朝、ゴミで埋め立てられた東京湾の上――つまるところお台場である――に私たちは座り込んでいた。
直射日光は私の自慢の一つである白い肌にメラミンを増殖させんと容赦無く照りつけ、滴る汗が日焼け止めを流し去っていく。
……無理。私、レティ・ホワイトロックは本来モノローグを垂れ流す立場であるヤマメほど回りくどい思考回路をしていない。
なぜ私がこうしてモノローグを語っているのか、なぜ初っ端からこんなにメタな地の文から始まるのかというと、一言で言えばここに黒谷ヤマメはいないのだ。
私と、それとキスメと文だけがこうして朝早くからコミケの列に並んでいて、残りのメンバーは多分今頃ディズ○ーシーだ。
ちなみにアリスの姉の一人、マイはサークル参加のためコミケ組だがここにはいない。
これなら売り子として連れていってもらったほうがよかったかもしれない。
多少の苦労は覚悟していたものの……暑い、とにかく暑い。
北国生まれの北国育ち、日照りを嫌い雪を愛してやまない私にはこの開場待ちの時間は拷問にも等しい。
汗で衣服が張り付いてブラ線が透けているのだが、男性陣の視線というものはどうにかならないものだろうか。
あまりの混雑にアンテナが1本しか立っていない携帯でTwi○terを開く。
「コミケ」「巨乳」「色白」「ブラ線」この4単語を含んだつぶやきを検索するだけで私に関する内容がゴマンとある。
美少女とか言ってくれるのは嬉しいが、あんまりそういう目で見るのはやめていただきたい。
見る方は大好きなのだが、これからはもう少し控えるようにしよう。
「文ちゃん、そこじゃなくて角狙って角」
「了解です!くらえー!」
キスメと文はモン○ンで時間を潰している。
さっきまでは私もやっていたのだが、どうもこの手のゲームは苦手で面白いようにやられるので諦めて電源を切った。
キスメも私もゲームは好きだが、好きなジャンルが全く違うためあまり一緒にプレイしたことはない。
RPGやアクションゲームを好む女性は多いが、ギャルゲー好きというのはあまり見たことがないのが寂しいばかりだ。
そのため、確かに嫌がるものの勧めたゲームは大体プレイしてくれるヤマメは私にとって貴重な友人だ。
最近はHシーンのCGを脳内フィルタでシャットアウトする術を会得したらしい。
どうも私が予想していた方向とは別の方向に順応している気がする。
そして、もう一人のルームメイトであるアリスはそもそも私の勧めるゲームをやってくれない。
ジャンルがジャンルだけにこれは仕方が無いことだが……。
「お、そろそろじゃない?」
キスメがそう言って顔を上げるのと時を同じくして列を整えていた係の人が何かを叫ぶが、周囲の喧騒がそれをかき消す。
だが聞かずともそれが何を意味するかはわかる。
時計の針は午前十時――開戦だ。
「はあ~暑かったですねえ。早く肌着を替えたいです」
「ちゃんと更衣室で着替えてよね。トイレなんかで着替えたら大目玉喰らうわよ」
「やりませんってそんな下品な。私だってレディなんですよ?」
なんだかんだで物分りの良い文である。
それにしても、普段から人の寝相は盗撮するわ風呂は覗くわと品性の問われることばかりしている文に下品と言われてしまう人たちも可哀想な気がしないでもない。
もっともその行為は顰蹙を買ってしかるべきものであるが。
さて、様々なアニメやゲームの衣装入り乱れる更衣室に到着。
私達は別にコスプレをするわけではないので手短に着替えを済ませてしまおう。
汗に濡れた肌着を取り替える用途で更衣室を利用する人は決して少なくないが、そういう人がここの利用料金を払うかどうかは本人に委ねられている。
せっかくなので料金は支払うこととした。
どうもこういう情に訴えるというか相手を試しているかのようなものには乗りたくなってしまうのだが、どこかドライな文は支払うことなくさっさと着替えを済ませてしまった。
別に構わないのだが、やっぱり少し寂しいような。
私も着替えを済ませるといよいよ出陣だ。
とにかく人、人、人。
ニイタカヤマノボレですかと突っ込む文はさておいて、さすがに開場直後は混んでいる。
昼過ぎに行けば長時間の入場待ちも緩和されていたかもしれないが、そうもいかない事情があるのだ。
「さて、蒼神○起買いに行くわよ!」
「らじゃー!」
珍しく私とキスメが同時に興味を持ったゲームがある。
それがこれだ。
――十数日前、私がたまたま放置していた夏コミのカタログをキスメが手に取り読んでいた。
すると気になったものでもあったのか携帯で詳細を検索し、お気に召したか私に見せてきた。
「これ!これ欲しいけど私も夏コミついてっていい!?」
――幻想郷には、夏の厳しい日差しが降り注いでいた――(公式HPより)
そう銘打たれた二次創作RPG、ロマ○ガ風と謳われるこのゲームに私も少なからず興味を持った。
東方○ッカーの制作サークルの協力作品というのも興味深い。
RPGはあまりやらない私だが、直感的にこれは流行るという予感がしたので一緒に買うことにしたのだ。
正直なところ、私は委託販売待ちでもよかったのだが……キスメがぜひ並んで買おうと主張したのでこうして我々は人混みの中にいるのである。
まあ同人ゲームはそれでもいいが、コンシューマーゲームまでそんなことをしなくても良いのではないか。
なぜかAmaz○nでフラゲすることを断固として拒否するキスメはハードだけでなくソフトまで朝から電気屋に並んで買うことを信条としている。
当時はネット通販なんてものはなかったが、こういう人がいるからド○クエは平日に発売しなくなったのだろうなとつくづく思う。
そんなことをつらつらと並べ立てる私をよそに、文が通りかかるレイヤーをカメラに収めようとウズウズしている。
「コスプレ広場にはまだいかないんですか!?用事があるなら早いところ済ませてしまいましょうよ」
「と言ってもねえ……」
これでも目一杯急いでいるのだが、如何せん人が多すぎて進みようがない。
人の流れに乗じてようやくサークル場所まで辿りついてもそこは大手、なかなかに長い列ができている。
まともに携帯の電波が入る保証も無いので別行動も避けたいところだし、もう少し文には我慢してもらおう。
あやーと独特のため息をつく彼女をなだめつつ私たちは今日何度目かの順番待ちに精を出すのであった。
――ようやく一段落ついた。
小腹のすく時間帯、私たちはコスプレ広場で一息ついていた。
否、一息などつけはしない。
四方八方で鳴り響くシャッター音。
その根源たるカメラや携帯を構えた人々で周囲は息苦しいまでの熱気に満ちている。
もちろん我が友人射命丸文はその中に混じっており、心なしか他人よりシャッターボタンを押す速度が2割は速く見える。
水を得た魚、野に放たれた鷹のように活き活きとする彼女を見ていれば我々の心にも潤いが与えられるかといえばそうでもない。
これを聞いたら彼女は『私は魚でも鷹でもなく鴉ですから』とメタなツッコミを入れるかもしれないが、それよりも動体視力の限界を超えた連射を可能にする文の指に私とキスメはドン引きを隠せない。
ツッコミを入れに来たか雰囲気を感じ取ったか文がこちらに戻ってきた。
ただしカメラは構えたまま。
「ふっふっふ……どうです?よく撮れてるでしょう」
「おー綺麗……ってこれ機能ヤマメにファインダー駄目にされたやつじゃん。直したの?」
「よくぞ聞いてくれました!私ほどの腕前になればファーンダーを除く必要などありません!心眼で撮るのですよ……!」
話半分に聞き流し文の手からデジタル一眼レフを奪い取る。
プレビューを見ると、案の定同じ構図のピンぼけ写真が大量にあった。
これを表示している液晶でおおよそのピントは合うし、後はすこしずつピントをずらしながら連写していたのだろう。
そう考えればやたらシャッターボタンを連打していたのも納得が行く。
「心眼とはよく言ったものね~」
「ひどいです……返して下さいよう……」
フッ化水素酸に侵されすりガラス状態のファインダーに哀悼の意を表し文にカメラを返却する。
ガラスではなく樹脂系の何かなのだろうか、私の知っているHFのガラス腐食実験のものより侵され具合がひどい。
ヤマメも随分過激なことをやってくれたものだ。
実際のところ過激なことばかりを好んでやっている節があるが。
先日は自家製の打ち上げ花火を作っていたが、見つかると警察のお世話になるとアリスに止められていた。
家宅捜索など入った暁には彼女はオーバーキルになりかねないだけの懲役刑を喰らうだろう。
一周回って心配する気が起きないほどの大量のヤバ気な薬物のストックは時折てゐによって秘密裏に処分されている。
有害物質のオンパレードを無害なレベルまで処理するその試薬もヤマメの私物を使っているため、しばしば彼女が塩酸がないアセトンがないと騒いでいる姿が見受けられる。
てゐにあれらの適切な処理ができるとは思えないが……恐らく友人の鈴仙に任せているのだろう。
腐れ縁に面倒事を押し付けられる薄幸の主席には同情を禁じ得ないがあいにく苦情は受け付けていない。
ヤマメが鼻歌(主にホー○ス選手の応援歌)交じりに実験する姿は見ているこちらがニヤつきそうな代物であり、その邪魔をするなど何人たりとも許されない。
毎回文が仕掛けたカメラで録画されたその映像は私のPCのハードディスクの半分近くを占領し、外付けHDDにまで勢力を伸ばしている。
もちろんHDD代も馬鹿にならないのだが……。
「ねえレティ、あの娘……」
「あ、やっぱり気になるわよね~」
私達の視線は人だかりの先、わずかにその横顔が見え隠れする少女に注がれていた。
西洋系の美貌、純白の肌、赤い髪。
そして何より肌の露出を控えた本来の用途にかなったメイド服。
間違いない、VIVITだ。
「君かわいいねえ!」
「あ、ありがとうございます!」
「ねえ、俺と向こうで話さない?」
「えっ、あの……それは……」
やっぱりナンパされてる。
世間知らずの節がある彼女は何を思ってここに来たのだろうか。
それにしても、こんな場所にもかの輩はいるものなのか。
辟易とするもまずは助けてやるかとトーンを上げて話しかける。
「おーい、VIV~!」
「あ、えーと……ホワイトロックさん、でしたっけ?昨日はどうも」
皆まで言わせず素早く詰め寄り小声で話しかける。
(そんな丁寧じゃなくていい、馴れ馴れしいくらいでいいから適当に話を合わせて!)
(……?)
意味をわかりかねているのか頭上にクエスチョンマークを浮かべるVIVIT。
ああもうどうして察しが悪いのか。
仕方ない、後は流れでこちらに引っ張り込もう。
立ち会いは強めでお願いします。
「何してるのVIV、行くわよ~。ごめんね、この子私達の連れだから……」
「でも、岡崎教授にここに行って来いと……」
「少しは空気読みなさいよ!」
ダメだこりゃ。
ロボットには場の空気を読む機能というのはついていないのだろうか。
嘆息する私にナンパ男が怒ったような口調で話しかけてくる。
「知り合いなのかは知らないけど、この娘は動く気ないんだろ?ほらどいたどいた」
突慳貪な言い回しに広場は険悪なムードに包まれる。
これでは彼はますます悪者扱いされるだけだと思うのだが。
しかし味方はいないかとあたりを軽く見回すも、キスメは野次馬に混ざって触らぬ神に祟りなしを決め込んでいるし文はカメラを構えて始終を収めるのに忙しそうだ。
他の面々も静観を決め込んでいて助太刀は望めそうになさそうだ。
こうなっては仕方ない、恥ずかしいがギャラリーを味方につける作戦を展開しよう。
静かに、芝居がかった口調でナンパ男に返事をする。
「……そうね、私も彼女と知り合いかなんてどうでもいいわ。ただ彼女は困ってるし、ここはナンパする場所じゃあない」
「困ってるかどうかなんてお前が決めることじゃ」
「あら、私はその後に『ここはナンパする場所じゃない』って続けたけど?言葉尻を捉えたってそれは反論の理由にはならないわ」
屁理屈を並べ立てられる前に相手の言葉を遮る。
もはやナンパ男は完全に小悪党キャラとして周囲に認識された。
周りはリア充爆発しろだとか、DQNを一度ぎゃふんと言わせてやりたいとか日頃考えている連中が大半だ。
彼に味方するものなど誰もいまい。
精神的袋小路の状況にトチ狂ったか、苦し紛れに叫びだすナンパ男。
「クソッ!何様のつもりだ!」
その言葉を待っていた。
愚かなものよ、自分から噛ませ犬を演じてくれるとは。
尻尾を巻いて逃げ出せとばかりに私は1分ほど前から温めていた決め台詞を口にする。
「……弱気を助け、強気をくじく……最強の矛をも殴り飛ばす最強の盾であれ……」
元ネタがわかった連中が息を呑むその最中、最後の一言がウインクと共に放たれる。
「……正義の味方よ」
――決まった。
人生で一度は言ってみたい台詞脳内ランキング第1位をここまで自然に言い放つことができるとは。
一般の場で行ってしまえばただの痛い人だがここは夏コミ2日目、ネタもわかってくれるしこういう展開は得てして大きな効果を生む。
パチパチパチ……と拍手の音がすぐそばから聞こえた。
拍手の主はVIVIT、今回は空気を読んだといえるのかいえないのか……。
なんせ劇を見ているかのごとく他人ごとである。
ともかく彼女が始めた拍手は次第に周囲に広まっていき、最後にはコスプレ広場全体を包み込んだ。
さすがに臆したナンパ男がこの場を去るとさらに拍手は強まり、ちょっとしたヒロイン気分である。
ものすごく恥ずかしいのはさておいて、私に向かってカメラのシャッターを切るのはやめていただけないだろうか。
どうせネットにアップするんだろう。
私は変なところで有名人になる気はさらさらないというのに。
大袈裟すぎるほうがうまくいくと思ったが、さすがにやりすぎたか。
そそくさとVIVITの手を引いて人だかりを離れるとキスメが駆け寄ってきた。
「レティちゃんかっこよかったよ!すごいすごい!」
「ん~慣れないことをすると肩が凝るわね~……」
VIVITが話を合わせてくれれば事を荒立てずに済んだしこんな苦労もしなくてよかったのだが……。
ついさっきまではいい気分だったが今は羞恥の念しかない。
なにはともあれ、もうここで立ち止まっている必要もない、さっさと文を回収して別の場所に行こう。
未だにカメラを構え続ける文と事態を飲み込めていないVIVITを両手に引きずり、私たちはコスプレ広場を後にした。
「……うわあスレ立ってる。ブログにまとめられちゃうのかしら~……」
「世の中プライバシーもへったくれもないね……」
携帯の電波が強いところを探して某巨大掲示板を開くと、私について言及しているスレッドが3つもあった。
頼むから写真を貼らないでくれ。
「文、おもむろにデジカメからSDカードを抜きとって携帯に挿し込む必要性を教えてくれるかしら」
「や、やだなあ何もしませんって……」
色欲にまみれた男たちの書き込みに寒気を覚えたので一度ブラウザを閉じる。
しばらくはレ○プ描写のあるエロゲをやる気分にはなれなさそうだ。
一呼吸おいて、今度はTwi○terアプリを起動する。
検索画面を開くまでもなく私の目には一連の文字列が飛び込んできた。
急上昇ワード「コスプレ広場」「アド○ル」「正義の味方」「ナンパ」
私は黙って携帯の電源を切った。
自分のアカウントに鍵を掛けておけばよかったかもしれないがこの際後回しだ。
ネット上には本人特定できるものを上げた覚えはない。
不安に駆られるが、大丈夫なはずだ。
「『レティ・ホワイトロック ○○高校』っと……あ、部活動の入賞記録と一緒に貼ってある集合写真に写ってますね。見つかるのも時間の問題かと」
「…………」
どこのどいつだ、勝手に人の名前と顔写真をネットに掲示したのは。
高総体関連か、後で苦情を入れてやろう。
Faceb○okあたりに登録していなくて本当によかった。
現在進行形の情報まで流出とか洒落にならない。
どこまで話題が広まったかの情報収集も文ではなくヤマメにやらせよう。
彼女なら多少はデリカシーというものを分かってくれる。
削除依頼の出し方はどうやるのだろうか。
とめどなく広がる最悪の事態の想像は死角からかけられた一言でようやく止まった。
「レティ、さっきの騒ぎ何だったの?」
「きゃっ!?……あ、マイさん」
思わず悲鳴を上げてしまった。
長生きしそうな性格をしているとよく言われるが、これで寿命が少し縮んだ気がする。
声の主はアリスの姉の一人、マイ(敬称略)。
サークルの方はいいのだろうかと聞こうとすると、彼女の背後から別の人物が出てきて私に話しかけてきた。
「私、ちょうど見てたのよねー。んで、マイになんか面白いことあったよーって言ったらそれ貴女だって言うのよ。いやーあっぱれあっぱれ。妖怪ナンパ男撃退?うんうん、コミュ障ばっかの連中には無理だね。マイだってユキいないときには少しは話すようになるけどああいうのはさっぱりだし。あ、被害者Aもご一緒で?いやはやお目にかかれて光栄ですなあー」
「サラ、少し黙ってて」
マシンガントークを繰り広げるサラと呼ばれた少女を軽く小突いて黙らせるマイ。
私よりかははるかに話し上手だろう。
代わりにVIVITを助けてやればよかったのではないだろうか。
三白眼で見つめる私にその少女は自己紹介をはじめる。
「私はサラ。ユキとは親戚だけど、まあ歳も近いし友達みたいなもんかな?二人でサークルやってるんだけど、マイのやつもユキでも誘えばいいのに何を考えて私を誘ったのやら。いや、もしかして私がいれば百人力だからユキいなくても大丈夫ってことなのかな嬉しいねえ!でもそれは買いかぶり過ぎってもんよ。なんたって一昨日単位1つ落としちゃったばっかりでさー、いやほんと参った参った」
「もういいから。こんな奴だけど仲良くしてやって」
ユキがいないときは比較的饒舌らしいマイもサラの前では霞んで見える。
しかし、さっきから気になっているがサークルの方は……。
「ん、サークル?大体はけちゃったからもう畳んでこっち来たんだけどね。後片付けはマイがやるって言うから私は一足早くあたりをぶらついてたんだけど、その時見かけたのよ君たちを」
「私がやるって言ったんじゃなくてあんたが『ちょっとぶらついてくるわ』って勝手に出かけていったんじゃない」
「まー細かいことは気にしなーい」
苦労人属性はユキだけかと思っていたが、この翻弄されぶりを見るにマイも持っていたようだ。
しかし、もう少し人の流れが落ち着いてからゆっくりと彼女らのサークルを訪ねるつもりだったのにもう店じまいとは残念だ。
そう言うとマイは予見していたかのようなスムーズな動きでカバンを開けて中に手を突っ込んだ。
こういうのを無駄に洗練された無駄のない無駄な動きとでも言うのだろうか。
「これ、うちのサークルで出してたCD。お金はいいわよ。サービスってことで」
「悪いわね~気を遣わせてしまったみたいで」
薄い本でも売ってるのかと思っていたがCDとは意外である。
しかし顔には出さず丁重に受け取って自分の鞄にしまい込む。
その間なにか話したいことでもあったのだろうかずっとウズウズしていたサラが、我慢の限界か堰を切ったように話し始めた。
「そのCD、メインはボーカル曲なんだけど、今回せっかくプラスチックのまともなケースで作ったわけだしカバーの絵をPC向けの壁紙として収録してるんだよね。あ、いつもはもっとチャチな紙のやつなんだけどね。参考書の付録のCDみたいな?あれもう見たくないよねー、ってそれはさておき絵を描いたのはマイなんだけどね、ほんと上手いね。うん。その前にも合同誌に寄稿とかしてたけど自分で本出せばいいんじゃね?って感じだよね。他もさー」
「サラ、もういいから。あと私は立ち絵は描けるけど漫画みたいな動きのある絵は苦手だって何回言ったら分かってくれるの」
「知らん。ボラン。ポルフィン」
「あんたねえ……」
いちいちマイが止めに入らなかったら彼女はどこまでしゃべり続けるのだろうか。
ヤマメも口を開かせると長いが、その比ではない。
ところでキスメはともかく文とVIVITは全く話しについていけずあくびをかみ殺しているが、そろそろ切り上げたほうがいいのではなかろうか。
元々文はコスプレを撮りに来ただけのようでコミケ、というかサブカル系にはさして詳しくない。
VIVITは……何しに来たのだろうか。
夢美に言われてここに来たそうだが、その夢美はこの場にはいないとのこと。
どうせコスプレ広場のメイドコスを見て日本流のメイド像を学ばせようとか、そんなろくでもないことを考えていたのだろうがおかげでいい迷惑だ。
「あのー、立ち話もアレですし別のところで休憩しませんか?」
痺れを切らした文がサラとマイの漫才の合間に口を開いた。
とは言えまだまだ混雑するこの時間帯、会場内には大したスペースはないし、あってもだいたい埋まっていそうなので外に出るほかはないと思うが……。
それではマイとサラの用事が済んでいなかったら再入場が面倒だ。
とりあえず2人に話を聞いてみるとするか。
「見たいサークルとかまだ残ってるのかしら~?だったら私達は先に行かせてもらうけど」
「んー、私はいいや。マイも無いね。よし出よう飯にしよう」
「人の話くらい聞きなさいよ。別に用事はないけど」
「私、ジャパニーズフードが食べたいです!」
二人の承諾が取れると早速昼食の希望を言うVIVIT。
しかしジャパニーズフードって具体的にどういうものなのか……と思っていたが、ピンときた。
「じゃあそうしましょうか~」
「え、どこに行くの?」
「ラーメン○郎」
「レティ、あそこは危険だから」
一瞬で却下される私の提案。
ラーメンはれっきとした日本の国民食なのだが……。
「いや、そういう問題じゃなくて」
「実はマイと前に○郎に行ったことあるんだけどねー、ほらあそこ大量にもやし乗ってくるじゃん?マイったらもやし苦手でさー。それにスープも独特の味だし口に合わなかったみたいで、その上店員がはよ食えって視線を向けてくるって言っててさー」
「サラは黙ってて。とにかく、他にしてくれない?」
そう言われては引き下がる他あるまい。
一度食べてみたかったのだが、またの機会にすることとしよう。
しかしそうなるとどこで昼食を取ればいいのやら。
「蕎麦屋とかでいいんでない?」
「そうしましょうか」
「落語に蕎麦ネタは付き物、ってなことで私が蕎麦で一つ小噺を」
「しなくていいから」
口をへの字に曲げるサラ。
彼女なら寿限無をつっかえることなく言えそうだ。
それこそ落語家でも目指してみたらどうかという気もするが、このご時世口が回る人間だからといってそちらを目指す人間もあまりいない。
そうだ、明日は落語を聞きに行くというのも面白いかもしれない。
文あたりは嫌がるだろうが、日本文化に興味深々なVIVITでも連れて行けばいい。
「だから私が小噺を」
「黙ってなさい」
……前言撤回、サラに喋らせてやることにしよう。
いくらなんでも可哀想になってきた。
そうこうしているうちにり○かい線の駅に到着、ひとまずお台場とはお別れか。
ヤマメ達はどうしているだろう。
視線の先には光る海。
同じ海を見ているのだろうかと柄にもなく詩的な考えの浮かぶ炎天下、そろそろ本来の語り手にバトンタッチすることとしよう。
直射日光は私の自慢の一つである白い肌にメラミンを増殖させんと容赦無く照りつけ、滴る汗が日焼け止めを流し去っていく。
……無理。私、レティ・ホワイトロックは本来モノローグを垂れ流す立場であるヤマメほど回りくどい思考回路をしていない。
なぜ私がこうしてモノローグを語っているのか、なぜ初っ端からこんなにメタな地の文から始まるのかというと、一言で言えばここに黒谷ヤマメはいないのだ。
私と、それとキスメと文だけがこうして朝早くからコミケの列に並んでいて、残りのメンバーは多分今頃ディズ○ーシーだ。
ちなみにアリスの姉の一人、マイはサークル参加のためコミケ組だがここにはいない。
これなら売り子として連れていってもらったほうがよかったかもしれない。
多少の苦労は覚悟していたものの……暑い、とにかく暑い。
北国生まれの北国育ち、日照りを嫌い雪を愛してやまない私にはこの開場待ちの時間は拷問にも等しい。
汗で衣服が張り付いてブラ線が透けているのだが、男性陣の視線というものはどうにかならないものだろうか。
あまりの混雑にアンテナが1本しか立っていない携帯でTwi○terを開く。
「コミケ」「巨乳」「色白」「ブラ線」この4単語を含んだつぶやきを検索するだけで私に関する内容がゴマンとある。
美少女とか言ってくれるのは嬉しいが、あんまりそういう目で見るのはやめていただきたい。
見る方は大好きなのだが、これからはもう少し控えるようにしよう。
「文ちゃん、そこじゃなくて角狙って角」
「了解です!くらえー!」
キスメと文はモン○ンで時間を潰している。
さっきまでは私もやっていたのだが、どうもこの手のゲームは苦手で面白いようにやられるので諦めて電源を切った。
キスメも私もゲームは好きだが、好きなジャンルが全く違うためあまり一緒にプレイしたことはない。
RPGやアクションゲームを好む女性は多いが、ギャルゲー好きというのはあまり見たことがないのが寂しいばかりだ。
そのため、確かに嫌がるものの勧めたゲームは大体プレイしてくれるヤマメは私にとって貴重な友人だ。
最近はHシーンのCGを脳内フィルタでシャットアウトする術を会得したらしい。
どうも私が予想していた方向とは別の方向に順応している気がする。
そして、もう一人のルームメイトであるアリスはそもそも私の勧めるゲームをやってくれない。
ジャンルがジャンルだけにこれは仕方が無いことだが……。
「お、そろそろじゃない?」
キスメがそう言って顔を上げるのと時を同じくして列を整えていた係の人が何かを叫ぶが、周囲の喧騒がそれをかき消す。
だが聞かずともそれが何を意味するかはわかる。
時計の針は午前十時――開戦だ。
「はあ~暑かったですねえ。早く肌着を替えたいです」
「ちゃんと更衣室で着替えてよね。トイレなんかで着替えたら大目玉喰らうわよ」
「やりませんってそんな下品な。私だってレディなんですよ?」
なんだかんだで物分りの良い文である。
それにしても、普段から人の寝相は盗撮するわ風呂は覗くわと品性の問われることばかりしている文に下品と言われてしまう人たちも可哀想な気がしないでもない。
もっともその行為は顰蹙を買ってしかるべきものであるが。
さて、様々なアニメやゲームの衣装入り乱れる更衣室に到着。
私達は別にコスプレをするわけではないので手短に着替えを済ませてしまおう。
汗に濡れた肌着を取り替える用途で更衣室を利用する人は決して少なくないが、そういう人がここの利用料金を払うかどうかは本人に委ねられている。
せっかくなので料金は支払うこととした。
どうもこういう情に訴えるというか相手を試しているかのようなものには乗りたくなってしまうのだが、どこかドライな文は支払うことなくさっさと着替えを済ませてしまった。
別に構わないのだが、やっぱり少し寂しいような。
私も着替えを済ませるといよいよ出陣だ。
とにかく人、人、人。
ニイタカヤマノボレですかと突っ込む文はさておいて、さすがに開場直後は混んでいる。
昼過ぎに行けば長時間の入場待ちも緩和されていたかもしれないが、そうもいかない事情があるのだ。
「さて、蒼神○起買いに行くわよ!」
「らじゃー!」
珍しく私とキスメが同時に興味を持ったゲームがある。
それがこれだ。
――十数日前、私がたまたま放置していた夏コミのカタログをキスメが手に取り読んでいた。
すると気になったものでもあったのか携帯で詳細を検索し、お気に召したか私に見せてきた。
「これ!これ欲しいけど私も夏コミついてっていい!?」
――幻想郷には、夏の厳しい日差しが降り注いでいた――(公式HPより)
そう銘打たれた二次創作RPG、ロマ○ガ風と謳われるこのゲームに私も少なからず興味を持った。
東方○ッカーの制作サークルの協力作品というのも興味深い。
RPGはあまりやらない私だが、直感的にこれは流行るという予感がしたので一緒に買うことにしたのだ。
正直なところ、私は委託販売待ちでもよかったのだが……キスメがぜひ並んで買おうと主張したのでこうして我々は人混みの中にいるのである。
まあ同人ゲームはそれでもいいが、コンシューマーゲームまでそんなことをしなくても良いのではないか。
なぜかAmaz○nでフラゲすることを断固として拒否するキスメはハードだけでなくソフトまで朝から電気屋に並んで買うことを信条としている。
当時はネット通販なんてものはなかったが、こういう人がいるからド○クエは平日に発売しなくなったのだろうなとつくづく思う。
そんなことをつらつらと並べ立てる私をよそに、文が通りかかるレイヤーをカメラに収めようとウズウズしている。
「コスプレ広場にはまだいかないんですか!?用事があるなら早いところ済ませてしまいましょうよ」
「と言ってもねえ……」
これでも目一杯急いでいるのだが、如何せん人が多すぎて進みようがない。
人の流れに乗じてようやくサークル場所まで辿りついてもそこは大手、なかなかに長い列ができている。
まともに携帯の電波が入る保証も無いので別行動も避けたいところだし、もう少し文には我慢してもらおう。
あやーと独特のため息をつく彼女をなだめつつ私たちは今日何度目かの順番待ちに精を出すのであった。
――ようやく一段落ついた。
小腹のすく時間帯、私たちはコスプレ広場で一息ついていた。
否、一息などつけはしない。
四方八方で鳴り響くシャッター音。
その根源たるカメラや携帯を構えた人々で周囲は息苦しいまでの熱気に満ちている。
もちろん我が友人射命丸文はその中に混じっており、心なしか他人よりシャッターボタンを押す速度が2割は速く見える。
水を得た魚、野に放たれた鷹のように活き活きとする彼女を見ていれば我々の心にも潤いが与えられるかといえばそうでもない。
これを聞いたら彼女は『私は魚でも鷹でもなく鴉ですから』とメタなツッコミを入れるかもしれないが、それよりも動体視力の限界を超えた連射を可能にする文の指に私とキスメはドン引きを隠せない。
ツッコミを入れに来たか雰囲気を感じ取ったか文がこちらに戻ってきた。
ただしカメラは構えたまま。
「ふっふっふ……どうです?よく撮れてるでしょう」
「おー綺麗……ってこれ機能ヤマメにファインダー駄目にされたやつじゃん。直したの?」
「よくぞ聞いてくれました!私ほどの腕前になればファーンダーを除く必要などありません!心眼で撮るのですよ……!」
話半分に聞き流し文の手からデジタル一眼レフを奪い取る。
プレビューを見ると、案の定同じ構図のピンぼけ写真が大量にあった。
これを表示している液晶でおおよそのピントは合うし、後はすこしずつピントをずらしながら連写していたのだろう。
そう考えればやたらシャッターボタンを連打していたのも納得が行く。
「心眼とはよく言ったものね~」
「ひどいです……返して下さいよう……」
フッ化水素酸に侵されすりガラス状態のファインダーに哀悼の意を表し文にカメラを返却する。
ガラスではなく樹脂系の何かなのだろうか、私の知っているHFのガラス腐食実験のものより侵され具合がひどい。
ヤマメも随分過激なことをやってくれたものだ。
実際のところ過激なことばかりを好んでやっている節があるが。
先日は自家製の打ち上げ花火を作っていたが、見つかると警察のお世話になるとアリスに止められていた。
家宅捜索など入った暁には彼女はオーバーキルになりかねないだけの懲役刑を喰らうだろう。
一周回って心配する気が起きないほどの大量のヤバ気な薬物のストックは時折てゐによって秘密裏に処分されている。
有害物質のオンパレードを無害なレベルまで処理するその試薬もヤマメの私物を使っているため、しばしば彼女が塩酸がないアセトンがないと騒いでいる姿が見受けられる。
てゐにあれらの適切な処理ができるとは思えないが……恐らく友人の鈴仙に任せているのだろう。
腐れ縁に面倒事を押し付けられる薄幸の主席には同情を禁じ得ないがあいにく苦情は受け付けていない。
ヤマメが鼻歌(主にホー○ス選手の応援歌)交じりに実験する姿は見ているこちらがニヤつきそうな代物であり、その邪魔をするなど何人たりとも許されない。
毎回文が仕掛けたカメラで録画されたその映像は私のPCのハードディスクの半分近くを占領し、外付けHDDにまで勢力を伸ばしている。
もちろんHDD代も馬鹿にならないのだが……。
「ねえレティ、あの娘……」
「あ、やっぱり気になるわよね~」
私達の視線は人だかりの先、わずかにその横顔が見え隠れする少女に注がれていた。
西洋系の美貌、純白の肌、赤い髪。
そして何より肌の露出を控えた本来の用途にかなったメイド服。
間違いない、VIVITだ。
「君かわいいねえ!」
「あ、ありがとうございます!」
「ねえ、俺と向こうで話さない?」
「えっ、あの……それは……」
やっぱりナンパされてる。
世間知らずの節がある彼女は何を思ってここに来たのだろうか。
それにしても、こんな場所にもかの輩はいるものなのか。
辟易とするもまずは助けてやるかとトーンを上げて話しかける。
「おーい、VIV~!」
「あ、えーと……ホワイトロックさん、でしたっけ?昨日はどうも」
皆まで言わせず素早く詰め寄り小声で話しかける。
(そんな丁寧じゃなくていい、馴れ馴れしいくらいでいいから適当に話を合わせて!)
(……?)
意味をわかりかねているのか頭上にクエスチョンマークを浮かべるVIVIT。
ああもうどうして察しが悪いのか。
仕方ない、後は流れでこちらに引っ張り込もう。
立ち会いは強めでお願いします。
「何してるのVIV、行くわよ~。ごめんね、この子私達の連れだから……」
「でも、岡崎教授にここに行って来いと……」
「少しは空気読みなさいよ!」
ダメだこりゃ。
ロボットには場の空気を読む機能というのはついていないのだろうか。
嘆息する私にナンパ男が怒ったような口調で話しかけてくる。
「知り合いなのかは知らないけど、この娘は動く気ないんだろ?ほらどいたどいた」
突慳貪な言い回しに広場は険悪なムードに包まれる。
これでは彼はますます悪者扱いされるだけだと思うのだが。
しかし味方はいないかとあたりを軽く見回すも、キスメは野次馬に混ざって触らぬ神に祟りなしを決め込んでいるし文はカメラを構えて始終を収めるのに忙しそうだ。
他の面々も静観を決め込んでいて助太刀は望めそうになさそうだ。
こうなっては仕方ない、恥ずかしいがギャラリーを味方につける作戦を展開しよう。
静かに、芝居がかった口調でナンパ男に返事をする。
「……そうね、私も彼女と知り合いかなんてどうでもいいわ。ただ彼女は困ってるし、ここはナンパする場所じゃあない」
「困ってるかどうかなんてお前が決めることじゃ」
「あら、私はその後に『ここはナンパする場所じゃない』って続けたけど?言葉尻を捉えたってそれは反論の理由にはならないわ」
屁理屈を並べ立てられる前に相手の言葉を遮る。
もはやナンパ男は完全に小悪党キャラとして周囲に認識された。
周りはリア充爆発しろだとか、DQNを一度ぎゃふんと言わせてやりたいとか日頃考えている連中が大半だ。
彼に味方するものなど誰もいまい。
精神的袋小路の状況にトチ狂ったか、苦し紛れに叫びだすナンパ男。
「クソッ!何様のつもりだ!」
その言葉を待っていた。
愚かなものよ、自分から噛ませ犬を演じてくれるとは。
尻尾を巻いて逃げ出せとばかりに私は1分ほど前から温めていた決め台詞を口にする。
「……弱気を助け、強気をくじく……最強の矛をも殴り飛ばす最強の盾であれ……」
元ネタがわかった連中が息を呑むその最中、最後の一言がウインクと共に放たれる。
「……正義の味方よ」
――決まった。
人生で一度は言ってみたい台詞脳内ランキング第1位をここまで自然に言い放つことができるとは。
一般の場で行ってしまえばただの痛い人だがここは夏コミ2日目、ネタもわかってくれるしこういう展開は得てして大きな効果を生む。
パチパチパチ……と拍手の音がすぐそばから聞こえた。
拍手の主はVIVIT、今回は空気を読んだといえるのかいえないのか……。
なんせ劇を見ているかのごとく他人ごとである。
ともかく彼女が始めた拍手は次第に周囲に広まっていき、最後にはコスプレ広場全体を包み込んだ。
さすがに臆したナンパ男がこの場を去るとさらに拍手は強まり、ちょっとしたヒロイン気分である。
ものすごく恥ずかしいのはさておいて、私に向かってカメラのシャッターを切るのはやめていただけないだろうか。
どうせネットにアップするんだろう。
私は変なところで有名人になる気はさらさらないというのに。
大袈裟すぎるほうがうまくいくと思ったが、さすがにやりすぎたか。
そそくさとVIVITの手を引いて人だかりを離れるとキスメが駆け寄ってきた。
「レティちゃんかっこよかったよ!すごいすごい!」
「ん~慣れないことをすると肩が凝るわね~……」
VIVITが話を合わせてくれれば事を荒立てずに済んだしこんな苦労もしなくてよかったのだが……。
ついさっきまではいい気分だったが今は羞恥の念しかない。
なにはともあれ、もうここで立ち止まっている必要もない、さっさと文を回収して別の場所に行こう。
未だにカメラを構え続ける文と事態を飲み込めていないVIVITを両手に引きずり、私たちはコスプレ広場を後にした。
「……うわあスレ立ってる。ブログにまとめられちゃうのかしら~……」
「世の中プライバシーもへったくれもないね……」
携帯の電波が強いところを探して某巨大掲示板を開くと、私について言及しているスレッドが3つもあった。
頼むから写真を貼らないでくれ。
「文、おもむろにデジカメからSDカードを抜きとって携帯に挿し込む必要性を教えてくれるかしら」
「や、やだなあ何もしませんって……」
色欲にまみれた男たちの書き込みに寒気を覚えたので一度ブラウザを閉じる。
しばらくはレ○プ描写のあるエロゲをやる気分にはなれなさそうだ。
一呼吸おいて、今度はTwi○terアプリを起動する。
検索画面を開くまでもなく私の目には一連の文字列が飛び込んできた。
急上昇ワード「コスプレ広場」「アド○ル」「正義の味方」「ナンパ」
私は黙って携帯の電源を切った。
自分のアカウントに鍵を掛けておけばよかったかもしれないがこの際後回しだ。
ネット上には本人特定できるものを上げた覚えはない。
不安に駆られるが、大丈夫なはずだ。
「『レティ・ホワイトロック ○○高校』っと……あ、部活動の入賞記録と一緒に貼ってある集合写真に写ってますね。見つかるのも時間の問題かと」
「…………」
どこのどいつだ、勝手に人の名前と顔写真をネットに掲示したのは。
高総体関連か、後で苦情を入れてやろう。
Faceb○okあたりに登録していなくて本当によかった。
現在進行形の情報まで流出とか洒落にならない。
どこまで話題が広まったかの情報収集も文ではなくヤマメにやらせよう。
彼女なら多少はデリカシーというものを分かってくれる。
削除依頼の出し方はどうやるのだろうか。
とめどなく広がる最悪の事態の想像は死角からかけられた一言でようやく止まった。
「レティ、さっきの騒ぎ何だったの?」
「きゃっ!?……あ、マイさん」
思わず悲鳴を上げてしまった。
長生きしそうな性格をしているとよく言われるが、これで寿命が少し縮んだ気がする。
声の主はアリスの姉の一人、マイ(敬称略)。
サークルの方はいいのだろうかと聞こうとすると、彼女の背後から別の人物が出てきて私に話しかけてきた。
「私、ちょうど見てたのよねー。んで、マイになんか面白いことあったよーって言ったらそれ貴女だって言うのよ。いやーあっぱれあっぱれ。妖怪ナンパ男撃退?うんうん、コミュ障ばっかの連中には無理だね。マイだってユキいないときには少しは話すようになるけどああいうのはさっぱりだし。あ、被害者Aもご一緒で?いやはやお目にかかれて光栄ですなあー」
「サラ、少し黙ってて」
マシンガントークを繰り広げるサラと呼ばれた少女を軽く小突いて黙らせるマイ。
私よりかははるかに話し上手だろう。
代わりにVIVITを助けてやればよかったのではないだろうか。
三白眼で見つめる私にその少女は自己紹介をはじめる。
「私はサラ。ユキとは親戚だけど、まあ歳も近いし友達みたいなもんかな?二人でサークルやってるんだけど、マイのやつもユキでも誘えばいいのに何を考えて私を誘ったのやら。いや、もしかして私がいれば百人力だからユキいなくても大丈夫ってことなのかな嬉しいねえ!でもそれは買いかぶり過ぎってもんよ。なんたって一昨日単位1つ落としちゃったばっかりでさー、いやほんと参った参った」
「もういいから。こんな奴だけど仲良くしてやって」
ユキがいないときは比較的饒舌らしいマイもサラの前では霞んで見える。
しかし、さっきから気になっているがサークルの方は……。
「ん、サークル?大体はけちゃったからもう畳んでこっち来たんだけどね。後片付けはマイがやるって言うから私は一足早くあたりをぶらついてたんだけど、その時見かけたのよ君たちを」
「私がやるって言ったんじゃなくてあんたが『ちょっとぶらついてくるわ』って勝手に出かけていったんじゃない」
「まー細かいことは気にしなーい」
苦労人属性はユキだけかと思っていたが、この翻弄されぶりを見るにマイも持っていたようだ。
しかし、もう少し人の流れが落ち着いてからゆっくりと彼女らのサークルを訪ねるつもりだったのにもう店じまいとは残念だ。
そう言うとマイは予見していたかのようなスムーズな動きでカバンを開けて中に手を突っ込んだ。
こういうのを無駄に洗練された無駄のない無駄な動きとでも言うのだろうか。
「これ、うちのサークルで出してたCD。お金はいいわよ。サービスってことで」
「悪いわね~気を遣わせてしまったみたいで」
薄い本でも売ってるのかと思っていたがCDとは意外である。
しかし顔には出さず丁重に受け取って自分の鞄にしまい込む。
その間なにか話したいことでもあったのだろうかずっとウズウズしていたサラが、我慢の限界か堰を切ったように話し始めた。
「そのCD、メインはボーカル曲なんだけど、今回せっかくプラスチックのまともなケースで作ったわけだしカバーの絵をPC向けの壁紙として収録してるんだよね。あ、いつもはもっとチャチな紙のやつなんだけどね。参考書の付録のCDみたいな?あれもう見たくないよねー、ってそれはさておき絵を描いたのはマイなんだけどね、ほんと上手いね。うん。その前にも合同誌に寄稿とかしてたけど自分で本出せばいいんじゃね?って感じだよね。他もさー」
「サラ、もういいから。あと私は立ち絵は描けるけど漫画みたいな動きのある絵は苦手だって何回言ったら分かってくれるの」
「知らん。ボラン。ポルフィン」
「あんたねえ……」
いちいちマイが止めに入らなかったら彼女はどこまでしゃべり続けるのだろうか。
ヤマメも口を開かせると長いが、その比ではない。
ところでキスメはともかく文とVIVITは全く話しについていけずあくびをかみ殺しているが、そろそろ切り上げたほうがいいのではなかろうか。
元々文はコスプレを撮りに来ただけのようでコミケ、というかサブカル系にはさして詳しくない。
VIVITは……何しに来たのだろうか。
夢美に言われてここに来たそうだが、その夢美はこの場にはいないとのこと。
どうせコスプレ広場のメイドコスを見て日本流のメイド像を学ばせようとか、そんなろくでもないことを考えていたのだろうがおかげでいい迷惑だ。
「あのー、立ち話もアレですし別のところで休憩しませんか?」
痺れを切らした文がサラとマイの漫才の合間に口を開いた。
とは言えまだまだ混雑するこの時間帯、会場内には大したスペースはないし、あってもだいたい埋まっていそうなので外に出るほかはないと思うが……。
それではマイとサラの用事が済んでいなかったら再入場が面倒だ。
とりあえず2人に話を聞いてみるとするか。
「見たいサークルとかまだ残ってるのかしら~?だったら私達は先に行かせてもらうけど」
「んー、私はいいや。マイも無いね。よし出よう飯にしよう」
「人の話くらい聞きなさいよ。別に用事はないけど」
「私、ジャパニーズフードが食べたいです!」
二人の承諾が取れると早速昼食の希望を言うVIVIT。
しかしジャパニーズフードって具体的にどういうものなのか……と思っていたが、ピンときた。
「じゃあそうしましょうか~」
「え、どこに行くの?」
「ラーメン○郎」
「レティ、あそこは危険だから」
一瞬で却下される私の提案。
ラーメンはれっきとした日本の国民食なのだが……。
「いや、そういう問題じゃなくて」
「実はマイと前に○郎に行ったことあるんだけどねー、ほらあそこ大量にもやし乗ってくるじゃん?マイったらもやし苦手でさー。それにスープも独特の味だし口に合わなかったみたいで、その上店員がはよ食えって視線を向けてくるって言っててさー」
「サラは黙ってて。とにかく、他にしてくれない?」
そう言われては引き下がる他あるまい。
一度食べてみたかったのだが、またの機会にすることとしよう。
しかしそうなるとどこで昼食を取ればいいのやら。
「蕎麦屋とかでいいんでない?」
「そうしましょうか」
「落語に蕎麦ネタは付き物、ってなことで私が蕎麦で一つ小噺を」
「しなくていいから」
口をへの字に曲げるサラ。
彼女なら寿限無をつっかえることなく言えそうだ。
それこそ落語家でも目指してみたらどうかという気もするが、このご時世口が回る人間だからといってそちらを目指す人間もあまりいない。
そうだ、明日は落語を聞きに行くというのも面白いかもしれない。
文あたりは嫌がるだろうが、日本文化に興味深々なVIVITでも連れて行けばいい。
「だから私が小噺を」
「黙ってなさい」
……前言撤回、サラに喋らせてやることにしよう。
いくらなんでも可哀想になってきた。
そうこうしているうちにり○かい線の駅に到着、ひとまずお台場とはお別れか。
ヤマメ達はどうしているだろう。
視線の先には光る海。
同じ海を見ているのだろうかと柄にもなく詩的な考えの浮かぶ炎天下、そろそろ本来の語り手にバトンタッチすることとしよう。
次回作も待ってますので頑張ってください!
ケミカルのヤマメよりレティを動かしてディズ○ーシーグループとは別の面を上手く描写されているように思えました。
文やキスメなどコミケ組が生き生きしていて楽しかったです
もう一度コミケに行きたい!!
会話がおもしろかったです
次も楽しみにしてます。
半年近く高井さんの名前が出てなくてちょっと心配です
私の作品を今も心待ちにしてくださる方がいてくださって感激の極みです
受験勉強でしばらく執筆から離れておりましたがセンター試験も終わりましたし、また筆を手に取る日も近いと……思いたいですねえ