地面にのた打ち回る少女、白黒の魔法使い、霧雨魔理沙を見下す位置に移動する。
「つつつッ………あ、あれ? 何でお前がこんな所にいるんだぜ?」
後頭部を両手で押さえ、涙目の表情のまま近づいてくる幽香の気配を察してか、顔を上げた魔理沙は私と目が合った。
私はもう一度、魔理沙に対して呆れたような溜息を吐いてから片手を伸ばす。
「貴女に聞きたい事があって来たのよ。ほら、さっさと立ちなさい」
「……私に? 幽香がか?」
伸ばした手を魔理沙は一瞬訝しげに見たものの、素直に後頭部に回していた片手を差しだして、私の手を握りしめる。
握りしめた手から華奢な力を感じながらも、一息で魔理沙を立ち上がらせた。
「ええ。まぁ、先に何をやってたか聞きたい所だけど」
「ああ、これは新しい魔法の実験だ」
地面から立ち上がると、二、三歩後ろに離れてから魔理沙は着ている黒白のエプロンドレスを叩くようにして地面を転がった際に付いた汚れを落とす。
「ふーん。……今度は誰の弾幕のパクリかしら?」
「オマージュって言ってほしい所なんだぜそこは。……で、聞きたい事って?」
叩いた程度では汚れは全部落ちそうになかったが、気休め程度汚れを落とした所で魔理沙は私に本題を聞いてくる。
聞いてきた魔理沙に対し、私は軽口を交えながらも早々に本題を口にした。
「お茶でも飲みながら話をしたかったのだけど。聞きたいのは、紅魔の吸血鬼についてよ」
「“フラン”の事か? あいつがどうかしたんだぜ?」
返ってきたのは―――予想外の答えだ。
「…………フラン?」
「ん、フランじゃなくてレミリアの方だったか? 紅魔の吸血鬼何て言うからどっちかわからなかったんだぜ」
頬を掻きながら苦笑する魔理沙の言葉に、私は眉を顰める。
レミリアがあの真っ赤な屋敷に君臨しているのかと思ったが、違うのだろうか。
「フランの方は宴会所か外にも滅多に出てこないからなぁ……ま、興味がなければ知らないか」
「私が知りたいのはレミリアの方だけど、そのフランって言う吸血鬼は何なのかしら?」
「レミリアの妹だぜ。フランドール・スカーレット。レミリアとは違って羽根が虹色で髪は金髪だがな」
妹という魔理沙の言葉に、私は益々眉を顰めた。
(あの吸血鬼、妹なんていたのね)
知らない事がまた新たに発見された事実を噛み締めつつも、魔理沙の話に耳を傾けた。
魔理沙は両腕を組むようにして考え込む仕草を取ると、唸る様な声と共に口を開く。
「うーん……知りたい事って、具体的に何なんだ?」
「……最近、何か変わった事とかなかったかしら?」
「変わった事? んー……フランじゃなくてレミリアの奴とは屋敷に行ってもたまに顔を合わせるぐらいだしなぁ」
そう言ってうんうんと考え込む魔理沙だったが、ふと何か思い出したのか、あっと小さな声を上げて顔を上げた。
「そういえば、パチュリーの奴が愚痴ってたぜ。またあの二人が喧嘩をして壁を壊したとか、図書室が揺れて本の中に生き埋めになりかけたとか」
「……喧嘩?」
「ああ。というか、何でまたレミリアの事を調べてるんだ?」
尤もな魔理沙の問いであったが、私は首を横に振って答えようとはしなかった。
「ちょっと気になっただけよ。それよりも、そのフランていう妹とレミリアは仲が悪いのかしら?」
「……んー。別に仲が悪いってわけでもないと思うんだが……」
切り返す形で聞いた私の問いに、魔理沙は言葉を濁しながらも話を続けた。
……炎天下の中話す内容としては、さっさと終わらせたい内容だったが。
「幽香はレミリアの生い立ちは知ってるか?」
「……知らないわ」
「なら、今から話すのはフランの奴から聞いた話だから、文辺りに合っているか確認は取ってくれよ」
どうやら話は随分と長いようだった。
魔理沙は暑さのせいか、頬に流れた汗を手で拭うものの、白煙が未だ収まらない家をげんなりとした表情で見つつそのまま話を続けた。
「レミリアとフランは姉妹の吸血鬼だが、双子ってわけでもない。五年違いで生まれてきたらしいんだぜ」
―――五百年の歳月を生きてきた紅魔の吸血鬼、レミリア・スカーレット。
その歳月に五年程遅れ、四百九十五年の歳月を生きてきたフランドール・スカーレット。
吸血鬼と呼べる妖怪は、この二人以外に幻想郷で確認が取れていない。
『鬼』と呼ばれる者達がいても、『吸血鬼』と呼ばれる者達は何処にも見当たらない。
「紅い霧の異変は幽香も知ってるだろ? 私と霊夢はあの異変からレミリア達と知り合う事になったわけなんだが―――」
紅い霧が幻想郷を覆った時、妹であるフランドール・スカーレットの姿はなかったという。
その理由を魔理沙の口から聞いた時、レミリアがどうして太陽の畑に一人佇んでいたか、おおよその見当は付いてしまった。
(ああ、つまりそういうこと)
魔理沙の話を聞き終えれば、私は空を見上げるようにして溜息を吐く。
「……馬鹿らしいわね。どっちにしても」
ああ、本当に馬鹿らしい。
嫌な予感だの、警戒はしておく必要があるかもしれないだの、的外れも良い所だ。
私は聞きたい事を聞き終え、魔理沙から踵を返す。
時間を無駄にしたとは思わない。だが、これ以上レミリアの事について聞く気にはなれなかった。
「ありがとう魔理沙。おかげで知りたい事は大体分かったわ」
踵を返し、話を聞かせて貰った魔理沙に礼の言葉を顔も合わせずに口にする。
そのまま振り返る事なく、手にしていた日傘を差してその場から去るように空へとふわりと浮かんだ。
「……幽香!」
そんな私に対して、見上げるように魔理沙は名前を呼んだかと思えば。
「何があったか知らないが、首突っ込むつもりなら私にも声掛けろよ!」
……ワケの分からない事を口にされた。
「……」
返す言葉はない。
首を突っ込むつもりはないし、仮にあったとしても。
(……面倒な事に、首を突っ込むつもりはないわよ)
その時はらしくない事を、私は行動に移さなければならないだろう。
□③
魔法の森から移動して人里に着いた時には、炎天下のピークだった。
蝉の合唱に負けじと旺盛な人間の声が雑踏に浸透していく。
幻想郷唯一の人間が集団で住まう場所。
魔理沙や霊夢のように一人静かに人間が離れて住む何ていうのは稀で、実際はこちらが“常識”だ。
この人里の中では、人間が表立って妖怪に喰われる何て事は起きない。
色々とそこら辺の話は混みいった物があるが、最近では更に混みいった話として、仏教を広める寺だの、妖怪の山に突如現れた神社の分社だのが里の近くに建てられ、ますます妖怪が人を襲うエリアが狭まったとか。
「……」
まぁ、私には関係の無い話だ。全く以って。
何処かの宵闇の妖怪みたいに悪食でもない。
空が夕焼けに染まるまでもう数刻は掛かる中、喧騒に紛れて私は食い入るように一つの店の前に佇んでいた。
「んー、今年も出来が良くて迷うわね……」
店の前には色鮮やかな花々が並べられており、頬に手を当てながらも唸るような声を上げてしまう。
太陽の畑に咲く向日葵以外にも栽培は行っているが、夏のこの時期は彼等に掛かりっきりで、他の花を愛でる機会も少なくなる。
その為、時折こうやって時間がある時に人里に寄っては花屋を覗き、売られている花々を見て回るのだが。
(キキョウ、ホトトギス、カーネーション、アサガオ、ハイビスカス……絞っても、この子達のどれかって所だけど)
幽香から見ても里で花屋として生計を建てているここは中々“筋が良い”。
「店主、これとこれをいくつか頂けるかしら?」
結局迷うに迷ってカーネーションとアサガオを頂く事にした。
花屋の店主は一礼すると、ニコニコ顔で私が選択した花達を一つは花束に、もう一つは植木鉢毎袋に詰めて私に差し出した。
「いつもありがとうございます。またお越し下さい」
「ええ。また時間がある時にでも寄らせてもらうわ」
差し出された花束を掴み、アサガオの植木鉢が入った袋を腕に吊る下げて通りへと歩き出す。
日傘を差したまま空を一度仰ぎ見れば、伸びる飛行機雲と真っ青な青空が広がっており、夕焼けに染まるまでまだ時間はありそうだった。
「さて、と。この後はどうしようかしら」
お昼はとうに過ぎてしまっていて、昼食を食べるという気分でもない。
(もう帰っちゃおうかしら。する事もないし)
雑踏に紛れながら歩き始めれば、流れに身を任せて里の入口へと向かっていく。
旺盛な人間達の声は蝉の合唱に良く似ていて、その中を歩くのはあまり好きではないが、通りから里の入口に抜けてしまうのが一番てっとり早かった。
何か目的でもあればお店に寄って談笑の一つでもするのかもしれないが―――
「―――ああ、やっと見つけましたよ! 幽香さん!」
―――背中越しにそんな声が聞こえてくれば、私の表情はのっぺらぼうも真っ青の無表情を象っていた。
「………」
往来の中、足を止めずに声がした方をチラリと一瞥する。
視界に入ってきたのは、人間と妖怪が行き交う通りに紛れるようにしながらも、肩で息をしながらこちらへと早足で歩いてくる少女の姿。
身なりは白い半袖シャツにフリル付きの黒いショートスカート。黒髪のセミロングの長髪の上には山伏風の赤い帽子と“天狗”達が履く高下駄を、歩く度にカランカランと軽快に鳴らしている。
その手にはメモ帳代わりに使っている黒い手帳とペンが握られており、如何にも貴女に取材に来ました! ニッコリ! と言った爽やかな笑顔を張りつかせている記者の顔だった。
「………」
「あ、あややや!? 聞こえていますよね!? 幽香さんー!? 清く正しい射命丸文が、貴女に取材に来ましたよー!!」
無視して歩く速度を上げた私に慌てた声が聞こえてくるが、あんな物に関わったら確実に面倒な事になる。
しかし悲しいかな。構わずに黙々と歩く速度を上げたものの、射命丸が移した行動の方が早い。
「とうッ!」
かけ声が聞こえたかと思えば、炎天下の往来に一陣の風が吹く。
突風は一瞬、歩く人々の足を止め、その風に乗るようにして射命丸は跳んでいた。
文字通り往来を歩く人間を押し退けず、高下駄を鳴らすようにして跳躍し、ふわりと浮いたスカートも気にせず幽香の真横に着地する。
一連の射命丸の動きに往来を歩く人間は後にこう語る。見えそうなのに、何も見えなかったと。
「………」
「こんにちは! いやー、今日も暑いですねー!」
何食わぬ顔でテンプレ通りの挨拶をしてくる射命丸に対し、とても嫌そうな表情で応えてやったがニコニコ顔は崩れない。
先ほどの発言からして私を探していたみたいだが、一体何が目的だろうか。
「……何の用よ」
「あはははー、取材ですよ勿論。往来で聞くにはちょっと長くなりそうですが」
「なら帰りなさいよ」
「あややや。そうつれない事を言わないでくださいよ」
歩く足は止まらずに、上げようとした速度を緩めて射命丸と並ぶように歩くものの、笑顔のまま射命丸は気になる事を口にした。
「幽香さんが唯一の“手掛かり”なんですよ。往来で聞くのが駄目ならほら、あそこの茶店にでも入ってくつろぎながらでも」
「……“手掛かり”?」
嫌そうな顔から一転、訝しげな表情になってしまったのは、頭の隅にレミリアの事があったからか。
表情が変わった私を敏く見ていた射命丸は、ここぞとばかりに日傘を持つ私の腕を掴んだ。
「はい。霊夢さんの所に訪ねに行ったら、レミリアさんの事を幽香さんがお聞きに来られたと聞きまして」
「……それが何の手掛かりになるっていうのよ」
「その続きは茶店で。ほら、私が奢りますから!」
本気で抵抗すれば振り解くのは造作もない。
しかし、いつになく強引に茶店へと私を連れて行こうとする射命丸の口からレミリアの名前が出たのを聞いた途端、どうしてか本気で抵抗しようとする気が起きない。
魔理沙から話を聞いた段階で、今回の件は知り合いですらない私が首を突っ込んでも、ロクな事になりそうにないのがわかったというのに。
本気で抵抗が出来ない私を尻目に、射命丸は茶店の入り口前まで来れば、店の常連なのか、何食わぬ顔で入り口の曇り戸を開けて中に入ると、店員らしき人物に手を挙げた。
「こんにちはー! 二名なのですが、席は空いてますか?」
「いらっしゃいませ。はい、奥の席が空いておりますよ」
中は外から見た通りの純然たる和風のお店であり、敷かれたテーブルとお座敷には、既に甘味を味わう為の客が何人か居座っていた。
射命丸は店員の言葉にわかりましたと一声掛けると、ようやくそこで掴んでいた私の腕を放してこちらへと満面の笑みを浮かべたまま振り返る。
「よかったですねぇ。この時間帯だとなかなかここは空いていないのですが、“偶然”奥が空いていたようです。ささっ、幽香さんどうぞどうぞ」
甲斐甲斐しく招き入れるような仕草をして見せるが、ちゃっかりと手にしている手帳とペンは握り締めたままだ。
私はその態度に呆れたような溜息を吐くが、店の雰囲気は和風然としているだけあって落ち着いたもので、炎天下の雑踏を歩いているよりも数段マシだった。
「わかったわよ。先に言っておくけれど、アンタが知りたがっているような情報は持っていないから。それだけは理解しておきなさい」
「はい。大丈夫ですよ。その点については心得ておりますから」
何を心得ているのか主語を言おうとしない天狗の言葉は全く信用出来ないが、私は渋々と店の奥へと歩き出し、唯一空いていた奥のお座敷へと履いていた靴を脱いで上がった。
射命丸も同様に私の後から付いて来て履いていた高下駄を脱いで上がると、何故か後ろ手に個室とするべく襖を閉め始める。
(……用意周到というか、道の往来で私に声を掛けたのは“偶然”ではなさそうね)
他には聞かれたくない話なのか、襖を閉め切って私とは反対側の畳の上に正座の姿勢で座ると、握り締めていた手帳の方のページを何枚か捲り、確認するように口を開いた。
「さて……注文を取る前に確認させて欲しいのですが。幽香さんが霊夢さんの所にレミリアさんの事で訪ねたのは、何か理由があっての事ですよね?」
「……? 理由もなしに訪ねる事ってあるのかしら?」
確認としては酷い前提から聞かれてる気がしたが、射命丸は僅かに苦笑の笑みを取ったかと思えば、頭を掻くような仕草を取った。
「念の為ですよ念の為。気まぐれで喧嘩を売る時もありますし」
体験談ですよと口にされてしまえばむっとした表情を取ってしまう。
確かに気まぐれで勝負をする時もあるが、その言い分だと所構わず私が勝負を吹っかけているみたいじゃない。
「どこぞの⑨じゃあるまいし、私はそこまで横暴ではないつもりだけれど」
「ええ、ええ。ですから念の為です。他意はありません。あ、ここは夏場は水羊羹が絶品でして。お茶はどうされます? 紅茶等も注文できるんですよここ」
露骨な話の逸らし方に私はムスッとしたままだったが、紅茶も用意されているという言葉にテーブルに置かれていたお品書きを手に取り目を通す。
お品書きには和菓子しか品が書かれていなかったが、お茶は和洋中揃えてあるのか、中々のラインナップだった。
「……へぇ、聞いた事もないお茶も揃えてるのねここ」
「どのお茶でもここの和菓子は味が合うと評判ですよ。まぁ、私は暑いので麦茶にしますが」
勿論お酒の方じゃありませんよと聞いてもいない事を口にしながら額から吹き出る汗を射命丸は腕で拭う。
私も暑い中熱いお茶を飲む気にはならない。多少迷ったが和中のお茶にする気にもなれず、アイスティーでいいかと拘らずに決めてしまった。
「私はアイスティーでいいわ。和菓子はアンタのお勧めで選んで頂戴」
「わかりました。では注文を済ませてから本題に移りましょう」
途中途中で話を切りたくないのかそう言って射命丸は席から立ち上がると、襖を開いて店員にあれやこれやと注文する。
暫くして、テーブルにいくつかの和菓子と、頼んだアイスティーや麦茶が置かれれば、射命丸は咳払いをしながら私に対して口を開いた。
「こほんっ。では幽香さん、ズバリなのですが、どうしてレミリアさんの事を霊夢さんに尋ねられたんです?」
「興味本位よ」
「本当に?」
「ええ。それ以外に何か理由があるのかしら?」
テーブルに置かれた水羊羹を口にしつつ、お互いにお互いの腹を探り合う展開になるのは火を見るよりも明らかだった。
レミリアの事は多少気になる、が。
昨日の夜中に突然レミリアが太陽の畑に来た件を目の前の射命丸に素直に話せば、どんな脚色を帯びて記事にされるかわかったものではない。
射命丸は私の顔を覗き込むようにじっとこちらを見つめていたが、ふっと表情を崩したかと思うと、僅かに溜息を吐きながら手帳のページを捲り始める。
「なら、こちらから情報を出しますよ。最近のレミリアさんの動向についても聞かれてたそうですしね」
「……? 最近のって、宴会以外で会ったの? アンタ」
「はい。と言っても本人には直接会っていませんけど。……まぁ、会えなかったと言った方が正しいのですが」
「会えなかった?」
「レミリアさん、書置きを残して行方不明になられたようで」
―――淡々と射命丸が口にした言葉が、上手く頭に入ってこない。
行方不明って、誰が?
「…………理由は?」
「そこは話して貰えなかったんですよ。私が紅魔館の瀟洒なメイド長から教えて頂いたのは昨日の夕方には姿がなかったこと。留守の間はレミリアさんの妹であるフランドールさんが代理の当主として屋敷を預かる事。それをサポートして欲しい旨が書かれていたせいで、メイド長と七曜の魔女がレミリアさんを探しに行けない状態にある事ぐらいですかね」
「…………」
「まぁそんなわけで、捜索も兼ねて私に白羽の矢が立った訳ですよ。幻想郷中を日夜駆け巡っているのは私ぐらいな者ですしね」
頼られる事に慣れていないのか、照れ笑いを浮かべながらそう口にする射命丸だったが、私は冷水を浴びせかけられたような気分だった。
よりにもよってと言うべきか。失踪中に見たことがなかった物でも見るつもりだったのか。
……夕方から姿を消して、手始めに訪れたのが“太陽”の畑とは、どんな自殺願望だろうか。
「吸血鬼って、太陽以外だと何が弱点だったかしら?」
「えっ?」
「……何でもないわ。それで? アンタはどう思ってるわけ?」
「? どう、とは?」
「姿を眩ませている理由」
睨むようにしながらそう問えば、ニコニコと笑みを絶やさずにいた射命丸の表情が僅かに硬くなった気がした。
姿を眩ませた理由はいくらでも考えられるが、目の前の天狗の口から聞くのが早道だろう。
憶測である事は変わりないが。掴んでいる情報の量は明らかに射命丸の方が多い。
「……そうですねぇ。本人から聞いてみない事には分かりませんが……憶測でもいいのなら」
「構わないわ」
射命丸もそれを分かっているのか。
私の返答に対し分かりましたと答えると、笑みを潜めて淡々とした口調で言葉を紡ぎ出す。
「レミリアさんが姿を眩ませたのは……フランドールさんと喧嘩をされたのが原因じゃないかと」
内容としては―――概ね私が魔理沙の所で話を聞いた際、脳裏に過らせていたものと同じだった。
レミリア・スカーレットは、フランドール・スカーレットに負い目を感じている。
四百九十五年間。妖怪の生は長く、あっという間に月日が過ぎ去るような感覚だろうとも、気の遠くなるような年月だ。
そんな気の遠くなるような年月が、フランドールにとっての“生”だ。
レミリアは、実の妹であるフランドールを屋敷の地下に閉じ込め続けた。
フランドールの有していた能力が制御出来ないという理由の為に。
(……あらゆるモノを壊す能力、ね)
言葉通りならば途方もなく、“あの胡散臭い大妖怪が野放しにしようとはまず思わない力だ”。
テーブルに肘を着けながら、私はじろりと射命丸の顔を睨んだ。
「喧嘩をしたぐらいで行方を眩ます理由になるとも思えないけれど」
「唯の喧嘩ならばそうですが。……瀟洒なメイド長の話の通りならば、先ず間違いないかと。喧嘩をされた理由がフランドールさんの外出によるものだったそうで」
「何百年もおとなしく閉じ籠っていたのに?」
「はい。ここ最近の話ですが、よく魔理沙さんが紅魔館に訪れるようになりましたからね。それに、霊夢さんともフランドールさんは弾幕勝負をされたようですし」
「……成程。それは仕方がないわね」
魔理沙はともかく、霊夢と闘り合った経験があるのならば、致し方ないだろう。
霊夢に接触するという事は“そういう事だ”。
自分の在り方、価値観を捻じ曲げられる。それはもう、強烈に。
射命丸も私が納得した理由を悟ってか、軽く苦笑しつつも言葉を続ける。
「本人の口からお聞きしなければ、どちらにしても真相は分かりませんがね。その本人の足取りも中々掴めませんが」
「会った所で太刀打ち出来るとも思えないけれど」
「勝負はしませんよ。ちょっと取材と説得と言い包めをさせて頂くだけです」
「……それは脅迫じゃないのかしら?」
脅すネタをどれだけ握ってるのかこの鴉は。
私の言葉に失敬なと一蹴すると、射命丸は捲っていたページに新たに何かペンを走らせ、スカートのポケットに押し込んだ。
「さて……幽香さんはどうやら本当に唯の興味本位のようですし、私はそろそろお暇させて頂きますね。ご協力ありがとうございました!」
射命丸はそう言うと、こちらへ一礼して立ち上がり、閉めていた襖を開け放ったかと思えば、脱いでいた高下駄を履いていた。
忙しない射命丸の後ろ姿をテーブルに肘を着いたままの姿勢で私は視線だけ向けて見送ろうとする。
レミリアが太陽の畑を訪れた事は話さない。射命丸の話も一先ずは聞くだけ聞いただけの事だ。
(話して目の前の鴉天狗に居座れるのも煩わしいでしょうし)
そのまま射命丸を見送れば、余程の事がなければこれ以上レミリアの事で関わる事もないだろう。
「―――見つけたぞ。天狗の」
そんな事を思っていた矢先だった。
甘味を目当てに集まった客で賑わう店内の中、その声は殺気と共に幽香の耳に聞こえてくる。
開け放たれた店の入り口。日差しを一身に浴びながら佇む少女。
射命丸の背中越しにその少女を視界に入れる。
しかし視界に入れたものの、殺気を滲ませる少女の姿に見覚えはない。
銀とも灰色とも取れる髪を後ろで束ね、その頭には鳥帽子を被っている。
瞳の色は深い蒼。どこぞの胡散臭い大妖怪の式である九尾と似たような白装束に紫のスカートを穿き、履く黒い靴や袖や鳥帽子に、色違いの紐がぶら下がっていた。
背丈は射命丸よりもやや小さいその少女に、見覚えはないのだが。
「あ、あやややや? こ、こんな所で会うなんて奇遇ですね、物部さん―――」
立ち昇らせる殺気を一身に受ける射命丸の方はどうやら顔見知りらしい。
背中越しでもわかる取材で使用する記者スマイルと猫撫で声を射命丸は見せたようだが。
「奇遇、じゃと?」
ブチンッと、何かが切れる音。
いつの間にか静まり返った店内で、それは良く聞こえ。
「それが、お主の最期の言葉でいいんじゃな?」
躊躇いもなく、射命丸に殺気を向ける少女の両手に焔が宿る。
「ッ!?」
行動が完全に遅れた事に舌打ちしてしまう。
何処の誰か知らないが、常識外れも良い所だ。
人里のほぼド真ん中―――人間と妖怪が居る店内でこんな馬鹿な事をする奴がいるなんて!
「ちょ―――」
「太子様に行った狼藉、我が許すと思うてか!! 天狗のッッ!!」
直後、少女の両手に宿った焔は射命丸へと放たれる。
後ろに居る私を含め―――店毎巻き込む業火の炎となって。
■④
―――反応出来たのは、苦虫を噛み潰したくなる心境だったが、私だけだった。
大蛇の如く伸びる炎。
獲物を飲み込み、塵芥も残さず消し炭にしようとする炎を前に取った行動は放たれた“弾幕”の相殺。
咄嗟に周囲を守るように向日葵の形をした弾幕の盾を左右に放つ。
そして、先程購入したアサガオとカーネーションの花束を前面に投げれば、妖力によって急激に肥大化し、向日葵同様弾幕の盾となる。
本日二度目となる爆発と白煙が巻き起こったのは、花の弾幕と炎の弾幕がぶつかった直後だった。
「何じゃ!?」
「! 風符ッ!!」
溢れ出た妖気と己の炎が相殺され、白煙が広がる光景に驚く声を上げた少女だが、宣言と共に吹いた突風を避けんが為に後ろへ跳んだ。
風は白煙を切り裂き、刃となって少女を襲うも、仰け反るようにしてかわして見せれば店の入り口が代わりに破壊音を響かせる。
「……チッ、外しましたか」
「―――外しましたか、じゃないわよこの馬鹿天狗」
「げふん!?」
悲鳴が上がり、甘味を味わっていた客が慌てた様子で壊れた入口から急いで逃げ出す中、射命丸の背中を思いっきり蹴ってやった。
そのままうつ伏せになって地面に倒れるが、構わずにそのまま後頭部を踏んづける。
「ぎゃふん!? ちょ、幽香さん! 幽香さん! 痛い、痛いです!? 止めてください死んでしまいます!?」
「痛くしてんのよ。出来れば殺してやりたいわ。苦しんで苦しんで死んでくれると尚良いわね」
バタバタと射命丸はうつ伏せの体勢のまま抗議の声を上げるも、私は髪を掻き揚げながらじろりと射命丸を見下ろした。
何が何だか分からないが、巻き込まれたのだけは明白で、その原因の一端が射命丸にあるとなればどうして許しておけようか。
後頭部を踏みつける足に更に力を込め、骨が軋むような嫌な音が響き始める。
―――同時に、従業員さえ避難した誰もいない店内に、再度足を踏み入れる音が響く。
「ッ!?」
私に頭を踏まれながらも、射命丸が息を呑んだのが伝わってくる。
風の刃をかわした少女―――物部と言う少女が私を睨むようにして再び店内に足を踏み入れたが為に。
「……率直に聞こうかの」
向けられる殺気は射命丸ではなく、私へと完全にシフトしている。
横槍が入るとは思っていなかったのだろう。実際、私が手を出さなければ必殺の間合いだった。
それを完璧に防ぎ、あまつさえ反撃の手を与える切っ掛けを作った私が、何故か射命丸を踏みつけている状況だけが理解出来ないのか。澄んだ蒼い瞳が私を捉えて離さない。
「お主、誰の味方じゃ?」
「私は私の味方よ。常識知らずの誰かさん。貴女、ここで弾く意味、分かってやってるのでしょうね?」
即答してやれば、あから様に眉を顰める態度を取る物部だったが、無論だと強い口調で返してきた。
「ここでのルールがあるのは承知の上じゃ。じゃがな、妖怪の。我が慕う太子様をコケにされ、おめおめと退いたとあっては太子様に顔向け出来ぬ」
「……あえて聞くけど、何をしたのかしら?」
「お主に言う必要はない。我が用があるのはそこでもがいておる鴉天狗のみ。そ奴を差し出すのならば見逃してやろう」
―――聞く耳持たない傲慢極まりないその口調に、笑みが零れてしまったのはご愛嬌だ。
ヤッバイ。コイツ泣かしたら楽しそう。
「へぇ? 見逃す、ね」
「ああ。我はこれでも寛容じゃからな。妖怪が害悪である事に変わりないが、それぐらいの許容はあるのじゃ」
「そう。それはそれは」
えへんと胸を張って答える物部に、私は構わず拾い上げていた日傘の先端を向けた。
「……? おい?」
「私を相手に良くぞ言ってくれたわ。世間知らず」
途端、日傘の先端に収束する魔力。
それは先に見せた妖力の比ではない。
弾幕の枠内でありながら弾幕には程遠く、黒白の魔法使いも十八番にして扱う極光魔法。何を放とうとしているか物部も感じ取ったのか。瞬く間に顔を強張らせ、両手で印を結んだかと思えば、結界らしき物を前面に展開する。
「あ、あやややや!? ここでマスタースパークは不味いですって―――」
足元から何か喚く声が聞こえた気がしたが、聞こえなかった事にして放つ。
放たれた閃光は物部が展開した結界と即座にぶつかった。
「ぬ、おおおおおおおおおッッ!?」
閃光の中聞こえてきた怒号と爆音。
かわせる距離じゃないと判断した途端、防ぎにかかるその思考に内心舌なめずりをしてしまう。
ほぼ近距離でのマスタースパークによる閃光が終われば、物部は衝撃によって後ろに後退していたものの、それでも未だ店内に残っている。
「ゼェー!、ハァー! ハァー!」
防ぎ切ったと見るや、結界を解いて肩で息をしていたが。
しかしまぁ、マスタースパークをこの近距離で防ぐぐらいならば弱者ではないだろう。
「……いいわね貴女。この喧嘩、買おうか買わないか迷ってたけど、買うことにするわ」
売られた喧嘩は買う主義だが、それでも今日はあまり乗り気ではない。
なれど、初手でマスタースパークを防がれたとあっては血が騒ぐ。
射命丸を踏みつけていた足をそっとどけ、前に出るようにして歩き出せば、肩で息をする物部が僅かに狼狽しながら声を荒げた。
「じゃ、じゃからお主には用がないと……!」
「貴女に用がなくても私に用が出来たわ。安心なさい。貴女をのしてから私を巻き込んだ天狗にもお灸を据えてあげるから」
優先順位がちょっと変わっただけよと。
満面の笑みで言ってやれば、物部の表情は息を呑んだものとなり―――そんな表情をされてはもうこちらも我慢の限界だった。
一息で懐に飛び込み、横薙ぎに日傘を振るえば触れる物全てを破壊する竜巻と化す。
「ぬおッ!?」
仰け反る所か地面を転がるようにして日傘をかわせば、物部は店の外へと脱兎の如く駆け出した。
横薙ぎにて払った日傘の攻撃は何とか原型を残していた店の入り口を完全に破壊し、遠巻きに様子を窺っていた往来の住人達を震え上がらせる。
悲鳴が飛び交う外へと出れば、物部は躊躇なく地面を蹴って飛翔し、くるりと反転しながらその両腕に再び宿した炎を掻き集め、雨のように私へと放った。
「あら、空で戦るの?」
放たれる火球は一つ一つが人間の頭程。
何十と放たれたそれらを丁寧に一つずつ、日傘を振るって掻き消しながら私も同様に空へと上る。
(邪魔が入るまで大体五分って所かしら。誰が介入してくるかにもよるけれど)
上りながら、眼下に広がる人里を一瞥しつつ時間がどのぐらいあるか見積もっておく。
地上ではないとは言え、人里の上空で本格的に弾幕勝負が始まれば、正義感に熱い者なら黙って見ていてくれはしないだろう。
見積もった時間で目の前の物部を叩き落すべく視線を向ける。
物部は飛翔するのを止めて空中で制止すると、私と距離を取りつつ声を上げた。
「……これじゃから妖怪は嫌なのじゃ。我が物顔で首を突っ込んで来おって!」
その瞳は怒りに揺らめき、空の上で地団駄を踏む仕草は見た目に準じた、少女らしく可愛らしいものだった。
その両腕に纏う焔が、より一層燃え上がるように肥大化していなければの話だが。
「火遊びが好きなのね」
「ハッ! 我の焔は仏すら焼き払う業火じゃ! 火遊び程度で済むと思うてか!!」
肥大化する炎に順ずるが如く、物部の周囲に熱気が篭められた風が集まっていく。
炎を弾幕にする不死人を知っているが、アレは己の肉体を燃やし、生命ある炎となって弾幕を放つと言った代物だった。
物部が掻き集めようとしている焔もそれに近いものがある。
「炎、符ッッ!!」
違うとすれば、それは憎しみに満ちた光だ。
生命が消える事を嘆くわけでも、新たな生命が祝福されるような輝きはそこにない。
人間らしい怨嗟の塊。燃えてしまえ、燃えてしまえと、何もかも燃やし尽くす事に喜びを覚えるような、醜悪に満ちた光。
スペルカードの宣言を行った事により、業火の焔は先とは比べ物にならない量となって私に殺到する。
「んー」
集った風に煽られ、まるで寺を燃やす勢いで撒かれる炎に対し、私が取った行動は単純極まりない。
宣言をするわけでも、迎え撃つわけでもなく、殺到する焔の群れに自ら飛び込んだ。
「!?」
弾幕勝負を見慣れていない者から見れば、それは単なる自殺行為にしか見えなかった事だろう。
事実、業火の弾幕を放った物部は、目を見開くような驚愕の表情で炎に飛び込んだ幽香を見ていた。
(……あんまり弾幕勝負には慣れてないのかしら)
物部が驚いた顔は、私の方からも見えている。
飛び込むように炎の中へと入ったが、実際は直撃していない。
ギリギリの所で身体を捻るようにしてかわし、隙間を縫いながらグレイズを行って物部の眼前に向かうために移動していく。
スペルカードで迎え撃つのでもよかったが、お互いに遠距離からの撃ち合いとなれば時間はあっという間に過ぎていってしまう。
加えて、先ほどの近距離にも関わらず、マスタースパークを防がれた結界がある。
(泣かすなら、確実に一撃で)
肌が焼けるような熱さを感じながらも笑みは止まらない。
一撃でも直撃すれば動きが止まり、この身は業火に焼かれ地上に堕ちるだろう。
それが分かっていながらも笑みが止まらない。
突破すれば。
殴り倒せば。
この勝負に勝てば。
見れるであろう―――“強者が崩れる瞬間を想像するだけで笑みが溢れ出る”。
「……!! 舐めおって!」
かわしながら徐々に接近しつつある私を見て、物部は激昂するように吼えた。
放つ炎を束ねるように、両の手から噴出す炎は螺旋を描き、阻む盾へと変化する。
断絶される一方通行。残り数十メートルの距離まで近づいていた状況で、後退の二文字は頭になく。
「よい、しょッ!!」
完全に阻まれたのならば打ち崩すと、日傘で炎を斬り払うために上段から薙ぐ。
燃える空を切り裂くように、日傘による一閃はたやすく炎の盾を割り―――割れた炎の先から躍り出るようにして、一瞬その姿を見失っていた物部が目の前まで接近している。
「たわけ! 貰ったわッ!!」
先程とは動きが違う。加速するように動いた物部の肉体は淡い光で包まれており、空の上で舞うようにして放たれた回し蹴りには、足の爪先にまで霊力が通っている。
術による肉体強化。それが何かを悟った時には、目の前の物部が何者であるかを理解出来た。
「―――嬉しいわ」
乾いた音が掌から聞こえた時には、物部が放った蹴りを受け止め、逆に足首を受け止めた手で握りしめる。
「ッ!? な……」
「まだ、“仙人”は泣かした事がなかったのよね」
そのまま上に持ち上げるようにして吊るし上げれば、物部は驚いた声を上げながら重力に負けそうになる自身のスカートを片手で押さえ込んだ。
「ぎゃー!? は、離さんか妖怪!! このような恥辱を受けて黙っておる我ではないぞ!?」
「あらあら、恥ずかしいの貴女?」
「恥ずかしいに決まっておろう! いいから離さんか―――」
「い・や・よ」
頬を紅潮させ、喚く物部を見下ろしながら残忍に笑う私。
ああ、ゾクゾクする。彼女の生殺与奪も辱めも、この瞬間は私が全て握っているのだ。
物部は振り子のように喚き、抗議の声を上げるが、腹部を撫でるように日傘の先端を押し付けてやれば、息を呑むような、悲鳴染みた声が耳をくすぐった。
「先に仕掛けてきたのは貴女よ。それに対して私は応えて上げたのだから、勝者として当然の権利を要求するのは当たり前じゃないかしら?」
「わ、我はまだ、負けておらん……!」
「へぇ? お腹に穴が開いても、そんな事を言えるかしら? その体勢じゃ結界も作れないでしょ?」
笑顔でそう言ってやれば、頬を紅潮させていた物部の表情がたちまちの内に青ざめる。
茶店で涼んでいた身体は夏の暑さと炎による熱さのおかげで玉のような汗を全身から流しつつも、物部の青ざめた表情を見れば嗜虐心がくすぐられて心地良い。
空から落とすつもりだったが、相手が⑨の類だったおかげで勝負は決した。
物部は宙吊りの格好のまま私を睨み付けるが、日傘を腹部に押し付けられている状態では何も出来やしない。
「ぬ、ぬぐぐぐ……我が妖怪なんぞに……」
「泣きながら御免なさい、もうしません、許してください幽香様って言ったら離してあげるわよ?」
「誰が泣くか! ええい、どうしてこうなったんじゃ!?」
「自業自得じゃないかしら。それよりも、本当に泣かないの? 鳴いてイイノヨ?」
「泣かぬし媚びぬし平伏さぬわ!! 我に先の閃光をやって見せよ! 相打つ覚悟でお主も焼いて見せるわッ!!」
「あらあら。まだ吠えられる元気があるなんて」
本当に可愛らしいぐらいの気構えで、へし折ってやりたくなる。
腹部を撫でていた日傘の先端は下へと下がり、僅かに膨らんだ胸を通過しつつピタリと物部の頭に照準を定める。
途端、キャンキャンと犬のように吠えていた物部の顔が、僅かに歪んだ。
「……お、おい? お主、何を」
「え? 焼かれても困るから確実に頭を消し飛ばそうと思ったのだけど?」
「!? な、ならん! それは駄目じゃ!」
「あら? どうして?」
本当に不思議そうに首を傾げてやれば、物部は顔を横に激しく振りながら声を振り絞る。
「それでは確実に死ぬではないか! 頭が消滅して生き残った尸解仙なぞ聞いた事もないぞ!?」
「お腹に穴を開けて生き残った仙人も聞いた事なんてないわね。ならどちらにしても同じじゃなくて?」
「鬼かお主は!?」
「残念ながら鬼ではないわ。花の妖怪よ」
「そういう事を言うておるわけではない!! ええい、どうしてこうなっ―――」
「自業自得じゃないの? というかいい加減にしなさいよあんた達」
―――喚く物部とは違う、凛とした少女の声。
背中越しに聞こえたその声に振り返れば―――呆れた顔をしながら両腕を組む霊夢の姿と、何故か頭に大きなタンコブを作り、涙目のまま付き従う射命丸の姿があった。
□⑤
「博麗の! 何故お主がこやつ等を庇い立てするのじゃ!? お主は妖怪退治を生業とする巫女ではなかったのか!」
喚く声は継続中。なれど、物部の声は虚しく往来に響くばかり。
霊夢の仲裁によって空から降りた私達だったが、人里の往来に降りれば待っていたのは怒り昂ぶる人里の守護者によるヘッドバットであった。
射命丸は空に上がる前にそれを喰らっていたのか、新たに喰らう事になったのは物部だけだったが、それでも納得出来ないのか。
今も尚仲裁を行った霊夢に対し、壊した茶店の入り口前で異議を唱えている。
「ああ、もう。耳元で騒がないで頂戴」
「これが騒がずにいられるか!? お主は人と妖、どっちの味方なのじゃ!?」
「私は私の味方よ。ったく、首を突っ込みたくて突っ込んだわけじゃないのよ? 里で喧嘩するなって言ってるだけで、外で弾く分には誰も止めやしないわよ」
その代わり、その時は自己責任よと顔を近づけ、捲くし立てる物部の額を指で押すようにしながら霊夢は忠告する。
その様子を日傘を差しながら見ていた私はというと、若干不完全燃焼を感じざるを得ない。
まだ泣かしてもいないし本格的に虐める前だったのが原因なのは明白だが、霊夢が仲裁に入った途端、テンションは下がる一方だった。
「……はぁ」
「……あのぉ、幽香さん? 溜息を吐いている所申し訳ないのですが……」
そんな心境を他所に、射命丸の声が“下”から聞こえてくる。
「なによ、駄天狗」
「駄……! い、いえ、確かに私が色々と迂闊でしたが、いい加減、許して貰えませんか……? その、この炎天下の中、地面に伏せているのはかなり辛いのですが……」
射命丸は現在、うつ伏せの体勢で私の“椅子”代わりとなっている。
往来を歩く者から見たら異様な光景ではあったが、射命丸の背に座っている人物が風見幽香と分かるや否や、触らぬ者に祟りなしと近づく者は皆無であった。
そんな周りの心境を知ってか知らずか、射命丸の懇願をにっこりと笑いながら一蹴する。
「駄目よ。本来だったら畑の養分にしてやりたい所を椅子代わりにする事で溜飲を下げてあげようとしてるのだから、むしろ感謝なさい。……それはそれとして」
この話は終わりと言わんばかりにそう言い捨てながらも、言葉を続けた。
未だ抗議の声を霊夢に上げている物部だが、引き下がれない肝心の理由は、太子様と呼ばれる者が射命丸に辱められたから、らしい。
その理由を私は未だ射命丸の口から耳にしていない。
「実際の所何をしたのよ。その太子って呼ばれる奴に、何かしたのでしょう?」
「………イイエ? ナニモ? 清く正しい新聞記者であるこの射命丸が、何かすると思いますか?」
何故か喋りたがらない鴉天狗がここに一匹。
「……ふぅん」
「え、あ、ちょ!? ゆ、幽香さん何をされるんですか!?」
「別に? 何も? ただちょっと暇を潰せるような虐めってないかしらって考えただけよ?」
「おもいっきり悪意が篭ってるじゃないですかー!?」
その口を割るのは造作もない。彼女は今は椅子であり、私がその背に座っている限り無防備な事この上ない。
―――例えばの話、巷で噂されている一部の絶対領域なる桃源郷を、今この場で周囲に披露してやる事も出来るわけだ。
「悪意なんて篭ってないわよ? うっかり手が滑って貴女自身が記事になるような事件が発生するだけの話よ」
「それが悪意って言うんです……! って、本当にご勘弁を……!? お嫁に行けなくなっちゃいますよ!?」
「大丈夫よ。お嫁に行けなくなったら引き取ってあげるわ。貴女ならきっと良いお嫁さん(養分)になれるわよ」
「副音声入りましたよね今!? ああもう分かりました! 分かりましたから!! 言います。言いますからスカートから手を離して下さいお願いしますッ!!」
椅子になりながら土下座をするという器用な真似をしながら懇願する射命丸に対し、そこでようやくスカートから手を離してやった。
射命丸は肩で息をしつつも地面に目を遣り、その顔色を私に見せないまま観念したかのようにポツリ、ポツリと語り始めた。
「……レミリアさんの足取りを探す為に幻想郷中を飛び回っているのは、先程お話しましたよね……? 物部さんが太子と呼ばれている尸解仙、豊聡耳神子さんの下にも念の為、訪ねに行ったんですよ」
―――豊聡耳神子と呼ばれる者は、欲を聞く事に長けた仙人らしい。
情報の出所は、現人神、東風谷早苗によるものだった。
彼女曰く、豊聡耳神子は外の世界では有名すぎる程の為政者であり、聡明な彼女とレミリア・スカーレットが接触していれば、何故いきなり行方を眩ませたのかも分かるかもしれないと。
訪ねた理由としてはとても安易な物であったが、幻想郷中を巡る文としては、一つずつ可能性を潰していく作業の一環に過ぎなかった筈であった。
実際に、足を運んでみればレミリア・スカーレットの姿はなかった。
当然であった。豊聡耳神子が住まいとする場所は幻想郷ではない何処か、胡散臭い大妖怪である八雲紫が扱う『隙間』に移住空間を設けたような場所であり、偶然にも射命丸は豊聡耳神子がその異空間から出てきた所を訪ねる事に成功したと言った具合だったのである。
そんな異能空間が出来ている事を知らなかった射命丸としては、それだけで一つ記事が出来そうな内容であったが、実際に豊聡耳神子に取材も試みれば、射命丸が鴉天狗であろうとも、彼女は快く取材に応じてくれた。
「で?」
「…………取材は無事に終わりました。レミリアさんの事も聞いてみましたが、流石に会った事もない者の欲は聞く事が出来ませんよと言われてしまいましたが」
問題は、その後である。
取材を終えた射命丸は、次の取材先へと向かう為に急ぎ足でその場を後にしようとした。しかし帰ろうとした際、履いていた高下駄が何かに引っかかり、不意に体勢を崩した所を豊聡耳神子が支えようとして、そのままもつれ合うように倒れてしまうという出来事が起こった。
一体何に足を引っ掛けたのか、それに対して視線を向ける前に、もつれ合うように転がった視界には先程まで取材を行っていた豊郷耳神子の顔が眼前に広がっており―――。
「……あぁ、成る程。それはアンタが悪いわね」
「あ、あややや……! ま、待って下さい。待って下さい……!! 最後まで話を聞いて下さい! 別に何もなかったんですよ!? ただちょっともつれあって転がっただけで、しかも翌々足を引っ掛けた先を見たら死体が埋まっていてその頭に足を引っ掛けたというだけの事で……!」
「はいはい。つまり貴女は何も悪くないって言いたいわけね。いやらしいわね」
「信じる気ゼロじゃないですかー!?」
下で慌てふためく声を上げる射命丸の動揺っぷりは先程よりも激しい。
どうやらそう言った情事や色恋沙汰には慣れていないようで、実際に何もなかったんだろうなと内心思いつつも、虐めてしまうのは性か。
「はいはい。信じてあげるから。それで? その後どうなったのかしら?」
「………うぅ。その、もつれあって転がった私と豊聡耳さんを物部さんが発見されて、どうやら私が豊聡耳さんを襲ったと勘違いされているようで……」
弁解の余地もなく、問答無用でその場で弾幕勝負となった所を撒いてきた結果、先程の茶店で捕捉されて先の弾幕勝負に繋がったわけのようだ。
「本当にとばっちりも良い所じゃない。この駄天狗」
溜息を吐いて話を聞き終えた私は、感想の言葉をその一言で締めくくり立ち上がる。
立ち上がれば―――霊夢達も話が纏まったのか、この炎天下の中これ以上居たくないと言った表情を隠さずに披露する霊夢と、射命丸ではなく、明らかに私を睨みながら近づいてくる物部が口を開いた。
「花の妖怪、と言ったなお主」
「ええ。巷じゃフラワーマスター何て呼ばれているわ」
自称であるが、そう言ってやると睨む視線はそのままに、私を指差すようにして物部は言葉を続けた。
「我は妖怪を“悪”だと思っておる。お主等のような者が存在する限り、この幻想郷は人間にとって仮初の平穏を過ごしておるに過ぎん」
「……へぇ。それで?」
真っ直ぐにそう言い放った物部を見て―――ゾクゾクしてしまったのは、きっと私のような物好きだけだろう。
物部は宣言するように、己の在り方を間違わぬように言葉を紡ぐ。
「今日の屈辱は忘れぬ。……必ず、お主とそこの天狗は滅して見せよう」
「期待しないで待ってるわ」
純粋な殺意を浴びながらも、私は微笑みながら言い返した。
次に会った時は、純粋な“殺し合い”になるかもしれない。
貴重な敵意に身震いしてしまうのも、妖怪としての性だろうか。
物部は、暫くの間こちらを睨んでいたが、被る鳥帽子の位置を手で直しながら踵を返し、ざわめく人の往来を掻き分けるようにして立ち去った。
「……嬉しそうねアンタ」
「あら? そう見える?」
立ち去る物部を見送りながら、額に掻いた汗を袖で拭いつつじと目でこちらを睨む霊夢に対し、私は笑顔のまま応えてやる。
「はぁ……全く、お願いだから私の仕事を増やさないで頂戴。慧音は慧音で頭突きだけして私にここを任せるし、もう散々よ」
「信頼されているようで何よりじゃない。私としては残念な結果になってしまったけど」
霊夢が居なければあの娘の心をへし折ってやれただろうにと。
心底残念だったが、その分次に巡りあわせた時は楽しそうだ。
そんな私の心境を知ってか知らずか、両腕を組むようにして霊夢は更に溜息を吐くと、片目を瞑るようにして私を視た。
「幽香」
「? 何かしら?」
次に会った時はどうしてやろうと想いを馳せる私に対し。
「アンタ、“いつからそんなに優しくなったの”?」
―――妙な事を、霊夢の口から聞く羽目になった。
「………………………え?」
往来を歩く人の声も、謳歌する蝉の声すら遠くなった気がした。
高揚していた気持ちに対して、冷水を浴びせられたような気分。
霊夢の口から紡がれた言葉が、正しく認識出来ない。
「……慧音がアンタに対して頭突きを行わなかったのは、茶店に居た連中が“花の妖怪が助けてくれた”って話を聞いたからよ」
高揚とは違う、不規則な心臓の高鳴りに不快な感触を覚える。
狼狽する様子を表に出してしまったのは一生の不覚であったが、それ以上に振り返って自分の行動を考えてみれば、らしくない行動を取る自分が居る事に眩暈を覚える。
「……私が、人間を助けた……?」
否定する事は簡単だ。物部の弾幕を受け止める為にこちらも弾幕を展開したに過ぎないと。
では―――どうしてあの時、霊夢に殴りかかろうとしなかったのか?
「ちょっと、幽香?」
吐き気が込み上げる。
自分ではない“何か”に行動を握られているかのような感触。
そもそも―――どうして今日は、こんなに躍起になってレミリアの事を調べようと思ったのか?
「……………………」
夏場だというのに、嫌な悪寒が背筋を這っていく。
このままここに居るのは不味い気がした。
何もかもぶち撒けてしまうような感覚。
私じゃない“何か”が、壊滅的に私を崩壊させるようとしている―――。
「……帰るわ」
眩暈を覚え身体をふらつかせるも、絞り出すようにそれだけ口にすると、ゆっくりと踵を返す。
「――――――」
背を向ける私に対して霊夢が何か言った気がするが、それすらもう耳に入ってこない。
まるで壊れた人形のように、太陽の畑までの帰路を歩き出した。
■⑥
―――今日の事を振り返れば、予想出来た光景かもしれない。
朝から夕方にかけての噎せ返るような太陽の陽射しは鳴りを潜め、頭上には輝く月と満天の星空が、橋を架けるかのように広がっている。
心地良いそよ風は昼間の暑さを忘れさせ、星空の中、広がる向日葵畑の中を散歩したらさぞや気分は良いだろう。
誰だってそうする。私だってそうする。
流行りなのか、それとも死語になって流れ着いたのか分からないが、常識から外れた現人神が口ずさんでいたフレーズを同じように口ずさむぐらいには―――先日起きた光景と、それは余りにも同じであった。
「…………、」
違うとすれば、気分は高揚していない。
背筋を這い回る悪寒は夏の物ではなく、向日葵畑に佇む相手は、鬼の類に違いない。
ソレは昨日と同じように、畑に咲く向日葵達をじっと見ていた。
フリルをふんだんに誂えたピンクの日傘にフリルのドレス。被るナイトキャップにまでフリルが使われており、その出で立ちは華奢な西洋人形のよう。
憂いを含む紅い瞳と短く切り添えられた蒼い髪は風に揺れ、向日葵をじっと見つめていたその姿は何処か、悲しんでいるようにも見える真紅の吸血鬼。
行方を現在眩ませている筈の紅魔館の主、レミリア・スカーレットが佇んでいる―――。
「………ハッ」
眩暈がする光景に対し、鼻で笑って一蹴したのは“何か”に対しての抗いか。
歩みを止めていた足を動かし、私は佇むレミリアに声を掛けた。
「ご機嫌よう。秋にはなっていないけれど」
私の声に反応するように、レミリアの視線は向日葵から私へと移り変わった。
身体を震わす事もなく、まるで私が来るのを待っていたかのように。
真紅の瞳は私を捉え、離さない。
「……御機嫌よう、風見幽香。涼しくなってから来た方が良かったかしら?」
「いいえ。この子達を愛でに来るのなら、いつだって大歓迎よ?」
憂いを帯びた瞳はそのままに、幼い容姿に似合わぬ妖艶な笑みは歓迎をしているつもりなのか。
差していた日傘を折り畳み、腰に手を当てて深呼吸を行えば、這うような悪寒は一時的にせよ消えてくれた。
「愛でに来るのならね。ねぇ、レミリア・スカーレット。貴女、何が目的でここを訪れたのかしら?」
回りくどい事はこれ以上御免だ。
単刀直入に何が目的でここに来たかを問えば、レミリアの笑みはそのままに、何処か遠くを見るような眼差しで答えた。
「明確に目的を持ったつもりはないわ。白状すると、単なる気分転換よ」
「……本当に?」
「ええ。小旅行と言ってもいいわね。ぶらり一人旅なんて、素敵じゃないかしら?」
「そうね。確かに素敵な響きだわ。私に迷惑が掛からないのなら」
レミリアの笑みに、私も無理やり笑みを象るが、日傘を持つ手が汗で滲む。
緊張でもしているのだろうか。
目の前の真紅の吸血鬼とまともに弾幕勝負を繰り広げた覚えはないが、そこまでの脅威を感じ取った覚えはない筈なのだが。
レミリアは、きょとんとした顔になると、私に対して首を傾げた。
「迷惑かしら?」
「花を愛でに来ただけなら、迷惑じゃないわね」
「それなら迷惑を掛けた覚えはないわね」
ケラケラと笑いながらそう口にするレミリアだったが。
「―――あぁ、でも残念ね」
付け足すように、レミリアは私に告げた。
「これから迷惑を掛ける事になるわ。……ねぇ幽香」
名を呼ぶレミリアの真紅の瞳は、私を捉えて離さない。
流れていた風が止めば、今か今かとざわめくように。
「私と勝負をしましょう。賭ける物はそうね。お互いの尊厳でどうかしら?」
悪魔の囁きが、戦いの火蓋を切らせた。
それ以上は言葉が続かない。
何のために勝負をするか。
どうしてレミリアは私に挑むのか。
私に、一体何をしたのか。
全てを呑み込み星空の中を飛べば、瑣末な事となって消えていく。
―――何て事はない。これは異変でもなく、壮大な物語にも値しない単なる喜劇。
孤高を愛する花の妖怪と、孤高を知る吸血鬼が、共に歩む事になるお話である。
弱者を弄る。
強者を虐める。
開いた指を一つずつ折るようにして日常をシンプルに振り返ればそんなものだ。
勿論、もっと細かく振り返って日常を見つめ直せば、両の指を折る程度では数え切れない。
花を愛でるといっても一つの花をずっと毎日のように愛でているわけでもないし。
弱者を弄るといっても泣き虫な蛍の妖怪や、頭が⑨な妖精だけを弄っているわけでもないし。
ましてや強者を虐めるとなれば……いや、まぁ、何処までを指して強者と指すべきなのかにもよるけれど。
兎にも角にも、日常を振り返って見たのは―――目の前の光景は、ここでは目にした事がなかったからだ。
「………」
朝から夕方にかけての噎せ返るような太陽の陽射しは鳴りを潜め、頭上には輝く月と満天の星空が、橋を架けるかのように広がっている。
心地良いそよ風は昼間の暑さを忘れさせ、星空の中、広がる向日葵畑の中を散歩したらさぞや気分は良いだろう。
誰だってそうする。私だってそうする。
流行りなのか、それとも死語になって流れ着いたのか分からないが、常識から外れた現人神が口ずさんでいたフレーズを同じように口ずさむぐらいには、私の気分は高揚していた。
それが……何といえばいいのかしら?
口にすると、その余りの接点の無さに首を傾げたくなるぐらいには、目の前でじっと向日葵を見る「吸血鬼」は、接点がなさすぎる。
そう、吸血鬼。
博麗神社の宴会で、顔を見かける程度の紅魔館の紅い吸血鬼が、私事、花の妖怪風見幽香のテリトリーで佇んでいた。
「御機嫌よう。ここで顔を合わせるなんて、初めてじゃないかしら?」
そう声を掛けたのは、振り返った日常に比例して、視界に入れてから五分以上は経った後だった。
頑なに向日葵を見ていたその身体がピクリと震える。
フリルをふんだんに誂えたピンクの日傘にフリルのドレス。被るナイトキャップにまでフリルが使われており、その出で立ちは華奢な西洋人形のようだ。
憂いを含む紅い瞳と短く切り添えられた蒼い髪は風に揺れ、向日葵をじっと見つめていたその姿は何処か、悲しんでいるようにも見えた。
「……あら? こんな所で会うなんて奇遇ね。花を愛でに貴女も夜のお散歩?」
しかし、それもこちらを振り返ってしまえば、何処か不敵に笑う吸血鬼様の顔にあっという間に変わっていく。
「愛でるも何も、ここは私のテリトリーよ。“太陽の畑”の噂は聞いた事がないのかしら? というか、アンタの所のメイドは来た事ある筈よ?」
可愛げもなく、カリスマ漂わせる幼き永遠の月ならぬ吸血鬼、レミリア・スカーレットは私の言葉に合わせるように、日傘を両手で握ったままうなずいて見せた。
「咲夜からとても綺麗な向日葵畑があるとは聞いていたわ。向日葵と聞いて、その時は興味が全く湧かなかったけれど」
「どうしてかしら?」
「“太陽”を冠しているからよ」
素直に成程と思ってしまったのは、吸血鬼の弱点を考えれば察しは付く。
だが、その割にはさっきまで向日葵をじっと見つめたまま動かないでいたが。
「そう……でも実際、この子達を視た感想はどうかしら?」
率直に、感想を聞いてしまったのは花の妖怪としての性か。
レミリアは私の問いかけにきょとんとした顔を一瞬したものの、直ぐに笑みを象り、じっと見つめていた向日葵を愛でるようにしながら答えた。
「悪くはないわ。大事に育てられたのね。この向日葵達は」
その笑みはとても優しげで、博麗神社の宴会の場等ではまず見ないような表情をしたもので、内心、毒気が抜かれてしまう。
そんな私の内面等気にせず、レミリアは言葉を続けた。
「喰わず嫌いはするものじゃないわね」
「……喰わず嫌いじゃなくて、興味が無かっただけでしょ。アンタは」
「そうかもしれないわね。……この子達は、何か改造でもしてるの?」
「そりゃあ勿論してるわよ。春夏秋冬咲き誇るわよ。この子達は」
「それは何だか勿体ないな」
「言ってなさい。季節が変われば、趣がまた違うのよ?」
他愛ない会話のやり取り。
毒気が抜かれてしまったからか、それとも珍しく花の話をしているからか。
今ここで、直ぐにでも殴り合いになるような自体にさせるのは、無粋かと思ってしまうぐらいの許容はあった。
本来なら会話すら成立しない“立場”である事も、あったのかもしれない。
「なら、もう少し涼しくなったらまた来てみようかしら」
「って、また来る気なの? アンタ」
「花の妖怪がそう言うんだ。実際趣が違うのも見てみたい。あと」
クルリと、優雅にその場で回って見せると、向日葵を愛でていた顔をこちらに向ける。
「アンタ、は無粋じゃないかしら?」
「………なに、名前で呼んでほしいの?」
「レミィと呼ぶのは許さないけれどね。普通は、名前を呼ぶものじゃないかしら?」
その顔に陰りが差したように見えた気もしたが、私はその陰りが差した顔から眼を逸らすようにして、両腕を組んで大きく息を吐いた。
毒気が抜かれるのも、話が成立しているのも妙な気分だったが、今度は名前を呼んで欲しいときた。
「……………生憎、私はどっかの黒白じゃないわ」
そこまでの許容が私にあるかと問われれば、勿論NO。
私の答えにレミリアは残念ねと、小さく笑ったがそれ以上の事は無かった。
……本当に、何もなかった。怒る素振りも、悲しむ素振りも見せず、唯渇いた笑みを浮かべただけ。
「……」
「そろそろ帰るわ。季節が変わった頃に見させて頂くよ。花の妖怪の」
そのまま帰る旨を口にして、優雅にドレスの裾を摘まんでお辞儀をする吸血鬼。
踵を返し、背に生える蝙蝠のような羽根を広げ、飛ぶ体勢に入った。
「……アンタも、名前で呼んでないじゃない」
後は見送れば、少なくとも次の季節まではこの吸血鬼は来ないんだろうなと。
そう思った時には、ついレミリアに聞こえるように口にしていた。
「ん。それもそうね」
引き止めるつもりはなかったが、翼を広げて飛ぶ体勢に入ったレミリアは、顔だけをこちらに向ける。
向けた顔は、微笑むような笑みになっていて。
「無粋だったわ。御免なさい。……風見幽香、だったわよね?」
フルネームで私の名をレミリアが確認した時には、嫌な予感を感じざるを得なかった。
□①
本日は青天なり、本日も晴天なり。
穏やかな熱気に蝉共の合唱で浅い夢からグッドモーニング。
「ふ、あぁぁぁ………」
軽い伸びをしながら腕を回しつつ、身体に掛けていたタオルケットを払ってベッドから立ち上がった。
「………寝足りないわねぇ」
立ち上がりながらも小さな欠伸が出てしまう。
寝足りない理由は分かっているが、口には出さない。
常識から外れた巫女から伝わった話だが、口にすると「フラグ」が建つと言われている。
自己暗示基い、意識しているという認識から、思いも寄らぬ破滅に向かうそうな、そんな話だ。
「………」
その理屈から行くと、頭の中で思ってしまってもフラグなるものが成立してそうだが、無言のまま寝間着の花柄模様のパジャマを脱ぎ捨てて、部屋の端に置かれたクローゼットへ。
クローゼットを開けて白のブラウスを、引き出しからチェック柄のフレアスカートを掴み、まだ目覚めたとは言えない頭で緩やかに着替えながら、ベストと黄色いタイを手に取って寝室から居間へ。
「おはよう」
居間の床や、机に置かれた花達に朝の挨拶をしつつそのまま台所に入ると、習慣通りに朝のハーブティーを作り始める。
思う所はあれど、先ずは寝ぼけた頭を醒ますのが先だった。
テキパキと思考と切り離した動きで、十分後には居間へと戻り、椅子に座ってハーブティーを堪能する。
「……んーっと」
堪能して、切り離していた思考を再度繋げ直せば―――兎にも角にも、今日の行動を決めないと。
(無視するのもいいけれど。……嫌な予感は、当たるものよねぇ)
昨日の深夜、バッタリ会ってしまった深紅の吸血鬼。
紅白の巫女の直感程ではないが、あの吸血鬼がここを訪れたのは、偶然ではないだろう。
何か切っ掛けがあってここを訪れたのは間違いない。では、その切っ掛けは何なのか?
「……分かるわけないわ。そんなの」
ハーブティーを堪能しながら、考えても仕方がない事を頭から振り払う。
あの吸血鬼、レミリア・スカーレットについての情報は、風の噂程度にしか知らないのだから。
強者を虐める基い、弄るのは趣味ではあるが、わざわざこっちから喧嘩を売りに行くような事は滅多にない。
あの吸血鬼は神社の宴会ぐらいでしか顔を会わせた事がないのもあって、接点なんて皆無に等しかった。
「んー。しょうがないわねぇ」
寝癖で立った自分の髪を指で弄りつつ、残っていたハーブティーを一息に飲み干してカップをテーブルに置く。
気にしすぎるのも癪なので、あの吸血鬼の根城である真っ赤な屋敷に行くのは避けたい。
そうなると―――妥当な所であの吸血鬼と“接点がある相手”に話を聞くぐらいだが。
(何か持参しなきゃいけないわね。手ぶらだと、嫌な顔しかしないし)
花より団子、団子よりお賽銭を寄越しなさいと言ってくるような相手の顔を思い浮かべ、少しばかり苦笑い。
二重の意味で。花の妖怪と吸血鬼の共通の接点が、人間なのは実際の所どうなのかしら―――
―――そんな苦笑いを浮かべていたのが、まぁ、大体二刻程前だろうか。
「急に訪ねて来たと思ったら何? 私の仕事増やす気?」
レミリアの話を切り出した開口一番の台詞がこれである。
……人選、もう少し考えた方がよかったかしら?
夏の栄華を成就するべく蝉共が合唱する中、古めかしい神社の縁側から足を伸ばす私と“紅白の巫女”。
この世界、幻想郷なら誰もがその名を知り、人間妖怪神問わず、異変を起こせば捻じ伏せられた経験があるであろう相手。
博麗霊夢と呼ばれる目の前の少女は、人間であり、巫女であり……私が知る中で、最高の相手。
「話ぐらいは聞いてくれたっていいんじゃないかしら?」
じと目で睨んでくる霊夢に対し、私はやんわりとそう口にする。
人差し指をピンと伸ばし、霊夢が手に持つ西瓜を指差しながら。
「む。これはこれ。それはそれよ」
「それが罷り通れば何処でも幅を効かせられそうね。駄目押しするけれど、貴女の素敵な賽銭箱にお賽銭も入れて置いてあげたわ」
「……むむむ」
何がむむむか分からないが、じと目な顔から一転、狼狽するその様子は見ていて楽しい。
霊夢が手に持つ西瓜は私の持参品であり、抜かりなく、博麗神社の賽銭箱にもお賽銭は入れた後であった。
それを察してか、それともニコニコ顔で私がそんな様子の霊夢を見ていたからか、私から顔を背けて庭の方へと視線を向けた霊夢は溜息と共に口を開いた。
「はぁ。……で? レミリアについて詳しく教えて欲しいって、どういう意味でよ? 私もそこまでレミリアの事詳しいわけじゃないんだから、話せる内容も限度があるわよ?」
「あら? それは意外。宴会の時にはいつもあの娘、貴女の傍に居るじゃない」
「勝手に好かれてるだけよ」
にべもなく、そう言い切った霊夢の表情に変化はない。
……あれ、本気で人選間違えたかしら。
「……まぁいいわ。教えて欲しいのはそうねぇ……最近何か聞いてないかしら?」
「? 何を?」
「あの吸血鬼の異変の類」
「あったら私が叩き潰しに出掛けてるわよ」
容赦の無い巫女の言葉にそれもそうねと相槌を打ってしまう。
しかし、あれが異変でないならば何なのか。
本気で花を愛でに来ただけじゃないだろうし、何か絶対にありそうな気がするのだが。
「うーん。それじゃあ何か変わった事とかはなかったかしら?」
「知らないわよ。前の宴会の時には気持ちよくお酒飲んでたし、酔い潰れるかどうかって所で咲夜が連れて帰ったし」
「前の宴会って、何時だったかしら?」
「一週間前よ。幽香も居たじゃない。魔理沙が珍しく紫に絡んで、神社の上で弾幕勝負してた日よ」
「あー……」
霊夢の言葉に思い出した回想は、それなりに鮮明な形で残ってくれていた。
黒白の普通の魔法使いと、八雲の名を冠する大妖との弾幕勝負。
鮮明な形で記憶に残っていたのは、黒白の魔法使いが思っていた以上に善戦したからか。
「それじゃあ、大分時間が経ってるわね」
これは完璧に人選を間違えたかと、心の底から落胆の溜息を吐いて見せる。
「何よ、そのあからさまにこいつ使えないって溜息は」
「あら? わかる?」
「わかるわよ。……紅魔館の連中に直接話を聞くのは駄目なの? 咲夜辺りなら時間を見計らって人里に行けば会えそうだけど」
「あのメイドは駄目よ。多分話を振ろうものなら、“話にならないわ”」
一度戦り合った覚えはあるが、あの瀟洒なメイドと私とでは相性が悪すぎる。主に精神的な意味で。
にべもなく私に却下された提案に霊夢は眉を寄せるも、ワンカットされた西瓜を食べる手は止まらず、平らげてから一息吐いた。
「ふぅ………なら、魔理沙にでも聞いてみるしかないわね。屋敷の人間以外であそこに通ってる物好きなんて他にいないし」
一息吐いたかと思えば、西瓜分と賽銭分の話は終わりとでも言うかのように縁側から立ち上がり、踵を返して居間へと戻っていく。
「もう話は終わりかしら?」
「結論は出たでしょ。私もこれから人里に行くから、咲夜に会ったらそれとなく聞いてあげるわよ」
その立ち去ろうとする背に言葉を投げかけたものの、顔も向けずに言い捨てる霊夢の言葉に食い下がる理由もない。
霊夢が知らないなら他の知ってそうな奴に会いに行くか、帰ってせっせと元気が無くなり始めた一部の向日葵の世話をするかだ。
(まぁ、あの背中に思いっきり殴りかかってもいいんだけど)
というか、殴りかかりたい。殴ってその気になってくれれば私としては実に楽しい展開だ。
そんな邪な感情を抱きつつ―――縁側に置いてあった日傘を掴んで立ち上がる。
「邪魔したわ」
素っ気なくそう言って、日傘を差してふわりと空へ飛翔する私。
向かう先は薄霧が掛かる魔法の森。多分居るであろう昔の縁。
思えば、私はここで気づくべきだったのかもしれない。
「……居るといいのだけど。いなかったらアリスでもからかいに行こうかしら?」
感情とは別に、“何か”に自分の行動が動かされている事に。
□②
霧雨魔理沙という人間の少女が住む場所は、いつも薄霧が立ち込めるような、じめじめとした魔法の森の中。
未だ人間でありながら魔法使いを名乗り、周りからは黒白の魔法使いと呼ばれ、名乗るときには“普通”の魔法使いと名乗る少女。
私とは、浅からぬ縁もあるにはあるが……アレを友人の数に入れていいか、正直な所、微妙な話だ。
(……ここに来るのも、久しぶりね)
魔法の森の中を歩くのは流石に時間が惜しく、空から魔理沙の家の前まで向かう事にしたが、前に来た時に比べてちょっと様変わりしていた。
「いや、ちょっとじゃないわね。“あんな物”は前にはなかったし」
煉瓦作りの昔ながらの西洋風な家に対し、その横に景観や哀愁なんて言葉を吹き飛ばすような竹で囲んだ温泉が設置されていた。
空にまで立ち上る湯気が目印となって見つけやすかったが、それにしたって大雑把に作りすぎだろう。
「……というか、竹で囲んでもこれじゃあ空から覗かれ放題じゃないの」
人間が魔法の森に滅多に来る事はないにせよ、代わりに幻想郷中を飛び交ってるのはネタに必死に奔走する記者達、鴉天狗の妖怪共。
その代表とも呼べるような奴の顔を思い出して―――回想を振り返れば、涙目の天狗の顔がそれなりに面白かったので、ニヤリと笑ってしまう。
「ま、私が気にする事じゃないわね。魔理沙の裸体が暴かれようと記事になろうと」
喜びそうなのは特殊な性癖がある奴だけか、魔法の森の入口に店を構える青年ぐらいか。
内側に蔓延る感情をキリの良い所で切り捨てて、差していた日傘を畳み、家の入口である扉を手の甲で軽くノックする。
トントンと。居間でお茶でも飲んでいれば聞こえるであろう音に対してさて、魔理沙の反応は。
「……ん?」
反応はなかったが、代わりに閉まっていた家の窓が大きく開かれた。
扉を開けずに窓から顔を出すつもりかしら? と、扉の前で止まっていた足はそちらに歩き始めようとしたが。
直後に起きた事態に、私は足を止めざる得なかった。
「ッ!?」
爆発と轟音、同時に窓の外へと流れていく刺激臭。
「だぁぁぁ!?」
次いで聞こえた叫び声に、顔を出す所か身体毎吹き飛ばされる形で地面に転がる白黒の少女が一人。
衝撃が余程あったのか、地面を転がり続けながら叫び声を上げるソレは、森の大樹の一つに頭をぶつけるまで止まらなかった。
「ぜぇ!?」
「…………何してんのよ、アンタは」
ゴツンッと鈍い音が聞こえたが、心配もせずに呆れた顔をして溜息を吐いてしまう。
湯気とは違う白煙がもくもくと空へと昇る窓から離れ、後頭部を両手で押さえながら地面にのた打ち回る少女、白黒の魔法使い、霧雨魔理沙を見下す位置に移動する。
「つつつッ………あ、あれ? 何でお前がこんな所にいるんだぜ?」
後頭部を両手で押さえ、涙目の表情のまま近づいてくる幽香の気配を察してか、顔を上げた魔理沙は私と目が合った。
私はもう一度、魔理沙に対して呆れたような溜息を吐いてから片手を伸ばす。
「貴女に聞きたい事があって来たのよ。ほら、さっさと立ちなさい」
「……私に? 幽香がか?」
伸ばした手を魔理沙は一瞬訝しげに見たものの、素直に後頭部に回していた片手を差しだして、私の手を握りしめる。
握りしめた手から華奢な力を感じながらも、一息で魔理沙を立ち上がらせた。
「ええ。まぁ、先に何をやってたか聞きたい所だけど」
「ああ、これは新しい魔法の実験だ」
地面から立ち上がると、二、三歩後ろに離れてから魔理沙は着ている黒白のエプロンドレスを叩くようにして地面を転がった際に付いた汚れを落とす。
「ふーん。……今度は誰の弾幕のパクリかしら?」
「オマージュって言ってほしい所なんだぜそこは。……で、聞きたい事って?」
叩いた程度では汚れは全部落ちそうになかったが、気休め程度汚れを落とした所で魔理沙は私に本題を聞いてくる。
聞いてきた魔理沙に対し、私は軽口を交えながらも早々に本題を口にした。
「お茶でも飲みながら話をしたかったのだけど。聞きたいのは、紅魔の吸血鬼についてよ」
「“フラン”の事か? あいつがどうかしたんだぜ?」
返ってきたのは―――予想外の答えだ。
「…………フラン?」
「ん、フランじゃなくてレミリアの方だったか? 紅魔の吸血鬼何て言うからどっちかわからなかったんだぜ」
頬を掻きながら苦笑する魔理沙の言葉に、私は眉を顰める。
レミリアがあの真っ赤な屋敷に君臨しているのかと思ったが、違うのだろうか。
「フランの方は宴会所か外にも滅多に出てこないからなぁ……ま、興味がなければ知らないか」
「私が知りたいのはレミリアの方だけど、そのフランって言う吸血鬼は何なのかしら?」
「レミリアの妹だぜ。フランドール・スカーレット。レミリアとは違って羽根が虹色で髪は金髪だがな」
妹という魔理沙の言葉に、私は益々眉を顰めた。
(あの吸血鬼、妹なんていたのね)
知らない事がまた新たに発見された事実を噛み締めつつも、魔理沙の話に耳を傾けた。
魔理沙は両腕を組むようにして考え込む仕草を取ると、唸る様な声と共に口を開く。
「うーん……知りたい事って、具体的に何なんだ?」
「……最近、何か変わった事とかなかったかしら?」
「変わった事? んー……フランじゃなくてレミリアの奴とは屋敷に行ってもたまに顔を合わせるぐらいだしなぁ」
そう言ってうんうんと考え込む魔理沙だったが、ふと何か思い出したのか、あっと小さな声を上げて顔を上げた。
「そういえば、パチュリーの奴が愚痴ってたぜ。またあの二人が喧嘩をして壁を壊したとか、図書室が揺れて本の中に生き埋めになりかけたとか」
「……喧嘩?」
「ああ。というか、何でまたレミリアの事を調べてるんだ?」
尤もな魔理沙の問いであったが、私は首を横に振って答えようとはしなかった。
「ちょっと気になっただけよ。それよりも、そのフランていう妹とレミリアは仲が悪いのかしら?」
「……んー。別に仲が悪いってわけでもないと思うんだが……」
切り返す形で聞いた私の問いに、魔理沙は言葉を濁しながらも話を続けた。
……炎天下の中話す内容としては、さっさと終わらせたい内容だったが。
「幽香はレミリアの生い立ちは知ってるか?」
「……知らないわ」
「なら、今から話すのはフランの奴から聞いた話だから、文辺りに合っているか確認は取ってくれよ」
どうやら話は随分と長いようだった。
魔理沙は暑さのせいか、頬に流れた汗を手で拭うものの、白煙が未だ収まらない家をげんなりとした表情で見つつそのまま話を続けた。
「レミリアとフランは姉妹の吸血鬼だが、双子ってわけでもない。五年違いで生まれてきたらしいんだぜ」
―――五百年の歳月を生きてきた紅魔の吸血鬼、レミリア・スカーレット。
その歳月に五年程遅れ、四百九十五年の歳月を生きてきたフランドール・スカーレット。
吸血鬼と呼べる妖怪は、この二人以外に幻想郷で確認が取れていない。
『鬼』と呼ばれる者達がいても、『吸血鬼』と呼ばれる者達は何処にも見当たらない。
「紅い霧の異変は幽香も知ってるだろ? 私と霊夢はあの異変からレミリア達と知り合う事になったわけなんだが―――」
紅い霧が幻想郷を覆った時、妹であるフランドール・スカーレットの姿はなかったという。
その理由を魔理沙の口から聞いた時、レミリアがどうして太陽の畑に一人佇んでいたか、おおよその見当は付いてしまった。
(ああ、つまりそういうこと)
魔理沙の話を聞き終えれば、私は空を見上げるようにして溜息を吐く。
「……馬鹿らしいわね。どっちにしても」
ああ、本当に馬鹿らしい。
嫌な予感だの、警戒はしておく必要があるかもしれないだの、的外れも良い所だ。
私は聞きたい事を聞き終え、魔理沙から踵を返す。
時間を無駄にしたとは思わない。だが、これ以上レミリアの事について聞く気にはなれなかった。
「ありがとう魔理沙。おかげで知りたい事は大体分かったわ」
踵を返し、話を聞かせて貰った魔理沙に礼の言葉を顔も合わせずに口にする。
そのまま振り返る事なく、手にしていた日傘を差してその場から去るように空へとふわりと浮かんだ。
「……幽香!」
そんな私に対して、見上げるように魔理沙は名前を呼んだかと思えば。
「何があったか知らないが、首突っ込むつもりなら私にも声掛けろよ!」
……ワケの分からない事を口にされた。
「……」
返す言葉はない。
首を突っ込むつもりはないし、仮にあったとしても。
(……面倒な事に、首を突っ込むつもりはないわよ)
その時はらしくない事を、私は行動に移さなければならないだろう。
□③
魔法の森から移動して人里に着いた時には、炎天下のピークだった。
蝉の合唱に負けじと旺盛な人間の声が雑踏に浸透していく。
幻想郷唯一の人間が集団で住まう場所。
魔理沙や霊夢のように一人静かに人間が離れて住む何ていうのは稀で、実際はこちらが“常識”だ。
この人里の中では、人間が表立って妖怪に喰われる何て事は起きない。
色々とそこら辺の話は混みいった物があるが、最近では更に混みいった話として、仏教を広める寺だの、妖怪の山に突如現れた神社の分社だのが里の近くに建てられ、ますます妖怪が人を襲うエリアが狭まったとか。
「……」
まぁ、私には関係の無い話だ。全く以って。
何処かの宵闇の妖怪みたいに悪食でもない。
空が夕焼けに染まるまでもう数刻は掛かる中、喧騒に紛れて私は食い入るように一つの店の前に佇んでいた。
「んー、今年も出来が良くて迷うわね……」
店の前には色鮮やかな花々が並べられており、頬に手を当てながらも唸るような声を上げてしまう。
太陽の畑に咲く向日葵以外にも栽培は行っているが、夏のこの時期は彼等に掛かりっきりで、他の花を愛でる機会も少なくなる。
その為、時折こうやって時間がある時に人里に寄っては花屋を覗き、売られている花々を見て回るのだが。
(キキョウ、ホトトギス、カーネーション、アサガオ、ハイビスカス……絞っても、この子達のどれかって所だけど)
幽香から見ても里で花屋として生計を建てているここは中々“筋が良い”。
「店主、これとこれをいくつか頂けるかしら?」
結局迷うに迷ってカーネーションとアサガオを頂く事にした。
花屋の店主は一礼すると、ニコニコ顔で私が選択した花達を一つは花束に、もう一つは植木鉢毎袋に詰めて私に差し出した。
「いつもありがとうございます。またお越し下さい」
「ええ。また時間がある時にでも寄らせてもらうわ」
差し出された花束を掴み、アサガオの植木鉢が入った袋を腕に吊る下げて通りへと歩き出す。
日傘を差したまま空を一度仰ぎ見れば、伸びる飛行機雲と真っ青な青空が広がっており、夕焼けに染まるまでまだ時間はありそうだった。
「さて、と。この後はどうしようかしら」
お昼はとうに過ぎてしまっていて、昼食を食べるという気分でもない。
(もう帰っちゃおうかしら。する事もないし)
雑踏に紛れながら歩き始めれば、流れに身を任せて里の入口へと向かっていく。
旺盛な人間達の声は蝉の合唱に良く似ていて、その中を歩くのはあまり好きではないが、通りから里の入口に抜けてしまうのが一番てっとり早かった。
何か目的でもあればお店に寄って談笑の一つでもするのかもしれないが―――
「―――ああ、やっと見つけましたよ! 幽香さん!」
―――背中越しにそんな声が聞こえてくれば、私の表情はのっぺらぼうも真っ青の無表情を象っていた。
「………」
往来の中、足を止めずに声がした方をチラリと一瞥する。
視界に入ってきたのは、人間と妖怪が行き交う通りに紛れるようにしながらも、肩で息をしながらこちらへと早足で歩いてくる少女の姿。
身なりは白い半袖シャツにフリル付きの黒いショートスカート。黒髪のセミロングの長髪の上には山伏風の赤い帽子と“天狗”達が履く高下駄を、歩く度にカランカランと軽快に鳴らしている。
その手にはメモ帳代わりに使っている黒い手帳とペンが握られており、如何にも貴女に取材に来ました! ニッコリ! と言った爽やかな笑顔を張りつかせている記者の顔だった。
「………」
「あ、あややや!? 聞こえていますよね!? 幽香さんー!? 清く正しい射命丸文が、貴女に取材に来ましたよー!!」
無視して歩く速度を上げた私に慌てた声が聞こえてくるが、あんな物に関わったら確実に面倒な事になる。
しかし悲しいかな。構わずに黙々と歩く速度を上げたものの、射命丸が移した行動の方が早い。
「とうッ!」
かけ声が聞こえたかと思えば、炎天下の往来に一陣の風が吹く。
突風は一瞬、歩く人々の足を止め、その風に乗るようにして射命丸は跳んでいた。
文字通り往来を歩く人間を押し退けず、高下駄を鳴らすようにして跳躍し、ふわりと浮いたスカートも気にせず幽香の真横に着地する。
一連の射命丸の動きに往来を歩く人間は後にこう語る。見えそうなのに、何も見えなかったと。
「………」
「こんにちは! いやー、今日も暑いですねー!」
何食わぬ顔でテンプレ通りの挨拶をしてくる射命丸に対し、とても嫌そうな表情で応えてやったがニコニコ顔は崩れない。
先ほどの発言からして私を探していたみたいだが、一体何が目的だろうか。
「……何の用よ」
「あはははー、取材ですよ勿論。往来で聞くにはちょっと長くなりそうですが」
「なら帰りなさいよ」
「あややや。そうつれない事を言わないでくださいよ」
歩く足は止まらずに、上げようとした速度を緩めて射命丸と並ぶように歩くものの、笑顔のまま射命丸は気になる事を口にした。
「幽香さんが唯一の“手掛かり”なんですよ。往来で聞くのが駄目ならほら、あそこの茶店にでも入ってくつろぎながらでも」
「……“手掛かり”?」
嫌そうな顔から一転、訝しげな表情になってしまったのは、頭の隅にレミリアの事があったからか。
表情が変わった私を敏く見ていた射命丸は、ここぞとばかりに日傘を持つ私の腕を掴んだ。
「はい。霊夢さんの所に訪ねに行ったら、レミリアさんの事を幽香さんがお聞きに来られたと聞きまして」
「……それが何の手掛かりになるっていうのよ」
「その続きは茶店で。ほら、私が奢りますから!」
本気で抵抗すれば振り解くのは造作もない。
しかし、いつになく強引に茶店へと私を連れて行こうとする射命丸の口からレミリアの名前が出たのを聞いた途端、どうしてか本気で抵抗しようとする気が起きない。
魔理沙から話を聞いた段階で、今回の件は知り合いですらない私が首を突っ込んでも、ロクな事になりそうにないのがわかったというのに。
本気で抵抗が出来ない私を尻目に、射命丸は茶店の入り口前まで来れば、店の常連なのか、何食わぬ顔で入り口の曇り戸を開けて中に入ると、店員らしき人物に手を挙げた。
「こんにちはー! 二名なのですが、席は空いてますか?」
「いらっしゃいませ。はい、奥の席が空いておりますよ」
中は外から見た通りの純然たる和風のお店であり、敷かれたテーブルとお座敷には、既に甘味を味わう為の客が何人か居座っていた。
射命丸は店員の言葉にわかりましたと一声掛けると、ようやくそこで掴んでいた私の腕を放してこちらへと満面の笑みを浮かべたまま振り返る。
「よかったですねぇ。この時間帯だとなかなかここは空いていないのですが、“偶然”奥が空いていたようです。ささっ、幽香さんどうぞどうぞ」
甲斐甲斐しく招き入れるような仕草をして見せるが、ちゃっかりと手にしている手帳とペンは握り締めたままだ。
私はその態度に呆れたような溜息を吐くが、店の雰囲気は和風然としているだけあって落ち着いたもので、炎天下の雑踏を歩いているよりも数段マシだった。
「わかったわよ。先に言っておくけれど、アンタが知りたがっているような情報は持っていないから。それだけは理解しておきなさい」
「はい。大丈夫ですよ。その点については心得ておりますから」
何を心得ているのか主語を言おうとしない天狗の言葉は全く信用出来ないが、私は渋々と店の奥へと歩き出し、唯一空いていた奥のお座敷へと履いていた靴を脱いで上がった。
射命丸も同様に私の後から付いて来て履いていた高下駄を脱いで上がると、何故か後ろ手に個室とするべく襖を閉め始める。
(……用意周到というか、道の往来で私に声を掛けたのは“偶然”ではなさそうね)
他には聞かれたくない話なのか、襖を閉め切って私とは反対側の畳の上に正座の姿勢で座ると、握り締めていた手帳の方のページを何枚か捲り、確認するように口を開いた。
「さて……注文を取る前に確認させて欲しいのですが。幽香さんが霊夢さんの所にレミリアさんの事で訪ねたのは、何か理由があっての事ですよね?」
「……? 理由もなしに訪ねる事ってあるのかしら?」
確認としては酷い前提から聞かれてる気がしたが、射命丸は僅かに苦笑の笑みを取ったかと思えば、頭を掻くような仕草を取った。
「念の為ですよ念の為。気まぐれで喧嘩を売る時もありますし」
体験談ですよと口にされてしまえばむっとした表情を取ってしまう。
確かに気まぐれで勝負をする時もあるが、その言い分だと所構わず私が勝負を吹っかけているみたいじゃない。
「どこぞの⑨じゃあるまいし、私はそこまで横暴ではないつもりだけれど」
「ええ、ええ。ですから念の為です。他意はありません。あ、ここは夏場は水羊羹が絶品でして。お茶はどうされます? 紅茶等も注文できるんですよここ」
露骨な話の逸らし方に私はムスッとしたままだったが、紅茶も用意されているという言葉にテーブルに置かれていたお品書きを手に取り目を通す。
お品書きには和菓子しか品が書かれていなかったが、お茶は和洋中揃えてあるのか、中々のラインナップだった。
「……へぇ、聞いた事もないお茶も揃えてるのねここ」
「どのお茶でもここの和菓子は味が合うと評判ですよ。まぁ、私は暑いので麦茶にしますが」
勿論お酒の方じゃありませんよと聞いてもいない事を口にしながら額から吹き出る汗を射命丸は腕で拭う。
私も暑い中熱いお茶を飲む気にはならない。多少迷ったが和中のお茶にする気にもなれず、アイスティーでいいかと拘らずに決めてしまった。
「私はアイスティーでいいわ。和菓子はアンタのお勧めで選んで頂戴」
「わかりました。では注文を済ませてから本題に移りましょう」
途中途中で話を切りたくないのかそう言って射命丸は席から立ち上がると、襖を開いて店員にあれやこれやと注文する。
暫くして、テーブルにいくつかの和菓子と、頼んだアイスティーや麦茶が置かれれば、射命丸は咳払いをしながら私に対して口を開いた。
「こほんっ。では幽香さん、ズバリなのですが、どうしてレミリアさんの事を霊夢さんに尋ねられたんです?」
「興味本位よ」
「本当に?」
「ええ。それ以外に何か理由があるのかしら?」
テーブルに置かれた水羊羹を口にしつつ、お互いにお互いの腹を探り合う展開になるのは火を見るよりも明らかだった。
レミリアの事は多少気になる、が。
昨日の夜中に突然レミリアが太陽の畑に来た件を目の前の射命丸に素直に話せば、どんな脚色を帯びて記事にされるかわかったものではない。
射命丸は私の顔を覗き込むようにじっとこちらを見つめていたが、ふっと表情を崩したかと思うと、僅かに溜息を吐きながら手帳のページを捲り始める。
「なら、こちらから情報を出しますよ。最近のレミリアさんの動向についても聞かれてたそうですしね」
「……? 最近のって、宴会以外で会ったの? アンタ」
「はい。と言っても本人には直接会っていませんけど。……まぁ、会えなかったと言った方が正しいのですが」
「会えなかった?」
「レミリアさん、書置きを残して行方不明になられたようで」
―――淡々と射命丸が口にした言葉が、上手く頭に入ってこない。
行方不明って、誰が?
「…………理由は?」
「そこは話して貰えなかったんですよ。私が紅魔館の瀟洒なメイド長から教えて頂いたのは昨日の夕方には姿がなかったこと。留守の間はレミリアさんの妹であるフランドールさんが代理の当主として屋敷を預かる事。それをサポートして欲しい旨が書かれていたせいで、メイド長と七曜の魔女がレミリアさんを探しに行けない状態にある事ぐらいですかね」
「…………」
「まぁそんなわけで、捜索も兼ねて私に白羽の矢が立った訳ですよ。幻想郷中を日夜駆け巡っているのは私ぐらいな者ですしね」
頼られる事に慣れていないのか、照れ笑いを浮かべながらそう口にする射命丸だったが、私は冷水を浴びせかけられたような気分だった。
よりにもよってと言うべきか。失踪中に見たことがなかった物でも見るつもりだったのか。
……夕方から姿を消して、手始めに訪れたのが“太陽”の畑とは、どんな自殺願望だろうか。
「吸血鬼って、太陽以外だと何が弱点だったかしら?」
「えっ?」
「……何でもないわ。それで? アンタはどう思ってるわけ?」
「? どう、とは?」
「姿を眩ませている理由」
睨むようにしながらそう問えば、ニコニコと笑みを絶やさずにいた射命丸の表情が僅かに硬くなった気がした。
姿を眩ませた理由はいくらでも考えられるが、目の前の天狗の口から聞くのが早道だろう。
憶測である事は変わりないが。掴んでいる情報の量は明らかに射命丸の方が多い。
「……そうですねぇ。本人から聞いてみない事には分かりませんが……憶測でもいいのなら」
「構わないわ」
射命丸もそれを分かっているのか。
私の返答に対し分かりましたと答えると、笑みを潜めて淡々とした口調で言葉を紡ぎ出す。
「レミリアさんが姿を眩ませたのは……フランドールさんと喧嘩をされたのが原因じゃないかと」
内容としては―――概ね私が魔理沙の所で話を聞いた際、脳裏に過らせていたものと同じだった。
レミリア・スカーレットは、フランドール・スカーレットに負い目を感じている。
四百九十五年間。妖怪の生は長く、あっという間に月日が過ぎ去るような感覚だろうとも、気の遠くなるような年月だ。
そんな気の遠くなるような年月が、フランドールにとっての“生”だ。
レミリアは、実の妹であるフランドールを屋敷の地下に閉じ込め続けた。
フランドールの有していた能力が制御出来ないという理由の為に。
(……あらゆるモノを壊す能力、ね)
言葉通りならば途方もなく、“あの胡散臭い大妖怪が野放しにしようとはまず思わない力だ”。
テーブルに肘を着けながら、私はじろりと射命丸の顔を睨んだ。
「喧嘩をしたぐらいで行方を眩ます理由になるとも思えないけれど」
「唯の喧嘩ならばそうですが。……瀟洒なメイド長の話の通りならば、先ず間違いないかと。喧嘩をされた理由がフランドールさんの外出によるものだったそうで」
「何百年もおとなしく閉じ籠っていたのに?」
「はい。ここ最近の話ですが、よく魔理沙さんが紅魔館に訪れるようになりましたからね。それに、霊夢さんともフランドールさんは弾幕勝負をされたようですし」
「……成程。それは仕方がないわね」
魔理沙はともかく、霊夢と闘り合った経験があるのならば、致し方ないだろう。
霊夢に接触するという事は“そういう事だ”。
自分の在り方、価値観を捻じ曲げられる。それはもう、強烈に。
射命丸も私が納得した理由を悟ってか、軽く苦笑しつつも言葉を続ける。
「本人の口からお聞きしなければ、どちらにしても真相は分かりませんがね。その本人の足取りも中々掴めませんが」
「会った所で太刀打ち出来るとも思えないけれど」
「勝負はしませんよ。ちょっと取材と説得と言い包めをさせて頂くだけです」
「……それは脅迫じゃないのかしら?」
脅すネタをどれだけ握ってるのかこの鴉は。
私の言葉に失敬なと一蹴すると、射命丸は捲っていたページに新たに何かペンを走らせ、スカートのポケットに押し込んだ。
「さて……幽香さんはどうやら本当に唯の興味本位のようですし、私はそろそろお暇させて頂きますね。ご協力ありがとうございました!」
射命丸はそう言うと、こちらへ一礼して立ち上がり、閉めていた襖を開け放ったかと思えば、脱いでいた高下駄を履いていた。
忙しない射命丸の後ろ姿をテーブルに肘を着いたままの姿勢で私は視線だけ向けて見送ろうとする。
レミリアが太陽の畑を訪れた事は話さない。射命丸の話も一先ずは聞くだけ聞いただけの事だ。
(話して目の前の鴉天狗に居座れるのも煩わしいでしょうし)
そのまま射命丸を見送れば、余程の事がなければこれ以上レミリアの事で関わる事もないだろう。
「―――見つけたぞ。天狗の」
そんな事を思っていた矢先だった。
甘味を目当てに集まった客で賑わう店内の中、その声は殺気と共に幽香の耳に聞こえてくる。
開け放たれた店の入り口。日差しを一身に浴びながら佇む少女。
射命丸の背中越しにその少女を視界に入れる。
しかし視界に入れたものの、殺気を滲ませる少女の姿に見覚えはない。
銀とも灰色とも取れる髪を後ろで束ね、その頭には鳥帽子を被っている。
瞳の色は深い蒼。どこぞの胡散臭い大妖怪の式である九尾と似たような白装束に紫のスカートを穿き、履く黒い靴や袖や鳥帽子に、色違いの紐がぶら下がっていた。
背丈は射命丸よりもやや小さいその少女に、見覚えはないのだが。
「あ、あやややや? こ、こんな所で会うなんて奇遇ですね、物部さん―――」
立ち昇らせる殺気を一身に受ける射命丸の方はどうやら顔見知りらしい。
背中越しでもわかる取材で使用する記者スマイルと猫撫で声を射命丸は見せたようだが。
「奇遇、じゃと?」
ブチンッと、何かが切れる音。
いつの間にか静まり返った店内で、それは良く聞こえ。
「それが、お主の最期の言葉でいいんじゃな?」
躊躇いもなく、射命丸に殺気を向ける少女の両手に焔が宿る。
「ッ!?」
行動が完全に遅れた事に舌打ちしてしまう。
何処の誰か知らないが、常識外れも良い所だ。
人里のほぼド真ん中―――人間と妖怪が居る店内でこんな馬鹿な事をする奴がいるなんて!
「ちょ―――」
「太子様に行った狼藉、我が許すと思うてか!! 天狗のッッ!!」
直後、少女の両手に宿った焔は射命丸へと放たれる。
後ろに居る私を含め―――店毎巻き込む業火の炎となって。
■④
―――反応出来たのは、苦虫を噛み潰したくなる心境だったが、私だけだった。
大蛇の如く伸びる炎。
獲物を飲み込み、塵芥も残さず消し炭にしようとする炎を前に取った行動は放たれた“弾幕”の相殺。
咄嗟に周囲を守るように向日葵の形をした弾幕の盾を左右に放つ。
そして、先程購入したアサガオとカーネーションの花束を前面に投げれば、妖力によって急激に肥大化し、向日葵同様弾幕の盾となる。
本日二度目となる爆発と白煙が巻き起こったのは、花の弾幕と炎の弾幕がぶつかった直後だった。
「何じゃ!?」
「! 風符ッ!!」
溢れ出た妖気と己の炎が相殺され、白煙が広がる光景に驚く声を上げた少女だが、宣言と共に吹いた突風を避けんが為に後ろへ跳んだ。
風は白煙を切り裂き、刃となって少女を襲うも、仰け反るようにしてかわして見せれば店の入り口が代わりに破壊音を響かせる。
「……チッ、外しましたか」
「―――外しましたか、じゃないわよこの馬鹿天狗」
「げふん!?」
悲鳴が上がり、甘味を味わっていた客が慌てた様子で壊れた入口から急いで逃げ出す中、射命丸の背中を思いっきり蹴ってやった。
そのままうつ伏せになって地面に倒れるが、構わずにそのまま後頭部を踏んづける。
「ぎゃふん!? ちょ、幽香さん! 幽香さん! 痛い、痛いです!? 止めてください死んでしまいます!?」
「痛くしてんのよ。出来れば殺してやりたいわ。苦しんで苦しんで死んでくれると尚良いわね」
バタバタと射命丸はうつ伏せの体勢のまま抗議の声を上げるも、私は髪を掻き揚げながらじろりと射命丸を見下ろした。
何が何だか分からないが、巻き込まれたのだけは明白で、その原因の一端が射命丸にあるとなればどうして許しておけようか。
後頭部を踏みつける足に更に力を込め、骨が軋むような嫌な音が響き始める。
―――同時に、従業員さえ避難した誰もいない店内に、再度足を踏み入れる音が響く。
「ッ!?」
私に頭を踏まれながらも、射命丸が息を呑んだのが伝わってくる。
風の刃をかわした少女―――物部と言う少女が私を睨むようにして再び店内に足を踏み入れたが為に。
「……率直に聞こうかの」
向けられる殺気は射命丸ではなく、私へと完全にシフトしている。
横槍が入るとは思っていなかったのだろう。実際、私が手を出さなければ必殺の間合いだった。
それを完璧に防ぎ、あまつさえ反撃の手を与える切っ掛けを作った私が、何故か射命丸を踏みつけている状況だけが理解出来ないのか。澄んだ蒼い瞳が私を捉えて離さない。
「お主、誰の味方じゃ?」
「私は私の味方よ。常識知らずの誰かさん。貴女、ここで弾く意味、分かってやってるのでしょうね?」
即答してやれば、あから様に眉を顰める態度を取る物部だったが、無論だと強い口調で返してきた。
「ここでのルールがあるのは承知の上じゃ。じゃがな、妖怪の。我が慕う太子様をコケにされ、おめおめと退いたとあっては太子様に顔向け出来ぬ」
「……あえて聞くけど、何をしたのかしら?」
「お主に言う必要はない。我が用があるのはそこでもがいておる鴉天狗のみ。そ奴を差し出すのならば見逃してやろう」
―――聞く耳持たない傲慢極まりないその口調に、笑みが零れてしまったのはご愛嬌だ。
ヤッバイ。コイツ泣かしたら楽しそう。
「へぇ? 見逃す、ね」
「ああ。我はこれでも寛容じゃからな。妖怪が害悪である事に変わりないが、それぐらいの許容はあるのじゃ」
「そう。それはそれは」
えへんと胸を張って答える物部に、私は構わず拾い上げていた日傘の先端を向けた。
「……? おい?」
「私を相手に良くぞ言ってくれたわ。世間知らず」
途端、日傘の先端に収束する魔力。
それは先に見せた妖力の比ではない。
弾幕の枠内でありながら弾幕には程遠く、黒白の魔法使いも十八番にして扱う極光魔法。何を放とうとしているか物部も感じ取ったのか。瞬く間に顔を強張らせ、両手で印を結んだかと思えば、結界らしき物を前面に展開する。
「あ、あやややや!? ここでマスタースパークは不味いですって―――」
足元から何か喚く声が聞こえた気がしたが、聞こえなかった事にして放つ。
放たれた閃光は物部が展開した結界と即座にぶつかった。
「ぬ、おおおおおおおおおッッ!?」
閃光の中聞こえてきた怒号と爆音。
かわせる距離じゃないと判断した途端、防ぎにかかるその思考に内心舌なめずりをしてしまう。
ほぼ近距離でのマスタースパークによる閃光が終われば、物部は衝撃によって後ろに後退していたものの、それでも未だ店内に残っている。
「ゼェー!、ハァー! ハァー!」
防ぎ切ったと見るや、結界を解いて肩で息をしていたが。
しかしまぁ、マスタースパークをこの近距離で防ぐぐらいならば弱者ではないだろう。
「……いいわね貴女。この喧嘩、買おうか買わないか迷ってたけど、買うことにするわ」
売られた喧嘩は買う主義だが、それでも今日はあまり乗り気ではない。
なれど、初手でマスタースパークを防がれたとあっては血が騒ぐ。
射命丸を踏みつけていた足をそっとどけ、前に出るようにして歩き出せば、肩で息をする物部が僅かに狼狽しながら声を荒げた。
「じゃ、じゃからお主には用がないと……!」
「貴女に用がなくても私に用が出来たわ。安心なさい。貴女をのしてから私を巻き込んだ天狗にもお灸を据えてあげるから」
優先順位がちょっと変わっただけよと。
満面の笑みで言ってやれば、物部の表情は息を呑んだものとなり―――そんな表情をされてはもうこちらも我慢の限界だった。
一息で懐に飛び込み、横薙ぎに日傘を振るえば触れる物全てを破壊する竜巻と化す。
「ぬおッ!?」
仰け反る所か地面を転がるようにして日傘をかわせば、物部は店の外へと脱兎の如く駆け出した。
横薙ぎにて払った日傘の攻撃は何とか原型を残していた店の入り口を完全に破壊し、遠巻きに様子を窺っていた往来の住人達を震え上がらせる。
悲鳴が飛び交う外へと出れば、物部は躊躇なく地面を蹴って飛翔し、くるりと反転しながらその両腕に再び宿した炎を掻き集め、雨のように私へと放った。
「あら、空で戦るの?」
放たれる火球は一つ一つが人間の頭程。
何十と放たれたそれらを丁寧に一つずつ、日傘を振るって掻き消しながら私も同様に空へと上る。
(邪魔が入るまで大体五分って所かしら。誰が介入してくるかにもよるけれど)
上りながら、眼下に広がる人里を一瞥しつつ時間がどのぐらいあるか見積もっておく。
地上ではないとは言え、人里の上空で本格的に弾幕勝負が始まれば、正義感に熱い者なら黙って見ていてくれはしないだろう。
見積もった時間で目の前の物部を叩き落すべく視線を向ける。
物部は飛翔するのを止めて空中で制止すると、私と距離を取りつつ声を上げた。
「……これじゃから妖怪は嫌なのじゃ。我が物顔で首を突っ込んで来おって!」
その瞳は怒りに揺らめき、空の上で地団駄を踏む仕草は見た目に準じた、少女らしく可愛らしいものだった。
その両腕に纏う焔が、より一層燃え上がるように肥大化していなければの話だが。
「火遊びが好きなのね」
「ハッ! 我の焔は仏すら焼き払う業火じゃ! 火遊び程度で済むと思うてか!!」
肥大化する炎に順ずるが如く、物部の周囲に熱気が篭められた風が集まっていく。
炎を弾幕にする不死人を知っているが、アレは己の肉体を燃やし、生命ある炎となって弾幕を放つと言った代物だった。
物部が掻き集めようとしている焔もそれに近いものがある。
「炎、符ッッ!!」
違うとすれば、それは憎しみに満ちた光だ。
生命が消える事を嘆くわけでも、新たな生命が祝福されるような輝きはそこにない。
人間らしい怨嗟の塊。燃えてしまえ、燃えてしまえと、何もかも燃やし尽くす事に喜びを覚えるような、醜悪に満ちた光。
スペルカードの宣言を行った事により、業火の焔は先とは比べ物にならない量となって私に殺到する。
「んー」
集った風に煽られ、まるで寺を燃やす勢いで撒かれる炎に対し、私が取った行動は単純極まりない。
宣言をするわけでも、迎え撃つわけでもなく、殺到する焔の群れに自ら飛び込んだ。
「!?」
弾幕勝負を見慣れていない者から見れば、それは単なる自殺行為にしか見えなかった事だろう。
事実、業火の弾幕を放った物部は、目を見開くような驚愕の表情で炎に飛び込んだ幽香を見ていた。
(……あんまり弾幕勝負には慣れてないのかしら)
物部が驚いた顔は、私の方からも見えている。
飛び込むように炎の中へと入ったが、実際は直撃していない。
ギリギリの所で身体を捻るようにしてかわし、隙間を縫いながらグレイズを行って物部の眼前に向かうために移動していく。
スペルカードで迎え撃つのでもよかったが、お互いに遠距離からの撃ち合いとなれば時間はあっという間に過ぎていってしまう。
加えて、先ほどの近距離にも関わらず、マスタースパークを防がれた結界がある。
(泣かすなら、確実に一撃で)
肌が焼けるような熱さを感じながらも笑みは止まらない。
一撃でも直撃すれば動きが止まり、この身は業火に焼かれ地上に堕ちるだろう。
それが分かっていながらも笑みが止まらない。
突破すれば。
殴り倒せば。
この勝負に勝てば。
見れるであろう―――“強者が崩れる瞬間を想像するだけで笑みが溢れ出る”。
「……!! 舐めおって!」
かわしながら徐々に接近しつつある私を見て、物部は激昂するように吼えた。
放つ炎を束ねるように、両の手から噴出す炎は螺旋を描き、阻む盾へと変化する。
断絶される一方通行。残り数十メートルの距離まで近づいていた状況で、後退の二文字は頭になく。
「よい、しょッ!!」
完全に阻まれたのならば打ち崩すと、日傘で炎を斬り払うために上段から薙ぐ。
燃える空を切り裂くように、日傘による一閃はたやすく炎の盾を割り―――割れた炎の先から躍り出るようにして、一瞬その姿を見失っていた物部が目の前まで接近している。
「たわけ! 貰ったわッ!!」
先程とは動きが違う。加速するように動いた物部の肉体は淡い光で包まれており、空の上で舞うようにして放たれた回し蹴りには、足の爪先にまで霊力が通っている。
術による肉体強化。それが何かを悟った時には、目の前の物部が何者であるかを理解出来た。
「―――嬉しいわ」
乾いた音が掌から聞こえた時には、物部が放った蹴りを受け止め、逆に足首を受け止めた手で握りしめる。
「ッ!? な……」
「まだ、“仙人”は泣かした事がなかったのよね」
そのまま上に持ち上げるようにして吊るし上げれば、物部は驚いた声を上げながら重力に負けそうになる自身のスカートを片手で押さえ込んだ。
「ぎゃー!? は、離さんか妖怪!! このような恥辱を受けて黙っておる我ではないぞ!?」
「あらあら、恥ずかしいの貴女?」
「恥ずかしいに決まっておろう! いいから離さんか―――」
「い・や・よ」
頬を紅潮させ、喚く物部を見下ろしながら残忍に笑う私。
ああ、ゾクゾクする。彼女の生殺与奪も辱めも、この瞬間は私が全て握っているのだ。
物部は振り子のように喚き、抗議の声を上げるが、腹部を撫でるように日傘の先端を押し付けてやれば、息を呑むような、悲鳴染みた声が耳をくすぐった。
「先に仕掛けてきたのは貴女よ。それに対して私は応えて上げたのだから、勝者として当然の権利を要求するのは当たり前じゃないかしら?」
「わ、我はまだ、負けておらん……!」
「へぇ? お腹に穴が開いても、そんな事を言えるかしら? その体勢じゃ結界も作れないでしょ?」
笑顔でそう言ってやれば、頬を紅潮させていた物部の表情がたちまちの内に青ざめる。
茶店で涼んでいた身体は夏の暑さと炎による熱さのおかげで玉のような汗を全身から流しつつも、物部の青ざめた表情を見れば嗜虐心がくすぐられて心地良い。
空から落とすつもりだったが、相手が⑨の類だったおかげで勝負は決した。
物部は宙吊りの格好のまま私を睨み付けるが、日傘を腹部に押し付けられている状態では何も出来やしない。
「ぬ、ぬぐぐぐ……我が妖怪なんぞに……」
「泣きながら御免なさい、もうしません、許してください幽香様って言ったら離してあげるわよ?」
「誰が泣くか! ええい、どうしてこうなったんじゃ!?」
「自業自得じゃないかしら。それよりも、本当に泣かないの? 鳴いてイイノヨ?」
「泣かぬし媚びぬし平伏さぬわ!! 我に先の閃光をやって見せよ! 相打つ覚悟でお主も焼いて見せるわッ!!」
「あらあら。まだ吠えられる元気があるなんて」
本当に可愛らしいぐらいの気構えで、へし折ってやりたくなる。
腹部を撫でていた日傘の先端は下へと下がり、僅かに膨らんだ胸を通過しつつピタリと物部の頭に照準を定める。
途端、キャンキャンと犬のように吠えていた物部の顔が、僅かに歪んだ。
「……お、おい? お主、何を」
「え? 焼かれても困るから確実に頭を消し飛ばそうと思ったのだけど?」
「!? な、ならん! それは駄目じゃ!」
「あら? どうして?」
本当に不思議そうに首を傾げてやれば、物部は顔を横に激しく振りながら声を振り絞る。
「それでは確実に死ぬではないか! 頭が消滅して生き残った尸解仙なぞ聞いた事もないぞ!?」
「お腹に穴を開けて生き残った仙人も聞いた事なんてないわね。ならどちらにしても同じじゃなくて?」
「鬼かお主は!?」
「残念ながら鬼ではないわ。花の妖怪よ」
「そういう事を言うておるわけではない!! ええい、どうしてこうなっ―――」
「自業自得じゃないの? というかいい加減にしなさいよあんた達」
―――喚く物部とは違う、凛とした少女の声。
背中越しに聞こえたその声に振り返れば―――呆れた顔をしながら両腕を組む霊夢の姿と、何故か頭に大きなタンコブを作り、涙目のまま付き従う射命丸の姿があった。
□⑤
「博麗の! 何故お主がこやつ等を庇い立てするのじゃ!? お主は妖怪退治を生業とする巫女ではなかったのか!」
喚く声は継続中。なれど、物部の声は虚しく往来に響くばかり。
霊夢の仲裁によって空から降りた私達だったが、人里の往来に降りれば待っていたのは怒り昂ぶる人里の守護者によるヘッドバットであった。
射命丸は空に上がる前にそれを喰らっていたのか、新たに喰らう事になったのは物部だけだったが、それでも納得出来ないのか。
今も尚仲裁を行った霊夢に対し、壊した茶店の入り口前で異議を唱えている。
「ああ、もう。耳元で騒がないで頂戴」
「これが騒がずにいられるか!? お主は人と妖、どっちの味方なのじゃ!?」
「私は私の味方よ。ったく、首を突っ込みたくて突っ込んだわけじゃないのよ? 里で喧嘩するなって言ってるだけで、外で弾く分には誰も止めやしないわよ」
その代わり、その時は自己責任よと顔を近づけ、捲くし立てる物部の額を指で押すようにしながら霊夢は忠告する。
その様子を日傘を差しながら見ていた私はというと、若干不完全燃焼を感じざるを得ない。
まだ泣かしてもいないし本格的に虐める前だったのが原因なのは明白だが、霊夢が仲裁に入った途端、テンションは下がる一方だった。
「……はぁ」
「……あのぉ、幽香さん? 溜息を吐いている所申し訳ないのですが……」
そんな心境を他所に、射命丸の声が“下”から聞こえてくる。
「なによ、駄天狗」
「駄……! い、いえ、確かに私が色々と迂闊でしたが、いい加減、許して貰えませんか……? その、この炎天下の中、地面に伏せているのはかなり辛いのですが……」
射命丸は現在、うつ伏せの体勢で私の“椅子”代わりとなっている。
往来を歩く者から見たら異様な光景ではあったが、射命丸の背に座っている人物が風見幽香と分かるや否や、触らぬ者に祟りなしと近づく者は皆無であった。
そんな周りの心境を知ってか知らずか、射命丸の懇願をにっこりと笑いながら一蹴する。
「駄目よ。本来だったら畑の養分にしてやりたい所を椅子代わりにする事で溜飲を下げてあげようとしてるのだから、むしろ感謝なさい。……それはそれとして」
この話は終わりと言わんばかりにそう言い捨てながらも、言葉を続けた。
未だ抗議の声を霊夢に上げている物部だが、引き下がれない肝心の理由は、太子様と呼ばれる者が射命丸に辱められたから、らしい。
その理由を私は未だ射命丸の口から耳にしていない。
「実際の所何をしたのよ。その太子って呼ばれる奴に、何かしたのでしょう?」
「………イイエ? ナニモ? 清く正しい新聞記者であるこの射命丸が、何かすると思いますか?」
何故か喋りたがらない鴉天狗がここに一匹。
「……ふぅん」
「え、あ、ちょ!? ゆ、幽香さん何をされるんですか!?」
「別に? 何も? ただちょっと暇を潰せるような虐めってないかしらって考えただけよ?」
「おもいっきり悪意が篭ってるじゃないですかー!?」
その口を割るのは造作もない。彼女は今は椅子であり、私がその背に座っている限り無防備な事この上ない。
―――例えばの話、巷で噂されている一部の絶対領域なる桃源郷を、今この場で周囲に披露してやる事も出来るわけだ。
「悪意なんて篭ってないわよ? うっかり手が滑って貴女自身が記事になるような事件が発生するだけの話よ」
「それが悪意って言うんです……! って、本当にご勘弁を……!? お嫁に行けなくなっちゃいますよ!?」
「大丈夫よ。お嫁に行けなくなったら引き取ってあげるわ。貴女ならきっと良いお嫁さん(養分)になれるわよ」
「副音声入りましたよね今!? ああもう分かりました! 分かりましたから!! 言います。言いますからスカートから手を離して下さいお願いしますッ!!」
椅子になりながら土下座をするという器用な真似をしながら懇願する射命丸に対し、そこでようやくスカートから手を離してやった。
射命丸は肩で息をしつつも地面に目を遣り、その顔色を私に見せないまま観念したかのようにポツリ、ポツリと語り始めた。
「……レミリアさんの足取りを探す為に幻想郷中を飛び回っているのは、先程お話しましたよね……? 物部さんが太子と呼ばれている尸解仙、豊聡耳神子さんの下にも念の為、訪ねに行ったんですよ」
―――豊聡耳神子と呼ばれる者は、欲を聞く事に長けた仙人らしい。
情報の出所は、現人神、東風谷早苗によるものだった。
彼女曰く、豊聡耳神子は外の世界では有名すぎる程の為政者であり、聡明な彼女とレミリア・スカーレットが接触していれば、何故いきなり行方を眩ませたのかも分かるかもしれないと。
訪ねた理由としてはとても安易な物であったが、幻想郷中を巡る文としては、一つずつ可能性を潰していく作業の一環に過ぎなかった筈であった。
実際に、足を運んでみればレミリア・スカーレットの姿はなかった。
当然であった。豊聡耳神子が住まいとする場所は幻想郷ではない何処か、胡散臭い大妖怪である八雲紫が扱う『隙間』に移住空間を設けたような場所であり、偶然にも射命丸は豊聡耳神子がその異空間から出てきた所を訪ねる事に成功したと言った具合だったのである。
そんな異能空間が出来ている事を知らなかった射命丸としては、それだけで一つ記事が出来そうな内容であったが、実際に豊聡耳神子に取材も試みれば、射命丸が鴉天狗であろうとも、彼女は快く取材に応じてくれた。
「で?」
「…………取材は無事に終わりました。レミリアさんの事も聞いてみましたが、流石に会った事もない者の欲は聞く事が出来ませんよと言われてしまいましたが」
問題は、その後である。
取材を終えた射命丸は、次の取材先へと向かう為に急ぎ足でその場を後にしようとした。しかし帰ろうとした際、履いていた高下駄が何かに引っかかり、不意に体勢を崩した所を豊聡耳神子が支えようとして、そのままもつれ合うように倒れてしまうという出来事が起こった。
一体何に足を引っ掛けたのか、それに対して視線を向ける前に、もつれ合うように転がった視界には先程まで取材を行っていた豊郷耳神子の顔が眼前に広がっており―――。
「……あぁ、成る程。それはアンタが悪いわね」
「あ、あややや……! ま、待って下さい。待って下さい……!! 最後まで話を聞いて下さい! 別に何もなかったんですよ!? ただちょっともつれあって転がっただけで、しかも翌々足を引っ掛けた先を見たら死体が埋まっていてその頭に足を引っ掛けたというだけの事で……!」
「はいはい。つまり貴女は何も悪くないって言いたいわけね。いやらしいわね」
「信じる気ゼロじゃないですかー!?」
下で慌てふためく声を上げる射命丸の動揺っぷりは先程よりも激しい。
どうやらそう言った情事や色恋沙汰には慣れていないようで、実際に何もなかったんだろうなと内心思いつつも、虐めてしまうのは性か。
「はいはい。信じてあげるから。それで? その後どうなったのかしら?」
「………うぅ。その、もつれあって転がった私と豊聡耳さんを物部さんが発見されて、どうやら私が豊聡耳さんを襲ったと勘違いされているようで……」
弁解の余地もなく、問答無用でその場で弾幕勝負となった所を撒いてきた結果、先程の茶店で捕捉されて先の弾幕勝負に繋がったわけのようだ。
「本当にとばっちりも良い所じゃない。この駄天狗」
溜息を吐いて話を聞き終えた私は、感想の言葉をその一言で締めくくり立ち上がる。
立ち上がれば―――霊夢達も話が纏まったのか、この炎天下の中これ以上居たくないと言った表情を隠さずに披露する霊夢と、射命丸ではなく、明らかに私を睨みながら近づいてくる物部が口を開いた。
「花の妖怪、と言ったなお主」
「ええ。巷じゃフラワーマスター何て呼ばれているわ」
自称であるが、そう言ってやると睨む視線はそのままに、私を指差すようにして物部は言葉を続けた。
「我は妖怪を“悪”だと思っておる。お主等のような者が存在する限り、この幻想郷は人間にとって仮初の平穏を過ごしておるに過ぎん」
「……へぇ。それで?」
真っ直ぐにそう言い放った物部を見て―――ゾクゾクしてしまったのは、きっと私のような物好きだけだろう。
物部は宣言するように、己の在り方を間違わぬように言葉を紡ぐ。
「今日の屈辱は忘れぬ。……必ず、お主とそこの天狗は滅して見せよう」
「期待しないで待ってるわ」
純粋な殺意を浴びながらも、私は微笑みながら言い返した。
次に会った時は、純粋な“殺し合い”になるかもしれない。
貴重な敵意に身震いしてしまうのも、妖怪としての性だろうか。
物部は、暫くの間こちらを睨んでいたが、被る鳥帽子の位置を手で直しながら踵を返し、ざわめく人の往来を掻き分けるようにして立ち去った。
「……嬉しそうねアンタ」
「あら? そう見える?」
立ち去る物部を見送りながら、額に掻いた汗を袖で拭いつつじと目でこちらを睨む霊夢に対し、私は笑顔のまま応えてやる。
「はぁ……全く、お願いだから私の仕事を増やさないで頂戴。慧音は慧音で頭突きだけして私にここを任せるし、もう散々よ」
「信頼されているようで何よりじゃない。私としては残念な結果になってしまったけど」
霊夢が居なければあの娘の心をへし折ってやれただろうにと。
心底残念だったが、その分次に巡りあわせた時は楽しそうだ。
そんな私の心境を知ってか知らずか、両腕を組むようにして霊夢は更に溜息を吐くと、片目を瞑るようにして私を視た。
「幽香」
「? 何かしら?」
次に会った時はどうしてやろうと想いを馳せる私に対し。
「アンタ、“いつからそんなに優しくなったの”?」
―――妙な事を、霊夢の口から聞く羽目になった。
「………………………え?」
往来を歩く人の声も、謳歌する蝉の声すら遠くなった気がした。
高揚していた気持ちに対して、冷水を浴びせられたような気分。
霊夢の口から紡がれた言葉が、正しく認識出来ない。
「……慧音がアンタに対して頭突きを行わなかったのは、茶店に居た連中が“花の妖怪が助けてくれた”って話を聞いたからよ」
高揚とは違う、不規則な心臓の高鳴りに不快な感触を覚える。
狼狽する様子を表に出してしまったのは一生の不覚であったが、それ以上に振り返って自分の行動を考えてみれば、らしくない行動を取る自分が居る事に眩暈を覚える。
「……私が、人間を助けた……?」
否定する事は簡単だ。物部の弾幕を受け止める為にこちらも弾幕を展開したに過ぎないと。
では―――どうしてあの時、霊夢に殴りかかろうとしなかったのか?
「ちょっと、幽香?」
吐き気が込み上げる。
自分ではない“何か”に行動を握られているかのような感触。
そもそも―――どうして今日は、こんなに躍起になってレミリアの事を調べようと思ったのか?
「……………………」
夏場だというのに、嫌な悪寒が背筋を這っていく。
このままここに居るのは不味い気がした。
何もかもぶち撒けてしまうような感覚。
私じゃない“何か”が、壊滅的に私を崩壊させるようとしている―――。
「……帰るわ」
眩暈を覚え身体をふらつかせるも、絞り出すようにそれだけ口にすると、ゆっくりと踵を返す。
「――――――」
背を向ける私に対して霊夢が何か言った気がするが、それすらもう耳に入ってこない。
まるで壊れた人形のように、太陽の畑までの帰路を歩き出した。
■⑥
―――今日の事を振り返れば、予想出来た光景かもしれない。
朝から夕方にかけての噎せ返るような太陽の陽射しは鳴りを潜め、頭上には輝く月と満天の星空が、橋を架けるかのように広がっている。
心地良いそよ風は昼間の暑さを忘れさせ、星空の中、広がる向日葵畑の中を散歩したらさぞや気分は良いだろう。
誰だってそうする。私だってそうする。
流行りなのか、それとも死語になって流れ着いたのか分からないが、常識から外れた現人神が口ずさんでいたフレーズを同じように口ずさむぐらいには―――先日起きた光景と、それは余りにも同じであった。
「…………、」
違うとすれば、気分は高揚していない。
背筋を這い回る悪寒は夏の物ではなく、向日葵畑に佇む相手は、鬼の類に違いない。
ソレは昨日と同じように、畑に咲く向日葵達をじっと見ていた。
フリルをふんだんに誂えたピンクの日傘にフリルのドレス。被るナイトキャップにまでフリルが使われており、その出で立ちは華奢な西洋人形のよう。
憂いを含む紅い瞳と短く切り添えられた蒼い髪は風に揺れ、向日葵をじっと見つめていたその姿は何処か、悲しんでいるようにも見える真紅の吸血鬼。
行方を現在眩ませている筈の紅魔館の主、レミリア・スカーレットが佇んでいる―――。
「………ハッ」
眩暈がする光景に対し、鼻で笑って一蹴したのは“何か”に対しての抗いか。
歩みを止めていた足を動かし、私は佇むレミリアに声を掛けた。
「ご機嫌よう。秋にはなっていないけれど」
私の声に反応するように、レミリアの視線は向日葵から私へと移り変わった。
身体を震わす事もなく、まるで私が来るのを待っていたかのように。
真紅の瞳は私を捉え、離さない。
「……御機嫌よう、風見幽香。涼しくなってから来た方が良かったかしら?」
「いいえ。この子達を愛でに来るのなら、いつだって大歓迎よ?」
憂いを帯びた瞳はそのままに、幼い容姿に似合わぬ妖艶な笑みは歓迎をしているつもりなのか。
差していた日傘を折り畳み、腰に手を当てて深呼吸を行えば、這うような悪寒は一時的にせよ消えてくれた。
「愛でに来るのならね。ねぇ、レミリア・スカーレット。貴女、何が目的でここを訪れたのかしら?」
回りくどい事はこれ以上御免だ。
単刀直入に何が目的でここに来たかを問えば、レミリアの笑みはそのままに、何処か遠くを見るような眼差しで答えた。
「明確に目的を持ったつもりはないわ。白状すると、単なる気分転換よ」
「……本当に?」
「ええ。小旅行と言ってもいいわね。ぶらり一人旅なんて、素敵じゃないかしら?」
「そうね。確かに素敵な響きだわ。私に迷惑が掛からないのなら」
レミリアの笑みに、私も無理やり笑みを象るが、日傘を持つ手が汗で滲む。
緊張でもしているのだろうか。
目の前の真紅の吸血鬼とまともに弾幕勝負を繰り広げた覚えはないが、そこまでの脅威を感じ取った覚えはない筈なのだが。
レミリアは、きょとんとした顔になると、私に対して首を傾げた。
「迷惑かしら?」
「花を愛でに来ただけなら、迷惑じゃないわね」
「それなら迷惑を掛けた覚えはないわね」
ケラケラと笑いながらそう口にするレミリアだったが。
「―――あぁ、でも残念ね」
付け足すように、レミリアは私に告げた。
「これから迷惑を掛ける事になるわ。……ねぇ幽香」
名を呼ぶレミリアの真紅の瞳は、私を捉えて離さない。
流れていた風が止めば、今か今かとざわめくように。
「私と勝負をしましょう。賭ける物はそうね。お互いの尊厳でどうかしら?」
悪魔の囁きが、戦いの火蓋を切らせた。
それ以上は言葉が続かない。
何のために勝負をするか。
どうしてレミリアは私に挑むのか。
私に、一体何をしたのか。
全てを呑み込み星空の中を飛べば、瑣末な事となって消えていく。
―――何て事はない。これは異変でもなく、壮大な物語にも値しない単なる喜劇。
孤高を愛する花の妖怪と、孤高を知る吸血鬼が、共に歩む事になるお話である。
続き、楽しみにさせていただきますね。
導入としてはかなり心惹かれる部分がありました。
次も期待。
次作も楽しみに待ってます。
楽しみです
でも差がつく面白さ。
コメディ要素はちょっと余計に感じたかな。
香が戦うと大概レミリアが勝っちゃうんだよなぁ。幽香って噛ませ
犬として便利なのかね、なんて幽香ファンとしては少し悲しかった
り・・・。
そのあたりも含めて続編に期待してます。
続きが気になる!
・・・何よりゆうかりんかわいい
どちらが負けても噛ませにとどまらない気がする!