助手がいないと研究において不便である。助手は知識のあるものでも無いものでも構わない。あろうが無かろうが私は雑用にしか使わないからだ。研究材料に触らせるなどもってのほか。私が研究する様子を身の回りの世話という形で支えるのが、私にとっての理想の助手である。
紅魔館の地下の図書館で陰気臭いと言われながらも、ずっと精霊魔法の研究をしている。私が数ある魔法の中でも最も興味を惹かれたものだ。ドールの研究はまずカラクリ人形から作らないといけないので却下。薬物魔法は研究材料採取のために奔走しないといけなく、喘息に障るので却下。であれば精霊魔法しか道は残されていない。運良く私はそれに惹かれたので、魔法使いとしての生涯研究のテーマをそれにした。
あれはある冬の冷え込みが厳しい日だったと思う。それまで仕えていた人間のメイドが少し前に事切れてしまい、新しいメイドを探している最中だった。なかなか適合した人物がおらず、お嬢様と妹様の食料の調理、紅魔館の暖の燃料の確保を美鈴が一手に行い、私のところまで手が回らなかった。私は食事をする必要もないし、致命傷を負わない限り死ぬ事もないので構わないと言ったが、それでも寒さは体力と思考能力を奪い取っていく。そのまま放っておけば生きた凍結魔法使い人形の出来上がりである。それは出来るだけ回避したい。そう思った私は召喚魔導書を手当り次第に読み、助手として働ける使い魔を呼ぼうとした。適合材料は、真面目、従順、器用、適度な知能だった。そしてそれにヒットした魔導書が4冊。その中で人型に近いのが2冊。その2冊で召喚魔力数値が低い方を選んだ。
そもそも精霊魔法は何かしらの召喚の繰り返しである。魔武器や魔石、妖精などを多く繰り出し、それらを組み合わせて魔法を作り上げる。だが、それは一時的な召喚であり長くとも1日程度。別の世界からこちらの世界に召喚したものが適合できるわけも無いので、それ位が限度ということになる。これを限時召喚法という。代わって永遠にこの世界に召喚しっぱなしにして使い魔などに使うための召喚を恒久召喚法という。これは召喚したものを特殊な魔法で魂や存在価値を縛り上げ、この世界に引きつないでおくものだ。より高度な召喚術ということになる。
寒さをしのぎたい私は、初めての恒久召喚法だがすぐに召喚術に取り掛かる。召喚する種類は悪魔だそうだ。
図書館の奥にある私の部屋に貝殻で魔方陣を描き、北にガラス、西にシルク、南に純水、東に火を設置して魔導書通りの詠唱を唱える。魔法自体は簡単だ。ジュウと陣は煙を上げ、私の視界をすっかり奪ってしまう。地獄の瘴気だろうか、目と喉が痛い。とっさに服で顔を覆い煙が引くのをそれで待つ。
しばらくして目を開けると、布一つまとわぬ少女ほどの悪魔が召喚されていた。目を閉じて陣の中心にぺたりと座っている。
「悪魔よ」
そう言うと、小悪魔という存在は自らが召喚されたと気づき、そして目の前にいるのは召喚主だということを理解するはずだった。
「あ、う……?」
私の方が一瞬理解を喪失する。あまりにも幼子に似たその声はそれだけで私に戸惑いを与えてくれた。そんなはずはない。正当な手順は踏んだ。魂の固定化のための火は美鈴に頼んで一番良い油を用いて作成したし、体液となりうる純水は3度も蒸留を繰り返したものだ。肉体のシルクだって私の魔導服を破いたものだ。ではやはり、問題はガラスか。知能となる予定だったガラスが問題ある。多彩な知能をと思ってステンドグラスを用いたのは間違いだったのだろう。ただの助手として使うのだから奮発してステンドグラスを持ちいらずとも、ただの打ち砕いたガラスでよかった。その結果がこれであるのだから。
「私の名前はパチュリー・ノーレッジ。お前の主である」
念のため最後まで形式通りにやってみる。もしかしたらこれで知能が確定するかもしれない。
「お前の名は」
皮肉を込めてこう言った。
「小悪魔だ」
◇
「幻想郷というところへ行くわ」
春の暖かくなってきた頃だろうか、紅魔館の主である吸血鬼は私に向かってそう言った。その事を言いたいがために私をわざわざ大広間まで呼んだのだ。
「行きたいわ、の間違いでしょうレミィ?」
「ふふん。なんだ、判ってるじゃない」
大義そうに鼻を鳴らす吸血鬼を見て、判らない訳無いじゃないと思ってしまう。私が持たないそんなあなたの自由さが好きで私は紅魔館にいるのに。紅茶を一口飲んで、そんな思考の欠片を心に刻んでいく。
「それで、その幻想郷というのは?」
「それも含めてあなたに調べて欲しいのよ。どうやら妖怪やら何やらうじゃうじゃいるらしいけれど」
「もしかして、妹様の遊び相手を探してるの?」
「さて、どうかしらね」
わかりやすいわね、レミィ。あなたは優秀な姉よ。
「お嬢様、お紅茶のお代わりはお如何でしょうか?」
「あのね咲夜、日本語に不慣れだろうから教えてあげるけど、接頭語の“お”はそんな大量に付けると逆にはしたないのよ。まあ私にに対して多大な尊敬を表現しようとした事は評価するわ」
「はあ、そうなんですか。今後注意しますわ、嬢様」
「おい、待てこら」
3年前の冬にこの館に侵入してきた少女。いろいろ転じて今は優秀なメイドとなっている。少し頭がアレだが。
そうか、もう3年にもなるのか。
私は紅茶を飲み干したティーカップを置いて、吸血鬼の方をじっと見る。メイドと騒いでいた吸血鬼は私の視線に気づいて恥ずかしそうにメイドを後ろに下げる。紅茶を2、3口すすった後、しっかり私を見据えた。それを合図に私は喋り出す。
「レミィ……いえ。レミリアお嬢様。私に1年の猶予をください。さすれば必ず幻想郷への道を作ってみましょう」
「期待しているわ。我が紅魔の知識、パチュリー・ノーレッジよ」
私とレミリアは、レミィ、パチェと呼び合う中ではある。が、やはり正当な場での上下関係はレミィの方が上である。なんせ紅魔館の主なのだから。しかし私はその奇妙な友人関係に心地よさをおぼえていた。レミィのわがままに付き合えることが嬉しかった。
図書館に戻った私はそのまま自分の部屋のドアを開く。煩雑した図書館とは違い、スッキリした清涼感あふれる室内が現れる。本の虫である私のための雰囲気では無い。私はもっと陰気臭い部屋が好みだ。
私が戻ってきたと分かると、座っている読書をしていた少女が駆け寄ってくる。頭に小さなコウモリ羽を生やし、スーツに似た服装の少女だ。駆けるたびに赤い髪がふわりと揺れる。
「お帰りなさいませ、パチュリー様」
3年前に召喚した私の使い魔である。名を小悪魔という。真面目で従順、それに器用だ。言い付けたことをきちんと守る。それに単なる肉体労働ならなんでも器用にこなしてしまう。掃除洗濯、彼女の得意分野は一般主婦のようである。
「ただいま小悪魔。本は読めたかしら?」
私は小悪魔が手に持っている本を見ていたずらっぽく言う。小悪魔はもう一度本を開いて、うーんと唸った後笑顔で、
「解りませんでした」
と答えた。私は、そう、と言い椅子に腰掛ける。
私が召喚した従順真面目で器用な悪魔の唯一の弱点、それは知能だった。常識はある程度持つことができたが、知識を全くと言っていいほど吸収しない。鳥頭とはまた違うベクトルの頭の悪さで、小悪魔の場合は本を理解しても意味がわかっていない。例えば、1と1の加法の答えが2だということは分かるが、それがなぜ2になるかが分からないというようなものだ。知能の無さの原因も判っている。召喚する時にステンドグラスを用いたことだ。純粋なガラスを用いればよかったものを、顔料付きのガラスであるステンドグラスを使ったため、不純物が混じって知能をうまく形成できなかった。
だが、そんな些細なこと私にとっては関係がない。私に必要な助手は雑用をこなす程度のもので十分。つまり今の小悪魔で事足りているのだ。
しかしここまで来るのは長かった。必要最低限の言葉を覚えるまではつきっきりで教えなくてはいけなかったし、こちらの世界の常識を片っ端から詰め込む必要もあった。掃除洗濯は1回で覚えてくれたことが唯一の助けだろうか。そのお陰か今では快適な研究ライフを送っている訳だが。
「なにかお飲物でも?」
「ああいいわ。さっき紅茶を飲んできたから」
「わかりました」
小悪魔はすぐに意味の分かっていない本に目を落とす。滑稽でもある光景だがそれはそれで興味深い。この本を彼女はどの様に解釈しているのだろうか、そんな素朴な疑問が湧き上がってくる。
しばらく互いに本を読んだ後、私は幻想郷について切り出す。小悪魔は自分で作ったのであろう金色の栞を本に挟んで閉じる。
「小悪魔、レミリアお嬢様の意向で館を幻想郷という所へ移すことが決まったわ」
「幻想郷ですか。聞いたことないですね」
「私もよ。1年間で全部調べ上げて館を移すための術式まで完成させなければならないわ」
「なんと大変な」
「あなたの手助けが必要になるわね、小悪魔」
「お任せください!」
図書館に幻想郷についての書籍があるかというと、十中八九無いと踏んだ。根拠は無いが、図書館の主である私が思うのだから間違いない。だから早々に図書館の本の検索は諦めて、館の外を調べることにした。近くの村の人間たちを脅して、全ての本と名の付くものをかき集め、小悪魔がそれを整理しながら私が片っ端から読む。情報が無かったら次の村へ、ということを繰り返していた。しだいに紅魔館から離れていくにつれて野営を張ることが多くなった。無論私はその様なことをしたことが無い。だが私の武器である知識を振りかざして小悪魔を動かすことで、快適に野営をすることができた。
半年後、私はついに一冊の本と出会う。
幻想郷縁起という本だ。稗田という者の8代目が記した本で、幻想郷が完成したということを示した内容が書かれていた。私は歓喜した。紅魔館から遥か離れたこの日本という場所で手がかりを掴んだのだ。
幻想郷縁起からは様々な情報を読み解くことができた。どうやら幻想郷へ行くためには幾つか結界を超えなくてはいけないらしい。とりあえず、仕入れれるだけの情報は仕入れた。あとは術式を作るだけだ。
私と小悪魔は急いで紅魔館へと戻る。
◇
「くそっ!どうして上手くいかない!?」
パリンとビーカーの割れる音が図書館に響き渡る。この図書館にビーカーの類は本当はあるはずがない。通常の移動魔法であればこの図書館の中にある本を詠唱するだけで十分足りる。が、なんせ今回は幻想郷が相手だ。まず自分たちの存在を幻想と化す必要がある。そんな魔法はどこにもない。だから薬物魔法でそれを補おうとした。薬物のいくつかで魂と肉体の境界を曖昧にすれば、魔法で探った博麗大結界を通り抜けることができる。もちろん紅魔館ごと。なんて事無い移動術だが、肝心の薬物の調合が上手くいかないのだ。調合材料、調合割合、調合時間、その全てを本に書かれた通りに実行している。なのに上手くいかない。私は2ヶ月もこんな非生産的な実験を毎日繰り返している。そろそろ精神的苦痛がピークを迎える。
「パチュリー様……」
心配そうに小悪魔がこちらを見るが、手出しはさせない。魔法使いとしてのプライドうんぬんよりも、彼女自身には知識が足りない。事前に言い付けているのだ、あなたに出来る事は私を影で支える事だけだ、と。
「少し休むわ小悪魔。ベッドを準備……うぅ、ゲホッゲホッ!」
「パ、パチュリー様!」
膝をついて倒れこむ私を、駆け寄ってきた小悪魔が支える。不安の色が小悪魔の顔いっぱいににじむ。つい最近までは喘息の調子がよかったのに、薬物の実験を始めた途端にこれだ。やはり私は薬物魔法使いには向いていない。
「咲夜様の所に行って、何か栄養のあるものを作ってきてもらいます」
「ダメよ」
「何故ですか!私の料理じゃ栄養を補ません。倒れては元も子もないです!」
「……そんな事したら、レミィの耳に入っちゃうでしょ?」
「私はパチュリー様が心配なのです!」
「黙りなさい。ほら、引き出しの3番目、あなたはいつものように喘息の薬を出せば良いのよ」
「パチュリー様……」
ただでさえ時間が無いというのに、自分の体に構ってられない。大丈夫、私は一応は不死なのだから。とは言っても、そろそろきつい。今日と明日はベッドで養生しよう。その旨を小悪魔に伝えて私は床に就く。
◇
しゃりしゃりと心地よい音に目を覚ますと、小悪魔がりんごを剥いていた。いつの間にそんな技術を得たのだろうか、不恰好だがなかなか様になっていた。その動作のひとつひとつが慈愛に満ちた聖母のようにも思えた。
「あ、お目覚めですか?」
ぼーっとする頭をかき回して小悪魔の方を見る。小悪魔は笑顔でそれに応えた。
「どれ位寝てたの?」
「えーっとですね……」
小悪魔は指をひとつずつ折りながら時間を計算する。
「12時間といったところです」
「そう」
おおよそ適度な時間だ。我ながら睡眠サイクルの良さに感心してしまう。十分寝たお陰か心持ち体が軽い。私は自分が汗まみれだという事に気づいた。なるほど。汗をかいて毒気を抜く。その自然な回復力がまだ私に残されていたのか。
「汗をかかれているので、着替えましょう。あと水分補給です」
そう言って小悪魔は私にりんごを差し出した。りんごで水分補給とは小洒落ている。私は小悪魔にいたずらをしてみたくなった。
「大変よ小悪魔。手が動かなくなったわ」
「えっ!?」
「そのためりんごを自分で持つ事ができないわ」
「な、なんと」
「だから、ほら、あーん」
「ええっ!?」
私は口を小さく縦に開いてりんごを受ける準備をする。わたわたと手を振り、あうあう息を漏らしながら何かと葛藤しているようだった。そして、なぜか気合を入れ直した後自らりんごを咥えて、だんだん私に近づく。そしてそれを私に口移しした。
私の口から、えっ、というか細い声が漏れる。小悪魔の方は頭から煙を上げて顔を火が出るばかりに真っ赤にしている。もぐもぐとりんごを咀嚼した後、オーバーヒートしそうな小悪魔に問いかける。
「えっと、小悪魔?」
「は、はい!」
「どうして口移しを?」
「だ、だって図書館の本に、口を開けるのはエサを待つ合図だって書いてありましたから……」
「それって、もしかして野鳥図鑑って書いてなかった?」
「そ、そんな気がします」
「ほほう。つまり私は雛鳥にされたというわけね」
「す、すみません」
これが理解はできても意味が解らない程度の知能か、と身をもって実感した。
「……ぷっ」
私は思わず笑ってしまう。なんだろう。たいしたことじゃ無いのに、お腹の底から笑いが込み上げてくる。
「あははは」
「な、なんで笑うんですかパチュリー様ぁ!」
久しぶりに紅魔館の地下に笑い声が響いた。
体を拭いて服を着替えた後、私は研究机とは違う椅子に座って内容の軽いアンデルセン童話を読んでいた。童話も童話とて馬鹿にできない。実は童話の中に巧妙に魔法が隠されている場合がある。それを読み解くのも私の使命だが、今回はそれはない。この本はただの童話だ。
小悪魔はせっせと私のベッドのシーツを変え、乾燥剤を用いて部屋とベッドの湿気をとっていた。掃除も埃ひとつ落ちていないほど綺麗にしてくれた。よく出来た部下だ。私にとっての理想の助手は小悪魔で決定かしら。知能が発達しなかったのは正解だった。自分に知識がないから研究に手出しできないということを理解している。だから、その他のことで献身的に支えてくれる小悪魔は本当に理想的な助手だった。
「パチュリー様、紅茶のお代わりは如何でしょう?」
「実はあなたは咲夜より優秀かもしれないわね。接頭語の“お”の使い方が上手よ」
「そ、そうですか?」
満更でもない笑顔を浮かべながら私のカップに紅茶を注いだ。味は咲夜より劣るものの、小悪魔は小悪魔なりの癖のある紅茶が楽しめた。小悪魔は自分にも紅茶を注ぐと私の対面に座って飲み始めた。
「苦っ」
自分で淹れといてそれはないでしょう。まず砂糖を入れなさい。小悪魔はやっと砂糖の存在を思い出して2つほど角砂糖を入れる。それからゆっくりすすると、ほんのり甘かったのだろう、頬がゆるんでいた。
それらを飲んでしまうと小悪魔は、パチュリー様、と私を呼んだ。私は童話から目を離さずに応答したが、なぜか話出さない小悪魔には疑問を持って顔を上げる。小悪魔はいつになく真剣な目をしていた。なにごとかと思わず私は童話を閉じる。
「どうしたの?」
「お話があります」
「ええ、わかるわ」
小悪魔は手をギュッと握って悲鳴を上げるように私に言った。
「私を実験に使ってください!」
間が空く。私の思考の間だ。たっぷりと時間を取って小悪魔の言葉を咀嚼して頭に入れるも出てきた言葉は、
「はい?」
それだけだった。小悪魔は自分が言ったことが理解できていないと分かるやいなや必死に手足を使って説明を始める。
「パチュリー様がお体を痛めているのは、どう考えても薬物のためです」
「否定はしないわ」
「でしたら、薬物の調合や実験の時には私をお使いください。私には瘴気にも負けない耐性がありますから」
「ダメよ」
「そこをなんとか!」
小悪魔と私は研究に手出しをしないという契約をしている。なのに小悪魔はそれを破ろうとしている。なにごとか。
「あなたでは調合割合や時間を間違える」
「訓練します」
「時間がないわ」
「寝ないで研究します」
珍しく引き下がらない小悪魔にだんだん苛立ちを覚える。小悪魔を睨みつけるも、一瞬ビクッとしただけで、すぐに持ち直して自分の考えを言い出す。
「私はパチュリー様が心配なのです!」
寝る前に聞いたそのセリフ。今聞くと腹立たしく聞こえてしまう。なぜ使い魔程度のやつに私の心配をされなくてはならないのか。その言葉は、私の魔法使いとしてのプライドをえぐっているようにも聞こえた。だから、私は言った。
「小間使いが図に乗るな。貴様の名前はなんだ」
「こ、小悪魔です」
「そう。小悪魔。悪魔にもなれない出来損ないの悪魔だ。だから小悪魔と名をつけた。この意味解らないわけじゃないわよね?」
「そ、それでも……!」
「私が心配かしら?生憎、私は死なないの。だけれど、精神的にやられると死ぬの。そしてあなたは今、小悪魔の分際で私のプライドを傷つけた。もしこれ以上私のプライドを痛めつけるというなら……殺すわ」
理想の助手から離れたやつはいらない。さすがの小悪魔もそれを察知したのか両手を握りしめ、うつむいてしまった。少しやりすぎた気もするが、仕方ない。契約を守るためにはこれくらいするしか無いのだ。
「ごめんなさい……」
小悪魔の小さな叫び声が床に落ちる。彼女のスカートにはわずかばかり水滴がついていた。
それから私は寝る間も惜しんで研究に没頭した。くる日もくる日も、リミットと戦いながら研究室に篭り前進の見えない薬物の調合に体と精神を蝕まれていった。なぜこんなに私は苦しんでいるのだろうか。レミィのため?違う。ただ、小悪魔を避けているのだ。部下を傷つけた下種な主人になりたくなくって、それから逃げるように自分を痛みつけている。
「残り……1ヶ月」
時間と体のリミットはもうわずか。散らばる薬品に手をついてしまい、皮膚がジュウと煙を上げる。私は枯れた声で絶叫する。
なぜ、なぜ、ここまで私は苦しむ必要があるのか。小悪魔を避けて自分を傷つけるのなら、いっそ小悪魔を殺してしまえばいい。だって彼女は契約を破ろうとしたダメな使い魔だ。ためらう必要はない。なのに、それを考えるたびに体の痛みより激しい痛みが心を傷つける。床にうずくまる。意識が遠のいていくのを実感する。
ことり。
扉の奥から何かを置く音が聞こえた。私は芋虫のように床を這い、魔法で封印した扉を押す。内側からなら開く設定となっている。だけれど、そこで力尽きてしまった。意識を失う前に見えたのは青と銀色だった。
◇
目が覚めると、浮遊している時の様な感覚が私を包んだ。しばらく体を動かさなかった時になる現象である。ということは、私は相当な時間寝ていたことになる。体を動かして日時と時間を確認したいが、言うことを聞いてくれない。うぅ、うぅ、ともの悲しい唸り声だけが部屋に響いている気がした。
「あと2週間です。パチュリー様」
声が降ってきた。誰の声かはわからない。でもこの部屋に出入り出来るのは。
「小悪魔っ」
喉の奥から絞り出した声をそこにいる誰かにかける。希望も絶望も喜びも悲しみも含んだそんな声。
「申し訳ありません。私は咲夜ですわ」
視界に青の服と銀色の髪が映り込む。誰が見ても安心出来るメイド長の姿に私は涙を流した。その涙の意味を咲夜は理解して拭うと、私をゆっくり起こして完全に意識を取り戻させる。意識が回復すると、状況を整理出来る頭になった。
「私は2週間も寝ていたのね」
「ええ。無理しすぎですわ。驚きました。ご飯を運びに行ったら倒れているんですもの」
「術が完成しないもの。仕方ないじゃない」
むすっと私はそっぽを向く。咲夜はにっこり笑って綺麗に切られたりんごをこちらに向ける。
「水分補給です」
「果実から水分摂取なんて小洒落てるわね」
「そうでしょう。なんせ小悪魔がこうしてくれと言ってたのでですね」
私のりんごをかじろうとした口はピタリとその動きを止めた。今なんと言ったかしら。
「起きて目の前にいるのが私では不満ですか?」
いたずらっぽい笑顔を向ける咲夜。このメイド長は私に、小悪魔はどこ、と言わせたいのだ。その意図をわざと感じさせている。仕方ない。乗ってやろうかしら。
「小悪魔はどこにいるの?」
「はい。図書館で本の整理をしていますわ」
「そう」
ある意味日常の一風景だ。何も問題無かった。私はそれからりんごを頬張り黙り込んだ。少しだけ何も考えない時間が欲しかった。咲夜は空気を読んで出ていってくれた。しかし、すぐに喧騒が私の部屋に入ってくることとなる。
「パチェ、あなた何倒れてるのよ」
「あらレミィ。ごきげん麗しゅう」
「自虐にしか聞こえないわ」
どうしてどいつもこいつも私の部屋の解除法を知っているのかしら。まあ原因はわかりはするが。
「どう?幻想郷に行けそう?」
「あと2週間でなんとか」
「嘘が下手ね、パチェって」
「そんな」
「まあいいわ」
レミィは私に向かって一冊の本を投げた。毛布の上にパタンと落ちる。そこには『アンデルセン童話』と書かれていた。あの時私が読んでいたものだ。
「魔法は組み合わせることで、その力を格段に上げることが出来るのよ。例えば薬物魔法だけでできなかった事が、精霊魔法と組み合わせることで、完璧な移動術を作り上げるとかね」
「レミィ、あなたまさか……」
「パチェが眠っている間、もったいなかったからな調べ上げたんだぞ」
私は驚いた。まさかレミィにこんな事ができるとは思っていなかったからだ。本を開けようとすると、そこにはもうレミィの姿がなかった。本を開く。やけに開き心地が良いと思ったら、栞が挟んであった。一番重要な所を栞で挟んでいたのだろう。なるほど、ただの童話かと思ったら、実に巧妙に魔法が隠されていた。しかも、組み合わせれば魔法が完成しそうだ。私は素直に感心する。レミィにお礼を言いそびれてしまったと思い、本を一度閉じるために栞を持つ。そして重要な部分に挟んだ瞬間、違和感に気づく。
「この栞、どこかで……」
金色の栞。そう、あれは一年前。私がレミィから幻想郷に行く旨を聞いてから部屋に戻った後だ。小悪魔に話しかけ、小悪魔は意味もわかっていないはずの本を閉じるために、この栞を使った。では、これは。
「小悪魔が……?」
まさかそんなはずは無い。小悪魔にはそんな知識も知能もあるはずがない。私でさえただの童話だと思っていた本から魔法を探し出すなど考えられない。いや待て。レミィは誰が調べ上げたとか言わなかった。ということは、もしかしたら本当に。
「小悪魔。小悪魔!」
私はまだ自由の聞かない体を恨めしく思った。ああ、こんな愚かな主人を許して欲しい。プライドとか威厳とかいらないわ。あの子の健気な努力を全力で否定してしまった。それを謝らせてほしい。思いは力になり、初めてこんなにも大きな声を出す。
部屋の外がガタガタと騒ぎ始めたと思ったら、扉がバーンと開いて、肩で息を荒げている小悪魔が現れた。呼吸を整えると小悪魔の目から少しずつ水滴が伝う。
「パチュリー様……あの」
「小悪魔、こっちきて」
てくてくと寄ってきた小悪魔にアンデルセン童話を見せる。小悪魔は目を逸らしながらつぶやいた。
「レミリアお嬢様が、その中から魔法を見つけ出されたそうです」
「嘘ばっかり」
「ほ、本当ですよ!」
「小悪魔」
「は、はい」
私は深々と頭を下げる。
「ごめんなさい」
本で読んだ。東洋では相手に対してこうやって誠意を伝えるのだと。今の私にはこれしか方法が思い浮かばなかった。
「私こそすみませんでした。研究を手伝いたいなど言って」
「いいの。あの時の私はどうかしてた。今はあなたに手伝ってほしいわ。この本を読み解いたあなたに」
「は…はい!」
残り2週間はあっという間に過ぎていった。小悪魔のおかげで、滞っていた研究は紐を解いた様に進んでいき、リミットの1日を残して術は完成した。これで幻想郷に行ける。
「レミリアお嬢様」
「なに?パチュリー」
「魔法が完成しました。ついては、明日の夜には移動をと」
「……よろしい。明日の夜ね。では今日の夜は宴会をしましょう」
私は飲みに飲んだ。小悪魔から注意の言葉を受けても、逆に小悪魔に飲ませて図書館で共倒れした。そんな自分たちがおかしかった。昼まで私と小悪魔は抱き合って寝ていた様に思う。
「おはようございます、パチュリー様」
おおよそ日が傾きかけた頃、私と小悪魔は眠たい頭を掻き毟りながら術式の準備にかかる。もう完成しているので、細かい設定をしたあとに詠唱を唱えるだけだ。5分ほどの詠唱の練習をする。喘息の咳も出ないですらすらと言えた。全ては完璧だ。
術式は大広間で行う。そこに紅魔館の面子を全て集め、陣も描き上げてとうとう私が詠唱を唱えるだけとなった。柄にもなくドキドキしている自分に気づく。
「小悪魔!」
「準備完了です」
「よし。全員この陣の中に入って」
私は陣の中心で目を瞑って詠唱を始める。そうすることで魔力の錬成がより純度の高いものになるからだ。陣の端から光の帯が立ち上がり、陣の内部と外部を遮断する。そして調合した薬物が燻り、ここにいる者や物の魂と存在価値を曖昧な物にしていく。次いで私は事前に調べ上げた博麗大結界の透過魔法を詠唱し、ここに幻想郷移動魔法が完成した。
「小悪魔、移動時の座標を言って」
轟々と音のなる中、小悪魔の声が聞こえなかった。私の声が聞こえなかったのだろう。もう一度叫ぶ。
「小悪魔!座標を」
また反応が無い。嫌な気がした。
「小悪魔。小悪魔!」
私は魔力錬成を中断し、目を開ける。首を回して見渡すも、レミィと咲夜、美鈴にフランがいるだけ。私の助手がいない。
「レミィ!小悪魔は!?」
レミィはこちらを見ずに大広間の遠方を指差した。光の筋で隠れてよく見えないが、彼女の赤い髪をどうにか視界に捉えることができた。なぜ、あなたはそこにいる。この魔法は一度発動し、詠唱をしたら術者でも止めることができない。しかも発動中は絶対に陣の内外で行き来が不可能となる。つまり、小悪魔は取り残されているのだ。私は動揺を隠せなかった。
「なぜそちらにいるの!?」
私の叫びに気づいた小悪魔が陣の近くまで近づいてくる。そしてにっこりと笑った。この子は、魔法を発動する前に自ら人の外に出たのだ。
レミィが私に近づいた。
「アンデルセン童話を元にした魔術。小さい頃父に教わってそれだけは私は知っているの。で、あの子がそれを読んでいたからヒントを与えたら読み解いた。そしてそれを応用すれば移動魔術として使えることも理解した」
「だからどうしたのよ!」
激昂した私はレミィに怒鳴ってしまう。それでもレミィは落ち着いて再び話し出す。
「アンデルセン童話は裏の設定があるわ。割愛するけど、魔法において用いる場合は、必ず贄が必要となるの。アンデルセンの人生の様にね。一方が幸せになるためには他方の不幸が必要となる」
「に、贄。ってことは……」
「そう。彼女は魔術を発動するための生贄に進んでなったのよ」
「そ、そんな……」
がっくりと膝をついた。小悪魔はなおも微笑んでいる。胸のポケットに挿さっている金色の栞が鈍く光に照らされていた。
「レミィ、あなたはそれを知っていたのね」
「ええ、そうよ」
「どうして止めなかったの……」
「あまりにも彼女の意志は固かった。パチェが悲しむから辞めなさいと言って噛み付こうとして脅したのに逃げなかったわ」
「小悪魔……」
陣の光がより一層強くなる。魔力錬成を止めたためわずかに魔法の進行が遅れている。私は張り裂けそうな胸を必死で押さえつけ霞む視界を拭い、立ち上がって小悪魔と対面した。微笑む小悪魔に微笑み返す。
「小悪魔」
そう言うと、向こうも何か言っている。遮断しているせいで何も聞こえないのがもどかしい。
どうやら、ごめんなさい、と言っている様だった。私は首を横に振る。
「あなたは立派な助手でした。その全てを私に捧げ、苦痛にも耐え……うぅ」
伝わらなくてもいい、でもどうしても言っておきたい。嗚咽が混じり、喘息で呼吸ができなくなりそうになるが、胸を大きく一度ドンと叩いて無理やり押さえつける。小悪魔が心配そうな顔をするが、にっこりと微笑んでやる。
「立派だけれど、出来損ないの小悪魔よ。最後まで主人を悲しませるのね。だから、あなたにこう言うわ」
陣の光が一気に増して私たち包み込む。小悪魔の姿はもう、見えなかった。
「ありがとう」
こうして、小悪魔を除く紅魔館の面子は幻想郷入りを果たした。
◇
「あ、あれ?小悪魔?」
「え?パチュリー様?」
小悪魔と永遠の別れを果たした直後、詳しく言うと幻想入りを果たして光が引いた直後、私と小悪魔は対面していた。そのままの位置で。辺りに沈黙が走る。そしてなぜか1人だけ肩を抑えてプルプル震えている。
「貴様か、レミリア」
「ちょっとパチェ!?」
むんずとレミィの頭をつかんで、獄卒獣も逃げ出す眼光を効かせる。レミィはひぃと小さく悲鳴を上げたあと、観念したのか正座してぽつりぽつりと事情を説明し出した。妹様は馬鹿らしい、と地下に戻っていく。
「彼女の胸元見て」
「胸元?」
小悪魔の胸ポケットを見ると、そこに金色の栞は挿さっていなかった。小悪魔は慌てて全身のポケットを探すがどこにもない。
「彼女の運命と、栞の運命を入れ替えました」
「ほほう?つまり?」
「贄になったのは栞で、紅魔館内にいた小悪魔はこちらに来れたと言うことです……痛い!パチェ!握りつぶしは痛い!」
「最初からそう出来るなら、そうしなさいよ」
「ちょっとした遊び心じゃない!」
私は全力でレミィの頭をグリグリとした後、ふう、と息を吐いて。小悪魔の元へ向かった。そして何も言わずに手を引いて図書館へ向かう。小悪魔も何も言わずに着いてきてくれる。
図書館の自室へ入った私たちはいつもの椅子にいつものように座って向かい合う。
「小悪魔」
「はい、パチュリー様」
「そう言えば、前回の契約はもう無い物になっていたわね」
「そうですね」
「では新しい契約をしましょう」
「はい」
私は魔法で羊皮紙にペンでこう書いた。
「二度と私の前から立ち去ることが無いように」
紙を受け取ると、小悪魔はそれを丸めて自分の懐に忍ばせた。この紙にはなんの魔法効果も無い。ただの文字を書いた羊皮紙だ。だけれど、今の私たちには魔法以上に強いつながりとなるものだった。
「精進します」
小悪魔が目尻に涙を浮かべながら満面の笑みを見せてくれる。私の目頭も熱くなるのを感じた。
「確約しなさいよ、そこは」
「えへへ」
「本当に、どうしようもない小悪魔なんだから」
私が始めて召喚したのは出来損ないの小悪魔だった。
そう、主人のためなら自分を顧みないほど強い意志を持った、そんな愛おしい出来損ないの小悪魔だった。
紅魔館の地下の図書館で陰気臭いと言われながらも、ずっと精霊魔法の研究をしている。私が数ある魔法の中でも最も興味を惹かれたものだ。ドールの研究はまずカラクリ人形から作らないといけないので却下。薬物魔法は研究材料採取のために奔走しないといけなく、喘息に障るので却下。であれば精霊魔法しか道は残されていない。運良く私はそれに惹かれたので、魔法使いとしての生涯研究のテーマをそれにした。
あれはある冬の冷え込みが厳しい日だったと思う。それまで仕えていた人間のメイドが少し前に事切れてしまい、新しいメイドを探している最中だった。なかなか適合した人物がおらず、お嬢様と妹様の食料の調理、紅魔館の暖の燃料の確保を美鈴が一手に行い、私のところまで手が回らなかった。私は食事をする必要もないし、致命傷を負わない限り死ぬ事もないので構わないと言ったが、それでも寒さは体力と思考能力を奪い取っていく。そのまま放っておけば生きた凍結魔法使い人形の出来上がりである。それは出来るだけ回避したい。そう思った私は召喚魔導書を手当り次第に読み、助手として働ける使い魔を呼ぼうとした。適合材料は、真面目、従順、器用、適度な知能だった。そしてそれにヒットした魔導書が4冊。その中で人型に近いのが2冊。その2冊で召喚魔力数値が低い方を選んだ。
そもそも精霊魔法は何かしらの召喚の繰り返しである。魔武器や魔石、妖精などを多く繰り出し、それらを組み合わせて魔法を作り上げる。だが、それは一時的な召喚であり長くとも1日程度。別の世界からこちらの世界に召喚したものが適合できるわけも無いので、それ位が限度ということになる。これを限時召喚法という。代わって永遠にこの世界に召喚しっぱなしにして使い魔などに使うための召喚を恒久召喚法という。これは召喚したものを特殊な魔法で魂や存在価値を縛り上げ、この世界に引きつないでおくものだ。より高度な召喚術ということになる。
寒さをしのぎたい私は、初めての恒久召喚法だがすぐに召喚術に取り掛かる。召喚する種類は悪魔だそうだ。
図書館の奥にある私の部屋に貝殻で魔方陣を描き、北にガラス、西にシルク、南に純水、東に火を設置して魔導書通りの詠唱を唱える。魔法自体は簡単だ。ジュウと陣は煙を上げ、私の視界をすっかり奪ってしまう。地獄の瘴気だろうか、目と喉が痛い。とっさに服で顔を覆い煙が引くのをそれで待つ。
しばらくして目を開けると、布一つまとわぬ少女ほどの悪魔が召喚されていた。目を閉じて陣の中心にぺたりと座っている。
「悪魔よ」
そう言うと、小悪魔という存在は自らが召喚されたと気づき、そして目の前にいるのは召喚主だということを理解するはずだった。
「あ、う……?」
私の方が一瞬理解を喪失する。あまりにも幼子に似たその声はそれだけで私に戸惑いを与えてくれた。そんなはずはない。正当な手順は踏んだ。魂の固定化のための火は美鈴に頼んで一番良い油を用いて作成したし、体液となりうる純水は3度も蒸留を繰り返したものだ。肉体のシルクだって私の魔導服を破いたものだ。ではやはり、問題はガラスか。知能となる予定だったガラスが問題ある。多彩な知能をと思ってステンドグラスを用いたのは間違いだったのだろう。ただの助手として使うのだから奮発してステンドグラスを持ちいらずとも、ただの打ち砕いたガラスでよかった。その結果がこれであるのだから。
「私の名前はパチュリー・ノーレッジ。お前の主である」
念のため最後まで形式通りにやってみる。もしかしたらこれで知能が確定するかもしれない。
「お前の名は」
皮肉を込めてこう言った。
「小悪魔だ」
◇
「幻想郷というところへ行くわ」
春の暖かくなってきた頃だろうか、紅魔館の主である吸血鬼は私に向かってそう言った。その事を言いたいがために私をわざわざ大広間まで呼んだのだ。
「行きたいわ、の間違いでしょうレミィ?」
「ふふん。なんだ、判ってるじゃない」
大義そうに鼻を鳴らす吸血鬼を見て、判らない訳無いじゃないと思ってしまう。私が持たないそんなあなたの自由さが好きで私は紅魔館にいるのに。紅茶を一口飲んで、そんな思考の欠片を心に刻んでいく。
「それで、その幻想郷というのは?」
「それも含めてあなたに調べて欲しいのよ。どうやら妖怪やら何やらうじゃうじゃいるらしいけれど」
「もしかして、妹様の遊び相手を探してるの?」
「さて、どうかしらね」
わかりやすいわね、レミィ。あなたは優秀な姉よ。
「お嬢様、お紅茶のお代わりはお如何でしょうか?」
「あのね咲夜、日本語に不慣れだろうから教えてあげるけど、接頭語の“お”はそんな大量に付けると逆にはしたないのよ。まあ私にに対して多大な尊敬を表現しようとした事は評価するわ」
「はあ、そうなんですか。今後注意しますわ、嬢様」
「おい、待てこら」
3年前の冬にこの館に侵入してきた少女。いろいろ転じて今は優秀なメイドとなっている。少し頭がアレだが。
そうか、もう3年にもなるのか。
私は紅茶を飲み干したティーカップを置いて、吸血鬼の方をじっと見る。メイドと騒いでいた吸血鬼は私の視線に気づいて恥ずかしそうにメイドを後ろに下げる。紅茶を2、3口すすった後、しっかり私を見据えた。それを合図に私は喋り出す。
「レミィ……いえ。レミリアお嬢様。私に1年の猶予をください。さすれば必ず幻想郷への道を作ってみましょう」
「期待しているわ。我が紅魔の知識、パチュリー・ノーレッジよ」
私とレミリアは、レミィ、パチェと呼び合う中ではある。が、やはり正当な場での上下関係はレミィの方が上である。なんせ紅魔館の主なのだから。しかし私はその奇妙な友人関係に心地よさをおぼえていた。レミィのわがままに付き合えることが嬉しかった。
図書館に戻った私はそのまま自分の部屋のドアを開く。煩雑した図書館とは違い、スッキリした清涼感あふれる室内が現れる。本の虫である私のための雰囲気では無い。私はもっと陰気臭い部屋が好みだ。
私が戻ってきたと分かると、座っている読書をしていた少女が駆け寄ってくる。頭に小さなコウモリ羽を生やし、スーツに似た服装の少女だ。駆けるたびに赤い髪がふわりと揺れる。
「お帰りなさいませ、パチュリー様」
3年前に召喚した私の使い魔である。名を小悪魔という。真面目で従順、それに器用だ。言い付けたことをきちんと守る。それに単なる肉体労働ならなんでも器用にこなしてしまう。掃除洗濯、彼女の得意分野は一般主婦のようである。
「ただいま小悪魔。本は読めたかしら?」
私は小悪魔が手に持っている本を見ていたずらっぽく言う。小悪魔はもう一度本を開いて、うーんと唸った後笑顔で、
「解りませんでした」
と答えた。私は、そう、と言い椅子に腰掛ける。
私が召喚した従順真面目で器用な悪魔の唯一の弱点、それは知能だった。常識はある程度持つことができたが、知識を全くと言っていいほど吸収しない。鳥頭とはまた違うベクトルの頭の悪さで、小悪魔の場合は本を理解しても意味がわかっていない。例えば、1と1の加法の答えが2だということは分かるが、それがなぜ2になるかが分からないというようなものだ。知能の無さの原因も判っている。召喚する時にステンドグラスを用いたことだ。純粋なガラスを用いればよかったものを、顔料付きのガラスであるステンドグラスを使ったため、不純物が混じって知能をうまく形成できなかった。
だが、そんな些細なこと私にとっては関係がない。私に必要な助手は雑用をこなす程度のもので十分。つまり今の小悪魔で事足りているのだ。
しかしここまで来るのは長かった。必要最低限の言葉を覚えるまではつきっきりで教えなくてはいけなかったし、こちらの世界の常識を片っ端から詰め込む必要もあった。掃除洗濯は1回で覚えてくれたことが唯一の助けだろうか。そのお陰か今では快適な研究ライフを送っている訳だが。
「なにかお飲物でも?」
「ああいいわ。さっき紅茶を飲んできたから」
「わかりました」
小悪魔はすぐに意味の分かっていない本に目を落とす。滑稽でもある光景だがそれはそれで興味深い。この本を彼女はどの様に解釈しているのだろうか、そんな素朴な疑問が湧き上がってくる。
しばらく互いに本を読んだ後、私は幻想郷について切り出す。小悪魔は自分で作ったのであろう金色の栞を本に挟んで閉じる。
「小悪魔、レミリアお嬢様の意向で館を幻想郷という所へ移すことが決まったわ」
「幻想郷ですか。聞いたことないですね」
「私もよ。1年間で全部調べ上げて館を移すための術式まで完成させなければならないわ」
「なんと大変な」
「あなたの手助けが必要になるわね、小悪魔」
「お任せください!」
図書館に幻想郷についての書籍があるかというと、十中八九無いと踏んだ。根拠は無いが、図書館の主である私が思うのだから間違いない。だから早々に図書館の本の検索は諦めて、館の外を調べることにした。近くの村の人間たちを脅して、全ての本と名の付くものをかき集め、小悪魔がそれを整理しながら私が片っ端から読む。情報が無かったら次の村へ、ということを繰り返していた。しだいに紅魔館から離れていくにつれて野営を張ることが多くなった。無論私はその様なことをしたことが無い。だが私の武器である知識を振りかざして小悪魔を動かすことで、快適に野営をすることができた。
半年後、私はついに一冊の本と出会う。
幻想郷縁起という本だ。稗田という者の8代目が記した本で、幻想郷が完成したということを示した内容が書かれていた。私は歓喜した。紅魔館から遥か離れたこの日本という場所で手がかりを掴んだのだ。
幻想郷縁起からは様々な情報を読み解くことができた。どうやら幻想郷へ行くためには幾つか結界を超えなくてはいけないらしい。とりあえず、仕入れれるだけの情報は仕入れた。あとは術式を作るだけだ。
私と小悪魔は急いで紅魔館へと戻る。
◇
「くそっ!どうして上手くいかない!?」
パリンとビーカーの割れる音が図書館に響き渡る。この図書館にビーカーの類は本当はあるはずがない。通常の移動魔法であればこの図書館の中にある本を詠唱するだけで十分足りる。が、なんせ今回は幻想郷が相手だ。まず自分たちの存在を幻想と化す必要がある。そんな魔法はどこにもない。だから薬物魔法でそれを補おうとした。薬物のいくつかで魂と肉体の境界を曖昧にすれば、魔法で探った博麗大結界を通り抜けることができる。もちろん紅魔館ごと。なんて事無い移動術だが、肝心の薬物の調合が上手くいかないのだ。調合材料、調合割合、調合時間、その全てを本に書かれた通りに実行している。なのに上手くいかない。私は2ヶ月もこんな非生産的な実験を毎日繰り返している。そろそろ精神的苦痛がピークを迎える。
「パチュリー様……」
心配そうに小悪魔がこちらを見るが、手出しはさせない。魔法使いとしてのプライドうんぬんよりも、彼女自身には知識が足りない。事前に言い付けているのだ、あなたに出来る事は私を影で支える事だけだ、と。
「少し休むわ小悪魔。ベッドを準備……うぅ、ゲホッゲホッ!」
「パ、パチュリー様!」
膝をついて倒れこむ私を、駆け寄ってきた小悪魔が支える。不安の色が小悪魔の顔いっぱいににじむ。つい最近までは喘息の調子がよかったのに、薬物の実験を始めた途端にこれだ。やはり私は薬物魔法使いには向いていない。
「咲夜様の所に行って、何か栄養のあるものを作ってきてもらいます」
「ダメよ」
「何故ですか!私の料理じゃ栄養を補ません。倒れては元も子もないです!」
「……そんな事したら、レミィの耳に入っちゃうでしょ?」
「私はパチュリー様が心配なのです!」
「黙りなさい。ほら、引き出しの3番目、あなたはいつものように喘息の薬を出せば良いのよ」
「パチュリー様……」
ただでさえ時間が無いというのに、自分の体に構ってられない。大丈夫、私は一応は不死なのだから。とは言っても、そろそろきつい。今日と明日はベッドで養生しよう。その旨を小悪魔に伝えて私は床に就く。
◇
しゃりしゃりと心地よい音に目を覚ますと、小悪魔がりんごを剥いていた。いつの間にそんな技術を得たのだろうか、不恰好だがなかなか様になっていた。その動作のひとつひとつが慈愛に満ちた聖母のようにも思えた。
「あ、お目覚めですか?」
ぼーっとする頭をかき回して小悪魔の方を見る。小悪魔は笑顔でそれに応えた。
「どれ位寝てたの?」
「えーっとですね……」
小悪魔は指をひとつずつ折りながら時間を計算する。
「12時間といったところです」
「そう」
おおよそ適度な時間だ。我ながら睡眠サイクルの良さに感心してしまう。十分寝たお陰か心持ち体が軽い。私は自分が汗まみれだという事に気づいた。なるほど。汗をかいて毒気を抜く。その自然な回復力がまだ私に残されていたのか。
「汗をかかれているので、着替えましょう。あと水分補給です」
そう言って小悪魔は私にりんごを差し出した。りんごで水分補給とは小洒落ている。私は小悪魔にいたずらをしてみたくなった。
「大変よ小悪魔。手が動かなくなったわ」
「えっ!?」
「そのためりんごを自分で持つ事ができないわ」
「な、なんと」
「だから、ほら、あーん」
「ええっ!?」
私は口を小さく縦に開いてりんごを受ける準備をする。わたわたと手を振り、あうあう息を漏らしながら何かと葛藤しているようだった。そして、なぜか気合を入れ直した後自らりんごを咥えて、だんだん私に近づく。そしてそれを私に口移しした。
私の口から、えっ、というか細い声が漏れる。小悪魔の方は頭から煙を上げて顔を火が出るばかりに真っ赤にしている。もぐもぐとりんごを咀嚼した後、オーバーヒートしそうな小悪魔に問いかける。
「えっと、小悪魔?」
「は、はい!」
「どうして口移しを?」
「だ、だって図書館の本に、口を開けるのはエサを待つ合図だって書いてありましたから……」
「それって、もしかして野鳥図鑑って書いてなかった?」
「そ、そんな気がします」
「ほほう。つまり私は雛鳥にされたというわけね」
「す、すみません」
これが理解はできても意味が解らない程度の知能か、と身をもって実感した。
「……ぷっ」
私は思わず笑ってしまう。なんだろう。たいしたことじゃ無いのに、お腹の底から笑いが込み上げてくる。
「あははは」
「な、なんで笑うんですかパチュリー様ぁ!」
久しぶりに紅魔館の地下に笑い声が響いた。
体を拭いて服を着替えた後、私は研究机とは違う椅子に座って内容の軽いアンデルセン童話を読んでいた。童話も童話とて馬鹿にできない。実は童話の中に巧妙に魔法が隠されている場合がある。それを読み解くのも私の使命だが、今回はそれはない。この本はただの童話だ。
小悪魔はせっせと私のベッドのシーツを変え、乾燥剤を用いて部屋とベッドの湿気をとっていた。掃除も埃ひとつ落ちていないほど綺麗にしてくれた。よく出来た部下だ。私にとっての理想の助手は小悪魔で決定かしら。知能が発達しなかったのは正解だった。自分に知識がないから研究に手出しできないということを理解している。だから、その他のことで献身的に支えてくれる小悪魔は本当に理想的な助手だった。
「パチュリー様、紅茶のお代わりは如何でしょう?」
「実はあなたは咲夜より優秀かもしれないわね。接頭語の“お”の使い方が上手よ」
「そ、そうですか?」
満更でもない笑顔を浮かべながら私のカップに紅茶を注いだ。味は咲夜より劣るものの、小悪魔は小悪魔なりの癖のある紅茶が楽しめた。小悪魔は自分にも紅茶を注ぐと私の対面に座って飲み始めた。
「苦っ」
自分で淹れといてそれはないでしょう。まず砂糖を入れなさい。小悪魔はやっと砂糖の存在を思い出して2つほど角砂糖を入れる。それからゆっくりすすると、ほんのり甘かったのだろう、頬がゆるんでいた。
それらを飲んでしまうと小悪魔は、パチュリー様、と私を呼んだ。私は童話から目を離さずに応答したが、なぜか話出さない小悪魔には疑問を持って顔を上げる。小悪魔はいつになく真剣な目をしていた。なにごとかと思わず私は童話を閉じる。
「どうしたの?」
「お話があります」
「ええ、わかるわ」
小悪魔は手をギュッと握って悲鳴を上げるように私に言った。
「私を実験に使ってください!」
間が空く。私の思考の間だ。たっぷりと時間を取って小悪魔の言葉を咀嚼して頭に入れるも出てきた言葉は、
「はい?」
それだけだった。小悪魔は自分が言ったことが理解できていないと分かるやいなや必死に手足を使って説明を始める。
「パチュリー様がお体を痛めているのは、どう考えても薬物のためです」
「否定はしないわ」
「でしたら、薬物の調合や実験の時には私をお使いください。私には瘴気にも負けない耐性がありますから」
「ダメよ」
「そこをなんとか!」
小悪魔と私は研究に手出しをしないという契約をしている。なのに小悪魔はそれを破ろうとしている。なにごとか。
「あなたでは調合割合や時間を間違える」
「訓練します」
「時間がないわ」
「寝ないで研究します」
珍しく引き下がらない小悪魔にだんだん苛立ちを覚える。小悪魔を睨みつけるも、一瞬ビクッとしただけで、すぐに持ち直して自分の考えを言い出す。
「私はパチュリー様が心配なのです!」
寝る前に聞いたそのセリフ。今聞くと腹立たしく聞こえてしまう。なぜ使い魔程度のやつに私の心配をされなくてはならないのか。その言葉は、私の魔法使いとしてのプライドをえぐっているようにも聞こえた。だから、私は言った。
「小間使いが図に乗るな。貴様の名前はなんだ」
「こ、小悪魔です」
「そう。小悪魔。悪魔にもなれない出来損ないの悪魔だ。だから小悪魔と名をつけた。この意味解らないわけじゃないわよね?」
「そ、それでも……!」
「私が心配かしら?生憎、私は死なないの。だけれど、精神的にやられると死ぬの。そしてあなたは今、小悪魔の分際で私のプライドを傷つけた。もしこれ以上私のプライドを痛めつけるというなら……殺すわ」
理想の助手から離れたやつはいらない。さすがの小悪魔もそれを察知したのか両手を握りしめ、うつむいてしまった。少しやりすぎた気もするが、仕方ない。契約を守るためにはこれくらいするしか無いのだ。
「ごめんなさい……」
小悪魔の小さな叫び声が床に落ちる。彼女のスカートにはわずかばかり水滴がついていた。
それから私は寝る間も惜しんで研究に没頭した。くる日もくる日も、リミットと戦いながら研究室に篭り前進の見えない薬物の調合に体と精神を蝕まれていった。なぜこんなに私は苦しんでいるのだろうか。レミィのため?違う。ただ、小悪魔を避けているのだ。部下を傷つけた下種な主人になりたくなくって、それから逃げるように自分を痛みつけている。
「残り……1ヶ月」
時間と体のリミットはもうわずか。散らばる薬品に手をついてしまい、皮膚がジュウと煙を上げる。私は枯れた声で絶叫する。
なぜ、なぜ、ここまで私は苦しむ必要があるのか。小悪魔を避けて自分を傷つけるのなら、いっそ小悪魔を殺してしまえばいい。だって彼女は契約を破ろうとしたダメな使い魔だ。ためらう必要はない。なのに、それを考えるたびに体の痛みより激しい痛みが心を傷つける。床にうずくまる。意識が遠のいていくのを実感する。
ことり。
扉の奥から何かを置く音が聞こえた。私は芋虫のように床を這い、魔法で封印した扉を押す。内側からなら開く設定となっている。だけれど、そこで力尽きてしまった。意識を失う前に見えたのは青と銀色だった。
◇
目が覚めると、浮遊している時の様な感覚が私を包んだ。しばらく体を動かさなかった時になる現象である。ということは、私は相当な時間寝ていたことになる。体を動かして日時と時間を確認したいが、言うことを聞いてくれない。うぅ、うぅ、ともの悲しい唸り声だけが部屋に響いている気がした。
「あと2週間です。パチュリー様」
声が降ってきた。誰の声かはわからない。でもこの部屋に出入り出来るのは。
「小悪魔っ」
喉の奥から絞り出した声をそこにいる誰かにかける。希望も絶望も喜びも悲しみも含んだそんな声。
「申し訳ありません。私は咲夜ですわ」
視界に青の服と銀色の髪が映り込む。誰が見ても安心出来るメイド長の姿に私は涙を流した。その涙の意味を咲夜は理解して拭うと、私をゆっくり起こして完全に意識を取り戻させる。意識が回復すると、状況を整理出来る頭になった。
「私は2週間も寝ていたのね」
「ええ。無理しすぎですわ。驚きました。ご飯を運びに行ったら倒れているんですもの」
「術が完成しないもの。仕方ないじゃない」
むすっと私はそっぽを向く。咲夜はにっこり笑って綺麗に切られたりんごをこちらに向ける。
「水分補給です」
「果実から水分摂取なんて小洒落てるわね」
「そうでしょう。なんせ小悪魔がこうしてくれと言ってたのでですね」
私のりんごをかじろうとした口はピタリとその動きを止めた。今なんと言ったかしら。
「起きて目の前にいるのが私では不満ですか?」
いたずらっぽい笑顔を向ける咲夜。このメイド長は私に、小悪魔はどこ、と言わせたいのだ。その意図をわざと感じさせている。仕方ない。乗ってやろうかしら。
「小悪魔はどこにいるの?」
「はい。図書館で本の整理をしていますわ」
「そう」
ある意味日常の一風景だ。何も問題無かった。私はそれからりんごを頬張り黙り込んだ。少しだけ何も考えない時間が欲しかった。咲夜は空気を読んで出ていってくれた。しかし、すぐに喧騒が私の部屋に入ってくることとなる。
「パチェ、あなた何倒れてるのよ」
「あらレミィ。ごきげん麗しゅう」
「自虐にしか聞こえないわ」
どうしてどいつもこいつも私の部屋の解除法を知っているのかしら。まあ原因はわかりはするが。
「どう?幻想郷に行けそう?」
「あと2週間でなんとか」
「嘘が下手ね、パチェって」
「そんな」
「まあいいわ」
レミィは私に向かって一冊の本を投げた。毛布の上にパタンと落ちる。そこには『アンデルセン童話』と書かれていた。あの時私が読んでいたものだ。
「魔法は組み合わせることで、その力を格段に上げることが出来るのよ。例えば薬物魔法だけでできなかった事が、精霊魔法と組み合わせることで、完璧な移動術を作り上げるとかね」
「レミィ、あなたまさか……」
「パチェが眠っている間、もったいなかったからな調べ上げたんだぞ」
私は驚いた。まさかレミィにこんな事ができるとは思っていなかったからだ。本を開けようとすると、そこにはもうレミィの姿がなかった。本を開く。やけに開き心地が良いと思ったら、栞が挟んであった。一番重要な所を栞で挟んでいたのだろう。なるほど、ただの童話かと思ったら、実に巧妙に魔法が隠されていた。しかも、組み合わせれば魔法が完成しそうだ。私は素直に感心する。レミィにお礼を言いそびれてしまったと思い、本を一度閉じるために栞を持つ。そして重要な部分に挟んだ瞬間、違和感に気づく。
「この栞、どこかで……」
金色の栞。そう、あれは一年前。私がレミィから幻想郷に行く旨を聞いてから部屋に戻った後だ。小悪魔に話しかけ、小悪魔は意味もわかっていないはずの本を閉じるために、この栞を使った。では、これは。
「小悪魔が……?」
まさかそんなはずは無い。小悪魔にはそんな知識も知能もあるはずがない。私でさえただの童話だと思っていた本から魔法を探し出すなど考えられない。いや待て。レミィは誰が調べ上げたとか言わなかった。ということは、もしかしたら本当に。
「小悪魔。小悪魔!」
私はまだ自由の聞かない体を恨めしく思った。ああ、こんな愚かな主人を許して欲しい。プライドとか威厳とかいらないわ。あの子の健気な努力を全力で否定してしまった。それを謝らせてほしい。思いは力になり、初めてこんなにも大きな声を出す。
部屋の外がガタガタと騒ぎ始めたと思ったら、扉がバーンと開いて、肩で息を荒げている小悪魔が現れた。呼吸を整えると小悪魔の目から少しずつ水滴が伝う。
「パチュリー様……あの」
「小悪魔、こっちきて」
てくてくと寄ってきた小悪魔にアンデルセン童話を見せる。小悪魔は目を逸らしながらつぶやいた。
「レミリアお嬢様が、その中から魔法を見つけ出されたそうです」
「嘘ばっかり」
「ほ、本当ですよ!」
「小悪魔」
「は、はい」
私は深々と頭を下げる。
「ごめんなさい」
本で読んだ。東洋では相手に対してこうやって誠意を伝えるのだと。今の私にはこれしか方法が思い浮かばなかった。
「私こそすみませんでした。研究を手伝いたいなど言って」
「いいの。あの時の私はどうかしてた。今はあなたに手伝ってほしいわ。この本を読み解いたあなたに」
「は…はい!」
残り2週間はあっという間に過ぎていった。小悪魔のおかげで、滞っていた研究は紐を解いた様に進んでいき、リミットの1日を残して術は完成した。これで幻想郷に行ける。
「レミリアお嬢様」
「なに?パチュリー」
「魔法が完成しました。ついては、明日の夜には移動をと」
「……よろしい。明日の夜ね。では今日の夜は宴会をしましょう」
私は飲みに飲んだ。小悪魔から注意の言葉を受けても、逆に小悪魔に飲ませて図書館で共倒れした。そんな自分たちがおかしかった。昼まで私と小悪魔は抱き合って寝ていた様に思う。
「おはようございます、パチュリー様」
おおよそ日が傾きかけた頃、私と小悪魔は眠たい頭を掻き毟りながら術式の準備にかかる。もう完成しているので、細かい設定をしたあとに詠唱を唱えるだけだ。5分ほどの詠唱の練習をする。喘息の咳も出ないですらすらと言えた。全ては完璧だ。
術式は大広間で行う。そこに紅魔館の面子を全て集め、陣も描き上げてとうとう私が詠唱を唱えるだけとなった。柄にもなくドキドキしている自分に気づく。
「小悪魔!」
「準備完了です」
「よし。全員この陣の中に入って」
私は陣の中心で目を瞑って詠唱を始める。そうすることで魔力の錬成がより純度の高いものになるからだ。陣の端から光の帯が立ち上がり、陣の内部と外部を遮断する。そして調合した薬物が燻り、ここにいる者や物の魂と存在価値を曖昧な物にしていく。次いで私は事前に調べ上げた博麗大結界の透過魔法を詠唱し、ここに幻想郷移動魔法が完成した。
「小悪魔、移動時の座標を言って」
轟々と音のなる中、小悪魔の声が聞こえなかった。私の声が聞こえなかったのだろう。もう一度叫ぶ。
「小悪魔!座標を」
また反応が無い。嫌な気がした。
「小悪魔。小悪魔!」
私は魔力錬成を中断し、目を開ける。首を回して見渡すも、レミィと咲夜、美鈴にフランがいるだけ。私の助手がいない。
「レミィ!小悪魔は!?」
レミィはこちらを見ずに大広間の遠方を指差した。光の筋で隠れてよく見えないが、彼女の赤い髪をどうにか視界に捉えることができた。なぜ、あなたはそこにいる。この魔法は一度発動し、詠唱をしたら術者でも止めることができない。しかも発動中は絶対に陣の内外で行き来が不可能となる。つまり、小悪魔は取り残されているのだ。私は動揺を隠せなかった。
「なぜそちらにいるの!?」
私の叫びに気づいた小悪魔が陣の近くまで近づいてくる。そしてにっこりと笑った。この子は、魔法を発動する前に自ら人の外に出たのだ。
レミィが私に近づいた。
「アンデルセン童話を元にした魔術。小さい頃父に教わってそれだけは私は知っているの。で、あの子がそれを読んでいたからヒントを与えたら読み解いた。そしてそれを応用すれば移動魔術として使えることも理解した」
「だからどうしたのよ!」
激昂した私はレミィに怒鳴ってしまう。それでもレミィは落ち着いて再び話し出す。
「アンデルセン童話は裏の設定があるわ。割愛するけど、魔法において用いる場合は、必ず贄が必要となるの。アンデルセンの人生の様にね。一方が幸せになるためには他方の不幸が必要となる」
「に、贄。ってことは……」
「そう。彼女は魔術を発動するための生贄に進んでなったのよ」
「そ、そんな……」
がっくりと膝をついた。小悪魔はなおも微笑んでいる。胸のポケットに挿さっている金色の栞が鈍く光に照らされていた。
「レミィ、あなたはそれを知っていたのね」
「ええ、そうよ」
「どうして止めなかったの……」
「あまりにも彼女の意志は固かった。パチェが悲しむから辞めなさいと言って噛み付こうとして脅したのに逃げなかったわ」
「小悪魔……」
陣の光がより一層強くなる。魔力錬成を止めたためわずかに魔法の進行が遅れている。私は張り裂けそうな胸を必死で押さえつけ霞む視界を拭い、立ち上がって小悪魔と対面した。微笑む小悪魔に微笑み返す。
「小悪魔」
そう言うと、向こうも何か言っている。遮断しているせいで何も聞こえないのがもどかしい。
どうやら、ごめんなさい、と言っている様だった。私は首を横に振る。
「あなたは立派な助手でした。その全てを私に捧げ、苦痛にも耐え……うぅ」
伝わらなくてもいい、でもどうしても言っておきたい。嗚咽が混じり、喘息で呼吸ができなくなりそうになるが、胸を大きく一度ドンと叩いて無理やり押さえつける。小悪魔が心配そうな顔をするが、にっこりと微笑んでやる。
「立派だけれど、出来損ないの小悪魔よ。最後まで主人を悲しませるのね。だから、あなたにこう言うわ」
陣の光が一気に増して私たち包み込む。小悪魔の姿はもう、見えなかった。
「ありがとう」
こうして、小悪魔を除く紅魔館の面子は幻想郷入りを果たした。
◇
「あ、あれ?小悪魔?」
「え?パチュリー様?」
小悪魔と永遠の別れを果たした直後、詳しく言うと幻想入りを果たして光が引いた直後、私と小悪魔は対面していた。そのままの位置で。辺りに沈黙が走る。そしてなぜか1人だけ肩を抑えてプルプル震えている。
「貴様か、レミリア」
「ちょっとパチェ!?」
むんずとレミィの頭をつかんで、獄卒獣も逃げ出す眼光を効かせる。レミィはひぃと小さく悲鳴を上げたあと、観念したのか正座してぽつりぽつりと事情を説明し出した。妹様は馬鹿らしい、と地下に戻っていく。
「彼女の胸元見て」
「胸元?」
小悪魔の胸ポケットを見ると、そこに金色の栞は挿さっていなかった。小悪魔は慌てて全身のポケットを探すがどこにもない。
「彼女の運命と、栞の運命を入れ替えました」
「ほほう?つまり?」
「贄になったのは栞で、紅魔館内にいた小悪魔はこちらに来れたと言うことです……痛い!パチェ!握りつぶしは痛い!」
「最初からそう出来るなら、そうしなさいよ」
「ちょっとした遊び心じゃない!」
私は全力でレミィの頭をグリグリとした後、ふう、と息を吐いて。小悪魔の元へ向かった。そして何も言わずに手を引いて図書館へ向かう。小悪魔も何も言わずに着いてきてくれる。
図書館の自室へ入った私たちはいつもの椅子にいつものように座って向かい合う。
「小悪魔」
「はい、パチュリー様」
「そう言えば、前回の契約はもう無い物になっていたわね」
「そうですね」
「では新しい契約をしましょう」
「はい」
私は魔法で羊皮紙にペンでこう書いた。
「二度と私の前から立ち去ることが無いように」
紙を受け取ると、小悪魔はそれを丸めて自分の懐に忍ばせた。この紙にはなんの魔法効果も無い。ただの文字を書いた羊皮紙だ。だけれど、今の私たちには魔法以上に強いつながりとなるものだった。
「精進します」
小悪魔が目尻に涙を浮かべながら満面の笑みを見せてくれる。私の目頭も熱くなるのを感じた。
「確約しなさいよ、そこは」
「えへへ」
「本当に、どうしようもない小悪魔なんだから」
私が始めて召喚したのは出来損ないの小悪魔だった。
そう、主人のためなら自分を顧みないほど強い意志を持った、そんな愛おしい出来損ないの小悪魔だった。