春祭り。
里の人々が、山にお住まいになられる豊穣の神を人里にお呼びする儀式である。
この招きに応じて、秋穣子と秋静葉は人里へと降りてくる。
秋穣子は、これより秋の収穫祭に至るまで、人里にて住まうこととなる。
秋静葉は、秋穣子を無事に人里へと送り届けるために山を降りる。そうして人里にて、大切な妹を人間に預けること異論無き旨を伝え、人間はこれを喜び、春祭りが執り行われることとなるのである。
春祭りを終えた後、収穫に至るまで、秋穣子は人々と肩を並べて農作業を行う。誠実に、直向に、ただ毎日をあやまつことなく生きろというのが、穣子の教えである。それが、口先だけの教えでないことを証明するためにも、穣子は毎日汗水を垂らして農作業をする。男親の無い家や、病人が出て人での足りない家などを、穣子は真っ先に手伝う。里の人々の、穣子に対する畏敬の念は深い。今日まで、寺子屋がなくとも、里がよく治まっていたのは、この豊穣の神が里人に対して道徳を実践して教えていたからに他ならない。
雨が降った日や、農作業を終えた後などは、子供たちに昔話をして、面倒を見てやるのも、穣子は大切な仕事であると思っている。年長の姉には、こうして弟や妹を見てやるだけで、どれだけ両親が助かることかと、優しく諭してやるのである。親兄弟と仲良くすることもまた、大切な仕事の一つである。
里の農民で、穣子を慕わぬものはいない。誰もが皆、子供のころは、穣子様の取り合いっこをして、ゲンコツや引っかき傷の一つも互いに付け合ったものである。今日においてもその風潮は変わらない。そうした喧嘩騒ぎを、大人たちは、愉快愉快と笑って見ている。泣き出すまでは、放っておくのだが、それが大人の優しさでもある。
子供が産まれると、必ず穣子様に抱いてもらうのが慣わしである。都合よく、穣子様の里におわするときに生まれた子供などは、名前を授かる栄誉に預かることが度々ある。名前は、多く「豊」の字が当てられるが、農民にとっては、これほど縁起の良い名はないのであるから、有り難がってちょうだいする。
田植えが終わると、代掻き(除草)をして、後は放っておいても稲が育つ。すると少し手があくようになるが、だからと言って穣子は休むことをしない。
「お日様のように、尊敬される人になりなさい。お日様が昇ってから、沈むまでの間はよく働きなさい。そうして毎日を過ごして、気がつけば死ぬだけです。ですが、それで万事、良いではないですか」
穣子は己が言葉を決して違えることはない。
夏の間は、田んぼ周りの芝刈りを行う。田んぼの周りに、背の低い竹や樹木があると、雀がそこに止まって、稲穂を喰らうのである。夏、うだるような暑さの中、麦藁帽子を被って、芝刈りをする。若くヤンチャな男の子も、穣子様と一緒であれば、楽しい楽しいと言って、仕事を手伝う。時折、畦にいるザリガニやカニを見つけて、これを捕まえて遊ぶことも多いが、そうした遊びも、大切な子供の仕事であると、穣子はただただ優しく見守る。すると、不思議なもので、遊び飽きた頃には戻ってきて、また仕事を手伝ってくれる。これも物事の「程度」というものを学ぶ、大切な機会なのである。
暇のあるときは、少し里から離れた山・川へと、里の者を連れて行く。
危険のある場所だが、それ故に貴重な山菜・薬草などが手に入る。
清水もまた貴重な資源である。何も井戸から無限に水が湧き出るわけでもなければ、飲料に安全な水ばかりが手に入るわけでもない。風呂を沸かすという行為は、極めて多大な資源を消費する。一度風呂を沸かせば、十人はまず入らねばならない。多いときには、二十人ほどが、一つの風呂釜の水に入る。湖で、ゆったりと水を浴びることができるというのは、本当に幸せの一時なのである。
幸いに、幻想郷には台風が来ない。
これは、台風を発生させる場所となる、海と断絶されているからである。
だがそのために、幻想郷は、しばしば水不足に悩まされる。
豊穣の神の存在は、ただより豊な実りを期待する幻想郷の人々の願いにより支えられているというよりは、恐ろしき飢餓が引き起こされぬようにとの切実な願いによって支えられているのが本当なのであった。
穣子は村人にこう教える。
「農作業は辛いものですが、家族一丸となって、仲良く仕事をすれば、こんなに嬉しいことはありません」
ありがたきこの教えを、誠実に里の者は守っているのは、やはり、穣子の徳が故だろうか。
お盆の季節になると、穣子は里の人々とともに、先祖参りを行う。
既に亡き者たちの霊魂が、故郷へと帰って来たときに、その子孫の顔を見に来るのは当然であるが、恩ある穣子の下にも来るのだ。
「ご先祖様が守ってくださった、田畑があるからこそ、今日の生活があることを忘れてはなりませんよ」
穣子の言葉は、常に簡潔で、また農民たちに強い共感を起こさせる。
農民たちと生活をともにしているからこその説得力がそこにはあるのだ。
そうして、いよいよ収穫の時が来る。
家族みんなで、刈り取る稲は不思議と軽い。
若い衆は気がはやって、競争とばかりにサクサクと刈り取る。子供たちも、誰が一番かを競い合う。そうして、一番だったものは、穣子様に褒めてもらえるのだ。
収穫が終わると、寿司か餅かと、お祝いの相場は決まっている。
寿司と言っても、当然ながら海の幸は取れないから、散らし寿司や山菜寿司、いなり寿司のことを指す。餅はおはぎか雑煮である。どちらが良いかは、家庭ごとに皆の意見を聞いて決める。当然、家々によって、何を食べるかはばらける。すると、ご近所でお裾分けをして、結局は皆が、いろいろなものを食べられるようになる。こうした触れ合いが、村の衆同士での、家族同然の連帯を生むのである。
いよいよ、収穫祭の日が来る。
祭囃子の音に乗せて、静葉は収穫祭を知り、穣子を迎えに山を降りて来る。
里の人々は、豊穣の神とその姉様への感謝の証を捧げ、盛大にお祝い申し上げることで、山へとお帰りいただくのである。
静葉はこの日を境として、紅葉の良き日を山にもたらし、里の人々への返礼とするのである。
そうして里の人々は、山を見上げると、いつまでも秋の二柱が、姉妹仲睦まじくあらせられますことと、変わりなく里の人々をお守りくださいますようにとの、祈りをかけて応えるのであった。
代かき→田植えだぞ、普通は
流石秋姉妹、マジリスペクトっす。
しかし、どうにも野良神様ですな。
成り立ちが違うとはいえ、かなちゃんとすわちゃんもちょっとは見習え。こう、信仰に擦り寄る努力をだな。