◆四季様の秘密
船頭の死神の定時は酉の刻、午後6時ということになっている。対して裁判所が閉廷するのはその1時間後だ。つまり、地獄の最高裁判長たる四季様の定時も一応はその時刻ということにはなっているが、実際の四季様は毎日残業をしている。裁判所が午後7時に閉廷してもまだ仕事が残っているらしい。残業手当も出ないサービス残業なのに、文句の一つも言わない四季様は立派だ。見習おうとは思わないけど。
此岸で昼寝をしているうちにすっかり定時を過ぎてしまった。仕事仲間は皆帰ってしまっている。そんな中、今日も裁判長室からは明かりが漏れている。時計を見ると午後8時過ぎだった。
あたいは裁判長室のドアをノックした。中から「どうぞ」と声が聞こえたので入室すると、四季様はデスクで書類を書いていた。
「あら、小町ですか。もう定時は過ぎているでしょう? あ、さては昼寝をして寝過ごしたのね」
「そ、そんなことないですよ。それより、四季様だってもう定時は過ぎているはずでは?」
「またいつもの残業よ。私のことは気にせずもう帰りなさい」
「何か手伝いますよ」
四季様が書類から顔を上げてジト目でこちらを見てくる。これは気に障ったかもしれない。
「小町。私の手伝いを申し出るくらいなら、自分の仕事をきちんとこなしたらどうですか? 今日はいくつ死者の魂を運んだのかしら」
尤もな意見だった。いや、そもそも四季様は正しいことしか言わないけど……。もう少し冗談を言う陽気さを持ってほしい。
「それにこれは私だけができる仕事ですから、小町に手伝わせることはできません」
「そうですか……。あ、あたいコーヒー淹れてきますよ。それくらいならあたいにもできるし、四季様の役に立てますよ」
「それじゃあお願いするわ」
四季様は書類から目を離さずに言った。あれは一体何を書いているのだろう。裁判所には裁判の書記を務める死神が居るから、また別の仕事だろうか。
給湯室でお湯を沸かす。コーヒー豆もあったが、豆から作るのは時間がかかるとみて、お湯に溶かすタイプのコーヒーを選んだ。
「四季様ー。コーヒーをお持ちしましたー」
「ありがとう小町。そこに置いておいて」
相変わらず四季様は書類を睨んでいる。この様子だとコーヒーを飲んでも何も反応しないのだろうか。『おいしいわ、小町』とでも言ってくれたら嬉しいのに。
あたいはソファに勝手に座って四季様がコーヒーを飲むまで待とうと思った。ほんの一言、四季様の言葉を聞きたいがために待つ。
しかし、コーヒーを一口飲んだ後の四季様の反応はあたいの想像を遥かに超えた。
「こ、小町! これ、一体どういうこと! うう、苦い。なぜこんなに苦いの!」
「何を言ってるんですか四季様。コーヒーは苦いものですよ」
「このコーヒー、お砂糖が入ってないじゃない!」
必死に訴えながら苦味に耐える四季様は涙目になっていた。可愛い。
「すみません。てっきり大人な四季様はブラック派かと……」
「確かに私は大人ですが、コーヒーは甘党派です!」
それって大人じゃないと思うんですけど。
「それから小町! 私はコーヒーにミルクを入れます。ミルクを入れないコーヒーなんて飲めません!」
「それはさすがに飲む前に気付いてくださいよ。全然色が違うじゃないですか」
いくら書類に集中していたとはいえ、カップを手に取ったときに気付きそうなものだけどなあ。
「え? ちょっと待ってください四季様。今四季様はコーヒーにミルクを入れると?」
「そう言ったわ」
「ミルクを入れたら色が濁るじゃないですか!」
私は声を荒げた。
「な、何よいきなり」
「だって、『白黒はっきりつける程度の能力』を持つ四季様が、自ら黒いコーヒーを濁らせるなんて! そんなことが世間に知られてしまったら、四季様のアイデンティティが無くなってしまいますよ!」
「な……ま、まさか、そんなこと」
「いいえ! 今この瞬間にもどこかでスキマ妖怪が見ているかもしれません! 『あらあら、閻魔様ともあろう方が苦いコーヒーを飲めない上に黒いコーヒーを濁らせるなんて。白黒はっきりつけるというのは名ばかりだったのですね』とか言って弱みを握られるかもしれません!」
「そ、それは困ります。小町、このことは絶対に口外してはいけないわ。絶対によ。二人だけの秘密にしましょう」
二人だけの秘密というフレーズにあたいは少し幸せを感じた。しかし冗談で声を荒げたのにまさか本当に信じてしまうなんて、四季様は少し素直すぎる。
「ふふ。これであたいも四季様の秘密を握ったわけですね」
つまり、仕事をサボる口実ができたというわけだ。しかし、あたいはそんな口実が無くてもサボる。この秘密はもっと有効に使わせてもらおう。
「小町。弱みを握って仕事をサボろうなんて考えてはいけませんよ。もう何回厳重注意したと思ってるんですか。次は減給ですよ」
「分かってますって四季様。ところで四季様、お腹空きませんか? 一緒にどこか食べに行きましょうよ」
「そうね……ってもうこんな時間なの?」
時計の針は午後8時半を指している。今から里の店に行くのは少し遅いかもしれない。
「四季様、あたいの部屋に来れば手料理を作ってあげますよ」
「何をバカなことを言ってるんですか。早く行きますよ」
素早くデスクを片付け、裁判長室に施錠をして悠々と去っていく四季様の背中から、さっき涙目になっていたときには無かった威厳を感じられた。あたいはその背中に魅せられながら後をついて行った。
「バカなことっていうのはちょっと酷いですよ」
◆四季様の泥酔
あたいは四季様をミスティアの屋台に連れて行った。四季様は料理とお酒が出ればどこでもいいらしい。何というか、自分のことに関しては大雑把であまりこだわりがないのが四季様の特徴だ。
「小町。そんなに次々にお酒を注がないでください」
「何を言ってるんですか四季様。明日は仕事が休みなんだからいいじゃないですか」
裁判所は週休1日制で日曜日が休みだ。勿論、船頭のあたいの仕事も休みになっている。死者の魂を運んでも裁判所が開いていないからだ。
「二日酔いはしたくないんです」
「四季様は堅いですねぇ。お酒を飲んでる時くらい愚痴をこぼしてくれてもいいじゃないですか。ストレスが溜まりますよ」
四季様は頬を赤く染めている。これはきっとお酒に酔っているからだろう。対してあたいも顔が熱いことが自覚できるが、これは何に起因するのだろう。少なくともお酒のせいではない。あたいはまだ2,3杯飲んだだけなのだから。
「四季様、全然酔ってないじゃないですか。お酒強いんですね」
「あ、あたりまえです。私がこの程度のお酒で酔うわけがないじゃないですか。私は大人なんれす!」
そう言ってコップに注がれたお酒を一気に飲み干す。そろそろ呂律がうまく回らなくなっている。でも滑舌が悪い四季様も可愛い。この状態なら何時間でもお説教を聞いていられる気がする。
「四季様って本当に大人なんですか? 見た目だけならあたいより年下に見えますよ」
「あなたが大人なのは胸だけじゃない! まったくなんですかそのふくよかな胸は。黒です! 半分私によこしなさい!」
四季様はすうっと右手を伸ばしてきて服越しにあたいの胸に触れる。
「ちょっ、セクハラですよ」
「あなたが嫌がってないから任意です」
地獄の最高裁判長ともあろうお方がとんでもない発言をしている。でもあたいはこんな風に四季様が乱れる姿を見るのはとても楽しい。普段とのギャップが激しすぎて面白いのだ。
「四季様、そろそろ帰りましょう。さすがに酔いすぎです」
「だから私は酔っていません!」
「酔っ払いは皆そう言うんですよ」
あたいはミスティアにお勘定を申し出た。すると脇から四季様の手が伸びてきて、あたいの財布を掴んだ。
「小町。ここは私が払います。食事代を部下の死神に払わせるなんて、上司として許されません。女将さん、いくらですか?」
ここぞと言わんばかりのドヤ顔で代金を支払う四季様を見てあたいは呆気に取られてしまった。しかもさっきまでの滑舌はどこにいったのだろう。そんな疑問が頭に浮かんだが、それよりも素直に四季様をかっこいいと思っているあたいがいた。
「さあ帰りましょう」
「おごりじゃなくて折半でよかったのに」
すると四季様がジト目でこちらを睨んでくる。泥酔している上に目が据わっていて怖い。
「小町。そういう言葉はですね、ちゃんとサボらずに仕事をして、もっと欲を出して積極的にお金を稼いで、収入を増やしてから言いなさい。私はあなたが仕事をサボりすぎてクビにならないか、或いは貧困に陥らないか心配しているんですよ」
泥酔している者の発言なのに、言い返せないくらい尤もな意見だった。というか四季様、本当は酔ってないんじゃないか? しかしそれにしては足下が全くおぼつかない。
「返す言葉もありません」
「そうでしょう。私は常に公明正大であり、私の言うことは全て正しいのです」
「そうですね」
真っ暗な夜の道を並んで歩く。四季様は何度もこけそうになるが、その度に踏みとどまっている。もし途中で倒れてしまったらあたいの部屋に連れて行って介抱しよう。
ドン――と。何かが何かにぶつかる音。見ると四季様が木に激突したらしく、おでこを押さえてそのまま倒れてしまった。
「言ってる傍からですか」
倒れた四季様を背中におんぶする。あたいよりも身長が小さいことを考慮しても、四季様の身体は軽く感じた。普段はあんなに大きく見えるのに……。
背中から微かな寝息が聞こえる。さすがに歩いていると時間がかかると思い、空を飛んであたいの部屋を目指した。
◆上司と部下
あたいの部屋に着いた途端、背中の四季様がもぞもぞと動いた。どうやら少し前から意識は戻っていたらしい。それでも今の状況をよく分かっていない四季様を、あたいの部屋に入れて背中から下ろし、コップに水を入れて四季様に差し出した。
ごくごくと一気に水を飲み干した四季様は、意識が多少はっきりしてきたらしい。きょろきょろと挙動不審に辺りを見た後にあたいにこう言った。
「ここはどこですか?」
「あたいの生活している寮の部屋ですよ」
「へえ、小町の部屋ですか……。って、え? 小町の部屋ですって?」
「そう言いましたよ」
「いけません。こんな時間に地獄の最高裁判長である私と一介の死神である小町が同じ部屋に居るなど、誰かに知られたらきっと悪い噂になってしまいます」
「そんな、別にいやらしいことをするわけでもないでしょう?」
「いいえ、若い女子二人が夜に逢引なんて、怪しすぎます!」
逢引って古いですよ四季様。それに若い女子って一体誰のことですか。あたいはもう100年以上生きてますし、四季様なんてもっと……。
「せめて酔いを醒ましてから出て行ってくださいよ。足下ふらついてるじゃないですか」
「これくらいどうってことはありません。それにやはり不純な匂いが」
「待ってください」
立ち上がって帰ろうとする四季様を無理矢理座らせてなだめる。
「止めないで小町。これはあなたのためでもあるのよ」
四季様は何やら大仰に言う。
「私は公明正大でなければいけない身。特定の死神と夜に密会など」
「四季様、あたいの部屋でくらいそのキャラやめてもいいんですよ?」
あたいは四季様の言葉を無理矢理遮った。頭上にクエスチョンマークを出す四季様に、あたいは続けて言う。
「そのキャラ、わざと無理して作っているんでしょう? 地獄の最高裁判長として、絶対的なルールとなる存在として。でも、あたいの前では全く必要ないですよ」
四季様はあたいの言葉にぴたりと身体を止め、不思議そうにこちらを見てくる。その視線は徐々に悲しげとも不安げとも取れるものに変わっていった。
「四季様は無理をしすぎですよ。多くは語りませんが……。ここにはあたいと四季様しか居ません。だから、そんなキャラ作りは必要ないですよ」
四季様は何かを悟ったような目であたいを見つめてくる。あたいはその視線に笑顔で応えた。四季様は笑わない。しかし先ほどとは打って変わって、表情は柔らかく穏やかになった。あれだけの言葉で全て察してしまう辺り、やはりこの方はとても賢いんだと改めて思う。そんな四季様も、あたいは尊敬している。
「私はそんなに無理をしているかしら?」
「あたいにはそう見えますよ。コーヒーのことも、お酒のことも、お勘定のことも」
全て四季様の頑ななキャラ作りが入っているように、あたいは思えた。
「そう……。それならそうなのかもしれないですね」
四季様は少し考え込んだ後、決断したように顔を上げた。相変わらず決断が早い方だ。尊敬に値する。
「分かりました。あなたとのプライベートではできるだけこういうのをなくしていくよう努力します」
「あたいとのプライベートだけですか?」
「そうです」
肯定の言葉を聞いてあたいは嬉しくて心が躍るような気分になった。するとそれを察した四季様がすぐさま釘を刺す。
「優越感ですか。あまり感心しません」
「……四季様は厳しいですね。でもそんな四季様も素敵です」
「それはお世辞ですか?」
「本気で思っていますよ」
四季様はこちらを窺うように上目遣いをしてきた。そして何か理解したかのように視線を外して。
「そう……。なら信じましょう。他でもない、小町が言ってくれた言葉ですからね」
「それは含みのある言い方ですね」
「はっきり言いましょうか。あなたが私の一番の部下だと言ってるんです」
四季様は真っ直ぐにこちらを見据えてそう言った。あたいは少しだけ、開いた口が塞がらなかった。こういう発言を恥ずかしがらずにするところがまたかっこいいと思ってしまう。本当に、この方はどこまであたいを憧れさせるのだろう。
「それはすごく嬉しい言葉です。ついでに、あたいの想いも聞いてください」
あたいは四季様がしたように、真っ直ぐに四季様の目を見つめて。
「四季様は、あたいが尊敬する憧れの上司です」
四季様はとても眩しい笑顔を見せてくれた。
船頭の死神の定時は酉の刻、午後6時ということになっている。対して裁判所が閉廷するのはその1時間後だ。つまり、地獄の最高裁判長たる四季様の定時も一応はその時刻ということにはなっているが、実際の四季様は毎日残業をしている。裁判所が午後7時に閉廷してもまだ仕事が残っているらしい。残業手当も出ないサービス残業なのに、文句の一つも言わない四季様は立派だ。見習おうとは思わないけど。
此岸で昼寝をしているうちにすっかり定時を過ぎてしまった。仕事仲間は皆帰ってしまっている。そんな中、今日も裁判長室からは明かりが漏れている。時計を見ると午後8時過ぎだった。
あたいは裁判長室のドアをノックした。中から「どうぞ」と声が聞こえたので入室すると、四季様はデスクで書類を書いていた。
「あら、小町ですか。もう定時は過ぎているでしょう? あ、さては昼寝をして寝過ごしたのね」
「そ、そんなことないですよ。それより、四季様だってもう定時は過ぎているはずでは?」
「またいつもの残業よ。私のことは気にせずもう帰りなさい」
「何か手伝いますよ」
四季様が書類から顔を上げてジト目でこちらを見てくる。これは気に障ったかもしれない。
「小町。私の手伝いを申し出るくらいなら、自分の仕事をきちんとこなしたらどうですか? 今日はいくつ死者の魂を運んだのかしら」
尤もな意見だった。いや、そもそも四季様は正しいことしか言わないけど……。もう少し冗談を言う陽気さを持ってほしい。
「それにこれは私だけができる仕事ですから、小町に手伝わせることはできません」
「そうですか……。あ、あたいコーヒー淹れてきますよ。それくらいならあたいにもできるし、四季様の役に立てますよ」
「それじゃあお願いするわ」
四季様は書類から目を離さずに言った。あれは一体何を書いているのだろう。裁判所には裁判の書記を務める死神が居るから、また別の仕事だろうか。
給湯室でお湯を沸かす。コーヒー豆もあったが、豆から作るのは時間がかかるとみて、お湯に溶かすタイプのコーヒーを選んだ。
「四季様ー。コーヒーをお持ちしましたー」
「ありがとう小町。そこに置いておいて」
相変わらず四季様は書類を睨んでいる。この様子だとコーヒーを飲んでも何も反応しないのだろうか。『おいしいわ、小町』とでも言ってくれたら嬉しいのに。
あたいはソファに勝手に座って四季様がコーヒーを飲むまで待とうと思った。ほんの一言、四季様の言葉を聞きたいがために待つ。
しかし、コーヒーを一口飲んだ後の四季様の反応はあたいの想像を遥かに超えた。
「こ、小町! これ、一体どういうこと! うう、苦い。なぜこんなに苦いの!」
「何を言ってるんですか四季様。コーヒーは苦いものですよ」
「このコーヒー、お砂糖が入ってないじゃない!」
必死に訴えながら苦味に耐える四季様は涙目になっていた。可愛い。
「すみません。てっきり大人な四季様はブラック派かと……」
「確かに私は大人ですが、コーヒーは甘党派です!」
それって大人じゃないと思うんですけど。
「それから小町! 私はコーヒーにミルクを入れます。ミルクを入れないコーヒーなんて飲めません!」
「それはさすがに飲む前に気付いてくださいよ。全然色が違うじゃないですか」
いくら書類に集中していたとはいえ、カップを手に取ったときに気付きそうなものだけどなあ。
「え? ちょっと待ってください四季様。今四季様はコーヒーにミルクを入れると?」
「そう言ったわ」
「ミルクを入れたら色が濁るじゃないですか!」
私は声を荒げた。
「な、何よいきなり」
「だって、『白黒はっきりつける程度の能力』を持つ四季様が、自ら黒いコーヒーを濁らせるなんて! そんなことが世間に知られてしまったら、四季様のアイデンティティが無くなってしまいますよ!」
「な……ま、まさか、そんなこと」
「いいえ! 今この瞬間にもどこかでスキマ妖怪が見ているかもしれません! 『あらあら、閻魔様ともあろう方が苦いコーヒーを飲めない上に黒いコーヒーを濁らせるなんて。白黒はっきりつけるというのは名ばかりだったのですね』とか言って弱みを握られるかもしれません!」
「そ、それは困ります。小町、このことは絶対に口外してはいけないわ。絶対によ。二人だけの秘密にしましょう」
二人だけの秘密というフレーズにあたいは少し幸せを感じた。しかし冗談で声を荒げたのにまさか本当に信じてしまうなんて、四季様は少し素直すぎる。
「ふふ。これであたいも四季様の秘密を握ったわけですね」
つまり、仕事をサボる口実ができたというわけだ。しかし、あたいはそんな口実が無くてもサボる。この秘密はもっと有効に使わせてもらおう。
「小町。弱みを握って仕事をサボろうなんて考えてはいけませんよ。もう何回厳重注意したと思ってるんですか。次は減給ですよ」
「分かってますって四季様。ところで四季様、お腹空きませんか? 一緒にどこか食べに行きましょうよ」
「そうね……ってもうこんな時間なの?」
時計の針は午後8時半を指している。今から里の店に行くのは少し遅いかもしれない。
「四季様、あたいの部屋に来れば手料理を作ってあげますよ」
「何をバカなことを言ってるんですか。早く行きますよ」
素早くデスクを片付け、裁判長室に施錠をして悠々と去っていく四季様の背中から、さっき涙目になっていたときには無かった威厳を感じられた。あたいはその背中に魅せられながら後をついて行った。
「バカなことっていうのはちょっと酷いですよ」
◆四季様の泥酔
あたいは四季様をミスティアの屋台に連れて行った。四季様は料理とお酒が出ればどこでもいいらしい。何というか、自分のことに関しては大雑把であまりこだわりがないのが四季様の特徴だ。
「小町。そんなに次々にお酒を注がないでください」
「何を言ってるんですか四季様。明日は仕事が休みなんだからいいじゃないですか」
裁判所は週休1日制で日曜日が休みだ。勿論、船頭のあたいの仕事も休みになっている。死者の魂を運んでも裁判所が開いていないからだ。
「二日酔いはしたくないんです」
「四季様は堅いですねぇ。お酒を飲んでる時くらい愚痴をこぼしてくれてもいいじゃないですか。ストレスが溜まりますよ」
四季様は頬を赤く染めている。これはきっとお酒に酔っているからだろう。対してあたいも顔が熱いことが自覚できるが、これは何に起因するのだろう。少なくともお酒のせいではない。あたいはまだ2,3杯飲んだだけなのだから。
「四季様、全然酔ってないじゃないですか。お酒強いんですね」
「あ、あたりまえです。私がこの程度のお酒で酔うわけがないじゃないですか。私は大人なんれす!」
そう言ってコップに注がれたお酒を一気に飲み干す。そろそろ呂律がうまく回らなくなっている。でも滑舌が悪い四季様も可愛い。この状態なら何時間でもお説教を聞いていられる気がする。
「四季様って本当に大人なんですか? 見た目だけならあたいより年下に見えますよ」
「あなたが大人なのは胸だけじゃない! まったくなんですかそのふくよかな胸は。黒です! 半分私によこしなさい!」
四季様はすうっと右手を伸ばしてきて服越しにあたいの胸に触れる。
「ちょっ、セクハラですよ」
「あなたが嫌がってないから任意です」
地獄の最高裁判長ともあろうお方がとんでもない発言をしている。でもあたいはこんな風に四季様が乱れる姿を見るのはとても楽しい。普段とのギャップが激しすぎて面白いのだ。
「四季様、そろそろ帰りましょう。さすがに酔いすぎです」
「だから私は酔っていません!」
「酔っ払いは皆そう言うんですよ」
あたいはミスティアにお勘定を申し出た。すると脇から四季様の手が伸びてきて、あたいの財布を掴んだ。
「小町。ここは私が払います。食事代を部下の死神に払わせるなんて、上司として許されません。女将さん、いくらですか?」
ここぞと言わんばかりのドヤ顔で代金を支払う四季様を見てあたいは呆気に取られてしまった。しかもさっきまでの滑舌はどこにいったのだろう。そんな疑問が頭に浮かんだが、それよりも素直に四季様をかっこいいと思っているあたいがいた。
「さあ帰りましょう」
「おごりじゃなくて折半でよかったのに」
すると四季様がジト目でこちらを睨んでくる。泥酔している上に目が据わっていて怖い。
「小町。そういう言葉はですね、ちゃんとサボらずに仕事をして、もっと欲を出して積極的にお金を稼いで、収入を増やしてから言いなさい。私はあなたが仕事をサボりすぎてクビにならないか、或いは貧困に陥らないか心配しているんですよ」
泥酔している者の発言なのに、言い返せないくらい尤もな意見だった。というか四季様、本当は酔ってないんじゃないか? しかしそれにしては足下が全くおぼつかない。
「返す言葉もありません」
「そうでしょう。私は常に公明正大であり、私の言うことは全て正しいのです」
「そうですね」
真っ暗な夜の道を並んで歩く。四季様は何度もこけそうになるが、その度に踏みとどまっている。もし途中で倒れてしまったらあたいの部屋に連れて行って介抱しよう。
ドン――と。何かが何かにぶつかる音。見ると四季様が木に激突したらしく、おでこを押さえてそのまま倒れてしまった。
「言ってる傍からですか」
倒れた四季様を背中におんぶする。あたいよりも身長が小さいことを考慮しても、四季様の身体は軽く感じた。普段はあんなに大きく見えるのに……。
背中から微かな寝息が聞こえる。さすがに歩いていると時間がかかると思い、空を飛んであたいの部屋を目指した。
◆上司と部下
あたいの部屋に着いた途端、背中の四季様がもぞもぞと動いた。どうやら少し前から意識は戻っていたらしい。それでも今の状況をよく分かっていない四季様を、あたいの部屋に入れて背中から下ろし、コップに水を入れて四季様に差し出した。
ごくごくと一気に水を飲み干した四季様は、意識が多少はっきりしてきたらしい。きょろきょろと挙動不審に辺りを見た後にあたいにこう言った。
「ここはどこですか?」
「あたいの生活している寮の部屋ですよ」
「へえ、小町の部屋ですか……。って、え? 小町の部屋ですって?」
「そう言いましたよ」
「いけません。こんな時間に地獄の最高裁判長である私と一介の死神である小町が同じ部屋に居るなど、誰かに知られたらきっと悪い噂になってしまいます」
「そんな、別にいやらしいことをするわけでもないでしょう?」
「いいえ、若い女子二人が夜に逢引なんて、怪しすぎます!」
逢引って古いですよ四季様。それに若い女子って一体誰のことですか。あたいはもう100年以上生きてますし、四季様なんてもっと……。
「せめて酔いを醒ましてから出て行ってくださいよ。足下ふらついてるじゃないですか」
「これくらいどうってことはありません。それにやはり不純な匂いが」
「待ってください」
立ち上がって帰ろうとする四季様を無理矢理座らせてなだめる。
「止めないで小町。これはあなたのためでもあるのよ」
四季様は何やら大仰に言う。
「私は公明正大でなければいけない身。特定の死神と夜に密会など」
「四季様、あたいの部屋でくらいそのキャラやめてもいいんですよ?」
あたいは四季様の言葉を無理矢理遮った。頭上にクエスチョンマークを出す四季様に、あたいは続けて言う。
「そのキャラ、わざと無理して作っているんでしょう? 地獄の最高裁判長として、絶対的なルールとなる存在として。でも、あたいの前では全く必要ないですよ」
四季様はあたいの言葉にぴたりと身体を止め、不思議そうにこちらを見てくる。その視線は徐々に悲しげとも不安げとも取れるものに変わっていった。
「四季様は無理をしすぎですよ。多くは語りませんが……。ここにはあたいと四季様しか居ません。だから、そんなキャラ作りは必要ないですよ」
四季様は何かを悟ったような目であたいを見つめてくる。あたいはその視線に笑顔で応えた。四季様は笑わない。しかし先ほどとは打って変わって、表情は柔らかく穏やかになった。あれだけの言葉で全て察してしまう辺り、やはりこの方はとても賢いんだと改めて思う。そんな四季様も、あたいは尊敬している。
「私はそんなに無理をしているかしら?」
「あたいにはそう見えますよ。コーヒーのことも、お酒のことも、お勘定のことも」
全て四季様の頑ななキャラ作りが入っているように、あたいは思えた。
「そう……。それならそうなのかもしれないですね」
四季様は少し考え込んだ後、決断したように顔を上げた。相変わらず決断が早い方だ。尊敬に値する。
「分かりました。あなたとのプライベートではできるだけこういうのをなくしていくよう努力します」
「あたいとのプライベートだけですか?」
「そうです」
肯定の言葉を聞いてあたいは嬉しくて心が躍るような気分になった。するとそれを察した四季様がすぐさま釘を刺す。
「優越感ですか。あまり感心しません」
「……四季様は厳しいですね。でもそんな四季様も素敵です」
「それはお世辞ですか?」
「本気で思っていますよ」
四季様はこちらを窺うように上目遣いをしてきた。そして何か理解したかのように視線を外して。
「そう……。なら信じましょう。他でもない、小町が言ってくれた言葉ですからね」
「それは含みのある言い方ですね」
「はっきり言いましょうか。あなたが私の一番の部下だと言ってるんです」
四季様は真っ直ぐにこちらを見据えてそう言った。あたいは少しだけ、開いた口が塞がらなかった。こういう発言を恥ずかしがらずにするところがまたかっこいいと思ってしまう。本当に、この方はどこまであたいを憧れさせるのだろう。
「それはすごく嬉しい言葉です。ついでに、あたいの想いも聞いてください」
あたいは四季様がしたように、真っ直ぐに四季様の目を見つめて。
「四季様は、あたいが尊敬する憧れの上司です」
四季様はとても眩しい笑顔を見せてくれた。
私も映姫様みたいな頼りになる上司が欲しいなぁ。
堅物キャラがデレると可愛いですよね
>>10 幻想郷では主従関係はあっても上司と部下の関係は少ないですよね
お話のほうも最高でした。