幽谷響子は汗を拭っていた。ここ数日はひどく暑く、夜でさえ摂氏35度を越えているという。
暑いときにはかき氷、そうめん、怪談話。人々は体を冷やすために様々な事をしてきた。そうでもしないと熱中症で死んでしまうからである。
しかしそれに歯向かうがごとき妖怪が2匹。黒いサングラスに目に優しくない衣装。
「今夜ももっと熱くしていくよーーーーーっ!!」
怒号のような叫びが山のふもとで鳴り響く。それに合わせてギャラリーの妖精や妖怪が歓声を上げる。
たちまち鳴り響く、耳を塞ぎたくなるような音で観客は体を震わす。それは冷えてきたからではない。
「暑さなんてもん!魂の熱でふっとばせ!!ヘイッ!!」
彼らの魂はここぞとなく高揚し、武者震いしていた。
本日の熱中症妖怪27名、一回休み妖精12匹。ゲリラライブは大成功を収めたのであった。
◇
「「かんぱ~い!!」」
カラン、とグラスどうしを合わせて氷を鳴らす。一気に飲み干し、ぷはぁ、と体の芯が急激に冷やされる快感を感じる。
「今回もよかったわね響子!」
「ミスティアのギターも最高だったよ!」
鳥獣伎楽。
最近世間を賑わすパンクロックバンドだ。そしてこの2妖怪がその構成員。
魔性の歌声を持つ夜雀のミスティア・ローレライと、音の反射と拡大はおまかせ山彦の幽谷響子。
彼女らがバンドを組んだのも至極単純な理由で、山にヤツメウナギを獲りに来ていたミスティアの歌声を響子がまねし、数秒の後、がっしりと手を組んだ、それだけだ。そしてなぜかパンクという音楽性を導いてしまった。
「そろそろ里への進出考えちゃう?」
「うーん、それはなぁ......」
ヤツメウナギを頬張りながら響子は思考する。それには訳がある。
「聖に怒られるもんなー」
命蓮寺の和尚、聖白蓮のことだ。命蓮寺で修行する響子は鳥獣伎楽のことを内緒にしている。
「でも、取材受けちゃわなかったっけ?」
「あ」
数日前に鴉天狗が取材を申し込んできたことを思い出す。確か射命丸とかいう天狗だった気がする。
うーん、とまたまた唸った後に出した結論は。
「命蓮寺は新聞取ってないし大丈夫じゃない?」
「そうなの?」
「うん。あ、そろそろ夜明けね」
「修行の時間が始まる~っと♪」
「洗濯お願いしていい?」
「いいわよー」
ミスティアは響子の汗にまみれた衣装を受け取る。べたべたするが、自身もそうなので気にしなかった。
「あー、面倒くさい」
そう言って響子はミスティアの屋台を出て命蓮寺へと向かった。
◇
最近響子は命蓮寺より鳥獣伎楽の方に重きを置いていた。
掃除しながら「ぎゃーてーぎゃーてー」と言っていたのが、今は気づいたら箒をマイクに見立て「うおおおおお」なんて言っている。それは鳥獣伎楽の方が楽しいからである。
ミスティアと叫び合っているパンクバンドの方が、自身のアイデンティティーを満たせているようで仕方がなかった。
「あ、おはよーございます!」
「おはようございます、響子」
聖が命蓮寺から出てくる。心なしか少しおめかししているように思える。
「どこか行かれるんですか?」
「ええ。ちょっと人里に」
「どんな御用で?」
「大した用ではありませんよ」
「ほほう。これですか」
響子はビッと小指を立てる。
うふふ、逆なうえに違います、という言葉とげんこつは同時だった。
頭が3つほどに割れたのではないかというほどの痛みにのたうちまわる。
「すみましぇ~ん......」
聖を怒らせたら怖い。命蓮寺の妖怪たちに言われる戒律の一つになっていた。
◇
「ほい、衣装洗っといたよ」
「ありがとー!おお、イイ匂い」
今夜も鳥獣伎楽のライブはある。響子は楽しみでしかたなかった。睡眠なんて妖怪だから取らなくてもいいし、ライブのおかげで妖力もみるみる満ちている。
衣装に袖を通しながらニコニコと微笑んでしまう。
「楽しそうだね」
「やっぱりそう見える?」
「うん。響子、ずっとニヤけてるもん」
「うへへ~。そういうミスティアこそ」
「あ、ばれた?実はファンだっていう妖怪がたくさん屋台に訪れるようになって繁盛してさー」
ミスティアは胸元に持ってきた手に、親指と人差し指で輪を作る。
お互い顔を見合わせ、ニヤリとする。
そしてミスティアが一言。
「これで、メンバーでも増やしちゃおっか!」
その日のライブは、いまいち盛り上がらずに終わった。
◇
ミスティアはイライラしていた。原因はハッキリしている。
「ちょっと響子!なんなの、今日のライブは!?」
そう、全ては幽谷響子のせい。
いつも通りにライブが始まり、いつも通りに魂を叫ぶ。ミスティアの方は順調だった。それどころか先の会話で心がさらに弾む気がしていた。
なのに響子は。
「突然シャウトを止めなんてして!」
それだけではない。シャウトしているものの響子から本当の叫びを感じられない。こんなんじゃ自分たちだけでなく、観客ともども盛り上がることができない。
だからミスティアは響子を責めた。
「響子、本当は叫ぶ必要ないなんて思ってないでしょうね」
その言葉に黙り込んでいた響子が反論する。
「違うよ!断じて違う!違うけど......」
語尾が下がる。自分でさえ、なんでそんな精神状態になっているか理解ができない。
「じゃあなんで!」
「分かんないわよ!」
短い言葉の応酬が続く。彼女らは基本的に頭が良いわけではない。感情的になればそれは幼い男子の言い争いのごときものになる。
「響子のバカ!!」
「もうミスティアなんて知らない!!」
ミスティアは自分がかけていたサングラスを響子に投げつける。
あ、と響子の口から細い息が漏れる。
そのままミスティアはどこかへ飛んで行ってしまった。
◆
『素晴らしい歌声ね。あなた名前は?』
『幽谷響子。山彦よ!』
『私はミスティア・ローレライ。ねえ、あなた私と音楽しない?』
――――――――――――――――――――――――――――――
『鳥獣伎楽ってどうかしら?私が鳥で、響子が獣だから』
『おお!採用!』
『それで音楽はパンク!』
『パンク?』
『魂を歌に合わせて叫ぶのよ!』
――――――――――――――――――――――――――――――
『これなんだろ?』
『黒い眼鏡?』
『ああ、それはサングラスというものさ』
『サングラス?』
『主に日光から目を守るものだけれど、最近ではおしゃれとしても使われるみたいだね』
『ふーん』
『ねえミスティア』
『なに響子?』
『鳥獣伎楽の結成記念、これにしようよ!』
『えー』
『ほら!』
『あ、かっこいい』
『ね?』
『しょうがないわねぇ。じゃあこれ2つ下さいな!』
『きゃー!ミスティアかっこいいわ!』
『これを着用している者だけが鳥獣伎楽。それでいいわね?』
『ええ!』
◆
「おはよう、ございます」
いつになく晴れた朝、命蓮寺ではいつものように山彦が掃き掃除をしている様子を見ることができる。
ただ、いつもと違うのは、響き渡る元気な声がないこと。
「あ、おはようございます、聖」
「響子、元気がありませんけどどうかしましたか?」
「いえ、別になんでもないです......」
「ライブで元気を使い果たしましたか?」
「!!?」
一瞬、響子の胸から心臓が飛び出そうになった。聖の目の前でわたわたと手を動かし、言葉を探すも、何も出てこない。
「響子、お話があります」
聖の目は据わっていた。
本堂に通された響子は毘沙門天像の見下ろす中、聖と向かい合っていた。
聖はまっすぐ響子を見つめ、響子はずっと下を向いている。
すうっと聖が大きく息を吸って、話し始めた。
「昨日、新聞を見ました。あなたは鳥獣伎楽というバンドを組んでいるらしいですね」
こくり、と響子はうなずく。
「あなたは修行の身。俗世に現をぬかすとはどういうことですか」
「ごめんな、さい......」
「それに、このような音楽はよくないと思います」
響子の心が深くえぐり取られる気がした。
よくないと思います。
何が?自分を示しちゃいけないの?よくわからない感情が大河のように流れ込む。
「すぐにこのミスティアという妖怪の元へ行って、解散を呈して来なさ......」
「うるさいわね!!!」
響子がシャウトした。本堂にグワングワンとその声がこだまする。
聖はそれに驚きつつも、反抗する門下生を何たるものかとはたこうとしたが、その手を寸でのところで止める。
響子が、泣いていたのだ。
「もう、もうミスティアなんて知らないの!!ミスティアなんて!ミスティアなんて......」
最後まで言えず、床にひれ伏すようにくずれ込む。大粒の涙が堂の床を伝う。
嗚咽混じりの涙を流しながら、響子は立ち上がると懐のサングラスを2つ取り出す。
「鳥獣伎楽は解散したのよ!!」
壊さんばかりに握りしめたサングラスを堂の床にたたきつける。が。
「やめなさい!」
その手を聖に強く握られ、サングラスは自由落下するだけだった。ことん、と2つの黒いサングラスは傷つくことなく床に落ちる。
しん、と堂に本来あるべき静寂が戻る。
「やめなさい」
再びの言葉に響子はぷっつり糸が切れたように聖に倒れこむ。
「ごめんね、ミスティア......ごめんねぇ......」
◇
それから、涙が収まった頃、響子は聖に全てを語った。
パンクによって自分が満たされること、サングラスを一緒に買ったこと、ミスティアという最高の相棒がいたこと、そして、そのミスティアと喧嘩したこと。
聖は目を閉じ静かにそのすべてを聞くと、響子をしっかり見据えた。
「私は音楽というものを知りません。ゆえにパンクとは何なのか、理解はできません」
「はい......」
「しかし、あなたがそれによって満たされているというのであれば止めることなどできませんわ」
「でも、騒音で迷惑がかかって......」
「では、誰もが認める幻想郷一のパンクバンドになればよいのです」
もっとも、あなたたちしかいませんけどね、と付け足す。
「だけど、もう......」
ふぅ、と聖はため息にも似た声を漏らす。聖自身気合いを入れなおすためだ。彼女は説法において一旦間を置くことで話に重要性を持たせる。
「命蓮寺訓法その一、最も重要なそれを、あなたは言えますね?」
響子はゆっくりうなずいて小さく声を漏らす。
「隣の人と人、妖と妖、人と妖を敬うべし」
命蓮寺が命蓮寺たる所以。
この寺の門を敲く者全てに教えること、教えていくこと。
「では、あなたはそれを破るのですか?」
ふるふると首を振る。髪と耳が揺れ、彼女の心を表しているようだった。
「お行きなさい」
「聖......」
「大丈夫です」
聖は目を細めると、響子を抱き寄せた。聖の懐かしい匂いが響子を包む。それはまさしく聖母だった。
「彼女の心に響くよう、存分に叫んできなさい」
聖から2つのサングラスを受け取ると、それを1つは懐に、もう1つは自分に掛けて立ち上がる。
響子にとって、サングラスは2つしかない。
◇
妖怪の山の中腹、その川にヤツメウナギがいるという事で、ミスティアはそこに仕掛けを作っていた。最近は屋台が繁盛し、ほぼ毎日ここへ来ている。
テキパキと慣れた手つきでヤツメウナギを籠に入れる。その時、ぬるりとヤツメウナギが手から滑り落ち、川へ逃げてしまった。慌ててつかみにかかるもすでに遠くへ。ミスティアはそれを茫然と眺めるしかなかった。
「響子のバカ......」
自分の手から滑り落ちたヤツメウナギが、まるであの山彦のように見えてしまった。
「なんでハッキリ言ってくれないのよ......」
響子が発言をためらった理由をミスティアは分からずにいた。いや、わかってはいた。だけど、確信を持てていなかった。
連日の炎天下で太陽がまぶしい。
すっ、と懐に手を入れて何かを取り出そうとする。
「あ......」
少し探って、感嘆の息を漏らす。
「そっか。投げ捨てちゃったんだ」
太陽を見上げると、それを睨んでヤツメウナギを収穫する作業に戻る。
私にとって鳥獣伎楽は遊びだったのかもしれない。ちょうど、響子という拡声器を手に入れて舞い上がっていたのだ。そう思おうとした、
「おはよーーーございまーーーーーーーす!!!」
その言葉を聞くまでは。
ミスティアはビクリと体を縮込ませたが、ゆっくり体の緊張を解いてやる。
声の主は崖の上。そこには、
「響子......?」
山彦がいた。
ただし、普通の山彦じゃない。目にきつい衣装で身を包み、マイクスタンド片手に堂々たる姿勢で立っている、無論サングラスを掛けて。
ミスティアはそれを見て腹の底から憤慨を感じていた。
「何よ!理由も言わないバカ響......」
「ごめーーーーーーん!!」
響子の声が、ミスティアの不満をかき消す。
崖までは距離がある。だけれど、渓谷で何度も音は反射され、何倍にも大きく聞こえた。
「私、ミスティアがメンバー増やさないかって言って、それで、あんななっちゃったのーーー!!」
呆気にとられるミスティアを見て、響子はさらに叫び続ける。
「ミスティアはメンバー増やしたいかもしれないけど!!」
響子はサングラスを掲げる。響子のではない、相棒の。
「私はミスティアだけとパンクやりたい!!」
逆光が響子を照らし続ける。
「だって私たち、“鳥”“獣”伎楽じゃない!!」
終いに最大級のシャウトをお見舞いする。
「ミスティアーーー!!大好きーーーーーーーーーー!!」
魂を全て出し尽くした。いまだに渓谷を挟む川に響子の声が響いている気がした。
声に同調して水面が揺れる、木の葉が舞う、風が囃す。
ああ、そうよ。私は、この声に惚れて響子を音楽へ誘ったんじゃない。
ミスティアの中のわだかまりが瓦解した、響子の魂の叫びによって。
「きょーーーこーーーーーーーー!!」
叫びながら、一直線に響子の元へ羽を動かす。今までにないくらいの速さで飛んでいるんじゃないかと我ながら思ってしまう。
嬉しそうに口を開ける響子に向かって、
「バカじゃないの!!?」
思いっきり蹴りを入れる。
ごはっ、と響子が何メートルか吹っ飛ぶ。
「な、なにするのよ!?」
「こっちのセリフ!そんなつまんない理由で悩んでたの!?」
「つ、つまんないって!私にとっては死活問題だったのよ!?」
「あんなの冗談に決まってるわ!!」
へ?とみっともない声が響子から漏れる。
「そうじゃなきゃ鳥獣伎楽なんてつけないでしょ?」
「い、言われてみれば、名づけの親はミスティア」
みるみる響子の立場が弱くなる。せっかくかっこよくミスティアと仲直りしようと思ったのに、とがっくりと項垂れる。
ミスティアはそれを見て大きなため息を一回ついて、手を差し出した。
「こっちこそごめん。私のサングラスちょうだい。響子」
◇
文々。新聞より抜粋。
-幻想郷唯一のパンクバンド「鳥獣伎楽」は、先日の人里進出ライブを大成功に収め、今後も勢いは衰えないと思われる。彼女らの魅力は魔性の歌声のミスティア・ローレライ(夜雀)を幽谷響子(山彦)が引き立てていることだ。彼女らの叫びは何者からも解放された自由を勝ち取ったような強さを感じる。きっとこの2人だからできることだろう-
◇
「おめでとうございます、響子」
「わー!ありがとうございます!」
控え室で聖白蓮から大きな花束を受け取り、響子はそれを抱きかかえる。いい匂いが鼻腔をつく。
「あなたがミスティアさんね」
「初めましてー」
ミスティアと聖は軽く握手を済ます。
人里進出ライブを終えた2人は汗まみれだったが、清々しさの方が勝っていた。
「響子、あなたは私の言ったことを見事に成し遂げました。すばらいいです」
「えっへん!」
「だからと言って調子に乗ってはいけません。響子が成功したのも」
「わかってますよ!ミスティアのおかげです!」
「え?」
いきなり話題に入れられ素っ頓狂な声を上げる。恥ずかしそうにミスティアは、いやー、と頭をかく。
その古臭い仕草に2人が笑い、控え室は笑みに満ちる。
それから少し談笑して、聖は帰って行った。
聖を見送ると、響子は控え室のドアをきちんと閉め、ミスティアを振り返った。
「ミスティア、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう。響子」
慣れない言動にちょっとだけ沈黙が走る。
「あ、あのさミスティア」
「な、何かしら?」
響子が頬を赤らめる。汗に濡れているためか、その響子にドキッとする。
「崖で言ったこと覚えてる?」
「えっと、どれ?」
「あの......」
もじもじと手も身をして、視線を下に移したりミスティアを見つめたりと、響子もミスティアも落ち着けない状況が完成する。
「覚えてないわ」
「えっ!?」
響子が矢にでも打たれたような顔をする。
「だって私鳥頭だもん」
「そ、そうだよね......」
目にはっきり分かるほど響子は肩を落とし、ふらふらとソファに倒れこもうとする。
だが、その肩をミスティアはしっかりと掴むと、真剣な目で響子を見つめた。
「だから、もっかい言って。響子」
「............、はい」
大好きです、ミスティア。
私もよ、響子。
[終]
暑いときにはかき氷、そうめん、怪談話。人々は体を冷やすために様々な事をしてきた。そうでもしないと熱中症で死んでしまうからである。
しかしそれに歯向かうがごとき妖怪が2匹。黒いサングラスに目に優しくない衣装。
「今夜ももっと熱くしていくよーーーーーっ!!」
怒号のような叫びが山のふもとで鳴り響く。それに合わせてギャラリーの妖精や妖怪が歓声を上げる。
たちまち鳴り響く、耳を塞ぎたくなるような音で観客は体を震わす。それは冷えてきたからではない。
「暑さなんてもん!魂の熱でふっとばせ!!ヘイッ!!」
彼らの魂はここぞとなく高揚し、武者震いしていた。
本日の熱中症妖怪27名、一回休み妖精12匹。ゲリラライブは大成功を収めたのであった。
◇
「「かんぱ~い!!」」
カラン、とグラスどうしを合わせて氷を鳴らす。一気に飲み干し、ぷはぁ、と体の芯が急激に冷やされる快感を感じる。
「今回もよかったわね響子!」
「ミスティアのギターも最高だったよ!」
鳥獣伎楽。
最近世間を賑わすパンクロックバンドだ。そしてこの2妖怪がその構成員。
魔性の歌声を持つ夜雀のミスティア・ローレライと、音の反射と拡大はおまかせ山彦の幽谷響子。
彼女らがバンドを組んだのも至極単純な理由で、山にヤツメウナギを獲りに来ていたミスティアの歌声を響子がまねし、数秒の後、がっしりと手を組んだ、それだけだ。そしてなぜかパンクという音楽性を導いてしまった。
「そろそろ里への進出考えちゃう?」
「うーん、それはなぁ......」
ヤツメウナギを頬張りながら響子は思考する。それには訳がある。
「聖に怒られるもんなー」
命蓮寺の和尚、聖白蓮のことだ。命蓮寺で修行する響子は鳥獣伎楽のことを内緒にしている。
「でも、取材受けちゃわなかったっけ?」
「あ」
数日前に鴉天狗が取材を申し込んできたことを思い出す。確か射命丸とかいう天狗だった気がする。
うーん、とまたまた唸った後に出した結論は。
「命蓮寺は新聞取ってないし大丈夫じゃない?」
「そうなの?」
「うん。あ、そろそろ夜明けね」
「修行の時間が始まる~っと♪」
「洗濯お願いしていい?」
「いいわよー」
ミスティアは響子の汗にまみれた衣装を受け取る。べたべたするが、自身もそうなので気にしなかった。
「あー、面倒くさい」
そう言って響子はミスティアの屋台を出て命蓮寺へと向かった。
◇
最近響子は命蓮寺より鳥獣伎楽の方に重きを置いていた。
掃除しながら「ぎゃーてーぎゃーてー」と言っていたのが、今は気づいたら箒をマイクに見立て「うおおおおお」なんて言っている。それは鳥獣伎楽の方が楽しいからである。
ミスティアと叫び合っているパンクバンドの方が、自身のアイデンティティーを満たせているようで仕方がなかった。
「あ、おはよーございます!」
「おはようございます、響子」
聖が命蓮寺から出てくる。心なしか少しおめかししているように思える。
「どこか行かれるんですか?」
「ええ。ちょっと人里に」
「どんな御用で?」
「大した用ではありませんよ」
「ほほう。これですか」
響子はビッと小指を立てる。
うふふ、逆なうえに違います、という言葉とげんこつは同時だった。
頭が3つほどに割れたのではないかというほどの痛みにのたうちまわる。
「すみましぇ~ん......」
聖を怒らせたら怖い。命蓮寺の妖怪たちに言われる戒律の一つになっていた。
◇
「ほい、衣装洗っといたよ」
「ありがとー!おお、イイ匂い」
今夜も鳥獣伎楽のライブはある。響子は楽しみでしかたなかった。睡眠なんて妖怪だから取らなくてもいいし、ライブのおかげで妖力もみるみる満ちている。
衣装に袖を通しながらニコニコと微笑んでしまう。
「楽しそうだね」
「やっぱりそう見える?」
「うん。響子、ずっとニヤけてるもん」
「うへへ~。そういうミスティアこそ」
「あ、ばれた?実はファンだっていう妖怪がたくさん屋台に訪れるようになって繁盛してさー」
ミスティアは胸元に持ってきた手に、親指と人差し指で輪を作る。
お互い顔を見合わせ、ニヤリとする。
そしてミスティアが一言。
「これで、メンバーでも増やしちゃおっか!」
その日のライブは、いまいち盛り上がらずに終わった。
◇
ミスティアはイライラしていた。原因はハッキリしている。
「ちょっと響子!なんなの、今日のライブは!?」
そう、全ては幽谷響子のせい。
いつも通りにライブが始まり、いつも通りに魂を叫ぶ。ミスティアの方は順調だった。それどころか先の会話で心がさらに弾む気がしていた。
なのに響子は。
「突然シャウトを止めなんてして!」
それだけではない。シャウトしているものの響子から本当の叫びを感じられない。こんなんじゃ自分たちだけでなく、観客ともども盛り上がることができない。
だからミスティアは響子を責めた。
「響子、本当は叫ぶ必要ないなんて思ってないでしょうね」
その言葉に黙り込んでいた響子が反論する。
「違うよ!断じて違う!違うけど......」
語尾が下がる。自分でさえ、なんでそんな精神状態になっているか理解ができない。
「じゃあなんで!」
「分かんないわよ!」
短い言葉の応酬が続く。彼女らは基本的に頭が良いわけではない。感情的になればそれは幼い男子の言い争いのごときものになる。
「響子のバカ!!」
「もうミスティアなんて知らない!!」
ミスティアは自分がかけていたサングラスを響子に投げつける。
あ、と響子の口から細い息が漏れる。
そのままミスティアはどこかへ飛んで行ってしまった。
◆
『素晴らしい歌声ね。あなた名前は?』
『幽谷響子。山彦よ!』
『私はミスティア・ローレライ。ねえ、あなた私と音楽しない?』
――――――――――――――――――――――――――――――
『鳥獣伎楽ってどうかしら?私が鳥で、響子が獣だから』
『おお!採用!』
『それで音楽はパンク!』
『パンク?』
『魂を歌に合わせて叫ぶのよ!』
――――――――――――――――――――――――――――――
『これなんだろ?』
『黒い眼鏡?』
『ああ、それはサングラスというものさ』
『サングラス?』
『主に日光から目を守るものだけれど、最近ではおしゃれとしても使われるみたいだね』
『ふーん』
『ねえミスティア』
『なに響子?』
『鳥獣伎楽の結成記念、これにしようよ!』
『えー』
『ほら!』
『あ、かっこいい』
『ね?』
『しょうがないわねぇ。じゃあこれ2つ下さいな!』
『きゃー!ミスティアかっこいいわ!』
『これを着用している者だけが鳥獣伎楽。それでいいわね?』
『ええ!』
◆
「おはよう、ございます」
いつになく晴れた朝、命蓮寺ではいつものように山彦が掃き掃除をしている様子を見ることができる。
ただ、いつもと違うのは、響き渡る元気な声がないこと。
「あ、おはようございます、聖」
「響子、元気がありませんけどどうかしましたか?」
「いえ、別になんでもないです......」
「ライブで元気を使い果たしましたか?」
「!!?」
一瞬、響子の胸から心臓が飛び出そうになった。聖の目の前でわたわたと手を動かし、言葉を探すも、何も出てこない。
「響子、お話があります」
聖の目は据わっていた。
本堂に通された響子は毘沙門天像の見下ろす中、聖と向かい合っていた。
聖はまっすぐ響子を見つめ、響子はずっと下を向いている。
すうっと聖が大きく息を吸って、話し始めた。
「昨日、新聞を見ました。あなたは鳥獣伎楽というバンドを組んでいるらしいですね」
こくり、と響子はうなずく。
「あなたは修行の身。俗世に現をぬかすとはどういうことですか」
「ごめんな、さい......」
「それに、このような音楽はよくないと思います」
響子の心が深くえぐり取られる気がした。
よくないと思います。
何が?自分を示しちゃいけないの?よくわからない感情が大河のように流れ込む。
「すぐにこのミスティアという妖怪の元へ行って、解散を呈して来なさ......」
「うるさいわね!!!」
響子がシャウトした。本堂にグワングワンとその声がこだまする。
聖はそれに驚きつつも、反抗する門下生を何たるものかとはたこうとしたが、その手を寸でのところで止める。
響子が、泣いていたのだ。
「もう、もうミスティアなんて知らないの!!ミスティアなんて!ミスティアなんて......」
最後まで言えず、床にひれ伏すようにくずれ込む。大粒の涙が堂の床を伝う。
嗚咽混じりの涙を流しながら、響子は立ち上がると懐のサングラスを2つ取り出す。
「鳥獣伎楽は解散したのよ!!」
壊さんばかりに握りしめたサングラスを堂の床にたたきつける。が。
「やめなさい!」
その手を聖に強く握られ、サングラスは自由落下するだけだった。ことん、と2つの黒いサングラスは傷つくことなく床に落ちる。
しん、と堂に本来あるべき静寂が戻る。
「やめなさい」
再びの言葉に響子はぷっつり糸が切れたように聖に倒れこむ。
「ごめんね、ミスティア......ごめんねぇ......」
◇
それから、涙が収まった頃、響子は聖に全てを語った。
パンクによって自分が満たされること、サングラスを一緒に買ったこと、ミスティアという最高の相棒がいたこと、そして、そのミスティアと喧嘩したこと。
聖は目を閉じ静かにそのすべてを聞くと、響子をしっかり見据えた。
「私は音楽というものを知りません。ゆえにパンクとは何なのか、理解はできません」
「はい......」
「しかし、あなたがそれによって満たされているというのであれば止めることなどできませんわ」
「でも、騒音で迷惑がかかって......」
「では、誰もが認める幻想郷一のパンクバンドになればよいのです」
もっとも、あなたたちしかいませんけどね、と付け足す。
「だけど、もう......」
ふぅ、と聖はため息にも似た声を漏らす。聖自身気合いを入れなおすためだ。彼女は説法において一旦間を置くことで話に重要性を持たせる。
「命蓮寺訓法その一、最も重要なそれを、あなたは言えますね?」
響子はゆっくりうなずいて小さく声を漏らす。
「隣の人と人、妖と妖、人と妖を敬うべし」
命蓮寺が命蓮寺たる所以。
この寺の門を敲く者全てに教えること、教えていくこと。
「では、あなたはそれを破るのですか?」
ふるふると首を振る。髪と耳が揺れ、彼女の心を表しているようだった。
「お行きなさい」
「聖......」
「大丈夫です」
聖は目を細めると、響子を抱き寄せた。聖の懐かしい匂いが響子を包む。それはまさしく聖母だった。
「彼女の心に響くよう、存分に叫んできなさい」
聖から2つのサングラスを受け取ると、それを1つは懐に、もう1つは自分に掛けて立ち上がる。
響子にとって、サングラスは2つしかない。
◇
妖怪の山の中腹、その川にヤツメウナギがいるという事で、ミスティアはそこに仕掛けを作っていた。最近は屋台が繁盛し、ほぼ毎日ここへ来ている。
テキパキと慣れた手つきでヤツメウナギを籠に入れる。その時、ぬるりとヤツメウナギが手から滑り落ち、川へ逃げてしまった。慌ててつかみにかかるもすでに遠くへ。ミスティアはそれを茫然と眺めるしかなかった。
「響子のバカ......」
自分の手から滑り落ちたヤツメウナギが、まるであの山彦のように見えてしまった。
「なんでハッキリ言ってくれないのよ......」
響子が発言をためらった理由をミスティアは分からずにいた。いや、わかってはいた。だけど、確信を持てていなかった。
連日の炎天下で太陽がまぶしい。
すっ、と懐に手を入れて何かを取り出そうとする。
「あ......」
少し探って、感嘆の息を漏らす。
「そっか。投げ捨てちゃったんだ」
太陽を見上げると、それを睨んでヤツメウナギを収穫する作業に戻る。
私にとって鳥獣伎楽は遊びだったのかもしれない。ちょうど、響子という拡声器を手に入れて舞い上がっていたのだ。そう思おうとした、
「おはよーーーございまーーーーーーーす!!!」
その言葉を聞くまでは。
ミスティアはビクリと体を縮込ませたが、ゆっくり体の緊張を解いてやる。
声の主は崖の上。そこには、
「響子......?」
山彦がいた。
ただし、普通の山彦じゃない。目にきつい衣装で身を包み、マイクスタンド片手に堂々たる姿勢で立っている、無論サングラスを掛けて。
ミスティアはそれを見て腹の底から憤慨を感じていた。
「何よ!理由も言わないバカ響......」
「ごめーーーーーーん!!」
響子の声が、ミスティアの不満をかき消す。
崖までは距離がある。だけれど、渓谷で何度も音は反射され、何倍にも大きく聞こえた。
「私、ミスティアがメンバー増やさないかって言って、それで、あんななっちゃったのーーー!!」
呆気にとられるミスティアを見て、響子はさらに叫び続ける。
「ミスティアはメンバー増やしたいかもしれないけど!!」
響子はサングラスを掲げる。響子のではない、相棒の。
「私はミスティアだけとパンクやりたい!!」
逆光が響子を照らし続ける。
「だって私たち、“鳥”“獣”伎楽じゃない!!」
終いに最大級のシャウトをお見舞いする。
「ミスティアーーー!!大好きーーーーーーーーーー!!」
魂を全て出し尽くした。いまだに渓谷を挟む川に響子の声が響いている気がした。
声に同調して水面が揺れる、木の葉が舞う、風が囃す。
ああ、そうよ。私は、この声に惚れて響子を音楽へ誘ったんじゃない。
ミスティアの中のわだかまりが瓦解した、響子の魂の叫びによって。
「きょーーーこーーーーーーーー!!」
叫びながら、一直線に響子の元へ羽を動かす。今までにないくらいの速さで飛んでいるんじゃないかと我ながら思ってしまう。
嬉しそうに口を開ける響子に向かって、
「バカじゃないの!!?」
思いっきり蹴りを入れる。
ごはっ、と響子が何メートルか吹っ飛ぶ。
「な、なにするのよ!?」
「こっちのセリフ!そんなつまんない理由で悩んでたの!?」
「つ、つまんないって!私にとっては死活問題だったのよ!?」
「あんなの冗談に決まってるわ!!」
へ?とみっともない声が響子から漏れる。
「そうじゃなきゃ鳥獣伎楽なんてつけないでしょ?」
「い、言われてみれば、名づけの親はミスティア」
みるみる響子の立場が弱くなる。せっかくかっこよくミスティアと仲直りしようと思ったのに、とがっくりと項垂れる。
ミスティアはそれを見て大きなため息を一回ついて、手を差し出した。
「こっちこそごめん。私のサングラスちょうだい。響子」
◇
文々。新聞より抜粋。
-幻想郷唯一のパンクバンド「鳥獣伎楽」は、先日の人里進出ライブを大成功に収め、今後も勢いは衰えないと思われる。彼女らの魅力は魔性の歌声のミスティア・ローレライ(夜雀)を幽谷響子(山彦)が引き立てていることだ。彼女らの叫びは何者からも解放された自由を勝ち取ったような強さを感じる。きっとこの2人だからできることだろう-
◇
「おめでとうございます、響子」
「わー!ありがとうございます!」
控え室で聖白蓮から大きな花束を受け取り、響子はそれを抱きかかえる。いい匂いが鼻腔をつく。
「あなたがミスティアさんね」
「初めましてー」
ミスティアと聖は軽く握手を済ます。
人里進出ライブを終えた2人は汗まみれだったが、清々しさの方が勝っていた。
「響子、あなたは私の言ったことを見事に成し遂げました。すばらいいです」
「えっへん!」
「だからと言って調子に乗ってはいけません。響子が成功したのも」
「わかってますよ!ミスティアのおかげです!」
「え?」
いきなり話題に入れられ素っ頓狂な声を上げる。恥ずかしそうにミスティアは、いやー、と頭をかく。
その古臭い仕草に2人が笑い、控え室は笑みに満ちる。
それから少し談笑して、聖は帰って行った。
聖を見送ると、響子は控え室のドアをきちんと閉め、ミスティアを振り返った。
「ミスティア、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう。響子」
慣れない言動にちょっとだけ沈黙が走る。
「あ、あのさミスティア」
「な、何かしら?」
響子が頬を赤らめる。汗に濡れているためか、その響子にドキッとする。
「崖で言ったこと覚えてる?」
「えっと、どれ?」
「あの......」
もじもじと手も身をして、視線を下に移したりミスティアを見つめたりと、響子もミスティアも落ち着けない状況が完成する。
「覚えてないわ」
「えっ!?」
響子が矢にでも打たれたような顔をする。
「だって私鳥頭だもん」
「そ、そうだよね......」
目にはっきり分かるほど響子は肩を落とし、ふらふらとソファに倒れこもうとする。
だが、その肩をミスティアはしっかりと掴むと、真剣な目で響子を見つめた。
「だから、もっかい言って。響子」
「............、はい」
大好きです、ミスティア。
私もよ、響子。
[終]
幻想郷一のパンクバンド、いいですねぇ