春といえば、様々な花が咲き乱れ、冬眠を終えた動物や虫なども活動しだす『動』・『生』の季節である。
四季のなかでも陽気や活気を感じさせるこの時期を真っ先に伝える者がいる。
リリー・ホワイトだ。
「春ですよー」
遮るものもない果てしなく広がる幻想郷の空を、リリーは春告精としての本能で駆ける。
自らの春の到来を告げる役割は、いつも東の最果てにある神社から始まった。
☆ ☆ ☆
「あら、起きたの」
「はい。もう春ですよー」
ひょっこり顔をだして告げたリリーに、霊夢は「そうね」と微笑む。
毎年春が来るまでは、リリーは博麗神社にいる。春が来れば幻想郷中を飛び回って暖かな息吹を与え、それを終えるとここへ戻って来て来年の春まで大人しくするのだ。
今にも待ちきれないといった様子で飛んでいこうとするリリーを霊夢が慌ててとめた。
「待った待った! お茶飲んで行きなさい」
持っていた箒を投げ出して縁側に座る霊夢に倣ってリリーも一旦腰を落ち着けた。
すぐにぱたぱたと小走りで近づいてくる音がして、急須とコップをお盆に載せた女の子が現れる。
「お茶入りましたー」
「ありがと、る~こと」
る~ことが淹れたての緑茶を丁寧な手つきで二人へ渡した。
広がる茶葉の芳香に、リリーはなんだか全身が緩むのを感じる。迷わずすぐに口をつけた。
舌に若干の苦味と、それを上回る旨みが浸透し、うっとりするように小さく息を吐く。おいしいお茶だった。
「さ、頑張りなさいよ」
「はい。春を、伝えてきます」
背中を押され、ふわりと飛び上がったリリーは、くるくると神社の上空を数回廻ってから飛び立っていった。
春ですよー、という彼女の暖かな風にも似た声が響いてくる。
「あ、」
る~ことは縁側の下、影になっている部分を見て驚いた。
「どうかした?」
霊夢が視線を追うと、そこには縁側の微妙な影に隠れるようにして、蒲公英の花がひっそりと咲いていた。
「春ですよー」
魔法の森の上空を、真っ直ぐではなく舞うようにして通過していく。
自分の通った後には春の息吹が芽としてその形を示してくれているだろう。全体的に陰気に見えたり、湿気てそうなこの森も、リリーが通れば鮮やかになる。
「おーい! そこの春告精ー!」
自分を呼ぶ声がした方を見ると下で誰かが手を振っている。
枝葉を伸ばす木々を抜け、ゆっくりとそこへ降りると、なんとも香ばしい匂いが周囲を覆っていた。
リリーに声を掛けた主、霧雨魔理沙は、彼女の手を引いて七輪の前に座らせる。そこにはアリス・マーガトロイドもいた。
「ほら、春が旬の茸だ。これから春を伝えに行くなら腹ごしらえしないとな! 元気が一番だぜ!」
そう言って差し出された皿の上には、狐色に綺麗に焼かれた茸が少々多すぎるほど盛ってあった。
しかも七輪で焼かれているものも次々乗せていき、山盛りになる。
「盛りすぎよ。困ってるじゃない、この娘」
「あー、流石に多すぎたな……」
アリスの言葉に魔理沙が半分ほど自分の皿へ茸を移し替えた。
箸を渡され、ふうふうと冷ましてから食べる。
茸とは思えないパリッとした食感のあと、じゅわっと甘い汁が溢れ、口いっぱいに拡散。想像を超えた茸のおいしさに、リリーはすぐに皿に載っている分を平らげてしまった。
「とってもおいしいですー」
「だろ?」
満足そうにうなずく魔理沙の横で、アリスも無心で茸を食べていた。
が、思い出したように足元の袋から何かを取り出すと、それをリリーに手渡す。
「これは……?」
「服」
素っ気無いように一言だけ告げるアリスの意図が掴めないリリーは「?」となりながらも、渡された服とやらを広げてみた。
「わぁー」
思わず声が洩れる。
それもそのはず。広げられた服は素晴らしいほど真っ白で、若干大目にフリルをあしらってあるそれは、リリーには非常に美しく思えたからだ。布も手触りがよく、良質なものを使用していることがよくわかる。
「前に見た時からもうちょっと派手でもいいんじゃないかと思ってたのよ」
「くれるんですか?」
「勿論よ」
感極まったようにぎゅうっ、と服を抱きしめるリリーに、魔理沙が「家で着替えてくか?」と自らの家を指し示す。断る理由なんてありもしないリリーは速攻で頷いた。
「……いいじゃない」
「ああ……驚いた」
二人の反応に恥ずかしそうにリリーは俯く。
「変ですか?」
「「まさか!!」」
同時に首をよこに振る二人に、ほっと息をつく。
ひらひらふわふわとしてとても着心地の良いこの服は、身体にぴったりフィットして、とても動きやすい。
七色の人形遣いと普通の魔法使いから思わぬ贈り物を得たリリーは、笑顔を何倍にも輝かせて魔法の森を飛び立った。
「前の服はしっかり神社に届けておいてやるからなー!!」
魔理沙の言葉に手を振って、リリーは再び上空へと舞う。
さぁ、春を告げないと。
「んあ?」
「どうかした?」
リリーを見送って食事再開を洒落込もうとした魔理沙が、ふと近くに生えている木の根元を凝視していることに気がついた。
「見ろよ、こんなところに蒲公英が咲いてやがる」
木の根元に咲く三本の蒲公英が視界に飛び込んできた。
魔法の森は瘴気があるため、耐性のない植物が生えるのは珍しいことだ。恐らく、先ほどまで春告精のいた影響だろう。
「綺麗なものね」
「そうだな」
二人はしばらく蒲公英に魅入るようにしてその場に佇んでいた。
魔法の森から気づけば西に動きすぎたようだった。
下を見れば草とよくわからないなにかが延々と続く光景があるばかり。
しかし、このような場所にこそ春を届けなければならない。春において陰惨な光景などあってはならないのだ。春の力を持ってすれば殺風景な荒野だろうと草木一本生えない不毛の地だろうと、一瞬で花の咲き乱れ、生き物の鼓動が聞こえる場所にはや代わりだ。
ふんすふんすとやる気の満ちているリリーは、「春ですよー!!」と精一杯叫ぶ。
と、得体の知れないものの転がる原っぱで、煙があがっているのが見えた。何重にも積み重ねられた『何か』が焼かれているらしいことはわかる。
気になったリリーは、その燃え盛る『何か』に火をくべている男のもとへ降り立った。
「何を焼いているんですかー?」
驚いたように振り返った男は、こちらの姿を認めるとその表情を更に濃くした。
「知らなかった。春告精はこんなところにまで春を届けるのか」
男は眼鏡の位置を指で直すと、すっかり冷めてしまった表情で「これは人の死体を弔っているんだ」と言った。
どうしてこんなに大量の死体をこのような場所でこの男が弔う必要があるのだろうか。
リリーの疑問に答えるようにして、男は――森近霖之助は説明してくれた。
「ここには偶に外の人間の死体が流れてきてね。放置すると妖怪なんかに成りかねないし、疫病も流行るかもしれないから。だからこうして僕が死体を焼いているんだ」
なるほど、とわかったように頷くリリーだが、霖之助からすれば妖精が死の概念を理解できるのかはわからないので、聞いてみるほかない。
「妖精は死について考える事ができるのかい?」
たとえ死んでも死なないのが妖精だ。
そんな妖精たちが生き死にについて考えることができるのだろうか。
「死ぬのが悲しいことなんだということしかわからないです……」
「ほう……」
この答えは予想してなかった。
悲しいと答えられる妖精がどれほどいるだろうか? まず間違いなく蛙を凍らせて遊んでいる湖の氷精なんかはわからないと言いそうなものだが。
「春は生命を象徴する季節です。だから私には、生き物の動かなくなったときの感情は悲しいとしか言い表せません…………」
十分だ。それだけ答えられるなら十分だと思う。
霖之助は妖精について少しだけ認識を改めた。
前に魔理沙にコーヒー飲んで新聞を読む妖精だっていると聞いた時には、流石に何かの冗談だろうと思って聞き流したのだが、この様子だと妖精だって幼子ばかりではなさそうだ。
「おかしなことを尋ねてすまなかった。ありがとう…………あぁ、そうだ」
霖之助がポーチの中から何かを取り出し、リリーへ差し出した。
手のひらに載っているそれは、桜の花びらを模したブローチである。決して豪奢ではないが、シンプルゆえに綺麗だった。
「えっと……?」
「これをあげよう。君にぴったりだろうから」
ブローチをおずおずと受け取り胸元へ付けてみると、アリス製の服装も相まって丁度良い装飾品となった。ちょっと妖精には見えない。
「ありがとうございますー」
「どういたしまして。代わりといってはなんだけど、君の行く先で『香霖堂をよろしく』と言ってもらいたい」
「香霖堂?」
「僕の経営する道具屋だよ。君も機会があれば是非寄ってほしい」
ちゃっかり商売人魂丸出しの霖之助だったが、リリーはそれを快諾し、白い帽子に金糸を靡かせ飛び立っていった。
それを見送った後、今後どれほど客足が伸びるか思考を巡らせつつ、散らばるガラクタを回収し始めた。
「…………おや」
拾い上げた道具の下。黄色の束に霖之助は微笑む。
「蒲公英、か」
「――――そうだな。確かに少し考えすぎていたのかもしれない」
「そうやって里のことよく考えてくれてるのはありがたいわー」
人間の里――とある団子屋で外の長椅子に腰掛け、上白沢慧音は残り一個となった饅頭を取ろうとして、すでに隣の小兎姫が食べてしまったのがわかると溜息を吐いた。
お茶を啜りながら何気なく上を見上げると、遠くから何かが飛んでくるのが目に入った。
「春告精じゃない、あれ」
小兎姫も上を見ていたようで、いち早く飛んでいるのが何かを言い当てた。
春ですよー、と聞こえてくる。
「そうか、もう春なのか」
最近めっきり忙しいお陰でそんなことを感じている余裕はなかった為、慧音は目に見える春にようやく季節を感じることができた。
のどかな雰囲気に当てられて思わず欠伸がでてしまう。
慌ててはしたないなと口を手で押さえるが、小兎姫は周りの目なんて気にしねーよとばかりに大欠伸をかましていた。
「香霖堂をよろしくー」
「――――!? げほっ、ごほっ!」
盛大に噎せてしまった。
二人とも何が起きたのか理解できずに咳き込んでしまい、近くを歩いていた人間の大半が上空の春告精を凝視していた。
「へい、リリー・ホワイト!!」
何を思ったかその春告精を小兎姫は呼び止め、呼びかけに応じたリリーは二人の前へと降り立った。
「なんですかー?」
「いやあ、さっきの『香霖堂をよろしくー』って、何?」
慧音としても気になる所だったので黙って聞く体勢になっていると、リリーは胸元のブローチを差し、ニッコリと微笑む。
「これを霖之助さんという人から頂いて、その代わりに宣伝をー」
「なるほどねー。驚いたわ」
「だな」
そうかそれならば納得がいく。
それにしても本当に驚いた。まさか春告精が春だけでなく宣伝まで仕掛けてくるなんて誰が予想しただろうか。
「そうだ、私からもこれをあげるわ」
そういって小兎姫が差し出したのは、慧音がてっきり小兎姫がもう食べたのだろうと思っていた饅頭だった。食べずに持っていたのだろうか。
饅頭を受け取ったリリーは嬉しそうにそれを頬張っていた。
そのおいしそうに食べる姿に引かれてか、はたまた春の陽気のせいか、団子屋にちょっとした行列ができあがる。
もう食べ終えているからこれ以上は後の客の邪魔になると判断した慧音は、「勘定を頼む」と店の奥に呼びかける。
出てきた店員に金を払って振り向けば、リリーはすでにいなくなっていた。
「おや、もう行ってしまったか」
「一足遅かったわね」
慧音の手にした一本の若草団子を見て、子兎姫がそう言うと、「まあいいさ」と言って慧音は一口で団子を食べてしまった。
「品のないこと」
「貴女が言うか……ん?」
長屋の影。光を求めるように生えているそれに目を留める。
小兎姫も「あらあら」と表情を綻ばせた。
小さな蒲公英に、慧音は明日も頑張るか、と気合を入れた。
「………………ん?」
妖怪の山を哨戒中の白狼天狗・犬走椛は、何かが近づいて来ているのをその眼で捉えていた。
ゆっくりと距離を縮めるそれに痺れを切らした椛は、己の千里眼を解放して対象を確認する。
「誰だ……?」
飛行中の人物は、少なくとも椛の心当たりのある者ではなかった。
背中合わせに座っていた同僚の肩を叩き、現状を説明してから上空へ上がった。
最後の目標は妖怪の山である。
幻想郷の四方八方を飛び回り、ようやく終着点にたどり着こうとした時だった。
「待て」
目の前に一人の白狼天狗が姿を表した。
謂れの無い警戒心を直にぶつけられ、少し腰が引けてしまう。
「なんですかー?」
「ここから先は妖怪の山の領域になる。用が無いのならば引き返せ」
なんということだろうか。最後の場所を前にしてまさかの障害だった。
しかし変だ。いつもなら天狗なんかは出てこないはずである。春告精としてのリリーの役割を把握していて、実害の皆無である事は百も承知であって当然だ。
去年も一昨年も、ずっと前から天狗が自分を邪魔することはなかった。
だが、どちらにせよここで退くわけにはいかない。ここが最後の春の終着点なのだ。なんとしてでも押し通る必要がある。
「駄目です。ここにも、春は伝えなければなりません」
「春……? なんのことだかは知らないが、通るというのならば――――」
腰の獲物がシャンと音をたてて引き抜かれる。
沈みかけている夕日の赤を刃が反射し、その大きな刃の危険性を増しているようだった。巨大な顎は敵対する者を捕らえれば、一瞬でズタズタにしてしまうだろう。
「――――私を倒して行け!!」
両者の間を一瞬で詰めた椛に、リリーは股下を潜るような急速機動をしてみせる。
振り上げた刀の間合いの相手が自分の背後に回りこんだのを、椛は驚愕の面持ちで追った。
(見た目に反してやり手か!? 甘く見ていたらやられるかもしれないな……!)
リリーからしてみれば回避技術は、延々繰り返してきた春告精としての道程において培われただけのものである。どうしようもない時に逃げる為の手段。それだけでしかない。
ここで弾幕を放っても大したダメージを与えられないのも目に見えいる。
――――ならば
――――突破する!!
変則的な機動を描き、妖怪の山の麓へ急降下する。
川の表面スレスレを飛び、頂上を目指す。
次々と椛の弾幕が水面を穿ち、水しぶきがリリーの体躯を濡らしていく。
川から木の覆い茂る方へ跳ぶ。
迫る木々をジグザグに飛びぬける。
刃が巨木をなぎ倒す。
どれくらい山の中を飛んだだろうか。
段々と木が少なくなり、頂上が見えてきた。妖怪の山の頂に、大きな巨木が鎮座している。
あれが最後の春の場所。
森林を抜けたリリーは、速度を緩めずその巨木の周りをくるくると旋回する。
そうして尖った木の幹の先端を、そっと撫でた。
リリーの軌道を沿うように続いていた春の陽気が、木に収束する。
――――そして
「春ですよ――――――――――!!!」
変化は一瞬だった。
それまでほとんど葉をつけていなかった巨木から、綺麗な薄桃色の花びらが生まれた。
それは連鎖するように巨木を覆い、もう一回も瞬きすれば、すっかり立派な桜の木へと変貌していた。
それだけには収まらない。
妖怪の山の頂上からどんどん木々が桜の花を咲かせていく。
桜のカーテンが頂上から麓へ掛けられる様に。あるいは、春を祝福するかのように。
春を見届けたリリーは、ほっと息をついた。
一時はどうなることかと思ったが、無事に役割は終えられた。
「……そこの」
「!!?」
安堵しているところに突然かけられた声に、全身が震える。
声がした方に視線を向ければ、予想通り自分を追ってきていた白狼天狗だ。
身体の疲労を感じながらも逃走の体勢に身構えるリリーに、椛は「ああ、待て待て」と疲れたように呼び止める。
「春告精だな?」
黙って頷くリリーに、はあっ、と一段大きな溜息を吐き、椛は頭を下げた。
「申し訳ない。春告精と知っていれば邪魔はしなかったのだが……」
顔を上げた椛の視線の先は、服。
ようやくそこで、自分がいつもの格好でないことに気づく。
「いや、服が変わった程度で気づけなかった私のせいだな」
やれやれと首を振り、「それではな。邪魔をしてすまなかった」と再度謝罪をし、椛は山へ降りて行った。
どっと疲れが噴出すような感覚に陥る。
よくもまあ無事で済んだものだ、本当に。
さて、と、残る力を振り絞り、リリーは東の果てに向かう。
しっかり役目を終えた事を話したい相手がそこにはいるからだ。
何故だろう。今日はそこに人が大勢いるのではないだろうかと思ってしまう。
普段から十分騒がしい神社に人が酒を持って集結するのを想像し、リリーは急いで神社に帰るのだった。
四季のなかでも陽気や活気を感じさせるこの時期を真っ先に伝える者がいる。
リリー・ホワイトだ。
「春ですよー」
遮るものもない果てしなく広がる幻想郷の空を、リリーは春告精としての本能で駆ける。
自らの春の到来を告げる役割は、いつも東の最果てにある神社から始まった。
☆ ☆ ☆
「あら、起きたの」
「はい。もう春ですよー」
ひょっこり顔をだして告げたリリーに、霊夢は「そうね」と微笑む。
毎年春が来るまでは、リリーは博麗神社にいる。春が来れば幻想郷中を飛び回って暖かな息吹を与え、それを終えるとここへ戻って来て来年の春まで大人しくするのだ。
今にも待ちきれないといった様子で飛んでいこうとするリリーを霊夢が慌ててとめた。
「待った待った! お茶飲んで行きなさい」
持っていた箒を投げ出して縁側に座る霊夢に倣ってリリーも一旦腰を落ち着けた。
すぐにぱたぱたと小走りで近づいてくる音がして、急須とコップをお盆に載せた女の子が現れる。
「お茶入りましたー」
「ありがと、る~こと」
る~ことが淹れたての緑茶を丁寧な手つきで二人へ渡した。
広がる茶葉の芳香に、リリーはなんだか全身が緩むのを感じる。迷わずすぐに口をつけた。
舌に若干の苦味と、それを上回る旨みが浸透し、うっとりするように小さく息を吐く。おいしいお茶だった。
「さ、頑張りなさいよ」
「はい。春を、伝えてきます」
背中を押され、ふわりと飛び上がったリリーは、くるくると神社の上空を数回廻ってから飛び立っていった。
春ですよー、という彼女の暖かな風にも似た声が響いてくる。
「あ、」
る~ことは縁側の下、影になっている部分を見て驚いた。
「どうかした?」
霊夢が視線を追うと、そこには縁側の微妙な影に隠れるようにして、蒲公英の花がひっそりと咲いていた。
「春ですよー」
魔法の森の上空を、真っ直ぐではなく舞うようにして通過していく。
自分の通った後には春の息吹が芽としてその形を示してくれているだろう。全体的に陰気に見えたり、湿気てそうなこの森も、リリーが通れば鮮やかになる。
「おーい! そこの春告精ー!」
自分を呼ぶ声がした方を見ると下で誰かが手を振っている。
枝葉を伸ばす木々を抜け、ゆっくりとそこへ降りると、なんとも香ばしい匂いが周囲を覆っていた。
リリーに声を掛けた主、霧雨魔理沙は、彼女の手を引いて七輪の前に座らせる。そこにはアリス・マーガトロイドもいた。
「ほら、春が旬の茸だ。これから春を伝えに行くなら腹ごしらえしないとな! 元気が一番だぜ!」
そう言って差し出された皿の上には、狐色に綺麗に焼かれた茸が少々多すぎるほど盛ってあった。
しかも七輪で焼かれているものも次々乗せていき、山盛りになる。
「盛りすぎよ。困ってるじゃない、この娘」
「あー、流石に多すぎたな……」
アリスの言葉に魔理沙が半分ほど自分の皿へ茸を移し替えた。
箸を渡され、ふうふうと冷ましてから食べる。
茸とは思えないパリッとした食感のあと、じゅわっと甘い汁が溢れ、口いっぱいに拡散。想像を超えた茸のおいしさに、リリーはすぐに皿に載っている分を平らげてしまった。
「とってもおいしいですー」
「だろ?」
満足そうにうなずく魔理沙の横で、アリスも無心で茸を食べていた。
が、思い出したように足元の袋から何かを取り出すと、それをリリーに手渡す。
「これは……?」
「服」
素っ気無いように一言だけ告げるアリスの意図が掴めないリリーは「?」となりながらも、渡された服とやらを広げてみた。
「わぁー」
思わず声が洩れる。
それもそのはず。広げられた服は素晴らしいほど真っ白で、若干大目にフリルをあしらってあるそれは、リリーには非常に美しく思えたからだ。布も手触りがよく、良質なものを使用していることがよくわかる。
「前に見た時からもうちょっと派手でもいいんじゃないかと思ってたのよ」
「くれるんですか?」
「勿論よ」
感極まったようにぎゅうっ、と服を抱きしめるリリーに、魔理沙が「家で着替えてくか?」と自らの家を指し示す。断る理由なんてありもしないリリーは速攻で頷いた。
「……いいじゃない」
「ああ……驚いた」
二人の反応に恥ずかしそうにリリーは俯く。
「変ですか?」
「「まさか!!」」
同時に首をよこに振る二人に、ほっと息をつく。
ひらひらふわふわとしてとても着心地の良いこの服は、身体にぴったりフィットして、とても動きやすい。
七色の人形遣いと普通の魔法使いから思わぬ贈り物を得たリリーは、笑顔を何倍にも輝かせて魔法の森を飛び立った。
「前の服はしっかり神社に届けておいてやるからなー!!」
魔理沙の言葉に手を振って、リリーは再び上空へと舞う。
さぁ、春を告げないと。
「んあ?」
「どうかした?」
リリーを見送って食事再開を洒落込もうとした魔理沙が、ふと近くに生えている木の根元を凝視していることに気がついた。
「見ろよ、こんなところに蒲公英が咲いてやがる」
木の根元に咲く三本の蒲公英が視界に飛び込んできた。
魔法の森は瘴気があるため、耐性のない植物が生えるのは珍しいことだ。恐らく、先ほどまで春告精のいた影響だろう。
「綺麗なものね」
「そうだな」
二人はしばらく蒲公英に魅入るようにしてその場に佇んでいた。
魔法の森から気づけば西に動きすぎたようだった。
下を見れば草とよくわからないなにかが延々と続く光景があるばかり。
しかし、このような場所にこそ春を届けなければならない。春において陰惨な光景などあってはならないのだ。春の力を持ってすれば殺風景な荒野だろうと草木一本生えない不毛の地だろうと、一瞬で花の咲き乱れ、生き物の鼓動が聞こえる場所にはや代わりだ。
ふんすふんすとやる気の満ちているリリーは、「春ですよー!!」と精一杯叫ぶ。
と、得体の知れないものの転がる原っぱで、煙があがっているのが見えた。何重にも積み重ねられた『何か』が焼かれているらしいことはわかる。
気になったリリーは、その燃え盛る『何か』に火をくべている男のもとへ降り立った。
「何を焼いているんですかー?」
驚いたように振り返った男は、こちらの姿を認めるとその表情を更に濃くした。
「知らなかった。春告精はこんなところにまで春を届けるのか」
男は眼鏡の位置を指で直すと、すっかり冷めてしまった表情で「これは人の死体を弔っているんだ」と言った。
どうしてこんなに大量の死体をこのような場所でこの男が弔う必要があるのだろうか。
リリーの疑問に答えるようにして、男は――森近霖之助は説明してくれた。
「ここには偶に外の人間の死体が流れてきてね。放置すると妖怪なんかに成りかねないし、疫病も流行るかもしれないから。だからこうして僕が死体を焼いているんだ」
なるほど、とわかったように頷くリリーだが、霖之助からすれば妖精が死の概念を理解できるのかはわからないので、聞いてみるほかない。
「妖精は死について考える事ができるのかい?」
たとえ死んでも死なないのが妖精だ。
そんな妖精たちが生き死にについて考えることができるのだろうか。
「死ぬのが悲しいことなんだということしかわからないです……」
「ほう……」
この答えは予想してなかった。
悲しいと答えられる妖精がどれほどいるだろうか? まず間違いなく蛙を凍らせて遊んでいる湖の氷精なんかはわからないと言いそうなものだが。
「春は生命を象徴する季節です。だから私には、生き物の動かなくなったときの感情は悲しいとしか言い表せません…………」
十分だ。それだけ答えられるなら十分だと思う。
霖之助は妖精について少しだけ認識を改めた。
前に魔理沙にコーヒー飲んで新聞を読む妖精だっていると聞いた時には、流石に何かの冗談だろうと思って聞き流したのだが、この様子だと妖精だって幼子ばかりではなさそうだ。
「おかしなことを尋ねてすまなかった。ありがとう…………あぁ、そうだ」
霖之助がポーチの中から何かを取り出し、リリーへ差し出した。
手のひらに載っているそれは、桜の花びらを模したブローチである。決して豪奢ではないが、シンプルゆえに綺麗だった。
「えっと……?」
「これをあげよう。君にぴったりだろうから」
ブローチをおずおずと受け取り胸元へ付けてみると、アリス製の服装も相まって丁度良い装飾品となった。ちょっと妖精には見えない。
「ありがとうございますー」
「どういたしまして。代わりといってはなんだけど、君の行く先で『香霖堂をよろしく』と言ってもらいたい」
「香霖堂?」
「僕の経営する道具屋だよ。君も機会があれば是非寄ってほしい」
ちゃっかり商売人魂丸出しの霖之助だったが、リリーはそれを快諾し、白い帽子に金糸を靡かせ飛び立っていった。
それを見送った後、今後どれほど客足が伸びるか思考を巡らせつつ、散らばるガラクタを回収し始めた。
「…………おや」
拾い上げた道具の下。黄色の束に霖之助は微笑む。
「蒲公英、か」
「――――そうだな。確かに少し考えすぎていたのかもしれない」
「そうやって里のことよく考えてくれてるのはありがたいわー」
人間の里――とある団子屋で外の長椅子に腰掛け、上白沢慧音は残り一個となった饅頭を取ろうとして、すでに隣の小兎姫が食べてしまったのがわかると溜息を吐いた。
お茶を啜りながら何気なく上を見上げると、遠くから何かが飛んでくるのが目に入った。
「春告精じゃない、あれ」
小兎姫も上を見ていたようで、いち早く飛んでいるのが何かを言い当てた。
春ですよー、と聞こえてくる。
「そうか、もう春なのか」
最近めっきり忙しいお陰でそんなことを感じている余裕はなかった為、慧音は目に見える春にようやく季節を感じることができた。
のどかな雰囲気に当てられて思わず欠伸がでてしまう。
慌ててはしたないなと口を手で押さえるが、小兎姫は周りの目なんて気にしねーよとばかりに大欠伸をかましていた。
「香霖堂をよろしくー」
「――――!? げほっ、ごほっ!」
盛大に噎せてしまった。
二人とも何が起きたのか理解できずに咳き込んでしまい、近くを歩いていた人間の大半が上空の春告精を凝視していた。
「へい、リリー・ホワイト!!」
何を思ったかその春告精を小兎姫は呼び止め、呼びかけに応じたリリーは二人の前へと降り立った。
「なんですかー?」
「いやあ、さっきの『香霖堂をよろしくー』って、何?」
慧音としても気になる所だったので黙って聞く体勢になっていると、リリーは胸元のブローチを差し、ニッコリと微笑む。
「これを霖之助さんという人から頂いて、その代わりに宣伝をー」
「なるほどねー。驚いたわ」
「だな」
そうかそれならば納得がいく。
それにしても本当に驚いた。まさか春告精が春だけでなく宣伝まで仕掛けてくるなんて誰が予想しただろうか。
「そうだ、私からもこれをあげるわ」
そういって小兎姫が差し出したのは、慧音がてっきり小兎姫がもう食べたのだろうと思っていた饅頭だった。食べずに持っていたのだろうか。
饅頭を受け取ったリリーは嬉しそうにそれを頬張っていた。
そのおいしそうに食べる姿に引かれてか、はたまた春の陽気のせいか、団子屋にちょっとした行列ができあがる。
もう食べ終えているからこれ以上は後の客の邪魔になると判断した慧音は、「勘定を頼む」と店の奥に呼びかける。
出てきた店員に金を払って振り向けば、リリーはすでにいなくなっていた。
「おや、もう行ってしまったか」
「一足遅かったわね」
慧音の手にした一本の若草団子を見て、子兎姫がそう言うと、「まあいいさ」と言って慧音は一口で団子を食べてしまった。
「品のないこと」
「貴女が言うか……ん?」
長屋の影。光を求めるように生えているそれに目を留める。
小兎姫も「あらあら」と表情を綻ばせた。
小さな蒲公英に、慧音は明日も頑張るか、と気合を入れた。
「………………ん?」
妖怪の山を哨戒中の白狼天狗・犬走椛は、何かが近づいて来ているのをその眼で捉えていた。
ゆっくりと距離を縮めるそれに痺れを切らした椛は、己の千里眼を解放して対象を確認する。
「誰だ……?」
飛行中の人物は、少なくとも椛の心当たりのある者ではなかった。
背中合わせに座っていた同僚の肩を叩き、現状を説明してから上空へ上がった。
最後の目標は妖怪の山である。
幻想郷の四方八方を飛び回り、ようやく終着点にたどり着こうとした時だった。
「待て」
目の前に一人の白狼天狗が姿を表した。
謂れの無い警戒心を直にぶつけられ、少し腰が引けてしまう。
「なんですかー?」
「ここから先は妖怪の山の領域になる。用が無いのならば引き返せ」
なんということだろうか。最後の場所を前にしてまさかの障害だった。
しかし変だ。いつもなら天狗なんかは出てこないはずである。春告精としてのリリーの役割を把握していて、実害の皆無である事は百も承知であって当然だ。
去年も一昨年も、ずっと前から天狗が自分を邪魔することはなかった。
だが、どちらにせよここで退くわけにはいかない。ここが最後の春の終着点なのだ。なんとしてでも押し通る必要がある。
「駄目です。ここにも、春は伝えなければなりません」
「春……? なんのことだかは知らないが、通るというのならば――――」
腰の獲物がシャンと音をたてて引き抜かれる。
沈みかけている夕日の赤を刃が反射し、その大きな刃の危険性を増しているようだった。巨大な顎は敵対する者を捕らえれば、一瞬でズタズタにしてしまうだろう。
「――――私を倒して行け!!」
両者の間を一瞬で詰めた椛に、リリーは股下を潜るような急速機動をしてみせる。
振り上げた刀の間合いの相手が自分の背後に回りこんだのを、椛は驚愕の面持ちで追った。
(見た目に反してやり手か!? 甘く見ていたらやられるかもしれないな……!)
リリーからしてみれば回避技術は、延々繰り返してきた春告精としての道程において培われただけのものである。どうしようもない時に逃げる為の手段。それだけでしかない。
ここで弾幕を放っても大したダメージを与えられないのも目に見えいる。
――――ならば
――――突破する!!
変則的な機動を描き、妖怪の山の麓へ急降下する。
川の表面スレスレを飛び、頂上を目指す。
次々と椛の弾幕が水面を穿ち、水しぶきがリリーの体躯を濡らしていく。
川から木の覆い茂る方へ跳ぶ。
迫る木々をジグザグに飛びぬける。
刃が巨木をなぎ倒す。
どれくらい山の中を飛んだだろうか。
段々と木が少なくなり、頂上が見えてきた。妖怪の山の頂に、大きな巨木が鎮座している。
あれが最後の春の場所。
森林を抜けたリリーは、速度を緩めずその巨木の周りをくるくると旋回する。
そうして尖った木の幹の先端を、そっと撫でた。
リリーの軌道を沿うように続いていた春の陽気が、木に収束する。
――――そして
「春ですよ――――――――――!!!」
変化は一瞬だった。
それまでほとんど葉をつけていなかった巨木から、綺麗な薄桃色の花びらが生まれた。
それは連鎖するように巨木を覆い、もう一回も瞬きすれば、すっかり立派な桜の木へと変貌していた。
それだけには収まらない。
妖怪の山の頂上からどんどん木々が桜の花を咲かせていく。
桜のカーテンが頂上から麓へ掛けられる様に。あるいは、春を祝福するかのように。
春を見届けたリリーは、ほっと息をついた。
一時はどうなることかと思ったが、無事に役割は終えられた。
「……そこの」
「!!?」
安堵しているところに突然かけられた声に、全身が震える。
声がした方に視線を向ければ、予想通り自分を追ってきていた白狼天狗だ。
身体の疲労を感じながらも逃走の体勢に身構えるリリーに、椛は「ああ、待て待て」と疲れたように呼び止める。
「春告精だな?」
黙って頷くリリーに、はあっ、と一段大きな溜息を吐き、椛は頭を下げた。
「申し訳ない。春告精と知っていれば邪魔はしなかったのだが……」
顔を上げた椛の視線の先は、服。
ようやくそこで、自分がいつもの格好でないことに気づく。
「いや、服が変わった程度で気づけなかった私のせいだな」
やれやれと首を振り、「それではな。邪魔をしてすまなかった」と再度謝罪をし、椛は山へ降りて行った。
どっと疲れが噴出すような感覚に陥る。
よくもまあ無事で済んだものだ、本当に。
さて、と、残る力を振り絞り、リリーは東の果てに向かう。
しっかり役目を終えた事を話したい相手がそこにはいるからだ。
何故だろう。今日はそこに人が大勢いるのではないだろうかと思ってしまう。
普段から十分騒がしい神社に人が酒を持って集結するのを想像し、リリーは急いで神社に帰るのだった。
良い雰囲気の作品ですね。良かったです。
GJ!