優しい光を間近に感じて、レミリアは瞳を開けた。
半分だけ覚醒した意識の中で、部屋中を見渡し、ベッドの横でうっすら輝くランプを見つける。
顔だけを横に向け、それを見つめた後。今度はベッドの天蓋を眺めつつ、左手を滑らかなシーツの上で動かした。腕が左右に移動するたび白い波が動き、布ズレの音を届かせる。
「ん……」
半分濁った声を出して、やっと上半身を起こすがその目にはまだ普段のレミリアらしい鋭さがない。
わしわしと、青い髪を手の中で遊ばせ、緩やかな動作でベッドの周囲を探る様は、年相応の寝ぼけた子供のよう。遊びに疲れて眠った後、別の部屋に運ばれ、目覚めてから見慣れない風景に戸惑う。そんな風貌であった。
そうやって視界を彷徨わせること数分、灯台下暗しとはよく言ったもの。
昨晩床に置いていたはずの棺桶をベッドのすぐ横で見つけた。
半分、蓋が開いたままの。
レミリアはベッドから降りてその蓋を直してから、気だるそうに声を上げる。
「咲夜」
ランプを置いていったのは、そろそろ起きる時間だというサイン。
近くにいるに違いないと、レミリアが呼ぶ。
加えて声音に魔力を乗せたので、屋敷内にいれば間違いなく咲夜に届いたはずだ。
そうすると、遅くとも数分以内にはやってくる。
客の対応等していなければ、間髪いれずに姿を見せるはず。
後は、魔力で部屋の四隅のランプを点し、到着を部屋の中のテーブルで待つだけ。
なのだが……
「……」
今日に限ってレミリアはネグリジェのまま、スリッパも履かずに扉まで歩く。そして、まるで開くのを待つように数秒そこで待機してから、また部屋の中央に戻る。
暗がりの中でそれを3回ほど繰り返した後だった。
突如、部屋が震えるほどの勢いで足の裏を床に叩きつけ。
「咲夜!」
もう一度、さっきよりも強い口調で呼ぶ。
叫ぶと形容してもいいくらいの強さで。
「お、お嬢様! 申し訳ありません!」
普段のレミリアとは違う。
あからさまに怒気を感じる声。それを敏感に感じ取った咲夜は慌ててレミリアの目の前に姿を見せ、深々と頭を下げた。
「急な来客がありまして、そちらの対処をしておりましたら遅れてしまいました」
普段と違う、ランプの灯っていない暗い部屋。
その中央でレミリアが腕を組みながら見下ろす。咲夜は朝から何か不忠を働いてしまったかと、冷静な表情の裏に恐怖を感じながらもある字の言葉を待つ。
レミリアの感情が高ぶったときに輝く紅い瞳、それが一瞬見えたことも、咲夜の不安を駆り立てる。
頭を下げたままの咲夜に対しレミリアは一歩一歩近づき、両手を両即頭部に当てた。
そのまま徐々に力を入れていき、無理やり顔を上げさせる。
「え? あの……」
そうして咲夜の顔を、鼻が触れそうなくらい間近で眺め、
「……そう、それならいいわ」
何もなかったように背を向けると、指を鳴らす。それだけで部屋中の壁掛けランプに淡い光が灯り、主従の姿を鮮明に映し出した。
本当に、何もなかった。
咲夜がそう思えるほど自然な動きが余計に昨夜の同様を誘う。それでも、いつものようにネグリジェ姿でテーブルにつき、右腕で頬杖を突く様は紛れもない現実そのもの。
「待っていて上げるから用事をすませていらっしゃい。スカーレット家の従者が満足な接客すら出来ないと言われては癪だからね」
「はい、かしこまりました。ですが、お嬢様、その前にお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「手短にね」
「はい、ええっと、こういったことをお聞きするのは失礼かもしれないのですが……」
咲夜は軽く目蓋を閉じて、心を静めてから言葉を続けた。
「何か、気に触ることがありましたか?」
今朝の異常とも言える行動に何か特別な意味はないか。
それを探ってみるが
「寝覚めが少し悪かっただけよ。それくらい人間でもよくあることでしょう?
特に昨日は暑かったから、無意識に棺桶からベッドに移動したのも原因かもしれないね」
「そうでしたか、疑うような真似をしてしまい申し訳ありません」
ふと、咲夜がベッドの近くを見やれば、確かにベッドメイクの際にはそこになかったはずの棺桶が、ぴったりとベッドにくっついていた。
「では、失礼します」
それを確認した後で、咲夜は一瞬のうちに姿を消す。
時間を止めて移動するという、普段どおりの移動法だ。
もちろんレミリアもそれを見慣れているはず、だというのに……
その小さな目が、一瞬だけ見開かれた。
◇ ◇ ◇
「なあ、パチュリー、魔力の放出量とかを増やす方法とか。そういうの書いてある本ってないのか?」
地下の図書館では珍しくない光景が繰り広げられていた。
明かりの魔法を机の上に浮かべたまま読書にふけるパチュリーと、その横では本をぱらぱら捲りながら問いかける魔理沙が座っている。
「だから、言っているでしょう? 私のように魔力を使えないあなたの場合、効率よく放出することが第一。魔法キノコの粉がなくなったら、単なる人間だってことを自覚しなさい。
普通の魔法使いさん?」
「なんだよ、パチュリーまでそういうこというのか。あいつと一緒だな。もういいぜ、そういう説教話は」
「説教なんて立派なものじゃないわ、未熟者へのアドバイスよ」
「言ってろ! もう頼らない、自分で調べる」
「はいはい、お好きにどうぞ」
魔法使いは知識に関してプライドが高い。
というよりも、個々の拘りが強い。だから、意見の違いでぶつかることは当然といえる。
「……なあ、パチュリー? ここの文字、なんだけどさ?」
「……はぁ」
それでも、仲がいいのか悪いのか。
なんだかんだ文句を言いながら手助けするパチュリー側にも、魔理沙がいつまでも遠慮しない原因があるような気がする。
「たすかったぜ」
「どういたしまして」
「あと、もう一個気になることがあるんだ」
「まだあるの?」
「いやいや、それはパチュリーには関係のない話なのかもしれないけどな?
ほら、そこに」
魔理沙は腰を椅子から浮かして半身になると、机のちょうど反対側を指差した。
「なんでレミリアがいるんだ?」
その指先には、紅茶をすすりながら不思議そうに首を傾げる人影があった。
「え? 私の屋敷だからに決まっているでしょう?」
当然だと言わんばかりに答えてから、後ろに控えていた咲夜に紅茶のおかわりを促す。
そして、もう話は終わりといわんばかりに目下の本を読み始めた。
「いや、まあ、そうなんだが。言い方が悪かった。別にいても不自然じゃないじゃないんだよな。えーっと、あれだ。私が言いたいのは……」
魔理沙は椅子に座りなおしてうーんっと、腕を組む。
しかしレミリアが途中からやってきたときから、微妙な違和感を覚えていた。なんだかこう、むず痒いというかなんというか。
「もしかしてずっと見てないか? 私たちのこと」
「さすが自己主張の激しい白黒。そこまで自意識過剰になれるのはうらやましい限りだよ」
「いや、絶対見てたって」
「では、こちらから質問するのだけれど? 始終目の前で騒ぎ立てられた場合、人間はそちらを気にせずに読書だけにのめりこめるとでも言うのかしら?
私は何度か視線を向けても不自然ではないと思うのだけれど。
ねぇ、普通の魔法使いさん?」
「……あ、私レミリアのことがちょっと嫌いになったぜ」
「あら、パチェの真似をしてみただけだよ?」
「パチュリーは普段から嫌味っぽいからいいんだ」
「はいはい、そういうキャラでいいわよ」
「あ、いや、冗談。冗談だって、気にするなよ!」
ばんばんっと魔理沙が誤魔化しで背中を叩いく。そのせいでパチュリーは飲みかけた紅茶を詰まらせてしまい。
こふこふっと咳をしながら恨めしそうに魔理沙を睨む。
それで今度は慌てて背中をさすりはじめて、
「ふーん」
っと、そんな騒動を眺めながら、レミリアは鼻を鳴らす。
「何か面白い記述でもみつけましたか?」
それを本の内容のせいと受け取ったのか、紅茶のおかわりを差し出しながら咲夜が問いかける。
するとレミリアは、背中から伸びた羽を小さく揺らした。
「ええ、それなりにね。退屈しない程度ではあるけれど」
レミリアの声で咲夜が近くに来たことを知った魔理沙は、慌てた様子で本をテーブルの上からどけて、空中に四角形を描き始めた。
「咲夜、ちょっとパチュリーが紅茶零したみたいで、布巾が欲しいんだぜ」
あなたのせいでしょ?
噴き出したのは私じゃない。
などという口論を聞きながら、咲夜は仕方ないといった様子で能力を――
「あなたたち布巾を持ってきなさい。今すぐに」
使おうとはした、が。何故か途中で取りやめて、廊下にいた妖精に要件を告げる。この行動には魔理沙だけでなく、パチュリーも首をかしげた。
「どこか調子でも悪いのかしら?」
「いえ、パチュリー様。そういうことではないのですが……、お嬢様からのご命令で」
「レミィからの?」
時を止めずに作業させれば非効率なのに。
そう言いたげにレミリアを見るパチュリーだったが、見つめられたほうはどうじることもなく、紅茶を口に運んだ。
「ええ、そうよ。いつも時を止めて仕事をすることが多いから、私が側に居るときだけ時間を止めずに仕事をさせることにした。今日だけだけれど、そういうのもおもしろいかと思って」
「咲夜は不便そうにみえるのだけれど? ねえ?」
「いえ、私はお嬢様の命令に従うだけですわ。さあ、パチュリー様、妖精メイドたちが布巾を持ってきましたのでテーブルの上をいったん片付けましょう」
やはり時間を使わずに手際よく濡れた部分をふき取り、ついでに見やすいように本を片付けていく。
これだけできるなら時間を止めなくてもいいんじゃないかと、本気で思えるくらい。
そうしてまた、パチュリーと魔理沙の魔法研究という名の言い合いが再開され、
「お嬢様、何かお持ちしましょうか?」
「いいわ、適当に読んでおくから」
レミリアもその喧騒の中で、二冊目の本を眺めていた。
端から見ても特に楽しそうに見えないのだが、レミリアは特に会話に加わることもなく一時間ほど読書を続けてから、咲夜に片づけを命令して出て行った。
咲夜は苦笑しながら本を持ち、本棚に戻そうと足を踏み出そうとして、
また、元の場所に置いた。
内容に興味があったわけでも、背表紙の刺繍が気になったわけでもない。
何も考えずに本を持ったから、そんな気がするだけかもしれない。
それでも、今、何気なく、同じ動作を巻き戻す様にしてテーブルに置いた。
確かに、これで間違いないはずなのに……
そんな咲夜の動きに気付き、魔理沙と話をしていたパチュリーが声を上げた。
「咲夜、何してるの? その本、上下逆よ?」
◇ ◇ ◇
「相変わらずお日様は元気ね。憎らしいくらいに」
太陽が傾き始め、日中の暑さが穏やかになってきた頃。
霊夢はここぞとばかりに、境内で打ち水を始めた。快適な夕方、夜を過ごすためにはこの一瞬の汗も耐えられるというもの。
霊夢は額の汗を袖で拭いながら、桶を片手に持って柄杓で撒く。日に焼けた石や地面に満遍なく。そうして何度か水を追加して撒いていたら、中途半端に水が残ってしまった。
どうしようかと悩んだ霊夢は、階段のところまで移動し。
「よっこいしょ!」
若さのかけらもない掛け声と一緒に、残った水を景気づけに階段からぱーっと。
桶から放たれた水は綺麗な放物線を描いて階段に降り注ぎ、霊夢もそれを視線で追う。
人間の少女の力であるから、水は10段くらい下までにしか届かないが、その一瞬を眺めているだけで清涼感を味わえる気がした。
が、視線を下に向けたそのとき、誰かが階段を上っているのが目に入り。
「あ」
腹水盆に帰らず。
まき水桶に帰らず。
霊夢の小さな声と共に、一部の水が小さな目標に命中。
バシャバシャと他の水が地面に当たる音から判断しても、ずぶぬれになるはずであった。
しかし、それを予期していたのか。その飛沫は桃色の可愛らしい傘に防がれた。それでもその傘から覗く顔は、可愛らしいどころか、不満一杯。
「……これは何の嫌がらせかしら?」
「あら? レミリアじゃない。傘をさしていてよかったわね」
「日傘と雨傘の違いもわからないなんて、これだから社交性皆無の巫女は……」
「はいはい、わるうございました。水がかかりそうになったくらいでそんなに怒らないでよ」
吸血鬼に流れ水、とはいかないものの、水を浴びせようとしたのに。まったく悪びれない。そんないつもの霊夢の姿に、来訪者はどこか気の抜けた様子で階段のぼりを再開し、霊夢の横を通り過ぎたところで、ぴたっと止まって振り返る。
「お詫びにお茶でも煎れてくれるとか、そういう殊勝なことは?」
「いつもと一緒じゃない」
「作ったものの気持ちで味も変わるというよ」
「じゃあ、いつもと一緒の味に違いないわ。お賽銭を入れてくれれば多少は味が増すかもしれないわね」
「悪魔が神に祈ってどうするのよ」
神社に入る客とは思えない態度で、神社のほうへと勝手に進んでいく。ただ、一般客よりもこの暇な吸血鬼のほうが神社に来る回数が多く、居間や霊夢の部屋の場所も熟知している。だから勝手に入り込む回数も多い。
むしろ最近はいきなり空から入り込むのが主流で、霊夢が家事等をしている間にちょこんっと室内に座っていることもあるのだから侮れない。
「あれ?」
だからだろうか。
レミリアを追いかけるように桶を持って神社へと歩いていた霊夢は何故か足を止め、
「何で今日に限って正面からきたのかしら?」
素朴な疑問をつぶやいたのだった。
チリーンチリーン
開け放たれた居間の中に風が流れ、風鈴が心地よい音色を奏でる。
そんな中、霊夢とレミリアは畳の上で腰を下ろしてお茶を楽しんでいた。
「やっぱり最近暑いわね」
「そうね」
チリーンチリーン
「レミリアはやっぱり、一番暑いときは外に出たりしないの?」
「そうね」
「……」
チリーンチリーン
「そっちは、最近珍しいお客とかなかった? 私はいつもどおり、妖怪くらいしかやってこないんだけど」
「そうね」
「…………」
チリーンチリーン
霊夢は風鈴の音を聞き、微笑みながら正直に思った。
めちゃくちゃ絡みづらい、と。
かと言ってレミリアが風景を楽しんでいるから呆けている、というわけでもなく、何故か霊夢の方をちらりちらりと気にしながら座っているのだ。
だから、話でもあるのかとわざと霊夢が振っているのに。
返ってくるのは、まったく気持ちの入っていない言葉だけ。
普段なら、なにかおもしろいことはないかとか、茶菓子を出せとか。霊夢が黙っていてもレミリアのほうから話しかけてくるというのに。
「レミリア? なんか悩み事でもある?」
「……そうね」
「ん?」
さっきと同じ、なんの興味もなさそうな返事。
けれど、先ほどとは違う奇妙な間が霊夢の中で引っかかった。
「ふーん」
それ以上霊夢は何も尋ねずに、湯飲みを傾けてから畳みの上で横になった。
普段なら私がいるのになんで寝ようとする、なんて文句の一つくらい飛んでくるはず。
それでもレミリアは、霊夢の方に視線を送るだけで何一つ反応を示さない。
その代わりとでもいうように、風鈴だけがまたチリンと鳴った。
「――にちはっ!」
と、そこで。
静かな風にまぎれ、霊夢を呼ぶ声が玄関の方から聞こえた。その声がなにか急いでいるようだったので、霊夢はお払い棒で空間を切って一瞬のうちに玄関へ。
そうしたら、注文していた神事用の和紙を届けに来たという話だったので、また、居間に亜空穴を開き、筆記用具を持ってくると受付確認用の紙に筆で名前を書いた。
「ただいまー」
荷物を受け取ってから、居間に瞬間移動し、また横になる。
この間わずか1分。
この程度なら別にただいまなんて言わなくても良かったかなと、若干霊夢が照れくさく思っていたときだった。
「霊夢」
何をしても無反応だったレミリアが、いきなり霊夢の顔を覗き込んできたのは。
起き上がるなと言わんばかりに肩を掴むおまけつきで。
さすがに、何も言わずに客を置いていったとか、そういうことに怒っているのか。そう思い霊夢が悪かったと口に擦るより早く。
「その移動禁止!」
「……はぃ?」
「だから、今の、紫みたいな移動禁止!」
瞬間移動するな!
自分の目の前でやるのは禁止だとレミリアが言う。
しかも、霊夢が思わず苦笑してしまうほど真剣な顔で。
「わかったわよ。弾幕勝負とかおかしなこと仕掛けない限り、レミリアの前でアレは使いません」
「絶対よ?」
「ええ、絶対」
「約束したからね! 悪魔の約束よ」
レミリアは強く念を押した後、ふと我に返ったのだろうか。
霊夢から飛び退いて、ばつが悪そうに頬を膨らませてから、
「……わるかったわね」
そうつぶやいてから、日傘を持って神社を出て行く。
それを部屋の中から見送った霊夢は、釈然としない顔でまた横になる。
◇ ◇ ◇
闇に生きるものには明るすぎる夜だった。
草木も眠る丑三つ時。
メイド妖精たちもその職務から解放され、自室へ戻ってからもう1刻以上が過ぎていた。
それでもレミリアはテラスで一人。
白いテーブルについて、空を見上げていた。
吸い込まれるように深い闇と、その闇すら照らしてしまいそうなくらい暖かく輝く満月。雲ひとつない空を見上げて、レミリアはその身を背もたれに預けて、眠そうに伸びを一つ。
そんなとき、レミリアの後ろでコンっと、硬いものがぶつかる音がする。
「満月は人や妖怪を狂わせるというけれど、レミィもその口かしら?」
「パチェか。こんな時間まで読書?」
「ええ、いつもどおりね。そっちはお世辞にもそういえないようだけれど」
「へえ、パチェは私が変だって言うの? あいつらみたいに」
レミリアが指差した先、その地上から光がいくつか上がっては、消える。まるで花火のような鮮やかな光が明滅していた。
それはもちろん、満月時の恒例の風物詩。人里での争い。人食い妖怪として己が存在のために人を襲うという行為を繰り返さなければいけない。そんな哀れな妖怪たちと人間による力の打ち合いこそが、その一瞬の花火の正体。
レミリアは自分がそんな状態なのかと、皮肉を言って見せたつもりなのかもしれないが、パチュリーはそんなことを意に介さず。
無言でレミリアの横の椅子に座ると、両手で頬杖を突いた。
「眠るのが怖い?」
「っ!」
パチュリーの一言が何を意味するか。レミリアはそれを理解し、息を呑んだ。
「咲夜に聞いたわ。レミィが図書館の中で、逆さまに本を見ていたかもしれないって。その前にも、寝起きで様子がおかしかったとも言っていたかしら。
あなたが寝不足なんじゃないかって心配してたわ」
「……起きたばかりで調子が悪かったのよ。図書館の本は咲夜の勘違い」
羽を緩やかに動かしながら、反論する。
それでも親友であるパチュリーに対しては強くなれないのか、どこかトーンが低い。
「本当にそうかしら? 最初に魔理沙が、『レミリアがずっとこっち見てる』って言ったときは半信半疑だったのだけれど。そうね、おかしなことはまだあるわ。
レミィ? 図書館を出て行った後、美鈴と会ったわよね?」
「ええ、もちろん」
「そのとき、美鈴は何をしていたかしら?」
「日陰で、フランと一緒に眠っていたわね」
「ええ、美鈴があなたの気配を感じて飛び起きて、謝っていたそうなのだけれど。何の注意もなくそのまま外に出て行ってしまったと」
「……あれは、フランが眠っていたから声を出さなかっただけよ」
「そう」
普段なら、小声で注意くらいはする。
それに、本当にフランドールを起こさないようにするためなら、二人に近寄らなければ良いだけ。
それでもパチュリーはそれを指摘せずに、レミリアの瞳をじっと見つめて。
「……咲夜が、心配だからあなたの様子を見てくれないかって、眠る前に図書館に来たのよ。だから少し時間を置いてからあなたの部屋に行ってみた。
そしたら扉の鍵が開けっ放しで、中にあなたもいなかった」
「夕涼みというやつよ」
「そうね、あれだけベッドが濡れていたもの」
「……」
勝手に部屋に入ったのをとがめようともせずに、レミリアは瞳を閉じ、パチュリーから逃げるように顔を逸らす。
けれど、パチュリーは言葉を止めようとしない。
「吸血鬼は普段から体温が低い、だから大汗をかくようなことはほとんどない。でもあなたのベッドと棺は、汗っかきの人間が寝ていたのかと思うほど濡れていた。
ネグリジェもそうよ。わざわざ普段着に着替えてから、ここに来なければいけないほどにね」
「……」
とうとうレミリアは何も答えなくなった。
ただ、唇を強く閉じて、何かに耐えている。
羽だけが弱々しく左右に動いていて、もうやめてと告げているようだった。
「あなたは、棺とベッドを何度も移動して、眠ろうとした。でも、眠れなかったのでしょう? 不自然なほど乱れていたシーツがその証拠よ。
昼間の呆けたあなたも、それが原因なんでしょう?」
「…………」
それでも、レミリアは答えず。
ただ、じっとしていた。
それでも――
「私にも、教えてくれないの?」
長年連れ添ってきた親友のその一言で、レミリアは顔を上げた。
そこには微笑むでもなく、呆れるでもなく、ただ、友人を心配する真剣な顔がそこにあった。
それでも、レミリアは固まるばかりで何もできない。
「そう、ならいいわ。おやすみなさい」
それをレミリアの答えとしたのか、パチュリーは席を立ち屋敷の中に戻ろうとした。
だが、その服を小さな手が掴む。
椅子の上で、か弱い少女のように身体を丸めたレミリアが、伸ばした手。
それがパチュリーの行動を拒んだ。
一人にしないでと、全身で叫んでいた。
その後、パチュリーは静かに椅子に戻り、レミリアの手が解かれるのを待った。
それから四半刻たった頃、夜空に一つ星が流れたとき。
「夢を……見たのよ」
レミリアの手がパチュリーの服から離れ、自らの身体を抱いた。
「夢? 吸血鬼であるあなたが?」
「ええ、そうよ。頭で考える人間くらいじゃないと夢は見ない。私もそう思う。それでも、私は夢を見る……」
「もう、そうならそうと意地を張らずに言えばいいじゃない。嫌な夢を見たって」
夢という答えは予想外であったのか、パチュリーの目が輝くがさすがに友人を研究材料にするのは気が引けるのか、慌てて自分に対して首を振る。
そんな内なる葛藤を知らないまま、レミリアは息を零し、
「そう、父も、母もそんなことを言っていたわ。私が小さい頃、怖い夢を見たって言っても、笑っていた。大丈夫ってね」
「そうよ、気にしすぎるのはよくないわ。そもそも夢を最初に見たのは何歳の頃なの?」
「10歳くらいだった気がする」
「それなら怖がってもしょうがない年齢ね」
パチュリーに励まされても、レミリアの顔色はさえない。
そして、何かをためらうように一度言葉をきってから、またゆっくりと唇を動かし始める。
「その夢の中にはね、父と母はいなかった……」
なるほどと、パチュリーは思う。
多感な時期に親と離れ離れになる夢を見て、それがトラウマになったのかもしれない、と。しかし、その予想はレミリアの言葉で覆されることとなる……
「屋敷の外の風景は、そのとき住んでいた場所とは全然違った。私たちが住んでいた地域には近くに湖なんて、ありはしなかった」
「……え?」
淡々と語るレミリアの口から出た言葉。
近くに湖がある、別世界。
そのキーワードが導くものなど、パチュリーが理解できないはずがない。
「そして私は、その屋敷を守るために戦って、でも……
っていうのが、そのときの私の夢。
だから幻想郷に来たとき、どこか寒いものを感じたわ……偶然と笑えばよかったのかもしれない。
でも、たった一回、幻でも見たんだって。」
レミリアは満月を仰ぎ見て、帽子を脱ぎ、それを顔の前でぎゅっと握り締める。
「でもね、それだけじゃ終わらなかった。
二回目は、それからずいぶんと経った頃。夢のことなどすっかり忘れた頃よ。
私は……父と母が戦いで死ぬ夢を見た……怖くてそのことは誰にも伝えなかったのだけれど」
何かに耐えるように、声を震わせ、それでも感情を出来るだけ表に出さないようにしているようにも見えた。
「その数日後よ。本当に二人が死んだのは……夢と、寸分変わらぬ姿でね……
今でも時々考えるよ。もし私が……
もし私があのときに勇気を持って伝えられれば……
フランだって、両親との思い出を作れたかもしれない。
幻想郷に来たときだって、父と母がいればもっと上手く……」
「レミィ!!」
それ以上悪い方向に考えないで。
自分を責めないで。
パチュリーが強く叫んだ言葉に込められた気持ちを受け取り、レミリアはありがとうとつぶやいた。
満月が二人を見下ろす中、また少しだけ静寂が流れ。
レミリアはまた、ぽつりぽつりと語り始める。
「パチェ、さっきあなたは私が眠るのが怖いんじゃないかっていっていたね。
でもね、少し違うのよ、私は……」
言葉を切って頭を左右に振り、自分の両肩を掴んで身体を振るわせる。
いつもの自信満々のレミリアとは思えない、脅える少女のような姿で。
「夢を見るのが、怖い」
夢という名の、運命視。
吸血鬼が夢を見ないというのなら、それは無意識下によるレミリアの能力の暴走としか考えられない。
そして、いままではその全てが、真実となってしまっている。
今日の異常な行動も、夢を見た後による影響に違いない。
咲夜に時間停止能力をやめさせ、パチュリーと魔理沙のやり取りを読書をカモフラージュにして眺め続け、美鈴とフランドールの姿を何も言わず眺め、何も言わず博麗神社に出かけた。
その全てが、繋がるはずだ。
そしてパチュリーは一つ、手がかりになる行動を直接目にしている。
「ねえ、レミィ? あなたが咲夜に能力を使わせなかったのは……
能力の使用による影響を考えたわけじゃなく。
咲夜が一瞬消えることに恐れた」
返事はない。
けれど、弱々しい頷きがそれを肯定していた。
だからその夢の内容も、パチュリーは大まかに理解してしまっていた。
「パチェ、私は一人でも生きていけると考えたときがある。
こういうとフランには怒られてしまいそうだけれど、この力があればどうとでもなるってね。仲間を持てば邪魔になるだけって」
椅子の上で膝を抱え、まだその頭上に輝く満月を見上げ、やっと微笑を見せる。
しかし月明かりに淡く照らされたその表情は、どこか自嘲の色を含んでいた。
「けれど、いつからかしらね。
この生活が悪くないって思い始めてしまったのは……」
パチュリーの声を待たず、レミリアはテラスの手すりの方へと歩いていき。まだ盛んに交戦の光が灯り続ける人里の方角を眺めた。
それはレミリアがここに着てからもずっと、変わらない風景。
それでも、人里の中では毎日、誰かが死に、生まれる。
消えても誰かが引きついで、また新しい光となる。
きっと、それは永遠といって良いほど長く輝く満月からしてみれば、他愛もない光。
「……ねえ、パチェ? 今度は私から質問しても良いかしら?」
月を見上げながら、レミリアは問いかける。
それをパチュリーは無言の肯定で答えた。
静かな答えを背中で受け取り、振り返ったレミリアに張り付いた微笑み。
それはさきほどの嘲りなどは微塵もなく、魔の眷族が魅せる妖艶さだけがそこにあった。
「魔法使いは、技法を使って不老不死となる。外的な攻撃で無理やり滅ぼされたりしなければ、不変のまま永遠を過ごすと聞いているわ。
なら、パチェ?
あなたはその永遠に苦痛を感じることはない?」
そんなものはない。
馬鹿げている。
人間から変異した魔法使いではなく、生まれてから魔法使いというパチュリーにとっては、永遠があってしかるべきものなのだ。
だからパチュリーの答えは一つ。
『ない』
たった二文字の、否定の言葉。
「……それは」
しかし、それが喉から出ない。
図書館に住み着き、司書として働かせている小さい従者の姿。
そして、図々しい普通の魔法使いの姿が頭に浮かんだ瞬間。
否定の言葉があっさりと霧散する。
「永遠というほど長い命を、恐怖したことはない?」
「……」
今度はパチュリーが言葉を失う番だった。
長い、長い、沈黙の時間。
レミリアの視線を受け止めるだけで、行動を起こせない。
椅子に腰掛けたまま、真剣な顔で見つめ返すことが唯一の抵抗だった。
「はぁ……」
何時間でも待つ。
そう告げるかのようなレミリアの態度に、パチュリーやっと口から出せたのは、単なる吐息。
それから降参と言うように肩を竦める。
「……私はね、ひねくれもので、意地っ張りなのよ」
「ふふっ、良く知ってる。何年の付き合いだって思ってるのかしら?」
「まだ100未満よ」
「そうね、まだ、たった100年も経っていない。
それは妖怪にとってわずかな時間にも思えるけれど」
ようやく、普段のレミリアらしい顔に戻り。
パチュリーの側に戻る。
そうして、とんっと軽く親友の肩を叩いて、
「今日はそのわずかな時の流れが、怖くて仕方なかった……」
たった一言だけ言い残し、レミリアは屋敷へと戻っていく。
残されたパチュリーは席を立たず、無言のまま見送った。
そうして完全に小さな主の姿が見えなくなってから、右手で頬杖をつきながら瞳を閉じ、
「私は、あなたのいない永遠が想像できなくなってしまったのだけれど……
どうしてくれるのかしらね」
残った左腕で帽子を強く掴み。
深く、重い息を吐いた。
その翌日、図書館でのこと。
レミリアによって能力禁止が解除され、てきぱきと仕事をこなしていた咲夜が急にそわそわし始めたかと思ったら。
「申し訳ありません、お嬢様」
紅茶を運ぶと同時に、深々と頭を下げた。
その前に座ってパチュリーと談笑していたレミリアが思わず目を丸くするタイミングで。
「ん? 何か掃除中に壊したりした?」
「え、いえ、そういうことではないのですが、昨日からお嬢様の様子が変だと誤解してしまいまして、パチュリー様にもこっそり相談を……」
「ああ、そのことか。ちょっと気になることがあって、それはすっきりしたから問題ない。その程度のことで気に病むくらいなら、パチェのカップにも紅茶をだね」
と、レミリアが指示する前。
周辺で本の整理をしていた小悪魔が弾丸のような速さで戻ってきて、慌ててパチュリーのカップに紅茶を満たす。
その後、ちょっと恨めしそうに咲夜を睨むものだから、睨まれた方は苦笑するしかなかった。
「良い部下を持ったものね、パチェ?」
「それは褒め言葉?」
「それ以外の何がある」
二人は、従者から受け取った紅茶を持ち、
レミリアは肩肘をついて、威厳たっぷりに
パチュリーは音を立てず静かに一口味わって。
「うん、美味しい。いつもありがとう、咲夜」
「今日のは悪くない。感謝するわ」
紅茶だけではそうそう出ない。従者をいたわる言葉。
それをまったく同時に。
鏡に映したような表情で言うものだから。
「はははっ」
「うふふ……」
レミリアとパチュリーの笑い声が、穏やかな昼下がりを彩った。
そんな何もない、永遠の中の一日。
半分だけ覚醒した意識の中で、部屋中を見渡し、ベッドの横でうっすら輝くランプを見つける。
顔だけを横に向け、それを見つめた後。今度はベッドの天蓋を眺めつつ、左手を滑らかなシーツの上で動かした。腕が左右に移動するたび白い波が動き、布ズレの音を届かせる。
「ん……」
半分濁った声を出して、やっと上半身を起こすがその目にはまだ普段のレミリアらしい鋭さがない。
わしわしと、青い髪を手の中で遊ばせ、緩やかな動作でベッドの周囲を探る様は、年相応の寝ぼけた子供のよう。遊びに疲れて眠った後、別の部屋に運ばれ、目覚めてから見慣れない風景に戸惑う。そんな風貌であった。
そうやって視界を彷徨わせること数分、灯台下暗しとはよく言ったもの。
昨晩床に置いていたはずの棺桶をベッドのすぐ横で見つけた。
半分、蓋が開いたままの。
レミリアはベッドから降りてその蓋を直してから、気だるそうに声を上げる。
「咲夜」
ランプを置いていったのは、そろそろ起きる時間だというサイン。
近くにいるに違いないと、レミリアが呼ぶ。
加えて声音に魔力を乗せたので、屋敷内にいれば間違いなく咲夜に届いたはずだ。
そうすると、遅くとも数分以内にはやってくる。
客の対応等していなければ、間髪いれずに姿を見せるはず。
後は、魔力で部屋の四隅のランプを点し、到着を部屋の中のテーブルで待つだけ。
なのだが……
「……」
今日に限ってレミリアはネグリジェのまま、スリッパも履かずに扉まで歩く。そして、まるで開くのを待つように数秒そこで待機してから、また部屋の中央に戻る。
暗がりの中でそれを3回ほど繰り返した後だった。
突如、部屋が震えるほどの勢いで足の裏を床に叩きつけ。
「咲夜!」
もう一度、さっきよりも強い口調で呼ぶ。
叫ぶと形容してもいいくらいの強さで。
「お、お嬢様! 申し訳ありません!」
普段のレミリアとは違う。
あからさまに怒気を感じる声。それを敏感に感じ取った咲夜は慌ててレミリアの目の前に姿を見せ、深々と頭を下げた。
「急な来客がありまして、そちらの対処をしておりましたら遅れてしまいました」
普段と違う、ランプの灯っていない暗い部屋。
その中央でレミリアが腕を組みながら見下ろす。咲夜は朝から何か不忠を働いてしまったかと、冷静な表情の裏に恐怖を感じながらもある字の言葉を待つ。
レミリアの感情が高ぶったときに輝く紅い瞳、それが一瞬見えたことも、咲夜の不安を駆り立てる。
頭を下げたままの咲夜に対しレミリアは一歩一歩近づき、両手を両即頭部に当てた。
そのまま徐々に力を入れていき、無理やり顔を上げさせる。
「え? あの……」
そうして咲夜の顔を、鼻が触れそうなくらい間近で眺め、
「……そう、それならいいわ」
何もなかったように背を向けると、指を鳴らす。それだけで部屋中の壁掛けランプに淡い光が灯り、主従の姿を鮮明に映し出した。
本当に、何もなかった。
咲夜がそう思えるほど自然な動きが余計に昨夜の同様を誘う。それでも、いつものようにネグリジェ姿でテーブルにつき、右腕で頬杖を突く様は紛れもない現実そのもの。
「待っていて上げるから用事をすませていらっしゃい。スカーレット家の従者が満足な接客すら出来ないと言われては癪だからね」
「はい、かしこまりました。ですが、お嬢様、その前にお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「手短にね」
「はい、ええっと、こういったことをお聞きするのは失礼かもしれないのですが……」
咲夜は軽く目蓋を閉じて、心を静めてから言葉を続けた。
「何か、気に触ることがありましたか?」
今朝の異常とも言える行動に何か特別な意味はないか。
それを探ってみるが
「寝覚めが少し悪かっただけよ。それくらい人間でもよくあることでしょう?
特に昨日は暑かったから、無意識に棺桶からベッドに移動したのも原因かもしれないね」
「そうでしたか、疑うような真似をしてしまい申し訳ありません」
ふと、咲夜がベッドの近くを見やれば、確かにベッドメイクの際にはそこになかったはずの棺桶が、ぴったりとベッドにくっついていた。
「では、失礼します」
それを確認した後で、咲夜は一瞬のうちに姿を消す。
時間を止めて移動するという、普段どおりの移動法だ。
もちろんレミリアもそれを見慣れているはず、だというのに……
その小さな目が、一瞬だけ見開かれた。
◇ ◇ ◇
「なあ、パチュリー、魔力の放出量とかを増やす方法とか。そういうの書いてある本ってないのか?」
地下の図書館では珍しくない光景が繰り広げられていた。
明かりの魔法を机の上に浮かべたまま読書にふけるパチュリーと、その横では本をぱらぱら捲りながら問いかける魔理沙が座っている。
「だから、言っているでしょう? 私のように魔力を使えないあなたの場合、効率よく放出することが第一。魔法キノコの粉がなくなったら、単なる人間だってことを自覚しなさい。
普通の魔法使いさん?」
「なんだよ、パチュリーまでそういうこというのか。あいつと一緒だな。もういいぜ、そういう説教話は」
「説教なんて立派なものじゃないわ、未熟者へのアドバイスよ」
「言ってろ! もう頼らない、自分で調べる」
「はいはい、お好きにどうぞ」
魔法使いは知識に関してプライドが高い。
というよりも、個々の拘りが強い。だから、意見の違いでぶつかることは当然といえる。
「……なあ、パチュリー? ここの文字、なんだけどさ?」
「……はぁ」
それでも、仲がいいのか悪いのか。
なんだかんだ文句を言いながら手助けするパチュリー側にも、魔理沙がいつまでも遠慮しない原因があるような気がする。
「たすかったぜ」
「どういたしまして」
「あと、もう一個気になることがあるんだ」
「まだあるの?」
「いやいや、それはパチュリーには関係のない話なのかもしれないけどな?
ほら、そこに」
魔理沙は腰を椅子から浮かして半身になると、机のちょうど反対側を指差した。
「なんでレミリアがいるんだ?」
その指先には、紅茶をすすりながら不思議そうに首を傾げる人影があった。
「え? 私の屋敷だからに決まっているでしょう?」
当然だと言わんばかりに答えてから、後ろに控えていた咲夜に紅茶のおかわりを促す。
そして、もう話は終わりといわんばかりに目下の本を読み始めた。
「いや、まあ、そうなんだが。言い方が悪かった。別にいても不自然じゃないじゃないんだよな。えーっと、あれだ。私が言いたいのは……」
魔理沙は椅子に座りなおしてうーんっと、腕を組む。
しかしレミリアが途中からやってきたときから、微妙な違和感を覚えていた。なんだかこう、むず痒いというかなんというか。
「もしかしてずっと見てないか? 私たちのこと」
「さすが自己主張の激しい白黒。そこまで自意識過剰になれるのはうらやましい限りだよ」
「いや、絶対見てたって」
「では、こちらから質問するのだけれど? 始終目の前で騒ぎ立てられた場合、人間はそちらを気にせずに読書だけにのめりこめるとでも言うのかしら?
私は何度か視線を向けても不自然ではないと思うのだけれど。
ねぇ、普通の魔法使いさん?」
「……あ、私レミリアのことがちょっと嫌いになったぜ」
「あら、パチェの真似をしてみただけだよ?」
「パチュリーは普段から嫌味っぽいからいいんだ」
「はいはい、そういうキャラでいいわよ」
「あ、いや、冗談。冗談だって、気にするなよ!」
ばんばんっと魔理沙が誤魔化しで背中を叩いく。そのせいでパチュリーは飲みかけた紅茶を詰まらせてしまい。
こふこふっと咳をしながら恨めしそうに魔理沙を睨む。
それで今度は慌てて背中をさすりはじめて、
「ふーん」
っと、そんな騒動を眺めながら、レミリアは鼻を鳴らす。
「何か面白い記述でもみつけましたか?」
それを本の内容のせいと受け取ったのか、紅茶のおかわりを差し出しながら咲夜が問いかける。
するとレミリアは、背中から伸びた羽を小さく揺らした。
「ええ、それなりにね。退屈しない程度ではあるけれど」
レミリアの声で咲夜が近くに来たことを知った魔理沙は、慌てた様子で本をテーブルの上からどけて、空中に四角形を描き始めた。
「咲夜、ちょっとパチュリーが紅茶零したみたいで、布巾が欲しいんだぜ」
あなたのせいでしょ?
噴き出したのは私じゃない。
などという口論を聞きながら、咲夜は仕方ないといった様子で能力を――
「あなたたち布巾を持ってきなさい。今すぐに」
使おうとはした、が。何故か途中で取りやめて、廊下にいた妖精に要件を告げる。この行動には魔理沙だけでなく、パチュリーも首をかしげた。
「どこか調子でも悪いのかしら?」
「いえ、パチュリー様。そういうことではないのですが……、お嬢様からのご命令で」
「レミィからの?」
時を止めずに作業させれば非効率なのに。
そう言いたげにレミリアを見るパチュリーだったが、見つめられたほうはどうじることもなく、紅茶を口に運んだ。
「ええ、そうよ。いつも時を止めて仕事をすることが多いから、私が側に居るときだけ時間を止めずに仕事をさせることにした。今日だけだけれど、そういうのもおもしろいかと思って」
「咲夜は不便そうにみえるのだけれど? ねえ?」
「いえ、私はお嬢様の命令に従うだけですわ。さあ、パチュリー様、妖精メイドたちが布巾を持ってきましたのでテーブルの上をいったん片付けましょう」
やはり時間を使わずに手際よく濡れた部分をふき取り、ついでに見やすいように本を片付けていく。
これだけできるなら時間を止めなくてもいいんじゃないかと、本気で思えるくらい。
そうしてまた、パチュリーと魔理沙の魔法研究という名の言い合いが再開され、
「お嬢様、何かお持ちしましょうか?」
「いいわ、適当に読んでおくから」
レミリアもその喧騒の中で、二冊目の本を眺めていた。
端から見ても特に楽しそうに見えないのだが、レミリアは特に会話に加わることもなく一時間ほど読書を続けてから、咲夜に片づけを命令して出て行った。
咲夜は苦笑しながら本を持ち、本棚に戻そうと足を踏み出そうとして、
また、元の場所に置いた。
内容に興味があったわけでも、背表紙の刺繍が気になったわけでもない。
何も考えずに本を持ったから、そんな気がするだけかもしれない。
それでも、今、何気なく、同じ動作を巻き戻す様にしてテーブルに置いた。
確かに、これで間違いないはずなのに……
そんな咲夜の動きに気付き、魔理沙と話をしていたパチュリーが声を上げた。
「咲夜、何してるの? その本、上下逆よ?」
◇ ◇ ◇
「相変わらずお日様は元気ね。憎らしいくらいに」
太陽が傾き始め、日中の暑さが穏やかになってきた頃。
霊夢はここぞとばかりに、境内で打ち水を始めた。快適な夕方、夜を過ごすためにはこの一瞬の汗も耐えられるというもの。
霊夢は額の汗を袖で拭いながら、桶を片手に持って柄杓で撒く。日に焼けた石や地面に満遍なく。そうして何度か水を追加して撒いていたら、中途半端に水が残ってしまった。
どうしようかと悩んだ霊夢は、階段のところまで移動し。
「よっこいしょ!」
若さのかけらもない掛け声と一緒に、残った水を景気づけに階段からぱーっと。
桶から放たれた水は綺麗な放物線を描いて階段に降り注ぎ、霊夢もそれを視線で追う。
人間の少女の力であるから、水は10段くらい下までにしか届かないが、その一瞬を眺めているだけで清涼感を味わえる気がした。
が、視線を下に向けたそのとき、誰かが階段を上っているのが目に入り。
「あ」
腹水盆に帰らず。
まき水桶に帰らず。
霊夢の小さな声と共に、一部の水が小さな目標に命中。
バシャバシャと他の水が地面に当たる音から判断しても、ずぶぬれになるはずであった。
しかし、それを予期していたのか。その飛沫は桃色の可愛らしい傘に防がれた。それでもその傘から覗く顔は、可愛らしいどころか、不満一杯。
「……これは何の嫌がらせかしら?」
「あら? レミリアじゃない。傘をさしていてよかったわね」
「日傘と雨傘の違いもわからないなんて、これだから社交性皆無の巫女は……」
「はいはい、わるうございました。水がかかりそうになったくらいでそんなに怒らないでよ」
吸血鬼に流れ水、とはいかないものの、水を浴びせようとしたのに。まったく悪びれない。そんないつもの霊夢の姿に、来訪者はどこか気の抜けた様子で階段のぼりを再開し、霊夢の横を通り過ぎたところで、ぴたっと止まって振り返る。
「お詫びにお茶でも煎れてくれるとか、そういう殊勝なことは?」
「いつもと一緒じゃない」
「作ったものの気持ちで味も変わるというよ」
「じゃあ、いつもと一緒の味に違いないわ。お賽銭を入れてくれれば多少は味が増すかもしれないわね」
「悪魔が神に祈ってどうするのよ」
神社に入る客とは思えない態度で、神社のほうへと勝手に進んでいく。ただ、一般客よりもこの暇な吸血鬼のほうが神社に来る回数が多く、居間や霊夢の部屋の場所も熟知している。だから勝手に入り込む回数も多い。
むしろ最近はいきなり空から入り込むのが主流で、霊夢が家事等をしている間にちょこんっと室内に座っていることもあるのだから侮れない。
「あれ?」
だからだろうか。
レミリアを追いかけるように桶を持って神社へと歩いていた霊夢は何故か足を止め、
「何で今日に限って正面からきたのかしら?」
素朴な疑問をつぶやいたのだった。
チリーンチリーン
開け放たれた居間の中に風が流れ、風鈴が心地よい音色を奏でる。
そんな中、霊夢とレミリアは畳の上で腰を下ろしてお茶を楽しんでいた。
「やっぱり最近暑いわね」
「そうね」
チリーンチリーン
「レミリアはやっぱり、一番暑いときは外に出たりしないの?」
「そうね」
「……」
チリーンチリーン
「そっちは、最近珍しいお客とかなかった? 私はいつもどおり、妖怪くらいしかやってこないんだけど」
「そうね」
「…………」
チリーンチリーン
霊夢は風鈴の音を聞き、微笑みながら正直に思った。
めちゃくちゃ絡みづらい、と。
かと言ってレミリアが風景を楽しんでいるから呆けている、というわけでもなく、何故か霊夢の方をちらりちらりと気にしながら座っているのだ。
だから、話でもあるのかとわざと霊夢が振っているのに。
返ってくるのは、まったく気持ちの入っていない言葉だけ。
普段なら、なにかおもしろいことはないかとか、茶菓子を出せとか。霊夢が黙っていてもレミリアのほうから話しかけてくるというのに。
「レミリア? なんか悩み事でもある?」
「……そうね」
「ん?」
さっきと同じ、なんの興味もなさそうな返事。
けれど、先ほどとは違う奇妙な間が霊夢の中で引っかかった。
「ふーん」
それ以上霊夢は何も尋ねずに、湯飲みを傾けてから畳みの上で横になった。
普段なら私がいるのになんで寝ようとする、なんて文句の一つくらい飛んでくるはず。
それでもレミリアは、霊夢の方に視線を送るだけで何一つ反応を示さない。
その代わりとでもいうように、風鈴だけがまたチリンと鳴った。
「――にちはっ!」
と、そこで。
静かな風にまぎれ、霊夢を呼ぶ声が玄関の方から聞こえた。その声がなにか急いでいるようだったので、霊夢はお払い棒で空間を切って一瞬のうちに玄関へ。
そうしたら、注文していた神事用の和紙を届けに来たという話だったので、また、居間に亜空穴を開き、筆記用具を持ってくると受付確認用の紙に筆で名前を書いた。
「ただいまー」
荷物を受け取ってから、居間に瞬間移動し、また横になる。
この間わずか1分。
この程度なら別にただいまなんて言わなくても良かったかなと、若干霊夢が照れくさく思っていたときだった。
「霊夢」
何をしても無反応だったレミリアが、いきなり霊夢の顔を覗き込んできたのは。
起き上がるなと言わんばかりに肩を掴むおまけつきで。
さすがに、何も言わずに客を置いていったとか、そういうことに怒っているのか。そう思い霊夢が悪かったと口に擦るより早く。
「その移動禁止!」
「……はぃ?」
「だから、今の、紫みたいな移動禁止!」
瞬間移動するな!
自分の目の前でやるのは禁止だとレミリアが言う。
しかも、霊夢が思わず苦笑してしまうほど真剣な顔で。
「わかったわよ。弾幕勝負とかおかしなこと仕掛けない限り、レミリアの前でアレは使いません」
「絶対よ?」
「ええ、絶対」
「約束したからね! 悪魔の約束よ」
レミリアは強く念を押した後、ふと我に返ったのだろうか。
霊夢から飛び退いて、ばつが悪そうに頬を膨らませてから、
「……わるかったわね」
そうつぶやいてから、日傘を持って神社を出て行く。
それを部屋の中から見送った霊夢は、釈然としない顔でまた横になる。
◇ ◇ ◇
闇に生きるものには明るすぎる夜だった。
草木も眠る丑三つ時。
メイド妖精たちもその職務から解放され、自室へ戻ってからもう1刻以上が過ぎていた。
それでもレミリアはテラスで一人。
白いテーブルについて、空を見上げていた。
吸い込まれるように深い闇と、その闇すら照らしてしまいそうなくらい暖かく輝く満月。雲ひとつない空を見上げて、レミリアはその身を背もたれに預けて、眠そうに伸びを一つ。
そんなとき、レミリアの後ろでコンっと、硬いものがぶつかる音がする。
「満月は人や妖怪を狂わせるというけれど、レミィもその口かしら?」
「パチェか。こんな時間まで読書?」
「ええ、いつもどおりね。そっちはお世辞にもそういえないようだけれど」
「へえ、パチェは私が変だって言うの? あいつらみたいに」
レミリアが指差した先、その地上から光がいくつか上がっては、消える。まるで花火のような鮮やかな光が明滅していた。
それはもちろん、満月時の恒例の風物詩。人里での争い。人食い妖怪として己が存在のために人を襲うという行為を繰り返さなければいけない。そんな哀れな妖怪たちと人間による力の打ち合いこそが、その一瞬の花火の正体。
レミリアは自分がそんな状態なのかと、皮肉を言って見せたつもりなのかもしれないが、パチュリーはそんなことを意に介さず。
無言でレミリアの横の椅子に座ると、両手で頬杖を突いた。
「眠るのが怖い?」
「っ!」
パチュリーの一言が何を意味するか。レミリアはそれを理解し、息を呑んだ。
「咲夜に聞いたわ。レミィが図書館の中で、逆さまに本を見ていたかもしれないって。その前にも、寝起きで様子がおかしかったとも言っていたかしら。
あなたが寝不足なんじゃないかって心配してたわ」
「……起きたばかりで調子が悪かったのよ。図書館の本は咲夜の勘違い」
羽を緩やかに動かしながら、反論する。
それでも親友であるパチュリーに対しては強くなれないのか、どこかトーンが低い。
「本当にそうかしら? 最初に魔理沙が、『レミリアがずっとこっち見てる』って言ったときは半信半疑だったのだけれど。そうね、おかしなことはまだあるわ。
レミィ? 図書館を出て行った後、美鈴と会ったわよね?」
「ええ、もちろん」
「そのとき、美鈴は何をしていたかしら?」
「日陰で、フランと一緒に眠っていたわね」
「ええ、美鈴があなたの気配を感じて飛び起きて、謝っていたそうなのだけれど。何の注意もなくそのまま外に出て行ってしまったと」
「……あれは、フランが眠っていたから声を出さなかっただけよ」
「そう」
普段なら、小声で注意くらいはする。
それに、本当にフランドールを起こさないようにするためなら、二人に近寄らなければ良いだけ。
それでもパチュリーはそれを指摘せずに、レミリアの瞳をじっと見つめて。
「……咲夜が、心配だからあなたの様子を見てくれないかって、眠る前に図書館に来たのよ。だから少し時間を置いてからあなたの部屋に行ってみた。
そしたら扉の鍵が開けっ放しで、中にあなたもいなかった」
「夕涼みというやつよ」
「そうね、あれだけベッドが濡れていたもの」
「……」
勝手に部屋に入ったのをとがめようともせずに、レミリアは瞳を閉じ、パチュリーから逃げるように顔を逸らす。
けれど、パチュリーは言葉を止めようとしない。
「吸血鬼は普段から体温が低い、だから大汗をかくようなことはほとんどない。でもあなたのベッドと棺は、汗っかきの人間が寝ていたのかと思うほど濡れていた。
ネグリジェもそうよ。わざわざ普段着に着替えてから、ここに来なければいけないほどにね」
「……」
とうとうレミリアは何も答えなくなった。
ただ、唇を強く閉じて、何かに耐えている。
羽だけが弱々しく左右に動いていて、もうやめてと告げているようだった。
「あなたは、棺とベッドを何度も移動して、眠ろうとした。でも、眠れなかったのでしょう? 不自然なほど乱れていたシーツがその証拠よ。
昼間の呆けたあなたも、それが原因なんでしょう?」
「…………」
それでも、レミリアは答えず。
ただ、じっとしていた。
それでも――
「私にも、教えてくれないの?」
長年連れ添ってきた親友のその一言で、レミリアは顔を上げた。
そこには微笑むでもなく、呆れるでもなく、ただ、友人を心配する真剣な顔がそこにあった。
それでも、レミリアは固まるばかりで何もできない。
「そう、ならいいわ。おやすみなさい」
それをレミリアの答えとしたのか、パチュリーは席を立ち屋敷の中に戻ろうとした。
だが、その服を小さな手が掴む。
椅子の上で、か弱い少女のように身体を丸めたレミリアが、伸ばした手。
それがパチュリーの行動を拒んだ。
一人にしないでと、全身で叫んでいた。
その後、パチュリーは静かに椅子に戻り、レミリアの手が解かれるのを待った。
それから四半刻たった頃、夜空に一つ星が流れたとき。
「夢を……見たのよ」
レミリアの手がパチュリーの服から離れ、自らの身体を抱いた。
「夢? 吸血鬼であるあなたが?」
「ええ、そうよ。頭で考える人間くらいじゃないと夢は見ない。私もそう思う。それでも、私は夢を見る……」
「もう、そうならそうと意地を張らずに言えばいいじゃない。嫌な夢を見たって」
夢という答えは予想外であったのか、パチュリーの目が輝くがさすがに友人を研究材料にするのは気が引けるのか、慌てて自分に対して首を振る。
そんな内なる葛藤を知らないまま、レミリアは息を零し、
「そう、父も、母もそんなことを言っていたわ。私が小さい頃、怖い夢を見たって言っても、笑っていた。大丈夫ってね」
「そうよ、気にしすぎるのはよくないわ。そもそも夢を最初に見たのは何歳の頃なの?」
「10歳くらいだった気がする」
「それなら怖がってもしょうがない年齢ね」
パチュリーに励まされても、レミリアの顔色はさえない。
そして、何かをためらうように一度言葉をきってから、またゆっくりと唇を動かし始める。
「その夢の中にはね、父と母はいなかった……」
なるほどと、パチュリーは思う。
多感な時期に親と離れ離れになる夢を見て、それがトラウマになったのかもしれない、と。しかし、その予想はレミリアの言葉で覆されることとなる……
「屋敷の外の風景は、そのとき住んでいた場所とは全然違った。私たちが住んでいた地域には近くに湖なんて、ありはしなかった」
「……え?」
淡々と語るレミリアの口から出た言葉。
近くに湖がある、別世界。
そのキーワードが導くものなど、パチュリーが理解できないはずがない。
「そして私は、その屋敷を守るために戦って、でも……
っていうのが、そのときの私の夢。
だから幻想郷に来たとき、どこか寒いものを感じたわ……偶然と笑えばよかったのかもしれない。
でも、たった一回、幻でも見たんだって。」
レミリアは満月を仰ぎ見て、帽子を脱ぎ、それを顔の前でぎゅっと握り締める。
「でもね、それだけじゃ終わらなかった。
二回目は、それからずいぶんと経った頃。夢のことなどすっかり忘れた頃よ。
私は……父と母が戦いで死ぬ夢を見た……怖くてそのことは誰にも伝えなかったのだけれど」
何かに耐えるように、声を震わせ、それでも感情を出来るだけ表に出さないようにしているようにも見えた。
「その数日後よ。本当に二人が死んだのは……夢と、寸分変わらぬ姿でね……
今でも時々考えるよ。もし私が……
もし私があのときに勇気を持って伝えられれば……
フランだって、両親との思い出を作れたかもしれない。
幻想郷に来たときだって、父と母がいればもっと上手く……」
「レミィ!!」
それ以上悪い方向に考えないで。
自分を責めないで。
パチュリーが強く叫んだ言葉に込められた気持ちを受け取り、レミリアはありがとうとつぶやいた。
満月が二人を見下ろす中、また少しだけ静寂が流れ。
レミリアはまた、ぽつりぽつりと語り始める。
「パチェ、さっきあなたは私が眠るのが怖いんじゃないかっていっていたね。
でもね、少し違うのよ、私は……」
言葉を切って頭を左右に振り、自分の両肩を掴んで身体を振るわせる。
いつもの自信満々のレミリアとは思えない、脅える少女のような姿で。
「夢を見るのが、怖い」
夢という名の、運命視。
吸血鬼が夢を見ないというのなら、それは無意識下によるレミリアの能力の暴走としか考えられない。
そして、いままではその全てが、真実となってしまっている。
今日の異常な行動も、夢を見た後による影響に違いない。
咲夜に時間停止能力をやめさせ、パチュリーと魔理沙のやり取りを読書をカモフラージュにして眺め続け、美鈴とフランドールの姿を何も言わず眺め、何も言わず博麗神社に出かけた。
その全てが、繋がるはずだ。
そしてパチュリーは一つ、手がかりになる行動を直接目にしている。
「ねえ、レミィ? あなたが咲夜に能力を使わせなかったのは……
能力の使用による影響を考えたわけじゃなく。
咲夜が一瞬消えることに恐れた」
返事はない。
けれど、弱々しい頷きがそれを肯定していた。
だからその夢の内容も、パチュリーは大まかに理解してしまっていた。
「パチェ、私は一人でも生きていけると考えたときがある。
こういうとフランには怒られてしまいそうだけれど、この力があればどうとでもなるってね。仲間を持てば邪魔になるだけって」
椅子の上で膝を抱え、まだその頭上に輝く満月を見上げ、やっと微笑を見せる。
しかし月明かりに淡く照らされたその表情は、どこか自嘲の色を含んでいた。
「けれど、いつからかしらね。
この生活が悪くないって思い始めてしまったのは……」
パチュリーの声を待たず、レミリアはテラスの手すりの方へと歩いていき。まだ盛んに交戦の光が灯り続ける人里の方角を眺めた。
それはレミリアがここに着てからもずっと、変わらない風景。
それでも、人里の中では毎日、誰かが死に、生まれる。
消えても誰かが引きついで、また新しい光となる。
きっと、それは永遠といって良いほど長く輝く満月からしてみれば、他愛もない光。
「……ねえ、パチェ? 今度は私から質問しても良いかしら?」
月を見上げながら、レミリアは問いかける。
それをパチュリーは無言の肯定で答えた。
静かな答えを背中で受け取り、振り返ったレミリアに張り付いた微笑み。
それはさきほどの嘲りなどは微塵もなく、魔の眷族が魅せる妖艶さだけがそこにあった。
「魔法使いは、技法を使って不老不死となる。外的な攻撃で無理やり滅ぼされたりしなければ、不変のまま永遠を過ごすと聞いているわ。
なら、パチェ?
あなたはその永遠に苦痛を感じることはない?」
そんなものはない。
馬鹿げている。
人間から変異した魔法使いではなく、生まれてから魔法使いというパチュリーにとっては、永遠があってしかるべきものなのだ。
だからパチュリーの答えは一つ。
『ない』
たった二文字の、否定の言葉。
「……それは」
しかし、それが喉から出ない。
図書館に住み着き、司書として働かせている小さい従者の姿。
そして、図々しい普通の魔法使いの姿が頭に浮かんだ瞬間。
否定の言葉があっさりと霧散する。
「永遠というほど長い命を、恐怖したことはない?」
「……」
今度はパチュリーが言葉を失う番だった。
長い、長い、沈黙の時間。
レミリアの視線を受け止めるだけで、行動を起こせない。
椅子に腰掛けたまま、真剣な顔で見つめ返すことが唯一の抵抗だった。
「はぁ……」
何時間でも待つ。
そう告げるかのようなレミリアの態度に、パチュリーやっと口から出せたのは、単なる吐息。
それから降参と言うように肩を竦める。
「……私はね、ひねくれもので、意地っ張りなのよ」
「ふふっ、良く知ってる。何年の付き合いだって思ってるのかしら?」
「まだ100未満よ」
「そうね、まだ、たった100年も経っていない。
それは妖怪にとってわずかな時間にも思えるけれど」
ようやく、普段のレミリアらしい顔に戻り。
パチュリーの側に戻る。
そうして、とんっと軽く親友の肩を叩いて、
「今日はそのわずかな時の流れが、怖くて仕方なかった……」
たった一言だけ言い残し、レミリアは屋敷へと戻っていく。
残されたパチュリーは席を立たず、無言のまま見送った。
そうして完全に小さな主の姿が見えなくなってから、右手で頬杖をつきながら瞳を閉じ、
「私は、あなたのいない永遠が想像できなくなってしまったのだけれど……
どうしてくれるのかしらね」
残った左腕で帽子を強く掴み。
深く、重い息を吐いた。
その翌日、図書館でのこと。
レミリアによって能力禁止が解除され、てきぱきと仕事をこなしていた咲夜が急にそわそわし始めたかと思ったら。
「申し訳ありません、お嬢様」
紅茶を運ぶと同時に、深々と頭を下げた。
その前に座ってパチュリーと談笑していたレミリアが思わず目を丸くするタイミングで。
「ん? 何か掃除中に壊したりした?」
「え、いえ、そういうことではないのですが、昨日からお嬢様の様子が変だと誤解してしまいまして、パチュリー様にもこっそり相談を……」
「ああ、そのことか。ちょっと気になることがあって、それはすっきりしたから問題ない。その程度のことで気に病むくらいなら、パチェのカップにも紅茶をだね」
と、レミリアが指示する前。
周辺で本の整理をしていた小悪魔が弾丸のような速さで戻ってきて、慌ててパチュリーのカップに紅茶を満たす。
その後、ちょっと恨めしそうに咲夜を睨むものだから、睨まれた方は苦笑するしかなかった。
「良い部下を持ったものね、パチェ?」
「それは褒め言葉?」
「それ以外の何がある」
二人は、従者から受け取った紅茶を持ち、
レミリアは肩肘をついて、威厳たっぷりに
パチュリーは音を立てず静かに一口味わって。
「うん、美味しい。いつもありがとう、咲夜」
「今日のは悪くない。感謝するわ」
紅茶だけではそうそう出ない。従者をいたわる言葉。
それをまったく同時に。
鏡に映したような表情で言うものだから。
「はははっ」
「うふふ……」
レミリアとパチュリーの笑い声が、穏やかな昼下がりを彩った。
そんな何もない、永遠の中の一日。