※著しいキャラ崩壊があります。ご注意下さい。あと、なぜかこの作品の人妖は“あまり飛びません”
月は美しい。銀河は数多にあれど、星は無数にあれども、地上から見える月。それはそれは美しい。だから人々は月見を楽しみ、魔性の者たちは月の魔力に酔いしれる。
「風流、風流。ああ風流」
いつだって月の美しさに、人も妖も魅了されてきた。それは太古の昔から。
迷いの竹林。わずかに風の吹き抜ける、少しひらけた場所に落ちるは二つの影。
「いつにも増して綺麗だな…今日の満月は。なあ?輝夜?まるで吸い込まれそうだ。なんと表現するべきか…。ルナティック綺麗とでも言えば良いのだろうか」
およそ風流とは程遠い表現をしたのは蓬莱の人の形、藤原妹紅。
「特に興味ないわね。あと、その表現は評価にも値しないわ」
対するは永遠の罪人、蓬莱山輝夜。追放された月の姫君。
「なら輝夜、一句でも詠んでみなさいよ。ねえ日本を代表する文化人様?」
「私に勝ったら詠んであげるわ」
「上等」
これから始まるのは、二人のいつもの遊び、殺し合い。口にする事も憚れる、背徳の極み。
だけれども、妹紅は輝夜には勝てない。どれだけ挑んでも、どれだけ手を伸ばしても、勝てない。
そう、永遠の宿敵。
◇ ◇ ◇
「うぐああああ!! ぎゃああああ!!」
妹紅は耳をつんざかんばかりの悲鳴をあげる。閃光を全身に受け、ズタズタに切り裂かれていく体。骨が折れ、肉が削げ落ち、人の形を失っていく。
「クスクス…相変わらずの可愛い声」
微笑みながらその様を鑑賞する輝夜。
「全く蓬莱人ってのは便利ね。生きようが死のうが、バラバラになっても気にしなくて済む!夢のような話じゃないの…」
千切れた妹紅の首を拾い上げ、ダラダラと滴り落ちる血を喉を鳴らして飲んだ。
「きははははは!」
恍惚の表情を浮かべる輝夜。もげた妹紅の首をダムダムとドリブルし、「シュート!」と叫びながら首を蹴り飛ばす。妹紅の首はどこかに飛んでいった。
「うおー!ゴーール!輝夜が決めたァァァ!」
輝夜は叫び声を上げて駆け出した。
「狂気?いいえ、これがルナティック快楽よ!」
「アハハハハハ!」
輝夜の笑い声が竹林にこだまする。
◇ ◇ ◇
時は幻想郷にテレビが普及しはじめた頃。場所は永遠亭。
ガーガーと雑音混じりに映像が流れてくる。
「夜の夢ぇ、夜の朱ぁ♪」
まだチャンネル数は少なく、ヘンな歌番組しかやっていない。
「面白くないなぁ」
ガチャガチャとせわしなくチャンネルを回す輝夜。
「輝夜、はしたないです。第一、食事時にテレビはみるものではありません」
輝夜の従者、八意永琳はぴしゃりと言う。
「むー」
輝夜は頬を膨らませながら足をパタパタさせる。しばらくの後、ふいに足パタパタが止まる。そして閃く。
「そうだ、テレビがつまらないなら、自分で番組をつくれば良いじゃない!」
輝夜はぱん、と手を叩いた。
と同時に、鈴仙・優曇華院・イナバのうさ耳がぴくっと動いた。もう嫌な予感、というか確信しかない。
(きっとまた私だけがろくでもないめに合うんだ、もうだめだぁ、おしまいだぁ…)
それと同時に、因幡てゐのうさ耳もぴくっと動いた。
(自分だけは被害に合わないように。いつもどおり鈴仙に押し付けよう。さて、安全な場所と立場をいまのうちに確保しとかないと…)
輝夜は目を輝かせ、企画案を次から次へと述べはじめた。
こうなると輝夜は止まらない。止める事はできない。
悟ったのか、観念したのか、諦めたのか。永琳は軽く溜め息を付き、首を振った。
「さぁ、忙しくなるわよ」
そして完成する。
それは一夜の内に。いや、正確には人間には認識できないその一瞬の間に、ソレは建っていた。永遠亭があった場所に、永遠亭の替わりに。
超巨大セット、その名も名づけて、『風雲カグヤ城』が。
◇ ◇ ◇
迷いの竹林にて。妹紅の手持ちのポータブルテレビはノイズだらけながら、かろうじて電波を受信していた。
「姫様のおなり~!」
「姫様!姫様~!」
「頭が高いでおじゃるぞ!」
輝夜がヘンな格好で現れてきた。そして“いつもの”従者達と何か寸劇が始まった。なんだこれ?
ナレーターが勝手に説明を始めた。
「新番組、『風雲!カグヤ城』、挑戦者諸君にはカグヤ城を攻略、各種のトラップやクイズ、ゲームを潜り抜けてもらう!知力、体力、時の運で数々の難題を乗り越えろ!ステージは城外、そして城内一階から六階まで!最上階六階にて待ち受ける城主、蓬莱山輝夜の難題を打ち破れ!見事勝利した挑戦者には賞金100万円を進呈!」
「輝夜のヤツめ、また何か下らない事を始めたな」
「丁度良い、台無しにして恥をかかせてやる。公共の電波に、輝夜の泣き顔を晒してやる!」
◇ ◇ ◇
「だから私はこの異変の解決に来たの!何なのこの城は!?また宇宙人がヘンな事をし始めて!暑いし!あと100万円もキッチリ私が貰っていくわ!」
記念すべき最初の挑戦者、博麗霊夢はレポーターの兎に向かってまくし立てていた。その気迫からはやる気に熱意、旺盛なチャレンジ精神が伝わってくる。
【難題その一、迷いの池を突破せよ】
池には飛び石が敷き詰められている。
「何よ、こんなの楽勝じゃないの」
トン、トンと軽快に飛び石を渡っていく霊夢。
しかし次の足を踏み出した瞬間―
「あ?」
ざぶん
沈む霊夢。
霊夢が踏んだ飛び石は飛び石ではなかった。よく見るとそれは発泡スチロールに色を塗っただけの偽物だった。
全身ズブ濡れになりながら池から這い上がってきた霊夢はなにやら大声で文句を言っているようだが、その訴えはギャラリーの笑い声にかき消されていた。
そしてこの様子は編集され、その電波は幻想郷中のテレビに受信される。輝夜の爆笑顔と、永琳の冷徹なコメントと、「博麗の巫女、池に落ちる」のテロップと共に。
◇ ◇ ◇
次なる挑戦者、霧雨魔理沙は幸先の良いスタートだった。
「泥棒家業をなめてもらっちゃあ困るんだぜ。泥棒は繊細かつ大胆、目ざとく身軽。こんな飛び石、楽勝過ぎる」
泥棒家業とやらは伊達ではなかったようだ。見事城内への侵入に成功。
【難題その二、悪夢の迷宮を突破せよ】
城内の一階、そこは扉が大量に並んでいるフロアだった。
「まあ普通に迷路だな。冷静に進んでいけば問題はあるまい」
何度目かの扉を開けたその先。魔理沙の眼の先にはなにか大きな黒い塊が蠢いていた。
「ん?なんだ?ルーミア?鳥目?いや、どうも違うな。なんなんだ?」
ブブブ…という羽音が交わる音。ガサガサという無数の足を擦り合わせるような音。
その黒い塊が蟲の大群である事に気がついた時、そしてそれがこちらに向かって来ている事に気がついた時。
「すごくきもい!」悲鳴をあげる魔理沙。
追いかけてくる蟲。踵を返して逃げるまわる魔理沙。
「来るな。来るな。来るなあああ!」
闇雲に扉を開けて逃げ惑う魔理沙。彼女の開けた最後の扉の先、そこには床がなかった。
「うわあっ」
ざぶん
池に落ちる魔理沙。
やがて魔理沙を追っていた黒い蟲の塊が集まり、少年とも少女ともつかぬ幼い人の姿になる。正体を現したリグル・ナイトバグは池に落ちた魔理沙を指をさして笑っていた。
「あはは。蟲を舐めるからこうなるのよ!」
ここぞとばかりにカメラが回り、兎レポーターが魔理沙に声をかける。
「今のお気持ちはどうですか?」
「…うるさいぜ、また来る。霧雨魔理沙は諦めない…」
「虫くらいで情けないわねぇ」
中継を見てコメントする輝夜と永琳。
「私が幼女の頃には体長2メートルにもなるムカデなんていくらでもいたのに」
「…それっていつぐらい?」
「んー、あれは確か、二億年前くらいだったかしら?」
「…」
◇ ◇ ◇
城内二階の難題は、クイズである。
【難題その三、“広有射怪鳥事”これは何て読む?】
「こうゆうしゃかいちょうじ!」
「不正解!」
「何でー!?」
挑戦者、魂魄妖夢の頭上に大量の水が降り注ぐ。
全身水浸しになり、ぽたぽたと水滴を零しながらプルプルと震えてる妖夢の姿が映し出されていた。
「じ、自分のテーマ曲を読めないとは…これは恥ずかしすぎる間違いです…で、ですよね…?え…あ…」
さしもの永琳もこれには動揺を隠し切れないようだ。
「わああ、あってはならない事がおきてしまったァァ」
興奮気味に叫ぶ輝夜。一言で言うなら、放送事故である。
◇ ◇ ◇
その挑戦者は、“最強の妖獣”の異名を取る八雲藍。
その渾名に恥じる事のない体力、瞬発力、判断力、冷静さ、知能、そのどれをとっても申し分なかった。
城内三階の難題は、【難題その四、上白沢慧音を笑わせろ】
藍の式神コンピューターがすぐさまフル回転を始める。
「端的に言ってしまえば、“笑い”とは、外部からの刺激に対する脳内の反応に過ぎない。つまり、脳内の電気信号を数式化させる事により、最良の解を導き出す事が出きる」
「そして反応させる因子は、驚くほどに原始的なものである。生に対する衝動、即ち俗に言うところの“下ネタ”」
「つまり、これこそが最上級に滑稽なもの、最も“笑えるもの”なのである」
「所詮、生体反応など単純なものなのだよ」藍は鼻を鳴らした。
そして完成する、最高にして至高のギャグ。
藍は胸を張って言った。
「先生。私は発情期です」
「…ふむ。それで?」
「あれ?」
「オチは何かと聞いているのだが」
藍は噛み合わない意味を納得する。ああ成る程、この半人半獣にはこのギャグが高度過ぎて解らないと言う訳か。少々説明が必要なようだな。これぞ出番とばかりに、意気揚々と解説を始める藍。
「いえ、私は元が狐の妖怪ですので、発情期が存在するというのがまず伏線になっています。そして、大妖怪、八雲紫の従者である私がそんな事を言ってしまうのが滑稽、つまりここが笑いどころなのです。どうです、面白いでしょう?具体的に解説しますと、今貴女の脳内はC9H13NO3とC8H11NO3が交互に…」
「うむ、つまらん」
無表情かつ無常な宣告。床が抜け、藍は落下していった。
藍の落下を確認して、慧音は無表情でつぶやいた。
「…。ふん、九尾め、流石といったところか。危うく笑ってしまうところだった。発情期、か…。…ふふ、ぶふっ!」
◇ ◇ ◇
カグヤ城四階、【難題その五、因幡てゐを捕獲せよ】
いわゆる鬼ごっこである。制限時間までにてゐを捕まえれば勝ち。フロアにある障害物も、これまでの奇抜なものとは異なり、何の変哲もないものばかり。せいぜい斜面に、いくつかの障壁、そして泥沼程度と言ったところか。
こんな泥沼に落ちていくようなヘマをするつもりは毛頭ない。
アリス・マーガトロイドは高をくくっていた。そもそもすでにアリスは圧倒的に有利な立場にいるのである。
「貴女はすでに包囲されているのよ、兎も猫も、虫一匹逃げる隙間もない」
てゐの四方八方をアリスの人形達が塞いでいる。前後左右、何処にも逃げ道はすでにない。
にも関わらず、てゐはまるきり動じる様子もない。
「大した指捌きだねぇ。流石は七色の人形遣い。あたしゃ感心しちまうよ」
てゐはやれやれと首を振る。とっくに観念しているのか、それとも余裕があるのか。どうにも推し量れない、不穏な笑み。
「でも、ちょいと言うなら、動いているのは人形とアンタの指ばっか。肝心の“本体”が動いていないねぇ」
そしててゐが手を上に上げるやいなや、突然、花瓶が天上からアリスの頭上に落下してきた。
「きゃっ!」
花瓶はアリスの頭にすっぽりと入ってしまった。
視界を塞がれたアリスはしばらくフラフラと前進したのち、ようやく花瓶が割れた。視界が回復するアリス。
しかし…
「何コレ、油?」
アリスの体は油まみれになっていた。どうやら花瓶の中には油が満たされていたらしい。それが割れて全身が油だらけになってしまったようだ。
「なによこれ。ただの嫌がらせじゃないの。ぬるぬるして気持ち悪いけど、だからどうしたっていうのよ」
てゐはただニタニタと下衆な笑みを浮かべている。アリスはまだ気がついていなかった。油まみれになった事で、自分がすでに窮地に立たされている事に。
「の、上れない…!」
それはただの斜面であった。普通であれば障壁にもならないちょっとした斜面。それがアリスにとっては絶壁と化していた。
つるり、つるんっ
油で滑って、どうしても斜面を乗り越える事ができない。
「上れない、上れないっ!!」
「もうすぐ制限時間だよー」
斜面の向こう側に逃げ込んだてゐが煽ってくる。
「うるさいわね!黙っていて頂戴!」
焦ったアリスは助走をつけて駆け上る。何とか手が届きそうで…届かなかった。
「きゃー!」
助走をつけた分だけ、斜面は巨大な滑り台となってアリスを襲った。一直線に滑り落ち、勢いあまって頭から泥沼にダイブするアリス。
◇ ◇ ◇
てゐが地面を指差すやいなや、十六夜咲夜の足元の床が激しく跳ね上がった。
しかし彼女はひらりと宙を舞い、事も無げに着地する。
「バネ仕掛けの床。初歩的なトラップね」
「さすがだねぇ。吸血鬼ハンターだとか聞いているけど、何にしても大したメイドだね」
てゐはフロアの真ん中で腕を組んでいる。
咲夜の能力、―時間を操る程度の能力―により、時間停止を発動させれば、今すぐにでも捕まえられそうに見える。
だが、咲夜はそうはしない。てゐの周囲にはトラップが三重四重に仕掛けられているのを咲夜は見抜いていた。
「そうなのよ。吸血鬼の牙城にトラップは付き物」
「だから悪魔のメイドにしろ吸血鬼ハンターにしろ、こんな手品もできたりするのよ」
咲夜が手を下に向けるやいなや、てゐの足元に隠されていたトラバサミが起動し、鋭いスパイクがてゐの足を捉える。
「痛っ!」
「トラップの逆発動。自分の仕掛けたトラップに絡め取られるが良いわ!」
咲夜は手を上に、横に、下に振り、トラップを次から次へと逆起動させる。
てゐの真後ろに石柱が落下して道を塞ぎ、右手側には炎が立ち上った。左手側には殺人ノコギリが床から現れ回転を始める。
「貴女の退路は正面以外完全に断った。そして正面には私。これでチェックメイト」
「チェックメイト?違うね、これはスティールメイト。お互いに動けなくなって終わり」
てゐはトラバサミの痛みに顔を歪めながらも、余裕の表情を崩さずそう言った。そのてゐの態度が咲夜をわずかに躊躇させた。
「私の正面には落とし穴が設置してある。落とし穴は私の十八番。アンタは落とし穴だけは見破れなかった」
てゐが手を下に下げてみせる。
「そしてアンタが左右後ろのトラップを逆起動してくれた。そのお陰で私は動けないかわりに、あんたも正面以外からは私に近寄れない」
「試しに正面から捕まえに来てご覧?」
「近寄った瞬間、アンタは落ちていくだろうね」
「…よく喋る兎ね。ハッタリなら御免だわ」
とは言いつつも、咲夜は二の足を踏んでいた。
「私は部屋の真ん中から一歩も動かなかった。実は私が最初に立っていたこの場所が安全地帯だったのさ。まず私をこの場所から移動させなければいけなかったんだよ」
「ああ、そうそう。あんたが立っているその場所、そこ落とし穴だから」
「!?」
とっさに時を止める咲夜。しかし彼女の身体はすでに落下を始めていた。
止まった時間の中で、咲夜の時計だけが時を刻む。3、2、1…そして時は動き出す。何一つ状況が変わらないままに。
「残念だったね。会話の途中ですでに発動させてもらっていたんだよ。会話に夢中で気がつかなかった?」
てゐはゴムでできた軟らかなトラバサミを外しながらそう言った。
「それと、私が立っている場所が安全地帯ってのは“嘘”だよ。目の前には落とし穴なんてない。だから騙されずに正面から捕まえにくればあんたの勝ちだったんだよねぇ」
◇ ◇ ◇
番組が始まってから、一体どれだけの者が挑戦し、そして敗北していったのだろう。
それは幻想郷の顔役達ですら例外ではなかった。
とりわけ因幡てゐの落とし穴。この無慈悲かつ理不尽なトラップの前に、彼女達もまた成す術もなく落下していった。
レミリア・スカーレットは不敵に落下していった。
西行寺幽々子は優雅に落下していった。
八雲紫は華麗に落下していった。
一方、博麗霊夢と霧雨魔理沙は常連の挑戦者となっていた。
コイツらは果敢賞の5万円が目的なのである。
勢い任せの彼女達が壁に激突した挙句、顔面からプールに落下していったり、足を滑らせて泥沼に全身から飛び込む様子が映し出されるたびに、お茶の間を爆笑の渦へと巻き込んでいた。
娯楽の少ない幻想郷にテレビが普及した今、風雲カグヤ城の視聴率は雄に50パーセントを超えていた。
◇ ◇ ◇
ただしそんなある日の収録。夏の暑さがいよいよ本番となってきた頃。その挑戦者、藤原妹紅は他の挑戦者とは少々色合いが違った。並々ならない迫力を背負っていた。
「100万円はいらない、輝夜を殺しに来た」
妹紅の殺気だったコメントに、一瞬言葉を失う兎レポーター。
しかし彼女の身体能力は本物だった。迷いの池では、そもそも飛び石を踏む事がなかった。水面で右足が沈む前に左足を踏み出し、左足が沈む前に右足を踏み出す。これの繰り返しで水面を滑走した妹紅は見事に池を突破、カグヤ城城内に侵入する。
城内一階、悪夢の迷宮では妹紅はリグルを脅していた。
「知っているか?百足に毛虫に蛾、蜘蛛、竈馬。これらは全部焼けば食べられるのよ」
そう言ってぼうっと火をかざしてみせる。
「ひぇぇ」
頓狂な声を上げてリグルが逃げていく。
「追い詰められた虫は巣に逃げ帰る。まったく、楽なステージねぇ」
すたすたと事もなげにリグルの後を追う妹紅。
ゴール地点の隅にはリグルが縮こまった震えていた。
「ああ、そうそう」
「百足や蛾は毒があって焼いただけでは食べられないわ。なんでも焼けば良いってもんじゃないのよ。少しは勉強する事ね。それと道案内ありがとさん」
見向きもせずに手だけひらひらさせ、二階へと続く階段を登っていく。
【難題その三 八意XX、これはなんて読む?】
「や…やごころダブルエックス…!」
「正解!」
正直、今のはちょっと危なかった…
妹紅はまずはほっと胸を撫で下ろし、カグヤ城三階へと進む。
【難題その四、上白沢慧音を笑わせろ】
「○○が実は○○で、それでそいつが無理して○○してやったんだとさ。だから私は言ってやったんだ。それ、お前が○○だろうって」
慧音は椅子から転げ落ち、息も絶え絶えに笑いのたうち回っていた。
「慧音との付き合いは長いんだ。慧音の笑いのツボくらい知ってるんだよな、これが」
ちなみにこの時妹紅が発したギャグ。これらの言葉は後の幻想郷の放送禁止用語である。耳を疑うような下品かつ卑猥な言葉が、少女の口から発せられるというのは、あまりにも嘆かわしい事であったからだ。
「イヒヒ!イヒヒへへぁぁははは!ぁはあははオエッ!オエッ!ゲホゲホッ!うぶっ!…ふむ。ふふん。…むふふ。むふっ!ぶしゅっ!ぶーっは!」
難題をクリアしたは良いが、慧音の笑いが止まってくれない。
「お腹がっ、顎がっ!助けてくれ妹紅…あ~ひゃひゃっ、痛い!お腹痛い!助けて妹紅!ふふん。…だめだ。ぶはぁ!」
「あの、慧音、私はもういくよ…」
明らかに笑い過ぎの慧音の姿を、ちょっとなんとも言えない目で眺めながら、妹紅は階段へと向かう。
「さて、次が噂の四階か。てゐのトラップとやらがどれほどのものか、確かめさせてもらうわよ」
【難題その五、因幡てゐを捕獲せよ】
「待っていたよ、妹紅」
早くもトラップを発動するてゐ。
妹紅の頭上に巨大な岩が落下する。しかしこれを事もなく人差し指一本で受け止める。
今度は壁から鋭い槍が飛び出す。
「だがここでバックステップ!」
と言いつつスタイリッシュにこれを回避。
「これならどうだ!」
てゐの切り札、落とし穴が発動する。
しかし妹紅は地面が抜ける前に飛び移る。
幾多もの猛者たちを沈めてきた、てゐ自慢の落とし穴が敗れた瞬間であった。
「くっ!」
手を鋭く上に掲げるてゐ。
巨大なハンマーのような振り子が妹紅に襲い掛かる。
「吹っ飛べ!蜻蛉の様に吹っ飛んでしまえ!そしてそのまま沼へと落ちてしまえ!」
しかし妹紅は事もあろうに振り子に飛び乗った。さらに振り子の勢いを利用し壁に張り付く。
「ヒョー!」
壁を蹴り、謎の奇声を発しながら華麗に宙を舞う妹紅。
「あ、あれ…美しい…」
気がついた時、てゐは妹紅に捕まっていた。てゐは妹紅の動きに見惚れていた。トラップ発動を、逃げる事を、嘘で惑わす事を。全て忘れて見惚れてしまっていた。
「負けた…悔しい。でもなんだろう。この気持ち…とくん…」
「見事でした!竹林の忍者と言う噂は本当だったんですね!」
妹紅に駆け寄り、興奮気味に話す兎レポーター。
「我が美に陶酔したか…」
髪をかきあげ、体をくねらす妹紅。
【難題その六、二体のレイセンに勝利せよ】
五階の壁には拳銃が並んでいた。妹紅は一丁を手に取り、試し撃ちとばかりに引き金を引く。
どぎつい緑色の、ベタベタした液体が勢い良く発射された。
「インク銃。なるほどな、これで打ち合いという訳か」
「別に二丁でも構わんのだろう?」
妹紅は両手に銃を取り、くるくると鮮やかなガンスピンを決めてから構えを取った。
「兎狩りだ」
そこは小さな遮蔽物が点在している無機質なフロアだった。
中央の遮蔽物。上側からはぴょこんとしたうさ耳が。横側からは、ややぺたんとしたうさ耳がそれぞれはみ出している。
鈴仙・優曇華院・イナバが遮蔽物の横から妹紅の様子を覗き込む。そしてもう一人のレイセンに合図を送る。
「来たわね。レイセン、行動開始」
「了解、射殺します」
レイセンが妹紅の背後を取ろうと回り込む。
しかし、妹紅は大胆にも部屋の中央に鋭く飛び込み陣取る。
腕を交差させ、両足でリズムを刻みながら銃を乱射する。
ちっ、と舌打ちする鈴仙。ヤツは闇雲に乱射しているのではない。ターゲット二つを同時に補足しつつ距離を計っている!
「なんて非常識なヤツ!だけど…」
レイセンが妹紅の背後から突進、かいくぐる様にスライディングしつつ妹紅を射撃。
びちゃびちゃびちゃびちゃ。緑に黒、赤のインクが飛び交う。そして…
その場にはレイセンは全身緑のインクまみれで倒れていた。
「ナイス!それで良いのよレイセン!そしてそこだ藤原妹紅!くらえ、赤眼催眠II(マインドシェイカー・ツヴァイ)!」
鈴仙が遮蔽物から顔を出し、目から怪光線を発射する。彼女の紅き瞳が妹紅の瞳と合う。
「波長は光速度に等しい。これが!これこそが!私の新・必殺技(ネオンジェネシス・スペルカード)!」
「そしてそれは決まった!ヤツは私の術中に嵌った。いまや妹紅の銃口は私の幻を狙って明後日の方向を向いている事であろう!」
鈴仙はすでに勝ち誇り、嘲りの顔を浮かべて銃口を妹紅に向ける。
「残念だったわね、それは私の幻よ!」
「残念だったわね、それは私の残像よ」
「え?」
思いがけない妹紅の返答。状況が飲み込めない鈴仙。なにしろ、眼前には妹紅の銃口が、そして彼女の銃口こそがまさに明後日の方向を向いていたのだから。
びちゃ、という音が響き、緑色のインクが鈴仙の顔を覆う。
「ぎゃああああ」
鈴仙は顔を両手で押さえながら悶絶する。
「なに、敵が二対なら二丁拳銃で良いじゃない。幻視で二重に見えるなら両方狙えば良い。単純な話」
無茶苦茶な理論を展開した妹紅は空になった拳銃を空に放り捨た。そして次の階、カグヤ城六階。最後の階へと歩を進める。
「さて、ここまで来たは良いが…困ったな」
妹紅の左手側には、“Aルート”、右手側には“Bルート”
「頂上まで昇ったと言うのに、ヒントもなしとはな」
迷っていても仕方がない。妹紅はAルートの扉を開けた。
扉の先には、【難題その七、矢を十本回避せよ】の題字。そして永琳の姿が。
永琳が口を開く。
「残念、こっちははずれ。バッドエンドってヤツよ」
10本の矢を同時につがえる永琳。
「隙間のない弾幕は避けようがない。貴女はこのドアを開けた時点で負けだったの」
矢がぎりりと引き絞られる。
おい、ちょっと待て―
妹紅がそう言おうとする間すらなく、永琳の放った矢に射抜かれていた。
◇ ◇ ◇
目が覚める。場所はカグヤ城外苑。
「ああ、そうか。私は負けたのか…。ここは救護施設かどこかか?」
それにしてもあれはひどい。分岐点を間違えた位であれはいくらなんでもひどいだろう。しかも問答無用で射掛けてくるとは。
運営に文句を言おうと立ち上がろうとして、そこで初めて気がつく。違和感に。
それは身を起こそうとした自分が既に両足で立っていた事。そしてそこは救護施設でもなんでもなく、スタート地点である事。
目の前には、【難題その一、迷いの池を突破せよ】の表示。
声援が聞こえる。それは紛れもなく、自分に向けられた声援。
「妹紅ー!」
「もこたんー!」
「もこもこー!」
「妹紅さんっ!」
呆然として立ちすくむ妹紅。声にならない声。意思に反して動かない体。
「どうしたんですか?もうすぐスタートですよ、妹紅さん。具合でも悪いのですか?なんなら中断して休憩しますか?顔色が優れないようですが…」
兎レポーターが妹紅に声をかける。
「あ?ああ… いや、大丈夫だ」
レポーターの声を遮り、相変わらず飛び石を無視して水面を滑走する。
「キャーモコウサーン!」
黄色い声援が飛び交う。だが妹紅は不安を感じていた。そしてこの状況を把握しようとしていた。
「考えたくはないが…。まず間違いなく、輝夜の永遠の魔法だろう。あの時、私は永琳の矢に倒れた。並みの人妖なら即死だろう。これは過激な番組だ、私が蓬莱人だからと言って、死ぬような企画でも通したと言うのは、まあ有り得る。だがリザレクションした記憶はない。何よりも周りのあの態度、反応。まるで時が戻ったかのように。なかったかのように」
「時間はどうだろうか。太陽はあの時、私がスタートした時、どこにいた?」
夏の強い日差し。太陽がギラギラと照りつけている。この暑さがあるから、こんな下らない番組にも人妖が集まるのだろう。池に落ちるのはプールに落ちる感覚といったところだろう。
太陽の位置から察するに、おおむね時刻は昼八つ時、その前後。
やはり、時間は巻き戻っている。振り向いてみる。声援は尚も続いている。どうやら、引き返せる雰囲気ではないようだ。妹紅はもどかしさに軽く歯軋りをして城内に再突入する。
「ひぇぇ」
妹紅の不安は徐々に大きいものとなっていった。もちろん、リグルの情けない声によるものではない。
「攻略できるのか…?」
迷路をただ終着へと一直線に突き進む。なにしろ覚えているからだ。道順も、トラップも。その意味ではここは迷路であって迷路ではない。ただ、周囲の興奮、熱中、スタッフの兎達、そんなお祭り騒ぎの中、自分だけが取り残され、さ迷っているような感覚。
「まるで迷路だ…」
当の迷路を全く迷う事もなしにゴール地点に着いたところで、一人つぶやいた。
【難題その三、八意XX、これはなんて読む?】
これもその通りの問題だった。八意ペケペケとか、八意トエンテー、八意ダブルクロスとかも考えたが、口には出さないでおいた。もしかしたら全部正解なのかも知れないが。
【難題その四、上白沢慧音を笑わせろ】
「えと… ○○が実はだな…」
「ピキー!」
再び椅子から転倒する慧音。
しかし同じギャグを二度言うのはどうにも気恥ずかしかった。それでも笑ってくれる慧音の存在がちょっと愛おしかった。
難関の四階、てゐのトラップもわかっていればなんと言う事もなかった。ふと、その油断を逆手にとった罠が仕掛けられているかも知れないという懸念もあったが、それも杞憂であった。
【難題その六、射撃で二体のレイセンに勝利せよ】
前回通りにしたのなら、すぐに突撃して、勝負は数分足らずで片付くではあろう。だけれど、ここはあえて待ちに回ってみようと思った。
ザッ…という足音共に、レイセンが後ろに回りこむ。
スピードは大したものだ。スピードは。だけれど、狙いは確か?相手の能力の情報は収集してある?何よりも、鈴仙との連携は本当にそれが最善なのか?
そしてやってくる、スピード任せのスライディングからの連射。
「でも残念ね…スピードが速いからこそ、先読みのセンスが問われる。そしてそれは経験でしか身につかない」
レイセンはやはりインクまみれになって倒れている。
そして次に来るのは鈴仙の幻視の能力。彼女は既に勝ち誇った笑顔を浮かべている。
そら来た。すぐ能力に頼るからダメなんだよ、ダメ兎。
妹紅は心の中で呟く。お前の能力は強い。強い能力は存分に発揮させるべきだ。だがお前自身が弱い。だから攻め手側はまず、その切り札を引きずり出す。
焦った時、勝利を確信した時、いろいろな状況があるがな、そういう時にとる行動ってのは人も妖怪も、結局は似たり寄ったりなんだよ。
「自分自身が強くなければ追い詰められる。そして切り札に頼る。その時、切り札は最弱の弱点に成り果てる」
そして再び鈴仙に放たれるインク。
「あー、無駄撃ちした前回と違ってインクがたっぷりあるわ」
インク残量の限りに鈴仙に打ち込んだ。もはや鈴仙はうめき声も出せていない。呼吸しようと口を開けるのが精一杯だろう、にちゃにちゃと音をたてているばかり。
「さて、再び最上階な訳だが」
「今回は迷う必要がある。前回はAルートの扉がハズレだった」
「だが、“だから今回はBルートが正しい”とは限らない」
依然として五分。丁か半か。
「今回はBルートを選択する。もしまた間違いであれば、またスタート地点からのやり直しになってしまう」
「だが、正解不正解に関わらず、Aを選んだ場合、得られる情報は少ない。例えBが不正解であったとしても、それはそれで得られる情報が飛躍的に増える」
カグヤ城六階。最終ステージに相応しい、重厚な扉を押し開く。
そこには、【難題その八、矢を十本回避せよ】の題字が。
また矢か。ダメであったか…とも思ったが、良く見ると、“難題その八”となっている。ならばこっちが正規ルートか。
そして永琳が待ち受けていた。
「お待ちしておりました、挑戦者、藤原妹紅殿。我が主が対戦をお待ちかねです」
回廊の先には【姫のお部屋】とだけ書かれた部屋がある。
「姫様、挑戦者の方をお連れ致しました」
「お通しなさい」
良く澄んだ声が微かに聞こえる。そしてその声は何度も、何度も聞いてきた憎むべき宿敵の声だ。
永琳が襖をあけ、「それでは健闘をお祈りしております」と言うなり、さっさと消えてしまった。
「輝夜、殺しに来たよ。散々酷い目に合わされてきたが、今日でそれも終わる。決着の時だ」
しかし返事はなかった。
ふと薄暗い部屋に夕日が差し込む。部屋の間取りが見えてきた。思ったよりも狭い部屋のようだ。
その部屋は狭いのもあるが奇妙だった。中央には“棺”が一つおいてあり…
輝夜が棺から顔だけ出していた。
そして輝夜の口には…
吹き矢が咥えられていた。
吹き矢を加えたままの輝夜がもごもごと何か喋っている。
「おうほ、わはひはひへでふ(どうも、私が姫です)」
妹紅は困惑した。…何だこの風景は。なんで輝夜は棺に入っているんだ。しかも首だけ出して吹き矢を加えているとか。なんのギャグだ。
いや、これはギャグ番組だったんだな。それにしても苦労してたどり着いた最後がこれか。なんだか私一人だけ真面目にやっていると思うと切なくなってきたな。
でも番組だし、何か気の利いたコメントした方が良いのだろうか。笑えば良いのだろうか。思えば、殺すとか視聴者から見たらから物騒な事ばかり言って来…
プッ
「おわっ?」
空を切る音。早速撃ってきやがった!
プッ
「マトリックス!」
鋭く叫び、倒れんばかりに極限まで体を仰け反らせてギリギリで回避した。
油断してしまった。だが…
「五本、六本、七本目…!」
妹紅はアクロバティックに回避し続けた。
「目が慣れてきたよ。八本、九本目!」
「さあ、これで最後。十本目だ」
妹紅の集中力は極限まで研ぎ澄まされていた。その動体視力とあいまって、いまや輝夜の口の動きから軌道を見極められる。当たる可能性など、有って無いようなものだろう。
輝夜の口から、最後の矢が、十本目の矢が放たれる。
「吹き矢見てから回避余裕でした」
軽く体を捻るだけで十本目回避。
「さあこれでクリア…」
プッ
矢が妹紅を目掛け飛んでくる。
「ちっ…!」
なんとか回避する妹紅。
なぜだ?十本目だったはず。ルール違反?
なおも輝夜は吹き矢を吹き続けている。
ルール違反だ、だがしかし、これは一体…。
「まさか…」
妹紅は青ざめた。
「まさか、コイツ…」
「まさか、能力を…」
「またもや能力を…!」
輝夜の能力、永遠と須臾の魔法。覆水も盆に返る。複数の異なる世界を無数に作り出す。
吹いた吹き矢は元の鞘へと戻る。録画は最初に巻き戻される。
カグヤ城が一晩で、いや一瞬で築城されたのもこの能力のせい。永琳に敗北し、何事もなくされて開始地点に戻されたのもこの能力のせい。
そして今、この部屋、この空間でこの二人だけが、永遠の世界として切り取られて存在している。いや、この城、カグヤ城自体が…。
妹紅の思考は今にも止まりそうだった。私が敗北するまで永遠に繰り返す気なのか。
頭が錆付いたような感覚。考えあぐねているあいだにも、矢は途切れなく襲い掛かってくる。
壁に刺さり、あるいは床に落ちた矢は、吹かれた事そのものがなかった事にされ、輝夜の手に戻る。
棺桶から顔だけ出して吹き矢を打ってくる、このマヌケな輝夜の姿に、視聴者はさぞかし笑うだろう。だが、妹紅にとっては全く笑えない状況だった。
気がつけば、この部屋は永遠のループ空間。
輝夜は弾数無限の砲台と化しているのだ。難攻不落の要塞以外の何者でもない。
考えを駆け巡らせる。このルールの中で勝つ方法?「負けなければ勝ち」という発想では、輝夜は負けるまで時間を永遠に引き延ばすだけだろう。
不正を訴え出るというのは?それも有り得ない。この状況を認識しているのも共有しているのも、私と輝夜、二人だけだからだ。
こいつのやっている事は詐欺以外の何者でもないが、“詐欺行為そのものが今この瞬間にしか存在していない”それ以外の瞬間には輝夜の詐欺行為は存在してすらいない。
…ダメだ。
攻略方法はない。攻略はできないが、対抗する手段はある。それはあまりにも単純な方法。しかしそれはあまりにも苛烈な方法。最後の手段とも呼べないただの悪あがき。
「時間には時間、か…」
「時間に対しては、時間で対抗するしかない」
それが妹紅の出した結論だった。
しかし、そんな付け焼刃の戦法が通用するはずもなく。
集中力を欠いて、矢に当たってしまった。そして巻き戻される。
スタート地点へと。
太陽の位置から、やはり時刻は昼八つ時、その前後…。真夏だと言うのに、猛暑だと言うのに寒気に襲われる。冷や汗が止まらない。
段々とミスを連発する妹紅。てゐの落とし穴に落ちる。レイセン達に敗北する。しまいには出だしから池に落ちることさえあった。その度に見慣れた光景、スタート地点…。
心が折れそうだった。勝利する事は許されず、敗北する事すらも許されない。
何度目の挑戦だろうか。見上げればカグヤ城は依然として聳え立っていた。
「どうしたんですか?もうすぐスタートですよ、妹紅さん。具合でも悪いのですか?なんなら中断して休憩しますか?顔色が優れないようですが…」
聞き飽きたほど同じ台詞を喋る兎リポーター。
「……いや。いや…。またやり直すさ…やり直す…さ…」
妹紅はすでに、返事をする気力さえも失いつつあった。
「妹紅さん!」
ふいにギャラリーの兎少女が声をかけてきた。
「あ、あの…私、以前迷いの竹林で迷っていて行き倒れかけた者なんですけれど、妹紅さんに助けられて、それ以来ずっとファンで…今日は応援しに来たんです!」
「良かったら、これ、使って下さい!今日は、凄く暑いから…」
それは一枚の“冷えピタ”だった。数枚くらいは幻想入りしてもおかしくはない、外の世界の代物だ。
「渡せて良かったです…。ずっと用意していたんですけど、きっと渡せないなと思っていたから…」
「ちょっと、貴女、困りますよ。挑戦者の方にみだりに話しかけたりしないで。さあさあギャラリーは戻って」
兎少女はそのまま兎レポーターにつまみ出されていった。
永遠に変化のないはずの世界に変化があった。これがなければ、あの名も知らぬ兎少女は、妹紅への届かぬ思いを抱えたままであっただろう。
“冷えピタ”を握り締める。それは冷たいはずなのに、冷えるどころか不思議と熱さを感じる。冷や汗が引いていく。真夏の暑さの感覚が蘇る。
妹紅はくくっと笑いを噛み締め、今再びカグヤ城に向かっていった。
「私は輝夜を倒さなくてはならない」
「お陰で憑き物が落ちたかのような気分だよ」
妹紅の動きは完全だった。一部の隙もない。地を駆け、宙を舞う。神速の勢いでカグヤ城を駆け上る。
そして対峙する、妹紅と輝夜。
「輝夜…」
「思えば、お前とは飽くまで殺しあった仲だ。最初からこのカグヤ城を、お前を攻略できるのは私しか居なかったと言う事だな…?」
「ええ?そうなんだろう?そうなんだろう!輝夜…輝夜、輝夜!輝夜あああぁぁぁぁ!!」
はぁはぁと息を荒くする妹紅。
吹き矢を咥えた輝夜は答えない。ただ、その顔が、ニヤリと笑った気がした。
「その棺桶は、鋼鉄の箱入り娘って事か…。だけどそれも今回で終わる。今度こそ引きずり出してやる」
「この城、そしてお前を落としてやるよ。お姫様」
どれほどの時間が経ったのだろうか。再び永遠に繰り返される時間の中で、妹紅は吹き矢を回避し続けた。今度は、今度こそ最後まで付き合ってみせる。汗が吹き出る。目がかすむ。だが、今度は体力が尽ようとも心だけは挫けまい。
そして終わりのない時間の末に、終わりの時は来た。
何百何千本の吹き矢を回避しただろうか。
ふいに輝夜が咥えていた吹き矢をペッと吐き出した。
「見事よ妹紅、10本クリア」
「何が10本だ。お前が打った矢は何百、いや何千か。それともそれ以上か?」
「私は10本しか撃っていないわ。実際に矢は10本しか持っていなかった。そして、貴女は見事に私を“諦めさせた”」
「いずれにしても…」
輝夜は棺という鋼鉄の箱を脱ぎ捨てて立ち上がった。
「よくここまでたどり着いたわね、永遠の魔法の輪廻から抜け出して」
「苦労したよ」
「けれど、これまではほんのお遊び。本当のお楽しみはこれからよ」
輝夜が両の手を広げる。
二人だけに閉ざされていた世界が開放されていく、時が加速をし始める。昼が夕暮れに、夕暮れは夜に。
月が静かに昇り始める。
天守閣の小さな部屋に、月光が僅かに差し込んだ。
輝夜の肢体が照らされゆく。
それの姿は儚くも美しく、妹紅は思わず息を飲む。輝夜はいつもそうだった。だから妹紅は輝夜を殺したいと思った。輝夜を倒したい。輝夜に倒されたい。輝夜に殺されたい。輝夜と戦いたい。いつまでも、いつまでも。妹紅は永遠に続く事を、心の底では願っていた。だから挑んだ。カグヤ城に。蓬莱山輝夜に。
輝夜が高らかに宣言する。
「それでは決戦の舞台へ!!」
カグヤ城天守閣が割れていく。
全天の空が広がる。
二人の体が天蓋に吸い込まれるように上昇していく。その様子は、さながら無限に広がる宇宙の中に吸い込まれていくかのよう。
時の加速は止まらない。新月は二日月に、二日月は三日月に。三日月は弓張月に、弓張月は十三夜月に。十三夜月は小望月となり、小望月から満月に。
時間は尚も狂ったように加速する。一日が吹き飛び、一週間が消し飛び、一年が無かった事にされる。繰り返される時間の跳躍。
そして迎える、千と十八年に一度だけの奇跡の満月。
その輝きに眩しさを感じるよりも、美しさを感じるよりも、ただただ狂おしく感じた。
そして蓬莱山輝夜はそこにいる。光輝く満月を背景に、微かな笑みを浮かべていた。
「さあ、私からの最後の難題よ。貴女にこの難題が解けるかしら?」
妹紅はぐっと拳を握り締めた。全身から吹き出る灼熱の業火。自身の身体をも焼き尽くさんばかりに燃え盛っていた。
【最終難題 蓬莱山輝夜に勝利せよ】
◇ ◇ ◇
その回が放送された日、幻想郷の住人達は食い入るようにテレビを見ていた。金曜の宵五ツ時、いつものような爆笑は聞こえない。いつもなら、いつもの週なら。笑えるシーンが放送された瞬間、隣家から、居酒屋から、同時にドッと笑い声が湧き上がるのが常であった。
しかし『挑戦者、藤原妹紅』、この回の終盤、誰もが固唾を呑んで見守っていた。
そして彼らは目にする。幻想少女達の弾幕勝負を。
居酒屋ではビールも焼き鳥も八目鰻も、注文してもなにも出てこない。なにしろ店員が、厨房の料理人までもがフロアに出てきてテレビを見ているのだから。
それでも文句を言う者は誰も居なかった。
風雲カグヤ城はすでに視聴率60%を超える超人気番組となっていた。
なぜこの番組がこれ程までの人気を博すようになったのだろうか。
幻想郷には娯楽が少ないから?
最強クラスの人妖達がさくさくと落とし穴にはまっていき、またはクイズではバカ回答が連発されたり、あるいは幻想郷を代表する少女達が水に濡れ、泥まみれになっていく姿がウケたのだろうか。
それでも斜陽は訪れる。ある時から、「俗悪番組」「子どもに対する悪影響」として抗議を受けるようになっていった。
天狗の新聞では「風雲カグヤ城は脳の発達に悪影響!?専門家が警鐘」「風雲カグヤ城を見ると馬鹿になる!脳萎縮の恐怖!専門家が指摘」などとある事ない事書き立てられるようになった。
連日のバッシングを受け、遂にカグヤ城は打ち切りに追い込まれ、城はあえなく取り壊しとなった。あれだけ人外達の挑戦を退けてきた城のあっけない陥落だった。
◇ ◇ ◇
時は風雲カグヤ城が放送終了してから一週間後。場所は永遠亭。
「面白かったのにー」
輝夜は実に不満そうだった。
「むー」
輝夜は頬を膨らませながら足をパタパタさせている。いつもの光景だ。
「まあまあ、楽しめたから良かったじゃないの」
「あんな思いはもうしたくないですよー」
「もっとトラップを磨かないとダメだったなぁ。鈴仙で練習しておかないとねぇ」
「私はなんだったんだろう…」
飛び交う悲喜こもごもの感想。
そんな折、テレビから映像が流れてくる。
「新番組、『けねもこ爆笑漫才』あ…えと、ど、どうもー!けーねでーす…」
「これはいいや」
輝夜はチャンネルを変えた。
「夜の鳥ぃ、夜の歌ぁ♪」
またもやヘンな歌番組。もうウンザリである。
「ああもう! また妹紅の気でも惹けるものでも考えようかしら?」
「次はもっと妹紅が苦しむような。もっともっと妹紅が絶望に打ちひしがれるような」
輝夜は蛇のようにニタリと笑った。
どこでもない場所。誰もいない場所で一人呟く者がいた。
「ブンヤの新聞に書かれていた“専門家”とは私の事です」
「彼らをそそのかしたのは、汚れたかぐもこが放送されたからです。かぐもこは“穢れ”ではなく“汚れ”なのです」
「そこで私が提唱するのは、“えーてる”です。不老不死、蓬莱の薬の鍵はえーてるにあるのです」
「汚れなきえーてるから生み出されたもの…そう、つまりこれこそが“エーテル”なのです」
月は美しい。銀河は数多にあれど、星は無数にあれども、地上から見える月。それはそれは美しい。だから人々は月見を楽しみ、魔性の者たちは月の魔力に酔いしれる。
「風流、風流。ああ風流」
いつだって月の美しさに、人も妖も魅了されてきた。それは太古の昔から。
迷いの竹林。わずかに風の吹き抜ける、少しひらけた場所に落ちるは二つの影。
「いつにも増して綺麗だな…今日の満月は。なあ?輝夜?まるで吸い込まれそうだ。なんと表現するべきか…。ルナティック綺麗とでも言えば良いのだろうか」
およそ風流とは程遠い表現をしたのは蓬莱の人の形、藤原妹紅。
「特に興味ないわね。あと、その表現は評価にも値しないわ」
対するは永遠の罪人、蓬莱山輝夜。追放された月の姫君。
「なら輝夜、一句でも詠んでみなさいよ。ねえ日本を代表する文化人様?」
「私に勝ったら詠んであげるわ」
「上等」
これから始まるのは、二人のいつもの遊び、殺し合い。口にする事も憚れる、背徳の極み。
だけれども、妹紅は輝夜には勝てない。どれだけ挑んでも、どれだけ手を伸ばしても、勝てない。
そう、永遠の宿敵。
◇ ◇ ◇
「うぐああああ!! ぎゃああああ!!」
妹紅は耳をつんざかんばかりの悲鳴をあげる。閃光を全身に受け、ズタズタに切り裂かれていく体。骨が折れ、肉が削げ落ち、人の形を失っていく。
「クスクス…相変わらずの可愛い声」
微笑みながらその様を鑑賞する輝夜。
「全く蓬莱人ってのは便利ね。生きようが死のうが、バラバラになっても気にしなくて済む!夢のような話じゃないの…」
千切れた妹紅の首を拾い上げ、ダラダラと滴り落ちる血を喉を鳴らして飲んだ。
「きははははは!」
恍惚の表情を浮かべる輝夜。もげた妹紅の首をダムダムとドリブルし、「シュート!」と叫びながら首を蹴り飛ばす。妹紅の首はどこかに飛んでいった。
「うおー!ゴーール!輝夜が決めたァァァ!」
輝夜は叫び声を上げて駆け出した。
「狂気?いいえ、これがルナティック快楽よ!」
「アハハハハハ!」
輝夜の笑い声が竹林にこだまする。
◇ ◇ ◇
時は幻想郷にテレビが普及しはじめた頃。場所は永遠亭。
ガーガーと雑音混じりに映像が流れてくる。
「夜の夢ぇ、夜の朱ぁ♪」
まだチャンネル数は少なく、ヘンな歌番組しかやっていない。
「面白くないなぁ」
ガチャガチャとせわしなくチャンネルを回す輝夜。
「輝夜、はしたないです。第一、食事時にテレビはみるものではありません」
輝夜の従者、八意永琳はぴしゃりと言う。
「むー」
輝夜は頬を膨らませながら足をパタパタさせる。しばらくの後、ふいに足パタパタが止まる。そして閃く。
「そうだ、テレビがつまらないなら、自分で番組をつくれば良いじゃない!」
輝夜はぱん、と手を叩いた。
と同時に、鈴仙・優曇華院・イナバのうさ耳がぴくっと動いた。もう嫌な予感、というか確信しかない。
(きっとまた私だけがろくでもないめに合うんだ、もうだめだぁ、おしまいだぁ…)
それと同時に、因幡てゐのうさ耳もぴくっと動いた。
(自分だけは被害に合わないように。いつもどおり鈴仙に押し付けよう。さて、安全な場所と立場をいまのうちに確保しとかないと…)
輝夜は目を輝かせ、企画案を次から次へと述べはじめた。
こうなると輝夜は止まらない。止める事はできない。
悟ったのか、観念したのか、諦めたのか。永琳は軽く溜め息を付き、首を振った。
「さぁ、忙しくなるわよ」
そして完成する。
それは一夜の内に。いや、正確には人間には認識できないその一瞬の間に、ソレは建っていた。永遠亭があった場所に、永遠亭の替わりに。
超巨大セット、その名も名づけて、『風雲カグヤ城』が。
◇ ◇ ◇
迷いの竹林にて。妹紅の手持ちのポータブルテレビはノイズだらけながら、かろうじて電波を受信していた。
「姫様のおなり~!」
「姫様!姫様~!」
「頭が高いでおじゃるぞ!」
輝夜がヘンな格好で現れてきた。そして“いつもの”従者達と何か寸劇が始まった。なんだこれ?
ナレーターが勝手に説明を始めた。
「新番組、『風雲!カグヤ城』、挑戦者諸君にはカグヤ城を攻略、各種のトラップやクイズ、ゲームを潜り抜けてもらう!知力、体力、時の運で数々の難題を乗り越えろ!ステージは城外、そして城内一階から六階まで!最上階六階にて待ち受ける城主、蓬莱山輝夜の難題を打ち破れ!見事勝利した挑戦者には賞金100万円を進呈!」
「輝夜のヤツめ、また何か下らない事を始めたな」
「丁度良い、台無しにして恥をかかせてやる。公共の電波に、輝夜の泣き顔を晒してやる!」
◇ ◇ ◇
「だから私はこの異変の解決に来たの!何なのこの城は!?また宇宙人がヘンな事をし始めて!暑いし!あと100万円もキッチリ私が貰っていくわ!」
記念すべき最初の挑戦者、博麗霊夢はレポーターの兎に向かってまくし立てていた。その気迫からはやる気に熱意、旺盛なチャレンジ精神が伝わってくる。
【難題その一、迷いの池を突破せよ】
池には飛び石が敷き詰められている。
「何よ、こんなの楽勝じゃないの」
トン、トンと軽快に飛び石を渡っていく霊夢。
しかし次の足を踏み出した瞬間―
「あ?」
ざぶん
沈む霊夢。
霊夢が踏んだ飛び石は飛び石ではなかった。よく見るとそれは発泡スチロールに色を塗っただけの偽物だった。
全身ズブ濡れになりながら池から這い上がってきた霊夢はなにやら大声で文句を言っているようだが、その訴えはギャラリーの笑い声にかき消されていた。
そしてこの様子は編集され、その電波は幻想郷中のテレビに受信される。輝夜の爆笑顔と、永琳の冷徹なコメントと、「博麗の巫女、池に落ちる」のテロップと共に。
◇ ◇ ◇
次なる挑戦者、霧雨魔理沙は幸先の良いスタートだった。
「泥棒家業をなめてもらっちゃあ困るんだぜ。泥棒は繊細かつ大胆、目ざとく身軽。こんな飛び石、楽勝過ぎる」
泥棒家業とやらは伊達ではなかったようだ。見事城内への侵入に成功。
【難題その二、悪夢の迷宮を突破せよ】
城内の一階、そこは扉が大量に並んでいるフロアだった。
「まあ普通に迷路だな。冷静に進んでいけば問題はあるまい」
何度目かの扉を開けたその先。魔理沙の眼の先にはなにか大きな黒い塊が蠢いていた。
「ん?なんだ?ルーミア?鳥目?いや、どうも違うな。なんなんだ?」
ブブブ…という羽音が交わる音。ガサガサという無数の足を擦り合わせるような音。
その黒い塊が蟲の大群である事に気がついた時、そしてそれがこちらに向かって来ている事に気がついた時。
「すごくきもい!」悲鳴をあげる魔理沙。
追いかけてくる蟲。踵を返して逃げるまわる魔理沙。
「来るな。来るな。来るなあああ!」
闇雲に扉を開けて逃げ惑う魔理沙。彼女の開けた最後の扉の先、そこには床がなかった。
「うわあっ」
ざぶん
池に落ちる魔理沙。
やがて魔理沙を追っていた黒い蟲の塊が集まり、少年とも少女ともつかぬ幼い人の姿になる。正体を現したリグル・ナイトバグは池に落ちた魔理沙を指をさして笑っていた。
「あはは。蟲を舐めるからこうなるのよ!」
ここぞとばかりにカメラが回り、兎レポーターが魔理沙に声をかける。
「今のお気持ちはどうですか?」
「…うるさいぜ、また来る。霧雨魔理沙は諦めない…」
「虫くらいで情けないわねぇ」
中継を見てコメントする輝夜と永琳。
「私が幼女の頃には体長2メートルにもなるムカデなんていくらでもいたのに」
「…それっていつぐらい?」
「んー、あれは確か、二億年前くらいだったかしら?」
「…」
◇ ◇ ◇
城内二階の難題は、クイズである。
【難題その三、“広有射怪鳥事”これは何て読む?】
「こうゆうしゃかいちょうじ!」
「不正解!」
「何でー!?」
挑戦者、魂魄妖夢の頭上に大量の水が降り注ぐ。
全身水浸しになり、ぽたぽたと水滴を零しながらプルプルと震えてる妖夢の姿が映し出されていた。
「じ、自分のテーマ曲を読めないとは…これは恥ずかしすぎる間違いです…で、ですよね…?え…あ…」
さしもの永琳もこれには動揺を隠し切れないようだ。
「わああ、あってはならない事がおきてしまったァァ」
興奮気味に叫ぶ輝夜。一言で言うなら、放送事故である。
◇ ◇ ◇
その挑戦者は、“最強の妖獣”の異名を取る八雲藍。
その渾名に恥じる事のない体力、瞬発力、判断力、冷静さ、知能、そのどれをとっても申し分なかった。
城内三階の難題は、【難題その四、上白沢慧音を笑わせろ】
藍の式神コンピューターがすぐさまフル回転を始める。
「端的に言ってしまえば、“笑い”とは、外部からの刺激に対する脳内の反応に過ぎない。つまり、脳内の電気信号を数式化させる事により、最良の解を導き出す事が出きる」
「そして反応させる因子は、驚くほどに原始的なものである。生に対する衝動、即ち俗に言うところの“下ネタ”」
「つまり、これこそが最上級に滑稽なもの、最も“笑えるもの”なのである」
「所詮、生体反応など単純なものなのだよ」藍は鼻を鳴らした。
そして完成する、最高にして至高のギャグ。
藍は胸を張って言った。
「先生。私は発情期です」
「…ふむ。それで?」
「あれ?」
「オチは何かと聞いているのだが」
藍は噛み合わない意味を納得する。ああ成る程、この半人半獣にはこのギャグが高度過ぎて解らないと言う訳か。少々説明が必要なようだな。これぞ出番とばかりに、意気揚々と解説を始める藍。
「いえ、私は元が狐の妖怪ですので、発情期が存在するというのがまず伏線になっています。そして、大妖怪、八雲紫の従者である私がそんな事を言ってしまうのが滑稽、つまりここが笑いどころなのです。どうです、面白いでしょう?具体的に解説しますと、今貴女の脳内はC9H13NO3とC8H11NO3が交互に…」
「うむ、つまらん」
無表情かつ無常な宣告。床が抜け、藍は落下していった。
藍の落下を確認して、慧音は無表情でつぶやいた。
「…。ふん、九尾め、流石といったところか。危うく笑ってしまうところだった。発情期、か…。…ふふ、ぶふっ!」
◇ ◇ ◇
カグヤ城四階、【難題その五、因幡てゐを捕獲せよ】
いわゆる鬼ごっこである。制限時間までにてゐを捕まえれば勝ち。フロアにある障害物も、これまでの奇抜なものとは異なり、何の変哲もないものばかり。せいぜい斜面に、いくつかの障壁、そして泥沼程度と言ったところか。
こんな泥沼に落ちていくようなヘマをするつもりは毛頭ない。
アリス・マーガトロイドは高をくくっていた。そもそもすでにアリスは圧倒的に有利な立場にいるのである。
「貴女はすでに包囲されているのよ、兎も猫も、虫一匹逃げる隙間もない」
てゐの四方八方をアリスの人形達が塞いでいる。前後左右、何処にも逃げ道はすでにない。
にも関わらず、てゐはまるきり動じる様子もない。
「大した指捌きだねぇ。流石は七色の人形遣い。あたしゃ感心しちまうよ」
てゐはやれやれと首を振る。とっくに観念しているのか、それとも余裕があるのか。どうにも推し量れない、不穏な笑み。
「でも、ちょいと言うなら、動いているのは人形とアンタの指ばっか。肝心の“本体”が動いていないねぇ」
そしててゐが手を上に上げるやいなや、突然、花瓶が天上からアリスの頭上に落下してきた。
「きゃっ!」
花瓶はアリスの頭にすっぽりと入ってしまった。
視界を塞がれたアリスはしばらくフラフラと前進したのち、ようやく花瓶が割れた。視界が回復するアリス。
しかし…
「何コレ、油?」
アリスの体は油まみれになっていた。どうやら花瓶の中には油が満たされていたらしい。それが割れて全身が油だらけになってしまったようだ。
「なによこれ。ただの嫌がらせじゃないの。ぬるぬるして気持ち悪いけど、だからどうしたっていうのよ」
てゐはただニタニタと下衆な笑みを浮かべている。アリスはまだ気がついていなかった。油まみれになった事で、自分がすでに窮地に立たされている事に。
「の、上れない…!」
それはただの斜面であった。普通であれば障壁にもならないちょっとした斜面。それがアリスにとっては絶壁と化していた。
つるり、つるんっ
油で滑って、どうしても斜面を乗り越える事ができない。
「上れない、上れないっ!!」
「もうすぐ制限時間だよー」
斜面の向こう側に逃げ込んだてゐが煽ってくる。
「うるさいわね!黙っていて頂戴!」
焦ったアリスは助走をつけて駆け上る。何とか手が届きそうで…届かなかった。
「きゃー!」
助走をつけた分だけ、斜面は巨大な滑り台となってアリスを襲った。一直線に滑り落ち、勢いあまって頭から泥沼にダイブするアリス。
◇ ◇ ◇
てゐが地面を指差すやいなや、十六夜咲夜の足元の床が激しく跳ね上がった。
しかし彼女はひらりと宙を舞い、事も無げに着地する。
「バネ仕掛けの床。初歩的なトラップね」
「さすがだねぇ。吸血鬼ハンターだとか聞いているけど、何にしても大したメイドだね」
てゐはフロアの真ん中で腕を組んでいる。
咲夜の能力、―時間を操る程度の能力―により、時間停止を発動させれば、今すぐにでも捕まえられそうに見える。
だが、咲夜はそうはしない。てゐの周囲にはトラップが三重四重に仕掛けられているのを咲夜は見抜いていた。
「そうなのよ。吸血鬼の牙城にトラップは付き物」
「だから悪魔のメイドにしろ吸血鬼ハンターにしろ、こんな手品もできたりするのよ」
咲夜が手を下に向けるやいなや、てゐの足元に隠されていたトラバサミが起動し、鋭いスパイクがてゐの足を捉える。
「痛っ!」
「トラップの逆発動。自分の仕掛けたトラップに絡め取られるが良いわ!」
咲夜は手を上に、横に、下に振り、トラップを次から次へと逆起動させる。
てゐの真後ろに石柱が落下して道を塞ぎ、右手側には炎が立ち上った。左手側には殺人ノコギリが床から現れ回転を始める。
「貴女の退路は正面以外完全に断った。そして正面には私。これでチェックメイト」
「チェックメイト?違うね、これはスティールメイト。お互いに動けなくなって終わり」
てゐはトラバサミの痛みに顔を歪めながらも、余裕の表情を崩さずそう言った。そのてゐの態度が咲夜をわずかに躊躇させた。
「私の正面には落とし穴が設置してある。落とし穴は私の十八番。アンタは落とし穴だけは見破れなかった」
てゐが手を下に下げてみせる。
「そしてアンタが左右後ろのトラップを逆起動してくれた。そのお陰で私は動けないかわりに、あんたも正面以外からは私に近寄れない」
「試しに正面から捕まえに来てご覧?」
「近寄った瞬間、アンタは落ちていくだろうね」
「…よく喋る兎ね。ハッタリなら御免だわ」
とは言いつつも、咲夜は二の足を踏んでいた。
「私は部屋の真ん中から一歩も動かなかった。実は私が最初に立っていたこの場所が安全地帯だったのさ。まず私をこの場所から移動させなければいけなかったんだよ」
「ああ、そうそう。あんたが立っているその場所、そこ落とし穴だから」
「!?」
とっさに時を止める咲夜。しかし彼女の身体はすでに落下を始めていた。
止まった時間の中で、咲夜の時計だけが時を刻む。3、2、1…そして時は動き出す。何一つ状況が変わらないままに。
「残念だったね。会話の途中ですでに発動させてもらっていたんだよ。会話に夢中で気がつかなかった?」
てゐはゴムでできた軟らかなトラバサミを外しながらそう言った。
「それと、私が立っている場所が安全地帯ってのは“嘘”だよ。目の前には落とし穴なんてない。だから騙されずに正面から捕まえにくればあんたの勝ちだったんだよねぇ」
◇ ◇ ◇
番組が始まってから、一体どれだけの者が挑戦し、そして敗北していったのだろう。
それは幻想郷の顔役達ですら例外ではなかった。
とりわけ因幡てゐの落とし穴。この無慈悲かつ理不尽なトラップの前に、彼女達もまた成す術もなく落下していった。
レミリア・スカーレットは不敵に落下していった。
西行寺幽々子は優雅に落下していった。
八雲紫は華麗に落下していった。
一方、博麗霊夢と霧雨魔理沙は常連の挑戦者となっていた。
コイツらは果敢賞の5万円が目的なのである。
勢い任せの彼女達が壁に激突した挙句、顔面からプールに落下していったり、足を滑らせて泥沼に全身から飛び込む様子が映し出されるたびに、お茶の間を爆笑の渦へと巻き込んでいた。
娯楽の少ない幻想郷にテレビが普及した今、風雲カグヤ城の視聴率は雄に50パーセントを超えていた。
◇ ◇ ◇
ただしそんなある日の収録。夏の暑さがいよいよ本番となってきた頃。その挑戦者、藤原妹紅は他の挑戦者とは少々色合いが違った。並々ならない迫力を背負っていた。
「100万円はいらない、輝夜を殺しに来た」
妹紅の殺気だったコメントに、一瞬言葉を失う兎レポーター。
しかし彼女の身体能力は本物だった。迷いの池では、そもそも飛び石を踏む事がなかった。水面で右足が沈む前に左足を踏み出し、左足が沈む前に右足を踏み出す。これの繰り返しで水面を滑走した妹紅は見事に池を突破、カグヤ城城内に侵入する。
城内一階、悪夢の迷宮では妹紅はリグルを脅していた。
「知っているか?百足に毛虫に蛾、蜘蛛、竈馬。これらは全部焼けば食べられるのよ」
そう言ってぼうっと火をかざしてみせる。
「ひぇぇ」
頓狂な声を上げてリグルが逃げていく。
「追い詰められた虫は巣に逃げ帰る。まったく、楽なステージねぇ」
すたすたと事もなげにリグルの後を追う妹紅。
ゴール地点の隅にはリグルが縮こまった震えていた。
「ああ、そうそう」
「百足や蛾は毒があって焼いただけでは食べられないわ。なんでも焼けば良いってもんじゃないのよ。少しは勉強する事ね。それと道案内ありがとさん」
見向きもせずに手だけひらひらさせ、二階へと続く階段を登っていく。
【難題その三 八意XX、これはなんて読む?】
「や…やごころダブルエックス…!」
「正解!」
正直、今のはちょっと危なかった…
妹紅はまずはほっと胸を撫で下ろし、カグヤ城三階へと進む。
【難題その四、上白沢慧音を笑わせろ】
「○○が実は○○で、それでそいつが無理して○○してやったんだとさ。だから私は言ってやったんだ。それ、お前が○○だろうって」
慧音は椅子から転げ落ち、息も絶え絶えに笑いのたうち回っていた。
「慧音との付き合いは長いんだ。慧音の笑いのツボくらい知ってるんだよな、これが」
ちなみにこの時妹紅が発したギャグ。これらの言葉は後の幻想郷の放送禁止用語である。耳を疑うような下品かつ卑猥な言葉が、少女の口から発せられるというのは、あまりにも嘆かわしい事であったからだ。
「イヒヒ!イヒヒへへぁぁははは!ぁはあははオエッ!オエッ!ゲホゲホッ!うぶっ!…ふむ。ふふん。…むふふ。むふっ!ぶしゅっ!ぶーっは!」
難題をクリアしたは良いが、慧音の笑いが止まってくれない。
「お腹がっ、顎がっ!助けてくれ妹紅…あ~ひゃひゃっ、痛い!お腹痛い!助けて妹紅!ふふん。…だめだ。ぶはぁ!」
「あの、慧音、私はもういくよ…」
明らかに笑い過ぎの慧音の姿を、ちょっとなんとも言えない目で眺めながら、妹紅は階段へと向かう。
「さて、次が噂の四階か。てゐのトラップとやらがどれほどのものか、確かめさせてもらうわよ」
【難題その五、因幡てゐを捕獲せよ】
「待っていたよ、妹紅」
早くもトラップを発動するてゐ。
妹紅の頭上に巨大な岩が落下する。しかしこれを事もなく人差し指一本で受け止める。
今度は壁から鋭い槍が飛び出す。
「だがここでバックステップ!」
と言いつつスタイリッシュにこれを回避。
「これならどうだ!」
てゐの切り札、落とし穴が発動する。
しかし妹紅は地面が抜ける前に飛び移る。
幾多もの猛者たちを沈めてきた、てゐ自慢の落とし穴が敗れた瞬間であった。
「くっ!」
手を鋭く上に掲げるてゐ。
巨大なハンマーのような振り子が妹紅に襲い掛かる。
「吹っ飛べ!蜻蛉の様に吹っ飛んでしまえ!そしてそのまま沼へと落ちてしまえ!」
しかし妹紅は事もあろうに振り子に飛び乗った。さらに振り子の勢いを利用し壁に張り付く。
「ヒョー!」
壁を蹴り、謎の奇声を発しながら華麗に宙を舞う妹紅。
「あ、あれ…美しい…」
気がついた時、てゐは妹紅に捕まっていた。てゐは妹紅の動きに見惚れていた。トラップ発動を、逃げる事を、嘘で惑わす事を。全て忘れて見惚れてしまっていた。
「負けた…悔しい。でもなんだろう。この気持ち…とくん…」
「見事でした!竹林の忍者と言う噂は本当だったんですね!」
妹紅に駆け寄り、興奮気味に話す兎レポーター。
「我が美に陶酔したか…」
髪をかきあげ、体をくねらす妹紅。
【難題その六、二体のレイセンに勝利せよ】
五階の壁には拳銃が並んでいた。妹紅は一丁を手に取り、試し撃ちとばかりに引き金を引く。
どぎつい緑色の、ベタベタした液体が勢い良く発射された。
「インク銃。なるほどな、これで打ち合いという訳か」
「別に二丁でも構わんのだろう?」
妹紅は両手に銃を取り、くるくると鮮やかなガンスピンを決めてから構えを取った。
「兎狩りだ」
そこは小さな遮蔽物が点在している無機質なフロアだった。
中央の遮蔽物。上側からはぴょこんとしたうさ耳が。横側からは、ややぺたんとしたうさ耳がそれぞれはみ出している。
鈴仙・優曇華院・イナバが遮蔽物の横から妹紅の様子を覗き込む。そしてもう一人のレイセンに合図を送る。
「来たわね。レイセン、行動開始」
「了解、射殺します」
レイセンが妹紅の背後を取ろうと回り込む。
しかし、妹紅は大胆にも部屋の中央に鋭く飛び込み陣取る。
腕を交差させ、両足でリズムを刻みながら銃を乱射する。
ちっ、と舌打ちする鈴仙。ヤツは闇雲に乱射しているのではない。ターゲット二つを同時に補足しつつ距離を計っている!
「なんて非常識なヤツ!だけど…」
レイセンが妹紅の背後から突進、かいくぐる様にスライディングしつつ妹紅を射撃。
びちゃびちゃびちゃびちゃ。緑に黒、赤のインクが飛び交う。そして…
その場にはレイセンは全身緑のインクまみれで倒れていた。
「ナイス!それで良いのよレイセン!そしてそこだ藤原妹紅!くらえ、赤眼催眠II(マインドシェイカー・ツヴァイ)!」
鈴仙が遮蔽物から顔を出し、目から怪光線を発射する。彼女の紅き瞳が妹紅の瞳と合う。
「波長は光速度に等しい。これが!これこそが!私の新・必殺技(ネオンジェネシス・スペルカード)!」
「そしてそれは決まった!ヤツは私の術中に嵌った。いまや妹紅の銃口は私の幻を狙って明後日の方向を向いている事であろう!」
鈴仙はすでに勝ち誇り、嘲りの顔を浮かべて銃口を妹紅に向ける。
「残念だったわね、それは私の幻よ!」
「残念だったわね、それは私の残像よ」
「え?」
思いがけない妹紅の返答。状況が飲み込めない鈴仙。なにしろ、眼前には妹紅の銃口が、そして彼女の銃口こそがまさに明後日の方向を向いていたのだから。
びちゃ、という音が響き、緑色のインクが鈴仙の顔を覆う。
「ぎゃああああ」
鈴仙は顔を両手で押さえながら悶絶する。
「なに、敵が二対なら二丁拳銃で良いじゃない。幻視で二重に見えるなら両方狙えば良い。単純な話」
無茶苦茶な理論を展開した妹紅は空になった拳銃を空に放り捨た。そして次の階、カグヤ城六階。最後の階へと歩を進める。
「さて、ここまで来たは良いが…困ったな」
妹紅の左手側には、“Aルート”、右手側には“Bルート”
「頂上まで昇ったと言うのに、ヒントもなしとはな」
迷っていても仕方がない。妹紅はAルートの扉を開けた。
扉の先には、【難題その七、矢を十本回避せよ】の題字。そして永琳の姿が。
永琳が口を開く。
「残念、こっちははずれ。バッドエンドってヤツよ」
10本の矢を同時につがえる永琳。
「隙間のない弾幕は避けようがない。貴女はこのドアを開けた時点で負けだったの」
矢がぎりりと引き絞られる。
おい、ちょっと待て―
妹紅がそう言おうとする間すらなく、永琳の放った矢に射抜かれていた。
◇ ◇ ◇
目が覚める。場所はカグヤ城外苑。
「ああ、そうか。私は負けたのか…。ここは救護施設かどこかか?」
それにしてもあれはひどい。分岐点を間違えた位であれはいくらなんでもひどいだろう。しかも問答無用で射掛けてくるとは。
運営に文句を言おうと立ち上がろうとして、そこで初めて気がつく。違和感に。
それは身を起こそうとした自分が既に両足で立っていた事。そしてそこは救護施設でもなんでもなく、スタート地点である事。
目の前には、【難題その一、迷いの池を突破せよ】の表示。
声援が聞こえる。それは紛れもなく、自分に向けられた声援。
「妹紅ー!」
「もこたんー!」
「もこもこー!」
「妹紅さんっ!」
呆然として立ちすくむ妹紅。声にならない声。意思に反して動かない体。
「どうしたんですか?もうすぐスタートですよ、妹紅さん。具合でも悪いのですか?なんなら中断して休憩しますか?顔色が優れないようですが…」
兎レポーターが妹紅に声をかける。
「あ?ああ… いや、大丈夫だ」
レポーターの声を遮り、相変わらず飛び石を無視して水面を滑走する。
「キャーモコウサーン!」
黄色い声援が飛び交う。だが妹紅は不安を感じていた。そしてこの状況を把握しようとしていた。
「考えたくはないが…。まず間違いなく、輝夜の永遠の魔法だろう。あの時、私は永琳の矢に倒れた。並みの人妖なら即死だろう。これは過激な番組だ、私が蓬莱人だからと言って、死ぬような企画でも通したと言うのは、まあ有り得る。だがリザレクションした記憶はない。何よりも周りのあの態度、反応。まるで時が戻ったかのように。なかったかのように」
「時間はどうだろうか。太陽はあの時、私がスタートした時、どこにいた?」
夏の強い日差し。太陽がギラギラと照りつけている。この暑さがあるから、こんな下らない番組にも人妖が集まるのだろう。池に落ちるのはプールに落ちる感覚といったところだろう。
太陽の位置から察するに、おおむね時刻は昼八つ時、その前後。
やはり、時間は巻き戻っている。振り向いてみる。声援は尚も続いている。どうやら、引き返せる雰囲気ではないようだ。妹紅はもどかしさに軽く歯軋りをして城内に再突入する。
「ひぇぇ」
妹紅の不安は徐々に大きいものとなっていった。もちろん、リグルの情けない声によるものではない。
「攻略できるのか…?」
迷路をただ終着へと一直線に突き進む。なにしろ覚えているからだ。道順も、トラップも。その意味ではここは迷路であって迷路ではない。ただ、周囲の興奮、熱中、スタッフの兎達、そんなお祭り騒ぎの中、自分だけが取り残され、さ迷っているような感覚。
「まるで迷路だ…」
当の迷路を全く迷う事もなしにゴール地点に着いたところで、一人つぶやいた。
【難題その三、八意XX、これはなんて読む?】
これもその通りの問題だった。八意ペケペケとか、八意トエンテー、八意ダブルクロスとかも考えたが、口には出さないでおいた。もしかしたら全部正解なのかも知れないが。
【難題その四、上白沢慧音を笑わせろ】
「えと… ○○が実はだな…」
「ピキー!」
再び椅子から転倒する慧音。
しかし同じギャグを二度言うのはどうにも気恥ずかしかった。それでも笑ってくれる慧音の存在がちょっと愛おしかった。
難関の四階、てゐのトラップもわかっていればなんと言う事もなかった。ふと、その油断を逆手にとった罠が仕掛けられているかも知れないという懸念もあったが、それも杞憂であった。
【難題その六、射撃で二体のレイセンに勝利せよ】
前回通りにしたのなら、すぐに突撃して、勝負は数分足らずで片付くではあろう。だけれど、ここはあえて待ちに回ってみようと思った。
ザッ…という足音共に、レイセンが後ろに回りこむ。
スピードは大したものだ。スピードは。だけれど、狙いは確か?相手の能力の情報は収集してある?何よりも、鈴仙との連携は本当にそれが最善なのか?
そしてやってくる、スピード任せのスライディングからの連射。
「でも残念ね…スピードが速いからこそ、先読みのセンスが問われる。そしてそれは経験でしか身につかない」
レイセンはやはりインクまみれになって倒れている。
そして次に来るのは鈴仙の幻視の能力。彼女は既に勝ち誇った笑顔を浮かべている。
そら来た。すぐ能力に頼るからダメなんだよ、ダメ兎。
妹紅は心の中で呟く。お前の能力は強い。強い能力は存分に発揮させるべきだ。だがお前自身が弱い。だから攻め手側はまず、その切り札を引きずり出す。
焦った時、勝利を確信した時、いろいろな状況があるがな、そういう時にとる行動ってのは人も妖怪も、結局は似たり寄ったりなんだよ。
「自分自身が強くなければ追い詰められる。そして切り札に頼る。その時、切り札は最弱の弱点に成り果てる」
そして再び鈴仙に放たれるインク。
「あー、無駄撃ちした前回と違ってインクがたっぷりあるわ」
インク残量の限りに鈴仙に打ち込んだ。もはや鈴仙はうめき声も出せていない。呼吸しようと口を開けるのが精一杯だろう、にちゃにちゃと音をたてているばかり。
「さて、再び最上階な訳だが」
「今回は迷う必要がある。前回はAルートの扉がハズレだった」
「だが、“だから今回はBルートが正しい”とは限らない」
依然として五分。丁か半か。
「今回はBルートを選択する。もしまた間違いであれば、またスタート地点からのやり直しになってしまう」
「だが、正解不正解に関わらず、Aを選んだ場合、得られる情報は少ない。例えBが不正解であったとしても、それはそれで得られる情報が飛躍的に増える」
カグヤ城六階。最終ステージに相応しい、重厚な扉を押し開く。
そこには、【難題その八、矢を十本回避せよ】の題字が。
また矢か。ダメであったか…とも思ったが、良く見ると、“難題その八”となっている。ならばこっちが正規ルートか。
そして永琳が待ち受けていた。
「お待ちしておりました、挑戦者、藤原妹紅殿。我が主が対戦をお待ちかねです」
回廊の先には【姫のお部屋】とだけ書かれた部屋がある。
「姫様、挑戦者の方をお連れ致しました」
「お通しなさい」
良く澄んだ声が微かに聞こえる。そしてその声は何度も、何度も聞いてきた憎むべき宿敵の声だ。
永琳が襖をあけ、「それでは健闘をお祈りしております」と言うなり、さっさと消えてしまった。
「輝夜、殺しに来たよ。散々酷い目に合わされてきたが、今日でそれも終わる。決着の時だ」
しかし返事はなかった。
ふと薄暗い部屋に夕日が差し込む。部屋の間取りが見えてきた。思ったよりも狭い部屋のようだ。
その部屋は狭いのもあるが奇妙だった。中央には“棺”が一つおいてあり…
輝夜が棺から顔だけ出していた。
そして輝夜の口には…
吹き矢が咥えられていた。
吹き矢を加えたままの輝夜がもごもごと何か喋っている。
「おうほ、わはひはひへでふ(どうも、私が姫です)」
妹紅は困惑した。…何だこの風景は。なんで輝夜は棺に入っているんだ。しかも首だけ出して吹き矢を加えているとか。なんのギャグだ。
いや、これはギャグ番組だったんだな。それにしても苦労してたどり着いた最後がこれか。なんだか私一人だけ真面目にやっていると思うと切なくなってきたな。
でも番組だし、何か気の利いたコメントした方が良いのだろうか。笑えば良いのだろうか。思えば、殺すとか視聴者から見たらから物騒な事ばかり言って来…
プッ
「おわっ?」
空を切る音。早速撃ってきやがった!
プッ
「マトリックス!」
鋭く叫び、倒れんばかりに極限まで体を仰け反らせてギリギリで回避した。
油断してしまった。だが…
「五本、六本、七本目…!」
妹紅はアクロバティックに回避し続けた。
「目が慣れてきたよ。八本、九本目!」
「さあ、これで最後。十本目だ」
妹紅の集中力は極限まで研ぎ澄まされていた。その動体視力とあいまって、いまや輝夜の口の動きから軌道を見極められる。当たる可能性など、有って無いようなものだろう。
輝夜の口から、最後の矢が、十本目の矢が放たれる。
「吹き矢見てから回避余裕でした」
軽く体を捻るだけで十本目回避。
「さあこれでクリア…」
プッ
矢が妹紅を目掛け飛んでくる。
「ちっ…!」
なんとか回避する妹紅。
なぜだ?十本目だったはず。ルール違反?
なおも輝夜は吹き矢を吹き続けている。
ルール違反だ、だがしかし、これは一体…。
「まさか…」
妹紅は青ざめた。
「まさか、コイツ…」
「まさか、能力を…」
「またもや能力を…!」
輝夜の能力、永遠と須臾の魔法。覆水も盆に返る。複数の異なる世界を無数に作り出す。
吹いた吹き矢は元の鞘へと戻る。録画は最初に巻き戻される。
カグヤ城が一晩で、いや一瞬で築城されたのもこの能力のせい。永琳に敗北し、何事もなくされて開始地点に戻されたのもこの能力のせい。
そして今、この部屋、この空間でこの二人だけが、永遠の世界として切り取られて存在している。いや、この城、カグヤ城自体が…。
妹紅の思考は今にも止まりそうだった。私が敗北するまで永遠に繰り返す気なのか。
頭が錆付いたような感覚。考えあぐねているあいだにも、矢は途切れなく襲い掛かってくる。
壁に刺さり、あるいは床に落ちた矢は、吹かれた事そのものがなかった事にされ、輝夜の手に戻る。
棺桶から顔だけ出して吹き矢を打ってくる、このマヌケな輝夜の姿に、視聴者はさぞかし笑うだろう。だが、妹紅にとっては全く笑えない状況だった。
気がつけば、この部屋は永遠のループ空間。
輝夜は弾数無限の砲台と化しているのだ。難攻不落の要塞以外の何者でもない。
考えを駆け巡らせる。このルールの中で勝つ方法?「負けなければ勝ち」という発想では、輝夜は負けるまで時間を永遠に引き延ばすだけだろう。
不正を訴え出るというのは?それも有り得ない。この状況を認識しているのも共有しているのも、私と輝夜、二人だけだからだ。
こいつのやっている事は詐欺以外の何者でもないが、“詐欺行為そのものが今この瞬間にしか存在していない”それ以外の瞬間には輝夜の詐欺行為は存在してすらいない。
…ダメだ。
攻略方法はない。攻略はできないが、対抗する手段はある。それはあまりにも単純な方法。しかしそれはあまりにも苛烈な方法。最後の手段とも呼べないただの悪あがき。
「時間には時間、か…」
「時間に対しては、時間で対抗するしかない」
それが妹紅の出した結論だった。
しかし、そんな付け焼刃の戦法が通用するはずもなく。
集中力を欠いて、矢に当たってしまった。そして巻き戻される。
スタート地点へと。
太陽の位置から、やはり時刻は昼八つ時、その前後…。真夏だと言うのに、猛暑だと言うのに寒気に襲われる。冷や汗が止まらない。
段々とミスを連発する妹紅。てゐの落とし穴に落ちる。レイセン達に敗北する。しまいには出だしから池に落ちることさえあった。その度に見慣れた光景、スタート地点…。
心が折れそうだった。勝利する事は許されず、敗北する事すらも許されない。
何度目の挑戦だろうか。見上げればカグヤ城は依然として聳え立っていた。
「どうしたんですか?もうすぐスタートですよ、妹紅さん。具合でも悪いのですか?なんなら中断して休憩しますか?顔色が優れないようですが…」
聞き飽きたほど同じ台詞を喋る兎リポーター。
「……いや。いや…。またやり直すさ…やり直す…さ…」
妹紅はすでに、返事をする気力さえも失いつつあった。
「妹紅さん!」
ふいにギャラリーの兎少女が声をかけてきた。
「あ、あの…私、以前迷いの竹林で迷っていて行き倒れかけた者なんですけれど、妹紅さんに助けられて、それ以来ずっとファンで…今日は応援しに来たんです!」
「良かったら、これ、使って下さい!今日は、凄く暑いから…」
それは一枚の“冷えピタ”だった。数枚くらいは幻想入りしてもおかしくはない、外の世界の代物だ。
「渡せて良かったです…。ずっと用意していたんですけど、きっと渡せないなと思っていたから…」
「ちょっと、貴女、困りますよ。挑戦者の方にみだりに話しかけたりしないで。さあさあギャラリーは戻って」
兎少女はそのまま兎レポーターにつまみ出されていった。
永遠に変化のないはずの世界に変化があった。これがなければ、あの名も知らぬ兎少女は、妹紅への届かぬ思いを抱えたままであっただろう。
“冷えピタ”を握り締める。それは冷たいはずなのに、冷えるどころか不思議と熱さを感じる。冷や汗が引いていく。真夏の暑さの感覚が蘇る。
妹紅はくくっと笑いを噛み締め、今再びカグヤ城に向かっていった。
「私は輝夜を倒さなくてはならない」
「お陰で憑き物が落ちたかのような気分だよ」
妹紅の動きは完全だった。一部の隙もない。地を駆け、宙を舞う。神速の勢いでカグヤ城を駆け上る。
そして対峙する、妹紅と輝夜。
「輝夜…」
「思えば、お前とは飽くまで殺しあった仲だ。最初からこのカグヤ城を、お前を攻略できるのは私しか居なかったと言う事だな…?」
「ええ?そうなんだろう?そうなんだろう!輝夜…輝夜、輝夜!輝夜あああぁぁぁぁ!!」
はぁはぁと息を荒くする妹紅。
吹き矢を咥えた輝夜は答えない。ただ、その顔が、ニヤリと笑った気がした。
「その棺桶は、鋼鉄の箱入り娘って事か…。だけどそれも今回で終わる。今度こそ引きずり出してやる」
「この城、そしてお前を落としてやるよ。お姫様」
どれほどの時間が経ったのだろうか。再び永遠に繰り返される時間の中で、妹紅は吹き矢を回避し続けた。今度は、今度こそ最後まで付き合ってみせる。汗が吹き出る。目がかすむ。だが、今度は体力が尽ようとも心だけは挫けまい。
そして終わりのない時間の末に、終わりの時は来た。
何百何千本の吹き矢を回避しただろうか。
ふいに輝夜が咥えていた吹き矢をペッと吐き出した。
「見事よ妹紅、10本クリア」
「何が10本だ。お前が打った矢は何百、いや何千か。それともそれ以上か?」
「私は10本しか撃っていないわ。実際に矢は10本しか持っていなかった。そして、貴女は見事に私を“諦めさせた”」
「いずれにしても…」
輝夜は棺という鋼鉄の箱を脱ぎ捨てて立ち上がった。
「よくここまでたどり着いたわね、永遠の魔法の輪廻から抜け出して」
「苦労したよ」
「けれど、これまではほんのお遊び。本当のお楽しみはこれからよ」
輝夜が両の手を広げる。
二人だけに閉ざされていた世界が開放されていく、時が加速をし始める。昼が夕暮れに、夕暮れは夜に。
月が静かに昇り始める。
天守閣の小さな部屋に、月光が僅かに差し込んだ。
輝夜の肢体が照らされゆく。
それの姿は儚くも美しく、妹紅は思わず息を飲む。輝夜はいつもそうだった。だから妹紅は輝夜を殺したいと思った。輝夜を倒したい。輝夜に倒されたい。輝夜に殺されたい。輝夜と戦いたい。いつまでも、いつまでも。妹紅は永遠に続く事を、心の底では願っていた。だから挑んだ。カグヤ城に。蓬莱山輝夜に。
輝夜が高らかに宣言する。
「それでは決戦の舞台へ!!」
カグヤ城天守閣が割れていく。
全天の空が広がる。
二人の体が天蓋に吸い込まれるように上昇していく。その様子は、さながら無限に広がる宇宙の中に吸い込まれていくかのよう。
時の加速は止まらない。新月は二日月に、二日月は三日月に。三日月は弓張月に、弓張月は十三夜月に。十三夜月は小望月となり、小望月から満月に。
時間は尚も狂ったように加速する。一日が吹き飛び、一週間が消し飛び、一年が無かった事にされる。繰り返される時間の跳躍。
そして迎える、千と十八年に一度だけの奇跡の満月。
その輝きに眩しさを感じるよりも、美しさを感じるよりも、ただただ狂おしく感じた。
そして蓬莱山輝夜はそこにいる。光輝く満月を背景に、微かな笑みを浮かべていた。
「さあ、私からの最後の難題よ。貴女にこの難題が解けるかしら?」
妹紅はぐっと拳を握り締めた。全身から吹き出る灼熱の業火。自身の身体をも焼き尽くさんばかりに燃え盛っていた。
【最終難題 蓬莱山輝夜に勝利せよ】
◇ ◇ ◇
その回が放送された日、幻想郷の住人達は食い入るようにテレビを見ていた。金曜の宵五ツ時、いつものような爆笑は聞こえない。いつもなら、いつもの週なら。笑えるシーンが放送された瞬間、隣家から、居酒屋から、同時にドッと笑い声が湧き上がるのが常であった。
しかし『挑戦者、藤原妹紅』、この回の終盤、誰もが固唾を呑んで見守っていた。
そして彼らは目にする。幻想少女達の弾幕勝負を。
居酒屋ではビールも焼き鳥も八目鰻も、注文してもなにも出てこない。なにしろ店員が、厨房の料理人までもがフロアに出てきてテレビを見ているのだから。
それでも文句を言う者は誰も居なかった。
風雲カグヤ城はすでに視聴率60%を超える超人気番組となっていた。
なぜこの番組がこれ程までの人気を博すようになったのだろうか。
幻想郷には娯楽が少ないから?
最強クラスの人妖達がさくさくと落とし穴にはまっていき、またはクイズではバカ回答が連発されたり、あるいは幻想郷を代表する少女達が水に濡れ、泥まみれになっていく姿がウケたのだろうか。
それでも斜陽は訪れる。ある時から、「俗悪番組」「子どもに対する悪影響」として抗議を受けるようになっていった。
天狗の新聞では「風雲カグヤ城は脳の発達に悪影響!?専門家が警鐘」「風雲カグヤ城を見ると馬鹿になる!脳萎縮の恐怖!専門家が指摘」などとある事ない事書き立てられるようになった。
連日のバッシングを受け、遂にカグヤ城は打ち切りに追い込まれ、城はあえなく取り壊しとなった。あれだけ人外達の挑戦を退けてきた城のあっけない陥落だった。
◇ ◇ ◇
時は風雲カグヤ城が放送終了してから一週間後。場所は永遠亭。
「面白かったのにー」
輝夜は実に不満そうだった。
「むー」
輝夜は頬を膨らませながら足をパタパタさせている。いつもの光景だ。
「まあまあ、楽しめたから良かったじゃないの」
「あんな思いはもうしたくないですよー」
「もっとトラップを磨かないとダメだったなぁ。鈴仙で練習しておかないとねぇ」
「私はなんだったんだろう…」
飛び交う悲喜こもごもの感想。
そんな折、テレビから映像が流れてくる。
「新番組、『けねもこ爆笑漫才』あ…えと、ど、どうもー!けーねでーす…」
「これはいいや」
輝夜はチャンネルを変えた。
「夜の鳥ぃ、夜の歌ぁ♪」
またもやヘンな歌番組。もうウンザリである。
「ああもう! また妹紅の気でも惹けるものでも考えようかしら?」
「次はもっと妹紅が苦しむような。もっともっと妹紅が絶望に打ちひしがれるような」
輝夜は蛇のようにニタリと笑った。
どこでもない場所。誰もいない場所で一人呟く者がいた。
「ブンヤの新聞に書かれていた“専門家”とは私の事です」
「彼らをそそのかしたのは、汚れたかぐもこが放送されたからです。かぐもこは“穢れ”ではなく“汚れ”なのです」
「そこで私が提唱するのは、“えーてる”です。不老不死、蓬莱の薬の鍵はえーてるにあるのです」
「汚れなきえーてるから生み出されたもの…そう、つまりこれこそが“エーテル”なのです」