Coolier - 新生・東方創想話

嗚呼虚しき代理戦争

2012/08/13 17:39:13
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 退屈だ。
 永遠に続く命を以て、永遠に続く殺し合いを繰り広げる日々。そんな変わりない日常を、何百、何千繰り返しただろう。
 積み重ねた怒りも、怨嗟もとうの昔に風化して、今や残っているのはただ習慣としての闘争のみ。その先に辿り着くものなど、最早残っているはずもない。
 そんな時。気づいたのは果たして私だっただろうか、彼女だっただろうか。
 一つ、あったのだ。この変わり映えのしない争いを、争いのまま、遊興のまま、まったく異なる形へと昇華する術が。
 そう、即ち――

   ■ ■ ■

「……で、どうしてこうなるんですか……」
 げんなりと肩を落とし、問いを放つ少女が一人。
 さらりと腰まで伸ばした銀の髪は、微か薄紫に月明かりを照り返している。それを割って伸びるのは、細長い兎耳。身に纏っているのは深い紺のブレザーと淡いピンクのスカート。
 その全てが、彼女の辟易とした感情を体現しているかの如く、しおしおとよれていた。
「何よイナバ、今説明したところじゃない」
 その少女に相対する影は、鈴仙とは対称的な黒く艶やかな髪を揺らしながら、自慢げに言って胸を逸らした。上品な着物の裾から覗く肌は磁器のように白く、細くしなやかな肢体と相まって芸術品を思わせる印象を醸し出している――が、その面貌に浮かんだ無邪気な笑みは、些か不釣り合いと言わざるを得ない。
 片や月の兎――玉兎の鈴仙・優曇華院・イナバ。片や不死たる月の姫、蓬莱山輝夜。竹林にある永遠亭の、従者と主にあたる二人は今、その顔を見交わして言葉を投げ合っていた。
「要するに、私も妹紅もお互い殺し合うのに飽きちゃったから、物は試しってことで、一度代理を立てて戦わせてみようってことになったのよ。私の代理は当然貴女ね」
「どーしてそうなるんですか!? 嫌ですよ、私絶ッ対嫌ですからねっ!!」
 さも楽しげに語る主に対し、鈴仙の形相は必死そのものだ。赤い瞳には涙さえ浮いている。基本的に小心者の彼女にしては大した反発だが、それでも輝夜の表情は変わらない。
 いや、わざとらしく頬を膨らませてみせつつも、むしろその瞳は一層細く、獲物を狩る形へと変じていった。
「あらぁ、主人の言いつけに対して随分な言いようね。何がそんなに不満なの?」
「当たり前じゃないですか! 殺し合いの代理なんて! ただの遊びとは訳が違うんですよっ!?」
「嫌ねー、あくまでもただの遊びよ。殺し合いだけど」
「だからそんなものを私にやらせないでくださいぃぃぃぃっ!!」
 しれっと言い放つ輝夜に、とうとう鈴仙は地団太を踏んだ。潤んでいた瞳からは滂沱の如く涙が溢れだし、愛らしい顔が歪みに歪む。
 そこに込められているのは不満などでなく、混じり気ない恐怖だった。
 嗚咽を堪えようともせず泣き続ける少女を前にして、今さらながら輝夜の表情に悔恨が過る。さりとて改めて何と声をかけていいかも分からず、笑みを微妙な形に曲げたまま立ち尽くした。
 そんな折、輝夜の背後から声をかける影があった。
「姫様。少々脅し過ぎですよ。この子は元々臆病なんですから」
「師匠っ!?」
 その声に輝夜よりも早く反応する鈴仙。現れた女性は、小さく手を上げて応えつつ、もう片方の手で輝夜の頭を撫で押さえる。
 纏った服は濃い赤と青に彩色されており、あまり目に優しくない。そんな中、ざっくりと結った白銀の長髪と白い肌が、月明かりの下、服とは異なった趣に映えていた。
「安心なさいウドンゲ。代理を出すのは相手も同じこと、妹紅の代理は慧音よ。彼女の性格からして、殺し合いにはならないわ」
「ほ、本当ですか!?」
 微笑む永琳の言葉に、鈴仙の表情がぱっと明るくなった。永琳は浮かべた微笑を微塵も揺るがさぬまま頷き、一言。
「多分」
「ししょ――っ!?」
「冗談よ、冗談」
 一瞬で涙目に戻った鈴仙が食ってかかっても、永琳は悪びれた様子などまるでなく手を振った。二人の間で、輝夜は呆れたような苦笑を見せている。
 えぐっ、えぐっと断続的に息を詰まらせていた鈴仙が落ち着くのを見計らって、輝夜が小さく咳払いした。鈴仙の視線が向いたのを感じ、彼女本来の笑みを取り戻して輝夜は口を開いた。
「まぁつまりはそういうことよ。脅かしたのは謝るけれどね。とにかく貴女は、私の代理として恥ずかしくない戦いぶりを見せてくれれば、それで構わないわ。命の心配は無用と思いなさい」
 幾度となく曇らされてきた鈴仙の表情に、今度こそ光明が射した。目尻には未だ涙の粒を残しつつも、彼女はその口元を綻ばせ――
「多分」
「……きっとそう言うだろうと思ってました」
 へにょん、と耳を萎れさせ、力ない声で鈴仙が呟いた。さすがに弄られるのにも慣れたのか、最早新たに涙を流そうともせず、ただ乾いた笑みを浮かべている。
 そんなやりとりを交わす三人に、新たな足音が近づいてきた。誰からともなく目を向ける中、色素の抜け落ちた髪が微風に舞う。
「始まる前から内輪揉めか? 少し、お前んとこの兎が可哀想になってくるな」
「あら妹紅、来たのね。早いじゃない」
 声の主に、輝夜は別段気負うこともなく相手の名を呼んだ。
 白のシャツと赤いモンペ、髪に紅色のリボンをあしらった長身の少女。彼女こそが輝夜の殺し合いの相手、彼女と同じ不死の蓬莱人、藤原妹紅だ。
 何かと過去の怨みを口にして輝夜といがみ合っているような印象を受ける彼女だが、しかし今輝夜と見交わす笑みには、そんな殺伐とした感情は感じられない。
 そもそも、怒りや怨みなどとうに風化してしまっているのだろう。そうでなければ、今回の提案など互いの間で了解されるはずがない。
――叶うなら、巻き込まれる方の気持ちも察して欲しかったところだが。
「ん、まぁな。慧音が思いの外乗り気でさぁ」
 輝夜の言葉に、妹紅はどこか腑に落ちないように後ろ頭を擦りつつ応じる。
 意外な一言に反応を示したのは鈴仙だけではなかった。輝夜もまた、目を丸めながら妹紅に問い返す。
「あら、彼女はてっきり争いごとは嫌いだと思ってたのだけど。何でか分からないの?」
 問いかけにも、妹紅は軽く肩を竦めて鼻を鳴らし、答える。
「それがさっぱりだ。正直断られると思ってたしな。そうなったら私が自分でやるしかないよなぁ、とか考えてたんだけど――」
「だからだ馬鹿者」
 ごすんっ
 いつの間にか妹紅の後ろに立っていた人物が、その頭頂部に手刀を叩き下ろした。重たい音を響かせた頭を抱えて妹紅が無言で悶絶する姿を、その影はいかにも生真面目そうな顔で見下ろしていた。
 件の上白沢慧音――妹紅の代理であり、即ち鈴仙が戦う相手ということになる。青いワンピースのような服を纏い、頭には妙な形の帽子をちょこん、と載せている。
 人里で寺子屋を開く彼女だが、その正体はただの人間などではなく獣人、ワーハクタクだ。とはいえ、獣人本来の姿を取り戻すのは満月の夜のみであり、半月を僅かに過ぎた今夜において、外見は人間と相違ない。
「久しぶりだな、鈴仙。先日の風邪薬だが、この間早速生徒に使わせてもらったよ」
「あ、は、はい。お久しぶりです」
 妹紅に一撃くれたことなどなかったかのような慧音の挨拶に、鈴仙は戸惑いながらも応じた。薄く微笑む彼女の傍らで、妹紅がよろよろと立ち上がり、抗議の声を上げる。
「けーねぇ……いきなりこれは酷いんじゃないか……?」
「頭突きの方を所望ならそう言え」
「いやだからそういうことでもなくて……」
 たじろぐ妹紅にも、慧音は取りつく島もない。彼女は怒りも不機嫌も見えぬ表情で短く息を吐くと、やおら鈴仙を示しつつ、
「輝夜の方は代理を立てているんだろう? お前がそのまま出ていったのでは、誰に対しても示しがつくまい。かといって、私以外の当てなどいないんだろう? なら、私が手を貸す以外に道はないじゃないか」
 そう一息に捲し立てた。さも当然といった様子の彼女を、妹紅はきょとんと見つめる。
 そんな妹紅の視線に、やはり慧音はたじろぐこともなく悠然と立ち――
「あ、けーねせんせ~。お久しぶりでふ」
 そんな時、間延びした声がかけられた。声のした方へとその場の全員が目をやると、黒髪の少女が歩み寄ってくるのが映った。
 髪を割って覗くのは、鈴仙のものより幾分丸みを帯びた兎耳。薄桃色一色のワンピースに包まれた体躯は、この場の中で最も小柄だ。
 だが今この瞬間に限って言えば、最も奇異な点はその手に持った生の人参だろう。ぼりぼりと湿っぽい音を立てながら人参を齧る様は、完全に教師を舐め切った悪ガキの態度そのものと言ってよかった。
 人に幸運をもたらす妖怪兎、因幡てゐ。彼女の登場に、慧音は微笑とも苦笑ともとれる曖昧な表情を浮かべながら声をかけた。
「お前が私を「先生」とはな。まともに説教を聞こうとしたこともないだろうに」
 言葉に含まれる厭味を、しかしてゐは何もなかったかのようにへらへらした笑みで黙殺し、慧音の傍まで歩み寄ると一言、
「ところで先生、ちょっと太った?」
「だ、誰がだッ!!」
「うひゃー、怖い怖い。助けてお師匠さまー」
 鬼の形相で慧音が叫ぶが、彼女の手に捕えられる前に、てゐは身を翻して永琳の背中へと回りこんだ。顔面を紅潮させた慧音に、全員の――とりわけ妹紅の視線が強く注がれる。慧音はただ拳を握りしめ、肩を震わせる他なかった。
 妹紅が気まずげに慧音の肩を叩き、
「ま……まぁなんだ、あんま気――」
「フンッ!!」
 がごんっ!
 慧音の一声とともに、頭突きを見まわれた妹紅の身体が崩れ落ちた。何となく、人の頭から上がってはいけない音が聞こえた気がするが、慧音を含めてその場の誰も気に留めない。
 指を指して、優雅さとは無縁に爆笑する輝夜の傍ら、永琳は背にしがみついたてゐを振り返って問うた。
「それで、帰ってきたということは、もう始めて大丈夫なの?」
「はーい。言いつけ通りにしてきました」
 対するてゐは、相変わらずの暢気な声で応える。が、その頬はどこか不機嫌そうに膨らんでいる。見咎めた鈴仙が、怪訝そうに問いを放った。
「てゐ、あんた何してきたの?」
 くるりと鈴仙に振り向いたてゐは、やはり不機嫌な心象を目元にも表しながら、
「お師匠さまに言われて、今まで掘った落とし穴、全部埋めてきたんだよー。百八つとも全部」
「あぁ、だからそんな機嫌悪そうな……って言うか、煩悩を埋め立て処理でもするつもりか、あんたは」
 げんなりと呻く鈴仙と、未だ怒り心頭の慧音をともに見やり、永琳は次いで輝夜と妹紅に視線を送った。気づいた輝夜が小さく頷き、妹紅はだくだくと血を流したまま起き上がる様子がない。
 妹紅の惨状を一瞥し、輝夜が苦笑とともに口を開いた。
「さて。じゃあそろそろ準備してもらいましょうか、二人とも」
「えっと、準備っていっても何をすれば……」
 主の言葉に頷きつつも、鈴仙が戸惑いの声を上げる。永琳が妹紅の両脚を抱え、ずるずると引き摺りながら下がり始める中、輝夜はふるふると首を左右に振って言った。
「特に何も必要はないわ。私たちはもう少し後ろに離れてるから、合図したら始めて頂戴」
 そう言うと、彼女もまた踵を返し、永琳たちの後を追う。
 が、途中で思い出したかのように鈴仙と慧音を振り返ると、
「あ、そうそう。ちなみにスペルの枚数は無制限よ。宣言もよく省いちゃうから、それに合わせてくれていいわ」
「……えっ」
「決着条件はギブアップかノックアウト。それだけ承知しておいてね」
 あっさりと通達された、いつもの『決闘』とはかけ離れたルールに、鈴仙は目を点にして声を漏らす。だが、輝夜はそんなことなど知った風もなく二人から離れていく。
「ちょ……ちょっと姫様!? 聞いてませんよそんなルール!」
 慌てて鈴仙がその背に追い縋るが、輝夜はむしろ彼女の慌てぶりが意外なように、小首を傾げて応えた。
「いやだって。私と妹紅の殺し合いの代理だって言ったじゃない」
「聞きましたけど……!」
「だから当然、ルールも私たちの戦いに準拠するわよ。相手を『殺す』ことはルールの内にはないから本人たちの判断に任せるけど、スペルを何枚使い切ったからって、それだけで終わりにされちゃ困るわ」
 平然と言ってのける輝夜。その微妙に筋の通った物言いに、鈴仙は一瞬気圧されたものの、それでも彼女は諦めず食ってかかる。
「だからってそんな野蛮な戦い――」
「私はそれで構わんぞ」
 だが鈴仙の背後で、傲然と声が上がる。はっとして振り返る鈴仙に、慧音は未だ微かに怒りの残滓を残しつつも、落ち着きを取り戻した顔つきではっきり告げた。
「元より妹紅の代理で来ているんだ。そうなるだろうとは思っていたさ。お前も覚悟を決めたらどうだ、鈴仙?」
「……ぇえ~……」
 てっきり自分の意見を支持してくれるとばかり思っていた慧音から、まさかの一言だった。鈴仙としてはいよいよ腹をくくるしかない。
 諦めを嘆息とともに吐き出し、彼女は静かに慧音に向き直った。横目で輝夜を見やると、彼女は先のてゐよろしく頬を膨らせ、
「分かりました……いつでもどうぞ、姫様」
 気落ちを隠そうともしない、憮然とした声でそう零した。己の役を託した少女の、自分とはまるで似つかない表情に、輝夜はクスリと笑うと、そのまま早足に彼女から遠ざかる。
 既に十分距離をとっていた永琳たちに合流すると、輝夜は鈴仙たちへ振り返る。どちらも自然体に立ち尽くす二人を見、彼女は小さく息を吸い込んて――

「――始めっ!!」

 そして、声を響かせた。

   ■ ■ ■

「ッ!!」
 開始の合図と同時に、鈴仙は後方へ大きく跳躍した。
 彼女がなぞった軌道の上に、幾つもの弾幕が扇状に並んで生まれる。細長い形状の妖力の塊は、時に「座薬」などと揶揄されることもあるが、その整然と並んだ弾丸の数には目を見張るものがある。
 居並んだ無数の弾幕は、鈴仙の着地と同時に慧音へと殺到した。一斉に解き放たれた弾丸は慧音の逃げ道を塞ぐように展開され――しかし、完全に回避を阻むには至らない。
 僅か見えた包囲の綻び、慧音はそこを縫うように、地を蹴って上へと跳躍した。
 その、意図して作られた穴に、鈴仙の狙い通りに飛び込んだ慧音へと、彼女は既に照準を定めていた。
「はっ!!」
 裂帛の気合とともに、指鉄砲を形作った人差し指から、眩く輝く巨大な弾丸が撃ち放たれた。実体がないにも関わらず、発射とともに押し寄せる反動を、鈴仙は全身で抑え込む。
 迫る大威力の妖力弾に、しかし『釣られた』ことを予め悟っていた慧音の反応も早かった。掌にスイカ大の弾を一つ生み出すと、最小限の動きでそれを投げつける。
 慧音の放った大玉に、鈴仙の弾丸が突き立った。
 キュゴッ!!
「――ぐっ!?」
 その瞬間、深紅の爆風が慧音の身体を押し流した。
 迎撃した鈴仙の妖力弾が巻き起こした颶風には、彼女の妖力とともに、狂気を招く精神波が込められていた。僅かだが視界がふらりと歪み、慧音は慌てて頭を振って感覚を取り戻す。
 その時には既に、鈴仙の第二波が迫っていた。だが爆風に跳ね飛ばされたのが吉と出たか、先よりも遠距離から放たれた弾幕は、十分に躱す余地がある。地を踏みしめて真横へ駆けると、慧音もまた自身の周囲に弾幕を展開した。
 どどどどっ!
 放たれる拳大の弾に、鈴仙ほどの速度や密度はない。それでも避けないわけにはいかず、鈴仙もまた身を翻して竹林を走る。
 断続的に交わされる弾幕の応酬。激しさでは鈴仙が慧音を上回っているが、さりとて押し切るにはまだ足りない。
 数度に渡る攻防の末、鈴仙は勝負に出た。指鉄砲を鋭く構え、凛とした声で宣言する。
「狂視『狂視調律(イリュージョンシーカー)』!!」
 輝夜に必要ないと言われたスペルの宣言を口にしたのは、いつもの癖のようなものだ。叫ぶと同時、次々に弾丸を撃ち放つ鈴仙。
 その弾丸が、空を裂いて飛ぶ最中、突然無数に分裂した。
「なっ!?」
 思わず呻く慧音。鈴仙から放たれた狂気の波長が、視界に限らず慧音の感覚を狂わせる。今目の前にある弾幕の大半が幻覚だと咄嗟に察することはできても、本物と偽物を判断する術は今の慧音にはない。やむなく、慧音はその場に足を止めた。
「産霊『ファーストピラミッド』ッ!」
 慧音の宣言とともに、さながら城壁の如く弾幕が生まれた。自らを囲んだ弾幕を、慧音は即座に正面へと集結させる。直後、妖力の壁を鈴仙の弾幕が激しく叩いた。
「ッ……始符『エフェメラリティ137』!」
「!?」
 間髪入れず、慧音が次撃の宣言を放つ。思い切りのいい慧音の連撃に、思わず鈴仙が息を呑む。
 未だ僅かに残った壁の向こうから、真白い弾幕が次々と放たれた。だが、その狙いは鈴仙ではない。そびえる竹に弾けた弾から、赤青の子弾が解き放たれる。
「よ、っと」
 しかし鈴仙は、躊躇なく跳んだ。軽捷に跳ねた少女の体躯が、慧音の弾幕を軽々と飛び越えて宙返り。月明かりを背にして構えた指先が、驚愕の慧音を捉えていた。
 鈴仙が斉射。米粒ほどの小さな弾丸だが、降り注ぐその量たるや並みではない。泡を喰って飛び退る慧音を追うように弾幕を撃ち続けつつ、鈴仙は慧音がもといた場所へと着地した。
 獣人である慧音の身体能力は、たとえ人の姿であろうとも、人間の比ではない。並みの妖怪すら凌駕しうるほどだ。だが、こと脚力、跳躍力に関して言うならば、その優位は鈴仙にある。
 それは兎の特徴を色濃く継ぐ玉兎だから、というだけではない。元々鈴仙は月にいた頃、厳しい戦闘訓練を積んできた――あまつさえ、それに耐え抜き、多くの期待をその身に背負うほど優秀な兵士だったのだ。如何に獣人とはいえ、戦闘に特化した修練など経験したことのない慧音と比べれば、その能力の差は歴然だ。
 即ち、間合いの主導権は基本的に鈴仙にあると言っても過言ではない。ただでさえ地力に劣る慧音にとって、それは致命的な事態だ。さりとて、スペルによって強引に流れを引き寄せるにも限度がある。
 スペルの宣言回数に制限がないということは、スペルを無制限に使用できるということではない。そもそも決闘において宣言が必要な術というのは、程度の差こそあれ消耗が激しい。だからこそ、勝敗を左右する決定的な一撃となり得るのだ。それを立て続けに使用するともなれば、当然そんなに長続きするはずがない。
 打開策が見つからぬまま、慧音の胸中に焦りが滲む。
「波符『月面波紋(ルナウェーブ)』!」
 距離をとろうとする慧音を追いたてるようにスペルを放ちながら、鈴仙もまた竹林を駆ける。
 だが、焦燥に胸を焦がすのは鈴仙も同じだった。水面に波紋が広がるようにうねりながら駆ける弾幕は、あくまで牽制に過ぎない。僅かに攻撃の構えを見せていた慧音が、即座に反撃を断念して回避に移った。
 既に鈴仙は、押し切るつもりの攻勢を幾度も仕掛けている。にも関わらず、慧音はそれら全てを凌いでのけた。
 慧音は決して『強者』ではない。だがその状況判断能力、力の使い方には瞠目すべきものがある。言わば『巧者』だ。
 だからこそ、鈴仙の内に焦りが募る。主導権を握っているのは自分のはずなのに、有効な間合いも、攻め手も、まるで見えてこない状況に苛立ちと不安が募る。無理に攻め入れば、その瞬間を待ちわびたと言わんばかりに、無数の策が待ち構えているのではないかと疑心が募る。
 故にこそ、安全な中遠距離から、相手の攻勢を許さぬ程度に牽制を撒くしか、今の鈴仙にとっては確実な選択肢が存在しない。だが、果たしてそれもまた、鈴仙にとっての最善手なのか。
「ッ……!」
 暴れる焦燥を押し殺し、鈴仙は指先に妖力を込め、緋色の一撃を撃ち放った。

   ■ ■ ■

 そして。
「んー、分かってはいたけど、やっぱり差が大きいわね~」
 二人の戦いを外野で眺めながら、輝夜は腕を組み唸った。傍らで永琳とてゐが、同調するように首肯する。
「まぁ、慧音も頑張っちゃあいるんだけどな……」
 そうぼやいて頭を擦る妹紅の言葉は、慧音の勝利に悲観的だ。彼女の呟きに、輝夜は頷き、永琳は頭を振って口を開く。
「ウドンゲは臆病だから、その分本人が思っているよりも慎重よ。慧音に今どれくらい余裕があるかは分からないけれど、どれだけ巧妙に策を練っても、あの子には通用しないでしょうね」
「だよなぁ……それを思うと、よくまぁお前さんはあいつが落ちるような穴が掘れるもんだ」
「えへへ~」
 永琳の言葉に頷きながら、妹紅は呆れたように眉根を寄せててゐを見た。彼女は彼女で、いまいち感情の読めない笑みで、謙遜に聞こえなくもない声を漏らす。
 ますます鉛のように重い疲れを吐息とともに吐き出しつつ、妹紅の視線が再び輝夜へ。意図を窺うような眼差しを受け、輝夜は自身の視線を永琳へとやった。
 永琳に言葉はない。ただ黙して鈴仙たちを見守る彼女へと、輝夜は簡潔に告げた。
「永琳、出しなさい」
「あんまり慧音が言い顔しなさそうだな」
 その言葉に苦笑を漏らしたのは、妹紅。だが輝夜はそれに片目を瞑って見せながら、
「あら。貴女はちっちゃなプライドのために、大人しく負けを認めて膝を屈するような人だったかしら?」
 わざとらしく言ってみせると、妹紅は静かに首を振った。
 あくまで慧音は妹紅の『代理』。それを忠実に了解している彼女ならば、その行動理念もまた、妹紅の性格に準拠したものにしてくるだろう。結局のところ、妹紅もそれを理解していた。だからこそ、本気で輝夜を止めようとはしない。
 今宵の闘争は退屈を紛らわせる余興。閉塞を、停滞を、一つでも多く破壊するための余興。
 そう、『誰にとっても』そうでなくてはならない。
「そういうことよ。永琳」
「承知しました」
 改めて呼び掛けると、永琳は今度こそ即座に応じた。微笑を浮かべたままその細長い指を、ぱちんっ、と小気味よく打ち鳴らす。
 瞬間、夜闇を圧して白光が広がった。竹林に差し込む月明かりが、先までの倍近い眩さへと変わる。見上げれば、天に輝く銀の月は満月へと変じていた。
 贋作の月。
 かつて異変と呼ばれたその光景が、今この竹林に再現されていた。唯一異なるのは、煌々たる月が一切欠けることなく、真円のまま虚空に佇んでいること、ただその一点のみだ。
「さあ、第二幕の始まりよ! 存分に躍りなさい、二人とも!!」
 実に愉しそうな声を張り上げて、輝夜が両手を左右に広げる。
 そしてそれと同時に――彼女の宣言した通り――鈴仙たちの織り成す撃ち合いの様相が、一気に激化していった。

   ■ ■ ■

 ドクンッ
「っ!?」
 自身の鼓動が一際強く胸を打ったのを感じて、慧音は思わず目を見開いた。眼前まで迫っていた鈴仙の弾丸を、慌てて辛くも回避する。
 鼓動の感触には心当たりがあった。満月が昇る晩、己が妖獣へと転じる瞬間に訪れるそれと、今の変化は一致していた。
 だが、今夜は満月ではない。大きく欠けた月は、彼女に何の力ももたらさない。そのはずなのだ。
 それでも慧音は、辺りを照らす月光の明るさに、しばし遅れて気づいた。見やれば、鈴仙もまたその変化に気づいたのだろう。慧音から距離をとったまま、怪訝そうに立ち尽くして周囲に目を走らせている。
 先に違和感の正体に気づいたのは、鈴仙だった。
「あ……!」
 丸く開け放たれた口は、明らかな驚愕と動揺を示していた。彼女は慧音のことなど忘れたかのような様子で、その視線を慧音の背後、そこに広がる天空に注いでいた。危険を承知で、慧音もまた同じ方向を見やり――
「な!?」
 そこに整然と佇む満月の姿に、短い悲鳴を上げた。
 彼女の瞳は鋭く翻り、刺すような視線が輝夜、そしてその傍らに立つ永琳に射かけられる。だが二人は涼しげな、或いは不敵な笑みでそれを見返した。
 彼女たちの表情から、無言のまま告げられる意図に、慧音は小さく苦笑を零す。
「ったく……後で説教をくれてやる」
 唸るように、獰猛に呟いて、全身に力を入れ直す。視界の内には、未だ呆けたままの鈴仙の姿。その認識が急速に、『敵』から『獲物』へと変わっていく。
 溢れだす力を束ねて、全身に漲らせる。その瞬間、長い髪を割って双角が伸びるのを、慧音ははっきりと感じ取った。
 本当なら、満月の日の力を争いに使うことはあまりしたくない。だが、妹紅の代理として、目の前の月兎と戦うためにそれが必要だというなら、甘んじて受け入れよう。無論、文句の一つ程度は言うつもりではいるが。
「さあ、第二幕の始まりよ! 存分に躍りなさい、二人とも!!」
 朗々と響く輝夜の声。はっとした鈴仙が慧音を目で捉えたときには、既に彼女は変貌を遂げていた。
「旧史『旧秘境史 –オールドヒストリー-』」
 静かに宣言し、慧音が右手を上げる。すると、彼女の周囲に格子状の光が生まれた。
 細かな弾幕の集合体。その総量は、先までの慧音に扱い得た量に倍するほどだ。解けた格子が高らかに矢風を鳴らし、鈴仙に殺到する。
「わ、わっ!?」
 泡を喰って飛び退く鈴仙。竹の隙間を縫うように駆ける彼女を追って、幾多の光弾が地を穿つ。鈴仙も苦し紛れに細い弾丸を散発的に撃ち返すが、慧音は小さい身動ぎだけでそれを躱した。
「ッ幻惑『花冠視線(クラウンヴィジョン)』!!」
 ざざっ、と急ブレーキをかけて、鈴仙がその両目を慧音へ向けた。赤い燐光が迸る瞳から、妖力が輪環状に収束して放たれる。
 さらに素早く三回瞬き。並んで生まれ出た計四枚の円環は、押し寄せる弾幕を塞き止めながらなおも前進。自身のスペルを追いかけるように、鈴仙もまた走って慧音へと詰め寄る。
「ほう!」
 面白そうに声を上げ、だが慧音には微塵の動揺も見られない。左手を振り上げ、そして無造作に振り下ろすと、瞬時に掌に生まれた妖力塊が弾け飛び、鳳仙花の如く仄赤い弾幕が飛び散った。
 大雑把ではあるものの、狙いは鈴仙へと定められていた。先に生まれていた弾幕が、そして新たに放たれた弾丸が、慧音へと進撃する花冠視線を迎え撃つ。激しく降り注ぐ災禍に、あえなく一枚目の円環が掻き消える。
 雨粒のような弾幕が立て続けに鈴仙の生んだ盾を叩く。二枚目が消え三枚目が消え、なおも続く猛攻に、遂に最後の壁が打ち消された。
 だがそれに一瞬先んじて、鈴仙が渾身の跳躍を見せた。高々と舞った華奢な身体が、眼下の慧音に向き直る。
 迎撃が襲い来るよりも早く、鈴仙は指鉄砲の照準を慧音へと合わせた。
「散符『朧月花栞(ロケット・イン・ミスト)』っ!!」
 ばしゅぅっ!!
 激しい噴射音と白煙。放たれた一抱えほどもある妖力弾は、まるで実体を持っているかのごとく光沢を放ちながら飛翔した。立て続けに六発の弾が、軌跡に噴煙を残して慧音へと突き進む。
 それぞれ僅かに狙いを外した弾幕。下手に躱したところで、着弾時に撒き散らされる爆風に呑まれるだろう。そんな鈴仙の胸の内を知ってか知らずか、慧音はその場を離れようとはしなかった。
 ただニヤリと笑み、右手を頭上にかざして、
「国符『三種の神器 剣』!」
 叫んだ瞬間、慧音の手に一振りの剣が握られる。青銅のような沈んだ色合いの、刃渡りも決して長くない、そんな見栄えのしない諸刃の直刀。だが、そこに集った霊力の濃さは並ではなかった。
「ふっ!!」
 ざんっ!
 短い呼気が鈴仙の耳に届いたときには、既に刃は二閃されていた。斬撃の延長に三日月形の光条が翻り、鈴仙が生み出した弾丸を一つ残らず両断する。
 否、斬り裂かれたのは弾丸だけではない。そこから弾けようとした爆風さえもが、慧音の斬撃に消し飛んでいた。あまりの結末に、鈴仙が息を呑んで瞠目する。
 それが、大きな隙となった。
「おおおおッ!!」
 高度を落とす鈴仙へ、慧音が剣を片手に突貫してきた。牽制に小さな弾幕をばら撒きつつ、鈴仙は驚愕に竦む脚を叱咤して、着地と同時に再び後方へ跳躍。
 だがそれは謝りだった。慧音は左手を上げて顔を庇うと、鈴仙の弾丸をその身で受け止めながらなおも一直線に駆ける。鈴仙が己の不覚を悟ると同時に、慧音は右の剣を振り抜いた。
 距離は剣の間合いの外。しかし刃先から放たれた光を纏う轟風が、空中にある鈴仙の身体を呑みこんだ。悲鳴を上げることすら叶わず、きりもみしながら撥ね飛ばされる少女の体躯。
 どさりと受け身も取れず地に落ち、短く滑走して止まった鈴仙に、なおも慧音は追い縋った。振り上げた剣の切っ先に光が灯る。
「っ……ぅえ!?」
 身を起こした鈴仙が迫る慧音に気づく。慌てて横っ飛びに跳ねる彼女の背を、弾けた颶風が圧した。吹き飛ばされつつも、今度はなんとか前回り受け身で事なきを得ると、素早く立ち上がって背後を振り返る。
 その時には慧音も、振り終えた剣を引き戻し、次の構えに移っていた。その出鼻を挫くように、鈴仙は慌てて弾幕を展開する。
「さ……散符『朧月花栞(ロケット・イン・ミスト)』!」
 大量の小粒の弾丸とともに、鈴仙はついさっき破られたスペルを再び放った。
 破られたと言っても、今度は前回ほどの距離はない。慧音の対処が間に合わなければ勝機はある――そんな鈴仙の希望を裏切るように、慧音が動いた。
 身を低くして剣を一薙ぎ。弾丸の三つが散り消え、残る三つは躱されて、竹林の奥へと消えていく。遅れて爆音が響くが、二人の戦場には何の変化ももたらさない。
(やっぱり駄目ッ!)
 歯噛みする鈴仙。今の姿の慧音の力は、どう軽く見積もっても鈴仙と同等以上だ。まともに渡り合って勝てるはずがない。
 頭を使うしかない。だが果たして、自分が頭脳を以て慧音に抗し得るのか。何しろ、これまでの攻防において、頭脳に勝り不利を凌いできたのは慧音の方なのだ。その慧音を、今度は鈴仙が知略において凌駕しなければならないとなると、最早諦めさえ感じかける。
「終符『幻想天皇』!」
 慧音の左手が虚空を撫でた。細長い光が長槍のように束ねられ、それが幾本となく宙空に居並ぶ。
 ヒュゴッ!!
 咄嗟に鈴仙が地を蹴った瞬間、放たれた光の一条が土を穿った。だが妖力の槍はなおも次々と産み落とされ、それに合わせて一本ずつ光条が投げ放たれる。
「このッ!」
 走りながら照準。鈴仙の指先から放たれた深紅の弾丸はしかし、槍を阻むことも叶わず弾き散らされた。迫る無数の槍を、鈴仙は辛くも回避して――
「逃がすかッ」
 鋭く吼えた慧音が、右手の剣を横薙ぎに振り抜いた。空を裂いた閃撃が鈴仙を捉え、再びその身体に衝撃が突き刺さる。
「きゃぅっ……!」
 絞り出すような悲鳴。ごろごろと土の上を転がった鈴仙は、どうにか起き上がろうと四肢に力を込める。だが彼女の手足は、思うように彼女の意志に応えてくれない。
 開いた距離を詰めるべく駆け寄って来る慧音の気配が次第に迫る。このまま動けなければ、あと数瞬で勝敗が決してしまうだろう。
 だが、仮に立ち上がったところで、鈴仙に勝ち目はどれほどあるのだろうか。少なくとも彼女には、それがまるで見出せない。
(やっぱり無理だよ、私じゃ……)
 無力感が意識を包む。悔しさが視界を覆う。身動ぎひとつする気力すら残っていなかった。ただ真っ直ぐ駆ける慧音の足音を、鈴仙は呆然と聞き続け――

「イナバー、頑張って~」

 同時に聞こえた、輝夜の間延びした声援に、鈴仙の意識が覚醒した。弾かれるように飛び起き、彼女は慧音をきっと睨む。
 希望を抱いたのは、輝夜が己の代理たる鈴仙に期待を寄せてくれているから、ではない。いや、広義にはそう言うこともできるのかもしれないが、それよりも確たる根拠を持った理由だ。
 今空に浮かぶ満月は、十中八九永琳の贋作だろう。慧音が変化を遂げた直後の輝夜の台詞からも、彼女たちの意志が介在した結果なのだということは容易に想像がつく。そして輝夜たちがわざわざ鈴仙と慧音の戦いに、こういった形で手を加えたということは、そのままでは到底面白みのある結果に至らないから――言い換えれば、互角の戦いにならないと踏んだからだろう。
 そう、つまり輝夜は慧音に満月を与えることで、戦況を五分に近い形にできると判断したはずなのだ。
 未だ、鈴仙にも勝ち目があると。
「っ……アテにしますよ、姫様……」
 全身隈なく浸み渡る痛みを堪え、鈴仙は腰を落として身構える。一度は消えかけた闘志を再び奮い立たせる少女に、慧音の笑みが深く曲がる。
 足並みがやや遅いのは、鈴仙を警戒してのことだろう。だがそれでも距離は既に、遠当ても含めた剣の間合いまであと数歩。
 残された時間で、どう手を打つか。鈴仙の脳裏を、様々な可能性が通り過ぎては消えていく。ほんの刹那の間の熟考の末、ただ一つの策が仄かな輝きを伴って己の存在を主張した。
(けどこれ……ううん、やるしかない!)
 これ以上検討する余裕はない。近づいてくる慧音を前に、鈴仙は低く、短く後ろへ跳躍した。
 足跡から湧き出るように、弾幕の輪が広がる。低く滑空するそれを、慧音は同じく低い跳躍で飛び越えた。同時に剣を縦に薙ぐ。迸った白光が、牙となって鈴仙へ迫った。
「っく!」
 今度はそれを読んでいた。着地と同時に真横へ跳び、鈴仙は攻撃から身を躱す。無形の刃が地を抉り、巻き起こった剣風が銀の髪を靡かせる。
 そして、その鈴仙目がけ、慧音は今度こそ全速で飛びかかった。振り切った刃は再び上段に掲げられ、刃の間合いで振り切るべく力を溜めている。それを見て取り、鈴仙は慌てて右足を引いて――
「なっ!?」
 だが、その直後に鈴仙は再び地を蹴った。ただし、今度は正面へ。自ら慧音へと詰める少女に、慧音の口から驚愕が零れた。
 間を外され、慧音の思考が僅かに遅れる。だがそれも一瞬だ。慌てて右腕を振るい、彼女は斬れぬ刃を鈴仙の肩口に叩きつけようと、剣閃の軌道を修正する。
 その右腕に、鈴仙の白く小さな手が触れた。瞠目する慧音。決して強くはない、しかし絶妙に加えられた力は、青銅色の刃の狙いを狂わせる。
 素手での格闘術や近接戦は、月で訓練を受けていた頃の鈴仙にとって、最大の苦手科目だった。嫌いだったと言ってもいい。だが決して、心得がないわけではない。
 苦手だからこそ嫌い、嫌いだからこそ見せなかった手の内。だがここに至り、それは彼女にとって最大の隠し玉たり得る存在でもあった。
だからこそ、鈴仙はそれを試した。そして、彼女の目論みは見事に成った。
 どんッ!!
 大地を叩いた剣先から、弾ける颶風が吹き荒れた。慧音はその場で腰を落として踏ん張り――そして鈴仙は、左手で慧音の右腕を、右手で左腕をとり、その場に留まった。
 目を剥く慧音。その眼下で、鈴仙は会心の笑みを浮かべた。
「逃がしませんよ……」
「ぐっ!」
 呻き、鈴仙の手をどうにか振り解こうともがく慧音だったが、如何に力を増したとはいえ、鈴仙もただの人間よりは遥かに力がある。それが不可能でないとしても、瞬時にそれを為し得るほどに、慧音と鈴仙の差は大きくはなかった。
 そして、慧音を拘束したまま、鈴仙は術を解き放つ。
「幻爆『近眼花火(マインドスターマイン)』ッ!!」
 ボ、ボボボボッ!!
「がはぁっ!?」
 鈴仙を中心に、連鎖するように赫光が膨らんだ。肌を焦がすような爆風に、間近で何度も身を晒され、慧音が苦悶の声を上げる。
 至近距離での苛烈な一撃に、しかし慧音はどうにか耐えた。鈴仙の舌打ち。
 両手は未だ塞がれたまま。蹴り放とうにも、片足を浮かせればその瞬間に押し倒されてしまうだろう。ならば慧音にとって、残る反撃の手段はひとつ。
 衝撃に仰け反った頭を敢えてさらに一段引く。僅かな時間で、しかし十全に力を蓄えた頭部がその直後、まさしく鉄槌となって振り下ろされた。
 渾身の力で抵抗を装っていた慧音を抑えるために、鈴仙もまたその両脚で地を踏みしめ、立ち尽くすことを余儀なくされていた。慧音の必勝を期した頭突きは、狙い過たず少女の額を――
「ふ……」
 が、それよりも一瞬早く、慧音は見た。
 見てしまった。
 彼女を見上げる玉兎の少女、見開かれたその深紅の眼光を。
――懶符『生神停止(アイドリングウェーブ)』
 宣言よりもなお早く、視界を介して特大の『狂気』が慧音に撃ちこまれた。
 慧音の内に侵入した兎の歯が抉るが如、彼女の精神が、全身の力が音を立ててこそぎ落とされた。膝が落ち頭が揺れ、紙一重で慧音の頭突きは鈴仙を捉えることなく過ぎた。
 気づけば両の腕は既に解放され、そのまま慧音の身体がまっすぐ地に崩れる。
「……っそ……!」
 せめてもの抵抗に、未だ剣を握ったままだった右腕を振り上げようとするが、それも叶わない。微かに切っ先を取り巻いた霊力は、形を持って放たれるより早く、轟風となって四方に散った。
「っとと!」
 たたらを踏み、それでも鈴仙は視線を慧音から外さない。倒れ伏した慧音は、なおも懸命にもがいて立ち上がろうとしている。前髪の間から覗く瞳には、尽きぬ闘志が揺らめいていた。
 霊力の風に押し返されながら、鈴仙は再びその眼に妖力を萃めた。もう妖力も限界に近い。最後の一撃を放つべく、鈴仙は口を開いて息を吸い、
「『幻朧月――(ルナティックレッド……)』」
 深紅の瞳から、雷光の如き朱光が弾ける。瞳に凝った妖力を、鈴仙は鋭く、強く収束させて――

「あ」

 そんな時、緊張感とは無縁の声を上げたのは誰だったのか。
 判断もつかぬまま、鈴仙は躊躇わずスペルを解き放つ。
 その瞬間、彼女の足元がずぼりと抜けた。
「『睨(アイズ)』っっっ!?」
 素っ頓狂な声が口から飛び出す。視界の中、土色の何かが目の前にせり上がり、慧音の姿が見えなくなる。だが最早、スペルの発動を止める手段など彼女は持ち合わせておらず。
 そして――

   ■ ■ ■

 ずボンッ!?
 突如口を開いた落とし穴から、爆音と爆煙が激しく上がる。そんな光景を、輝夜は、永琳は、妹紅は、みな唖然とした表情で見つめていた。
 ただ一人てゐだけが、微かな喜色の見え隠れする顔で、立ち上る仄赤い煙を見送っている。
 一体どれほど時間が経ったか。やがて、永琳がそっと問いかける。
「てゐ、ちゃんと落とし穴は埋めたんじゃなかったの?」
「はい。前に掘ったのは全部」
「それなら、あれは何?」
 重ねられた問いに、てゐはしれっと、
「全部埋めてから新しく掘った穴ですけど?」
『………………』
 永琳と妹紅が、期せずして同時にため息を吐いた。何と言ったものかと苦い顔で黙考する永琳だったが、てゐは何食わぬ顔でその赤い目を輝夜に向ける。
「何かまずかったですかね~姫様?」
 可愛らしく小首を傾げて見せる仕草とは裏腹に、浮かべた笑みはどこか悪辣だ。そんな子兎の言葉に、輝夜は彼女を見下ろすと、澄んだ微笑を浮かべて首を振る。
「最後の最後で楽しいものを見せてもらったもの。何の文句もないわ」
 耳にした妹紅が、いよいよ肩を落として背を丸めた。憐れみに満ちた視線を、ぽっかりと開いた穴の口へと注ぐ妹紅。永琳もまた、彼女と似たりよったりな苦笑で輝夜を見やった。
「さすがにここまでやると、ウドンゲも当分機嫌を直しませんよ?」
 ある種、苦情じみたその言葉に、輝夜はやおら悪戯っぽい笑みを見せて、
「あら、私は構わないわよ。暇を出すくらいのつもりで、しばらくは好きにさせてあげなさい。どうせ貴女の実験には、こんな後じゃ当面は付き合ってくれないでしょう?」
「………………」
 図星を突かれて押し黙る永琳。その後ろ姿を呆れた目で見つめて、妹紅は一言、ぽつりと零した。
「ホント……あの兎にゃ同情しか沸かねぇや……」

   ■ ■ ■

 翌日。
 戦いの終結からそのまま永遠亭に担ぎ込まれ、日が変わってから目を覚まし、輝夜の私室を訪れた鈴仙は、これ以上ないほど不機嫌な顔で言い放った。
「姫様っ、私もう、絶対にあんな無茶苦茶なことやりませんからねっ! 次やるときはてゐにやらせてくださいっ」
 包帯と絆創膏が至る所に見え隠れする少女は、ぼろぼろの身体とは対照的な強い意志で輝夜を睨みつけている。とはいえ、肩を怒らせ頬を膨らませる姿は、残念ながらあまり迫力はない。
「分かったわよ。これっきりにするわ」
「本当ですね?」
「ええ。そんな露骨に嘘をついたことはないでしょう?」
 念を押す鈴仙に応える輝夜の言葉は、色々と微妙なところでツッコみたくなるものがあったが、鈴仙はそれをぐっと堪えた。
 言質がとれたことにひとまず安堵の息を吐き、話題を変えることにする。
「ところで、慧音さんはどうしてらっしゃるんですか?」
 問いかけた瞬間、僅かに輝夜の表情が揺れる。それに、鈴仙の背筋を悪寒が一直線に駆け抜けていった。
 まるで獲物を見つけた蛇のように、刹那揺らいだ輝夜の眼光が、意識にこびりついたまま離れない。反射的に脱兎の如く逃げ去りたい衝動にかられた鈴仙に、輝夜は返答を投げかけた。
「彼女ならまだ寝てるわよ。貴女に喰らった『生神停止(アイドリングウェーブ)』の影響が抜けきらないみたいでね。ずっとふらついてるわ」
「え……あぁ、それは悪いことしちゃったかもしれませんね……」
 告げられた鈴仙は思わず目を丸め、次いで申し訳なさそうに耳を垂れさせた。あとで見舞いに行っておこうと、鈴仙は一人胸中で呟く。
 下がった視界に、輝夜が浮かべる笑みの意味は映っていなかった。
「だから、ね。イナバ――」
「そういうことだ、鈴仙」
「ひゃい!?」
 突如、鈴仙の背後で襖が開いた。肩を跳ねさせて振り返れば、そこには妹紅に肩を借りた慧音が立っている。
 輝夜が語った通り、その面貌には憔悴の色が濃い。それでも揺らぎの見えない真っ直ぐな瞳とそこに宿る意志は、いつもと変わらぬ彼女の在りようを感じさせた。
 問題は、一体何にそんな真剣な目をしているのか。
「見ての通り、まだ一人では満足に歩けもしない有様でな。我ながら不甲斐ない」
「は……はぁ。なんか済みません……」
「お前が謝ることではないさ。少なくとも私は、お前と争うことを自分で自分で決めたんだ。その帰結の責任は全て私自身にある」
 縮こまり頭を下げる鈴仙を、慧音は苦笑交じりに見やった。顔を伏せたまま、上目遣いに彼女を見返す鈴仙。そんな彼女に、慧音は「ただ――」と前置いてから言葉を続けた。
「これでは寺子屋へ行くこともままならない。今日は午後からの講義だけの予定だったんだが、それでもあと数刻もしたら子供たちが来てしまう。かといって、今さら休講にしては、後々に差し支えてな……」
「……え、ちょ、ちょっと待ってくださいっ」
 急速に望まぬ方向へと傾き始めた話み、鈴仙は慌てて制止をかける。だが、それはあまりに――それこそ、慧音がこの場に現れたときには既に、手遅れだった。
 ぽん、と誰かの手が鈴仙の肩に触れる。上ずった声を上げてその手の主を探せば、すぐ背後まで歩み寄って来た輝夜の顔がそこにあった。
 堪えようもなく、鈴仙の両目に涙が浮かぶ。
 従者の泣き顔を、輝夜は満面の笑みで見つめ返して、その背をそっと押した。
「行ってらっしゃ~い、イナバ先生」
「安心しろ。初歩の算学と地学だけでいい。教科書の範囲は付箋してあるから、時間までに確認しておいてくれ」
 前後からかけられる言葉に、鈴仙は言葉もなくぼろぼろと涙を零し始めた。どうにか慧音の方へ向き直れば、それを待っていたかのように強引に教科書を押しつけられる。
 潤む視線をふと持ち上げると、妹紅の姿が映った。彼女はこの場の誰よりも、優しさと同情に満ち満ちた表情で彼女を見つめ、
「……頑張れ」
 そう、一言囁いた。
 まるで、その言葉で何かの鍵が外れたかのように、鈴仙は髪を振り乱して天井を見上げた。何の変わり映えもない木組みの天井。彼女は何の罪もない木目を、ただやるせなさを胸に睨みつけて。
「こんなの……こんなのあんまりだぁぁぁぁぁぁっ!!」
 逃げ切れぬ理不尽から目を逸らすような少女の叫び声が、その日、永遠亭に響き渡り――そして消えた。
 ここまでお付き合いありがとうございました。えどわーどです。

 今回はなるべく馬鹿っぽく、また戦闘分増し増しで書きあげてみました。とはいえ、長ったらしい蘊蓄をどう挟むかはまだ練習の余地がありそうです。精進します。

 ご感想などありましたら、聞かせていただければ幸いです。それでは。

 追記:服装はうどん月抄準拠です……と思っていたら、ブレザーは黒でした。色んなもののちゃんぽんだと思っていただければ……
えどわーど
http://edstudio.blog.fc2.com/
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コメント



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7.30名前が無い程度の能力削除
鈴仙がかわいそうだなあ。救いが無いし。
9.90名前が無い程度の能力削除
良いバトル。話に緩急もあって飽きなかったです。精進するとの事なので次も楽しみにしています。
10.50名前が無い程度の能力削除
納得ずくの上に責任は私にあると言い切っておきながら尻拭いを相手にさせる先生ェ…
あと元凶の姫様と妹紅が無責任すぎる気がしますね
バトル自体はよかったと思います
11.80名前が無い程度の能力削除
銀髪にピンクのスカート?はて