Coolier - 新生・東方創想話

SO-NANOKA-8

2012/08/06 04:36:12
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 黒タイルが敷き詰められた廊下に、二つの足音が響く。一つはチルノ、もう一つはルーミアのものだ。廊下の壁には、等間隔で燭台が設置されており、蝋燭に見立てた電灯が光っていた。窓はないので、廊下を照らすのはその電灯だけだ。勿論、それだけでは廊下を十分に照らすには足りない。薄暗い。
 早歩きに進む紅魔社の二人の服装は対照的で、チルノは青のドレスを、ルーミアは黒のタキシードを着ている。動きにくいが、パーティー会場から直接抜け出したため、致し方ない。
「るーみゃ、あてはあるの?」
 ドレスが汚れないように気遣いながら、チルノは進む。
「一応は、ね」
 そういいながら、ルーミアは一つ目の角を曲がる。歩調に迷いはないが、おおよそ当てがあるようには見えない。
 紫にリボンを外されてから、彼女はリボンをつけていない。いまだに、ルーミアがリボンをつける、つけないの基準がチルノはよくわからない。
「ここからは、足音させないようにね」
 唇に人差し指をあてがえながら、ルーミアは忠告した。不用意にしゃべるな、とも言いたいのだろう。チルノは足音を殺すように勤めた。けれど、これがなかなかに難しく、どうしても音が出てしまう。対してルーミアは氷の上でも滑るかのようにすいすい進んでいく。黒ずくめの姿も相まって泥棒のように見えて滑稽だったが。
 かたつむりと良い勝負の速さでチルノが進んでいると、ふいにルーミアが振り返りチルノの耳元でささやいた。
「かかとから落とすから音が出るのよ。拇指球から着地すれば大部違うわよ」
 ありがとうの意を込め、チルノは頷き、実践する。すると、先ほどよりはるかに音が立たなくなった。
 しばらく進むと、廊下が三方向に分断していた。ぴたりとルーミアの足が止まる。右の曲がり角から声がしたのだ。
「警備かしら」
 二人いるらしく、ひそひそ声でなにか話している。
「ま、だれにせよ、ばれないように突破しなくちゃね」
 チルノにしか聞こえないようにルーミアは一人つぶやく。
「声を出さないようにね」
 そう言うと、ルーミアは肩の力を抜く。彼女は瞳を閉じ、大きく息を吐いた。と、同時だ。はさみで目の前の景色を切り取られたかのようにチルノの視界が黒に染まる。突然の出来事にチルノは悲鳴を上げそうになったが、手で口を塞ぎ、強引に悲鳴を飲み込んだ。
 何が起きたのか? 脳みそをかき回されながらも、チルノは状況の把握に努めた。答えは、案外すぐ近くに転がっていた。
 おそらく、これはルーミアのしわざだ。彼女は暗闇を操れる。照明が消えたように見せかけるなど、わけないのだ。
「あやややや!? もう、なんではたてがここに居るんですか。勘付かれて照明落とされましたよ!」
「文のせいでしょ! それになんで私がここに来ちゃいけないのよ。あんたが来なけりゃ良かったでしょ!」
 暗闇は見事に二人の焦りを引き出した。始まったのは、悪口の言い合いだ。様子から察するに、先ほどはお互い自制を効かせ、器用に罵倒しあっていたのだろう。
「金魚の糞が二つ」
 いまいましげにルーミアは舌打ちをする。金魚の糞とは新聞記者のことだ。警察やネタの後ろに、必ずついてくることから、こう呼ばれている。どうして新聞記者とわかったかは、いたって簡単だ。文とはたての名前を知っているからである。この二人は、比較的有名な新聞記者だ。新聞を読む人間ならば、大抵は知っている。
「どうするの?」
 新聞記者が騒いでいるため、チルノ声は響かない。
「まっすぐ行くわよ」
 真っ暗闇を進むのは、怖い。まっすぐ進める自信がない。そんなチルノの心境を察してか、ルーミアはチルノの手を握った。チルノをリードし、進み始める。ダンスのときのような安心感をチルノは胸のうちで感じた。平坦な地面に足を取られそうになりつつも、ゆっくりと進む。
 ちょうど二人が交差点に差し掛かったころだろうか。記者達の会話はチルノらにとってまずい方向に進んでいた。
「私、鳥目なんですよ。どうやって戻れば良いんですか」
「安心しなさい。私も鳥目よ」
「すごい。なお安心できない!」
「安心しなさい。こうすれば良いわ」
「あっ、はたて。それだけはいけません――」
 無論、チルノに新聞記者の話を聞く余裕なぞなかった。
 気付いたときには、まばゆい光がチルノとルーミアを包んでいた。カメラのフラッシュだとすぐにチルノは気付いたが、対処できるわけがない。予想外の出来事にルーミアは立ち止まった。急停止に気付かなかったチルノはルーミアにぶつかってしまう。
 ルーミアの作り出す闇は、カメラのフラッシュのような普通の光では照らせないはずなのだ……。
「今、誰か居たよね」
 完全に見つかった。新聞記者が居るであろう暗闇をチルノは凝視した。
「ドレス姿の子とタキシード姿の子ですね」
「ま、もう一回フラッシュたけば良いわ」
「フィルムがぁ……」
 記者のやり取りが終わる直前に、チルノの手からルーミアが離れた。彼女がどこに向かったのかはわからない。なにせ、足音がしないのだ。一人暗闇に残された不安がチルノを包んだが、それもわずかなことだった。すぐに人工だけれどもやわらかい蝋燭の光が満ちる。カメラのフラッシュは遅れてチルノの元に届いた。
「あなた達、ここで何をしてるの?」
 ルーミアの声を辿る。すると、文とはたて、二人の眼前にルーミアがスペルカードを突きつけていた。暗闇を、迷うことなく突き進んで先手を取ったのだ。ちなみに、普段のルーミアだと間違いなく壁にぶつかるかこける。
「ほら、警備の方がいらっしゃったじゃないですか」
「あんた、絶対わざと言ってるでしょう。どこをどう見ても紅魔社のルーミアじゃない。そもそもこんな小さな警備員なんて居ないわよ」
 スペルカードを前にして、まったくおびえを見せない。それどころか、軽口を叩いている。
「ま、気絶させる程度の威力のスペカみたいだし、どうぞ」
「悲しいことに慣れてますからねぇ」
 スペルカードの術式を見ただけで、その特性を解読したようだ。しかも、それを理解したうえでやられることを受け入れてるから性質が悪い。ここでルーミアが二人の意識を刈り取ったとしても、写真を撮られたのだ。新聞にこう書くだろう。
『EX社内で紅魔関係者からの襲撃!』
 もしくは、『紅魔社の裏の顔! 暴力沙汰上等』
 新聞記者はなんとでも書く。ペンは剣よりも強しとはよく言ったものだ。
 現在のEXと紅魔の関係、それに体面を考えて、手を出すのは得策じゃない。
 効果がないと判断し、ルーミアはスペルカードを懐にしまい、溜め息をついた。
「はぁ、電灯の周りだけ闇で潰す。なんて倹約的なことしないほうがよかったわ……。私のミスね」
 そんなルーミアの言葉に、文は胸をなでおろした様子だった。
「フラッシュの光が通らなければ逆にあなた様と気付きますよ。いやしかし、今回は優しいんですね。またフィルムを粉々にされるかと思いましたよ」
 また、という言葉が引っかかる。会話を聞いている限りは、以前に関わりがあったようには見えなかった。けれど、どうも違うみたいだ。
「面識あるの?」
「文とはね。新聞記者とは仲良くしといて損はないわ」
「仲良くって……。まぁ良いんですが……」
 ルーミアの『仲良く』に文は口ごもる。ルーミアはルーミアで、先ほど文とわかっていながら金魚の糞呼ばわりしていた。どうやら複雑な関係があるようだ。
「しかし、どうしてあなた様がこんなところに?」
 商人顔負けの作り笑顔で文はルーミアに質問する。
「そもそもなんであんたがここに居るのよ」と、はたてが不満気に割り込む。文は何度も答えてきたのであろう。そのつぶやきは、文の右耳から左耳へと通過しただけとなった。勿論、紅魔からすれば、どうして新聞記者がここにいるんだ? となる。
 結局、全員がどうして『こんな奴』が、と思っているのだ。
 それを見越してだろう。文の笑顔に負けないくらいの作り笑顔をし、ルーミアは尋ね返した。
「まったく、どんなネタが入ったのよ?」
 普通、この場面ではあきれ半分で尋ねる言葉だろう。ルーミアが笑顔を作ったのは、半ば遊びだ。
 新聞記者に入ったネタの、大きさの範囲はしぼれる。いくら念写ができなかったといえ、引きこもり新聞記者のはたてが出てくるのだ。小さなネタではない。これは、最小値だ。そしてチルノ等が知る、幽々子から入手したEXの機密情報。おそらく、現時点ではこれが最大値となる。
 できれば、解の最大値が新聞記者に漏れている事態は避けたい。
「ルーミアさんだから言いますけどね。察しの通り良いネタが入ったんですよ。EX社が犯罪行為を行っているという」
 人差し指を立て、文は神妙な表情で告げる。どきりとしたが、チルノは表情を変えないように勤めた。犯罪行為でも、チルノ等が知ってるものとは限らない。
「どうやらEXには地下に工場があってですね……」
 う、とチルノはむせ返りそうになった。はじまった、犯罪行為についての文の説明はまさにチルノ等が知るものだ。現実は上手くいかない。
「ま、今までもかなりグレーなことしてるんで今更って感じもしますけどね」
 文の話をチルノは一度反芻する。内容からして、タレコミが入ったのは嘘ではない。けれど、ルーミアさんだから言う、というのは嘘だろう。紅魔社員だから言うのだ。紅魔とEXが対立関係にあることを知っている文は間違いなくルーミアとチルノの反応を見ている。
 二度、危うく反応しそうになったが、ばれていないだろうか。少々心配だった。
「私のところにもきたんだけどね」
 ツインテールをいじりながらはたてはつまらなそうにつぶやく。
「その様子だと、匿名タレコミ、ね」
「そうよ。ご丁寧に電話で声まで変えてあったわ。でも、逆探知をしたら場所は特定できたわ」
 にやり、と人の悪い笑みを浮かべ、さぁどこでしょう? とでも尋ねるようにチルノとルーミアを見やった。食料を求める乞食のように、チルノははたてに答えを求める視線を送ってしまう。
 その辺はルーミアにも興味があると思われたが、彼女は苦笑しつつ、「逆探知なんてできないでしょう」と言った。
「正解。できないわ」
 鎌かけだ。文のように、はたても紅魔社員の反応を見ていたのだ。それに、チルノはもろに反応してしまった。けれど、どうやらチルノの反応は当てにされてないようだ。チルノとルーミアの反応を見ていたのではなく、ルーミアの反応を見ていたのだ。ほっとすると同時に、少し悲しい。
 ともかく、これから見ても一目瞭然。文とはたては紅魔がここに居ることをいぶかっている。そして、ネタがあると心をときめかせているのだろう。
「にしても、はたてのところにも入ったとなれば、いたずらかもしれませんね」
 ちらりと、はたてを見ると、文は残念そうに首を横にふった。
「無駄よ無駄。私を帰らせてネタを独占しようとしても」
「あやや、やっぱりダメですか。そうですよね。無理ですよね。EX社内に紅魔の二人がいるのにネタがないと考えるなんて」
 今度は心底残念そうに文は肩を落とす。
「で、あんたはこれからどうするの?」
 ネタの独占をめぐる、記者同士のどろどろとした駆け引きには慣れているのだろう。独占を狙った文に対するはたての口調は実にさっぱりしたものだった。
「どうしましょう」
 そう言うと、記者二人は今後の方針について話し合い始めた。
 記者の二人は、協力しているようには見えないが、確実にネタの核へと進んでいた。事実、ルーミアの作り笑顔にかすかに苦笑をまぜている。
 チルノは困惑していた。
 ネタの核心をばらしてもいいんじゃないか? という点でだ。新聞記者にありのままを話し、結託してEXの秘密を暴けばあっという間にその情報が広がり、「EX潰し」が完成する。利益ではなく、EXを潰すのに重点を置くのであれば、それでも構わないのだ。
 けれど、それははばかられた。理由の一つに、この状況の奇妙さにある。
 このEXが犯罪を行っているという情報は、EXと紅魔の者、それと幽々子と妖夢くらいしか知らないのだ。紅魔では確証を得るまで絶対に秘密にしておけと命令が下っている。だから、情報を漏れたとすれば、敵サイドだ。そこで引っかかるのは、文とはたての言う『匿名タレコミ』。これでは、敵サイドから情報が漏れたのではなく、敵サイドが情報を漏らしたことになるのだ。
 そのため、EXがあえて自らを不利な状況に身をおいているように見えてしまう。
 リスクを承知の上で、チルノはルーミアに目配せを送る。どうするの? と。
 けれど返事は返ってこなかった。
 そうこうしてるうちに、記者二人は、今後の方針を決定したようだ。
「てなわけで、私達二人であなた達を密着取材したいと思います。良いですか?」
 文の尋ね方は許可を求めているようでそうではない。ここで断ったらおかしいぞ、という毒を言葉の裏に塗りたくっている。見習いたくなるくらい駆け引きが上手い記者だ。
 密着取材をさせておいていったん引く手もあるが、妙な行動をしすぎた。
 タキシードをなでながら考えを練っているルーミアの答えを待つ。もはや、チルノにどうこうできる問題ではない。
「なら、私もあなた達のタレコミの調査に協力させてもらうわ。でも、多分何もないわよ」
 それは、文等のタレコミが真実であることを裏づける。チルノは心中で両手を挙げた。お手上げだ。
「またまたぁ、ネタのにおいがしてますよ」
「ステーキしか食べてないんだけどね」
 良い方向に進んだと、文は隠しもせずににへらにへらと笑ったのだった。





 RPGの定番、四人パーティーとなり一行は進んだ。進行の際、ルーミアが決めた方針は二つ。階段があればとりあえず降りる。警備がいるところに進む、だ。警備がつくところほどあたりの可能性は高いという考えが元になる。ルーミアいわく、紫を散々煽ったんだし、今更裏をかくような真似はしないでしょう、だった。何度か警備の目を欺き、進んだ。監視カメラは、ルーミアの能力で死角を作りつつすり抜けた。四人になったが、隠密行動がしづらくなったわけではない。チルノを除く三人は、こういった活動に慣れていたからだ。なのでかなりスムーズに進めた。
 チルノ等は地下五階まで降りてきた。ここまで来ると、暖房はつけられていない。それは、人が来ないからではなく、地下なので寒くないからだ。地下は自然と適温になるため、暖房をつける必要がない。
 地下五階。これが持つ意味は大きかった。デパ地下でもあるまいし、本社のビルをここまで掘り下げるような真似は普通しない。いよいよEXの地下にスペルカード製造工場がある話が現実味を帯びてきた。
「これは楽しみですね」
 相変わらず蝋燭を模した電灯しかない、薄暗い廊下だ。そこで文は目をらんらんと輝かせている。対してはたて冷静に辺りを見回していた。
「……EXについては結構念写してきたつもりだけど、こんなところ見たことないわ」
 自分の無力さを嘆きつつ、新しい物の発見への期待がはたての言葉には込められていた。
「まぁ、はたての能力はすでに撮られた写真を盗むことしかできませんからねー」
「盗むとか!?」
「あ、大声出さない方が良いんじゃ……」
「申し訳ありません」
 文とはたてのいざこざの収集に、チルノは早くも慣れてきた。二人の性格が掴めてきたのだ。一見、全く違う性格をしているようだが、根本のネタを追いかける新聞記者魂とでも言うのだろうか、そこは同じなのだ。ネタが取れなくなるかもしれないぞ、と揺さぶればある程度はやり込められる。
「と、これはこれは。ご丁寧に直線廊下を作ってるわね」
 先頭を歩いていたルーミアが曲がり角を前にして止まった。黒タイルと靴のぶつかりあう音が止む。
「距離はだいたい十五メートル。その先に警備が二人」
 いつ確認したのか、ルーミアはすらすらと状況を説明した。
 隠密行動をするうちにチルノは気付いたのだが、曲がり角は隠れる側にとって有利な場合が多い。しかし、極端に長い直線廊下だと、隠れ場所はないし、先制攻撃も仕掛けられない。警備側に有利なのだ。
「めんどくさい設計されてますね。どうします?」
 文の声量にはあまり抑制が見られない。警備員に聞かれないか、チルノは少しはらはらした。
「文、あなた、どういう意味でどうします? を使ってるの」
 ルーミアの言葉に、言い忘れたと言わんばかりに文は手をうち、「手を出しますが、どうします?」
「我が紅魔社員等は何も見てない聞いてない。はい、どうぞ」
「では、失礼」
 嬉しそうに文は角を曲がる。その時、両手にはスペルカードを一枚ずつ持っていた。一人一枚、一撃でしとめる気だ。
 警備員はなんらかの戦闘能力を持ち合わせているはずだ。そうそう上手くいくものなのか。
「はい戻りました!」
「早い!?」
 まだ五秒もたっていない。
「ふんふん。移動に二秒。意識を落とすのに二秒もかかっちゃいました。さすが警備員」
 指折り、時間を数える文の成果を確かめるために、チルノは角から顔を出す。先ほどまでの警備員が確かに地面に転がっている。本当に倒したのだ。
「相変わらず仕事は早いのね」
「それが売りですから」
 最近の新聞記者は戦闘もできるらしい。胸元に忍ばせているスペルカードを確かめながらチルノは心のメモに書き込んだ。
「それじゃ、入ってみようかしら」
 まったりとした歩調でルーミアが歩き出す。それに三人も続く。警備されていた扉をくぐる。
 たどり着いたのは、正方形の部屋だった。一辺の長さがだいたい三メートルの小さな部屋だ。天井には電球が一つ寂しげに光っている。壁に設置された電話とチルノ等が入ってきた扉とはまた別の鉄製の扉がひとつあるだけで、めぼしい物は何もない。しかし、手製の扉には、お決まりの『関係者以外立ち入り禁止』と書かれたプレートが貼られていた。
「当たり!」
 うれしそうに文は指を鳴らした。
「射命丸文。思わず顔がにやけてしまいます。いざ、ネタの宝庫へ!」
 はたてに先手を取られまいと、文は持ち前のスピードで扉に接近する。そのときだ。ぴぴぴぴぴ、と甲高い電子音が部屋に響いた。警告音かと思ったが、それにしては弱すぎる。これは電話の呼び出し音だ。地下なのに電波が届くのかとチルノはいぶかったが、壁に電話が設置されている電話のことを思い出し、一人納得したのだった。
 出るか出ないか。
 相手が警備員だった場合、出なかったら不自然に思われるだろう。
「はい、もしもし」
 電話に出たのはルーミア。
――お疲れ様、ルーミア。
 電話の音量が大きかったので、チルノの耳にも届いた。甘ったるい声。八雲紫だ。
「あら、覗き魔の社長がいらっしゃったわ。なんの用?」
 毒を含む、攻撃的な口調でルーミアは紫を威嚇する。
――覗き魔ならそちらに居るでしょう。そんなことより、面白いことを伝えたいの。あなた以外、部屋を出てくれない?
 扉に手をかけたまま、文は固まっていた。まもなくして、理不尽を感じ、口を開こうとしたがルーミアに制された。
「出てくれない?」
「私はいいわよ。ネタが逃げるわけじゃないし」
 意外とはたてはドライだ。彼女のそんなところは、良いところでもあり、弱点でもあるのだろう。文は何度か扉とルーミアの顔を見比べた後、肩を落とし了解する。記者の二人は出て行った。
「チルノ、お願い」
 雨雲の裏にある禍々しい月を感じ取るかのように、チルノは嫌な予感を感じていた。すきま妖怪である紫ならば、進行を止める機会はいくらでもあったはずだ。
 どうして今更?
 疑問が絶えなかったが、チルノは部屋に踏みとどまることは出来なかった。それはルーミアの有無を言わせない迫力のせいだ。チルノが部屋を出ると、扉が閉められる。
 ルーミアを待つ間、文とはたては必死の形相で扉に張り付いていた。
「意外と防音はしっかりしてるのね」
「そうですね」
 向こう側でどんな会話が行われているのかは、誰にもわからない。記者の二人は、盗聴をあきらめると白塗りの壁に背を預け、だべり始めた。
 落ち着かず、チルノはねじ巻き人形のように廊下を行ったりきたりする。居心地が悪い。まさに敵の体内にいるかのようだ。相手の望むままに事が進んでしまいそうな空間。EXの秘密を暴くよりも、ルーミアとここから一刻も早く抜け出したい。そんな衝動に駆られる。
 何度考え直しても、紫が罠を張っているのは明白なのだ。しかし、その通りに進まざるを得ない。
「文、一つ聞いていい?」
「あやや、なんでしょうか?」
 はたてとだべっていた文は何事かとチルノを見る。
「タレコミのさ、声は変えられてたんだよね。でも、口調は?」
 ほとんど思いつきの質問だった。しかし、文はその手があったか、と手を打つ。
「口調……。たしかそう、上流の、少しばば臭い口調。紫さんの口調がぴったり来ますね。でも、まさかねぇ。EXの社長である紫さんが自らばらすなんて……」
 もはや、チルノは開いた口がふさがらなかった。紫のような話し方をする者は、紅魔に居ない。情報を知っている者で言えば、幽々子が若干似ているくらいだろうが、幽々子の場合はどこか力が抜けている。
 わざと情報を流したのだ。やはり、これは罠。
 確信を得て、チルノは扉に飛びつこうとしたとき、ちょうど扉が開いた。
「るーみ……」
 ルーミアの名を呼びかけて、チルノは思わず後ずさった。出てきたのは、ルーミアではなく、紫だったのだ。
「紫、どうして?」
 薄気味悪い笑みを浮かべるだけで、彼女はなにも答えない。紫の背後にチルノは目をやる。ルーミアの姿は、ない。
「お子様はもう帰る時間よ」
 すきま使いの紫がどこからともなく現れることに、違和感はない。むしろ、今まで出てこなかったのが不自然なのだ。
「なに言ってるんですか。ネタをもらうまで帰りませんよ」
「その通りね」
 記者の二人が、紫に詰め寄り、果敢に物言いをした。その間も、チルノはルーミアの姿を探し続ける。が、見つからない。見えない手が、チルノの心臓を鷲掴みにした。
「あなた達の役割はもう済んだの、帰りなさい」
 ほんの少しだけ、紫は文とはたての体を押した。あまりに自然で、無駄の無い動作だったため、二人は押されたことにすら気付かない様子で後退し、『居なくなった』
 理由は簡単。二人の後ずさった地点に隙間が口を開けていたのだ。ルーミアが消え、記者の二人も消えた。いつしかチルノは一人ぼっちになっていた。それでも、あわてふためくことはない。
「紫、るーみゃは?」
 小さいけれど、迫力のある声で、チルノは問う。扇を広げ、口元を覆い隠す紫。教える気はないのか、もともと知らないのか。この場合、明らかに前者であろう。
「るーみゃは!」
 青いドレスが揺れた。駆け出したチルノは、胸元に忍ばせていたスペルカードを取り出す。独りの恐怖を感じないのは、頭が溶けてしまいそうなほど熱くなっているからだ。
 敵を気絶させる為に作られた接近戦用のスペルカードを紫に叩きつける。が、紫は上半身を逸らし、チルノの進行ルートに足だけを残した。靴がぶつかり合う軽快な音と共に、チルノの体が宙に浮く。
「商人なら、常に冷静に」
 耳にたこができる程聞いてきた言葉だが、チルノにそれを聞き入れる余裕はなかった。硬い、黒タイルがチルノを飲み込もうとしているのだ。反射的に目を閉じ、チルノはうでを眼前に交差させたのだった。






 地面は、チルノを向かいいれた。石のように硬い地面を予想していた。が、違う。柔らかい。
 おそるおそる目を開けると、眼前には真っ赤な景色が広がっていた。一瞬、チルノ自身の血かと錯覚したが、違う。ただの赤いじゅうたんだ。ひざに力をこめ、立ち上がり、辺りを見渡す。
 紫の姿は無い。それどころか、景気が一変していた。窓から差し込む月光が、現在チルノの居る部屋を照らす。赤一色の部屋。机、ソファまで赤だ。この見慣れた風景を、見間違えるわけがない。紅魔社の社長室だ。
 ただ、風景は同一でも、雰囲気はまるで違った。普段は、力強さを感じさせてくれる赤が、殺人現場のような雰囲気を醸し出している。とめどめもない怒りと憎しみが、溢れているのだ。
 どうして自分がここに居るのだろうと、チルノが疑問に思うことはなかった。紫の隙間で送られたのだ。
 激情はほんの一時しか効果を持たない。誰も居ない室内を、チルノは無心に徘徊する。ドレスのすそが床にすれるのもお構いなしだ。どうしようもない無力感が膜を張り、チルノを包んでいた。
 二つで一セットのソファ。テーブル。本棚。ただただ眺めていくうちに、チルノの目を引き付ける物があった。レミリアの愛用している机だ。机がへこんでいたのだ。木製の年季の入った机だが、そう簡単にへこむものではない。力に、怒りに任せ拳を叩き付けたようだ。やったのは、おそらくレミリアだ。彼女は、お世辞にも気が長いとは言えない。しかし、怒りを素で出し、物に八つ当たりするような者でもない。しかも、愛用の机に、だ。
 紫の行動にルーミアの消失、へこんだ机。
 これらが、チルノに最悪のケースを想定させた。けれど、その最悪のケースをどうやって紫が実現させたのかはわからない。
 へこんだ机から逃げるように窓の外に目を向けた。いつの間にか、外には雪が舞っている。雪の一片一片が居なくなったルーミアの破片に見えてきた。もはや、チルノに逃げ場はなかった。あのとき、勇気を持って止めていればこんなことにならなかったのではないか。新聞記者のことは割り切って、身を引けば……。勿論、悔やんだところでルーミアが戻ってくるわけではない。
 雪が着地する音すら響きそうな静寂の中、目をつぶってたたずんでいた。何も考えたくない。
 が、その静寂も、逃避もドアのきしむ音に遮られる。
 社長室の入り口には、レミリアがコンビニ袋を片手に呆然と立ちすくんでいた。彼女は、なぜチルノがここに居るのか理解できていないようだった。疲れた笑みを浮かべ、チルノは「紫の隙間に送られたんだよ」とだけ説明した。
 それでようやく納得がいったようで、レミリアは頷く。彼女は明かりを付けると、ソファに身を埋めた。
「すまない」
 気だるそうにレミリアはコンビニ袋をテーブルに投げた。その動作は、普段からレミリアを見ているものからすれば、ひどく違和感のある。なぜ彼女がコンビニなんかで買い物するのか。レミリアはコンビニには行かない。そして何より違和感があったのは、鈍い音をたてて落下したコンビニ袋からペットボトル入りの紅茶が顔を覗かせていたのだ。
 コンビニの紅茶よりも、咲夜の作る紅茶の方が何倍もおいしいのに。
「まぁ、チルノ。なんだ。そこに座ってくれ」
 レミリアの座るソファと対になる空席のソファがテーブルを挟んで置かれている。そこに座ると、レミリアは紅茶をチルノに勧めてきた。
「あたいはいらないよ」
「そうか」
 ふたを開け、レミリアはペットボトルに口を付ける。口に合わなかったのか、彼女は顔をしかめた。
「あれだ。話さなくてはいけないことがある」
 思わず息を呑む。それから、チルノは乾いた唇をしめらせた。
「紅魔が……?」
「潰れた」
 予想はしていた。けれど、予兆はなかった。
 事実を突きつけられ、軽いめまいの後、チルノの脊髄辺りが冷たくなる。
「じゃあ、るーみゃは――」
「紫の下だ」
 完成しきらなかった、やわらかな粘土像が固まっていくようだ。その完成物は、異形をなしており、見るにおぞましい現実を描き出していた。現実の重みを持った粘土像は、今まさにチルノを押しつぶそうとしている。その重みにされるがままに、チルノはソファに全体重を任せた。
「どうして……」
 もはやほとんど声にならない。
「どうして潰れたの?」
「ああ、それについてだが、あれだ」
 レミリアの言葉は、とても曖昧だ。それに、力がない。
「できれば、聞かないでくれないか?」
 表情を見せまいと、レミリアは帽子で顔を隠す。彼女もまた、逃げているのだ。チルノと同じように。普段のレミリアからは考えられない行動だ。
「そりゃあチルノ。お前に知る権利があるのは当然だ。むしろ、お前が教えてというのなら、私は教えなければならない。けど、できるなら、聞かないでくれないか?」
 どうして紅魔が潰れたのか、チルノは知りたい。それと同時に、知らないほうが良いとも思えた。レミリアがここまで頼んでいるのだ。社員、いや、道徳的な問題として、ここまで頼まれたら聞かないほうが良いのではなかろうか。
 けれど、会社が潰れたことと、ルーミアが居なくなたことはイコール関係で繋がる。歯がゆさに、チルノは下唇を噛んだ。
「ところで、だ。チルノ。お前はこれからどうする気だ?」
 返答しあぐんでいると、レミリアが尋ねて来た。帽子をずらし、赤い瞳が片方だけチルノを見つめる。
「どうするって……」
 暗い谷の底に、叩き落され、暗闇の中を彷徨っている状態だ。これからの行動を決定する足がかりはなにも無い。一気に二つもの難問を出され、チルノはさらに戸惑い、深遠のなる闇に迷い込んでいた。
 そんなチルノを見て、レミリアははじめて意地悪くだが、笑った。
「ああ、言い方が悪かったな。紅魔に残れるが、どうする?」
 顔を上げ、チルノはレミリアの赤い瞳を見つめた。言葉の意味が理解しがたい。
「潰れたのに、残れるの?」
「元々、私の個人経営だ。だから、再建はいくらでもできる。そもそも、再建する前提で紅魔は潰れたんだ。ようは、潰れたことが問題なんだ」
「え?」
 レミリアはわかって言ってるのだろうか。おかしい。レミリアの言葉はおかしい。
 紅魔は、余力を残して潰れた。再建をする為に潰れた。レミリアの言ってることは無茶苦茶だ。それでは、紅魔をレミリアがわざと潰したようではないか。
「気付いたか?」
 彼女は、もう悪戯をする少女そのものの表情になっていた。けれど、これは悪戯なんて生易しいものではない。
「紅魔は、私が潰した」
「どうして!」
 拳を固め、チルノは机にたたきつけた。レミリアは、自分が何を言っているかわかっていないはずがない。
 それはつまり、ルーミアが紫の下に行くと知っていながら、わざと潰したのだ。
「どうして、か。そう、そこを聞かないで欲しいんだ」
 すぐに彼女は真剣そのものの表情になった。
 支離滅裂なんてものじゃない。そんな中でも、必死に理由を考えようと頭をまわす。
 一つ、ある。これなら通る。勝ち誇った笑みを浮かべ、チルノは「そうだ、るーみゃを偵察として紫にわざと渡したんでしょ? ね?」と尋ねる。
「それだったら良いかもな。が、違う」
 チルノの勝ち誇った笑みは、すぐに泣きかけの表情へと移り変わった。ここまで喜怒哀楽の移り変わりが激しい自分も久しぶりだと、チルノは感じた。
「なら……」
 どうして? の言葉を飲み込んだ。これ以外に理由は思いつかなかった。他に理由があるのなら、教えて欲しい。それを聞いたら、理由を聞くことになる。
「紫に、負けたの?」
「ああ、負けた」
 くやしさは心の中ですべて浄化したといわんばかりに、レミリアの口調はぱさぱさとしたものだ。
「で、だ。お前は残るのか? 残らないなら、当面の生活費をくれてやる」
 また、レミリアは帽子で顔を覆ってしまった。
 たとえ、レミリアの意図が読めなくとも、紅魔からは離れたくない。これは、チルノの本心だ。が、ルーミアが居ない、みんなが揃っていない紅魔に意味はあるのだろうか。はっきり言うと、ない。
「るーみゃは?」
 もし、レミリアが助けるつもりはないと答えるなら、紅魔を離れ、一人でルーミアを助けに行く。
「ルーミア、か……。もちろん、こうなったってしまったのは、私の責任。助けるのは私の役目だ。だが、だがな……」
 このレミリアの言葉に、チルノは喜びと憤りを同時に感じた。
 喜びの方は、ルーミアが居なくなったことに、責任を感じていることだ。誰の責任かはわからないのにチルノと同じように責任を感じてくれて嬉しかった。
 憤りの方は、簡単。どうして迷うのか、だ。助ける。と、彼女の大胆で素早い判断を下してくれないのだ。迷う必要はないはずだ。
 レミリアが悩む分だけチルノの憤りが増幅して言った。ソファにチルノの爪が食い込む。それでも、チルノは待った。
 虎が猫になるくらい酷い、レミリアの落ちぶれようだ。 
「もし、もしもレミリアがルーミアを見捨てるようなら、あたいは紅魔を離れるよ」
 沈黙が時を埋める。半ば煽る形になったが、旨のうちを伝えたことに後悔はない。さらにレミリアの言葉を待った。
 彼女は左手で帽子を握りつぶし、右手で癖のある自身の髪の毛をなでた。
「そこまで言うんだったら、残るんだろうな?」
「るーみゃを助けるなら」
「馬鹿だな、お前は」
「レミリアはへたれだよ」
「かもな」
 髪を一房つまみ、レミリアは品定めするような視線をチルノに送った。それから、口角を僅かに引き上げる。
「わかった。ルーミアもなんとかする」
 断言し、彼女は大きく息を吸う。
「咲夜!」
 部屋が静かなだけに、レミリアの声は余計に響いた。壁に何度か跳ね帰った声は、じょじょに小さくなっていく。
「はい」
 残響が尽きようとしたときだ。瀟洒な従者はレミリアが座っているソファの後ろに現れた。
 メイド服には、雪の欠片がしがみついている。今まで一人で外に居たのだろうか。
 寒さ対策をして外に出たようには見えない。相当寒かったはずだ。
 そして、その寒さのせいか、咲夜の表情は冷たく凍り付いていた。普段から表情の変化にとぼしい彼女だが、今は特にそれが顕著で、鉄の仮面を被ったかのように無表情だ。その無表情からは、心のうちにある感情を隠していることがありありと見て取れる。隠している感情までは、読み取れない。
 どうしてレミリアが咲夜を呼んだのかは、流石のチルノにも察しはついていた。
「なぁ咲夜。お前は残ってくれるか?」
 咲夜は仮面を外さない。イエスともノーとも答えない。咲夜と同じように、他の紅魔社員もどこかで残るか否かを考えているのだろう。レミリアとして、まず第一に秘書である彼女の答えを聞いときたかったのだ。
「残ってくれるか?」
 もう一度レミリアは尋ねるが、咲夜は答えない。なぜ答えないのか、じょじょにチルノはわかってきた。
 腕をくみ、レミリアはうなる。それから、「そうか。違うな」とつぶやいた。
「咲夜。お前もここに残れ」
「はい。喜んで」
 はじめて咲夜は微笑み、メイド服のスカートのすそを摘み上げた。
「やっぱり社長はそれくらいがちょうど良いですわ」
 我がままで、傲慢でないとレミリアらしくない。チルノも思っていたことだ。臆病な猫は、レミリアに似つかわしくない。
 そもそも、我がままと傲慢があってこそ、彼女の凄腕が生きるのだ。
「それでこそ私の咲夜だ。よし、下の階で通夜をやってるやつらを呼んで来い。全員残させる」
 今まで不調だったレミリアが、調子を取り戻し始めていた。
「わかりました。その前に――」
 気付くと、咲夜はレミリアの買ってきたペットボトルを手に持っていた。
「良い紅茶を入れておきましたわ。では、失礼します」
 それだけ言うと、咲夜は姿を消した。まさに、そこには元より誰も居なかったかのように。しかし、それを否定するのがテーブルで湯気を立てている二つのティーカップだ。
「食えない奴」
 そう言いながらも、咲夜の存在証明である紅茶を口に含み、レミリアは満足そうに笑ったのだった。
 そんなレミリアを見ながら、チルノは彼女を信じるかどうか決めかねていた。誰を信じれば良いのかチルノにはわからなくなっていたのだった。
読んで下さりありがとうございます。
晴れ空
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コメント



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1.無評価名前が無い程度の能力削除
クズ度750%!!!!の作品だなwwwwwww
4.100名前が無い程度の能力削除
続きが気になるわ…
7.90名前が無い程度の能力削除
今回はヒキが強いですな
気になる
8.100ルミ海苔削除
盛り上がって参りましたな!