今日は朝から、何かと上手くいかない事が続いた。
例えば、寺の皆が揃って和やかに過ぎゆく筈の朝食の場で。
私はご主人の小さな失敗を、嫌味ったらしく指摘して、場の雰囲気を害してしまった。
その後も私は、ご主人が自分で気づいているであろう髪の乱れをわざわざ口に出したり、空気を壊してしまった気まずさから、会話に加わることもできなかったり。
とにかく、タイミングというか思慮というか、『何か』が合わない、足りない日。
そんな日は、誰であろうと一度や二度は訪れたことがあるだろう。
何をやっても上手くいかない。
その失敗を取り戻そうとして失敗を重ねる。
ただ、どうしようもないイライラだけが積もっていく、そんな日。
言うなれば、凶日。
私にとっての今日は、まさにその凶日に当たるのだろう。
――――しかしそれが解ったとして、私にはもう為す術はなく。
既に積もったフラストレーションが、また更にフラストレーションを呼ぶのだろう。
それはきっと、抗えば抗う程に。
だから、せめて他人に迷惑をかけないよう、私にできることといえば、只じっとしていることに他ならないだろう。
他人と関わらず、何もしていなければ、まさか失敗など起こり得まい。
――――そう、私が決めた矢先。
『何か』を呼びそうな報せが、私の元に届いた。
その『何か』が何者なのか。
吉を呼ぶのか凶を興すのか。
それは――この場で言うのは些か不適切かもしれないが――
神のみぞ、知る。
「花火……ですか」
「えぇ。妖怪の山の河童達の、技術開発競争の一種でしょうね」
じぃじぃ、にぃにぃと、それぞれ何かを呼ぶような、セミの鳴き声。
申し訳程度の風を涼しく彩る、風鈴の音。
目が醒める程冷たい、特製の冷茶。
丁寧に剥かれ、可愛らしく一口サイズに切られた、瑞々しい桃。
これでもかというほど夏らしさが演出された、聖と星が座る縁側に、『花火』という夏の代表格が更に追加された。
「へぇ……河童も中々粋なことをするんですねぇ」
「河童達が各々で研究開発した花火を打ち上げて、その善し悪しを比べ合う大会だとか……まぁ河童達は、単に自分達の実力を誇示し、自慢したいだけなのでしょうが」
「はは、真夜中まで続かないんだったら、いいんじゃないですかね」
「そうですね。見る側としては、争いもなく涼しげで、とっても楽しいでしょうねぇ」
聖はうんうんと頷きながら、桃を一かじり。
しゃく、と音を立てて飛んだ果汁が、日差しを反射して輝き、そして落ちていった。
星はお茶をずずと啜って、聖の方を見た。
「聖は、こういう争い事にはもっと……何て言うか、争い事は、嫌うかと思ってましたよ」
「ふふ、うるさそう、と言いたいんでしょう?」
「え、い、いやっ! そんなことは!」
にっこりと笑う聖。
星は、オブラートに包んだ筈の言葉が、簡単に見抜かれてしまったことにうろたえ、聖に向かってぶんぶんと手を振り、必死で否定を示す。
「ま、確かに争い事は良い事ではありませんが……競争が高め合いにつながるというのは、否定できませんからね。実害が出る訳でもありませんし、バチは当たりませんよ」
聖はふふと笑って、また桃をかじった。
「それに、花火を見ると――――若返る気が、しません?」
「…………はは」
風鈴が、ちゃりと鳴った。
冷茶はもう、残っていなかった。
「花火、かい?」
「えぇ。まさに今夜、やるらしいわ」
「ふぅん……申し訳ないが一輪、私は火という物がそもそも嫌いで……」
「まぁま。貴方のご主人様が見るって仰ってるんだから、付き合ってあげたら?」
「ご主人が? ――――ふぅん」
端的に言うと、意外だった。
ご主人が花火を見たいと言ったというのも。
そして、雲居一輪が私にそれを伝えてくるというのも。
ご主人は(決して無粋という訳でないが)あまり風流だとか侘寂だとかを積極的に愛する方ではないし、一輪も、いつもは部外者である私を疎ましく思っている節すらある。
だから初め一輪に話しかけられたとき、事務的な用事だろうなと、私はそう思ったし事実今まではそうだった。
しかし先程、一輪の口から飛び出したのは、『花火』という凡そ事務的とは言えない言葉で。
しかもそれにご主人が興味を持っているというのだから――――
「……ふむ。まぁそういうのも、悪くはないかもしれないな」
「えぇ、楽しむと良いわ――――因みに今日は、姉さんも私も、それからムラサやぬえとかも出っ払うから」
「うん、では戸締まりは任せて……ってえぇ!?」
「ベタな反応ねぇ……まぁ、そういうことだから。おさ……般若湯とかおつまみとかは用意しとくから、後はごゆっくり」
それだけ言うと、一輪は手を振りながら身を翻した。
私はそれを追止めようとするが、一輪の足は予想以上に早く、止めて何を言えばいいのか考えるまでの間に、さっさと姿を消してしまっていた。
結局何を言えばいいのか、というより何で私は止めようとしたのか、それすらも解らないまま。
私はただ、阿呆のように口を開け、阿呆のように虚空に手を伸ばしながら、途方に暮れるだけであった。
「――――ご主人、隣失礼するよ」
「あ、あぁナズ……おばんです」
熱気に火照った頬の表面を、ひょうと風が撫でていく。
ざぁと木々葉々が触れ合う音も、どこか涼しげで、何となく暑さを忘れられる気がした。
まるで秋のようだな、と目を閉じてススキが波立つ光景を思い浮かべながら、私は腰を降ろした。
ご主人とは、枝豆の入った皿を挟んで隣り合わせ。
私はその枝豆を一つ手に取ってみる。
水で良く冷やしたのだろう、凛と毛羽立った枝豆のサヤが、力強い生命感を感じさせた。
「まだ花火は始まらないみたいだけど……何を見ているんだい?」
縁側から脚をぶらつかせ、空を見上げるご主人。
まだ日は落ちたばかりで打ち上げが始まるには若干の猶予があるというのに、ご主人は何を見ているのだろうか。
「あぁいえ、これは――――想像、していたんですよ」
「想像?」
「えぇ。この空に、どんな風に、どんな色の花が描かれるのか、それがどれほどに美しいか、そんなことをです」
「ふぅん……それ、楽しいのかい?」
――――あぁ、まただ。
また私は、こうやってご主人を傷つけるようなことを。
花火前の時間の過ごし方なんて人それぞれで、少なくとも私がどうこう口を出せるモノじゃない。
だというのに、私は――――。
「えぇ、楽しいですよ。何なら、このままずっと過ごしていたいくらいに」
しかしご主人は、私の思惑など一切知らぬかのように、にっこり微笑んで、そう答えた。
「そ、そう、かい……」
私はぎこちない相槌を打って、誤魔化すように空を見上げる。
でもやっぱり、そこには何もなくて。
ご主人が美しい火の芸術を投影しているであろうそこに、私は嫌な思いばかりを映し出してしまう。
何であんなことを言ってしまったのか。
どうして私はこんなにも棘々しいのか。
ご主人はどう思っているのか。
もしかしたら、ご主人に嫌われてしまったのではないか。
そんな、自問無答が浮かんでは消え、消えては浮かんでいくのだ。
何だかいつもよりも狭く、しかし途方もなく遠く見える空を見ながらそんな事を考えていると、自分の心がたまらなく小さくなっていくような気がして。
細い針の刺さった水風船が、割れずに萎んでいくように、私の心も細々しく痛々しくなっていくように感じる。
「な、なぁご主人……その、今朝の、えっと」
見切り発車で切り出してしまったその言葉は、頼りなく震えていて。
しかし一度飛び出したからには、収拾はつかない。
だから私は、この話題を続けなければいけない。
自分の失敗から目を背けては、いけないのだ。
でもそれは、仕方のないこと。
何故なら、これも私の自業自得なのだから。
自分の犯した過ちは、自分で正すのが筋。
このギクシャクした雰囲気のまま、花火をじっと見つめていてもきっとつまらないだろうから、せめて朝の無礼蛮行について釈明くらいはしなくてはいけないのだ。
そして一言、最後に謝る。
そうすればきっと――――
「今朝の、事なのだけど……」
「あ、始まりましたよ!」
ひゅるる、ドォン!
深すぎる蒼に染まった空に、新たな色が咲いて小気味の良い音が鳴った。
ぱらぱらと、火花が落ちる音すら聞こえてくるような大迫力の余韻も程々に、また新たな華が空で笑う。
次々と矢継ぎ早に打ち出される花火は、呼吸すらする暇もなく、ただただ見る者を圧巻させていた。
ご主人も、私に話しかけられた事など忘れたかのように、目をキラキラ輝かせながら食い入るように花火を見上げていた。
実際、ご主人の瞳には花火が映っていて、横から見ていると本当に光っているかのようだった。
「……? どうかしましたか、ナズ?」
「ふぇっ? い、いや! 何でもないよ……じゃなくて!」
「あ、凄い! 花火同士が繋がっていますよ!」
私が横顔をじっと見つめているのに気づいたご主人は、私がこの機会に先ほどの話を続けようと思うのと同時に、また花火へと視線を戻す。
――――やっぱり、厄日だ。
私は改めて、それを再確認した。
話を切り出すタイミングすらまともに掴めないなんて、私はそこまで、不器用だっただろうか。
はぁ、と軽く吐いた溜息は、花火の音に簡単に呑まれてしまう。
ご主人は、相変わらず脚をぶらぶらさせながら、子供のように純真な瞳で花火を見つめている。
河童達の、今まで見たことがないような、趣向を凝らし技術の粋を集めた美しき花火は、しかし私には窓の向こうで起こる他人事のようにしか見えなくて。
私は、何となく枝豆を一つ摘んでみる。
未だに水滴が付いた新鮮なそれを口の中に放り込むと、びっくりするほどしょっぱかった。
思わず顔をしかめたけれど、お陰で少し頭がすっきりした気がする。
(謝る……か)
とは言っても、実際のところ、何と言って謝ればいいのだろうか。
『朝あんな態度をとってごめん』とか『無礼な言動をして、申し訳なかった』とか?
でも、どうも私の中では、それらの言葉はしっくりこない。
(――年端も行かない子供の方が、まだ素直に謝れるな)
「あ、そうだナズ。ちょっといいですか?」
「え? あ、あぁ……な、なんだい?」
自分の、あまりの『考え過ぎ』に、思わず自虐的な苦笑がこぼれたその時、ご主人は突然声を出した。
花火を見ていたら何かを思い出したのだろう。
ご主人が唐突なのは、いつものことだ。
「い、いえ……その、何て言えばいいんでしょうかねぇ……」
ご主人は、喋りにくそうに頭を掻く。
唐突なのはいつものことだが、ご主人の歯切れが悪いのは珍しい。
――まぁ、それは私も同じなのだが。
「あ~、えっと、勘違いだったら悪いんですけど」
そう前置きをして、ご主人は顔を空に向けた。
とは言っても、先程のように花火を見ている訳ではなく、何かを切り出すときの独特の気まずさゆえに顔を逸らしただけなのだろう。
私は、ご主人がもう一度喋り始めるまでの、やけに長く感じる間を誤魔化す為に、枝豆を皿から一つ摘んだ。
鞘から押し出した一粒が、つるりと唇の間を滑り抜けるのと同時に、ご主人は、小さく息を吸った。
「――ナズ、もしかして体調が悪いのではないですか?」
「…………え?」
舌先で弄んでいた枝豆を、思わず吹き出しそうになる。
「い、いや、別にそんなことはないよ、ご主人」
「あぁ……勘違いだったら良いのですが」
――まぁ、あながちすべてが間違いという訳ではないのだが……。
どうしてご主人は、そんなことを思ったのだろうか。
確かに、(あんなこともあって、)決して良いと言えるような体調ではないために、ご主人の勘の良さは流石元獣王というべきだろうか……。
「朝から何だか辛そうだったから、もしかしたらと思ったのですが……本当に体調が悪いようでしたら、遠慮なくお休みしてくださいね?」
「……ふむ、なるほど」
まさか顔に出ていたとは思わなかったが、恐らく『アレ』が原因なのだろう。
――あんな態度を取って雰囲気をぶち壊しにした上、ご主人に心配までかけていたなんて……やっぱり、最低だ。
今日は、最低の日だ。
私は改めて、そう認識した。
花火は、未だに続いていた。
先程よりは若干小粒だが、その分一発一発に工夫が凝らされていて、集中していないと目が追いつかない。
「ん? そうだ、その程度の事だったら、さっきはどうしてあんなに言葉を詰まらせていたんだい?」
「あ、え、えっとそれはですねぇ……も、もしかしたら、私が原因なのではないかな、と……」
「…………え?」
この会話の中で二度目となる、そんな声が、思わず漏れ出てしまう。
「最近、私ドジばかりしてましたから、ナズに苦労をかけてしまったのかな、と……今朝も、ほら、あんな風に」
「……っ、違う! それは、違う!」
ざぁと顔から血の気がひいたかと思った次の瞬間には、私はいつの間にか、声を荒げていた。
ご主人は、豹変した私の顔を見て、何が起こったのか解らないという表情をしている。
――ご主人が、私に苦労をかけた?
そんな事は、そうそうあるものではない。
以前の宝塔喪失事件のときなんかは、確かに少々呆れはしたが、それでも苦労をかけさせられたという思いは一切ない。
「す、すまないご主人。少々慌ててしまった……あと、朝の事は、ご主人は一切悪くない。ただ、私の未熟さが……」
「――そうやって、またナズが一人で背負い込んでしまうのですね」
ご主人は、独り言のようにそう呟くと、手元の杯に目を落とす。
連られて私も杯を見ると、その酒鏡には空の花火が映っていた。
ただその花火からは、華やかさだとか派手さだとか、そういうものは一切感じられず、ただ虚しく儚い美しさだけがぼんやりと浮き出ていた。
「……背負い込む? ご主人、それは、どういうことだい?」
「いえ、ほら……ナズって、いつも一人っきりで解決してしまうではないですか……大体、私が問題なんですけど」
ご主人の口調の中に、私を責めようという意図は全く感じられず、寧ろ自虐的な色があった。
「なるほど、確かにそういうところもあるかもしれないね。そんなつもりは、一切ないのだけれど」
「……でも、私をもっと頼って欲しいのです」
「いや、ご主人の手を煩わせるような事は……」
「それです! そういうところです!」
ガタッと音を立てて、ご主人は勢いよく立ち上がる。
「そうやって、ナズはいつも一歩引いたような態度ばっかりで……!」
「ご、ご主人? な、何か気分を害したなら謝るが……」
「謝られたら! 私の立つ瀬がないじゃないですか!」
「わ、わかったご主人……とにかく、落ち着いて最初から言いたいことを話してくれ」
――それは、今の今まで、ご主人以上に言いたい事が言えてない者の言うことではないだろうが。
「あぅ……つ、つまりですねぇ……」
少し冷静になったのか、気まずそうに縁側に座り直すご主人。
よほど血の気が上っていたのだろうか、ご主人の顔は未だに若干の赤みが差していた。
「そのぅ……ナズはいつも、一人でむつかしそうな顔をして、何か悩み事でもあるのかと思えば、私の顔を見た瞬間に平気そうな顔をしたり……」
「まぁ、そういうこともあるのかもしれないが……それはご主人に心配をかけたくないからで」
「……そうやって、直ぐ誤魔化すような事を言うのが、私は不満なんです」
――――不満?
まさか、ご主人からそんな言葉が飛び出るとは思わなかった。
正直言って、意外だ。ご主人が不満を持つ事ではなく、それを口に出すというのが。
まぁ、それだけ思い詰めていたということなのか……。
「そ、それで、ナズにはもう少し、色々な事を言って欲しいというか……」
「……ご主人」
「わ、私をもっと信用して欲しいというか――それに値しているとは、自分でも思えませんけど――そ、それでも! 悩んでいるときには頼って欲しいのです! …………私達は、同じ仲間同士なのですから……」
「ご主人!」
「ふ、ふぇ!?」
堰を切ったように喋り始めたご主人を、私は大声で制す。
一度目は全く気づいていなかったようで、二度目になってようやく、ご主人は慌てて口を止めた。
「すまないね、ご主人。 ……一つ、いいかい?」
「え、えぇ……何でしょうか」
熱説を止められたご主人は、意気消沈したように私に応じる。
そういえば注いでから一度も口をつけていなかった冷酒で喉を潤してから、私は一つ大きく息を吸った。
「一人で思い詰めているのは、ご主人の方じゃないか!」
夜空を揺らすような大声で、私はそう叫んだ。
――――その声が残響しているのを聞いて、いつの間にか花火が止まっていた事に気づく。
「不満だとか、悩みだとか! そういう事を抱え込まずに話せと、今ご主人は自分で言ったばかりじゃないか! ……それともまさか、私はそんなに頼りないかい?」
「い、いえそんなことはありません! え、えっとこれはつまりその……あぅ」
ふと気づくと、私は先程のご主人よりも強い熱量で、ご主人にお説教をしていた。
ご主人はなにやら反論しようとするが、私の言う事が正しいと思ったのか、観念したようにうなだれる。
「……ご主人、すまなかった」
「あ、い、いえ……ナズの言うことは、確かに本当の事で……」
「そっちじゃないよ――――さっきまで、私が悩みを一人で抱え込んでいたことについて、だ」
「え? ――――あっ、わ、私も! ご……ごめんなさい!」
何が起こったのか、何をどうしていいのか全く解らないと、露骨に慌てた様子のご主人。
かと思えば、私に向かって頭を下げるその仕草は、惚れ惚れとするほどに美しい。
そのギャップが、まさにご主人を象徴しているような気がして、私は思わず――――
「……っく、くくっ、はは、あはははは!」
「な、ナズ!? も、もしかして何か変な事を……」
「くくっ、ふふ……何でもないよ」
「何でもない訳ないじゃないですか……いきなり笑い出したりして」
「いや、だって……くふふっ――――ご主人は、本当にばかだなぁ」
「ば、ば……! あうぅ……ナズのいぢわる、ばか」
「はは、すまない。本当にすまないご主人。ほら、花火も再開したようだから、機嫌を直してくれよ」
ひゅるる、どぉん。
長い沈黙を破るには、あまりにも控えめすぎるのではないだろうかと思うような、申し訳程度の華が、空と再会する。
「あ、止まってたんですね……?」
どうやらご主人も、今まで花火の打ち上げが止まっていたことに気づいていなかったらしい。
それほど、私達は会話に熱中していたということだろうか。
「……ふふ、やっぱり、花火ってキレイですね」
「何だい、そんなことを改めて」
「いえ、さっきはほら、どうもやっぱり胸に突っかかりがありましたから」
「あぁ、そういう……」
ドォン!
打ち上げが始まったばかりのときのような、派手でドでかい花火が咲く。
その音で、私の言葉は途中でかき消されてしまった。
「え? 何ですナズ?」
「いや、そういう風には見えなかったと……」
ズドドドド、どぉんっ。
また、私の言葉に被せて花火が上がる。
今度は、連続的な軽い破裂音。
「すいません! また聞こえませんでした!」
ご主人が喋るときは、何故か花火は上がらない。
ここまで来ると、運命的な物さえ感じてしまう。
――だったら、折角だからその運命で遊んでしまおうか。
「よく聞いてくれよ、ご主人!」
「は、はいっ!」
「いいかいご主人――――!」
どぉん! ドドドォン!! すぱぱぱぁんっ!
「え、えぇ!? な、何ですかぁ!?」
「っふ、あはは! あははは! 何でもないよ、ご主人!」
「ま、またそうやってぇ……うぅ、やっぱりナズはいぢわるです……」
「まぁ、酔ってるからということで許してくれよご主人!」
――――先程、いや、朝から。
私は『今日は最悪の日だ』と、何度も考えてきた。
しかしここにきて、それは間違いであったと悟る。
今までの厄災悪事が、今という瞬間の為の演出にしか過ぎなかったのではないかと思うほどに。
「何て言ったんですかぁ……教えて下さいよぉ……」
「なぁに、当然の事だよ、ふはは、あははっ」
今日は本当に良い日だ。
だから――――これからもよろしく、ご主人。
例えば、寺の皆が揃って和やかに過ぎゆく筈の朝食の場で。
私はご主人の小さな失敗を、嫌味ったらしく指摘して、場の雰囲気を害してしまった。
その後も私は、ご主人が自分で気づいているであろう髪の乱れをわざわざ口に出したり、空気を壊してしまった気まずさから、会話に加わることもできなかったり。
とにかく、タイミングというか思慮というか、『何か』が合わない、足りない日。
そんな日は、誰であろうと一度や二度は訪れたことがあるだろう。
何をやっても上手くいかない。
その失敗を取り戻そうとして失敗を重ねる。
ただ、どうしようもないイライラだけが積もっていく、そんな日。
言うなれば、凶日。
私にとっての今日は、まさにその凶日に当たるのだろう。
――――しかしそれが解ったとして、私にはもう為す術はなく。
既に積もったフラストレーションが、また更にフラストレーションを呼ぶのだろう。
それはきっと、抗えば抗う程に。
だから、せめて他人に迷惑をかけないよう、私にできることといえば、只じっとしていることに他ならないだろう。
他人と関わらず、何もしていなければ、まさか失敗など起こり得まい。
――――そう、私が決めた矢先。
『何か』を呼びそうな報せが、私の元に届いた。
その『何か』が何者なのか。
吉を呼ぶのか凶を興すのか。
それは――この場で言うのは些か不適切かもしれないが――
神のみぞ、知る。
「花火……ですか」
「えぇ。妖怪の山の河童達の、技術開発競争の一種でしょうね」
じぃじぃ、にぃにぃと、それぞれ何かを呼ぶような、セミの鳴き声。
申し訳程度の風を涼しく彩る、風鈴の音。
目が醒める程冷たい、特製の冷茶。
丁寧に剥かれ、可愛らしく一口サイズに切られた、瑞々しい桃。
これでもかというほど夏らしさが演出された、聖と星が座る縁側に、『花火』という夏の代表格が更に追加された。
「へぇ……河童も中々粋なことをするんですねぇ」
「河童達が各々で研究開発した花火を打ち上げて、その善し悪しを比べ合う大会だとか……まぁ河童達は、単に自分達の実力を誇示し、自慢したいだけなのでしょうが」
「はは、真夜中まで続かないんだったら、いいんじゃないですかね」
「そうですね。見る側としては、争いもなく涼しげで、とっても楽しいでしょうねぇ」
聖はうんうんと頷きながら、桃を一かじり。
しゃく、と音を立てて飛んだ果汁が、日差しを反射して輝き、そして落ちていった。
星はお茶をずずと啜って、聖の方を見た。
「聖は、こういう争い事にはもっと……何て言うか、争い事は、嫌うかと思ってましたよ」
「ふふ、うるさそう、と言いたいんでしょう?」
「え、い、いやっ! そんなことは!」
にっこりと笑う聖。
星は、オブラートに包んだ筈の言葉が、簡単に見抜かれてしまったことにうろたえ、聖に向かってぶんぶんと手を振り、必死で否定を示す。
「ま、確かに争い事は良い事ではありませんが……競争が高め合いにつながるというのは、否定できませんからね。実害が出る訳でもありませんし、バチは当たりませんよ」
聖はふふと笑って、また桃をかじった。
「それに、花火を見ると――――若返る気が、しません?」
「…………はは」
風鈴が、ちゃりと鳴った。
冷茶はもう、残っていなかった。
「花火、かい?」
「えぇ。まさに今夜、やるらしいわ」
「ふぅん……申し訳ないが一輪、私は火という物がそもそも嫌いで……」
「まぁま。貴方のご主人様が見るって仰ってるんだから、付き合ってあげたら?」
「ご主人が? ――――ふぅん」
端的に言うと、意外だった。
ご主人が花火を見たいと言ったというのも。
そして、雲居一輪が私にそれを伝えてくるというのも。
ご主人は(決して無粋という訳でないが)あまり風流だとか侘寂だとかを積極的に愛する方ではないし、一輪も、いつもは部外者である私を疎ましく思っている節すらある。
だから初め一輪に話しかけられたとき、事務的な用事だろうなと、私はそう思ったし事実今まではそうだった。
しかし先程、一輪の口から飛び出したのは、『花火』という凡そ事務的とは言えない言葉で。
しかもそれにご主人が興味を持っているというのだから――――
「……ふむ。まぁそういうのも、悪くはないかもしれないな」
「えぇ、楽しむと良いわ――――因みに今日は、姉さんも私も、それからムラサやぬえとかも出っ払うから」
「うん、では戸締まりは任せて……ってえぇ!?」
「ベタな反応ねぇ……まぁ、そういうことだから。おさ……般若湯とかおつまみとかは用意しとくから、後はごゆっくり」
それだけ言うと、一輪は手を振りながら身を翻した。
私はそれを追止めようとするが、一輪の足は予想以上に早く、止めて何を言えばいいのか考えるまでの間に、さっさと姿を消してしまっていた。
結局何を言えばいいのか、というより何で私は止めようとしたのか、それすらも解らないまま。
私はただ、阿呆のように口を開け、阿呆のように虚空に手を伸ばしながら、途方に暮れるだけであった。
「――――ご主人、隣失礼するよ」
「あ、あぁナズ……おばんです」
熱気に火照った頬の表面を、ひょうと風が撫でていく。
ざぁと木々葉々が触れ合う音も、どこか涼しげで、何となく暑さを忘れられる気がした。
まるで秋のようだな、と目を閉じてススキが波立つ光景を思い浮かべながら、私は腰を降ろした。
ご主人とは、枝豆の入った皿を挟んで隣り合わせ。
私はその枝豆を一つ手に取ってみる。
水で良く冷やしたのだろう、凛と毛羽立った枝豆のサヤが、力強い生命感を感じさせた。
「まだ花火は始まらないみたいだけど……何を見ているんだい?」
縁側から脚をぶらつかせ、空を見上げるご主人。
まだ日は落ちたばかりで打ち上げが始まるには若干の猶予があるというのに、ご主人は何を見ているのだろうか。
「あぁいえ、これは――――想像、していたんですよ」
「想像?」
「えぇ。この空に、どんな風に、どんな色の花が描かれるのか、それがどれほどに美しいか、そんなことをです」
「ふぅん……それ、楽しいのかい?」
――――あぁ、まただ。
また私は、こうやってご主人を傷つけるようなことを。
花火前の時間の過ごし方なんて人それぞれで、少なくとも私がどうこう口を出せるモノじゃない。
だというのに、私は――――。
「えぇ、楽しいですよ。何なら、このままずっと過ごしていたいくらいに」
しかしご主人は、私の思惑など一切知らぬかのように、にっこり微笑んで、そう答えた。
「そ、そう、かい……」
私はぎこちない相槌を打って、誤魔化すように空を見上げる。
でもやっぱり、そこには何もなくて。
ご主人が美しい火の芸術を投影しているであろうそこに、私は嫌な思いばかりを映し出してしまう。
何であんなことを言ってしまったのか。
どうして私はこんなにも棘々しいのか。
ご主人はどう思っているのか。
もしかしたら、ご主人に嫌われてしまったのではないか。
そんな、自問無答が浮かんでは消え、消えては浮かんでいくのだ。
何だかいつもよりも狭く、しかし途方もなく遠く見える空を見ながらそんな事を考えていると、自分の心がたまらなく小さくなっていくような気がして。
細い針の刺さった水風船が、割れずに萎んでいくように、私の心も細々しく痛々しくなっていくように感じる。
「な、なぁご主人……その、今朝の、えっと」
見切り発車で切り出してしまったその言葉は、頼りなく震えていて。
しかし一度飛び出したからには、収拾はつかない。
だから私は、この話題を続けなければいけない。
自分の失敗から目を背けては、いけないのだ。
でもそれは、仕方のないこと。
何故なら、これも私の自業自得なのだから。
自分の犯した過ちは、自分で正すのが筋。
このギクシャクした雰囲気のまま、花火をじっと見つめていてもきっとつまらないだろうから、せめて朝の無礼蛮行について釈明くらいはしなくてはいけないのだ。
そして一言、最後に謝る。
そうすればきっと――――
「今朝の、事なのだけど……」
「あ、始まりましたよ!」
ひゅるる、ドォン!
深すぎる蒼に染まった空に、新たな色が咲いて小気味の良い音が鳴った。
ぱらぱらと、火花が落ちる音すら聞こえてくるような大迫力の余韻も程々に、また新たな華が空で笑う。
次々と矢継ぎ早に打ち出される花火は、呼吸すらする暇もなく、ただただ見る者を圧巻させていた。
ご主人も、私に話しかけられた事など忘れたかのように、目をキラキラ輝かせながら食い入るように花火を見上げていた。
実際、ご主人の瞳には花火が映っていて、横から見ていると本当に光っているかのようだった。
「……? どうかしましたか、ナズ?」
「ふぇっ? い、いや! 何でもないよ……じゃなくて!」
「あ、凄い! 花火同士が繋がっていますよ!」
私が横顔をじっと見つめているのに気づいたご主人は、私がこの機会に先ほどの話を続けようと思うのと同時に、また花火へと視線を戻す。
――――やっぱり、厄日だ。
私は改めて、それを再確認した。
話を切り出すタイミングすらまともに掴めないなんて、私はそこまで、不器用だっただろうか。
はぁ、と軽く吐いた溜息は、花火の音に簡単に呑まれてしまう。
ご主人は、相変わらず脚をぶらぶらさせながら、子供のように純真な瞳で花火を見つめている。
河童達の、今まで見たことがないような、趣向を凝らし技術の粋を集めた美しき花火は、しかし私には窓の向こうで起こる他人事のようにしか見えなくて。
私は、何となく枝豆を一つ摘んでみる。
未だに水滴が付いた新鮮なそれを口の中に放り込むと、びっくりするほどしょっぱかった。
思わず顔をしかめたけれど、お陰で少し頭がすっきりした気がする。
(謝る……か)
とは言っても、実際のところ、何と言って謝ればいいのだろうか。
『朝あんな態度をとってごめん』とか『無礼な言動をして、申し訳なかった』とか?
でも、どうも私の中では、それらの言葉はしっくりこない。
(――年端も行かない子供の方が、まだ素直に謝れるな)
「あ、そうだナズ。ちょっといいですか?」
「え? あ、あぁ……な、なんだい?」
自分の、あまりの『考え過ぎ』に、思わず自虐的な苦笑がこぼれたその時、ご主人は突然声を出した。
花火を見ていたら何かを思い出したのだろう。
ご主人が唐突なのは、いつものことだ。
「い、いえ……その、何て言えばいいんでしょうかねぇ……」
ご主人は、喋りにくそうに頭を掻く。
唐突なのはいつものことだが、ご主人の歯切れが悪いのは珍しい。
――まぁ、それは私も同じなのだが。
「あ~、えっと、勘違いだったら悪いんですけど」
そう前置きをして、ご主人は顔を空に向けた。
とは言っても、先程のように花火を見ている訳ではなく、何かを切り出すときの独特の気まずさゆえに顔を逸らしただけなのだろう。
私は、ご主人がもう一度喋り始めるまでの、やけに長く感じる間を誤魔化す為に、枝豆を皿から一つ摘んだ。
鞘から押し出した一粒が、つるりと唇の間を滑り抜けるのと同時に、ご主人は、小さく息を吸った。
「――ナズ、もしかして体調が悪いのではないですか?」
「…………え?」
舌先で弄んでいた枝豆を、思わず吹き出しそうになる。
「い、いや、別にそんなことはないよ、ご主人」
「あぁ……勘違いだったら良いのですが」
――まぁ、あながちすべてが間違いという訳ではないのだが……。
どうしてご主人は、そんなことを思ったのだろうか。
確かに、(あんなこともあって、)決して良いと言えるような体調ではないために、ご主人の勘の良さは流石元獣王というべきだろうか……。
「朝から何だか辛そうだったから、もしかしたらと思ったのですが……本当に体調が悪いようでしたら、遠慮なくお休みしてくださいね?」
「……ふむ、なるほど」
まさか顔に出ていたとは思わなかったが、恐らく『アレ』が原因なのだろう。
――あんな態度を取って雰囲気をぶち壊しにした上、ご主人に心配までかけていたなんて……やっぱり、最低だ。
今日は、最低の日だ。
私は改めて、そう認識した。
花火は、未だに続いていた。
先程よりは若干小粒だが、その分一発一発に工夫が凝らされていて、集中していないと目が追いつかない。
「ん? そうだ、その程度の事だったら、さっきはどうしてあんなに言葉を詰まらせていたんだい?」
「あ、え、えっとそれはですねぇ……も、もしかしたら、私が原因なのではないかな、と……」
「…………え?」
この会話の中で二度目となる、そんな声が、思わず漏れ出てしまう。
「最近、私ドジばかりしてましたから、ナズに苦労をかけてしまったのかな、と……今朝も、ほら、あんな風に」
「……っ、違う! それは、違う!」
ざぁと顔から血の気がひいたかと思った次の瞬間には、私はいつの間にか、声を荒げていた。
ご主人は、豹変した私の顔を見て、何が起こったのか解らないという表情をしている。
――ご主人が、私に苦労をかけた?
そんな事は、そうそうあるものではない。
以前の宝塔喪失事件のときなんかは、確かに少々呆れはしたが、それでも苦労をかけさせられたという思いは一切ない。
「す、すまないご主人。少々慌ててしまった……あと、朝の事は、ご主人は一切悪くない。ただ、私の未熟さが……」
「――そうやって、またナズが一人で背負い込んでしまうのですね」
ご主人は、独り言のようにそう呟くと、手元の杯に目を落とす。
連られて私も杯を見ると、その酒鏡には空の花火が映っていた。
ただその花火からは、華やかさだとか派手さだとか、そういうものは一切感じられず、ただ虚しく儚い美しさだけがぼんやりと浮き出ていた。
「……背負い込む? ご主人、それは、どういうことだい?」
「いえ、ほら……ナズって、いつも一人っきりで解決してしまうではないですか……大体、私が問題なんですけど」
ご主人の口調の中に、私を責めようという意図は全く感じられず、寧ろ自虐的な色があった。
「なるほど、確かにそういうところもあるかもしれないね。そんなつもりは、一切ないのだけれど」
「……でも、私をもっと頼って欲しいのです」
「いや、ご主人の手を煩わせるような事は……」
「それです! そういうところです!」
ガタッと音を立てて、ご主人は勢いよく立ち上がる。
「そうやって、ナズはいつも一歩引いたような態度ばっかりで……!」
「ご、ご主人? な、何か気分を害したなら謝るが……」
「謝られたら! 私の立つ瀬がないじゃないですか!」
「わ、わかったご主人……とにかく、落ち着いて最初から言いたいことを話してくれ」
――それは、今の今まで、ご主人以上に言いたい事が言えてない者の言うことではないだろうが。
「あぅ……つ、つまりですねぇ……」
少し冷静になったのか、気まずそうに縁側に座り直すご主人。
よほど血の気が上っていたのだろうか、ご主人の顔は未だに若干の赤みが差していた。
「そのぅ……ナズはいつも、一人でむつかしそうな顔をして、何か悩み事でもあるのかと思えば、私の顔を見た瞬間に平気そうな顔をしたり……」
「まぁ、そういうこともあるのかもしれないが……それはご主人に心配をかけたくないからで」
「……そうやって、直ぐ誤魔化すような事を言うのが、私は不満なんです」
――――不満?
まさか、ご主人からそんな言葉が飛び出るとは思わなかった。
正直言って、意外だ。ご主人が不満を持つ事ではなく、それを口に出すというのが。
まぁ、それだけ思い詰めていたということなのか……。
「そ、それで、ナズにはもう少し、色々な事を言って欲しいというか……」
「……ご主人」
「わ、私をもっと信用して欲しいというか――それに値しているとは、自分でも思えませんけど――そ、それでも! 悩んでいるときには頼って欲しいのです! …………私達は、同じ仲間同士なのですから……」
「ご主人!」
「ふ、ふぇ!?」
堰を切ったように喋り始めたご主人を、私は大声で制す。
一度目は全く気づいていなかったようで、二度目になってようやく、ご主人は慌てて口を止めた。
「すまないね、ご主人。 ……一つ、いいかい?」
「え、えぇ……何でしょうか」
熱説を止められたご主人は、意気消沈したように私に応じる。
そういえば注いでから一度も口をつけていなかった冷酒で喉を潤してから、私は一つ大きく息を吸った。
「一人で思い詰めているのは、ご主人の方じゃないか!」
夜空を揺らすような大声で、私はそう叫んだ。
――――その声が残響しているのを聞いて、いつの間にか花火が止まっていた事に気づく。
「不満だとか、悩みだとか! そういう事を抱え込まずに話せと、今ご主人は自分で言ったばかりじゃないか! ……それともまさか、私はそんなに頼りないかい?」
「い、いえそんなことはありません! え、えっとこれはつまりその……あぅ」
ふと気づくと、私は先程のご主人よりも強い熱量で、ご主人にお説教をしていた。
ご主人はなにやら反論しようとするが、私の言う事が正しいと思ったのか、観念したようにうなだれる。
「……ご主人、すまなかった」
「あ、い、いえ……ナズの言うことは、確かに本当の事で……」
「そっちじゃないよ――――さっきまで、私が悩みを一人で抱え込んでいたことについて、だ」
「え? ――――あっ、わ、私も! ご……ごめんなさい!」
何が起こったのか、何をどうしていいのか全く解らないと、露骨に慌てた様子のご主人。
かと思えば、私に向かって頭を下げるその仕草は、惚れ惚れとするほどに美しい。
そのギャップが、まさにご主人を象徴しているような気がして、私は思わず――――
「……っく、くくっ、はは、あはははは!」
「な、ナズ!? も、もしかして何か変な事を……」
「くくっ、ふふ……何でもないよ」
「何でもない訳ないじゃないですか……いきなり笑い出したりして」
「いや、だって……くふふっ――――ご主人は、本当にばかだなぁ」
「ば、ば……! あうぅ……ナズのいぢわる、ばか」
「はは、すまない。本当にすまないご主人。ほら、花火も再開したようだから、機嫌を直してくれよ」
ひゅるる、どぉん。
長い沈黙を破るには、あまりにも控えめすぎるのではないだろうかと思うような、申し訳程度の華が、空と再会する。
「あ、止まってたんですね……?」
どうやらご主人も、今まで花火の打ち上げが止まっていたことに気づいていなかったらしい。
それほど、私達は会話に熱中していたということだろうか。
「……ふふ、やっぱり、花火ってキレイですね」
「何だい、そんなことを改めて」
「いえ、さっきはほら、どうもやっぱり胸に突っかかりがありましたから」
「あぁ、そういう……」
ドォン!
打ち上げが始まったばかりのときのような、派手でドでかい花火が咲く。
その音で、私の言葉は途中でかき消されてしまった。
「え? 何ですナズ?」
「いや、そういう風には見えなかったと……」
ズドドドド、どぉんっ。
また、私の言葉に被せて花火が上がる。
今度は、連続的な軽い破裂音。
「すいません! また聞こえませんでした!」
ご主人が喋るときは、何故か花火は上がらない。
ここまで来ると、運命的な物さえ感じてしまう。
――だったら、折角だからその運命で遊んでしまおうか。
「よく聞いてくれよ、ご主人!」
「は、はいっ!」
「いいかいご主人――――!」
どぉん! ドドドォン!! すぱぱぱぁんっ!
「え、えぇ!? な、何ですかぁ!?」
「っふ、あはは! あははは! 何でもないよ、ご主人!」
「ま、またそうやってぇ……うぅ、やっぱりナズはいぢわるです……」
「まぁ、酔ってるからということで許してくれよご主人!」
――――先程、いや、朝から。
私は『今日は最悪の日だ』と、何度も考えてきた。
しかしここにきて、それは間違いであったと悟る。
今までの厄災悪事が、今という瞬間の為の演出にしか過ぎなかったのではないかと思うほどに。
「何て言ったんですかぁ……教えて下さいよぉ……」
「なぁに、当然の事だよ、ふはは、あははっ」
今日は本当に良い日だ。
だから――――これからもよろしく、ご主人。
季節感あふれる描写も素敵でした。
(一番ぐっときたのは枝豆の描写でした)
発言が花火の音に被るシチュエーションは、
ちょっとベタだけど大好きです。